匂いがした。

日本の匂い。倫敦へ行った時も、最初は倫敦の匂いがした。
それが、この一年ですっかり馴染んでしまい、匂いとも感じなくなってしまったのだが、こうして日本に帰ってくるとはっきり分かる。倫敦と日本では匂いが違う。そして、この匂いこそが俺たちの匂いなんだって。

「帰ってきたんだな」

真っ青に晴れた空の下、俺は懐かしさに胸いっぱい日本の空気を吸い込んだ。真夏の日本の香り、故郷が身体一杯に満ちる。ああ、帰ってきたぞ。

「そうね、この思いっきり鬱陶しい暑さ。間違い無く日本の夏ね」

「私も夏の日本は初めてと言うわけでは無いのですが、これは流石に……」

「日本が熱帯だったなんて、ちっとも知りませんでしたわ」

とはいえ、お嬢様方には不評のようだ。まあ、確かに。湿度八十パーセント、気温三十七度ってのはどうかと思うけど。





せいぎのみかた
「最強の魔術使い」  −Emiya Family− 第六話 前編
Heroic Phantasm





「なんだよ、日本に帰ってきたって感慨は無いのか?」

「そりゃあるわよ、二年振りにこの暑さ味わう感慨って、そりゃ凄いもんなんだから」

冷房のある空港ロビーに転がり込んで、ようやく息を吹き返した遠坂が応える。半ば溶けているとはいえ、流石に一応は慣れているせいか、一番回復も早いようだ。そういや去年の夏はもう倫敦だったな。

「この暑さでボーディグブリッジも無いなんて。この空港は、何を考えて設計されたのかしら?」

いつもの元気は何処へやら、やっぱり日本なんですのねと、げんなりと力の無いルヴィア嬢の声。ターミナルに近すぎたおかげで、バスで無く短い距離とはいえ歩きだったのも堪えたようだ。まあ国際空港ならともかく、ここは地方空港。確かに色々と不便なところはある。

「ギリシャで暑さには慣れたと思っていたのですが……」

こちらも珍しくも息の荒いセイバー。そりゃギリシャはからっとしてたからな。なんか金魚みたいな呼吸だぞ。大丈夫か?

――主よ、あれが露天風呂という物なのか? まさか露天のサウナがあるとは知らなんだ。

違うぞ、ランスあれが日本の夏って奴だ。
籠の中でぐっしょりと濡れ羽のランス。手荷物で無く、貨物扱いにしたのが間違いだったか、貨物置場で干物になりかけていた所を、慌てて水をぶっ掛けて漸く持ち直したところだ。

「まったく、これからまだ電車に乗っていかなきゃならないんだぞ、こんな所でへばってて良いのか?」

「あ、それパス」

へたり込んだ三人と一羽を前にした俺の文句に、遠坂さんはまるで教師の前の学生のように手を上げて、しれっと言ってのけてくださいます。

「パスってなにさ?」

「パスはパスよ、これから電車の乗り継ぎなんて洒落にならないし。国際空港で迎えを頼んどいたから、時間的にそろそろ付く頃よ」

「迎え? 誰だ?」

「私だ」

一瞬、真夏の明るさに満ちたロビーの日が陰る。何事かと振り向くと、そこには黒の法衣を纏った岩石。いや……

「神父さん……遠坂! お前、神父さん呼び出したのか?」

「衛宮君、気にすることは無い、これも勤めのうちだ。それはともかく。よく帰ったな、随分と立派になったものだ」

バンバンと小気味よく俺の肩を叩くいわお……もとい神父さん。ちょ、ちょっと! めり込む、めり込みますって!

