ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトと遠坂凛は、共に一流の魔術師である。
なにせ魔力が半端ではない。二人とも、並みの魔術師が十人束になっても敵わないくらいの魔力を持っている。魔術回路も推して知るべし。
さらに属性が洒落にならない、二人共に「五大元素アベレージ・ワン」。つまり、この世のことわりの全ての要素を、無理なく操れるということである。もう何も言わずに、御免なさいと言ったレベルなのだ。

その上に得意の分野が“転換”ときている。
意味するところは力の蓄積、流動、変化。 魔力という不定のものを、どんな形にもどんな意味にでも、押し込み、形作り、制御できるということだ。
最高レベルの技術によるメインフレームに、これまた最高の汎用性と反応速度レスポンスを両立させた夢のOSを組み込んであるようなものだ。俺のような、一つのソフトしか走らせられないゲーム専用機みたいな魔術使いとは、格どころか存在そのもののレベルが違う。

その“転換”の中で二人が専門とするのは“鉱石魔術”あるいは“宝石魔術”と言われる物だ。
遠坂家とエーデルフェルト家が、魔術刻印に篭め、積み重ねてきた家伝の技法。“純粋な魔力”の転移。それに最も適した素材が宝石なのだそうだ。
元々が想念を貯めやすい『場』である宝石は、流れを捉える『牢獄』でもある。
さらに長い年月地中にあることで、自然霊によって着色された宝石は、独特の概念に染め上げられ、魔力を込めるだけで簡易な『魔術刻印』にまでなりうる。つまり自分の外に魔術を保存しておけるのだ。

さっきのメインフレームで説明すれば、メモリだけでなくハードディスク上にも幾多のソフトを常駐しておけるということだ。
最高性能を有する双子の汎用機。それがルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトと遠坂凛という魔術師なのだ。

とは言うものの、差異が無いわけではない。宝石魔術に対するスタンスも、純粋に蓄積のキャパシティと術式の高度化を追及する遠坂に対して、ルヴィア嬢は呪刻による変化付けから生じる多様性を追求する。
得意分野も幾分違う。どちらも宝石の持つ属性であるが、遠坂が宝石の透過力に端を発する探査・遠視系を得意とするならば、ルヴィア嬢は屈折力に端を発する幻影・幻視系を得意としている。

そういった意味でこの二人、競い合いながらも補完しあうといった、実に絶妙なコンビであるといえる。

だからさ、お前ら

もうちょっと仲良くしろよ……





きんのけもの
「金色の魔王」  −Rubyaselitta− 第五話 前編
Lucifer





「お嬢様、午後のお茶の用意が整いました」

書斎の魔法陣に向かって、俺は恭しく告げる。誰も見ていないからといって、一礼を欠かすことは無い。なにせ俺は名家の従者なのだ。
しばしの間、応えを待つ。この時だって姿勢は崩さない。シュフランさんからの情報で、昼食後、工房に篭りっきりと知ってはいたが手抜きはしない。
自分でも最近気がついたのだが、こういった手抜きには、我慢のならない性質であったらしい。

応えは無いが、何事かごそごそとしている音は聞こえた。うん、寝てるわけでも伸びている訳でもないな。普通の従者なら、後は黙って待つだけなのだが、俺はここで役割を入れ替える。
テーブルに戻って、お茶の用意を整えなおし、茶道具をトレイに載せて魔鍵を開く。そしてそのまま地下の工房へ。
ルヴィア嬢の友人兼外弟子として、ちょっと息抜きしたらどうだい? と声をかけに行くわけである。なにせ、放っておくと寝食忘れて没頭するからなぁ、ルヴィア嬢は。

工房の入口から覗くと、案の定ルヴィア嬢は作業に没頭中だった。声をかけようかとも思ったが、双眼の接眼鏡を覗きこみながら、両手に細密器具を持って精密作業の真っ最中だ。ここはしばらく様子を見るに如くはなし、だ。
俺は散らかったテーブルの一つを整理して、お茶の用意を整えながらルヴィア嬢の様子を眺め、声をかける頃合を計る。
なんというか、結構面白い。両目を接眼鏡にくっつけたまま、作業台の両脇に無造作に置いた錐やら鑢やらを、とっかえひっかえ手にしてはごそごそと作業に没頭している。その間、口を尖らせたり眉間に皺を寄せたり、微笑んだり舌打ちしたりで実に可愛らしい。

