ここは一体何処なのだろう?
わたくしは周囲を見渡した。

そこは荒野だった。
真っ赤な荒野、見渡す限り何も無い枯れ果てた荒野。
いや、何も無いわけではない。
まるで夕日のような光を浴びて伸びる、一直線の影、影、影。
まるで墓標のような、それは――剣?

わたくしはフラフラと立ち上がった。
何でこんなところに?
先ずは最初の疑問。たしか、わたくしは……

ずきんと頭が痛む。考えられない。
こんなところで気が付く前に、自分がなにをしていたのか、何処に居たのか。考えようとするたびに、頭の中で大きな鐘が鳴るような頭痛に襲われる。腹が立つが仕方が無い。考えても思い出せない以上、今は現状確認に知覚を使うべきだ。

わたくしは、そう判断して再び荒野を見渡した。


剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣
剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣
剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣、剣


剣以外何も無い、真っ赤な荒野。
余りに寂しい。余りに哀しい。
わたくしは思わず自分を抱え込むように肩を抱く。


寒い。


赤い夕日のような光に照らされた荒野は、別に気温が低いわけではない。


だが、寒い。


身体が寒いのではない。心が寒いのだ。

もし、この世界に人が居るとしたら、それはきっとこの荒野のように磨り減り、あの剣のように錆付き、あの風のように朽ち果てた人間なのだろう。
たとえその身がギリシャ彫刻のように鍛え上げられていても、その心は紅く錆付き、風に磨り減らされて、この荒野のように荒れ果てているだろう。


わたくしならば耐え切れない。


この寂しさには。この寒さには。この虚ろさには耐えられない。
魔術師であることなど問題ではない。
この荒野にたった一人で生きていかねばならないならば、どんな人間でも耐えられないだろう。


ここは、そういった荒野なのだ。


だから私は歩いた。
一人では耐え切れない、だから誰かを探して歩いた。
この世界にたった一人だなんて耐えられない。


いや、こんな世界で、誰かがたった一人で居るなんて許せない。


だから私は歩いた。

そして見つけた。

真っ赤な荒野と、黒い剣の墓標に飾られた丘の上で見つけた。

一人の男の姿を見つけた。


黒い剣のような鎧をまとい、真っ赤な荒野のような外套を羽織った男の背中。


「シェロ……」

何故その名を呼んだか判らない。真っ白な髪と浅黒い肌をしたその男を、何故シェロだと思ったかなど判る筈もない。ただ、そう思っただけ。


男が振り返った。


まるでわたくしの呼びかけに応えるように、“シェロ”が自分の呼び名であるかのように振り返った。

わたくしは悲鳴を上げた。魂の奥底から獣のような悲鳴を上げていた。

振り返ったシェロの瞳は、この荒野など比べ物にならぬほど、磨り減り枯れ果てていた。




きんのけもの
「金色の魔王」  −Rubyaselitta− 第五話 後編
Lucifer





「ここまでは成功ね」

遠坂の声で目を開ける。一瞬の暗転ののち、俺たちが送り込まれたのは、大きな空っぽの部屋だった。
壁は真っ白、ちょっとした講堂ほどの大きさの部屋で、目の前にエーデルフェルト邸の玄関がぽつんと置いてある。

「なんか寂しいな」

「しかたないわよ、本来ここにあるはずのものは、全部あの宝石の中に移っちゃったんだから」

なるほど、全てはイメージなんだな。てことは、あの玄関が宝石の中への入口か。もしかしたら、宝石の中の内面世界ってのは、ルヴィアさん家に限定されているのかもしれない。

「あ、それ鋭いかも。元々魔力の絶対量はさほど多くないし、無意識下だと、それほど大きなイメージは組めないものね」

遠坂も同意してくれた。と言うことは、ルヴィア嬢を見つけるのもさほど骨ではないだろう。

「じゃあ、開けるぞ」

ごくりと喉を鳴らし、ドアノブに手をかける。現実同様に鍵は掛かっていない。すんなりと扉は開いた。
一瞬だけ、自分が何をしているか判らなくなった。目に映った光景が、それくらい普通で見慣れた風景だったのだ。
エーデルフェルト邸の玄関ホール。そこはまるっきり、先ほど通った場所と同じだった。

