キャメロットの城は冷たい。
剥き出しの石材と、たいまつの明かり。それが暗く寂しい英国の気候と相まって、益々寒々しく目に映る。
「陛下、宴席の仕度が整いました」
僅かばかりの蝋燭に照らされた執務室に、サー・ケイの低い声が響く。
厳粛にして堅実、いささか傲慢なところのある王宮の執事。ではあるが、それでも実直なこの義兄なくして、騎士たちの奔放で自侭な振る舞いは抑え切れなかっただろう。
「本日の宴には幾人集まったのか?」
「円卓の騎士、遠征と探索に赴いたものを除き、九十八名全員揃っております」
小さく溜息をついた。これからの馬鹿騒ぎの大きさに些か気鬱になる。また朝まで無駄な時間を過さねばならないのか。
「陛下」
そんな気持ちを気取られたのだろうか、サー・ケイの幾分非難の篭った声音が注意を促す。
「判っている。私が行かねば始まらぬと申すのだろう?」
「はい、特に本日はめでたき日、みな待ちかねております」
その声音には、これ以上は抑え切れません、と言うサー・ケイの苦々しい気持ちも篭っていた。義兄も、自分同様馬鹿騒ぎは好きではない。とはいえ、特に今日という日は外せない。
「了解した、参ろう。サー・ケイ、先導を頼む」
深々と頭をたれる義兄を前に、おもむろに立ち上がり、重い足取りで宴席に向かう。
自分にとって飲食はただの燃料補給に過ぎない。騎士たちが宴会というものを、何故これほどまでに愛し溌剌とはしゃぎまわるのか、自分にはどうしても理解できなかった。
宴席は何時も苦痛だ。王の務めとして切り回し、騎士たちにたっぷりと肉と酒を振舞わねばならないことは理解していている。しかし、それが今日の様に自分の為の祝いの席であっても、その中に混じろうという気持ちには決してなれなかった。
多分、自分は終生この疎外感を抱き続けるのだろう。そんな確信さえも持っていた。
おうさまのひ | |
「剣の宴」 | −King Aruthoria− Fate/In Britain 外伝-1 |
Saber |
「…………」
目覚めは何時も唐突だ。私は夢を見ない。王であった時代からこれは変わらない。見るとすればそれは思い出であり、今ならマスターの記憶だろう。
「……ふぅ」
だから、今見たのも過去の思い出。王であった頃の一場面。あの頃の私には、まさか食事というものに、ここまで意義を見出すとは想像も出来ないことだった。
「そういえば昨日は……」
ここへ来て、ようやく私は今の状況を思い出した。ぐるりと見渡すこの部屋はいつもの自分の部屋ではない。
清潔であるが、必要最低限の物しか置かれて居ない部屋。ある意味、自分の部屋にも似ているこの部屋は、ロンドン郊外にあるシュトラウス工房の簡易宿舎だ。
昨日の晩、遅くまでシュトラウス工房の職人達と新鍛魔剣の審査をし、夕食をご馳走になって、そのままここに泊まる事になったのだ。
私は、しばし起き抜けの心地よさに記憶を反芻する。ああ、昨日のミーナの供してくれた夕食は美味しかった。先日話したチキンのオレンジ蒸しを作ってくれたのだ。あの皮と身の間の脂身の甘露なこと……
――クゥ……
記憶に刺激されたのか、私の身体が燃料補給を訴えてくる。だが、たとえどれほど空腹であっても、今、もしあの頃の食事を供されたならば…………私は自分を保てる自信がない。
さてと起き上がり時計を見ると、シャワーを浴びて出向けば丁度、食堂が開く時刻になる。私は先ずは湯浴みと浴室へ向かった。
その後、食堂へ向かう足取りが妙に軽かったのは、きっと気のせいだろう。
「ご馳走様」
私は空になった食器の前で両手を合わせ、本日の朝食が美味しくいただけたことを感謝した。食前の神への感謝は以前からのものだが、食後のこの感謝はシロウから教わったものだ。作ってくれた人有難う。私は心から感謝した。
本日の朝食は、焼きたてのパンに卵とソーセージ、それと豆のスープだった。簡素に見えて、これで中々奥が深い。
なんでもこの食堂の賄いをされているのは、高名な魔女であるという。調理、否、湿潤式魔術の専門家で"魔女の魔術”の大家であるそうだ。
ただ、魔術師の間で”魔女の魔術
そんな彼女だからこそ、こんな簡素なメニューであるにも拘らず、これほどの食べる者への愛情が篭っているのだろう。まったく感嘆に値する。
