俺たちが倫敦へ来て、そろそろ一年。日本に比べて、イギリスはかなり寒い土地だが、それでもそろそろ夏が来ようとしている。

「随分と夏らしくなってきたなぁ」

ここエーデルフェルト邸の庭も、すっかり夏へ向けての手入れが終わり、明るい日差しに包まれていた。

「夏には、ほぼ二月空けることになりますから。使用人も交代で休暇を取らせますし、保守用の最低の人数になってしまいます。今のうちに大きな仕事は片付けておかねばなりませんから」

茶道具を片付けていたシュフランさんが、カレンダーを眺めながら俺の呟きに応えてくれた。

「バカンスですか?」

「それもありますが、今年、お嬢様は日本へ赴くと申しております。衛宮様もご存知では?」

そうだった。今年は俺達の帰省にルヴィア嬢も一緒についてくる。といっても遊びにではない。夏期休暇を利用して、遠坂邸にある大師父の書庫を漁るのだそうだ。
遠坂との共同研究、ルヴィア嬢が資材を出し、遠坂が資料を出す。そうやって二人揃って、大師父の遺産への道を探るのだそうだ。
なんでも、遠坂家の家伝の品を引っ張り出さなきゃいけないとか。最終的には魔法へといたる道を進む。あの二人なら、何とかしてしまいそうに思えるから不思議だ。

「シェロ……あなた現実逃避してませんこと?」

ギクッ

俺の正面で、ルヴィア嬢が目を半眼にして睨みつけてくる。俺が座っているのはルヴィア嬢の書斎、そこの中央にでんと置かれた、どでかいデスクだ。
もっともそのデスクも今は、分厚い魔術書や参考図書に覆われ、平らな部分は俺の目の前のノートを広げている一角のみ。俺はそこで必死で、数秘術ゲマトリアの変換と置換に取り組んでいる。

「でも、ルヴィアさん。これってまるで暗号なんだぞ」

アルファベットを数値に変換し、更にその数値の同じ語句同士を関連させて記述する。この秘法は、カバラの基礎であるのだが、なんとも難解な文章になっていく。しかもヘブライアルファベットでギリシャ語だって言うんだから、もうなにがなんだかわからない状態だ。

「まるで、ではなく暗号ですのよ。まったく……。良いですか、シェロ。魔術とは秘法であり、隠された知識を隠された形で手に入れるもの。此処で躓いていては術式もなにも無いのですよ」

ご尤も。でもさ、もっと分かり易くできないものなのかな?

「誰にでもわかったら、魔術ではありませんわ! 文句を言わずとっととお解きなさい。シェロ、あなたは落第するおつもり!?」

俺の不甲斐なさに、とうとう雷を落された。ルヴィア嬢は両の手をデスクに叩きつけ、がぁ――とばかりに捲くし立てて来る。そうは言ってもなぁ……俺は気づかれないようにそっと溜息をついた。
倫敦にもうすぐ夏が来る。つまり、年度末試験の季節なのだ。





きんのけもの
「金色の魔王」  −Rubyaselitta− 第七話 前編
Lucifer





時計塔の年度は、日本と違い他の欧米系の学校と同じく九月開講だ。そして夏季休業も欧米系学校に習って二ヶ月以上ある。もっとも、時計塔はその性格上、その間も学生の自主研究という形で活動が続いてはいる。ただ、講義や演習ゼミが、九月から七月で一年分のカリキュラムを消化しているという形なだけだ。

とはいえ、時計塔も学府。ただでは終わらせてくれない。ここで夏休み前の一大イベント、年度末試験が待っている。
一年間受けてきた、講義、演習の総仕上げ。果たして、その成果を身に着けたかどうかを試されるこの試験は、かなりシビアでハードだ。テスト、ペーパーは勿論、実習、実演、発表会。それぞれの担当教授の趣向に応じて多種多様な試験を課される。

