「あ、その……あたしです」

ぐるぐると、何かが回っていたわたしの頭を現実に引き戻したのは、恐る恐る顔を出した綾子の声だった。いけない、いけない、綾子は魔術関係の知り合いじゃないんだし、きちんと話だけはつけておかないと。

「こちらはミス美綴です。わたしが日本に居た頃のハイスクールの友人で、先ほどミスタジュリオの道場で、些か頭を打ちましたの。それで診て頂こうとここに来たわけですわ」

「美綴と申します。よろしくお願いします」

「成程、了解した。それではミスミツヅリ、奥の診察室へ。イライザ、お前はレディセイバーとミストオサカにお茶でも出しておいてくれ」

わたしの紹介と綾子の挨拶に、万時心得たと頷くと、『真鍮ブラス』は綾子を連れて診察室へ向かっていった。





あかねのひとみ
「橙金の盾」  −Ayako Mituduri−Fate/In Britain外伝-4 後編
Αιγιζη





「それでは、あの方はふつうのかたなんですね」

真鍮ブラス』の家の応接室で、わたしとセイバーはイライザからお茶をご馳走になりながら、綾子を待った。そこかしこにちょっとした道具が見え隠れするものの、ビクトリア朝の品の良い家具に囲まれた、居心地の良い客間だ。相変わらず、物だけは良い物を揃えている。

「一応釘はさしたつもりだけど。大丈夫かな?」

「凛、カーティス殿なら大丈夫です。その辺り、心得違いをする方ではありません」

「そうですとも。兄はそういうところは人いちばい堅いひとですから」

わたしの心配に、セイバーがこくこく頷きながら応えると、イライザもつんと顎を上げて言ってきた。イライザは兄妹だから分かるんだが、士郎にしろセイバーにしろ、最近なんかわたしの周りであいつの評価が高い。なんとなく釈然としないなぁ。

「どうもありがとうございました、ドクター」

「特に異常は見当たらなかった。もし精密検査を求めるのなら、大学病院を紹介しよう。伝がある」

そうこうしているうちに、奥から綾子と『真鍮ブラス』が戻ってきた。どうやら何事もなかったようだ。少しばかりほっとする。さて、それじゃあ用も済んだ、とっととおさらばしよう。

「じゃあ、ドクターも遠坂と学友なんですか?」

「ふむ、私は彫刻と博物館学を学んでいる。今は医者であるが、後々は其方キュレイターで身を立てるつもりだ」

と思ったのだが、結局こういう話になってしまった。
異常は無いとは言え、頭を打ったのだ、暫くは安静にした方が良いという事と、綾子が妙にここに興味を持ってしまった為だ。そんなわけで、改めてお茶をしながら、こうしてだべっているわけなのだが、

「彫刻家のアトリエには見えませんね」

「工房は別にある。ここは博物学関係の収集品を少しばかり置いてあるだけでな」

なんだか綾子が馴染んでいる。つらつらと室内を見渡しながら、『真鍮ブラス』の得々とした解説を感心しながら聞き入ったりしている。まあ、そうあからさま品物は置いてないから、問題はないだろうけど。こいつ、こういう趣味あったっけ?

「これは?」

「ん? ああ、いわゆるお守りと称される品だな」

綾子が尋ねたのは壁に額装して飾られている、装身具のコレクションだった。
エジプトを中心とした、スカラベやアンク、ロータスといった符を貴金属と宝石で形作った護符。無論、物だけは一級品を誇る『真鍮ブラス』のコレクション。全て“本物”だ。
と、一瞬、綾子の表情が堅くなる。そう、さっきジュリオに対した時、一瞬見せた表情と同じだ。

