「さてと……」

ここは自室。わたしはベッドの上で胡坐をかいて腕を組んだ。
目の前に広げたのは家計簿と財務表。こいつはゴルディオスの結び目かってくらい入り組んでいるが、取敢えず破綻はしていない。有難う、セイバー。心の中で一つ感謝しておく。

続いて、その横に予算表を広げる。今まで使った宝石やこれから買う予定の石、使う予定の石を抜き出しては、箇条書きで書き連ねてある。一つ一つを再確認。よかった。最近、散財していないおかげで幾分余裕がある。
あ、でもこないだ良い石あったな、来週のオークションでも出物があるってミーナが言ってたっけ……。
我家の絶対不可侵領域、預金通帳にふらふらと伸ばびそうになる右手を、わたしの左手ががっきと押さえこむ。

いけない、いけない。今は我慢。
折角、こっちは何とかなりそうなのだ。ここで定期に手を出したなら、セイバーになんて言われるか。最近お金に関しては、あの娘のわたしを見る目はすっかり保護監察官だ。うう、使い魔に禁治産者扱いされる魔術師ってなんだろ? 

さて、それは良い。問題はこっちだ。

流石にこれは難しい。ルヴィアなら何とかなるかな? 
あいつならコネも顔も広いから、手に入れることが出来るだろう。だが、あいつに借りは作れない。この間の一件で幾分貸しを作ったが、もし真相を思い出されたら、貸しどころかどでかい借りを作ることになってしまう。藪をつついて蛇を出す訳にはいかない。却下。

ミーナは? 確かにあの娘なら何処かしらで調達してくれるだろう。
でもなあ、あそこに頼むと見返りがきついからなあ。つけも完済しきってないし。
注文もしなきゃいけないことだし、これ以上頼るのは危険だ。にっこり笑って何を頼まれるか判ったもんじゃない。やっぱり却下。

士郎は? 無理。と言うか無駄。
あいつがこんなものに縁があるわけが無い。
第一これに付いて士郎に助けは求められない。助けてもらっては意味がない。

となると、後はセイバーか。
協力は問題ない。あ、ちょっと問題あるか。でもなあ……
うん、理由をちゃんと説明すればセイバーは了解してくれるだろう。わたしがしっかりしていれば、余計な苦労をかけることもないし。

「よし。やっぱり、あれ受けよう」

わたしは部屋を出てセイバーを呼びに向かう。ラインを通して呼べばいいのだろうが、この辺やっぱり士郎に影響されてるんだろうなあ。





あかいあくま
「真紅の悪魔」  −Rin Tohsaka− 第四話 前編
Asthoreth





「こんにちわ、士郎くん居ます?」

それはわたし達が時計塔がくいんの工房で、宝石を研磨している時のことだった。
士郎は見かけによらず器用なので、こういった細工事は凄く上手い。この日も宝石の研磨と台座のワックス造りを手伝ってもらっていた。
こっちが描いたデザイン画を、あれよあれよという間に、形に仕上げていく姿は、惚れ惚れするくらい見事だ。流石は“創る人”といったところだ。うん、真剣な横顔も結構ナイスだし。
で、そんなわけで少しばかりやに下がっていたところに、ミーナが来たわけだ。

「いるぞ。あ、ミーナさん。こんにちわ」

石の仕上がり具合を確認しているわたしの横で、ほっと一段落ついていた士郎が応える。何事かと顔を上げると、つなぎ姿のミーナが扉のところに立っていた。

「あ、凛さん。お邪魔します。ちょっと士郎くんお借りしたいんですよ」

む、まったく。味噌や醤油じゃないんだから、魔術師がそうほいほい借りにこないで欲しいもんだ。などと内心思いつつも、相手は債権者。むげには出来ない、取敢えず呪式を解いて迎え入れ、嫌味の一つも言ってから用件を聞いてみることにした。

「長屋の熊八じゃあるまいし、何の用?」

嫌だなぁ、士郎くんは味噌や醤油じゃありません、とミーナは軽く流してくれる。振ったわたしが言うのもなんだけど、なんでこんなことまで知ってるの?

