そんなわけで、俺はエーデルフェルト邸でのバイトを続けながら、お篭り二人のお相手をする事になった。と言っても、やっぱりライバル同士。俺としても魔術の部分には関わるわけには行かず、二人が無理をしないように見守るだけであった。まあ、関わっても分からないだろうけど。
「シェロ、ちょっと宜しいかしら?」
「なにかな? ルヴィアさん。顔色悪いぞ、ちゃんと休まなきゃ」
この日もルヴィア嬢は朝からお篭り。食事はちゃんと取っているようだが、顔色は余り芳しくない。俺としても、工房の中で倒れてたりする事の無いように、きちんと気をつけてはいたが、それでもかなりへたってるようだ。
「今からちょっと休憩しますわ。お茶の用意をしてくださる?」
俺のそんな気遣いに、ルヴィア嬢はシェロったら、ばあやみたいと口を尖らせる。それでもこうやって、きちんと休んでくれる気はあるようだ。
「ちょっと待っててくれ。すぐ用意してくるから」
何か言いたそうなルヴィア嬢を残して、俺は大急ぎで厨房へと向かった。疲れてるみたいだし、今日はなにか甘いものが良いかな。
きんのけもの | |
「金色の魔王」 | −Rubyaselitta− 第七話 後編 |
Lucifer |
「もう、シェロったら。わたくしを太らせるおつもり?」
トレイの上にはミルクティーと、たっぷりと山盛りにクリームとジャムを載せたスコーン。
俺が用意したアフタヌーンティーを前に、ルヴィア嬢は少しばかり頬を膨らませる。
「疲れてるときは甘いものが一番だぞ、第一ルヴィアさん全然太って無いじゃないか、痩せ気味なくらいだ」
そりゃ出るところは立派に出てて、ふんわりお肌は骨なんかあるのか、ってほど柔らかいけど。
「スリムと言ってくださる? 痩せと言われると何だかミイラにでもされたような気分ですわ」
とはいえ、文句を言いながらも美味しそうに食べてくれる。やっぱり疲れてたんだな、見るからにほっと息をついているのが分かる。
「こんな事で良かったらいつでも言いつけてくれ」
俺は幸せそうに、三杯目のお茶を口元に運ぶルヴィア嬢に声をかける。こんなことくらい朝飯前だぞ、もう午後だけど。
「ちょっとお待ちなさい、シェロ」
そんな様子に満足して、俺が下がろうとすると、ルヴィア嬢は何かを思い出したようにこめかみに手をやり、半眼で俺を睨みつけてきた。
「なんだかペースに飲み込まれて忘れていましたわ。わたくしがシェロを呼び止めたのは、お茶の為ではありませんのよ」
「そうなのか?」
じゃあ、何の用事だろう。特に思い当たる節は無いんだが……
「ちょっと見ていただきたいものがあるんですの」
その善意の塊のような顔をして、人の話を聞かないで、自分のペースで突っ走るところは直しなさい。とか言いながら、ルヴィア嬢は工房の扉を開けた。
「あ、良いのかな?」
どうやら魔術関係の事柄らしい。工房へ来いという事なんだろうが、どうしても少しばかり躊躇してしまう。
「なにがですの?」
「あ、ほら。俺は遠坂の弟子だし」
「わたくしの弟子でもありますのよ?」
「そういうことじゃなくてさ」
俺は、競い合ってるライバル同士を師匠にしてる状態の苦慮を明かしてみた。遠坂は関係ないと言ってくれているが、やっぱり気になるものは気になる。細かい事なんだろうけど。
「気を回しすぎですのよ」
結局、ルヴィア嬢も遠坂と同じ心持だったようだ。第一、シェロでは見せたところで分かりませんもの、とにこやかに仰って下さいます。む、なんか悔しいぞ。事実だけど。
「リンとは共同研究をしていますもの。お互い手の内を、全て明かしているわけではありませんけれど、それでも癖や傾向は分かりますわ。ですから今度の勝負は知識や蓄積で無く、解釈と応用の勝負になりますわね」
地下に降りる道すがら、ルヴィア嬢は俺に説明してくれた。つまり、同じ素材で、どんな料理を作るかの勝負だって事らしい。
「これをシェロに見ていただきたかったんですのよ」
ルヴィア嬢はそのまま、工房の作業台のところまで俺を導くと、台の中央に鎮座した大きな水晶玉を指し示した。かなりでかい。占いで使うような水晶玉の二回りくらい大きいサイズだろうか、きらきらと銀かなにかで鍍金したように、球の表面が鏡張りになっている。