まあ、俺のような専科の一年生は、いわば普通の大学の教養課程なので、ペーパーが殆どだ。が、俺の場合こいつが一番問題だったりする。

「課題製作の方はいかがでしたの?」

「ああ、そいつならもう終わってる。先週、ミーナさんの炉を借りてアゾット型を一本鍛えて提出した」

俺の属性は“剣”そして魔術は“投影”で、さらに“創る”人なのだそうだ。しかし、流石の時計塔専科でも、それらをもれなく専攻する部門は無い。それに俺の“投影”は特殊すぎて人に教わるようなものじゃない。
だから、俺は付加魔術の、更にその中の付具部門タリスモンギングを専攻することにした。
剣の上位概念の一つである“金”。それと“投影”の類属である強化・変化を包括する“付加”。これらを組み合わせ、さらに物を“創る”に特化しているのがこの部門なのだ。
つまりは魔具創り。担当教授もシュトラウスとは別系統の魔具師デアボリストで剣への造詣も深い。そんなわけで年度修了の課題製作は、魔術用に儀礼剣を鍛ったのだ。

「それなら問題ありませんわね、こと剣に関してはシェロは抜群ですもの」

満足そうに頷きながら、ルヴィア嬢はにっこりと微笑んでくださる。いやもう、この笑顔を見られただけで、頑張った甲斐があったってくらいの表情だ。が、問題はこれが長続きしないことなんだよな。

「だというのに……何故、座学系はこうも悲惨なんですの?」

ほら来た。
眉をひそめ、いったい何処から持ち出してきたのか、俺の考課表をば眺めておられる。本当に、いったいどんなつてで手に入れたんだ? 魔術は秘密が旨じゃなかったのか?

生命の樹セフィロトにしても、ソロモンの護法かぎにしても、これだけ見事に描けるのに、どうして数秘術ゲマトリア瞑想法タットワは駄目駄目なんですの?」

本気で不思議そうに聞いてくる。いや、この数字の羅列やわけ分からん詩文が解ったりするほうが、俺には不思議だぞ。

「いや、ほらさ。アルファベットは違うし、意味は通んないし、なんだかこんがらがっちまってさ」

「でもシェロ、あなた魔法陣の呪はきちんと刻めてますのよ?」

「ああ、そっちは絵面で覚えてるからな」

思いっきり溜息を付かれた。シェロはとことん魔術使いなんですのね、と諦めたような声音で仰ってもくださる。確かに俺の道筋はそっちなんだが……なんか傷つく。

「ところで、俺の勉強見てくれるのはいいんだが、ルヴィアさん自分の試験勉強はどうなんだ?」

カリキュラムを立て直そうかしら、と呟きながら頭を抱え込んでいるルヴィア嬢に、俺は一番の心配事を尋ねてみた。俺の勉強とルヴィア嬢の研究とではレベルが違う。本科だって試験はあるし、なにせルヴィア嬢は、主席争いしようかって人だ。こんなことにかまけている暇は無いはずなんだが……

「だって、最初はペーパーですもの」

なんでわざわざ試験勉強なんかしなきゃいけないの? とばかりに聞き返されてしまった。はは、忘れてました。ルヴィア嬢クラスになるとメインは講義で無く研究と実践。講義なんかは、ほぼ趣味の域だ。講義をしているのが講師クラスだとルヴィア嬢のほうがレベルが上だったりする。
そういやこの年度末試験の主席争いも賭けになってたな。確か遠坂とルヴィア嬢がほぼ一対一で、三位以下が問題だってジュリオが赤鉛筆片手に言ってたっけ。なんかミーナさんが胴元とか言ってたな。
そりゃ今更ペーパーで四苦八苦する謂れは無いか……うう、畜生。出来る人に、俺の苦しみなんかわからないんだ。

