一切明かりの無い、闇に包まれた部屋で、男はベットに横たわっていた。
眠っているわけではない。瞼は絶え間なく痙攣し、眼球はせわしなく動いている。
何かを見ているのだ。首筋に繋がれた幾本ものラインは、ただの飾りではない。

男の肩と腕が小刻みに震えだす。震え? 怯えているのか?
いや、違う。口元を見ればわかる。嘲っているのだ。

「贋金造りどもが……」

嘲るように卑しむように男の口元が歪む。

「つながり薄き群体の分際で、よくぞ錬金術師に挑んだものだ。よかろう、見せてもらうぞ、その無様な姿」

男は喉の奥で嘲った。

「なるほど、なるほど。英霊か、よく考えた。だがな偽物。使いこなせなければ意味が無い」

宣言する。わらったまま、あざけったまま、卑しんだまま男は己が頭脳に命じた。

「一番、三番、情報の蒐集を開始。二番、解析と計測、蓄積への移行情報を分類。四番……わらえ」





ぎんのおに
「白銀の戦鬼」  −Wilhelmina− 第一話 後編
Legion





「時間ね」

遠坂の囁き。それに呼応するように、目標のビルで蒼と銀の閃光が走る。セイバーだ。

―― 一閃 ――

ビルの正面シャッターが真っ二つに切り裂かれる。同時に両脇のビルから、人影が鳥のように舞いながら、ビルの最上階の窓を突き破る。多分裏からも突入しただろう。
しかし、音も閃光もしない。既に結界に包まれているのだ。

「いくわよ」

「おう」

俺と遠坂は低い姿勢で走りこむ。外の静寂と裏腹に、ビルに入った途端、喧騒に包まれた。

「銃声?」

俺たちは顔を見合す、響くのは銃声、それと男たちの罵声。

「畜生! カチコミか!?」

「サツか? 畜生! だれか垂れ込みやがったな!」

おかしい、確かに剣呑な連中だが魔力をまったく感じない。セイバーも気がついたのだろう、刃でなく剣の平で次々と男たちをのしていく。

「なに? こいつら。ただのギャングか何かにしか見えないわよ?」

遠坂がそう言って俺に何かを渡した。あ、弾除けの護符か。

「俺にもそうとしか見えない。だが話は後だ、とにかくこのフロアを制圧するぞ」

俺は素早く剣を投影し両手に握った。干将・莫耶ではない、短めの木刀二本だ。普通のやくざ相手ならこれで十分だろう。

「こんなことなら、もっと対物理の道具持って来るんだった」

遠坂も愚痴りながらガンドを飛ばす。ああ、こういう時ガンドって便利だな。
一階は瞬く間に制圧された。セイバーに張り倒された奴、俺が殴り倒した奴、遠坂に病気を貰って呻いてる奴。
どんな病気を貰ったか、ちょっと考えたくないようなところを抑えてる奴も居る。遠坂、お前どんな呪いかけたんだ?

「あっけないな」

「ただのギャングだもん、こんなもんでしょ」

遠坂さんは平然と言う。いやただのギャングといってもね。鉄砲バンバン打つような連中なんだし。

「無事ですか?」

そこにミーナさんが鑑識班を引き連れて入ってきた。一辺り見渡して表情を一つ険しくする。

「見ての通りよ、錬金術師も魔術師も無し。どうなってんの?」

「錬金術師が、地元のギャングと繋がりを持ったらしい事は、調べがついていましたが……」

なんとも歯切れが悪い。ミーナさんは耳元の端末コムに手をやり、ますます表情が険しくなる。どうしたんだ?

「裏や上もおんなじなわけね」

口の端をゆがめて、いじめるような口調の遠坂さん。実に人が悪い。ミーナさんはちょっと情けなさそうな顔で、こくんと頷く。格好の割りにえらく可愛らしい。ってことは失敗?

「残念ね、じゃセイバーもど……セイバー?」

ふと見ると、セイバー一人厳しい表情で上の階を睨んでいる。

「セイバーどうしたんだ?」

こちらの問いかけにも、セイバーは視線を動かさない。

「上の階に向かいます。大きな動きを感じました」

セイバーの声にミーナさんの表情が変わる。耳に当てた端末コムに手を添えたまま、眉を顰めている。

「突入班との連絡が途絶えました」

「居るわよ、二階」

遠坂も何か感じたようだ。俺さえも何かを感じた。殺気? いや違う。恐怖? 狂気? 混沌? わけの判らない出鱈目な感情のようなもの……

「シロウ、凛。避けて!」

セイバーが俺たちを突き飛ばし前に出る。入れ替わりに二つに肉塊がフロアに叩きつけられた。――っ! 上の階に向かった突入班?

