「しまった……」
「……」
倫敦随一の百貨店ハロッズの前で、俺達は立ち往生した。
倫敦に来て半年以上たってるって言うのに。ハロッズが日曜休みだってことを、すっかり忘れてたなんて。
「で? 衛宮くん。初っ端から躓いて、へこんでるのは判るんだけど。これからどうするの?」
とっても素敵な笑顔で遠坂さんが微笑んでくれる。痛い、凄く痛い。
本当に久しぶりの二人きりのデートが、いきなり挫折してしまった。
午前中はナイトブリッジですごし、昼食後、ヴィクトリア&アルバート博物館、ハイドパーク散策という計画。少しばかり地味ではあるが、俺たちにはふさわしく思えた。
だってにの、日曜の午前中なんてハロッズはじめ軒並み休み。開いてる店のほうが少ない。昼飯は予約してあるが、それまでどうしたもんか……
脂汗を流してる俺の隣で、遠坂さんが、わぁい楽しみねって顔で可愛らしく微笑んでいらっしゃる。
「ま、士郎だから。これ以上は責めないで上げる。代わりに付いてらっしゃい」
可愛らしい笑顔のまま、すたすたと先にたって歩き出した。あ、ちょっと待て。
「付いて来いって、どうするんだよ」
「士郎の計画全部キャンセル。今日はわたしのモノなんだから言うこと聞く。いいわね」
さて、これからどうやって引き摺り回してやろうかと、思いっきり楽しげな笑顔だ。
くそっ、そう言われると反論できない。昨日の晩から丸一日、俺は遠坂のモノなのだ。
何故かって言うと……
あかいあくま | |
「真紅の悪魔」 | −Rin Tohsaka− 第三話 前編 |
Asthoreth |
「――同調開始」
身体の中で神経が裏返る、今は一本だけで良い、カチリと撃鉄を引き上げる。
瞬時に魔力が回路を走る、良い感じだ即座にイメージを固める。
先ずは剣。それがスペードのスーツに変わり、スーツを中心にトランプが一揃い。
更に、そこからハートのカードを取り出し、スーツを硝子のカップに成形する。
「――同調終了
テーブルの上で、一度割れたガラスのコップが綺麗に修復され、元の形を取り戻していた。
「なんか、シローはどんどん器用になるな。僕ぁ哀しいぞ」
向かいの席でランチを突いていたジュリオが、大げさに頭を振って哀しんでいる。
「むっ、なんだそれは。お前だってこれくらいできるだろ?」
「そりゃ出来るさ、割れたガラスの即時修復なんて、初歩の初歩の初歩だしな」
さらりと言ってくれやがる。相変わらずストレートで正直な奴だ。嫌味だけど。
「でもシローの場合、剣に関することはえらく高レベルなことが出来て、その代わり他が全部駄目って落差がチャームポイントだろ? あんまり器用になっちまうと、普通すぎて女の子にもてないぞ」
「女の子に器用すぎるお前に、言われたか無いぞ」
別に俺はもてたいわけじゃ無い……。とは言いきれないのが、男の子の哀しい性だ。
「なんだ? この前のことまだ根に持ってるのか?」
この前というのは、先週の土曜のことだ、ちょっと付き合えといわれてついて行ったら、女の子達を連れてきた。結構可愛い子だったし、ジュリオも遊びなれていたので、たまには良いかと、面白く過ごすことが出来た。
だが、この野郎、途中で女の子の一人と消えやがった。おかげで少しの間だが、途方にくれることになったのだ。
「いや、あれはあれで楽しかったぞ。途中でお前が消えた時は、どうしたもんかと思ったけど、なんとかなったし」
「ああ、それだ。シローお前、女の子に恥かかせたろ? 駄目だぞ」
「むっ、きちんと家まで送ってったぞ?」
そうだ、酔っ払ってたから、かなり苦労したがちゃんと送り届けた。お母さんが良い人で、お茶までご馳走になったな。
「だからだよ。まぁ。あっちもそれはそれでって、逆に気に入っちまってたみたいだけどな。ああいう時は、朝までエスコートするのが筋ってもんだ」
「ちょっと待て!、それって、つまり……ってことか?」
「つまりも何もそういう事だよ。まぁ、気がついたって事は、女の子の扱い知らないって訳でもないんだな。安心した」
まったくなんて奴だ! 初対面の女の子といきなりそこまでいけるか! なに考えてるんだ……いや、そういうことを考えているんだろうな。
「馬鹿野郎! おれだってそれくらいなぁ……」
おや、どうしたんだろう? ジュリオのやつ急に静かになった。いつもの、忌々しいほど爽やかな笑顔だって妙に引きつっている。
「……あ、僕は先に行くから。ま、お大事に」
いきなり立ち上がって、逃げるように去って行った。ランチも食べかけだったし、どうしたんだ? ん? 「お大事に」?
