「我々はデロスに退避する。もし出来れば正体を調べてほしいな」

岩石の降り注ぐ中、俺たち以外の乗員を移乗させたクルーザーは調査船から分離し、俺たちはガレー船へ、調査船はデロスの港へと袂を分かつ。
あの船もやはり、魔術協会の船だけあって呪式の防御が施されているのだろう、ギリギリで直撃だけは躱している。とはいえ、至近弾だけでもかなりの被害が出ているようだ。無事港につけるだろうか?

「狙いはどうやらあっちの船ね」

「はい、コース取りもあちらの船を追いかけているようです」

合成風を受け、髪とパーカーをなびかせる遠坂に、セイバーは巧みに舵を取り、ガレー船と調査船の間に割り込みをかけながら応える。
確かに、向こうの狙いはこちらでは無いようだ。調査船と離れてからこちらへ飛んでくる岩は殆ど無い。くそ、まずいな。

「セイバー! 突っ込んでやれ」

こうなりゃ、真っ向勝負だ。





せいぎのみかた
「最強の魔術使い」  −Emiya Family− 第五話 後編
Heroic Phantasm





「リン、手伝って頂けます?」

道具を取ってくるとキャビンへ降りていたルヴィア嬢が、両手にトランクを引っさげて上がってきた。こちらは邪魔だとばかりにパーカーを脱ぎ捨てて水着だけだ。ルヴィア嬢は着やせするタイプだったんだな。蒼のビキニでそう元気一杯に飛び回られると、ちょっと目のやり場に困るぞ。

「まだ、かなり距離あるわよ? 何か良い道具でもあるの?」

そんな俺を、どうせわたしは揺れませんよなどと呟きながら一睨みして、遠坂がルヴィア嬢の元へと向かう。いや、別に俺はそんな事をだな……

「きゃ!」
「くぅ!」
「どわ!」

いきなりクルーザーが揺れた。理由は明白、今まで真一文字に突っ込んでいたセイバーが、全速力のままで舵を切り、右に左に蛇行しだしたのだ。

―― 轟!――

と、それまでの航路の先に次々に落下する岩石群。よし、食いついてきた。とうとうこっちに目標を変えたな。

「どうやら、この船を叩かねば、向こうを追えないと悟ったようです。これからはかなり揺れます」

セイバーの厳しい声。もっともこれくらいでは私は揺れませんが、と小さく恨みがましい呟きが後に続く。セイバー、お前も見てたんだな……

「こう揺れちゃ、攻撃呪は無理ですわね」

「セイバー、こっちは守りに徹する。攻めは任せたわ」

振り回されながらも、不敵に笑う遠坂とルヴィア嬢。舷側にしっかりとしがみつき、次々と宝石を砕いて船の防護を強化する。流石に直撃では持つまいが、至近弾ならこれで何とかなる。

「一気に詰めます」

蛇行しながらも流石セイバー、見る見るうちに距離は詰まり、ガレー船の細部まで見渡せるようになってきた。

「古代ギリシャ? いえもっと古いものですわね」

「船印は城壁に鷲か……なんか思い当たる?」

「……もしこれが、トロイヤ戦争に関係するとしたら……」

これだけ近づくと、向こうの狙いも正確になってくる。それこそ紙一重で落ちてくる至近岩を、湯水のごとく宝石を消費しながら相殺するお二人。額に汗の玉を浮かべながらも、それでもしっかり相手を観察している辺り、流石は一流の魔術師だ。

「シロウ、後は真直ぐに」

距離はほぼ一キロ。向こうの航路とこちらの航路をぴたりと合わせ、セイバーが凛とした声で俺に指示を飛ばす。もう言葉は要らない。俺が一つ頷くと、セイバーは素早くブリッジを飛び出し、一気に舳先まで駆け抜けた。

「参ります!」

舳先に立ったセイバーは、真っ向からの合成風にたなびくパーカーを、邪魔だとばかりに脱ぎ捨てた。舳先に粛と屹立したセイバーは、傾きかけた陽光を浴び水着姿のままで、その手にエクスカリバーを顕現させる。
即座に風が巻く。風王結界インヴィジブル・エアは既に剣を隠匿する役目を捨て、真っ向から来る風を巻き、一直線に豪風を切り裂く。もうこれで避ける必要さえなくなった。風精を従えた風は、魔岩の軌跡をものの見事にへし曲げる。
渦巻く疾風に無駄を悟ったのだろう、向こうももはや岩は投げてこない。

刹那の沈黙、烈風を巻く宝具を振りかざし、セイバーの声が海原に響く。


約束されたエ ク ス)――」

と、セイバーの雄叫びにあわせるように、ガレー船の舳先に立つ人影が、壁と見間違えるほどの盾を掲げた。

「――勝利の剣カ リ バ ー)!」


海を割り、一直線に進む傲然と煌く白光の刃。


――「熾天覆うロー)――」

え?

――「――七つの円環アイアス)」


だが、その行き着く先にも、凛然と紅明が輝き登る。
花開くように、咲きかつ舞う七重の光盾。まさか、こいつは……

―― 激!――

見る間に白刃は、踊りかかる獅子の様に紅壁に挑みかかった。

一枚、二枚。三枚。

次々と紅煌を打ち砕き、前へ前へと突き進む白刃。
が、その都度、勢いは殺されていく。

四枚五枚。

貫く、貫く、貫き進む。

六枚。

切り裂き、さらに最後の壁へ。

「――くっ」

セイバーが唇を噛む。

最後の光盾、最後の白刃。共に力を振り絞り、あともう僅かと届く前。まるで双方、力尽きたかのように揺れ、瞬き、そして一瞬の閃光を最後と対消滅するように弾けて消えた。

「う……そ」

「――つぅ……」

遠坂が真っ青な顔でぐらりと揺れる、それに呼応するようにセイバーさえも膝を付いた。

――エミヤ! 上だ!