「ふむ……」

真鍮ブラス』の奴も気付いたのだろう。ふと立ち上がると綾子の視線の先、お守りの一つをおもむろに手に取った。

「“ホルスの目ウジャト”か。これがどうかしたのかな?」

「えっと、その……ちょっと睨まれてるみたいで怖いかなって」

はっと我に返って、照れ隠しのように苦笑する綾子。ちょっと驚いた。こいつこういうオカルトには、不可知論者だと思ってたんだけど。

「それはいかんな」

綾子の応えに、『真鍮ブラス』は微かに眉を顰めると、護符ウジャトを手に戻ってくる。

「これは逆なのだよ、ミスミツヅリ。これこそは瞳の恐怖を免れる守りなのだ」

いつもの小難しげな表情のまま、『真鍮ブラス』はホルスの目を綾子の手に握らせる。

「“眼には眼を”とも言う。進呈しよう」

「あの、これを?」

「医師としての処方箋だ。受け取りたまえ」

真鍮ブラス』はそのまま、軽く手を振ると、微かに口の端をゆがめて自分の席に戻った。……これで愛想笑いのつもりなんだろうか。

「あ……あはは。貰っちゃった」

暫く呆けていた綾子だが、照れたように笑うとそのまま護符ウジャトを首にかけようとする。

「ちょ、ちょっと待って。わたしにも見せてくれない」

慌ててわたしは綾子を止める。なにせ『真鍮ブラス』の品物だ、大丈夫だとは思うが、何かおかしな趣向でも凝らされていたら大事だ。

「なに? 遠坂も欲しいの」

「んなわけないでしょ」

にやにや笑いながらも、渡してくれた護符をわたしは詳細に確かめる。金と銀、それにトルコ石で作られた瀟洒で繊細な邪眼避けの護符。特におかしい細工はない。銀の装飾とトルコ石は後付だが、あくまで細工の域を出ていない。瞳の部分だけが赤っぽい金で、その辺りはちょっと珍しいが紛れも無くホルスの護符ウジャトだ。

「私の祖父がエジプトで手に入れた品だ。元はギリシャ物らしく、細かい細工はエジプトで施されたらしい」

そんなわたしの脇で『真鍮ブラス』が滔々と講釈を垂れている。ギリシャでホルスの目ってのは珍しいが、それで細工が後付の理由も分かった。

「その、高価な品なんじゃないんですか?」

「装飾品としてはさほどの品ではない、あくまでお守りだ。気にすることはない」

薀蓄を聞いているうちに、不安になってきたのだろう。少しばかり引き気味の綾子の声に『真鍮ブラス』は鷹揚に応えている。

「それじゃあ、遠慮なく。有難うございます。ドクターブランドール」

それを聞いた綾子は『真鍮ブラス』に一礼してから、わたしから返してもらったお守りを首にかけた。おかしな所はなかったし、大丈夫だろう。きっと、恐らく…………多分。




結局、その後大事を取って倫敦観光は取りやめ、家に帰る事になった。帰ってみると、既に綾子宛の招待状も届いており、あとは夕方の“仮面舞踏会マスカレード”の準備をして待つばかりとなった。

「ねえ、美綴さん」

シャワーを浴び身支度を整えながら、わたしは少しばかり気にかかっていた事を聞くことにした。

「貴女、そういうのって信じてたっけ?」

「ううん……笑わない?」

どこから取り出したのか、下着まで上質のシルクで身を固め、上機嫌で首から提げた護符ウジャトを指先で弄っている美綴は、少しばかり表情を渋くすると、どこか恥ずかしげに応えを返してきた。以前はまったくなかった表情だが、今日は良く見かける顔つきだ。わたしは一つ頷いて先を促した。

「その……あたし達がまだ二年の時なんだけどさ。覚えてる? なんかえらく物騒な冬があったでしょ?」

それは覚えている。なにせ、その物騒の渦中に居たのだ。“聖杯戦争” 綾子が言っているのはその時の事だ。

「あの時、あたし通り魔に襲われたじゃない。あ、そんな顔しなくて良いって、噂と違って強姦されたわけでも、薬でラリってたわけでもないんだから」

どうやらわたしはえらく深刻な顔をしていたらしい。綾子は苦笑しながら手を振ると、これは誰にも話してないんだけどと、真剣な顔で言葉を続けた。

「あたしを襲った相手ってのはさ。実は化物だったのよ」

「化物?」

聞き返してはみたが、その事については知っている。あの時、綾子を襲った相手、状況からすると多分ライダーだったのだろう。

「顔は変なマスクしてて分からなかったんだけど、恐ろしく綺麗な女だったってのは確か。ボディコンのおかしなライダースーツみたいな服着て、地面に届きそうに長い髪をした、本当に背筋が凍るほど綺麗な女だった。一目で分かったね、こいつはこの世のものじゃない、化物だって」

綾子は一旦言葉を切ると、真面目に話を聞く気があるのかどうか、探るようにわたしの顔を覗き込んできた。それに応えて真剣な顔で頷くと、綾子は話を続けた。

「これでも結構、荒事には自信があったつもりなんだけどさ、そいつに一目見られてあたしはなにも出来なくなっちゃったんだ」

「一目って……マスクしてたんでしょ?」

「ええ、してたわ。でも言ったでしょ? 化物だって。マスク越しでもなんとなく見えちゃったのよ、恐ろしく綺麗で怖い瞳がね」

ホルスの目を握り締めながら、綾子は口惜しそうに表情を歪める。

「それが悔しくて?」

「いや、敵わないのは良いのよ。ああいう化物には人間なんてとても敵わない。それは本当に一目で分かった。悔しいのはそれじゃない。あたしはあの時、足が竦んで動けなかったんだ」

逃げ出しはした。だが、それは自分の意思では無く純粋に恐怖と本能からだったと言う。綾子は襲われ意識を失う前に、既に恐慌を起こしてしまって記憶さえも定かで無くなってしまっていた、と唇を噛み締める。

