「驚いた、セイバーの悪い予感はこれが原因ね」

「呆れるほどですわね。儀式魔術フォーマルクラフトの専門家というのも、伊達ではないというところかしら?」

ワインセラーの隠し扉を前に、二人の魔術師が唖然と立っている。いや、これを隠し扉といって良いのだろうか? 確かに何の知識も感覚もない一般人から見れば隠し扉だ。しかし、魔術を少しでもかじったものならここまで強固な結界、見れば一目でわかってしまう。
何度もの儀式魔術で強化されたのだろう、この家全体に掛けられた結界が普通の玄関の鍵程度なら、この結界は倫敦中央銀行の大金庫並みの強度だ。俺でさえ判ってしまう程のあからさまな強度だ。
だが、遠坂たちが唖然としているのは結界の強さのせいではない。これほどの結界をしても止めきれず、外に漏れ出してきている中の瘴気についてだ。





きんのけもの
「金色の魔王」  −Rubyaselitta− 第四話 後編
Lucifer





「どうするんだ? 開けるだけなら俺でも出来そうだけど」

俺は二人に聞いてみた。隠し扉自体が一種の魔具になっている為、結界に穴を開けるような事をしなくても扉を開ければいい。すでに構造は解析済みだったので、開けることなら俺が出来る。いわば金庫の鍵を透視して見て、ダイヤルの当たりを読むようなものだ。……なんか本当に盗賊シーフじみてきた。

「馬鹿、いきなり開けたら瘴気の内圧で吹っ飛ぶわよ、町中に瘴気撒き散らす気?」

「下手をすると物理的な衝撃も伴いますわね……」

お二方に一蹴にされた。いや、俺もそうじゃないかと思ったんだけど一応ね。心の中で言い訳してみる。

「士郎、今は見てるだけで良いわよ。ルヴィア、ワインセラー使うわよ」

オパール防疫ルビー解毒、それとダイヤ強化ですわね。手持ちを使い切れば強度は十分ですわ」

「じゃお願い。防護陣は切っとくから」

エメラルド攻邪は足りていて?」

ターコイズ遮邪使うから良いわ」

てきぱきと作業を始める遠坂とルヴィア嬢。あいかわらず主語と目的語を省略しての会話だ。傍目から見るとよく通じるものだと思う。ちなみに俺にはさっぱりだ。
たったこれだけの会話で二人とも全く無駄なく動いている。本当は君たち仲が良いんじゃないのか?

ルヴィア嬢が部屋の中央に強化陣を敷き、遠坂が隠し戸から一番離れた隅に防護陣を組む。
なるほど。作業が進むにつれ、二人が何を意図しているのか俺にもだんだんわかってきた。工房と外とのつなぎ目であるこのワインセラーを強化して、扉を開けたときの圧力に対するクッションにするつもりだ。いうなればエアロック。防護陣はその間、俺たちを瘴気から守る為のものだ。

「あ、でもこれじゃ俺たち動けないぞ」

俺は疑問を口にした。防護陣に篭っていては仕事にならないだろう、それにこんな重い瘴気の中じゃまともに動けないぞ。

「はぁ? 瘴気は吹っ飛ばすに決まってるじゃない。なに言ってるの?」

あんた馬鹿? とばかりに遠坂さんが呆れられている。いや、そうだろうけど、問題はどうやって吹っ飛ばすかでね。

「セイバーですわね」

陣の準備を終えたルヴィア嬢がさらりと言ってのける。

「そ、セイバー。用意して、宝具使うわよ」

へ?

