信頼してくれた。だがそうは言っても、何度も心配そうに振り返りながらピラミッドを登るシロウの後姿に苦笑しながら、私はゆっくりと振り返った。
眼下には雲霞の如き木乃伊の軍勢。隊伍を組み、ゆっくりと、物理的な重圧さえ伴った兵気を漂わせ、私に向かって進んでくる。

「……」

息する度に、心臓が鼓動する度に全身に満ちる魔力を味わいながら、私は思わず口の端に笑みを浮かべていた。
懐かしい。嘗て王と呼ばれていた時代。私は何度このような光景を目にしてきたろうか。
治世の後半、自分に対する確信が揺らいでからは苦痛に過ぎなかった戦場も、理想を正義を、そして未来を信じていた頃には、このような高揚を覚えていたものだ。
私は感謝した。今の私は再び未来を信じられるようになっている。

「壮観ですな、敵は万余、味方は二人。やれやれ、なんとも厄介な話だ」

と、後から声が掛かってきた。
これもまた懐かしい。あの戦いの日々でも、ランスはいつだってこういった軽口で戦場に挑んでいた。

「不敗の騎士が何を言います。私と貴方が共に戦った戦場を思えば、この程度危機の内にも入らないのではありませんか?」

「されどその不敗の騎士も、今はただの鴉の身」

相変わらずの気障な韜晦ぶりだ。私はそんなランスに苦笑しながら言葉を投げかけた。
この神秘の中、今の私がただの現界した英霊でないように、ランスとてただの鴉とは言わせない。

「ですが、その魂は未だ英霊のまま。ランス、たまには真面目に戦って頂けないでしょうか? 私は久しぶりに“約束された勝利の騎士ラーンスロット”の戦いを見たいと思っているのですよ?」

「はは、なんとも手厳しいお言葉。王よ、それは君命ですかな?」

「いえ、乙女の願いです」

飛び切りの笑みを乗せたとどめの言葉に、ついにランスの軽口が止まった。息を呑む音さえ聞こえる。

「……それは……拒めませんなぁ……」

勝った。ついに完璧の騎士を打ち負かした。
ああ、良い気持ちだ。溜飲が下がるとはこの事か。この手はこちらに現界してから覚えたものだが、あの時代これを知っていたら、彼とはもっと違った関係を築けたろう。

「それではランス。行きます!」

「御意!」

私の合図に応え、一気に飛び出すランスの姿を横目に、私は宝具を握り締め、最初の一撃を放った。



―― 約束された勝利の剣!エ ク ス カ リ バ ー――






Fate/In Egypt
く れ な い の さ ば く
「硝砂の魔術使い」 ――EMIYA―― 第五話 後編
Heroic Phantasm





「うわぁ……すげぇ……」

轟音と閃光。背後で膨れ上がる凄まじい気配に、思わず振り返った俺は、そのまま視線を釘付けにされてしまった。
電光の速度で飛びまわる小さな蒼い影を基点に、間をおかず縦横無尽に放たれる光の奔流。木乃伊の軍団がまるで濁流に押し流される砂粒のようだ。

「……これが、セイバーの本気ですのね……」

「凄いですね……」

――Purrr……

流石のルヴィア嬢も声が無い。桜とオーウェンも加え、俺たちは全員でセイバーの戦いぶりに見惚れてしまった。
俺だってここまで凄まじいセイバーは始めて見た。エクスカリバーの乱れ打ち。まるで宝具が二本位はあるような乱舞だ。

「って、見とれてる場合じゃなかったな」

「そ、そうですね」

「先を急ぎましょう」

暫らくそのまま見とれていた俺たちだったが、ふと我に返り慌てて踵を返す。だが、これでセイバーは大丈夫。俺たちは先を急いだ。




「階段はここまでですね」

「ええ、ここからは中を通る事になりそうですわ」

ピラミッドの中腹辺りまで登った俺たちは、不気味な石像に守られた門の前で一旦足を止めた。
扉は無い、ただぽっかりと、奈落の底まで続いているような闇に包まれた通路が口を開いているだけの門。桜の言うとおり階段はここまで。ここから先は、この通路を通り抜けて行くことになるのだろう。

「よし、じゃあ……」

「先輩! 危ない!」

入ろうとしたところで、いきなり桜に押し倒された。続いて、仰向けに倒れた俺の顔の真上を何か巨大な影が通り過ぎる。

――Shyaaa!

「なっ!」

一瞬言葉に詰まった。猛禽の翼を持った獅子身の魔獣。それは良い、それならただのスフィンクス。前にも見たことがあった。だがこいつは……

――Baaaa!
―― Hr Pf Hs……
――Shyaaa!

真ん中に女顔、その両脇に羊頭と隼頭。オーウェンよりも一回りは大きい、三つ首の化物。
そいつが口々に呪詛の言葉を投げかけながら、俺たちに向かって襲い掛かってくる。

「くっ! ――同調開始トレース・オン!」

俺は上になった桜を素早く庇い、門の上に悠然と舞うスフィンクスを睨みつけながら手に弓を投影する。くそ、とにかく地面に引き摺り下ろさない事には……

―― 跳!――

「え?」

と、そのスフィンクスの真上にいきなりオーウェンが現れた。同時に門の右側の彫像が、まるで大砲の弾でも命中したように砕け散る。

――Grawww!!

――Baaa!
―― Mi m!
――Kyowaa!

そのまま踊りかかったオーウェンは、スフィンクスの背中に、翼の間あたりに爪と牙を立てると、一塊となってピラミッドの斜面に激突した。

「先輩、オーウェン君やりましたよ! 特訓の成果です!」

「な、何があったんだ?」

歓喜の声をあげる桜を腕に抱き、俺は一瞬呆気に取られてしまった。

「石像を利用したんですわ、階段を駆け上がって勢いをつけて、石像を蹴り潰す勢いで上に跳んだのです」

一部始終を見ていたらしいルヴィア嬢の言葉に、俺は粉塵となった石像を見やり感心してしまった。
……流石ジェヴォーダンの獣。前と違ってマスターのルヴィア嬢が居るとはいえ、ここでそんな大技決めるとは。

――Gaooown!

――Shww!
―― N M Tr Tw!?
――Kyee!

そのまま上になり下になり、階段を転げ落ちるように取っ組み合うオーウェンとスフィンクス。どうやら翼を奪ったようだが、あれは一種の自殺攻撃、オーウェンも無傷じゃないようだ。

「よし、今行くぞ!」

俺は桜を抱き起こしながら立ち上がると、背に差した干将を手に一歩階段を下りた。

――Gowaun!

