極東の外れ、世界の果ての小さな島国。そこに遠坂と言う魔術師の系譜がある。
魔術の系譜としてはそう悪い物ではない。
高々二百年ほどの歴史とはいえ、家祖は鉱物の特性と概念を以って幾多の秘蹟を実現する宝石魔術の頂点、文字通り”宝石”を冠する魔術師にして魔法使いキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ師。
魔道元帥とも称されるように宝石魔術だけでなく、魔術師全ての頂点とも言えるこの方の筋である以上、そう捨てたものではない。更にゼルレッチ師の弟子の生存率を鑑みるに、当代まで残っている事自体、かなり稀有な例であるともいえよう。
そのような訳で、開祖が早々に聖杯などという如何物に引っかかり、極東の島国に逼塞したきりではあるが、名前だけは中央にも聞こえていた。
若年時に修行の為、“時計塔”に留学してくるのも伝統のような物らしい。
尤もこの程度の家柄、魔術師の系譜には掃いて捨てるほどある。北欧随一と謳われる、由緒正しき我が家が関わるほどの家ではない。そう……六十年前までは……

事の起こりは、この遠坂と言う家が開祖以来関わってきた、“聖杯”と言うなんとも胡散臭い代物にあった。
“万能の願望器”それだけで十分如何わしい上に、それを手に入れるのに七人の魔術師が、最後に一人になるまで命を掛けて戦わねばならないと言う。しかもその道具として“英霊”と称される、いわば亜神を殆ど完全に現界させて使役してのけると言う出鱈目さだ。
これを胡散臭いと言わずなんと言う。
無論、わたくしも魔術師。“万能の願望器”や“英霊の現界”が全くの不可能だとは言わない。もしそれが我が家のように古い伝統と正しき血脈を伝える由緒正しい魔術の系譜が主催していたならば、さもありなんと納得しただろう。
しかし、実際にそれを主催していたのは、高々二百年満たない新しい、しかも極東の外れと言う全くの蛮地の魔術師であったのだ。何か、卑劣な策略と考えた方が妥当だろう。

だが、我が家はそれに敢えて関わった。
伝える魔術こそ決して戦向きではないが、我が家の家是は“戦いがあらば常にその場にあれ”なのだ。
人の最も高き血筋を貴族と言い、賊の尤も高き血脈を貴賊と言う。貴族にして貴賊。それこそが我が家の伝統。
ならば、例え胡散臭い如何様のような戦いであっても戦いである以上、撃って出るは必定。それが罠ならば食い破り、最良の果実を手に入れる。それでこその貴賊なのだ。
それ故に我が家は六十年前、“第三回聖杯戦争”と称される如何物に参画した。無論勝ち残り、恐らくは出鱈目に過ぎない聖杯をはじめ、そこから得られる最大の利益を得るために。

そして……

敗北した。

敵地に堂々と乗り込み、無謀にも我が家に群がる愚かな魔術師どもを蹴散らし、勝利の果実に手を伸ばしながら、卑劣な遠坂の卑怯な騙し討ちにあい敗北したという。
祖母の話では、卑小な遠坂に掛けた微細な情けが仇になり。僅かばかりあった祖母と大叔母の間の諍いの種を卑怯な手で煽られ、遠坂でなくエーデルフェルト同士の戦いに誘導されてしまった事が敗因であったという。
獅子も時には狐に敗れる。ましてや直接の相手が同じ獅子ともなれば……
幼いわたくしは、祖母の語る遠坂の醜悪で恥しげも無い策略の数々を、義憤を以って歯噛みしたものだった。
由来我が家は、この卑劣さ故に日本には決して足を踏み入れぬと誓ったと言う。

尤も、これだけはわたくしにとって不満な事であった。
確かに卑劣で卑怯ではあったが、我が家は敗北した。ならば、雪辱すべきであろう。
足を踏み入れぬどころか、今すぐにでも再び彼の地に舞い降り、今度は、今度こそは遠坂の地、冬木に草一本生えぬほどの荒野を顕現させるべきではないのか?
そして、それをなしてこその我が家ではないのか?