「■■■■■■ーー!!!」

ほぼ同時に、二階から何かが飛び降りてきた。




――なんだこれは――




これも肉塊だった。

だが、ただの肉塊ではない。

下半身は人間。破けてはいるがズボンをはいているのだろうか? だが上半身は……


肉塊だった。


醜悪に膨れ上がった右腕、上半身はまるで真っ赤な巨大な蛸だ。うねうねと皮膚の下で何かが蠢き、膨れ上がった胸はペリカンの嘴のようにふくらみ、透きうねる。だってのに左腕は赤ん坊のよう縮こまり、注射器のようなものを掴んだまま萎びている。
顔は……最悪だ。人の顔がどうしてここまで歪むのだろう。胴体同様、真っ赤に染まった頭には一本の毛も残っていない。まるで脳髄が剥き出しになったように血管が膨れ蠢き脈動している。鼻は引きちぎれ二つの穴だけ、口は半ば裂け、目は……

嘘だろ……

そこにはまだ“人”が居た。左目は狂気に犯され俺たちを殺すと叫んでいる。なのに、右目は血の涙を流している。殺してくれと嘆願している。
肉体強化と聞いて、俺は漠然と葛木先生のような形を想像していた。とんでもない、これは強化じゃない、狂化だ!

「セイバー!」

遠坂が叫ぶ。厳しい顔で残酷なほどの冷たさで、慈悲をと叫ぶ。
刹那、セイバーが稲妻の速度で切り込む。

「■■■■■■ーー!!!」

「――ちっ!」

「な!」

肉塊の叫びと、セイバーの舌打ち、俺の驚愕が重なる。
早い。萎縮した左腕一本を犠牲に肉塊はセイバーの一撃を辛くもかわしたのだ。

「シロウ! 凛を」

続いて右腕の襲撃。俺には見えなかった。それほど早い。
セイバーでさえ捌くのがやっと、そんな速度だ。

「ちょっと! 士郎!」

「今は黙れ」

俺は遠坂を抱え後退する。俺たちではこの動きについていけない。

「そこまでだ!」

セイバーの剣が再び煌く、頭を半ば叩き割り、返す剣で心臓を貫いた。

――だが、

「■■■■■■ーー!!!」

うそだろ! こいつなんでまだ動くんだ!

「――くっ!」

セイバーが剣を引き抜き一歩下がる。決め手が見えない。脳と心臓をかち割られて、何で動けるんだよ!

「腕を」

冷たく澄んだミーナさんの声、あれ? 何処に居るんだ?

「はい!」

セイバーが肉塊の拳を掻い潜り、一閃。腕を切り落とした。

「■■■■■■ーー!!!」
 ――― 弾! ―――

肉塊の叫びと銃声がこだまする。腕を切断され、ただ一箇所人間であった右目を打ち抜かれた肉塊はようやく崩折れた。
肉塊の正面にはミーナさん。右肩からコートを外し、ピタリと構えた拳銃から硝煙が立ち上っている。
いつの間にか、その場所まで移動していたミーナさんが、セイバーの剣に呼応して撃ち抜いたのだ。

「ミーナ、こいつって……」

遠坂の声が震える。俺だって震えている。なんだ、なんなんだこいつは!

「多分、『非可逆性肉体強化剤Potion of HYDE』です」

怖いほど冷静な声音。そのまま、俺たち全員は黙り込んでしまった。今、眼前で魔術師の禁忌が犯されたのだ。

ギリッ

誰のものだろう? 歯軋りの音が聞こえた。と、同時に俺たち四人は同時に動いた。
ミーナさんの銃、セイバーの剣、遠坂の魔弾、俺の木刀。それぞれがそれぞれ機械仕掛けの鳥を、虫を、叩き潰した。

「ふざけやがって」

腹の底から怒りがわきあがる。遊んでやがった。こいつは今遊んでやがった。こいつは薬を試し、俺たちを験し、ギャングとはいえ人間を試した。
それを遠くから、楽しそうに笑いながら見ていた。虫を通して俺にさえ、そいつの嘲り声が聞こえていた。

