倫敦の三月初頭はまだ冬である。
降水量は少ないが、一日中晴れるということは無く、昼から崩れ午後には雨が降る事などは稀ではない。
今日も、朝方は日が差していたというのに、今はもう小雨がぱらついている。窓から見える庭園もその先に佇む温室も、未だ冷たい雨に打たれどこか寂しげだ。
ただこの居間にだけは、今も日がさしている。
金色に煌く艶やかなほどの髪は陽光、青く澄んだ瞳は晴空、白を基調としたドレスは流れる雲。

ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの周りだけは、間違いなく晴れ渡っていた。

「――んっ?」

紅玉を溶かし込んだような紅茶を口に、ルヴィア嬢はわずかに首をかしげた。
ほんの少し唇をすぼめ口に含んだお茶をまるで宝石でも転がすように吟味する。あくまで端麗に、しかしながら僅かに妖精じみた稚気を感じさせる表情だ。

ギリッ

ルヴィア嬢はカップから口を離すと、秀麗な顎に指を沿えなにやら微笑を浮かべるように考え込む。
楽しげに軽やかささえも感じさせる微笑のまま、微かに目を細める。

ギリッ

「悪くはありませんわ」

ルヴィア嬢は艶然とそれでいて決して品位を失わない声音で、そばに控える人影に話しかけた。
口元に手を当て、視線はそらさず考え込むように言葉を紡ぐ。

「そうですわね……七十五点といったところかしら?」

ギリッ

ルヴィア嬢は、これ以上ないくらい嬉しそうな微笑みのまま言った。

「合格ですわ。シェロの留守の間、わたくしのお茶の差配を任せます」

口の端が、品位を保つぎりぎりの角度まで吊り上がる。

「よろしくてね? トオサカ」

「ありがとございます。お嬢様」

長い黒髪をきっちりと束ね、一部の隙もないメイド服に身を包んだ遠坂凛は、能う限り丁寧に一礼し……

ギリッ!

奥歯を食い縛った。





きんのけもの
「金色の魔王」  −Rubyaselitta− 第三話 前編
Lucifer





畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生

わたしの頭の中で、漢字二文字が限りなく湧き上がる。ぐるぐると廻り廻って手を繋ぎ、ラインダンスを踊りだす。
奥歯を噛み締め、叫びだしたいのを必死で堪える。
『どんなときでも余裕を持って優雅たれ』
遠坂家の家訓を思い出し、必死で自分を抑える。

遠坂は後悔しないよ、だって遠坂は正しいんだから……そういったのは士郎だっけ。

でも同じ士郎が、アーチャーと一緒に手をつないでお日様のような笑顔で誘惑してくる。

――遠坂、そこまでに強くあることはないだろ――

後悔して良いかなぁ……

お父様ごめんなさい、貴方の娘は誘惑に負けました。
わたし遠坂凛は、本日ただいま後悔しました。お金の誘惑に負けた事を心から後悔しました。




わたしを後悔させたのはやっぱり士郎だった。
先日の学生工房での“事故”。まぁ、被害は結局「偽金ブラス」に全額補償させたし、ミーナも新しい炉が買えるとか言ってたので、そっちは問題なかった。
が、問題はうちの馬鹿。いつもの便利屋根性でミーナの工房の後片付けを手伝ったはいいが、鍛床を足に落として見事に複雑骨折。あれだけの化け物機像ゴーレム相手の時は肋骨の皹だけだったのに情けない話だ。
結局、合わせ技で全治4週間。魔術の補助で2週間に縮まったが、それでも1週間は入院する事になってしまった。

「馬鹿」

それが、病院のベットに括り付けてやったアイツへのわたしの愛情表現。最近、こればっかり言っているので、本当にそうなんじゃないのかと思ってしまう。あ、括り付けたのは比喩でなく本当。そうでもしないと、ふらふら歩き廻って気が気じゃないから。

「凛……それはあんまりかと」

「そうだぞ、縛るなんてあんまりだ」

「あまり、馬鹿だ馬鹿だと言うのは慎んだほうが。確かに、士郎は思慮の足りないところがありますが」

フォローのようで全くフォローしてないのがセイバー。へへん、縛るのはセイバーも同意だからね、アンタが怪我しようが死にそうだろうが、平気で飛び出しかねないヤツだってのは、わたしもセイバーも聖杯戦争の時に骨身にしみてるんだから。
わたしは士郎をとびっきりの笑顔で睨みつけてやった。どこに足折ってるのに、女の子の車椅子を押してあげるヤツが居るのよ!