「弓の特注品が出来たんで、その試射をお願いしたいんですよ。士郎くん弓は上手でしたよね?」

それではお茶でもと腰を上げたかけたセイバーを抑えて、ミーナは用件を切り出してきた。
あ、なるほど。それなら士郎だろうな。剣とか銃とかならそこそこの使い手が居る時計塔ここだが、弓ってのは昨今ほとんど居ない。
銃に比べて飛び道具としては嵩張るし、使い物になるまでの練習時間が取られる上に使い勝手がやたら悪い。更に近距離では役に立たない、むしろ邪魔。
スポーツアーチェリーくらい嗜んでいる奴は居るだろうが、それなら士郎のほうが良い。なにせこいつの弓は百発百中なのだ。

「俺は別に良いけど……」

士郎はどうかな? って視線で尋ねてきた。うんうん、ちゃんと心得ていてくれて嬉しいぞ。
今、士郎はわたしと作業中だ、そこでほいさと気楽に承諾しようもんなら、ガンドの一発も叩き込んでやろうと思っていたところだ。
元々、人に頼まれて否のいえない奴だったが、最近はきちんとわたしに断りを入れてくれる。ふふふ、なんか頬が緩むな。

「こっちはひと段落ついたし、良いんじゃない。士郎だって身体伸ばしたいでしょ?」

わたしとしても士郎の弓を見て見たい。ちょこちょこ使っているのは見かけているが、どれも緊急時や大急ぎだ。そういえば士郎の正式なしゃって、日本でも一年生の頃が最後だったなあ。士郎もそれならと一つ頷いた。

「でも、俺の弓は和弓だぞ。ミーナさんの洋弓だろ? 上手く引けるかな?」

「大丈夫だと思いますよ、洋弓といってもアーチェリーみたいな機械弓でなく、英国伝統の長弓ですから」

それならなんとかなるかな? などと言いながら士郎はミーナに頷いた。
わたしなんかから見たら同じように見えるのだが、なんでも和弓と洋弓は色々違うらしい。ちなみにアーチャーが使っていたのは洋弓だという。
だったら士郎だって使えるじゃない。わたしはそんな理屈にもならないことを考えながら、一緒に行くと声を掛けた。

「じゃあ、わたし達も見に行くわよ。見学してても良いんでしょ?」

「それは勿論。セイバーさんや凛さんの意見も貴重ですから」

既にボルタックスで射場を設えてあるという。用意の良いことだ。わたし達は早速そちらへ移動することにした。




「へぇ……」

弓の魔具と聞いて、呪刻を刻み込んだ象嵌造りの装飾品のようなものを想像していたのだが、これは違っていた。

シンプルイズベストとでも言いたいかの様につや消し暗色のこの弓は、洋弓の癖に安定棒スタビライザー照準器サイトも、矢受けレストさえも付いてない、グリップだって昨今のピストルグリップでなくストレートな形だ。手首を固定するサポーターと籠のようなガードと相俟って、まるで剣の装飾柄ナックルガードのようだ。
カーボン製だろうか? 近代素材をふんだんに使ったそれは、魔弓というには余りに実用本位の品だった。まあ、ミーナらしいといえばミーナらしいか。

「これが現代の弓なのですか」

士郎の手に渡った弓を、セイバーが覗き込むように見ている。ふむ、剣のときよりは興味がなさそうだ。士郎といえば、弓を手にただじっと見詰めている。はて?

「節はシャーウッドの森のイチイをカーボンファイバーで包んだ合成弓で、弦は有機機像用フレッシュ・ゴーレムの腱とテクミロンの複合編みなんですよ」

そんなわたし達をよそにミーナが滔々と説明をしている。わたしには半分しかわからないが、魔術素材にすんごい現代素材を混ぜているらしい。もっとも聞いているのはわたし一人のようだ。セイバーは余り興味がなさそうだし、士郎は――

