「あら、あら、フェイ。ここに居たのね」

――え?

フェイを胸に、さてと立ち上がったところで、此処へ来てはじめて聞く俺以外の人の声。それも鈴を転がすように澄んだ、憂いのある女性の声だ。俺はフェイを抱き上げたまま、慌てて回りを見渡した。

「はじめまして、貴方がフェイを助けてくださったのね」

先ほどまで、俺が居た森の入り口にその人影は立っていた。しっとりと黒くウェーブした長い髪、透けるような白い肌。薄絹を一枚巻きつけたような服はゆったりとして居ながら、その見事な体のラインを隠してはいない。銀の鳥籠を手に、森の動物たちを引き連れたその女性は、この湖のように青い瞳で俺ににっこりと笑いかけてきた。

「あ、あの……」

まるで妖精だ、いや、本当に妖精なのだろう。きっとこの人が“湖の乙女”。知らないはずなのに知っているような気がするその瞳に、俺は一瞬のうちに飲まれていた。

「私はグィン。この湖を治めるものです。貴方は?」

「あ、その、衛宮士郎といいます」

フェイ嬢同様、優雅に腰をかがめ挨拶するグィン嬢に、俺は反射的に返礼してしまう。

「士郎殿ですね。フェイをお助けくださり有難うございます。いたずら者なのですぐ籠を抜けて遊びに行ってしまうのです」

グィン嬢は胸に手を当て、ほっとした様な口調で笑いかけてくる。ああ、そういうことか、良かったなフェイ。

「……どうしたんだ?」

が、腕の中のフェイは微動だにしない。何か思い定めたようにグィン嬢を見据え、じっと身を硬くしている。

「逃げ出したからって、お仕置きなんかしませんよ。さ、還ってらっしゃい。ル・フェイ」

グィン嬢はそんなフェイを微笑ましげに見詰めながら、手に持った鳥篭の扉を開け、差し出してきた。

「あ、でもこいつ怪我してるし」

なんかちょっと、このまま狭い鳥篭に入れるのが可哀相になってきた。だから、俺が抱いて連れて行こうと言おうとした。

「あら、あら、士郎殿も女性にはお優しいのですね」

と、その前にグィン嬢の言葉にさえぎられた。微笑んでいるのだが、一瞬、微妙な険を感じた。が、それも一瞬のこと、グィン嬢はすぐにもとの穏やかなグィン嬢に戻っている。

「ではフェイに決めてもらいましょう。どうしますか?   ・ル・フェイ」

――……Kuw

微笑むグィン嬢と心配げな俺の顔を、交互に見ていたフェイだが、最後はあきらめたように一声鳴くと、自ら籠に入って行こうとする。

「あ、やっぱり俺が抱いていくよ」

だが、俺はそれを遮った。ここで行かせてはならない。俺の心のどこかで警鐘が鳴ったのだ。何故かわからないが、フェイをここで進ませるのが何か致命的な間違いのような気がしたのだ。それに、

「こいつを助けた以上、最後まで責任を取りたいんだ。任せてもらえないかな? グィンさん」

驚いたように顔を上げるフェイを腕に、俺はグィン嬢に告げた。

「仕方ありませんね」

困ったような顔で、俺とフェイを見詰めるグィン嬢。

ゾクリ

「――え?」

一瞬、何かえも言われる悪寒が走った。何か一瞬だけ世界のネガとポジが入れ替わったような、そんな感触だ。

「士郎殿が、そう言われるのならば。それにその言葉からすると、わたくし共のおしろに来て頂けるのですね?」

だがふと、我に返ると、グィン嬢は何事も無かったように言葉を続けている。穏やかで柔らかな笑みのまま、俺のことを自分の所へ招いてくれるようだ。
妖精の宮への招待か、なんかちょっとやばい様な気がするけど、ここまで来ては後へ引けない。

「はい、じゃよろしくお願いします」

俺はフェイを胸に抱き、そのままグィン嬢の宮へ招待されることにした。





おうさまのけん
「剣の王」 −King Aruthoria− 第五話 後編
Saber





グィン嬢に連れられてきたところは、本当に妖精の宮だった。
たぶん島の中央にあるのだろう。湖からも、あの森からも見えなかったが、ここは一種の楽園だった。
すべての季節の花が咲き乱れる庭を抜け、小鳥のさえずりに先導された先には、それぞれ特徴のある三つの白亜の宮殿が聳えていた。

「どうそ、こちらの女王の宮へ」

俺はその中で、一番きらびやかな宮殿に導かれた。穏やかな日差しを浴び、肉食獣と草食獣が仲良く群れ集っているその宮殿は、獅子こそ居ないものの豹や虎まで顔を覗かせている。

「あ、グィンさん。あっちの塔みたいなのは、なんなのかな?」

なんだか、足が地に着かない感じのまま導かれていた俺は、ちょっとした好奇心で、他の宮殿についても聞いてみた。

「今は居りませんが、姉が住まっていた魔術師の塔です」

あ、確かに。白亜の建物だが、形は童話でよく見る魔術師の塔そのものだ。

「じゃあ、あっちのお城みたいなのは?」

「こちらも、今は居りませんが、妹が住まっていた騎士の城です」

なるほど、高い城壁と物々しい列塔、いかにも騎士の城だ。妹って言ってたけど、ランスもきっとあそこで育ったんだろうな。

「そんなことより士郎殿。宴の用意も整っています。さぁ早く」

グィンさんはそのまま俺の手を引いて、女王の宮殿の更に奥へと導こうとした。

「宴? そんなことして貰う理由なんか無いぞ」

「あら、わたくしの大事なフェイを連れ戻してくれたのでしょう?」

グィン嬢は、俺に無邪気な笑顔で笑いかけながら更に続ける。

「それにお客様なんて、本当に久しぶり。折角ですからわたくしも楽しみたいわ。士郎殿はお嫌?」

むぅ、そう言われると断りきれない。ただ、あんまり期待されても困るんだよな。




宴は豪華なものだった。
ランスのやつは「流れる蜜」とか言ってたが、それだけじゃない。それこそ世界中の果物に、ありとあらゆる肉や魚が並んでいた。
ただ、ちょっと料理法には文句が言いたい。どれもこれも、ただ塩を振りかけて焼いただけ。これだけの材料を俺に任せてくれれば、もっと美味い料理が並べられるんだが、なんて思ってしまう。なんか、料理人根性が染み付いてしまってるな。
とはいえ、そういうわけにもいかない。第一、俺はこの食事を食べるわけにはいかないのだ。