そのうち右手が泳ぎだした。何か工具を探しているらしいのだが、見当たらないといったところだ。
ふと、作業台の下を見やると、歯医者で使う検査針のような器具が落ちていた。

「これかな?」

俺は、その工具を拾うと、ルヴィア嬢に手渡した。

「ああ、有難う……」

ルヴィア嬢はそのまま作業を続行していたのだが、しばらくして手がピタリと止まった。そして、なにかお化けでも見たように顔を上げ工房を見渡す。

「や、ルヴィアさん。お茶持ってきたぞ」

そのまま目が合ったので、気楽に手を上げて声をかけてみた。両手を膝の上で置いて、きょとんと見上げてるルヴィア嬢。この人の、こういう無防備な顔はえらく珍しい。実に可愛らしいし、得した気分だ。

「シェロ〜」

いきなりむぅ――っと頬を膨らまして睨み付けてきた。む、ちょっと残念。とはいえ、こっちはこっちでなかなか趣深いとこではある。

「膨れてないで、一休み一休み」

お茶を入れて椅子をひく。膨れながらもルヴィア嬢はしぶしぶ立ち上がりお茶の席に付いてくれた。こういうところは何のかんの言って、遠坂より素直だ。

「来たのなら声をかけてくだされば良いのに」

ジトッと睨まれた。なんか最近、拗ね顔が増えたな。なんでだろ?

「細かい作業中みたいだったから、一段落着くのを待ってたんだ」

ジャムとクリームの蓋を取って、スコーンの皿を差し出す。ルヴィア嬢は、ちょっと迷っていたようだが一つとって薄くジャムを塗った。ん? 前はもっとたっぷり付けてなかったかな? クリームとかも、てんこ盛りしてたはず。

「で? 今度は何を作ってるんだ?」

まあ、それはさておき。俺は作業内容に付いて興味半分、宥め半分であったが聞いてみた。ルヴィア嬢はこういった場合、これを聞くのが一番機嫌が良くなる。無論、それだけじゃない。最近は、俺自身もこういった物に、興味を持つようになってきた。

「お知りになりたい?」

ほら、途端に笑顔になる。ルヴィア嬢は可愛らしく小首をかしげ、本当に嬉しそうに仰る。

「道具からすると……宝石に何か呪刻してたみたいだけど」

「よろしくてよ。御覧なさい、シェロの意見も聞きたいわ」

嬉々として、俺の手を引いて作業台まで引っ張ってくださる。るんるんと鼻歌まで聞こえそうだ。椅子まで引いて俺を座らせ、えっへんと胸を張る。こういう子供っぽい仕草も最近増えたな。どういう心境の変化なんだろう。
こうまで喜ばれると俺も嬉しい、ルヴィア嬢を失望させないよう心を決めて、接眼鏡に目を当てた。
縦に真っ直ぐな一本の光帯が通った翠の石。先ず目に入ったのはそれだった。

「猫目石? でも、こんな色のは珍しいな」

「ええ、そんなものですわ。さ、もっとよくご覧になって」

言われて倍率を上げる。おお、凄いな。いくつもの魔法陣の呪刻が奥に通っている。相変わらず見事な細工だ。ん? あれは……

石の一番奥、これは呪刻でも魔法陣でもない。二十行ほどの短文。英語? ちがうな、俺の知らない言葉だ……あれ? でもこれは……

「ラテン語のエメラルド碑文根 源 聖 典か……」

「あら? 良く判りましたわね。シェロはラテン語を習得していましたの?」

「あ、ラテン語そのものはまだ全然だけど、これは流石に知ってるぞ」

ラテン語が読めたわけではない。ラテン語で書かれてはいても、この文章は知っていたのだ。

エメラルド碑文根 源 聖 典
魔術を学ぶものなら誰でも、先ず最初に覚える一文。魔術と錬金術の始祖と呼ばれる、ヘルメス・トリスメギストスの遺した根源へのことわり。わずか二十三行のこの短文には魔術の初歩と究極の双方が篭められている。
全ての真実が「一」より出で「一」に帰すこと。そしてその「一」に向かうべき道筋への寓意。
だが、未だこの寓意を解きほぐし「一」すなわち「根源」へ辿り着いたものはいない。それでも、尚この寓意には根源への道は通っているとされている。現在ではわずか四人の魔法使いの中にも、それに言及した人が居るそうだ。
もっとも安易にして困難。最も理に適い最も混沌たる一文。「根源」への最短のルートでありながら、最も迂遠な道。それがエメラルド碑文なのである。