「あ、セイバーさん、おはようございます。ここに居たんですね」
「おはようございます、ヴィルヘルミナ」
そんな感慨にふけっていると、ヴィルヘルミナが私の前にやって来た。トレイには、先ほど私が食べたものと同じメニューが、同じほどの量で盛られている。私が言うのは些か憚られるが女性としてはかなり多めだ。
ふと、日本に居る桜を思い出す。彼女もかなりの健啖家だった。
なるほど。私は視線の先で揺れるヴィルヘルミナの胸元を眺め納得した。彼女たちの栄養の行き先はあそこなのですね。
「そうそう、お渡ししておきますね。今月の分です」
食後の珈琲と軽いお茶請けをご馳走になっていた所で、ヴィルヘルミナは私に封筒を差し出した。
「ああ、今月も有難うございます」
「それは、こちらの台詞ですよ」
朗らかに微笑むヴィルヘルミナに感謝しつつ、私は封筒の中身を確認する。中の小切手には、思っていたよりも多い金額が印字されていた。
「よいのですか? ヴィルヘルミナ」
「ええ、セイバーさんのおかげで剣の質が二割は上がった、と主任さんも喜んでいましたから」
「主任殿が? ああ、それは嬉しいことです」
製剣部門の主任は、いささか傲慢なところはあるものの実直にして厳然、どこかかつての義兄を思わせる人物だ。笑みの一つも浮かべないような、いかにも職人然とした人物なのだが、世辞や追従は決して言わない。その彼が喜んでいたというのは実際役に立てたということなのだろう。シロウではないが、やはり人に喜んでもらえると嬉しい。
「そういえば……」
私は食堂を見渡す。主任の話が出たところで気がついたのだが、今日は人が少ない。昨日はかなり遅くまで作業をしていたのだから、私同様みな泊まりであったろう。だとすれば、今この時間ここは彼らでごった返しているはず。私はヴィルヘルミナに聞いてみた。
「それでしたら、今日はみんな朝から出てるんですよ。外でちょっと催しがありましてね、そちらの手伝いです」
「なるほど、そうでしたか」
ヴィルヘルミナの言葉に、納得すると同時に少しばかり寂しい気持ちにもなった。仕事上がりの朝の喧騒。その輪に加わることが、いつの間にか私のささやかな楽しみになっていた。
同じ剣を扱うものの一人として、彼らは私を受け入れてくれた。くだらない冗談や、たわいのない家庭の内輪話。輪の中に入ってみると、それがいかに取りとめがなくとも、否、取り止めがないからこそ、貴重でかけがえのないものであると理解できたのだ。
「そんながっかりしないでください。大丈夫ですよ、セイバーさんは皆のアイドルなですから」
そんな考えが顔に出たのだろう、ヴィルヘルミナが元気づけるような口調で話しかけてきた。しかしながら、そのように言われて黙っているわけにはいかない。
「がっかりなどしてはいません。それよりもなに事ですか? 怠け者
「あ〜、セイバーさん? あの、アイドルってそういう意味じゃないんですよ」
些か顔に血を登らせて食って掛かった私を、ヴィルヘルミナは困惑した顔で宥めだす。
では一体どういう意味なのでしょう、と小首をかしげていると、ヴィルヘルミナが苦笑しながら話してくれた。なんと言うべきか、その説明は私の顔にさらに血を登らせるものだった。わ、私はそのように可愛らしいものではありません。
散々ヴィルヘルミナにからかわれた後、私はいつもの習慣どおりシロウと鍛錬すべくジュリオの道場の向かった。
ヴィルヘルミナの悪戯好きにも困ったものだ。非常に微妙でさりげない策を弄
「おや、シロウはまだ来ていないのですか?」
いつもなら先にシロウがついているはずの時刻なのだが、今日はまだ現れていない。道場の真中でジュリオが退屈そうに銃剣を磨いているだけだ。
「おはよう、麗下。連絡があってね、野暮用があるからシローは今日お休みだって」
「む、それは聞き捨てなりません。鍛錬とは日課であるべき。そう気楽に休まれては困ります」
最近、ようやく芽が出てきたかと思っていたところで、気を緩ませては台無しだ。第一シロウは、以前から私に剣を習っておきながら流派はアーチャーのもの、剣より弓の方が様になるなど言語道断なところがある。