だが、ここで羊頭の喉首に噛み付いていたオーウェンが、俺に睨みつけるような眼差しを向けると、一声吠えて押し止める。

「お前……」

人語でなくても、その目を見れば意味は取れる。
“こいつは俺の獲物だ。手を出すな!”
オーウェンはそう言っているんだ。

「行きましょう、シェロ。ここはオーウェンに任せておけば大丈夫ですわ」

隼の嘴に肉を抉られながらも、羊頭の角を圧し折り、再び喉首に噛み付くオーウェンをじっと見詰めたまま、ルヴィアさんが俺の肩に手を置いた。

「しかし……」

「オーウェン君もセイバーさんと一緒なんです。昨日は全然だったから、今日は頑張りたいんです」

僅かに躊躇した俺だったが、血みどろで戦うオーウェンから視線を逸らさず、じっと胸に手を当てて歯を食いしばる桜の言葉で決心がついた。

「オーウェン、頼んだぞ! そいつを片付けて、さっさと追いかけて来い!」

――Graw!

俺の言葉にオーウェンは、自分の血と返り血に濡れながらも、肉食獣の笑みと咆哮で応える。
まったく、かっこつけやがって。俺たちはそんなオーウェンに頷きを返すと、闇に包まれた通路に飛び込んだ。





通路にこだまする二頭の獣の咆哮を背に受け、俺たちはルヴィア嬢が紡いだ光球の灯りを頼りに、闇に包まれた通路を駆け上った。

「オーウェン君……」

「オーウェンなら大丈夫だ桜。よく聞いてみろ」

決意を決めてきたんだろうが、それでも徐々に低い唸りに変わって行くオーウェンの声に、心配そうに小さく呟く桜に、俺は出来るだけ明るく声をかけた。

「はい? ……ああ、もう羊の声が聞こえませんね」

「ああ、後は隼と女顔だ。ここまできたらオーウェンは負けたりしない」

それにあいつは男の子だ。やられっぱなしじゃ済ませられないし、何より女の子には良いところを見せたいだろう。同性として、俺にはその気持ちが良く分かる。

「シェロ、サクラ。気をつけなさい。妙な所に出ましたわ」

そのオーウェンとスフィンクスの声も聞こえなくなった頃。俺たちは通路を抜け、異臭に包まれた空洞に辿り着いた。

「……なんだここは?」

思わず顔を顰めてしまう。ルヴィア嬢の灯りを頼りに見渡しても、反対側が見えないほど広い。床に目を移せば、橋の様な細い一本の通路を除いて、一面異臭を放つタールの海に覆われている。

ギリッ……

と、俺の傍らで歯軋りの音が響いた。

「桜?」

桜だ。顔を伏せて居るので表情は見えないが、その口元は歪むほど噛み締められ、その肩は瘧にかかったように震えている。

「どうしたんだ?」

「……此処だったんです……」

「此処?」

「はい……あの子たちを生んだのは……あの虫達を狂わせたのは……此処だったんです」

そう言うと桜は、暗く燃える瞳に決意を秘め、通路ではなく、タールの海に一歩踏み出した。

―― 蠢……――

途端、タールの海が沸きかえった。
いや、違う……タールじゃない……これは……蟲だ。

「桜!」

「大丈夫ですよ、先輩。幼虫なのにこんなに歪んでしまって……辛いでしょう、苦しいでしょう。今助けてあげますからね……―――― dam atm' du mich我は 汝を 呑まん……」

足元から、徐々に蟲に集られながらも、桜は優しいといって良いほどの表情で蟲達に語りかけると、静かに呪を紡ぎ出した。

―― 陰……――

途端、闇の中に陰が漣のように広がって行く。
それに合わせて、桜に集っていた蟲達も、タールのように蠢いていた蟲達も次々に沸き立つように陰に飲まれ、漣のように揺れる桜の虫に食われていく。

「シェロ、サクラが道を付けてくれていますわ。進みましょう」

息を呑んで見守る中、静々と歩み出した桜を認め、ルヴィア嬢が小さく呟いた。

「お、おう……」

見下ろせば、桜が通り過ぎた後のタールは最早蟲の原型を止めず、ただの泥と化している。
俺とルヴィア嬢は、桜に歩調を合わすように、タールの中に一本だけ通った通路に、ゆっくりと踏み込んだ。


「桜、さあ。もう良いぞ。先に進もう」

漸くタールの池を渡りきり、新たな通路に着いたところで、俺は未だ足首までタールに浸かった桜に声をかけた。

「……」

だが、桜は動かない。それどころかこちらさえ見ずにじっと闇の奥を、俺たちが渡ってきたタールの池の中央を睨みつけている。

「桜?」

「先輩、ルヴィアさん。先に行って下さい」

微笑を浮かべ、それでも瞳に決意を込め、桜が俺に振り返った。

「わたし、こいつだけは許せない」

―― 崩沙!――

と、その言葉を合図にするように、天井からなにか大きなものがタールの池の中央に降り立った。

「なっ! なんだこいつは!?」

それをなんと形容したら良いだろうか、人ほどの大きさの蟲? 細身の身体は、黒光りする棘だらけの甲羅に覆われ、六本の足は全てが蟷螂の鎌のように禍々しく尖っている。鑿のように鋭く鶴嘴つるはしのように後方に長く伸びた頭からは巨大な顎が迫り出し、酸の様な刺激臭の漂う涎をタールの海に垂らしている。

「……略奪の女王。本当ならお日様の下で神聖な虫として生きるはずだったあの子達を幼虫のうちから歪め、狂わせ、操って、嘲ってきた。闇の蟲です」

桜は肩を震わせながらそいつを睨みつけ、搾り出すように言葉を綴った。怯えているわけじゃない。これは……

「全部こいつのせい! こいつなんです先輩。あの可哀想な虫達を歪めたのも、ここで苦しんでいる蟲達を作ったのも、全部、全部こいつなんです」

怒っているんだ。
静かで、それで居て激しい声音で、桜はおぞましい蟲の女王に、暗く燃え上がる怒りを叩きつけている。

―― 斜!――

―― 玄煌 ――

鋸のような翅を広げ、鎌のような腕を広げ威嚇してくる女王蟲に、桜は迎え撃つように陰を広げた。

―― 蠢……――

合わせる様に、桜の魔術刻印が輝き出す。
血管のように全身を覆う赤黒い闇の焔。一斉に翅を広げ、牙をむく二十一匹の刻印虫と共に、桜は、マキリの裔くろいひいろ孵化へんげした。