「それで? この石の意義はわかりまして?」

つまり、機能を解析せよってことだな。ただ、接眼鏡を通して見ていては判らない。

「ルヴィアさん。直接見て良いかな?」

お伺いを立ててみる。もし作りかけなら、ちょっと拙いだろう。

「よろしくてよ」

ルヴィア嬢も興味があるのだろうか、あっさりと承諾された。俺は固定された石をそっとはずすと、光にかざしじっと見据えた。

一本の真っ直ぐな線で二分された翠の宝石。その中に刻まれた呪刻は……

……あれ? 繋がってない。中央のエメラルド碑文にラインが集まっているのと、なにかの幻影らしきものを投影するらしいことは判ったが、その先が見据えられない。魔力の流れはぶつ切りで、刻印そのものも不完全に見える。畳まれた空間? いや違う。封印結界? いやそれもどこか違う。ああ、駄目だ。やっぱり判らない。

「これってまだ未完成なのかな? ちょっと判らないなあ。何かの結界っぽいんだけど」

呟くように言ってから、ルヴィア嬢の顔を伺う。ん、微妙だな。嬉しいような残念なような、困ったような楽しいような。ルヴィア嬢には珍しくはっきりしない表情だ。

「んん、そんな所ですわ。さ、元に戻しておいてくださる? お茶の続きを致しましょう」

ちょっと気になるところではあるが、ルヴィアさんのことだ、完成したらお披露目をしてくれるだろう。きっとびっくり箱のように、何かを仕込んでいるに違いない。
遠坂あたりとまた喧嘩にならなきゃ良いが、俺はそんな事を考えながら、この日はルヴィア嬢と午後を過した。





「さて、今度はどんな風に、喧嘩を売ってくれるのかしら」

見るからにやる気満々の遠坂さん。いや、まぁ。予想通りといえば予想通りなんだが、こんな予想は当たって欲しくないぞ。
あれから一週間ほどたって、ルヴィア嬢から遠坂に招待状が届いた。ごくごく普通のお茶のお誘いなのだが、何故か左封じなのだ。ルヴィアさん、こんなこと何処で覚えてきたんだ? というより、お前ら頼むから仲良くしろよ。

「士郎。あんたもぼさっとしてないで。ちゃんと用意してる?」

遠坂さんは、その気合を俺にまで発揮してくださる。実に嬉しそうにキラキラ輝いてるのは良いんだが、もう少し建設的に輝いてもらえないものだろうか。

「――Crow」

ランスが、主よ諦めよ、と声をかけてくれた。それを遠坂さんはうるさいわよ、とばかりにむぅ――と睨みつける。しかし遠坂、お前いつの間にランスの言葉が判るようになったんだ?

「ああ、ちゃんと用意はしてるけど。でも、なんでさ?」

鎧から護符まで、完全装備な俺の疑問。いくらなんでも構えすぎじゃないか?

「そりゃ、ルヴィアが士郎に酷い事するとは思えないけど」

少しばかり口を尖らせ、上目使いで俺を見あげる遠坂さん。ルージュを引いた口元が嫌に艶っぽい。随分慣れたと思うんだが、やっぱりちょっとドキドキするな。
なにせ今日は朝からセイバーが居ない。昨日の晩からバイトでミーナさんのところへ泊り込んでいる。
最近、週に一度ほどセイバーは外泊する。遠坂は当初、余り良い顔をしなかったのだが、今はさほどでもない。まぁ、セイバーが居ないということは、二人きりだということなので……

「士郎、わたしは真面目な話をしているの、にやけない」

上目遣いがジト目になってる。うっ、俺どんな顔してたんだろう?

「ともかく、ルヴィアは油断がならないの。良い、士郎も気を許してちゃ駄目だなんだから」

むぅ――と睨んで、びしっと指を突きつけてきた。

「お、おう。判った」

なにを、どう気をつけなきゃいけないのか判らなかったが、勢いに押されてそう応えてしまった。最近、どうも勢いに飲まれる傾向がある。こっちのほうこそ気をつけなきゃいけないな。

「――Cow」

俺たちは、ランスのやれやれだぜ、という鳴き声に送られて、エーデルフェルト邸に向かい出発した。




「あれ?」

エーデルフェルト邸の玄関で、俺と遠坂は顔を見合わせた。妙だ。ノックをしたのに応えが無い。
普段なら、ここでシュフランさんのお出迎えがあって、居間に案内されるはずなのだ。