「ただいま戻りました、神父様。この一年間有難うございました」

さっきまでの熔け振りが嘘のように、きっちりと猫を被り直した遠坂。見惚れるほど見事なご挨拶だ。顔の汗さえ引いてますよ。

「遠坂嬢もご壮健のようだな。衛宮君にも言ったが気にすることは無い、これも勤めだ。ただ、出来得れば、倫敦を立つ前に連絡をしてもらいたかったな、そうすればいろいろと準備も出来たのだが」

その遠坂に、神父さんは穏やかに微笑みながら応えている。でも、そろそろ俺の肩に置いた手を離してもらえないかな、このままじゃ痣になりそうなんだけど。

この巌のような神父さんは、言峰の後任として教会から派遣された神父さんだ。
尤も最初からってわけじゃない。最初に例の聖杯戦争も後始末を兼ねて冬木に赴任したのは、ディーロ司教という本物の司教さんだった。この神父さんは、その司教さんが後始末を終えた半年後、正式に赴任しながらほんの一週間ほどで去って行った銀髪の修道女さんを挟んでの三代目に当たる。
無論、冬木の教会を預かるのだ。言峰や最初の司教さん、二代目の修道女さん同様、この人もただの神父ではない。時期が来れば聖杯戦争の立会人も勤めるという、聖魔両道に秀でた代行者級の強者だ。
まあ、それも見れば分かる、確か六十はとうに過ぎているはずなのだが、髪は未だに黒々としており、身体と言えば無差別級の格闘家を片手で捻れそうな筋肉だ。上下左右、どこから見ても真四角だもんなぁ……

「ご無沙汰しています、神父殿」

「ああ、セイバー殿か、懐かしい」

がっきと握手する獅子と巨象。とはいえ、そう言いながらも、神父さんは僅かに眉根を寄せる。はて?

「どうかなされましたか?」

「いや、分かっていたことなのだが、些かも成長されておらんな。きちんと食されておいでか?」

ご心配には及びません、それはもう……

「変わりませんね、神父殿も」

にっこり笑って、ぐいっと手を握りなおすセイバー。ちょっとだけ、こめかみがひくついて居るのはご愛嬌。

「ふむ、成長はされていなくとも、力はみなぎっておられるか、それは重畳」

その拳の重圧を、さも楽しそうに呵々と笑う神父さん。いや見事、俺だったら掌砕かれてるぞ……

「シェロ、そちらの方をご紹介くださらない?」

そんな和気藹々な俺たちに、遠坂同様きっちり猫を被りなおしたルヴィア嬢が声をかけてきた。小首をかしげ、介添えは任せましたよ、と可愛らしく俺に笑いかけてくる。

「ああ、かの「こちらはルヴィア。ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト嬢ですわ、神父様も名前くらいはご存知ですわね?」」

だが、俺が紹介しかけたところで、遠坂に掻っ攫われた。うわぁ、笑顔で凄い睨み合いされてますよ。頼むから日本に来てまで喧嘩するなよ。少なくとも今だけはさ……

「これは、かのエーデルフェルト家のご息女殿ですか。お噂はかねがね伺っております」

傍らで吹き荒れる嵐なお二人を露とも気にせず、神父さんは巌のような身体を屈め、きっちりと見事な挨拶を返す。やっぱり、この人も只者じゃない。

「有難うございますわ、神父様。良い噂だと宜しいのですが」

「おう、良い噂ですとも、なんでも今年の次席を遠坂譲と御二人で分けたとか、ご立派なことです」

ヒクッ

あれま、言っちゃった。二人とも笑顔のままきっちり固まっちまってます。ぐっと青筋は隠しているが、それでも隠しきれないオーラを撒き散らされている。神父さんの方に欠片も悪意が無いだけに始末に悪いな。

「あ、有難うございますわ、神父様。おかげさまで、ミストオサカとは終生の付き合いになりそうですの」

「それは、こちらも同じことですのよ、レディルヴィアゼリッタ。御互い、最後まで競い合っていけそうですわね」

どっちも、こいつの葬式にだけは絶対出席してやる、と言った顔つきで、優雅に微笑み合われてます。

「さて、立ち話と言うのもなんであろう。続きは車の方で」

そんな怪しい笑い合いを微笑ましげに眺めつつ、神父さんは遠坂に宜しいですなと目配せし、皆の荷物を担ぎ上げて先導する。これ以上話し込んではどうしたって、話が魔術方面あっちに向かう。なんのかの言ってきちんと心得ているってことか。




「何か問題でもありました?」

ちょっとしたバス並みのワンボックス。そんな神父さんの車に乗ると、遠坂が顔つきを改めた。

「いや、この一年恙無く過ごせていた。ただ」

「ただ?」

「今年の春、間桐のご隠居の葬儀があった」

「あの穴倉爺さんが? ……そう簡単に逝くとは思えなかったんだけど」

よほど驚いたのだろう、遠坂のやつ素に戻ってる。って間桐? 