「なんなんだ?」
「まずは形から見てくださる?」
ルヴィア嬢は、俺の不思議そうな顔をさらりと流して聞いてくる。なんだか良くわからないが、俺に解析をしてみせろって事かな。
「へぇ、真球なんだ」
その水晶玉は、驚いた事に凄まじく精度の高い真球だった。これだけの精度で磨くなんて、流石はルヴィア嬢だ。
「間違いありませんの? 大切なことですのよ」
「ああ、間違いない。すごいや。でも何で鏡張りなんだ?」
「ちょっと面白い事を試してみようと思ってますのよ」
そういってルヴィア嬢は、工房の明かりを落とすと、その水晶玉に手を当てそっと呪をつむいだ。
と、球がぼうっと光りだし、見る間に鏡面が透いていく。
「半鏡? なんか凝った趣向なんだな」
中に光がともり、この水晶玉はもはや鏡張りではなくなった。幻影だろうか、中に幾つかの踊る炎が浮かび、二重三重の五芒星、六芒星が透かしこまれ、それが複雑に絡まったウロボロス蛇の呪刻を形成している。
何とも見事な術式なのだが、何処かアンバランスな印象を受けた。よくよく見てみると、丁度占いの水晶玉が嵌るくらいの大きさだろうか、呪刻に囲まれた中央はぽっかり中空の球になっている。更にその呪刻、ウロボロス蛇も完全に循環している。中空部分から流れを導き、延々と回り続けるだけで外への通路が見当たらない。普通は外へ取り出す為の蓋を作るんだけど……
「いったい何に使うんだ?」
ハーフミラーが蓋なのかと思ったが、光線しか通さないのではあまり意味が無い。
「流石にそれは秘密ですわ」
にっこりと、当ててご覧になると微笑まれるルヴィア嬢。そんな事を言われても俺にはちっともわからない。まあ、たぶん試験絡みって事は分かるけど、本当に何に使うんだろう?
「よし、ラッキー。わたしが先だ」
やってきました発表会当日。時計塔の掲示板を前に遠坂さんがガッツポーズを作る。どうやら発表の順番らしいが、本当に先出しが好きだな。
「表題は殆ど同じなんだな」
本日の発表会。最初が遠坂で、とりがルヴィア嬢。どちらもお題は『並行時空通過遠視の術式構成』と書いてある。凄いな、二人とも初年度から魔法へ続く一里塚か。
「だから先が有利なのよ、どうしても後だと目新しさにかけるでしょ?」
俺の呟きに、ふふんと鼻を鳴らし不敵に応える遠坂さん。これで勝ったも同然とえらく鼻息が荒い。
「さて、じゃ先にスパッと片付けて来るから。士郎もしっかり観てなさい」
睡眠不足もなんのその、遠坂は、目一杯ハイに手を振って控え室へと向かう。いや睡眠不足のせいかもしれない。ちょっと不安だなぁ。
「シロウ、凛の事は任せてください。私がついていますから」
そんな俺に、セイバーが苦笑しながら声をかけてくれた。資料や機材だろうか、でかいトランクを軽々と持って遠坂の後に続いている。
「ああ、頼む。セイバーも気をつけてな」
今日セイバーは遠坂の助手だ。なんでも“英霊の主”というだけでも、かなり心象が違うのだと言う。ある種のデモンストレーションになるらしい。手の内を明かすわけにはいかない以上、それ以外の部分で可能な限り点数を稼ぐのだそうだ。
ちょっとあざといかな、とは思うが、今日のように妙に遠坂の足元が危ない時は、こうしてセイバーが居てくれることが本当にありがたく思える。たのむぞ、セイバー。
「うわぁ、結構人多いな」
発表会場は時計塔
で、ギャラリーはというと、講堂のぐるりをキャットウォークのように囲んだ回廊部分での立ち見だ。普段は人もまばらなこの場所も、今日は立錐の余地も無く学生で溢れている。俺が入って行ったのはこの回廊だ。
「あ、やっぱり士郎くんも来たんですね」
どうやって、前の席を取るかと考えていた俺にミーナさんの声がかかる。そちらに顔を向けると、演壇正面の特等席な部分に、何処から持ち出したのか、パイプ椅子を並べて観客席をしつらえてらっしゃる。
「おはよう、ミーナさん。これ、どうしたんだ?」
「大変だったんですよ、昨日の晩から席取りしてたんですよね」
にっこりと俺に席を勧めてくれるミーナさん。花見じゃないんですから、ってミーナさんの発表は良いんですか?
