エーデルフェルト家と言うのは、北欧にある魔術の名家である。
といっても、俺はつい最近までまったく知らなかった。
そのおかげで俺は命どころか魂の絶体絶命に陥ったりもした。まぁ間諜の嫌疑が晴れたから良しとすべきなのか……
とはいえ今は知っている。
ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト
俺が勤めるお屋敷のお姫様。我が雇い主にして学院で主席争いを演じる容姿端麗、頭脳明晰、天性放逸なトップクラスの魔術師。
そして遠坂凛に匹敵する巨大な猫をかぶった「きんのけもの」
俺は彼女にその事を骨の髄にまで叩き込まれた。
さて、ルヴィア嬢に魔術師の使用人として正規雇用された晩、俺はその事を遠坂とセイバーに報告した。
正直、言い辛かった。俺がえらく大間抜けだったこともあるが、やっぱり魔術師の弟子として他の魔術師に使用人として雇われるってのは、なにか非常識な気がしたからだ。
とはいえ言わないわけにはいかない。ルヴィア嬢に遠坂の名前を出さなかったのと同じ理由で、遠坂にルヴィア嬢の名前は伝えなかったが、大まかな内容は伝えることにした。言い辛いとはいえ秘密にしておく物でもなかったからだ。
きんのけもの | |
「金色の魔王」 | −Rubyaselitta− 第二話 前編 |
Lucifer |
で、予想通り我が遠坂凛嬢の一言。
「馬鹿」
ぐぅの根も出ない。
「っていうか、なに? 魔術師の屋敷に一週間通って気がつかなかった? この一年なに覚えてきたのよ! へっぽこ」
うわぁ心ある人ならばあえて口にしない言葉を。
「へ、へっぽこはないだろ! そりゃ不甲斐ない弟子だが……相手が悪かったんだよ! ありゃ遠坂と甲乙つけがたい魔術師だったぞ」
あらゆる意味で……
遠坂がむぅーっと睨みつけてくる。どうやら相手を自分と同格扱いされたのが気に入らないらしい。
よかった……一瞬あとに考えた事を読まれたのかと思った。
「それでシロウ、どうするつもりですか?」
そこに、今度はセイバーがえらく複雑な表情で聞いてくる。
「どうするって……なにをさ?」
「お仕事のことです。このようなことが有ったのですから辞めるのですか? このまま続けることは難しくも危ういことだとわかっていますが……」
ああ、セイバーが何を悩んでいるのかが分かった。我が家の経済的危機と、俺の危機を秤にかけて思い悩んでいるのか。それなら簡単だ。
「辞めないぞ。あっちも納得してくれたし」
うん、納得してもらった……と思う。
セイバーはあからさまにほっとしたような、それでいてほっとしたことが心苦しくて心配で、といったまるで我が子を旅に出す母親のような表情をしている。
一方遠坂は、一瞬呆けたような顔をしたが、すぐさま今まで以上に不機嫌に口を尖らせて俺に食って掛かってきた。
「なにそれ? 普通じゃないわ」
「なんでさ?」
「当たり前じゃない! 魔術師がよ、他の魔術師と協力関係になるならともかく……召使? それも半人前の他人の弟子を!? 絶対変!!」
遠坂は口を尖らせて考えた後、はっとしたように難しい顔で尋ねてきた。
「士郎、あんたまさか……あれを悟られたんじゃないでしょうね?」
遠坂が心配した“あれ”。それはおれの秘密、“固有結界”の事だ。
魔術師にとって、最終目標の一つにして禁呪中の禁呪。
協会にばれれば俺は封印指定され、それこそ死ぬまで幽閉されかねない。もちろん他の魔術師にだって知られるのは論外だ。
少なくとも倫敦での学業を終えて日本に帰るまでは、ここにいる三人以外に知られる事は絶対避けなくてはならない。だが……
「いや、それは無い」
うん、それはありえない。
「第一、俺はあのお屋敷で魔術使ってないぞ」
そう、確かにお屋敷の構造解析はしたが、あれは魔術というより技術みたいなものだ。
「じゃなんで? ……魔術師としての力量や才能を買われたなんて、絶対ありえないし……」
遠坂は失礼な事を呟きながら自分の世界に入って行った。こうなると一段落着くまで戻ってこない。
「士郎に他の取り得なんて……あ、確かに召使としては一流かも、ご飯おいしいし……」
これは当分帰ってこないな、俺はセイバーと話すことにした。
「そうだ、給料すこし上がるみたいだぞ、その分仕事も増えるけどそれは問題ない」
