不用意な一言だったと思う。
あの一言がなければ、俺たちは今年の夏に思いをはせて、終わっていただろう。
本当に何の気なしの一言だった。

遠坂とルヴィア嬢の喧騒を、微笑ましく思って見ていた俺の気の迷いか。
それとも何かが引っかかっていた所為なのか、はたまた何かの呪いなのか。
ともかく、俺はぽろっとその一言を言ってしまった。

まるで、何かに誘われるように。

「しかしカーバンクルって赤い石のことだったんだな。俺は青い石の事だとばかり思ってた」





せいぎのみかた
「最強の魔術使い」  −Emiya Family− 第二話 後編
Heroic Phantasm





「なに言ってるの?」
「おかしなことを言いますのね」

毒の篭った微笑み合戦をピタリとやめて、お二方は不機嫌そうにお尋ねになる。
なんというか、こう。こいつそんなことも知らずに今までどうやって生きてきたんだ? とでも言いたそうな、そんな声音だ。路傍の石でも見るような視線だ。流石に腹が立つ。

「むっ、そんなこと言ったって仕方ないだろ。俺が知ってるカーバンクルって、青いのしかなかったんだから」

「ちょっと……士郎、今なんて言った?」

遠坂さんが凄く怖い目で睨みつけてきた。俺なんかしたか?

「いや、その。青い石のことをカーバンクルだって言われただけだから、別にそれが本当のカーバンクルかなんて判らないぞ」

気圧されて言い訳になってしまった。情けない話だが怖いものは怖い。

「つまりシェロは、青い石をカーバンクルだと紹介されたことがあるわけですのね?」

ルヴィア嬢の声だ。こっちも視線はきついものの遠坂よりは落ち着いているようだ。

「というか、持ってる」

「持ってるって!」
「持っているですって!」

うわぁ、耳が痛い。いやきついこと言われたって訳じゃなく、物理的に耳が痛かった。きーんと響いてる。さらにお二方揃って立ち上がり、ぐいぐい迫ってくる。いや待て、ちょっと待て、落ち着けお前ら。

「とっとと言いなさい! どゆことよ!」

「シェロ、状況しだいでは許して差し上げますわ、さぁ仰いなさい」

胸倉掴まれて吊るし上げられた。こら、苦しいぞ。これじゃ喋るに喋れない。

「凛、ルヴィアゼリッタ。落ち着いてください。それではシロウが話すことも出来ない」

見かねたのかセイバーが溜息混じりに二人を諭す。流石の二人もセイバーには弱い、むぅ――っと俺を一睨みしてから一歩下がった。有難うセイバー。やっぱりセイバーが一番やさしいなぁ

「さて、シロウ。これで説明できるはずです。とっとと説明してください。何で今まで黙っていたのですか? もっとはやく言ってくれていれば、宝石も無駄にはならなかったはず、我が家の財政状況もここまで悪化しなかった」

静かに、それで居て妙に迫力の篭ったセイバーさん。ちょっと待て! それって俺の所為ですか?

「カーティスって奴から貰ったんだ。助けてもらったお礼だって」

「カーティス? だれそれ?」

きょとんとした顔の遠坂さん。ルヴィア嬢も同じような顔をしている。うわぁい、覚えてないんですか? あいつ可哀相な奴だったんだな。

「でもただのお礼に『蒼紅玉ブルーカーバンクル』? 胡散臭い話ですわね」

「あ、でもあいつ金持ちっぽかったし。家に行けばこれくらい、いくらでもあるって言ってたぞ」

なんせ「偽金ぴか」だもんな。ミーナさんの工房だって、さらっと修理費出してたし。

「金持ちのコレクションかぁ。ルビー系ならともかく柘榴石系だったら翠柘榴石ウバロバイトと勘違いしてる可能性があるわね」

「とにかく、一度現物を見て見ないと断言できませんわね。シェロ、その品ですが何処にあるのです?」

落ち着いてきたのか、二人ともさっきのような理不尽な迫力はなくなった。

「ちょっとまってくれ。ええと、確か……」

俺は上着のポケットをまさぐった。確かあの時、貰ってそのままポケットにしまったはず。ずっと忘れてたから、まだそのままあるはずだ。ああ、あった。

「はい、これ」

俺はブローチの形をした護符を取り出した。あの時は気にもしていなかったが、結構奇妙な形の護符だ。二匹の翼の生えた蛇が絡み合い、互いの尾を飲み込む。つまりウロボロスを模った銀の台座に青い石が嵌っている。

「確かに青い石ですわね。でも趣味の悪い台座ですのね。翼が生えた半人半蛇のウロボロスですって?」

あ、本当だ。ただの蛇じゃなくて半人だ胸がある。ルヴィア嬢が眉を顰めている。遠坂の方はじっとそんな蛇を見据えている。

「ねぇルヴィア。これヴィーヴルじゃない?」

しばらく見つめたのち、遠坂がルヴィア嬢に聞く。ヴィーヴル? さっき言ってたやつかな?