「どうしたのです? 少しも食が進んでいないようですが?」

グィンさんの不審そうな声。やっぱり聞かれたか。

「あっと、その……」

一瞬躊躇したが、俺は正直に話すことにした。折角、用意してもらって悪いんだけど

「俺はすぐ帰るつもりだから」

だから食べれない、飲めない。異界へ行った者の第一の注意事項だ。異界で異界の物を食べると言うことは、自分が異界の者に為るということなのだ。

「あら? なにも食べたからといって、必ずしも帰れなくなるわけではありませんわ」

グィン嬢は微笑んだまま、やさしく諭すように応えてくれる。確かに、異界の者に為ったら、絶対に帰れないわけじゃない。だが、それでも、

「時間がずれちゃうだろ? それはもう俺の世界じゃない。俺は向こうで待っている人達のもとに帰りたいんだ」

どんなに善くされても、これだけは譲れない。俺は俺の世界で、俺の周りの人たちと生きていかなきゃならない。もし、俺がこんな世界に住めるとしたら、それはすべてが終わった後の事だろう。

「ああ、」

グィンさんも納得してくれたようだ。うんうん頷いてにっこり笑いかけてくれた。

「良い人が居るのですね?」

はい?

「あ、いや、そりゃ居ないことも無いって言うか、確かに居るけど」

なんかいきなり遠坂の顔が頭に浮かんだ。あんたまた浮気してるんじゃないでしょうね、とジロリと睨んでくる。おいおい、想像の中で位もっと良い顔見せてくれよ。第一“また”ってなんだよ。
そのうち溜息をついているセイバーや、あらあらシロウ、わたくしに操立てしてくれていますのね、なんて言いながらルヴィア嬢まで現れた。ルヴィア嬢なんかは、そのまま遠坂と俺の間に割って入って、穏やかに睨み合われてますよ。うわぁ、だから喧嘩はよせって。
ついには、そんな侃々諤々の騒動から、一歩離れてミーナさんまで顔を出し、俺に手を振ってくれたりしだすもんで、ますますわけが分からなくなってきた。

「やっぱり、それでは無理強いは出来ませんわね」

ぼんやりと、頭の中の大騒動を収めようとしていた俺に、グィン嬢が苦笑しながら言ってくれた。や、そう言ってもらえると助かります。

「でも、俺の為にこんな立派な宴会を用意してくれたことには感謝してます。有難う」

だからこそ、きちんと感謝しておく。一番の御馳走っていうのはやっぱり気持ちなんだから。

「ええ。では、またいずれ」

ゾクリ

まただ、また一瞬世界が反転した。グィン嬢の言葉、何故かその後に「必ず」と付け加えられたような気がした。穏やかに優しく微笑むグィン嬢は、そんなこと一言も言っていないはずなのに。




「やっぱり、ここは妖精郷なんだな。綺麗さっぱり治ってる」

宴のあと通された客間。宮殿の数ある塔のうちで、一番豪華な塔の最上階にある寝室で、俺はフェイの傷を見ていた。傷は綺麗さっぱり治って、抜けていた羽さえ生え揃っている。これなら明日にはグィン嬢へ返せるだろう。

――Kow

包帯が取れてすっきりしたのだろう。フェイもやれやれといった風情で羽繕いを始めた。

「フェイも、ランスみたいに喋れたら良いんだけどなぁ」

俺は珍しくも愚痴を言ってしまった。ランスが去った後、すぐさまフェイやグィン嬢に会ったので忘れていたが、俺はこの異界にただ一人流された漂流者なのだ。
今までは何かと忙しかったので平気だったが、こうして静かに一人になると、流石に少しばかり心細い。

「ランスとのラインが途切れてるんだが、これってあいつが向こうに帰れたって事なのかな?」

だから、こうして返事の無いフェイの前で、独言めいたことを喋ってしまう。もし、これが俺の夢想でなかったのなら、あいつは必ず遠坂やセイバーと一緒になにか算段を立てて、こちらに来てくれるだろう。
だとすれば、俺が今やらなきゃいけないことは、出来る限り体力を温存して、ランスが帰ってきた時に備えることだ。うん、そうだな。
俺は、ボートから持ってきた水と食料を慎重に計りながら食事を取り、眠りに付くことにした。天蓋付きの豪華なベッド。流石に食事と違って睡眠なら引っ張られることは無いだろう。
気づかないうちによほど疲れていたのだろうか、俺は横になると瞬く間に眠りの中に引き込まれた。




「……シロウ……」

甘やかな声が聞こえる。

「……シロウ……」

声だけじゃない、蜜のように甘い香りが鼻腔を擽り、さわさわとした絹のような滑らかな感触が肌を伝う。すごくリアルだ。でも現実じゃない。

「……シロウ……」

だって

「……シロウ……」

目の前で、潤んだ瞳で俺を見詰め、瑞々しい果実のような唇から、俺の名前を紡ぎ出しているのは、

「……シロウ……」

セイバーだって言うんだから。




「……ああ、」

そう、これは夢。絶対に現実じゃない。
少年のようでありながら、それでもなお少女のやわらかさを主張している身体は、ただ薄絹一枚を羽織っているだけ。俺の上で甘い吐息を振りまくセイバーからは、その一枚の薄絹さえ感じさせないほどの肌触りが伝わってくる。
が、俺の身体は動かない。勘弁してくれってほど反応はしているんだが、小指一本自由にならない。
だが、それで良かったのかもしれない。もし身体が動けば、俺は間違いなくこのセイバーを抱きしめていたろう。

倫敦に来て以来、セイバーはすっかりお姉さんになってしまったので忘れていたが、セイバーはとても魅力的な女の子だった。
月の光を編みこんだような髪、透ける様な白磁の肌、気品と優雅さを兼ね備えた聖翠の瞳。
考えてみれば、あの暗い蔵の中で始めて出会った時から、俺はセイバーに魅了されていたのかもしれない。
凛とした気品に隠されがちだが、少女としての優しさも嫋さもある一人の女性。
それを今、俺は目の前に突きつけられていた。