ここは一度シロウに苦言を呈せねばならない。折角、私が鍛えているのだから、一度くらいは私を喜ばせて欲しい。いや、これは寂しいとか、悔しいとかではなく……
「どうも妃閣下
むむ、凛までも。
どうも最近、凛はシロウに甘えすぎる。シロウもシロウで凛にはとことん甘い。かつての凛々しく毅然とした凛は何処へ行った? それは確かに愛し合う二人が仲良くするのは良い事だ。凛にしても今まで一人で孤独と戦ってきたのだ、少しくらい甘えてもいいとは思う。しかし、この朝の時間は私にとってシロウと触れ合える貴重な時間であって……
「だから麗下、そんなに拗ねないで。ほら笑って笑って」
「誰が拗ねているというのです!」
ジュリオの不埒な言葉にとうとう私は正しき怒りを爆発させた。私は決して拗ねてなどいない。ただ、シロウと凛の些か過剰な仲良しぶりに、忠告をしなければと思っているだけだ。忠臣というのは何も唯々諾々と従うだけでなく、このような諌言が出来なくてはならないのだ。まったく、私は機嫌が悪いわけでも拗ねて剥れているわけでもありません!
「はいはい、麗下は本当に可愛いなぁ」
私の怒りを柳に風と受け流して、ジュリオはへらへらと笑いながら立ち上がる。
「今日は二人っきりですね、麗下」
まったくこの男は……
一転、口説きだしたジュリオに、私は怒りよりも呆れを感じてしまう。体術は一流の戦士、魔術師としても腕はともかく心構えはシロウより遥かに魔術師らしいというのに、女性のこととなると途端にこれだ。
私はとある円卓の騎士を思い出し溜息をついた。彼も同じであった。あの行状は多分死んでも直らないと思っていましたが、まさか本当に死んでも直らないとは思っていませんでしたよ、ランス。
「ジュリオ、それは思う存分叩きのめしても良いということですね?」
私は腸
ああ、今の私は凛と同じほど邪悪な気分だ。この得体の知れない感情を早々に吐き出さねば、押さえが利かなくなる。
「あ、いや〜それは……あ、鍛錬よりお茶にしません? お袋が送ってきたスフォリアテッラやパスティエーラがあるんですよ。ほら、この間美味しいって言ってたカンノーリも!」
絶対の危機を悟ったか、ジュリオはここで再び反転、懐柔に乗り出してきた。さすがイタリア人というところか。
確かにジュリオの母君のお菓子は素晴らしい。イタリアンデニッシュとも言うべきスファリアテッラ、同じくイタリアンチーズケーキのパスティエーラ、共に白ワインかカプチーノで頂くのは至福の刻だ。特にカンノーリのほんのり酸っぱいクリームと、油で揚げた生地のジューシーさは、考えただけで口の中一杯に幸せが広がってくる。
「それは楽しみです。午前のおやつにはそれを頂きましょう」
だが、それはそれ、これはこれ。まずはこの黒々とした感情を何とかしなくては、美味しいお菓子も楽しみきれない。これは別に憂さ晴らしではない。美味しいお菓子を用意してくれたジュリオに対する返礼なのだ。
「さあ、剣を取りなさい。ただでお菓子を頂いたとあっては私の沽券に関わります。お菓子の代金は、貴方を鍛えることでお支払いいたしましょう」
魔術師は等価交換と聞く。ならばこれは正しい行いだろう。
「あ、あは、ははは。……麗下、本気だね?」
私は力強く頷くと、今一度ジュリオに剣を取るよう促した。さあ、早く剣を取って、私に叩きのめされなさい。
「いやあ、麗下は本当に美味しそうに食べるなあ。お袋に見せたいくらいだ」
小一時間ほど鍛錬のあと、私は約束どおりジュリオからお菓子をご馳走になった。
諦観に包まれていたとはいえジュリオは良く頑張った。全力で抵抗し、いつもの倍ほどの打ち身で乗り切ったことは感嘆に値する。
「ジュリオの母君は素晴らしい腕をお持ちだ。ジュリオの料理も見事なものですが、このお菓子はまた別格です」
しかも、今、その打ち身だらけの身体で、にこやかにホストとして十二分な気遣いをも見せている。度の過ぎた女好きはともかく、この心遣いはシロウにも見習って欲しい。
「料理を作った側はそう言ってもらえるのがなにより。麗下のコックって言うのは幸せ者だなぁ」
そんなジュリオの言葉に、ふっと手が止まった。あの頃、私の食事を用意するのはサー・ケイの仕事だった。私は一言でも料理に付いて言葉をかけたことがあっただろうか?
