「こら、起きろ!」

「あ、『白兎りん』さんおはようございます」

「おはようじゃないわよ。あんた達何やってんのよ、時間が無いって言うのに」

「御免なさい、ちょっと流されてしまいましたわ……」

「しっかりしてよ……ま、終わった事は仕方が無いわ。まだ間に合うから、『公爵夫人ルヴィア』さっさと次に移って頂戴」

「申し訳ないです。私も次の次でしたね。それで、士郎くんはどうします。起こします?」

「残念だけど、それは『役回りロール』を逸脱するわ。わたしがここに来たのだってかなりの逸脱なんだから」

「そうでしたね、何とか枠の中で収めないと」

「そ、お仕舞いよ。さ、行きましょう」

「ええ」

沈みきった闇の奥から、ほんの少しだけ浮かび上がった意識が、姦しくお喋りをしている懐かしい声を捕えた。
何か、とても大事な事を言っているような気がしたが、酔いで痺れた頭では、それを形にすることが出来ない。ただ、何故かそれがとても嬉しくて、ぽつりと一言だけ漏らして、俺の意識は再び闇の中に沈んで行った。

「……有難う、遠坂……」





せいぎのみかた
「最強の魔術使い」  −Emiya Family− 第九話 後編
Heroic Phantasm





「うっ……つぅ……」

一体どれだけ眠っていたのだろうか。俺が目を覚ました時には、もう周りには誰もいなかった。
ただ、お日様は未だに中天を微かに西に傾いた穏やかな午後。多分、この世界では時刻は動かないのだろう。丁度『三月兎』の時計のように……

「あっと、そうだった」

それで漸く今の状況を思い出した。俺はバニーな遠坂を追っかけて、桜やルヴィア嬢やミーナさんがそれぞれの『役回りロール』をこなす、不思議の国に迷い込んでたんだっけ。

「ええと……次は確か『女王クィーン』のクリケットだったっけ」

白兎とおさか』がそこに先に行っていると言っていた。だから、そこに『公爵夫人ルヴィア嬢』と一緒に行こうと思ってたんだが、とんだ寄り道をしちまったな。
とにかく、何時までもここに居ても仕方が無い。俺は誰もいなくなったお茶会の、いや宴会のテーブルから立ち上がった。

「問題は、何処に行きゃ良いかって事だな」

今までは遠坂に叩かれたり、遠坂に引っ張られたり、遠坂に言い付けられたりして進んできたが、ここに来て遠坂とは逸れてしまった。

「……あれ?」

なんかそのあとも遠坂に会った気がするんだが……

「おっ」

と考え込んでいたら、いつの間にか目の前ににやにや笑いが浮かんで居た。

「丁度良いや、オーウェン。お前、『女王』のクリケット会場は何処にあるか知らないか?」

途端、にやにや笑いがにやにや笑いのまま渋い顔になると、笑いが広がってオーウェンが姿を現した。

「お兄さん、此処は行き先を言ったらお話にならないよ」

それに僕は『チェシ猫』だよと、オーウェンもどこかで聞いたような科白を付け加える。

「それはそうだけど、俺の場合は行き先が決まってるからな」

ここはどこに向かって良いのかわからないアリスが、何処に行っても一緒だと言うチェシ猫と分からない会話をする場面だと言いたいのだろう。とはいえ、それが何処にあるかこそわからないが、俺には行くべき場所が定まっているし、遠坂と言う道標もある。
オーウェンには悪いが、俺は重ねて『女王』の居場所を尋ねてみた。

「仕方が無いなぁ……」

オーウェンはにやにや笑いのまま困った顔をすると、おかしな詩を一つ歌いながらにやにや笑いを残して消えていった。


――立派な王様アーサー王。
――立派にこの国治めてた。
――ある日パイを作ろうと。
――小麦粉三袋盗んでいった。



「成程、『女王』様はセイバーか……」

それにしてもセイバー、盗み食いはいけないぞ、盗み食いは。
だが、これがヒントになった。俺は大急ぎで『公爵夫人』の家に取って返した。




「やっぱり……」

案の定、『公爵夫人』の家に行って見ると、そこには俺が作ったタルトを、幸せそうに抱えて走り去るセイバーの姿を見つけることが出来た。
小麦粉は俺が全部使っちまったから、代わりにタルトをって事なんだろうけど、やっぱりこれって盗み食いだぞ。獅子も虎と変わらなくなってきたなぁ。
そんな思いを抱きながら、俺はセイバーの後をこっそりとつけることにした。