「逞しいのですね、シロウ」

うっとりとした瞳で、セイバーは甘く呟く。ああ、くそ、なんだってこんな事を忘れていたんだ?
俺は動けないことが、ますますもどかしくなっていくのを感じた。抱きたい、抱きしめたい。今ここでセイバーを……

「もう、我慢することは無いのですよ、シロウ」

セイバーがくすりと微笑むと、いきなり体が自由を取り戻した。途端、俺はセイバーを抱きしめた。その細い体が折れるほど強く、激しく抱きしめていた。

「セイバー……」

一瞬ぴくりと震えたが、セイバーはそのまま力を抜いて俺に抱きしめられてくれた。

「さあ、シロウ。愛してください。奪ってください。私を手に入れてください」

愛とは奪うこと、愛とは手に入れること、愛とは握り締めて離さないこと。セイバーの言葉が俺の理性を奪っていく。俺の腕の中でゆっくりと開かれるセイバーの身体が、ますます俺の欲望を助長する。

奪いつくせ、貪り尽くせ。愛があるならこの聖なる身体を手に入れて見せろ。何かが俺の意識に染み込んでくる。空っぽの俺の中が目の前のセイバーに、熟れた金色に被いつくされていく……

「……士郎」

セイバーを貪ろうとした瞬間、熟れた金色に俺の中身が覆い尽くされる直前。赤い光が俺の中で弾けた。

「……シロウ」

真紅が聖蒼を引き連れ、熟れた金色を押し流す。

「……シロウ、愛してくれないのですか?」

ぴくりとも動かなくなった俺に、腕の中のセイバーの蕩ける様な声が、囁き掛けられる。甘い声だ、耳孔を擽り、心の全てを持っていかれそうなほど魅惑的な声だ。だが、

「違うよセイバー」

俺はセイバーに語りかけた。心の中の、腕の中のセイバーに同時に語りかけた。

「それだけが愛じゃない」

俺は間違いなくセイバーに愛情を持っている。これは断言できる。だが、それはセイバーを自分の物にしたいわけじゃない。
聖杯戦争の時の凛々しく強く、それでいてどこか思い詰めた危うさを持っていたセイバー。俺はそんなセイバーに伝えたかったんだ。務めではなく望みという物がある事を、どんな厳しい定めを背負っていたとしても、愛されて良いんだって事を。
遠坂やルヴィア嬢と一緒に楽しげに語らうセイバー、シュフランさんのケーキを美味しそうにぱくつくセイバー、シュトラウスの職人達と厳しくも晴れがましく仕事をするセイバー。そして、ランスと膨れながらも嬉しそうに思い出話をするセイバー。
俺はセイバーにそんな生活を知って貰いたかった。セイバーは愛されてしかるべき存在だと知って貰いたかった。
それが、それこそが、俺たちのセイバーへの思いだ。そうだろ、遠坂。

俺は、腕の中で身を硬くしていた黒髪のセイバーを、渾身の力を込めて引き剥がした。

「ハァハァハアァ……」

まるで目が覚めたような世界の反転。息が荒い、先ほどまでの夢幻の甘やかさとは段違いだ。まるでこの夢幻の間中、何かと死力を尽くして戦っていたかのようだ。

「うわぁ!」

我に返り、更に部屋を見渡して驚いた。いつの間にか部屋は鹿に狼、熊に猪と宮殿中の獣に囲まれていたのだ。

「いったい!」

慌てて目の前のセイバーに視線を移す。儚げなその姿、セイバーは前髪で顔を隠すように俯いている。

「……」

そのまま、無言で肩を震わせているセイバー。……え? ちょっと待て? 何でセイバーが黒髪なんだ?

「……クククク……ふふふふ……ハハハハ」

そのままゆらりと立ち上がり、ベッドから降りたセイバーに俺はぞっとした。いや違う、セイバーじゃない。あのウェーブした黒髪、女性そのものといった身体のライン。あれは……

「なんて楽しいの。わたくし、初めてあの娘にこちらから会いたくなったわ」

「……グィンさん?」

胸をそらし、冷ややかな嘲笑を浮かべて立っているのは。間違いなくグィン嬢だった。
だが、昼間の穏やかさや優しさは欠片も無い。傲慢なほどに人を見下した視線で、下卑るほど唇を歪めた笑みは、精霊の女王ではなく邪悪な魔女そのものだった。
俺の背中に冷や汗が流れる。それでも、グィン嬢が身に纏う空気は巨大な精霊のもの。紛れもなくこの邪悪な魔女こそが“湖の乙女”なのだ。

「本当に笑ってしまうわ。何のことは無い、あの娘ったら自分の物を寝取られたのね」

傲慢な笑みを貼り付けたまま、グィン嬢は、さも楽しいことのように笑い声をあげる。

「何を言っているんだ!」

グィンの言う“あの娘”というのがセイバーらしいことには気が付いた。しかしそれ以外はさっぱり分からない。じりじりと下がりながらも、俺は叩き付ける様に言い放った。

「ああ、まだ気が付いていないの? 魔術師の癖にさえないのね」

一瞬おびえを忘れた。なんかすごく頭に来る物言いだ。

「はじめまして。わたくしはグィネヴィア・ペンドラゴン。貴方がセイバーって呼んでいる娘の姉にして妻、そして……」

あざけるように顔を上げると、周りの獣達はまるで主に仕える騎士のように一斉に跪いた。

「ブリトンの女王」

途端、獣が姿を変える。毛皮は鋼の鎧に、爪は冷たい剣に、次々と獣は黒い騎士へと姿を還る。

「な! なんだ!?」

俺は慌ててベッドから跳ね降り、壁際に身を躍らせた。十や二十じゃない、部屋いっぱいの騎士がグィンの周りで傅いている。

「あの娘の物のままだったなら、奪ってやろうと思っていたけど、そうじゃなきゃ興味は無いわ。殺して、そう……中のものを返してもらいましょう。あれは元々ここの物なのだから」

もはや興味は無いとばかりに、グィンは軽く手を振った。一斉に剣を抜き俺に向かう騎士達。何を言っているか良く分からないが、ここで殺されるわけにはいかない。俺は剣を投影……

…………

だああぁ! 出来ないんだった! 慌ててベッド際の弓を引っつかんだが、これで如何にかできるわけじゃない。くそっ、どうすれば……

――剣を……

ふと、頭に誰かの思考が滑り込んできた。ランスのような厳しい声。だが艶がある。女性?