「行くわよ。気を引き締めて」

遠坂が厳しい顔で、俺を促し中に入る。意を決して俺も後に続いた。

「――え?」

扉を通過する一瞬だけ違和感を感じる、ふと振り返ると、扉は既に閉じていた。勿論、扉を閉じた覚えは無い。いや、意識して開けたままにしていたはずだ。少しばかり焦ってしまう。

「慌てない。そのくらい判ってたでしょ? 」

うう、その通り。ここは言わば夢の中なのだ。そのくらいの理不尽は当たり前。しかし、この場所の空気が、余りに普通すぎてそのことを失念してしまったのだ。まずいな、一つ深呼吸して周囲を探る。あれ?

「この家、猫なんか居たっけ?」

ロビーの先、一匹の子猫が横切った。口に何かくわえている。

「やば……」

遠坂の顔から音が聞こえるほどの勢いで血の気が引く。どうしたんだ?

「ドジった。こいつも連れてきちゃった」

泣きそうな顔で、遠坂が指を上げる。水晶の指輪。そこには大写しで猫の顔。
――あ、俺は慌てて先ほどの猫に視線を送る。

猫の口には水晶のネズミが咥えられていた。つまり……

「遠坂、お前この世界に掴まっちまったのか!?」

「士郎、ごめん」

唇を噛み俯く遠坂。しっかりするんだっと俺が顔を覗き込むと、遠坂はぐっと表情を引きしめ顔を上げ、いきなり俺に唇を重ねた。

「――っ!」

驚いた。遠坂の不意打ちは慣れている。こういった事も、その……慣れている。でもまさかこんな場所で、こんな風にされるとは……おい! 遠坂、お前。

「本当ごめん……後は任せるわ……パスは通したから」

遠坂が徐々に薄れていく。慌てて抱きとめようとしたが、俺の腕はするりと透けて空を切った。

「遠坂!」

「中からなら壊せるはずよ……頼んだからね……士郎の……こ……」

ここまで言って遠坂は消えてしまった。そのまま俺は膝を付く。

頭が真っ白になった。何も考えられない。
理性では単に遠坂の意識が封印されただけだと判っていても、感情が目の前で消えた遠坂に捕らわれてしまっている。
何も出来なかった。目の前で消されてしまった。その事実だけが、俺の心を締め付け暴れまわっていた。


トクン


そんな俺の意識を覚ましたのは、体の中に流れ込む温かな力だった。ゆっくりと染み渡るような、そして大きく広がるような魔力の波。忘れもしない。遠坂の魔力だ。


――……パスは通したから


ああ、そういうことか。さっきのキスの意味にようやく思い当たる。そういや、俺の血も舐めとってたな。きっちりとした太いパスを通したって訳だ。これで少なくとも遠坂が生きていることがわかった。


――……後は任せるわ

――……頼んだからね



呆けてる場合じゃないな。遠坂がああ言った以上、ここをなんとか出来れば、遠坂だって取り返せるはずだ。まずはルヴィアさんを見つけて……

「お兄ちゃん何してるの?」

俺が気を取り直して顔を上げるのと、その声が掛かるのとはほぼ同時だった。

「――え?」

可憐な人形が立っていた。

軽くウェーブした金髪。大きく見開かれた深い鳶色の瞳。蒼を基調とした瀟洒で可愛らしいドレス。
両手で猫のぬいぐるみを抱え、きょとんとした表情で、六〜七歳くらいの少女が立っていた。