「そう言われて見ると、そのようですわね」

「士郎、こいつについて何か他に聞いてない?」

遠坂が俺に振る。何かって言っても、そうだなぁ……

「ええと、ミラーのガーゴイルが石だとか言ってたっけ」

「ミラノのギーブルね。十四世紀だっけ?」

「確かそうですわ、フランスのヴィスコンティ家の始祖が倒したと伝えられています。かなり大きなヴィーヴルだったそうですから、その時の石のかけらだとしたら可能性はありますわ」

なにやら難しい話をしている。ともかくこの護符のデザインがカーバンクルに関係があるのは確かなようだ。

「で、石のほうはどうなんだ? 青いけど、そのカーバンクルなのか?」

「ちょっと待ちなさい。士郎が慌てても意味無いでしょ?」

さっきまでの、自分たちの慌てっぷりをすっぱり忘れ去って仰る。ま、いいんだけどね。
二人は接眼鏡を取り出して石の鑑定を始めた。

「ルビーじゃないわね。柘榴石であることに間違いないわ」

「かなりの魔力を感じますわね。色の変化も古い時代のようですわ」

「でもなんか妙じゃない? 台座との結合。込み入った式で固着されてるけど」

「良くこんなでたらめな式で固着できますわね。奇跡みたいなものですわ」

「でもこれなら簡単にはずせるわ、十分石だけを生かせる」

「ええ、使えますわ。後は他の石の手配だけ」

何かどんどん話が進む。一応俺のものなんだけどなぁ。
まぁ、次に遠坂がなにを出だすか予想はつくんだが。

「ねぇ、士郎。これ貰って良い?」

ほら、可愛い顔して御強請りしてきやがりましたよ。
そりゃ俺が持っていたって大して役に立つわけではない。遠坂に渡して家伝の実験とやらに使ったほうが、ずっと役に立つだろう。でも、何か釈然としない。

「ね、いいでしょ?」

上目使いでじっと見詰めてくれやがります。ああ、可愛いよ。昔みたいな力技だけでなくこういう技も覚えたんですね。
でもな、遠坂。ルヴィア嬢がすんごい目で睨んでるわけだよ。セイバーだってまたかって溜息ついてるし。もう否定できないな、確かに『またか』だもんな。

「判った。この石は遠坂とルヴィアさんに譲ろう」

とりあえず譲与先を二つに分けてご機嫌をとる。うっ、ルヴィアさんの機嫌が直るにしたがって、遠坂の機嫌が悪くなる。どうすりゃいいんだよ。
俺は幸福量保存の法則を、罵倒しながら話を続けた。ただじゃないんだからな。

「ただし条件がある。次の実験は俺とセイバーが立会うからな」

これだけは譲れない。ただでさえ根を詰めたら飯さえ忘れる二人だ、二人揃えばお互いに意地張り合って、何処まで行くか想像もつきやしない。
こら! そんなむぅ――とした顔で睨んだって譲らないんだからな!

「そうですね、確かに私達が立ち会うべきでしょう」

セイバーが援護に回ってくれた。ナイスだ。

「今回のようなことでは、私は凛を守れない。それだけではありません。長引く実験なら食事や雑用を忘れてはならない筈。兵站を無視した行動は慎むべきかと」

冷静にびしばしとお二方に詰め寄ってくれます。いいぞ、セイバー。もっとやれ。
二人とも、俺のときはにらみ返すくせにセイバーに叱られると、小さくなって反省している。悔しいぞ。俺に言われた時だってちゃんと反省しろ。

「判ったわ」
「判りましたわ」

二人揃って口を尖らせこくんと頷いた。セイバーがよしよしといった顔で微笑んでいる。

「それでは細部はお二方に任せます。具体的な場所と時間が決まったら、きちんと私に報告して頂ければ結構です」

セイバー。あの、俺は?