「ふうん、先週の土曜に衛宮くん、そんなことしてたんだぁ」
あ”
振り向くと、そこには遠坂のこれ以上ないくらい満面の笑み。綺麗だな、惚れ直しそうだ、瞳の奥で蠢いてるものさえなけりゃ。
「それくらいって、何をどれくらいなのかな?」
そのまま笑顔は、踊るように目の前に滑り込んできた。
あかいえがおだ
あかいあくまがわらっている
「シロウ、質問があります」
少しばかり困惑した顔でセイバーが聞いてきた。
「今日、凛となにかあったのですか?」
うっ……言葉に詰まる。セイバーと視線が合わせられない。
昼間あの事件があってから、遠坂さん終始ご機嫌の体だ。無論本心ではないだろう。なにせ、ずっと真っ赤な炎を背負っていらっしゃる。
だが、俺に何か文句を言うわけでもない。他人行儀な言葉使いが、グサグサ突き刺さるが暴力的なわけでも、無視されているわけでもない。
家に帰ってからも同じ状態だ。余所行きの顔のまま食事を済まし、部屋に下がってしまわれた。
「いや、実は……」
だが、これ以上は俺の心臓が持ちそうにない。セイバーも心配しているし、ここは藁にもすがるつもりで、セイバーに昼間の顛末を話してみた。怒られるだろうなぁ。
「そのような事があったんですか……」
セイバーさんは怒るより先に大きく溜息をつかれた。はあ……、これは怒られるより応える。
「それで、シロウ。謝ったのですか?」
「それが、謝っても「衛宮くんは何で謝るのですか?」ってにっこり笑うだけなんだ。取り付く島がないってやつかな」
「――Cro「サー・ラーンスロット。貴方は黙っていてください」」
ランスが、その通りだ何故、主が謝らねばならん? と言いかけてセイバーに遮られた。
「良いですね? これから私が喋って良い、というまで黙っていてください。一言も口を聞いてはなりません。沈黙を命じます。呻くことも喉を鳴らすことも禁じます。ああ、納得していただいて大変有り難い」
背筋が凍るほどにこやかな笑みでセイバーが畳み掛けた。ランスはまるで人形のようにコクコクと頷いている。はじめて見たぞ、鴉の脂汗って……
「さて、シロウ」
「はい!」
その笑みのままセイバー様が俺に正対なされた。とてつもないプレッシャーだ、バーサーカーだってここまで怖くなかった。
「シロウは凛を愛していますか?」
いきなり直球ストレートがぶち込まれた。空振りも出来やしない。
「うん」
だからこちらも一言に全ての思いを乗せて応えた、これ以外何を言っても嘘になる。
「それでも、綺麗な女性には目が行きますか?」
うゎ、今度は恐ろしく切れのいい変化球が飛んできた。こいつにも下手な韜晦は利かない。
「あ、あの……うん……」
打ちひしがれる思いで、頷く。やっぱり嘘はつけない。セイバーさんは大きな大きな溜息をつかれる。ランスが何か言いたそうだったが、セイバーの一睨みで、再び沈黙の業に叩き戻された。
「それが男性の性なのでしょうね。仕方ないと言えば仕方ないことなのですが……」
きっと顔を上げて俺を見つめる。怒っているとかそんなのじゃなく、凄く真摯で厳粛な表情だ。
「凛は女の子なのです。強いように見えても、理性的であるように思えても、繊
セイバーの厳しさが優しさに変わる。俺は何も言えなかった。その通りなのだろう。そういうことなのか……
「凛は強い人です。理性では男性の性を理解してもいます。このことがさして怒るべきことでもないとも判っています。ただ、女性ですから哀しいのです」
「……うん」
「ですからシロウ。凛は謝罪を求めているわけでも、言い訳を聞きたいわけでもありません。わかりますね?」
「うん、わかった」
「では行ってらっしゃい。シロウ、哀しんでいる女の子を放って置いて良いのですか? しかもその女の子は貴方が大好きで、貴方もその女の子が大好きなのでしょう?」
