闇の中央、真っ暗なはずなのにそれでも判る黒い姿があった。
人間の形をしたもので人間よりずっと大きい。
じりじりと這いずる様に進んでくるその姿からは、
力と暴威が溢れ出し、露払いをするようにその前を歩む。
扉を抜け、それは明かりの前までやってきた。
明かりはまるで雲が被さったように薄れ、
それでいて炎はまるで迎えるように轟々と燃え猛り絡みついた。
黒い煙が渦を巻いて立ち昇り、
たなびく鬣は、闇の後光とでも言うように背後に赤々と燃え上がる。
それの右手には火の舌の様な剣。
そして左手には無数の炎が絡みついた鞭。
牡牛のごとき角を振りかざし、猪のごとき牙を剥きだす。
山羊の蹄、獅子の尾、コークスのように黒くそして紅い巨躯。
それは人の幻想が生み出した悪魔と言えた。
「……なによこれ?」
「知らんのか? バルログだ」
目の前に聳え立つ、演出過剰の銅像の後ろから現れた人影は、像に手を置き平然とそう言い放った。
あかいあくま | |
「真紅の悪魔」 | −Rin Tohsaka− 第四話 後編 |
Asthoreth |
「……『真鍮』」
わたしは思わず呟いてしまった。
「君は些か物覚えが悪いようだな。わたしの名前はブランドールだ。カーティス・ブランドール。何度言えば判るのかね?」
『真鍮
「わたしが言いたいのは、本日の召喚のことです。これが寄り代ですよね、ガーゴイルと聞いていますわ。それがなぜこれに?」
こいつに婉曲な皮肉は通じない、だから馬鹿にも判るように懇切丁寧に聞いてやった。だってのに……この馬鹿は、やれやれそんなこともわからないのかね? と言いたげに肩を竦めやがった。
「ふむ、君はガーゴイルの謂
「知っていますわ、それくらい」
「だったら判るだろう。ガーゴイルとは魔獣ではない。本来機像
『真鍮
「そもそもガーゴイルとは、城砦や寺院の魔よけとして、外装に猛獣や猛禽の彫刻をしたところから始まる。それがゴチック建設の時代、構造上の雨樋部分に想像上の魔獣や悪魔を形作るように昇華した。さらにそれが嵩じて、魔術師や錬金術師が魔獣としての機像
「ええ、判りますわ」
何処でぶった切ってやろうかと思いつつ、取敢えず聞いてやることにした。ま、確かに間違っちゃ居ない。それに何故かセイバーが、ほほうなるほど、とばかりに聞いている。なんか邪魔するの悪いって感じ。
「つまりはガーゴイルとは想像上の悪魔を模する機像
う、筋が通っちゃった……。確かに現在こいつほど人の網膜に動く姿を捉えられた悪魔は居ないだろう。億単位の人間が目にしたんじゃないだろうか?
なんか凄く理不尽な思いだが、正しい以上頷くしかない。こら! セイバー。こいつを感心した目で見るんじゃない!
「いやいや、判ってもらえて嬉しい。ところで、君の隣のご婦人を紹介してくれないかな?」
御婦人? 『真鍮
「彼女は使い魔ですよ? お解りにならないの?」
「それくらいは解る。だがご婦人に変わりない。紹介もされないご婦人に、こちらから挨拶をかけるほど、私は無礼ではない」
『真鍮
これにはわたしもちょっと感心してしまった。へえ、こいつこういうところがあったんだ。
降霊学科の連中の嫌な態度の後だったせいか、妙に清々しい。そういえば、ここへ来てセイバーを正式に紹介してくれって言ったのこいつだけだったな。
「わたしの使い魔。英霊のセイバーです。セイバー、彼の名前は聞いたわね?」
「セイバーです。カーティス殿ですね。よろしくお願いします」
セイバーの奴、手まで差し出してる。こら、こんな奴と握手なんかすること無いわよ。
「レディセイバー。私はカーティス・ブランドールという。こちらこそ以後お見知りおきを」
『真鍮
「それで、これは機像
なんか癪に障ったので、話題を変えてみた。まさか変に手を加えてないでしょうね……。そこ、中々礼儀正しい人ですねなんて、好感フラグ立ててるんじゃないの!