「どうしたの? まるで蛇に睨まれた蛙みたい」

少女はぷんっと口を尖らせて膨れた。自分で言っておいて、わたくし蛇じゃないもん、とでも言いたそうな表情だ。
あれ? これって前にも……

…………

……


「ええっと……ルヴィアさん?」

「るう"ぃあさんじゃないわ。ルヴィアゼリッタよ」

名前を間違えるなんて失礼ね、と言った口調でますます膨れる。いや、「るう"ぃあさん」じゃなくてルヴィア「さん」なんだけど……

「それより、お兄ちゃんもしかしてシェロ?」

こっちの抗議など、さらっと受け流して自分のペースを崩さない。このあたりやっぱり、この娘はルヴィア嬢だ。

「そうだけど……知ってるのか?」

正直、目の前にいる幼いルヴィア嬢がどんな存在なのかわからない。ルヴィア嬢の今の記憶を引き継いでいるのか、ただの影なのか。あるいは、彼女の記憶の中に居る幼いルヴィア嬢なのか。それとも……何かの罠なのか。

「うん、ミストオサカが教えてくれたわ。シェロが居るって」

「と、遠坂だって!」

先ほどの疑念などさらりと忘れて、俺は思わずルヴィア嬢に詰め寄った。ぐいっと肩を掴んで、揺さぶるように問い詰める。

「シェロ、痛い」

ルヴィア嬢は円らな瞳に、うっすらと涙を溜めて俺を睨んだ。うっ、しまった。ルヴィア嬢の肩は、本当に歳相応に華奢で、余りに可愛らしい。それを少しばかり強く掴みすぎてしまったようだ。

「あ、ごめん。その、教えてくれないかな? その、遠坂は何処に居るんだい?」

俺は慌てて手を離し、拝みこむように謝った。いや、本当にごめん。別にいじめてたわけじゃないんだよ。

「シェロ、ミストオサカに会いたいの?」

まだ肩が痛むのか、ルヴィア嬢はむぅ――とした顔で剥れて聞いてきた。

「あ、うん。会いたいんだ」

「ミストオサカは、えばりんぼで意地悪よ、それにとってもこんじょうまがりなの。それでも会いたいの?」

そんな俺に向かって、口を尖らせジト目で翻意を促すルヴィア嬢。あ〜、うん。確かに性格が悪いのは否定出来ないな。あ、いや、そういう問題じゃなくてだね。

「それでもやっぱり会いたいんだ」

幼い姿をしているからと言って、誤魔化したり賺したりするわけにはいかない。ここは真正面から真剣に応えることにした。

「そこまで言うのなら、会わせてあげる。付いてらっしゃい。シェロ」

まだ少しばかり不満そうではあったが、ルヴィア嬢は可愛らしくターンすると、トコトコと居間の方に向かって歩みだした。俺はすこしばかりほっとして、その後に付いていった。




居間に着くと、ルヴィア嬢は元気にソファーによじ登り、俺に同席するように勧めた。

「シェロ、お茶にしましょう」

にこにこの笑顔でルヴィア嬢は、テーブルの上の銀の鈴を一つ鳴らす。

「あ、いや。それより遠坂をだね……」

「お待たせいたしました」

どわ! いきなり後ろから声が掛かる。慌てて振り向くと、……シュフランさん?

「衛宮様はストレートでよろしかったですね?」

シュフランさんは、そう言いながら俺にお茶を手渡した。ただ、その手は薄っすらと透けている。目を覗きこむと、微かに曇っている。つまりは幻影による人形と言うところだろう。

「ルヴィアちゃん、シュフランさんをどうしたんだ?」

些か可哀相だとも思うが、ルヴィア嬢を厳しい顔で問い詰める。

「別にどうもしてないもん、眠ったままだったから、ちょっと起きてもらっただけだもん」

人形を抱きしめて、拗ねたように口を尖らせて応えるルヴィア嬢。瞳の奥にも悪意や戯意はない。よかった、操り人形にして遊んでいるわけではないようだ。
そんな俺たちをじっと見つめていたシュフランさんは、いつもと寸分変わらぬ物腰で、わずかに微笑むと、現れたとき同様にかき消すように消えていった。

