遠坂のおまけとして倫敦に渡って早二月。
俺は学院の専科でようやく初級集中講座を終え、正規のコースへと進むことが出来るようになった。
とはいえ、ここまででも半端じゃなかった。「初級」と言っても、俺のレベルより遥かに高いところがスタート地点だ。
遠坂の徹底指導がなかったら、果たして無事修了できたかどうか……いや、どっちかっていうと学院の講座より遠坂の指導のほうが凄まじかったような……
講座じゃ命の危険は無かったもんなぁ。

それでも、遠坂には感謝している。どれほど感謝しても感謝し足りないほどだ。
あいつだって本科で主席争いに加わるほどの奮戦をしている。噂によれば、文字通り血で血を洗う抗争を繰り広げていたらしい。
……あまり想像したくない……とりあえず死者はでなかったらしいが。
そんな状態なのに遠坂は、俺の為に睡眠時間を削ってまで指導に当たってくれたのだ。
食事当番もその間ずっと遠坂だった。あんまりなのでそれぐらいは俺がと言ったのだが、血走った目でそんなことをしている暇があったら呪いの一つでも覚えやがれ、と蹴倒されてはそうも言っていられない。
流石にそう手の込んだものは作れなくて、セイバーが少しばかり不機嫌な顔をしていたが、彼女も現状は把握しているのか、あまり無理は言ってこなかった。鍛錬の時の打ち込みがちょっとばかりきつくなって、カロンの渡し守と顔見知りになったくらいのものだ……
……俺、よく命があったなぁ。

ともかく、正規のコースに進んだおかげで遠坂の指導も山を越え、俺のほうが少しばかりは手伝えるようになった。食事情の方も改善が進みセイバーの機嫌も右肩上がりに改善されてきた。
が、ここで問題が発生した。時間的余裕と精神的余裕を取り戻した俺たちは経済的余裕を失いつつあったのだ。





きんのけもの
「金色の魔王」  −Rubyaselitta− 第一話 前編
Lucifer






「凛、シロウ。お話があります」

その日、我が家の財務卿セイバーが、食事の質が落ち始めたときのような顔で俺たちに話しかけてきた。
意外といっては何だが、セイバーは炊事以外の家事や庶務に才能があった。
掃除洗濯はもちろんのこと、財務や管理もお手のもの、はては電子機器の取り扱いまで習得してしまった。
この二月、最低限の家内労働しか提供できなかった俺と遠坂に代わって切り盛りし、我が家が夢の島や粗大ゴミ置場になることを阻止しえたのは偏にセイバーのおかげだ。
そのセイバーが俺と遠坂を前に、眉間にしわを寄せ家計簿を広げたのだ。

「かなり厳しいものがあります……」

「ちょっと待て、それおかしいぞ。俺たちそんなに金使ったか?」

そう、確かにおかしい。
ここ二ヶ月は、俺も遠坂も学院とここの往復だけの生活だったはずだ。遠坂は特待生だから学費は免除、さらには研究費まで出ているし、色々な伝で手に入れた各種の助成金だってある。今、住んでいるこの家だって工房、薬草園付でちょっとした一戸建て並みの広さがあるが、あくまで寄宿舎。家賃はえらく安い。まぁ俺の研究費はかかるが、遠坂と違ってそう大したものじゃない。その分くらいは、親父が残してくれた遺産や貯金で何とかなる。

「ええ、シロウの方は問題ありません、予定通りですし。生活費も予算内で十分収まっています」

セイバーは溜息まじりに答えながら、伺うような視線を遠坂に送った。俺もつられて遠坂を見る。
あ、明後日のほう向いてやがる…

「なぁセイバー、つまりそれって……」

「はい、問題は凛のほうで……」

「だってしょうがないじゃない!」

と視線が集まったところで、それまで黙って明後日のほうを向いていた遠坂が、がぁーとばかりにまくし立て始めた。

「魔術がお金かかるなんて当然よ! ましてや私の専門は鉱石魔術。高い宝石いっぱい必要なんだから! 無駄な出費ってわけじゃないわよ! 極力コネ使って割安で買ってるし! そ、それに今までに溜め込んだ分は、聖杯戦争で使い切っちゃったんだから」