「撤収します。後処理は任せてください」

流石のミーナさんも声が幾分固い。遠坂もセイバーも厳しい顔で無言のまま頷いた。
だが覚えてやがれ、これからが勝負だ。お前は絶対俺たちの手で捕える。




「おはよ、状況は?」

恐ろしく不機嫌な遠坂の声。相変わらず寝起きは悪い。

「イーストエンドに絞れました」

ミーナさんもお疲れのご様子。交代で休んではいるが、丸一日この発令室に詰めっきりなのだ。しかたがない。

「くそ、あいつ今もどこかで笑ってやがるんだろうな」

「倉庫もビルも、アパートメントも虱潰しにしているんですけど」

ミーナさんがこめかみを抑える。くそっ、どこに雲隠れしやがった。

「ヴィルヘルミナ。船は確認しましたか?」

セイバーが尋ねる。昨日言ってたやつだな。

「調べました。航行している船は河口から全部。でも全部シロ」

「レストシップは? 固定されてる奴」

遠坂が生き返った。何か思いついたらしい。

「調べましたよ。営業してるのは全部」

「開業前のは? 廃業後でも良いけど」

ミーナさんが一瞬ぽかんとした顔で遠坂と見詰め合う。

「大至急調べます!」

慌てて捜査員へ指示を飛ばしに行った。このところ、きびきびしたミーナさんばっかりだったから、なんかこういうボケッとした姿を見ると、妙に落ち着くな。

「ほら! ポケッとしてないで士郎も来るの」

「来るって、どこへ?」

「シロウ……わたし達の目的を忘れていませんか?」

「準備して繰り出すに決まってんでしょうが!」

セイバーと遠坂が揃って俺をジト目で睨む。御免なさい、能天気でした。




「やっぱあの船ね」

準備を終え俺たちは、ミーナさんの用意した指揮車で、最後の作戦会議を行った。

「ええ、今回は万全を期します。水上を封鎖して入口を限定、そこから突入班を繰り出します。指揮車は対岸に止まり、全般指揮と目標が脱出した際の後詰に」

「結界を広げるわけね」

遠坂がうんうんと頷く。

「はい、水上には物理結界を張ります。脱出は不可能です」

「その基点が、この指揮車であると?」

セイバーが確認を行う。ある意味そこが要になる。最終防衛ラインともいえる、奴がそこまで抜いたらもう逃走は防げない。

「そうなります。二重の包囲網ですね」

ミーナさんの応えにセイバーは少し考え込んだようだ。

「ヴィルヘルミナ、頼みがある。突入班の指揮権を私に移譲してもらえないだろうか?」

そして騎士ぐんじんの顔でミーナさんに提案を告げる。

「セイバー?」

遠坂が不思議そうな顔をした。俺も良く分からないんだが。

「そういうことですか」

ミーナさんは一つ頷くと、セイバーと一緒に俺と遠坂の顔を見つめる。二人はわかっているようだ。なにさ?

「凛、シロウ。あなた方には第二陣になってもらう。包囲を三重にする」

「ちょっと、どゆことよ!」

遠坂が怒鳴る。気持ちはわかるぞ、俺たち邪魔だと言われたような気がするもんな。

「凛、シロウ。申し訳ないが二人は集団戦の心得が無い。今回の相手は先が読めない、突入班の質を均一にしておきたいのだ。
二人には第二陣として私達のバックアップとヴィルヘルミナの支援、そのどちらでもすぐ動けるよう待機していて欲しい。こういった臨機応変な働きは、凛やシロウの得意とするところだろう」

セイバーが戦闘指揮官の顔で俺たちを諭す。ううむ、こう言われると否はいえない。理にかなってるし適材適所だと思う。

「だからって! それじゃ気がすまない」

でも、遠坂さんは納得なさっていないようだ。いや、そういう気質だもんな。しかたない。

「遠坂、それで行こう。俺たちには、俺たちにしか出来ないことだってあるんだ」

「う―――」

唸りながら俺を睨む。というより拗ねて見える。遠坂、お互い命掛かってるんだから我慢しろよ。

「しかたない、貸しだからね」

不承不承納得された。って俺への貸し? なんでさ?

「それでは行動を開始します。次に全員が集まるのは終わったあとですね。美味しいお茶を用意させますから」

ミーナさんが俺たちに笑いかけた。一歩間違えれば全員揃うことは二度とない。だが俺はそんなことは考えたくなかった。絶対美味しいお茶を飲んでやる。




「いやに静かね……」

レストシップの外周、俺と遠坂はボートでゆっくり近づく。モーターはついているが廻しては居ないし、魔術も使っていない。俺が手でこいでいるのだ。遠坂は手伝ってくれない。当然のこととはいえ、やっぱり釈然としないぞ。

「セイバー達が乗り込むぞ」

声を殺して呟く。発令室にいるランスからのビジョンで全般状況を確認する。ミーナさんの所に行かせたかったのだが、今日は新月。いかにランスとはいえ、闇夜の鴉では役に立たない。