「おかしいわね」

「鍵は……掛かってないな」

玄関の鍵も開いていた。それに何より、静か過ぎる。

「遠坂、魔力はどうなんだ?」

「普段と変わりは感じないわ。士郎こそどうなの? 変な歪みとかない?」

「そう言われれば……ちょっとおかしいな、なにか膜が一枚掛かった感じで」

俺たちは再び顔を見合す。この状況でルヴィアさんのような一流の魔術師の家に乗り込むのは些か危険なのだ。とはいえ……

「遠坂」

「わかってるわ、幸い用意は十分にしてきたしね」

ごめんと謝る俺に、遠坂はずしりと重いポーチを持ち上げて応えてくれた。見るからにぎっしりと宝石が詰まっている。
セイバーすまん。ルヴィアさんの危機なんだ、少しばかり散財するぞ。

「それじゃ行くぞ」

俺たちはゆっくりとドアを開け、中に滑り込んだ。
遠坂と背中合わせで探る玄関ホールは、いつも通り掃除の行き届いた、明るく清楚な場所のままだ。

「やっぱりちょっと魔力の濃度が濃いか。でもルヴィアの家だしね、誤差範囲ってとこ」

遠坂が俺に報告するような口調で呟く。こちらも同じだ。些か歪みを感じるが、なにせ一流の魔術師の家なのだ。一番最初の、俺を探ろうとしていた時ならいざ知らず、今ではこれくらいはごく普通、遠坂ではないが誤差の範囲だ。

「でも、人の気配がしないぞ」

この家の使用人はさほど多くない。それでも普段なら、シュフランさんを含めて四〜五人は詰めている。だが、今ここからでは全く人の気を感じない。ルヴィア嬢でさえ、居るかどうかつかめないほどだ。

「士郎、ルヴィアが居るとしたら?」

「居間か書斎だな」

「じゃ、そこに向かってみましょ。そこまでの部屋を片っ端から探りながら行くわよ」

「おう、それで行こう」

遠坂の一言で、取敢えずの方針が決まった。俺たちは慎重に気配を探りながら、先に進むことにした。
まずは玄関脇の事務室。いつもならここでシュフランさんが事務を取っている。
が、無人。ただ、ついさっきまでここで事務を執っていたかのように、デスクの上には書類が置かれている。脇の置かれたティーカップも同じだ。口をつけられていないが、まだ湯気がたっている。

「マリーセレステじゃあるまいし、どういうこと?……」

デスクの書類にざっと目を通し、日常の事務処理だと確認した遠坂が、渋い顔で呟く。

「十分かそこいらだな」

俺はカップの温度を確かめてそう推し量った。それから厨房、控え室などにも回ったが、事務室と同じだった。控え室には俺たち用だろう、茶器一式とお茶菓子が準備万端整っていたほどだ。

「あ、ちょっと待って」

そのまま居間に進む前、二階への階段のところで遠坂が止まる。

「どうしたんだ?」

「うん、二階をちょっとね」

遠坂はそう言って、ポーチから水晶製の小さなネズミを取り出した。簡易版の使い魔ウォッチャーだ。

「この子に探らせとくから」

そのまま、そっと床に置くと呪を紡ぐ。

「――――Manches gesicherte 確 た る 獣Bergtier, wechselt und weilt徘 徊 し 出 没 し 巡 る べ し.」

かすかな閃光に包まれたのち、ネズミの瞳には力が宿りチュウと一声鳴いて、するすると二階へ登っていった。
これで二階は、何らかの妨害が無い限り、使い魔に任せられる。俺たちは俺たちで、一階の探索に専念できると言うわけだ。

さて、あらためて居間に向かう。いつもはお茶をする居間も続きの客間も人影はなし。穏やかな午後の日差しだけが部屋を染めている。
そして書斎。ここも同じだ。午後の日差しを浴びて、ただ穏やかな色彩に満たされている。

「おかしいわね……」

が、遠坂が眉を顰める。なんだろう、俺には変わった所なんて少しも感じないんだが。

「どうしたんだ?」

「士郎は感じないの?」

不審げな遠坂の声。だから全く何も感じないんだって。

「ここはルヴィアの書斎よ、なのに何も感じないなんておかしいじゃない」

――あ。
俺だって、この部屋に不審を抱いてルヴィア嬢の工房を見つけたんだ。なのに今は何も感じない。ルヴィア嬢の残り香すら感じない。確かにおかしい。

「……工房を開いてみるぞ」

「ええ、気をつけてね」

顔を見合わせてごくりと喉を鳴らす。いかに俺が、工房へのパスを貰っているからといって、状況が状況だ。何があるかわかったものじゃない。
俺は慎重に隠し扉の魔法陣を露にした。

「どうかな?」

「……変わったところは無いわね。鍵はまだ生きてるみたいだし」

遠坂の見立てを聞き、俺は思い切って魔錠を開けた。ゆっくりと魔法陣の中央石に触れ、わずかばかりの魔力を流す。

「――っ!」

いつもとは違うバックファイアが一瞬だけ指先に流れる。いや、違う。吸い出だされた?