「やはりそうですか。作業を見ていて見当はつけておきました。しかし、凛。良いのですか?」

すでに了解していたようにセイバーが言う。気がついていなかったのは俺だけですか……

「今日はルヴィアも居るしね。わたしの魔力の七〜八割もってかれても問題ないわ。遠慮しないで風王結界インヴィンジブル・エアで一気に浄化して頂戴」

「判りました。そういうことならば」

セイバーは莞爾と笑って見えない剣を手に顕現させる。実に気持ちの良い笑みだ。多分セイバーも気がついたのだろう。
ルヴィア嬢が居るから魔力を使い切っても大丈夫。つまり魔術師としてルヴィア嬢を全面的に信頼して、命を預けるといったようなものだ。ルヴィア嬢も遠坂のこの決断を、なんでもない事のように受け入れている。まったく、お前ら凄いよ。俺もなにか晴れがましい気持ちになった。



「はい、セイバー。あとは押すなり蹴るなりすれば戸は開くわ」

魔法陣の用意を全て終え、隠し戸に開錠と施術を施した遠坂がセイバーに告げる。
セイバーはすでに、白銀の鎧と蒼の胴着に身を包んだ完全武装に姿を変えている。

「判りました。では凛、下がってください。シロウ。貴方の出番です。かなりの物理衝撃がきます。凛とルヴィアゼリッタをしっかり支えていてください」

「おう、任せておけ」

ようやく男の仕事が回ってきた。俺は防護陣の真ん中に腰を落とし、両手でそれぞれ遠坂とルヴィア嬢をしっかりと抱きよせた。こら! お前らなに睨み合ってんだ。さっきの俺の感動を無碍にするんじゃない!
腹が立ったので思いっきり抱きしめてやる。と、二人とも妙に縮こまって大人しくなった。可愛いらしくて良い。いつもこうだと苦労しなくて良いんだけどな……

「それでは参ります。良いですね」

セイバーが確認する。手の聖剣に力を篭め、風を舞わせる。そしてそのまま隠し扉を蹴り開ける。

――― 業! ―――

瘴気というよりあからさまな毒気が襲い掛かる。セイバーはその凄まじい毒気を聖剣で叩き切りつつ、風王結界を徐々に大きく展開させる。風は毒気を巻き込みワインセラーから奥の工房にまで流れ込み、駆け回り暴れ回る。風は嵐に、竜巻に暴風に変わり、埃はおろか周り中のありとあらゆる可動物を巻き上げる。

――― 轟! ―――

粉塵が砂利が小石が、しまいには拳大の小物までが跳ね回り、荒れ狂う。防護陣の中も無事ではすまない。魔術的な瘴気や毒気は防げても、物理的に暴れまわる石や砂利は防げない。俺は遠坂とルヴィア嬢を更にきつく抱きかかえ、身体全てで二人を守る。

「 ―― 風 王 結 界インヴィンジブル・エア ―― 解放ブレイク!」

セイバーが宝具の力を解放する。ただ毒気を吹き飛ばすのではなしに、遠坂から引き出した魔力を風王結界の風に乗せて、聖なる力で邪気を浄化する。巻き上がる風が濁りを吸い込み、白い輝きに変え空に散らしていく。
腕の中の遠坂の息遣いが徐々に荒くなる。心なしか身体が縮んでで行くようにも思える。毒気を吹き飛ばすだけならともかく、こんな閉鎖空間内で毒気だけを浄化までしようと言うのだ。エクスカリバーの真の力でなくとも、その力の制御だけですさまじく消耗しているようだ。

――― 漸! ―――

セイバーが止めとばかりに、姿を現したエクスカリバーを一振りする。真名を明かさず、ぎりぎりまで抑えた聖なる力での浄化。刃風が工房内を切り裂くように舞い踊る。

――― 眞 ―――

荒れ狂っていた轟音が止む。

終わったのだ。セイバーは残心を正し、嵐は巻き上げた砂塵を残して空に消える。
あれほどまでの毒気は綺麗に失せ、工房は風王結界の清らかな空気に満たされていた。




「これが英霊の力ですのね……」

俺の腕の中で、ルヴィア嬢が小さく震えるような声で呟く。そうだった。ルヴィア嬢はセイバーの本当の姿を見たことが無かった。あの剣そしてその力の解放、魔術師ならわかるはずだ、これでさえセイバー本来の力の一部に過ぎないのだ。