あっけに取られた俺の心に、ランスの叱咤がこだました。上だって?
我に返った俺は、もう直感だけで思い切り舵を切る。

―― 雷! ――

「――ぐっ!」

すさまじい電撃が、クルーザーの舷側を掠める。同時に巨大な水柱が立つ。ちょっと待て! 何で雷で水柱が立つんだ?

「岩ですわ、真上から雷電を伴った岩が。ホメロスの歌に「神鳴る巌礫クロニオーン」と歌われ、トロイヤの勇士を昏倒させた魔礫。リン、しっかりなさい! 護法が綺麗さっぱり消し飛ばされてしまいましたわ。次が来る前に固め直しますわよ!」

崩折れた遠坂を支えながら、ルヴィア嬢が悲鳴のように言い放つ。くそ、俺はガレー船を、その舳に立つ人影をにらみつけた。「熾天覆う七つの円環ロー・アイアス」だと? しかもほぼ同時にもう一つの宝具を放ちやがった。一体どんな奴だ?

「シロウ! 今一度……」

セイバーが口惜しげに歯噛みしながら身を起こした。

「セイバー、諦めなさい。痛み分け」

こちらも足元をふらつかせながら、それでも凛と応える遠坂。もう、この船じゃ戦えない。直撃は避けれたとはいえさっきの雷礫で既に浸水が始まってる。デロス島までだって持つかどうかだ。

「セイバーだって分かってるでしょ? 今のわたし達じゃあれ以上のエクスカリバーは無理。同じ事だわ」

遠坂の言葉に唇を噛むセイバー。英霊の力はとんでもなく規格外だが、それでも聖杯の補助の無い今、同じ魔力を使っても威力は半分ほどになってしまう。効率がかなり悪くなっているのだ。

「しかし!」

「日が暮れてく、それに向こうだって無傷じゃないわ。とんでもない守りだったけど、エクスカリバーを完全に防げたわけじゃなかったみたい」

それでも更に詰め寄ろうと言うセイバーに、遠坂が相手の船を指し示す。

――落ち着かれよ、王。魔女殿の申すとおりだ。

ランスも降り立ってセイバーを諌める。確かに、向こうも同じだ。マストは折れ、櫂の半ばを失い、船体からうっすらと煙さえ立ち上っている。舳の人影も俺たちと夕日を交互に睨みつけ、悲痛な表情で踵を返した。

「やはり夕暮れで引きますのね」

「伝承どおりって事? となると狙いも分かったわね」

「アキレウスの盾、よほどの執着ですわね。英霊級の力を持った亡霊ですって?」

「七重の盾に、神々の雷岩。それに城壁と鷲の旗印ね。他にこんな奴がいたら驚きだわ」

「アカイアの城壁。鉄壁のアイアス」

遠坂とルヴィア嬢の論評を、最後にセイバーが引き取る。
だが、俺は未だに驚愕から立ち直れない。アイアスだって事は「熾天覆う七つの円環ロー・アイアス」を見せられたときから分かってた。俺が驚いたのは別の事だ。

――主よ、そなたも見たか。

「ああ……」

投岩に、塔のような巨大な盾。まるでヘラクレスのように荒々しいあの英雄が、まさかあんな哀しい顔をした女の子だったなんて。




「なるほど、アイアスか」

沈みかけた船を騙し騙し操り、デロスへ戻った頃には、既に日はとっぷりと暮れていた。話し合いをかねて招待された夕食で、俺たちは館長に事の次第を報告した。

「アキレウスの武具への執着。これが因果の源だと思われますわ」

「なるほど、狂うほどに求めた品だ、無理も無い」

ギリシャの英雄アイアス。アキレウスと並ぶトロイヤ戦争でのギリシャ側の勇将。アキレウスが例の踵の傷で倒された後、この英雄はアキレウスの遺体と武具を守り、ただ独りトロイヤの軍勢を防ぎきって遺体を回収したと言う。
だが、決死で持ち帰ったその武具は、ギリシャの大将アガメムノンと策士オデュッセウスの策略で奪われた。恥辱を受けたアイアスは、その復讐をと二人に夜襲をかけ討ち果たそうとしたという。
しかし、その行為は女神アテナの怒りに触れた。女神の力で狂気に堕とされ、羊の群れをアガメムノンとオデュッセウスだと思い込んで惨殺してしまったのだ。全てが終わり、我に返ったアイアスは、自らの行いを恥じ自害したと伝えられている。
つまりはアイアスの悲劇は、全てアキレウスの武具に端を発していたという事だ。

「それを引き上げた事で、因果の引き金が引かれ、亡霊が顕現したのでしょう」

と、遠坂が結論を推測する。英霊級の亡霊を呼び覚ます。あの盾には、それだけの力が篭っているという事だろうか。

「ではオデュッセウスの船に突っ込んでいた方がアイアスの船か。しかし、何故今頃? アキレウスの盾はオデュッセウス側の船に残っていたのだが」

「絡み合って沈んだとおっしゃっていましたね? ですから一つの船と想定されていたのでは?」

「多分、それがこの度の海底隆起で、引き剥がされてしまったのではありませんの? それに加えて、盾の引き上げで決定的になってしまったと思われますわ」

違いませんこと、と小首をかしげ目線で問うルヴィア嬢。

「ふむ……理は通るな」

館長は顎に手を当てて、二人の意見に頷く。額に皺を寄せた、いかにも厄介だと言った顔だ。

「これで益々大英博物館には送れなくなったな。ここはトロイヤの守護者アポロンの聖域だ、アカイヤの武将がそうたやすく入れる土地ではない。かといって外へ出せば追ってくるのだろう?」

