春は曙

「――んっ……」

ぼんやりと、意識が闇の中から浮かび上がる、春はあけぼの、ようようしろくなりゆく……

「あ……ん、まぶ、し……」

眩しい、浮かび上がった意識が、もう一度穏やかに沈もうとするのを、朝日が無理やり引き戻す。

「……なによ、もう……昨日は遅くまでやってたんだから……」

昨日は大変だった、夜遅くまで……
……あれ? 夜遅くまで何してたんだっけ?

ぽっかり空いた記憶の穴。それが、朝日を物ともせず、沈んでいこうとする意識を覚醒させた。

「う……むぅ……」

だが、覚醒したからって、いきなりしゃっきり出来るわけじゃない。自慢じゃないけど、わたしは朝にはとことん弱い。それが、こんなわけが分からないなんて状況で起こされたんだ、目覚めはしても気分は最悪。更にベッドをまさぐり空振りした掌が、わたしを益々不機嫌にする。

「えっと……昨日は? ……駄目、やっぱり思い出せない……」

駄目、思い出せない。
未だどんより曇った意識でも、この引っかかりは無視できない。こんな引っ掛かりを残したままじゃ、二度寝も落ち着いてできやしない。

「うう、分かったわよ……起きりゃいいんでしょ……」

わたしは一つ息をつき、えいとばかりに身を起こした。

ズキン

「――! つぅ」

一瞬こめかみに走る鈍痛。ああ、これで一つ思い出した、昨日は宴会。復活祭のイブを祝って、我が家で盛大にパーティーをやらかしたんだっけ。

「……でも、その後がはっきりしないのよねぇ」

途中までは覚えている。飲めや歌えのドンちゃん騒ぎ、これってやっぱりお酒のせい?

「ま、今日はお休みだし、一日かけてじっくりと……」

昨日はイブ、と言うことは今日は復活祭だ。つまりは日曜日。二度寝の誘惑に駆られながらも、わたしはともかく顔を洗おうと立ち上がった。

ぴこっ

「……ん?」

なに? いま頭の上で何か跳ねた。やだ、寝癖?
わたしはぶつぶつ呟きながらドレッサーの前に進む。いくら同居してるからって、あんまりみっとも無い所は晒せない。女の子は、何時だって一番綺麗な自分を見られたいのだ。

カタン……

さて、髪を直そうか。そう思って鏡を覗き込んだところで、私はブラシを取り落とした。

「……はい?」

些か眠たげな私の顔、うう、やっぱり朝の顔は見せられたもんじゃないわね。
とはいえ、問題はそれではない。自慢の長い黒髪、特にどこかが跳ねたとか、寝癖の跡とかは見当たらない。ただ……

「なに……これ?」

頭頂部の少し脇、可愛らしい二本の突起。

「……う、さ、みみ?」

そう、この朝目覚めると、わたしはうさみみになっていた。





あかいみみ
「真紅の兎」 −Rin Tohsaka− Fate/In Britain外伝-2
Asthoreth





「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

思わず叫んでしまった。身も世も無い悲鳴。正直、女の子としてはどうよって悲鳴だ。うう、なに落ち着いてるんだろう。どんなに切羽詰っても一部の心は冷めてるって、魔術師の観察眼が恨めしい。今の声、士郎にだけは聞かせ……

「遠坂! どうした!」

うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

今度は心の声が悲鳴を上げる。最後の一部が悲鳴を上げて、身体の方が驚いて悲鳴を止めてしまった。やばい! 悲鳴はまだいい。でも、この姿は……わたしは必死でドアを押さえた。

「だ! 大丈夫、士郎。ちょっと寝とぼけたみたい、はははは」

我ながら、説得力の欠片も無い言い訳だ。最後の乾いた笑いなんて、何かありましたって言ってるようなものだ。

「そうか、脅かすなよ」

でも、士郎には通用したようだ。本当に、鋭いんだか鈍いんだか……

「朝飯できてるぞ、起きたんなら食いに来いよ」

いつもは癪の種のにぶちんぶりだが、今日この時には有難い。はぁ、なんだってのよ一体。
私は士郎が去っていく足音を確認すると、崩折れそうになる膝を励まし、もう一度ドレッサーの前に向かった。