うっ、それを言われるとつらい……

「それにしても使いすぎでは? 今期の研究費すべて宝石というのはいかがなものかと思います」

だが、俺と違ってセイバーは容赦なく突っ込む。しかもびっしり書き込まれた予算表と購入明細持ち出して事細かに指摘しながら。

「必要性は理解しています。しかし予算は限られています。当初凛が立てた予算でもぎりぎりでした。なのに……すべて宝石では……ほかの器具や材料はどうするのです? 薬草園も工房も十分機能していない今、すべて購入しなくてはならないのでは? それともそういったもの無しでやっていけるのですか?」

更に、助成金の中にある早急に結果を出さねばならぬ項目を、逐一上げてはその予算組みを指摘して、遠坂の退路いいわけを次々と断っていく。

「うっ……無理……無いとやってけない……」

セイバーの、理路整然とした指摘に流石の遠坂も押し返される。いかに魔術師といえど、金の出入りという世界の摂理には逆らえないのだ。

「で、でも来月には研究費が下りるし、あと一月足らずなんだからちょこちょこっとやり繰りすれば……」

「ええ、ええ、昨日までなら」

セイバーの目がすぅっと細まる。と一転、華が開くようににっこりと微笑んだ

「昨日までなら何も言いません。何とかやり繰りして、ああ、これならどうにか後一ヶ月持ちこたえられる、とほっと胸を撫で下ろしていた所だったのですが……」

あ、青い炎……

「何ですか――――っ! この「機材補修請求書」というのは!」

セイバーが爆発した。エクスカリバーの解放もかくやと言うほどの見事な爆発だ。

「凛! あなたは学院で何をやっているのですか! 研究用の宝石代は良い。器具や機材でも、凛の学究のためと思えば他を削ってでも何とかしましょう! ですが! なんなのですか! この請求書は! しかも……この金額……いったいどうすれば鉱物学の「講義」で教室一つ吹き飛ばせるのですか!!」

がぁーっとばかりに捲し立てるセイバー。
ほ〜そりゃすごい……さすが遠坂というべきか。

「シロウも感心しないでください! 私達の二月分の生活費を一瞬で吹き飛ばしたのですよ!!」

ほ〜そりゃすごい……って! おい!

「と! 遠坂!」

俺とセイバーがギン! っと音が出そうな勢いで遠坂を睨む。
と、当人。にへらっと笑いながら言い訳をした。

「あ、いやぁそれがね、ちょっと気に入らない奴がさぁ、たっかい宝石だとか試材だとかをこれ見よがしに見せびらかしたわけよ。『あら? ミストオサカ? この程度のものもお持ちになっていらっしゃらないの?』ってな調子でね。で、ちょっとカチンときちゃって……あ、でもほら請求書見てよ! 半分でしょ? わたし一人のせいってわけでもないのよ」

「言い訳になっていませんね……」

セイバーがはぁっ大きく息をついて肩を落とした。
ちなみに俺はちょっと驚いたりしていた。いや遠坂が教室一つ吹き飛ばしたことにではない。学院というところが、あの遠坂をして猫をかぶっている余裕が無いほどの場所だということにだ。
さて、それは一先ず置いておいてだ、遠坂に言っておかねばならない事がある。

「遠坂」

「なによ……」

ジト目で返す遠坂。不機嫌というより拗ねてるといった感じだ、本人も悪いことしたって思っているのか目を合わせない。

「状況はわかった。それについてはあえて何も言わない。でもさ、俺とセイバーに言わなきゃいけないこと、あるだろ?」

うっとつまる遠坂。しばらく視線をさまよわせたあと、可愛らしいくらいに縮こまって小さくぽつんと呟いた。

「ごめん……」

「もういいです、終わったことは仕方ありません。それにしてもシロウは凛に甘い」

何が気に入らないのか微妙に不機嫌なセイバー。なぜ俺を睨む?