「私は明日なんです。で、今日は偵察をかねてこっそり」
席取りしてこっそりも無いもんだが、なんでも教授たちの性格や個性の把握のためらしい。状況に応じた、変幻自在の対応がシュトラウスの本義ですからと仰っている。
「そんなもん観て分かるのか?」
「普通なら無理でしょうね。何せ時計塔の教授陣ですから」
なにせ海千山千、性根がクレタのラビリンスな時計塔の教授陣だ、すごく大変なんですよ、とちっとも大変そうに聞こえない調子でミーナさんは応えてくれた。でもやっぱりそれって大変なんじゃないのか?
「ほら、今日は凛さんとルヴィアさんがいるでしょ? あの二人相手に教授陣も、そうそう韜晦し切れませんからね」
そんなわけで今日は偵察にはもってこいなのだそうだ。なるほど、確かに。あの二人を止めるのに、わざわざ俺を引っ張り出すくらいだもんなぁ。すっかり猫を被るのを止めたお二方に、教授陣も大変だろう。
「あ、始まりましたよ。凛さんが一番手ですね」
ミーナさんの声で、俺は世間話を切り上げて演壇に視線を移す。学生用の濃いグレイのローブに身を包んだ遠坂が、セイバーを引きつれ颯爽と演壇に上がって行くところだ。てきぱきと資料と機材を用意するセイバーを背に、遠坂は一つ咳払いをすると、教授陣に一礼し、滔々と講演を始めた。
「以上、三次にわたる接触実験の結果、術式においては完成の粋に達したと確信しています」
「だが、全て失敗ではなかったのかね?」
「原因は特定できています。失敗とはいえ、境界世界への進入並びに泡沫世界との接触には成功しています」
「魔法だと言うのか? 馬鹿な」
「これは教授のお言葉とも思えませんわ。瞬間的な現象を観測する接触実験は、あくまで、『魔法級の事象』を外から観る遠視魔術の範疇です」
「遺物に頼った現象を、実験と証するのはいかがなものかな?」
「遺物と言っても蒼紅玉は、希少ではありますがただの鉱物に過ぎません。魔力付加もベクトルはともかく力点は寡少。これを遺物と称するなら、わたし達が魔力を転移した宝石さえも遺物と言う事になりませんか?」
教授陣の意地の悪い突っ込みを、遠坂は次々といなしていく。そのたびにギャラリーが沸いたり嘆息したりする。いかにも、口惜しそうなうめきが聞こえたりするのが、ちょっと気になるが……
「仕方ありませんよ、凛さんは特出してますからね、妬み嫉みも勲章の一つですよ」
確かに、性格もあれだからなぁ。まあ、万人から愛されてほしいって贅沢は言わないから、もうちょっと気を使ってもいいんじゃないか? 本当は可愛らしいんだけど、分かりにくいからな。
本人はさほど気にしない性質ではあるが、やはり、遠坂が憎まれたり疎まれたりするのは、余り嬉しい事じゃない。
「そう暗い顔しないで、味方もいっぱい居ますから」
少しばかり暗い顔になってしまっていたのだろうか、ミーナさんは優しい笑顔でギャラリーの一方を指し示してくれた。
遠坂にエールを送っている一角、なんか見知った顔が多い。ジュリオはじめ、専科の一党だ。口の端を歪め、暗い感情を発露する反対側と対照的に、妙にうきうきと楽しみながら声援を送っている。
「でも、あれって自分達が楽しみたいだけじゃないのか?」
応援してくれるのはありがたいが、あれじゃ、なんか学術発表って言うより、野球の試合でも観戦している雰囲気だ。なんか妙に心もとない。
「楽しまなきゃ長続きしませんよ、それに」
心配性ですね、と苦笑しながらミーナさん。と、此処で表情にすっと冷たい色合いが浮かぶ。
「負の感情は自分にも返ってくるんです。魔術の基礎の一つですよ、士郎くんも忘れないように」
だから、士郎くんも明るい顔で応援しなきゃね、とここでまた花が開くように笑ってくれる。この人も結構複雑な人だな。
「ただいまぁ、ああ、疲れた」
無事公演を終え、戻ってきた遠坂さん。やれやれと言った顔で、どっかと椅子に腰掛けられた。
「ご苦労様です。なかなか見ごたえありましたよ」
