それは今から十年以上前のお話。
彫りの深い顔立ちの、背の高い男の人がわたしを見下ろしていた。
笑顔なんて微笑みさえ殆ど浮かべた事はなく、常に厳粛な表情を崩さなかった人。けれど、その瞳の奥にはいつだって優しい光が垣間見られた。

「それでは行くが、あとの事はわかって居るな」

重い声が頭上から響く。そう、このあとの事はわかっていた。
この人は、父さんはこのあと、聖杯戦争という名の殺し合いに赴き、弟子という名を持った言峰という男に殺される。そしてわたしは遠坂家の跡取りとして、魔術師として一人前になるため全力で歩み続けるのだ。
あの時さえ薄っすらと予感していた父さんの死を、今のわたしは事実として、過去の記憶として知っている。
なぜならこれは夢だから、ただの思い出を見ているだけだから。
ああ、この人とはこれでお別れになるのだ。わたしは諦めにも似た感情を抱きながら、家の管理や家伝の宝石の事などを珍しくも矢継ぎ早に話すこの人の姿をただ漫然と眺めていた。

「成人するまでは協会に貸しを作っておけ。それ以後の判断はおまえに任せる。おまえならば、独りでもやっていけるだろう」

独りでもやっていける。
確かにわたしはこのあと十年間、不安も不満も特に感じることなくずっと独りでやって行くことが出来た。だから大丈夫。わたしは何事も無いように一つ頷き、これが最後になるであろうこの人の顔を見るために頭を上げた。
だが、もう一度その瞳を覗き込んだ途端、わたしの心に言いようの無い感情があふれ出した。
わたしは大丈夫。だが本当に、本当にこの人をこのまま、ただ独りで送り出して良いのだろうか? わたしはこのあとのことを知っている。なのに、なのにこの人をたった独りにして良いものだろうか?
止める事は……できない。魔術師として、聖杯戦争という根源に挑む試みの最初に関わった遠坂家の魔術師として、これに挑むなとは到底言う事など出来ない。
だが、何か他に出来る事は無いだろうか?
言峰に対する警告は? 気をつけて、それだけでも言えないだろうか?
……いや、無駄だろう。
多分、父さんだって言峰がどれ程危険な男かはわかっていたはずだ。だが、それでもなおこの人はあの男に幾分かの信頼を置いていたのだろう。この人はそういう人だ。魔術師でありながらどこか人間味を、人の好さを残してしまっている事。それは遠坂家のもう一つの呪いなのだ。
では、ではわたしが一緒に行く事は? 独りでは決して見えない背に迫る刃だけでも見張る事は出来ないだろうか?
……論外だ。
いかに生まれたときから魔術師として育てられたと言っても、聖杯戦争は七つの子がその渦中に入れるほど甘いものではない。却って足手まといが増えるに過ぎない。
第一これはもう終わったこと、夢に過ぎない。なにをやろうと結果は変えられない。そう、結局は無駄。あの時も、そして今もわたしにはなにも出来ない。それが結論だ。

「行ってらっしゃいませ、お父さま」

だからわたしはあの時と同様に、行儀よく父さんを送り出した。
あの時同様泣きそうな気持ちになりながら、あの時同様決して涙は見せずに父さんの後姿を見送った。
ただあの時と違い、それでもなお何か出来るのではないかというわだかまりを胸に抱えたまま。



……
…………
………………
……………………!


「……うるさい……」

胸に抱えた蟠りが、尚もジリジリと頭に響く音を立ててわたしを責め苛む。だが、これは仕方が無いこと。幼いわたしでは力が及ばなかったのだ、そうジリジリと攻めたてなくても、自分の不甲斐なさは自分が一番……

ん?

ジリジリ……

まだぼんやりと霞む意識のまま、わたしはジリジリと耳障りな音を立てる蟠りに手を伸ばすと、そののっぺりとした表面の向こうに閉じ込められた長い針と短い針の位置に必死で焦点をあわせ、なんとか時刻という概念に当て嵌めなおした。

「六時半……」

暫しの睨み合いの後、わたしは目覚ましの形をした蟠りのベルを止め、霞む目を瞬かせながらベッドから上体を起こした。

「いつもより三十分も早いじゃないの……」

昨日は遅かったんだから……などと愚痴をこぼしながら見渡した部屋は、わたしが生まれ育った遠坂の家に似てはいるものの、どこか違っている。

「……ああ……倫敦だったわよね、ここ……」

ぶつ切りの記憶を繋ぎ合わせ、わたしはなんとか今の自分を組み上げなおすと、軽く頭を振って夢の残滓を追いやった。
そう、ここは倫敦。この部屋は時計塔がくいんがわたしの寄宿舎としてあてがったフラット。そして昨晩遅くまで作業をしていたにもかかわらず、今日朝早く起きなければいけない理由は……

「……そっか、今日は独りだったわね……」

わたしは小さく溜息をつきながら目覚ましをサイドテーブルに置くと、まだ覚めきらぬ意識を励ましベッドを後にした。
三十分早く起きねばならない理由は、朝の仕度を独りでこなさなければならない為。わたしと共に倫敦に渡ってきた二人の同居人、士郎とセイバーは今日この日、この家には居ないのだから。





あくまひとり
「真紅の悪魔」 −Rin Tohsaka− Fate/In Britain外伝-6
Asthoreth





春三月と言っても高緯度にある倫敦ではまだ朝は寒い。わたしは凍えながら冷たい水で顔を洗って眠気を払い、セントラルヒーティングのスイッチを入れ、朝食の仕度をするために厨房に向かった。