そうだった。遠坂は女の子だった。普段魔術師として、徹底的なまでに理性的で、理詰めな行動をしているのでどうしても忘れがちになってしまうが、遠坂は女の子だった。俺が初めて心のそこから求めた女の子だった。
馬鹿だな、俺は。女の子が理屈じゃないって、遠坂とつきあって一番初めに思い知ったじゃないか。
「ありがとう、セイバー」
俺はセイバーに心から礼を言って、遠坂の部屋に向かった。
「遠坂、入るぞ」
「あら、衛宮くん。何か御用ですか?」
相変わらずの余所行きの声だ。それでも俺は返事を待たずに遠坂の部屋に入っていった。
「衛宮くん。無断で女性の部屋に入るなんて、随分と失礼なのね」
ベットに腰掛けにっこりと微笑んだまま俺を非難する。でも違うだろ? お前がその気なら俺がすんなり部屋に入れるわけ無いじゃないか。
俺はそんな遠坂の前まで進んで、じっと遠坂の目を見つめた。遠坂もそんな俺も目を見上げる。冷たいまま微動だにしない視線。それが凄く切なかった。
俺は一つ息をつくと思い切って言った。
「遠坂、好きだ」
「嘘つき」
その一言で仮面がはがれた。柳眉が切れ上がり、上目遣いで俺を睨みつける。凄まじい迫力のとても怖い表情だ。だが、俺はほっとした。あれ以来、初めて遠坂の本当の顔を見れたのだ。
「嘘じゃないぞ」
「知ってるわ、そんなこと」
睨みあう。理屈じゃない。だからもう一度言った。
「俺は遠坂が好きだ」
「そんなこと……知ってるんだから!」
地団太を踏むように立ち上がり、俺に食って掛かってきた。
「判ってるの! そんなこと判ってるったら! わたしは知っているんだから、そんなことばかり言うんじゃないの!」
爪先立ちになり、精一杯胸を張って俺を怒鳴りつける。でも俺はそんなことは聞いていなかった。なんで気がつかなかったんだろう? いつの間にかこんなに小さくなっちゃったんだな、遠坂。
余りにも危うく、余りにも儚げなものだから、思わず抱きとめてしまった。
「俺は知らなかった」
抱きとめた遠坂は、見ていたときよりもずっと小さかった。
「遠坂、いつの間にこんなに小さくなっちゃったんだ?」
「あんたが大きくなっちゃったんでしょ……」
「ああ、そっか」
「そうよ……馬鹿」
馬鹿か、そうだな。こんな小さな女の子を哀しませてたんだな。やっぱり俺は馬鹿だ。
「遠坂、好きだ」
馬鹿だからこれしか言えなかった。
「開き直るんじゃないの」
遠坂がようやく笑ってくれた。苦笑いだが笑顔には違いない。さっきの笑顔よりずっと綺麗な笑顔だ。
「なんかバカバカしくなっちゃった」
柔らかな音を立てて、遠坂が俺に身を委ねる。押し倒さんばかりに思いっきり体重をかけてくる、地に足は着いているが、そっちにはちっとも体重は掛かっていないだろう。ただ、それでも今の俺には遠坂は軽かった。とても可愛らしほど軽かった。
「判ってるんだけど、それでも腹は立つの。あんたもあんたよ、誘われたからってほいほいついて行くんじゃないの」
俺の胸に顔を埋めながら、遠坂が愚痴る。
「セイバーにも言われた。そんな男の性が遠坂を哀しませてるって」
「言ってくれるじゃない、あの娘……。で? どうなの? やっぱり可愛い子は好き?」
遠坂さんは落差のあるフォークボールを投げてこられた。見逃したら怒るだろうなぁ。
「う……ああ……その……やっぱり男だから……。で、でも遠坂が一番だぞ」
さっきと同じだ、嘘はつけない。でも今度はちょっと怖いな。
「馬鹿、そゆときは嘘でも、わたししか見えないって言うものなの。まったく、わたしだけしか見えない位、夢中にしてやるつもりだったのに……これじゃ、わたしのほうが夢中みたいじゃないの!」
ぐぃっと顔を上げ、口を尖らせ俺を睨みつける。胸が詰まるくらい愛おしい。思わず微笑んでしまったら、益々きつく睨まれた。
じっと見詰め合っていたら、遠坂の瞳がほんの少し揺らいだ。