「へぇ……」

そのまま暫らく追いかけ、漸く森を抜けたと思ったところで、俺は大きく立派な庭園にぶち当たった。
更に先に視線を送ると、豪華ではあるが何処か書き割りじみたお城と、その前庭のように広がる芝生のグラウンドまで見渡せる。

「多分あれがクリケット場だと思うんだが……」

俺は勘の良いセイバーに気付かれないように、一旦セイバーがお城まで抜けたところで、庭園に入る事にした。

「やっぱりトランプなんだな」

お城の胸壁にはスペードのスーツが兵士として、前庭のグラウンドにはダイヤのスーツが廷臣として、そして庭園ではハートのスーツが庭師として働いているようだ。
但し全て円形ラウンドカード。これってやっぱり円卓のつもりなのかな?
そんな事を考えながら庭園を歩いていると、ハートの五と二と七の三人が、必死で白いドラゴンの彫像を、赤く塗っているところに出くわした。

「……さすがセイバー、薔薇じゃなくドラゴンってわけか」

ブリトンの赤い龍を設えるつもりが、間違えてサクソンの白い龍を置いちまったのか、確かにセイバーがこれを見たらきっと……

「首をはねなさい!」

って言うんだろうな……って、今の声は?

「うわぁ!」

と、振り返って驚いた。いつの間にか俺の後で、タルトを両手一杯に抱えたセイバーが、怒髪天の勢いでトランプの庭師たちを怒鳴りつけている。一体何処から……

「ええい! 今日と言う今日はもう許しません!」

慌てて土下座して何やら言訳を言っているトランプたちを、セイバーは尚も容赦なく怒鳴りつける。

「あなた方は……よりにもよって白いサクソンの龍とは! 恥を知りなさい恥を! 大体あなた方は昔から、何かと言うと飲む打つ買うに明け暮れて……肝心なときには酔っ払いと、身包みはがれた騎士ばかり! 私がどれほど苦労したか……ええい、首をはねなさい!」

セイバー、気持ちは分かるが、それは完全な八つ当たりだぞ。そりゃセイバーが昔苦労したのは、何度も聞かされたけどさ。

「まあ、落ち着けセイバー」

そのまま説教はどんどんずれて行く、見かねた俺は、取り敢えずセイバーを宥める事にした。

「私はセイバーではありません。『女王クイーンオブハート』です!」

「わかった、わかった。好きでやってるわけでも無いんだろ?」

流石に、六人目ともなると次の科白の見当は付く。俺はお約束を早めに済ませて本題に入る為、あえてセイバーの科白を先取りした。

「むっ、私の科白を取るとは、無礼ですね……」

だが、セイバーはそんな俺の科白が気に入らなかったのか、矛先を俺に代えて、むぅーっと睨みつけて来た。でもな、セイバー。両手にタルト抱えて睨みつけられても、あんまり怖く無いぞ。

「そりゃ悪かった。無礼だって言うんなら謝るぞ。それより、こいつ等の首をはねるってのは穏やかじゃ無いな。こうやって一生懸命に赤く塗りなおしているんだし、許してやれよ」

それに、こんなことくらいでぽんぽん首をはねてたら、『女王クイーンオブハート』じゃなく金ピカの王様になっちまうぞ。

「ふむ、一理あります。ではそなたに免じて、この者達は許す事にしましょう」

セイバーは俺の言葉に、少しばかり不満そうではあったが頷いてくれた。

「但し! そなたの無礼は許せません。特に私を金ピカと同一視するなど以ての外! 拠って……」

が一転、俺を睨みなおすとびしっと指を突きつけて、徐に言い放った。

「私とクリケットの勝負をしなさい。それを以って罰といたします」

拒めば首をはねます! とセイバーはそのまま俺を睨みつけてくる。
まぁ、仕方がない。どうしてわかったのかはわからないが、確かに金ピカと一緒にされたらセイバーだって怒るよな。
セイバーと勝負事ってのは、できれば避けたかったが、これで首はねが無くなるなら安いもんだ。俺は大人しくセイバーの後に従って、クリケット場に向かう事になった。