「そのご隠居って人。間桐って言ったけど、桜となんか関係あるのか?」

俺の言葉に遠坂と神父さんが顔を見合わす。ふむ、と一つ唸って神父さんが話し出そうとしたのだが、それを制して遠坂が説明してくれた。

「そういえば、士郎には詳しく説明してなかったわね。間桐が魔術師の家系だってのは言ってたわよね?」

「おう、それは聞いてる」

そいつのおかげで、慎二は道を誤った。聖杯戦争とは関係なかったとはいえ、桜だってそのことじゃ心を痛めてた。

「そのご隠居ってのが間桐の当主だったの。地下に篭ったきりで、わたしも会ったことは無いんだけど、噂によれば何百年も生きたって古狸。でもこれで本当に、間桐は元魔術師の家系になっちゃったわね」

そうだったのか、俺も桜と慎二の家には何度も遊びに行ったが、そんなお爺さんが居るなんてちっとも気がつかなかったな。
肉親が亡くなったってことは悲しいことだけど、これで桜達が魔術師の家って呪縛から逃れられるなら、それに越したことは無い。それにしても何百年? 倫敦でも魔術師って言うのは、百年以上生きてるっていう年齢不詳の人が多かったけど、とんでもない話だな。

「桜にもお悔やみ言わなくちゃな」

「そうね、桜とも一回しっかり話をしなくちゃいけないわね……」

遠坂も、何か考え込んだような顔つきになった。ちょっと微妙に言い回しが気にかかったが、その余りに真剣な顔に聞き返すことは憚られた。遠坂のことだ、本当に必要なことならば話してくれるだろう。

「そのことなのだが……いや、落ち着いてからで良いだろう。ともかく冬木に向かおう」




空港から高速と国道を乗り継いで二時間弱、ふと空気が変わった。

「フユキですわね」

それまで遠坂と、相も変らぬ“親しみを込めたむしり合い”をなさっていたルヴィア嬢が、溜息をつくような感慨深げな表情で呟いた。珍しく弱気な風情さえ見受けられる。

「ふうん、やっぱり分かる?」

「それは分かりますわ。極東といっても馬鹿に出来ませんわね、これほどの霊脈、そうそうありませんわよ」

「普通そうよね。だってのに、こいつ気付きもしてなかったのよ」

「い、今は分かったぞ」

なんか妙なお鉢が回ってきた。そりゃ日本を出た時には、殆ど違いなんか分からなかったけど、今の俺にはきちんと把握できる。冬木は特別な土地だ。特にここで育ち、多分ここで生まれた俺なんかには、この土地に入っただけで一回り身体が軽くなった気さえもする。

「ま、こいつの事は置いておいて。で? ルヴィア、それだけ?」

俺の無駄な抵抗を綺麗にスルーし、遠坂は一転、恐ろしく意地の悪い表情でルヴィア嬢に意味ありげに質問を重ねてきた。

「おい、遠坂!」

その余りに直接的で、余りに露骨な口調で流石の俺も気が付いた。いや、思い出した。
そう、このところずっと仲良くやっていたので忘れていたが、エーデルフェルト家とって遠坂の家は敵であったのだ。
ことにこの冬木は、ルヴィア嬢の家が第三次聖杯戦争で惨敗を喫した場所。“二度と日本の地には足を踏み入れない”という家訓を定めてまで忌避してこいた土地なのだ。
そこに今、ルヴィア嬢は再訪しようとしている。先ほど見せた何処か弱気で。上の空な表情もこれで頷ける。覚悟は決めていたろうが、それでも過去の因縁とは重い物なのだ。
それを、遠坂はことさら露骨に暴き晒して見せたのだ。