「はぁ……きっつ〜〜ぅ……」

もう一方の腕の中、遠坂さんはさすがに脱力してへたり込んでいた。顔色はそう悪くないが、やはり瞳に力が無い。力というものは暴発させるより制御しきるほうが難しい、そのことを実感させられる。本当に魔力を八割がたもってかれたようだ。

なのに、俺を見るなり血相を変えた。

「ちょっと! どうしたのよ!」

「へ?」

俺は自分の体を確認する。うん、胴着のおかげで致命傷は無い。ただ顔やら腕やら足やらとかなり裂傷が走っている。痛みは少ないが出血は結構ある。とはいえ大したことはない。魔術師としては遠坂のほうがよほどやばい状態だろう。

「ああ、大丈夫だ。皮一枚だけだから唾つけときゃ治る」

「馬鹿! きちんと治療しなさい」

そういって俺の胴に手を伸ばし、更に目つきが悪くなる。あ……
シャツが裂けて胴着が剥き出しになっている。しまった……これのことまだ遠坂に話してなかった。

「ま、いいわ。事情はあとでゆっくり聞かせてもらうから」

こんな状況なのに、遠坂さんはやっぱ遠坂さんだ。じろりと睨んで蛇のような舌なめずりをなさる。後が怖いってこういう時のこと言うんだな。

「お、おう」

それでいて遠坂の指は懐かしそうに胴着を撫でている。そうだな俺が悪い、これはきちんと話しておかなきゃならないことだった。

「というわけで、わたしはここまで。ルヴィア、あとは任せたわよ」

「ええ、承りましたわ。ではまずシェロの治療をいたしましょう」

待っていたかのように嫣然と微笑んで俺の手をとるルヴィア嬢。
自家製だろうか? 軟膏を傷に塗り、そっと撫でるように掌を添えて呪を紡ぐ。微かな温かみと共に痛みと血が引いていくのがわかる……んだが。ルヴィアさん、お願いだからそんな勝ち誇ったような笑顔を遠坂に向けないでもらえます?

「ふん、そんなの唾つけときゃ治るわよ」

遠坂、さっきと言ってることが百八十度違うぞ。

「第一任せたって工房のこと。あの毒気があった場所なんだから、気を抜いてるんじゃないわよ」

がぁ――っとばかりに食って掛かる。でも流石ルヴィア嬢。伊達に遠坂のライバルは張ってない。

「セイバーいかが?」

にっこり笑ってセイバーに振る。

「今のところは。瘴気は全て浄化しました。先ほどの嫌な感覚もだいぶ薄れている、大丈夫でしょう」

ほらっとばかりに満面の笑みで遠坂を挑発するルヴィア嬢。まったく、この二人もっと穏やかに出来ないものだろうか。

「ほら、二人とも。俺はもう大丈夫だから、仕事にかかろう」

結局にらみ合う二人を追い立てる役割は、俺が担うことになった。こら! お前らのせいなんだぞ、何で俺ばっかり睨むんだよ!?




「あんだけの毒気があったって言うのに……」

不満そうに眉を顰める遠坂さん。

「原因が見当たりませんわね……魔法陣も結界強化ばかりですわ」

腕組みしてむすっとしているのはルヴィア嬢。

「結局、魔術師が行方不明になった理由もわからないわけですか」

それでも警戒を怠らないセイバーさん。

「日記はあったぞ」

これは俺、確かにここの魔術師の日記はあった。

「養鶏日記なんてあってもしょうがないんだから!」

がぁ――っと怒鳴る遠坂。そうなんだよな、何か重大な手掛かりがと思って開いた重厚な革装丁の日記は、何故か飼っている鶏の成長記録がびっしりと書き込まれていただけだった。実に克明に書いてあるが何の意味があったんだ?

