チッチッチッ
発条が弾け、

コクコクコク
歯車が回る。

トントントン
振り子が揺れ、

ジッジッジッ
再び発条が巻かれる。

筐の中で繰り返され、回り続ける、真鍮の管弦楽。
私はただじっと目を開き、耳を澄ます。

起き上がり、組み上げられ、分解されて、眠りに付く。
刻々と刻み付けられる円舞に、初めは無く終わりも無い。

くるくると回る惑星このほしのように、私もくるくると回り続ける。
何処から来たのか、何処へ行くのか、それは判らない。

私はただじっと目を開き、耳を澄ます。
いつかくる目覚めの時の為に。





しんちゅうのてんさい
「発条仕掛けの貴人」 −Brandoll 2− Fate/In Britain外伝-5 前編
Coppelia





「へぇ……」

街の中程にある、いかにも欧州な中央駅を出ると、まず真正面の綺麗に整えられた公園が目に入った。そしてその先に広がるのは、古い街並と大きくゆったりと流れる河。更にその向こうの小高い丘の上には、大きく立派なお城まで見渡せる。倫敦とは又違った、古いままな欧州の景観。
そのどれもが瀟洒でいて荘厳、街のあちこちに屹立した無数の搭が、更にこの街の雰囲気を幻想的に見せている。
“百搭の街プラハ”
今日、俺はその街に降り立った。

無論、倫敦どころか英国を遠く離れ、こんなところに俺が居るのには理由がある。
それは数日前、専科の講義が終わり、さて帰ろうとした時の事だった。

「シロー、プラハって知ってるかい?」

「あのなあ、俺だって流石にプラハくらいは知ってるぞ」

唐突にジュリオの奴が声をかけてきた。でもまあ、こいつが唐突なのはいつもの事だ、俺はあっさりと応えてやった。

「チェコの首都だろ? 中欧の」

「なあ、シロー。俺たちってさ、一応魔術師だよな?」

だのにジュリオは呆れたような顔をする。これには俺だってちょっとばかりむっとした。

「なにさ? それとプラハと何の関係があるんだ?」

「魔術師がプラハって言ったら、普通錬金術だろ?」

だが、俺の憮然とした応えに、ジュリオはやれやれシローは相変わらずだな、と言った顔で返してきた。
ええと……そういえばそうだった。俺なんかは錬金術と言うと、最近はめっきりアトラスの方と関わりが深くなってしまっているが、物質変成や元素魔術を旨とする本道の錬金術って奴は、本来プラハのほうが正統だったっけ。

「そ、そんな事は常識じゃないか。ち、ちゃんと知ってるぞ」

「シロー、今思い出したろ?」

「うっ……」

俺の応えに、見透かすような地中海の笑みを浮かべながら、朗らかに肩を叩いてくるジュリオ。誤魔化しちゃあいけないよなぁ、と本当に明るく笑い腐りやがる。くそ、反論できないぞ。すげえ悔しい。

「駄目だよシロー、そんなことじゃ黄金の小路も、プラハのユダヤ人街ゲットーも知らないんじゃないか?」

「わ、悪かったな」

一般常識的な知識はあったが、それが具体的にどのような場所か聞かれても、俺には通り一遍の事しか応えようがない。少しばかり悔しくはあったが、僕が教えてあげるよというジュリオに、俺は素直に頷く事にした。

「よし。じゃあシロー、プラハ行こう」

「おう、悪いな……って、ちょっと待て! なにがじゃあだ、なにが!?」

と耳を傾けた俺に、ジュリオの奴はいきなり、さらっととんでもない事を言い出した。

「ほら、習うより慣れろって言うだろ? 人に聞くより実際に自分で体験するのが一番じゃないか?」

「それはそうだけど……いや、待て! やっぱりどっかおかしいぞ、それ!?」

第一、プラハ行くったって。隣の家に遊びに行くみたいに気楽に行けるもんじゃない。旅費だって馬鹿にならないし、日帰りってわけにもいかないだろう。

「大丈夫、顎足はロハだよ」

「へえ、それならひと安心だな……っ、だから! 俺はまだ行くって言ってないぞ!」

「まあまあ、シロー。ちゃんと報酬もあるんだよ」

「仕事なら仕事って最初から言えよ……」

つまり、こいつは一種のバイトへの誘いだったらしい。
プラハへ赴く魔術師の護衛兼助手。ジュリオの他にもう一人必要らしいのだが、急な話でその手配が付かないのだと言う。

「で、俺か?」

「週末の三日。シローは確か空いてるだろ?」

「そりゃ、まあ……っておい! 明後日からじゃないか!?」

「ああ、だからシローに頼むんだよ」

こいつは……俺は思わずジュリオの奴を睨みつけた。そりゃ確かに今度の週末はルヴィア嬢のとこの仕事も入ってないし、空いている事は空いてるんだが。いくらなんでも明後日からってのは、ちょっと急過ぎやしないか?

