倫敦塔。
十世紀に建設され、十四世紀に完成された、倫敦の象徴とも言える塔に囲まれた城。
倫敦観光の目玉で、倫敦にきた観光客のほとんどはここを訪れるだろう。もっとも俺たちは忙しすぎて倫敦観光などしてなかったけれど。それでも名前くらいは知っていた。
だが、この城が有名なのは、ただ時代を経た観光スポットとしてだけではない。
欧州史上、ここほど多くの苦難、苦痛、苦悶を長きにわたり刻み続けてきた城は無い。何人もの王が女王が、王子が王女が、貴族がこの城で反逆者として処刑されてきた。
よってこの城は『出る』。
それはもう半端じゃない数の幽体が、昼間っからほっつき歩いている。
遠坂さんご推奨、倫敦ミステリーツアーのスタートとして、ここほどふさわしい場所は無いだろう。
デートのはずだったんだがなぁ……
あかいあくま | |
「真紅の悪魔」 | −Rin Tohsaka− 第三話 後編 |
Asthoreth |
「ああ、気持ち良い。やっぱ士郎はこうでなくっちゃね」
散々からかわれた挙句、俺は塔の屋上まで引っ張り出された。遠坂は初夏の風に心地よさげに髪を弄らせながら、片手を口元にくすくすと楽しそうに笑っている。なんか今日は朝から振り回されっぱなしだ。確かに今日一日は遠坂のモノなのだから文句は言えないが。
「幽霊までだしにするんじゃない」
とはいえ癪だから文句を言ってやった。
「最初に懸想したの士郎でしょ? 間違えちゃいけないわよ」
さらりと返して、けたけた笑いやがる。その懸想ってのはなんだよ。俺が剥れると遠坂は益々心地よげに笑いやがる。
ああ、畜生、俺も笑ってる。こんだけ振り回されて、俺はこいつと一緒に居ることを心から楽しんでいる。ちょっと悔しいからそっぽを向いてやった。
「ねえ、士郎。あれなにかな?」
折角、俺が拗ねてやったってのに、遠坂さんは既にこっちを見ていなかった。凄くむなしい。なに見つけやがったんだ? 俺もそちらに視線を向けてみた。さてと、
何かのロケだろうか? どやどやとそれらしき集団が中庭に入ってきている。俺は視覚を強化してみた。
カメラが数台、レフ版、棒マイク、それに各種機材を持ったスタッフが数人、来たばかりなのだろう、中庭でなにやら撮影の準備を始めている。
「TVかなにかのロケみたいだな」
「でもBBCじゃないわ」
「じゃ独立系か海外かな?」
たしかにカメラのロゴはBBCではなかった。ええとS、H、A、D、O、Wか……
ああ、ミーナさんとこか。じゃ映画かもな。しかしどこか妙だな。
俺は強化した視覚のまま、倫敦塔の周囲を見渡してみた。
正面に中継車が二台。裏に一台。あ、今メトロの出入り口にも一台滑り込んだ。っておい。なんだってこう基点基点に配置されてるんだ?
さらにタクシー、バスの乗降所に目を向けると、ピンクの六輪ロールスロイスがひっそりと止まっている。……ロンドン広しといえど、あんな車ルヴィアさん家にしかないぞ……
俺は眉を顰めた。どう考えても包囲されている。しかも交通機関まで抑えられている。かといって掴まえようといった感じではない。監視と尾行。そういった感じだ。
視線を中庭に戻す。やっぱりだ、数台のカメラ交代で、常にこっちを画像に捕らえられる位置をキープしている。
ということはさっきの鴉も……。俺はランスへのラインを確認した。こっちもやっぱりだ、あの野郎、ラインを切ってやがる。
使い魔というのは自然な生き物ではない。一種の魔術生物だ。サーヴァントと同じようにマスターからの魔力供給無しでは消えてしまう。だがランスの場合、召喚からして特殊だった所為か、一日くらいならマスターから完全に絶たれても活動が出来る。しかもそのラインをこっちからだけで無くあっちからも切れやがる。遠坂ではないが全くふざけた使い魔だ。
で、あいつからラインを切るってことは、俺に内緒で何かやっているって事だ。
情報は総合された。つまり俺たちのデートは、ランスを初め知り合い一同に監視されている。ああ、もう。お前ら何を考えてるんだ?