「それは研究発表の方は、少しは骨がありますけれど。それにしても日ごろの研究と研鑽で準備は整っていますわ」

さらりと仰って下さいます。つまり、わざわざ試験のための勉強などしなくても、日ごろの生活そのものが、既に研鑽であると仰っている訳だ。

「ルヴィアさんは本当に魔術師なんだなぁ」

「……シェロ。わたくしのことを、何だと思っていらっしゃったの?」

心底感心した俺の呟きに、むぅ――と膨れてジト目になるルヴィア嬢。
でも、俺は改めて魔術師というものを実感した。

「いや、本当にルヴィアさんは凄いって思っただけだぞ」

俺は眩い思いでルヴィア嬢を見上げた。本当に大したものだ。生きる事が、研鑽や研究とイコールであること、これが魔術を目的として生きる者の生き方なのだろう。俺のような魔術を手段とする魔術使いとは、本当に根本が違うのだ。
特にルヴィア嬢や遠坂は、この生き方を当たり前のような日常にしてしまっている。時計塔に来てから、いろんな魔術師に会ったが、ここまで「本物の魔術師」なのは殆ど居ない。大抵は魔術師と言いながら、日々の研鑽を力一杯四苦八苦している。この二人はやっぱり凄い。伊達に主席争いをしてるわけじゃないんだな。

「あ、当たり前ですわ。何を仰っているのかしら?」

そんな俺の剥き出しの賞賛に、些か照れたのだろう。ぷいっと頬を染めて横を向かれてしまった。微笑ましいことなんだが、同時にこいつもものすごいことだ。それだけ魔術にどっぷり首を突っ込んでおきながら、この二人は尚も人であり続けている。隠そうと勤めてはいても、その裏になんとも素敵で素直な女の子が見え隠れしている。
こいつは本当に稀有のこと、文字通り「有難い」事だ。

「ですから、シェロはわたくしのことを心配する必要はなくてよ? さ、次の課題を解いてくださる?」

やっぱり文句を言っちゃ罰が当たるな。俺は気を引き締めなおして、数秘学の暗号に挑み直した。多少きついぐらいは何とでもなる。





「駄目ね」

何ともならなかった。

「いや、でもね遠坂。水星みたいな岩の塊を、理性だといわれても……」

「形而下学的概念と形而上学的概念を一緒くたにするんじゃない!」

途端、がぁ――とばかりに怒鳴られた。あんた何年魔術やってきたの、ってそりゃ魔術そのものは十年ほどになるけど、系統的に習い始めたのはここ二年ほどだぞ。そりゃ科学と魔術じゃ、拠って立つ基盤が違うのは知ってるけどなぁ。

「二年もやれば十分よね。占星術なんか、わたしは七つの時にマスターしたわよ」

そんなことが顔に出たのだろう。遠坂さんは、にっこり笑って才能の差を見せ付けてくださる。
俺はダイニングテーブルの上に置かれたホロスコープを前に、そっと嘆息した。今やっているのは、見ての通り占星術の試験勉強。と言っても占いじゃない。時計塔では占いよりも、各惑星、星座の概念構成による呪式への応用がメインだ。

「いい? そりゃ占星術は近代天文学の発展で価値は下がったわよ? でも信じている人と、帰納で出された経験則からの実態に変化は無いわ。魔術の一つの形が、人の無意識界を通じて世界へアクセスする事にある以上。形而上学的概念は、形而下学的概念とは別に常に実在する。そこんとこ、頭に叩き込んでおきなさい」

俺がへこんでいるのに畳み掛けるように、遠坂は捲くし立てる。ただ、どうも今ひとつ飲み込めない。

「それって信じる人が減れば、それだけ力が無くなるってことじゃないのか?」

なんか、聞いてるとそんな気がする。そんな不安定で朦朧としたものなのか?