「今度だけだぞ……」

「いやあ、やっぱりシローは頼みになるね。有難う」

とはいえ、こいつには色々と世話にもなってるし、借りもある。それも急なだけに払いも良い事だし、確かにこいつの言う通り勉強にもなるだろう。結局、俺は一言念を押しした上でこの仕事を引き受ける事にしたのだ。




「どうかね士郎・衛宮。プラハの街は?」

で、このどこか不機嫌な顔をして俺の傍らに立っているのが、今回の依頼主。カーティス・ブランドールだ。
何でもこの街こそが、ブランドール家の魔術師としての発祥の地なのだと言う。その事と、錬金術関係の素材を買い付ける為、毎年こうやって当主がこの街を訪問しているのだそうだ。
ブランドール家の専門は機械人形オート・マタ機像ゴーレムの作成。応用はともかく、素材や理論ではやはりこの街プラハが一頭地抜きん出ているらしい。

「なんていうか……倫敦よりずっと魔術の匂いが濃いな」

「ふむ、士郎・衛宮でもそう思うか。確かにこの街はいまだ中世が残っておるからな」

微かに口の端を歪め、カーティスは目を細めプラハの街を睥睨する。暗色の長外套インパネス・コートを羽織り、マホガニーのステッキを持ったカーティスは、なんと言うかえらくこの街に似合ってた。少なくともバリバリ東洋人の俺や、こんなところにまで地中海の太陽を引き連れて来ているジュリオなんかより、ずっと溶け込んでいる。

「カーティスは英国人だとばかり思ってたんだが、チェコの人だったのか?」

「いや、英国人だ。ただ家祖がここで魔術を修めたのだ」

あんまりに似合いすぎだったから、てっきりそうだと思って聞いた俺に、カーティス滔々と自分の家系について話し出した。
十六世紀の半ば頃、このプラハを錬金術の街とした時の皇帝ルドルフ二世。その皇帝ってのが、ジョン・ディーと言う当時英国随一の魔術師をこの街に招いた際に、弟子兼友人としてこの街を訪れたのがブランドール家の家祖だったと言う。
当時は魔術は駆け出し、ほとんどただの医師だったらしいのだが、この街でユダヤの律師ラビ機像ゴーレムの秘法を、プラハ城の錬金術師アデプト機械人形オート・マタの秘術を教わり、魔術師として一家を立てる事になったのだそうだ。

律師ラビの家系は絶えているが、私が教えを請うた弟子筋の老師が居る。魔術の師については、今もこの街にいらっしゃるので、今日は其方に赴いて泊まる予定だ」

そのままカーティスは、顔を俺の反対側に回し、当主は女性であるから失礼のないようにと念を押す。

「だってさ、シロー。気をつけてくれよ」

視線の先は今回のもう一人の同行者。今ちょうど、荷物を受け取って駅から出てきたこいつ、ジュリオ・エルヴィーノだ。
駅台車からどでかい旅行鞄を初め荷物を下ろしながら、イタリアの種馬は何故か俺に向かって言葉を返してきた。

「俺が? なにをさ?」

「何をって、僕は抑えられるけどシローは天然だろ? 自覚が無いんじゃよっぽど気を引き締めとか無いとね」

こら、ちょっと待て。その天然ってのは、なにさ?

「ふむ、理に適っているな」

一言文句を言ってやろうとした俺の隣で、何故かカーティスまで重々しく頷いていたりする。

「ま、シローについては僕が気をつけておくよ、旦那」

「私も気をつけるが、その件に関してはジュリオ・エルヴィーノ。君に一任しよう」

そのまま俺と反対の方向で、何か話が纏まっていたりする。なんか凄く理不尽を感じるぞ。

「なにさ、それじゃ俺がまるで天然の女たらしみたいじゃないか」

「……」

「……」

なもんで、今度こそと食って掛かったら。一瞬沈黙が走った。……なんでさ?