「ああ、それは嬉しい報せです。でも凛には黙っていたほうが良いかもしれません。できれば少しは蓄えをしておきたいですし」
「そうだよなぁ、いつ遠坂が教室ふっとばすかわからないからな」
「シロウ、言わないでください。それを一番危惧しているのです。今度あんなことがあったら、損を覚悟で債券を現金化しなくてはなりません」
「う〜ん……俺もこれ以上バイト増やせないぞ。それにあんな割のいいバイトそうは無いし」
「あんたらねぇ……」
ようやく思考が一段落したのか、それとも俺たちの会話があまりに癪に障ったのか、遠坂が自分の世界から帰ってきた。
「あ、お帰り」
「もうあんな事しないわよ……………………多分……」
「凛……その最後の多分について、もう少し詳しく説明してもらいたいのですが……」
「もう! 今はそんな話をしてる場合じゃない!!」
バンッとテーブルを叩いて場を仕切りなおす遠坂。うまく誤魔化しやがったな。
「士郎、あんた何か弱み握られたんじゃないの?」
それでも尚、半眼で見透かすような視線を向けるセイバーを綺麗に流し、遠坂は睨みつけながらも、どこか心配そうに俺を覗き込んできた。
「いや……別にないぞ」
多分
「わかんないのよねぇ……魔術師の召使が欲しいなら、自分の系譜からでも調達できるだろうし。ただの召使が欲しいなら、バイトじゃなくて本雇いすれば良い訳でしょ? 給料アップするくらいなんだからお金をケチったってわけでもないし」
「凛……聞いていたのですね……」
セイバーが思いっきり残念そうに呟く。本気で危惧してたんだな……
「いや、まぁ今辞めたら違約金だとかは言われたけど、これって脅しにならないよなぁ」
「そうですね、シロウを引き止める口実にはなっても脅しではない」
セイバーも首を傾げた。そう、俺はあの時、放り出されるものと思っていたのに引き止められたのだ。
「まぁ、向こうの理由はいいわ。それより士郎、よく勤め続ける気になったわね」
「いやだって金無いだろ?」
「貴方ねぇ……たかがお金であんたが動くわけないでしょ? それに……下手すると押し込められて、そのままどうにでもされかねないって状況じゃない」
「いや、そんな事されないぞ。そんなことする人じゃない」
ルヴィア嬢はたしかに傲岸不遜で傍若無人、我が侭で負けず嫌いででっかい猫をかぶった女の子だけど、そういった陰湿な事をする人じゃない。ちゃんと筋が通った所もあるし可愛らしいところもあった。
はて?
そこで気がついた。
なんで俺はあそこで働き続ける気になったのだろう?
俺は心配そうに見つめる遠坂をぼんやりと眺めながら考えた。
お金の為……それもあった。だが全てじゃない。なのに何故? ずっとこういったことが普通じゃないと感じながら、俺は何故あの仕事を受けたのか……
ああ、そうか……
俺はあの騒動のさなか、ルヴィア嬢がふと見せた魔術師としての孤独と寂しさを思い出した。
それはかって遠坂の中に垣間見たそれと同じものだった。
なんだ、簡単じゃないか。
放っとけなかったんだ。
一生懸命がんばって、一番高いところに手を伸ばして、そしてその高いところで燦然と輝くようなやつ、そんなやつが高みにあるが故にポツンと一人孤独に寂しい思いをしている。そんな事を放っとけるわけないじゃないか。
パズルにピースが嵌るように、すとんと納得できた。俺は漸く、今まで心に引っ掛かっていた棘が取れた満足感を味わった。
「……にやけてるわね……」
と、いつの間にかむぅーっと俺を見据えていた遠坂が、じっとり不機嫌な口調で呟いた。
「え?」
「にやけていますね……」
セイバーも、遠坂と同じような視線を俺に向けてぼそりと呟く。
「な! なにさ!?」
「女ね……」
「はい、女性ですね……」
「何の話してるんだよ!」
何の話をしているかは充分理解できてしまったが、叫ばずにはいられなかった。
「衛宮くんの雇い主の事に決まってるじゃない。その人、女性の魔術師なんでしょ?」
背景を真っ赤に染めながら、遠坂さんはとても綺麗ににっこりと微笑まれた。大変可愛らしいのだが大変怖い。
ちなみにセイバーは「またか……」って顔で溜息ついている。
……ちょっと待てセイバー! またかってのはなんだ! またかってのは!?
