「シオン・エルトナム・アトラシア。私との直接面談を申告した理由を問う」
いつにも増して渋い顔で、学長は私に向かって口を開いた。
此処はアトラス院の学長室。この学長同様、常に荘厳で厳粛であるにもかかわらず、虚ろで空疎な場所だ。
当然だろう。此処はいわば、錬金術師が生きたまま葬られる霊廟なのだ。
「先日申告した、シュヴァルツヴァルトへの遠征について御話があります」
「それは却下した」
「理由が明記されていませんでした。説明を求めます」
「説明の必要は認めない」
にべも無い。渋面のまま、学長は一切の説明を拒否した。
「了解しました。では私
尤もこれは予想されていた回答だった。だが、手順と言うものがある。蓄積と計測の院。全ての事項に明確な回答を出し、その正当性が当然と認められている此処アトラスと言えども、人の作った組織である以上、動くには手順が要る。
とまれ、これで手順
「待ちなさい。シオン・エルトナム・アトラシア」
そこに、学長から声が掛かった。これは些か予想外だ。この段階で説明を受けられるであろう可能性は、無かったとは言わないが一桁台にすぎなかったはず。
私は若干の驚きを感じながらも、再び学長と正対した。
「本日ただ今より、本件に関してアトラシアの特使としての権利
「学長!」
学長の言葉に、今度は本当に驚愕した。一度与えられたアトラシアの権限が制限されるとは……
嘗てのように私が学院から離反したのならともかく、この様に何の理由も、説明もなしに権限を制限された前例は無い。これは、全くの計算外
「以上だ、退出を許可する」
そのまま学長は渋面のまま、何事も無かったかのように振舞う。だが、私としてもこのような不可解な計算外
ぎんのおに | |
「白銀の戦鬼」 | −Wilhelmina− 第三話 前編 |
Legion |
「説明を要求します」
「本件についてアトラスに関わりは無く、又、シュトラウス並びに倫敦本部
「しかしながら、本件は第二級設問
考慮済みだ。だからこそ独自の行動を起こすつもりだったのだ。それに、これはアトラシアの権限を制限する理由にはならない。
「……シュヴァルツヴァルトは第一級危険地帯だ。第一級設問
「それは二年前までです。二年前のアインナッシュ討伐事件後に、危険地帯認定は解除されたはずです」
「あくまでも停止状況
「……」
三日前、私が今回の申請を提出した後だ。学長は……何かを隠している……
「了解しました。アトラシアとして、学長の判断に従います」
「了解を受諾する。本件については合意のあったものとして記録に止める。退出するように」
私は怪しまれぬようにきちんと答礼をし、学長室を辞した。この部屋での言葉は重い。私はアトラシアとして学長と約束したのだ。アトラスの錬金術師は嘘をつけない、口約束であっても正式な契約となる。だが、
「シオン・エルトナム・ソカリスとしては別の話です……」
私は急ぎ自室に戻る事にした。早急に準備をしなければ。
「なに事ですか?」
男は上司の部屋に入った途端、思わず声を出してしまった。
無論、そこに感情は込められていない。とはいえ、いきなりこのような事を口にした事自体が、驚きと言う感情の発露そのものであると言って良かった。
だが、男はアトラスの錬金術師、驚きながらも別の思考は素早く室内を観測していた。
部屋中の棚や引出しが残らずひっくり返され、荷物や道具がごった返した部屋。彼の上司はその部屋の隅で、珍しくも私服に着替えて、大きな鞄に荷物を詰め込んでいる最中だった。
同時に、その観測をもう一つの思考が解析する。
出鱈目に引っ掻き回されているように見えるが、アトラスの錬金術師に出鱈目は存在しない。丁度、巣箱の中の蜜蜂のように一見出鱈目に見えても、そこには明確な法則が存在した。後片付けをするという要素を除去し、火急速やかに旅行、又は調査の準備を整える。
彼の上司の行動は、その点に立脚した実に効率的な行動だった。
「本日より四日間休暇をとります。観光旅行に出かけるつもりです」
その間僅かに数秒、素早く気を取り直した男に、上司の応えが返ってくる。勿論手は休めていないし、顔を向けてきているわけでもない。とはいえ、この言葉は再び男を驚愕させた。アトラスの錬金術師が、休暇はともかく観光旅行?