「うさみみよね……」

まずは現状の確認。なにがどうなっているのか、解析しなければ話にならない。わたしは魔術師なんだから。

最初は掴んで引っ張ってみる。
うっ、頭の表皮が痛い、ってことはやっぱり生えてるのね……ぐらりと挫けそうになる心に、ここで一発活を入れる。

次に目の前に引っ張り倒して直接確認。
む、これって生の兎って言うよりバニーガールの耳みたいね、色も薄いピンクでふわふわしてるし。
だってのに触覚は確かにある。こうやって引っ張ってみると、ちょっとばかり痛かったりする。なんか妙な感じだなあ。

続いて先端をわさわさっと。
うん、ここも感触は有る、流石に音は聞こえないようだけど、それでも体の一部としてしっかり身についてる。柔らかな感触がちょっと良い感じ……あんまし嬉しくないけど。

最後に根元をぎゅっと。
途端、ぴくっと背筋に何かが走る。うっ、気持ち良いかもしれない。

ぎゅっぎゅっ……、わさわさ……

わ、悪く無いわね……

わさわさ……、ぎゅっぎゅっ……

……ん、……ぁ、……はっ! わたしは慌てて手を離す。いけないいけない、気持ちよすぎて癖になる所だった。負けるなわたし。

「……ふぅ……」

わたしは、鏡に中で些か頬の赤い自分を見詰めながら溜息をついた。なに馬鹿やってるんだか。
結局分かったことは、これが間違い無くわたしの体の一部として生えてるって事。そうである以上、これは呪的なもの。そして原因は、多分ぽっかり空いた昨晩の記憶の中にあるだろうという事くらい。

「でも、解決手段はこれからなのよね」

ま、なってしまったものは仕方が無い。どうせ今日は日曜日、一日中工房に篭って調べますか、と思った途端、はたと問題点に気がついた。

「食堂、通らなきゃなんない……」

わたしの部屋から、工房へ向かうには、途中の食堂を通る必要がある。いや、通るだけなら問題は無い。
問題は、今、食堂には士郎がいること。

「くっ」

わたしはうさみみを押さえつけ考える。駄目、これじゃたとえ士郎にだってばれる。他のことならいざ知らず、こんなみっともない姿、士郎にだけは見られるわけにはいかない。

「うう、なにか……なにか手は……」

わたしは左右を見渡した。が、ここは寝室。簡単なものならともかく、この耳をどうにかできるような道具は無い。

「ああ、もう! 士郎が出かけるの待つ? 駄目、それまでここに篭ってたら、士郎の方がここに来ちゃう」

どんどん切羽詰っていく、それで左右を見渡すたびに、鏡の中のうさみみも二本揃ってぴょこぴょこ、ぴょこぴょこ揺れるもんだから、益々切羽詰ってく。

ん? 二本? 揺れる?

わたしは気を取り直して鏡の中の自分を見据えなおした。
……よし、何とかなりそうだ。

上手く行くかは分からないが、今はこの手でいくしかない。わたしはおもむろにドレッサーの引き出しを開けた。





「おはよう、士郎」

「おはよう、遠坂。まったく朝っぱらからなにやっ……」

さっきの悲鳴の文句だろう、なにか言いかけた士郎は、私の顔を見た途端、ぴたりと黙りこんでしまった。
うっ、やっぱり駄目? 恐る恐る伺う士郎は、なんかちょっぴり頬が赤い。

「な、なによ……」

「……あ、いや、懐かしいなって」

一瞬呆けていた士郎は、わたしの問いにはっとしたように応えると、懐かしそうに微笑んだ。何年ぶりかなその髪型、と小さく呟いて、本当に懐かしそうに見詰めてくれる。なんか、照れるじゃない。

「そ、そう?」

「ああ、こっち来てから、ずっと下ろしちゃってただろ?」

「あ、だって、ほら。ちょっと子供っぽいじゃない、ツインテールって……」

そう、今のわたしの髪型は、本当に何年ぶりかのツインテール。無論、ただのツインテールじゃない。両方の房にそれぞれ、倒したうさみみの先を、細い紐で縛って結いこんだ、カモフラージュの髪型だ。
なんだか、身体も縛られてるような圧迫感がちょっとあれだけど、それでも上手く誤魔化せた……と思う。

「そんなことはない、今でも十分似合うと思うぞ」

そうかなと小首をかしげ、しばらくわたしを見詰めてから、うんと頷いて微笑む士郎。うっ、こいつは……、朝っぱらからそんな顔でそんなこと言うんじゃないわよ! ああ、もう。顔が赤くなるのが自分でも分かる。