次の実験は結局半月後となった。なにせ、第一弾とはいえ魔法へと繋がる階段の階に足をかけるのだ、半端な準備では追いつかない。石を集め、呪刻を刻み、陣を敷く、それだけでこれくらいの時間は掛かる。

場所は遠坂家工房、時刻は午前二時。時間と場所は非常に重要なのだそうだ。
並行時空通過遠視ゼルレッチ・フライバイ・スクライング』それがこの実験で行う魔術だそうだ。
高次元に一方通行の魔術のラインを打ち出し、それが隣の並行世界を掠める瞬間、一瞬だけ観測する。俺には良く分からないがそういうことだそうだ。
純粋な第二魔法『並行世界干渉』が別の恒星や惑星への宇宙旅行なら、この実験は人工衛星にもならない、大砲で成層圏への弾道射撃をするようなものらしい。

それでも前の二回は悲惨な失敗。大砲を打つ前に大砲自体が耐え切れず、暴発したような結果に終わったという。大砲の砲身に当たる『蒼紅玉ブルーカーバンクル』が代用品であった為だ。

「うう、あと一時間……ルヴィア、そっちは?」

「『蒼紅玉ブルーカーバンクル』の固着は終わりましたわ、あとは、観測用のダイヤモンドワイヤーの洗練チューニングで終わりですの」

「こっちはルビーの呪刻が後六つ、ぎりぎり〜〜」

お二方ともヘロヘロになりながら、必死こいて準備の仕上げに邁進する。俺とセイバーはそんな彼女たちのおさんどんと身の回りの世話だ。サンドイッチとお握りを山と造り、無理やり風呂に叩き込む。
いざという時にサポートする為、俺たちはきちんと睡眠をとっているが、二人はほぼ二日の完徹状態だ。正直言って体が心配だが、二人とも魔術師だ。そんな心配はかえって失礼になる。それよりも二人の魔力の残量を気にすべきだろう。

「士郎、防護結界の強化よろしく」

床に書かれた魔法陣の要所要所に、呪刻された宝石を固着させながら、遠坂が呻くように呟く。

「おう、任せろ。遠坂も無理すんなよ」

工房の整理も俺とセイバーの仕事だ。かなり危険が伴うため、必要のない壊れ物は既に外に運び出してある。工房自身の結界も基本は遠坂とルヴィア嬢が敷いたが、その強化は俺が担当している。半人前とはいえ、俺だってこれくらいなら、何とか手伝えるようになっている。

「こちらは間に合いましたわ。後は時刻を待つだけ」

ルヴィア嬢がふらふらと立ち上がった。少しばかり目元が腫れぼったいが、気品を失わないのは流石だ。でも足元は危なっかしいなぁ。

「ルヴィアさん、そこ危ないって」

床の段差に躓きそうになったルヴィア嬢を、俺は慌てて支えた。

「大丈夫ですわ、ほら、シェロが支えてくれますもの」

にっこりと微笑んで俺に身体を預ける。遠坂やセイバーとは、また違った柔らかい感触が腕に心地……いや、違うぞ。そんなことは考えていない。だから睨むんじゃない、遠坂。
ルヴィアさん、貴女も疲れてるんだったら、そんな挑発的な視線を遠坂に送らないでくださいな。

「士郎! ルヴィアと遊んでないで、とっとと陣の強化しなさい。中途半端になってるでしょうが」

がぁ――っと怒鳴られた。元気だな、遠坂。

「ルヴィアさん、悪いけど」

「あら残念。でも仕方ありませんわね。シェロも無理をせず頑張りなさい」

すっくと立って仕事に戻られた。ピンシャンしてられますね、さっきの蹌きはなんだったんですか?
まぁ、なんのかんの言って二人ともまだ余裕があるようだ。ちょっと俺の精神衛生には悪いんだが、それはそれでほっとしてもいた。これなら二人とも大丈夫だろう。




「さてと、そろそろ始めるわ。士郎、セイバー。後はよろしく」

「おう、任せろ」
「はい。凛、ルヴィアゼリッタ。お気をつけて」
「――Crow――」

ランスを含む俺たち三人は、緊急時用のバックアップだ。部屋の隅の防護陣の中で固唾を呑んで見守る。

「それではリン、位置につきますわよ」

準備は完了し、時刻は二時五分前。二人は魔法陣の両脇に立ち、それぞれの魔術回路を開く。

「――――Anfangセット!」

「――――En Garandレディ!」

俺でも掴めるほどの魔力の流れが動き出す。魔法陣の各所に篭められた宝石が次々に魔力を受け起動する。それぞれが、それぞれの役目を表す色に光り輝き、中央の『蒼紅玉ブルーカーバンクル』に向かいカウントダウンを始める。