「そうよ、だから魔術はその知識と経験を広めちゃ駄目なの。広がった魔術はそれだけ形而下学的な概念――占星術の場合天文学ね――に飲み込まれて、その価値を失っていくの」

伊達や酔狂で神秘を隠匿してるわけじゃないのよ、と遠坂さん。神様や精霊の矮小化もこれに当たるわ。と続ける。

「結構不便なんだなぁ」

「あんたねぇ……」

俺の能天気な返事に、遠坂さんは青筋を立てながらこめかみに手を当てる。うわぁ目じりがぴくぴく痙攣してらっしゃる、ちょっと怖いな。

「便利だけで言えば科学のほうが断然便利よ。良い? 魔術って言うのはその上絶対量も定まっている力なの。それを行使する数が増えれば、それだけ一つ一つの魔術の力は薄められてしまう。士郎の固有結界が特別視される理由もそれよ、なにせ固有結界という括りは数が増えるかもしれないけど、その術者の固有結界はたった一つしかない。それだけ純粋な魔術だって言うわけ」

気を落ち着かせる為か、一つ深呼吸してからじっくりと説明してくれた。遠坂の場合、落ち着くとこうやって、きちんと説明してくれるから助かる。ただ、だからあんたって、すっごくずるいんだからって目で見るのは、止めてくれないかな?

「いや、わかった。これからきちんと勉強する」

要は、現代科学を一旦すっぱり切って、まったく別の角度から世界を構築し直せってことだ。えらく大変な作業だが、凡才な俺は努力と根気で積み重ねるしかない。

「これからじゃなくて、現在只今同時刻を以って始めなさい。いいわね? えっと次は……錬金術ね、こっちは士郎の専攻にも関係あるんだから、きっちり叩き込むわよ」

ぐぐっと、拳を握り力瘤を作る遠坂さん。天才さんは凡才よりもっと容赦がなかったようだ。うう、付いていけるんだろうか。




「お茶が入りました。凛、シロウ。一休みしてはどうですか?」

ヒュドラの胃蒸留器で精製され,緑の獅子水銀に飲まれ、二匹の蛇暇焼窯に絞り上げられた頃、セイバーがお茶の用意をして声をかけてくれた。助かった。危うく生きたまま、賢者の石に変容させられるところだったぞ。

「あ、有難う」

「悪いわね、セイバー」

「いいえ、お二人が勉学に励んでいるのです、この程度の事くらいは」

最近すっかり詰め込みで、碌に寝ても居ないせいか、セイバーの微笑が目にしみる。うう、他の皆はひどいんだぞ。

「それで、どうなのですか? シロウの勉学は?」

「駄目ね」

遠坂のむげも無い一言、それを聞いてセイバーも、やはりといった顔で溜息をつく。って、セイバー。やっぱりはないだろ?

「それほどまでに?」

「うん、概念はぜんぜん駄目」

揃って溜息をつく遠坂とセイバー。そこまで酷いかなぁ。

「作業はちゃんと出来るんだぞ……」

わけの分からない概念はともかく、具体的に物を弄くったりするのは得意だ。
術式によって加工された水銀と硫黄、これを熱し湿らし冷やし乾かして風水地火の元素を導く、更にそれらに魔力を乗せて蒸留すれば、五番目の元素、第五架空要素に昇華する。この作業の段取りなら、もう、それこそ目を瞑ってでもできる。俺は目の前に置いてある、御手製の蒸留器を弄りながら、出来上がった親指大のエーテル塊を遠坂に指し示した。

「……器用ね」

「おう、ウロボロスって便利だな、どんどん昇華できちまう」

むぅーっと半眼になった遠坂に、俺は蛇の呪刻を刻まれた、蒸留環を軽く小突きながら応える。

「そりゃそうよ、だってこれ……」

と、ここで遠坂が黙り込んでしまった。俺の顔と蒸留器を交互に見て眉を顰めている。

「士郎、これ作ったの士郎よね?」

「そうだぞ」

「士郎これを何だと思って作ったの?」

「蒸留器だろ? ちょっと変わってるけど」

くらっ、一瞬と遠坂が揺れた。大丈夫か?