「士郎は黙ってて。でどうなの? 祖先が大恥かいた場所に、臆面も無く乗り込む気持ちは?」

「――っ!」

遠坂は俺の言葉など一切無視し、尚も露悪的ともいえるほどの言葉で畳み掛ける。これはもう“親しみを込めた毟り合い”なんて生易しいものじゃない。ルヴィア嬢の顔色は見る見るうちに変り、いつもの優雅ささえかなぐり捨て、追いつけられた獣のような殺気で遠坂を睨み返す。

「遠坂! おまえ!」

背筋に嫌な汗が流れる。こいつは何時もの角突合せとは違う。もっと不健康で陰惨な何かだ。それに何より、人の弱みを抉り出すような陰湿な手口……こいつは遠坂の遣り方が酷すぎる。俺は思わず遠坂に詰め寄りかけた。

「そうですわね、有耶無耶には出来ませんわ」

だが、そんな俺をルヴィア嬢は押し止めた。遠坂の言葉に傷つけられた古傷から溢れる血を滴らせながらも、歯を食い縛り殺意を決意に変えて遠坂に向き直る。

「リン、シェロ。前にもお話したように、わたくし今度のことをある種の神意と捉えておりますの。ですからエーデルフェルトの当主として、日本との、遠坂との関係を見直すと言う決意に曇りはありませんわ」

一度だけ目を瞑り、ルヴィア嬢は顔を上げ整然とした口調で言い切った。そこには家訓を敢えて破る卑屈さも、傷つけられた誇りを庇う様な自己撞着も一切無かった。今と事実を見据え、過去を乗り越えようという力強ささえ感じた。

「ふうん、じゃあ昔の負けは素直に認めるわけ?」

「勿論。どんな経緯であれ負けは負け。その事に撞着するつもりはありませんわ。尤も……」

そして遠坂の茶化すような挑発にも、今度は動じない。口の端を上品に歪め、先程とは打って変わって、優雅なほどの余裕ある殺意をこめた視線で遠坂の揶揄を真っ向から受け止める。

「次の戦いがありうるなら、今度は負けるつもりはありませんわ。エーデルフェルトの誇りに掛け、最大の果実を掴んでご覧に入れますわ」

「わたし達が敵でも?」

「相手に不足はありません。わたくし達だって負けるつもりはありませんのよ?」

そして再び睨みあい。だがそこにはもう卑屈な弱さも、陰湿な暗さは微塵も感じられない。何時ものルヴィア嬢と遠坂の正々堂々、真っ向勝負のいがみ合いだ。
ただ俺はそんな二人にほっとしながらも、別の意味で落ち着かなくなる。なんだか……両方の“達”に俺が含まれてるように思えるのは気のせい? 気のせいじゃないんだろうなぁ……うう、胃が痛い。

「ま、変に後ろ向きだったり、妙なプライドに拘るようなら、此処で叩き帰してやろうと思ってたけど、それじゃ仕方ないわね」

弛緩、陰惨、緊張。二転三転した空気を変えたのは今度も遠坂だった。ふっと息を抜くように頷き、きっちり背筋を伸ばしてルヴィア嬢に正対すると、そっと手をとり真摯な表情で一礼する。

ようこそ我が領地へ、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト様。我が客人として、この風は貴女の胸を満たし、この川は貴女の喉を潤すでしょう。そして、この陽は貴女を遍く照らし、この地で貴女は安らかな眠りを得るであろうことを約束します

一瞬だけ息を呑まれたように目を丸くしたルヴィア嬢だったが、そんな遠坂にこちらも真摯な表情でもう一方の手を重ね、優雅な所作で深々と頭を下げた。

歓迎を感謝しますわ、凛・遠坂様。この地の全ては貴女の血肉、わたくしは貴女の許し無く、貴女を傷つけることは無いでしょう。そしてこの地にある限り貴女の家族はわたくしの家族、貴女に刃を向けるものあれば共に戦い、勝利も敗北も共にする事を約束いたしましょう