だが、わたくしのそんな言葉への返答はいつも同じだった。
“彼の地にはそれだけの価値は無い”
聖杯などあるはずもない。三回の戦い、その総てが明確な勝者なし。“万能の願望器”など態の良い看板に過ぎない。そんな場所で、我が家の資源を浪費する事こそ忌むべきものであると……
実際、歳を経て魔術師としてひとり立ちしてからの調査の結果もそれを裏付けていた。日本という土地は、たまさか希少種を現す事はあっても、総体としてはさほどの物は無い。
幾分かの口惜しさを残し、わたくしは祖母の言葉に従い、遠坂の事については我が家の決定。つまり、無視を以って当たると言う定めに従った。
所詮、極東の蛮地に逼塞する家。その地に足を踏み入れる事もない以上、そんな輩と関わるはずもない。故に貴族として、そのような醜悪な輩と関わらぬ事も一つの術、そう思っていた。

だが今年、わたくしは否が応でもその家と関わる事になってしまった。
奇しくもわたくしと同年である遠坂の現当主。その当主が時計塔に入学してきたのだ。しかも、弱冠でありながらただの学生でなく特待生として、十全足る魔術師としてやってきたのだ。
あの出鱈目であるはずの、如何様であるはずの「聖杯戦争の勝利者」という分不相応な肩書きを引っさげ、これまた分不相応なセイバーという名の英霊などという、とんでもない存在を使い魔として引きつれてやってきたのだ。

遠坂凛。

それがこの雌狐の名。

わたくしルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの魂に、終生刻み付けられることになった宿敵の名である。





あかいあくま
「真紅の悪魔」  −Rin Tohsaka− 第二話 前編
Asthoreth





「ごきげんよう、レディルヴィアゼリッタ。今日も良い日和ですわね」

「ごきげんよう、ミストオサカ。本当に爽やかな日和ですわ」

わたくしとこの女の朝の挨拶。初めて会った時から変らない、雨が降っていようが霧に包まれていようが決して変わらない挨拶。
にこやかに微笑みを交わしあう、傍から見ていれば春の日差しのような、穏やかで優しげな絵にでも見えるのだろう。
だがこれは合図、今から始まる戦いの合図、互いが投げつける手袋の意味。
初めて会ったときから確信していた。これは擬態だ。優しげな光を湛える瞳も、穏やかな笑みを浮かべる口元も、淑やかな物腰も全ては仮面。わたくしを欺くことは出来ない。
分かるからではない、知っているから。

何故なら

  ――遠坂凛はルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの同類である――

                                           から。

それが、わたくしがあの女から得た第一印象。
その瞳の奥では地獄の業火さえ見下し、その微笑みの下では雷嵐の風すら心地よげに嘲る。嫋かな物腰の影で毒爪を研ぐ。それが遠坂凛。分不相応にもわたくしに挑む雌狐。
祖母から聞いていた卑劣で矮小な遠坂とは、幾分印象が違ってはいたが、わたくしの直感はこう告げていた。
“この女は侮って良い相手ではない”
証拠もある。口惜しいことではあるが、“聖杯戦争”なるものは唯の出鱈目ではなかった。
“万能の願望器”こそ破壊したと言う、魔術師としておよそ理解不可能な事を言ってはいるが、それでもあの出鱈目のはずの戦いから、この女は今尚現界する“英霊セイバー”という勝利の果実をもぎ取っているのだ。だから、この女を決して甘く見てはいけない。

けれど、何故かわたくしは当初、敢えてあの女と事を構える事を避けていた。
わたくしの直感が告げるとおり、あの女は間違いなく地獄の悪魔だ。だが、今までのわたくしの人生にその程度の悪魔なら五万と立ち塞がってきたではないか。そんな輩など完膚なきまでに叩きのめし、足元に這い蹲らせ靴を舐めさせるだけだ。今まで相見えてきた愚か者は、悉くそうやって駆逐してきたではないか。
地獄の悪魔など所詮その程度のもの、力を見せつけ踏みにじるだけで尻尾を振って媚び諂う。
無論そんな輩などわたくしの眼中には無い。
わたくしの敵は、いつだってわたくし自身だけだった。
だから、如何に聖杯戦争が実際あったとしても、この女の一族が我がエーデルフェルト家に唯一の汚点ベストの染みをつけたとしても、その程度の存在に違いは無い。わたくしは、自らの直感が告げる言葉を押し殺し、何時しかそう思い込んでいたのだ。