「いや、残念ながらただのガランドウだ。第五架空要素
なるほど、たしかに第五架空要素
ちょっとほっとする。よかった、おかしな手は加えていないようだ。
「それでは、そろそろ召喚を始めたいと思う。用意をしてもらいたい」
さっきの男がわたし達に声をかけてきた。わたしは慌てて自分用の魔法陣を確認し、補強する。
「凛、わたしの配置は?」
セイバーが聞いてくる。セイバーの役割は緊急時の抑止力だ。そばに居なくてはならないが、セイバーの魔力がノイズにならないように抑えておく必要もある。
「わたしの後ろに予備の魔法陣があるでしょ? そこに入っていて」
「はあ、ですが……」
歯切れの悪いセイバーの応えに、はてな、と予備の魔法陣に目をやると。
『真鍮
「……あんたなんでそこに居るわけ?」
しまった、とっさだったんで猫被るの忘れた。
「何故とは心外だな。私の役割は銅像の作成だけだ、召喚には関与しない以上、ここ以外に居る場所など無いと思うが?」
当たり前のことなのに、何故こいつが言うとこんなに腹が立つのだろう。そんな疑問を抱きつつも、わたしはセイバーに指示した。
「あいつの隣に行って。居るだけなら二人入っていても大丈夫だから」
「了解しました。カーティス殿、それでは失礼します」
それに鷹揚に頷く『真鍮
「それではミストオサカ。レディセイバーのことは私に任せて召喚に専念したまえ。よそ見をしていると失敗するぞ」
あんたに言われたかないわい! 第一、誰があんたにセイバーを任す! ああ、もう。召喚する前からどっと疲れた。さっさと済ませて今日は早く寝よう。わたしはそう心に決めた。
用意は整った。中央の召喚陣の真ん中には先程の銅像。周囲に五つの魔法陣。それぞれに召喚術者が立ち五大要素を代表する。わたしが立つのは第五架空要素
全てが準備が終わり、刻をあわせて詠唱を始める。
――死者よ立ち上がりて我が元に来たれかし
集合した召喚術師全員の魔術回路を同調させる。
――この世に混沌をもたらす汝よ。汝の暗い住処を捨て河を渡れかし
大地が揺れる。響きは震えとなり、波紋を描いて押し寄せる。
――もし汝、我の呼ばんとする者を自由になすこと能わば、
続いて冷たい水流が渦を巻く。雹となり霙となって降り注ぐ。
――願わくば王の中の王の御名において、
更に風が舞う。熱風が冷風が、旋風を巻いて周囲に吹き荒れる。
――其の者を、定めし刻に立ち現れ示したまえ。
魔力が猛り駆け巡る。熱い炎が周囲を駆け、銀河を描くように渦巻き流れ込む。
――我、汝を待ち望む、現れよ
そして最後、見えない何かが全てを覆い、全てを嘗め形作る、一つにして全て、全てにして一つ。
よし、手応えあり! これで目の前の銅像に命が吹き込まれ……え?
魔力がさらに荒れ狂う。ぐつぐつと何かが次々と湧き出してくる。風水地火、第五架空要素
六番目?