「シュフランさんに付いては納得したよ。それよりルヴィアちゃん。遠坂なんだが」

「シェロは、わたくしよりもミストオサカのほうが良いの?」

本題に戻そうとした俺に、ルヴィア嬢は拗ねた口調で、直球ど真ん中を投げてきた。なんか最近、俺の周りの女性陣は、豪速球投手ばかりになられてしまったような気がする。

「いやそういう意味じゃなくてね、ルヴィアちゃん。やっぱり居ないと心配だろ?」

情けないのは承知の上、拝み倒すようにルヴィア嬢のご機嫌を取る。でもルヴィアさん、その聞き方は卑怯だぞ。

「あ、そうか。目の前にいれば良いのね? じゃ連れてきてあげる」

俺の応えをどう解釈したものか、ルヴィア嬢は偉く上機嫌になって、テーブルの鈴を。今度は二回鳴らした。

「お嬢様、ご注文の品、お届けに参りました」

さすがに今度は驚かない、ルヴィア嬢の傍らに音もなく姿を現すメイドさん。手に持ったトレイには、小さな銀の鳥籠のようなものを乗せていた。それをテーブルの上に置くと、これまた静かに消えていく。

「はい、シェロ。ミストオサカよ」

ルヴィア嬢は上機嫌のまま、テーブルの上の銀の籠を指し示した。

「――はい?」

俺はまじまじと籠を覗き込んだ。銀の籠の中では、小鳥ならぬ小さな水晶のネズミが、苛立たしげに格子に噛り付いている。はてな? と首を傾げていたら、俺に気がついたのか、もの凄い形相で睨みつけてきた。

それでようやく気がついた。そいつの姿は間違いなく遠坂の使い魔だ。しかし、その瞳は無機質な人形のそれでなく、気が強くて、傲岸不遜にして才知活発な遠坂の瞳。
ああ、遠坂。こんなにちっちゃくなっちゃて……

「遠坂……」

「――Chu――! chu、chu、Chu――!!!」

何を言っているかは判らないが、えらい剣幕でがぁ――とばかりに捲くし立てている。うん、間違いない。こいつは遠坂だ。きっと、馬鹿言ってないでとっとと何とかしないさい、とでも言っているんだろうなぁ。

「まぁ、ミストオサカ。お行儀が悪いわね」

そんな遠坂を、ルヴィア嬢が実に楽しげに嗜める。本当に楽しそうだ。チュウチュウとえらい剣幕で食って掛かる遠坂ネズミを、品位を保つギリギリの底意地悪さで見下している。
しかし、どんな姿になっても、君らちっとも変わらないんだな。

「あ〜、ルヴィア……ちゃん」

とはいえ、このまま見とれているわけにはいかない。

「なあに、シェロ」

「その、遠坂を返してくれないか?」

「う〜ん、どうしようかな」

ルヴィア嬢は顎に指を当て、小首をかしげて考え込んだ。

「ルヴィアちゃんには要らないだろ? そのネズミ」

「要る要らないじゃないの、大切なのは“とうかこうかん”なのよ」

シェロは何にも判ってないのね、とばかりに可愛らしくもおしゃまに仰るルヴィア嬢。微妙に論点がずれている気もするが、理屈じゃないのだろう。いや、困ったな。

「そうだ、シェロを頂戴。そうすれば、ミストオサカは帰してあげる」

うんうんと考え込んだ挙句、ルヴィア嬢はとんでもないことを仰る。うわぁ、遠坂。暴れるな。かえって怪我するぞ。

「俺を?」

「そうよ、うん、それが良いわ。シェロにとってそれが一番良いことなのよ」

にこにこと、これで解決とばかりにソファーで飛び跳ねて喜ぶルヴィア嬢。

「ちゃんとシェロのお部屋もこうぼうも用意するわ。ミストオサカが一緒でもかまわないのよ」

ソファーから降りて、俺の手を握り楽しそうに振り回す。ルヴィア嬢の跳ね回る姿は、それはそれは可愛らしいのだが、何かが妙に引っかかる。ルヴィア嬢の瞳の奥にちらりとよぎった影。あれは……