「どうしたの? 士郎」
頭を抱え込んだ俺に、遠坂がきょとんとした顔で尋ねてきた。遠坂は全然気がついていないらしい。あれ? ってことは魔術的な監視や尾行は無いってことか。
俺は眼を見開いて俺を見つめる遠坂を見返しながら考えた。こうまで無防備な遠坂は珍しい、よほど楽しいのだろう。快楽主義者を自称する遠坂だが、こいつ抑える必要がある時、平然と自分を殺して自制する。それを辛いとも苦しいとも思っていないと言うが、それは嘘だ。
それが今日は羽目を外している。本気で快楽主義に徹している。
だとすれば俺のすることは決まった。なにせ今日の俺は遠坂のモノなのだ。誰にも邪魔はさせない。
「遠坂、ちょっと」
「きゃ」
俺は遠坂を抱き寄せた。なかなか可愛らしい悲鳴を上げてくれる。最も即座にすんごい目で睨みつけてくださいますが。
「何のつもりよ……」
「ちょっとだけ付き合ってくれ」
視界の隅に中庭を捉えながら、更に抱き寄せる。そう、すぐにでも抱きかかえられるように。
「士郎……」
妙なことに遠坂は直ぐに大人しくなった。暴れられるんじゃないかと覚悟していたのだが、小さくなって俺に身を寄せて来てさえいる。顔もほんのり桜色に染まっていたりする。うっ、可愛らしいことおびただしい。こんな遠坂の為にこの道を選んだとはいえ、今はそんなことに浸っている時じゃない。二律相反と言う奴だ。なんか悔しいぞ。
俺は軽く頭を振って気持ちを切り替え、状況の観察に集中する。まず中庭のカメラ。こっちに警戒されないためか数台交代でこちらを監視している。俺はその交代の隙を窺った。そして周囲の観光客。カメラを意識しつつ人目につかない一角へ移動する。……よし、今!
俺は予備動作無しで遠坂を抱きかかえ、倒れるように城壁から飛び降りた。
「ひえっ!」
流石の遠坂も可愛らしく悲鳴を上げる。そりゃ不意打ちだもんな。高さは約二十m、まともに落ちたら助からない。かといって俺は重力制御なんて高度な魔術は知らない。遠坂は知っているだろうが不意打ちだ、呪を紡ぐ閑も無いだろう。
だが俺に手が無いわけじゃない。
「――投影開始
素早く魔術回路を開く、ほぼ同時に六本の長剣を投影、俺たちの落下軌道上ほぼ三m間隔で城壁に打ち込む。
俺は遠坂を抱え込んだまま最初の一本に足をかけた。落下加速された人二人分の質量、投影した剣は宝具はもちろん魔剣でさえない、当然耐え切れず折れる。ただ落下速度は十分殺せた。折れた剣はそのまま現実に負けて消えるため、破片で怪我をする心配も、証拠が残る心配も無い。
俺は六本の剣を次々に叩き折りながら、地上にすんなりと着地した。
落ちた場所は、倫敦塔の外壁と内壁の間の狭い空間だ。観光客は入れないから人目も無い。魔術的な手段が無いなら、そう簡単には特定できないはずの場所だ。
「ちょっと! 士郎」
ようやく遠坂が文句を言う。真っ赤になって怒ってるな。でも、もうちょっと待ってくれ。おれはそのまま近場の茂みに身を隠した。
「どゆことよ」
怒鳴り散らしたいのだが、なにやら隠れている理由があるようだから我慢したげる。といった顔でむぅ――と遠坂が俺を睨む。
「俺たち見張られてた」
「わたしは気がつかなかったわよ」
俺だけ気付いてたなんて許せない、とばかりに膨れ上がる。こら、剥れる場所が違うだろ?