「音や光が洩れないって良し悪しよね……」

遠坂がむっと唸る。なにが起こっているかじかに確認できないのがもどかしいのだろう。俺は間接的とはいえ、ランスを通してリアルタイムで確認できる。ちょっと優越感だ。
セイバーと繋がれば良いのだろうが、セイバーは使い魔とはいえ魔術的に強力すぎるので、直接的な感覚共有が出来ないのだそうだ。

「おかしいな……」

「どうしたの?」

「反応がなさ過ぎるんだ」

だんだんと不安になる。奴がここに居るのは間違いないはずだ。なのにセイバーはじめ突入班は、いまだ接触していない。それこそ使い魔や隠しカメラすらないのだ。



――― 轟! ―――

「――え?」

ラインを通じての俺より遠坂が先に反応した。船がいきなり爆発横転した。

「――なに!? うわぁ!」

爆風でこっちのボートまでひっくり返されかけた。俺も遠坂も必死で船べりに捕まる。

「セイバー!」

聞こえないことはわかっていても俺は叫んでしまう。

「大丈夫、まだパスは通ってる。通信機は? 生きてる?」

「お、おう!」

俺はボートの動揺に必死で耐えながら、通信機を操作した。作戦中は、オンオフのスイッチ切り替えでしか使わないはずだったが、この状況ではそんなことは言っていられない。

「セイバー! 無事か! こら、応えろ!」

動揺はボートだけじゃなく俺も一緒のようだ。自分でもなにを言っているか、ちょっとわからない。

「……sロウ……こち…aダイ……」

応答があった。セイバーの声だ。まだあっちも混乱しているようで上手く話が通じない。しばらく通信機を叩いたり殴ったりして、ようやくまともな会話が出来るようになった。

「セイバー! 生きてる? 生きてるのはわかってるけど、返事しなさい!」

遠坂もちょっと混乱しているようだ。

「こちらは大丈夫です。負傷者は居ますが死者は出ていません。ただ閉じ込められたようです」

セイバーはしっかりした声で報告してくれた。ほっと一息だ。

「救助はいる?」

「いいえ、こちらは自力で脱出できます。しかし時間が、二十分、いいえ十分は掛かります。それよりもヴィルヘルミナが心配です。私なら必ずそちらに向かう。凛、シロウ。あなた方はヴィルヘルミナの援護を。お願いします」

俺たちはそんなセイバーの言葉に安心し、ミーナさんの応援に向かう為、ボートのエンジンを廻した。
その時だ、対岸で何かが壊れる音がした。





「船が……」

ミーナはモニターの状況を素早くサーチした。レストシップは横転、凛や士郎にまでは影響は無いだろうが、突入班は最低でも動けなくなった。
ならば相手の次の標的は……

「発車、急いで!」
――― 漸!―――

だが遅かった。鉄骨がまるで槍のように車体を貫く。

「脱出!」

転がるように車外に飛び出す。他の乗員は……よし、無事。しかしこれで結界が崩された。

「撤収しなさい。ここは私が支えます」

指揮車の乗務員達を下がらせる。彼等は技術者であって戦闘員でない、このままここにいれば死ぬだけだ。なぜなら……



「無様だな、贋金造り」



奴が来た。
今までずっと水中で隠れていたのだろうか? ぐっしょりとぬれた人影はただ漠然と立っていた。
昨日のギャングとは違う、無様に膨れても、狂気に引き裂かれてもいない。そのシルエットはごく普通の男性のもの。だが、ミーナにはわかった。この男は既に薬を服用している。
男は明らかに魔力にあふれていた。錬金術師がこれほどの魔力をまとうことはありえない。しかも、魔術回路にだけではない全身を包んでいるのだ。間違いない。これは完成された『肉体強化剤Jekyll and Hyde』だ。

一瞬だけ失敗したかと臍をかむ。いや、失敗ではない些かの計算違いは有ったが、こうして奴を引っ張り出せたのだ。今はそれで十分。

「ようやく御出座しですね。いったい今まで何処の路地裏に隠れていたのですか? 錬金術師」

じっと見据えながら間合いを計る。近すぎる。これでは時間稼ぎは出来ない。
コート裏のポケットに指を入れ、一気に間合いを――

「甘いな」

――開けない。一瞬たりとも間合いが変えられない。奴は意図的にこの間合いで遊んでいる。なんてことだ、奴の肉体能力はもはや並の死徒レベルではない。石を撒く。たとえ一瞬でも――

「こそばゆいぞ」

――一止められない、石の魔力は脆くも弾かれ、開ける筈の間合いはどんどん詰められる。
視界の端で何かが走る。とっさに銃を抜く。間に合った、奴の爪を弾いて……え?