魔力がそれに伴い螺旋を描いて前進する、それにつれ魔法陣が幾重にも煌き流れる。まさに万華鏡カレイドスコープだ。きらきらと煌き『蒼紅玉ブルーカーバンクル』に流れ込む。

「――――Sie verkundet unsres Macht力もて、知らしめん)――Denn wir fahren我ら永久に進まん――」

「――――Le jour de gloire est arriv´e来るべき 輝き――Allons, enfantsいざ 行かん

詠唱が第二段階に入る。遠坂とルヴィア嬢が互いの魔術刻印を水平に掲げる。まるで鏡を合わせたかのような動きだ。両腕の魔術刻印から銀の糸のような流れが、これもまた螺旋を描いて中央の『蒼紅玉ブルーカーバンクル』へと向かっていく。

ごくりと喉がなる。銀の糸が『蒼紅玉ブルーカーバンクル』』に届いて、詠唱は第三段階へとすすむ。
その時、魔法陣の上空に“穴”が開いた。天井にではない、天井と床の間、上空3m程の所にぽっかりと、文字通りの“穴”開いた。
続いて『蒼紅玉ブルーカーバンクル』が震え、蒼い光がその穴に向かって立ち上る。光だというのに、ゆっくりとまるで木の芽が伸びるように昇っていく。
銀の糸もそれに続く。樹を伝う蔦のように螺旋を描き、蒼い光を追いかけ登っていく。

美しかった。煌く螺旋は万色の銀河、立ち上る蒼光は天空へ延びる光槍、伝う螺旋は銀の光輪。そしてそれらを挟むように立つ二人は天空を編む二柱の女神。
なにか天地創造でも見ているような美しさだった。

二人の詠唱が止む。ついに光槍は混沌あなに届き、銀河の流れと銀の光輪は魔法陣に固着された。成功だ、砲弾は天空に放たれたのだ。

「よし! 手ごたえ十分」

「あとは光が届くのを待つだけですわね」

額にびっしり汗を貼り付けた二人が微笑みあう。魔力をごっそり持っていかれているのだろう、体力だって限界ぎりぎりだろう、だが二人とも美しかった。一つの世界を創造する女神にふさわしく美しかった。

「うん、凄いぞ。『真鍮ブラス』氏の石だって馬鹿に出来ないな」

俺は素直な感想を漏らした。



一瞬にして空気が凍った。



なにが起こったんだ? さっぱり判らない。

「なにが起こったのでしょう?」
「――Cow……」

セイバーもわけは判らなかったのだろう。しかし危機感は感じたようだ。空気が変わった一瞬と呼応するように、鎧姿に変わり、剣を構えて辺りをうかがっている。ランスも翼を開き身構えた。

俺は遠坂とルヴィア嬢を伺った。あ、固まってる。
はてなと首をかしげていると、まるで油の切れた歯車のような音を立てて、二人揃って俺のほうを見る。うわ、なんて顔だ。
驚愕、激怒、呆然、憮然、呆然、そんな感情がない交ぜになって目を見開いた表情。とても先ほどまでの女神には見えない。どうしたんだろう?

「士郎、今なんて言った?」

遠坂さんが震える声で聞く。

「あ、いや、『真鍮ブラス』氏の石も馬鹿に出来ないと」

「シェロ? どの石が『真鍮ブラス』氏の石ですの?」

ルヴィア嬢の声も震えている。

「えっと、その『蒼紅玉ブルーカーバンクル』のことか? 言ったろ、カーティスから貰ったって」

「……カーティス……カーティス・ブランドール……」

まるで幽霊の名前でも呼ぶようなルヴィア嬢の声。

「本名なんて覚えてないわよ!」

悲鳴のような遠坂の声。

「お、落ち着きましょう。リン。今のところ問題は起こっていませんわ」

「そ、そうよね。いくらあいつでも全部が全部駄目って訳じゃないものね」

なんか壮絶なことを言っている。随分動揺してるが大丈夫か?
遠坂がごくりと息を飲む。

「士郎、落ち着いて思い出して。あいつ、この護符に自分で手を入れたなんて言ってなかったでしょうね?」

「言ってたぞ、自分で強化したって」


世界が絶望に包まれた。


バーサーカーと対峙した時だって、あの金ぴか野郎に刃を見けられた時だって、あの聖杯を見た時だってこんなに暗い空気にはならなかった。

「あの……なにが起こったのでしょう?」

セイバーの不審そうな声。こんどは明らかに困惑に包まれている。いや、俺だってわからない。あいつらなんでこんなに落ち込んでるんだ?