「お取り込み中、申し訳ないのですが」

ここで、こほんとセイバーの小さな咳払いが響いた。

「あ、セ、セイバーおはよ」

「おはよう、凛。シロウ、時間ではなかったのですか?」

「おっと、しまったそうだったな」

セイバーの言葉に、わたしを嬉しそうに見ていたシロウは、慌てて玄関へと走り出す。そういえば、こいつの服装すっかり仕度が整ってるわね。

「何処行くの?」

「ルヴィアさんとミーナさんのところ、ちょっと届け物があるんだ。じゃ行って来る、午後には戻るから」

そう言うと士郎の奴はとっとと外へ飛び出していった。まったく、女のとこ行くのにそんな喜び勇んで出てくんじゃないわよ、さっきのわたしが馬鹿みたいじゃないの!
一つとっ捕まえて説教してやろうかとも思ったが、自分の現状を思い出して、ここは踏み止まることにした。くっ、うさみみなんかじゃなかったら……

「お邪魔でしたか? 凛」

なんだか力が抜けたわたしに、何処か悪戯っぽい視線でセイバーが話しかけてきた。

「そ、そんなこと無いわ」

まあ、ちょとはもったいないかなとは思うけれど、今の状態、できれば士郎とは余り顔を合わせたくないのも事実だ。それにしても、言うようになったわね、セイバー。

「それなら良いのです。朝食はどうします? 余り顔色が良くないようですが」

そんな私の視線をさらりと躱し、セイバーは何事もなかったように聞いてくる。

「朝食かぁ……」

わたしはダイニングに用意された朝食を眺めながら考えた。サラダにカップスープにトースト、それと何処から出したか、小綺麗なエッグスタンドに立てられた、これまた小綺麗に塗られた卵。ああイースターエッグか、復活祭だもんね。

「スープだけ貰う。なんかちょっと二日酔い気味で食欲も無いし」

「スープだけ? 卵は良いのですか?」

「ちょっと胸焼けしてるし、いらない」

なんだろう、私の応えに驚いたような顔になるセイバー。が、それも一瞬。そうですか、そうでしょうねと少しばかり冷ややかな視線で、スープカップを渡してくれた。さっきもそうだけど、なんか今日は妙に突っかかるわねぇ。

「セイバー、なんかあったの?」

「凛……覚えていないのですか?」

わたしの不審そうな顔の質問に、セイバーは眉根を寄せ憮然とした顔で応える。へ? なに? わたしなんかやった?

「凛……昨晩の宴席は何処で行ったでしょう?」

溜息をつきながらやれやれとばかりのセイバー、何処って……家だから……

「ここ?」

「ええ、ええ、此処でした。それでは、今の此処はどのような状態でしょう?」

はて、と首をかしげわたしはダイニングを見渡した。綺麗なものだ。春の日差しをいっぱいに浴び、それこそモデルルームのような朝食の食卓……モデルルーム? 綺麗?……あ。

「す、凄く片付いてる……」

「お客様は帰られ、凛も士郎も大騒ぎ。さて、では誰がどうやってこの部屋を片付けたのでしょうか?」

あうう、ブラウニーだなんていったら怒る? 怒るわよね……

「……セイバー……さん」

「正解です。お酒が入った凛達が、あそこまで乱れるとは思っても見ませんでした」

セイバーは腰に手を当て、何事か思い出してはこめかみをひくつかせながら、じろりとわたしを睨みつけてきた。覚えていない事とはいえ、ここは一つ謝っておかないと拙そうだ。

「ごめん、セイバー」

「いえいえ、お気になさらず。前にも申しましたが、宴席の後片付けは、とてもたいへんすこぶる手馴れておりますから」

やっぱりセイバー怒ってるじゃない。なによその円卓の騎士と言えどもあそこまではってのは。道理で今日は当たりが強いわけね。

「じゃ、わたししばらく工房に篭るから」

三十六計逃げるに如かず。わたしは怒れる獅子から逃亡を図ることにした。どの道、うさみみを調べなきゃいけないし。

「あ、凛、ちょっと待ってください。肩に糸屑が」

と、そのまま、回れ右しようとしたわたしの肩をセイバーが掴む。わ、ちょ、ちょっと、それ糸屑じゃない。わたしは慌ててその手を躱そうとした。

「どうしたのですか? あ、取れました」

だが獅子に兎がかなうわけも無い。抵抗むなしく“糸屑”は、それに連なる結び目と、リボンもろとも引き抜かれてしまった。

パサ、

ぴょこん。

「……」

「……」

沈黙、重苦しい沈黙。セイバーは紐を片手に硬直し,わたしはといえば、片耳だけぴょこんと立てたうさみみを頭に生やし、セイバー同様固まってしまっている。

「……凛、まさかと思いますが、それは士郎のしゅ……」

「ちがーう!!」

セイバー! 今あんたなに言おうとした!