「そういう事になりますわね」

「しかし、夜が明ければまたやってきますよ? どう対処されるのですか?」

「今はなにもせんさ」

館長はしれっとした顔で苦笑すると、肩をすくめて言葉を続けた。

「盾は今晩中にアポロン神殿に移し防護陣で固める。アイアスは所詮守勢の将。あの岩も力の源である神たるアポロンの聖域には落とせんし、盾では守りは砕けない。目障りではあるが島の周りをうろつき回るのが精々だろう」

「しかし、相手は英霊ですのよ?」

問題はそれだ、セイバーの宝具を受けて尚進もうと言う奴だ。生半可な相手じゃない。

「英霊じゃない」

微量の侮蔑をこめた視線で、館長は口の端を吊り上げた。

「あくまで英霊級の亡霊だ、妄執につなぎとめられ、狂気にも似た感情に突き動かされている現象に過ぎない。正体も分かっている以上、因果を解けば消えてしまう存在だ」

「どうするおつもりですの?」

「生贄の羊でも用意するかな? 恥を知って自害してくれるかもしれん」

何かの冗談のつもりだろう、館長は面白そうに言うと、楽しそうに笑い出した。

「そうなってくれれば宜しいのですが」

何かあまり居心地が良く無い笑いだ。なんというか、セイバーがオデュッセウスを好きで無い理由が分かったと言うか、そんな少しばかり腹の立つ気持ちだった。遠坂やルヴィア嬢も同じ気持ちだろう、何か鼻白んだ顔つきだ。
だから、こんな事を言ってしまったのだろう。

「あの、アキレウスの盾をあいつに渡すって選択肢は無いのかな?」

因果の源があの盾なら、その願いを成就させれば亡霊は消えるはずだ。だったらそれが一番良いように思えた。
もっとも、魔術師の皆さんに、通用する理屈じゃないってのは分かってたんだが。

「ふ、は、ははははは。いや、君。それは良い冗談だね」

「シェロ、余りおかしな事は言わないでくださる?」

「士郎らしいと言えば、らしいんだけど」

ほら、
まあ、こんな反応が返ってくるとは思っていたが、やっぱり腹が立つな。だが、一番腹が立ったのは、呆れたように見ている遠坂やルヴィア嬢にでは無く、本気で冗談だと思っている館長に対してだった。

「士郎、この場で言う事じゃない。自重しなさい」

遠坂に至っては、そっと小声で忠告さえしてくれる。すまん、でも言わずに居られなかったんだ。

「だが、」

へ?

「悪いとは言い切れないな。私も命は惜しい。最後の手段としては決して悪くは無い」

意外な事に、笑いを納めた館長は、俺の意見に同意してくれた。本気のようだ。何事か思いついたように考え込んで、ふむふむと頷いては、再び考え込む。

「いや、失礼した。君達も今日は休みなさい」

唖然とする俺たちを残し、館長は何か急ぎの用事でもあるように席を立った。最後に、いやありがとうと俺の肩をぽんと叩くと、それではと食堂を後にした。これでお開きということだろう、俺たちも館長に続くように席を立つ。やけに唐突な終わり方で、なんだか微妙に引っかかりの残る会食だった。




「もう、あんまり変なこと言わないでよね」

なわけで、部屋に下がって開口一番怒られた。

「でも、同意してくれたぞ」

人当りは良さそうなの癖に、どうにも気に入らない館長だが、それでも同意してくれたのは事実だ。

「だから、妙なのですわ。魔術師が一旦手に入れたものを、そう簡単に手放すわけは無いのですから、本当に、あの狸。なにを考えているのかしら……」

ルヴィア嬢も渋い顔だ。うう。

「そうよ、あいつ士郎とセイバーを人扱いしてなかった。気がついてなかったわけじゃないでしょ?」

いや、それはそうなんだが。

「お帰りなさい。どうしたのですか?」

と、ここで夕食には招かれず、部屋でランスと食事を取っていたセイバーが出迎えにきてくれた。つまりはそういうこと、俺はギリギリ招待するが、使い魔は招かない。このあたりも気に入らないところだった。

「士郎がまた馬鹿やったの」

「ああ、やはり……」

セイバー、それは酷いぞ。

「でも、やっぱり渡しちまうのが一番いいと思うんだけどな」

俺は船上で見かけた、あの悲痛な表情を思い出し呟いた。やっぱり女の子のあんな顔は見たくない。できれば、満足させて逝かせてやりたい。

「それは、士郎の気持ちは分かりますわ。ですがわたくし達には無意味ですもの」

「協会にそんな報告しても鼻で笑われるだけ。でも驚いた。アイアスって女の子だったの?」

ルヴィア嬢と遠坂は、そんな俺に仕方ないとばかりに溜息をついておっしゃった。ってあれ? 遠坂なんで知ってるんだ?

「どうして分かったんだ? 俺話したっけ?」

「士郎は言って無いわよ?」

「ですが、シロウの顔を見ていれば分かります」

「シェロですものね……」

ほら当たったとばかりの遠坂、そして再び溜息をつくセイバーとルヴィア嬢。いや、その。俺ってそんな分かりやすい顔してたか?