「いや、確かに女の子だが……や、疚しいことはないぞ! 断じて!」
「ふ〜ん……女の子なんだぁ……」
あ、墓穴掘った……
真っ赤な背景にぱちぱちと炎の爆ぜる効果音が加わってきた。
勘弁してくれ……俺は些か脱力しながら思った。そりゃルヴィア嬢も放っておけない。
だが俺にとって、
「遠坂が一番大切なんだから……」
背景の赤がすっと引き炎の爆ぜる音も消えていく。
「……もういちど……」
「え?」
顔を上げると遠坂が睨んでいた。ただし顔を真っ赤に染め、瞳に微かな不安を浮かべながら。
「もう一度、ちゃんとわたしの目を見て言ってみなさい」
「うん、俺にとって遠坂は一番大切な女の子だ」
俺はきちんと遠坂の目を見てそう言い切った。すごく照れくさいし恥ずかしい台詞だが、これだけは誤魔化したり茶化したり出来ないことだ。その……遠坂を心配させたり不安にさせたりしたのも確からしいし。
「良いわ、信じたげる」
気恥ずかしげに視線をそらして遠坂が呟いた。
「士郎が誰にでも優しいのは分かってるし、困ってる人や助けを求めてくる人を放っとけないのも知ってるから……」
更に、どこか諦めたような溜息を付いて話を続ける。ええと、その……苦労かける。
「だからバイトの件は士郎に任せるわ。でも無理したり一人で抱え込んだりはしないでよ。何かあったらわたし達に相談する。いいわね?」
そして最後に、遠坂は顔をくっつけんばかりに近づけて、俺に念を押して来た。ちょっと待て! セイバーの前だぞ! わっ、すんげぇ冷たい視線で睨んでるぞ!
「わ、わかった! わかったからちょっと離れろ!」
「うん、じゃこれで解決。ご飯にしましょ」
遠坂は途端にご機嫌になって席に着く。
まぁなんだ、いろいろあったけど一件落着だ。
「シロウ」
セイバーの機嫌も直ったらしい。笑顔で話しかけてきた。
「ん? なんだセイバー」
「お金に困っても身体だけは売らないようにしてください」
一瞬の沈黙。
そして爆発音。
再び遠坂が紅蓮の炎を背負ってしまった。
ちなみにセイバーは満面の笑顔でご飯を食べている。
セイバー……機嫌、直ってなかったんだな……
それから二ヶ月ほど、俺の生活はわりと平穏に過ぎていった。
お屋敷に詰めっきりの生活も予定通り二週間で終わり、後は初めの契約どおり週四日、半日づつのパートタイム、月に二度ほど全日詰めを頼まれたりもするが、それも特に問題とは感じなかった。
最初はあんな事件もあったことだしどんな目にあわせられるかと戦々恐々としていたのだが、特に人体実験に使われたり内臓を抜かれるということもなく、それまで通りのごく普通のお屋敷勤めというやつだった。
変わった事といえばルヴィア嬢の工房への出入りを許された事くらい、それも二度ほど機材の搬入を手伝った程度だ。
俺も一応魔術師だから工房に興味がないといえば嘘になる。しかし、出入り自由という信頼を裏切るような真似は、俺には出来ないことだった。まあ、俺ごときがこっそり忍び込んだところで大したことは分からないし、生きて出てくることも出来ないだろうが……
あと、ルヴィア嬢が執事さんと俺の前では猫をかぶらなくなった。本当に俺たち二人の前ではよく笑い、よく怒り、よく拗ねる。尤もこれは俺の前だからというわけでなく執事さんだからだろう。
なにせ、あの優雅で気品溢れる礼節堅固なルヴィア嬢が執事さんには“甘える”のだ。無論べたべたとあからさまに甘えるわけではない。言葉の端々、立ち振る舞いのちょっとした隙でほんの少し気持ちを委ねるのだ。
執事さんもそれをきちんと受ける。それでいて遠慮がない。行き過ぎれば注意し、間違えれば正し、やんわりとだが叱り付ける事もある。