「士郎!」

遠坂が慌てて俺を引き剥がしてくれた。大丈夫と、心配そうに俺の指を見やる。

「ああ、大丈夫だ、ちょっとビリって来ただけだぞ、静電気かなんかじゃないかな」

「馬鹿、魔法陣に静電気がおこる訳無いでしょ! もう、血が出てる」

そっと指先を咥え、血を吸い取ってくれた。なんかえらく色っぽくて赤面してしまう。

「……あ、良いよ、大丈夫。唾つけときゃ治るって」

「……その唾つけたの」

なんか、お互い妙に初々しく見詰め合ってしまった。遠坂の方まで頬を染めている。
おっと、今はそれどころじゃなかった。

「と、とにかく鍵は開いたぞ」

「そ、そうね。ルヴィアが心配だわ」

妙に浮ついた心地で、俺たちは隠し扉から地下の工房へ降りていった。




階段部分の明かりは消えていたが、工房は妙に明るかった。かといって、照明が点いていたわけでもない。

「ルヴィア?」
「ルヴィアさん!」

中央の作業台、突っ伏したルヴィア嬢の周りだけ、なぜか明るいのだ。
ともかく俺たちは、散らかった道具や本を掻き分け掻き分け、ルヴィア嬢の傍らまで進んでいった。

「ああ、これか」

俺は工房の天井を見上げた。
大きな鏡が午後の日差しをルヴィア嬢の上に浴びせかけている。順にたどっていくと、何枚かの鏡を使って、小さな天窓からここまで外光を取り入れているようだった。中々凝った仕掛けだ。

「妙なことするわね……」

とはいえ確かに妙だ。照明なら魔術、電気共に十分あるはずなんだが。

「あっと、それよりルヴィアさんだ。遠坂、頼む」

一つ頷いて遠坂は、素早くルヴィア嬢の脈と呼吸を確かめる。

「うん、脈はあるわ……」

が、途端に表情が締まる。眉間の皺を寄せてルヴィア嬢の、額、首、胸、腹と続けて掌を当てる。続いてぎょっとしたような顔で工房を見渡す。

「遠坂……どうしたんだ?」

遠坂が、こんな風に落ち着きがない動きをすると、なにか凄い不安感が押し寄せてくる。

「どうしたって! ああ、ごめんルヴィアね。外傷はないし中身も無事、魂が抜けてるって言うか……幽体離脱してる状態ね。問題ないわ」

「って、それって大事おおごとじゃないか!」

っていうか、なに落ち着いてるんだよ、遠坂!

「士郎こそ落ち着きなさい、ラインは確認できてるから、今すぐどうこうは無いわ。それより……」

遠坂は、ひときわ表情を引き締めて俺を見据える。

「ここよ、魔力を全く感じないわ。魔術師の工房なのによ?」

え? ……そういわれて初めて気がついた。元々俺の魔力感知は大したことは無い。それでも、いつものルヴィアさんの工房なら感じ取れた魔力の気配を、今は全く感じない。

「ちょっと待ってくれ……」

俺は、気を引き締めなおして工房全体の気配を探った。
歪んでいる。
全体が少しづつ歪み、かすかな勾配を生じていた。空間の勾配はちょうど漏斗のように、一点に向かって渦を巻き流れ込んでいる。その流れの先は……