「やられるのは構わないさ。でもね、その瞬間まであたしはあたしで居たかった」

綾子はそこまで言うと、武芸百般、強面美綴さんと偉ぶってても結局この様さ、と自嘲げに笑ってみせた。

「じゃあ、武者修行って」

「衛宮は相変わらず人のことは鋭いね、あながち間違いじゃなかった。でも、まだまだだなぁ。今日もあの優男のひと睨みで萎縮しちゃったし」

今度、同じ目にあってもせめて最後まで自分で居たい。その為に女一人の大陸横断なんて危ない旅を決意したのだという。
成程、この間の冬木への帰省で、わたしはライダーがメドゥーサだったと知る事が出来た。最強級の邪眼に対抗できなかったからって、恥じる必要はない。だが、それを知らない綾子にとって、自分が自分に負けたことは耐えられないことだったのだろう。だからこそ、瞳を恐れ、それを克服しようと躍起になっているわけか。

「豪傑の評判を守るってのも、結構難儀ね」

「それは御互い様でしょう?」

だから、笑い飛ばす事にした。髪を梳きながら下着姿の女二人が笑いあうってのもどうかと思うけど、敵わぬ敵に傷つけられながらも、尚も前に進もうという綾子の事を哀れむ事だけは、断じて出来なかった。




「うわぁ、セレブだねぇ」

「ご冗談。こっちは本物の上流階級よ。極東のまがい物と一緒にして欲しくないわ」

美々しく着飾ったわたし達がルヴィア邸についたときには、既に招待客の殆どは集まってきているようだった。ロールスロイスが、一山いくらで並んでるところへミニで乗り付けるってのは、結構度胸が居る。ま、わたし達は中身で勝負だから、包装紙なんかには拘らないけど。

「凛、綾子。それでは参りましょう」

セイバーの先導で、わたし達は会場へ向かう。今日は、セイバーとわたしで色を入れ替え、セイバーが赤のマーメイドで、わたしが蒼のワンショルダーのドレスだ、そこへ白のスレンダーラインの美綴が加わり、自分で言うのもなんだがかなり良い線いってると思う。エスコートが居ないのが難だけど、士郎がホスト側の執事心得では仕方がない。

「やあ、待ってたよ」

と、思った矢先。するりとわたし達の所へ小粋なタキシードが滑り込んできた。続いて威風堂々歩む礼服と、ちょこちょこと可愛らしい若草色のドレスもやって来る。

「あら、ドクターもご一緒だったんですか?」

「ふむ、士郎・衛宮に聞いたのだが。君達にエスコートが居ないと言うではないか。端から知っていればこちらから申し出たものだがな」

真鍮ブラス』だ。嫌味な表情でわたしに眼を飛ばしてくる。くそ、士郎の奴余計な事を……

「士郎さんも、会場でまっていますわ。まいりましょう」

ま、とはいえ。ジュリオも『真鍮ブラス』もこういった事には如才がない。わたし達は改めて笑顔を作って、二人のエスコートを受ける事にした。

「それじゃあ綾子。ちょっと下腹に力込めてついてきてくれる?」

「いいけど、なに? ここで喧嘩でもするわけ?」

「違うわよ、ホストのとこへ挨拶に行くの」

喧嘩が出来りゃ却ってあっさりして良いかもね。わたしはそんな事を腹の底で思いながら、綾子を今夜のホスト、ルヴィアのところへ連れて行った。

「うわぁ、なに? 本物のお姫様?」

ルヴィアを前にして、綾子はわたしを突ついて小声で聞いてくる。まあ、確かに流石ルヴィア。いつもと寸分と変わらぬシュフラン氏を従えて、何時にも増しての金細工振りだ。これはもう、猫被りなんてもんじゃない、完全に別人格と言って良い。