ルヴィア嬢が以前言った“主に対してとはいえ、謂れの無い事に無闇に頭を下げるのは却って非礼ですわ”という言葉もこんな二人の主従関係から自然と出てきたものなのだろう。
正直、見惚れてしまうことがある。それがあまりに微笑ましくて、つい笑ってしまってルヴィア嬢にしたたか怒られた事もあった。
そんな訳で俺はこのバイトが結構気に入ってしまった。執事さんの物腰なんかはちょっと憧れてしまうほどだ。
遠坂の前でその真似をして気味悪がられたりもしたが……
ちなみにセイバーには好評だった。訳を話したら、その方はよい侍従を持っています、と感心していた。
さて、その日も俺はいつも通り午後からお屋敷に入った。
お仕着せに着替え、事務室へ向かう。普段ならそこで執事さんへ挨拶をし書斎と図書室の整理、その後お茶の用意という手順なのだが、その日は厨房の前で執事さんに呼び止められた。
「ああ、衛宮君。よいところに来た」
執事さんはそのまま俺を厨房に招きいれた。どうやら軽食の用意らしい、パンに野菜、ローストビーフにチキンと大まかにスライスされて積んであった。
「お嬢様が昨日から又お篭りに入られてね」
てきぱきとサンドイッチを作りながら俺に事情を説明してくれる。
普通の食事はコックが作るのだが、こういった軽食は昔から執事さんが拵えて供しているらしい。ルヴィア嬢が幼い頃、庭で泥まみれになりながら暴れまわっていた頃からの習慣らしい。今では想像もつかない……いや想像つくか。
「今月二回目ですか……周期早くなってません?」
俺もそれを手伝いながら応える。なんでも学院でへこまされるとその仕返しに数日工房に篭り、全力で準備してへこまし返しているそうだ。へこますと数日は大変ご機嫌麗しい。で、へこまされると数日お篭り。湖に浮かぶ白鳥は人知れず水を掻くというわけだ。
今のところ戦績は五分、あのルヴィア嬢と分けるのだ、相手の実力もかくやといった所だろう。
はて……なにか引っかかる。最近似たようなことがどこかで……
「お嬢様もよいお友達を見つけられたようだ」
そんなルヴィア嬢の攻防を執事さんはそう評した。なんでも今までは一回へこまされたら、次は相手が二度と立ち直れない程、完膚なきまでに叩き伏せて来られたそうだ。ここまで伯仲した戦いをして見せた相手は、今回が初めてだという。
しかし……それを“よい友達”と称すのはちょっと……
「いやいや、私も昔はそういう友人と切磋琢磨したものだよ」
懐かしそうに語る執事さん。もしかしてこの人「強敵」と書いて「とも」と呼ぶ人なのだろうか……
そんな話をしている間に軽食の準備も整った。執事さんはこれを俺に預け。
「今朝の私は刀折れ矢尽き惨敗した。衛宮君の健闘を祈るよ」
と、いつもの柔らかい笑顔で物騒な事を言いながら見送ってくれた。
まぁ俺が刀折れ矢尽きすることはないだろうが……頑張ってみよう。
さて、書斎についた俺はまずテーブルとソファーを片付けて軽食の用意をした。
そして、隠戸のある本棚の前で作戦を練る。まずは一つ咳払いをして告げてみる。
「お嬢様、些か遅うございますがご昼食をお持ちいたしました」
応えはない。もちろんこの書斎の物音は下の工房にも聞こえるようになっているのだから、聞こえなかった訳ではないのだろう。集中しているか、応える気がないのか……
俺は耳を澄ます。この場所でこれだけ静かなら工房の音も少しは聞こえるはずだ。が、下から物音一つしない。ふむ、そういえば昨日からずっとだったな……俺は第三の可能性に気がつき作戦を変更、それ用の対応をすることにした。
本棚に設えられた魔法陣を露にし、大きく息を吸う。そしてそこに向かって……
「起きろー! ルヴィア! 飯だぞー!!」
ガタン!