それ故、わたくしは遠坂に対する我が家の決定、無視を以ってこの女に対する事にしてしまった。
あの女の性格だ、いずれ不遜にもわたくしに挑んでくるだろう。だからその時に思い知らせてやれば良い。完膚なきまでに叩きのめし、エーデルフェルトが如何に優れた系譜であるか末代まで語り継がせてやろう。そう決めたのだ。
今にして思えば不思議だった。例え不利益を被ろうとも、雪辱の為なら遠坂の地にまで攻め入って勝利すべしと言っていたわたくしが、この時は何故か消極策を取っていたのだから。
だが、この時わたくしは待ちに入ってしまった。敢えて表面上は無視を続け、虎視耽々と機会を窺う事にしていたのだ。




「レディルヴィアゼリッタ。確かに五大貴石の効果は認めますわ。汎用性も高いし篭められる魔力も多い。ですが鉱石の意味は多様。それぞれの目的と用途に応じて使い分けてこそではありません?」

「すべて五大貴石でまかなえますのよ。だったら他の石を使うことこそ非効率ですわ」

幾許か、何か心に引っかかる物を残しながら待ち続けるわたくしだったが、そんな日々はそう長くは続かなかった。案の定、あの女は不埒にもわたくしに歯向かってきたのだ。
それは時計塔に籍を置いて、最初の鉱物魔術講義での出来事だった。五大貴石――ダイヤモンド、ルビー、サファイヤ、エメラルド、パール――これを用いればすべての宝石魔術は活用できる。このわたくしの持論に対する挑戦者。それこそが、誰あろうあの女だったのだ。
勿論、こんな議論は今まで幾度となく行ってきた。そしてその全てにおいて、わたくしは実力を以って持論の正しさを証明してきた。
好機到来、今こそエーデルフェルトのベストにつけられた一点の染みを取り除く時。わたくしは心の中で舌なめずりしながら、不遜な挑戦者を迎え撃った。

「ダイヤは確実ですけど脆さもある。ルビーやサファイヤも代用は利きますもの、いえ代用品のほうがその一点の力は大きいくらい」

「ですが、ミストオサカ。五大貴石には汎用性として一つの石に多数の意味を込められますのよ。これは他の石の出来ないこと。それに一点の力といっても石の質で補えますわ」」

「レディルヴィアゼリッタ。トルマリンの電、シャットヤンシー猫目石の混はどうしたら良いのかしら?」

「貴石の組み合わせで何とでもなりますわ!」

だが、敵もさる者。わたくしは痛い所を突かれて思わず声を荒げてしまった。その時、わたくしが悔いるよりも早く、あの女は瞳に被せた温和な仮面を脱ぎ捨てた。

「では……試してみます? レディルヴィアゼリッタ?」

明らかな挑発。けれどその瞳の光に、わたくしは一瞬今までの思惑も、幼い日から祖母に叩き込まれた遠坂の悪行も綺麗さっぱり忘れてしまった。それは驚くほど危険で、眩しいほど鮮やかだった。わたくしとは違う、でも本当のわたくしとよく似た意思の光。
わたくしは直感した。これは引けない戦いだ。名門の伝統も僻地の出来星も関係ない。エーデルフェルトと遠坂の、過去の因縁でさえ何の意味も無い。
これはわたくし、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトとあの女、遠坂凛の存在ありかたそのものに関わった戦いなのだ。

「ええ、本当に大切なのは理論だけでなく、実践による証明ですものね……」

手袋は投げつけられた。

「――――Anfangセット――」

「――――En Garandレディ――」

後はお互いの実力の世界。それぞれの持論に従い、わたくしは五大貴石のみで、あの女は五大貴石以外の宝石で、お互いの防壁を破り叩きのめす。ただ、その為だけの勝負が始まった。
遠くから眺めるならば、それはさぞ美しい花火の競演にも見えただろう。