「近寄ったらじっくり見るといいわよ……」

だからわたしも小声でこれだけ言っておく。わたしが見破られて、ルヴィアが見破られないってのはちょっとばかり腹も立つ。ここは綾子にしっかり見破ってもらわなくちゃ。

レディルヴィアゼリッタ。わたしの友人のミス美綴です」

「はじめまして、ミスミツヅリ。お会いできてとても嬉しいですわ」

くそ、今日はまた一段と分厚く被ってるわね。わたしが見とれるほどのお嬢さま振りじゃない。

「美綴綾子と申します。この度は、無理を聞いて頂いて有難うございます」

それに綾子も礼儀正しく膝を折って挨拶する。普段は伝法な綾子だが、こういった場ではきちんと対応できるところが流石だ。

「構いませんのよ、ミストオサカの御友達ならわたくしの御友達でもありますもの。色々とお話をお伺いしたいと、楽しみにしておりましたわ」

そんな綾子ににっこりと、それでいてきらりと瞳を光らせるルヴィア。早速取り込み工作掛けて来たわね。

「お話というと、ミス遠坂の事とかでしょうか?」

「いいえ、日本の事とかも、それはミストオサカの話題もあるでしょうけれど」

「でも、ミス遠坂は日本に居るときからいわゆる才媛でしたから、余り面白い話はございませんわ。何しろ隙がない女性でしたから」

が、綾子もさるもの。何か感じる物があったのだろう、微笑みながらどこかお茶を濁すような言い方で探りを入れる。

「それより、レディルヴィアゼリッタもミス遠坂とは御学友でいらっしゃるのでしょう?」

「ええ、ミス遠坂と同じ宝飾を中心に、デザイン関係を学んでおりますわ」

「でしたら、今はレディルヴィアゼリッタの方がミス遠坂に詳しいかもしれませんね。先ほど申したとおり、日本時代の彼女は隙がありませんでしたから」

微妙に話をずらしながら自分の懐へ持っていこうとする綾子。って、結局肴はわたし?

「それほどでしたの?」

「ええ、私も彼女とはとても親しくさせていただいていましたけど、気付かないうちにもっと親しい人が出来てしまいまして」

おい、こら。あんた何が言いたい。

「その方の方が詳しいかもしれませんわ。ミスター衛宮、御存知では有りませんか?」

ああ、くそ。そう来たか。わたしだけじゃない。ルヴィアも今一瞬表情がひくついた。

「ミスター衛宮とは私も友人でしたが、まさかあの朴念仁がミス遠坂を射止めようとは、思っても見ませんでした」

「ミスターエミヤは当家の従僕ですけれど,朴念仁というほど気が利かない者ではありませんわ」

「それは、人のことには結構鋭い男でしたけど、自分のことにはとんと御無沙汰でしたよ? あれで結構、女性に人気もありましたし、密かに思っている友人も片手ではすまないくらい……」

「そうだったんですの?」

少しずつ小さくなる綾子の声に、ルヴィアもつい引き込まれるように身を寄せてくる。わたしもそれは知らなかったわね。ルヴィアと一緒に思わず耳を寄せてしまう。

「実は……私も……」

頬をかすかに染め、益々声が小さくなっていく綾子。う、嘘……

「なぁんてね」

と、綾子は、額を付き合わせんばかりに近づいてしまったわたし達から、するっと身を引いてにやりと笑った。

「くっ」
「……ミスミツヅリ」

思わず二人揃ってむぅ――とばかりに、綾子を睨みつけてしまった。こいつ、士郎出汁にして嵌めやがったな。

「お嬢様」

思わず綾子に一歩踏み出そうとしたわたし達に、後からシュフラン氏の軽い咳払いが掛かる。つぅ、しまった。わたしまで一緒になってどうするのよ。

「やってくれますわね、ミスミツヅリ」

ルヴィアも流石に気がついた。するりと猫を被りなおしたものの、一瞬だけ苦虫を噛み潰したような顔で綾子を睨みつけると、こっそり小さく呟いた。

「負けましたわ。流石はリンの友人ですわね」

「それほどでも、でも今日はお客さんで良かった。まともに付き合ったらあんたとはきっと、殺す殺さないの関係までいきそうだから」

それに綾子も軽く微笑みながら小さく呟き返す。って、またあんたそういうこと言う。流石のルヴィアも目を見開いて驚いてる。

「かもしれませんわね。でも貴女となら背中の心配はしなくてよさそうですわ」

とはいえルヴィアはルヴィアだ、一転、花開くように微笑みながら物騒な事を言ってのけると、楽しんでいってくださいね、と一礼して次のお客様への挨拶にむかう。

「いやあ、まさか遠坂みたいなのがこの世に二人もいるとは思わなかったね」

残ったわたしの隣では、感心したように失礼な事を呟く白いドレスの美人。ルヴィアの化けの皮がはがれたのは小気味良いが、複雑な気持ちだぞ、これって。




わたしはそれから、綾子を連れて知り合い連中に紹介して回った。なにせ、ここに居る半分以上は魔術師、知り合いにはきちんと綾子の立ち居地を明かしておかないと、妙なちょっかいを掛けられないとも限らない。何故か知らないが、わたしの周りにはどうも魔術師とは思えないほどのお祭り好きが集まっている。

「よう、美綴。楽しんでるか?」

そうこうしていると、漸く士郎が顔を出してきた。両手にグラスを持ち、わたしと綾子に手渡しながら如才なく笑顔を振りまいている。

「楽しんでるけどさ。衛宮、あんた思いのほか器用だったんだな」

これにはちょっとばかり綾子も驚いているようだ、ピシッとグレイのタキシードを着込み、如才なく回りに声をかけ客に対応している士郎は、執事心得というより立派な主人ホストそのものだ。