「こいつだ……」

俺は、作業台の中央に固定されている小さな石を指し示した。
中央に、石を二分するような光帯の入った紅い石。この部屋の歪みは、そこに向かって流れ込んでいた。

「猫目石? でも変、流れはかすかに感じるけど……こいつそのものからの魔力は余り感じないわ……」

遠坂は慎重に、両の掌で包み込むように石を囲み、眼を閉じてじっと集中する。

「あ、でもルヴィアのラインがこいつに繋がってる……へ?」

と、何か感電したように全身をビクッ震わすと、驚愕した表情で息を呑み、遠坂はそのまま一歩二歩後ろに下がる。

「おい、どうしたんだ? 説明してくれ」

思わず叫んでしまった。蒼い顔で、なんとか息を整える遠坂は、そんな俺に落ち着いて話しかけてくる。

「士郎。貴方この宝石について何か知らない?」

「え?」

遠坂の真剣な顔に促されて、俺はもう一度その石を見つめる。覚えが無いな、こんな紅い石は。いや、でもこの縦の筋は……

「やっぱり知らないな。翠の奴なら、この間ルヴィアさんが呪を刻んでたけど」

「そう、翠だったのね」

遠坂はそのまま腕組みすると、天を睨んだ。いや、違う。天井の鏡を睨みつけてるんだ
。そのままついっと視線を石に向けなおし、難しい顔でじっと何かを考え込むように見据えている。

「――遠坂?」

「その石に、何を刻み付けていたか判る?」

石を見据えたままの遠坂の問い。ちらりと時計を見て、更に考え込んでいる。なにか思いついたことがあるのだろう、俺は素直に応えた。

「エメラルド碑文だ、それと魔法陣をいくつか。でも未完成だったぞ」

だが、遠坂は最初の一言しか聞いていなかったようだ。大きく溜息を付くと、作業台に近づき接眼鏡で石を覗き込む。石の中の呪刻を解析しているのだろう。

「転生混沌に根源聖典ね、ってことはなに? ルヴィアの奴……そこまで? ……う、ちょとこれって、この間の呪刻じゃない。
……うん、ちょっと違うか。なるほど……でも、このラインは、ああ……となると……。ルヴィアは幻影だったわね。じゃこっちは? あ、それでか……だとすると……」

あ、自分の世界モードの突入されてしまった。状況が状況だけに、えらく苛々するが、我慢だ。とにかく遠坂の考えが纏まるまでは、俺としてはなにも出来ない。
取り敢えず、工房の中を整理して、ルヴィアさんが横になれるスペースを確保する。後は上から手ごろなクッションをかき集めて、即興のベットを作り横たえる。なんだか眠りの森の美女だな、王子様を待っているといった風情だ。

「……士郎、あんたなにやってるの?」

ようやくこっちの世界に還ってきたのか、遠坂さんが凄く不機嫌な顔で俺を睨む。いや、べつに俺が王子様じゃないから残念だって訳じゃないぞ、うん。

「まったく、士郎がそうやってうろちょろするから、わたし達が苦労するんでしょうが!」

がぁ――と怒鳴られたが、なんか釈然としないぞ。

「何を言ってるんだ、意味がわからないぞ。それよりルヴィアさんのことだけど、どういう事なんだ?」

あんたがそれに気付かないから怒鳴ってるんでしょうが、とブツブツ言いながらも遠坂は溜息一つで自分を落ち着かせて、俺に向き直った。

「簡潔に言うわ。いいわね」

ごくりと息を飲み頷く。何がどうなっているか知らないけど、俺にできることならなんだってするぞ。

「これからわたしと士郎で、あの馬鹿娘を引きずり出しにいくわよ」

遠坂、それじゃあちょっと簡潔すぎて、俺にはわけがわからないぞ。

「士郎、聞いているの?」

唖然と遠坂の顔を見ていた俺に、不機嫌そうな声が掛かる。遠坂さんは俺の理解力にご不満のようだ。そうはいってもな。

「それじゃあ、なにがなんだか判らないぞ。順を追って説明してくれ」

「ああ、もう。時間がないってのに!」

そう言いながらも自分でもわかっているのだろう、もう一つ深呼吸をすると落ち着いて話し出した。

「いい。先ず現状。士郎はこの石が翠だったって言ったわね。でも今は紅。こいつはねアレキサンドライト・キャッツアイって石なの」

遠坂に説明によると、アレキサンドライトの恒久変化とキャッツアイの混沌。この二つを相を兼ね備えるこの石には、変化し続ける混沌という究極の混沌を概念として持ちうるのだそうだ。これは”原初の混沌”の殻に当たる。
ただあくまで殻だけ。原初の混沌なんて物騒なものが、そう易々と出来てしまってはたまらない。

「道が無いぞ、それに中身もだ?」

そう、こいつに入口を開け、中身を詰め込まなければ”原初の混沌”の概念なんて形作れるわけがない。

「覚えてるでしょ?『真鍮ブラス』の蒼紅玉」

偶然とはいえ、泡沫世界の因たる”原初"を作り上げたあの石に組まれた術式。ルヴィア嬢はそれをどうやら解きほぐし、この石の概念を押し開き中身を詰め込む”道”を造ったらしい。

「それに加えて、エメラルド碑文根 源 聖 典。これの意味は言わなくても判るわね?」

「ああ、”根源への理”だろ?」

”根源の理”つまり全てを内在する「一」に繋がる理論体系。

「そ、じゃ質問。究極の混沌に道をつけ、根源の理を加えた総和はどうなる?」

"究極の混沌”はドンガラだ。そして”根源の理”とはいわば世界の中身全ての目録だから……え?