「あんたはデミウルゴスか! きっちり循環結界作っといて、蒸留器も減った暮れも無いわよ!」

何でも俺の創ったウロボロスの呪刻は、ほぼ完璧なのだそうだ。外からの刺激が無い限り延々とぐるぐると回り続ける、閉鎖された循環結界。その結界を延々と加速し続け、元素は第五元素へと昇華していく。

「いわば一つの世界よ? 理解しないで作らないでよ」

「でもな、遠坂。錬金術の機材ってそういうもんじゃないのか?」

「そりゃ、そういうものだけど……普通は理解したうえで作るのよ? 士郎は真ん中がすっぽり抜けてるじゃない。何で概念あっぱらぱーなのに、作れちゃうの? わたしに言わせればそっちの方がよっぽど不思議よ」

「いや、ほら。構造とか絵面とかで……」

俺は目の前に置かれた、ウロボロスの構造と呪刻を、紙の上に模写しながら遠坂に解説した。なんというか、こういう写し取ることに関してはごくごく自然に出来てしまう。

「ほんっとうに魔術使いなのね……」

それを見て遠坂は益々渋い顔になり、頭を抱えだした。

「間違ったのか?」

「合ってるの。概念分かんないくせに、どうして起動できる術式を写し取れるのよ」

これじゃこっちの商売上がったりじゃない、とぶつぶつと文句を言っている。そんなこと言われてもなぁ。

「これを試験には生かせないのでしょうか?」

遠坂と違って、感心してくれていたセイバーが助け舟を入れてくれた。でも、こればっかりはなぁ。

「実験が出来ても、その過程と結果の解析が出来なきゃ答にはならないの」

これが専門課程ならねぇ、と遠坂さん。つまりはそういうこと、今の俺の試験にはまったく意味の無い技量なんだよなぁ。

「そういえば、遠坂の方はどうなんだ? 遠坂だって試験だろう」

「ペーパーでしょ? 特に何かする理由が無いわ」

何でそんなこと聞くの? って表情で返された。流石だな遠坂もルヴィア嬢と一緒なんだな。

「でもさ、研究発表とかもあるんじゃないのか?」

「何のために一年時計塔に居たのよ。この為じゃない」

これまた益々不思議そうな顔で返された。試験勉強だって言うならこの一年全部そんなもんよ、と涼しい顔だ。

「でも、よからぬ評判も聞くぞ」

この間の騒動だけで無く、教授陣もさすがに上位は微動だにしていないが、下のクラスになると色々と姦しいらしい。遠坂とルヴィア嬢の事だから大丈夫だとは思うが、ちょっとばかり心配だ。

「見てなさいって、実力でねじ伏せてやるから」

そんな俺の心配も、遠坂さんは鼻息一つで吹き飛ばしてくださいます。はははは、ごめん、俺が悪かったです。
分けてほしいぞ、その自信と才能。こいつらが試験勉強で血道あげる姿なんて、俺は多分一生見られないんだろうなぁ。




「やあ、衛宮くんご苦労様。二週間ぶりかな」

「お久しぶりです。済みませんでした、お休み貰っちゃって」

久々のエーデルフェルト邸。流石に試験中はバイトは休ませてもらった。今日はようやくペーパーが終わり、二週間ぶりのお仕事だ。

「どうだったかな?」

「なんとか、落第だけは免れましたよ」

低空飛行のギリギリなラインではあったが、赤は出さなかった。とはいえ、半分以上Cだもんな、遠坂に合わす顔が無い。なもんで、今日は直接時計塔からこちらに来てしまった。臆病と笑わば笑え、情け容赦しない遠坂は怖いんだぞ。

「ん? ああ、衛宮くんはこれで終わりなのか」

そんな俺の様子を苦笑して見ていたシュフランさんが、ちょっと不思議そうな顔をする。ああ、そうか。

「俺はまだ一般教養なんですよ。ルヴィアさんはこれから研究発表があるんでしたね?」

俺の場合は、ペーパーの試験と課題の作品を提出して終わりだったが。遠坂やルヴィア嬢のような本科の特待生はこれからが勝負だ。ペーパーなんて二人にとってはおまけみたいなものだろう。