――堕ちたとはいえ、彼らも円卓の騎士……

更に言葉が流し込まれてくる。円卓の騎士? こいつらが? ああ、そうか……。思い出した。最後の戦い、円卓の騎士は割れ、敵と味方に別れて戦ったんだっけ。
俺は目の前に迫る騎士たちに視線を向ける。屈強で力に溢れていながらも、恥じるように面覆を下ろし顔を隠す騎士。そうか、こいつらはまだ……、ならば。

「――投影開始トレース・オン

俺は“投影”した。俺の本義、俺の本当の“投影”。俺は俺の中へ手を伸ばす。勿論、今はそこに無数の剣は無い。あるのはたった三本の剣。その中でも、今、俺が現せられるのはただ一本だけ。

だが、今、必要なのはまさしくその一本のはず。

選定の剣カリバーン

セイバー、今はこいつを借りるぞ。思い出させてやろう。こいつらに黄金の日々を。セイバーの下、疾駆したあの日のことを。


――waiting for one's arrivalただ一人の 担い手を 待つ).


震えるほどのキックバックとともに、俺は呪を編みこむ。己の中に手を伸ばし、掴み取った手の中には、輝くばかりの金と蒼の聖剣。

「何故! 裏切ったくせに何故それを使えるの!」

俺の手の中で輝きを増す聖剣を睨み付けるように、グィンの叫びがこだまする。ああ、まだ分かって無いんだな。貴女には理解できないのだろうが、俺はセイバーを裏切ったりしてやしない。俺のセイバーへの思いは間違いなく本物だ。

俺は輝く聖剣を掲げる。振るう必要は無い。騎士たちは光に飲まれ動けないで居る。ああ、そうだ思い出すんだ。あの日のことを。この剣を手に、輝くばかりの視線で未来を見詰めていたお前達の主のことを。
お前達は自分の為だけに従ったのか? 違うだろ。あの面差しの未来を、あの輝きの向かう先を、共に見たいと思ったんじゃないのか?

「ふざけないで! 自らの意思で裏切ったくせに! 何をいまさら忠義面する」

そんな騎士達にグィンの叱責が飛ぶ。嘲る様に蟲惑するように言葉を続ける。

「肉に溺れ、聖を汚したお前達が今更還れるの? さあ、お立ち、お前達はその剣に従う資格などもう無いんだから!」

くそっ、もう少しだったのに。
よろよろと剣を握りなおし、騎士達は再び俺に迫りだす。
対峙する俺も、改めて「選定の剣カリバーン」を握りなおした。剣から伝わってくる業の流れに身をゆだねながらも、セイバーと違い、俺ではこの剣を十全に扱えないことを実感した。この数が相手じゃ持たないな。覚めた心が事実を冷然と突きつけてきた。

――こちらへ!

と、またも俺の頭に、言葉が滑り込んできた。
いや、感触もある。首の後ろを引掻くような引っ張るような感じ。確か後ろには窓があったな。そう思う間もなく、俺は躊躇なく真後ろに飛んだ。さっきの忠告は確かだった。ならば疑う理由は無い。

「――へ?」

ギリギリで騎士の剣を避け、窓から飛び出した瞬間、俺はもう一つの事実に思い至った。確かこの部屋って塔の最上階じゃなかったっけ?

「うわぁ――――!」

落ちる俺の視線の先には、あら忘れてた、といった顔の鴉。それが意識を失う前、俺の目に最後に映った光景だった。

…………

……




「……士郎……」

甘やかな声が聞こえる。

「……士郎……」

声だけじゃない、蜜のように甘い香りが鼻腔を擽り、さわさわとした絹のような滑らかな感触が肌を伝う。すごくリアルだ。でも現実じゃない。

「……士郎……」

だって

「士郎……」

目の前で、見下すような視線で最高の笑みを浮かべ、更には青筋まで立てて俺を見据えているのは

「いい加減に起きなさい! 士郎!」

遠坂だって言うんだから。

「うわぁぁぁ!」

目が覚めた、はっきり覚めた、ばっちり覚めた。

「ハァハァハァ……」

うわぁリアルな夢だった。遠坂の最高の笑顔ってやっぱり迫力あるな。

――Krow

と、俺の頬を突いてる存在にようやく気が付いた。フェイだ、なんかさっきの遠坂と同じ様な表情で、いらつきながら突いてやがる。

「本当にお前って遠坂に似てるなぁ」

まさか俺の人生で二人も……いや三人目かもしれない。あんな女の子に会えるとは思ってもみなかったぞ。

――Kow?

とはいえ、俺の意識があるのを確認して、ほっとした様子も見て取れる。やっぱり遠坂に似てるな。どうやら身体は無事かと聞いているらしい。

「ああ、ちょっと打ったけど、何とか無事みたいだ。よく平気だったなあ」

俺は身体の状態を確認しながら、フェイに返答した。上を見上げると、塔の中腹くらいまで、高々と枝を茂らせた木々が林立している。多分、あの枝で速度を殺せたのだろう。運が良かったな。

――Kaw

そんな俺によしと一つ頷いて、フェイはどこかに引っ張っていこうとする。

「何処へ行くんだ? 逃げるんだろうけど、グィンはここの女王だろ?」

この世界の主から逃げ切れるんだろうか?

――Kraw

俺の疑問に、フェイは一声鳴くと視線で行き先を告げた。視線の先にはこの宮殿の別の建物、魔術師の塔と騎士の城。そういえば姉妹の在所だって言ってたな。居ないとも言っていたが、それでも、そこなら完全にグィンの領地って事ではないわけか。

「で、どっちに向かうんだ?」

しばらく小首をかしげていたフェイだが、結局、騎士の城を指し示した。ああ、そういえば“妹の城”って言ってたな。つまりセイバーの城ってわけか。

「分かった、行こう」

あの城だったらランスにも縁がある。グィンもこんな近場に隠れているとは思わないだろう。俺たちは白亜の城に向かって、こっそりと歩き出した。




美しい白亜の外見に相反し、城は寒々としていた。
明かりは松明。床も壁も剥き出しの石のみ、カーペットはおろか板張りのところさえ無い。

「えらく寂しいな」

グィンは、今は居ないといっていたが、今どころかここ何百年も人が住んでいなかったような空気だ。埃が溜まっているというわけではない。人が生きていた匂いが全くしないのだ。