「ね、そうしましょう。シェロはわたくしとここでずっと暮らすの」

いや、まて。一緒にずっと? ああ、しまった。

「いや、そうもいかないよ」

危うく肝心なことを忘れるところだった。

「どうして?」

「だって俺たちは、ルヴィアちゃんを連れ戻すために、ここに来たんだから」

そう、本来の目的はそれだ。多分この娘がルヴィア嬢の無意識だろう。彼女を連れ帰ることが第一なのだ。

「そうだな、遠坂も今すぐ返してもらわなくていいよ、さ、一緒に帰ろう」

考えてみたら、俺じゃ遠坂をネズミから元に戻すことは出来ない。だったら、このままルヴィア嬢と一緒に連れて帰ったほうがいい。夢の世界の中でのことだ、向こうまで引きずることはないだろう。たとえ向こうでもネズミに入ったままだって大丈夫。今度はルヴィア嬢が居る。嫌味をいくつか言うだろうが、絶対にルヴィア嬢は遠坂を元に戻してくれる。
そう思いながら、ちらりとネズミ遠坂に目を走らす。うん、あいつも同意しているみたいだ。大人しくなってる。
俺はルヴィア嬢に手を差し伸べた。

「駄目よ」

だが、ルヴィア嬢は急に険しい表情になった。手に持ったぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、俺を睨みつけてさえくる。

「ルヴィアちゃん?」

「シェロはここに居なきゃ駄目なの。外に出たら絶対駄目」

呆気にとられた俺を、更に食い入るように睨みつける。先ほどまでの上機嫌が嘘のようなきつい視線で、悲鳴のように叫びながら、なおも首を横に振る。

「ね、シェロ。ここに居よう、そうすれば大丈夫なのよ」

大丈夫? 俺は腰を屈め、ルヴィア嬢の視線の高さに合わせ瞳を覗き込んだ。
癇癪を起こしているわけではない。駄々をこねているわけでも、我侭を言っているわけでもない。
先程よぎった影と同じものが瞳の奥で大きく広がっている。これは……恐怖? そう、恐れている、怯えているんだな。なにを? 自分のことじゃない……

「俺は大丈夫だよ」

俺は視線を逸らさず、ゆっくりと告げた。もしかしてこの娘は……

「嘘、駄目なの。シェロは外に出ちゃ駄目なのよ」

瞳が揺れる。ああ、間違いない。この娘は俺を心配しているのだ。
それが、何かわからないけれど、元の世界に帰れば、俺がどうにかなってしまうと恐れているのだ。

「俺なら、大丈夫だ。帰ろう」

だから、もう一度言った。じっと見つめ心を込め、俺なら大丈夫だと、ルヴィア嬢に信じてもらえるように。

「大丈夫じゃないの、わたくし知っているの……」

ルヴィア嬢が顔を伏せる。肩を震わせ、搾り出すように呟く。何を知ってしまったのか、俺にはわからない。ただ、それがこの少女の心を、押しつぶさんばかりに怯えさせているのは判った。しかも、この少女の不安は俺への心配なのだ。