「あ、帰ってきたみたいですね」

そんなことを話しながら、俺の居ない間の仕事の引継ぎを進めていたら、車が到着する音が聞こえてきた。何せここの車は特徴あるからな、すぐ分かる。

「久々の衛宮くんだ、お嬢様もご機嫌のいいことだろう」

何とも嬉しいことをいってくださるシュフランさんと共に、俺は玄関先に迎えに出ることにした。


「なんなんでしょう?」

「はて?……」

玄関先に出て些か驚いた。ピンクのロールスはエンジン音も勇ましく、すさまじいスピードで車寄せに全速で突っ込み、そのままドリフトして止まったのだ。
で、まだタイヤが煙を吹く中、運転席からすっくと降りてきたのは、額にしわを寄せ、睨みつけんばかりの形相をしたルヴィア嬢だった。うわぁ、運転手さん、後ろの席で伸びてるよ。

「シュフラン。しばらく篭ります。用意を」

「お嬢様?」

心配げに首をかしげるシュフランさんに、一瞬音がするほどの青筋を立てたルヴィア嬢だが、流石に此処はぐっと堪えて一枚の書類を差し出す。

「これから一週間、無駄なことはすべて取りやめなさい。それと食事もその場で食べられるものを」

一息でそれだけ告げると、足音高く書斎へとずんずん進んでいかれる。なんか、ものすごい迫力だ。もっともそれでいて背筋は伸びてるし、大股になってもきっちり一本のラインを踏んで歩いてる辺り、流石だなぁ。
そんな事を感心しながら見惚れていたら、急にルヴィア嬢の足が止まった。そのままくるりと俺の方を振り向かれると、ほんの少しだけ表情が和らいだ。

「シェロ、わたくし負けませんわ」

ぽかんとした顔の俺に、おもむろに力を込め直してそう告げると、再びずんずんと進んでいってしまわれる。一体なんだったんだ?

「……なるほど、これではお嬢様も力が入ろうというものだ」

しばらく呆けていた俺の耳に、シュフランさんの感心したような声が響いた。うんうんなるほどと、何処と無く楽しそうなのがちょっと気になるな。

「なんなんです?」

「まあ、見たまえ」

なんか妙に悪戯っぽい顔つきで、シュフランさんは俺にその書類を見せてくれた。ああ、ペーパーの成績発表か、うわぁ……

「衛宮くん。君も一度帰った方がいいな。こちらは私に任せて」

「……はぁ、そうさせてもらえたら助かります」

何とも神妙な顔の俺に、シュフランさんが苦労するね、といった顔で話しかけてくれた。

――首位:凛・遠坂
――次席:ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト

年度末試験の中間発表。そこの一番上、三位以下を大きく引き離して併記されたお二方の名前。そりゃまあ、ルヴィア嬢も力はいるよなぁ。この分だと遠坂の方は有頂天かな。




「士郎、セイバー。わたし暫く工房に篭るから家のことお願い」

予想に反してお祭り騒ぎにはなっていなかった。
慌てて家に帰った俺を待っていたのは、ルヴィア嬢同様に厳しい表情で腕組みしている遠坂さん。なんか、台詞回しまで同じ口調だな。

「発表会まで一週間ほどだけど、よろしく。本当は、こういうの好きじゃないんだけど」

そのままゆっくり瞑目する。なんか、果たし状を突きつけられた剣客かって顔つきだ。

「了解しました。凛が選んだ道です。否はありません」

そんな遠坂に、セイバーがぐぐっと力を込めて応えている。なんていうか、二人とも本当に勝負事好きだな。

「でも、ペーパーでは遠坂が首位だろ?」

ちょっと疑問に思って聞いてみる。負けてたならともかく、何でこんなに力入れてるんだろう?