降霊学科の魔術師たちに動揺が走る。何で六番目? それって……
「馬鹿な! なぜ第六架空要素が!」
震える声が部屋に響く。なんで? どうして? こんな事をする奴は……
「『真鍮
「何を言っている? 私は何もしていない。金銀白金水銀を青銅
なんですって……
「銅像でしょ? なんで純銅じゃないのよ!」
「何を言うか。昔から銅像と言えば青銅
頭を抱えたくなった……青銅
「慌てるな! 第六架空要素だけでは実体化などしない。鋳型が必要だ。今回の召喚陣では悪魔の形は形成できない。落ち着いて送り返せばそれで良い」
先程の男の叱責が室内にこだまする。
ああ、その通りだ。確かに“人々が創造した形”が無ければ第六架空要素は悪魔として実体化しない。わたしは目の前の彫像を見上げた。
人々が創造した形。現在世界中で最も人の網膜に刻み付けられたであろう形。多分、有史以来、これほど具体的な形で、人の記憶に止められた悪魔って居ないんじゃないかな? うわあい、こいつ見れば見るほどあの映画にそっくり……
「どうして、ここまで精緻に作る必要があったのよ……」
「手抜きは好かん」
わたしの小さな愚痴に、憮然とした応えが返ってきた。ああ、どうして何時も何時もこいつは真逆方向に全力疾走してくれるんだろう。
「凛、出ます」
セイバーが飛び出しかける。
「待ちなさい! この第六架空要素の濃度じゃ、エーテル体のあんたが飛び込んだら分解されるのがおちよ!」
ぎりぎりで間に合った。セイバーは歯噛みして魔法陣に踏みとどまっている。悔しい話だが、ここまできたら、奴が実体化し終わるまで却って手出しが出来ない。
「――くっ」
ついに満ちた要素が渦となって荒れ狂いだした。突風が巻き、剥ぎ取られた石壁をそこいら中に撒き散らす。
「ちょっと! 何か無いの!? 対悪魔呪具とか」
「あるわけ無いだろう! こんなこと想定しているもんか!」
降霊学科の連中が見苦しく喚き散らす。偉そうにしていた割に、この状況に対応できずパニック寸前だ。魔術師の癖に本当に情けない連中だ。これなら落ち着き払った『真鍮
「セイバー、そいつどうしたの?」
「はい、先程撒き散らされた石が当たったようです」
振り向くと、そこではセイバーの腕の中で心地よさげに気絶する『真鍮
「■■■■■■■■…………」
来た。
慌て騒ぐ周りをよそに、中央の彫像には徐々に意志の力が宿りだしている。黒い肌の下では溶岩の様に赤く燃えた血潮が廻り出し、閉じた瞼の向こうでも真っ赤に燃えた瞳が徐々に顕現されつつある。
「そこら! とっとと自分の陣を強化しなさい。セイバー! あいつが顕現したら意識を固着する前に切り刻んじゃいなさい!」
「はい」
溜息が出る。我ながらお節介になったものだ。だってのに、折角、指示を出しても返事をしたのはセイバーのみ。他の連中は『真鍮
歯噛みする思いで、わたしは手持ちの宝石を確認した。ああ、もう。碌なのを持ってきていない。こんなことを想定していなかったのはわたしも同じだ。
他の連中は全く当てにならない。手持ちの石も半端。こうなったら、もうセイバー頼みだ。
わたしは必死で、あいつの情報を映画を元に類推してみる。確か魔術は使わなかったな。うん、肉弾戦専門で、翼っぽいものは持っているが、空を飛べたわけでもなかった。よし、それならなんとかなりそうだ。
「Γροουψξーー!!!」
ついに第六架空要素が悪魔を結び魔神が覚醒した、右手に炎の剣、左手に鞭を振りかざし、周囲に蠢く無様な魔術師たちを一薙ぎに――
―― 遮!――
「Ανγαοοー!!!」
――出来なかった。
「――はぁ!」
セイバーだ、脱兎の如く駆け抜け、剣と鞭を弾き返し、魔神めがけて切り下ろす。
「あんたら援護しなさい! 出来ないんだったらせめて自分くらい守ってみなさい!」
わたしは周りの連中に罵声を飛ばし、魔術の用意をする。もう、本当に役に立たない連中だ。