「さあ、それではクリケットを始めましょう」

「ちょっと待ってくれ、セイバー」

「私はセイバーではなく『女王クイーンオブハート』です」

「わかった。それじゃあ『女王』様。聞いて良いか?」

「ふむ、特に質問を許しましょう」

「なんで、エクスカリバーを構えてるんだ?」

俺は、バッティングゲージの中で完全武装に身を包んだセイバーに尋ねてみた。第一これの何処かクリケットなんだ? どう見てもバッティングセンターだぞ?

「ちょっと、なにやってんの? とっとと始めるわよ?」

ピッチングマシーンには野球帽を被った遠坂、もとい『白兎』がいらいらしながら待ってるし……なんか色んな物がごっちゃになってきたなぁ。

「これはエクスカリバーではなくバットです。ヒット十本差つけたほうが勝ちです。さぁ、始めましょう」

だが、セイバーは平然と言い放つと、さぁ来なさいとばかりに、エクスカリバーを構えてバッターボックスに立った。
……そういや、そんな話しを聞いた事があったな。確か、その時は魔術師にどつかれたとか。

「それじゃ行くわよ!」

そうこうしている内に、ピッチングマシンのハンドルを握っていた遠坂が魔術刻印を輝かせ出した。

―― 弾! 弾! 弾!!

そして、次々と発射される黒球……黒球?

「ガ、ガンドじゃないか……」

物質化するほどの密度を持った呪いの魔弾だ。道理で魔術刻印を輝かせてたわけだ。

「せい!」

それを、セイバーが尽くエクスカリバーで打ち返す。成程、確かに並みのバットじゃこんなもん打ち返せないよな。

「って、ちょっと待て。俺もこれをやるのか?」

「当然ですわ。さあ、バットをお持ちになって」

そんな、壮絶な魔術合戦を前に呆然とした俺のところに、ルヴィア嬢が俺に『バット』を差し出しながらにっこりと微笑みかけてきた。

――さぁ、我を取るが良い。

それは俺に向かって思考を送り込んでくる、真っ黒な鳥。

「ランス……」

――残念ながら我はランスでは無い。確か……『紅鶴フラミンゴ』であったかな?

……成程、そういやアリスでは『紅鶴』がバットだったな。

「って言うけど、大丈夫なのか? ハリネズミとはわけが違うんだぞ?」

とはいえ、打ち返すものは遠坂さん謹製の実弾並みの威力のあるガンドだ。あんなもん打ち返すどころか、当たった時点で洒落にならないことになるぞ。

―― ふっ。

だが、ランスは轟然と胸を張り、ちらりと遠坂に視線を送って鼻で笑ってさえいる。

――確かに、あの魔女……いやいや『白兎』殿はなかなかの者。されど、我に比べればまだまだ尻に殻をつけた雛鳥、どうと言う事もありませんぞ。

「……言ったわね……」

うわぁ、さすが地獄耳。何処でどうランスの思考を盗み聞きしたのか、遠坂さんはこっちの方を思い切り睨みつけている。

「さぁ、貴方の番です」

どうやら、丁度セイバーの番が終ったところだったようだ。セイバーは三十本中十八本。せめて一回で終らないようにはしなきゃな。

「よし、じゃあランス。腹を決めろよ」

――うむ、任せられよ。

こうして俺はランスを手に、マウンドに何故か焔を背負った遠坂が待つバターボックスに向かった。まずいなぁ、あんまり刺激しないようにしないと……

「目にもの見せてやるわよ」

―― 残念ながら、目では音を聞けぬでな。

こら、ランス。挑発するんじゃない! 遠坂の奴、目の色が変わってきてるじゃないか。馬鹿! こっち狙うな。ストライクゾーン狙え!

「お、落ち着け遠坂!」

「覚悟なさい!」

――弾! 弾! 弾!