「先輩。先に行ってください。これはわたしの我侭なんですから」

声だけは未だ優しげなまま、桜は俺に先へ進む事を促す。

「桜……」

「大丈夫ですよ、こんな虫を食べたりしませんから」

俺の呼びかけをどう取ったのか、桜はそう言うと怖いほど綺麗に微笑み、微かに目を細め……

「こんな虫……バラバラにして、欠片残さず泥に塗りこめてやります。なんにも残してなんかやりませんから……」

暗い焔を揺らめかせながら、女王蟲を睨めつけた。

「シェロ、行きましょう」

「ルヴィアさん……」

「止めても無駄ですわ。これは桜が倒さなければならない相手ですもの」

暗く輝く女王と闇に潜む女王。二匹の女王をじっと見詰めながら、ルヴィア嬢は俺に向かって頷いた。

「大丈夫。サクラは一度乗り越えていますもの。闇に潜むものなんかには負けませんわ」

そうか、そういうことか。
俺はルヴィア嬢の瞳に浮かぶ、桜への信頼を信じることにした。

「……わかった、ルヴィアさん。桜、待ってるからな。必ず追いついて来いよ」

「はい、先輩。姉さんによろしく」

それだけはいつも通りな桜の応えを背に、俺とルヴィア嬢はピラミッドの更に奥へと走った。桜、負けるなよ。俺も信じているからな。




先輩とルヴィアさんが先に進んで行ったのを背中に感じながら。わたしはどこかほっとしていた。前に進む、自分を受け入れる。そうは決めていても、やっぱりこれからのわたしの姿を先輩には見られたくない。

―― 沙!――

「それだけですか?」

威嚇するような唸りと共に吐き出される酸を、休み無く襲い掛かってくる鎌を、陰を伸ばして防ぎながら、わたしは女王蟲に冷たい侮蔑の言葉を投げかける。
胸が悪くなるような暗い情念を燃やしながら居丈高になるのは、怖がっている証拠。他の誰がわからなくとも、わたしにはそれが痛いほどわかる。

―― 傀……儡……狂……蟲……――

威嚇が通じぬと見たのか、女王蟲は翅を震わせ低い詠唱を紡ぎ出す。
ぞわぞわと、再びタールが蠢き出す。そう……まだ居たんだ……

―― 蠢!――

「――――Du liebenKind,Komm,geh mit mir愛し 児よ 我と 共に 在らん).」

女王蟲を中心に津波のように盛り上がるタールの海。湧き出し迫る蟲群に、わたしは呪を紡いで刻印を起動する。

―― 貪!――

瞬時にわたしの回りでも陰が湧き上がる。だが、これはわたしの虫ではない。これは昨日、わたしが飲み込んだあの可哀想な虫達……

―― 狂!――

ぶつかり合う二つの蟲達。だが飢えと苦しみ、狂気の量ならわたしの虫達のほうが上だ。忽ちのうちに蟲壁を突き破り女王蟲に群がる狂虫の群。

―― 飢沙!――

とはいえ、あの虫達では女王蟲には敵わない。女王蟲は鎌で牙で嘗て自分の子であった虫達を次々に毟り潰し貪り壊していく。

「……」

陰を伝い女王蟲の憎悪が、狂気が、怨念が、妬みが、嫉みがわたしの胸いっぱいに広がる。
ああ、そうだったのか。
そんな負の感情を味わいながら、わたしは何故この蟲をここまで憎むのか、ここまでむきになるのか、その理由に思い至った。この蟲は、わたしなんだ。
狂った女王。子を貪る母、負の感情に飲み込まれた蟲。闇に染まった魂。
もしわたしがあのままで生き続けていたら、どこかで何かが違っていたら、わたしはこの蟲になっていただろう。

「だとしたら、やっぱり負けられませんね……」

蟲群を全て食い殺し、飢えと渇きと、憎悪と怨念を振りまきながら迫り来る女王蟲を前に、わたしは決意を新たにした。
さあ、始めましょう。貴女の闇がどれほど深かろうとも、闇の深さなら誰にも負けるつもりは無いんですから……




「……見えましたわ」

「ああ」

桜を後に残し、長い闇の廊下をただ、ただひた走っていた俺たちの前に、ついに陽光が差し込んできた。

「つっ……」

闇から突然の光の乱舞。壁面からの照り返しで影さえ差さぬ日差しの中、俺たちは最後の階段を登り、とうとうピラミッドの頂上、ステナトンの神殿を望むところにまで辿り着いた。

「これは……」

「ステナトン神殿、本来の姿ですわ」

目を瞬かせながら見上げた神殿は、嘗て潜った時とは装いを新たにしていた。
木乃伊からスカラベまでの前室は見事にそぎ落とされ、更に全ての壁を取り払われた神殿は。祭壇と、アヌビスの門だけが、黄金に包まれ燦然と聳え立っていた。
そしてその祭壇には……

「遠坂……」

遠坂が居た。
黄金の装身具だけで作られてファラオの正装を身に纏い、天に向かって両手を広げ挑むように見上げる遠坂が居た。

「……拙いですわね、門が顕現しかけていますわ……」

そしてその遠坂の視線の先には、祭壇中央頭上十メートルほどの空間に浮かび上がる黒々と瞬く孔。日食のように極冠を輝かせながら、徐々に徐々に広がっていこうとしていた。

「遠坂!」

「シェロ! 待って」

尤も、俺はそんなものは見ていなかった。遠坂を目にした瞬間から。ただ一直線に遠坂に向かってひた走っていた。

「――なっ!」

だが、俺は遠坂まで辿り着けなかった。
神殿の階に足を掛け、アヌビスの門を潜ろうとした瞬間。何か、見えない壁のようなものに弾き飛ばされてしまったのだ。

「くそっ! またかよ!」

「シェロ! 落ち着きなさい!」

それでももう一度、と身体をぶち当てようとした直前。俺は、何とか追いついてきたルヴィア嬢に思い切り殴られてしまった。しかも、グーで。

「る、ルヴィアさん」

「全く、考えなしに飛び込んでも、なんにもなりませんのよ! リンの言葉を忘れたのですか!」

そのまま胸倉をつかまれて吊し上げられてしまった。

「すまん、ルヴィアさん。落ち着いた。落ち着いたから落ち着いてくれ」

「ともかく、まずこれを突破しない事にはなんともなりませんわね」

漸くお互い気を取り直し、俺たちは改めてアヌビスの門を見上げた。
ただ単に二つの犬頭の神像にしか見えないが、ここを境に中は一種の結界に括られてしまっているようだ。

「っ……なんですのこれ、術式さえ読めませんわ」

しかもルヴィア嬢をしてさえ、その取っ掛かりさえ掴めないという。くそっ、どうすりゃ良い。遠坂は目の前だって言うのに……

「くそっ! そうだった……」

一対のアヌビス像。俺はそれを見上げ頭を抱えながらはたと気が付いた。俺は前にもこれと同じようなものを見たことがある。そう、こいつは形は多少違うがアヌビスの門だ。と言う事は、