手持ちの宝石の再確認、ルビー
「――せい!」
「Ονολυυιーー!!!」
魔神の剣を掻い潜りセイバーの剣は確実に奴を削っている。
しかし
「……熱ぃ……」
まずい、奴は炎の魔神。剣の一振り、鞭の一薙ぎごとに部屋の温度は鰻上り、魔法陣の外では既に百度を越えているだろう。なのに温度は更に上がる。
「セイバーとにかく削っていって」
「凛、宝具を」
「無茶、こんなとこで使っても自滅するだけ」
そう、地下の閉鎖空間なんて場所でエクスカリバーは使えない。ここで使えば奴は倒せても全てが吹っ飛ぶ。セイバーは無事で居られるかもしれないが、わたし達は無理だ。そうなれば結局セイバーも現界出来なくなる。その手は最後の手段。死なば諸共でなくては使い道が無い。
でも、このまま持久戦を続けてもこっちが不利だ。この熱で魔力の消耗が激しい。もっともそれより先にわたしの身体が持ちそうに無いけど。
陣の強化に励みながら、それでもわたしは何か無いかと身体をまさぐった。
ガサッ
あれ? ポーチの中で何か紙の箱のようなものに触れた。ああ、あれだ。教授から受け取った今回の報酬。
喉がごくりと鳴るのが自分でも判かる。わたしはそっと取り出し箱を開けた。
中に入っていたのは、ほんの小さな骨の欠片。だが、ただの骨ではない。
聖セバスティアヌスの指の骨。
無数の矢を身に受け、それでもなお蘇った射手の守護聖人の遺骨。つまり聖遺物というわけだ。
本当なら、こいつはミーナに作ってもらう弓に入れるはずのもの。だが、背に腹は代えられない。わたしは魔神をじっと見詰めたまま聖遺物を握り締めた。
あいつは悪魔。そしてこれは対悪魔なら超一流の概念だ。こいつを武器と組み合わせれば文字通り第一級の概念武装が出来上がる。だけど――
「――くっ……」
――手段が無い。セイバーに渡せば何とかなるだろうが、その隙が無い。この熱気では、こっちはここから出られない。セイバーだってわざわざ取りに戻る暇が無い。もしそんな隙を作れば、奴は確実にわたしを潰しに来るだろう。奴はそれくらいの頭は働く。
投げて渡すのも無理、このままの形で聖遺物を投げても、この熱気では持ちしないだろう。
「ああ、もう! どうすりゃ良い? わたしは士郎みたいに投影は出来ないし……」
投影が出来れば問題はない。弓を出し、矢に聖遺物を仕込み概念武装化できる。そうすれば、奴の中に聖遺物を叩き込むことが出来るのに。
「凛、やはり宝具を! 間に合いません」
「駄目、もう少し待って!」
セイバーの切羽詰った声。こっちの持久力・魔力と魔神を削る速度を秤に掛け、このままでは間に合わないと計算したのだろう。だがまだだ、せっかく切り札が手に入ったんだ。何とかできる……はず。
ああ、もう。流れる汗が目に染みる、髪だってべとべと額に張り付いて鬱陶しいったらありゃしない。
魔力だってどんどん目減りしてる。セイバーも同じだ。流石にこの熱気の中では魔力の消費が洒落にならない。わたしからも魔力をどんどん吸い出してくれる。士郎からパスを通して流れてくる細々とした魔力なんて、文字通り焼け石に水だ。
――へ? 士郎?
一瞬呆けたのち、わたしは自分の中に手を伸ばした。
ああ、あった。士郎へのラインだ。か細いものだけどまだちゃんと通っている。
よし、手段が見つかった。
「セイバー。しばらくそっちへのパス閉じる。自力で粘って」
「――! 判りました。粘ってみます」
セイバーが健気に応えてくれた。なにか手立てが見つかったことを、悟ってくれたのだろう。戦いではやっぱりセイバーは頼りになる。
わたしは一本に絞ったラインに意識を集中する。細いラインに魔力を乗せてわたしの意思を遡らせる。
――――士郎……
お願い、届いて。
――――士郎……
ねえ、士郎。お願いだから気がついて。
……
士郎?