「”原初の混沌”……」

そこまでいったら天地創造の一歩手前だ、洒落になってませんよ、遠坂さん……

「ま、そこまで大層じゃないけど、わたし達魔術師だって、理屈はわかっても現物を見たわけじゃ無いから。でも概念としてはそれで正しいわ」

ああそうか、確かに概念を組み込んだだけで、天地創造が出来るわけがないな。あくまで青写真、いわば原材料だ。だが、それを使ってに意思と魔力で一種の模型を編むことは可能だろう。たとえば、この間の泡沫世界や……

「固有結界……」

「ビンゴ。ルヴィアはこの"原初の混沌”に、自分の内面世界からラインをつないで、それを雛形に、一種の固有結界を構築しようとしたんでしょうね」

「でもこの間見たときは、その石未完成だったぞ」

「それはこの石の性格から考えて不思議じゃないわ。アレキサンドライトと同じで、この石は自然光源と人工光源では色が違うの。そして、アレクサンドライト・キャッツアイの混沌と変化の属性が、一番強くなるのは変色の瞬間。だからその双方に呪を刻んで、色変わりする刹那に呪刻を融合させたんでしょうね」

天井の鏡を示しながら遠坂が解説する。ああ、あの時のルヴィア嬢の複雑な表情はそのせいか、おそろしく綱渡りな施術だったんだな。

「なるほど。でもそれを失敗したわけか?」

「うん、石の概念か、エメラルド碑文の解釈か、はたまたタイミングが狂ったのか、とにかくどこかが不完全だったんでしょうね。固有結界として外に広がらずに、石の中に何かが構築されちゃったみたい。それで、ルヴィアは内面世界ごと石の中に取り込まれた。そう考えるべきでしょうね」

「じゃ石を砕いちまったらどうなんだ?」

こいつに捕まっているなら、壊せば出てくるんじゃないか? 遠坂さんは大きく溜息。やっぱり駄目か?

「そう単純じゃないのよ、言ったでしょ? 石の中に内面世界が取り込まれてるって。そいつごと壊してルヴィアが無事ですむと思う?」

うっ、そうか。だったら壊すのは無しだ。

「でもそれじゃどうすりゃ良いんだ?」

「外からが駄目なら中からよ、わたし達が中に入って、ルヴィアを引っ張り出す。さっき言ったでしょ?」

なるほど、ここで話が元に戻るわけだ。

「よし、じゃ早速行こう」

俺は力強く頷いて遠坂を見る。なのに、遠坂さんはまたも溜息をついて、困ったような顔をされている。なんでさ?

「士郎、信じてくれるのは、凄く嬉しいけど、ちっとは考えなさい。どうやって中に入るの? とか、どうやってルヴィアの奴を引っ張り出すの? とか」

――あ、
ルヴィアさんを助け出すってことで、頭いっぱいで、ちっとも思いつかなかった。

「あ、ええと。ほら、遠坂だし」

「理由になってないの!」

怒鳴られてしまった。

「まぁ、いいわ。ちゃんとわたしが考えてるから。でも、いい? 士郎も魔術師なんだから、これからはちゃんと考えて行動するのよ」

怒りながらも心配してくれている。ううむ、最近どうも、知的労働を遠坂に頼りすぎている気がする。自分でもきちんと考えて行動しないとな。

「じゃ、士郎も手伝って。こっちが取り込まれないように、ルヴィアを通して浸透するから」

「おう、手順は任せた」

俺たちは、宝石の中に意識を飛ばす準備を始めた。
遠坂の言ったとおり、宝石の中に直接飛び込むのは無謀だ。内面世界とは外界に影響しない固有結界みたいな物だ。いかに魔術師とはいえ無防備に飛び込めば魔術も使えず、取り込まれ、帰って来れない。