「おい、いったい何処へ行くんだ?」

フェイは、そのまま城のホールを抜けて中庭に出ようとする。不満そうな顔をしていたからだろうか? 黙って付いてきなさいとばかりにじろりと睨み付けられた。ううむ、どうもこの手の女性には弱い。

「――え?」

導かれるままに出た中庭、ほのかな松明に照らされた真丸で寂しい広場。そこは墓場だった。
円形に林立する墓標、いや彫像か? 棺桶を立てたようなその墓標は、生きるが如くの騎士の彫像が刻まれている。そう、ちょうどベッドに横たわった騎士をそのまま立てたかのような、そんな形の墓標だった。

「そうか、ここは円卓なんだ……」

俺ははたと気が付いた。この中庭も円形、そして墓標の並びも円形、ならばこれは円卓の騎士の墓標。いや、いつの日にか再び王が目覚めた時、共に再び目覚める為に傅く騎士の寝所か。

となれば、ひときわ明るく松明に照らせれている中央には……
俺は騎士達の間を縫い、中央へと向かった。

「居ないか……」

中央の松明に照らされた大きな岩と小さな寝台。大の男が横たわるには、些か小さなその場所に人影は無かった。少しだけほっとした。こんな所で永の眠りに付くセイバーに会いたくなんかは無い。

――Kow

その時、寝台の枕もとの大石に止まっていたフェイが一声鳴いた。ちょっとこちらを見なさいといった感じだ。はて?

「……っ! これって」

大岩の傍らには一本の折れた剣が供えられていた。蒼い螺鈿と金の象嵌。見間違えるはずも無い。これはセイバーの失った剣。「選定の剣カリバーン」だ。

「じゃこの岩は……」

俺は改めて大岩を見直した。ああ、あった。大岩の真上、ちょうど剣の刃が納まりそうな薄い穴。そうか、こいつが選定の岩なのか。

「でも、何で居ないんだろう?」

伝説によれば、死後セイバーは湖の乙女に連れられて常世の国で眠りについているはず、現にここには寝台もある。セイバーに付き従う騎士たちだって居る。
何でだろう、といった顔をしていたら、フェイに当たり前じゃないと言う顔で返された。当たり前? あ、そういうことか。今、セイバーはこっちに居るんだもんな、きっとここは“一つ”しかないんだ。
なんとは無しだが理解は出来た。ただ、

「ここはちょっと寂しすぎるな」

セイバーが眠りに着く場所であるなら、もっと明るい場所であってほしい、花で飾ってもいいし、第一あの騎士たちの仏頂面は無いだろう。

「まったく、お前ら王様だからって頼りすぎだぞ、女の子なんだから、ちっとは大切にしろよ」

愚痴とわかっていても、一つ説教したくなる。

――Kow

フェイのやつも確かにそうかもねと一声鳴く。なんとなく騎士達が、申し訳なさそうな顔に見えるのは光線の加減だろうか。
こいつらに比べたら、まだランスのほうがましかも知れない。苦労かけてたみたいだけど。

――とはいえ、お前だって人のことが言えるわけじゃないんだぞ、ランス。

俺は虚空に視線を向け意識を飛ばす。うっすらと、それこそ蜘蛛の糸のように見えるか見えないか、触れられるか触れられないかの感触であるが、それでもしっかりとした感触。

――Cow

俺の気持ちに呼応するように、どこかで鴉の鳴く声も聞こえる。よし、繋がった。
どうやら、あちらも大騒ぎだったらしい。遠坂もセイバーも顔色を変えて奔走したらしい。え、遠坂が? そうか、悪いことしたな。
よし、段取りはわかった。今度はこのライン切らすなよ。

「これでお別れだな、世話になった。なんだかちょっと寂しいけどな」

俺は、興味深そうにこちらを見ていたフェイに話しかけた。手は打った。後は連絡を待つばかり。

「本当、これでお別れね」

一瞬、フェイが応えたのかと思った。だが、違う、重い金属音の群れとともに、中庭にこだましたのはとても冷たい声音だった。参った、もう見つかっちゃったか。

中庭の入り口、そこで口の端を歪め、黒衣の騎士達を率い立っているのは黒髪の魔女。轟然と胸を聳やかしたグィンが冷笑を浮かべ俺たちを見据えていた。

「引いてくれと言っても、引いちゃくれないよな」

俺は一応聞いてみた。なんのかの言って、この人だってセイバーの姉さんだ。争いたくは無い。

「何を馬鹿な、ああ、そうね。わたくしの物になりなさい。どうせあの娘は振ったんでしょ? だったらわたくしだって良いじゃない。人の世の短い生よりも、よほど面白い暮らしが出来るわ」

顎を上げ、まるで何か素晴らしい物でも下賜するような口調でグィンは言う。ああ、やっぱりこの人はわかって無いんだな。

「言ったろ、俺は俺を待っている人たちの許へ帰るって。貴女と一緒にいられない」

例えそれがセイバーとでも、俺は此処には居られない。俺は俺の人生を俺の世界と共に過ごしてからでなきゃ、先には進めない。俺は確かに空っぽの男だが、それでも一部でだけじゃ生きられない。

「なら死になさい。もう「選定の剣カリバーン」を持ち出しても無駄。わたくしの騎士達は、その剣にささげた忠義を破り捨ててきた連中なんだから」

でも、それが本心からなのかはわからない。例え歪んではいても、こいつらだってセイバーを好きだったはずだ。だって、

「さっきのやり方で、破り捨てさせたんだろ?」

「殺しなさい!」

グィンの金切り声が、俺の応えの正しさを証明してくれた。その声に促され剣を抜き迫ってくる破約の騎士達。俺は折れた剣を引っつかみ、やって来るものを待ち構える。


「――――剣鍛開始トレース・オン


――I am the bone of my sword体は 剣で 出来ている).

俺の手の中の剣が光を放ち始める。

――Steel is my body血潮は 鉄で),and fire is my blood心は 硝子.

何のことは無い、こいつらだって待ってるんだ。

――I have created over a thousand blades幾たびの 戦場を越えて 不敗.

だったら、もう一度誓わせてやる。セイバーが王様だって教えてやる。

――Unaware of lossただ一度の 敗走もなく

二十七の鉄槌が二十七の鍛床に打ち付けられる。

――Nor aware of gainただ一度の 勝利もなし).