確かに雑な料理であった。だが、あの頃の私には食事はただの燃料。義兄はそれを用意するだけの役割。当たり前のこと、ただそれだけ。否、ただそれだけの関係であると決め付けていただけだった。
あの時、一言でも義兄に礼を言っていれば。食事が喜ばしい事だと伝えていれば。もしかすると、何かが変わっていたのかもしれない。
「麗下?」
私の沈黙にジュリオが心配そうに声をかけてきた。とても女の敵とは思えない真摯な表情だ。
多分、彼は常に本気なのだろう。こうやって心配するときも、女性を毒牙にかけるときも。たとえその一瞬先で心変わりしようとも、その時は常に本気なのだ。なんともうらやましい性格だ。
「いえ、ちょっと考え事をしていただけです。今度機会があったらぜひ礼を言っておいてください。ジュリオの母君は素晴らしい料理人だと」
過去は変えられない。ならばこれからを努力しよう。
私は三つめのカンノーリの甘やかさが、口いっぱいに広がる幸せを感じつつ頷いた。思いは口にしなければ伝わらない。
「いらっしゃい、セイバー様」
ジュリオの道場を出て、幾つかの用事を済ませてから、私はエーデルフェルト邸にシュフラン殿を訪ねに赴いた。今日は昼間、家に戻れない事情がある。とはいえシュフラン殿を訪ねたのは、なにも遊びに来たわけではない。
「今日もお世話になります。先ほど幾つか証券と不動産を廻ってきたのですが」
資産運用と財務管理。私のこの二つに付いての師がシュフラン殿なのだ。今も週に一度は今日のように直接尋ねて相談に預かってもらっている。
「ほう、それでよい物件はありましたかな?」
「それが、どれも微妙なものばかりで」
「なるほど、先ずは中へ。事務室でお伺いいたしましょう」
シュフラン殿は本当に何でも良く知っている。家事家政一般から財務経理まで、実務において、一つの社会を運営できるほどの手腕と経験を持っている。
だからこそ、こうして助力を仰いでいるのだが、なにしろ遠坂家は元資が些か少ない、シュフラン殿の助力を以ってしても一杯一杯だ。
それでもどうこう遣り繰りして、昼食前にはひと段落つけることが出来た。
「なるほど、ハウスクリーニングですか」
「はい、昨晩から凛もシロウも時計塔
これが本日、私が家に帰れない理由。凛もシロウもあまり部屋を汚さないとは言っても、家具付きの借家だ、定期的に専門業者の手を入れる必要がある。
無論、工房部分は別、あくまでの生活空間のみ。それも時計塔御用達の業者による清掃だ。
「では、このあともご予定がおありで?」
「予定というほどのものではありませんが、夕刻まで街で買い物などをしながら散策をしようと思っています」
と、こんな話をしている間も私はちらちら時計を気にしている。いけない事とは判っているのだが、そろそろ危機的状況に陥りつつある。シュフラン殿の前であまり無様なことはしたくないのだが……
「おお、もうこんな時間ですか。申し訳ありませんセイバー様。すぐに昼食を作ってまいりましょう」
シュフラン殿が、やれしまったとばかりに立ち上がった。何気ない口調ではあるが、それが私の不審な様子から気付いたことは明らかだ。私としては赤面するしかない。とはいえ気になる言葉も合った。
「作るとは? シュフラン殿が?」
「ああ、セイバー様。言っておくべきでしたね。本日、屋敷の者は別のところの宴席の準備に借り出されて不在なのです。申し訳ありませんが私の手料理で御勘弁ください」
「そうお気遣いなされずとも……」
とはいえ些かがっかりしたのも事実。この屋敷のコック氏はシロウが師と仰ごうかというほどの腕なのだ。楽しみにしていなかったといえば嘘になる。
「では今しばしお待ちを」
シュフラン殿は一礼して部屋を出て行かれようとした。
「あの、今から作られるのですか?」
少しばかり心配になって聞いてみた。この危機的状態では、兵糧攻めで落城しかねない。
「用意はしておきました。サンドウィッチですから直ぐに……ああ、では如何ですか? セイバー様も作ってみられては?」