「信じてくれないかな、ルヴィアちゃん。俺への心配はいらない」

俺はルヴィア嬢をそっと引き寄せて抱きしめた。その心配を取り除くことは出来ないかもしれないが、せめて震えだけは治めてやりたかった。

「本当?」

ルヴィア嬢が顔を上げる。不安で仕方ないが、それでも信じてみたい。そんな健気な表情だ。

「ああ」

「本当に本当? 本当にシェロは大丈夫なの? あんな寂しい、あんな哀しい世界へ、たった一人で帰って大丈夫なの?」

寂しい? 哀しい? ……ルヴィアさん、貴女はまさか……

「こんな世界に帰って、本当に大丈夫なの?」




一瞬のうちに周囲の光景が、空気が変わった。

館は溶け。壁は風化し、調度が枯れ果てた。何もかもが朽ち果て、銀の檻さえ錆果てた。
残ったのは俺とルヴィア嬢、そして遠坂だけ。

あとは見渡す限り一面の荒野。

錆び色に真っ赤に染まった、なにもかもが枯れ果てた荒野。風さえも朽ち果てている。

錆色の荒野にはそこにふさわしい物しかない。

赤く、黒く錆びた無数の剣。

まるで墓標のように突き立つ無尽の剣。

ここはルヴィアさんの内面世界のはずだ。

なのに、ここはまるで俺の中の世界のようだった。


「ルヴィアさん……」

「シェロ、どうしても帰っちゃうの?」

ぬいぐるみを抱えたまま、ルヴィア嬢はするりと俺の手から抜け出した。
呆然とする俺の目の前で、何かに怯えながらも、厳しい瞳で俺見据えている。

「な……」

何故と言いかけて、俺は言葉に詰まった。何故ルヴィア嬢がここを知っているか、今は聞いたところで何の意味もない。そんな事を知ったところで、この少女の怯えは取り除けない。俺は事実を受け入れた。

「ここに帰ったら、シェロはあの人になってしまうのよ?」

そんなことは許さないとばかり呟くと、ふと、ルヴィア嬢の視線が俺から外れた。俺の肩口、その向こうを遠く見据える目。
振り向かなくとも判る。あの視線の先には紅い外套を着た男の姿があるだろう。

「――Chu……」

檻から解き放たれた遠坂が、足元まで近づいてきて靴先を齧った。じっと俺の顔を見上げている。その厳しい瞳にはルヴィア嬢と同じ怒りと悲しみがあった。

ああ、そうか。

これで判った。ルヴィア嬢が何を見たか、何に怯えているのか、何に憤っているのか。
そして、もしそれがこの世界を形作っているならば……


――……パスは通したから

――……後は任せるわ

――……頼んだからね



そういうことなんだろ? 遠坂。

俺はネズミになってしまった遠坂を見つめる。見つめ返す遠坂も、俺に向かってしっかり頷いてくれた。

「本当によろしいの? ここは寂しすぎますわ。こんなところにたった一人だなんて、許せるものではありませんわ」

小さなルヴィア嬢が俺を見据えている。俺の世界が寂しすぎるのが許せなくて、そんな世界しか持てなかった俺が悲しくて、小さなルヴィア嬢は悲しみと口惜しさのこもった瞳で俺を睨みつけている。この世界に怯えながら、それでもなお健気に俺を睨みつけている。

「ああ、大丈夫だ。それにねルヴィアさん。俺は決して一人じゃない」

口にしたらもっと怒られそうなので、心の中でそっと付け加える。心配かけてごめんな、ルヴィアさん。
そして一つ大きく息をする。よし、パスは通っている、魔力は十分。回路もそうだ、こうと決めたときから、清流の水面のように透き通っている。
俺はルヴィア嬢に笑いかけた。安心させるために、怯えを取り除くために。


――ああ、まったく。


俺は自分にも笑いかけた。こいつは少しばかり自嘲が入っている。
どうも俺はとことん魔術使いらしい。俺はこれから、何かを打倒するためでも、何かを乗り越えるためでも、何かを破壊するためでもなく、ただ、ただ、目の前の小さな少女の不安を拭い去るためだけに、究極に挑む。

ルヴィアさん、安心してくれ。これから“今”の俺を見せてあげる。
俺は自分の中に舞い降りるように瞳を閉じた。

ここは一つの世界、一つの結界。ならば、それを打ち破る物もまた世界で無ければならない。




――I am the bone of my sword体は 剣で出来ている).

――Steel is my body,and fire is my blood血潮は鉄で    心は硝子.