結局、一通りの調査では魔術師が消えた理由もあの瘴気の理由も判明しなかった。まぁ風王結界の余波で大型の魔具はぼろぼろだし、小さいものもかなり壊れていた。
研究資料はそこそこ残っていたが、この魔術師は儀式魔術でも結界構成がメインだったらしく、なにかおかしな物を召喚したような様子も無い。
ただやたら粉っぽいというか、砂利や瓦礫が多かった。石柱かなにかを一本粉々にして部屋中にばら撒いたような感じだ。いやばら撒いたのは風王結界かも。

「石はそこそこの物があったわね」

宝石の詰まった皮袋を嬉しげにじゃらつかせる遠坂。やめとけ、ルヴィアさんが痛ましげに見てるぞ。

「あの毒気のおかげで魔力のトレースが利きませんわ、瓦礫一つ一つを仕分けて調べるしかありませんわね」

ルヴィア嬢が難しい顔で言う。遠坂もものすごく嫌な顔をしている。二人ともこういった地道な作業は苦手だもんな。あれ? セイバーまでなんでそんなげんなりした顔してるんだ?

「セイバー、どうしたんだ?」

俺が尋ねると、セイバーは小声でそっと囁いた。

「シロウ……あの二人が整理するのですよ……」

あ……

「わかった。遠坂、ルヴィアさん。整理は俺とセイバーでやる。二人は整理した瓦礫のチェックをしてくれ」

先手を打つ。さもないと終わらんぞ。

「な、なんでよ、わたしだってやれば出来るわ」
「な、なんですの? わたくしだってやれば出来ますわ」

二人同時に食って掛かっくる。そう言いながらもどちらも俺と視線を合わそうとはしない。こいつら……自分の整理能力わかってって意地張ってやがる。

「凛、ルヴィアゼリッタ。ここは私達に任せて欲しい。一切手出ししないように」

セイバーが柔らかな声音で二人を諭す。ただし視線の強さが半端じゃない。まるでバーサーカーでも睨みつけているような視線だ。

「うっ……わかった」
「りょ、了解しましたわ……」

気圧されてしゅんと頷く二人。だがすぐに仲良くむっ――っと俺を睨む。だから何故俺?
俺は群の突つき順位に付いての一考察をしたのち、おもむろに作業を始めた。凄くむなしかった。

「セイバー、先ず関係のなさそうな瓦礫を片付けるぞ。そのあと道具っぽいやつを整理しよう」

「では、道具と瓦礫の区別をお願いします。シロウはその類の事は得意のはず」

俺とセイバーはてきぱきと瓦礫の整理を始めた。元の形がわかりそうな破片だけをとりわけ、欠片や砂利は一箇所に積み上げる。魔具や道具と思われるものも、パーツごとに並べて整理する。約二名、不機嫌そうに佇んでいるが気にしない。いや、下手に手を出さないように監視してるって方が正確か。

「あれ?」

俺はその途中、おかしな物を見つけた。小石や瓦礫とは少し違う感触。

「卵……の殻?」

くすんだ色の卵の殻だ。まぁ、あれだけ鶏が居るんだ不思議は無い。俺は小物の整理品の傍らにその殻を並べた。

「整理がつきましたね。それでは凛、ルヴィアゼリッタ。調査をお願いします」

やれやれといった感はあれ、一仕事終えた充実感に顔を綻ばせるセイバー。俺も同じ気持ちだ、きちんと整理されたガラクタを見渡して頬を緩ます。

「こら、そんなとこに突っ立ってないで士郎も手伝うの。道具の解析はあんたの得意分野でしょ」

おっと忘れてた。おれも遠坂やルヴィア嬢と共に道具の解析に乗り出した。

「なにこれ? 卵の殻?」

遠坂がさっき見つけた殻を手にとって眉を顰めている。もっとも俺はその時、別のものに気をとられていた。
視線の隅で何か小さなものが動いたのだ。壁の割れ目から飛び出して大型魔具の影になにかが飛び込んだように見えた。最初は目の錯覚かと思って、埃で曇った蒼眼鏡をはずしもう一度そちらを見る。すると……

ひよこ? 