でかいとはいえ、車内は狭い。そんな狭い中で二人はきちんと向かい合い優雅に一礼しあう。
これは簡素ながら契約だ。他の魔術師の“管理地”に入りそこで活動する為の魔術師の正式な儀礼。その中でもこいつは最上級の礼だ。一時的とはいえ、この瞬間から二人は呪的には血族しまいになったとさえ言えるのだ。
俺は遠坂が、何故敢えてここで残酷なまでにルヴィア嬢の古傷を抉ったのか漸く理解した。決断を下していたとはいえ、ルヴィア嬢の心に積もった澱は決して軽く扱っていいものじゃない。
だから遠坂はルヴィア嬢の決意を、悪役を演じることで確りと固めさせたのだ。下手な慰めや同情ではなく、背中を蹴り飛ばすことで前に進めさす。遠坂らしい実にひねくれた優しさだ。
そしてルヴィア嬢はそんな遠坂の乱暴な優しさに、逃げることなく決然とした態度で応えた。だからこそ遠坂は最大級の敬意と親愛を以てそれに応えた。
媚びず、甘えず、諂わず。常に真正面からぶつかり合うことで、お互いを確かめ合う。よくもまぁ、そこまで相手を、自分を信頼できる物だ。俺はほとほと感心した。

「あ、俺はいいのかな?」

そこでふと気が付いたので、一応俺も聞いてみた。何せ元を正せば俺はモグリの魔術師、遠坂への正式な挨拶ってやったこと無かったはず。

「士郎は良いの、わたしの弟子なんだから、わたしの一部みたいなもんね」
「シェロは宜しくてよ。わたくしの従者なのですから、わたくしの一部のような物ですわ」

間髪いれずお二人から、ほぼ同じ内容の応えが返ってきた。妬ましいほどの息の合い方だ。でもってこれまた見事なほど息を合わせて睨み合うお二人。
いや、本当。さっきとは別の意味で感心する。おおい、姉妹喧嘩はいけないぞぉ。




「街並みはさほど変わっていませんね」

そんな二人の厳しくも姦しい喧騒を乗せ、車は何時しか新都に入っていた。
そんな新都の街並みを、何処か楽しげにランスに説明していたセイバーが、懐かしそうに呟いた。

「でもかなり変わったとこもあるみたい。ほら、ヴェルデが無くなって映画館が出来てる」

「そうですね、駅前のイタリアンレストランも無くなっています、しかも代わりがファーストフードとは……」

なんかものすごく残念そうだ。なんだろう?

「あれのこと? よく覚えてたわね」

遠坂が指差す先は、狭い路地にちょっと入ったところ、本当だあんな小さな店、車の中から良く見つけたもんだ。

「はい、あの店のバイキングは日本へ戻った時の楽しみの一つでした」

あ、なるほど。もしかして、セイバーに食いつぶされたのかも……

「なかなか小奇麗な街並みですけど、余り面白みはありませんわね」

こちらはルヴィア嬢。木と竹と泥で出来ているビルディングがあると楽しみにしてましたのに、と少々残念そうだ。

「何時の時代の話よ……」

いや、全く。でも、京都か奈良あたりまで行けば……なんとか日程捻くり出せるかな? 折角なんだし観光くらい……

「深山に入れば少しは見ごたえあるわよ、特に士郎の家はルヴィアが言う木と竹と泥の家だし」

確かにそうだけどさ、遠坂。もうちょっと言い方があるんじゃ無いのか? ルヴィアさんもそう期待に目を輝かせないでくれます? そんな立派なもんじゃないんだから。

「あ……」

と、ここで俺は視線の隅に見慣れない建物を見つけ、思わず声を出してしまった。

「どうしたの?」

「いや、無事建ったんだな。あれ」

「あれ? ああ、そう見たいね。よく出来上がったものね」

俺たちが二人揃って感嘆の声を上げたのは、視線の先にある数十階建てはあろうかというどでかいホテルだ。確かセントラルパークホテルとか何とか言ったはず。
別に新都で高層ホテルがあるのが珍しいわけじゃない。問題はこいつが建っている場所だ。
旧冬木中央公園。こいつが建っているのは、あの大災害。先々回の聖杯戦争が決着をつけた場所なのだ。
先回の聖杯戦争後すぐに建設が始まったのだが、本当に良くあんな所にホテルなんか拵えたものだ。

「さて、橋を渡れば遠坂邸も目の前だ。長旅でお疲れだろう。今日は一日家にいるのかな?」

そんな新都の風景を後にし、大橋に差し掛かったところで神父さんが聞いてきた。見かけによらず安全運転だったな、運転の激しさって体重に反比例するんだろうか?