今俺の手にあるのは本物の「選定の剣」

――Withstood pain to create many weapons無限なる剣製の 果て).

さあ、もう一度やり直しだ。

――waiting for one's arrivalただ一人の 担い手を 待つ

来い! セイバー! お前の剣が待って居るぞ。


俺の手にあった折れた王剣は、今まさに新たに鍛えなおされた。
だがそれはもう「選定の剣」じゃない。
俺が人の思いを込めて鍛えなおした。こいつは、新たな誓いを受け取るための剣だ。

鍛え直されし王道の剣EX・カリバーン

金と蒼と紅に彩られて剣が、黄金の光とともに眼前の岩に再び突き立った。

今だ!

「ランス!」

俺は叫ぶ、ラインを通し向こうの世界にまで届くほどの声で。

黄金の輝きで動きの止まった騎士たちの背後で虹がかかる。七色の虹、異界への扉。俺とランスのラインを伝い、遠坂が打った七色の門万華鏡

「“――約束されたエ ク ス――”」

虹にアーチの向こうから澄んだ声が響く。門は作った。だから後は鍵を用意すればいい

「“――勝利の剣カ リ バ −――!”」

もっともこれじゃ力任せか。苦笑いする俺の前で、光の帯が圧倒的な力で門を破る。なおも突き進む光の帯、そいつはまるで、王道を形作るようにまっすぐ『鍛え直されし王道の剣EX・カリバーン』に伸びてくる。

刹那、世界が白熱する。砕けた光が辺りを覆い。破約の騎士達を釘付けにする。
輝く光で一瞬失われた視界が戻ったとき、そこに残されているのは、虹の門とそこから伸びる一本の白い道。
そして、その行き着く先は『鍛え直されし王道の剣EX・カリバーン

「……なんで……」

圧倒的な光の中、ひれ伏す破約の騎士達のなか、ただ一人屹立していたグィンが呟く。

「何でいつもそうなの! 何でいつもあの娘なの!」

歯を食いしばり、睨みつける視線のその先には、白き光の王道を、遠坂と共に堂々と歩むセイバーの姿。

「シロウ……」

そんなグィンや騎士達に目もくれず、セイバーはそのまま俺の前までやってきてくれた。

「なにやってるんだか」

えらく不機嫌そうな遠坂と一緒に、待て待て、まだ終わって無いんだから、そんな目で睨むなよ。

「話は後だ。セイバー、あいつらのことを頼む」

俺は一つ咳払いをすると、視線で平伏する破約の騎士達を指し示した。

「何故ですか? シロウ」

セイバーは俺が始めて聞くような厳しい声で応えると、それこそ、さっきのグィンに勝るとも劣らない冷徹な視線であいつらを睨め回した。
だからといって、いやだからこそ俺は言わなきゃならない。セイバーに諌言しなきゃならない。

「確かに、こいつらセイバーを裏切ったかも知れない。でもそれが全てじゃなかった筈だ。本当は、最後までセイバーと一緒に居たかったんだと思う」

そうじゃなきゃ、こうして跪いたりしない。打ち萎れ頭を垂れてセイバーを待っていたりしない。俺だって、遠坂が居なけりゃ……

「シロウは甘い」

ぴしゃりと、セイバーは冷徹な声のままで応える。うう、やっぱり。でもさ

「ですが、その甘さで私は幾度も救われた。シロウ、貴方の言を容れましょう」

セイバーはそういってやさしく笑ってくれた。その笑みに幾ばくかの厳しさを加え、そのまま『鍛え直されし王道の剣EX・カリバーン』の前に立つ。

「これより、私は再び王たる証を立てる」

凛とした声でセイバーは宣言する。剣の柄を優しく愛でる様に撫で、一転、力強く握り締めた。

―― 堂 ――

音にならないどよめきが騎士達の中から立ち上り、それに合わせるようにセイバーは握り締めた剣を引き抜いた。

「ここに私の王権は定められた。異議あるものは前に出よ!」

新たな誓い、新たな契約。騎士達は次々と立ち上がり剣を捧げ忠誠を誓う。誓うたびにかつての仲間同様の石像に変わっていくが誰一人躊躇しない。
最後の一人が石像に変わるのと、真っ青な顔で唇をかみ締めたグィンが、セイバーを睨みつけながら前に出たのとは、ほぼ同時だった。

「……」

笑みを消し、再びさっきまでの厳しい表情に戻ったセイバー。が、その口を開く直前に、グィンは叩きつけるように言い放った。

「お久しぶりですわね、陛下。わたくしをなんとお呼びくださいますか? 姉上? それとも“我が最愛のグィネヴィア”?」

あくまで優雅にそれでいて毒をこめて。

「グィネヴィア……」

「あら、とうとう何もなしのグィネヴィア? はは、確かにわたくしに相応しいかも知れませんわね。たった今、なにもかも貴女に取り戻されてしまったんですから」

憎しみの篭った目で、きっと顔を上げセイバーを睨みつける。

「いつもいつも、誰も彼も貴女、貴女、貴女! 同じ血を受け、同じ運命を歩むよう定められながら、わたくしには何も無かった! 夫でさえも女! 何故望んではいけないの!」

「私は貴女に出来うる限りつくしたつもりだった……」

「ならば種を頂きとうございました」

セイバーの呟きに醜悪なほど口の端を歪め、グィンは叩きつける。

「正妻でありながら子をなせぬ女の苦しみ。女で無い陛下にはお分かりにならなくて? さぁ、わたくしが産むはずだった子を返して頂戴!」

これは……まずい。セイバーは唇をかみ締めて俯いているが、遠坂がもう持たない。ブチブチ血管が切れる音がはっきり聞こえてきそうだ。しかたがない、俺が

「ちょっと!……」

ああ、遅かった。

「あんた!「ああもう、いい加減にしてくれないかな、グィネヴィア? 結局この娘が妬ましかったんだろ? アルトリア、お前もだ。そんな事だから何時までたってもグィネヴィアに振り回される」」

へ?

遠坂の怒声に、後ろから同じような響きで、ずっと艶っぽい声が被さってきた。
振り向くと、そこには黒のドレスを身にまとった、どこか洒脱な貴婦人が、めんどくさそうな顔で立っていた。

「誰よ、こいつ」

ほうけている俺に、仇っぽい流し目なんかもくれたりしたもんで、遠坂さんは非常にご機嫌斜めな声で俺を問い詰めてくる。

「い、いや、知らないぞ!」

「つれないねエミヤ。その胸に抱きしめてくれたのは遊びだったのかな?」

へ?