「そりゃそうだろう、カメラに望遠マイク。機械ばっかりだったからな」
俺の説明に、遠坂が益々顔を顰める。機械は遠坂の弱点だもんな。俺は立てたひとさし指を唇に当てながら、声を潜めて説明を続けた。
「中庭だけじゃない、出入り口は封鎖されてるし、交通機関の乗場もマークされてた」
「誰によ」
流石にまじめな顔になった。左右を警戒するように視線を巡らし、声も小声になる。
「ミーナさんとこの中継車、ルヴィアさんとこの車、それに――」
俺は遠坂を更に茂みの奥に下がらせながら上空を指差した。
「――あいつだ」
上空にはどこか慌てた風に、鴉が舞っていた。倫敦塔の大鴉は翼を切られていて飛べない。さらに俺の強化された視覚には、はっきりとあいつの赤い嘴が映っている。しかも足には何か掴んでいるようだ。ふん、やっぱりな。俺は手に弓と矢を投影する。
「ちょっと、士郎」
遠坂が血相を変える。あいつを撃ち落すとでも思ったのだろう。相性が悪くていつも喧嘩してるようなのに、こういう時あいつの為にこんな顔をしてくれる。そう思うと、何故か嬉しい。
「大丈夫、ちょっとお仕置きするだけだ。傷つける気は無いぞ」
心配なんかしてないわよ、と小さく呟いて赤くなる遠坂。こういう所があるから俺はこいつから離れられないんだ。
俺は苦笑しながらあいつに照準を合わせる。
ああ、流石だな。やっぱり「当り」のイメージが沸かない。悠々と空に舞う大鴉。一見隙だらけだ。
だが、いくら視線でしっかり捕らえても、それが決して「当り」のイメージに繋がらない。必ず避けられる。俺の全身が無言でそれを伝えてくるのだ。不敗の騎士の面目躍如といったところだろう。
しかし、この矢は当てる必要は無い。おれは「外れ」のイメージのまま矢から指を離した。
「――Cow!――」
見事、奴は直前で矢を避けた。が、それは予測通り、俺はそこで矢の幻想を大きく膨らます。
―― 爆!――
あいつの真横で矢が弾けた。もちろんあの矢は宝具ではない、魔力だってほんのちょびっと、爆発といっても爆竹かロケット花火くらいのもの、音だって自動車のバックファイヤに毛が生えた程度だ。しかし、気を逸らさすには十分。俺はそのわずかな隙を突いて、ランスとのラインを強制的に繋げなおす。そして、そのまま俺たちのところまで引き摺り下ろす。勿論、足で掴んでいた通信機はその前に放り投げさせた。
――やや、主よ、こんなところで会うとは奇遇だな。
降りてきたランスは、先ほどの矢の攻撃などおくびにも出さず、白々しいばかりに言い切りやがった。横からすっと伸びてきて、首根っこをひっ掴まえた笑顔の遠坂さんを見ても、僅かに顔を顰めただけだ。
「なぁ、ランス。今の俺にこいつを止める力は無いぞ?」
遠坂の笑顔にちょっと引きながら忠告する。脅しじゃない、ただの事実だ。
「とっとと吐きなさい! 愛の騎士が何時から出歯亀の仲間になったのよ!」
――いやいや、そう言われると面目ない。とはいえ騎士は主に従わねばならないのでな。
ぎゅうぎゅう首を絞められながらも平然と応えるランス。流石だ、俺には到底なねの出来ない態度だな。ん? こら、待て。主は俺だぞ。
――そうではある。が、騎士として旧主の願いも無碍には出来きかねる。
なるほど。え? 旧主?
「あの娘……なに考えてるの!」
遠坂さんが頭を抱えられた。なるほど、首謀者はセイバーか……
「ランス、事情を話してくれるな?」
俺は些か脱力しながら聞いてみた。ランスは致し方あるまいと言いながら、楽しげに話し出した。
つまりは俺たち二人が心配だったらしい。折角、仲直りをしたのにデートの途中で何か騒動が起こったら、俺たち二人では纏まるまい、とセイバーさんは思ったわけだ。
だから、そんな時にサポートできるように、友人たちを挙って俺たちのデートの見張りを思いたったらしい。俺の計画についてはセイバーにも相談したので、ルートは把握していたし、最初はそちらに仲間を配置していたのだそうだ。
それを遠坂がぶち壊した。
――まぁ、本来ならそこで諦めて、後はお二方に任すのが筋であろうな、しかし