全身の神経が魔術回路に切り替わる。



――I have created over a thousand blades幾たびの   戦場を越えて   不敗.

――Unaware of lossただ一度も 敗走はなく.

――Nor aware of gainただ一度の 勝利もなし.


ただこの為にだけ造り上げられた俺の身体が、


――Withstood pain to create many weapons無限の剣製の  果て.

――waiting for one's arrivalただ 一振を 鍛つ


俺の思いに応えてくれる。


――I have no regrets.This is the only pathならば 我が往く道に 悔いは無く.


俺の心を、俺の世界を押し広げてくれる。


――My whole life was "unlimited blade works"この体は 無窮の剣で 出来ていた




この世界の果てに炎が走る。
錆び色の大地は真紅の大地に書き換えられ、無尽の剣は無窮に剣に取って代わられる。

俺はゆっくりと目を開けた。

そこにあるのは真っ赤な荒野と、墓標のように黒い影を落とす無数の剣のみ。
その光景は目を閉じたときと、なんの変わりないように見える。
だが、何も変わっていないように見えて、全てが上書きされていた。

ここはもう、ルヴィアさんの世界じゃない。ルヴィアさんが怯えた、俺が行くはずだった世界でもない。
ここは俺の世界。ここは俺の『固有結界』。

――”Unlimited Blade Works”

俺は前を見据えゆっくりと歩き出す。
さっきまで目の前に居た、ルヴィア嬢も遠坂も今は居ない。だが、あの二人が何処にいるかは知っている。




ああ、やっぱりここに居た。




無数の剣の丘を越え、辿り着いた先には一本の剣。
黒い鍛床に突き立った、蒼と金と赤の剣。
そこにだけある、わずかばかりの黒土の上では、小さなネズミが跳ね回っている。
相変わらず元気だな、遠坂。

そして少女が立っていた。まるでその剣が誰かの墓標であるかのように、まるで祈る様に立っていた。

「――ルヴィアさん」

「……あの方は行ってしまわれましたわ」

「そっか」

「ええ、ぼろぼろに擦り切れてしまわれている癖に、最後には満足そうな笑顔で去っていかれましたわ」

少女が振り向く。腕にぬいぐるみを抱きしめた、金色の髪と鳶色の瞳の幼い少女。だが、その瞳の奥にあるモノは、たとえ地獄の底であろうとも頭を上げ轟然と胸を張る『金色の魔王きんのけもの
少女は、つん、と顔を上げ、挑むように俺を睨みつけた。

「髪は白く透けませんのね?」

「ああ」

「肌も黒く染まりませんのね?」

「ああ」

「どうしてかしら?」

「多分、一人じゃないからだろうな」

俺は視線を剣に向け微笑みかける。今の俺はひとりじゃない。そこに皆が居た。
そんな俺の笑顔と剣を交互に見据え、ルヴィア嬢はむぅ――っとばかりに俺を睨みつけてきた。

「やっぱりリンなのね」

ああ、そういうことか。俺はいっそう笑みを深くして、剣に向かって歩み寄った。

「遠坂だけじゃないぞ」

俺は柄頭の紅い石をそっと掴む。

「セイバーやミーナさんも」

続いて、蒼い螺鈿に指を添え、鍛床に視線を走らせる。

「それに――」

最後に、金の象嵌を梳くように撫でた。

「ルヴィアさんだって居るんだぞ」

ルヴィア嬢は、まるで自分の髪を梳かれたかのように身をすくめ、頬を紅く染めた。

「うっ……い、今はそれで我慢して差し上げますわ」

口を尖らせ、拗ねるように俺を見据えるルヴィア嬢に、俺はもう一度微笑みかける。

「それじゃ、帰ろうか」

「そうですわね、先ほどの場所と違って、ほんの少し名残惜しいですけれど」

ルヴィア嬢はほんのわずか寂しげに首をかしげると、胸に抱いたぬいぐるみを俺に向かって差し出した。ぬいぐるみの猫が目を開く。
猫の瞳は左右違いの紅と碧、金銀妖眼の猫目石アレクサンドライト・キャッツアイ