「脆い」

首を掴まえ投げ捨てられた。凄まじい速度で宙に飛ぶ。早すぎる、受身が取れない。

「がっ!」

手足は? 大丈夫。肋が何本かいっただけ、まだ動ける。転がるように立ち――

「贋金造り、まさか勝つつもりか?」

――上がらされた。胸倉を掴まれ引きずり起こされたのだ。

「――くっ」

奴に捕らえられ、宙吊りにされたまま、襲い掛かる爪を銃で受ける。だが受けきれない、致命傷にはならないが体中を引き裂かれる。いや、違う。致命傷を与えないように甚振られているのだ。返り血を楽しげに浴びながら、奴は弄んでいるのだ。

「私は錬金術師だぞ? 偽物とは違う。勝つと決まった戦いしかしない」

嘲るように爪が肌を、肉を切り裂く。腹を、胸を容赦なく殴りつけられ、貫かれる。
何とかしようと、抗う手が奴の顔を押しのける。が、力がはいらない。無様に這い、奴の唇を割り咥えられてしまう。奴は一瞬噛み千切っやろうかと口元をゆがめたが、思い直したのか瞳に苛虐の光を浮かべた。指先にたっぷり唾液を絡められ、嬲られるように血を舐め取られた

「ふん、紛い物にしては良い味だ」

奴に嬲り者にされながら、それでも必死で石をまさぐる。だが、手に掴む石は、ルーンは、振り回されるたびに血塗られ零れ落ちていく。

「贋金造りが、真正面から錬金術師に挑んで、如何にかなるとでも思ったのか?」

嘲るように、コートを八つ裂きにされ魔具ごとばら撒かれる。戦闘服は切り裂かれ、ルーンを引きちぎられる。
それでも抵抗は止めない、足掻いてやる、暴れてやる。どんなに血を流そうがかまわない、否……

「どうした、これまでか? まだ始まったばかりだぞ?」

引き裂かれた服の下では柔肌が血に染まり、奴の爪が楽しむようにまさぐり抉る。銀髪には血を舐めるように塗り篭められる。地べたにこすり付けられ、斑にされ汚され穢される。致命傷こそギリギリ防いでいるが、それも奴が遊んでいるから。



――だが、それこそが勝機。



男の後ろで白波を立てる船影に、ミーナは心の中で喝采を叫んだ。





「ええい! こいつもっとスピードでないの!」

遠坂が耳元で怒鳴る。出来るなら俺がやっている。
強化された視覚の先でミーナさんが汚されている。弄ばれ甚振られ、血みどろに染められ穢されている。
ミーナさんがどんどん血の色に染まっていく。それに従いあいつも紅く染まっていく。傷ついているわけじゃない、ミーナさんの返り血だ。
許せない、我慢なら無い。あいつは遊んでやがる。止どめなぞ、いつでも刺せるとばかりに玩んでいる。

「まどろっこしい! 士郎、覚悟なさい!」

「――――Anfangセット――」

遠坂の魔術。げっ、強化かけやがった。馬鹿野郎、機械ってのは制御系の許容範囲ってのがあってだな……

「いっけ――っ!」

聞いちゃいないか。まぁいい、これで間に合う。このボートがどうなろうとも。向こう岸に辿り着くまで持てば良し。後は俺が制御しきれるかだ。




「正気か、馬鹿者どもが!」

ボートが限界以上の速度で岸壁にぶち当たる。勢いあまって、岸壁を乗り越え、速度を殺さず奴の所にまで突き進む。が、一拍おいたのが悪かったか、奴はボートが突っ込む直前に気がついた。ミーナさんから手を放し、一気に脇に飛ぶ。

「遠坂!」

「わかってる!」

俺は奴とミーナさんの間に、遠坂はミーナさんの放り出されたところに跳ぶ。俺は瞬時に干将・莫耶を投影し奴に向かって構えを取る。こいつの投影だけは完全に物にした、刻印並みの自信がある。

――― 禁!―――

「――ちっ!」

案の定、奴は俺なぞは見ていない、間髪入れずミーナさんに踊りかかろうとする。俺は横合いから素早く奴の爪を弾いた。

「邪魔だ」

奴の矛先が俺に向く。だが、まだ明らかに俺を軽く見ている。無造作な爪の横なぎは左手の莫耶で受け、すかさず右の干将を胴に打ち込む。

「ほう……」

が、避けられた。くそっ、なんて反射速度だ。ここから先は甘くは行かないだろう。奴の目の色が変わった。

「くっ……」

腸が染み透るほど凍っていく。見かけはごく普通の中肉中背の男、だがどれほど危険かはひしひしと感じる。ちょっとした英霊並みのプレッシャーだ。
だが、最低限の時間稼ぎは出来た。今の攻防の隙に、遠坂がミーナさんに駆け寄っている。よし、血みどろだが、息はある。遠坂に寄りかかるように身体を起こそうとさえしている。