「不安なんだから。士郎は手を離したら、ルヴィアにだってミーナにだってひょいひょい付いて行っちゃうでしょ? 怖いんだから」
俺はずっと、遠坂を哀しませていたようだ。だが謝るのも違う気がした。
「だったら俺が遠坂を離さない。今度からそういう時は、遠坂を連れてひょいひょい行くことにする」
だからそう言った。そうすれば、もう遠坂を哀しませないだろうと思ったから。
「馬鹿」
ああ、間違ったかもしれない。遠坂は笑ってくれたが、涙も浮かべている。遠坂を泣かすのはいやだ。
「やっぱやだ。士郎に連れてってもらうなんて、わたしのプライドが許さない。わたしが士郎を連れてく、離してやんないんだから。覚悟しなさい」
ああ、その覚悟ならとうに出来ている。そう応えようとしたら――
唇をふさがれた。
――初めての時のようにそっと唇を重ねられた。そして、ぐいっと頭を引き摺り下ろされ、甘く強く貪られた。それに応えて強く抱きしめようとしたら、するっと顔を引かれ、人差し指で鼻先を押さえられてしまった。
「へへへへ、やっぱり先手じゃないとね」
畜生、この野郎。こいつは何時だって反則ばかりだ。これも反則だぞ。
「じゃ、わたしを哀しませた代償としてこれから一日、士郎を貰うからね」
「ああ、畜生、もってけ。愛してるぞ遠坂」
最後の一言で少しだけ溜飲が下がった。不意打ちになったのだろう、耳まで真っ赤に染まってしまった。ふん、俺だってたまには反則使うんだぞ。
とまぁ、こういったわけだ。で、この後……
「士郎、なにボーっとしてるの?」
遠坂が不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。
「あ、いや。なんでもないぞ、うん、ちょっと日差しがきついかなって……」
「今、曇ってるわよ」
むぅ――っと膨れて不審そうに俺を睨む遠坂さん。すっと視線が下がる。あ、お前、今なにをチラッと見た!
「ふぅん、そゆこと。衛宮くん」
極上の笑みを浮かべて俺を嘲る遠坂さん。頼む、いや、お願いします。その先は言わないでください……
「衛宮くんのえっち」
くすりと笑ってにやりと呟く。うわぁい。人としての尊厳がガラガラ崩れていくぅ。
「なぁんてね」
俺の慌てふためきぶり十二分堪能してから、遠坂は俺の腕に自分の腕を絡めて引っ張りだす。その時、耳元に口を寄せそっと呟きやがった。
「わたしもね、えっちなの」
畜生、反則使いめ。こちとら髪の毛の先まで真っ赤になっちまったってんだい。いや、元々髪は赤いけど。
「ちゃんとキャンセルの連絡入れた?」
遠坂がそんな俺に一切の斟酌をせず聞いてくる。踊るような足取りで蝶のように舞っている。はあ、女の子ってのは凄い。この切り替えには一生ついていけそうにない。振り回されっぱなしだろうな。
「士郎、ちゃんと聞いてる?」
ぼけっとそんなことを考えていたら、遠坂は少しだけ不満そうに口を尖らせて覗き込んできた。あっと、キャンセルか、ああ、昼飯食うはずだった店だな。
「おう、ちゃんと連絡入れたぞ」
シュフランさんに紹介してもらった店だ。無理を言って予約を取ったのだが、断りの連絡をいれ、平身低頭して謝った。
セイバーにも協力してもらって立てた計画だが、全部放棄か。だが、まあ仕方がない。今日は遠坂の日だもんな。
「あれ? 車は良いのか?」
よしよしといった顔で、遠坂が引っ張っていく方向は、ミニを突っ込んであるパーキングとは逆方向だった。
「うん、メトロ使う、環状線半周するから」
「何処行くんだ?」
「倫敦塔。今日はミステリーツアーよ」
悪戯っぽくそういうと、遠坂は軽い足取りで俺に腕を絡めてきた。倫敦塔か、時計塔は存分に堪能していたが、そういやこっちきて倫敦塔に行ったこと無かったな。というよりロンドン観光自体初めてだった。でもな、遠坂。ミステリーツアーってなにさ?