「それですけど神父様、衛宮邸しろうのいえに付けて頂けます?」

「いいのか? 遠坂」

「いいわよ、遠坂邸うちは誰が待ってるわけでも無いから」

少しばかり驚いた俺に、やっぱり待ってる人が居る家に帰ったほうが良いじゃない、と遠坂が少しばかり照れた顔つきで応えた。

「桜と藤村先生が待ってるんでしょ?」

「連絡は入れといたけど……」

じっくりと話し合いはしたが、遠坂にくっ付いて倫敦へ行ったのはいわば俺の勝手だ。待っていてくれと言えたものじゃない。

「待ってるわよ」
「待っています」

が、言いよどんだ途端、遠坂とセイバーに突っ込まれた。二人とも、士郎が帰ってくるのにあの二人が待っていないわけがない、といった顔で苦笑してる。そうかな? でもそうだったら嬉しいんだけど。

「どなたですの? そのお二方」

「士郎の後輩と後見人よ。日本へ来るって決まったとき伝えといたでしょ?」

小首を傾げて聞いてくるルヴィア嬢。遠坂の応えに、ああ、なるほどといった顔で頷いている。ん? なんか妙な目配せしなかったか?

「了解した。では衛宮宅に」

そんな俺たちの結論を微笑ましげに受け取ると、神父さんは衛宮家おれのうちに向けてハンドルを切った。




「すまん、この車ではここまでだ」

門まであと少しばかりといった坂の途中で、神父さんは車を止め、申し訳なさそうに軽く頭を下げてきた。
なんだろうと思って前を見てみると、なるほど門のちょっと先に黒い車が止まっている。普通の車なら十分通り抜けられるが、このバスほどの車では無理ってことか。

「なに? あのコルベット。邪魔ね」

「大河の車でしょうか? 免許を取ったと聞きましたが」

「藤ねえの免許は原付だ、車の免許取ったって話は聞かないぞ」

第一藤ねえに、スポーツカーなんて、何とかに刃物だ。

「荷物は私が玄関まで運ぼう」

空港同様、神父さんは四つのトランクを軽々とまとめ、これまた辞意を勤めの一言で断り、俺たちを促す。結局、その言葉に甘え、俺たちは黒板の嵌った多聞塀に沿って衛宮邸うちまで行くことにした。
暫くのんびりとなだらかな坂を上っていくと、場違いなほど見事な長屋門が見えてきた。ああ、少しも変わっていない。