……
まだかな?
……
ぶちっ
士郎! とっとと返事しなさい!!
――うわぁ! へ? 遠坂?
やった、士郎ゲット!
上でも何か騒いでいるようだが、そんなのは無視。わたしは大急ぎでイメージを送り出す。
――判った? できるでしょ。士郎。
――無理じゃない。でもきついぞ。
――覚悟の上よ、とっとと始めなさい。
――判った。後で文句言うなよ。
まったく、最近生意気になりやがって……。でも頼りにしてるわよ。士郎。
わたしは呼吸を整える。これからわたし達がやろうとしているのは、ラインを通しての魔術の行使だ。前に士郎がランスを通じて剣鍛した時の応用。
勿論、士郎は使い魔じゃない。魔術師同士でやろうってんだから、かなり無茶。
でも理論上は同じだ事、やってやれないことじゃない。もっとも、かなりきつい施術になるだろうけど。
――遠坂、行くぞ……
――いいわ、来て士郎……
「――――同調開始
「―――― Spur auf
「……はっ……ひぐぅ!」
なにこれ! ちょ、ちょっと!
いきなり何かが突っ込まれてきた。細く狭いラインの隙間に、太く熱いなにかがねじ込まれる。やだ……
「……くっ……つぅ〜〜」
痛い痛い痛い痛い……が、それだけなら我慢できる。問題は痛みだけじゃないこと。
「―――っ! ん? あん、やだ……」
突き立てられたなにかを通じ士郎の熱い魔術が流れ込む。熱く甘く、包み込むように荒々しく、脈打ちながら流れ込んでくる。
「ちょ、ちょっと……あ、……ん……やっ!」
――……遠坂。
脊髄に潜り込んで来た魔力が蠢き、全身を駆け巡り暴れまわる。手を足を胸を、撫で掴み嘗め回る。ずんずんと突き上げてくる何かで、頭の中が真っ白になる。それを士郎の声が引き戻す。あうう、バカ士郎……
「くっ……はあ……はぁ……あぁ……ぁ」
世界が廻る、息が荒くなる。荒々しいまでの魔力の奔流が、どんどんどんどん高まっていく。
――……遠坂。
涙が零れる。痛くて辛くて暖かくて熱くて優しくて猛々しくて、そんな士郎が脈うって流れ込んでくる。時折流れ込む士郎の囁きが、甘くて愛おしくて、それが益々わたしを高める。
「は!……くっ……」
来る。どんどん来る。やだ、こんな……、こんなの知らない。あ、あ……
「っ!―――――っ!」
極まった。脊椎に集まった施術が、頭の先から突き抜けて両手に内に収束していく。
「はぁ……はぁ……士郎……」
目じりに溜まった涙を通し、開けた視線のその先にあるのは、両手でしっかりと掴んだ漆黒の弓と聖遺物を鏃とした一本の矢。
「……はぁ」
いってしまった後の軽い疼き実感しながら、わたしは、士郎が放った魔力の残滓に一瞬だけ身を委ねた。
「……うう、けだものぉ……もう二度とこんなのしないんだから……」
まったく、人生で二度もこんな思いするとは思わなかった。うう、昨日パスを通しなおしてなけりゃ、どんな事になっていたか……
どこか見覚えのある弓をしっかりと掴みなおし、目じりの涙を払いつつ、わたしは小さく溜息をついた。
でも、有難う。士郎。
それでも感謝は忘れない。
わたしは弓に矢を番える。後はこれを引いて矢を射るだけだ。
弓を引いて……
弓を引いて?
…………
……
どうやって?
「……ああああああああああ!!」
思わず口から情けない悲鳴が漏れる。矢を射る? でも、わたし弓なんか引いたことない!
馬鹿、なんて馬鹿。ここに一番で大ぽかかましてしまった。弓と矢があったって、射手が居なけりゃ何にもならないじゃないの!