「ルヴィアさん。こいつの鍵は心臓だ。ファラオに会うためには心臓を質にしなきゃいけないんだ」

昨日、アケメスの爺さんが開いたのと同じ物だ。だとしたら、今の俺たちでは、ここは通れない……

「成程、心臓でしたの。そうですわね、古代エジプトでは心臓こそが本体。そこに三魂さえも宿る以上、それが鍵と言うのは当然ですわね」

だが、俺にとっては絶望的な事であっても、ルヴィア嬢にとっては違うようだった。漸くわたくしの出番ですわね、と呟きながら顎に手をあて、どこか不敵な笑みを浮かべたまま、真っ直ぐアヌビス像の真中まで歩みを進めた。

「ルヴィアさん、何を……」

「シェロは言いましたわよね? これはファラオに会うための関門だと、心臓が手形だと」

そのままルヴィア嬢は、俺の声に応えながらポーチから宝石を一つかみ取り出すと、次々に砕きながら床に陣を敷いて行く。

「あ、ああ、そういう意味だと思う」

「では、シェロ。入るのがファラオだとしたらどうなんでしょう? ファラオなら心臓を預ける必要は無いんじゃなくて?」

「理屈はそうだろうけど……俺たちはファラオじゃ……」

あ、

それで気が付いた。そんな俺の顔を見て顎を上げ、よく出来ましたと頷くルヴィア嬢。そうか、

「そう、短い間とはいえ、わたくしもファラオの心臓でしたのよ。繋がりさえあれば、それがどんな小さなものでも、抉じ開けるのが魔術師ですわ」

つまり、ルヴィア嬢はそんな僅かな関連を強化して、ファラオの門を騙し、自分をファラオだと思わせようというのだ。幻影を十八番にするルヴィア嬢の真骨頂なのだろうが、神様まで騙して見せると言い切るルヴィア嬢の自信と気概が、今日この日ほど頼りになると思った事は無かった。

「それでは、参りますわよ。――En Garandレディ.

目の前で、遠坂の手によって始まろうとしている根源実験を見据えながら、ルヴィア嬢の施術が始まった。

「――Le songe et le reel夢幻と 真 s'y melent tous les deux此地にて 娶わん.」

呪にあわせ、昨日同様にアヌビス像の瞳に光が宿り。そこからまるで探るような光がルヴィア嬢の胸元に伸びる。

「――Voyait distinctement陰のまにまに, par l'ombre aux yeux vertsしかと 見届けられん.」

そしてルヴィア嬢もまた、昨日のアケメス師と同様に両手を広げ、磔にされたように身を固める。くそ……大丈夫なのか?

「鍵は ―― 心臓 ―― ですわ ――」

“鍵は心臓”その言葉にどこか引っ掛かりを感じながら。俺は手に汗を握った。

「――Comme moi palpiter同じ鼓動もて et vivre avec une ame同じ御霊足らん.!」

―― 解!――

ルヴィア嬢の口から、最後の呪が紡ぎ出されるのと同時に鍵が開いた。目の前にあった見えない何かが、まるで薄い膜が一枚はがれたかのように取り払われたのだ。

「やった! ルヴィア……さん!!」

思わずルヴィア嬢に声を掛けようとして、俺は言葉を失った。

「くっ……」

門は開いたって言うのに、そこではルヴィア嬢が未だアヌビス像からの光線を胸に受け、磔になったように身を硬くしていた。

「行きなさい! シェロ!」

慌てて駆け寄りかけた俺に、ルヴィア嬢から叱責の声が飛んできた。

「ルヴィアさん!?」

「ちょっと仕挫じりましたわ。騙しきれなかったみたいですの。支えていなければまた門は閉じますわ。さあ、わたくしはここで待っていますから、シェロはリンのところへ」

「で、でも……」

「時間がありませんのよ! 御覧なさい!」

ルヴィア嬢はそう言って、僅かに動く頭で、遠坂が居る祭壇を指し示した。

「くっ……」

天空を望む遠坂の頭上、徐々に広がる蝕の影。それは最早八分を越えていた。

「さあ、行きなさいシェロ。行ってリンに伝えて頂けます? 貸しにしといて差しあげますって」

額に玉の汗を浮かべながら、それでもにっこりと微笑むルヴィア嬢。俺はその気概と好意を無下には出来なかった。

「わかった、とっとと片付けてくる。そうすりゃルヴィアさんも、こんな所で立ちんぼうしてなくて良いんだろ?」

「ええ、手早くお願いしますわ」

だから、俺は努めて明るく言い切った。そうステナトンを倒して、遠坂さえ助け出せば、ルヴィア嬢がこんなところに居る必要も無い。
ルヴィア嬢の笑顔を最後の一押しに、遠坂の待つ祭壇へと歩みを進めた。




「遠坂、約束どおり帰ってきたぞ」

ミーナさんにシオンさん。セイバーに、ランスに、オーウェンに、桜に。そしてルヴィア嬢に背中を押してもらい。俺はとうとう黄金の祭壇に戻ってきた。

「また、其方か……」

その俺の視線の先で、遠坂が振り返った。
その口から何か言葉が発せられていたが、それは遠坂の言葉じゃない。だから俺はその言葉を無視した。

「約束どおり助けに来たぞ」

「間もなく門は開く。今の其方には止められぬ」

「まだ思い出していないけど、必ず思い出してみせる。だから遠坂。帰ろう」

「無駄よ、全ては無駄。滅びは必至。なのに何ゆえそれほど必死になる?」

「黙れ」

もう我慢できない。こんな奴に、これ以上遠坂の口で喋らせてはおけない。俺は遠坂ではなく、遠坂から紡ぎ出される言葉ステナトンを睨み付けた。

「遠坂の顔で、遠坂の口で、遠坂の声で、遠坂じゃないお前が喋るな!」

「相変わらずにべも無い男よ」

一瞬、鼻白んだ言葉ステナトンだったが、次に遠坂の口から紡ぎ出された言葉は、どこか懐かしげで、それで居て冷ややかな言葉だった。

「だがな、エミヤよ。お前に何が出来る?」

「お前を倒して、遠坂を返してもらう!」

俺は走った。
背の干将を右手に、左手に莫耶を投影し、一気に遠坂の前まで駆け抜けた。
そして両手の剣を真っ向から……

「良いのか? 妾を倒せばあの女も死ぬぞ?」

「くっ……」

叩きつけられなかった……
二刀の切っ先は遠坂の首と胸の前でぴたりと止まり、そこから一寸も進まなかった。いや進めなかった。
わかっていた。俺はまだ遠坂から出された宿題を解いてはいない。そうである以上、今ここでステナトンは倒せない……