「寒っ、朝ごはん抜きなら楽なんだけど……」

食パンを厚切りにし、卵を割りながら、わたしは何故か愚痴をこぼしてしまう。
独り暮らしをしていたころ、朝に弱いわたしは朝食はとっていなかった。熱い紅茶を一杯、せいぜいそれくらい。それが、士郎たちと暮らすようになって何時とはなしに朝食付きの生活になってしまっていた。
なにせ士郎は朝に強い。わたしより遅く寝ることも多々あるくせに、朝はもう嫌味なほどぱっちりくっきり目を覚ましてくださいます。
こっちが半ば向こうの世界に半身を残してるってのに、朝飯食わないと力が出ないぞ、なんて事を仏頂面のままどこか優しい声で言いながら、ここは本当に倫敦? と言いたくなるよう程きっちりとほかほかご飯に一汁一菜以上の手のこんだ朝ごはんを仕上げてしまう。
とはいえ、折角用意されたものを食べなくては勿体無い。そんなわけで、わたしも朝食を取る習慣を身に付けたのだが、そうなると士郎にばかり作らせるのはわたしのプライドが許さない。和の朝食では士郎に数歩遅れを取るものの洋食ならと、こうやって朝食を作るようになったのだ。

「って、わたしなにやってるんだろう」

といつもの如く、ハムを軽く炙ったフライパンにボウルの卵を落としたところではたと気がついた。いつの間にか分厚くスライスしたパンは四切、卵も五つ割ってフライパンに落としてしまっている。

「……まだ本調子じゃないからよね」

今日は一人前で良いってのに、習慣とは恐ろしいもので、馴れた手付きで士郎やセイバーの分まで作ってしまっていたのだ。

「第一、わたし独りなら朝ごはん抜きだって良いじゃない」

更に早起きの理由まであやふやになってくる。そりゃセイバーが居たら、朝食抜きなんて恐ろしいこと到底出来ないが、わたし独りなら昔のようにゆっくり紅茶を一杯飲むだけで十分だったりする。
実際、独りの時はずっとそうして過ごして来たのだし、今日だってそれでもよかったはずなのだ、なのに如何にそれが習い性とはいえ、過去十年の習慣よりここ三年の習慣のほうが身体になじんでしまったってのは……なんだか士郎の色に染められているようで、どこか気に食わなかったりする。

「まぁ……作ってしまったものは仕方が無いわね」

とはいえ、このままでは勿体無い。わたしは取り合えず自分の朝食分だけ取り分けると、卵は崩しパンを再スライスして冷蔵庫を物色した。
これでもサンドウィッチくらいにはできる。ちょっと半端で朝ごはんと一緒のメニューって言うのはなんだけど、ついでだしこれをお弁当にしてしまおう。

「ふぅ……」

お弁当をでっち上げ、朝食を終えたわたしは、食後の紅茶を飲みながら又も小さく溜息をついてしまった。夢見のせいか、今日は起きた時からどうも愚痴っぽい。
こんな事ではいけないと思いつつも、わたしは朝日の差す静かなリビングを見渡した。
なんというか……どうにも広すぎる。
広いっていったってここはアパートメント。わたしが十年以上独りで暮らしてきた遠坂家よりはかなり狭い。だというのに、こうして独り朝食を取っていると、このリビングは広すぎ、静か過ぎると感じてしまうのだ。

「これが普通だったって言うのに」

言うとはなし愚痴がこぼれてしまう。考えてみれば倫敦に来てから独りで迎えた朝など数えるほどしかなかった。
まずセイバーはわたしの使い魔であるのだからめったに傍を離れない。士郎にしても魔術師の弟子と師とは同じ術を分け合うもの同士、いわば一心同体これまた離れることなどめったに無い。それこそ昼夜を問わず……

「全く、あんまり便利使いして欲しくないのよね」

意識がおかしなの方向に流れかけるのを、紅茶を一口飲んで引き戻し、わたしは今回二人が居ない理由を作った張本人、あの人好きをする笑顔を浮かべている癖に抜け目の無い商売人ミーナの顔を思い浮かべた。
まったくあいつと知り合ってから、二人揃ってという事はめったに無いが、どちらかが泊り込みでバイトに出かける事など日常茶飯事だ。
今回の事もそう。ミーナから請け負った、拝み屋では対処仕切れなかったちょっと怪しい事件の調査。最初は断るつもりだったのだが、あれやこれや、色々なしがらみゆえに引き受けることになってしまったのだ。
……いくら借金のかたとはいえ、魔術師の弟子や使い魔をそうひょいひょい借りないで欲しい。

「そりゃ借金作ったわたしが悪いって言われたらなにも言えないけど……」

いけないいけない、またつまらない愚痴を口にしてしまった。それに今回に関してはミーナのせいとばかりも言えない。以前あった騙まし討ちと違い、本来は三人で請けた仕事がわたしの都合で二人にだけに任せることになってしまったのだ。

「っ! まずっ、のんびりしてる場合じゃなかった」

軽く反省し、気を取り直そうとゆっくりカップを口に運んだわたしだったが、リビングの時計が目に入ったとたん、大急ぎでカップの紅茶を飲み干し立ち上がった。
時計の針は八時を回っている。朝食とお弁当のでっちあげで思ったより時間を食ってしまった。まずい、先生が遅刻しちゃしゃれになんない。

「急いで車を……ああ、もう! 今日は車使え無いじゃない!」

大急ぎでテーブルのお弁当を引っつかみ、車のキーを手に取ったわたしだったが、そこではしたなくも叫び声を上げてしまった。
そう、車で行きたくとも今日は運転手が誰も居ない。うう……思い出した。今日早起きした理由は朝食の為だけじゃなかった、足が無いんで早めに家を出る為でもあったんだっけ。