「許可は取ってあります。デスクの上に貴方への委任状と許可証があります。目を通してください」
情報が必要だ、男は取り急ぎデスクの上に置かれた書類に目を通した。一通はアトラシアから特務補佐官への不在中の代理権限の委任状。そしてもう一通は確かに、第二級の旅行許可証。だが、
「……継下
その宛名はシオン・エルトナム・ソカリスとあった。
「急いでいます。質問は手短に」
男は素早く得られた状況から蓋然性の高い解を算出した。
情報の蓄積を旨とするアトラスでは記録は破棄されない。例えば院生の権限が上昇しても、上書きではなく別個に追加条項の記載された資料が作成され、添付と言う形で其々が生きたまま保管される。
通常は名前が同一である為、さほど問題は無いが、これが学長とアトラシアに関してだけは些か違う。
アトラシアの名を冠するという名称の変更がある為、改めて一からの記録が作リ直されるのだ。だが、それでも以前の記録は破棄されない。つまり、アトラシアになったものは二つの籍を持つ事になる。
尤もアトラシアとしての権限や権利は、通常の院生や教官の比では無い、古い籍など誰も見向きもしないものなのだが、それをあえて使うという事は……
「今回の事項について、学長の裁可は得られなかったのですね?」
「……アトラシアとして本件に関わらぬ事を約束させられました」
やはり。しかし疑問はある。
「本件に関して、アトラシアの裁量範囲であると理解していましたが」
「三日前、シュヴァルツヴァルトを第一級危険地帯に再認定したと伝えられました。因って私の権利は停止されたとの事です」
漸く上司は手を止めた。男の顔から、全て説明せねば動かぬとの解を得たからだ。
「学長は何か隠し事をしています。その究明の為にも行く必要が生じました」
「危険です」
上司が向かおうとしているのは、シュヴァルツヴァルトにあるフェルトシュタットという廃僧院。理由はこの上司の専門の研究“吸血鬼化治療”の為の情報収集だ。
ここ数年の経緯から、どうやら吸血種が潜伏していると推測されたこの僧院に、独逸の一風変わった学閥であるシュトラウスが探索に向かう。この情報を得たアトラシアは、それに参加すべく学長に許可を求めていた。
「“タタリ”の件を考慮したのではないでしょうか?」
この地では十九世紀における市民革命の混乱期に“タタリ”と称される強大な死徒
「ありえません、タタリは根絶しました。消失ではなく根絶です」
上司はそれに立ち会ったのだと、その報告は学長にもなされていると言う。
「ではシュヴァルツヴァルト自体では? アインナッシュは確かに第一級危険地帯です」
五十年周期で現れる、直系約五十キロに及ぶ吸血樹の森。動き回り、通り道の血を悉
「其方も、二年前を最後に危険は消失したと考えて良いでしょう。第一、二年前はアトラスからも派遣がありました。アトラシアの権限を停止してまで禁じる根拠にはなりません」
教会に二十七祖と称された最凶の死徒達。そのうち二体が関わった土地、確かに第一級危険地帯に認定されてもおかしくない。
だが、彼の上司はそのどちらもが既に無いと断定している。上司の瞳に嘘は無い。しかもこれは式で得られた解でなく、観測から得られた厳然たる事実だといっている。
「では、何故今更その場所に吸血種が?」
「それを調査する為にも赴く必要があるのです」
式を組むには変数が多すぎ、情報も不足し過ぎていると言うのだ。しかも、今回の学長との会談でアトラスとしてもあの場所に、上司の知らぬ秘密がある事が類推された。
「ですがやはり危険性が高すぎます。シオン・エルトナム・ソカリスではアトラスからの援助は不可能。シュトラウスとて受け入れるかどうか……」
「その二点については既に考慮しました。問題ありません」
上司は、単独で援助なしの行動は慣れていると、自嘲気味に呟く。