何時の間に用意したか、冷たいタオルを取り出してミーナさんが遠坂に笑いかける。
「まあね、探り合いって嫌いじゃないけど、あの連中粘着だし」
心地よさそうにタオルに顔を埋めながら、遠坂はやれやれと苦笑いする。それでも足取りはまだピンシャンしているあたり、何とも心強い。
「お疲れ、で、どうだったんだ。俺には良くわからなかったんだが」
鋭い突込みを巧みにかわしていたものの、どうも俺には遠坂からの切込みが甘いように思えた。
「六分の勝ちって所かな? 手の内明かすわけに行かないから。こっちから下手に深入りできないし、ちょっと武器が不足だったかも。ほら、わたし初体験だし」
玄妙な表現だが、どうやら遠坂も今一つだという自覚はあったらしい、十全たる発表にはならなかったと些か渋い顔だ。
「あ、そうか。遠坂こういうことは初めてだっけ」
自信満々の態度と、いつも講義を受けてたので忘れていたが、遠坂はまだ時計塔一回生。魔術師に囲まれた場なんてのには、慣れてないんだった。
「うん、やっぱり経験不足だったみたい。ほら、わたしってずっと一人でやってきたでしょ?」
相手を叩き潰していいなら楽なんだけど、と物騒な事を言いながら苦笑している。こういう相手の顔を立てた上で、ギリギリまで踏み込む勝負は、どうも勝手が違うらしい。
「でも、普通はああなりますよ」
そんな遠坂に、やっぱり違いますねとミーナさんが講堂を指し示す。意気揚々と出てくる学生諸子は、次々と出てきては完膚なきまでに叩きのめされていく。幾ばくかの抵抗はして見せるものの、殆どの学生はサンドバック状態だ。
「よく見ときなさい。専門課程に入ったら士郎もあれやるんだから」
うわぁ、そらきつい。でもまあ遠坂やルヴィア嬢にいちびられること考えりゃ、それほどでもないか。
「士郎くんは大丈夫ですね、慣れてますし」
「それってどういう意味よ……」
「言葉どおりですよ?」
しれっと返すミーナさん。これには遠坂も黙ってしまった。……俺をいびってる自覚はあったんだな。
「ルヴィアゼリッタの順番のようです」
そんな話題で盛り上がっていた俺達を、なぜか微笑ましげに見ていたセイバーの声がかかる。
「来たわね」
じろりと睨む遠坂の視線の先、遠坂と同じ学生用のローブに身を包んだルヴィア嬢が威風堂々と入場してきた。辺りを払うとはこのことだろう、まるで赤いじゅうたんでも敷かれているような堂の入り方だ。
「流石だな、微動だにしない」
俺は惚れ惚れと見入ってしまった。きらきらと輝きながら、それこそ女王か何かのように教授陣を睥睨している。
「これ位でびびる様なら、苦労しないわよ」
軽く鼻を鳴らして憎まれ口をきく遠坂だが、その言葉の裏でルヴィア嬢を認めている事が伺われる。わたしの敵なんだからこれくらい当たり前だと言ったところか。
「それでは……」
にっこりと微笑んで一礼したルヴィア嬢が顔を上げた、何かちらりとこちらを見たような気もしたのだが……
「わたくしの研究に関する基礎部分は、先ほど遠坂女史からご報告があったと思います」
「くっ……」
一瞬遠坂の顔色が変わる、しまったこの手があったかという顔付だ。
「ですから、わたくしからは、この研究の応用部分での成果をお見せしたいと思います」
ルヴィア嬢はそのまま軽く指を鳴らし、壇上にいくつかの幻影を投影した。先ほどの遠坂の講演、その抜粋といったところか。
「『並行時空通過遠視』の基礎は、無作為に打ち出した探査針で異世界の状況を観測すること。ですけれど、これはラインさえ辿れるならば何処でも観測でき得ると言うことです」
ルヴィア嬢は、芝居っ気たっぷりに演台の上に、クロスを被せる。と、その中央が見る間に何か膨らんでいく。そう、ちょうどバレーボールくらいの大きさだろうか。
「つまり、こちらの探査針だけでなく、“向こう”から打ち出されたラインでも、捕まえる事さえできれば異世界を観測できると言うことです」