「良く分からないけど、用心だけはしといた方がよさそうだな」

俺としてはそう言うしかない。詠唱が終わったとはいえ、いまだ魔術は継続中なのだ、術者に気楽に声をかけるわけにはいかない。だいぶ動揺してるし、これ以上混乱させるわけにもいかないよな。

「ル、ルヴィア。あんたあの石に掛かってたわけの判らない呪、ちゃんと外したんでしょうね?」

「外すもなにも、触っただけで取れてしまうような呪式でしたわ」

「……じゃ、呪式そのものは」

さ――っと二人の顔から血の気が引いていく。


そして

それを待っていたかのように



魔法陣が九十度横転した。



「なによ、これ!」
「きゃ、なんですの!」

遠坂とルヴィア嬢が弾き飛ばされる。

「セイバー!」

「はい」

「Crow!」

俺とセイバーは間髪居れず飛び込んだ。事前の警戒が良かったのだろう、セイバーは遠坂を俺はルヴィア嬢を、床に叩きつけられる前に抱きとめることが出来た。
俺とセイバーは二人を抱えて、部屋の隅の防護陣に逃げ込む。
ランスはランスで警戒するように距離をとりつつ、陣形の周りを周回する。

「どうなってるんだ?」

取敢えず遠坂に聞く。

「聞かないで、よくわかんないんだから」

「わかんないじゃないだろ!」

「判んない物は判んないわよ! どっかの馬鹿の呪式が紛れ込んじゃったんだから」

がぁ――っと捲くし立てられた。いや、元気なのがわかってよかったけど、なんとかならないのか?

「リン、貴女のラインはまだ繋がっていて?」

そんな俺たちにルヴィア嬢が難しい顔で尋ねてきた。

「ライン? ああ、わたしのはまだ繋がってるわ」

「わたくしのラインは切れてしまいましたわ、リンのラインから何かわからなくて?」

「ちょっと待って……」

遠坂が思考を沈める。その間に、俺は現状を確認すべく周囲の状況を見渡した。
床に書かれた魔法陣は見事なほど横倒しになり、宙に浮かんでいる。
一端を床に着け、魔力で浮かんでいるのだろうか? 魔法陣の線、弧、宝石がきちんとそのままの配置で固着されている。
あの”穴”も同じだ。魔法陣の三メートルほど先で、地上から一メートルほどの所を中心に一メートル半位の穴が横倒しに浮かんでいる。なんとも珍妙な光景だ。

「……ちょっと! なによこれ!」

「――Crooo!」

遠坂の叫びと前後して、ランスの警告の声。同時にセイバーが無言で防御陣から飛び出した。

―― 尖! ――

ただ一突き、穴から這い出してきた“何か”を突き殺す。

「セイバー!」

俺たちはその“何か”に視線を送る。蛇? 長さ1mほどの蛇のような生き物だ。醜悪な顔と蝙蝠のような翼、そして人間の胸。顔の中央は何かを抉り取られたような傷跡がある。

「ヴィーヴル?」

ルヴィア嬢が不審げにつぶやく。ああ、そうだ。こいつはあのブローチの蛇だ、遠坂が説明してくれたヴィーヴルって蛇だ。

「まだ来ます」

セイバーが剣を構えなおし、ランスも一旦引く。げっ、あの穴からまた一匹は出だそうとしている。さっきの蛇より一回り大きい。が、同じ蛇だ、額が同じように抉れてる。

「セイバー、ランス。そいつを『蒼紅玉ブルーカーバンクル』に近づけないで! そいつを取られたら連中こっちの世界に固着しちゃうわ」

遠坂がこめかみを押さえつつ叫ぶ。ライン越しに何かわかったんだろうか?

「おかしなところへ繋がってしまったようですわね」

ルヴィア嬢も厳しい顔で呟く。遠坂の言葉と、穴から這い出す蛇から何か類推したらしい。そんな顔だ。

「うん、そんなとこ。ルヴィア、とにかく魔法陣の制御を奪い返さないと」

「判りましたわ」

決意の表情も新たに、二人は共に再び呪を編み直し、暴走した魔法陣に挑みかかった。わけの判らない呪式の為に暴走してしまった魔法陣だ。再制御が簡単に出来るはずもない。暴風雨の中で舵を失った船を制御するようなものだ。それでも二人はありったけの魔力と技術を手に、このレートの高い博打に打って出た。
そんな二人の為に俺のできることは時間を稼ぐこと位だ。セイバーと共にあの蛇を何とかすべく一歩前に出た。