少し育った感じのひよこの足だ。あの卵から生まれたやつかな? よく餌があったな。

「卵?」

ルヴィア嬢の声。

「ああ、鶏が居るんだろ? 不思議じゃない」

何の気なしにそう返事をすると、俺はひよこの事を確かめようと腰を浮かした。

「……黒の雄鶏しか居ませんのよ……」

あれ?おかしいな? こいつなんで尻尾が蛇みたいなんだ?? 
そいつは俺の方に振向い……

「士郎!」

遠坂が俺を思いっきり突き飛ばした。頭から大型魔具につっこんでしまった。遠坂! いったいなんだよ! 
頭を引き出し遠坂に文句を言おうとした瞬間、一気に邪気が膨れ上がる。

「遠坂!」
「セイバー!」

俺とルヴィア嬢の声が重なる。セイバーは無言のまま稲妻の速度で前に出た。

――― 一閃! ―――

白銀が走る。

――― 業怨! ―――

続いて、この世のものとも思えないすさまじい悲鳴。
絞め殺された鶏と獣の断末魔を合わせた様な叫び声を上げて、蛇の尾を持つ鶏はセイバーに切り倒された。



だが、俺はそんなものは見ていなかった。

「と……う、さ……か……」

瞳孔が開く、目の前が真っ白になる。

遠坂が倒れている。

呼吸が止まる、心臓が早鐘のように騒ぐ。

瞳は光を失い、吐息もなく、まるで物のよう遠坂が倒れている。

最初はふらふらと、最後は狂った獣のように俺は遠坂に駆け寄る。

「――遠坂ぁ!!」

抱き起こす、だってのに息をしていない。心音を確認しようと胸に手を当てる。

硬い

まるで石のよう、いや、石そのものだ。

「う…と…と、うさか……おい……冗談だろ? は、はは……――――っ!」

俺は悲鳴を上げた。先ほどの獣の悲鳴と同じ悲鳴を上げた。獣の断末魔のような、絞め殺された鶏のような悲鳴を上げた。恥も外聞も無く泣き叫んだ。

「シェロ!」

俺の名前を呼ばれた気がする。だが俺には抱きかかえる遠坂しか見えない。

「シェロ! 落ち着きなさい! シェロ!」

遠坂だ、これは遠坂なんだ、断じて遠坂「だったもの」じゃ無い!

「いい加減になさい! シェロ!」

殴られた。思いっきり殴られた。腰の入った、しかもグーのパンチで殴り倒された。

「る、ルヴィアさん?……」

呆気にとられた俺を「金色の魔王きんのけもの」が見下ろしていた。怒りに燃え、不甲斐ない下僕をあからさまに見下していた。強く不撓の意思を込めた美しい瞳が、俺を叱咤しながら見下ろしていた。

「正気に戻りまして? シェロ」

「あ、ああ……でも! でも遠坂が!!」

「判っています。セイバー? パスは?」

正気に戻って、それでもなお慌てる俺を制してルヴィア嬢はセイバーに声を掛ける。

「あ、……はい、まだ通っています」

俺同様、一瞬呆けていたセイバーが応える。よかった……セイバーにパスが通っているということは遠坂はまだ生きているってことだ。
が、ルヴィア嬢の表情はいっそう厳しくなった。奥歯をかみ締めている。いやちがう唇を噛み切ったんだ。

「セイバー」

ルヴィア嬢はセイバーを傍らまで呼ぶと、いきなり引き寄せて唇を重ねた。

「――! んっ…」

セイバーの唇も噛み切られる。さらに舌を絡められ吐息が、血と唾液が混ざり合う。

「――っ、はぁ……ルヴィアゼリッタ。いったい何を」

「臨時にわたくしからパスを通しました。リンとのパスをさっさとお閉じなさい」

「は、はい!」

恐ろしく厳粛ですさまじく淫靡な行為の後だというのに、ルヴィア嬢は峻厳なほど冷静な表情でセイバーに命じる。
くそ、思いつくべきだった。今の遠坂を生かしているのは魔力だ。しかし、今の遠坂の魔力は底が見えている。だっていうのに、セイバーみたいな英霊に魔力を流していては瞬く間に枯れてしまう。