「――――Fleche炎のごとく激しき嵐.――Coup droite凍てつく氷牙.――Degagement疾き風の刃.」

「――――Das Dracheschuppe火には龍の鱗.――Schnaps Von Feuer耐寒  火酒  精霊.――Ein Schloss Ver…風は胸壁に砕けん

わたくしが繰り出すルビーエメラルドサファイアを、あの女はヒスイ竜精アメジスト酒精ガーネット守護精で打ち落とす。多様な変化をそれぞれに対応した最小の組み合わせで叩き落してくる。


「――――Der Riese und brennt火炎   流星,EileSalve一斉射撃――」

「――――Contre tempe受け 捌き   突く――Froissment流し 滑らし 覆す.」

あの女の攻めも同じだ、組み合わせ上乗せされた魔術を、わたくしは五大貴石の多様性で防ぎきる。


「――――Atttaque composee水流  衝撃  複合弾.――Contre Attaque反復 反応 反撃

「――――Das Mittonen共 鳴 せよ, Nichts und Schein虚 と 実……Der tobrnde Wut das Meere!そして    狂 瀾 怒 涛

こちらが一つの石に込められた多数の魔術を一斉発動させれば、あの女はそれを読み、すかさず対消滅させる。あまつさえその隙を突いて、こちらが一つでは対応できない石を使い消耗戦に出てくる。
息がつけなかった。今までにこれほど多様な攻めを行ったことも受けたこともなければ、これほど多様な対応にあったことも行ったことも無かった。
お互いの石の蓄えは瞬く間に減少していく。打ち出され弾かれ毀たれ磨り潰される。しかし互いの体には傷一つつけられない。すさまじい消耗戦。


「……くっ―― Parade derect鍔本 堅固 防壁

「はん!――Der Fortsetzung Faust鉄拳   連打!.」

ついにわたくしの五重の防壁は四つまでが破られ、最後のダイヤに守りを託す。そこにヘマタイト衝撃弾の連打が襲い掛かってくる。
しくじったかも知れない……わたくしは心の中で舌打ちした。ダイヤの防壁は一番堅牢で確実。だが純粋な衝撃のみに対しては脆さが出る。
最後の切り札にとってくると思ったトルマリン雷撃シャットヤンシー  虚 術 弾  を初手で使い、こちらの防壁を削っていたのはこの為か……

だが


―― 緊! ――


わたくしの防壁を破った石であの女の手は尽きた。

ギリッ

わたくしとあの女との歯軋りが共鳴するように響く。一歩も引かず真正面から睨みあうわたくし達。

「ミストオサカ。ここまでですわ」

わたくしは微かな口惜しさを胸に押し込め、最高の笑顔で最後の宝石をあの女に見せつけた。

ピンクに煌くトルマリン。雷撃の魔弾。しかし五大貴石ではない。わたくしがたまたまこの日、手にしていた石。

「……そうでもなくてよ、レディルヴィアゼリッタ」

わたくしの手の石を見て、あの女もまた悔しさを胸に秘め、晴れがましいほどの笑顔でその手を開いた。

赤く燃えるルビー。五大貴石の一つ。火の魔術を篭められた魔弾。

先ほどまでの笑顔などかなぐり捨て、お互いもはや形振りかまわぬ唸り声を上げていた。互いの持論を主張しようとして、結局切り札は相手の持論の石なのだ。しかもお互いもはや守りは無い、相互破壊の千日手。

「今日のところはこのくらいで終わりにして差し上げますわ。ミストオサカ」

「レディルヴィアゼリッタ。貴女も今日のことは覚えていていただけることを願いますわ」

わたくし達はお互い捨て台詞を残して教室の反対側の扉から出ていった。
残ったのは半壊した教室と、教授をはじめぼろぼろになった学友たち。ただし怪我人こそ居るものの死人なぞは出ていない。
勿論、わたくし達はお互いそんなことは気にもかけない。魔術師たるものがこの程度の魔術、しかも自分に向けられたものではない術を防ぎきれぬなどありえない事。無傷で当たり前、怪我などはするのは修行と実力の不足の印。ならば何ゆえ気にする必要がある? 良い勉強になったと感謝して欲しいほどだ。
教室の修理代こそ桁を一つ加えて渡してやったが、次の講義の時、教授から受講生が激減したと聞いても、何の感慨も浮かばなかった。

