何処までも、何処までも澄んだ青空。
これまた何処までも、何処までも澄み渡る蒼い海。
照りつける太陽は、激しくも優しく、蒼の世界を明るく大らかに照らし出している。

白い砂浜は、その蒼に絶妙に映えて眩いほどに煌き、影さえも明るく照らし出す。
プライベートビーチのせいだろうか人も少なく、夏を錬鍛して形にしたようなこの浜辺は、否が応でもリゾートの気分を盛り立ててくれている。

「良い天気だなぁ……」

そんな砂浜に横たわり、俺は倫敦の灰色の空とは、正反対の青空をぼんやりと眺めながら独り語ちた。
此処はエーゲ海、ミコノス島。
俺たちは今、北のブリテンを離れ、南は地中海の絶景で真夏の太陽と戯れていた。





せいぎのみかた
「最強の魔術使い」  −Emiya Family− 第五話 前編
Heroic Phantasm





「こんな青空、はじめて見た」

俺は砂浜から身を起こし、胡坐をかいてもう一度、空を見上げる。
倫敦じゃ、こんな青空はおろか、晴れた空だってとんとお見限りだった。日本にいた頃でも、そこそこ夏の青空を見上げた覚えはあるが、流石に此処まで青く澄み渡った青空は見たことがない。

――Cow

その青空を、海鳥に混じり高く舞うのはランス。鴉の癖に、天高い青空がいやに似合いやがる。
蒼と青、白と黒、眩いばかりの原色の世界、それこそ世界が弾けそうだ。

「シロウは泳がないのですか?」

そこにもう一つ、純白の世界が弾けた。
白の水着に身を包み、ヴィーナスもかくやとばかりに海から上がったセイバー。濡れた髪から、海の欠片を滴らせつつ、俺に向かって舞うように歩いてくる。

「お、おう……」

一瞬、見とれてしまった。セイバー自身はヴィーナスというよりアテナなんだろうが、白磁の肌を惜しげも無くさらしながら、小首を傾げるその姿は、健康的なくせに、妙に艶っぽいと言うか……いや、とにかく目のやり場に困る。

「シロウ。やはり、その……可笑しいのでしょうか?」

そんな俺のどぎまぎを、セイバーはちょっと勘違いしたようだ。微かに頬を染め、可愛らしい胸を抱え込むように恥じ入っている。それがまた可憐というか、いや、その……益々目のやり場に困るんですけど。

「あ、セ、セイバー。ほら、タオル」

「あ、有難うシロウ」

何とか間を空けようと、俺はタオルを取り出して、セイバーに差し出した。それをセイバーは頭から被り、俺の隣にすとんと腰を下ろして、包まるように縮こまる。そのまま、ちらちらと俺を伺うものだから、折角あけた間も瞬く間に霧散してしまう。

「やはり、この色は私には似合いません」

セイバーはそのまま、寂しげに胸元に編みこまれたリボンを、指先でつついてたりする。うっ、これってかなり反則だぞ。とはいえ、この誤解だけは解いておく事にした。

「いやそれは問題ない。セイバーにはピンクだって似合うぞ」

セイバーの水着は白のワンピースで、胸元と腰に控えめなピンクのリボンをあしらった物だ。ライン自体はシンプルなのだが、そのわずかばかりのアクセントが、未だ少女から抜けきらないセイバーの容姿には、実に良く似合っていた。

「り、凛もそう言ってくれたのですが」

ちなみにこの水着を選んだのは遠坂だ。何時も何時も同じ色じゃ飽きるでしょ、と可愛らしい色を選んだのだそうだが、ナイスだ、遠坂。

「遠坂の言うとおりだ、いつも同じような色ばっかりじゃ詰まらないだろ? それに」

俺は、ほらとばかりに空と海に視線を移す、つられてセイバーもそちらを眺めて眩しそうに瞬いている。

「此処じゃ蒼は空と海が持って行っちまってるし。そっちはあいつらに任せて、たまには違う色で装うのも悪く無いぞ。良いじゃないかピンク。似合ってるぞ、セイバー」

うん、セイバーは凄く綺麗なんだから、似合わない色なんて無いさ。俺は安心させるようにセイバーに微笑んだ。んだが……

「……」

なぜかセイバーは、驚いたように俺の顔を見詰め、真っ赤になって黙ってしまった。な、なんか無性に恥ずかしいぞ。
しばし呆けたように見詰め合ってしまった俺達。そこでセイバーが独り言のようにぽつりと呟いた。