「いや、だって階段のところで苦労してたみたいだったから……」

しかも階段でか! 流石のわたしもとびっきりの笑顔が引きつるわ!
こんな調子だ。本当に、放っておいたら足を折ったままナースコールに応えかねない。そこ! それは良い事をしましたねって顔で微笑まない!

「とにかく! 病人は大人しくしてなさい」

「病人じゃないぞ、怪我人だぞ」

ふふんとばかりに口を尖らす。最近こいつ口答えが多くなったなぁ……一辺躾けなおしたほうがいいかも。
まぁこの根無し草が大人しくしてくれるのなら、愛する人が縛り付けられるのくらいのことは我慢してやろう。うん。

そんな時だ。

「シェロ、お見舞いに参りましたわ」


やつが来た。


何処ぞに遊戯場でも開店したのかって言うほどの大きな花束を、執事に持たせてやつがやって来た。

「お加減はいかが? シェロ。ちゃんと養生していますか?」

やつは、わたしとセイバーなどまるで居ないかのようにベットの脇まで静々進むと、士郎の手を両手に包み痛ましげに覗きこみやがった。

「あ、ルヴィアさん。どうしたんです?」

一瞬だけやつに同情した。士郎? アンタあのでかい花束見えないの?

「お見舞いですわ。あら? ごきげんよう、ミストオサカ、セイバー」

「いらっしゃい、ルヴィアゼリッタ」

セイバー、こんなやつに挨拶するんじゃない! と言えないところが浮世の哀しさ。わたしもきっちり猫を着込んで挨拶を返した。

「いらっしゃい、レディルヴィアゼリッタ。わたしの弟子の為にわざわざお越しくださって、有難うございます」

「ええ、シェロはわたくしの大切な従者ですもの、当然ですわ」

「臨時雇いの士郎の為に、こんな立派なお花まで頂いて、感謝しても感謝し足りませんわ」

「たいした物ではありませんわ。シェロが早く治ってくれるようにと言う、わたくしの気持ちですもの」

いつ果てるとも知らない、わたしとやつのキャットファイト。士郎が仲良くしてくれよって視線で訴えかけるけど、却下。誰がこいつとなんか仲良くしてやるもんか。止めてやってもいいけど、それはやつが先に音をあげた時だけなんだから。

「お茶が入りました、ルヴィアゼリッタもいかがですか?」

わたしとやつの会話がもはや止まりそうもない事を察したか、セイバーが水を入れる。セイバーはこの中では、一番お茶を入れるのは上手くない。しかし残念ながら他に人がいない。わたしとやつは舌戦中だし、士郎はベット。使用人とは言え、流石に来客の執事にお茶を淹れさすわけにもいかない。

病室だけに、お茶葉こそそれなりの物を持ってきてあるが、カップもポットもお湯さえもいい加減な物しかない。だがやつはセイバーから渡されたお茶を、まるで最高級のお茶のように味わい、あら美味しいとまで言いやがった。
やつはそういうやつだ、たとえ最高のお茶を最高の道具で最上の方法で淹れても、淹れた人間の気持ちに毒があれば完膚なきまで叩きのめす。しかしどんな安っぽいお茶でも、入れた人間の心が篭っていれば今のように賞賛さえも惜しまない。しかもごく自然に、なんの作意もなくやってのける本当の意味での貴族だ。実に嫌なやつだ。

「それではレディルヴィアゼリッタ。本日は本当に有難うございました」

だから早々に追い出すことにした。

「あら? よろしいの?」

こっちがぶぶ漬け勧めてるって言うのに、やつは爽やかなまでの笑みを浮かべてそう言いやがった。とっとと帰れと言う言葉をオブラードと糖衣に来るんで吐き出そうとしたとき……