「ああもう、何であんた達いないのよ!」

心の隅で理不尽である事は重々わかってはいたが、わたしは悪態をつく事に躊躇しなかった。うう、今の紅茶で舌先やけどしたのも皆そのしろうのせいだ! ……ちょっとすっきりしたかな。




「で、これが結果。見てわかると思うけどこれじゃ前期単位出せないわよ?」

「はい……すいません」

「別に謝ること無いわ、単位取れなくて困るのはわたしじゃなく貴女なんだし」

「え? ……そ、そうですね」

ああ、もう。その気がなくても、こうも見事なほど「いじめる?」君されるとどうしたって苛めてみたくなる。
わたしは心の中で軽く溜息をつきながら、小さな身体を縮こめて益々小さくなっていく少女を前に、むくむくと湧き上がる苛虐心を押し殺した。
わたしが士郎達と一緒に出かけられなかった理由はこれ。わたしが担当している自然魔術講座の前期試験の採点と面談の為だ。
実は試験の採点だけなら問題はなかった。とっとと仕上げておけば多少遅れても士郎たちと十分合流できるはずだった。
問題はその結果。中に数人、このままだと後期をきちんと受けても危なっかしい生徒が居た事だった。正直わからないやつなんかさらりと置き去りにしたいところだが、この危ない数人がそろいも揃って、専門分野では特出した資質の持ち主と来てはそうは言っていられない。……なんか誰かさんを思い出すなぁ。
そして今、わたしの目の前で可愛らしく震えている子猫ちゃんは、何とはなしに顔見知りになった天才チェンバリストにして呪楽魔術師の女の子。天才のご多分に漏れず専門以外さっぱりという、実に思い切りの良い才能の持ち主だ。

「出席は問題なし。レポートもきちんと出てるけど……試験がこれじゃなんにもならないわ。ちゃんと理解してる? 魔術師は結果が全て、参考資料丸写しじゃ点は上げられないんだから」

「が、頑張ります!」

「で? なにをどう頑張るのかな?」

「え? あ……その……ええと……」

勢い込んで返事はしたものの、案の定なにも考えてなかったのか、突っ込まれた途端しどろもどろになるチェンバロっ娘。助けを求めるように周囲を見渡すが当然誰も居ない。
っていうか、どいつもこいつもこの部屋に来て、士郎やセイバーが不在と知ったとたん顔色を変えるのは何故? なんか、こうわたしが天性の苛めっ子みたいで腹が立つ。……否定はしないけど……

「ま、いいわ。今週から週一で個人レッスン組んだから。水曜の午後に一時間。来期までにみっちり仕込むわよ」

とはいえ苛めていれば良いってものじゃない。わたしは資料と教材の山を指し示しながら、明日以降のスケジュールと課題を手渡した。

「あ……その……でも呪歌のレッスンが……」

途端、顔色を変えて視線を彷徨わせだすチェンバロっ娘。甘い甘いそんな事は百も承知、準備おさおさ怠りなしってね。

「大丈夫、そっちの講師とは話をつけてあるから。いくら天才少女でも二年連続で基礎講座落としたら洒落にならないって、もう御存分に料理してくださいって熨斗付の返事貰ってるから」

「あうう……」

わたしは極上の笑みを浮かべながら、半ば固まった女の子の手に教材の山を上載せした。そんな肩落としてしおれる事無いでしょ? あんたの為なんだから。まぁ……こっちも結構楽しんでるけど。

「ともかく、わたしの講座で脱落者出す気はないから。頑張ってね」

そう、こうして形ばかりとはいえ臨時講師を引き受けた以上、わたしは手を抜くつもりはない。第一こう言うタイプのできんぼは士郎相手で慣れている。この娘だってそうだ、理解は遅いし自分でも判っていないが、感覚と身体は理論にちゃんと従っている。ようは、それを表現する技術を身につけさすことなのだ。
とはいえ甘やかすつもりもない。この娘にとってこれから水曜の午後一時間は、悪魔に魂を売ってでも逃れたくなるような時間になるだろう。

「うう……はい……」

その事はこの娘にも十分伝わったのだろう。抱えきれないほどの教材を持ったまま呆然としていたチェンバロっ娘だったが、泣きそうな顔になりながらもわたしにぺこりとお辞儀をすると、ふらふらと工房を後にした。ちょっと可哀相な気もしたが、これで士郎が居たら、俺が持ってってやるとか言ってこの娘を慰めながら一緒について行っちゃうんだろうなぁなんて事に思い至ると、そんな考えは即座に消えていった。うん、これで丁度良いくらいな気もしてきた。
やっぱりわたしって苛めっ子かなぁ……




「あら? ミストオサカも色々と大変なようですわね」

それから数人、チェンバロっ娘同様に出来る事に関してはトップクラスの癖に、出来ない事は本当にへっぽこな、どこかで聞いた事のあるようなタイプの生徒数人と面談を済ませ、さてそろそろお昼でもと思ったところで、この世に出来ない事なんてありませんわって顔の、わたしの同僚兼同期生のこいつが嫌味な事を言いながらやってきやがった。

「本当にご苦労様。わたくしのクラスでは成績の危ない生徒なんか居ませんから、どんな苦労かはわかりませんけど」

言って下さいます。確かにわたしのクラスは、何故か今のチャンバロっ娘のようなタイプのできんぼが多い。だが、それを言うなら。

「別に大した苦労じゃありませんわ、士郎で慣れてますし。それよりレディルヴィアゼリッタも大変ですわね。成績は良いけど贋金ブラスの集団相手じゃあ。まぁ、どんな苦労かはわかりませんけど」

途端、こいつの形の良い眉の角度が急変した。そう、わたしのクラスと違ってこいつのクラスには割と良いとこの優等生タイプが多い。ただ、そんな優等生が基礎講座を受けなきゃならないって事は理由がある。
つまり知識先行で、実技のほうはからっきしというこれまたどっかで聞いた事のあるようなタイプが揃っているのだ。しかも良いとこの連中だけにプライドが高い。わたしとしては御遠慮したい連中ばかりだ。