聞いちゃいない。俺は慌てて身を躱しながらランスを振り回した。

――ははは、当たらんぞ。『白兎』殿。

「ええい、このちょこまかと!」

が、ランスは俺に振り回されながらも、巧みに遠坂の繰り出すガンドを除け続ける。流石、完璧の騎士……って、おい

「お前バットだろ、避けてどうするんだ!?」

――しかしな、流石にあれは当たると危険だ。それ、特大が来る。

そりゃそうだが、とランスの指し示す方向に視線を向けると、

「これでどうよ!」

……スイカほどもあるガンドの黒球が、俺目掛けて飛んできた。

「うわぁ! 馬鹿!」

――ぬ、しまった。

それをひらりと躱したランスだったが。お蔭でその後ろの俺が、避ける間もなくまともにガンドを喰らってしまった。

「“死球デッドボール”ですわね……」

そりゃもう、片っ端から危険球デッドリーだったぞ……そんなルヴィア嬢の呟きを最後に、俺はテレビのスイッチが切れるように、ものの見事に意識を失ってしまった。




「あ、士郎くん。気が付きましたね」

「あ、え……ああミーナさん」

「『帽子屋』ですよ。ワインは如何ですか?」

気が付くと、俺はお茶の用意が整ったガーデンテーブルに座らされ、『帽子屋ミーナさん』から、良い香りのするカップを差し出されていた。

「ええと、できればお茶が良いな」

「まったく、あれくらいでだらしが無いんだから……」

また酔っ払わされたら敵わない。そう思って居ると、ミーナさんが差し出したカップを制して、遠坂が俺にお茶を渡してくれた。でもな、あれ受けて気を失っただけで済んだんだから、俺としては褒めて欲しいくらいなんだぞ。

「それで、どうなってるんだ?」

俺はそれがお茶である事を確かめてから口を付け、テーブルを囲む面々に尋ねて見た。
五枚のでっかいタルトが乗ったテーブルについているのは、『帽子屋ミーナさん』に『白兎とおさか』、『公爵夫人ルヴィア嬢』と『紅鶴ランス』、それに『チェシ猫』に桜。桜はどうやら『クッキー』や『扉』じゃないようだ。なにやら石版にメモを取りながらお茶を飲んでいる。

「十八対死球一で『女王』の勝ちです」

それに、メモを取っていた桜が応えてくれた

「お蔭で誰の首も飛びませんでしたわね」

「試合もあれで終わり、『女王』は勝つまで絶対止めないから、早く済んでよかったわ」

俺としては、折角皆が集まったんだから、このおかしな世界の事を聞かせてもらおうと思ったんだが、当然のように先ほどのクリケットの話題だ。なんか皆すっかり『役回り』に嵌り込んでいる。

「いや、そうじゃなくてだな……」

「これ、士郎くんの分ですよ」

なんとなく不安になって、話をこの不思議の国に持っていこうと声をかけたところで、ミーナさんが俺にタルトを一枚差し出してきた。って、丸々一枚? 流石に食いきれないぞ、と思って回りを見渡すと。皆平然とこのでっかいタルトをぺろりと平らげていやがる。

「お前ら……っ!」

太るぞ、と言いかけた途端、四対の邪眼が一斉に放たれた。

「その……お、お前らも食うか?」

俺は、慌てて『紅鶴ランス』と『チェシ猫』に視線を移して言葉を取り繕う。怖かった……四回ほど殺されかけたぞ……

「ところで……」

「く く く く く …………」

とにかく触らぬ神に祟りなし。何とかタルトを三人で食い終わり、さて今度こそ話をここの場所の事をと思い立ったところで、セイバーがクラブの旗持ちたちを引き連れてやってきた。そのままはたと立ち止まり、俯いたまま小刻みに肩を震わせて、何か含み笑いのような声を漏らしている。はて?

「く、首をはねなさい!!」

違った。怒ってたんだ。真っ赤な炎を背負い、聖杯戦争の時でさえ見たことも無いほどの王者の怒り。一体何事かとその視線の先を追ってみると……

「あ」

空のパイ皿。しまった……

「ま、待て! 落ち着けセイバー!」

「これが落ち着いていられますか! わ、私の……私のパイが!!」

いや、俺が作ったんだけどな。それにパイじゃなくタルトなんだが……
とはいえ、この状態のセイバーに何を言っても始まらない事は経験則から知っている。

「また俺が焼いてやるから、取り敢えず落ち着け」

「それは楽しみで……ち、違います! そういう問題ではありません!」

何とか宥めようとした俺の言葉に、一瞬ぱっと表情を輝かせたセイバーだったが、何かに気付いたように慌てて首をふると、俺にびしっと指先を突きつけてきた。

「首をはねなさい!」

ちょっと待て、何で俺なんだ!?