ルヴィア嬢は、自分の言葉が会場に染み渡るのを確認するかのように間を空け、再び指を鳴らす。と、一斉に会場の窓にカーテンが引かれ、照明も静々と落ちていく。
「現状確認されている異世界からの接触。この殆どは大師父
薄暗い壇上に映し出されるのは、あの時のヴィーグル達の姿、多種多様な半人の竜が幻影となって舞い踊る。
「ただ、この泡沫世界はあくまで可能性。ラインが断たれれば、シュレジンガーの猫同様に存在が固着しない世界と成り果ててしまいます」
ルヴィア嬢の科白にあわせるように、ヴィーグル達は次々とシャボン玉が弾けるように消えていく。
「したがって、現在わたくし共に存在が確認されている異世界は唯一つ。これまた大師父
弾けたシャボン玉は色彩を変え、蒼く歪んで一つの形に纏まりだす。
「ちょっと、ルヴィアの奴まさか……」
遠坂のうめくような呟き、俺の目も釘付けだ。あの色、あの形、あれは……
「皆様お気づきですわね。そう、これがその結果。わたくしが捕らえた“向こう”からのライン」
ルヴィア嬢は、形を取りつつある幻影を手元に手繰り寄せ、注目をひきつけると、おもむろにクロスを引き剥がし、中身を披露する。
そこには、中からの発光で煌く水晶玉。見事なくらいの真球で、五芒六芒に囲まれている。そう、俺がルヴィア嬢の工房で見せてもらった、あの水晶玉だ。
が、今はその中央は空ではない。別の水晶玉が、まるであつらえたように浮かんでいる。それだけで無い。中央の水晶玉を囲む回廊部分、ウロボロス蛇の上に浮かぶ炎に向かい、狂おしく飛び掛り、梳かされては唸りをあげ、また飛び掛りながら、延々と蛇の上を回り続けている蒼い影。犬の様で犬で無いそれは……
「ラインを手繰り、幻影でおびき寄せ真球に封印した“猟犬”とくとご覧くださいませ」
会場全体が息を呑んだ。俺の横で遠坂さえもが絶句している。なんてもんを持ち出したんだ、ルヴィア嬢は。
それからは完全にルヴィア嬢ペースだった。水晶玉は即座に再びクロスを被せられたが、息を呑まれた教授陣は、質問もそこそこに方法論と術式解析の議論へと、自分達の世界に引きこもり、その流れでルヴィア嬢との交渉にさえなっていった。
つまり、いつの間にか学生と教授では無く対等な研究者として、ルヴィア嬢と対してしまったのだ。
「凛……」
むっつりと顔を伏せている遠坂に、セイバーが心配そうに声をかける。
「やられた……」
それに応えるように、遠坂は天を仰いで嘆息する。
「手の内さらして勝負に来るとは思ったけど。まさかこんな手があったなんて」
珍しく遠坂が弱音を吐く。とはいえ微妙ながら清々しさもある、してやられた事は確かだが、それでも妬んだりはしない。この辺りは遠坂の良い所だ。
「でも、あれってものすごく危なっかしくないか?」
なにせ扱っている代物が“猟犬”だ。その恐ろしさは俺たちが骨身に染みて知っている。
「他の連中がやったならともかく、ルヴィアでしょ? 「角」を基点としてる猟犬は球の檻からは出られないわ」
実際“こちら”に呼んだんじゃなくて、水晶玉に結界作ってそこの世界に呼んだんでしょうね、と腕組みして説明してくれる。
「士郎は、水鏡に映った犬の童話を知ってる?」
「ええと、イソップのあれか? 自分の顔が映った水鏡に吠えちゃって、口にくわえた肉を落としちまったって奴」
「そ、あれと同じ理屈ね。ウロボロスの蛇が見えるでしょ? あれに乗せることで、“猟犬”は自分の背中を別の存在と思い込んで追いかけ続けてるってわけ」
もちろん、ルヴィアが幻影の施術乗っけて騙くらかしてるんでしょうけどね、と爪を噛む。
「じゃあ、あいつはこっちの誰かにラインが繋がっているわけじゃないんだ」
「うん、あくまでこちらの世界の一部を切り取った、ウロボロスの循環結界をぐるぐる回ってる状態ね」
つまり、ラインを何かに繋げてこちらの世界にとどめているのではなく、一旦ラインの末端を輪にした状態で、その輪を引っ掛けているようなものなのだそうだ。