どんなに良い弓と矢があったって、心得の全く無い素人のわたしじゃ猫に小判、豚に真珠、士郎に固有結界だ。
「Υυι! χυοκατο!!!」
―― 閃!――
そんな中でも時間はどんどん過ぎていく。魔神とセイバーの戦いも、一向に衰える兆しが見えない。流石は英霊、まるで固体のように絡み付き燃え上がるこの熱気の中でも、魔神と互角に切りあっている。
切りかかる剣を弾き、返す剣で胴を薙ぐ。横薙ぎに跳ねる鞭から飛び退り、根元から切り落とす。
が、それでも魔神は躊躇しない。青銅製の身体は皹だらけ裂け目だらけになっていても、中身の第六架空要素は溶岩のように燃え上がり、粘つき絡み、その巨躯を維持し続ける。
泥を切っているようなものだ。こそぎ落す事は出来ても、致命傷を与えることは出来ない。
「Τατακιλιιーー!!!」
「凛、急いでください。限界が近い」
セイバーの速度も力もいまだ落ちてはいない。だが、それも魔力の続く限りだ。ここあまりに過負荷が高すぎる。
周りの温度の上昇に比例して、わたしとセイバーの魔力も湯水の如く蕩尽されていく。まずいなあの娘、肩で息をしだしてる。
わたしは弓を見つめなおす。道具はあるんだ、わたしが何とかしなくちゃいけない。しっかりしろ! 遠坂凛。
わたしは記憶に糸を伸ばす。思い出せ、わたしはこいつを士郎が使っているところを見たじゃないか。
…………
やってやろうじゃないの……
息を整え、わたしは記憶を頼りに見よう見まねで矢を番える。
まずは“足踏み”的に向かって足場を整える。
それから“胴作り”腰をすえて上体を正す。
そして“弓構え”矢を番えこれで準備完了だ。
あ、なんだ。わたし上手いじゃない。うん、ここまではわたしがやってる中国武術なんかとも基本は一緒だ。よし、この勢いでと、弓を引く。
弓を下から持ち上げ“打越し”そのまま左右均等に“引分け”る。
よしよし、良いぞさて狙いだ。
うっ……
“会”の部分でわたしの射術ははたと止まってしまった。
動きまわる魔神に照準が合わせられない、更に熱気で大気は水中でもあるかのように歪んでいる。際限なく流れ込む汗が目に沁み、益々視界は悪くなる。
止まれと心で叫んでみても、動く的が止まってくれるはずも無い。汗を拭こうにも、今更引き絞った弓を戻せるわけも無い。次にもう一度引き絞る、自信もなければ時間も無い。
見よう見まねで出来たのもここまで、腕も痺れてくる、心も揺れる。条件は最悪、矢は一発、射るのは素人。これで当たれば奇跡だ。
それでもわたしは諦めるつもりなんか毛頭無い。必死で狙いを定め、当てる為の努力を止めたりしない。だが……
――当てる為に射るんじゃない、当たるから射るんだ。
熱気と集中でぼうっとなった頭に誰かの声が響いた。弓を引き絞り震える両手に、そっとそれでいてしっかりとした腕が添えられた。
え?