「私が……ですか?」
「はい、中々面白いものです」
そのように言われても、些か躊躇してしまう。私がこの世界に顕現して二年。家事家政の雑事一般の殆んどをこなしながら、今まで料理にだけは手を出してこなかった。
先ずシロウの料理に口にしたのがまずかったのだろう。自分で出来るとは到底思えなかった。続いて桜、そして凛。皆の料理はそれぞれに個性があり、私ごときが及びようもない手腕を見せてくれた。
そして止めは大河。あの料理というのもおぞましい食事。あれを口にしてしまった瞬間から、自分はあれを作ってしまうのではないか、という恐怖にとらわれてしまったのだ。
「ですが料理など、私にはとても」
「なに、簡単なものです。料理といってもパンに肉や野菜を挟むだけのものですから」
今一度躊躇したものの、それならばとシュフラン殿の言葉に甘えることにした。
その程度の手間ならば、あの時のあれを作るとこもないだろう。
「セイバー様、それは挟みすぎかと」
「そうでしょうか……」
私は、肉と野菜を六段ほど重ねたところでシュフラン殿から注意されてしまった。しかし、この良く焼けたチキンもジューシーなローストビーフも捨てがたい。ハムはといえば数種類、どれもこれもしっかりと脂身の付いた最上のもの、一つを選ぶなど到底出来ようはずもない。トマトやレタスもそうだ、瑞々しい歯ざわりを思えば口中に唾が沸く。ああ、いったいどうすれば。
と、私が腕組みをして悩んでいると、シュフラン殿が笑いながら、それぞれ一組づつのサンドウィッチに組みなおしてくれた。なるほど、この手があったか。これは盲点でした。
「それでは、天気も良くなって参りましたので、庭でいただきましょう」
「はい」
結局、小山ほど作ったサンドウィッチを抱え、私はシュフラン殿と一緒に庭で昼食を取ることになった。たっぷりと入れたミルクティーと作りたてのサンドウィッチの山。目から幸せがなだれ込んで来る。
「……はあ」
私は自分の作ったサンドウィッチを恐る恐る口にした。良かった、あの時のものの様にはならなかった。パンも挟んだ肉もしっとりとして大変美味しい。初めて手ずから作ったものと言うことも有ってか、なにか、えもいわれぬ感慨がある。
「中々お上手ではありませんか、特に刃物の扱いなどは流石でした」
シュフラン殿は私の作ったサンドウィッチの切断面を惚れ惚れとした眼差しで見ている。なんでも、パン、野菜、肉と硬度と粘りの異なる素材を、綺麗に切るのは中々難しい事なのだそうだ。
「そ、それほどの物でもありません」
何故か顔に血が登る。――自分の作ったものを褒められるのは格別――シロウや、ヴィルヘルミナが良く言っていた事だ。今までは何か作ることなどなかったので、今一つ実感がわかなかない言葉でもあった。だが、このようにささやかな物でさえ、これほどの気恥ずかしさと嬉しさを感じるのだ、なるほど、あの二人は正しい。
その気恥ずかしさを感じて益々血が登るのを実感しながら、私はシュフラン殿のサンドウィッチを口に運んだ。
「……?」
微妙な違和感。今度は自分の作品を口にする。
「……む」
もう一度シュフラン殿の作品を。ああ、やはりそうだ。
「……くっ」
「いかがなさいました? セイバー様」
私が唇を咬み俯いたのを不審に思ったのだろう、シュフラン殿が声をかけてくれた。
「やはりサンドウィッチといえども奥が深い。シュフラン殿、貴方の作品の肉、野菜、香辛料、そしてソースのバランス。お見事です」
私は些かの失望を感じながらシュフラン殿を賞賛した。
単純な数種類に味の組み合わせだけで、これだけ出来が違う。私の作品はただ、それらの材料をなにも考えずに積み重ねただけの物だった。素材と香辛料の組合わせとバランス、それぞれを殺さず生かした適量の判断。シュフラン殿の作品はどれも芸術品だ。
私は先ほどの自分を思い出し、別の意味で赤面した。