下から明らかに椅子かなにかが倒れた音。うわぁ、ありゃきっと痛いぞ
続いて階段を駆け上がってくる音。
俺は一歩下がって用意した。
すると、爆発するような轟音とともに本棚の一部がスライドした。
「シェロ!!」
そして恐ろしく不機嫌なお姫様のご入場。
俺は慌てることなく一礼し静かに告げた。
「お嬢様、些か遅くなりましたがご昼食の用意が整いました」
「シェロ〜〜」
いつもの鈴を転がすような声音からは想像もつかない、地獄の底から響くような声。
俺は頃合だとばかりに顔を上げルヴィア嬢に言った。
「シュフランさんも心配してたぞ、朝飯も食ってないんだろ? それに……」
あえて顔を見ないように視線をそらし
「居眠りしてたろ」
「シェロ〜〜」
顔は見ていないが真っ赤になっているのはわかる。
「ほら、あんまり根詰めるからそうなるんだぞ。眠ってたのなら峠は越えたんだろ? 一服したほうが良いって」
「──────っ!」
多分凄まじい顔で睨まれているんだろうけど、起きぬけの女の子の顔をまじまじ見るわけには行かない。
ルヴィア嬢が気がついてくれるのを待つだけだ。
「五分で支度をしてきますわ、それまでに用意して待っていらっしゃい!」
覚えてらっしゃいっと小さく付け加えて、ルヴィア嬢はいったん工房に戻っていった。
俺はやれやれとばかりにお茶の用意をしてルヴィア嬢を待った。寝起きだという事を考えて大きめのカップにたっぷりのミルクティー、少し甘め。用意が整った頃、ルヴィア嬢が上がってきた。
一応従者としてざっと主の状態を確認する。髪よし、服よし、表情……ちょっとばかりご機嫌斜め、軽く口を尖らせてふんっとばかりに睨まれた。それでも怒っているわけではないようだ。
なんか……こういった女の子の表情が読める様になったってのは、喜ぶべきか悲しむべきか……ちょっと悩む。
「もう少し穏便にできませんの?」
ルヴィア嬢が不満げに俺を攻める。
「いや、執事さんが今朝の攻防で万策尽きたって言っていたんだ。だから俺流のやり方のほうがいいかなと思ってね」
俺も慣れてきたものだ、そんなルヴィア嬢の文句を執事さんを盾にあっさり躱す。
シュフランったら何でそんなことまで話すの……なんて呟くルヴィア嬢を尻目に、俺はソファーを引いて彼女を待ち受けた。
今日の彼女はあっさりとした白いブラウスにベージュのスカート、その上から白いローブを羽織るという服装
髪も動きやすいようにリボンで束ね、鼻先にちょこんとかけた遮魔眼鏡が妙に似合っていて可愛らしい。
派手好みに思われがちなルヴィア嬢であるが、外出時はともかく家ではこういった簡素で動きやすい服装を好む。もちろん素材や仕立ては極上だ。ごちゃごちゃしたアクセサリーも本当は苦手のようで、彼女の専門である宝石魔術の魔具も、宝石自体のカットや素材は見事であるが装飾は清楚なデザインが多い。
対外的な部分では豪華で煌びやかな事も存分に楽しんでいるようなので、そういった派手なことも決して嫌いではないようだが、内向きな事になると潔癖症というか、シンプルイズベストを信奉しているきらいがある。
もっとも単に魔術の研究中にごちゃごちゃした装飾が邪魔なだけなのかもしれない。
工房を覗いた時に気がついたのだが装具や魔術書、実験機材などを自分ルールで並べて立てていたように思えた。あれでは下手な飾りがついた服や装飾品ではそこいら中に引っかかってしまうだろう。
もしかしたら本質的な整理整頓が苦手なのかもしれない。
「あら、美味しい」
ルヴィア嬢は立ったままサンドイッチを一切れ咥えると、手早くローブを脱いで椅子に座った。
実にお行儀が悪い。優れた従者たるもの主人の非は正さなければならない。執事さんの真似だけど……
「行儀悪いぞ」
俺は紅茶を差し出しながら言った。
「ごめんなさいね、だってとてもお腹が空いていたんですもの」
そんな俺の諌言を軽く流し、品よく微笑みながらお茶を受け取るルヴィア嬢の口には既に二切れ目が運び込まれていた。
しかし……生粋のお貴族様ってのはこんなお行儀の悪い事を、どうしてこうも上品に出来るのだろう?