「多少は使うか、だが計算のうちだ、魔術師が一.五人増えたところで式の変数は変わらない」

このやろう……俺は半人前かよ! 納得できるが納得できん!
ちらりと後ろに視線を走らせる。遠坂の顔に手をかけ這い上がろうとするミーナさん。
ふらつき手が流れ、遠坂の顔に血の筋が描かれる。

「まぁいい、お前たちは切り札えいれいではない。切り札の到着までに倒せば良いだけのこと。そこの贋金造りのように、私を甘く見ていると怪我では済まんぞ」

返り血で真っ赤に染まりながら、見下すように奴が嘲う。

「そっちこそ甘く見てない?」

そんな奴に向かって遠坂が言い放った。唇についたミーナさんの血を舐め取りながら、嫣然と冷ややかな笑みを浮かべて侮蔑する。
その脇で、顔を伏せてよろめくミーナさんが、遠坂の肩を貸りながら立ち上がる。
小刻みに震えるミーナさんを支えながら、遠坂なおも冷ややかに言い放つ。

「あんた、それだけミーナの血を浴びてただで済むつもり?」

その声に合わすようにミーナさんの肩の震えが大きくなる。いや違う、震えてなんかいない。


「―――― Ich heisse LEGION我が名は レギオン).……」


詠唱と共に、ミーナさんの顔が上がる。



鬼が笑った。



笑っていた。ミーナさんは笑っていた。

血みどろになりながら、泥に穢されながら、銀髪を血に染めながら笑っていた。

足元も定まらす、腕は肩までも上がらないだろう。それでも笑っていた。

それは勝利に酔う鬼の嘲い。

その命と、血を賭けて獲物を罠にかけた『白銀の戦鬼ぎんのおに』の笑み。


「――Denn Ich bin Vieleたくさんであるが故に).――」


詠唱が終わる。


「がっ!」

いきなり奴が縛り付けられた。全身に浴びた血が、波打ち連なり鎖となる。
周囲にばら撒かれた血みどろの石のいくつかが、カタカタと振るえ瞬く間に魔法陣を組み上げる。無作為にばら撒かれているように見えて、要所要所では陣を組むべく置かれていたのだ。陣の光が強まるにつれ、更に鎖は男を締め上げる。

「ミーナの血は特別。あんたそれを浴びすぎた。それだけじゃないわね。あんたミーナの血飲んだでしょ?」

嘲るように遠坂が告げる。そして優しくミーナさんの指を拭う。

「そしてこれがあんたの唾液ね。ば〜か」

汚液にぬれた自分の指を妖しく示し、遠坂の瞳が艶やかに光る。

「わたしもね、ミーナの血を飲んだの。今からあんたを綺麗にして上げる。あんたの中のミーナの血とわたしの中のミーナの血、そしてあんたの唾液。わかるでしょ? わたしがなにをするか?」

遠坂が笑った。『真紅の悪魔アシュタロテ』の笑いだ。


「――――Anfangセット――」

悪魔が紡ぐ洗浄の呪い。

「――――Mit den Finger vom Quell eine Torpfenたった一滴   指先に浸し.……Wrlt wie welkes Lanb枯葉の如く 奪い去れ).」

「やめろ―――――!」

遠坂の詠唱と奴の叫びがこだまする。血の鎖に縛られ、血の繋がりで全身を無理やり洗浄される。根こそぎ力を搾り取られ、奴は泣くように叫ぶ。

「がががががががっ!!―――あああ!」

それでも奴は右手を引き剥がした。そこには一本のアンプル。奴は歯を食いしばり、それを口にまで運ぼうとする。まずい!