それよりも重要なことはあの女の事だ。
この戦いではっきりした。技術ではない、才能でもない。
あの戦い、勝とうと思えば勝てた。単純なことだ、最後のトルマリンを途中で混ぜれば良かったのだ。あるいはワンアクションの魔術を混ぜて相手の隙を作る。そうすれば均衡は一気に崩れる。もっとも同じ事があの女にも言えるのだが。
しかしそれでは試合に勝って勝負に負けたことになる。あの戦い意地と誇りにかけても、試合でも勝負でも相手を完膚なきまでに叩きのめさなければ意味が無い。
それは互いの暗黙の了解。一歩も引けぬ譲れぬ思い。そう、あの気概、あの瞳に込められた意思。

あれこそが、あの女の正体。
その身は魔界に在り、地獄の業火に包まれて六百六十六の軍団に傅かれようとも、その魂は今なお天上の織天使として下界を睥睨する。
わたくしが十九年間育て培ってきたものと、おこがましくも肩を並べようとするもの。
あの女はただの悪魔ではない、ただの悪魔でなぞあるはずが無い。
あの女は魔王。華やかで美しく、天上の四大天使さえも見下す美君「真紅の悪魔アシュタロト
そしてその魂のありようこそがあの雌狐に一番分不相応な物。

わたくしは臍を噛んだ。やはり何の先入観も無く、一番最初にあの女に出会ったときに抱いた感触こそ一番正しかったのだ。
それが曇らされてしまった。
何故? 理由は明確だ。自分が可愛かったから。事実を認めて苦しむ勇気が無かったからだ。
エーデルフェルトに伝えられている遠坂と、聖杯戦争の勝利者である遠坂との差異。そして、実際にあの女を見た時の第一印象。その意味する事……

“エーデルフェルトは、恐らく先の聖杯戦争で遠坂に完敗していた”

あの女の祖先の事だ。間違いなく恐ろしく邪悪にして狡猾、陰湿にして性悪な手段で我が家を打ち負かしたのだろう。だが、負けは負けだ。
なのに、敬愛する祖母はプライド故にそのことを糊塗していたのだ。“二度と日本には足を踏み入れない”、つまりは無視する事でなかった事にしようとしたのだ。
胸が張り裂けそうな屈辱、腸が煮えくり返りそうな憤り、偽りを伝えられた哀しみ、それらがすべて一斉に押し寄せてきて気が狂いそうだ。
けれど、わたくしは祖母の事を責められない。わたくしはこの時まで、同じ事をしていたのだ。事実に気づきながら、その事から愚かなプライド故に目を背けてきたのだ。
だからこそ、この女を相手に待ちに入ってしまった。情報を集め、積極的に対策を立てるべき時間を、無視する事で無駄に費やしてしまった。
だが、もう間違わない。もう決して甘くは見ない。
そう、遠坂凛は例え狡猾な日本人で邪悪な遠坂の魔術師ではあっても、優れた、そして恐るべき魔術師であるのだ。
名門の誇りも、エーデルフェルトの汚点も最早関係はない。今なら例えその事を持ち出されても、鼻で笑って退けられる。

何故なら


  ――遠坂凛はルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの敵と同じである――


                                       から。

だから決してわたくし達は挨拶を変えない。手の内は明かさない。明かしてやるものですか!