「ルヴィアさんが、少しは表に顔を出せってうるさいんだ。好きでやってるわけじゃないぞ」

少しだけ眉間に皺を寄せ、大変なんだぞと口を尖らす士郎。でも結構、様になってると思うけどな。
六フィートを越えてすらりと伸びた上背、顔だって少年らしい柔らかさを残したまま、男の厳しさが備わってきた。うん、いい男だぞ。なんか嬉しいな。

「遠坂、なに、にやけてるのさ」

「べ、別になんでもないわ」

いけない、いけない、顔に出てたか。冷ややかに見据えてくる綾子に、わたしは笑って誤魔化した。

「ふうん、そう。でもあたしはどうもお邪魔らしいね。ちょっとナンパしてくる。お二人さんごゆっくり」

そんなわたしを尚も半眼で伺っていた綾子だが、一転にやりと笑うと、手を降って人込みに紛れていった。

「あっと……良いのか? 遠坂」

「ええと……大丈夫だと思う。ひと通り紹介して回ったし。あっちにはセイバー達も居るから」

「ジュリオやカーティスも居るな。それなら大丈夫か」

暫く心配そうに綾子を目で追っていた士郎だが、わたしの言葉と、綾子の向かった先にセイバーやジュリオが居る事を確認すると、安心したように笑いかけてきた。
となれば、少しくらいは楽しんでも構わないだろう。わたしは極上の笑みを浮かべ、士郎に向かって片手を差し出した。

「で、衛宮くん。これからどうしてくれるの?」

「へ? ええと……ご一緒していただけますか? ミス遠坂」

「喜んで」

一瞬躊躇した士郎だが、徐に小さく咳払いをすると、腰を折ってそっとわたしの手を取った。よしよし、それで正解。やれば出来るじゃない。




「やあ、妃閣下バロネス。楽しんでるみたいだね?」

それから暫く、士郎と一緒にせっせとコネつくりに専念していたところに、ジュリオが踊るような足取りでやって来た。

「ジュリオも楽しんでいるみたいだな」

「そりゃあね」

綺麗どころに囲まれ笑顔を振りまくジュリオに、士郎が半ば呆れたように返事をする。見事に満遍なく気を配ってる、流石のわたしもこれには感心した。並みの女たらしじゃないわね。

妃閣下バロネスもお変わりなく」

そのままするするとわたしの手をとり、軽く口づけするジュリオ。と、一瞬だけ視線が険しくなった。

「なにかあったの?」

どうも気になる視線だったので、わたしは軽い世間話に紛れて小声で尋ねてみた。

「ちょっと、いやな奴を見かけてね……」

なんでも時計塔がくいんの若手でジュリオと勢力を二分する女たらしの顔を見かけたという。わたしも名前だけは知っていた、たしかそいつはジュリオと違って本科だったはず。

「なに? ライバル登場?」

「妃閣下、それ酷いよ。僕は女の子を“魅了チャーム”したりはしないよ」

ジュリオは笑いながらも瞳だけは険しくして応える。そして小さく“ブロンズ”と付け加えた。成程、邪眼持ちってわけね。それも“銅”となればかなり高位の邪眼だ。確かにジュリオは女たらしだが、魔術で口説こうなんて腐った了見は持っていない。それは一緒にされたら怒るだろうな。

「ま、麗下や妃閣下が引っかかる事はないだろうけどね、一応御注進までに」

ジュリオはそう言ってウインクすると、綺麗どころに囲まれたまま去っていく。ジュリオのこれも、これはこれで問題あると思うけど。

「……美綴は大丈夫かな?」

そんな様子を呆れながら見送っていると、士郎がポツリと呟いた。その一言で思い出した。綾子にとって邪眼は鬼門だ。それに何よりあいつは魔術師じゃない。もし万が一、そんな奴に引っかかったら……

「探すわよ、手伝いなさい」

「おう」

わたしは慌てて士郎に声を掛け綾子を探す。事情を知らない士郎も、わたしの顔色で何か察したのだろう、力強く頷くとわたしについて来てくれた。ともかく、まずは綾子を見つけないと。

「綾子は一緒じゃないの?」

「いえ、凛たちと一緒だとばかり」

でかい『真鍮ブラス』が目印になって、セイバーは直ぐ見つかった。しかし綾子は居ない。セイバーと『真鍮ブラス』、それにイライザが居るだけだ。

「凛、何があったのですか?」

こっちの顔色でセイバーも一つ表情を険しくして聞き返してくる。わたしはジュリオから聞いた話と綾子の経緯をかいつまんで話した。

「あのお守りだけど、まさかと思うけど手は加えてないでしょうね?」

「残念ながら、あれは祖父から受け継いだままだ。かなりの護符ではあるが、流石に“銅”が相手では持たん。使われれば砕けて終わりだろう」

ふと、お守りの事を思い出して、『真鍮ブラス』に聞いてみたのだが、案の定さほどの守りではないようだ。無念そうに、こんな事なら私自ら……とか言っているが、そうでなかったことがせめてもの救いか。
まったく、綾子の奴何処いったのよ。