でもまぁ、言うべきことは言ったし、俺はルヴィア嬢の食事が終わるまで給仕に専念した。
「ご馳走様」
瞬く間に一斤分のサンドイッチを平らげるルヴィア嬢。実に見事な食べっぷりだった。
いや、食べる姿そのものは上品で淑やかなのだが、サンドイッチの減るスピードが尋常でなかった。なにか魔術でも使ったんだろうかってほどだ。
「また無理したんだろう、もしかして昨日から食べてなかったんじゃないか?」
俺はそんなルヴィア嬢に些か呆れながら、食後のお茶を入れ直す。言葉使いこそいつもの俺だが、所作は完璧な召使。我ながら器用なものだと思う。
「無理なんかしていませんわ、ちょっと無茶をしただけ」
「同じだろ?」
「あら? 無理と無茶は違いますわ」
「どこがさ」
「無理は苦しんでするもの、無茶は愉しんでするものですわ」
ルヴィア嬢は、判るような判らないような事を言いながら、そのまま着席を促す。俺はいつものように予め用意していた俺のカップに紅茶を注ぐと、ルヴィア嬢の向かい側に座った。
「なんて使用人なんでしょう。主人を怒鳴りつけて叩き起こした上、お茶の時間に自分のカップまで用意するなんて」
ルヴィア嬢が愉しげに微笑みながら無茶を言う。
「最初はちゃんと丁寧に呼んだぞ、それにカップを用意してなかったら怒るのはルヴィアさんだろ?」
そう、これを用意させたのは正面でにこやかに俺を甚振るルヴィア嬢だ。
最初は普通にルヴィア嬢の分だけの用意をして俺は脇に控えていたのだが、それを突っ立っていられるのは目障りだと座らされ、置物ではないのだからとお茶のお供をさせられた。挙句の果てに俺の名前入りのカップを設えさせ、忘れてこようものなら御自ら厨房まで行って取ってくる始末だ。最初は嫌がらせじゃなかろうかとも思ったが、もう慣れた。
「もう、最近は口答えばかり。あのウサギのように震えていた可愛らしいシェロは何処へ行ってしまったの?」
「男としてウサギに例えられるのはあまり嬉しくないぞ」
「それでは子猫は? 梟というのも良いですわね?」
「俺は使い魔じゃなくて一応は魔術師なんですけど……」
「あら? 「半人前の見習い」が抜けてましてよ、シェロ」
ルヴィア嬢は軽やかに微笑みながら止めを刺してくださりました。
ま、こうやって軽妙に弄ばれるのも俺の仕事のうちなんだろう。こういう軽口を利いていると、ルヴィア嬢の気持ちがどんどん軽くなるのがわかる。俺としてもこんなことで喜んでもらえるなら大変嬉しい。ただ、ちょいと気になる事がある。
「ルヴィアさん、シェロってなんだよ」
最初は少し巻き舌でシェロウだったのが、いつの間にか語尾を縮めて“シェロ”にまでなってしまった俺の呼び名。最初は気が付かなくて、ルヴィア嬢に後頭をどつかれたりもした。
流石に今はそれが俺の呼び名だってのは理解したが、納得したわけじゃない。その……さっきのウサギじゃないが可愛らしいと言うか、落ち着かない。
「あら? シェロはシェロですわ」
だがルヴィア嬢はにべもない。にっこりきっぱり、可愛らしくも麗しく一切の反論を認めず断言なさる。
「俺は士郎なんだけどなぁ……」
「日本的過ぎます」
そしてこれが理由。先ほどの可愛らしさもなしに、何処か頑ななまでにただ一言で済まされる。俺からすれば理由にもならない理由なんだが、結構これが複雑な事情らしい。
執事さんに聞いた話では、なんでもエーデルフェルト家の数代前が何かの事情で日本に渡り、現地の魔術師に卑劣で卑怯なやり方で騙し討ちに合い、非業の死を遂げたらしいのだ。それ以来、エーデルフェルト家にとって、日本、或いは日本人は鬼門なんだそうだ。事にルヴィア嬢は、その時の当事者の一人であったという祖母さんに大変可愛がられていたらしく、特にその傾向が強いらしい。
当初からルヴィア嬢の言葉の端々に窺える、日本、或いは日本人に対するどこかおかしな拘りが気になっていたのだが、これなら納得がいく
尤も、執事さん自身はその事について些か思うところがあったらしく、その事もあって俺を雇う事に決めたのだとも言っていた。
“衛宮君には、すまない事をした。だがお嬢様も、何時までも詰まらぬ因習に縛られておいでではいけないと思ってね”