「いきなりそれは拙いですわ、『女王』」

「そうですよ、ちゃんと手順を踏まないと」

そんなセイバーを、まぁまぁと宥めに回る『公爵夫人ルヴィア嬢』と『帽子屋ミーナさん』。おいおい、お前らだって食ってたんじゃないのか?

「裁判ね」

「裁判ですね」

更に遠坂がラッパを取り出し開廷の合図を送ると、いつの間にか設えられた法廷の陪審員席に桜がいそいそと腰掛けている。

「そうか……桜は『陪審員ジュアラー』だったんだな」

「桜じゃなくて、『陪審員ジュアラー」なんです」

毎度の事ながらきっちり訂正が入った。でも、

「それって十二人じゃなかったのか?」

俺はからっぽの席と、持ち手のいない十一枚の石版を指差して聞いて見た。

「やだなぁ、先輩。ちゃんと十二人いますよ」

途端、桜の陰が、十一枚の石版を持ってざわざわと蠢き出す。な、成程……

「それでは裁判を始めますわ」

と、これまたいつの間にか判事席に座った『公爵夫人ルヴィア嬢』が、木槌を叩いた。

「伝令、告白状を読み上げなさい」

更にその隣で、よくも私のパイを……と俺を睨みつけながら『女王セイバー』が議事を進行すると、

「それじゃ行くわよ」

――ハートのクィーン
――タルトを作った。
――ある夏の日のことだった。
――ハートのジャックは
――タルトを盗んで
――ひとつ残らず持っていった。


ラッパを鳴らして、『白兎とおさか』が告白状を読み上げた。
で、俺はと言うと、いつの間にか両脇をクラブの旗持ちに固められ、被告人席に座らされていた。
って、待て。法廷関係者全員犯人じゃないか! 異議を申し立てるぞ、こん畜生!

「それでは被告人。罪状を認められますか?」

「罪状って何さ!? 第一被告人はハートのジャックだろう!」

「それでは被告人に問います。被告人はハートのジャックでは無いと?」

だってのに『公爵夫人ルヴィア嬢』は動じもしない。しれっとした顔で質問を続ける。

「当たり前だろ?」

「では質問を変えます。ハートのジャックとは赤い騎士である。これは宜しいですわね?」

「あ、うん。そうだな」

ジャックはナイトみたいなもんだし、ハートは赤いから、そういえなくも無い。

「では被告人に再度問います。『赤い騎士』を知っていますか?」

「ええと……一応」

……なんか、雲行きが怪しくなってきたな。

「それでは、赤い騎士とは誰の事でしょう?」

「……その、俺……かな?」

「宜しいですわ。被告は自分を赤い騎士、つまりハートのジャックであると認めました。議事を進行します」

うわぁ……嵌められた……
くそぉ、不思議の国なのに、なんでここだけ妙に論理的なんだよ!

「それでは証人を喚問します。『帽子屋』」

「はい、証人です。被告人は私が差し出したパイを食べました。証言終わり」

続いて、にっこり朗らかにミーナさん。汚いよなぁ、自分が食った分はどうしたんだよ。

「私も見たわ」

「わたくしも」

「あ、わたしもですね」

――我もだな。

次々と登場する裏切り者の皆さん。なんだよ、その皆して“嘘は言って無いもん”って顔は、嘘は言ってなくても、本当の事を全部喋っても無いだろうが! 
怒鳴り返した俺に、知らぬ存ぜぬの『白兎とおさか』に、嘘吐きの嘘は本当か嘘かと分けの分からない事を言い出す『帽子屋ミーナさん』。『陪審員さくら』は耳を塞ぐし、はては被告人に発言権は無いとの『公爵夫人ルヴィア嬢』のむちゃくちゃな発言。なんとも、どたばたの不条理劇だ。