「シロウ……分かって言っているのですか?」

ほんの少し憂いを含んだ表情で、やけに艶っぽく、まるでずっと年上の女性でもあるかのような声音だ。とはいえ……

「なにをさ?」

全然分からない。と、セイバーは俺の返事を聞くや、がっくりと肩を落として、またもタオルに顔をうずめてしまった。いや、分かっていないからまだ良いのでしょうとか、成程、道理でシロウがランスを呼べたわけですとか、なんかぶつぶつと言っている。良くわからないのは相変わらずだが、凄くひどいこと言われてるような気がするぞ。

「なにさ、俺なにかおかしなこと言ったか?」

「シロウが気づいていないのならば、それで良いのです。これが作為であったならば、それこそ犯罪です」

「なんだよ、それ」

「拗ねないで頂きたい。褒めているのです」

俺の不満げな問いに、セイバーはにっこりと、まるで見透かすように微笑みかけてくる。なんか釈然としないぞ。
なのに俺が文句を言うと、セイバーはその度にシロウはそのままでいいのです、と同じ返事をして笑い続ける。とうとう最後には、珍しくも声を立てて笑い出してしまった。なんだかなぁ。

「遠坂たちも、こっちへ来ればよかったのにな」

まあ、おかげでさっきまでの、どうにも気恥ずかしい雰囲気はさっぱり消えてしまった。俺もセイバーもいつもどおりの俺達に戻って、ごく自然に肩を並べ、のんびりと潮風を楽しめている。

「サントリーニ島でしたか、凛とルヴィアゼリッタが向かったのは」

「ああ、昨日、海底火山がどうしたって言ってたな」

サントリーニ島。
エーゲ海に浮かぶ火山島だが、そこは一朝にして海に沈んだと伝えられる、超古代文明アトランティスの名残りだとも言われている。つまり、沈んだ残りがこの島だと言うわけだ。今も活火山のあるこの島で、昨日また噴火があり、海底の隆起があったとかなかったとか。
そんなわけで、遠坂とルヴィア嬢は、すわアトランティス探検とばかりに、今朝からクルーザーでそちらに向かったのだ。
アトランティスかどうかはともかく、その島の海底部分に何らかの古代遺跡があるのは確からしい。何せ魔術的には古く歴史ある物には、ほぼ間違い無く何らかの価値があるのだ。

「つまり宝探しってわけだ」

「それは……なんとも凛らしい」

エーゲ海へバカンスに来てまで、結局やる事は研究じみた事ばかり。あのお二人は本当に根っからの魔術師なんだな。

「折角、このような素晴らしい場所に来たのですから、もう少し羽を伸ばせば宜しいのに」

青い空に浮かぶランスに目をやり、セイバーがもったいなさそうに呟いた。これには俺のほうがちょっと微笑んでしまった。真面目一方でお堅いセイバーが、もっと遊べと言っているのだ。

「シロウ、なにを笑っているのですか?」

「いや、別に、楽しいなと思ったんだ」

人の顔を見て笑わないで頂きたい、とばかりにむぅ――っと膨れるセイバーを眺め、俺は益々微笑みを深めた。きっとこれは、とても良い事なんだろうな。




――Cooow

と、俺とセイバーが仲良く並んで日向ぼっこをしている所に、気持ちよさそうに空を飛んでいたランスが舞い降りてきた。

「どうした? 飯か?」

――いや、それについては先ほどあちらのご婦人方から馳走になった。

ついっと嘴で指し示す先には、ああ、ビーチで横になっている綺麗どころが手を振ってる。……お前、本当に誰彼かまわずなんだな。ほら見ろ、セイバーが睨んでるぞ。

「ランス、貴方がそうだからシロウまでこうなる」

ちょっと待て、セイバー。なんだ、その“そう”とか“こう”とかってのは!

――いや主よ王よ、仲が良いのは良いことだが、とりあえずそれは置いておいてだな。

ランス、俺はお前のその自分の事を、さらっと棚に上げるところが凄く羨ましいぞ。

――沖合いに魔女殿の船がな、おお、そうこうしているうちに此処からも見えてきた。

二人揃って、ランスを睨みつけていた俺とセイバーだが、その言葉で沖合いに視線を移す。あ、本当だ。あの白く秀麗な船体、マストに翻る船印。

「確かに、あれは間違いなくドゥン・スタリオン号です」

ルヴィア嬢のたっての頼みで、セイバーのかつての愛馬の名を貰ったクルーザーは、これまたセイバーの紋章である赤龍の旗を高々と翻し、静々とビーチに近づいてきた。

「どうしたのでしょう?」

「今日は一日中、サントリーニの予定だったよな?」

はて、と顔を合わせあう俺とセイバー。とりあえずと遠視で見てみると、前甲板に仁王立ちしてこちらを見据える、遠坂とルヴィア嬢の姿があった。とはいっても、水着の上からパーカーを羽織っただけのお姿。髪も若干濡れている様子だ。
なんだ、調査って言ってもきっちり楽しんでもいるじゃないか。しかし、なんだな。水着の上にパーカーを羽織っただけの姿って、こうやって見てると、微妙にアンバランスと言うか……すらりと伸びたおみ足が目にまぶしいというか……何とも魅力的だ。

「シロウ、なにを眺めているのですか?」

「うわぁ! いや、別になんでもないぞ」

いつの間にか俺の顔を覗き込んでいたセイバーが、半眼で胡散臭そうに睨んできた。そうだぞ、セイバーだって魅力的だぞ。

――主よ、ご婦人の鑑賞を邪魔だてするのは、些か不本意ではあるが。

こら、ランスお前まで。俺は別にだな。

――お迎えがやって来たようなのだが?