「御安心なさって、ああいう手合いの扱いは慣れていますもの」

何か思い出したのだろう、こめかみ辺りに青筋を浮かべながらも、ルヴィアは惚れ惚れするほど嫣然と笑ってのけやがった。確かに慣れているのだろう、風の噂に一人残らず完膚なきまでに叩きのめし、女王様よと靴をなめさせてるって話だから。

「それはわたしも同じですわ。確かに手間はかかりますけど、素直な生徒達ばかりですから」

でも、それを言うならわたしも慣れている。特出した技能持ちのできんぼで、士郎にかなう奴なんてそうは居ない。……特にできんぼの分野では。

「あら? 先生とは正反対のクラスですわね」

暗にどっかのクラスと違ってと言ってやたら、案の定ルヴィアのやつは即座に品よく微笑みながら手袋を投げ付けてきやがった。

「そちらは皆、先生似なクラスですのね」

だがそんな事は先刻承知、こっちも用意した手袋を投げ返してやる。
こうなるとお互い引き返せない。心の中で又馬鹿やってるなとはわかっていても、これはプライドの問題だ。こいつにだけは負けるわけにはいかない。お互いにっこり微笑んだまま、ジリジリと間合いを計りだした……

……のだが。

わたし達はお互いを注視しながらも、何故か微妙に周囲をうかがっていた。
なぜかというと普段なら何時もこの辺りで……

「止めましょう。今日は士郎もセイバーも居ないし」

「え? そうでしたの? ……そうですわね、考えてみればわざわざ啀み合う様な事でもありませんでしたわね」

わたしの一言に、一瞬狐にでもつままれたような顔になったルヴィアだったが、思い当たる節があったのだろう、小さな溜息をつくと微かに頬を染めながら肩から力を抜いた。
そしてそれはわたしも同じこと。そう、いつの間にかわたし達は、士郎やセイバーに止められる事を前提に喧嘩をするようになっていたのだ。こうなってはこれはもう喧嘩じゃない、ただのじゃれあいだ。多分わたしも顔赤いだろうなぁ。




「端から意図的にクラス割をされてましたわね」

「まったく、食えない爺様よね」

そんなわけで、啀み合う毒気を抜かれたわたし達は、そのままなし崩しに一緒に昼食をとることになってしまった。話題もなし崩しでわたし達の担当する基礎講座について。
さっきも言ったようにわたしのクラスには突出タイプのできんぼが、ルヴィアのクラスには似非“贋金”が揃っている。どう考えても、わたし達二人のタイプを想定してのクラス割をされたとしか思えない。
わたし達は揃って表情も変えず淡々とクラス割をしていたであろう、やせぎすの教授の顔を思い浮かべた。あの教授の事だわたし達が聞きに行っても、最良だと判断したまでの事だ、とかさも当然の如く応えるだけだろう。見透かされてるって言うか、腹は立つけど本当の事だから文句も言えやしない。

「ところで、このお弁当はなんなんですの? 朝食をそのまま持ってきたような」

なんて考えてたところで、ルヴィアのやつが文句を言ってきた。実は、二人でこうして食べていたのはわたしが今朝でっち上げた例のお弁当だったりする。

「悪かったわね、朝食そのまま持ってきたのよ。英国でまともなものを食べたければ三食朝食を食べろって言うでしょ? 第一何であんたまで食べてるのよ」

そりゃ、こいつが持ってきたお茶は極上で、わたしのでっちあげ弁当なんかよりはるかに高いかもしれないけど、人のお弁当分けてもらって文句言うんじゃないの。
わたしは更にもう一切れサンドウィッチを掴みあげたルヴィアを睨みつけながら応えてやった。士郎とセイバーの朝食分だから、確かに量は十分に女の子二人前以上あるけど、ちったぁ遠慮しろってのよ。

「だって、今日はシェロのお弁当の日ですもの」

だってのにこの女しれっとこんな返事をしやがる。

「誰がそんなこと決めたのよ!」

「あら? シェロは毎日でも良いぞって言ってくれましたわよ?」

「まったく……」

ここでそんな事を言うわけ無いじゃないと言えないところが辛い。むしろ絶対言ってる。あいつはそういう奴だ。
それに士郎がいないんですっかり忘れてたけど、今日はこいつが士郎のお弁当をたかりに来る日だったなぁ、こんな事ならもうちょっと見栄張ったお弁当つくりゃよかったかな。

「あれ? でもあんた確か……」

と、ここで気がついた。こいつも今日は士郎がいないって知ってたはず。なのになんで?

「……習い性になってしまっていたんですわ……」

で、そのことについて聞いてみたら。うっと詰まってそっぽ向きながらへの返事が返ってきた。

「これはこれは、レディルヴィアゼリッタでもこんな初歩的なミスを犯される事があるんですのね」

「なんとでもおっしゃって貰って結構ですわ」

折角、目の前で犬が水に落ちたのだ、これは叩かないと落ちた犬に悪いと混ぜっ返したのだが、一瞬むぅーっと睨み返してきた後、ルヴィアは不服そうにそれで居てどこか嬉しそうに返事を返してきた。

「本当に……魔術師は独りで生きるもの、なのにいつの間にか頼るようになっているのは事実ですもの」

と、そのまま貴女はどうなんですのと目線で聞きながら踏ん反り返りやがります。

「わたしは……」

独りでやって行ける。そう返事しようとして、言葉に詰まってしまった。
今朝から今までで十二分にわかってしまった。士郎、そしてセイバーが共にあることが当たり前に、独りでないことが当然になってしまっている。二人が居ないくてもわたしは二人が居ることを前提に考え行動してしまっている。
確かに、それは魔術師としてどうよ? って事だ。しかし……