俺は双刀を手に飛び出した。

が、それより早く、対岸から川面を渡る一直線の蒼い波紋。金色の糸を引き、波紋の列は神速に届く。

 ―― 尖!――

「うがぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!」

銀光の一閃で男の右腕は肩から切り落とされた。

「遅れました」

セイバーだ、切り下ろし駆け抜けたままの動きで、流れるように俺と並び、なおも奴と対峙する。

「ここまでですね。捕縛します」

ミーナさんが遠坂に礼をして、こちらに向かってくる。俺は奴をセイバーに任せミーナさんを支える。

「ミーナさん……」

「大丈夫ですよ、士郎くん。血を流すのは慣れてますから」

ミーナさん、そんなのに慣れなくたって良いのに。それでもミーナさんは俺の手を拒まなかった。ちょっと待て、遠坂。ここで睨むってのは無しだろ? 反則だぞ、反則。



その時だ、闇の中から一発だけ銃声が響いた。


―― 弾!――


まるで齣落としの映像のように、奴の頭がきれいさっぱり吹っ飛んだ。首までぐずぐずに溶け、欠片も残さず消し飛んだ。とてもじゃないが、ただの銃弾とは思えない。

「シロウ!」

セイバーが飛び出す。怪我してるってのにミーナさんまで俺を突き飛ばした。

「こら! 士郎!」

で、遠坂に抱きとめられた。怒るならミーナさん怒ってくれよ。

―― 漸!――

セイバーが何も無い空間をえらく厳しい表情で切り裂く。
あれ? 何か光った?

「その二人はただの協力者サードパーティです。契約プロセスに従っていただけますか?」

ミーナさんが厳しい口調で闇に向かって言い放った。

「了解しました。契約プロセスに従い、そちらの二人を調査対象からはずします」

闇から人影が浮かび上がった。女の子?

紫の制服、同色ベレー帽、同色の編み上げ靴。白いスカートと金のブレスレット。
長い髪を三つ編みにした少女。いや、俺たちと同じくらいか。制服の紋章は――

目標消去ファイルJ・デリートのご協力感謝をします。シュトラウスのヴィルヘルミナ上級指揮官」

「こちらこそ、最後にお手間を取らせました。アトラスのアトラシア。シオン・エルトナム渉外特使」

――アトラス院の紋章か。

「――っ! 穴倉の『脳髄食らいマインドスレイヤー』……」

なんか遠坂がものすごいことを言いながら、俺をかばうように一歩前に出る。

「遠坂、誰なんだ? アトラス院の人みたいだけど」

「アトラス院のアトラシア、つまり次期院長候補って意味。簡単に言えば錬金術師の頭目よ。そんなことより、士郎は下がってて」

遠坂は唇をかみ締め、アトラシアと呼ばれた女性から一瞬も目を離さない。まるで、何か妙な動きをしたならば抜き打ちで魔弾を放ってやる、そんな勢いだ。なんなんだ?

「大丈夫。凛さん、そちらには決して向かわせません」

ミーナさんもこちらを向かず、そう言い放った。いつもと変わらぬ様に見えるが緊張は隠せない。
そんな俺たちを一顧だせず、アトラシアと呼ばれた女性は淡々と言う。

契約プロセスに従い情報消去デリートの確認を行います。よろしいですね?」

「どうぞ、契約プロセスの履行を致します」

「ヴィルヘルミナ!」

セイバーが二人の間に割って入ろうとする。が、ミーナさんはそれを押しとどめた。

「いいんですよセイバーさん。彼女はこれを悪用しませんから」

セイバーは、ミーナさんの応えにしぶしぶ引き下がった。アトラシアと呼ばれた女性は、ブレスレットの嵌った腕を軽く振る。なんだろう?

「エーテライトよ」

遠坂が汚物について話すような口調で言う。

「なんだそれ?」

「神経に繋がる極細の糸。早い話がそれで頭の中覗くわけ、無条件でね」

うわぁ、それはえげつない。あの娘そんなことしてるんだ。あ、さっきセイバーが切ったのはそれか。もしかして、俺たち頭の中覗かれかけたのか?

「確認しました。漏洩された秘匿情報ソースコードはありません」

一切の表情抜きでアトラシアと呼ばれた女性は告げた。ミーナさんは気丈にも彼女に笑いかける。血みどろだって言うのに……

「予定よりも早い到着でしたね」

「計測の結果、予定通りでは秘匿情報漏洩リバースエンジニアリングの可能性が四十二.五二%と出ました。資源リソースを集中した場合、私一人という条件なら六十八時間で渡英できます。この場合秘匿情報の漏洩は八.三二%まで減少すると解を得ました。当然の選択です」

なんだか機械と会話してる感じだ。これならさっきの奴のほうが人間味を感じる。

「遺体はどうします? 持ち帰られますか?」

情報ファイルJの消去は確認しました。そちらでの処理を推奨します」

「それでは、これまでですね」

「はい」

その時初めて彼女は俺たちのほうに視線を走らせた。あれ? 表情が動いた。なんというか、妙に懐かしげな表情で俺を一瞥した。

「日本の方でしたか」

驚いた。流暢な日本語だった。こんなところで聞くとは思っていなかったな。それに今の表情、ちょっと印象が変わった。もしかしたら本当はごく普通の女の子なのかもしれない。

「士郎……」

そんなことを考えていたら遠坂に抓られた。別に疚しいこと考えてたわけじゃないぞ、確かに美人だけど……痛て!