と、これまたいつの間にか船尾からボートが下ろされ、こちらに向かって進んでくる。

「気が付かなかったな……」

「私は先ほどから気が付いていました。シロウ、貴方は一体何処を見ていたのですか?」

またも、じろりと睨みつけられた。何処って、ほら舳先のほうで綺麗な……ごめんなさい、俺が悪かったです。
何か微妙に打ちのめされているうちに、ボートはそのまま浜辺に乗り上げ、いつもの如く、一部の隙も無い服装のシュフランさんが降り立った。

「衛宮様、セイバー様、御休息中のところ甚だ不躾ではありますが」

これまたいつもと寸分変わらぬ物腰で、俺達に話しかけてきた。この炎天下、汗の一つもかいて無い。流石は執事だな、憧れるぞ。

「お嬢様と遠坂様が、火急の用件があると申しております、詳細は船でお伝えしますとの事ですので、船までのご案内をと思い赴きました。ご同行いただけますでしょうか?」

と、そのまま一礼して応えを待つ。俺は改めて、セイバーと顔を見合わせた。

「なにがあったのでしょう?」

「アトランティスでも見つけたかな? ともかく行ってみよう。話は船でって事だから」

「はい」

俺とセイバーは、その場で荷物をまとめ、水着の上からパーカーを羽織っただけの姿で、シュフランさんと共にボートでクルーザーへと向かった。何か結局四人とも同じ格好になっちまったなぁ。




「どうしたんだ? アトランティスでも見つけたのか?」

軽口をほざきながら、舷側を乗り越えると、俺はその場でお二方に迎えられた。

「……」
「……」

はて、さっき前甲板で見たとおり、腕組みして仁王立ちしているお二方。なんか妙に不機嫌だ。怒ってるわけではない様なんだが、なんだろう。

「凛、ルヴィアゼリッタ。どうしたのですか?」

大丈夫ですといいながらも、俺の手を借りて舷側を乗り越えたセイバーも、はてなと小首を傾げて聞いている。

「べ、別に大した事じゃないわ」

「そ、そうですわ。お気になさらないで」

俺とセイバーが心底不思議そうに眺めていたら、二人揃ってやにわに恥ずかしそうに頬を染めて、視線をそらしてきた。本当になんだったんだ。

――主よ、そなた本当に乙女心に疎いのだな。

笑い声が聞こえてきそうな羽音と共に、ランスもマストに舞い降りてきた。なんだよ、それ。

――なに、先ほどまでの主と王は、実に仲睦ましい様子だったのでな。

そんな俺に向かって、ランスは心底楽しそうに一声鳴きやがった。

「セイバーと俺? 別にそんなもんじゃないぞ」

まったく、なに言ってるんだか。

「……にぶちん」

「……シロウですから」

「……なんだか馬鹿らしくなってきましたわ」

と俺のぼやきに、セイバーを含め、見目麗しい美人三人が揃って大きく溜息をつかれた。なんでさ。

「ま、いいわ。詳しい話するからキャビンへ来て」

「ええ、大急ぎでデロスへ向かいますわよ」

デロス? デロス島の事かな? 確かこのミコノスの隣島で、アポロン神殿か何かの遺跡がある無人島だっけ。一体なにがあったんだろう?




「沈没船?」

「そ、デロス沖で見つかったらしいの」

「ええ、サントリーニの方では目ぼしい物はなかったんですけれど」

喜び勇んでサントリーニへ、アトランティス盗掘へと出かけられたお二人だが、結局そこではなにも見つからなかったらしい。で、無駄骨だったと、水着に着替えビーチで不貞寝していたところに、デロス島から沈船発見の一報を受け取ったと言うことだ。

「盲点だったわ、サントリーニ界隈だけじゃなく、エーゲ海一体が宝の山だったものね」

「ひっくり返せば何処かしらで、何か出てきますものね」

結局、この沈船も昨日の火山の影響という事だ。どうも埋まっていたものが、海底隆起で掘り返され、調査可能なところまで放り出されてきたらしい。

「でも、ここで沈没船ってそれほど珍しくも無いだろ?」

エーゲ海は比較的穏やかな海だ。それでも紀元前の時代から、ひっきりなしに船が往来して来た海でもある。特に古代の船は、現代のそれとは比べ物にならないくらい脆くて、この海に沈んだ船は数知れない。
実際、大英博物館などの所蔵されている壷や文物も、発掘品などに混じって、こういった沈没船からの回収物がかなりの数を占めている。