「ああ、驚きました。では、早くも倦怠き……」

「そっちも、ちがーう!!」

冗談じゃないわよ! まだ飽きるほどやってないわってなに言わすのよ!
そんなわたしの激昂振りに、セイバーはくすりと笑って表情を改めた。

「冗談です。士郎と凛の仲の良さは重々承知していますから」

じょ、冗談って……セイバー、本当に言うようになったわね……

「それで、どうしたのですか凛。ウサギの耳のように見受けられますが?」

「うう、それがわかんないのよ。セイバー、昨日のわたしどうだった?」

「どうと言われましても、私は後片付けの事を考えて早く休みましたので……」

起きて片付けを始めたときには、既にルヴィアもミーナも帰り、わたしもベッドで眠っていたという。

「わたしが休む前は、そこそこ荒れていましたが普通の宴席でしたし、凛の頭にも耳は生えていませんでした」

てことは、うさみみになったとしたら宴会真っ盛りの時か、ルヴィアにミーナね、酔っ払った魔術師三人でなにやったんだろう? う、怖い考えになってきちゃった。

「つまりはこういうわけ、悪いけどセイバー、わたし今日は篭ってこいつ調べるから」

「分かりました、では士郎が帰ってきても、工房に入れないように努力しましょう。まさか見せたいなどとは言いませんね?」

「あ、当たり前じゃない。頼んだわよセイバー」

こうしてわたしは天岩戸にお篭りすることとなった。出来れば、士郎が帰ってくるまでになんとかしたいなあ。




「ああ、もう。これも駄目。変身術じゃないってこと?」

十二回目の解呪の術式、ものの見事に効果なし。わたしの頭には、未だうさみみが楽しげに揺れている。

「むぅ……、やっぱり兎系統の施術じゃ無いのかな?」

そんなうさみみを目の前まで引っ張り倒し、わたしは思わず唸リ声をあげる。見た目も普通の兎っぽくは無いし、やっぱり何か概念的な呪なのだろうか?
忌々しいほど楽しげに揺れるうさみみから手を離し、わたしは目の前の作業台に視線を移す。そこには山と積まれた兎関係の関連資料。基本的な魔術から、民話昔話に故事成語の類まで。取敢えず手持ちの資料は、全部引っ張り出してきたのだ。

「まあ、うさみみだけ生えたなんて事例は、何処にも無いんだけど……」

進まぬ作業に頭を抱え、わたしは小さく息をついた。魔女の変身術、月の呪法、わにと兎の伝承、etc、etc……

「蒲の穂も効果なしだったし……あとは“自贄の兎”? わたしを食べて、か……ば、馬鹿やってる暇は無いの!」

頭に浮かんだ猟師姿の士郎を、わたしは慌てて追いやった。でも弓持ってるし、似合ってるかも……

「ああ、駄目。煮詰まってきた」

妙な具合に赤くなった頬をパシッと叩き、わたしは一つ伸びをする。くそ、揺れるんじゃないわよ……どうせなら、他のところが揺れて欲しいってのよまったく。

「凛、ルヴィアゼリッタから電話ですが、出られるでしょうか?」

と、そんな時だ、ダイニングからセイバーの声。ルヴィア? 何の用だろう。

「パス、ちょっと今はあいつとやりあえる状態じゃ……」

いや、待てよ。確か昨日のパーティはルヴィアもいたはず、ってことは何か情報を持っている可能性がある。今の精神状態で、あいつとやりあうのはちょっと骨だけれど、背に腹はかえられない。

「あ、待ってセイバー、出る。こっちの子機に廻して」

「分かりました、ではお廻します」

わたしは一つ深呼吸すると、ルヴィアと対峙すべく受話器を手に取った。

「はい、遠坂です」

「あ……リン……ですの?」

はて、勢い込んで電話を取ったものの、当の相手は些か意気消沈気味だ、もしかしてルヴィアも二日酔いかな?