ランスはにやりと笑いながら話を続けた。
――ご存知のように、王は些か意固地な所があってな、
――こと今回のように計画が端から躓くような時は、
――特に突っ走られる傾向があったのだ。
懐かしげに話は続く。
――昔このようなことがあった。
騎士たちが集まってゲームをしていたときのことなのだそうだ。クリケットの原型らしく杭を二本たてゴールに見立てる、そこに向かって一人が石を投げる。もう一人が杭の前に立って棒でその石を弾いてゴールを防ぐ、といった簡単なものだったらしい。
そこにセイバーがやってきて混ざる事になったそうだ。
――いやいや、王は見事に石を弾きなされた。
――しかしながら、こう、力加減が些か入りすぎであったのだろう、
――悉くバットを折られてしまった。
――弾き返すこと自体は出来ていたのだし、王のチームの勝利も決まっていた。
――ではあるが、王はバットが折れること自体に我慢できなかったらしくてな、
――次々にバットを代えられて打ち返され、打ち返してはバットを折っておられた。
――こうなると意地におなりになったのだろう、騎士達は些かへきへきしていたのだが、
――王はバットを折らずに済ますまで止めようとなさらない。
――ついにはこれならば折れなかろうと、エクスカリバーをバットにされて打ち返された。
――流石にエクスカリバーは折れなんで、王はこう、実に晴れ晴れと微笑まれたのだが、
――その直後、ドロンっと魔術師殿が現れてな、
――このバカチンが! っと後ろ頭を思い切り叩かれておられた。
うわぁ。なんて、その、セイバーらしい逸話だ……
ランスによると、王としての責務については、こういう傾向を抑えていたらしいのだが、どうやらセイバー本来の資質は、こういったドンパチな傾向があったらしい。
「つまり、手段が目的化するのね。あの娘は」
――うむ、である故にこの度は、我にまで動員がかかってな。
――いや王のご友人方もノリが良い、当初に倍する勢いで資材人員注ぎ込んで、
――お二方を十重二十重と囲まれて、今に至ったという訳だ。
頭が痛い……
「ミーナさんやルヴィアさんまで巻き込んで、何を考えてるんだ」
――安心なされよ主、流石にあのお二方を巻き込むのはまずいと思われたか
――今回動員されたのは、王個人が懇意にされている従者と芸人の一団だ。
つまりシュフランさんとシュトラウス職人軍団か、ってあの人たちは……
「やってくれるわねセイバー。つまりこれってわたし達への挑戦よね」
にんまり笑って妖しく燃える遠坂凛嬢。セイバーもだが遠坂もちょっと変わった。
昔なら、こういうお遊びは付き合わなかった。もっとドライに割り切っていたのだが、こっちへ来てルヴィアさんやらとドツキ合いをする様になってから、箍が外れてきた。
元々お祭り好きなとこはあったから、今までは魔術師として抑えてたんだろうな。
ま、それだけ今、遠坂の周りに居るのが、気のあった連中だということだろう。それは喜ばしいことなんだろうが、はぁ。
「どうするつもりだ?」
「決まってるでしょ? セイバー一味を振り切ってきっちりデートするの」
心配だな、セイバーだけじゃなく、お前だって手段が目的化する傾向あるんだぞ?
「で、ランス。あんたどっちにつく?」
――こうなれば仕方あるまい。旧主への義理は果たした。主に従おう。それに
ランスがにんまりと笑う。
――昔から、王はからかい甲斐のある御方でな。
セイバー。お前の昔の苦労、少し判った気がするぞ。
「先ずはここからの脱出ね」
遠坂が腕組みをして不適に笑う。
「ランスを上げて周囲を確認しよう」
「そうね、そこから作戦を練りましょう」
俺はランスを飛ばし視覚を廻して貰う。予想通り中庭では周囲を探る撮影班、正面と裏には中継車、タクシー乗場とメトロにロールス。以上が敵の配置だ。いや、もうみんな全力投球で遊んでやがる。
「普通の出入り口は無理だな。どっかから城壁を越えて外へ出なきゃ」
「中庭の連中の目を逸らさないと駄目ね」
「遠坂は幻影とか使えないのか?」