「以上でこちらの回収任務サブストラクションは完了しました。終了処理についてはシュトラウスに一任します。よろしいでしょうか」

「承知しました。それでは御機嫌ようアデュー。シオン・エルトナム」

「それでは、御機嫌ようアウフヴィーダーゼーエン。ヴィルヘルミナ・フォン・シュトラウス……」

そして彼女は俺たちに一礼した。

御機嫌ようアウフヴィーダーゼーエン。士郎・衛宮、凛・遠坂、アーサー・ペンドラゴン」

……これでわかった。頭の中を覗くというのはこういうことか。
エルトナム嬢はそのまま、現れたときと同様に闇に消えていった。と、ミーナさんが崩折れる。セイバーが慌てて支えた。

「あ〜〜〜疲れた。だから錬金術師って嫌い」

かなり弱っているが、いつもの調子のミーナさんだ。私怨ですよ、それは。

「ちょっと、大丈夫?」

「ええ、貧血です。血を流しすぎちゃったみたい」

遠坂がセイバーと並んで支えに入る。ミーナさんはへらへら笑ってるが顔色は最悪だ。

「馬鹿言ってないで。戻ろう。先ず手当てだ」

些か心にわだかまりを残しつつも、俺たちはミーナさんを背負い、この場を後にした。





「しっかし悔しいわねぇ」

ベットの脇で林檎をむきながら凛さんが愚痴っている。
剥いた林檎をお皿に盛って、私に差し出しながらなおも愚痴る。

「ギャングの死体も持ってかれちゃったんでしょ? 結局とんびに油揚げだったわね」

林檎はきちんとウサギさんになっている。凛さんはこう見えてかなりの少女趣味だ。可愛らしいことこの上ない。
どうやら血を流しすぎてしまったようで、わたしは三日ほど入院する羽目になった。今日は士郎くんと凛さんがお見舞いに来てくれた。昨日はセイバーさんとランスくん。どういう基準で組み合わせを選んでいるのだろう?

「そうでもないんですよ」

士郎くんも居るのでちょっと悩んだが、言ってしまう事にした。彼らにはあまり隠し事はしたくない。

「それってどういうことだ?」

わたしの手から林檎の皿を奪い取って、士郎くんが少し渋い顔で聞いてきた。やっぱりちょっと怒られちゃうかな?

「凛さんの指、唾液がついてたでしょ?」

「うげ! あれ? あ、手を拭いたときに」

凛さんが凄くいやな顔をした。私だって舐められたときは怖気をふるったんですよ。こちらのを消去デリートされた時は、泣きたい気分だったんですからね。

「はい、こっそり」

にっこり笑って応える。あ、士郎くん益々渋い顔になった。完全版の強化剤Jekyll and Hydeの含まれた唾液。復元しきることは難しいが、アトラスの秘匿技術ソースコードの一端が手に入ったことに変わりは無い。

「あんなもの作らないほうが良い」

ぶっきらぼうに言いながらも、林檎をわたしの口に運んでくれる。士郎くん、それとっても嬉しいけど凛さんが睨んでますよ。


ともかく、アトラスの錬金術師はひとつだけ残して行ってくれた。彼女がこれに気がつかなかったとは思えない。彼女は凛さんがこれを使って洗浄したのを見ていたはずだ。

アトラスのアトラシア後継者。シオン・エルトナム。三年の失踪ののち彼女が帰還してから、アトラスはほんの少し変わった。彼女自身は前以上にアトラス的だ、だがそれでいてこんな見逃しをさり気なくしている。

――『御機嫌ようアウフヴィーダーゼーエン』――今度お会いするときまで――

彼女のその言葉にどんな意味があるか、それはこれから判る事なのだろう。

END


「錬金術師vs贋金造り」の一戦。いかがでしたでしょうか?
戦士は戦いに死を以って臨み、剣士は剣に死を以って臨む。そして策士は己の策に死を以って臨むもの。
ミーナが己を餌に、凛様と士郎くんを切り札に仕掛けた策。
というわけで、今回ミーナさんはエロスではなくタナトスして見ました。
そしてもう一人の錬金術師。今回は「アトラシア」として登場してもらいました。
一人で歩むより誰かと協力して進むほうが良い、
そう気付いた彼女は、アトラスで体制内改革を目論む者という立居地を選んだ訳です。
ついにクロスにまで手を出してしまったdainでした。

By dain

2004/4/28 初稿

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