「シェロは二週間休むのですから……今月は半分ですわね?」

やつは、わたしたちでなく執事に向かってそう言った。

「はい、半分でございます」

セイバーの顔色が変わった。頭の中で電卓を叩いているのが見るからに分かる。多分、わたしもちょとだけ顔色が悪くなったと思う。セイバーが青い顔のまま、わたしに向かって首を横に振る。そうか……足りないわけか……

「ちょっとご相談があったんですけど……御暇いたしましょうか」

そのままやつは、人の足元を見透かした笑いを浮かべ立ち上がる。
くっ……まずい……
わたしは断腸の思いで呼び止めた。

「何かお困りのことがあるのでしたら、お話を伺いますわ」

「それでは、お言葉に甘えさせて頂こうかしら?」

やつはそれはそれは嬉しそうな笑みをうかべる。含みとか関係なしでちょっと見とれてしまうほどだ。
仕挫ったかもしれない……わたしは首の回りに虎鋏の顎が触れるのを感じた。

「実はシェロが怪我をしたのに加えて、メイドの一人に暇を出す事になってしまったんですの」

皆まで言うな、断る。

「急ぎでシェロの代わりが必要ですの。そう……三倍は出しても良いと思っているんですのよ」

さよならわたしのプライド。

わたしはルヴィアゼリッタの籠の鳥となった。




そして今、わたしはルヴィアのお屋敷で歯軋りしながら茶器を運んでいる。
士郎と同じスケジュールで昼からお屋敷に入り、掃除をしてルヴィアゼリッタのお茶の用意と近侍。予定ではこの後、夕食の準備手伝いとなっている。さすがに士郎のやっていた力仕事は除外になったが、かわりに執事氏の下で事務の雑用を仰せつかるらしい。洒落や嫌がらせでなく本当にメイドのお仕事だ。
ルヴィアゼリッタにずっと付きっ切りで、あれこれこき使われると思っていただけに、ちょっと意外だった。
とはいえ、さっきはきちんと楽しんで居やがった。チャンスを無駄をしないやつだ。あ〜腹が立つ。
全部、士郎が悪い。……あ、なんかちょっとすっきりした。

「お嬢様の午後のお茶、終わりました」

「ご苦労様です、ミストオサカ。首尾はどうでした?」

事務室で執事氏にご報告する。口調こそお客様で来てい時より若干フランクになったが、なんのかの言って、彼はわたしを使用人扱いはしていない。まぁ怠けたりミスをしたりしたら別なんだろうけど。

「お茶のお相手は、明日からもわたしで良いそうです」

「それは良かった、お嬢様には私のような年寄りよりも、同じ年頃の方と過してほしいからね」

わたしの報告に執事氏は嬉しそうに頷いた。ルヴィアゼリッタと同行しているときの執事然とした態度と裏腹に、裏方のときは結構表情の豊かな小父様だ。

「ミストオサカ、君もしばらく休むといい。今お茶を入れよう」

そう言うと執事氏は、わたしをソファーに座らせてお茶の用意を始めた。メイドがこんなとこでお茶してていいものだろうか、とも思ったがありがたく頂くことにした。

うっ……美味しい。使用人用なのだろう余りいい葉を使っていないのだが、流石に年季が違う。お茶請けに出たクッキーも自家製だろうか? とても美味しい。思わず幸せに浸ってしまいそうになる。
執事氏はそんなわたしを楽しそうに眺め、お茶を一口飲むと仕事を続けた。
そうなるとわたしも一応メイドだし、執事氏は上司だしでいつまでもお茶を楽しんでいるわけにはいかない。

「お手伝いしましょうか? あ、わたしに出来ることならなんですが?」

「いやいや、ここで私の話し相手をしてくれるだけで十分手伝いになっている。みなさい、私のような老人でも君のようなレディに良い所を見せようと仕事が早くなる」

真顔で言ってくださいました。そのあとわりと人の悪い笑顔で、違うかな? ってな視線なんか送ってくる。なんというか……結構お茶目で魅力的な小父様だ。士郎が懐くのも頷ける。
こういう風に返されると、社交辞令でなく本当に手伝いたくなってくるから不思議だ。

「本当に良いんですか? わたしメイドですし、出来る仕事があればやります」

すると執事氏が妙な顔でわたしを見る。はて?