「どうなさったの? レディルヴィアゼリッタ。お顔の色が余りよろしくないようですが?」

あの女はわたくしが見せた一瞬の隙を突いてきた。危ないところだった、この女の前で少しでも気を抜けばわたくしが十数年被って来たね……理性の殻が剥がされる。
だからわたくしは仮面をかぶりなおす。何か楽しいことでも考えよう、そう先日雇ったあの青年の間抜け面でも……ほら、自然と顔がほころぶ。ああ、あの素朴で純真な青年と、この邪悪で狡猾な女が同じ日本人とはとても思えない。わたくしはそんな思いを胸に、あの女ににっこりと微笑みかけてやった。

「いいえ、大丈夫ですわ。ちょっと考え事をしていただけですの」

「それなら宜しいのです」

心配そうな顔をしながら視線の奥でわたくしの隙を伺う。分かっている、前の講義ではこの女を叩きのめしてやった。これで戦績は五分、五勝五敗三十七分。分けが多いとはいえ次の勝負が命運を分けるかもしれないのだから。

「ええ、では参りましょうか? 確か次の講義はご一緒でしたわね?」

わたくしは心にも無い誘いをかける。いや、まったく嘘というわけでもない、この女が遠くに居るよりも、近くで監視していたほうが遥かに安心できる。ええ、と応えてあの女はわたくしと一緒に歩く。上辺にはだまされない、この女もわたくしと一緒、目の前でわたくしを窺う事のほうを望む。
ふと気がつくと、同期生たちはわたくし達を遠巻きにして近づいてこようとはしない。情けない話だ、魔術師がそのような恐れを表に出してどうする? それこそこの女のように近づいて監視し、隙あらば食らいついてくるほうが遥かにましだ。
わたくしはあの女のように分不相応な者は嫌いだが、それ以上に誇りに欠ける有象無象が大嫌いだ。

「そういえば、ミストオサカ。今日はフラウヴィルヘルミナを見かけられて?」

「今日は見かけておりませんわ、多分また工房で鉄鎚を振るっているのでしょう」

そんなことを考えていたせいであろうか、ふと一人の女性のことを思い出し、口にしてしまった。
ヴィルヘルミナ・フォン・シュトラウス。シュトラウス家の跡取り娘。軍人にして商人、職人にして魔術使い。それでいてそのように称されることを苦にもしない明るくとぼけた女性。
わたくし達に自分から近づいて来たのは彼女だけだった。ただ、わたくし達と共に居ることを楽しいと言い、わたくし達の間柄を仲が良いと称する感覚にはついていけないところがある。
無論、彼女とて扮っている。そうでなければ魔術師とはいえない。
例えば彼女は争いを避ける。「シュトラウスは私闘をしない」わたくしの御母様の言葉だ。商人であり軍人であるシュトラウスは集団を組織し、人づきあいを必須としながら争わないよう勤める。個人主義で唯我独尊を基調とする魔術師としては極めて異例だ。
ただ残念ではある。彼女のほうがわたくし達より戦えば強いだろう。魔術技術や魔力の話ではない。こちらならわたくし達のほうが確実にランクが上だ。ただ単に、わたくし達の得意とする魔術が戦闘に向いていないのに対して、彼女が戦闘の専門家であるだけの事。
だが、例え魔術は戦闘向きではないとはいえ、我が一族は常に戦場を疾駆してきた。未だ実戦を知らぬとはいえ、わたくしとてそう簡単に敗北するつもりは無い。だからこそ競い合ってみたい。シュトラウスの戦いがいかほどの物か実感してみたい。きっとあの女との競い合いのように心踊るけ……

……何を思っているのだろう。これではわたくしがあの女との競い合いを楽しんでいるようではないか。
わたくしは少々憮然としながら教室へ急いだ。




この日わたくしたちが受講したのは解呪術の講義だった。解呪“術”でなく解“呪術”、つまり魔術の解術でなく呪いを解く術。本来、呪術は中東圏の魔術で、欧州を本拠とする魔術協会の魔術体系には入っていない。
無論、無防備であるわけではない。呪いに対抗する防護や守護の魔術や防護陣については一応の体系を持っている。だが、呪いそのものを掛ける解くといった純粋な呪術については劣っており、興味も持っていないのは事実だ。
わたくし達もこの講義を修得単位として受講したわけではなかった。この日の題材が、宝石に込められた呪いの解呪というテーマだった為、聴講生として受講することにしたのだ。