「ま、確かに、二千年位前の奴はざらだけどね」

「この沈没船は三千年以上前、推測で紀元前十三世紀と出ていますわ」

俺の疑問に、遠坂とルヴィア嬢が実に嬉しそうに答えてくれた。こいつは別格、宝の山よ、といった表情だ。とはいえ、確かに紀元前十三世紀ってのは凄い、それこそ神話の時代じゃないか。

「イーリアスの時代ですね」

それまで黙って聞いていたセイバーが、感に耐えないような声音で呟いた。

「セイバー、知ってるのか?」

なんか意外だ。セイバーは英国の王さまだったんだから、ギリシャって縁遠くないかな?

「シロウ、ギリシャ・ローマの古典グレコローマンは当時の基礎教養です。衰えたとはいえ、ブリトンも一応ローマの文明の末席に連なっておりました」

それこそ王たる務めと、魔術師メイガスに叩き込まれましたとセイバーさん。

「もっとも、ホメロスとプルタルコスは、そういった勉学とは、別の意味でも心躍らせておりましたが」

血沸き肉踊る英雄達の活躍は、遠く憧れたものですと微笑まれる。いや、似合ってるんだが、女の子の読み物としてはちょっとあれじゃないか?

「あ、セイバーはオデュッセイアは余り好きじゃないでしょ?」

興が乗ったか、わたしはあっちの方が面白かったけど、と遠坂さん。

「確かに余り好ましいとは思いませんでしたが、それでも私は王。策士の必要性を無下にするほど狭量ではありません」

腰に手を当てて、甘く見ないで頂きたいとセイバーさん。でも、水着にパーカーで綺麗な女の子が、そういう格好しても迫力無いぞ、むしろ可愛らしい。

「ただ、王命とはいえ、味方にまで策を弄するあの様には、余り共感できませんでした」

私なら、あのような無下な王命は下しません、と憤慨気味なセイバー。そう言えば、アガメムノンってかなり我侭な王さまだったよな。

「ギリシャ側かトロイヤ側かまでは分かりませんけれど、トロイヤ戦争に関係した船である可能性は高いですわね」

やっぱりセイバーは金ピカの王様とは相性悪いのね、などと遠坂が横道に逸らしているのを、ルヴィア嬢が元へと戻した。金ピカって何ですのと些か機嫌も傾きがちだ。いや、ルヴィアさんの事じゃないぞ。

「デロス沖だもんね、アポロンの神域に逃げ込もうとしたトロイヤ側、凱旋途上でアポロンの怒りに触れたギリシャ側、どっちの可能性もあるわね」

「ともかく急ぎますわよ、時計塔きょうかいからは、デロス博物館アルカディアの連中も向かったと言ってきておりますから」

なんでもデロス島は、有名なアポロン神殿があっただけに、エーゲ海の霊脈の中心的な位置なのだそうだ。そこの博物館も魔術協会の関連施設だという。
まあ、時計塔絡みである以上、見つけたものを自分のものにできるわけでは無いが、それでも調査と解析の最優先権が手に入るらしい。物によっては使用権まで入ると言うから、こいつはかなりでかい権利だ。

「館長が確か“管理者セカンド・オーナー”でもあったはず」

つまり、冬木と一緒で、その館長って言うのが島の領主みたいなものか。俺は、目の前で轟然と胸を張る、綺麗で美人でその上倣岸不遜なお二人の魔術師を見やり、小さく溜息をついた。お前ら、喧嘩するなよ。




「ちっ、先を越されてるわ」

「まったく、レディファーストという言葉をご存じないのかしら?」

なんか、いきなり喧嘩腰だ。

「仕方ないさ、距離が違うんだから」

既に、その場所には別の船が鎮座していた。各所にブイを浮かべ、ダイバーだろうか? ブイや船の周りで幾人かの頭も見える。船そのものも、かなり本格的な調査船のようだ。
当然と言えば当然か、目の前のデロス島からと、百キロ近く離れたサントリーニ島からでは、勝負にならないのは当たり前だろう。
と、そんな事を言ったら、あんたはどっちの味方だ、とばかりに二人揃ってむぅーっと膨れやがる。