「使えるけど視線が通ってないと、使い魔とかの目を通してでも良いんだけど、ラインが通ってないとね。わたしじゃランスは使えないし」
遠坂がむぅ――っと悩む。確かに俺じゃ幻影なんか使えない。いや、待てよ。
「中庭の連中に俺たちが反対方向行ったと思わせればいいんだろ?」
「そうだけど、幻影は使えないんでしょ?」
「おう、けど何とかなる。ええっと、南に向かったように見せるぞ。一緒にちょっと歩いてくれ」
俺は遠坂を引っ張り出し、並んで歩き出す、と同時にランスの視覚を通し基点の確認をする。よし、通るぞ、
「――同調開始
俺は、幾つかの地点にランス経由で投影をかけた。さて…… うん、上手く引っかかってくれた。
「よし、誤魔化せた。走るぞ!」
「ちょ、ちょっと!」
俺は文句を言う遠坂を引っ張り、北の城壁に向かった。越えるのはさほど難しくない。周囲をうかがい人目が途絶えるのを待って、遠坂に重力制御をかけてもらい一気に乗り越えた。
そのまま元は堀だった芝生を突っ切り、倫敦塔を囲む林の中に身を隠す。
「巻いたぞ、こっからどうする?」
「それより! あんた何したの? 士郎に幻影は使えないはずよ、教えなさい」
遠坂が口を尖らせ膨れっ面で聞いてくる。なんかえらい勢いだ。ああ、そういえば話してなかったか。
「ランスを通して何箇所かに鏡を投影したんだ。それで南の城壁の上に歩いてる俺たちチラッとね、投影以外は魔術じゃないぞ、ちょっとした手品だ」
鏡のような単純なものなら、俺の半端な投影で中身は無くとも「鏡像を映す」という効果は期待できる。無論直ぐ消したが、あの連中はプロだ、かえって一瞬のほうが目を逸らすには効果的であったようだ。
「う、上手いじゃない」
なのに、遠坂は益々口を尖らせて俺を睨む。なんでさ?
「それよりこれからどうするんだ?」
「お昼ご飯。迂回してタクシー拾うわよ」
しばらくブツブツ言っていたが、遠坂さんはおもむろに顔を上げるといつもの調子に戻って言った。
上空でランスに周囲を警戒させながら、俺たちはそのまま林をすり抜けタクシーを拾う。向かう先はホワイトチャペルのパブらしい。遠坂さんは、どうやら是が非でもデートを続けるつもりらしい。やれやれ。
遠坂が指定したのは「十鐘亭」という小粋なロック・パブだった。ランスを看板にとまらせ周囲の警戒を任せ、俺たちは店に入る。
「なんだ普通の店だな」
ミステリーツアーの続きなのだから、幽霊屋敷のような店だと思っていたから、些か拍子抜けした。
「士郎、ちょっとその辺に張ってある新聞読んでで見なさい」
新聞? ああ、壁に古新聞が貼ってあるな、なになに、一八八八年八月? えらく古いな。げっ……
「そ、ここは切り裂きジャックの店よ」
顔を顰める俺に、遠坂が自慢げに鼻を鳴らす。
新聞によると、この店の裏手で切り裂きジャックの二人目の犠牲者が殺されたらしい。なんでもその犠牲者の幽霊が出ていたそうだ。もっとも倫敦塔と違いここにその片鱗は無い。
「ガセかもしれないけどね。切り裂きジャック関係ではここが一番有名。さ、ご飯にしよ」
ご飯って……ちょっと悪趣味じゃないか?
とはいえ、空腹には勝てない。悪趣味な客寄せとはいえ、食事も飲み物も平均以上のパブだ。食事をしつつ、恒例の作戦会議となった。
「まだデートは続けるのか?」
「当たり前じゃない。わたしは負けを認める気は無いわ」
胸を張り轟然と言い放つ遠坂さん。やっぱり手段が目的化してた。
「でも逃げ回るのはここまで、ここからミニ駐めたハイドパークまで移動しつつ、ランスにセイバーの居場所を探らすわ」
囮になって向こうの動きを探り、本拠をつきとめると言うのだ。
「セイバーは家じゃないのか?」
「あの娘がこんな時に、家でじっとしてるわけ無いでしょ。絶対に移動指揮車を借り出して、どこかで陣頭指揮してるわ」
ご尤も。セイバー大人しくしてるのに不自由な人だからなぁ。
俺たちはゆっくりと食事を終え、ランスへのお土産を包んでもらった。セイバーにお土産が無いのは、お仕置きだそうだ。うん、セイバーは兵糧攻めにめっぽう弱いからな。
「――Caw――」
「あ、遠坂、後ろ向くな」