俺は一つ頷くと、剣を引き抜き、その瞳を二つに切り裂いた。






「なかなか有意義な経験をさせていただきましたわ、レディルヴィアゼリッタ」

目の前で、遠坂凛が勝ち誇ったような顔でお茶を嗜む。くっ……この度は言い返せない。

「遠坂、あんまり責めるなよ。ルヴィアさん、何も覚えてないんだからさ」

シェロが優しくリンを窘めてくれる。それは嬉しいのだけれど。シェロ、それは魔術師にとってかなり不名誉なことですのよ。

そう、わたくしは覚えていない。
転生混沌と根源聖典の融合による限定固有結界実験。わたくしはものの見事に失敗したらしい。やはり『真鍮ブラス』氏などの呪式を流用したのがまずかったのだろうか。うん、そうに決めた。

とにかく、人工光から自然光に切り替えた刹那、呪式を完成させた瞬間からシェロに助け起こされるまで、わたくしの記憶は飛んでしまっていた。
話を聞く限り、シェロとリンが封印世界に入ってわたくしを救い出してくれたらしい。

本当ならシェロにだけ助けられたかったところだが、さすがにシェロだけではまだ魔術師として心もとない。リンの技量がなければどうにもならなかっただろう。だからこうして、リンに大きな顔をさせているのだ。非常に悔しい、腹が立つ。だからシェロを睨みつけてやった。なのに――

「ああ、ルヴィアさん。俺なら大丈夫だからな、安心してくれ」

――どうしてこんなに、晴れやかで優しく笑いかけてくれるのだろう。リンに威張られる不満など吹っ飛んでしまう。思わず嬉しくてにやけそうになるくらいの笑顔だ。

「し、心配なんてしていませんわ……」

にやけそうになるのを必死で誤魔化す為に、カップに口をつける。なんだか血が上ってしまって、頬が染まるのが自分でもわかる。でも……心配? わたくしがシェロの何を心配していると言うの?


――赤い大地

――黒い墓標

――紅い男



……今、何か見えた気がする。とても不安になるような、とても腹が立つような何か。


――ルヴィアさんだって居るんだぞ


もう一度シェロの顔を見た。きっと凄く不安そうな顔をしていたのだろう。シェロは大丈夫だよ、ルヴィアさんだっていてくれるから、俺はこれからも頑張っていける。そう呟きながら優しく笑いかけてくれた。
そんな笑顔を見つめていたら、わたくしの不安も腹立ちも溶けるように消えていった。

ああ、そうか。リンではない、シェロだったのだ。
はっきりと確信した。何も覚えてはいないが、わたくしを救い出してくれたのは、そこで不機嫌にシェロを睨んでいるリンではない。リンに睨まれて小さくなりながらも、わたくしに微笑みかけてくれているシェロなのだ。

だったら、もう遠慮はいらない。わたくしはシェロの笑顔に最高の笑顔で応える。
思いを込めて微笑みかけた。シェロだって大丈夫ですわ。わたくしが付いていますもの。絶対にあんなところに独りぼっちにはしませんわ。そんな思いを込めて微笑んだ。

何故そんな思いを込めたのかは、今でも判らない。だが、その思いが正解であったことは知っている。

何故ならその時、シェロは優しい笑みで応えてくれたのだから。

END


ちびルヴィアのお話。
”蒼紅玉”話のルヴィア嬢風の魔術的次期ステップといった所でした。、
とうとう士郎くん「固有結界」使っちまいました。
今回はルヴィア嬢と士郎の話。核心に近づきながら忘れさせちゃいました。
もうちょっとやきもきしていて下さい。
セイバー、ミーナは今回お休み。凛様もネズミにしちゃいました。
次回は全員出す予定。

By dain

2004/5/12 初稿脱稿
2005/11/07 改稿

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