「ふむ、成程。そういうことか」

「って事なんだよ、旦那。こいつ大変だろ?」

「だが、まあ、これが士郎・衛宮であるのだろうな」

「おいこら、俺にわかるように言え」

そりゃ遠坂やセイバーからは常日頃、鈍い鈍いと言われてきてるが、同性のこいつらにまで言われると腹がたつぞ。

「すまない、士郎・衛宮。つまりはだ、今のままでいてくれと言う事だ」

「そうそう。シローが無理したらシローじゃないからね」

噛み付く俺に二人は苦笑しながらも、ふむふむ頷きながら謝罪してきた。なんか物凄く納得はいかないが、素直に頭を下げられて、これ以上腹を立てているのも大人気ない。俺はひとまず矛を収める事にした。

「それで、これからの予定は?」

「まず中央協会カロリヌムに挨拶を入れてから、先程の老師にお会いする為、旧ユダヤ人街ゲットーにあるシナゴーグに立ち寄る。それが終ってから買い物を済ませて、我が家師の館へ赴く予定だ」

「えっと旦那、もしかしてその間この荷物ずっと持っていくのかい?」

カーティスのいつもどおり飾り気の無い返事に、地面に置かれたちょっとしたチェストほどはあろうかと言う古い革の旅行鞄を眺めながら、ジュリオが微かに眉を潜めた。
たかが三日の旅行、俺たちの荷物はさほどでもない、カーティスもごく普通のスーツケースを一つ持っているから、こいつは旅行の為の荷物ってわけではなさそうだ。

「無論だ、その為の君達であろうが」

だが当のカーティスは、あっさり当然の如く言い切ってくれる。
つまり、古いもんで台車さえ付いていない、重さも数十キロはあろうかってこの鞄を、俺たちは抱えて運ばなければならないと言う事だ。

「車を借りるとか……」

「全行程で高々数キロ。さほどの手間ではない」

そう言うと、カーティスはさっさと先に立って歩き出した。

「諦めろ、ジュリオ」

「……なあ、シロー。こいつをどっちが持つかコインで決めないか?」

俺が肩を叩くと、ジュリオは暫らく俺の顔を見詰め、軽く口の端に微笑を浮かべると五十ペンス硬貨を取り出して来た。

「いいだろう、表な」

「じゃ、僕は裏だ」

ジュリオはそのまま親指で硬貨を弾くと、それを空中で受け止め、もう一方の手の甲にぴしゃりと掌ごと硬貨を打ちつける。そして、開いた手の甲には……

「……」

「それじゃ、シローよろしくな」

裏面を向けたコイン。ジュリオは軽いステップを踏みながら、俺とジュリオの手荷物を持ってカーティスの後に続く。仕方がない、勝負は勝負だ。俺はどでかい旅行鞄を持ち上げた。

「うわぁ重い……あれ?」

と、ここで俺は妙な事に気が付いた。確かに凄く重いんだが……この鞄、小刻みに震えている……というか、

――チッチッチッ

なんか時計の音と言うか、歯車とか発条の動く音と言うか……そんな音ともいえないような震動が伝わってくる。まさか、爆弾ってわけでもないだろうが、一体なにが入ってるんだろう?

「どうした、士郎・衛宮」

そうこうしていると、一人だけ立ち止まっていた俺に、先頭のカーティスから声が掛かってきた。

「いや、この鞄なんだが、時計でも入ってるのか?」

「時計?」

俺の言葉に、眉を顰め顎に手を当てていたカーティスだが、一つ唸ると何事か呟きながら答えを返してきた。

「ふむ……眠らせておいたはずなのだが、何処かでオンになったか……。まあ良い。どの道、老師にお会いした時に一度起動する予定だった。気にせず運んでくれ。君達にも後ほど披露する事になるだろうしな」

「お、おい。待ってくれ」

そのままカーティスは大丈夫だ気のする事は無いと、すたすたと先に進んで行ってしまった。俺は慌ててその後を追う。まあ、師匠の家に着いたら見せてくれるって言うし。カーティスも気にしてないようだから、大丈夫なんだろう。…………多分。