「それより問題はこれからのことです。どんなに切り詰めても二週間後、私達の生活費は底をつきます」

ともかく、これから一月どうやって過ごすかの協議と相成った。

「貯金を下ろすとか……」

「先月、凛の勧めでユーロ債を購入しました。解約は大幅な額面割れ、最後の手段としたいところです」

すでに検討済みとばかりにセイバーの溜息。ペンの柄で生え際をこする仕草が妙に所帯じみている。

「宝石「だめ!」……」

すかさず遠坂の拒否権発動。
でもね遠坂………うっ……
判った……判ったから唇噛んで涙目で睨むな。笑顔で怒られるよりよほど応える。
セイバーはセイバーで、ほら、やっぱりシロウは凛に甘い、とますますご機嫌が斜めになる。

となると……やっぱり……

「食「ダメです」……」

セイバーがにっこり微笑んで拒否。

「いや、だってほかに……」

「重ねて言います。ダメです」

にっこり

あ、

いけない……

空気が変わった……

ダメだ……これ以上この事に触れてはいけない……

もしこの禁戒を侵したならばセイバーは俺たちから離反する……
離反してブリテンの宗主権を主張して英国王室に戦いを挑む……
そして「かつての、そしてこれからの王」は現在の王にも成り果せるだろう……

燃え上がる倫敦を背に、剣を立てて仁王立ちするセイバーの幻影を、俺は軽く頭を振って追い出した。

「となると……なにかして稼ぐしかないか」

結局、俺たちのためにも英国の平和にためにも無難な結論にしかならなかった。
しかもデッドラインは間近に迫っている、早急に収入を得る仕事でなくてはならない。

「私が働きに出てもいいのですが……」

と、うれしいことを言ってくれるセイバー。でも却下だ。

「馬鹿いってるんじゃないわ。英霊級の使い魔を人に預けられるわけ無いじゃない」

遠坂が呆れたように言う。どうも最近平和なので自覚が薄くなったのかセイバーにこういった発言が多い。もっともその英霊を家事に使ったり、秘書みたいな仕事をやらせていたりするあたり、俺たちも同罪なのかもしれない。

「そういう遠坂は? 何か当ては無いのか?」

とりあえず遠坂に振ってみる。 魔術師として副収入を得る伝があるならそれに越したことは無い。
倫敦に来て驚いたことだが、実のところ魔術師には結構需要があった。
“神秘は隠匿すべし”。これが協会の主旨ではあるのだが、情報が拡散している現代社会では一般社会から顕現した神秘を隠匿するのには、魔術側からだけでは不十分だ。どうしても表の社会、その上層部に影響力を持たねばならない。そしてその社会の上層部にも、この複雑化した現代社会を波風立てず運営するために、表の常識では“ない事になっている”力が必要だったりする。つまりは“等価交換”。余り面白い話ではないが、“上”は繋がっているのだ。
依って社会の上層部は、大なり小なり“魔術”の実存を――信じる信じないは別にして――知っているのだ。現に遠坂が受け取っている助成金の中には、魔術師ではなく一般のいわゆる上流階級のスポンサーからの物も結構ある。

「う〜ん、来月なら二・三あてが無いわけじゃないわ……今でもちょっとしたまじないや、小物の作成とか需要はあるけど、入金がねぇ……結局来月以降になっちゃうのよ」

だが、そっちは望み薄らしい。何でも、こうした上流階級って言うのは実は結構吝嗇な上、現金でなく為替や手形を多用する。つまり”付け”で節句払いなのだ。
つまり現状では役に立たない。今の俺たちには、明日の百円より今日の十円なんだから。
となると……