「あの……」

「どうしたんだ? イライザちゃん」

と、ここで小さなイライザが、見上げるように士郎に声をかけてきた。

「綾子さんでしたら、先ほど中庭に出て行くのをみかけました。おとこのひとといっしょに……」

ちょっと待て。

「どんな奴だった?」

「それが……士郎さんは覚えていますか? まえに倫敦のまちで……」

イライザによると、前にわたしとルヴィアにちょっかいを出した魔術師の一人に邪眼使いが居たという。一目で全身凝固レベルの麻痺。間違いない“銅”クラスの邪眼だ。

「中庭ね、士郎、セイバー」

面識はないが、そういう事情ならそいつはわたし達に恨みを持っている。だったらわたしの連れの綾子に、なにをしでかすか分かったもんじゃない。わたしは即座に二人に声をかけ、中庭に飛び出した。




自分にも縁があると付いてきた『真鍮ブラス』、それに途中でとっ捕まえたジュリオを伴い、わたし達は中庭を駆け回った。

「どう? 居た?」

「こちらには居ませんでした?」

「中庭からは屋敷を通らずに外へ出られる。そっちに連れて行かれたら拙いな……」

「姫君に聞いてきた。あいつの車はまだ残ってるって。そっちには人をつけてもらったよ」

が、綾子の姿は何処にもない。ルヴィアのところに走ってもらったジュリオの報告が、唯一の朗報だ。車が残ってるってことは、少なくともそう遠くへは行っていないだろう。

「あの……これが……」

中庭の中央にある噴水に一度集まりなおし、これからの捜索方針を決めようとしたところで、イライザが泣きそうな顔で両手に何かを持ってやって来た。

「……ミスミツヅリに渡した“ホルスの目”の残骸だな」

それを受け取り検分していた『真鍮ブラス』がいつにも増して不機嫌な声で呟く。くっ、つまり綾子は既に邪眼に捕らわれてるってことじゃないの!

「とにかく手分けして、もう一回探すわよ。士郎、悪いけどルヴィアに手を貸して欲しいって頼んでくれない?」

「分かった、すぐ行ってくる」

わたし達はもう一度、中庭の捜索に取り掛かった。くそ……綾子にもしもの事があったら、唯じゃ置かないわよ。今度は……病気ぐらいじゃ済まさないんだから!
皆が散った最後に、わたしも捜索にと一歩踏み出したところで、

「――って!」

いきなり転んだ。ドレスの裾を後ろから引っ張られて、思いっきり前に倒れこんだ。くぅう、鼻打っっちゃった。こっちはワンショルダーなのよ! 危ないじゃない、一体なにが……