プラーグ中央協会カロリヌム。この正統錬金術師の総本山は、倫敦の大英博物館同様プラハの国民博物館の中に密かに設けられている。そこで到着の報告と登録を済ませ、俺たちは漸く魔術師としてプラハの街で活動する事が出来るのだ。

「あれ?」

そこを出てから、俺たちは正面のヴェーツラフ広場と言う公園とメインストリートが一体化した通りを抜けて、旧ユダヤ人街ゲットーに向かうのだが、そこで俺はふと視界の隅をかすめた物に目を奪われて立ち止まってしまった。
プラハは百搭の街といわれるほど搭の多い街だが、同時に人形の町と言えるほど、銅像や石像の多い街だ。街のあちこちに立像としてだけでなく、バロック建築の装飾としてもそれこそ窓ごとに像が刻まれている。
この広場にも、聖人像に囲まれたヴァーツラフと言う昔の王様の騎馬像があるのだが……

「どうした、士郎・衛宮」

「いや、あの銅像だけどさ」

「ああ、機像ゴーレムだ」

首をかしげる俺に、カーティスはあっさりと言ってくれる。

「プラハには多いよね。機像ゴーレムやら自動人形オート・マタやらは」

ジュリオまで、なんでもない事のように言う。って知らなかったのは、俺だけなのか?

「しかし、知らぬのに良くわかったものだ」

もう十年単位で動いていないような物ばかりだからな、とカーティスは感心したように俺に視線を向けてくる。なんでも共産主義時代は、碌なメンテナンスさえされていなかったらしい。

「シローはガラクタが得意だからねぇ」

「ガラクタはないだろ?」

ジュリオの言葉に、少しばかり反発を感じる。外見こそ野外の銅像らしく緑青がふいているが、今ではこいつはきちんと整備されてるようだし、これならちゃんとした術式を送れば直ぐにでも動き出すだろう。決してガラクタじゃない。

「成程、士郎・衛宮は護符以外にもこのような趣味があったのか」

などと力説していたら。カーティスは感心したように、ではこれより幾つか面白いところを案内してやろうと、歩みを進めだした。

「旦那は結構律儀だね」

「それは有難いんだが、ちょっと待って欲しいぞ」

俺は手に持った鞄に目を落として軽く溜息をついた。出来れば、これを置いてから案内して欲しいんだけどな。




「ふむ、丁度時間だ」

こちらだと指先だけで軽く示しつつ、堂々と歩むカーティスが案内をして行った先は、プラハ市内の北にある、周囲に十六世紀から十九世紀にかけてのバロック、ゴチック、ネオルネッサンスと言う各種様式の建物が居並ぶ広場。旧市内広場と呼ばれる一角だ。カーティスは、その中でもひときわ豪華な旧市庁舎の時計塔前まで進むと、立ち止まって徐に頷いた。

「へえ、時計が二つあるんだ」

上と下、二箇所に時計を収められた時計搭。そのうち俺の目を惹いたのは下の二重円で出来た時計だ。

「天文時計だよ、シロー」

「それくらい俺だって知ってるぞ……」

ジュリオの茶々にも、俺は上の空だ。なにせ、こいつは……

―― 告!――

と、その時丁度十二時を告げる鐘が鳴る。時計の鐘を鳴らしているのは死神を象った“人形” 続いて時計の上に二つ開いた窓に、次々と聖人の人形が現れ、正面を向いては祈りを捧げるように頭を垂れ、そのまま次の人形に場所を譲って窓に向こうに消えていく。最後に一匹の鶏が姿を現し、一声鳴くと聖人像同様に窓の向こうに消えていった。

「ふむ、どうだな。士郎・衛宮」

「おう、見事なもんだ。これは全部そうなのか?」

「流石だな、その通りだ」

俺は思い切り感心してしまった。この時計はある意味一つの自動人形オート・マタだった。中の人形も、その仕組みも、全て独立していながら全体で一つの有機的な機械オート・マタを形作っている。