「士郎くん?」

「ん?……ああ。ミーナさん。試射して良いかな?」

「ええ、それじゃ、こちらで」

――微妙に上の空だ。
何か考え込むような、どこか遠くを見るような、そんな眼差しで弓を手に試射場へ向かう。いつぞやのように暗い目じゃないから大丈夫だろう。でも……

「良い形ですね」

そんなわたしにセイバーが声を掛けてきた。

「え?」

「シロウです。悔しいことですがシロウは剣を構えている時より、弓を番えている時の方が良い形をしています」

はっと、射場に目を移すと、そこでは士郎が弓を番えているところだった。

確かに、綺麗だ。

士郎がやっていたのは弓道だ。でも今、手にあるのは洋弓。それでも士郎は弓道の流儀を即座にアレンジして射法を定めた。

体制を整える“足踏み”から“胴造り”、“弓構え”までの動きは流れる水のように滑らかで、弓を引く動作である“打越し”“引分け”には一点の淀みもない。
そして照準たる“会”、射そのものである“離れ”。士郎の目はもはや外なるまとを見ていない。士郎が見ているのは自分の内にある“的”だ。当てるではなく当たる。それを確信することが士郎の射だ。
そして“残心”。

ああ、そうか。

最後のピリオドを打った瞬間、すとんと疑問の答えが心に落ちた。
何で士郎があんな目をしていたか、何を考え込んでいたか。
わたしにも最後の瞬間、矢を射る背中が重なって見えた。

士郎はアーチャーのことを思い出してたんだ。
まじまじと見たことはなかったけれど、アーチャーの弓もあんな弓だったような気がする。
残心の時、士郎の澄み切った表情。それは皮肉な時でも、擦り切れた時でもなく。全てを受け入れ、尚も前に進もうと決めたときのアーチャーの顔だった。

「わあ、お見事。的中ですよ」

ミーナがはしゃいだ声を上げる。でもわたし達三人にとって士郎の矢が当たるのは、文字通り当たり前だ。わたしは親指を立て、片目を瞑って士郎に笑顔を送る。士郎もそれに、ちょっと照れたような微笑で応えてくれた。
ただセイバーは少しばかりむくれていた。

「シロウはやはり剣士であるより射手なのですね」

珍しく本気で悔しそうな声だ。恨みがましくシロウを見据え、ちょっと膨れて拗ねたような顔をしている。

「なに? 焼餅?」

あんまり可愛らしいものだから少し揶揄からかってやった。

「そうではありません。折角、私がシロウのサーヴァントであったのに、剣も弓もアーチャーのものであるのが、些か気に入らないだけです」

益々膨れて反論してきた。でもねセイバー、それが焼餅っていうの。

「どうですか? 士郎くん」

二十射ほどした頃だろうか? ミーナがクリップボード片手に士郎に話しかけてきた。

「すごく良い弓だ。なんて言うか、弓のほうから話しかけてくれるような。こっちが何をしなくても的中を伝えてくれるって言うか。うん、生きているみたいだ」

士郎が感極まったように溜息を付いて応える。愛おしげに弓を見る目がちょっと悔しい。うっ、わたしなんで弓なんかに妬いてるんだろう。セイバーのことが言えないなあ。

でも……

わたしはミーナと弓に付いて話している士郎を眺めながらぼんやりと思った。確かに似合っている。あいつは剣を“創る人”ではあるのだが、得物としては弓のほうが合っているんじゃないだろうか。弓をミーナに返すとき、ちょっと名残惜しそうな顔をした。
物に執着しない士郎にしては大変珍しいことだ。うん、そうだ。ここは一つ……

「ねえミーナ。それって売り物?」

試射を終え、お茶を頂いて帰る直前、わたしはこっそりミーナに聞いてみた。

「それって? ああ、あの弓ですか。残念ですが特注品で受取り手は決まっているんですよ」

うっ、そういえば最初にそう言ってたっけ。じゃあ、

「それをもう一つ造るとしたら、どう?」

そう聞くとミーナはちょっとばかり難しい顔をした。もしかして凄く高いとか?

「弓本体なら何とかなりますよ、お代も……」

ふむふむ。よかった、これなら何とか来月の宝石一つ二つ諦めれば……

「でも、問題はこれなんです」

頭の中で皮算用をしていたわたしに、ミーナは弓のナックルガードを開いて見せた。ああ、なるほど。そこは小さな宝石箱のようなケースになっていた。そして、ビロード張りのそこに鎮座していらっしゃったのは。

「うわぁ……」

「流石にこれは、ちょっと……。無理をすれば何とかとは思いますけど」

本当にすまなそうになミーナ。むう、これは難問だ。ミーナの無理ってお金が掛かるし。

「分かった。弓だけで良いわ。注文しとける? あ、士郎には内緒ね」

「わかりました。それじゃ、お受けしときますね」

わたしは取敢えず弓の注文だけをミーナにして、その場をあとにした。ついでに弓の注文主を聞いて、中のものに付いての情報も仕入れておく。
なんとかしたいなあ、あいつが物を欲しがるなんて、めったに無い事なんだから。




というわけで、今わたしはここに来ている。
“時計塔”隠秘学科教授棟。
全ての神秘、全ての奇跡の理論体系の確立を旨とする隠秘学科は魔術理論の基礎にして究極の部門だ。勿論、基礎にして究極である以上、教授陣もピンキリだ。わたしが訪ねるのはその一方のピンに当たる。ちなみに例の弓の注文主でもあった。なんに使うんだろう?