けたけたと、笑い声が聞こえそうないたずらっぽい笑顔のまま、その女性は遠坂につるし上げられている俺の脇を通り、セイバーとグィンのほうへ向かっていく。
そんな彼女を間近にし、俺はようやく気が付いた。漆黒の髪はグィンと同じだがその顔立ち、その目の色、どちらもセイバーにそっくりだ。それは年恰好は違うが、セイバーがもし後十年成長していれば、きっとこの女性のような容姿になっていただろう。もっとも、その目つきだけはセイバーじゃない。色こそ違えこっちは遠坂にそっくりだ。ということは……

「フェイなのか?」

「ビンゴ」

俺の呟きにひらひらと手を振って応えたフェイさんは、そのまま先ほどから、呆けたように彼女を見据えているセイバー、グィンの姉妹の間に割って入っていった。うわぁ、こんな美人の鴉だったのか。

「誰よ! フェイって!」

と、そんな俺を遠坂が益々激昂して締め上げてくる。待った! 首を締めるな、息が、息が!

「第一、お前の妬みは筋違いだよグィネヴィア。この娘すごい馬鹿でね、あれほどの物を持ってたくせに、全部重荷にしちまってたんだ。お前が素敵な宝石だと思っていたものも、この娘にとっては背骨を軋ます重石に過ぎなかったってわけ。これじゃいくら妬んでも通じるわけが無い。無駄無駄、やめておきなよ」

「姉上……」

なんかぼろくそに言われたセイバーが、毒気を抜かれて、膨れっ面になってしまっている。

「姉上?……へ、じゃあの変な女がモルガン・ル・フェイ?」

遠坂が素っ頓狂な声を上げて、俺を締め上げる手を緩めた。ああ。フェイって、そういうことか。
セイバーの姉にして稀代の魔女、モルガン・ル・フェイ。湖の乙女でもあり、セイバーにとってもっとも苦手な相手。伝承だとセイバーの最後の敵、モードレットの母親のはずなんだが……

「何故……何故元に戻っているの!」

そんなフェイさんを前に、先ほどまでセイバーに詰め寄って居た迫力は失せ、グィネヴィア妃は真っ青な顔で後ずさりする。

「そりゃお前の呪いが消し飛んだからさ、アーサー王が戻り円卓の騎士が揃ったんだよ? お前の呪い程度は簡単に消し飛ぶさ」

下がる都度に、なにか霞に包まれるようになっていくグィネヴィア妃を、面白そうに眺めながらフェイさんはあっさりと告げた。

「どういうことなんだ?」

そんな様子を俺は遠坂に尋ねてみた。

「馬鹿、呪術の基礎でしょうが、呪いは破れたら術者に返るの」

ってことは、鴉になるのが呪いだったんだろうから、それが返るってことは……

「わたしの場合は属性からして冠鴉だったけど、お前は何かね? 臆病な癖に望みの大きなお前のことだ、きっと妙な生き物になってくれるだろうね」

「嘘! だって円卓の騎士は揃っていないわ。大事な人が一人……」

なにか綿毛に包まれつつあるグィネヴィア妃が悲痛な叫びを上げる。そんはなずは無い。そんな事であるはずが無いと。
が、そこで彼女に止めを刺すように、なんとも情け無い鴉の一声。

――許されよ、王妃

遠坂の後ろから、申し訳なさそうにランスが顔を出した。いったい何処にいるかと思ったら……

「……ラーンスロット」

グィネヴィア妃の声に、絶望が宿る。

――済まぬ、王妃。此度はそなたを救えない。

「しかたないことなのですね、ラーンスロット……」

既に、半分ほどの大きさまで縮んでしまったグィネヴィア妃が、諦めたように呟いた。その声からは権高さは消え、最初に会った時の柔らかで暖かい声音に戻っていた。

「所詮、
かりそめの恋。だって貴方が…………

最後の言葉を告げることも無く、グィネヴィア妃は小さく白い兎に変わってしまっていた。

「白兎? なんか拍子抜けね」

遠坂が勝手なことを言っている。

「いやいや、お嬢さん。兎を馬鹿にしちゃいけないよ。この世には一瞬で人の首を切り落とす兎だって居るんだから」

遠坂の呟きを、冗談交じりに揶揄からかってから、フェイさんはグィネヴィア兎を抱き上げると、ほいっとばかりに城外まで投げ捨てた。って

「フェイさん!」
「姉上!」

俺とセイバーの声が重なる。遠坂はどうだって良いじゃないってな顔をしているが、俺はセイバーの叫びが嬉しかった。なんのかの言ってやっぱり姉妹なんだな。

「ああ、そんな顔しない。あれだって魔女なんだから、このくらいじゃへこたれないって」

怒るセイバーを軽くあやし、フェイさんはセイバーににっこりと笑いかけた。セイバー扱いが手馴れてるなぁ、年季の差かな。

「それより、久しぶりだねアルトリア。元気そうじゃない」

「はい、姉上も相変わらずで……」

げんなり応えるセイバーは、なんかいつもより幼く見える。

「で、新顔も居るようだし紹介してくれないかな?」

俺と遠坂の顔を面白そうに眺めながら、モルガン・ル・フェイはまるで女王のように言ってのけた。






姉は本当に変わらなかった。
凛とシロウを紹介するとき、やはりシロウにちょっかいを出して凛を怒らせるし、グィネヴィアのことでしょげていたランスに喧嘩を売っては立ち直らせている。

「それよりエミヤ、あんた此処へ残らない?」

そんな中、姉はとんでもないことを言い出した。

「ちょっと、どういうことよ」

これには、シロウより先に凛が突っかかっていく。最初は稀代の魔女ということで遠慮をしていた凛だが、散々シロウのことで揶揄われたおかげで、すっかり地がむき出しになってしまっている。

「だって彼、いずれ行くよ。だったら此処の方が良いんじゃないかな?」

何気ない姉の言葉。だが、それは私達にとってずしりと重い言葉でもあった。「いずれ行く」何処へ? それは赤い騎士が居た場所……

「冗談、わたしはこいつをそこに行かせたりしない」

先ほどとは打って変わって、冷静な声で凛が応える。そう、その為にも私は残った。それこそがシロウからの答えだと信じて。

「そりゃ生きてるうちは大丈夫かもしれないけど、なにせ自分をあそこまで鍛えなおす程の子だ。このくらいになると、死んだら多分引っ張られちゃうよ。そこまでは付いてけ無いでしょ?」

それを姉の言葉が突き放す。生きているうちは守り抜けるだろう。だが死んでからは? 幸せに生きてそれでもなお、座に向かうのだとしたら? 