「どうしたの? 元気ないじゃない」

「べ、別にどうもしていませんわ。ちょっと気分が悪いだけ、貴女こそ声に張りが無いんじゃありませんこと」

やっぱり二日酔いだろう、むっと応え返してきたが、それでも隠せぬ焦燥が見え隠れしてる。ああ、もう、邪魔ですわ、なんて鬱陶しそうに髪をかき上げる音も聞こえたりしてるし。普段のルヴィアなら、こんな姿はきっちり隠し通すだろう。

「で、そっちの用事はなに?」

とはいえそれはお互い様、わたしもぼろが出ぬうちに、とにかく用件を済ませとく。

「あ、その……シェロはまだそちらですの?」

おや、また声の調子が変わった。いつもならここで追い討ちをかけるところなのだが、今日はこっちも聞きたい事がある、ここは素直に応えることにした。

「士郎なら出かけたわ。貴女とミーナに届け物があるって言って。そっちに行って無いなら、ミーナの方を先にしたんじゃない?」

「あら、そうですの? そうですわね。こちらには向かっていますのね」

何かあからさまにほっとした声。む、なんか気に食わない、なんだってのよ。まあ良い。とにかく今度はこっちの番だ。

「ところでルヴィア、昨日のことなんだけど」

「昨日? イースターイブのパーティのことですの?」

「そう、そのことなんだけど……」

わたしは慎重に言葉を選んで、ルヴィアから情報の引き出しにかかった。

「まったく、シャンパンやワインではないのですからブランデーを、それもヘネシーのXOをあんな風にがぶ飲みするものではありませんのよ?」

「はははは、で、それから?」

「……リン、貴女自分からは全然話をしていませんわね?」

士郎の話、料理の話、お酒の話、何とか話を誘導して、さてこれからと言う時に、ルヴィアの奴に気づかれた。

「そ、そうかしら?」

くっ、拙い。早めにとっとと聞いとくんだった。

「……リン、その後、わたくし達でなにをやったか覚えていて?」

おかげで逆に聞き返されてしまった。まずい、何とか誤魔化さないと……

「お、覚えてるわよ。わたし達でさ、士郎と……」

「シェロと? それから?」

「士郎と……」

うう、何したんだっけ?

「シェロとわたくしで将来の契りを交したんでしたわね?」

「ち、ちがーう! 士郎がそんなことするわけないでしょうが――!」

「それじゃあ、何をなさったのかしら? わたくしはシェロと将来の契りを交したと覚えてますわよ?」

くっ、畜生め、ルヴィアの奴わかってて言ってるな。わたしは、負けてなるかと奥歯をかみ締める。が、ついでにぴょこんと揺れるうさみみが、わたしに現実を突き付けてくる。うう……

「わたしの負け。ごめん、実は昨日の事ぜんぜん覚えてないの」

「初めからそう仰れば良かったのに」

くそ、勝ち誇った鼻息が、受話器を通してここまで聞こえてくる。ああ、悔しい、凄く悔しい。あいつに弱み握られるのが、ここまで悔しいとは思わなかった。

「それで、なにがあったの?」

こうなったら開き直りだ。私は素直に聞いてみた。

「でも本当に? あんな事があったんですのよ?」

「だから、そのあんな事が聞きたいわけ」

「首謀者は、リン、貴女でしたのよ? それなのに、何覚えていらっしゃらないなんて……」

ああ、もうじれったいわね、こっちはカミングアウトしてるってんだからさっさと話しなさいよ。

「じゃ申しますけどね、貴女がイースターバニー……」

プチっ

え?

「ルヴィア! ルヴァア! こら応えろ!」

「ツー……、ツー……、ツー……」

こら待て! 肝心なとこで切れるんじゃない! イースターバニー? 兎ね? で、それがなに? どうしたってのよ!?

「なんだってのよ、本当に……」

震える指を押さえつけ、わたしはルヴィアに電話をかけ直す。こら、うさみみ! 小気味よく揺れてるんじゃないわよ!