「凛・遠坂です。入ります」

返答を待たず扉を開けて中に入る。もし返答が拒絶なら、端から扉は開かない。ここはそういう所だ。

立派で重厚な扉に関わらず、部屋そのものはいたって簡素だった。
執務室とはいえ魔術師の部屋。なのに、そこはまるで修道院の僧室のように、冷え冷えとして質素な部屋だった。
壁はむき出しの白漆喰、床も来客用の椅子のあたりに薄いカーペットが敷かれている以外は、ほとんど剥き出しの石床だ。
調度も同様だ。中央に事務机。家具といえるものはそれだけ。本棚はおろかチェストの一つも置いていない。書類の類も、今、書きかけの書類が挟まっているフォルダー以外は影も形も無い。執務室とはいえ、これでやっていけるのかと思うくらいだ
まあ、僧院らしいのはわかる。この部屋の主は現役の聖職者でもあるのだから。

「今回の件だが了承してくれて有難く思う」

入って来てから今まで、わたしを全く無視して書類を書き続けていたこの部屋の主は、書き終わると同時におもむろに頭を上げ、いきなり独り言のように口を開いた。

この部屋同様に、簡素な僧服を着たこの痩せぎすの男こそ、部屋の主。時計塔隠秘学教授ルーパート・クーレンゼ師。国教会の無任所主教を勤め、魔術と隠秘学の力量だけでなく、協会内部の対立関係の調整と誘導で今の地位を手に入れた魔術師だ。
ついたあだ名が”調停者ウォー・ロック
その名に反してやり口は悪どい。表立った争いにならない限り、ありとあらゆる手段を使い“調停”を行う。脅し賺しは勿論、必殺技は「おまえのひみつをしっている」だと伝え聞く。
つまりは協会内部の公安委員。魔術師といえども、できればお近づきになりたくない類の人種だ。
だが、今回は仕方がない。何せこの男はあれを持っている。

「前々から興味はありましたので」

「それは嘘だね」

こっちの社交辞令に間髪入れず否定の答えが返ってきた。

「君としては降霊学科には近づきたくないというのが本音だろう。君の使い魔は強力だが特例だ。彼らからすれば垂涎の対象だが君から近づく理由は無い」

うっ、図星。その通り。あの連中はセイバーを何かにつけて弄りたがる。最もこっちはそんな事をさせるつもりは毛頭無い。わたしの専門から言っても、基礎さえ抑えれば十分な部門だ。

「まあそれは良い」

またも、こちらの返答を待たずに話を進める。

「『スナーク狩り』用の召喚に対する他学科の魔術師への協力依頼。元々学徒独自の施術だそこに時計塔の学徒で一二を争う君の参加は諸手を上げて歓迎されるだろう。内々だが是非君をという打診もあった」

やっぱりか、あいつらセイバーを狙ってやがるな。本当なら鼻も引っ掛けない話なんだが、とはいえこっちも狙っているものがあるから。

「ではわたしも率直に申し上げます。あれをお譲り頂けるという話。こちらも承諾されたと考えて良いわけですね」

「無論そうでなくては呼びはしない」

教授は、机の引き出しから厚紙製らしき小箱を取り出し、何の躊躇も無く蓋を開ける。
中の品物の価値から考えると、とんでもなく簡素でぞんざいな扱いだ。だが間違いなく本物。中の品からはびんびんとその力を感じる。箱を開けてからの感触だから、あの箱そのものも、簡素な見かけに関わらず、きちんと処理がされているのだろう。
けれんの多い魔術師のしてはえらく簡略だ。いや、この簡略さも一種のけれんなのかもしれない。