「わかった、俺が何とかできると思う」

「「はい?」」

二人とも一瞬、唖然とした顔で俺を見る。次の瞬間、遠坂がむぅーっとした顔で俺をにらみつけた。

「なによ、当てがあるんだったらさっさと言ってくれればいいのに、心配して損しちゃった」

あの……遠坂さん。こうなったことの原因は誰にあったんでしょうか?
とはいえ、聞いちゃくれないんだろうなぁ……
俺は小さく溜息をつくと話を続けた。

「いや、ちょっと訳有りの仕事がある。急ぎでもなかったらやるつもりは無かったんだが」

俺は一週間ほど前に聞いた、そのバイトの内容を説明した。
とあるお屋敷での臨時雇いの召使のバイト。なんでも執事の人が怪我をしたらしく、男手が急に必要になったとかで、給与は破格。相場の三倍以上だ。
ただ、今日まですでに五人がそこに雇われて五人が五人とも、二日と持たず辞めていっているらしい。

「なにそれ? 無茶苦茶ヤバげじゃない」

遠坂が眉をひそめる。いや、だからやるつもり無かったんだって。

「シロウがサーヴァントですか?」

いや、サーヴァントといってもね文字通りだから召使だからね……

「セイバー、それ論旨が違うわ」

素早く遠坂が突っ込む。で、俺に向かい心配そうに言う。

「本当に大丈夫なの? それ?」

「ああ、大丈夫だと思うぞ。斡旋元もまっとうだし、辞めたといっても怪我したり病気したりじゃなくて、きつかったり合わなかったりだったらしい」

それでもまだ不機嫌そうに睨みつけてくる遠坂。いや、心配してくれてるんだろうけど、その目付きすげぇ悪いぞ……なんか呪われそうで。

「シロウ、いざとなったら私に言ってください。命にかけて貴方を助け出します」

こっちはセイバー。心配してくれるのは良いがその手に持っているのは何?
風をまいて目には見えないけどエクスカリバーじゃないのか? ちょっと物騒すぎないか?

「だからそう心配しなくって良いって。いざとなれば逃げ出すことくらい出来るぞ。俺だって」

多分

「って言うか。なんだよ、たかがバイトに行くのにこれじゃ戦争にでも行くみたいじゃないか」

ちょと心配しすぎだぞ、と二人をなだめる。

「そういやそうね、馬鹿みたい」

「申し訳ありません、ここしばらくの経済状況の悪化から思考が悪い方にばかり向かっていました」

二人ともなにかとんでもない事を想像していたのか、ちょっと顔を赤らめながら納得してくれた。
君たち……何を想像してた?

「ま、とにかくこれで方針は決まったわね。じゃあとは士郎、よろしく」

遠坂が俺の背中をポンッと叩いてにっこり微笑む。

「シロウ、頑張ってくださいね」

セイバーも、ぐっと拳を固めて激励してくれる。

「おう」

俺は二人の期待に力強くこたえた。

だがこの時、俺たち三人はすっかり忘れていたのだ。
倫敦の二つ名が「魔都」である事を……




「はぁ……」

倫敦の中心から少しばかり離れたそのお屋敷に着いて、俺の第一声がこれ。
冬木市で洋館やらお屋敷やらは見慣れていたし、倫敦でも結構いろいろなところを回っていたが、こいつはちょっと違う。
大きさはさほどでもない。遠坂邸の二割り増しくらいだろうか。だが造りが違う。
柱の一本一本、積み上げた石の一つ一つが俺が見てもわかるほど贅を凝らされている。かといって成金趣味というわけではない。白鳥が一羽ひっそりと舞い降りたかのような繊細な上品さがあった。
いや、なんというか……その前に立つ自分がえらく場違いに見えるようなお屋敷だった。