「もしもし!」

「はい、エーデルフェルト邸でございます」

あう、執事さんだ。拙いな、ここは抑えて抑えて。

「あ、申し訳ありません。遠坂ですがルヴィアゼリッタはご在宅でしょうか?」

「お嬢様ですね? ただいま衛宮様がおいでで御一緒されておりますが、お回しいたしましょうか?」

「え、士郎と?」

士郎と一緒? そうか今の間に来たのかな。でも、士郎と一緒のところでこんな話したら、あいつのことだから、うさみみの事まで探り出されかねないなあ、それはちょっと拙いかも……

「いえ、結構です、折り返し連絡して欲しいとお伝え願えますか?」

「畏まりました。そのようにお伝えしておきます」

なんて間が悪い、わたしは受話器を置いて嘆息した。まいったな、でもヒントは掴んだ。イースターバニーか。

イースターバニー。復活祭のシンボルの一つ。復活祭の元ネタは、春の女神イースターのお祭り。その女神の霊獣が兎だったことから、復活祭のシンボルとなったものだ。イースターエッグを庭先に置いて回るのが、この兎の役目だと伝えられている。だから復活祭に兎は縁があるんだけど、それがどうしたらうさみみになるんだろう?

「凛、昼食ができましたが、食べられますか?」

と、腕組みして考え込んでいたら、ダイニングからセイバーの声、あ、もうお昼なんだ。

「有難う、セイバーが作ったの?」

「はい、昨日の残り物ですが、兎のローストでサンドウィッチを」

う、兎……なんか共食いっぽい。わたしの耳が、おびえたようにぴくぴく揺れてたりするし、ちょっとそれは……

「ごめん、まだ食欲無い」

「分かりました、それでは……」

セイバーには悪いけど、兎はなぁ。今この状態じゃちょっと食べる気がしない。ま、無駄にはならないだろう。二人前のサンドウィッチくらいセイバーなら軽いものだ。

「それよりもイースターバニーね……」

さっぱりわけが分からないが、糸口はこれだ、もう一度イースターについて思いをはせる。
イースターはアングロサクソンの春の女神、つまり英国地付きの古い地母神だ。で、兎はこの女神の霊獣であると共に、キリスト教のイースターエッグの逸話にも登場する。例の卵を産んだのも、この兎だという説もある。

「多産と繁殖の女神……かなりちょっとあれな女神様でもあるわけよね……」

卵も兎も多産と繁殖のシンボル的な意味を持つ。英国の魔女が兎に化けるのも引いてはこの系譜から来るものだ。

「よし。それじゃあひとつ、気合い入れてやってみますか」

わたしはぱんと本を閉じ、次なる施術に挑むことにした。





しんと静まった工房、その中央でわたしは心を鎮め、床に魔法陣を刻む。これはただの魔法陣ではない。これは祭壇。今この瞬間だけ、ここを女神の神殿となす為の神聖な術式。

わたしのうさみみがイースターバニーのそれだとするならば、その上位たる女神に頼めば取れるはず。
本来、信仰されなくなった神様は、精霊にまで堕するものだが、このイースターは復活祭を通じて間接的ながら、未だ命脈を保っている。ならば、地母神の密儀を通じて接触は可能なはずだ。

「――――Anfangセット)」

詠唱を開始する。手には女神のシンボルの卵と兎の毛を置いた銀皿、これを触媒にしてイースターに祈りを届けるのだ。

「――Es haben die schwebenden Lerchen舞い上がる  雲雀のつばさもて).――


続いて、ミルクと蜂蜜と薬草を銀皿に盛る。春の目覚め、一番最初の収穫が供物。

「――Den Himmel empor天空高く),der unseren Schulten schwer war重き冬空 引き揚げん.――」


魔術回路も回りだす。触媒と供物を通じ、魔力の糸がどんどん世界の裏側へ伸ばされていく。

「――Wieder再びduften der Wald森は薫り.――」


工房が芳情の香りに満たされていく。よし、繋がった。後はこれを手繰り寄せるだけ。

「――Die glanzenden Knospen der Reiser若枝の蕾 あまねく輝き).――」


徐々に工房には見えない光が満ち溢れ、今この瞬間だけの神が顕現しようとしている。

「――Kommen die golgubersonnten黄金の日差し溢れneueren Stunden新たな刻訪れん.――」


来た! 目の前に見えないけれども女神がいる。わたしの脳裏にははっきりと、ふくよかで美しい女神の姿が映し出された。思わず胸をと別の願いを言いたくなるほどの豊潤さだ。
が、今の望みは違う。私は銀皿を掲げ、こうべを垂れて願う。祝福を、春の祝福を、どうかこの、哀れな兎に祝福を。

――届いた――

願いは届いた。銀皿の供物は見えない炎で焼かれ灰となる。最後に残ったのは卵だけ、鮮やかな色で染め上げられ、女神の模様で彩られ、祝福の証として銀皿に屹立する。


――我が使徒としてその役目果すべし……


へ?