「わたしも同じね」

わたしはルヴィア同様に、苦笑しながらも素直に一つ頷いていた。
ルヴィアの言うように、魔術師は独りで生き独りで死ぬもの。
その魔術を後代に伝えるという義務はあるものの、本来魔術師にとっては親子関係すら血が繋がりという共感関係を利用した効率の良い師弟関係に過ぎない。所詮、己が内宇宙が全ての存在。それが魔術師のはずだ。だから今のように他者の存在を己の一部と感じてしまうような関係は、到底褒められた事ではない、もう苦笑するしかない事なのだ。

「でも、悪いなんてちっとも思ってないわよ」

だが同時に、わたしの中ではそれがどうしたという気持ちも存在していた。
魔術師として褒められた事ではない。だがそれがどうしたというのだ。士郎やセイバーとともに過ごす生活は、人としても魔術師としても大きく実りのある、わたしにとって到底捨てがたい生き方だ。それはまるで父と共に、師弟関係であると同時に親子関係でもあったあの幼い時代と同じ……

「当然ですわ」

そして、目の前に居るルヴィアも、これまたわたし同様にちっとも悪いなんて思っていない。考えてみればこいつとも士郎たちが居なけりゃこんな関係にはならなかっただろう。もっとぎすぎすとした魔術師としての純然たる対抗関係。顔で笑いながら心に刃を隠す、魔術師として当たり前の関係になって居ただろう。

「わたくしもうシェロなしの生活は考えれませんもの」

と思った途端、にっこり微笑んでこいつは言い切りやがった。

「それは残念ですわね、時計塔を修了したら士郎は日本に帰ってしまいますから」

「そうですわね、ですけれど帰るのは日本とは限りませんわよ?」

前言撤回、こいつとの関係はやっぱり純然たる敵対関係だ。お互い顔で笑いながら心で刃を隠す、女として当たり前の関係なのだ。言ってなさいって、士郎はわたしのなんだから!




「ただいま、ってわたし独りだったわね」

早々にルヴィアを追い出し、午後もまた愛すべきできんぼ達に愛情たっぷりの指導を施しわたしは、最後にちょっとだけミーナの店に顔を出してから家路に着いた。
ミーナの所に顔を出したのは勿論、士郎達の状況を知るためだ。
まぁ、さほど心配はしたわけではない。ただ、何せセイバーは大抵の事は力任せに解決できてしまうし、士郎は士郎で物事の優先順位から自分がすっぽり抜けているしで、どっちもまずとにかく飛び込んでみたがる癖があるのが、ちょっとだけ引っかかっていただけだ。更にその癖二人とも相手は無茶をしすぎるって思っていたりするので、益々自分が先に飛び込まなきゃと思っている節もあったりする。
心配じゃないけど……心配するなって方が無理でしょうが、あんた達は! ってことだ。

で、結論としては無事任務完了と言ったところらしい。
“悪魔憑き”と称された子供の調査と保護。二人が向かった仕事はこれだった。
普通こう言う場合大抵はただのヒステリーか浮遊霊の憑依なのだが、この子供の場合はどうやら魔術師の資質を持って居たらしく、その資質が無意識に暴走していたって事らしい。
本来ならこう言う場合、その資質を一時封印した上で時計塔で保護するなり、齢を重ね資質そのものが消えるのを監視しながら待つのが定法なのだが、当然あの二人にそんな器用な真似は出来ない。加えてその子供の能力が“火精憑依ファイヤースターター”だって聞いた時は、わたしが行けなかったことに臍さえ噛んでしまった。
だが、そこはそれ流石にあの二人。苦労しながらも士郎が持ち前の人の良さで子供を手なずけ、セイバーが外見不相応な威厳で保護者を納得させ、取り合えず子供を無事保護して時計塔まで連れて来ることになったという話だ。
まぁ、その代わり思いのほか時間を食ってしまったらしく、二人の帰りは預かった子供をミーナのところに送り届けて報告を済ませた後、夜もかなり遅くなるって事だった。

「さて、それじゃ腕によりをかけますか」

そんなわけで、わたしとしては二人の帰りを待つ間、ちょっと奮発して御馳走を用意する事にした。わたしが行けなかった分ご苦労様って意味と、まぁその……あれよね、二人に出会えてよかったって言うちょっとした感謝を込めての事だ。
今でも、わたしは多分独りになっても生きていける。それが出来ないほど弱いつもりもないし、それができなきゃ魔術師なんかになっていない。ただ、間違いなくわたしの人生はあの二人のお蔭で人としても魔術師としても、実り多いものになっている。
もし、仮にまた独りになっても、わたしはそれなりに生きていくだろう。だが、それは今よりずっと味気ないものになってしまうのは間違いない。それは、知らなければ味わう事のなかった事だ。それをわたしは今日実感した。

「それに、料理はなにも士郎の専売特許じゃないしね」

そう、それにだ。ルヴィアに昼間のお弁当について文句を言われたせいじゃないけど、最近どうも料理なら士郎って事にされてる気がして、ちょっと癪に障る。
そりゃ流石に和食では敵わないけど、洋食や中華なら士郎よりわたしの方がまだまだずっと上なのだ。たまにはその事をしっかりと叩き込んでおく必要がある。確かに、あの二人のお蔭でわたしは充実した日々を送れている。だが、それはわたしが二人に依存しているってわけじゃない。あの二人だってわたしが居る事はプラスになって居るはずだ。第一、あの他人は見えても自分が見えないどんぱち二人放っておいたら、どこまで突っ走るか知れたもんじゃない。