会計を済ませ、食後のお茶を楽しんでいる最中、外でランスが一声鳴いた。ちょうど俺の視線の先に正面側の窓があったので、そこにちらりと視線を走らす。案の定シュトラウスの中継車が、店の正面に滑り込んできた。
「追っ手?」
「ああ、ミーナさんとこの車だ」
「裏口から抜けましょ、会計は終わってるから文句はないはずよ」
やっぱり、どっか箍が外れてるな。
俺たちは、一旦正面の入口に向かう振りをしてから、物陰に隠れ、そのまま素早く裏口へ移動した。
「うっ、やば」
裏口を開けたところで、そこにぽつねんと立っている物が目に入った。俺はとっさにドアを閉めなおす。
「どうしたの?」
「『居る』しかもちょっとグロ。食後にはお勧めできない」
こりゃ、困った。流石の遠坂さんもうげっとした顔で眉を顰めている。正面は論外、となると……俺はパブの見取り図を頭の中に構築する。
「よし、こっちだ」
「――へ?」
俺は遠坂の手を引きながら、パブの厨房に向かう。驚くウェイターたちに、遠坂を顎で示し片目を瞑ると、笑いながら口笛吹いて挨拶を返してくれた。俺はそのまま厨房を抜け勝手口から外へと抜ける。
「なによ、今の」
「ああっと、若い二人の逃避行に賛同してくれたんだ。多分」
「多分って何よ!」
こらこら、ここで叫んだらますます誤解されるぞ。俺は騒ぐ遠坂を宥めすかしながら、路地伝いにメトロの駅へ滑り込んだ。
それから俺たちは、メトロとバス、タクシーを時には一駅ごとに乗り継いでミステリーツアーを強行した。空を飛べるってのは便利で、それこそ交差点一つ、家一軒単位で追っ手をかわし、俺たちはデートを続ける。
まずは、イングランド銀行で2.8mの巨人の剥製から愚痴を聞き、ウェストミンスター寺院で修道僧の霊の身の上話に耳を傾ける。
「ああ、衛宮くん。こんなところで会うとは奇遇だね」
シュフランさん……貴方まで。
寺院に入れ違いで入ってきたシュフランさんを、そのまま祭具室に閉じ込めて、俺たちは教会を飛び出した。
「遠坂、急ぐぞ!」
「ちょ、ちょっと士郎待ちなさい! こら、抱きかかえるな! 教会から抱きかかえて出るんじゃない!」
なんかまわりに紙吹雪が舞っていたような気もするが、俺は気にせず遠坂を抱えて走り出す。
続いて、テンプルレーンの悪徳弁護士の霊に金儲けの手練手管の講義を受け、中央刑事裁判所で“黒い犬”をからかう。
「やぁ、シロー。こんなところで会うなんて奇遇だな」
ジュリオ……お前なにやってるんだ?
奇妙な格好で、女性観光客を引き散れていジュリオを、裁判所の留置所に放り込み、俺たちは観光客にまぎれてバスに乗った。
「なあ、遠坂。聞いて良いか」
「なによ」
「その犬なんだ?」
「わたしだって知らないわよ……」
俺たちは、足元で気持ちよさげに蹲るでかい黒犬に、視線を向けぬように小声で話す。
そしてロイヤルパレスでサンドウィッチ伯爵の愛人とお茶をし、ドロリー・レーン劇場の灰色の男に挨拶をする。
と、タイミング良く、ランスが俺たちのところへ戻ってきた。
「――Craw――」
セイバーの居所を掴んだのだ。ハイドパークの少し東、バークリースクエアに移動指揮車が陣取っているという。
「バークリーね、ちょうど良いわ。倫敦一の幽霊屋敷があるとこよ」
遠坂が嬉しそうに舌なめずりをする。ちょっとだけセイバーが哀れになった。でもな、セイバー。お前も悪いんだぞ。
「残念、ここもお休みなんだ」
バークリー通り五十番地。倫敦の名高い幽霊屋敷は今では古本屋だ。日曜なのでここもやっぱりお休みであった。
遠坂によると、ここは十九世紀末、二人の船乗りに始まって二桁以上の異常現象が起こったそうだ、そんな家がいまだ現役で商売までしているあたり、倫敦である。
確かにこの家も一種の異界だ。昼間だから良いものの、夜だとちょっと入りたくない雰囲気だ。遠坂さんは……本当に残念そうだ。その怖いもの知らず如何にかしろよ。
ふと鴉が鳴いた。
入口のガラス戸の反射を利用して後ろを見ると、シュトラウスの移動指揮車が静々と前進してくる。
「士郎、後ろ」
「ああ、俺にも見えた」