「受け取りたまえ」

「――へ?」

小箱はまるで三時のお茶菓子なみの気楽さで、わたしに向かって差し出された。
一瞬度肝を抜かれる。こ、こんな簡単に受け取っちゃって良いものなの? まさか前払いしてくれるとは思わなかった。ちょっとびびっちゃった。

「ただ一つ心に留めておいてくれたまえ」

「あ、はい」

少しばかり慌てて受け取った小箱を胸に、わたしは教授の言葉を待った。

「今回の件だけでは些か代価が足りない。不足分は君への貸しということにしておく」

はあ、やっぱりね。確かに召喚協力程度でこの品の代価にはならない。魔術は等価交換、これで少しばかり首に鈴を付けられてしまったということか。
わたしは呼吸を整え教授に正対した。

「勿論、そのことに付いては認識しています。必ず近日中にお返しいたします」

公安委員なんてのに、何時までも借りは作っていられない。こういう借りはとっとと返すに如くは無しだ。

「慌てることも無かろう」

教授は、相変わらずなんでもないような顔で書類を差し出した。

「正式な依頼書だ後のことは降霊学科の連中と話し合いたまえ」

わたしが受け取ることの確認もせずに、教授は再び書類仕事に戻った。机の上のフォルダーには、いつの間にか真新しい書類が数枚挟み込まれている。なるほどね。

わたしは一礼して教授室を後にする。ま、何れちょっと怖いことになるかもしれないけど、今は物をゲットした。あとのことはケ・セラ・セラ。
よし。それじゃあひとつ、気合を入れてやりますか。




それから様々な手続きを経て、わたしが『スナーク狩り』の召喚に参加する日と相成った。
さいわい士郎には別の用事があるらしく、この日はわたしとセイバーの二人での仕事と言うことになった。なにせ士郎への贈り物を手に入れるための勤めなのだ。ここで士郎の力を借りては、わたしの立つ瀬が無いってもんだ。

さて問題の『スナーク狩り』だが。興味が無いと言ってはいたが、調べてみるとこれはこれで結構面白い行事であった。

一言で言えばサーヴァント召喚の縮小簡易魔獣版。
聖杯みたいな化物が無い代わりに、幾重もの魔法陣と術者を使い、マナを第五架空要素に転換する。そこに浮遊霊やら自然霊やらを召喚し、器に流して魔獣となす。
ここまでが降霊学科の連中の仕事。ある程度は決まっているが、どんな魔獣になるかは呼び出してみないと判らないらしい。しかもこの段階では降霊科の連中では制御不能らしいから、言ってみれば一種のロシアンルーレットだ。

で、こっからが『スナーク狩り』。なにせ珍しい魔獣が呼ばれるのだ。学生有志が集まって、解き放たれたこの魔獣を狩る。
無論、『本物』ではないので魔術師とリンクしないままでは何れ消えてしまう。だが逆にリンクすれば、本物より安いコストで本物並みに使えると言うことでもある。使い魔にするもよし、実験材料にするも良し、はたまた誰かに譲って借しにするも良し、と言うわけだ。

元々は百年ほど前の降霊実験の事故だったらしい。それを学生間で解決してしまったため、こんな行事に発展したという。面白いが、閑な話だ。

と、ここまで知っていたのだから、わたしとしては気がついてしかるべきだった。つまりこれが、まともな魔術師の行事でなく、”趣味人オタク”の行事であることを……




「あの……凛。どうすれば良いのでしょうか?」

あのセイバーが途方にくれている。いや、わたしだってそうだ。ここは何処? わたしは誰? の世界だ。

ここはロンドン郊外のとあるカントリーハウス。狐狩りが出来そうな、山一つを含む小さな荘園全体が『スナーク狩り』の舞台となる。勿論、荘園全体には結界が施され、最悪“魔獣"が外に逃げ出さないように、警備や防備にはシュトラウスまでかり出されているらしい。

で、この会場なんだが……


「あ、写真とって良いですか?」

「セイバーさん、サインしてください!」

「あ、あの……握手してくれませんか?」


――何なんだこいつらは?