あの六段重ねのサンドウィッチ。素材間の相性もソースの質の考えず、ただ、ただ食べたい物だけを重ね、積み上げたあれは食べればきっと全ての味がごった返し、互いに相殺された酷く雑な物になっていただろう。昔の部下たちのことが笑えない。ああ、本当に恥ずかしい。
「最初は誰でもそうです。私とてそうでしたから」
「シュフラン殿でもですか?」
「はい、最初に作った料理など、ただ肉をゆでただけの物でした。下拵えも味付けも知らなかったので、塩も胡椒も振らずまるで味などしなかった。それに慌てて塩を加えたものですから、今度は塩辛くてとても食べれた物で無くなってしまいました」
ああ、それなら知っている。昔、良く口にした。私は思い出の中で益々沈み込んでしまう。あれは……酷かった。義兄上、あれだけは如何にかしていただきたかった。
「ようは経験と積み重ねです。セイバー様の得意とする剣なども同じではないのですか?」
「確かに、つまり急いてはいけないと?」
「はい、最高の素材が最良であるとも限りません。最高の素材同士でも相性が悪ければ壊れてしまいます。幾分品下がった物同士の組み合わせが最高を凌駕することもある。なにも手を加えず寝かすことが必要なときもあれば、即座に手元にあるものだけで組み上げねばならないこともある。ようは殺さぬよう生かす努力が肝心なのです」
柔らかで温かいシュフラン殿の言葉。だが、それが私の胸に突き刺さる。
私は急ぎすぎたのかもしれない。単に最高の物を揃えそれをぶつける。軍事的には正しい選択であったが、それを全てに適用しすぎたのではないのか?
ラーンスロットとガウェイン。姉
裁断者としては私は正しかったと確信している。だが調停者としては? 私はもう少しそのことを考えるべきではなかったのか?
見事な切り口の私が作ったサンドウィッチ、素晴らしい味のハーモニーに調整されたシュフラン殿のサンドウィッチ。私は二つを眺めながら考えた。裁断と調停、これは決して相容れぬ物ではない。そう、心の置き方一つで両立できたのではないか。
「セイバー様、何もそう悩むことではありません」
「……え?」
「今まで出来なかったのなら、これから始めたらよろしいのです。料理の手本なら私などに習わなくとも、セイバー様の傍には衛宮君や遠坂様がいらっしゃるではありませんか」
「……ああ」
シュフラン殿は私の悩みを正しく理解していたわけではない。だが、その言葉は実に正しい助言でもあった。
そう、今まで出来なかったことはこれからすれば良い。凛とシロウ、それにルヴィアゼリッタ、ヴィルヘルミナ。シュフラン殿にジュリオ。そしてシュトラウスをはじめこの世界で知り合った、温かく心安らぐ人々。
私はこれから彼らの為にそれをなそう。それが私の希望
供養…………しまった、ランスのとこを忘れていた。彼は……そう今まで通りで良いだろう。
ランス、私は今でも貴方に些か遺恨があるのですよ。
「おや、もうこんな時間だ。セイバー様すみません。私はこれから所用があって出かけねばなりません」
「それは、残念です」
これは本心だった。これで私は夕刻まで、一人で時間を潰さねばならない。今日は朝からずっと誰かと語り、思い、触れ続けてきた。それを思うと、これから一人で過さねばならない時間がとても空しく感じる。私は弱くなってしまったのだろうか。
「これは大変失礼な申し出であるのですが……」
そんな私を見ていたシュフラン殿がおもむろに口を開いた。
「御一緒していただけないでしょうか? 無論、最後はお宅まで御送りいたします」
「それは……こちらこそご迷惑ではないのでしょうか?」
シュフラン殿の申し出はとても魅力的な提案に思えた。しかし、それが私の気持ちを慮ってのことだとしたならば、享受できない。シュフラン殿には迷惑をかけたくない。
「ふむ……」
シュフラン殿は一つ唸って考え込まれた。お気持ちは嬉しいのですが……
「実は良い中華料理店を見つけまして」
……はい?