「あ、ごめん遠坂」

振り返ったところで、わたし同様四つんばいになっている綾子と目が合った。わたしのドレスの裾を持ち、いやあ悪かったと頭を掻いている。

「ちょ――んっ!?」

「ああ、ごめん。ちょっとやばいんで騒がないでくれる? 遠坂だけが頼みなのよ」

怒鳴りつけてやろうとしたところで口をふさがれた。どこか困ったような顔で、付いて来てくれと視線でわたしを促している。

「なにがあったのよ? いきなり居なくなるもんだから心配したのよ?」

「いやあ、ちょっとナンパされちゃってね。そこまでは良かったんだけど……」

四つんばいのまま、わたしは綾子の後に従いながら、中庭の潅木の間を縫って進んだ。一体なんだってのよ、人が心配してたってのに……

「結構いい男だったんだけど、人気が無くなったところでいきなり胸に手を伸ばしてきてさ……」

こそこそと地を這いながら会話する、ドレス姿の美女二人。成り行きでこうしてるけど、思いっきり怪しい姿じゃないの。

「で?」

「手首極めて投げ飛ばしたんだけど……そのまま動かなくなっちゃって……」

ここ、ここと促されるままに潅木の根元まで行ってみると、そこには盆踊りでも踊っているような格好できっちり凝固してしまっている色男が一人。そうか、こいつか……

「息はあるみたいなんだけど、ほら、目は見えてないみたいだし、石みたいに固まっちゃってるし……」

「怖くなってここに引きずり込んで隠れてたってわけ?」

「ええ。そしたら怪しい人影がなんか探し回ってるみたいでさ」

それはわたし達だ。そうか、こいつ、わたし達から逃げ回ってたんだな。どうりで見つからないわけだ……

「分かった。わたしがここに居るから皆を連れてきて。わたし達で何とかできると思うから」

「恩に着る、遠坂」

拍手まで打ってわたしを拝むと、綾子は大急ぎで屋敷の方に戻っていく。さて、それじゃあどうやって決着をつけますか……





「あの……彼は大丈夫でしょうか。ドクター」

「ふむ……突発性の凝固型癲癇の一種だ。ミスミツヅリが気にする事はない。君のせいでは無くただの病気だ」

命にもまったく別状がないと、自信溢れる『真鍮ブラス』の科白。思い切りいい加減な説明なんだが、こういう時はこいつのこの無意味に堂々とした態度が役に立つ。

「良かった」

漸く緊張が解れたのだろう、ほっと息をついた綾子は噴水の台座にへたり込むように腰掛けた。

「病気では仕方ありませんわね。彼のことはホストであるわたくしが責任を持って処理します。ミスミツヅリは気兼ねなくパーティを楽しんでいらして」

冷ややかなほど朗らかに微笑みながら、ルヴィアが使用人を指図して色男を運び出し、それでは失礼と屋敷に戻っていく。

「災難だったわね、美綴さん」

残ったわたし達は、綾子が落ち着くまでと三々五々に噴水の回りに腰を掛けた。

「いや、思いっきり頭から落しちゃったからね。良かった、危うく殺人者になっちゃうところだった」

胸元のアクセサリーを弄りながらへらりと笑う綾子。

「それ、ちょっと危なくないか?」

「いやいやシロー、女の子に乱暴しようとした奴なんて、それで十分さ」

「そういうときは、しょうめんから膝でけりあげるのがいちばんだと申しますわ」

苦笑しながら嗜めようとする士郎に、周囲から綾子援護の声が上がる。わたしも同感、もし綾子に何かあったら、如何していたか分からない。

「紳士にあるまじき行為だな。癲癇の発作は天罰と言って良いだろう」

真鍮ブラス』の奴もたまには良い事を言う。病気で誤魔化せたのもこいつが医者だからだし、今回ばかりは感謝しよう。
とはいえ、疑問もある。あいつはどうやら、自分の邪眼で固まったようなのだが、綾子は一般人だし、護符も大したものじゃなかった。一体どうやって……

「ええと、そのドクター?」

「なにかな? ミスミツヅリ」

「折角頂いたものだったんですけど、壊してしまったんです」

そんな事を考えているわたしの横で、綾子が恐る恐る『真鍮ブラス』に何事か話しかけている。ああ、やっぱり護符は壊れたんだな。わたしは何の気なしに、綾子が弄んでいる護符の欠片に目を移した。

「――え?」

「ふむ……」

屋敷からの照明を受けて、銀の鎖の先できらきら輝く黄金の円盤がくるくると回っている。あ、そうか、これは“ホルスの目”の瞳の部分、表は黄金の鏡、そして裏は……

「成程、本体はエイジスだったか」

蛇の髪を持った女性、メドゥーサのレリーフ。ペルセウスがメドゥーサの邪眼をその鏡に映すことで防いだ、そしてメドゥーサの首を嵌め込む事でアテナの盾となった、不破の守りエイジス。こいつはそれを模した護符だった。

「なんか、これって壊れる前よりも高そうでしょ? お返ししようと思って」

確かに、これはただの黄金ではない。ここまでびんびんと力を感じる、これは古く深く呪の刻まれた秘金オリハルコン製だ。今では製法さえ失われた古代の魔具。これは邪眼殺しではなく邪眼返しの遺物アーティフィクトなのだ。

「ミスミツヅリ、私は君に一度贈った物を突き返される様な非礼をしたのかな?」

「いえ、そんな」

「ならば、そんな哀しい事はしないでくれたまえ。それは私が君に贈ったものだ」

真鍮ブラス』は返そうと差し出された護符を、今一度綾子の手に握りなおさせた。正直値をつければ、洒落にならない額になるだろう。こいつのこの太っ腹なところだけは流石だわ。

「ええと、その、ドクター。有難うございます」

何ともいえない顔になった綾子は、もう一度礼を言うと改めて護符を首から掛けなおした。ちょっとだけ羨ましい。あんたは全然わかんないだろうけど、とんでもないもの貰ったのよ?