「ともかく今日は休みましょう、明日になれば、まずアイアスは来ると思うけど、当面は何とかなりそうだし」

疲れたように遠坂が言う。実は遠坂はかなりへばっている。気丈に振舞っていたが、何せセイバーが宝具を解放したのだ。魔力だってもう底が見えている。

「そうですわね。なにをするにしてもまず力を蓄えないと」

ルヴィア嬢も同じだ。空っぽのセイバーに魔力を補充したのはルヴィア嬢。いつぞやと同じ方法で急造のパスを通して、何とかセイバーの活動力を維持している。水着美女の熱い抱擁。なんとも、目に毒な光景だったけど……

「ああ、おやすみ。ともかく明日だな」

取敢えずは明日。日が出てから何とかしなきゃな。




―― ミスター衛宮

真夜中過ぎ、何処からか俺を呼ぶ声が聞こえた。

―― ミスター衛宮

明るく月に照らされたデロス島。ふらふらと立ち上がった俺の行く先は、俺たちが泊まっている博物館を少し下った所。島の遺跡のほぼ中央にあるアポロン神殿。

「よく来てくれたね、ミスター衛宮」

もはや土台しか残っていない神殿跡で待っていたのは。真新しく敷かれた魔法陣の中央、アキレウスの盾の傍らに立った館長だった。

「なんの……用事なんだ」

ふっと誘いの糸が途切れた。我に帰った俺は睨むように館長を見る。夜の夜中に、こんな手段で呼び出しやがって、どういうつもりだ。

「そう睨まれるとなにも言えないじゃないか。非礼は謝ろう。お嬢さん方に知られると些か厄介でね」

館長は、薄い笑顔を浮かべ、俺に向かって穏やかな口調で言う。

「俺に、遠坂たちを裏切れって言うならお門違いだ」

俺は、思い切り腹に力を入れて言い放った。よし、これで次は簡単に操られはしないぞ。

「いやいや、そういった意味ではない。私の恥になってしまうんだよ。この決断は、魔術師としてはそう褒められたことではないからね」

人好きのする笑顔のまま、館長はあやす様な口調で盾を指し示した。

「君にこれを預けようと思う」

「え?」

これにはちょっと度肝を抜かれた。つまり、夕食のとき俺が言ったように、

「渡しちゃっていいのか?」

「しかたがないだろう、厄介なおまけが付いて来てしまったからね」

館長は肩をすくめてそう言うと、盾を陣からはずし布にくるみこむ。

「明日、奴がやってきたならば、君から渡してやってくれ。なにせ亡霊とはいえ英霊級だ。英霊の助けがなくては近づくこともできないだろう」

「あ、その……そういうことなら」

そのまま、館長は包みを俺に手渡してくれた。ずしりと重いその包みには、俺でさえ分かるほどの確かな魔力が感じられた。

「君だから頼むのだ。お嬢さん方は、そう、余りに魔術師すぎるのだ」

そのまま館長は俺の両肩をがっしりと掴む。

「君の手で盾を奴に渡して欲しい。約束だよ?」

「あ、はい。必ず」

俺の応えに館長は満足そうに一つ頷くと、約束だよ、ともう一度言い放って去っていった。

「悪い奴じゃ……なんだろうかな?」

ほんの少し引っかかるところはあったけれど、俺はそれでも納得することにした。俺はあの娘に盾を渡す。それは確かに俺の望みでもあった。




「誰よ? 盾じゃ守りは砕けないって言ったのは……」

「館長でしたわね、まさかこんな手があったとは……」

翌朝の目覚めは唐突。俺たちは、海から響くすさまじい轟音で叩き起こされた。

「盾を破城鎚にするとは……」

幾重にも重なる振動の中、窓から望めるエーゲ海に浮かぶのは昨日の船。舳先に七重の光環を浮かべ、島ごと砕けろと言わんばかりに、島の結界に叩き付けていた。

「セイバー、頼む」

行かなきゃ、唐突に俺の心が早鐘のように打つ。早く行って渡さないと。

「え? あ、はい!」

セイバーの答えを聞く事も無く、俺は盾の包みを引っつかんで飛び出していた。セイバーも続いてくれているようだが、そちらを気にしている暇は無い。

「待ちなさい! 士郎」

「わたくし達も行きます!」

セイバーに続いて、遠坂やルヴィア嬢まで続いてきてしまった。止めたいところなんだが、止めても聞かないだろうから、今は止めない。ともかく早く盾を渡さなきゃ。早く渡さないと大変なことになる。

「セイバー、船を頼む」

俺は、波止場に駆け込みクルーザーへ飛び込む。ほぼ同時にセイバーも乗り込んできた。船は応急修理しかしていないが、それほど沖に出るわけじゃない。これで十分だろう。

「分かりました。なにをするのです?」

一瞬あっけに取られた。セイバーは何を……ああ、そうか、セイバーには伝えていなかったんだっけ。

「なにって、盾を渡す」

これまた微妙な表情になったセイバーだが、躊躇は一瞬、遅れてきた遠坂とルヴィア嬢が船に飛び込んだ時には、既にクルーザーは桟橋を離れていた。

――主よ、如何した。

早朝の散歩としゃれ込んでいたのだろう、キントス山の方角から、ランスもおっとり刀で駆けつけてくる。

――「先に行くぞ! ついて来られるなら後から来い」

とはいえ待ってはいられない。俺はセイバーに全速でアイアスの船に向かうように指示をした。

「なにをそんなに急いでいるんですの?」

「着替える間くらい与えなさいってのよ!」

急発進で波を被ってしまったのだろう、方やいつもの猫パジャマ、方や白いナイトドレスのまま、ぐっしょり濡れた遠坂とルヴィア嬢。むぅ――とばかりに俺に食って掛かってきた。なにさ? ああ、そういえば伝えてなかったっけ。

「盾を渡しに行く、急がないと大変なことになっちまうからな」

後は一直線に進むだけ。俺はクルーザーをセイバーに任せて、二人に事の次第を説明した。

「大変? なにがよ」

なにがって、ほら、その……なんだっけ?