「更に今回の責任者、シュトラウスのヴィルヘルミナ上級指揮官は、このような出鱈目を好んで受け入れるところがあります。今回はそれが幸いするでしょう」
「ですが……」
アトラスが、男の上司が現在行っている改革、開放政策において協会側の受皿は確かにシュトラウスだ。だが、なぜかその担当者と上司は仲が悪い。信じがたい事だが、理論ではなく感情として折り合いが付かないようなのだ。
尤も、感情的といってもお互い理屈が通っていれば、交渉として成立するが故に今までは問題が無かったが、このような危険性の高い行動で、感情のような不確定要素まで考慮に入れねばならない状況は、些か、否、かなり心配であった。
「誤差の範囲内です。それに……」
だが、上司は頑と譲らない。まるで男に見せ付けるようにピルケースからカプセルを取り出すと、一切の表情を消し口に含んだ。
「私の場合は……仲が悪い方が良いのです」
「継下
そこまで言うと、上司はもはや説明は終ったとばかりに荷造りを再開した。
「三日、遅くとも四日後には帰ります。それまでの差配は任せました」
黙って見守る男を余所に、荷造りを終えた上司はそれだけを告げると、大きな荷物を手に部屋を後する。男はその背中を見送りながらアトラスの錬金術師にあるまじき事をした。上司の無事を祈ったのだ。
だが、男の上司はその四日が過ぎてもこの部屋に戻ってはこなかった。
「申し訳ありません。本日より暫くの間はこの身分証では入館出来ません」
「へ?」
倫敦郊外、シュトラウスの工房入口で、俺は呆然と立ち尽くしてしまった。
今日は、独逸に帰っていたミーナさんが帰国する日の筈。だからこうして挨拶方々尋ねてみたのだが、俺はどうやら門前払いを食らってしまったようだ。
尤も、まったくの不意打ちというわけではない。実のところ撮影所に入った時からどうも様子がおかしかった。
各所に立つ“シュトラウス”の守衛さん達は、普段の倍近い数が居る上に、制服は同じだが皆知らない顔。装備だって、どこか物々しかった。この工房入口の守衛にしても、いつもの人と違い見覚えが無い。
「ミーナさんは帰って来てるのかな?」
「お応えしかねます」
「それじゃ、何時になったら入れるんだ?」
「期限については未定です」
何を聞いても取り付く島が無い。やはり変だ。俺は暫く守衛と押し問答を繰り広げたすえ、ここは一旦引き下がる事にした。
――主よ、気付かれたか。
「ああ、周りにかなりの数が潜んでたな……」
撮影所から出ると同時に舞い降りてきたランスの思考に、俺は呟くような小声で応えた。
制服の守衛だけじゃない。役者に扮した、スタッフに扮した知らない魔術師たち。次に何をするにしろ、あそこまで厳重に警戒されては今は下がるしかない。しかし、本当になにがあったんだろう?
「……ミーナさんどうしちゃったんだろう」
かなり物騒な状況である事はわかるが、それ以外はさっぱりだ。撮影所を後に家に帰る道すがら、思わず愚痴が零れてしまう。
――あ奴ら、ゲルマン
それに応えるように、空を舞うランスから再び声が降ってきた。
確かに、それには俺も気が付いていた。見知らぬ守衛達、英語で会話していたが、発音に癖があったのだ。ミーナさん始め、俺の知っているシュトラウスのスタッフは皆どこか似たような発音だったが、それに比べても遥かにきつい独逸語訛りだった。
「ってことはだ。あれってミーナさんの本国の人っぽいな」
シュトラウスの実戦部隊が撮影所入りして、今まで居た皆が居ないって……なんかとんでもない大事っぽいな。
――ふむ……魔女殿に尋ねてみたらどうかな?
「そうだな、遠坂なら何か知ってるかもしれないな」
ミーナさんも時計塔の学生だ。遠坂は今時計塔に居るから、そっちなら何か情報があるかもしれない。俺は家に向かうコースを変更し、大英博物館へ向かおう……
「どわぁ!」
と、思ったところに、いきなり真っ赤なスポーツカーが突っ込んできた。ちょっと待て、ここは歩道だぞ!