「いやあ、本当に世話になったね。遠坂」

「たっぷりとお世話したわよ、これは貸しだから」

「おいおい、遠坂」

「分かってるって、いずれ返すわよ」

士郎の突っ込みに、無償だからって言われた方がよっぽど怖い、と手を振りながら綾子は笑う。失礼ね、貸しって言うのは冗談なんだから。
結局一週間ほどうちに泊まっていた綾子だが、本日ここヴィクトリア駅からフランスに向けて出発する。このあと、フランス、ドイツ、イタリアと欧州を回って武者修行の続きなのだそうだ。
格好も、ジャングルブーツにカモフラージュパンツ。それにフィールドジャケットにアサルトベストと、倫敦へ来た時と一緒。ただ、首からぶら下がっている金のコインのようなペンダントだけが違っていた。

「それじゃあ、俺は荷物を預けてくる」

直ぐ戻ってくるからと、士郎はどでかいバックパックを貨物ラウンジへ運んでいく。
この格好で綾子は、パリまでは豪華列車の旅をする。ルヴィアがパーティでの不調法のお詫びにと、チケットを贈ってよこしたのだ。

「ふふん」

「……なによ」

そんな士郎を見送っていたら。綾子が妙に嬉しげな笑顔で鼻を鳴らした。

「いやなにね。女は男で変わるって本当だなって思っただけ」

「ふん、良いでしょ。士郎は良い男なんだから」

揶揄うように笑う綾子に、わたしは胸を張って応えてやった。いつまでも揶揄されてちゃ敵わないわ。

「あれ? あたしは別に衛宮の事だけを言ったんじゃないけど」

「へ?」

「優男にドクター。日本に居る頃と違って、遠坂は随分と良い男を近づけるようになったね」

「あいつらが良い男ぉ?」

「そりゃ、あんたは衛宮しか目に入ってないからさ」

傍から見たら皆良い男じゃない、とからからと豪快に笑う綾子。納得できないわよ、あんた趣味変わったんじゃない。

「男だけでもないしね」

思いっきり訝しげな目つきのわたしに、綾子は今度は優しく笑いながら話しかけてきた。

「日本に居る頃は、あんたはあたしの前だってめったに素は見せなかった。だってのに、こっちじゃ殆どすっぴんだったじゃない」

「……うっ」

確かに、そう言われると否定できない。綾子に言われて気がついた事だが、周りが皆魔術師である気軽さからか、わたしは昔よりも自分を隠さなくなってきている。魔術師としては、これはちょっとばかり問題だ。

「安心した。あんたとうとう居場所を見つけたんだね」

「なによ、それ?」

「日本じゃ、自分の家と、あとは精々衛宮の家くらいだったろ? あんたの居場所は」

あたしも結局、そこまで踏み込めなかったからね、と綾子は腕組みしてわたしを覗き込んでくる。言葉に詰る。否定は出来ない。確かに、あの街で、わたしは管理者ではあったが異邦人だった。

「でも、ここじゃ違うだろ? あんたの友達の所は全部あんたの居場所だった。まあ、元々日本人離れしてるとは思ってたけど、遠坂は魂の英国人だったんだねえ」

どこか的外れながら、的の中央をどんぴしゃと射止めてくる綾子。これだから弓遣いっている奴は侮れない。

「ま、今度会う時はあたしが自分の居場所を見つけて、そこにあんたを招待するから。借りはそのとき返すってことで」

「分かった。楽しみに待ってるわ。利子はつけないであげる」

そりゃあ助かった、と笑うと綾子は列車のタラップを上がっていく。
綾子なら遠からずに自分の居場所を見つけられる事だろう。軽く手を振る綾子の胸できらきらと回るコイン。いずれあれも必要なくなるかも知れない。

「良かった。間に合った」

そこへ士郎が帰ってきた。既に車中の人の綾子に向かって、まともな挨拶くらいさせろよ、と少しばかり膨れている。

「遅い。荷物はちゃんと預けられた?」

「おう、そっちはばっちりだ」

わたしの文句に苦笑しながら応える士郎。わたし達は車窓から手を振っている綾子に、揃って軽く手を振った。


Illusted by Maki akari

「じゃあ、また」

列車が動き出す。わたし達は、お互いそれだけを挨拶にそれぞれの世界に戻る。
綾子は列車に乗って人の世界へ、そして、わたしは士郎と共に魔都倫敦へ。


END


あかねのひとみ は美綴綾子の胸に。
基本的に私はあの世界において魔は魔、人は人ときっちり分けておりますが、これは外伝と言う形で、その二つの道が僅かに交差した御噺だということで。
聖杯戦争での出来事を覚えているのは何も参加者だけではないというお話でした。
ある意味“記憶の在処”Britain版と申せましょうか。
さて、今回。ここまで読まれた方は十分ご承知でしょうが挿絵付きです。雑記で色々書いた理由はこれだったんですね(笑)
今回、挿絵を付けてくださったまっきーこと東 麻姫氏に、万感の感謝を込めて。有難うございました。

Text by     dain
Illusted by 東 麻姫
(麻姫屋旅芸団)

2004/11/3

back   index

inserted by FC2 system