「わたしに聞かないで、ちょっと士郎しっかりなさい」

「それよりも、盾? 盾って……アキレウスの盾ですの?」

おっと、そうそう、盾だ。

「ああ、館長が昨日の晩、俺に渡してくれたんだ。俺から渡してくれって」

クルーザーは徐々に速度を上げ、一気に岬を回る。と、すぐにアイアスの船が見えてきた。

「あの館長が? ちょっと信じられないわね」

「でも本当だぞ、ほら」

俺は二人に包みを指し示す。難しい表情で顔を見合わせていた二人も、それではと、盾の包みを手に取った。

「シロウ! そろそろ用意を」

セイバーだ、その間もクルーザーはひた走っている。もうすぐだ、繰り返し舳先を打ち付けるアイアスの船。既に舳先の人影も望めるようになってきた。

「おう。さあ、遠坂貸してくれ」

俺はセイバーの声に答え、遠坂達が開いた包みの中身を受け取ろうとした。

「なによ、これ……」

「似ては居ますけど……別物ですわ」

なんだって?

俺は慌てて遠坂の手の中の盾を見据える。……畜生……

盾は確かにアキレウスの盾に酷似していた。だが文様が違う。中央には天をあらわすゼウスの変わりにメデューサの首を持って武装した女神アテネ、周囲の人々の生活のレリーフは、狂った英雄、屠殺される羊、正気に返る英雄、そして地に伏し自害する姿に。つまり、この盾に刻まれているのはアイアスの最後の状況。
それが、今、待っていたかのように輝きだした。と、同時に、俺を駆り立てていた焦燥がぷつりと消えた。……俺は何だって、あんな急いで此処まで駆けつけてきたんだ?

「呪物!? アイアスの最後を再演するつもりですわ!」

「あの館長! わたし達を犠牲の羊にする気ね!」

愕然とする中、アイアスの船が舳先をこちらに向け突貫してくる。

Οδυσσεασオデュッセウス!!」

更に向こうの船上から怨嗟の篭った叫び。くそ、人のことを言いように操りやがったな。都合がよすぎて、すっかり警戒を怠っちまったってわけか。

――Crooow!

歯噛みする俺たちの耳に、島の方角からランスの一鳴きが響く。その翼の下にはデロスの高速船。なんて奴だ、この上俺たちを囮に逃げ出す気だ。畜生、そういうことかよ!

「シロウ! 舵を!」

セイバーがブリッジから立ち上がる。決意の表情。これまでと思い定めて宝具を解放する気だ。くそ、そんなことしたら……ええい! こうなったら……

「セイバー、俺がやる!」

「シロウ!」

セイバーの静止も聞かず、俺はクルーザーの舳先に駆け上る。目の前に迫るのは七つの光盾に包まれたアイアスの船。
そして舳先には眦を決し、唇を噛み締めるアイアスの姿。


「――投影開始トレース・オン


かつてただ一度、俺はこいつを使った事があった。
俺の世界の片隅に、まるでそこにあるかのように置かれていたもの。
だが、あれは俺が出したものじゃない。
あれ以来、俺は俺の中にあれを見つけられないでいるのがその証拠。

ああ、そうだよ、俺には分かっていた、あれは俺のもんじゃない。あれはあいつのものだった。

だが、今は違う。

目の前にあるのは“本物”そして、それを俺は昨日も観ている。

だったら、今の俺なら創れるはずだ。

――いくぞ。

俺は目の前の紅光を見据え、盾の理念を鑑定……

――え?

いきなり何かが流れ込んできた。アイアスの……くそ……

俺はそのまま骨子を定め材料を複製する。技術を模倣、経験を……

……くそ……くそ……そういうことかよ!

俺は流れ込んでくるものに必死で耐え、年月を再現し、行程を凌駕し、幻想を結んだ。


「――熾天覆う七つの円環ロー・アイアス――」


一気に七つの花弁が開く。本来作りえぬほど同質の光、重ねあわされた思いが生み出した幻想、七つの紅光が、同じく七つの紅輝に、合わせ鏡のように迫っていく。

「ぐっ!」

本物と偽物、俺の盾とアイアスの盾が重なる。一枚、また一枚と、吸い付くように重なり輝きを増す。

――Αχιλλεασ……

刹那の会合、一枚一枚重なるごとに、時代を重ねるようにより鮮明に再現され、流れ込んでくる、アイアスの思い。

神々のような肢体を持つ少年。危なっかしくてやんちゃな弟のような従弟。
何時しか戦場で隣に立ち、常に勝利を掴み続ける青年。


―― 一枚目の盾が解け合うように消える。


だが、それでも少年の日の、あのやんちゃで危なっかしい所は無くなっていない。
放っておけない。いつも姉のようにその傍らに立ち、その放埓な姿を守るアイアス。


―― 二枚目。


だが、守るべきものはその身だけではなかった。
もう一人の弟のような従弟を失い。失意に沈むアキレウス。
守れなかった。その身は守れても、その心は守れなかった。


―― 三枚目。


だから、だから守らなければならない。
アキレウスは鑓。鋭く何物をも貫く鑓。だが、その柄は脆く砕けることもある。
だから盾になる。アキレウスという鑓を守る盾になる。
もう二度と挫けさせない挫かせない。だから誓う。