「本来なら取り込んだ後に、完全な鏡面加工にして完封しちゃうのが良いんだけど」
「ああ、あれはハーフミラーにしてたな。何でだろ?」
「一つは、あの循環結界に取り込む為。ネズミ捕りの一方通行の扉みたいなものね。それともう一つは観測の為、見えなきゃ発表できないじゃない。観測できない完封された結界に呼んだって、そんなの呼んでないのと一緒。シュレジンガーの猫じゃあるまいし」
なるほど、見せなきゃ意味が無いか。あれ? じゃあ。
「あれって、使い魔とかじゃないのか」
「そりゃそうよ。そこまで制御できるなら、あんな檻に閉じこめるもんですか。猛獣を檻の中に捕まえて見世物にしてるだけ。多分、この発表が終わったら完封するか送還するでしょうね、あんな物騒なものそこらへ転がしておけないから」
それを聞いてちょっと安心した。あれはそう安直に扱って良い代物じゃない。
「でも、これは決まっちゃいますかね……」
遠坂と反対側の隣でそっと呟くミーナさんの声。眉を顰め、手元で何か電卓のようなものを、こっそり叩いている。ミーナさん、トトカルチョの胴元やってるって本当だったんだな。
そうこうしているうちにルヴィア嬢の講演も終わったようだ。ただ、ルヴィア嬢の題材が題材だったせいか、演台の下に導かれ、未だ教授陣となにやら議論が続いているようだ。更に最後の講演だったせいか、学生達もぞろぞろと降りていって、その輪に加わりつつある。
「凛、シロウ。一つ尋ねてもいいでしょうか?」
さて俺たちも、と立ち上がった時、じっと階下を眺めていたセイバーが真剣な声で聞いてきた。
「なにかな?」
「ハーフミラーとは、どのような仕組みになっているのでしょうか?」
おかしな事を聞いてくる。遠坂も不審に思ったのだろうが、俺と顔を合わせて小首をかしげながらも説明する。
「ええと、鏡はガラスに水銀を塗布して反射させてるの。ハーフミラーって言うのはその水銀の量を調整して、暗い側から見たらガラスに、明るい側から見たら鏡に見えるように工夫したものよ」
「なるほど、では暗い側から明るい側には抜けられるのですね?」
「そうなるわね」
と、此処でセイバーの顔がひときわ厳しくなる。
「では、これは大変危険な状況ではないのでしょうか?」
え?
セイバーの指し示す先に視線をやって、俺は遠坂とともに一瞬、言葉を失った。
照明の戻った演台の上、クロスを被せられていたはずの水晶玉に学生の人垣。誰がクロスをはずしたのだろうか、剥き出しの水晶を前に、訳知り顔の学生が、なにやら口の端をゆがめて議論を始めている。
どうやら、何か難癖をつけているようなのだが、問題はそっちじゃない。徐々に表面に銀の反射を広げつつある水晶玉。その奥で飢えた瞳が何かを探すようにこちらに向けられようとしている。
「セイバー!」
俺は、そう叫ぶと同時に遠坂を引っつかみ、躊躇無く階下に飛び降りた。
「し、士郎!」
「大丈夫です」
遠坂の叫びと、俺と遠坂を受け止めた完全武装のセイバーの応えはほぼ同時。俺の声に呼応して、一足先に階下に飛び降り、俺たちを受け止めてくれたのだ。俺は二人を一瞥すると、ルヴィア嬢の元へ走りだす。
「ルヴィアさん!」
「え? シェロ?」
いきなりの俺たちの行動に驚愕する人並みを掻き分け、俺はルヴィア嬢に演台の水晶玉を指し示す。
「お止めなさい! なにをやっているか分かっているの!?」
状況に気づいたルヴィア嬢の対応は早かった。叫ぶとともに魔術刻印を煌かせ、水晶玉に群がる学生を次々とガンドで叩き落す。
「ナイス! ルヴィア」
と、ほぼ同時に遠坂も同じ事をやりだした。待て待て。気持ちは分かるがやり方が物騒すぎるぞ。
「馬鹿! 間に合わないのよ! セイバー、士郎、あんた達も前に出過ぎないで」
何事かと、走りながら遠坂の視線を追っかけて気が付いた。状況に気が付いたのは、教授陣も一緒だったようだ。流石に時計塔の教授陣。慌てず騒がず強固な結界で演壇を覆おうとしている。……ちょっとまて、まだ学生が残ってるんだぞ!