「テーマはホープ・ダイヤでしたかしら」

「ええ、ミストオサカ。正確にはホープ・ダイヤ型呪式に対する解呪式の構成ですわ」

これが、人気薄で低い地位に甘んじている呪術講座が打った人気取りの一手。
ホープ・ダイヤ。飲み込まれそうに深い青に輝く45.5カラットのブルーダイヤ。宝石を知るもの、呪術を齧ったものなら誰でも知っている世界的に有名な「呪いの宝石」。
一六六六年にインドの神殿からフランス人に盗み出されて以来3世紀半の間、その所有者を悉く破滅に導き続けた最大級の呪物。一九六〇年に新大陸のスミソニアン博物館へ納められてからはその呪いは終わったとされている。
だが、スミソニアンで行われた儀式の結果が解呪でなく、封印に止まったことを考えれば実際のところどうであるかは明らかだ。考えてみれば新大陸の人工国家が、その理念たる“正義と真実”を見失ったのもこの頃だ。果たして本当に封印できたかどうかさえ定かではない。
いかに協会の魔術師が呪いに興味が無いとはいえ、テーマがテーマだ、人集めになら格好であろう。

「あら? 大して集まっては居りませんのね」

だが、さほど広くも無い教室にはそれでも30人程の学生しか居なかった。

「そうでもありませんわ、レディルヴィアゼリッタ。いつもは5人程らしいですから」

ああ、それならばこの人数でも大成功だろう。よく見れば機材も古めかしく、教室そのものも補修跡が見え隠れしている。はっきり言って貧乏くさい。
わたくしは些か幻滅する思いを抱いた。これでは肝心の宝石もたかが知れているであろう。

「……あまり期待できそうにありませんわね。イミテーションを使うのでしたかしら?」

「ええ、レディルヴィアゼリッタ。ホープ・ダイヤの精巧なミニチュアを使って、類感で感応させると聞いていますわ」

あの女がとくとくと語っている。石に呪式を埋め込み「似ている」という要素でホープ・ダイヤの歴史の重みを仮託して強化するわけだ。それにしても先ほどから、妙にあの女の応えが癪に障る。

わたくし達はともかく現物を目にするために最前列まで進んでいった。なぜか人垣が左右に分かれ道が出来る。心なしかざわめきの声も大きくなっていくようだ。なんだか失礼な話だ。

「君たちが来たのか……」

人垣の先、最前列に一人の若い男がいた。憮然とした表情で私たちを見ている。名は……ええと……誰だったかしら?

「あら、ミスターブラス真鍮。いらっしゃったの?」

「……ブランドールだ。カーティス・ブランドール。ブラスなど何処にも入っていない」

「御免なさい、ミスター。まだ英会話になれていませんの」

あの女よく言う……ああ、思い出した。この男「真鍮」ブラス氏だ。
わたくし達の同期生、年はいくつか上だったろう。学院に来るくらいだ家は名門、魔術回路も魔力もそこそこのものを持っている。
だが、才能は皆無。知識はあるが実践での技術はぼろぼろ。金に飽かせて道具の類はぴか一なのだが、下手に自分で手を加えて箸にも棒にもかからないものにしてしまっている。
よって「贋金」ブラス氏。あの女の命名だが嵌り過ぎであると思う。
まぁ、何度痛い目にあってもへこたれず、翌日また同じ事を繰り返す、あの不撓不屈の無神経さだけは賞賛に値するのかもしれない。

「ところでミスターブランドール。貴方は何故ここにいらっしゃるの? 呪術の講座を取っていらっしゃったかしら?」

見て分かるとおり目立ちたがりで派手好みなこの男が、呪術のような地味な講座を取っていないことは明白だ。
かといってわたくし達のように、宝石魔術に興味があるとも思えない。この男の流動の技術はコップに水を汲むことさえ怪しいレベルだ。