「リンが悪いんですわ。泳ごうなんて言いだすものだから」

「なに言ってるのよ、エーゲ海まで来てお日様浴びないなんて不調法ですのよ、なんていって服の下に水着着てたのはルヴィアじゃない」

「しっかり同じ事をしていたリンに、言われたくありませんわね」

しまいには身内で喧嘩をお始めになられた。やれやれ。
その間も、俺たちのクルーザーはするすると調査船に向かって近づいていく。連絡入れなくて良いのかなと思っていたが、流石に声の届く距離になると、向こうの船のスピーカーが鳴り響いた。

「こちらデロス島の学術調査船。現在、海底遺物の調査中につき、観光客の立ち入りは遠慮していただきたい」

まあ、確かに瀟洒なクルーザーに、水着の女の子が乗って面白げに眺めているのだ。普通、どこぞの金持ちの酔狂だと思うよな。

「観光客ではありませんわ。時計塔大英博物館より連絡を受けた学術会員ですの」

「ご同業になります。ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト、凛・遠坂の両名。調査協力にと遣わされて参りました」

その声を聞いて、先ほどまでの喧騒は何処へやら、お二方とも見事なほどの豹変で、綺麗に猫を被られた。輝くばかりの笑顔で、淑やかにしなやかにお応えしている。流石だ、猫の被り方が半端じゃない。

「そ、それはようこそ。現在館長は下に潜っておりますが、お待ち願えますか」

一瞬の沈黙、微妙な間が開いてから、あちらも慌てて言葉使いを改めてきた。
なんか“あの”とか“例の”とか怪しげな定冠詞が聞こえたような気がしたが、きっと気のせいじゃないだろうな。なんか浮き足立ってるし。

「いいえ、上がられるまで、そちらでお話を伺いながら待たせて頂きますわ」

「現状の把握もありますし、資料に目を通させてもいただけますわね? 皆さんよろしくお願いし致しますわ」

蕩けるような笑みのまま、言葉使いこそ丁寧だが、待ってられるか、根こそぎ晒して貰うぞってな調子だ。

「それでは、こちらからボートを……」

「いえ、このまま、そちらにお付けしますわ」

もうすっかり二人のペースだ。息つく間もなく畳み掛ける。

「セイバー、真横つけて、乗り移るから」

「了解しました」

ルヴィア嬢に向こうの相手を任せて、遠坂がセイバーにこっそりと指示を送る。
舵輪を握ったセイバーは、そのまま流れるような操船でするすると船を寄せ、クルーザーをぴたりと調査船の隣に寄り添わせた。凄いな、結構でかいんだぞこの船。


「ようこそいらっしゃいました。エーゲ海はお楽しみいただけておりますか?」

「有難うございます。でもご挨拶は後にいたしましょう」

「まずは、沈船の状況を説明していただけますかしら?」

営業スマイルのまま、きっちり押せる所は押し捲るお二方。
普通なら強引になるところが、極上の美人さん二人が、それこそ花を背負わんばかりの微笑み浮かべて仰るのだ。向こうも仕方が無いと苦笑しながらも、ついつい二人の手に乗ってしまっている。美人は得だなぁ。

「では、こちらを。海底の様子です」

俺たちは、そのまま迎えの人に案内されて、甲板に設らえられた、観測機器のようなものの所へ導かれた。
どうもただの機械ではなさそうだ、半円のドームのような水晶玉がはめ込まれ、そこに海底の様子が映し出されている。

「あら? 二隻ありますの」

「一隻は……ちょっと深いわね」

食い入るように覗き込むお二方。確かに、二人の肩越しに覗き込むと、浅いところに一隻、少し離れたがけっぷちのようなところにもう一隻、細くて長いガレー船のような船影が映し出されている。

「近いほうの船には横腹に穴が開いていますね。衝舳ラムでしょうか?」

その映像を眺めやり、更に俺の後ろから覗き込んでいたセイバーが呟いた。

「よくご存知で。その通りです。多分、この二隻で戦い、絡み合ったまま沈んだのでしょう。あちらの船にもその跡が見受けられました」

美人三人に囲まれて、案内役の人は微妙に楽しげに解説してくれる。いえいえどうもと頷くセイバーへ、どういたしましてと微笑んだりして、やっぱり美人は得だなぁ。

「それで、何処の船か分かりましたの?」

「船体のサンプルを採取しました。紀元前十三世紀頃のイタケの杉です」

まるで、自慢の玩具を披露するような笑みを浮かべ、意味ありげに小さく呟く案内役。

「イタケですって?」

「と言うことは……」

その呟きに遠坂とルヴィア嬢は、社交辞令で無く本気で目を見開いて顔を合わせる。

「そう、オデュッセウスの船団。そのうちの一隻と見るのが妥当でしょう。こいつは大発見ですよ」

これには二人も絶句した。セイバーだっておうとばかりに嘆息している。
流石に俺だってオデュッセウスは知っている。トロイヤ戦争の英雄にして古代ギリシャ最大の策士。例の木馬の考案者だ。
トロイヤ戦争が終わった後、山と戦利品を積んだ船団を率いて帰国しようとしたが、なんでも神様の機嫌を損ねたとかで、地中海一体をさまよい廻る事になったと言う。結局、帰り着くまで二十年。その時までには十二隻の船団は全滅し、帰ってこれたのはオデュッセウスただ一人だったという。
ここに沈んでいるのがその中の一隻だとすると、確かにそれは大発見だろう。