「はぁ……」
俺は溜息を付いた。なるほど、これはミステリーだ。
「わたしも初めてだけど。ここはさすがねぇ」
遠坂も感心している。
ここは倫敦塔。ハロッズからしばらく南に下がって、メトロの環状線に乗り半周。タワーヒル駅で降りてすぐ正面にある。
で、何を感心していたかというと、つまり『出る』んだ。
二十一ある塔のそれぞれに、特異な霊が顕在し、城全体が一種の異界を形成している。
歪みと言うかずれというのか、そいつをひしひしと感じるのだ。前に行ったペリノア王の城と同じような空気だ。
「ここは完璧に『場所』ね。残留思念が、思いっきり刻み込まれてるってやつ」
「そうだな、歪みそのものは小さいんだが凄く重いぞ、これ」
長い年月の蓄積だろうか? 歪みがこの形に固定されている。この歪みこそが自然だといわんばかりの強固さだ。
「でも、ここまで現実に馴染んじゃうと、もう完全に風景よね」
つまり、幽体としての悪さと言うか、祟りじみたものは存在しないという事だ。倫敦と言う街はこういう場所が多い、幽霊が隣の住人として当たり前の風景の一部になっている。だからこそ、魔術師なんて存在が集団で住んでいけるのだろう。
つまり、ここの幽霊は俺たちのお仲間と言うわけだ。俺は、何の気なしに魔都の先達たちに、軽く会釈をしていた。
「なにしてんの?」
そんな俺を不思議そうに見る遠坂。
「いや、なんというか、ほら。親戚みたいなものだろ?」
意味不明である。とはいえ遠坂には判ったようだ。一瞬げぇ――っという顔をしたが、そんなものかもね、と楽しげに微笑ってくれた。
「そう言えなくも無いわね。ところで、士郎。貴方何処に一番それを感じる?」
遠坂が片手を流して倫敦塔の列塔を指し示す。何処が一番歪んでるかってことだろうか。いつもの遠坂先生テストだな。
とりあえず一番強く霊気を感じるとこを探すことにした。俺はざっと列塔を見渡す。
「ええと……あれかな?」
俺は東の城壁の中ほどに立つ塔を指差した。何処がどうと言うわけではないが、そこが一番哀しげで寂しげだった。それでいてなんと言うか、可憐な気品があった。
「ふぅん。やっぱりね……」
遠坂さんは、納得はできるが些か気に食わない、とばかりに微妙に棘のある笑顔で俺に視線を送ってきた。なんでさ?
「衛宮くん、あそこに出る幽霊ってどんなだか知ってる?」
「いや、知らないぞ。どんな幽霊が出るんだ?」
知らないけど、なんかいやな予感。遠坂が俺のことを「衛宮くん」って呼ぶわ、添加物山盛りの笑顔だわで、何か致命的なミスを犯したような気がする。
「ジェーン・グレイ。九日間だけの女王様。享年十七歳の倫敦塔一の美少女。まぁ納得できるわよねぇ」
ああ、失敗した。昨日の今日でまたやってしまったようだ。綺麗な笑顔だなぁ、ちりちりととっても熱いからきっと金星あたりの笑みだなの。遠坂、お前本当は全然納得して無いだろ。
「それはおいといてだ」
面倒なことになりそうだったので、軽く流してみる。
「士郎、そんな下手糞な韜晦で誤魔化せるつもり?」
あ、やっぱり駄目? 遠坂はむぅ――と睨みつけてきた。いや、でもさっきの金星より良いな。何より可愛らしい。いけない、いけないと思いつつ、ついつい頬が緩んでしまう。
「何よ、文句ある?」
「いや、文句は無い。ただ、遠坂は可愛いな」
だから、ぽろっと言ってしまった。実際、遠坂の焼餅は笑顔のときより、ストレートに膨れてくれたときのほうが可愛いし、面白い。
「う……っ。馬鹿!」
真っ赤になって、怒りながらずんずん先に進んでいってしまわれた。いや、本当に可愛い。こういう素直じゃなさは良いな。たまには反撃してみるもんだ。
「まったく。おーい、一人だけ先に行くなよ」
俺は、かわいらしいお姫様を追いかけて、城門をくぐった。
「へえ、中に入ると益々すさまじいわねぇ」