「士郎・衛宮君……ふむ……日本の方ですか」

「はい」

恐る恐る玄関をノックして通された先は、おそらくお屋敷の庶務全般を管理しているであろう事務室だった。
そこで俺はこの屋敷の執事をしているという、シュフランさんという初老の男性に説明と面接を受けることになった。
執事さんの説明によると、このお屋敷は北欧のさる名家のお嬢様が倫敦留学の為に購入したものだそうだ。つまりはここの主はそのお嬢様。留学の為にこれだけのお屋敷をポンッと買ってしまうあたり、俺のような庶民には理解しがたいものがある。
遠坂が聞けばそのお金持ちっぷりにきっと激昂するだろうな……

まぁ、その為に今いる使用人は最小限らしい。男手も執事さん一人、その彼が怪我をして急遽もう一人臨時で雇うことになったとのことだ。
確かに執事さんは左手を吊っている。ぴんと背筋の伸びた姿勢で、矍鑠とした立ち振る舞いは年齢を感じさせないが、これでは力仕事とか細かい作業はきついだろう。

「君の仕事は、主に私の補助ということになるが……ほう……倫敦へは料理の勉強と?」

履歴書に目を通しながら、執事さんが尋ねてくる。さすがに履歴書に「魔術学院在籍」とは書けないので、表向きは専門学校ということになっている。それも遠坂の悪い冗談で料理学校と……

「なかなか面白い趣味をしているね」

執事さんが、複雑な表情で感想を述べる。
……だから遠坂、倫敦へ料理の勉強はまずいって。
英国というところ料理のまずさでは世界有数の国なのだ……なにせ……その大本だったころからして「…………雑でした」の国なのだから。

「こ、こちらの料理はまだまだですが、和食と、あと紅茶にはいささか自信があります」

「紅茶を?」

うん、これには自信がある。なにせこっちへ来るまでの1年ちょっと、遠坂にさんざんっぱら仕込まれた。
それこそ、紅茶が紅いのは俺の流した血の涙の色だからってくらい徹底的に叩き込まれた。
こっちへ来てからも「好い紅茶」ってのを、いくらか飲ませてもらったが遜色は無いつもりだ。

「ふむ……それに和食か……」

そのまま、じっと何か考え込むような表情で俺の顔見据える執事さん。その視線に俺は些か緊張した。
なんというか……決して鋭くないのに、何もかも見透かすような。質は違うが言峰や、時計塔の魔術師連中きょうじゅたちを思い出させるような、そんな視線だ。

「お嬢様も、そろそろ詰まらぬ因習を仕舞いにされるべきだろう……」

そんな何処か息詰まる数秒の後。執事さんは、何事か小さく呟きながらに頷くと俺に向かって破顔した。

「君には、お嬢様のお茶も頼むことになるかもしれないね。いや、メイドたちの入れたお茶は皆、お嬢様が駄目を出されてね」

「あの、それでは?」

「ああ、問題は無いようだ。とりあえず仮採用ということになる。よろしいかな?」

「よろしくお願いします」

こうして俺は、このお屋敷で働くこととなった。
初日はお仕着せの採寸と屋敷の案内、仕事の説明で終わった。お嬢様は御学業中ということで、お目見えは翌日ということになった。
家に帰ってから、気前良く渡された支度金を握り締めてセイバーが感涙に咽ったり、あまりに気前のいい金離れっぷりに遠坂が、きっと怪しい連中に違いないと、ぶつぶつと文句を言ったりしていたが、それはまた別の話。
とりあえず、明日からまたおいしいご飯が食べれると、俺たちは雇い主に感謝して一日を終えた。
そして翌日、俺はお仕着せに着替えてからお嬢様へのお目見えと相成った。