「点心が素晴らしい。小籠包が絶品でして、焼売や春巻、包揚などなんでも六十種以上取り揃えているということなのです」
……ゴクリ
「どうでしょう? お付合いいただけないでしょうか?」
こ、これは……、ここまで薦められては却って断る方が失礼だろう。シュフラン殿のたっての頼みごとでもある。
「そ、それではお言葉に甘えましょう」
私は控えめに承諾した。断じて中華点心に誘われたわけでも、小籠包に心奪われたわけでもない。そう、あくまでシュフラン殿の思いを慮っての返事だ。私は妙に浮ついた足取りで席を立った。これとて包揚が楽しみだというわけでは断じてない。六十種類の点心を並べたら壮観であろうなどとは思ってもいない。ああ……楽しみです。
「あの、シュフラン殿?」
「何でございましょう、セイバー様」
「本当に、今日は宜しかったのでしょうか?」
「なにを仰います、セイバー様。私はとても楽しゅうございました」
ピンクのロールスロイス
隣にはかなり大きめの衣装箱。シュフラン殿の用事とはこれを取りに行く事だけであった。その後は、まるで姫君と老騎士。シュフラン殿はあくまで一歩引いて私をエスコートし、ハロッズからスローンストリートの高級街を粛々と案内してくれた。私もかつては王、貴賓として扱われることには慣れている。だが、姫君として遇されるのは流石に気恥ずかしい物があった。しかも、こんな物まで頂いてしまった。
私は膝の上のかなり大きめの紙包みを見下ろして嘆息した。一体どれほど物欲しそうな顔をしていたのだろうか、ハロッズの玩具売り場で、獅子のぬいぐるみに吸い寄せられてしまったところ、シュフラン殿に贈り物として買ってもらってしまったのだ。
私はもう一度嘆息した。なにをしていたのだろう、まるで子供ではないか。
「さて、セイバー様。到着いたしました」
車が止まった。遠坂家のコンパートメントの前だ。日の沈んだ直後の黄昏の中、窓には既に明かりがともっている。凛やシロウはもう帰っているのだろう。
わざわざ降りて、車のドアを開けてくれたシュフラン殿に一礼し、私は我が家へと向かった。
「シュフラン殿?」
「何でございましょうセイバー様」
驚いたことにシュフラン殿は玄関のドアの前まで私を送ってくれた。しかもぬいぐるみと衣装箱を手に持ってだ。ぬいぐるみはわかるが、衣装箱は何故だろう。
「今日は、わざわざ有難うございました」
とにかく今一度礼をする。今日は本当にお世話になってしまった。
「さ、私のことはお気になさらず。どうぞお入りください」
シュフラン殿の見事なまでの儀礼に促され、私は家の扉を開けた。
「――え?」
一瞬我を忘れてしまった。一斉に吹奏される音楽。王侯を迎える最上級の礼楽だ。
家の中は眩しいくらいの光に満たされ、真っ赤な絨毯が奥へ向かって敷かれている。
絨毯の両脇には黒と銀の礼装に身を包んだシュトラウスの騎士たち。直立不動で私を迎えてくれている。
――Crow
先頭の騎士の肩に止まっていたランスが、絨毯の上に飛び降り、見事なほどの儀礼で一礼する。と、同時にシュフラン殿は衣装箱をあけ、白テンの毛皮で縁取りされた真蒼のマントを取り出し、私の肩に恭しく着せ掛けてくれた。
「あの……これは?」
一瞬の唖然ののち、私はシュフラン殿に問うた。一体これは。
「セイバー様、皆さまがお待ちかねです」
応えでなく、柔らかな笑みで返され、視線で正面を見るようにと促される。と、そこには美々しい金と赤と銀。
三人の魔女がそれぞれの色のドレスに身を包み、私に向かって恭しく一礼する。
――Cruuw
ランスが歌うように一声鳴いた。――王よ、宴席の仕度が整いましたぞ――誇らしげなその声音は高らかにそう告げていた。
それを合図に音楽が一旦止まり、彫像のようだった騎士たちが一斉に唱和する。
――万歳
――かつての、そしていつの日にかの王、万歳
――セイバー、万歳
「おめでとう、セイバー」
呆けたまま席に案内された私を迎えてくれたのは、黒い鎧に赤いジャケットを着た騎士だった。
「シロウ、これは一体」