「十六世紀の時計師にして錬金術師、ハヌシュがその全てを注ぎ込んで作った自動機械オート・マタだ。己が瞳を組み込み、一種の使い魔として完成されたと言われている」

カーティスは、時計と言う永遠循環の概念に自分の魂を込め、不死と言う魔術師の一つの目標を目指したのだろうと言う。
尤も今のこの時計からは、ハヌシュの魂は感じられず、自動人形オート・マタとしての精神も眠りについたままの、ただのカラクリ時計でしかない。多分、その時の術式は結局失敗に終ったと言うことなのだろう。
だが、それでもここに一つの機械は残り、ハヌシュの名は伝えられている。これも一つの永続と言えるのかもしれない。

「さて、次はこちらだ」

俺の感心に気を良くしたのか。カーティスは軽く眉の角度を上げて、重々しくも軽い足取りで颯爽と先に立って進む。仏頂面だが、これはカーティスが機嫌の良い証だ。
それにしても……やっぱり荷物を置かせて欲しいぞ。




「ふむ、どうした? 士郎・衛宮。顔色が悪いようだが」

そのままカーティスの先導で、教会や修道院の立ち並ぶ通りを抜け西に向かった。
と、プラハを象徴するような列搭の幾つかを過ぎた辺りでカーティスが声をかけてきた。相変わらず不機嫌そうな表情だが、片眉を上げ俺向かって訝しげに小首をかしげている。どうやら、俺の事を心配してくれているようだ。

「いや……ちょっと……な」

「だめだよ、シロー。麗下が見たら“最近、鍛錬をサボっているせいです”って怒鳴りつけてくるぞ」

確かにこのところちょっと鍛錬不足だけどな。ずっと軽い荷物しか持ってないお前には言われたくないぞ。俺は少しばかり恨みがましくジュリオを睨み付けた。そりゃ要所要所のコイントスで負けてる俺が悪いんだけどな……

「まあ、それはともかくだ。見たまえ」

そんなこんなで、些かへたりながらもひときわ大きな搭のアーチを潜った所で、カーティスがまるで自分の事でも自慢するかのように手を広げて口の端を歪めた。

「へぇ……」

俺は思わず鞄の重さを忘れて、今度も口を開けて見入ってしまった。
アーチを抜けた先に伸びていたのは、長さで三百メートルほど続く賑やかな人並みの行きかう石造りの広く大きな橋。その橋の欄干に連なる彫像の列で有名な、プラハの名所の一つカレル橋だ。だが、それならば驚かない。驚いたのはその像の殆どが機像ゴーレムだって事だ。

「こりゃ又、にぎやかな広場だね」

「おいおい、橋だろここは?」

「シローここはね、橋だけど広場なのさ」

そんな俺に横から茶々を入れてきたジュリオを、俺はむっと睨みつけてやった。が、ジュリオは踊るようなしぐさで両手を広げ、見てみなよと橋を指し示してみせた。
そこにでは、プラハ名物のマリオネットや似顔絵の露天が所狭しと立ち並び、通行人と賑やかに商売をしている。まあ確かに、広場と言えない事もないか。なんかお祭りの夜店みたいだな。

「しかし、本当に何処にでもあるんだな……」

「プラハだからねぇ」

ジュリオの答えにもならない答えを聞き流しながら、俺はカーティスに説明を求めてみた。得たりとばかりに朗々と語るカーティスによると、ここに並ぶ像は、じつのところ本物の彫刻のレプリカなのだそうだ。
二十世紀の初め、ここに置かれていた美術品である本物を露天展示による弊害を防ぐ為、レプリカと入れ替える事になったのだそうだ。その際、当時のプラハの錬金術師達が、こぞって機像ゴーレムを仕上げて、そのレプリカとこっそりすり替えたのだと言う。まあ、確かに魔術師や錬金術師は大学や博物館を隠れ蓑にしているから、そういった事ができるは判るけど……

「我がブランドール家の先代も一つ作っている」

何とかロヨラとかかれた像を指差すカーティスを眺めながら、俺はチクタクと何かを刻む鞄を抱えなおし、感心しながらも些か呆れ返った。魔術師って思ったより物好きな連中なんだな。
でもまあ、折角だ。俺たちはのんびりと彫像を眺めつつ、露店を冷やかしながら橋を渡っていった。

「では士郎・衛宮、ジュリオ・エルヴィーノ。本題に戻ろうか」

と、ちょうど橋を渡りきったところで、カーティスはくるりと振り返りながら、徐に口を開いた。

「本題って……なにさ?」

「なにさはなかろう、士郎・衛宮。忘れたのかね? 私がプラハに来た目的は観光ではなく、新型機の仕上げの為だ。まず旧ユダヤ人街ゲットーに向かう必要がある」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。じゃあこの橋は……」