それが、

「そうだね、皆でパイを食べたんだ」

『チェシ猫』の一言で一転した。

――王様 お妃様 そいつを食べた。
――皆で 一緒に食べました。


そのまま『チェシ猫』はさっき俺が聞いた歌の続きを歌うと、にやにや笑いを残して消えていってしまった。

「……」

しんと静まり返る法廷。
白兎とおさか』に『公爵夫人ルヴィア嬢』、『帽子屋ミーナさん)』に『陪審員さくら』。誰もがまるで夢から覚めたように目を見開いて口元を抑えている。

「私はパイを食べていません!」

だがその中でただ一人、この歌を聴いて今まで同様、いや、今まで以上に激昂して立ち上がったお方がいらっしゃった。

「全員、首をはねてしまいなさい!」

セイバーだ。嘗ての、そして未来の王の一声で、一斉に法廷になだれ込むトランプ兵の大軍。
いや、トランプだけじゃない、偽海亀にヤマネにグリフォン。今まで誰にも配されていなかった『役回りロール』がそれこそひっくり返った玩具箱のように雪崩れこんできた。
こうなるともう法廷もとトランプの城も無い。俺たち全員、セイバーも含めて瞬く間のもみくちゃにされてしまった。

「なに? 時間切れ?」

「まだのはずですわ……っ! タルト! あれはわたくしでなくシェロが作ったものでしたわ!」

「ああ、だから美味しかったんですね」

「わぁ、桜さん結構言うんですね」

「そんなこといってる場合じゃないでしょうがぁ!」

「首をはねなさい!」

もう、しっちゃかめっちゃかだ。
ただ、混乱の中で約一名を除いて、どうやら『役回りロール』って奴からは解放されているようだ。

「だぁ! もう仕方がない。士郎、先に戻りなさい! 呪文は知ってるでしょ!?」

ついに遠坂が、観念したように俺に向かって怒鳴りつけてきた。
確かに、俺は今までの経緯、何でこんなところに居るのか何もかも思い出していた。だから、ここから抜け出す『呪文おち』もわかる。これが『不思議の国のアリス』なら、それはアリスが夢から覚めたあの科白だろう。
だが、俺の思い出したとおりなら、ここに遠坂達が居るわけが無い。それが居るってことは……

「駄目だ。それじゃお前ら戻れないだろ?」

俺は尚も叫び続ける遠坂たちを余所に、ただ一人宙に浮かんでにやにや笑い続ける『チェシ猫』に話しかけた。

「もう十分遊んだろ? そろそろ本を閉じないか?」

途端。パタンと本の閉じる音がして、世界は赤い荒野に取って代わられた。


…………

……


「やっぱり俺の夢だったんだな」

「へぇ、気が付いてたんだ」

と、ただ赤く剣しか無い荒野の中、ただ一つ俺のもので無いにやにや笑いが感心したように呟いた。

「ああ、『役回り』に入り込んだ連中は皆、俺の中にある連中ばかりだったからな」

「そうか、だから僕にも気が付いたんだね」

俺の声に応えるように、にやにや笑いは徐々に顔を体を現し、最後には赤い革装丁の本を持った一人の男の子に姿を変えていた。

「『チェシ猫』と『ドードー鳥』はキャロルの分身だって説もあったし、オーウェンはまだ俺の中には居ない。ただアリスなのに男の子だったから、ちょっと気付くのが遅れた」

「お兄さん。お姉さん達が思ってるよりずっと賢いんだね」

そして、男の子は俺の前まで歩み寄ると、にっこり笑って右手を差し出してきた。

「はじめまして。僕はハリー・リドル。アリスの兄です」





「はぁ、今回は苦労させられたわね」

「本当、一時はどうなる事かと思いましたわ」

遠坂家の居間で、遠坂とルヴィア嬢が赤い革装丁の絵本を前に、憮然とした表情で嘆息している。

「でも結構面白かったですよ」

「もう少し良い『役回り』だったらもっと楽しめたかもしれませんね」

ミーナさんと桜も居る。こっちはあの世界から何か貰ってきたんじゃないかって程、いたって能天気だ。

「そんなの、還って来れたから言える様なもんじゃない」

「それに『役回り』ならわたくしだって文句がありますわ。わたくし『公爵夫人』でしたのよ? 欧州一醜い貴婦人の役なんて、あんまりですわ」

「あ、あれはお似合いだったわね」

「それは、電信柱みたいなバニーガールよりはましだったとは思いますけど」

居間の気温が一気に二・三度は変わった。おおい、どうでも良いけど喧嘩するなよぉ。
それはともかく。こうして自宅の居間で楽しく喧嘩できるって事は、つまり俺たちはあの不思議の国から無事生還できたって事でもある。