「要するに危なっかしいのよね、二人とも」

わたしは厨房で、買い込んできた山のような食材の下ごしらえをしながら独り言ちた。わたしがしっかりと手綱を握って無いと、本当に崖っぷちから飛び出しかねないのもあの二人なのだ。

「さて、ちっとはわたしの存在って物をアピールさせて貰うから」

わたしは幸せそうに舌鼓を打つセイバーや、満足そうながらどこか悔しげな表情を浮かべるであろう士郎の顔を想像しつつ、極上の中華の支度を進めていった。何時とはなしに微笑みなんかも浮かんでいる。
大切な人のために何かを作り喜んでもらう、これも独りの時には知らなかった事だ。多分、今わたしは幸せそうな顔をしているだろう。
どこか気恥ずかしげな気持ちを覚えながらも、それは決して悪い気持ちではなかった。




「さてと、そろそろかな?」

わたしは時計を睨みながら、最後の仕上げをすべくコンロの火力を調整した。
なにせ中華は冷めると劇的に不味くなる。二人が帰るであろう時間を見据えて暖かい料理が出せるようにしなければならない。

「……これ、止まってるじゃないの」

で、気が付いた。外はもうとっぷり暗いのに時計の針はいまだ五時を回っていない。

「……仕方ないわね」

多分電池切れか何かだと思うが、予備の電池が何処にあるかなんて知らないし、裏の蓋を開けるのもなんとなく怖い。だから、わたしは何気なくテレビのスイッチを入れて時刻を確かめる事にした。

「って、なにこれ? 物騒ね……」

と、そこで流れてきたのは臨時ニュース。どうやら倫敦の地下鉄チューブで爆弾テロ事件が起こったとの事らしい。
まぁ英国の場合、日本と違ってアイルランドの事やら国際テロとの悶着やらで結構この手の事件は多いが、今回はかなり派手な事になって居るようだ。

「こりゃ少し遅くなるかな」

とはいえ魔術師のわたしにとって表の世界で表のことが理由で起きる事件は、それが戦争だろうとテロだろうと本質的に関係ない。ただ、これで交通機関が麻痺してあの二人の帰りが遅くなりそうだという事だけが、心配の種だった。
それともう一つ。

「……首突っ込まなきゃ良いけど」

士郎がちょっとだけ心配だった。もしあいつが現場に居るようなら、絶対手助けしようと何か仕出かすに……

「っ! あの莫迦!」

と思った次の瞬間、わたしは罵声を上げて電話に飛びついていた。
叩きつける様に押す番号は勿論士郎の携帯電話。仕事中なんだからと今日はずっと遠慮していたが、こうなってはもう遠慮なんかしていられない。
なにせ、生中継の文字が浮かんだテレビのブラウン管に、いかにもこれから忍び込みますと言った風情でキープアウトの黄色いテープの傍に立つ士郎とセイバーの姿が、画面の隅とはいえはっきりと映し出されているのだから。




「え!? 遠坂? なんで? ……ええと……すまない、ちょっと帰りが遅れそうだ」

いきなりの電話に一瞬驚いた様子の士郎だったが、即座にいかにもなんでもない事の様に装った声になって言葉を続けた。
随分手馴れてきたわね、昔だったらもうちょっとうろたえてるわよ。わたしはそんな感慨を浮かべながら士郎の言い訳を聞き流した。
無論、信じてなんかいない。それじゃあ電話の後ろで響いている騒音はなに? なんでテレビで流れているのと同じ音がしてるわけ?
わたしは、ちょっとした手違いで……なんて妙に落ち着いた声で言ってくる士郎を他所に、じっとテレビに映って居る事故現場を注視し続けた。

「わかった、わたしも行くから、それまでは派手に動かない。いいわね?」

「だから安心して……っ! と、遠坂!?」

「あんたとセイバーがこれから何かやらかそうってのは見え見えよ。第一回りよく見なさい、テレビに映ってるわよ? 魔術師が目だってどうするのよ!」

わたしは尚も白々しい言い訳を捲くし立てようとする士郎の声をさえぎって、びしっとテレビを指差した。
そこには電話を手に持ったまま、慌てて身を隠す士郎とセイバーの姿。まったく、もう遅いってのよ!

「とにかく、ミーナにも連絡とってそこに急ぐから。無茶はしない勝手に動かない。いい?」

「いや、でもな遠坂。それにこのままじゃ女の子が……」

「黙って言う事聞く!」

ああ、大体わかってきた。わたしは事故現場を改めて見直して納得した。一見ただの爆弾に見えるけど、この火の巡り方、どこか生き物を思わせる煙の形。これは神秘を含んだ炎だ。詳細はわからないが、例の子供が暴走したのだという事は十分察しが付く。
それにしても……やっぱり女の子か! どうしてあんたは何時もいつもそうなのよ!

「わ、わかった。でも遠坂。急ぐったってメトロもバスも止まってるぞ? 遠坂は車の運転できないだろ?」

「魔術師を甘く見ないでよね。すぐ飛んでってあげるから」

わたしは尚も何か言いたそうな士郎に釘を刺し、電話を切った。
そりゃ確かに、杖を振って星を出したり、箒に乗って空を飛んだりという一般的な魔術師像のような事は余り意味がないのでやらない。第一そんな事するより、文明の利器に頼ったほうがずっと簡単だし便利だ。
だが、それは決して出来ないって事ではない。普段はしないだけ。だからこう言う緊急時には、意味があるときには躊躇なく出来る事でもあるのだ。
わたしは大急ぎで工房にとってかえし、ありったけの道具を引っつかんだ。ともかく、独りきりで待っているのはもうたくさん。今度はそっちが待ってなさいよ、士郎。