「だからじゃない。あいつがこのまま、おめおめ引き下がるとは思えないし。絶対巻き返しに来る。ペーパーくらいで気を抜いたら一気に奈落の底よ」

士郎はそういうとこ甘いのよね、と遠坂さんは難しい顔で仰る。なるほど、勝って兜の緒を締めろってわけだ。まあ、確かに思いっきり力入ってたもんな、ルヴィア嬢。

「そういや、俺のバイトどうする? まずいんじゃないか?」

俺は別にいいんだが、そういう事なら、競い合ってるライバルの家を行ったり来たりするっての、どうなんだろう。

「なんで? 何か問題でもあったの?」

が、遠坂さんは俺の心配を余所に、きょとんとした顔で聞き返してきた。

「ほら、やっぱりいろいろとお互いの秘密とかあるだろ?」

俺としては、やっぱりちょっと心配だ。競い合うのはいいがこんな事で疑心暗鬼になって、二人の仲が壊れてしまってはたまらない。

「士郎はわたしのこと喋るわけ?」

俺の言いたい事の意味は分かってくれたのだろう、ちょっと眉を顰めたが、それでも遠坂さんは動じない。ふむと腕組みして俺の目を覗き込んできた。

「いや、そんな事はしない」

当然だ、いかにルヴィア嬢相手とは言え、言える事と言えないことがある。

「じゃ、士郎はわたしがルヴィアの事聞いたら答えてくれる?」

「そういう訳にはいかないだろ? フェアじゃない」

遠坂は俺にとって大切な人だ、だがそれ故に応えられる事と、応えられない事がある。

「だったら問題ないじゃない。士郎は今までどおりでいいのよ」

どっち道、研究自体、共同研究してるしね。士郎は士郎でやっていれば良いのと、遠坂さん。
なんだか嬉しくなる言葉だ、遠坂は俺の事を信用してくれているし、同時にルヴィア嬢の事も信用している。やっぱり競い合うライバルって言うのはこうでなくちゃいけない。
なんかセイバーもほっとしているが、こいつについては触れないで置こう。苦労してるなぁ。

「わかった。雑事は俺とセイバーで片付けるから、遠坂は集中してくれ」

そうと決まれば、後は全力でサポートするだけだ。幸い俺の試験は終わったし、セイバーにも食事で不自由させないぞ。

「ねえ、士郎。わたし、いまルヴィアと遣り合ってるんだけど。いつもみたいに止めないのね」

俺の励ましに有難う、と微笑みながら、ここで遠坂がちょっと不思議そうな顔で聞いてきた。

「だって、これは遠坂とルヴィアさんの魔術師としての競い合いだろ? いつもみたいに意地はっての喧嘩じゃない。だったら止める理由は無いぞ」

お互いの技量と理知を挙っての競い合いだ。こいつの文句をつけるなんて、大それた事をするほど俺も馬鹿じゃない。被害も出て無いし。

「ふうん。なんだ、ちゃんと分かってるじゃない」

いつもだって意地張っての喧嘩じゃないんだけど、と付け加える事は忘れないが、それでも嬉しそうな顔で言ってくれた。

「遠坂とルヴィアさんが、そういう関係だってのは分かってるからさ」

まあ、二人とも性格が性格だ、喧嘩の大半はそれなりのコミュニケーションなんだろうし、馴れ合った仲良しさんになるとは思わないけど。それでも、やっぱり余り喧嘩してほしく無いんだよな。

「じゃ、これから一週間よろしく」

そんな俺の複雑な心中を知ってか知らずか、遠坂はにっこり微笑んで親指を立てると、ぐっと表情を引き締め、さあやるぞっと工房へ向かっていく。
と、足が止まって振り向いた。ほんの少しだけとっても素敵な笑顔に変わる。

「士郎、終わったら補習よ。わたしの弟子があの成績じゃ面子が立たないから」

たっぷり鍛えてあげるから、と足取りも軽く工房のドアが閉まる。ちゃんと見てたんだな、俺の成績も……


学生の皆様、そろそろ前期試験も終わった頃と思います。
というわけで、今回は試験のお話。
凛やルヴィアの対応は理想でしょうね。自分を振り返れば……いや、もう大変でした(笑)
試験そのもの書いていませんが、あれはもう御祭りみたいなもので、前と後が面白いものと思っていますので割愛しました。
それでは、後編をお楽しみください。

By dain

2004/7/28 初稿
2005/11/9改稿


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