ルヴィア嬢は軽くふらつきながら遠坂の傍らに腰を下ろす。

「まったく……貴女とんでもない使い魔ですのね」

セイバーをちらりと眺め軽く頭を振ると、ルヴィア嬢は掌を素早く巡らせ遠坂の身体を診ていく。と、ダガーを取り出し、遠坂のブラウスを下着ごと引き裂いて胸元をあらわにした。一瞬目をそむけたが、それでも見えてしまった。

遠坂の胸の中央は石になっていた。

「心臓を持っていかれてますわね……」

バックから手持ちの石を数個取り出し、呪を紡ぎながら左手の掌で砕く。

「――――En Garandレディ) 」

そのまま右手の魔術刻印を合わせて遠坂の魔術刻印を強制稼動させた。左手の砕いた石は心臓周りに振り掛ける。
石化の進行を抑えると同時に、心臓にかわって魔術刻印に血の循環を肩代わりさせる。遠坂とルヴィア嬢の刻印の相性あっての強制治療だ。

「あとは石化の解除ですわ。でも……血と土が必要ですわ。出来るならばリンと縁の深い」

「遠坂の血、直接使えないのか?」

息せき切って俺が尋ねる。が、ルヴィア嬢は首を横に振る。

「コッカトリスの毒に犯された血では意味がありませんの」

コッカトリス?

「先ほどの怪物です。邪龍の眷属。雄鶏が生んだ卵から産まれる蛇と鶏のキメラです」

セイバーが代わりに応えてくれた。そのままルヴィア嬢に告げる。

「私の血ではどうでしょう? 凛との縁もありますし、なによりコッカトリスならば私の血は上位種に当たる」

「十分ですわ、あとは土」

「ここの土は、やっぱり駄目なのか?」

「ええ、コッカトリスの血は土地も汚染しますの。結界が張ってありますから外へは漏れないでしょうけれど、中の土は使い物になりませんわ」

「では、私が外に出て」

セイバーが駆け出そうとする。が、俺が止めた。

「いや、セイバーは血の準備をしていてくれ。土は俺が何とかできる」

「シェロ?」
「シロウ……」

俺の名前を呼んだのは同じだがルヴィア嬢は疑問、セイバーは心配の響きだ。

「セイバー大丈夫だよ、遠坂の土ならあてがある」

「投影ですの? 出来るとは聞いておりますけど」

ルヴィアさんの心配ももっともだ。普通、投影魔術で創れるのは質の悪い代用品のみ。俺だって剣以外、ただの土くれでは普通なら碌な代用品はつくれないだろう。
だが、遠坂の土なら別だ。それなら創る必要は無い。きっとあそこにある。