そう言いながら俺に深々と頭を下げた執事さん。そりゃ黙って種にされた事は少しばかり腹も立つが、執事さんの気持ちもわかる。俺だってルヴィア嬢が、そういった過去に捕われる続ける事には賛成できない。過去の因習は切り捨てるべきでも、捕えられているべきでもなく、乗り越えるべきだと思う。
それに執事さんに寄れば、俺のお蔭でルヴィア嬢はこの因習から幾分解き放たれているらしいと言う。そういわれると嬉しいし、頑張る気にもなる。
尤も、最近では時計塔で俺同様に日本人の学生との構想が激化しているらしく、プラスマイナスの収支は若干マイナス気味らしい。
俺はそんなことをルヴィア嬢の少し固い声で確認し、もっと頑張らなきゃと心の中で頷いた。そう思えばシェロって呼ばれるくらい安いもんだ。……ん? はて、今何か引っかかったような……
「それより、シェロ。学業のほうはどうですの? 進んでいまして?」
と、そんなことを考えていたら。話題が当の時計塔。しかも俺の魔術についての話に移っていった。
「俺の場合は基礎の蓄積が少ないんでね、今ようやく知識の詰め込み終わったところかな? これからその知識を消化しながら自分のものにして行かなきゃならないけど」
「初級修了といったあたりですわね。シェロは確か専科でしたね、本科でなく」
「今のレベルでは本科には付いていけないからな。それに俺みたいに特殊な属性だと、本科より専科の方が良いだろ?」
「“剣”でしたわね? 専科で磨いてから本科で研究する道もありますし……それに魔術師としては却って面白いかもしれませんわね」
手を口元に当てて、考え込むように話すルヴィア嬢。ちなみにルヴィア嬢の属性は“五大元素”らしい。
つまり、遠坂と同じ。天才様にはかなわねぇやこん畜生! というやつである。とはいえおかしな事を言うものだ。
「魔術師なのに“剣”だぞ、そんなに面白いかな?」
「いえ、そういう意味じゃなくてよ。一つの特出した属性に特化しているという事が、面白いかもしれないといったのですわ」
魔術師の顔で、ルヴィア嬢が俺を見据えるように言った。
「魔術師の最終目標は“根源”への道。でもね、その道はとても遠いもの、そして人の才知とは限られたものですわ。なまじ広い属性ではたとえ家伝の魔術刻印の助けを借りても、学ぶべき事、突き詰める目標が多くなりすぎてしまいますの。でも、もし進む道が一つの狭い道ならば、人の限りある才知と時間でも究極の目標に届くかもしれない。そう思わなくて?」
「へぇ、じゃあルヴィアさんなんか大変なんだ。全部でしょ?」
「あら、わたくしはそうでもなくてよ。だって才能有りますもの」
にっこり微笑んで言い切った。
うわぁい! 言ってくれやがりましたよ、持てる人は。
しかし、一つ間違えれば傲慢とも思えるそんな台詞も、ことルヴィア嬢が言うと説得力があった。
傲然と己の自信と自負を込めた力強い瞳は、煌くばかりの天性の才知と、誰よりも秀でた努力する意思に裏付けられている。実績こそいまだ不足しているが、彼女ならそれさえも瞬く間に手に入れてしまうだろう。ルヴィア嬢には、そんなオーラが間違いなくある。
だが、俺も卑下するつもりはない。
一つの事を突き詰めれば凡庸な者でも究極に届く。そのことは言われなくても知っている。
あの聖杯戦争である時は共に、ある時は敵として戦った英霊達。彼らがそれを教えてくれた。
あるものは、ただ一心に一つを突き詰める事で、唯鉄の塊が宝具をこえ魔法にさえ届く事を。
あるものは、ただ一つの技を磨きぬき人の身で、唯技をもって英霊をも凌駕しうる事を。
あるものは、ただ愚直な努力を積み重ねる事で、唯人でも英霊の剣技に匹敵しうる事を。
そしてあるものは、ただ、ただ意志の力だけで世界の摂理さえも打ち破れる事を。
だから俺もあいつらの、あいつの背中を追い続けようと決めたのだ。
「怖い顔をしていますわ、シロウ」
ルヴィア嬢がえらく優しい声で、俺の名前をしっかりと“士郎”と呼んだ。どうやらちょっと考え込んでしまっていたらしい。
遠坂のことは言えないな……
「シロウは、わたくしなどに言われなくても分かっていたようですわね。安心しましたわ」