ふらつく足元は後ろから支えられ、がっしりとした胸板がわたしの背中に添えられる。気がつくと、ちょうど包み込まれるように、わたしの射術は誰かによって支えられていた。
力が伝わってくる。今まで震えていた矢先も、まるで士郎の射のようにピタリと定まり一瞬も揺らがない。とくとくと心臓の鼓動にあわせて心に映像が流れ込んでくる。セイバーの脇をすり抜け、魔神の胸に吸い込まれる一本の矢。
――今。
わたしは無意識のうちに矢を放っていた。
“離れ”当てる為に離したわけではない。当たるから離したんだ。
心の中で、一つの呪が唱和される。
――Ich
―― 当!――
「Υαλαρυταοοーー!!!」
当然の如く矢は当たった。聖遺物の白い光が、第六架空要素の赤い闇を切り開き、内から飲み込み弾き飛ばす。
「凛!」
あ、やば。
爆発の余波がわたしの魔法陣の壁を砕いた。矢を通す為、ほんの少し開けた隙間が仇になったのだ。セイバーが慌ててこちらに駆け寄ってくる。
でも、大丈夫。わたしは守られている。
黒い鎧と赤い上着、真っ赤な燃えるような髪をしたその人影が、わたしをそっと抱きかかえてくれた。それがわたしが目を閉じる直前に見た光景。多分これは幻覚。
でも、わたしはそれを見て安心した。大丈夫、わたしは大丈夫。大丈夫ついでにちょっと寝かせて……。わたしはそのまま意識を失った。
「…………あ〜」
目を覚ましたのは病室。なんか全身にべたべたの軟膏を塗りたくられて、包帯で包まれていた。これじゃミイラだ。うう、女の子なんだから跡は残らないでほしいなあ。
「凛! 気がついたのですね」
枕元に居たのはセイバー。士郎は外でヤキモキしているらしい。それを聞いてちょっと安心した。なにせ今のわたしはミイラ女だ。わたしだって女の子なんだから、やっぱり好きな男の子にこんな姿は見せたくない。
どうやら、最後の熱気で全身軽いやけどを負ってしまったらしい。あいつめ、どうせ守ってくれるなら最後まで責任持てって言うんだ。ま、責任は取ってもらうから良いけどね。
「あっと、あの後どうなったの?」
わたしは記憶を手繰りながら、事後の事を聞いてみた。セイバーも士郎も無事って事は、万事解決したってことだろうけど。
結局、第六架空要素は聖遺物との対消滅で霧散したらしい。ただしバックファイヤは甚大。地下は壊滅、上の館も半壊したという。
さいわい上では事態を素早く察知し、全員の魔力をこぞっての防護陣を敷いていた為、怪我人は出なかったらしい。
で、地下の降霊学科連中は全員瀕死の重態。流石に魔術師、死にはしなかったらしいが、最後の余波で魔法陣を崩壊させられ、熱気だけでなく物理的な衝撃で吹き飛ばされたのだそうだ。
ちなみに『真鍮
「それでは凛、士郎に来てもらいますか?」
セイバーがほっとした様に聞いてくれた。あ、それちょっと待って。
「ごめんセイバー。包帯取れるまで待たせておいて」
「――ああ。ですが、寂しくないのですか?」
セイバーは納得したように頷いて微笑んだ。う、ストレートなお言葉。
「そりゃね、でも我慢できるわ。士郎にも我慢させておいて」
「判りました、明日には取れるとのことですので、明日また参ります」
ああ、魔術は偉大だ、それならわたしも我慢できる。本当は今すぐにでも会いたいんだけどね。女の子には女の子の矜持ってものがある。やっぱり綺麗な姿を見られたい。
「なんでさ? 何で今日は駄目なのさ!?」
扉の向こうで文句を喚き散らす士郎を連れて、セイバーは帰っていった。
さて、それじゃ準備しますか。
「入るぞ」
「士郎? どうぞ」
結局、俺が遠坂に面会できたのは次の日の夕方だった。包帯が取れるのが朝だと聞いて、朝一に面会に行こうとしたんが、“女の子には色々あるの!”とこの時間まで延ばされたのだ。遠坂、男の子にだって色々あるんだぞ。
「いらっしゃい、士郎」
「…………」
遠坂は、寝巻きの上からカーデガンを羽織り、ベットの上で半身を起こして俺を待っていてくれた。髪は入院中とは思えないほどきちんと整えられ、どうやら薄化粧までしているようだ。
言葉が出なかった。病院という雰囲気もあいまってか、健康的というわけにはいかなかったが、綺麗で、そのまま抱きしめてしまいたくなるほ可憐だった。
「なにぼっとしてるの? 座ったら」
て、いうのに遠坂はいつもの調子だ。ベッドの端をぽんぽんと叩いて、ここに座れと促している。……ちょっと待て、何で椅子じゃなくベッド?