「やあ、シローこんなとこで会うなんて奇遇だね」
「奇遇じゃない、馬鹿! 危うく死ぬとこだったぞ!」
ジュリオだ。助手席のドアを開け、それこそ朝の挨拶並みの気軽さで、殺人未遂をさらっと流しやがる。
「まあ、立ち話もなんだし、乗った乗った」
「あのなあ、俺は今いそが……」
しいと言おうとして、ジュリオの目に気が付いた。いつもと変わらぬおちゃらけ笑いを浮かべている癖に、目だけは油断なく周囲をうかがっている。
「わかった。でも俺は男だぞ」
「たまには男同士のドライブも良いもんさ」
何がどういう事なのかはわからない。ただ、このおかしな状況が、シュトラウスの工房を訪ねてから、ずっと続いている奇妙な出来事と関連がある。そういう直感だけはあった。
だから俺は、頷いてジュリオの車に同乗する事にした。なんにせよ、今は情報が欲しかった。
「で? どういうことなんだ?」
文句を言うランスを座席後のラゲッジスペースに叩き込み、俺は車を再び車道に戻したジュリオに尋ねた。文句を言うなランス、こいつはツーシーターなんだから。
「慌てない、慌てない。まずは後の酢キャベツ
だが、いつにもまして陽気なジュリオは、楽しそうに笑いながらルームミラー脇の小鏡を調整すると、しっかり捕まってな、と言うが早いが徐にアクセルを踏み込んだ。
「どわぁ!」
倫敦市内をいきなり猛スピードで駆け回りだしたジュリオの車。左側通行のルールもなんのその、行きかう車を歩行者を、それこそ紙一重で躱しながら右に左に巧みに縫い進み、大通りから脇道小道を爆走する。
「ジュリオ! 今、ミラー擦ったぞ!」
「男が細かいこと気にしない、ひゃっほー!」
駄目だ、こいつはハンドルハッピーだ。
天を仰ぐついでにミラーを覗き見ると、こんな無茶な運転だってのに、それでも喰らい付いてくる車が二台。パトカーってわけでもないようだ。パトカーならさっき道路わきで何台か重なってたし……
「いやいや、結構頑張るね。それじゃ、これで!」
そういやさっきドイツッぽとか言ってたな、などと考えている俺を余所に、楽しそうに雄叫びを上げたかと思うと、ジュリオはそのままいきなりユーターンして一直線にタワーブリッジに向けて突進する。
って、おい! ちょっと待て!
「ジュ、ジュリオ! 橋が上がってる」
「だから来たのさ、いっけー!!」
目の前を見て俺は絶句する。丁度船の通る時刻だったのだろう、車が進む先でタワーブリッジが上がり始めているのだ。
だが、ジュリオはぐんぐん角度を上げる橋に向かって躊躇なくアクセルを全開にぶち込む。歯を食いしばりながら僅かに視線をミラーに向けると、後ろの車はまだついてきてる。
そうか、こいつで振り切る気だな。少しだけ冷静になる。成程、これなら……
―― 滑!――
……跳べる。そう思った瞬間。ジュリオはいきなりハンドルを切り、車を横滑り
「うわぁぁぁぁ!」
案の定、車は橋の先端から、止まりきれずに横向きのまま滑る落ちる。下はテームズ川、高さは二十メートルちょっとってとこか……
「ジュリオ。お前、重力制御の呪なんか使えたっけ?」
俺は一瞬だけ停止し、そのまま川へ向かってダイブを始めた車の中で聞いてみた。
「いや、使えないよ」
「じゃあ、この車が水上走行できるとか」
「ははは、シローは映画の見すぎだよ」
「じゃ、どうなんだよ!」
「川に落ちるさ」
ジュリオの言葉どおり、俺たちは車ごと川に落ちた。
「そろそろ、説明してくれるんだろうな?」
「ああ、もう良いね。どっから話す?」
「最初から、全部だ!」
テームズ川を下るタグボートの中で、俺は毛布に包まりながらジュリオを怒鳴りつけた。
あの直後、川に沈んだ車は、このボートの腹に引き揚げられたのだ。
「衛宮君
俺は、主任さんからブランデー入りの紅茶を受け取って、ジュリオを睨みつけながら応えを待つ。
当然、腹に気密室付きの穴の開いたようなタグボートが、普通のタグボートのはずがない。シュトラウスの特務船だ。
乗っていたのは、今、俺たちに紅茶を渡してくれたシュトラウスの剣製主任さん以下、数人の職人さん達。この数人だけが、シュトラウスの工房が本国の連中に封鎖された時、たまたま外に出ていた為、拘束されるのを免れたのだと言う。