「私は貴方の盾となる」


―― 四枚目。


運命の日。ついに誓いは破られ、アキレウスは倒れた。だが終わらない、終われない。
ならば、アキレウスの形見だけでも守る。ただ独り万軍に立ち向かう盾。


―― 五枚。


だが、それもむなしく策謀と破約の前に失せた。アキレウスの形見は策士の手に渡る。
再び破られた誓いはアイアスを狂気に追い込み、絶望は死を呼び寄せる。


―― 六枚。


でも、
でも、もう一度。もう一度だけ。世界よ、わが半身と娶わせたまえ。
最後の誓い。アキレウスの思い出だけは守り抜く。

守る為に生まれ、守りきれなかった同胞と共に。


――七枚。

全ての守りは剥ぎ取られ、剥き出しの心が訴えかける。守りたかった。守り抜きたかった。


全ての紅光は、全ての紅輝と合わさり失せた。渾身の魔力を使い果たし、俺はがっくりと膝をつく。クルーザーもアイアスの船も力は失せ、今はただ波間に漂うだけだ。

畜生。

なにが不破の盾だ、なにが最強の守りだ。ずたずたじゃないか。
最強の盾なら一枚で十分、アイアスの盾が七枚なのは訳がある。

守りきれなかったからだ。

守りきれなかったから、何度も何度も破られ、切り裂かれ、その都度縫い直し鍛えなおしたからこその七枚なんだ。

何度破られても、何度砕かれても、守ることを諦めなかったからこそ七重の盾なんだ。
守ろうとするものが手から零れ落ちる虚しさ、それを知って尚も立ち上がり、前を見続けた。その結果こそが“盾”

そんな盾を、そんな思いを、こんなくだらない策謀でまた破らなきゃいけないのか……
俺は目の前のアイアスを見上げた。
物質化するほどのエーテルの煌き。それは亡霊でありながら英霊級の存在。
だが、その顔にはそんな煌きはかけらも無い。裏切られ、謀られ、打ちのめされ、滂沱の涙を頬に伝わし、失意に沈む、まるで捨てられた子犬のような可憐な女性。

今は何の守りも無い。ここで一閃。セイバーが宝具エクスカリバーを振るえばそれで終わる。真名を解放する必要も無いだろう。

「セイバー、届くだろ? やれ……」

「分かりました、シロウ」

俺の指示にセイバーが従う。エクスカリバーを振りかざし風王結界を一気に解放する。

「――風王結界インヴィジブル・エア――解放!――」

波間を渡る風刃は見事相手の心臓を貫いた。




「約束を守りに来た」

エンジンしんぞうを打ち抜かれ、波間に漂う高速船に、俺はセイバーを引き連れて降り立った。

「な、何の話だ!」

盾を抱えた館長は、セイバーに気圧される様に数歩下がる。

「約束だ。俺が盾を彼女に渡すって。さあ、渡してくれ」

「馬鹿な! お前が渡すのはこの盾じゃない!」

館長はなおも数歩下がる。だが、俺も引くつもりは無い。更に一歩前に出る。

「ギアスまがいの約束までさせて、それは無いんじゃありませんこと?」

「それも人の弟子を勝手に、魔術師なら約束の意味はご存知のはずでしょ?」

追い詰められた館長に、更なる追い討ちがかけられる。横付けされたクルーザーの舷側に、仁王立ちする遠坂とルヴィア嬢。たとえ濡れねずみの寝巻き姿でも、本気の二人を前にして、笑える奴なんかいるわけも無い。

「シロウとの約束、果たして頂きます」

更にセイバーも宝具エクスカリバーを顕現させて一歩前に出る。

「こ、こんなことをしでかして、時計塔が黙っていないぞ! これほどの遺物を無下に捨てられるか!」

よく言う。昨日までは時計塔なんか、もう時代遅れだって言ってた奴が。もう我慢なら無い。力づくでも渡してもらう。

「そうね、強奪してまですることじゃないわね」

「遠坂!」

だが、もう一歩と館長に詰め寄ろうとしたところで、遠坂がとんでもないことを言い出した。

「それもそうですわね。わたくし達が関与することでなし」

遠坂を睨みつける俺を余所に、ルヴィア嬢までが憂鬱げに言い放つ。流石に腹が立ってきたぞ、お前らもういい!

「俺は一人でもやるぞ」

「私もシロウに同意します」

セイバーは味方だ、力強く頷いてくれる。俺たち二人だけでも、絶対盾をあの娘に渡す。

「セイバー、駄目。士郎もよ、とっととこっちに帰ってきなさい」

「凛……」

「なんでだ! 遠坂は悔しくないのか!?」

「別に?」

別にって……なんだよ! やられたらやり返すのが魔術師じゃないのか!? 一体どうしたってんだ!

「は、ははははは、そうとも、さあさっさと帰ってくれ。これは私の船なんだからな」

「てめぇ……」

「だから、良いんだって士郎」

頭にきた、もう我慢なら無い。だってのに遠坂もルヴィア嬢の他人の顔だ、いや、……なんだこの悪戯っぽい目の光は?