「愚かな……」

「がっ!」

次の瞬間。俺は祭壇の外れまで弾き飛ばされ、階に叩きつけられた。

「惜しいな……いま妾は守りをせなんだ、あのまま心臓を一突きしていれば、妾を倒せたかもしれなんだぞ?」

あやつなら躊躇はしなかったろうに、言葉ステナトンは小さくそう呟くと、俺に興味を失ったかのように、再び天を仰ぎ門に正対した。

「ち、畜生ぉ!」

俺は、その背中を睨みつけながら立ち上がった。確かに、まだ俺は答を出していない。だが、だからと言ってここで伸びているわけにはいかない。立ち上がり、考えながら前に進まなきゃいけない。そうしなきゃ、遠坂に応えを返せない。
何か、何か手が……
俺は言葉の言葉ステナトンを睨みつけ必死で、記憶の検索を続けた。

「……っ! ――投影開始トレース・オン!」

あった、これなら。
俺は一本の短剣を手に、再び言葉ステナトンの背中に向かって駆け出した。

「ぐわっ!」

しかし道の半ばも進まないうちに、俺は振り向きもしない言葉ステナトンに、短剣をもぎ取られ再び階に叩きつけられた。

「妾は寛大だ。だが機会は二度やれん」

頭を打ったか、ぼんやりとした視界の中、言葉ステナトンは興味のなさそうな顔つきで、俺の手からもぎ取った短剣を手元に引き寄せる。

「成程、面白い玩具よ」

そして、そのまま、己の右胸に突き刺した。

「なっ!」

一瞬、胸から吹き零れ出した血が瞬く間に傷口に戻り、短剣を抜くと同時にふさがっていく。いや、だがそんなことには驚いたりはしない。エジプトの神秘の只中で、神なるファラオならこの程度やってのけるだろう。俺が驚いたのは……

「なぜ、切れぬ。そんな顔だな?」

――破戒すべき全ての符ルールブレイカー――

俺が投影した短剣は、あの、すべての繋がりを断ち切るはずの異形の短剣だったのだ。それなのに……なぜ……

「この身体は未だあの女の物よ、妾が繋がるは唯心臓のみ。この剣を心臓に突き立てるならば、妾を追い立てられるかも知れぬな?」

「くっ……」

どうした? 試してみるかと遠坂の口元が嘲いに歪む。くそ、そんなこと……

「出来るわけねぇだろう!」

俺は立ち上がり、もう一度言葉ステナトンに向かって突進した。

「ぐわっ!」

そして、またも祭壇の際まで弾き飛ばされ、階に頭から叩きつけられてしまった。

「無駄よ、そこで倒れておれ。間もなく全ては一に帰す。そうすれば刹那とはいえ、この女に会えるやも知れんぞ」

言葉ステナトンはまるで慰めるような響きの声と共に、再び俺に背を向ける。だが、それでも俺はまた立ち上がった。

「ぐっ!」

立ち上がるたびに、叩きつけられ。

「がはっ!」

叩きつけられるたびに立ち上がった。

「くっ……」

そして一歩一歩、言葉ステナトンに近づいていった。

「はぁはぁはぁ……」

「つくづく無駄な努力の好きな男だ……」

ついに言葉ステナトンの真後ろまで進んだ時。とうとう言葉ステナトンが振り返った。

「あの時もそうだった。あの時も妾は無駄だと告げた、今の滅びを避けても、結局最後に滅びは来る。だから無駄だと。それに何より、一に帰せば全てが終るとな……」

そして言葉ステナトンは、呆れたように首を振ると、まるで遠坂のように俺の頬をなでた。

「だが、其方は長き苦しみを選んだ。故に妾は其方に心臓を奪われても、黄泉路にも逝かず現世にとどまり今一度試みんと定めたのだ。もしや、もしや其方があり続けるならば、世界の滅びは必然でなくなるやも知れんと思ってな」

言葉ステナトンは、溜息交じりに俺の頬から指を離した。

「だが変わらなんだ。エミヤよ全てが無駄なのだ。苦しむのはもう止すが良い」

「がっ!」

そして、今度も俺は階の隅にまで弾き飛ばされた。拙い、肋骨を何本かやられた。他にも何か壊れたようだ、何かバラバラと俺の身体から零れ落ちる音もする。

「だが、其方にもこの心臓にも感謝はしている。黄金の女神は完璧、其方が此処まで辿り着く事も無かったであろし、妾の記憶も封じられたまま思い出すことも無かったであろう。其方は妾の弱さであったからな」

やばい、さすがに目が霞んできた。言葉ステナトンの声がどこか遠くで聞こえるようだ。

「む、無駄だからって……止められるか!」

俺は砕ける膝を励まし、もう一度立ち上がった。

「あんたを止める。遠坂を返してもらう。世界を一になんか還させない!」

「立つことも出来ぬ其方が何を言う」

だが、俺は真横に立った言葉ステナトンに一蹴にされた。
ああ、違う。俺が倒れてるんだ。
崩折れながら、俺はそんな間抜けな自分に漸く気が付いた。はは……俺はもう、自分が立ってるかさえもわからないのか。
情け無さ過ぎて涙も出ない。言葉ステナトンは俺を殺す気さえない。だってのに、俺は立って前に進むことさえ出来なくなってきている。遠坂の宿題を抱えこんだまま一歩も進めていない。

「ぐつぅ!」

俺はそのまま何かの上に倒れこみ、心臓を強打した。やばい……このままこっちの心臓のほうが止まりそうだ。

「……あ、あの石か……」

なんとか膝立ちになり、胸の下から引っ張り出した物は、遠坂から預かった赤い石。ああ、遠坂、お前なんでこんなもの俺に渡したんだ?
俺は薄れる意識の中で、何故か魔力の充填されている赤い石をぼんやりと見詰めていた。
意識がぐるぐる回る、言葉、赤い石、遠坂、心臓、言葉、赤い石、遠坂……。何故かそれが引っ掛かり何度も何度も繰り返し、いつしか口で呟いていた。

「心臓……遠坂……赤い石……」

そういえば、俺はこいつで遠坂から命をもらったんだなぁ……
結局、俺が思い出せたのはその事だけだった。すまん、遠坂。俺は仕挫ったみたいだ……思い出せ……

「っ!」

――衛宮くん、ちゃんと思い出してね。――
――衛宮くんなら出来るわ。今の衛宮くんなら――

――古代エジプトでは心臓こそが本体。――
――鍵は ―― 心臓 ―― ですわ――


いくつかの言葉が、まるでパズルのピースのように嵌っていく。
気が付いた。いや思い出した。どうやって、ステナトンを倒すのか、どうやって遠坂を助け出すのか、だが、その方法ってのは……遠坂! お前、俺にあれをやれって言うのか!?