ちょっと、それなんか違わない?

わたしは慌てて頭を上げる。見開く視線の先には、渦巻く光にうっすらと女神の顔。またですか? ご苦労様と微笑みながら、祝福だけを残して消えていった。へ? また??

「……はい?」

しばしの呆然、すっかり元に戻ってしまった工房で、わたしは銀皿の卵を見詰め立ち尽くす。

磨き上げられた銀皿に、映っているのはわたしの顔。……耳はある。顔の両脇に二つ、そして頭頂にピコピコと楽しげに揺れる二つ。合わせて四つ……は、はははは。

「何だったのよ……」

何も変わって無いじゃない、と呟こうとした途端、何か背筋の下がうずきだした。腰の下、なんだかぴくぴくとうずく……まさか……

「な……」

服の上からでもしっかり分かる。後ろに廻した手から伝わる感触は綿玉。丸くてちっちゃい綿玉が、スカートの下で出して出して跳ねている。
うさみみに加えてうさ尻尾? なに? 全部無駄?  もしかしてこれが祝福? やぶへび?

切れた。プッツン切れた。身体全体が身も世も無い悲鳴を上げようとする。どんなに切羽詰っても一部の心は冷めてるって、魔術師の観察眼さえも一緒になってパニックを起こす。駄目、もう駄目、もう耐えられない。


「なによこれ――――――――――!」


叫ぶ、叫ぶ、思いっきり叫ぶ。士郎がいなくて良かった。こんな声とてもじゃないが……


「遠坂! どうした!」


一瞬にして叫びがとまった。わたしの目の前で、いきなり開かれたドアの向こう。

「……し、士郎?」

「……と、遠坂?……お前……」

み、ら、れ、た。

とうとう見られた。うさみみ、しかも尻尾つき。士郎に見られた。全部見られた。どうすることもできないこんな姿を、とうとう士郎に見られてしまった。


「……は……はは、はははははは……、はは」

乾いた笑いが虚ろに響く。もう笑うしかない。それしかない。さあ士郎、貴方も笑って、さもないと……

「遠坂……」

だってのに、士郎の奴は笑わなかった。
あっけの取られた表情を何か考えるように引き締めると、うんと一つ頷くいてわたしに向かって歩みだす。そのまま、凄く優しい顔でわたしの頭をぽんと叩き、たった一言呟いた。

「遠坂がどんな姿だって、俺は遠坂が好きだぞ」

しろうのばか……

「…………ふえ……」

また男の子に泣かされちゃったじゃないの。




「ごめん、士郎。もう大丈夫」

俺の腕の中で、必死にしがみつき震えていた遠坂がようやく顔をあげた。

「遠坂……」

「うん、大丈夫。士郎さえいてくれたら、うさみみだって生きていける」

うさみみ同様、兎みたいな赤い目だが、遠坂は俺に向かってにっこりと笑ってくれた。凄く綺麗な含みも何も無い笑顔。俺が一番好きな遠坂の笑顔だ。でも……

「あのな、遠坂」

「まあ見てなさいって、うさみみだろうがうさ尻尾だろうが、一流の魔術師なんだから、誰にも文句は言わせないわ」

新たにできたイースターエッグを握り締め、遠坂は毅然と言ってのける。これまた凄く魅力的で凛々しいんだが……

「でもな、遠坂」

「もう、さっきから何よ?」

「どうして、まだ付けてるんだ? 朝、卵あったろ、なんで食わなかったんだ?」

「……はい?」

素っ頓狂な顔をして、遠坂はいきなり固まってしまった。




つまりはこういう事だ。
昨日の晩のイースターパーティ。すっかり酔っ払って盛り上がった魔女三人は、調子に乗りまくって、イースターの女神を召喚してしまった。
そのまま祝福だぁ、とうさみみを付けてもらってはしゃぎ回り、イースターバニーよと、イースターエッグを家のあちこちに隠して回ったのだ。
祝福といっても一種の呪いだ。一時的にイースターの巫女となりイースターバニーとしての役割を与えられ、それを終えるまでは、そのまま兎の属性を背負い続けるのだと言う。この場合、それはただのうさみみなんだけど。