「そうですわね、だって……」

「意趣晴らしはアイアスがやってくれるから」

え?

口の端を微妙な角度に歪め、目に苛虐の光をたたえた遠坂とルヴィア嬢は、見て見なさいとばかりに視線で海を指し示した。

「ひぃ!」

館長の口から身も世も無い悲鳴が漏れる、そこにはアイアスの船。再び光盾を煌かせ。この船めがけ突進してくる。

「さ、士郎。分かったでしょ。わたし達はお邪魔だから消えましょう」

「そうですわね、巻き込まれたら大変ですもの」

そういうことか、こいつが盾を渡さなきゃ、結局アイアスが始末をつけてくれる。でも……

「さ、早く決めた方がいいわよ?」

「でも、盾を渡しても許してもらえるかしら?」

「そうよね、憎っきオデュッセウス法螺吹き男みたいな策謀されたんじゃ、彼女も収まりつかないでしょうね」

遠坂が止めを刺す。でもやっぱり腹が立つ、いきり立ってた俺とセイバーが馬鹿みたいじゃないか。

「わ、分かった! 盾は渡す! 渡すから何とかしてくれ」

「あら? それはデロス博物館館長としての正式な依頼なのかしら?」

「口約束で後になって間違いだなんていわれたら、わたし達時計塔に怒られてしまいますから」

腹は立つが……見事なほどえげつないな。いや流石というべきか。相手の弱みに付け込んで、徹底的に叩く事では、この二人の右に出る奴はいないんじゃ無いだろうか?

「わかった! 書面でもなんでもする。早く渡してしまってくれ!」

「良い心がけね」

「それではちょっと「契約」して頂きましょうか。大したことではありませんわ、簡単なギアスですのよ」

遠坂とルヴィア嬢は、盾と引き換えに、館長の心臓のあたりに軽く触れる。

「士郎、早いとこ片付けてきなさい」

「お、おう」

そのまま盾を受け取った俺は、何処からか羊皮紙を取り出し、館長に迫る二人を残し、再びクルーザーの舳先まで駆け上がる。

「……此処にあるぞ」

迫り来るアイアスの船に向かい、俺は一つ深呼吸すると、包みから取り出した金色に輝く盾を頭上にかざした。
朝日を浴び輝くアキレウスの盾、その輝きは一条の光となってまっすぐアイアスの船に伸びる。
と、見る間にアイアスの船の速度が落ちてゆく。七枚の光盾も一枚一枚と消えてゆき、目の前に舳先を望める頃には、最後の一枚も消え、ほぼ同じ高さで俺とアイアスは、まっすぐに向かい合う形でまみえていた。

「もう、離すなよ」

真正面で、呆然と盾を見詰めるアイアスの腕に、俺はアキレウスの盾を突っ込む。今度はちゃんと守るんだぞ。

「Αχιλλεασ……」

俺の顔を見詰めたまま、盾を胸に抱いたアイアスは、泣きそうな顔で小さく呟くと、どんどん背丈が縮んでいく。いや、違う。船が沈んでいってるんだ。

「Εχαριστω……」

あっけないほど静かに船は海に沈んでいった。最後の言葉を柔らかな笑みに乗せ、アイアスもまた、海に溶け込むように消えていく。
願いは適った。もう二度と彼女はあれを手放さないだろう。