「ミーナさんが行方不明
「そ、それがまず一つ目さ」
「どうして、それがシュトラウスの工房の閉鎖と繋がるんだ?」
当然探し出して、助けに行かなきゃならない状況じゃないか。それなのに、皆を閉じ込めるなんてどう考えてもおかしい。話が逆じゃないか。
「まあ、落ち着けよ、シロー。一つ目って言ったろ?」
「うちの御嬢が先週、独逸に帰ったのは知ってな?」
ジュリオだけでは埒が明かないと口を開いた主任さんの話によると、ミーナさんは独逸へ仕事の為に帰ったらしい。
なんでも地元にある古い僧院に吸血鬼が出たとかいう事で、その調査の為に出向いたらしいのだが。
「そこで?」
「そう、シュトラウスの部隊は壊滅的な打撃を受けて撤退、姫親方は行方不明ってわけさ」
「壊滅って……」
「予備調査の十名ほどの先遣隊を率いて御嬢が向かったのだが……」
半数ほどは撤収できたが、残りの半数の中にミーナさんが居たらしい。
「で? 救出は?」
そういうことなら本隊が居たはず。何故直ぐ行かないんだ? もしかしてそっちも……
「姫親方一人だったらよかったんだけどね……」
「御嬢にはアトラス院のアトラシアが同行していたのだよ。同様に現在行方不明
なんでさと言う俺に、ジュリオも主任さんも難しい顔で唸るように応えた。
「だったら尚更だ。なんでさ? 三大学院の一つの跡取りなんだろ? 助けに行かないなんておかしいじゃないか」
アトラスのアトラシアになら、前に二度ほど会った事がある、確か、シオンさんって言ったっけ。機械みたいなところがあったけど、それでもミーナさんと意地の張り合いをするような、物騒ながらもどこか可愛らしい所のある女性だった。
「事はそう単純ではないんだよ、衛宮君
渋面を作りながら話す主任さんの説明によると、蓄積と計測の院アトラスというのは、本来このように表に出る存在ではなかったのだという。
エジプトの地下の穴倉に篭もり、永劫に兵器を造っては毀り、毀っては造り続ける自己完結した存在。決して己から表に顔を出ず、唯ひたすら溜め込み測り続けるなんとも陰気な連中だったらしい。
それをここ数年で、大きく変えたのがシオンさんだったという。次期後継者
「つまり当代のアトラシアがここ数年、表に出ていたアトラスそのものだというわけだ」
「ですが実際は、継下
主任さんの話がそこまで進んだ時に、戸口から新たな声が加わって来た。
話の腰を折られたせいか、はたまた他に理由があるのか。主任さんが睨みつけているのは、灰色に近い紫のどこか制服じみた服を着た男、知らない顔だがどうやらアトラスの人らしい。
いや、まて、そうでも無いな、どこか見覚えがある。何処だっけ? ……ああ、そうだ思い出した、バースでシオンさんに付き従っていた男だ。
「そこから先は、当方で説明しましょう」
男は、自分はシオンさんの特務補佐官だと自己紹介しながら、俺たちの前まで進んできた。
「アトラス院はアトラシアに対する全ての行動は、アトラスそのものへの干渉と判断すると宣言しました。それに対して協会は、触らぬ神に祟り無しを決め込んだというわけです」
“アトラスの封を解くな。世界を七度滅ぼすぞ” 協会に伝わる警句だ。
アトラシアが居ないアトラスは古いアトラス。それ故、下手に動かないように倫敦のシュトラウスにも、本国から釘が刺されたのだろう、と続ける。
「継下
「つまり、見殺しにするってのか?」
ここまで聞けば俺にでも分かる。今までの伝統に反した改革を推し進める後継者、又も強引に押し通ろうとした矢先の失踪。その期に乗じて反動勢力が攻勢に出たと言うわけだ。
人の歴史ではよくあった出来事。神秘と理性を旨とする魔術師も、組織となれば普通の人と同じと言うわけだ。いや、過去を尊しとする魔術の世界だ、反動はより強いものになるのだろう。
「アトラス院はそのつもりでしょう」
補佐官って奴の冷静な声に思い切り腹が立った。そんな事に巻き込まれたこっちは溜まったもんじゃないだぞ! 道連れにされたミーナさんはどうなるんだ!?