「わかった、こいつはいずれ行く。でもそれならそれで考えがある」

だが、凛はへこたれないようだ、姉を睨みつけ決然と言い放つ。

「ほほう、どうするのかな?」

「はん、決まってる。こいつが行くならわたしも行く。とっとと行ってこいつの事、わたしの宝具にしてずっと一緒に居てやる」

これには姉もあっけに取られてしまった。それは私も同じことだ。まさか、このような答があるとは……

「は……は、はははは! こりゃあいい! そうだよね、宝具にしちまえば良いんだ、どの道いまだって似たようなもの。こりゃ盲点だった」

一瞬の沈黙の後、姉は火のついたように笑い出した。それこそ腹を抱えて、息が止まるほどの爆笑だ。

「遠坂、なんだよ、お前の宝具ってのは」

姉と凛との言い争いを、あっけに取られて眺めていたシロウが、此処でようやく口を開いた。姉の爆笑に、むっとした顔で口を尖らす凛に、それはないだろうと文句を言う。
それはそうだろう、一緒に行く為に自分が宝具になるというならまだしも、勝手にシロウを宝具にすると決めてしまったのだ。

「いいじゃない。なに? 士郎は不満なの?」

自分でも随分な事を言ったと分かって居るのだろう、些か赤くなりながら凛は片意地を張る。まったく、本当に素直ではない。

「いや、不満とかじゃなくてさ、変じゃないか? それ?」

「何処が変よ! 第一ここへ来る門、あれに一体どの位宝石使ったと思ってるのよ、宝具にでもなってくれなきゃ割りあわないわ!」

「そ、そういう問題か?」

「そ、そういう問題でもあるの!」

そんな二人の少しずれてしまった遣り取りを、姉は本当に楽しそうに眺めていた。

「やはり相変わらずですね、姉上」

「あんたは変わったね」

そんな私の呟きに、姉は時折見せる澄んだ優しい顔で応えてくれた。

「そうでしょうか」

「ああ、ずいぶんと軽くなった。エミヤのおかげ?」

「かも知れません、ですがそれだけでもありません」

凛もそして周りの人たちも、私を変えてくれた。今まで見えなかったものを見せてくれた。

「ま、いいや。さ、行っておいで。いずれ還って来るにせよ。それまで存分に楽しんでくるといい」

「姉上はいつもそれでしたね」

この人は、何があっても楽しむ人だった。苦しくても辛くても、楽しむことを忘れない人だった。あの頃の私は、それが許せなかったのだが。

「あんたが帰ってくる頃には、グィネヴィアも自力で呪いを解くさ。そしたらまた三人で遊ぼうじゃない」

「私は、姉上達と遊んだ記憶など無いのですが」

「グィネヴィアもよく言うんだけどね。私は何時だって、あんたらと遊んでいたつもりなんだよ」

今回のような目にあっても、この人にとっては遊びなのだろう。無論、命を懸けた遊びだ。でもこの人はそんな賭けに負けて死ぬときでも、ああ楽しかったと死んで行くだろう。だが、

「モードレッドにもそれが言えますか?」

「あ〜あの子については謝る。私の子にしときゃ波風立たないかと思ったんだけどね、ちょっと放任しすぎた」

流石に痛いところを突かれたのだろう、姉は渋い顔で平身低頭してくる。しかし、“私の子にしておけば”?

「姉上?」

「さあ、門が消えるよ。流石だねあのお嬢さん。ありゃ万華鏡の筋か、若いのに随分と近づいたものだ」

「姉上、何か誤魔化そうとなさっていませんか?」

「還ってきたら話すよ、何もかも全部分かっちゃ面白く無いだろ?」

まただ、この人はどうしてこうも人生を洒落のめそうとするのだろう。些か恨めしくもあるが、今の私にはこの姉がどうにも憎みきれない。

「分かりました、姉上。ではそれを楽しみに行って参ります。御土産は何がよろしいでしょう」

いつもと変わらぬ意地の悪い姉に、今日は私も少し洒落て見た。私だってこれくらいは言えるようになったのだ。姉はそんな私をとても嬉しそうに見てくれている。

「じゃあ、思い出話を目一杯頼むよ、うんと楽しいやつをさ」

はいと頷いて、私はシロウと凛の後に続く。これから、何処まで進んでいけるかはわからないが、姉の期待にはきっと応えられるだろう。
いずれ来るその日には、両手一杯のお土産を抱えて還って来よう。

きっと、それこそが応えなのだろう。

END


え〜まずは言い訳。
この話。「グィ(ギ)ネヴィアはセイバーの姉でモードレットの母」というFateの記述が、モルガンの誤植である事を知らないで書いてしまいました。
まあ、グィネヴィアがセイバーの姉というのは納得できるんですよね。セイバーが女性である以上、一番身近な王妃を身内で固めるって言うのは秘密を守る上でかなり良い手では無いかと。
というわけで、Britain世界のグィネヴィアはモルガン同様セイバーの姉ってことで。モードレットこそモルガンを母にしましたが、この結果モルガンの悪行は半分がとこグィネヴィアのせいということになりますね。
一応、今のところグィネヴィアについての記述は本編に無いですし、ギリギリ合わせてはあると思っています。姉で無いとも書いてありませんから(笑)
さて、以上を踏まえた上で、今回の王さまの剣。 セイバー姉妹のお話でした。
士郎くん視点なので、色々と謎を残したままのお話となってしまいましたが、一応作者としては考えてはあります。
セイバーは死後果たして“ここ”に来るのか? 来るとしてどうして今居なかったのか? 
凛はどうやって門を作ったのか? ラーンスロットとグィネヴィアの関係は? etc etc
そのあたりは皆さんで想像の翼を広げてみてください。
 

By dain

2004/7/14初稿

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