「君はお嬢様が、衛宮君の代わりに手伝いをお願いされたと思っていたのだが……聞いていないのかね?」

「あの……なんの話でしょうか?」

執事氏はふむっと一つ唸ると、カレンダーを見、手元の書類に目を落とし、わたしをしばらく見て少しばかり考え込んでしまった。なんか不安になる態度だなぁ。

「すまないお嬢様からお話しすると言っているので、私の口からは言えない。しかし、明日来てくれたときには必ずお話があるはずだから、少しばかり待ってもらえないだろうか?」

「そういう事でしたら、わかりました」

ちょと不安ではあったが、こうきちんと言われたら頷くしかない。まぁルヴィアゼリッタの思惑はともかく、もし本当に危険があったらこの小父様が手を打ってくれるだろう。この人にはそういう信頼感があった。
その後しばらくわたしは執事氏と談笑し、夕食の支度、それから帰宅となった。帰り際セイバーにと手紙とさっきのクッキーを一箱お土産に持たせてくれた。
帰ってからセイバーに渡すと、ああ、お願いしておいて良かった、とか言いながら手紙を読んでいた……ちょっと待て、あんた達いつの間に文通するまでの信頼関係結んでたのよ。



そして翌日、わたしは午後にお屋敷に着いて用意が整うと、そのままルヴィアゼリッタの部屋に呼ばれた。

「すぐ出かけますわ、その荷物を持ってわたくしに付いて来て頂けるかしら?」

「はい?」

「トオサカ? この場合『頂けるかしら?』というのは命令ですのよ、おわかり?」

分かってるわい! ただそのでかいボストンバックに驚いたのよ!
畏まりましたと一礼し、わたしは額の青筋と食いしばった口元を隠した。そんなわたしの前をルヴィアゼリッタは鼻歌でも歌いだしかねない軽やかさで通過する。

「なにをしているの? 早くいらっしゃい。トオサカ」

入口で可愛らしく小首をかしげ、邪な笑みを浮かべたルヴィアゼリッタが楽しそうに急かす。
わたしは、床を踏み抜きかねない足取りでカバンを手にやつの後に付いて行った。
泣かす! 絶対いつか泣かす! わたしはこっちの荷物に一顧だにせず、すたすたと前を進むルヴィアゼリッタの背中に呪いを込めて呟いた。あ、実際に呪ったわけじゃないわよ、悔しいけどそんな隙無かったし……




それから、わたしは車に乗せられ出発となった。なんでも新しく買った館の点検と整備だそうだ、金持ちめ、羨ましくなんか無いんだから!
途中、時計塔に寄ったとき、一瞬この格好で連れ歩かされるのかと顔色が変わったが、幸い降りたのはルヴィアゼリッタだけ。どうやらこちらの工房には荷物を取りに寄っただけらしい。流石にわたしもこの格好で、街中歩かされるのは勘弁して欲しかったのでほっとした。


が、甘かった。


オックスフォード通りからピカデリー通りに入ったところで、天気も良いから歩きましょ、と車から降ろされた。右手にグリーンパーク、左手の高級ホテル群が連なる中、わたしはルヴィアゼリッタの後をメイド姿でつき従わさられた。げっ――日本大使館が見えてきた。
英国人に見られてもそうではないのだが、同国人に見られると思うと猛烈に恥ずかしくなる。こっちではいまだ現役であるが、日本でメイド服など見かけるのは、東京で年二回開催される特殊なフリーマーケットを代表とする趣味人たちの集まりくらいだ。
フレンチメイドで無いだけまし……とも思ったが、ルヴィアゼリッタがそんな物着せるわけは無いので却下。こいつは自分の品位を落とすことは絶対しない、というより思いつきもしないだろう。