「そんなとこ座れるか」
俺は些か赤くなりながらベッドの脇の椅子に腰をかけた。
「士郎の方も大変だったみたいね」
遠坂は嬉しそうに微笑みながら、そっと俺の手に掌を重ねてきた。そのまま手を握ってやると、えへへと嬉しそうに握り返してくる。
「そうでもないぞ、怪我人は出なかったしな。下の方が大事だろ?」
「いいのよ、あんな連中。良い薬だわ」
遠坂は憮然として表情で応える。下は無傷のカーティスと軽傷の遠坂以外、死人こそ出なかったがみな重傷だと聞いている。なにかあったのだろうか?
「そんなことより、士郎。はい、これ」
そんなことを考えていたら、遠坂はベットの脇から、大きな包みを取り出した。
でかい。長さで一メートル半はあるだろうか? 厚さは無いが幅も五十センチ近くある。
「なにさ? これ」
「プレゼント。日頃のお礼ってとこかな」
「俺に?」
「……ここにわたしとあんた以外居る?」
ご尤も。むぅ――っと膨れる遠坂に、ごめんごめんと謝りながら、俺はその包みを開けた。
「うわぁ、これって……」
俺は言葉を失った。
「そ、士郎が欲しがってた弓よ」
それは“アーチャーの弓”だった。勿論そのものではない、正確には“アーチャーの持っていたものにそっくりな弓”だろう。先日、ミーナさんのところで試射をしたあの弓だ。ん、いや違うな。新作かな?
「ごめん、あれじゃないの」
俺の表情に気がついたのだろう。遠坂は、ほんの少し済まなそうな視線で俺に謝ってきた。
「本当はね、それに聖遺物が入るの。聖遺物は手に入れたんだけど、昨日のあれで使っちゃったんだ。対悪魔なんてあれくらいしか持って無くて。ちゃんとした物を上げたかったんだけど、ごめんね、いつかきっと聖遺物見つけてくるから。ちょっとだけ待っててね」
可愛らしく苦笑いしながら、重ねてごめんと謝ってくる。馬鹿だなぁ。
「そんなことは無い。遠坂からの贈り物だ、すごく嬉しい」
俺はつないだ手に力を込めて、遠坂の目を見詰めた。
「なにより遠坂が無事で嬉しい。俺にとって一番の宝物は、遠坂。お前なんだからな」
窓から差し込む夕日のように真っ赤になって、遠坂は目を見開いて俺を見詰め返す。ああ、もう我慢できない。俺はそのまま遠坂を抱き寄せた。
「そっか、士郎だったんだ。うん、間違いない」
しばらく抱き合ったあと、遠坂が何かとても嬉しそうにそう呟いた。
「なにさ、それ?」
「士郎はわかんなくて良いの。あんたわたしのヴァージン二度も奪ったんだからね。責任取ってれば良いの」
「な! なんだよ、それって!?」
俺が慌てて聞きなおそうとしても、遠坂は笑って俺の胸に顔を埋めるだけで何も応えてくれない。まあ、いいか。それに付いてはとうの昔に決めていた。
けたけた笑う遠坂を、俺もしっかり抱きしめて、俺たちは夕日の中で一つになった。
「…………けだもの」
「ひ、人のことが言えるのかよ!」
END
凛様、ロストセカンドヴァージンの話。テーマは「けだもの」
真鍮君はやっぱり真鍮君な話でもあります。セイバーの胸で良い夢見れたろうけど。
射手としての士郎。それを書きたいと思って考えた話です。といってもストレートだと面白くない。
捻って裏返して突き刺した上でこんがり焼いてこうなりました。
『スナーク狩り』はコメディでもやりたかったなと思っています。
By dain
2004/5/26初稿