俺たちの目的が、その内面世界の主を肉体に引き戻すことである以上、その世界の中でも十全と活動できなくてはならないのだ。
その為に、内面世界の根源たるルヴィア嬢の肉体にラインを通す。俺たちが現実へ返るための錨であると同時に、魔術行使の基盤として代用にするためだ。

具体的には、まずルヴィア嬢の意識下に進入し、そこにあるだろう”衛宮士郎”と”遠坂凛”のイメージに接触し、そいつを寄り代にする。そして、その寄り代に俺たちの意識を移して、宝石の中に移された内面世界に移動しようというものだ。

無論、ルヴィア嬢は魔術師だ。そう簡単に潜り込めはしない。だから、いくつかの魔法陣を利用して、俺たちをルヴィア嬢に同調すると共に強化して、魔術的にルヴィア嬢の抗魔力を騙して滑り込むのだ。

「一種のハッキングだな、それ」

「”刻みつけハッキング”? 別にルヴィアの呪刻しようって訳じゃないわよ」

しまった、電脳用語は通じないんだっけ。とにかく、遠坂によれば俺たち程度では、ルヴィア嬢の意識がない今の状態でもなければ、こんなことは不可能だそうだ。

「さて、出来た。いい? ルヴィアの奴をぶん殴ってでも連れ戻すわよ」

邪魔な道具を脇に寄せ、開いた場所に幾重もの魔法陣を構築した遠坂が宣言する。いやに嬉々として暴力的だ。

「どうゆうことだ? 見つけて連れ戻すだけじゃいけないのか?」

もっと穏やかにいかないのか? 聞いていると、ルヴィア嬢は帰ってきたがらないように聞こえるぞ。

「あ、そっか。士郎、気付いてないのね」

こっちの不審をようやく納得したように遠坂が呟く。うん、と一つ頷くと、ぐっと表情を引き締め俺に正対した。

「いい、ルヴィアの意識体はいつものルヴィアじゃないわ」

「なんだそれ?」

「多分、無意識化の衝動とか欲望で動いてる。館の使用人も見かけないでしょ? ルヴィアが引っ張っていったと考えるべきね。普段のルヴィアならそんなことしないでしょ?」

そりゃ、そんなことしないけど。ん? ちょっと変だ? なんで肉体まで引っ張られるんだ?

「言ってなかったっけ? 居るわよ、肉体。見えないだけで」

さらっと仰る。はい? 遠坂はバックから水晶玉の嵌った指輪を取り出して指にはめると、俺の目の前に差し出した。そこにはなにやら瀟洒な寝室らしき光景。なるほど、二階に居る使い魔の視覚を水晶玉に映したんだな。器用なものだ。とはいえ映像は何故かモノクロ、非常に見難い。

「なんだ? これ?」

「熱源映像よ、よく見て見なさい」

言われてじっと水晶玉を見つめる。よくよく見ると、ぼうっと光っている人形が見て取れる。シルエットからして女性だ、メイドさんかな? どうやら倒れているみたいだ。

「幻影で隠されてるみたい。これも無意識下である証拠ね。内と外に同じ人間が居る矛盾を、見えなくすることで解消してるわけ」

「自分はどうなんだ?」

ルヴィアさんの身体について聞いてみる。もしそうなら彼女だけ何故透明にしてないんだ?

「それも、無意識下の証拠よ。だって自分じゃ自分は見えないでしょ?」

ああ、なるほど。でもそれって、無意識っていうより子供みたいな理屈だな。

「よし、判った。それじゃ今度こそ行こう」

「ええ、じゃ士郎はルヴィアの左手を握って」

俺たちはルヴィア嬢の両脇で横になり、それぞれ手をつなぐ。なんのかんの言って物理接触が一番効率がいい。

「それじゃ、始めるわよ
――――Anfangセット)――」
「おう
―――――――――――同調開始トレース・オン)―」

俺たちは意識をルヴィア嬢の内面に跳ばした。ルヴィアさん、今から迎えに行くからな。


ルヴィア嬢究極に挑むの話。でも失敗。そう簡単にはいきません。
ちなみに「エメラルド碑文」はオカルトや錬金術では有名な話。
碑文そのものは事実ですが、その成立は西暦千年ごろと考えられているそうです。
内容を知りたい方は、web検索してみてください。すぐ出てきます。
もう一つの要、アレキサンドライト・キャッツアイも本当にあります。
さて、士郎くんと凛様は無事ルヴィア嬢を救い出せるでしょうか。後半をお楽しみに。

By dain

2004/5/12 初稿脱稿
2005/11/07 改稿

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