呪いの鍵は、その卵。何でもうさみみとラインが繋がっていて、見つけて食べると、役割を終えたことになって呪いが解けるのだそうだ。
で、三人はというと酔っ払ったまま、早く見つけて解いてよね、と笑顔で俺に迫りまくり、見つけないと士郎のうさぎさんになっちゃうぞ、なんて意味不明なことを言いながら、三々五々と眠ってしまったのだ。
酔っ払いに理屈は通じない。俺はそんな不条理に、黙って頷くしか無かったわけだ。

「大変だったんだぞ、あの卵探し出すの、殆ど徹夜だ」

「ちょ、ちょっと待って、セイバーは?」

「セイバーも一緒さ、遠坂だぞ、パスまで使ってセイバーをうさみみにしたのは」

そう、セイバーは犠牲者。嫌がるセイバーを令呪使うわよと脅し上げ、一瞬の隙をついて、遠坂のパスを通してうさみみにしてしまったのだ。令呪なんか無いって言うのに、サーヴァントの悲しい性だ。セイバーは実に悔しそうな顔をしてた。

「うう、ぜんぜん覚えてない……」

「思いっきり酔っ払ってたからな。でも、朝セイバーに言っといたぞ、遠坂の卵は朝飯にしといたって」

食べればうさみみは取れるということなんで、わざわざエッグスタンド引っ張り出して、ちゃんとイースターエッグと分かるように、殻付きのゆで卵にしたのだ。
ルヴィア嬢とミーナさん分の卵を届けに回る前に、そのことは、確かにセイバーに伝えておいたはず。

「ってことはなに? セイバーは全部知ってたの?」

「当然だろ、遠坂が起きてくる前に、卵を食ってみみを落としたんだから」

だから不思議なんだ、と俺のそんな一言で、一瞬くらっと傾いた遠坂だが、ぐっと堪えなおすと真っ赤になって立ち上がった。

「セイバー! 何処よ、あの娘!」

「セイバーなら出かけだぞ。ミーナさんとこで今晩は泊りだって。そのすぐ後だ、工房で悲鳴が上がったのは」

“やはりこれはシロウから渡してください”とか言いながら、セイバーはにっこり笑って出かけて行った。微妙に含みのある笑顔だったけど、多分なんかあったんだろう、遠坂の奴、真っ赤になって天を仰いでやがる。

「で、どうするんだ? うさみみのままやってくのか?」

「なわけ無いでしょうが! 食べるわよ……」

あの娘、帰ってきたらお仕置きよ、なんて物騒なことを言いながら、遠坂は俺が渡したイースターエッグに齧り付く。なんか、怒ってるんだけど本当の兎みたいで可愛らしい。

「勘弁してやれよ、何があったか知らないけど、元々の原因は遠坂だろ?」

「うう、それはそうなんだけどさ、セイバーったら酷いんだから」

膨れっ面の遠坂が、真っ赤になりながら事情を説明してくれた。ああ、なるほど、セイバーもやるなぁ。でも、たまにはセイバーも、これくらいはっちゃけても良いんじゃないかな。
昔のお堅いセイバーからは想像もつかないけれど、こういった悪戯心を持つことは、決して悪いことじゃないと思う。
とはいえ、このままじゃ遠坂も可哀そうだ。セイバーの為にも、今日はじっくりと遠坂に付き合って、きっちり機嫌を直しておこう

「まあ落ち着け、遠坂」

さて、じゃあまずはこのお姫様を宥めなきゃな。ようやく取れたうさみみを手に、ぷんぷん怒る遠坂に、俺は笑いをかみ殺しながら話しかけた。

でもな、遠坂。遠坂のうさみみは結構可愛かったぞ。






「ところで遠坂」

「なに、士郎」

「もう一個の卵はなんなんだ? なんか尻尾とか言ってたけど?」

「……し、知らないわよ!」

END


ごめんなさい、ただの思いつき話です(笑)
まさかず氏(ユキセツ)の拍手絵を見て、こう来るものがあったんで、一気に書き上げてしまった作品です。
ついでに、文字なしバージョンを挿絵としていただきました。まさかずさん有難うございました。
時期的には本編
Sixth encount の辺りになるでしょうかね?
そんな時期はずれのイースターも、全てはうさみみの為、あんまり深く考えないでやってください。

By dain


2004/7/10 初稿
2005/11/19 改稿


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