「止めろ! まだ人が居るんだぞ!」
「駄目!」
「え?――ぐはっ!」
教授陣に食って掛かろうとした俺は、するりと割り込んできたミーナさんに、綺麗に投げ飛ばされて押さえ込まれてしまった。なんでさ!
「士郎くん。今は堪えて」
そのままがっちりと頸と腕の関節を極められ、俺は声も出ない。くそ、離してくれ。こんなこと許せるわけが無い!
「シロウ!」
「士郎、文句は後。ミーナあんたも手伝いなさい!」
「あ、はい! セイバーさん、士郎くんの事お願いしますね」
俺の押さえをセイバーに任せ、ミーナさんも手持ちの結界石をばら撒いて、風弾で学生達を弾き飛ばし始める。
それで、ようやく気が付いた。ルヴィア嬢や遠坂は教授陣の結界が完成するまでに、学生達を演台から叩き落そうってつもりだったんだ。
だが、まずい。やり方が乱暴すぎる、これじゃあの水晶玉が……
「セイバー!」
俺は、俺を押さえつけているセイバーに向かって叫ぶ。今こいつを止められるのはセイバーだけだ。
「シロウ? ……っ!」
気が付いてくれたか、一瞬走り出そうと身を起こすが、既に水晶玉は演台から零れ落ち、床に向かって等加速運動を始めている。間に合わない!
「やれ! セイバー!」
「え? あ、はい!」
だとすれば間に合う方法は唯一つ、セイバーは瞬時に俺の指示を理解してくれた。御覚悟をと一声呟くと、全力で俺を演壇に向かって投げつけたのだ。ナイスだセイバー。
「――ぐげ!?」
英霊の投擲、それこそメジャーリーガー級の豪速球となって、俺は演壇に飛び込んだ。しこたま頭を打ち付けたが、俺は何とか床と口づけする寸前の水晶玉をキャッチし、そのまま上着の中に押し込むことが出来た。これで鏡は機能を取り戻す。
もっとも出来たのはここまで。俺の意識は無念そうな唸り声を耳にした所で、次第に遠のいていく。もう少し優しく投げてほしかったなぁ……
「ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト君」
「……はい」
薄ぼんやりとした意識の奥で、幾人かのざわめく様な呟きが聞こえる。どうやら、ルヴィアさんが誰かに叱られているようだ。
「些か不手際があったようだな」
ああ、思い出した。この抑揚の無いまっ平らな声は、確か隠秘学の教授だったな。俺も教わった事がある。
「……余計な手出しが「いやそれは承知している。だが管理不行き届きであったと言うこともできる」」
よく言う、それは自分達だって一緒だろうが。
怒鳴り返してやりたいところだが、残念ながら口が動かない。俺の身体は、未だ目を覚ましていないようだ。
「まったく、いかに猟犬を捕獲したところで制御不能ではな」
「竜頭蛇尾とはこのことだ」
なにやら勝手な事をほざいている声も聞こえる。さっきまでその事に気づかないで、鵜の目鷹の目だったのは、何処のどいつだってんだい。
「とはいえあの遺物を部分的ながら制御しえたのも事実だミストオサカに感謝したまえ」
「それは……理解していますわ」
不快なざわめきは平板な声に遮られ、それにルヴィア嬢のちょっと口惜しげではあるが、耳障りの良い声が応えている。ざわめきは、そんな二つの声音を前にすっかり力を失っていく。
まあ良いか。結局雑音は雑音に過ぎないんだな。夢現でそんな事を考えていたら、ふと、何かやわらかいものが頬に当たった。なんだか撫でられてるみたいだ。妙に心地が良い。
「よって協議の結果研究成果については考慮に値するとの結論を得た。ただし減点は覚悟して置くように」
ほら、やっぱりルヴィア嬢の勝ちだ。身勝手なざわつきは、それを最後に足音とともに去っていた。後は頬を撫でる優しい感触と、ルヴィア嬢のかすかな息遣いだけだ。
「ごめんなさい、シェロ。おかしな事に巻き込んでしまいましたわね」
そんな心地よさに浸っていると、ルヴィア嬢のぽつりと呟く声が聞こえた。いつもと違い、なんだか少し儚げだ。
「良いんだルヴィアさん。それよりさっきの水晶玉は?」
ようやく目を開く事が出来た俺の視界には、心配そうに覗き込む、逆さになったルヴィア嬢が映っていた。ああ、俺が見上げてるのか。
「大師父の水晶
「それは……残念だったな」
「かまいませんわ。元々この発表会のためだけのでっち上げですもの」
だんだん元気が出てきたな。でもな、ルヴィアさん。でっち上げであれだけの事するってのは、どうよ?