先ほどまでの百面相を、すっかり潜められて、遠坂さんが感心する。確かに、まさか昼間っから見れるとは思わなかった。
「士郎、ほらあそこ。見えるでしょ?」
遠坂が南西の塔を指し示した。ああ、窓から男の子が二人顔を覘かせている。無論人間ではない。普通の人にも見えないだろう。だが俺たちは魔力の揺らぎから、彼らの見せたい姿を視覚に変換することが出来る。なんでも薔薇戦争の時に、政略の為、投獄され暗殺された兄弟の王子だそうだ。
「なんか、余り恨みつらみとかは感じないな」
うん、なんか楽しげに観光客を品定めしてるって感じだ。あ、手を振ったら振り返してきた。
「恨む相手はとっくに死んじゃってるし、名誉回復も終わってるから。でも、長い間ここに居たでしょ? すっかり場所に馴染んじゃったのよ」
なんでもないように仰る。なるほどとも思うが、よく考えてみりゃ、なんかとんでもない場所だな、ここは。
「で、あれがかの名高き倫敦塔の大鴉。セイバーの御親類衆ね」
城門を抜け、続く正門をくぐり城の内郭に入ったところで、遠坂は堂々と闊歩し、えらそうに馬肉をついばんでいる鴉達を紹介する。なるほど、みんなランス並にふてぶてしい。ま、なにかの縁だ、ここは一つご挨拶でも。ん?
「それからあの塔ではね……ちょっと、士郎聞いてる?」
鴉の群れのほうを見て、ボケッとしていた俺に、遠坂がちょっと剥れて話しかけてきた。
「あ、ごめん。ちょっとな」
それでも俺は鴉の群れから視線を離さなかった。おかしいな、さっきチラッと見かけたのは確か……
「もう、今日は士郎、わたしのなんだから、ぼけっとしない。わたしを見る。いいわね」
「おう、わかった」
可愛らしく膨れて畳み掛けてくる遠坂さんに、取り敢えず従うことにした。こうまで甘えてくる遠坂ってのは貴重だし、気になるとはいっても、別にたいしたことじゃない。きっと気のせいだろう、鴉の中に紅い嘴の奴が居たなんてな。
それじゃついてらっしゃいと、そのまま遠坂さんの先導で、俺たちは城の各所に威容を誇る列塔巡りをすることになった。
流石に遠坂さんは各塔の由来やら、幽霊のことを良く知ってらっしゃる。随所随所で芝居を演じながら、俺に解説してくれた。
前々から思っていたが、こいつはこういうのが好きだ。本当に楽しそうに、身振り手振りで解説してくれる。
「結構面白いな、倫敦塔って」
「そうでしょ。ま、わたしもこれほどとは思わなかったけど」
さて列塔巡りは、さっき俺が指し示したビーチャム・タワーに差し掛かった。と、ここでは遠坂が芝居をするまでもなく、目も前に『居た』。
長い金髪をたらし、美しい黒のドレスと白い帽子で着飾った、可憐で清楚な王女の霊。うっとりするくらい美しい彼女は――
「ふふん」
――同じ年頃の美々しい青年と手を取り合って、静かに佇んでいた。なんでも一緒に捕らえられた旦那様だそうだ。
ちょっとだけ呆けてしまった俺を、遠坂さんが楽しそうに鼻を鳴らして見ていらっしゃる。
「まさか、衛宮くん人妻には手を出さないわよね?」
「ば、馬鹿野郎! 端っからそんなつもりは無いぞ」
悔し紛れに怒鳴ってしまった。あ、すみません。貴女方を怒鳴ったわけじゃないんです。失礼しました。
「あら、衛宮くんったら失礼ね。それじゃ振られた男の捨て台詞よ。ほらほら、お邪魔虫はとっとと消えましょ?」
こら、馬鹿、このままだとこちらの方々に、誤解されたままだろうが! 俺は幽霊に間男だと誤解されたままなんていやだぞ!
俺は心で叫びながら、遠坂に塔から引きずり出されてしまった。ちょっと待て、せめて釈明させてくれ!
甘い話が書きたい。最初の気持ちはただそれだけでした。
とはいえそれでは”御噺”にならない、てなわけで倫敦幽霊観光を付け加えてみました。
こういった普通の話は苦手であると実感したお話。
そういうわけで、後半はアクションが入ります。お楽しみに。
By dain
2004/5/5 初稿