だが、同時に溜息も漏れる。ミーナさんの事だから、そんな面倒な事になるって承知の上で“面白そうだから”とか言って、シオンさんの参加を受けたんだろうな。
「それで、どうなのさ?」
「どうなのかとは?」
「あんただ、あんたも自分の上司を見捨てるつもりなのか?」
俺は敢えて、思い切り殺気をこめて睨みつけながら聞いてやった。
アトラスの錬金術師ってのは穴倉篭りが習い性だって事だ。なら、その錬金術師がわざわざこんな所まで、学院の目を盗んでやってきたって事は、この男は何とか自分の上司を助け出したいと思ってるって事になる。
だが、それを俺の口から言うわけにはいかない。こっちが迷惑を被ったんだ向こうから言わすべきだ。俺にだってこれくらいの駆け引きは出来る。
「無論、救出に向かいます。その為の協力者を募るべく来たのですから」
だが俺が勢い込んだわりに、男は気の抜けるほどあっさりとその事を認めた。
自分も非公式である為、アトラスの技術をこぞってと言うわけにはいかないが、それでも出来る限りの援助は惜しまないと一気に言ってのける。何だろう、まるで交渉の時間を惜しんでるかのような急ぎぶりだ。
「わかったそういうことならこっちだって同じだ。そうだろ、主任さん」
「ああ、勿論。こっちも出来る事は限られているがな」
それでも、こっそり隠匿してある員数外の装備を根こそぎにして手伝うと、口の端を引き上げ片目を瞑って言う。なんでも、ミーナさんさえも知らないへそくりを英国のそこかしこに隠してあるのだそうだ。さすが第一線の実践部隊
「よし、じゃあ遠坂やルヴィアさんにも話して……」
組織に頼らずやってやろう。遠坂やルヴィア嬢だって、ミーナさんの危機と知れば動いてくれる。そうすればセイバーやオーウェンも加わる。戦力としては十分だ。
「あ、シロー。残念だけど、そっちはちょっと無理だと思うよ」
と、そんな俺にジュリオが肩を竦めて水を差す。
「なんでさ?」
「さっき言ったろ? 時計塔はだんまりだって。招集がかかってね、主だった魔術師の中で姫親方を自力でも救い出そうなんて酔狂な事考えそうな連中は、残らず抑えられちゃったんだ」
だから、シローを街中でとっ捕まえてここへ連れてきたんだよ、と言う。
「ちょっと待て、じゃ、遠坂やルヴィアさんは……」
「そ、現在時計塔
くそっ、考えてみれば遠坂やルヴィア嬢は協会員の上、一応教官でさえある。時計塔が知らん振りをする以上、真っ先に抑えられるのは当然だ。
「拘束されてるわけじゃないらしいから、そっちの心配は要らないよ。なんか篭もりっきりになるような面倒な作業をやらされてるみたいだね」
ただし厳重な監視つき、勝手に抜ければ厳罰の対象となっては動くに動けないようだ。
「だったらそっちも何とかしなくちゃ!」
ふざけた話だ。なんか本気で腹が立ってきた。
「落ち着けよ、シロー。麗下もいるんだよ? その気になったらいつでも抜け出せるさ。なのに出てこないんだから」
「……なんか考えてるってのか?」
「少なくとも僕の知っている姫君や妃閣下ならそうだろうね」
確かに、あの二人がこういうやり方で頭を抑えられて黙っているわけが無い、何らかの手を打つつもりだろう。だが……
「待ってるわけにも行かないって事か」
「はい、火急速やかに継下
「御嬢もだ」
補佐官の言葉に主任さんも言葉を重ねる。なんか微妙な雰囲気だ。ミーナさんとシオンさんもそうだったが、どうもシュトラウスとアトラスは仲が良くないみたいだな。
ともかく、こうして俺はアトラス・シュトラウスの逸れ者連合と共に、行方不明になったミーナさんとシオンさんの救出作戦に乗り出す事になった。待っててくれ、今行くからな。
「…………」
目覚めと同時に鈍い痛みが頭部を襲う、素早く全身を走査した知覚からの回答は、打撲と小さな切り傷が数箇所、頭部に損傷はない。問題なし。この頭痛は別の原因によるものだ、その原因は熟知している。私は胸に手を当てた。