「帰ってきたんだな」

――ここが主の城か

そろそろ良かろうと、セイバーの手にあった籠を自分で開け、ランスが飛び出して一声鳴いた。

「ああ、俺の家だ。ただいま、それから……」

俺は、後ろに続く遠坂たちに振り返った。

「ようこそ、俺の家に」




「ただいま、ああ疲れた」

「ただいま帰りました。やはりここは懐かしい」

だってのにこのお二人、神父さんに有難うございますと丁寧に挨拶すると、ご主人様を無視してずんずん門を潜って行きやがる。
くそ、さ、ルヴィアさんご案内しますから……

「まぁ、本当に木と竹と泥ですわ。素敵……」

目を輝かせて長屋門に見入っていらっしゃいます。いや、喜んでくれて嬉しいんだけど、それはないだろう……

「さて、それでは衛宮君。後は任せて大丈夫かな?」

そんな俺に、最後尾で付いて来てくれた神父さんが、苦労するねと肩を叩いてくれた。ああ、人の情けが身にしみる。肩にもずしっと染み渡ってるけど。

「ええ、荷物もそう多くは無いですから」

「ふむ、確かに。思いのほか少ない荷物だったな」

軽々と担いだ荷物を訝しげに見やりながら、神父さんが呟いた。いや、一人で持つには十分すぎるほどの大荷物ですよ。

「俺たちは旅先のギリシャから直行しましたから。倫敦からの荷物は、明日遠坂の家に届くように手配してあります」

「なるほど、では、あのように大きな車を借りることは無かったか」

神父さんは荷物を置くと、軽く肩をすくめてやれやれと苦笑する。本当にすみません、わざわざお呼びだてまでしちゃって。

「それでは私は教会に帰る。何かあったら遠慮なく教会へ来たまえ」

「はい、今日は有難うございました」

これも勤め、と神父さんは手を振り、大きな身体を車に滑り込ませ去っていく。有難いことなんだが、神父さんが変わってもやはりあの教会には行きづらい。分かってはいるんだがなぁ。

「士郎、早くきなさい」

そんな事を考えながら、神父さんを見送っていたら、遠坂に急かされた。

「おう、今行くぞ、遠坂」

ともあれ、こうして俺は一年ぶりに我が家に帰ってきた。




「お帰りなさい、先輩」

「ただいま、桜」

桜が迎えてくれた。
昔と少しも変わらない笑顔で、昔より少しばかり成長した桜が迎えてくれた。
なんだかほっとした。倫敦での日常も随分慣れたが、普通日常ってのはあそこまでアグレッシブじゃないし、やっぱり日常ってのは、この桜のふんわりした微笑みの事を言うわけで……

「ただいま、桜。元気そうじゃない」

「お帰りなさい、遠坂先輩。お変わりなく」

「お久しぶりです、桜」

「セイバーさんも、本当におか……わりないですね」

「ほら、士郎。玄関の真ん中でぼさっと突っ立ってない。後がつかえてるんだから」

「あの、先輩。お客さまもいらっしゃるようなんですが……」

「ああ、こいつね。向こうの学校で腐れ縁のルヴィアってやつ。しばらく家に置いとくから」

「……リン、わたくし日本語は理解できますわ」

「あら、これは失礼。桜、この方はルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトといって倫敦の美大でわたしの同期生でしたの。しばらく我が家で日本に滞在しますので、よろしくお願いしますわ」

「サクラさんとおっしゃるのね、こんな先輩を持って本当にお気の毒でしたわね。随分と虐められたのではなくて? でも、大丈夫、これからはわたくしが味方になって差し上げますわ」

「は、はい……よ、よろしくおねがいします」

一瞬で平凡な日常を、疾風怒濤に変えてくれやがりますね、皆さん。
くそ、ちょっとくらい平凡な日常に浸らせてくれよ、桜が脅えてるじゃないか。

「すまん、桜。なんかとんでもない連中連れてきちゃって」

「え? はい……あ、いえ! せ、先輩のお家なんですから、どんなお客様をお連れしてきても先輩のお客さんです。わたしがどうこう言うことじゃありませんから」

なんか、桜も飲まれるのか、言ってることがわやくちゃだ。

「とにかくだ、皆上がってくれ。桜、居間でいいんだよな?」

「あ、はい。居間にきちんと用意してありますから」

あんた達なに言ってんのよ、と睨みつけてくる遠坂。シェロも家に帰ると言うようになりますのね、と拗ねるルヴィア嬢。桜、すまない私でも抑え切れないと腰の低いセイバー。そんな賑々しい一行を引き連れて、俺はともかく居間まで先導することにした。




「先輩すみません。帰ってきたばかりでお手伝いさせちゃって」

「いや、いい。俺の家なんだから、桜にばっかり世話をかける訳にはいかないからな」

桜のすまなそうな声に、俺は水出しのお茶を用意しながら応えた。お茶菓子は葛まんじゅう、日本の夏らしく涼やかなお菓子だ。こういうのを見ると、やっぱり日本に帰ってきたんだなと実感する。

「それに、今あの輪の中に入るより遥かに落ち着く」

俺は溜息を押し殺しながら、居間の状況を指し示した。

「日本語が分からないと思って、随分な仰りようでしたわね」

「ちょっとフランクに言っただけじゃない。それより何よ、人を小姑みたいに言ってくれて」

「あら? わたくしの存じ上げている凛・遠坂についてのフランクな感想を述べただけですわ」

「お互い一度フランクに話し合わなきゃならないようね……」

「同感ですわ……」

おおい、二人とも、猫はどうした?