「それで? 積荷は?」

「トロイヤの戦利品ともなれば、ただの財宝だけとも思えませんわ? 何か見つかっていませんの?」

はぁ、とひとつ感極まったような溜息をつくと、一転してお二方とも目を輝かせて食って掛かられた。現金だなぁ。

「ああ、イーリアスの物語を目の当たりにできようとは……」

うわぁ、セイバーまで、瞳にお星様浮かべてるよ。そんな凄い事なのか。俺にはちょっと実感無いなぁ。

「いや、それが積荷は皆無なのですよ。水や食料用の壷や瓶は荒らされていませんでしたから、盗掘は考えられませんし……」

「なるほど、それで館長自ら潜ったわけね」

「何か一点、大物を積んでいた可能性がありますものね」

もしオデュッセウスの船ならば空荷って事はまず考えられない。俄然、期待が高まる遠坂とルヴィア嬢。と、ここで船内が急に騒がしくなってきた。

「ああ、どうやら館長が上がってくるようです」

美人三人に迫られ、土俵際で踏ん張っていた案内役が、その姿勢のまま、受け取った通信機からの伝達を中継してくれた。

「で? 何か見つかりましたの?」

「なにがあったの? トロイヤの遺品よ半端じゃないはず」

音が出るほどの勢いで、案内役に詰め寄るお二人。おおい、猫はどうした?

「それが、『今から上がる、成果は見てのお楽しみだ』と……」

「じらすわね……」

「余りいい趣味ではありませんわ」

被った猫も完全にかなぐり捨てて、むぅ――っと膨れて、案内役の人に更に詰め寄る遠坂とルヴィア嬢。こらこら、お前ら最近、猫被りの壁がとみに低くなってるぞ。

「私達だって知らされていないんですから。ほら! 上がってきましたよ!」

舷側ギリギリまで追い詰められ、今にも海に落ちんばかりの案内役は、大慌てで海面の一点を指差す。

「うわぁ……」

そこには、徐々に人が浮かび上がる泡が見える。
が、それだけじゃない。なにか玄妙な光も上がってくる。こりゃ、ただの光じゃないぞ。

「この魔力……」

「ただの魔具じゃないわ、遺物、いえ……」

遠坂とルヴィア嬢が息を呑む中、それはついに海面から姿を現した。
それは一つの世界だった。大地が、天空が、日が、月が、星々が、全てそこにあった。
中央に天、周囲の円環の人の世、婚礼と戦い、豊穣と祭り。古代ギリシャの世界がその円環には封じ込まれていた。
そいつは三千年以上海中にあったにもかかわらず、苔一つ生えておらず、腐食のふの字も無い輝かんばかりの光沢を保っていた。そして優れた匠だけが作り出さる玄妙なライン、いや、こいつを作るには人間以上の手が必要だ……

「これって宝具……しかも生きてるわ」

「まさか……トロイヤ戦争でこれだけの品と言えば……」

二人揃ってうめくように呟く。これってまさか……

「イーリアスの詩の通りです。これはアキレウスの盾」

最後は感極まったセイバーの声。
例え剣で無くとも、こいつなら俺にだって分かる。
そう、こいつは鍛冶の神へパイストが鍛えた不敗の盾。最高の戦士の証、英雄アキレウスの盾だ。




「やったぞ、船長。見たまえ、この素晴らしい盾を」

盾を引き上げたダイバーが、装具を外すのももどかしげに案内役の人に話しかける。この人、この船の船長だったんだな。

「やりましたね館長」

そのまま大の男が踊りださんばかりの勢いで、抱擁しあっている。いやあ、ごっついなぁ。

「おめでとうございます」

「素晴らしい発見ですわね」

そんな暑苦しい二人に引く事も無く、猫を被りなおした遠坂とルヴィア嬢が礼儀正しく祝辞を送る。このあたりの役者ぶりは見事なものだ。

「船長、こちらは?」

館長と呼ばれた男が、あからさまに不審げな表情で船長に尋ねる。それはそうだろう。一応学術調査船と銘打っている船の上で、水着姿も目に眩しい美人さん三人がにこやかに立っているのだ。