「ふむ、士郎・衛宮。君の為に来たのだ」

こういった機材が好きであろうとわざわざ寄り道をしたのだと、うんうん頷きながら軽く口の端を綻ばせているカーティス。好意はありがたいんだが、せめてこの鞄を置かせてくれよ。




又負けた。

「シローは賭けに弱いんだなぁ」

「ほっとけ……」

再び持ち上げた鞄を手に俺たちは、旧市内広場まで戻る事になった。何の事はない、ここから北に百メートルも進めばそこが旧ユダヤ人街ゲットーだったのだ。

「ふむ、ここだ」

カーティスに導かれるまま、俺たちは歩みを緩めることなく旧ユダヤ人街ゲットーの中に入っていった。そのまま、素焼きの素朴なゴーレム人形を売る土産物屋の間を縫い、これは? と思うような教会とシナゴーグを幾つも通り過ぎ、カーティスが足を止めたのは、混沌に支配されたどこか荒涼とした一角だった。

「……石の山だ」

「一種の瓦礫だね」

「ただの石でも瓦礫でもない墓碑だ」

ユダヤ人墓地。足の踏み場もないほど立ち並ぶ、古く墓碑銘も読めぬほど磨耗した墓標の羅列。俺やジュリオの言葉じゃないが、本当に石の山だ。

「でも、こんなとこに?」

「士郎・衛宮。君も魔術師であろう」

そんな俺の文句に、カーティスは微かに眉を顰め、瓦礫の山の向こうに見える小さなシナゴーグの建物を軽く顎で指し示した。ああ、そうか。俺はその丁度裏面にあたる部分に、きっちり結界に包まれた一角がある事に気が付いた。

「カーティス・ブランドールだ。律師ラビ・エイジマフにお会いしたい」

俺が気付いたのを見定め、カーティスは鷹揚に一つ頷くと、その前まで進み墓碑の一つに手を置いて徐に口を開いた。

―― 解 ――

何かが開いた。ただ、見かけには何の変化もない。若干空気の質が変わったぐらいか。
カーティスはそのまま更に前に進み……

「へ?」

どんどん地面に沈んでいく。

「幻影結界の一種だね」

「お、おう」

素早く確かめると、先ほどまで地面だったところにぽっかりと穴が空き階段が続いている。人払いと幻影の結界。そこに機械装置を組み込んだのだろう。俺はカーティス、ジュリオに続き、慌てて階段に足を踏み入れた。

「なんじゃ、今年は男ばかりか」

「老師、いきなりそれですか」

暫らく階段を降り突き当りの扉を開くと、そこには白髪の老人が待っていた。

「昼には着くと思って飯の支度をして待っておったのだが、遅かったな」

細身で、年齢不詳ながら矍鑠としたその老人は、眼窩を覆うように生えた太い眉を片方だけ器用に上げながら、カーティスに向かってしわがれ声で捲くし立てる。

「連れの者がプラハは初めてでしてね、少々案内をしておりました。紹介しておきましょう、彼らは……」

「ああ、良い、良い。男の名前なぞどうせ覚えん。赤いのと黒いので充分じゃい」

そう言うと老人は挨拶もそこそこに、こっちへ来いと先にたって奥へ向かう。

「すまんな、ああいう御仁だ。この街有数の機像創りゴーレム・マスター律師ラビ・エイジマフだ」

「あ、いや。それは良いんだが……」

それを見送ったカーティスは、俺たちに顔を向けて肩を竦める。今ちょっと頭が揺れたから謝罪しているのだろう。そのカーティスに軽く応えながら、俺はジュリオと頭を見合わせた。まぁ魔術師ってのは多かれ少なかれ変わってるが……

「赤って俺かな?」

「多分、僕が黒だろうね」

男は髪の色だけって、徹底しているな。
とはいえ決して、無愛想なだけの老人と言うわけではないようだ。

「どうした、掛けんのか?」

俺たちの到着が遅れたってのに、案内されたホールの食卓には、ローストマトンにボヘミア茹でパン、ジャガイモのスープとほかほか湯気を上げた暖かい料理がたっぷりと用意されていた。