「でっち上げであんな危ない事されちゃかなわないわよ」
と、ここで聞きなれた声。セイバーを引き連れた遠坂だ。二人ともなんか妙に不機嫌そうなのは何故なんだろう?
「あら、リン。いらっしゃったの?」
「さっきからずっとね。まだ御礼は聞いて無いけど?」
「有難う、リン、セイバー。助かりましたわ」
暫しの睨みあい。少しばかりはらはらしていたんだが、ルヴィア嬢は案外素直に遠坂にお礼を言った。
「大した事はしていません。礼ならシロウに」
「どういたしまして、そろそろ借りを返さなきゃと思ってたから。それよりも……」
苦笑しながら応えるセイバーと、肩をすくめてルヴィア嬢に応える遠坂。と、今度は俺を睨みつけてくる。セイバーまでえらく冷たい視線だ。なんでさ?
「何時までルヴィアに膝枕されてるのよ!」
え? ……わぁ! そういえばこの視界。考えてみりゃそれしかないか。俺は慌てて身を起こした。
「シロウは女性に甘い」
何とも珍妙な空気の中、ぽつりと響くセイバーの呟き。あの、その……ごめん。
「ただではすまないと思っていましたけれど」
「こういうのってあり?」
数日後の時計塔。今期の成績発表の日だ。
まあ、あんな事があっても、流石はこのお二方。今期の学生の中では抜きん出ていた。三位以下をぶっちぎりでの成績だったのだが……
――主席:該当者なし
――次席:ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト 並びに 凛・遠坂
発表された結果は主席なしの次席二名。何とも珍妙な結果と相成った。
なんか胴元をしていたミーナさんが頭を抱えてたとか、いなかったとか。
「でもペーパーで負けていたわたくしが同率と言うことは、研究発表では勝ちと言うことですわね」
「あんだけ傍迷惑かけといて、よく言うわよ」
とはいえ、このお二方相変わらず元気だ。最初の一年くらいはなんて事は無いと言ったご様子。お二方とも最後に勝てばそれで良いとか言ってるし。
「あら? それでも大師父の遺物を扱えたと言うのは大きかったと思いますわ?」
「そう言えば、あんた確か大師父の系譜じゃないでしょ? どうやったのよ」
「それはその……大師父
「良くそんなものが……って! ちょっと待ちなさい!」
ほほほと笑って身をかわすルヴィア嬢に、これで貸し借りなしだからね、と怒鳴りつける遠坂。これから時計塔にいる間、ずっとこんな事が続くんだろうなぁ。ちょっと溜息が出る。
ともかく、こうして俺達の時計塔での一年目は終わりを告げた。見上げる空はロンドンには珍しい快晴の青空。
さあ、夏が来た。
END
今期の主席は誰だ!?のお話。
正直ちょっと取り留めの無い話になってしまいました。
燃えも萌えも些か不足と思いましたが、あの連中にこんな日もあるんだと。
“猟犬”は些かやりすぎかと思ったのですが、再生怪人ですので、ご容赦ください。
これにて倫敦とは暫く、お別れ。一回バカンスをはさんで冬木への帰省となります。
By dain
2004/7/28 初稿
2005/11/9改稿