背筋に悪寒が走った。
俺の視線の先、次から次に湧き出す蛇を叩き伏せているセイバーの向こう、蛇の湧き出す“穴”
その奥で光る、無数の目眼目眼目眼目眼目眼目眼目眼目眼目眼目眼目眼目眼目眼目眼……

「……くっ」

セイバーも気がついたのだろう、尽きることなく次から次へと這い出し、どんどん大きくなっていく蛇。もうしばらくは持つだろう。だがセイバーといえども全てを相手に出来るわけではない。いや、蛇そのものは問題ではない、今、見えている全ての蛇を倒すことだってセイバーには不可能ではないだろう。
だが、セイバーは後ろの『蒼紅玉』守りった上で、全てを倒しきることは出来ない。遠からず石は奪われる。無尽というものが持つ意味はそういうものなのだ。

「――Cooo……」

ランスも突進を諦めセイバーの援護に集中する。可能な限り防ぎきるための方策だ。

俺は穴を睨みつける。遠坂とルヴィア嬢の手は借りれない。彼女たちは魔法陣の制御で手一杯だ。セイバーとランスはいずれ抜かれる。だとしたら俺が出来ることで現状を打開するしかない。俺が出来ること、俺にしか出来ないこと……


あった。


「――投影開始トレース・オン

どこかで遠坂の悲鳴にも似た声が聞こえた、ルヴィアさんが息を飲むのも聞こえた。だが知ったことではない。今すべきことは別のことだ。俺は魔術回路を全開にした。


十の金属音が続けざまに起こる。

工房の上空に十の大剣がまるで整列する兵士のように浮かぶ。

十の爆音が次々と響き渡る。

次々に大地に叩きつけられる金属の雨。

穴から這い出そうとする蛇を貫き、切り裂き、ねじ伏せながら。

大剣は穴の目前に次々と突き立つ。



剣のよる鉄格子の檻。おれが“穴”の出口に作り上げたのはそれだ。
無論、宝具ではない。十本の両手剣は全て新鍛の魔剣にすぎない。
それでも数を頼む蛇ごときなら、一時的に封じるには十分なのだ。

「セイバー、ランス。そこからはみ出してくるやつだけ潰せば良い」

「はい」
「――Cow」

剣を構えなおし、蛇に備えるセイバー。それを援護すべく上空を舞うランス。

「士郎!」
「シェロ!」

「文句は後で聞く。とっとと制御を取り戻せ!」

ようやく聞こえた怒鳴り声を、怒鳴り声で制する。イメージを固める。一本でも折られたら次を素早く送り出さなければならない。気を散らすわけには行かない。

時間は稼いだ。後は遠坂とルヴィアさん次第……





「これまでね、届かない」

だが遠坂の応えは絶望だった。あくまでも冷静に落ち着いた声で最後を告げる。

「遠坂、どういうことだ」

「あの石ですわ、おかしな式で別のどこかに繋がってしまって、ある種の固有結界みたいなものですわね。今のわたくしたちでは制御し切れませんわ」

ルヴィアさんも同じだ。悲しいくらい落ち着いて自分たちの無力を淡々と告げる。

「では石を叩き落します」

セイバーの厳格な声。振り向きざまに石を……

「無駄よ」

それを遠坂が抑える。

「言ったでしょ? 世界が後ろに付いてるって。その石を弾けば穴の中の世界が挙って暴走するわ。」

「ならば――」

セイバーが最後の蛇を砕いて、こちら側まで撤収してくる。ランスが一声鳴いて、後は任せよ、とセイバーに告げた。

「――石と穴ごとエクスカリバーで砕くまで」

「そうですわね」

「それっきゃないか。あんなのこっち側に溢れさすわけに行かないし。ごめん、士郎」

さらりと流す遠坂とルヴィア嬢。お前ら……

こんなところでエクスカリバーを解放すればただではすまない。たしかにエクスカリバーなら石も穴も諸共に砕けるだろう。だがここでそんなものを使えば工房ごと砕かれてしまう。遠坂が俺に謝るわけだ、これは全滅覚悟のカミカゼだ。


馬鹿野郎……


俺が死ぬのなんかどうでも良い。だがお前らを死なすなんてとんでもない。
自分たちがどれほど光り輝く存在なのか、どれほど世界を照らす光なのか、お前ら分かってないだろ。
冗談じゃない、地上の星をこんなつまらないことで砕いてたまるか。