ピルケースは無事、ただし残りは後一錠。今使用した場合と、現状をギリギリまで耐えた上で使用した場合を素早く比較検討し、私は即座に使用する事に決めた。
「四時間十二分二十六秒前に両者意識を喪失、一時間二十一分三十秒前にヴィルヘルミナ・シュトラウスの意識が回復し現在に至る。ってとこですね」
と、カプセルを口に含んだところで横から水筒が突き出されてきた。
シュトラウスの上級指揮官、ヴィルヘルミナ・フォン・シュトラウスだ。成程、彼女も一緒だったのか。
「正確な情報を感謝します」
水筒を受け取り、私は手首のクロノグラフと彼女から得た情報を付き合わせ、一口だけ水を飲んでから応えた。
「ですが、一時間以上前に目覚めていたのならば、何故その際に起こしてくれなかったのですか?」
「寝顔をみてたからって言ったら怒ります?」
「怒るより呆れます」
間髪容れず返ってきた声に、私も間髪容れずに応える。
「これほど正確に時刻を測定していながら、そこまで無意味な行為を行うとは、この出鱈目さがシュトラウスとでも言うのでしょうか?」
又だ、又乗ってしまった。
明らかにふざけた挑発。ヴィルヘルミナが本当に私の顔を見る為だけに時間を潰していたわけがない。だというのに、私は彼女が本気でその為だけに時間を潰していたと、恐ろしく可能性の低い事象を前提に解を出し、しかもわざわざ口にしてしまう。
「はいはい、目を覚ましてから、周りの状況の探索と結界による安全の確保を行っていました。貴女を起こさなかったのは、それを行うのは一人で十分だという判断と、負傷もしていないようだし、休息を交代で取る為の体内時間の調整を行っておこうという判断です。でも、これって口にしちゃうとなんかつまらないでしょ?」
「理由は理解しました。ですが、詰るつまらないは関係ありません。虚偽の情報は正確な計算式を構成する障害になります。間違った解は、わからない事よりも悪しき物です」
相手の言った事、言わせた事、それに自分の答え。何故かどれもこれも無性に腹が立つ。皆、目の前の暢気な顔をした女性が悪いような気さえする。
そんなはずが無い事は百も承知だ。この暢気な顔も仮面。この女性は優秀な魔術師で高度な訓練を受け、それを十全と発揮できるシュトラウスの正嫡“魔術師最強の魔術使い”なのだ。それは、以前からの数度の接触でも、この危機に陥った時の出来事でも確認できているはずなのだ。
私は、いらだった気持ちを落ち着かせるために記憶の再走査
独逸のシュヴァルツヴァルトの一角にある、フェルトシュタット廃僧院。そこに吸血種の噂が立ち、シュトラウスの一党がその調査に向かう事を聞いた私が、それに同行したのは三日前の事だ。
アトラスのアトラシアとしてとは別に、私にとって吸血鬼化治療はまさにライフワークともいうべき研究。当初、今回の参加はその為の吸血種の解析調査以上の意味は無かった。
それが、アトラス院での学長自らの制止で方向性が若干変化していった。二体の祖が関わった地での吸血種調査の大切さは無論だが、それ以上に、此処に隠されていると類推されるアトラスの秘事の解明に焦点が移っていったのだ。
予想通り指揮官はこのヴィルヘルミナ。私としては出来得る限り、感情的にならずに接するつもりであったのだが、結局予想に反して感情的な関係をより深めることになってしまった。
とはいえ私達は二人とも、一つの組織を主導すべき資質を認められた者だ、仕事に私情は持ち込まない。吸血種が死徒である事を想定して、数日かけて昼間に限定し行った僧院地上部分の調査は恙無く進める事が出来た。
「居ますね」
「はい、ですが人型の吸血種ではないようです」
だが結果は“灰色
「どうします? 今からこの僧院の地下に先遣隊を送りますが」