「ただいま」

「ただいま」

倫敦で俺たちが仮住まいしているフラットに、俺とセイバーの声がこだまする。時刻は日付が変ってだいぶたつ。なんやかやで、俺たち三人がここに帰ってきた時にはもうすっかり真夜中過ぎになってしまっていた。

「シロウ、重くはないですか?」

「え? ああ、別にたいした事ないぞ。第一重いなんていったらなんて言われるか」

「確かに、そうですね」

俺の背中の大荷物を、呆れたような顔つきで眺めながら声をかけてきたセイバーだったが、俺が苦笑しながら応えると、どこか優しい視線で俺の背中の荷物を覗き込んだ。

「本当に良く寝ています」

そこには、俺の背中にしがみついてぐっすりと御休みになられている遠坂さんのお姿。
三人で帰ったのに声が二つだった理由はこれだ。

「まあ、大活躍だったからな。それにしても余り無茶して欲しくないぞ」

「そうですね。凛は自分が思って居るほど冷静でも沈着でもありませんから」

俺たちは幸せそうに眠りながら、それでいてしっかり俺にしがみつく遠坂を何とか居間のソファーに横たえると、そのまま腰を下ろして遠坂の寝顔を眺めながら今夜の出来事を思い返していた。

確か今夜の遠坂は大活躍だった。
保護した“悪魔憑きファイヤースターター”の少女を、倫敦に送り届けようとした途中でおきた爆弾テロ。それがあの事件の引き金だった。
メトロのチューブを伝う爆炎を、なんとかセイバーの力で逸らしほっとしたのもつかの間、駆けつけた救助隊と避難の人ごみに押し流され、俺たちは当の少女と逸れてしまったのだ。
とにかく探し出さなければ、そう思い俺たちが急いでメトロのチューブにとって返そうとしたところで、遠坂からの電話がかかってきた。
心配をかけたくない。そう思って誤魔化そうとしたが、遠坂はそんなに甘くはなかった。遠坂の冷静でありながら怒声じみた指示に従い、俺たちはしぶしぶ遠坂が合流するまで突入を待つ事にした。
だが、それもつかの間。遠坂からの電話を切って、ものの数分と立たぬうちに鎮火した筈のチューブから再び火が燃え上がってきたのだ。しかも、それは遠坂の言ったように俺でさえわかるほどの神秘を含んでいた。

―― だから待てって言ったでしょうが!――

こうなってはもう遠坂を待っている暇などない。人目をはばかる事も忘れセイバーと共に飛び込もうとした矢先、俺たち二人は遠坂に襟首掴まれ引き倒されてしまった。

「まさか本当に飛んでくるとは思わなかったなぁ」

「はい、私も本当に魔術師が空を飛ぶところを実見したのは初めてでした」

完璧に遮蔽の呪に覆われていたとはいえ,遠坂のやつは本当に箒にまたがってすっ飛んできたのだ。
その後の遠坂の対応も見事だった。まず時計塔の隠匿部隊が来るのを待っていられないと、運び出される被害者の知人を装い、狂乱した風で警察の封鎖の目をそらしながら、俺たちを完璧な遮蔽でチューブにまで送り込んでくれた。
俺たちがチューブで火精を纏い暴走した少女を、なんとか使われていないチューブの一角に誘い込んだ後も、結局事態を解決したのは遠坂だった。

―― 私なんかただの怪物なんだから!――

そう叫びながら荒れ狂う少女を、何とか宥めようとしていた俺たちに対し、追いついてきた遠坂はただ鼻で笑いながらこう言い切ってのけた。

―― そうね、あんた怪物ね。――

余りに冷徹で、非情な言葉に愕然とする俺たちや少女に向かい、遠坂は更にこれ以上ないくらい邪悪な笑みを浮かべてせせら笑いさえもしたのだ。

―― でもね、わたしたち三人のほうがもっと凄い怪物なの。――

「結局あの子は自分に怯えていたのですね」

「ああ、それが遠坂の言葉で自分より俺たちに怯える様になった」

この荒治療で作った隙にセイバーの風精で火精を吹き飛ばし、更には遠坂の魔全開の力技でなんとか少女を取り押さえる事が出来た。そして、

―― だから、あんたは独りじゃないのよ。――

呆然として自分の中に閉じこもろうとしていた少女を、そう言って今度は一転優しく微笑みながら少女の頭を撫で……いや鷲掴みにして、引き戻したのも遠坂だった。

「俺たちだけだったらどうなっていたか……」

「はい、ですが完璧に隠蔽したまま、私に魔力を送り、更にあの子の力と拮抗させるなど……如何に凛が優秀な魔術師といえど無茶が過ぎます」

そして怯えながらも何故か遠坂の胸に飛び込んで泣きじゃくった少女を抱いたまま、遠坂は力尽きたように崩折れ眠り込んでしまったのだ。もう梃子でも目を覚まさない。セイバーによると魔力の一滴まで絞りつくしてしまっているのだという。よくもまあ、そこまで平然と無茶な意地を張り続けられたものだと思う。
まぁそんなわけで、遅れてきた時計塔の隠匿部隊が、後始末かたがた少女まで隠匿しちまおうとするのを力ずくで押し止め、ミーナさんのところまで送り届けるという仕事の仕上げは、俺とセイバーだけでやり遂げる事になってしまった。

「さてと……あれ? セイバーどうしたんだ?」

「はい? いえ、あの……」

まぁとにかく大変ではあったが片は付いたと、一つ伸びをして立ち上がったところで、いつの間にか厨房に顔を突っ込んでいたセイバーが、なんともいえない表情で引き返してきた。