「……ふざけんな」



俺は二人を睨みつけた。俺の暴言に二人とも黙ってしまった。いつものように睨み返すことも無い。二人とも珍しいことに俺に気圧されているらしい。

「遠坂、ルヴィア。答えてくれ。あの石を外せば良いんだな?」

「……あ、うん。石をあの穴に放り込んで……」

「……術式を砕く一定量以上の魔力を解放できれば、多分上手くいくはず……ですわ」

「でも士郎じゃあの石に触れないわよ、剣を通したって駄目なんだから!」

遠坂が悲鳴のような声で俺を怒鳴りつける。わかってる、大丈夫だ。

俺はじっと穴を見据えた。いや、違うな。穴を塞ぐ俺の剣たちを見つめたんだ。
よし、足りるだろう。行くぞ、お前たち。

「ランス、もどれ」

珍しく素直に戻ってくる。ふん、俺の考えたことを悟ったな。

「セイバー、遠坂とルヴィアさんを頼む。多分かなりのバックファイヤーが来る」

「あ、……はい。士郎に任せます」

セイバーはしばらく俺を見据えた後、しっかりと応えてくれた。視線で俺の意図に気がついたのだろう、流石サーヴァントえいれいだ。

「遠坂、ルヴィアさん。あの石、返してもらうよ」

俺は一歩前に出た。



「――投影開始トレース・オン

手に弓と矢を投影する。
かつて奴が手にしていたのと同じ弓と矢。くそ、やっぱり出来は余りよろしくない。出来損ないの紛い物だ。
弓は洋弓と言うより和弓、これでは剣は射れないだろう。矢は弓の出来よりましだが、あいつの戦車砲ほどの威力には到底及ばない。
とはいえ、今の目的には十分。二の矢はいらない、今はただ一射さえ射れれば良いのだ。

「士郎?……」
「シェロ……」

セイバーの背中から、遠坂とルヴィアさんがぽかんと俺を見ている。ルヴィア嬢はともかく、遠坂まで気がつかないっていうのはちょっと気持ちが良いな。いつもの逆だ。

俺は足場を固めて弓を絞る。的は二つ。“石”と“穴”。
ここから魔法陣の中央までは約五メートル、さらに三メートル先の“穴”。距離は短い。だが、穴の前には十本の大剣。その剣格子の隙間は五センチに満たな。
だが、俺はイメージする。五メートル先の『蒼紅玉ブルーカーバンクル』、さらに三メートル先の剣格子の隙間、そしてその向こう、蛇の湧き出す“穴”。
全てを結ぶ一本の線をイメージする。


見えた。


矢を放つ。もはや結果は判りきっている。
矢は間違いなく石を掴み、そのまま剣の隙間を潜り抜け、穴に飛び込む。

あとは……

十本の剣を見据える。手順は投影とほぼ同じ。が、少し違う。幻想を膨らます。理念が、骨子が、材質が耐え切れぬほど幻想を膨らます。
投影の解呪は幻想が現実に耐え切れなくなったとき起こる。こいつは逆だ、剣の形という現実が幻想に耐え切れなくなる。


――I am the bone of my swordわが骨子は ただ一筋 貫く.


砕け散った。俺の幻想、俺の中身が現実を押し破り砕け散った。石を掴んだ矢が穴に叩き込まれた直後、十本揃って見事に砕け散った。
十本揃って魔力を解放し、穴と共に薄れ消えていく。まるで内側から弾けるように消えていく。


「――壊れた幻想ブロークン・ファンタズム――」


剣という“物”が砕けたわけじゃない、剣という形を持った“幻想”が砕けたんだ。




「――風王結界インヴィンジブル・エア――」

暴れ狂う魔力の奔流を、セイバーが聖剣の力で押し開く。遠坂とルヴィアさんを守るには十分だ。だが最前列で仁王立ちしている俺までは完全に守りきれない。
魔力の余波と、石の欠片が俺の身体を切り裂く。だが皮一枚だ、血は流れるが致命傷ではない。

アーチャー。お前もこんな気持ちだったのか?