「なに言ってるの、今日は五月二十八日。St.オーガスティンの聖日でしょ?」
シロウの代わりに、私の右隣の席に付いた凛が答えてくれる。
「遠坂に聞いたんだ。セイバーはこの日にカンタベリーで王様になったんだろ? 記念日じゃないか」
左隣の席に付きながらシロウがその後を受ける。ああ、つまり、これは……
「おめでとう、セイバー。今日は貴女の即位の記念日ですものね」
「だから、皆で集まってお祝いしようと。ごめんなさいね、今まで黙っていて」
ルヴィアゼリッタとヴィルヘルミナが、さらにその両隣でにこやかに微笑んでくれている。
それだけではない、先ほど整列していたシュトラウスの騎士、いや職人方も次々と祝辞を述べに来てくれた。
「やあ麗下、おめでとう」
宮廷道化の格好で、リュートを弾きつつおどけて挨拶をしてくれたのはジュリオだ。
「レディセイバー。まずは祝辞を述べさせて頂く、さて、贈り物をと考えた結果……」
皆まで言わさず、凛とルヴィアゼリッタに押さえつけられたのはカーティス殿。末席にひきづられ椅子に座らされたのだが、目を開いているはいるが首は据わっていない。大丈夫だろうか。
つづいてエーデルフェルト邸の人たち、コック氏は今日の為に腕によりをかけて料理を作ってくれた。メイドの皆さんも、私の為にここで給仕を引き受けてくれたという。
私はその一つ一つに返礼をしながら、温かい何かに包まれていくのを実感した。
「おめでとうございます。セイバー様」
最後にシュフラン殿が先ほどのぬいぐるみを私に手渡し、斜め後ろ執事の定位置に付いた。
私はようやく落ち着いて、全体を見渡すことが出来るようになった。
シロウや凛をはじめとした、顔、顔、顔。どの顔を私を祝福してくれている。共に有ることを喜んでくれている。おめでとうと、今日、共にここにあることを言葉ではなく全身で祝ってくれている。
嬉しかった。私は多分、生まれて初めて人に囲まれることを喜んでいる。人の輪の中に入ることを楽しんでいる。こんなに、こんなに嬉しい事だとはついぞ知らなかった。
「セイバー」
シロウの優しい声が掛かる。にっこりとおめでとうと、さあ、今度はセイバーの番だぞと笑いかけてくれた。
そう、主賓として応えねばならない。感謝には感謝を、祝福には祝福を。
「皆さん。本日は私の為に集まってくれて有難う。皆さんの祝福に與限りの感謝を、その好意にあらゆる精霊の祝福のあらんことを」
わたしは杯を手に皆を見渡しながら感謝の辞を述べた。
――万歳
――かつての、そしていつの日にかの王、万歳
――セイバー、万歳
再び湧き上がる、お題目ではなく心からの斉唱。
「ありがとう、シロウ、凛」
私は心からの感謝を言葉にした。言葉にしなくては伝わらない。
「別に俺たちだけじゃないぞ。ルヴィアさんやミーナさん。それに他の皆だってセイバーの為ならって喜んで集まってくれたんだ」
「そうよ、感謝するなら皆にね。わたし達だけじゃこんな馬鹿騒ぎにまでもってけなかった」
まるで自分のことのように喜んでくれているシロウ、けたけた笑いながら一番楽しそうな凛。私は、とても、幸せだ。
「有難う、皆さん」
今日は馬鹿騒ぎをしよう、浮かれよう。この宴席を愛し溌剌とはしゃぎまわろう。今は理解できる。それがどれほど幸せなことなのか。
私は間違いなくこの世界にとって異分子だ。なのに、今日この場で私は一片の疎外感も感じない。
まさかこんな日が来るとは思わなかった。私は、この瞬間、世界に愛されていた。
「有難う、皆さん」
今一度、万感の感謝を。
END
セイバーさんのとある一日。
食べてばっかりいるとお思いでしょうが、はいその通り。
でもセイバーはただ食べてるだけじゃありませんよ。
王様であり、王様であったセイバー。そして今ここでセイバーであり、そして王様でもあるセイバー。
私はそんなセイバーが好きであり、世界から愛されることを望みます。
PS.セイバー、公式人気投票一位おめでとう。貴女は間違いなく世界から愛されている。
By dain
2004/5/28 St.オーガスティンの日。初稿脱稿