あの、俺の中にまるで砂場の城のように作り上げられた『不思議の国』。総ては、今遠坂の手にある赤い革装丁の児童本が原因だった。
『不思議の国のアリス』初版、いや零版本。それがこの本だ。
黄金の昼下がりゴールデン・アフタヌーン”作者のルイス・キャロル自身が言う言葉どおり、この物語はそんなある午後のピクニックの最中に、即興ででっち上げられた物語だった。
それが余りに素敵な物語だった為、アリスのモデル、アリス・リドル嬢の要請で文章に書き起こされ、更にそれの素晴らしさを見て取った作家の勧めで出版されたのが、『不思議の国のアリス』と言う物語だったのだ。
だが、その初版本はついに世に出なかった。
表向きの理由は印刷の不出来。あの有名な挿絵を描いた画家も、ルイス・キャロル自身もそれが気に入らず、友人に配った五十冊ほどを除いて総て製本さえされることなく破棄され、新しく印刷されたものが正式な初版という事になった。

尤も、これには裏の事情があった。
“チンパンジーにタイプライターを渡しておけばいつかシェークスピアを書くだろう”という言葉がある。実は、この零版本はそれだった。ルイス・キャロルがでっち上げた出鱈目な物語とノンセンスな詩、それと挿絵に装丁の総てが複雑に絡み合い、この零版本は本でありながら一つの“魔術”になってしまっていたのだ。
そのままでは生の魔術がいきなり二千冊も世に出てしまう。そんな事態を時計塔協会が黙ってみているわけが無い。挿絵画家に手を回し、ルイス・キャロル自身をも巧妙に誘導し、この零版本を闇に葬る事にしたのだ。
とはいえ、友人知人に配った五十冊は残る。幸いルイス・キャロル自身、誘導がなくとも何か不可思議な感覚でこの零版本を気に入っていなかったらしく、贈った友人には新しい初版本に取り替えてもらうべく勤めていた事と、『不思議の国のアリス』の人気から、即座に希少本として博物館や図書館に収められたことから、現存する零判本は五冊を除いて全て時計塔が管理下に置くことが出来て居た。

そして問題のこの本は、いまだ未発見の五冊のうちの一冊で、オックスフォード大学の官舎の一室から発見されたものだった。この本を回収し、時計塔の管理下に置く事、そのために俺たちはあの日オックスフォードまで出かけていた。

「それにどっかの馬鹿が、ぽろっと引っかかっちゃったのよねぇ」

まあ、そういう事だ。馬鹿で悪かったな。
で、俺の中に出来ちまった『不思議の国』から俺を追い立てるために、遠坂達が挙って意識を潜り込ませてくれたってわけだ。

「でもさ、飲み込まれかけたってのは頂け無いぞ。危うく二重遭難だったじゃ無いか」

「悪かったわね、仕方ないのよ、あそこに入るには『役回り』を演じなきゃいけないんだから」

そう、それが『白兎』や『公爵夫人』、それに『女王』であった理由だ。
あの世界は、俺の固有結界を流用して居たらしく、ほぼ完全な『不思議の国』で、それ以外の異分子を完全に遮断していたらしい。だから、あの世界に存在する『器』に意識を移送し、その『役回り』を演じる事で初めてあの世界で行動できる様になれたのだそうだ。
ただ『役回り』に入る以上、どうしてもその『役回り』に振り回される。特にあの世界は即興のでっちあげだけに、『役回り』のパーソナルはまるっきりの出鱈目、そんなわけであんな事になってしまったらしい。