「ああ、こちらは……」

時計塔きょうかいから参りました。ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトと申します」

「同じく時計塔の凛・遠坂です」

「ミスエーデルフェルトに、ミストオサカ? 御高名はかねがね。私はデロス博物館ギリシャ協会の館長を勤めるウーティスです」

三十路くらいだろうか、思いのほかに若い館長は、遠坂とルヴィア嬢とにこやかに握手を交わす。

「こちらはわたしの弟子の士郎・衛宮と、使い魔のセイバーです」

「ああ、よろしく」

こちらには形ばかりの会釈だけ。まあ魔術師だしこんなものだろう。

「それにしてもオデュッセウスの船にアキレウスの盾なんて」

「あれはアキレウスの息子に渡されたものだと伝えられてますわ」

「だが、その後失われている。オデュッセウスのことだ、渡した事にして偽物をつかませたか、あるいはトロイヤ戦後にうまく立ち回って取り戻したか、どちらにせよこのような逸品だ、子供の手にあっては宝の持ち腐れだからね」

さも当然といった顔だ。なんかえげつない話だな。
そんな思いが顔に出たのだろう、セイバーがもっとえげつない話をしてくれた。

「オデュッセウスがあの盾を手に入れた時も、同じようなものです。アイアスがアキレスの亡骸ともども、ただ一人で必死に持ち帰った武具は、オデュッセウスがアガメムノンと共謀して騙し取ったと伝わっています」

そりゃ、えげつない。前にセイバーが言ってた味方にも策謀ってこの事か。

「そうですわね、これだけの逸品が見つかったとなると、時計塔きょうかい教授陣おえらがたも大喜びですわ」

「目に浮かびます、来期はきっとお祭り騒ぎでしょう」

しかしながら、自分達で見つけたもので無い以上、この盾の調査権は遠坂やルヴィア嬢には無い。後はこれを倫敦まで届ける仕事があるだけだ。
宝具を眼前にした興奮も冷めたのか、二人とも、妙に覚めた口調になっている。ほんと現金だなぁ。

「ああ、その件だが、この盾は時計塔ロンドンに送るつもりは無い」

一瞬、遠坂とルヴィア嬢が固まった。時計塔からの伝達はあくまで発掘と調査。この人はその品物を、自分のものにすると言っているようなものだ。下手をすると、裏切り扱いされかねない。

「それってまずくないかな?」

「ん? ああ、別にまずいとは思わない」

だが、館長は平然としたものだ、エーゲ海全体を抱え込むように手を広げ、芝居っ気たっぷりに滔々と語りだす。

「ギリシャの海で、ギリシャの魔術師が、ギリシャの英雄の宝具を手に入れたのだ、デロス博物館ギリシャの協会に納めるのが筋だと思わないかな?」

既に魔術界も大英帝国の時代ではないのだよ、とばかりに冷ややかに見据えてくる。

「それにしても、時計塔で問題視されかねません、よろしいのですか?」

「ああ、大丈夫さ。別に報告もしないと言っているわけではない、それに第二船で何か見つかれば、それは君達に任そう。それをどうするかは君達の判断だ。それで文句は無いだろう?」

「そうまで仰るのなら。わたくしからはなにも言う言葉はございませんわ」

「わたし共が、調査に協力させていただくこともご同意願えるのでしょう?」

「無論だ、時計塔の今期共同次席のお二人の協力なら大歓迎だ。君達にとっても良い勉強になるだろう」

「そ、それはどうも……」

「有難うございます。感謝いたしますわ……」

うわぁ、この人言っちゃったよ。
一瞬にして遠坂とルヴィア嬢の笑顔の質が変わった。すんごく綺麗なんだけどすんごく怖い笑み。地の底でマグマが煮えたぎるような笑顔だ。
できる限り触れないようにしてたけど、やっぱり気にしてたんだな、あの事。



「館長! ちょっとこちらへ!」

そんな危うく爆発しかねない、微妙に険悪な空気を、船長の驚愕の声がぶち破った。

「どうした? なにを慌てているのだ?」

「第二船が、消えています」

「なに? そんな馬鹿な」

今までの余裕も何処へやら、館長は慌てて先ほどの観測機器の傍らに走っていく。

「リン、シェロ。わたくしたちも向かってみましょう」

しばし顔を見合わせていた俺達だが、ルヴィア嬢の一言で、館長の後を追う事にした。

「セイバー、行くぞ……セイバー?」

が、セイバーが動かない。というか、水平線のかなたを厳しい目でじっと睨んでいる。

「セイバー?」

俺たちはまたも顔を見合わせてしまう。セイバーがこれだけ厳しい表情をしてるって事は……

「シロウ、凛。あなた方は感じませんでしたか?」

「感じるって?」

遠坂の不審げな問いに、セイバーは更に難しい顔になって振り向く。こっちもなんだか悩んでいると言うか、困惑してるって顔だな。

「今、何か強力な力を感じたのです……それが、その……あり得ない事なのですが、サーヴァントと同質の力だったのです」

「そんな馬鹿な」

聖杯戦争は終わってるんだし、未だ現界してるサーヴァントだってセイバーしかいないはずだ。金ピカの例もあるけど、あいつの他にそんな話は聞いた事が無い。

「間違いではなくて?」

流石のルヴィア嬢もこれには聞き返す。セイバーの言葉とはいえ、そう簡単に信じられる事じゃない。

「ですが、確かに……っ!」

――Crooow!