どいつもこいつもおかしな扮装しやがって。灰色のローブ姿の魔術師はまだ良い、何故か耳がとがっていたり、わざわざ幻影で背丈を半分に見せている奴や、さらにそのまま横幅を二倍に増やし、斧を担いでいる奴まで居る。服装だって、どいつもこいつも中世プラス近世風のわけの判らない無国籍スタイルだ。

頭が痛くなってきた。こいつら全員魔術師で、更に『スナーク狩り』の参加者だって言うから、益々頭痛が痛くなる。

「はい、退いて退いて。わたしたちは召喚うんえい組。そこ! 無断でセイバーに触らない!」

セイバーに群がる、わけの判らない”趣味人オタク”どもを掻き分け掻き分け、わたし達は地下の召喚室へ向かう。

「あ、遠坂じゃないか。今日はどうしたんだ? 仕事じゃなかったのか?」

と、群がる群れの向こうから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「あ、……シロウ……ですね?」

異様な空気に呑まれて、些かやつれ気味のセイバーがぽかんとした顔でそちらを見ている。わたしは、首が油の切れた歯車のような音を立てるのを自覚しつつ、そちらの方を振り向いた。

そこに居たのは間違いなく士郎だった。だがちょっと違う。むしろ認めたくない。
まず耳はとがっていた。赤いはずの髪は金色になって背中の真ん中辺りまで伸び、オールバックに撫で付けられている。後ろで結んだもみ上げの三編みがラブリーだ。革の胴衣が良く似合い、弓と箙を背中に括り付けている。

「……あんた……なにしてる?」

自分でも声の響きが不気味に聞こえる。地の底からぐつぐつと湧き上がっている感じだ。

「あ、いや、なにって『スナーク狩』だけど? ジュリオの奴に誘われてさ。面白いこと演るからついて来いって」

またあいつか! 士郎も誘われたからってほいほいついていかない!
周りを一当たり見回すと、背丈の半分ほどのイタリア人が、慌てて人ごみにまぎれて行った。ちっ、逃げられたか……

「と、遠坂は……その格好からすると参加者じゃないんだな」

「そうよ、召喚側。あんたもこいつらも、今日何をやるか判ってるの?」

腹が立ってきた。人が根性据えてきたって言うのに。遊び半分で。

「判ってる魔獣狩りだろ? 大丈夫だぞ。みんな格好はイカレてるけど得物やら鎧やらは『本物』だ」

む、そういわれて改めて見渡すと、ああ確かに。剣は魔剣。弩にみえるのも魔銃だし、士郎が背負っている弓や矢も、それなりの魔力が篭っている。

「ランスだって居るんだしな」

士郎は笑いながら、部屋の隅に設えられた使い魔用の一角を指差した。

「――ぷっ」
「ラーンスロット……」

そこには羽を無理やり茶色に染められたランスが、憮然として止まっていた。嘴も張りぼてを咬まされ鷲形に整えられている。どいうやら大鷲の役回りらしい。

ひとしきり笑った後、わたしは小さく溜息をついた。
これはガス抜きなのだ。専科、本科のいがみ合い。他に干渉せず干渉しない篭りきりの研究。人付き合いしない奇人変人な魔術師連。そういった魔術師でも、やっぱり若い連中はそれなりにストレスが溜まる。それを一夜の馬鹿騒ぎで発散しようと言うものだ。
学生主催と言うのもこの為だろう。つまりはお祭り。ワルプルギスの夜というわけだ。

「士郎、参加するからには勝ちなさいよ」

「お、おう」

そうとなったら、こっちも腹を決めよう。にっこりと士郎に微笑みかける。こら! 士郎、引かない! 引きつらない!

「とびっきりの魔獣を召喚してあげるから。皆さん楽しんでくださいね」

士郎にウィンク。周りには投げキッス。
む、折角サービスしてやったのに、沸きもしない。何故か観衆供は、ずささっと引いていく。
ちょっと憮然としながらも、わたしはセイバーを引きつれ、地下の召喚室へと降りていった。




「ああ、これが英霊ですな」

「なるほど、理論は同じだな。第五架空要素エーテルを概念に封じ、思念体で整形しているわけだ」

「標本は取れないのかね? ああ、そうか。そうだろうな本体を離れると維持できなくなるのか」


――何なんだこいつらは?