前を向いたまま小声でひそひそ話し合う。なんのかんの言って俺ものってる。
「どうする? ちょっと動けないわよ」
小声のまま遠坂さん、表情は変えないが少し声に困惑が伺える。たしかにちょっとストレートすぎる。こうなったら真正面から行っても良いのだが、出来ればセイバーを脅かしてやりたい、というのが本音だろう。
「幻影で誤魔化せないか? それと俺たちを隠すとか」
「前準備無しで両方は無理、どっちか一方なら出来る」
そうか、俺は目の前のガラス戸を見据えながら考えた。……よし、これで行こう。
「じゃ、幻影をかけてくれ。隠れるのは俺が何とかする」
「了解。――――Anfang
遠坂が小声のまま呪を紡ぐ。
「――――Marienfaden
一瞬だけかすかに空気が歪んだ。よし、かかった。遠くからはわからないだろうが、俺たちは微妙に二重写しになっている。俺はその幻影を盾に目の前のガラス戸を割り、手を突っ込んで内側から鍵をあけ、遠坂を連れて中に飛び込む。
「士郎?」
「――同調開始
遠坂に疑問に答えることなく、俺は素早くガラスを修復。さらに変化の呪をかける。頭の中に剣をイメージし、その刃の輝きの一部をガラスに移す……ハーフミラーの出来上がりだ。
「よし、出来た。遠坂、これなら視線は通るだろ? 幻影を向こうの角まで動かしてくれ。その隙に後ろに回ろう」
「へ……。あ、うん」
なにかポケッとしていた遠坂は、俺の指示に慌てて従った。目の前で店の中を見ていた俺たちの幻影は、肩をすくめて歩き出し、一つ先の角を曲がっていく。
その直後、、移動指揮車から数人の人影が降り、包囲するように俺たちの幻影を追って行った。
よし、この隙に。
俺と遠坂は、素早く店の裏口から出ると、慎重に移動指揮車の後ろに回りこんだ。
後ろのドアにそっと耳を当てると、セイバーの声が聞こえる。
「見失ったのですか! しまった……」
皆まで言わさず、遠坂が音を立ててドアを開いた。
「はい、皆さんこんにちわ」
にっこりと、極上の笑みを浮かべ車内を一瞥する。最後にセイバーに艶っぽい流し目まで送っている。この笑顔が俺向けでないことを、俺は心から感謝した。
「凛、士郎。あ……ええと……その。こ、こんなところでお会いするなんて奇遇です」
固まっていたセイバーは、どこかで聞きまくったような言い訳を口にする。
「言いたいことはそれだけ?」
かすかに小首をかしげ、穏やかに笑みを深くする遠坂さん。うわぁすげぇ、セイバーがびびってる。
固まったセイバーに目を細めると、遠坂さんはそのまま、車内の人たちに向かって一礼した。
「皆様。本日はうちのセイバーが大変お世話になったようで。有難うございます」
そのまま顔を上げてギロリと一睨みする。みんなピシリと固まった。をを、凄い。これが石化の魔眼ってやつか。
「これ以上は皆様に御迷惑はかけられませんわ。セイバーはこのまま連れて行きます。いいですね?」
質問形の命令文だ。そのままセイバーは王様でも騎士でもなく、まるで罪人のように俺たちに連行された。
「シロウお腹がすきました……」
夕食の席。一人だけぽつんと離れて正座していたセイバーが、上目使いで俺にすがる。
「なに言ってんの、今日は夕食抜き。家族会議の決定に従いなさい」
遠坂さんは取り付く島が無い。なにせ今日の夕食当番は遠坂なのだ。俺のときなら融通もつけられたが、俺だって遠坂は怖い。さっきの家族会議での絶食刑宣告も、俺は遠坂のモノなので発言権さえなかった。ごめんセイバー、でもお前だって悪いんだぞ。
「ううう……」
セイバーが恨めしげに遠坂を見やる。続いて自分の目の前を睨んだ。そこでは、何故かランスがお土産の骨付き肉をパクついている。
「ラーンスロット……貴方と言う人は、最後の最後には何時でも私を裏切る!!」
セイバーの悲鳴が食堂に響く。しかしセイバー、それは逆恨みだぞ。
まぁ、遠坂が寝たら夜食でも作ってやるから。もう少し我慢しなさい。
わたしがキッチンに行くとそこには先客が居た。
「お、おう。と、遠坂か、いや小腹がすいちゃってな……」
あからさまに怪しい。第一小腹でサンドイッチ一斤使う?