何とも言いようの無い表情で、何事か言いかけたセイバーの表情が再び硬直した。
と、同時に上空のランスから鋭い一声が響いた。

「来ます!」

セイバーの叫びの直後、身構えるまもなく、調査船の舷側に、どでかい水柱が上がった。

―― 轟!――

「きゃ!」
「うわぁ!」

いきなり船が翻弄された、なにか大砲でも打ち込まれたような水柱だ。だが、その直前。俺は確かに見た。

「士郎、ルヴィア。見た?」

「ええ、見ましたわ。なんですのあれ?」

「岩だ……」

調査船の舷側に叩き込まれたのは、ただのでかい岩だった。いや、ただのといっては語弊がある。恐ろしく強力な魔力の込められた岩。あそこまで行くともはやちょっとした宝具の域だ。

――Croooow

上空を周回していたランスが今一度、甲高い声で急を告げる、今度は何かと見上げると、左舷前方を指し示し一直線に飛んでいく。

「なによあれ?」

遠坂の素っ頓狂な声に促され、俺もそちらを注視する。十キロほど沖だろうか、米粒ほどの点。俺は遠視を最大限に伸ばして、それを遠見する。

「ガレー船?」

それは図鑑などで見るガレー船のような船だった。両舷にムカデのようなオール、ペンチを尖らせたような凶悪な舳先、そいつがこちらに向かって挑みかかる様に進んでくる。

「また来ます!」

セイバーの声と同時に、そのガレー船から再び岩が投げ放たれた。

「嘘だろ……」

俺はその瞬間をはっきりと遠見した。一抱えもありそうな巨岩、そいつは確かに船の舳先に立つ人影の“手”で投げ飛ばされたのだ。

「船を放そう、このままでは良い的だ」

呆然とガレー船を見詰める俺達に、館長の声がかかる。

「それが良い、このまま此処に止まっていてはなにも出来ません。ルヴィアゼリッタ、ドゥン・スタリオンをお借りします」

力強く頷くと、セイバーはルヴィア嬢に一言断って、飛ぶようにクルーザーへ舞い戻る。

「お待ちなさい、セイバー。貴女なにをするおつもり?」

「近づいて一気に方をつけます、凛、よろしいですね?」

既にクルーザーのブリッジに取り付いたセイバーから、よく通る声で返事が返ってくる。

「よろしいですねって、あんた飛び道具……あっ」

遠坂はセイバーがなにをやるか気がついたようだが、そもそも海の上でセイバーは戦えるのか? 遠坂じゃないが飛び道具なんて……あ。セイバーお前まさか。
俺は周囲を見渡した。抜けるような蒼い空、底知れぬ蒼い海。障害物なんか欠片も無い、ここならぶっ放しても他に被害は及ばないだろう、でも、本気か?

「一発よ、ルヴィアがいるったってそれ以上は無理だから」

「なにをやるか分かりましたわ。見せていただきますわよ、セイバー」

そう言うが早いが、遠坂とルヴィア嬢は、決意の篭ったまなざしで、クルーザーに飛び移った。

「凛、ルヴィア。危険です!」

「マスターとサーヴァントは一蓮托生でしょう」

「わたくしの船ですわ。乗せないなどとは聞きません」

セイバーの抗議を、遠坂もルヴィア嬢もぴしゃりと一言で受け流す。まあ、言ったって聞かない人たちだしな。

「シロウ、貴方まで……」

もっとも俺だって聞く気は無い。一気にブリッジまで駆け上がり、セイバーの隣で予備の舵輪を手にする。

「馬上試合じゃないんだから、ここからじゃ戦えないだろ? まっすぐ全速で進めるくらいなら俺でも出来るぞ」

――王よ、我が先導する。道は任せられよ。

さらに上空からランスの一鳴。さぁ、これで皆揃った。駆けるぞ、セイバー。


青い空と蒼い海。欧州夏のバカンスの定番。Britain一行のエーゲ海のクルーズです。
まずは小手調べ、何せ歴史のあるところ、それこそ地面を掘れば遺跡に当たるところですから。
さて、読んでいただければお分かりと思いますが、今回トロイヤ戦争のお話。
てことになると、次に出るのは……
それでは、後編をお楽しみください。

By dain

2004/8/4初稿
2005/11/10改稿

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