腹の底から嫌な臭いの泥が、ふつふつと沸き上がってくる。
セイバーはサーヴァントとしての心得からだろうか、平然としているが、わたしは腹が立った。なによりセイバーを「これ」呼ばわりするこの連中の態度が我慢ならない。
最高級の人格を有している英霊であることを、微塵も斟酌せず。標本だ観測だと見るからに物扱いだ。

いや、判ってはいる。この連中の対応は魔術師としては当たり前だ。なにせセイバーは、超がつくほど特例的で素晴らしく優秀な使い魔なのだ。それを目の前にした降霊魔術師ともなれば尚更だろう。
上の連中のように、写真だサインだとはしゃぎ回る方が異常なのだ。あれではまるで士郎だ、使い魔を人扱いするなんて……

それでもわたしは心の中で溜息をついた。わたしも随分と士郎に毒されてしまったようだ。この連中より、上のふざけた連中のほうが、ずっとましだなんて思ってしまうのだから。

屋敷の地下に降りて、設えられた降霊場に入った途端、わたしとセイバーは降霊学科の連中に囲まれた。まあ、この場合セイバーがというべきだろう。
今から降霊召喚をやろうというのだ。流石に、ここの連中は上の連中とは違う、きちんとした魔術師としてここに居る。
だが性根は上の連中と大して変わらない、予想通りこうやって、セイバーに目の色を変えている。いや、上の連中より下心が露骨な分たちが悪いかも。

「失礼ですが、本日はわたしが召喚協力に参ったはず。セイバーは単にわたしの護衛です。それ以上の意味も含みもありませんわ」

わたしはこめかみに浮かぶ青筋を抑えながら、懇切丁寧に罵倒してやる。連中は、なにやらぶつぶつと文句を言いながらも、しぶしぶといった感じで離れていった。

「助かりました。凛」

「良いのよ。こんな連中相手にしちゃ駄目だからね」

小声で礼を言うセイバーに、連中を睨みつけながら返事をする。連中は未だ未練がましくこちらを伺っている。

「いやいや済まない。なにせ英霊クラスの召喚物など、みな初めて見るのだからね」

そんな中から一番年嵩の男が、ようやく挨拶をしにやってきた。先ずこれからだろうが、という気持ちを押し殺し、こっちもにこやかに対応してやる。

「お気持ちはわかりますが、礼節は保っていただきたいですわ。ところで、準備のほうは?」

こんな奴らと世間話などしている閑は無い。とっとと用件に入ることにした。

「召喚陣の用意は終わっている。あとは寄り代を待つばかり。今回はガーゴイルを創る予定だ」

ああ、そうですか……え?

「召喚はランダムだと聞いていますけど?」

確かそう聞いていた。これはお祭り用のびっくり箱、パーティジョークみたいなもの……のはず。

「ああ、それは最初の頃の話だ」

男は嫌な笑みを浮かべて話を続けた。どこか人を見下した泥を吐きたくなるような笑みだ。

「我々が管理するようになって趣向が変わったのだ。上の連中がギリギリ抑えられる程度、そう、お祭り騒ぎの馬鹿どもが二三人淘汰される程度の魔獣を召喚する。そういう手はずになっている」

ああ、なるほど。何でこの連中がここまで嫌らしく見えるかが判った。つまりは特権意識。蟻の巣を玩ぶ子供レベルの優越感だ。反吐が出る。
ふと、士郎がちょっと心配になり、セイバーに視線を向けた。が、セイバーは能面のような表情で一つこくりと頷いただけだ。うん、そうよね。

士郎なら心配ない。セイバーは視線でそう返してきた。確かに士郎がこの程度の連中にしてやられる事は無いだろう。あいつは、何だ彼んだ言って、きちんと成長している。
そんな士郎がつるむのだ、上の連中だって、見かけはともかく中身は割合きちんとしているのだろう。
士郎がこいつらの鼻を明かすことを考えると、少し心も晴れてきた。うん、大丈夫。

「ああ、寄り代が到着した」

わたしがそんな事を考えていたら、さっきの男が待ちかねた様に呟いた。
正面に目をやると、大扉が開き扉の向こうの闇から、何かを引き摺る音が聞こえてくる。
重く、低い振動に導かれ、ついにそれが姿を現した。


士郎君弓を引く&凛ちゃん頑張るなお話。
凛様だって女の子、かっこいい彼には素敵な贈り物がしたいと言ったところです。
それでは後編。”彼”の登場です。

By dain

2004/5/26 初稿

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