――衛宮くん。任せたから、信用してるから、お願いね……――

畜生……こんな時だけ衛宮くんなんて言いやがって……
俺は、赤い石を握り締めて。今度こそ本当に立ち上がった。

「ステナトン……」

そして、俺は始めてステナトンの名前を呼んだ。
遠坂の顔なのに、遠坂のあのどこまでも生き生きとした瞳ではなく、何処までも虚ろな瞳。
俺ではなく、俺を通して別の誰かを見る瞳。その絶望が何処から来たのか、なんで全てをやり直そうなんて事を思いついたのか、それは俺なんかにはわからない。ただ、この虚ろな絶望が、空っぽの癖に決して諦める事を知らない存在に惹かれた理由はわかると思う。


「あんたに昔何があったのか、なんでこんな事をしようとしてるのか、そんな事はどうでも良い。だけど、遠坂は返して貰う。俺と遠坂と、皆が生きて行く世界を、振り出しに戻させやしない」

それにあんただって、俺は言葉にせずに心の中だけで呟いた。あいつと出会った事を無かった事になんかしたくないはずだ。さもなくば、黄金の女神でなくて良かったなんて言うはずが無い。心の底に、絶望の向こうに、希望の光を点していたはずだ。だからこそ、あいつに賭け今日この日まで待ったはずだ。
ならば、俺は諦めるわけにはいかない。

「エミヤはエミヤか……」

背を向けていたステナトンは、何か溜息のように響く声で呟くと、もう一度俺と正対した。

「ならば妾自身の手で楽にしてやろう」

今までとは違い殺気の篭もった圧力が、ステナトンの周りに集まり出す。

「――投影開始トレース・オン!」

俺はそれに相対するように、一つの宝具を投影した。

「愚かな、二度は無いと言った」

ステナトンの殺気が俺から宝具に方向を変え、槍の穂先を逸らす。今だ!
俺は理念を、骨子を、経験を技量を、そして俺の持つ有りっ丈のランサーの記憶を魔力に載せ、“槍”に向かって注ぎ込んだ。

「――刺し穿つ死棘の槍ゲ イ ・ ボ ル ク!――」

「――なっ! にっ!?」

その瞬間、完全に逸らされていたはずの槍の穂先が、全ての法則を無視して、ステナトンの、遠坂の心臓に突き立った。

「馬・鹿・な…………がっ!」

ステナトンが、遠坂が何か不思議なものを見るように自分の胸元を眺め、糸が切れたように崩折れた。金髪をなびかせた彗星が、女面の鳥が、そして何か見えないものが遠坂の身体から離れていく……

「遠坂!」

俺は、自分の身体の傷を無視して全力で遠坂に駆け寄った。
ゲイ・ボルク。必ず心臓を一突きで貫く魔槍。俺が、あの聖杯戦争の一番最初に、蒼い英霊に心臓を貫かれた宝具。
そして……

「くっ――同調開始トレース・オン!」

遠坂がその時、この石の力を借りて俺の心臓を直してくれたんだ。
俺は赤い石を握り締め、血塗れになった遠坂の胸に、心臓の上に掌を当てた。
目が眩む、これを行ったのは他ならぬ俺なんだ。遠坂を助ける為だからって、遠坂が信じてくれた事だからって、それで俺の責任が消えるわけじゃない。遠坂を血みどろにしたのは俺なんだ……。
だが、そんな罪の意識で、遠坂が死に掛けているのが治るわけでもない。俺は必死で気持ちを奮い立たせ、素早く遠坂の心臓の設計図を頭に浮かべた。
よし、やっぱり単純な傷じゃない。心臓破裂による血液の逆流は殆どなく、純粋に心臓そのものだけが見事に機能停止している。そのせいか心臓は止まったって言うのに微かな息もある。後数秒、たったそれだけだが猶予がある。

「――投影開始トレース・オン……」

遠坂は俺ならと言ったが、俺には心臓を破損して、血管という血管が傷ついて、おまけに脳死寸前なんていう人間を蘇生させる力も技術もない。力技で、ただ貫かれて破壊されたパーツを見定め投影し嵌めこんでいくことが出来るだけだ。

「動いてくれ……頼む! 動いてくれ……」

だが遠坂の心臓は動かない。パーツは揃った。だがそのパーツが機能しない。剣以外の俺の投影では、見かけは完璧でも中身が伴っていない。畜生、なんでさ!? なんで……

――わたしを持っている衛宮くんにならきっと出来る。――

その時、また別の言葉が心を過ぎった。
くそ、俺は馬鹿だ。遠坂が思い出してって念を入れたわけだ、やり方を間違えかけていた。俺の投影は、こんな高度な施術を行えるほどの魔術じゃない。こんな高度な施術、俺に出来るわけがない。俺が出来る事はただ……

――I am the bone of my sword体は 剣で 出来ている.

俺の中のものを取り出すことだけだ。

俺は俺の中に、赤い荒野に手を伸ばした。
今度は迷わない。今度は道標がある。
行く先は決まっている。俺の中で唯一つ本物があるところ。
そここそが遠坂が居るところ。
赤い荒野を唯一筋突き進み、俺はついに遠坂の背中に追いついた。

ああ、遠坂、やっぱりここに居たんだな。。

俺は遠坂に手を伸ばし、そのささやかな胸にそっと触れた。

トン

俺の手から再び空っぽになってしまった赤い石が零れ落ちた。そして、

トクン……

それに導かれるように、再び遠坂の心臓が脈打ちだす。

「……遠坂」

俺は、漸く、遠坂を、取り戻した。

「はぁ……」

遠坂はまだ目を覚ましはしない。だが呼吸は規則正しく、心音もきちんと聞こえる。安堵した俺は漸く顔を上げることが出来た。

ドクンッ……

「――え?」

そしてその視線の先では、宙に浮かぶ黒々とした孔が、今まさに完全な極冠を形成しようとしていた。

「な、なんでさ!」

俺は思わず叫んでいた。ステナトンは倒した。この術はステナトンにしか出来なかったんじゃないのか!