「本当、お天気が良いと足取りも軽くなりますわ。そう思わなくて? トオサカ?」

「はいお嬢様」

あんた天気が良いから楽しいんじゃないだろ! メイド姿のわたしを連れまわすのが楽しいんだろうがぁ!! と心では叫びつつ、口では慎ましやかに応えてやった。
うう……この仕事終わるまでわたしの奥歯もつんだろうか。

結局わたしはピカデリー通りを抜けスローン通りの高級住宅街まで二kmほど歩かされた。

「さ、つきましたわ」

ルヴィアゼリッタは一軒の館の前で、わたしに意味ありげに視線を送りながら立ち止まった。
わたしは不審に思いながらその館を見てみる。遠坂邸よりちょっと小さいかなり古めの館だ。あれ?
わたしは慌てて住所を確かめる。げっ、ここって……

「――旧カリオストロ伯爵邸……」

「あら? さすがにお分かりになったわね」

ルヴィアゼリッタは上品に口の端を歪めると、付いてらっしゃいっとばかりにずんずん中に入っていった。
わたしはしばらく呆けた後、あわててルヴィアゼリッタのあとを追った。あいつ、とんでもないもの買いやがった。

カリオストロ伯爵。十八世紀に表の歴史に登場した有名な交霊占い師。フランス革命を裏で操作した本物の魔術師だったとも、ただの詐欺師だったとも言われている。なんで本物の魔術師であるわたしが確答できないかというと、彼については協会にもほとんど資料が無いからだ。協会員では無いが魔術師ではあったらしい、だがどんな魔術師であったかの資料が無いのだ。とにかく文字通り「謎の魔術師」それがカリオストロ伯爵だ。




「ミストオサカ、こちらに荷物を持ってきて頂戴」

中に入るとルヴィアゼリッタがコートを脱いで待っていた。わたしは言われるままルヴィアゼリッタのもとへ荷物を運んでいった。
館の内部はそれなりの瘴気が漂っていた。
魔術師の館というのはたいてい結界が施されていて、魔術師が強ければ強いほど強力になる。そんな館に魔術師が居なくなってしまうと中の物が淀み、きちんと管理しないと瘴気になって溜まってしまうものなのだ。だがここのそれは三百年間の重みは無かった、せいぜい三十年かそこいら分だ。伝説の魔術師の家にしてはちょっと拍子抜けする。

「いかが、ミストオサカ」

ルヴィアゼリッタが自慢げに聞いてきた。なるほど……わたしを雇ったのはこの為か。ふん、いまさらミストオサカなんて言ったって聞いてやらない。わたしはただのメイドだもんね。

「立派なお屋敷だと思います。お嬢様」

あ、青筋がたった。修行が足りないやつめ。

「ミストオサカ。わたくし魔術師としてのあなたに聞いておりますのよ?」

ひくついてるひくついてる、でも駄目、ただのメイドだから。可愛らしく拳を口に持っていって目を見開いて言ってやった。

「お嬢様、私はお嬢様が何を申されているのか分かりません」

ギリッ

歯わるくするわよ。爪先で小刻みに床を叩きながらこめかみに指を当て歯軋りするルヴィアゼリッタに、心の中で舌を出してやった。今までさんざんこの格好で弄ばれたんだ、これくらいじゃまだまだよ。

「話が進みませんわね……」

「左様ですね、お嬢様の申されることは全く分かりませんもの」

形の良い眉を品好くしかめつつ、凄まじい形相で睨みつけてくるルヴィアゼリッタ。わたしだって負けてはいない。あくまで従順なメイドを演じながら瞳だけで睨み返す。

しばしの視殺戦。お仕舞いにはお互い邪眼まで持ち出そうかという状況にまでエスカレートした。が、ここでは目的のあるルヴィアゼリッタの方の立場が弱い。思いっきり悔しそうな表情で休戦を切り出してきた。へへ、ざまみろ。