俺は痛みを、流れる血を全身で感じながら独りごちた。
砕けた剣。あれは俺だ。
俺の力「固有結界」。一歩間違えれば俺もあの剣のように砕ける。「固有結界」の幻想に、俺という現実が耐え切れず砕け散る。いつそうなってもおかしくない。あいつもわかっていたはずだ。
“諸刃の剣” 身体が剣で出来ているという事は、つまりはそういうことなのだ。

だが、今はこれで終わりだ。穴はふさがり、魔法陣も地に落ちた。
俺たちはなんとか生き残ることが出来た。





わたしは庭に下りて士郎を探した。あいつはさっき、ふらりと庭に出たっきり戻ってこない。

「士郎?」

見つけた。ベンチに腰を下ろし星を見ている。
いや、違う。街の明かりを見ているのだ。なにが楽しいのだろう? 前に廻って仁王立ちしてやった。

「なんだ、遠坂か」

なんだとはなによ。第一あんたその目はなに? 
いやな目だ、遠くを見すえる目。あいつが、アーチャーが時折見せた、暗く哀しく遠い目。
ずっとだ。あの実験が終わっても、ルヴィアを送っていっても、ずっとこいつはこの目のままだった。腹が立つ。思いっきり睨みつけてやった。

「遠坂だなぁ」

あいつがわけの判らないことを言って微笑った。わけが判らないことには腹が立つが、笑ってくれたから許してやる。わたしはあいつの隣に腰を下ろした。

「結局失敗だったんだな」

わたしが黙ってたら、あいつがちょっと居心地悪そうに話を振って来た。うんうん、士郎はこうでなくっちゃね。

「そうね、でも収穫はあったわ」

「収穫?」

「うん」

わたしは士郎に、結局あれがなんだったかを説明してやることにした。
実のところ、わたしだって詳しくわかったわけではない。あくまでも得られた情報からの類推だ。

あの時、あの穴は間違いなく「別の世界」に通じていた。といっても既存の並行世界に通じたわけじゃない。捻くれ曲がった術式と『蒼紅玉ブルーカーバンクル』の残留思念が生み出した、因果律の逆転による泡沫世界。つながったのはそれだ。

つまり、あの石から、あの石が引き剥がされたヴィーヴルが生み出され、さらにそんなヴィーヴルが生存しうる世界が生み出された。勿論そんな世界が存続し続けることは出来ない。第一そんな可能性無数に存在するし同時に全く存在しえない。
だからこそヴィーヴルは無数に生み出され、因果の根源たる石を手に入れようとした。あれを手に入れた世界は一時とはいえ固着できる。こちらの現実との接点を手に入れこちらに侵食できただろう。

いずれは力の強いこちらの現実に飲み込まれただろうが、それまでの混乱は計り知れない。あれはあれでよかったのだ。

たった一本繋がった糸で、わたしはそれを観測しえた。純粋な並行世界ではないが無数の泡沫世界に触れることが出来た。当初の目論見とは別の角度とはいえ、魔法の階段の第一段はクリアできたのだ、これで先に進める。

「いいのか? ルヴィアさんに黙ってて」

「いいの、あいつはあいつで別のもの手に入れたから」

士郎が不思議そうな顔で見る。やっぱりこいつ判ってない。
ルヴィアはね、あんたの魔術をしっかり見たのよ? 連続投影だけでなく、あのとんでもない「壊れた幻想ブロークン・ファンタズム」まで。あの魔術が、どれだけとんでもないものか、あんた気がついてないでしょ? なのにあいつそんな事おくびにも出さなかった。
あんたこの意味わかってるの? わかってないわね。

「そうなのか?」

「そうなの!」

こいつ……こっちの悩みに全く気付かず能天気な顔をしている。腹が立ってきた。
あ、いや……

これで良いのかもしれない。あんな遠い目をしている士郎より、こっちのボケボケの士郎の方がずっと良い。はてな、と首をかしげ不満そうに口を尖らす士郎が、なんだか凄く愛おしい。

「士郎」

「なんだよ」

「あんたそのまま能天気で居なさい」

「いつもと言うことが違うじゃないか!」

「臨機応変よ、あんたはわたしの言うこと聞いていれば良いの!」

わけがわからないといった顔の士郎に、極上の笑みを送ってやった。勿論、含みなんて無い。だって士郎はこんなに可愛いんだもん。
照れて膨れる士郎に微笑みかけながら、わたしは心に決めた。

もうあんな目はさせない。あいつとに約束だ、こいつはずっと能天気な顔で居させてやる。

きっとそうなったらそうなったで、また腹が立つんだろうけど。

END


最後の締めはやっぱり主人公の回。
凛様の実験でもあったので最後まで「あかいあくま」にするか「せいぎのみかた」にするか悩みました。
結局、士郎くんの一歩のほうが重かろうとこっちの題名に。
ちなみに「壊れた幻想」の幻想は「宝具」でなく、士郎くんの紡ぐ「幻想」という意味に解釈しました。
士郎くん方式の投影でのみ行える秘儀。そんなとこです。

By dain

2004/4/21 初稿
2005/11/6改稿

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