―― だから無駄と言った。所詮、妾も鍵に過ぎぬ……

頭上から、ステナトンの三魂の、溜息のような思考が伝わってくる。更に、どこか擦り切れたような奇妙な声が響いてきた。

「残念であったな、エミヤ」

「まことまこと」

「一時はどうなるかと思ったが」

「これで全てが救われる」

振り返ってみれば、丁度、俺を中心にした反対側、その黒い孔に正対するように宙にもう一つ穴が開き。そこから、なにかが浮かび上がってきている。
幾重もの光彩が渦巻く虹色の穴。これは……見覚えがある。

ドクンッ……

響いてきたのは無数の声でありながら、現れたのはただ一つの影だった。
小さな少女? 
なのに、その表情は何処までも老い、疲れ、草臥れていた。

「……ナタティリか?」

そうだ、アケメス師に付いていたあの少女だ。その少女がステナトンの三魂を纏わり付かせ、その胸に……

「――っ!」

黄金の卵を、アケメス師に渡した地上の太陽を、魔術の水爆を抱いて、宙に足を踏み出している。

「今まさに我らの主ステン・アトンは」

「冥府の門を潜り、一に帰す」

「されど、それは刹那」

「刹那では、全てを一に帰する事は出来ぬ」

唖然と見詰める中、ナタティリはその口から無数の声を響かせ、静々と“孔”に向かって歩みを進める。

「固めねばならぬ。三つでは足りぬ」

「故に我らと」

「“地上の太陽”を以て門を固め」

「全てを一に帰さん」

俺は空を睨みつけ、歯軋りした。そうか、こいつらか……
こいつらが、俺たちを、アトラスを、ステナトンを利用してこんな馬鹿げた計画を実行した本当の元凶。
こいつらこそが、“三千年の妄執”だったんだ。

「させるかぁ!」

――I am the bone of my sword我が 骨子は 唯一筋 貫く.

俺はありったけの剣を投影し、そのまま全てを“孔”に放り込み、砕こうと……

「――なっ!」

して、吸い込まれてしまった。
なんだ、今の感覚……。溶け込むと言うか、なにか自分と自分以外の境界が薄れ消されていく感覚、自分が自分でなくなる感覚……背筋に悪寒が走った。

「……これか……」

自分の歯軋りの音が、他人のように頭蓋に響く。わかった、漸く気が付いた。
こいつらの目的、こいつらの方法。それは根源を手に入れることなんかじゃなかった。
こいつらの目的は、ただ剥き出しの根源を、世界に向かって曝け出すことだけ。ステナトンという巨大な魂を飲み込む“孔”を開けっ放しにすることだけだった。
すべてを、こんな風にそこに飲み込ます為だけに……

「時は満ちた」

「今こそ吾らが悲願を」

「総てを一に、滅びを滅ぼさん」

歯噛みする俺の目の前で、ステナトンの三魂が次々に螺旋を描き“孔”に堕ちていく。
更に、ナタティリの身体からも無数の何かが溢れ出し、ステナトンの三魂に付き従うように“孔”に向かい脈打つ“孔”を押し広げる。

「くそぉおお!」

俺は無駄と知りつつも、再びありったけの剣を叩きつけた。
それがすべて飲み込まれると知りつつも、それでも止める事が出来なかった。血反吐を吐き、ぼろぼろになりながらも、それでも止める事だけは出来なかった。

だが、

「世界に救いを……」

そんな俺の無駄な努力を嘲うかのように、ナタティリが黄金の卵を孵した。

―― 閃!――

「――くっ……」

一瞬何も見えなくなる閃光。だがそれも一瞬。直ぐに光は“孔”に飲み込まれ、ついに、“孔”は空に完全な極冠ダイヤモンド・リングを刻み付けた。

――ドクンッ!――

「――がっ!」

“孔”が開いた。
同時に凄まじい頭痛と吐き気が俺に襲い掛かる。くそっこれには覚えがある。くっ…… くそっ! そういう事かよ!

「シェロ! しっかり! どうしたと言うのです!?」

「先輩!」

「シロウ!!」

遠坂を腕に抱いたまま、がっくりと崩折れた俺の回りに、聞き覚えのある懐かしい声が集まってくる。
こんな事態だってのに、俺はどこかほっとした、そうか皆無事だったんだな。

「……開いてしまいましたわね」

そしてこんな時だって言うのに、ルヴィア嬢の声には終わりへの絶望よりも、根源を目の当たりにした魔術師の喜びが覗われた。

「……先輩……もう終わりなんですか……」

桜だって絶望しながらも、先輩と一緒なら良いですと優しく励ますように微笑んでくている。

「まだです! 私が叩き潰します!」

そしてセイバーは、まだ諦めてさえ居ない。
まったくお前らは……

こんな、こんな……こんな素晴らしい連中が居る世界を、そう簡単に諦められるかよ!

「まて、セイバー。一方からじゃ無理だ」

俺は、頭が割れそうな頭痛を必死で押し込めながら立ち上がり、宝具エクスカリバーを構えるセイバーの手をそっと押し止めた。

「シロウ!?」

何を言い出すのです! と怒りにも似た表情で睨み返してくるセイバーの手を借りて、俺は歯を食いしばりながら立ち上がった。そう、例えエクスカリバーでも、一方からではさっきの俺の剣のように溶かされ飲み込まれるだけだ。
俺はもう一度皆を見渡した。セイバー、桜、ルヴィア嬢、オーウェン、そしてランス。あ、くそ、お前気づきやがったな……
そんな皆の困惑や納得の顔に笑い返し、俺は最後に遠坂を見つめた。
さっきまで心臓が止まってたって言うのに、今はもう安らかな寝息を立てている遠坂。
綺麗だった。何よりその命の輝きが、涙が出るほど美しかった。
だったら、もう秤に掛けるまでも無い。

「こいつは、両方から攻めないと、無理なんだ」

――そして忘れぬ事だ……吾の……ことば……を……――

妄執を捨てたといった男の言葉を、俺は信じることにした。

「だから……」

俺は“孔”の向こうを睨み据え、俺の知らない干将・・・・・・・・を思い切り“孔”に向かって投げつけた。

「これは“衛宮士郎おれたち”の仕事だ」

今度は飲み込まれなかった。
確かに感じた。俺が投げ込んだ干将は、“孔”の向こうで誰かの手にしっかりと受け止められていた。

「さあ、行くぞ。付いてきやがれ!」

――貴様の方こそ、付いてこれるか?――

割れるような頭痛に乗せて俺の頭の中で、もう一人の俺の声が響いた。


――I am the bone of my sword体は 剣で 出来ている.
――I am the bone of my sword体は 剣で 出来ている.



二筋の焔の弧が“内”と“外”で同時に走る。

――Steel is my body,and fire is my blood血潮は鉄で 心は硝子.
――Steel is my body,and fire is my blood血潮は鉄で 心は硝子.



四つの弧は二つの円を形作り、墓標のように無数の剣が満ち溢れる。


――I have created over a thousand blades幾たびの 戦場を越えて 不敗.
――I have created over a thousand blades幾たびの 戦場を越えて 不敗.