「その前に用件を済ませましょう」

「相変わらずせっかちじゃな」

「性分です。士郎・衛宮。鞄をここへ」

そう言ってカーティスは軽く頭を上げて一礼すると、手を上げて俺を差し招いた。

「おう、……で、これってなんなんだ?」

言われるままに、カーティスの隣まで鞄を運んだ俺は、ちょっと尋ねてみた。ずっと運んでたんだが、考えてみれば中身についてはなにも聞いてなかった。

「まあ、見ていろ。“開けエクストラクション”」

そんな俺に応えるように肩を竦めると、カーティスはステッキの先でこつんと叩きながら一言呟く。と、鞄はまるで発条が弾ける様に二つに割れ、見る間に四つに、八つに分かれていった。

「わぁ……」

カーティスと老師はぴくとも表情を動かさなかったが、俺は軽く感嘆の声を上げてしまった。
鞄はカタカタと音を立てて更に幾つもの部品に別れ、中から現れた真鍮のプレームが、発条が、歯車が、次々と伸び、回り、裏返り、どんどん新たな形へ、人型へと組み上がっていく。

「へぇ、女の子じゃない」

最後に出来上がったのは、真鍮の骨格と、組み合わされた発条と歯車だけの人形の筐体。が、その微かな揺らぎや動きは、ジュリオの言葉どおり間違いなく女の子のものだった。

「ブランドール・モデル56 Mk16。イライザの次世代の身体だ」

「じゃ、プラハでの用事って」

「うむ、この素体の仕上げ。つまり外装の装着だ。老師に外素体をお願いしてあるのだ」

ブランドールの自動人形は、内部を機械仕掛けで構成し、外装を特殊な粘土を焼き上げた、柔軟な素材で仕上げる機像と自動人形の複合体だという。だが、それでも最高を目指すイライザちゃんの身体には、いまだプラハ最高の機像創りであるこの老師の焼いた素体を必要とするらしい。

「飯を食ってまっとれ、仕上がったら鞄に戻しておく。符丁スペルは“閉まれコンプレッション”でよかったな」

そんなわけでもないだろうが、老師は自動人形オート・マタの筐体には興味がないようで、そのままこっちだと人形を更に奥へと導いていく。

「あれ?」

その時ちょっと気が付いた。チッチッチッと音を立て歩く人形。その目は周囲を見渡し、どこか耳をそばだてている風がある。微妙ではあるが、こいつは意思のある証拠だ。イライザちゃんの身体って言うなら“中身”はイライザちゃんじゃないのか?

「ふむ、良いところに気が付いたな」

そんな事をに聞いたら、カーティスはなにやら嬉しそうに説明を始めた。

「確かに、完成したならばイライザの“精神”を収める為に空にしておかねばならないが、完成までは調整とすり合わせの為に制御機構しんぞうは組み込んでおかねばならぬのだ」

今あの筐体に籠められているのは、この十年の間ずっとイライザちゃんの身体の調整を続けさせていた人形の制御機構しんぞうだという。

「私が始めて作った人形でな、基礎能力は高くないが今までの経験や蓄積が違うのだ」

今では、イライザちゃんの出来る事は殆ど可能なほど素体の性能を引き出せるまでになっていると言う。あの素体は一種の使い魔として魔術回路も移植されているから、イライザちゃんの使える魔術の行使も限定的ながら可能なほどだと胸を張る。

「もしかして、それって物凄くないか?」

大した事では無いと、腕組みして席に着くカーティスを尻目に俺はポツリと呟いてしまった。
いかに魔術に疎い俺だって分かる。いくらイライザちゃんの魔術回路を移植されてるからって、擬似生命にも至っていない自動人形オート・マタが魔術行使なんて、遠坂やルヴィア嬢が聞いたら卒倒しそうだな。

「旦那は時々たまに物凄いからねぇ」

そんな俺の呟きに、ジュリオも肩を竦めながら席に着く。それで良いのか? という気がしないでもないが、まあカーティスだからな。俺は改めて席に着き、昼食をご馳走になる事にした。