そう思いながらも俺は心の中でちょっとだけ誇らしい気持ちを抱いた。あれほど頑なに、俺の名前が日本的な響きだと断言したルヴィア嬢だが、大切な事を言う時、肝心な時に俺の事を呼ぶときだけは、完璧に日本風の発音で俺の名前を呼んでくれる。
「ルヴィアさんに褒められると、俺、増長しそうで怖いな」
「安心なさい、シェロが増長したならば完膚なきまでに叩きのめして差し上げますわ」
だがそれも一瞬。少しばかり面映い気持ちで返した俺の軽口を、ルヴィア嬢は凄まじく剣呑な顔でお笑い遊ばした。完膚なきまでに叩きのめすのが楽しみで楽しみで。今すぐにでも叩きのめして差し上げますからさっさと増長なさいってな笑顔だ。
俺は引きつる頬を抑えながら、果敢な攻勢により一定の戦果を上げた事を以て当初の目的を達成したと考え、戦略的優位を確保するために他方面に転向することにした。
つまり話題を変えて逃げ出した。
「そういえば昨日から篭りっ放しだったんだって? 周期が早くなってないか? シュフランさん心配してたぞ」
「嫌な事を思い出させますわね。シェロ……」
ルヴィア嬢はむぅーと膨れて不機嫌そうに唸った。
「大したことじゃありませんのよ。一昨日の実験でちょっぴり気分の悪いことがあっただけ。あの方、ほんの少しわたくしより上手く行ったからって『あら? レディ・ルヴィアゼリッタそんな高い宝石をお持ちなのにこの程度の成果も上げられませんの?』なんて調子で……ええ、ええ、確かにあの方は優秀ですわ。それは認めましょう……ですけどね! このまま黙って引き下るほどわたくしお人好しではありませんのよ!」
やはり日本人と言うのは、どんなに優秀でも卑劣で姑息な輩なんですのね! と憤懣やるかたないといった顔つきで腕組みするルヴィア嬢。
成程、そいつがマイナスの原因なんだな。まぁ、ルヴィア嬢とここまで競るって事は、もの凄く優秀な魔術師なんだろうけど。……はて? どこかで聞いた様な……
シェロは特別ですわね、優秀ではなくても卑劣でも姑息でもありませんもの、という貶されているんだか褒められているんだか、よくわからないルヴィア嬢の言葉を聴きながら、俺はふと一昨日の晩の事を思い出した。
その日、遠坂はえらくご機嫌で帰って来た。シャンパンでないのが残念だとか言いながらワインを買ってきて、祝杯よ! と珍しく三人で飲んだのだ。
普段はきちんと節制する遠坂なのだが、この日は珍しく度を越して真っ赤になりながら、ざまみろ金ぴか! とか言ってはしゃぎ回るのを、セイバーと二人でベットに押し込んだっけ……
……
金ぴか?
……
俺はぷんぷんむくれるルヴィア嬢をそろそろと伺った。
午後の日差しを浴びて金色に煌く髪、簡素ではあるが一見しても最高級とわかる服装。
いかにもお金持ち、いかにもお金持ってそう。
……遠坂に見せれば、きっとこう称するだろう。曰く“金ぴか”……
俺は頭の中で、今まで無意識のうちに決して組上げまいとしていたジグソーのピースがパタパタと嵌っていくのを感じた。
そういえば……遠坂も周期的に機嫌がよくなったり、工房に篭ったりしてたなぁ……
そういえば……遠坂も気に入らないやつが居るって言ってたなぁ……
そういえば……遠坂もルヴィア嬢も鉱石学科じゃなかったっけ?……
なにより……遠坂は日本人だし……
「でもこれで終わりですわ。わたくしの作品を見れば、もうぐぅの音も出ませんことよ」
喉の奥から、暗くも愉しげな声を響かせて、ルヴィア嬢は艶然と微笑んだ。
「今度こそ、あの赤い雌狐に目に物見せて差し上げますわ」
赤い雌狐かぁ……
いや、確かにあかだよなぁ
吊り目だし……きつねっていやぁきつねだよな。
あ、きつねってのも結構かわいい動物だよな、うん。
俺は引きつる頬を必死で抑えながら、現実逃避していた。
きんのけもの が好評だったので半分くらい出来上がったのを一気に書き上げたのがこちらの作品。
ルヴィア嬢に「固有結界」と「執事度」以外で士郎君のなにかに目をつけさせたかったと言うのが書き始めた動機でした。
二人がお互いに名前を知らない状態での対面まで持っていく理屈の構築に苦労しました。
普段着ルヴィアもお気に入り。一応眼鏡ッ娘風味。
by dain
2004/3/4初稿
2005/11/2改稿