ほぼ同時に、赤い荒野が二つ世界の“内”と“外”を塗りこめて、

――Unaware of lossただ一度の敗走も無く.
――Unknown to Deathただ一度の敗走も無く.



“孔”を両側から挟みこんだ。

――Nor aware of gainただ一度の勝利もなし.
――Nor known to Lifeただの一度も理解されない.



さあ、ここからが勝負だ。

――Withstood pain to create many weapons彼の者はただ、鍛ち止む事無く剣を鍛つ.
――Have withstood pain to create many weapons彼の者は常に独り 剣の丘で勝利に酔う.



二つの赤い荒野くれないのさばくに突き立つのは、見渡す限りの無限の剣と無窮の剣。
その赤い大地が、今、破れんばかりに鳴動する。

――I have no regrets.This is the only pathならば 生涯に 悔いは無く.
――Yet,those hands will never hold anything故に、生涯に 意味はなく。.



剣が引き抜かれた。

二つの世界で、無数の剣が、尽きることの無いはずの剣が、
揃って余さず引き抜かれた。

――My whole life was "unlimited blade works"この身は 無窮の剣で 出来ていた.
――So as I pray,unlimited blade worksその体はきっと剣で出来ていた.



剣が舞う。

無数の剣が一斉に宙に舞い、轟音と共に一点に向かって収束していく。
向かう先は“孔”
俺たちが揃って引き抜き、叩きつけた総ての剣世界が、内と外から一気に“孔”に襲い掛かる。

そして、俺たちは、

おれたちを、


一本残らず砕いて見せた。




―― 滅びる幻想カ タ ス ト ロ フ ・ フ ァ ン タ ズ ム ――




何もかもが真っ白に染まる。
いや、それは最早、色でさえなかった。
二つの世界がその全てを挙って一つに集め、ただの一度で消して見せたのだ、色の概念などとうに砕け散って居た。

門が砕けた。

二つの世界。内と外の両側、二つの赤い荒野から、限りの無い剣と窮きる事の無い剣を一斉に叩きつけられ砕かれ、ついに門は門と言う概念から砕けて散った。
そして“孔”が閉じる。
総てを飲み込むべく開かれた孔は、俺とあいつの二つの世界を飲み込み、役割を終えたように掻き消えていった。





「……」

俺はその消える世界の中で小さく溜息をついた。
赤い砂漠。最早剣の一本も無い砂漠。向こうもそうだ。何も無い砂漠で、赤い影だけがじっと俺を見据えている。
頭痛はもうしない。俺とこいつ、同じ人間が二人いる矛盾か、それとも何らかの共鳴の結果かそれは判らないが、この頭痛の原因が俺たち二人にあるのは間違いない。だとすれば、二人の世界が、俺たち二人が消えるなら頭痛も消えて当然だ。

――I am the bone of my sword体は 剣で 出来ている.

そう、俺たちは消える。俺たちは剣で出来ていた。その剣を総て砕いたんだ。俺たちの内面世界が砕け散るのも当たり前の事だ。英霊であるあいつは座に還り、そして俺は……

どうせ紛い物だらけの世界、惜しくは無い。それの引き換えに本物の、あの素晴らしい連中が居る世界を、遠坂を救えたんだ。だから惜しくは無い。
闇に侵食され、消えていく赤い世界の中で、俺たちはお互いが闇の呑まれ消えていくまで、ただ、ただ睨み合っていた。
結局、俺たちに出来る事はこうして睨み合う事だけだった。何しろ、未だに顔を見ただけで腹が立つのだ、それ以外お互い考え付きもしない。
だから、俺は最後まであいつを睨みつけてやった。ふん、あの野郎、最後まで俺を睨みつけていやがった……

もう向こうの世界は見えない。俺の世界だって、俺のまわり微かに赤みがかった闇を残すのみだ。俺は静かに目を閉じた。
後は消えるだけ、後悔は無い。ただ……

「……遠坂……」

もう一度だけ、遠坂に会いたかったな。
結局、俺は遠坂に戻ってきたって、帰ってきたって言葉を伝える事が出来なかった。約束を、守れなかった。それだけが、心残りだった……

――……士郎……

ほら、幻聴が聞こえる。何も無いはずの世界で幻聴が聞こえるってのもおかしな話だが、それでも何も無いんだから、何かが聞こえるはずが無い。

――……シロウ……

ああ、セイバーの声も聞こえる。おかしな話だ……

――……シェロ……

ルヴィアさんまで……

「……え?」

最早、総てが消えたはずの赤い世界。
だが、ふと目を開けた俺の目の前に、まだ世界の欠片が残っていた。

黒々とした鍛床に突き立った、蒼と赤と金の剣。

「……『鍛えなおされし王道の剣EX・カリバーン』……」

そうか、こいつだけは……こいつだけは本物だったな。忘れていた。ここには遠坂が、セイバーが、ルヴィアさんが……そして皆がいる。
これこそが、俺の守りたかった世界。
俺は無意識の内に剣の柄を握っていた。

――My whole life was 我 が 往 く は "unlimited blade works"無 窮 の 剣 製.

剣を通して、遠坂が、セイバーが、ルヴィアさんたちが流れ込んでくる。何も無かったはずなのに、もう終わりのはずなのに……

世界が再生していく。
飲まれかけた赤い荒野が、「鍛えなおされし王道の剣EX・カリバーン」から、握り締めた拳から再び広がっていく。
焔の弧が再び世界に走る。世界は再び赤く塗り替えられ、無窮に連なる剣さえも再び影を落す。

そして、俺の傍らには。

「衛宮くん……」

遠坂が居た。




―― 雫 ――

なにか冷たいものが頬に触れた。

目を開けば、必死で堪える大きな瞳から、止めきれない涙の雫を零れ落す遠坂の顔。
そしてその周りには、セイバーが、ルヴィアさんが、桜が、ランスが、オーウェンが、皆が居た。

「約束どおり、帰ってきたぞ、遠坂」

俺は、ただここで言うべき事を、ただ一言を遠坂に伝えた。

「……おかえり。衛宮くん」

涙声で、それでも微笑みながら返ってきた遠坂の応え。また泣かしてしまったな、遠坂。だが、それでも嬉しかった。

俺は約束どおり、遠坂の元に戻ることが出来たのだから。


End


Fate/In Britain 劇場版 「Fate /In Egypt ――硝砂の魔術使い――」一巻の終わりでございます。
まあ、このあと後片付けやら何やらで、又大騒動ではありましょうが、劇場版なので、此処から先はスタッフロールとエンディングテーマという事で。
結局最後は、士凛でまとめたお話でしたが、如何でしたでしょうか?
それでは、Fate/In Britain 第四クールで又お会いしましょう。

by dain

2005/2/23 初稿
2005/11/24 改稿

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