「それでは、今日はこれでお暇いたします」

「なんじゃい。泊まって行かんのか?」

食事も終わり、戻ってきた老師から何故か一段と重くなった鞄を受け取ると、カーティスは珍しく深々と頭を下げた。

「本日はリブシュ師の館に逗留の予定ですので」

「人形姫か、あの婆さんまだ生きとったのか」

「老師、それはお互い様でしょう」

どこか珍妙なカーティスと老師の会話を最後に、俺たちはユダヤ人街を後にした。




ユダヤ人街を後にした俺たちは、再び橋を渡り対岸のプラハ城に向かった。
と言ってもお城観光ではない。目的地はプラハ城の見事な宮殿でも荘厳な大聖堂ではなく、その一番奥まった所にある狭く細い路地だ。
どこかメルヘン調なパステルカラーの土産物屋が立ち並ぶこの路地こそが、かの名高き“黄金の小路”だ。
十六世紀の神聖ローマ皇帝ルドルフ二世が、多くの錬金術師を集め、ここに住まわせたと言う伝説のある一角。二十世紀の改築で、明るく可愛らしくなってしまったが、それでもこの一角にはいまだ神秘の入口が隠されていた。
一番奥、突き当りの城壁に設えられて高さ一メートルほどの小さな扉。その扉を潜ると情景は一変する。
そこは“表”の黄金小路と寸分変わらぬ建物の続く路地。だが空気が、世界が違う。僅か数メートル幅の城壁の中に折りたたまれたその小路は、常夜の月に照らされた、紛れもない神秘の世界だった。

「なあ、カーティス」

「なにかな? 士郎・衛宮」

「鞄がひとつ増えてないか?」

「当然だろう。Mk17用の部品を購入したのだからな」

口笛を吹いて居並ぶ怪しげな店を冷やかすジュリオと呆気に取られる俺を尻目に、すたすたとこの小路を通り抜けたカーティスが戻ってきた時には、その手には何故か俺の手にある鞄と同じ鞄が下げられたいた。

「いつの間に……」

店に入った様子もなかった。カーティスはただこの小路を堂々と往復しただけ。この鞄、一体どこから出きたんだ?

「なんだ、シローは気付かなかったのかい? あれは見事だったよ」

何でもカーティスが店の前を通り過ぎるごとに、店から品物が飛び出してきて見る見るうちに鞄の形を作っていったと言う。

「……どう言うところなんだ此処は?」

「だからさ、黄金の小路なのさ」

わかったようなのかわからないような事を言いながら、ジュリオはカーティスから新たに組みあがった鞄を受け取ると、何故か俺に向かって差し出してきた。

「なにさ?」

「荷物持ち」

「あのなあ、今までは一つだったけどこれからは二つだろ? だったら一つずつ持つのが筋ってもんだろうが!?」

「よしわかった、コインで決めよう」

「おう、今度こそ負けないぞ」

シローは我侭だなぁなどと勝手な事をほざきながら、ジュリオは又も取り出した五十ペンス硬貨を指先で弾いた。

「今度は裏だ!」

「じゃ、僕は表だね」

くるくると回るコイン。そいつをジュリオが空中で受け止めようとした瞬間。

―― 発! ――

何か掛け金でも外れるような音と共に、第三の手が、一瞬早くをコインを掴み取っていた。

「へ?」

「は?」

鞄だ。俺の手にある鞄から、可愛らしい女の子の手が伸びて、そいつがコインを掴んでいたのだ。そしてゆっくりと開かれるその掌にあったのは……

「ジュリオ……」

「……は、ははははは」

両面が表のコインだった。
更に俺は、すかさず素早く後ろに隠そうとするジュリオの片手を掴んだ。無理やり広げたそこには案の定、裏面しかないコイン。

「さぁ、どう言訳する?」

「ああ……ええ……その……僕が悪かったよ」

暫しの沈黙。俺の一言にジュリオの奴は脂汗を浮かべながら、諦めたように肩を竦めて頭を下げた。全く、ふざけた事を…… 勿論、俺としてはそんな言葉で勘弁してやる気は毛頭なかった。覚悟しろよ、ジュリオ。


お待たせしました、しんちゅうのてんさい 今度は“一応”カーティスメインです。
やってきたのはプラハの街。型月設定で正統錬金術の総本山、そしてオカルトの歴史ではゴーレムと自動人形のメインストリーム。
以前 せいぎのみかた で話の出た男だらけのプラハ旅行の顛末です。
この、いかにもブランドールな街で一行はどんなお話を奏でますやら。
それでは、後編をお楽しみください。

By dain

2005/1/12 初稿


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