「うん、大丈夫。自信がある」

俺は力強く頷き、魔術回路を開いた。

「――投影開始トレース・オン)」

俺は意識を中に向ける。奥へ……奥へ……



俺は真っ赤な荒野の立っていた。

何も無い。そう無数に突き立つ剣以外何も無い荒野。

空っぽの荒野。

土だって同じ、枯れ果てた赤土。

空っぽの土、雑草だって育ちはしない。

だから俺は探した。

たった一つ。

剣以外のものがある場所。

俺の知らない剣がある場所。

唯一つの本物のあるはすの場所。

俺は更に奥へと進む。

……

……

ああ、

見つけた。

黒い鉄床。

突き立つ蒼と金と紅の剣。

俺はその場所に駆け寄り跪いた。

両手で剣のまわりの土を掬う。

黒く、芳醇な土。

口に含めば味がしそうだ。

真赤な不毛の大地の中でここだけに生命溢れる土がある。

だって遠坂だもんな。

俺は手の中で溢れんばかりの命に輝く土を見て、苦笑しながら独りごちた。




俺は目を開き、両手をルヴィアさんに差し出す。

そこには紛れも無く、芳醇な遠坂の土が載っていた。

「これが?」

「ああ、間違いない」

「判りましたわ、信じましょう」

「うん、俺もルヴィアさんを信じる」

「当たり前ですわ。わたくしはリンに後を託されたのですよ? もし人死になど出してしまったならば、後でこの女からなんと言われるか判った物ではありませんわ」

なんてことだ、俺はすっかり安心していた。
こんな、遠坂が死にそうな状況だって言うのに、心から安心している。ルヴィア嬢は必ず遠坂を救い出す。セイバーの血、遠坂の土、それにルヴィア嬢の力。トリスだがサントリーだか知らないけれど、これだけ揃えばそんなヤツに遠坂を持っていかれはしない。これは信仰にも似た確信だった。

「――――En Garandレディ) 」

ルヴィア嬢の詠唱が始まる。石になった胸を覆うセイバーの血と遠坂の土が、交じり合い輝きだす。

「――――Qu'un sang pur聖なる血は……大地に)……Abreuve nos sillons……血は肉……土は命……還れ

光が眩しいばかり輝き、血が土が渦巻き混ざり合い昇華していく。ついに遠坂の全身が光に包まれ、
全ての煌きが収まった後には、傷一つ無く柔らかそうな遠坂の胸。
緩やかな上下から呼吸が戻ったことが判る。ルヴィアさんが脈を取りながら一つ頷いた。心音も正常らしい。

俺とセイバーの溜息がこだまする。よかった。本当に良かった。

「…………ん?」

「あ、目が覚めたのか?」

遠坂の意識が戻ったようだ。みな一様に頬が緩む。

「……あ、おはよ。士郎……」

なんか思いっきり寝ぼけてないか?

「……ん」

遠坂が甘えた目つきで俺に両手を伸ばしてくる。緩まった空気が一瞬のうちに硬直した。これって……俺に抱き起こせって事か?

「……ん〜」

呆然とする俺に、拗ねるような顔で遠坂が更にせがむ。硬直した空気の温度が、見る見るうちに氷点下にまで下がっていく。
助けを求めて周囲を見渡すがそんなものは無い。俺は意を決しせがまれるままに遠坂を抱き起こした。
ああ、もう! 俺は知らないからな。