元々の私の研究が、吸血鬼化治療である事は伝えてある。ならば此処に居るのが吸血鬼でない吸血種であるならば、私はこれ以上この件に関わる必要が無いのでは、と言う事だ。
「同道します」
だが、例え此処に吸血鬼どころか吸血種が存在しなくとも、私には探求を続ける必然性がある。シュトラウスに伝えてはいないが、学長が隠したがっていたもの、それは間違いなく此処にあるはずなのだ。
私はヴィルへルミナの指揮する少数の先遣隊に加わり、僧院の地下へ潜る事にした。
―― 鈍!――
「上級指揮官!」
「撤退しなさい!」
だが地下に現れた相手は全く予想外の相手だった。地下の土壌を泳ぐように移動する、質量型の巨大生物。鋭い牙の生えたニシキヘビのような舌を持ちアフリカ象程もある三体の巨大な芋虫に、私とヴィルヘルミナは出入り口と後続の部隊から分断されてしまった。
「私も撤退を推奨します。あなた方の装備ではグラボイドに歯が立たない」
重金属のレベルまで硬化した巨大な頭部で、質量攻撃を仕掛けて来る相手に、対人兵装しか持たない偵察部隊
「アトラシア、協力していただけます?」
「エーテライトならあの怪物には効果ありません」
後続部隊が何とか逃げ切ったのを確認して、ヴィルヘルミナが声をかけてきた。
残念ながら、エーテライトでは神経組織から独立したあの硬い皮膚を貫けない、摂取と排泄を同時に行う口も消化液が強力すぎ、擬似神経は粘膜と融合する前に溶かされてしまう。
「エーテライトを借りるの確かですけど、直接あれをどうこうってわけじゃないですよ」
ヴィルヘルミナは今までの戦いでずたずたに引き裂かれたコートを指し示し、要求を口にした。コートから零れ落ち、部屋中に散らばされた魔具と物理リンクをして欲しいというのだ。
「呆れました、貴女はエーテライトを点火線に使おうというのですか」
「ええ、要所に配置した石には私の血が付着してます。エーテライトならそこからデータを引き出せますよ」
その情報を元に、繋いだ魔具の魔力を一斉に解放して地下室を粉砕。上の僧院の質量で、この怪物たちを押しつぶそうというのだ。
「第一それでは私達までつぶれてしまう。カミカゼは理性的ではありません」
「魔具の位置と威力、それに此処の構造がわかっていれば、壊れ方も計算できるじゃありませんか。それとも……出来ないんですか?」
「造作もありません」
あからさまな挑発に私は乗ってしまった。ヴィルヘルミナと共に、突進してくる怪物を躱し、避け、受け流しながら、私はエーテライトを飛ばし彼女の置いた魔具に繋ぐ。成程、確かに彼女の血は特殊な血のようだ。心理的に若干の抵抗はあったものの、私はそこからデジタルに近い形で情報を引き出す事が出来た。
その情報を元に、私は魔具の位置を威力を、そしてこの地下室の構造を把握し計算式を立てる。
「解を得ました」
「じゃとっとと始めてください」
「了解」
計算式は正しかった。この場所を後日掘り返す事を前提に、必要最低限の爆発で、基礎を残し上の僧院は崩さずに天井部分の石だけで地下室を埋める。当然、私達の立ち位置は無事――
「きゃ!」
「な!」
――のはずだった。
あの怪物たちの断末魔は私の計算を超えて床を弱体化させていたと言うことだろうか。私達はいきなり割れ崩れた床に、意識ごと飲み込まれてしまった。
ぎんのおに。 ミーナさんよりもシオンさん中心のお話になってしまいました。
錬金術師vs贋金造り、勝負師vsイカサマ師。それを通じてシオンが見たミーナという構造をとってみました。
無論、シオンが書きたかったってのもあるんですが、私のシオンはスタンダードじゃありませんので、その点はお含み置きください。
それでは後編、ちょっとした挿話も含めてのお話をお楽しみください。
By dain
2004/12/15 初稿