「やっぱりちょっと勿体無かったかな?」

「凛、今更それは無いでしょう?」

「でも英霊を限定的とはいえ顕現させるほどの遺物アーティフィクトでしたわ。せめて少しでも調べたかったですわね」

静かに見詰める俺の隣で、遠坂さんとルヴィア嬢が指をくわえて眺めていらっしゃる。まったく、お前らとことん魔術師なんだな。

――Crow……

と、ランスが一声鳴いた。そのまま低空を舞い、今、船が沈んだ一点を指し示すように弧を描く。

「何でしょう? 板ですか?」

「いや、あれは……」

板では無い。それは、眠るが如く、静かに魔力を湛えた塔のように巨大な一枚の革。

「アイアスの盾?」

ルヴィア嬢が溜息でもつくように呟いた。そう、間違いない。俺には分かる。あれは本物の「熾天覆う七つの円環アイアスのたて」だ。

「ア、アキレウスの盾には劣るが、これも一級の遺物アーティフィクトだ。これで顔が立つ」

いつの間にか俺たちの横まで来ていた館長が、引きつりつつも嬉しげに顔を出す。こいつは……なんて奴だよまったく。

「あら? 申し訳ありませんが、あの盾はわたくし共の管轄ですわ」

俺が一声怒鳴りつけてやろうと一歩前に出たところで、ルヴィア嬢の冷ややかな声が館長を殴りつけた。続いて遠坂の右フック。

「そ、あなたは関係なし。そういう約束でしょ?」

見事な言葉のコンビネーションブロー。ま、俺が言わなくたって、そんな虫のいい話をこのお二人が認めるわけが無いか。

「ば、ばかな! 約束はアキレウスの盾を、私の意志で引き渡すという点だけだ。他の遺物については……」

「いやですわ、お忘れですの?」

「そうそう、『第二船で何か見つかれば、それは君達に任そう』そうおっしゃったのは館長でしたわね」

「これはアイアスの船からの遺物。つまり第二船からの発見物ですもの」

言質はしっかりとってあると、言わんばかりの晴れやかな笑顔だ。そういえば、そんな話もあったな。館長もそうだが、魔術師ってのは本当に食えない連中だなぁ。

「し、しかし……」

「あらあら“また”約束を破ろうと?」

「魔術師の風上にも置けませんわね」

「くっ……分かった! 勝手にしろ!」

この二人に口先で勝てるわけが無い。館長は、口惜しそうにそう吐き捨てると、自分の船に戻って行った。あっちはエンジンやっちゃってるんだけどなぁ。

「士郎?」

思いっきり満足げな顔で遠坂が俺に振り向くと、くぃと顎を上げて視線を盾にいざなった。ああ、それじゃ、

「行ってくる」

俺はそのまま、躊躇無く海に飛び込んだ。





何処までも何処までも澄んだ青空。
これまた何処までも何処までも澄み渡る蒼い海。
照りつける太陽は、激しくも優しく、蒼の世界を明るく大らかに照らし出している。

「良い天気だなぁ……」

その砂浜に横たわり、俺は青空をぼんやりと眺めながら、独り語ちた。そこにふと影が落ちる。

「またぁ、年寄りくさいんだから」

真っ赤なワンピースの水着に身を包んだ遠坂が、少しばかり退屈そうな顔で、俺の頭に覆いかぶさってきた。

「シェロは泳ぎませんの?」

海よりも深い蒼のビキニを身につけ、蒼い海から上がったルヴィア嬢が、見事な金髪から海の雫を滴らせてやってきた。
そのまま遠坂に並ぶと、俺の顔にぽたぽたと潮水を滴らせる。

「冷たいぞ」

「それは海水ですもの」

「生暖かったりしたら嫌じゃない」

二人揃ってころころと楽しそうに笑う。ご尤も、でも昼寝の邪魔はして欲しく無いぞ。
と、言っても二人とも無理強いはしてこない。遊びに来たってのに、何やってるのとばかりに苦笑しながら俺の両脇に座り、セイバーから受け取ったドリンクを美味しそうに飲んでいる。

「士郎、あれでよかったの?」

「あれはシェロが受け取っても、問題はありませんでしたのよ?」

ああ、なんだ。二人ともそのことできたのか。

「問題ないぞ、あれももう此処にある」

俺は寝転がりながら、二人を安心させるように、胸の中央をぽんと叩いた。

結局、海から引き上げたアイアスの盾は、そのまま大英博物館へ直送した。
で、俺たちはクルーザーの修理が終わるまで、ここミコノスでバカンスの続きをしている。折角のエーゲ海だ、少しは楽しまなきゃなというわけだ。

アイアスの盾。俺は彼女に不相応にまで大きく、継ぎ接ぎだらけの革の盾に思いをはせた。遠坂達はあれを俺のものと言うことで纏めようとしていたのだが、俺はそれを断った。あれは彼女自身だ。借りることはできても貰うことはできない。

「シロウも如何ですか?」

セイバーが俺にもドリンクを手渡してくれる。英霊、サーヴァント。セイバーも同じだ。力を借りることはできても、セイバーはセイバーのものだ。

「セイバー」

ドリンクを受け取りながら、俺はセイバーに話しかけた

「何でしょう?」

「英霊は哀しいな」

守ろうとしたものを守れなかった。それでも尚、守ろうと勤め、その都度敗れていった。アイアスの人生はただそれだけだった。ただそれだけの女性が、完璧の守りに祭り上げられていった。

「そうかもしれません、しかし英霊はそれでも挫けない」

まるで自分に言い聞かせるように、セイバーは胸に手を当て、一言一言確かめるように言う。アイアスも挫けなかった、何度破れても立ち上がり、盾を直して尚も前を見た。だからこそ彼女の願いを叶えたかったのでしょう? セイバーは視線でそう言ってくれた。

「ですからシロウ、貴方を挫くことも誰にもできないでしょう」

そ、それはちょっと買いかぶりすぎだぞ。俺にはまだ、破れても破れても立ち上がり前へ進み続ける自信は無い。

「エミヤシロウ……」

そんな俺たちをじっと見ていたルヴィア嬢が、囁くようにぽつりと呟いた。

「貴方は一体何者なんですの?」

そのままルヴィア嬢は物思いに沈んだ瞳で、俺の目を覗き込んでくる。
そんな瞳に見詰められながら、俺はルヴィア嬢との思い出を反芻した。ルヴィアさんには、随分と色んなことを知られちゃったな。でも悔いは無い。彼女には、何時の日にか全てを話せる日が来るだろう。
ただ、今の質問には、一つしか答えようが無い。

「俺は衛宮士郎さ」

「シロウは衛宮士郎ですから」

「そ、士郎は衛宮士郎よね。ルヴィア、他に何か要る?」

「そうでしたわね。シェロは衛宮士郎で沢山でしたわね」

ルヴィア嬢が最後に肩から力を抜いて笑い出した。遠坂も、セイバーもなにが面白いのかころころと笑う。

そう、俺は衛宮士郎で沢山。この笑顔を守るため。俺は最後まで衛宮士郎を張り続けよう。それだけは、決して挫けないでいられるだろう。

END


熾天覆う七つの円環なお話。
アイアスを男にするか女にするかは最後まで悩みました。
ですがマテリアルの“盾のサーヴァント”と、アイアスの事跡の組み合わせで得られる、哀しいリリシズムの美味しさゆえに女の子にしてしまいました。
ロー・アイアスを持っているだけでなく、何ゆえ真名まで使いこなせたか。私なりの答になったと思います。
それでは、この“スペシャル”を以って第二クールは終了。第三クールの前には劇場版“冬木編”。一週お休みを頂いての開始となります。

By dain

2004/8/4初稿
2005/11/10改稿

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