「へへへへ、士郎あったかい」

冷たい二対の視線をまったく意に介せず遠坂が呟く。たしかにほかほかの遠坂は抱き心地が良い。俺だって周りの状況を忘れそうになる。忘れたいよぉ……

「おはよう、凛。相変わらずですね」

冷ややかな視線で、セイバーが呆れたような少々怒ったような声を掛ける。

「あ、セイバー。おはよう」

「まったく……本当に困ったものですわね…… おはよう、ミストオサカ」

「おはよう、レディル……え"っ?………」

固まった。ようやく本当に目が覚めたようだ。

「だ――――っ!!」

いきなり立ち上がり、俺のあごに思いっきり頭突きをかます遠坂さん。遠坂は目が覚めたろうが、今度は俺が向こう側に引っ張り込まれかけたぞ。

「――――つぅ……」

頭を抱えて遠坂さんは再びへたり込んでしまわれた。

「まさかこんなところでまで色ボケかまされるとは思っても見ませんでしたわ」

「シロウもシロウです。なにもこんなところで凛に付き合うことは無い」

俺たちに一片の同情も無い声が浴びせられる。まったく、ぐうの音も出ない。

「さて、ミストオサカ? 状況は把握してまして?」

ルヴィア嬢がとても嬉しそうに、神々しいばかりの苛虐な微笑みを浮かべる。

「わかってるわよ、ここの魔術師はあのコッカトリスにやられたってわけでしょ」

遠坂が忌々しそうに鼻を鳴らして立ち上がった。あ〜、ちょっと……

「あの鶏日記をよく読めばなんか分かるかも。多分、結界強化して捕獲しようとしたところで目が合っちゃたんでしょ。ここらに転がってる瓦礫が成れの果てってとこかな」

どうだ、とばかりに胸を張り、遠坂はルヴィア嬢と向かい合う。あのな、遠坂さん……

「あら? わたくしそんな状況に付いてお話しているわけでは無くてよ」

ころころと鈴を鳴らすように嘲りながら、ルヴィア嬢は勝ち誇ったように嫣然と笑ってのけた。あ〜あ……

「そろそろ胸元を合わせられたら? わたくしとセイバーだけなら宜しいのでしょうが、ここには殿方だっておりますのよ?」

「……――っ!」

ようやく状況を把握した遠坂は、胸元を抱え込むように真っ赤になってへたり込んだ。遠坂……どうでもいいが、俺を殴ることはないんじゃないか?





「あの〜〜ルヴィアさん?」

シェロがわたくしの膝で情けない声を出す。

「駄目よ、シェロ。今日はルヴィアと呼ぶ約束でしょ」

わたくしは最高の笑みでシェロに応える。指でシェロの髪を梳きながら、息がかかるほどシェロの顔に覆い被さる。どこかで歯軋りの音が聞こえたような気がするが、きっと気のせいだ。

ここはわたくしの屋敷の庭。春の午後の日差しを浴びて、わたくしはシェロの頭を膝に置き安逸を貪っている。ああ、良い気持ちだ。
これは報酬。遠坂凛の命の代価。シェロの一日借与権。安いものだ、シェロをよこせと言わなかっただけありがたく思って欲しい。

「いや、その……る……ルヴィア。どうも落ち着かなくて」

シェロが目を泳がせながら言い訳をする。真っ赤になってとても可愛い。ますます顔を近づけたくなる。

今日は朝からずっとシェロと一緒だ。目覚めはシェロに抱き起こしてもらった。朝食はシェロの手作りだ。午前はシェロに工房で授業をした。昼食はわたくしの手料理をシェロに食べてもらった。そして午後、こうしてシェロと柔らかな日差しを浴びている。

とても楽しい。とても嬉しい。幸せな気分だ。
傍らで妙な東洋人のメイドが歯軋りしているが、そんな耳障りな音までとても心地よい。昨日さんざんっぱら色ボケをかまされたのだ、まだまだこれくらいで済ますつもりは無い。

そして今、シェロが膝の上に居る。ちらちらと行儀の悪いメイドを伺いながら、おどおどと怯えた光を瞳にたたえている。
ああ、なんて懐かしい。これは初めてあった日のシェロの目だ。最近生意気にも口答えばかりするようになったが、これこそがあの日のシェロの瞳だ。なんだかとってもいぢめたくなる。

でもね、シェロ。わたくしは優しいの。今はわたくしの工房にある土が、何故いまだに中身を保ったまま存在するかなんて聞かないであげる。セイバーの剣がこの前の剣と違っていたのは何故かなんて聞かないであげる。どちらも貴方が投影したの? なんて聞かないであげる。

シェロは特別。そんなことはずっと前から分かっていた。だったらそんなこと自力で解き明かしてみせる。
そしてその時こそ、わたくしが真正面から遠坂凛に挑むとき。シェロ、覚悟して待っていなさいね。
たかが二年の先行くらい、わたくしは跳ね返して見せますわ。逆境こそが女を強くするんですのよ、覚えておいてね。シェロ。

わたくしは春の日差しの中、シェロの髪を梳きながら新たな誓いを胸に刻んだ。


END


ボケボケ凛ちゃん、ルヴィアさんに食われるのお話。
凛様を一辺殺しかけてしまいましたが、書いてるときはとても楽しいお話でした。
プライド高いくせに甘えん坊で甘え下手な二人。ルヴィア嬢宣戦布告五秒前といったところでしょうか?
まぁ、うちの士郎くんは凛様にベタ惚れなんで、茨の道なんですけどね。

By dain

2004/4/7 初稿
2005/11/5改稿

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