「ああその事か、この講義で使われるブルーダイヤを私が用立てたのだ」

ぶっきら棒だが言葉の端々に自慢の色が見え隠れしている。いっそ見事なほどの俗物ぶりだ。

「それなら、石には期待できそうですわ」

あの女が“石には”にアクセントを込めて言う。嫌味な奴だ。まぁ、確かにこの男の持っている物自体は悪くない。この男が手を入れなければという条件付ではあるが。

「父がここの教授と旧知でな、我が家の宝石の一つに条件に合う品があったからお貸ししたのだ。ああ、丁度やってこられた」

尤も、皮肉を無視したのか気がつかなったのか、「真鍮」ブラス氏は一向に動じない。そこに呪術の教授が入ってきた。
この教室同様にかなりくたびれた初老の魔術師だ。晴れの舞台とでも思っているのだろう、えらく気取ったしぐさで宝石を掲げている。

「…………っ」

あの女の息を呑む音が聞こえる。わたくしも同じだ、吸い込まれるようにそのブルーダイヤに見入ってしまった。大きさは大したことは無い、5カラットくらいの小さな石だ。だがその石は見事なほど精巧なミニチュアだった。周囲を囲んだ個性的にカットされた16個の小粒のダイヤも含めて、ペンダントヘッドの装飾もきちんと再現されている。だが何より目を奪われたのは中央に輝くブルーダイヤの輝きだ。色合いカット、全てにおいて存在感を主張していた。とてもイミテーションには見えない。
わたくし達は、教授の眠気を誘うような講義も呪式の展開も、まるでよそ事のように石に魅入られてしまった。

「素晴らしいダイヤですわ……」

「見事な石ですわね……」

どんなに気に入らなくても事実は認めなければならない。わたくし達は心ならずとも口をそろえて感嘆してしまった。……賞賛はかまわなかったが、口を揃えてしまったことは何か気に食わない。

「ふむふむ、いやいやそうであろうな」

「真鍮」ブラス氏はいかにも嬉しそうに石に付いての説明を始めた。

「君たちなら当然、ホープ・ダイヤが元々は67.5カラットあったことは知っているな? フランス革命後19世紀の初めに、オランダの宝石商が再研磨して今の大きさになったわけだ。その時に出たかけらで一番大きなものが我が家にあってな。この度、わざわざ私自らこの形にカットして装飾したわけだ」

ああ、なるほど。本物なわけだ、ここまで見事なことも頷ける…………なんですって?
わたくし達は思わず顔を見合わせてしまった。

この講義の肝はホープ・ダイヤの呪式の解呪だ。込められた呪式の解析自体はすでに済んでいる。さほど複雑なものではない。ただそこに込められた怨念の量と時間の堆積が半端でないだけだ。だからミニチュアを作って呪式を入れ、類感で少しばかり重みをつける程度ではたいしたことは無い。デモンストレーションには丁度良いくらいだろう。
だが、石が本物から切り取られた欠片とあっては話が違う。しかもミニチュアの精度は馬鹿がつくほど精巧。完璧な類感と感染が揃ってしまっている。さらに呪式も全く同じ。これではたとえ世界の裏側で封印されていたとしてもパスが通ってしまう。

「さて、これで呪式が編めたわけですな。ここに類感の重石を被せて……」

わたくし達の脳裏に眠たげな教授の声が虚ろに響く。

「ちょっと! ……」
「……お待ちなさい!」

わたくし達はほぼ同時に教授に飛び掛っていた。

が、少しばかり遅かったようだ。

わたくしが教授の胸倉をつかんだ瞬間。

青いダイヤは嘲るようににたりと笑い・・・・・・を浮かべた。




当初「あかいきつね」予定でしたが あかいあくまの第二話とあいなりました。
ルヴィア嬢視点の凛様との出会いと熱い戦いの記録です。
カミングアウト前のボケれないルヴィア嬢はきつかった。
今回は漢字ルビが多いのでフォント大をお勧めします。
あとオリキャラ再登場ですw

さて今回、新作hollowにおいてルヴィア嬢に付いて幾つかの新情報が入りました。
お気づきの方もあると思いますが、Britainでのルヴィア嬢は敢えて本編のルヴィア嬢とは違うであろう性格設定をしていましたので、そのままの延長線上の存在とはしないで済みますが、それでもエーデルフェルト家について出てきた新事実は無視しえず、今回の改訂となりました。

by dain

2004/ 3/24初稿
2005/11/05改稿

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