「わかってるわよ、セイバーにでしょ?」
じろりと睨むと、小さくなってこくんと頷いた。身体はわたしの二回りくらい大きくなっても、やっぱりこいつは士郎のままだ。うんうん、可愛いぞ。
わたしは鍋をコンロにかけ、作り置きのスープストックと野菜を冷蔵庫から取り出す。
「あ、遠坂。なにするんだ?」
「スープ作るのよ。薬の調合でもしてるように見える?」
ふん、今度はきょとんとしやがった。
その後、そっか遠坂もか、なんて言いながらすっごくいい顔で笑う。ちょっとドギマギするわね。わたしは鍋を睨んでスープ作りに集中した。
「ところでさ、士郎」
「なにさ?」
「昼間の魔術だけど、何処で習ったの? 」
これは聞いておきたかった。昼間の士郎の施術は、魔術師のそれとは少しばかり違っていた。
「昼間? ああ、でも特別なことしてないぞ、投影と変化だろ。それとガラスの修復なんか、初歩の初歩だって言ったの遠坂だぞ?」
そう、術そのものはありきたりだ。特殊だったのは剣の投影くらいだろう。が、あれだって“士郎の剣の投影”である必要の無かったものだ。
だが、魔術師は絶対に重力制御の変わりに、階段じみたものを投影するようなまねはしない。まして踏み抜いて消すことを前提に、足場を用意するなんて思いつきもしない。
何故なら魔術師ならどうにかして重力制御を手に入れるからだ。術が駄目なら魔具を、それも用意できないなら、城壁から飛び降りなんてまねはしない、考えない。それが魔術師だ。
だが士郎は違う。鏡のトリックだってそうだ。手品に等しい魔術など魔術師は思いつきはしないだろう。ガラスをハーフミラーにして監視などもってのほかだ、それくらいなら遠視を使う。
魔術師とは魔術を編むものであって、断じて魔術を利用して別の手段を誂
わたしは今日確信した。士郎は魔術師ではない、まぎれもなく魔術使いだ。しかも一流の魔術使いになる素養を持っている。
恐怖さえも感じた。このまま成長した士郎には、どんな魔術師も勝てないのではないだろうとも思う。士郎とわたし達では魔術というものに対する発想の根本が違うのだ。力の問題ではない、相性の問題だ。もしそうなったら、わたしだって負けるとは言わないが、勝てる気がしない。
わたしはきょとんとした顔の馬鹿を見つめながら、心で溜息を付いた。だってのに、こいつはどうしてこう能天気なのだろう。「固有結界」という究極の魔術を手にしていながら、こいつは魔術師にとって天敵というべき存在なのだ。
「ま、しかたないか」
「なにがさ?」
こいつの返事は気にしない。気にしたって始まらない。とにかくこいつからは目を離せない。目を離せばとんでもないことになりそうな気がする。
「いいから、セイバーのとこ行くわよ」
わたしはスープとサンドウィッチをトレイに載せ、士郎に手渡した。
あの食いしん坊は、きっと今頃、枕を齧って泣いている。
「ああ、凛、シロウ。……しかし、良いのですか? 私は本日夕食抜き刑のはず」
「良いのよ。日付は変わったから」
ほら、やっぱりお腹が鳴いてた。まぁ、ちょっとくらいは甘やかして良いだろう。わたし一人では手に余る、こいつのお守りをこの娘にも頼まなきゃいけないんだから。
涙ながらにサンドウィッチをパクつくセイバーを、わたし達は笑って見守る。この娘もわたし一人じゃ手に負えない。
そう、士郎の道を指し示すには、わたし一人では十分でない。
セイバーを支えるのも、わたし一人では足りない。
わたしだって、士郎だけだと甘えすぎてしまう。
わたし達は、これからもずっと互いに背中を預けあっていくだろう。
結局、わたし達は三人揃って初めて一組なのだから。
END
最後は初心に戻って三人組でしたのお話。
焼餅凛様、倫敦幽霊観光、出歯亀王セイバーと三つを纏めた話でした。上手く繋がっていれば良いのだけど。
ともかく、これから第二クール目。三人と倫敦を主役に据えてみました。
今後は純粋なアクションとこういった日常(かなぁ?)を交互に書いていくつもりです。
2004/5/5初稿