「ミストオサカ。少しばかり貴女をからかったのは謝罪しますわ。お話を聞いてくださる?」

「ええ、レディルヴィアゼリッタ。わたしの方こそ少しばかり大人げが無かったですわね」

本日一勝目、まぁ、わたしもここにはちょっと興味がわいてきたから、今日はこれ位にしといてやるわ。でも一言だけ言っておく。

「ですがレディルヴィアゼリッタ、魔術師一人雇うには報酬が低すぎませんの?」

これだけは絶対譲れない遠坂家の矜持。が、ルヴィアゼリッタはここでしてやったりと微笑みやがった。

「元々このことはシェロと二人っきりでやろうと思ってましたの。でもシェロが怪我をしてしまって……
ミストオサカ。貴女はシェロの代わりにと言った時に、快く了承して頂けたのではなくて? それともトオサカ家では口約束は約束では無いと仰るの?」

こ、こいつは言うに事欠いて……
しかしここはわたしの負け。負けは負け、認めなくてはならない。でも次は絶対倍にして返してやる、憶えてろ。

「ええ、わかりましたわ、レディルヴィアゼリッタ。約束は守らなくてはいけませんからね」

「ミストオサカがお話が分かる方でよかった」

お互いホホホと笑いあう。ちょっと引きつってるけど。

「それでいかが? このお屋敷」

「カリオストロ邸にしては少し瘴気が弱すぎません? 建物自体の結界はかなり良くできてますけど」

「そうでも無くてよ、協会が前の大戦直後に調査して、その時一度浄化したらしいですわ」

う、それ知らない。やっぱり本部に少しはコネ作っとくか。それでもちょっと薄いわね。

「その時の調査でも薄めだったらしいんですの、結界にどこか漏れがあるのかもしれませんわね」

「そうは思えませんわ、劣化の様子もないし」

ざっと見た限りかなり頑強な結界だ。ここまで頑強な結界は今ではそう多くない。時代だったのだろうか?

「ええ、今日、瘴気の蒸留を終えたらそれも調べるつもりですわ。手伝っていただけるんでしょ?」

それはかなり手間が掛かる。下手すると泊まりだなぁ、セイバーに連絡入れておこう。

「ミストオサカそれじゃ蒸留からはじめましょう。わたくしは一階の霊心に浄蒐陣を描きますから、ミストオサカは2階の霊心に収集陣を描いて頂けます?」

ルヴィアゼリッタはそういってわたしに宝石粉の入った小袋を渡した。良い石使ってるな……うっ羨ましくなんか無いったら無い!

ちなみにわたしたちが何をしようとしているかというと。瘴気の蒸留だ。
瘴気とは穢れたマナだ。一番使いやすい無色のマナは自然界には存在しない。すぐ廻りの色に染まってしまうからだ。だから無色にするには精製する必要があるのだが、自然界のマナは独自性が強く精製しにくい。
その点、瘴気は精製しやすい。”穢れ”は元来不自然なものであるから憑き易く離れ易いのだ。さらに”穢れ”の成分のため集めやすくなる。
水が高きから低きに流れるように穢れは清みに吸い寄せられる。それを利用してエメラルドの粉末で収集用の魔法陣を作り浄蒐陣へ転送する。ちなみにエメラルドの属性は”純粋”だ。
集めた瘴気の”穢れ”を浄化し蒐集するのが浄蒐陣だ、中央に”純化”を属性とする真珠を用い、周囲にそれぞれの毒や災害への護符能力を持った宝石で陣を敷く。最外郭の陣から収集陣で集められた瘴気が流し込まれ、内陣に向かうにつれてそれぞれの毒気をふるい落とされる。さらに中央で純化、無色のマナに還元されそこに用意された器に集められるわけだ。この一連の過程を蒸留と言う。