「ああ、そういや夕飯まだだったな」

「そうではなく……いえ、そうでもあるのですが」

セイバーに飯抜きはきついだろう。それに落ち着いてみると流石に俺も腹が減っていた。遠坂だってあれだけ魔力を消耗したのだ、目を覚ませば腹ペコになっているだろう。
俺は更に何か言いたそうなセイバーにわかってると苦笑しながら、厨房に向かった。流石にこの時間から手の込んだものは無理だが、簡単なものくらいは作れるだろう。

「……こりゃ」

「はい、私はこのことを言いたかったのです」

だが、厨房に入った途端、俺はセイバー同様に一瞬呆気に取られてしまった。
下ごしらえを終え、きちんと区分けされた後は火を通すだけになった料理の数々。内容からして中華中心だろうが、それにしてもこれはたいした御馳走だ。

「凛が用意してくれていたのでしょうか?」

「多分な、俺たちがすんなり帰ってたら、こいつで脅かすつもりだったんだろうな」

俺は居間で心地良い寝息を立てている遠坂を振り返りながら苦笑した。
今日の遠坂は妙に張り切っていた。この料理の山もさっきに事件での活躍も、まるで自分は独りでも全てをこなせるのだと言わんばかりだ。

「どうしますか、シロウ?」

「決まってるだろ、セイバー」

だが、そんな態度でありながら遠坂は事が完全に終わる前に意識を失うような事を仕出かした。この料理だって途中ですっぱり放り出して俺たちの元に駆けつけてきた。それは今の遠坂が独りで無いことの、俺たちを信頼してくれている事の証だ。

「遠坂の仕事の後片付けは、俺たちの仕事さ」

だから俺は、いまだ多少困惑顔のセイバーを他所に、エプロンを付け腕まくりしながら応えた。さて、遠坂の信頼に応えてやるか。ああ、そうだとも遠坂、お前は独りじゃない。
それにな、俺だって中華の腕を上げてるんだぞ。目を覚まして驚くなよ。





目の前で、彫りの深い顔立ちの、背の高い男の人がわたしを見下ろしていた。
父さんだ。だが、何故か今日は扉から差す光が逆光になって顔が見えない。だからだろうか、今日はいつもと違う何かがわたしの胸にふつふつと浮かび上がって来ていた。

「それでは行くが、あとの事はわかって居るな」

あの時と同じ、そしていつもと同じ言葉が父さんの口から漏れる。そう、あとの事はわかっている。父さんはこのあとわたしは独りでもやっていけると頷きながら死地に赴くのだ。

「はいわかっていますお父さま」

だが、ここからわたしは記憶と違った事を始めてしまった。ふつふつと湧き上がる何かに耐えかねて、わたしの頭を撫で、いや鷲掴みにし口を開いた父さんの機先を制し、わたしはどこか早口で言葉をまくし立ててしまったのだ。

「父さん。このまま行けばあなたは死にます。弟子の……言峰の手にかかって、だまし討ちにあって殺されます」

「……行くなというのか。凛」

いつもとは違うわたしの言葉に、父さんからもまたいつもとは違う言葉が返ってきた。

「……いえ、それは言えません。でも、独りで行ってはいけません! 例え死ぬにしても、殺されるにしても、独りでは余りに!」

いつもと違う返事に、微かに顔を伏せてしまったわたしだったが、それでも言わないわけにはいかなかった。一度始めた以上最後まで進まなければ。

「寂しすぎる……か?」

と、顔を上げたわたしの目の前に、いつの間にか腰を屈めわたしと同じ目線になった父さんの顔があった。

「そうか、お前はもう独りではないのだな」

そのまま父さんはどこか寂しげに、それで居てどこか誇らしげにわたしの知らない表情を浮かべた。
相変わらず逆光で、その表情は全く見えないというのに父さんはこの時、間違いなく微笑を浮かべていたのだ。

「ならばこそ、私は行かねばならない。お前はもう独りでやって行けるのだからな」

その言葉で、わたしは初めて気がついた。この人を独りで送り出して良いのか? わたしはずっとそう思い続けていた。だから、こんな夢を見るのだと思っていた。
だが、違っていたのだ。本当に独りになりたくなかったのはわたしの方だったのだ。だからこそ、父の「独りでもやっていけるだろう」という言葉を呪としてずっと「独りでやっていける」と思い続けてきたのだ。

「お父さま……」

だが、それももう終わりだ。逆光に溶け込むように消えてゆく父の笑顔を見据えながら。わたしはしっかりと父に向かって口を開いた。
わたしはもう独りではない。だが、だからこそ独りである事が本当はどんな事か知っている。そして、それ故にもう父さんの思い出に頼らなくて良い。父さんの「独りでやっていけるだろう」という言葉を支えとし縛られる必要もなくなったのだ。
そう、今こそ本当にわたしは「独りでもやっていける」ようになったのだ。

「さようなら、お父さま」

だからこれはきっと最後だ。わたしは行儀良く父さんを送り出した。
あの時同様泣きそうな気持ちになりながら、あの時同様決して涙は見せずに父さんの後姿を見送った。
ただあの時と違い、もう後悔も蟠りもない。父さんは今こそ、わたしの中でのその役割を終えたのだから。

END


三ヶ月ぶりの御無沙汰でした。dainでございます。
とりあえずBritain再開第一作。外伝という形になりましたがいかがでしたでしょうか?
時間軸としては中断からあえて進めてはいません。あくまで劇中時間はあの続きとお思いください。
正直勘は戻っていません。今回の話もたんに日常を書くつもりで、どうしても事件を挟まなければならなくなり、しかも事件そのものははしょるという形で仕上げる結果になってしまいました。
言い訳はこれまで、今はこれが精一杯ですが、おいおい完成に近づけて行きたいと思います。
それでは皆さん、どうも御心配おかけしました。これからもよろしくお願いいたします。

By dain


2005/7/13 初稿


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