「お嬢様、本日より御仕えすることとなった衛宮をつれてまいりました」

コチコチに緊張しながら、俺は執事さんに促されて部屋に入る。

「本日よりお世話になります士郎・衛宮です。よろしくお願いします」

「シェロウ・エミヤね? 顔を御上げなさい」

鈴を転がすというのは、こういった声の事を言うのだろう。明らかな命令口調なのにまったく嫌味の無い、はなから人に傅かれる人間だけが持つ独特の声色だ。セイバーにもそういったところはあるが、こちらの方がずっと女性的で煌びやかだ。
俺は声に促されてそっと顔を上げた。


そこには途轍もなく華麗な金細工があった。


一面の窓から柔らかい朝日を浴び、瀟洒な造りのソファーに造り付けられたように金細工が座っていた。
いや違う、逆だ。
この金細工にあわせてこの部屋や家具が、はては朝日までが造り付けられているのだ。
そう思えるほど彼女は繊細で煌びやかだった。

軽くウェーブした金髪。深い鳶色の瞳。碧を基調とした瀟洒でそれでいて華やかなドレス。
まるでこのお屋敷そのものを人格化したような女性。それがこの館の主だった。
美人にはセイバーや遠坂で慣れていると思っていたが、いやはやさすがに息を呑んだ。

「どうなさったのです? エミヤ。まるでゴルゴンでも見たかのように固まってしまって」

彼女は小首をかしげてくすりと笑った。

「いえ! そんな! 怪物だなんて……お、お嬢様があまりにお美しくいらっしゃられって……」

自分でも何を言っているかわからない口調で、俺は慌てふためいてしまった。自分の言った台詞の失礼さと恥ずかしさに顔が赤くなる。落ち着け! 俺。

「まぁシュフラン。聞きまして? わたくしの事を怪物だなんて」

そんな俺の狼狽ぶりが面白いのか、お嬢様はますます笑みを大きくして執事さんに話しかける。

「お嬢様、衛宮はお嬢様に見ほれて狼狽してしまったと申しておるのです」

見かねたか執事さんが助け舟を出してくれた。ってそれって助け舟になってませんって!
俺はますます顔を赤くして、わけもわからず謝ってしまった。

「すみません!!」

が、お嬢様は俺の謝罪にかえって微笑みを収め、真摯な瞳で正対した。

「エミヤ」

そのまま俺が顔をあげるまで待って、静かに言葉を続けた。

「貴方を揶揄からかってしまったのはわたくしですわ。エミヤが謝罪する謂れはありませんのよ。主に対してとはいえ、謂れの無い事に無闇に頭を下げるのは却って非礼です。よろしいですわね?」

「あ、はい!」

「良い返事です、気に入りましたわ。エミヤ、日本人ではありますが、貴方を特別に我が家の郎党として受け入れましょう」

「ありがとうございます」

あまりに自然な流れだったので、俺は思わず一礼してしまった。しかし……日本人が特別? それに郎党ってのも、えらく古い言い回しだなぁ。

「さ、エミヤ。自慢の紅茶を入れてくださらない? 楽しみにしていましたのよ」

だが、そんなちょっとした疑問も、お嬢様の本当に楽しみにしているって笑顔が一瞬のうち吹き飛ばしてしまった。
俺はさっそく、腕によりをかけてお嬢様に紅茶を入れて差し上げることにした。
結局その日のお目見えはそれで終わったが、お嬢様は俺の入れたお茶をえらく気に入ってくれて、お茶の差配は俺に一任されることになった。


以前お読みいただいた方々 ようこそ起こしくださいました。
初めて読んだ方々、はじめまして。
月姫SS-Link 投稿掲示板に掲載したもののバグ取り修正バージョンです。

さて、以前お読みいただいた方はお気づきでしょうが、かなり異見のございました執事氏の名前ですが変わっています。
結構意地っ張りに変えてなんかやるか!とも思いましたが水の如くと流されてみました。
あの名前で気に入っていた方ごめんなさい。

by dain

2004/ 3/2初稿
2005/11/1改稿

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