今回のように多層の建造物の場合、一番上に収集陣を敷き一番下の霊心へ流すのが常道だ、上から下という重力の法則にマナを類感させて浄蒐陣への流れを加速させるためだ。

「ええ、レディルヴィアゼリッタ。準備が終わったら連絡しますわ」

わたしは二階に上がって手早く準備を済ますことにした。
まず二階の全ての部屋のドアを開ける。余り必要性は高くないがこうやって空気が流れやすくしておくと、それだけ瘴気を集めやすい。そのあと魔力の流れをつかむ。うん、ここだ。わたしは二階の霊脈の中心を探り当てた。
そこは寝室だった。掃除はされているらしくそれほど埃はたまっていない。わたしはカーペットを引っぺがすと収集陣を描く。小一時間ほどで準備完了。ルヴィアゼリッタの様子を見に一階へ降りた。

一階も状況は同じ玄関以外のドアは開け放たれている。ふむ、霊心は居間らしい。

「レディルヴィアゼリッタ、二階の準備は出来ましたわ」

わたしが入っていったのは丁度最終段階、器の設置をしているところだった。
げっ……
ルヴィアゼリッタが器として用意したのはプラチナとどでかいダイヤモンドで作られた杯だった。
そりゃダイヤが一番堅牢確実ではあるが、普通こういうのってジルコン辺りの安い石つかわない?

「あら、ミストオサカ、こちらも今終わったところですのよ」

ルヴィアゼリッタがにっこり微笑む。これはあれだ、『あらミストオサカ、貴女はこんな品見たことは無いでしょうが、わたくしにはごく普通の品ですのよ』という笑いだ。誤解ではない、見事なほどに上品で淑やかな笑いであるが、他の人ならともかくわたしには分かる。
だからわたしも『そうですわね、この程度のことわたしならジルコンで十分でしょうが、レディルヴィアゼリッタではそのくらいの品でなくては無理でしょうね』という思いを込めて微笑んでやった。ほら、笑顔が強張った。

「それでは手順はよろしいですわね?」

「ええ、では二階に戻りますわ」

わたしたちはお互い引きつった笑みを浮かべながら、互いの宝石の残りを交換した。これを握ることで相手の魔法陣の起動を確認し、タイミングを合わせるためだ。
お互い相手の魔法陣の確認はしない。ルヴィアゼリッタは傲岸不遜で救いようの無いほど根性が曲がっているが、こと魔術の腕に関しては抜群だ。特に宝石魔術ならわたしがどんな陣を組むかなど重々承知しているだろう。無論、それはわたしも同じことだ。わたしたちは互いの持ち場についた。



 「―――――Anfangセット

収集陣を起動する、ほどなくして手の宝石に浄蒐陣起動の反応が送られてくる。よし……


「―――――Das Fliessen結合,aus Zwinger吸着 fur Trichter流動

魔法陣が蒼く輝く、周囲に風が渦巻く、青い光が絡みつくように風を捉え陣へと流し込む。浄蒐陣からも反応が返って来る。さらに左腕の魔術刻印が自動起動して陣の維持に当たる。
――よしっ、確かな手ごたえ。館の瘴気がみるみるうちに収集陣から浄蒐陣へ流れ込んでいくのを感じた。こちらはただ青い光が渦巻くだけだが、向こうの陣形では色とりどりに輝きながらあのダイヤに吸い込まれているのだろう。なんか悔しい。

―― 瞬 ――

最後に一つ閃光を放つと、蒼い光も渦巻く風も嘘のように消えて行った。よし、成功。


ドクンッ


と思った瞬間、何かが全身を舐めた。


―― 轟 ――


館全体を揺るがす衝撃。いや物理的でない魔力的な。

「――――あがっ!!」

ものすごい勢いで何かを吸い取られる感覚、視界が霞む。わたしは瞬く間に意識を失った。


みなさまお待ちかね きんのあくま 第三話前編です。
メイドです、お嬢様です、館です。とはいえ前編ではあんまり意味ありません。
とにかく前編は書き上げるのに苦労しました。まず凛嬢の一人称と言うのが思いのほか難しい。
士郎君はボケができるんですが、凛嬢はわたしの作品傾向的に「説明お姉さん」な所があるため
あまりボケられません。
あとルヴィア嬢との絡み。いっぺん意地を張り出すと止まらない止まらない。
やはり二人きりにすると碌な事にならないと実感しました。

by dain

2004/3/11初稿
2005/11/4改稿

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