「ですけれど、終ってみれば納得できますわね。“男の子の不思議の国が欲しい”という事なら、シェロはビル街の中にぽっかり空いた空き地みたいな物ですものね」

「ハリー・リドルだっけ?」

「ああ、でも本人じゃないみたいだったな」

「そりゃそうよ、本物のハリー・リドルは立派に成人してビクトリア朝の、ごく普通の紳士として生涯を全うしているもの」

「子供の姿だという話ですから、多分“童心”の部分が本とくっついちゃったんでしょうね」

そして、その仕掛け人。俺にハリー・リドルだと名乗った少年が、この本のいわば意識体だった。
『不思議の国』の主人公アリス・リドルの兄にして、この零版本を贈られた少年。より早くルイス・キャロルと知り合いになりながら、書かれた物語は妹のもの。口や態度には出さずとも、彼が自分にも不思議の国が欲しがったとしても不思議ではない。この本を、キャロルの再三に渡る交換の申し出にも、頑として応えなかったというのがその証拠だろう。この本だけは自分に贈られたものだったのだから。
そんな彼の童心が、この本の魔術と結びつき、今回の事件となったという事だ。
百年ぶりに人の手が触れた魔術書、その触れた人間が異界を持ちながら空っぽだったのだ。ルヴィア嬢ではないが子供が空き地を見つけた気持ちだったのだろう。喜び勇んで俺の中に『不思議の国』を作り上げ、俺を主人公に物語を綴り出したというわけだ。

「じゃあ、結局わたし達はお芝居の役者にされちゃったんですね」

「……まあ、そういうことになるわね」

その上、個性的な俳優まで続々とやって来たのだ。なにせ根は子供、遊ぶなって方が無理だろう。

「それで、これはお礼ってわけですか?」

「いや、もう辛気臭いところに閉じ込められるのは御免だって言ってたから、これからもよろしくって事だと思うぞ。それ、出来た」

ミーナさんの面白そうな声に応え、俺は焼きあがったタルトを持って、居間に移動した。

「まあ、確かにこれではわたくし達が保管すると言っても、時計塔は文句を言ってきませんものね」

「すっかり書き換わっちゃってるしね」

「参るよなぁ……」

遠坂とルヴィア嬢が、苦笑しながら開いた本のタイトルは、いつの間にか『不思議の国の士郎」に書き換わっていた。

「挿絵まで俺たちだもんな」

しかもバニースタイルの『白兎』に『三月兎』、『クッキー』は素肌にリボン。とても児童書には見えない。

「あのぉ、シロウ、凛。その節は大変ご迷惑をかけたと反省しています。ですから一つお聞きしても良いでしょうか?」

と、ここで今までずっと黙って居たセイバーが、済まなそうに口を開いた。

「なにかな。セイバー」

「なあに、セイバー」

俺と遠坂は、出来たてのいちごタルトを一山、セイバーの前に並べながら、揃ってセイバーに顔を向けた

「何故、私の前にいちごタルトが山を作っているのでしょう?」

「それはな」

「それはね」

これは何かの罰でしょうか、と恐る恐る聞いてきたセイバーに、俺と遠坂は顔を見合わせてにっこり微笑むと、本の最後のイラストを指し示した。

「……くっ」

はてなと覗き込んだセイバーの顔が途端真っ赤に染まる。そこには満面の笑みを浮かべ、頁一面に広がるいちごタルトを頬張って居られる『女王セイバー』の挿絵が描かれていたのだ。

「ハリーから、セイバーだけ食べれなかったんで、腹いっぱい食べさせてくれって頼まれてな」

「そうよ、また“首をはねなさい!”なんていわれちゃ敵わないし」

「だから、セイバー。腹いっぱい食って良いんだぞ」

「わ、私はここまで無節操な食いしん坊ではありません!!」

真っ赤になりながら、がぁーっと怒鳴るセイバー。ふと視線を落すと、挿絵にはいつの間にかにやにや笑いが浮かんでいる。
最後まで遊んでもらったのが、よほど嬉しかったのだろう。
なにせ、この本。謹辞までが『私の友人、セイバーさんに贈る』に変わっていたのだから。

END


まあ、色々と屁理屈は捏ねましたが、ぶっちゃけ『不思議の国の士郎』が書きたかっただけのお話でした。
ただ、ただあの連中が、あの不思議の国で『役回り』を演じているのを楽しむ。
書いてるうちは、ある意味何も考えないで思い付きを文にするような感覚でした。
私は楽しめましたが、皆様はいかがだったでしょうか?

2005/3/23 初稿
2005/11/25改稿

by dain

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