「なんだか、遠坂先輩が二人帰ってきたみたいですね」

そんな居間の様子を、何処か嬉しそうに眺める桜。そうか、桜は遠坂の猫を見破っていたわけか、結構鋭かったんだな。

「よし、出来た。それじゃ桜、お茶菓子持ってきてくれ」

「はい、先輩……あれ、一つ多いですよ」

「一つ多い?」

あ、本当だ、お茶もお茶菓子も一つ余分に用意しちまった。何故だろう……

あれ? なんか忘れてる気がする。

…………

……

まあ、いい。思い出せないってことは、きっと大切なことじゃなかったんだろう。お茶菓子の二人前くらいセイバーがいれば大丈夫だし。

「それじゃ、行こう。ルヴィアさんのことも、きちんと紹介したいし」

「遠坂先輩のお友達なんですよね」

「それもあるけど、俺のバイトの主人でもあるんだ」

「へえ、ネコさんみたいなものですか?」

「あ〜、ちょっと違うかな?」

俺はちょっと立ち止まって、桜にルヴィア嬢と知り合った事情を説明した。勿論、魔術関係は抜きだが、それを抜きにしてもかなり波乱万丈の話になった。

「先輩……」

あらましを話し終えた辺りから、微妙に空気が変わっていった。桜は微かに俯き加減になり、微妙な迫力を醸し出す。縛っていない右の髪が顔にかかって表情が伺えないあたりが、なんか夏らしくおどろおどろしいと言うか……

「先輩は、遠坂先輩が好きだから倫敦へ行ったんじゃなかったんですか?」

静かながらきっぱりとした詰問口調、温度が数度下がったかのような気さえする。

「へ? あ、いや、それだけじゃ無いけど……」

「はっきりして下さい!」

髪の間からぎろりと鋭い視線が飛んでくる。うっ、凄い威圧感、なんだか逆らいがたい。

「あ、いや……その、はい、その通りです」

「だったら何で、そううろちょろするんです! 遠坂先輩が可哀想じゃないですか!」

下の方からがぁ――とばかりに迫られた。こ、怖いぞ、これじゃあ桜じゃなくて遠坂だ。余りの勢いに一歩下がると、すいっとばかりに一歩踏み込んできますよ。桜、お前随分アグレッシブになったな。

「いや、その、あのな桜、別に俺はうろちょろなんて……」

「先輩はその気でなくても、実際にはうろちょろしているんです!」

ついに冷蔵庫を背に追い詰められた俺。何か次の一言しだいで、桜に刺されかねない雰囲気だ。

「まて! 桜、落ち着け」

「……わたし、落ち着いてます」

と、ここで来客を告げる呼び鈴の音。

「ほ、ほら。お客さんみたいだ。俺が見てくるから。お茶とお茶菓子頼んだぞ!」

「はあ、先輩がそういう人だとは、分かってたつもりなんですけど……
それじゃわたしが何の為に諦めたのか……」

助かったとばかりの俺の言葉に、しぶしぶ引いた桜を後に残し、俺は玄関に急いだ。最後の方がちょっと聞き取れなかったけど、なんかかなり酷いこと言われてた気がしたぞ。

だが、玄関に向かう途中、俺の足は傍と止まってしまった。
前方からすさまじい殺気と怒涛のような足音。そう、まるで野獣が襲い掛かってくるかのような気配だ。
俺は本能だけでとっさに身をかわした。

―― 轟!――

直後、俺がさっきまで歩いていた道筋を一陣の風が通り抜けた。それは獣の風。一匹の猛獣が風を巻いて駆け抜ける姿。

―― 俊!――

と、風が止まった。続いて音がするほどの勢いで、獣がこちらを振り向いた。

「……ああっと、ただいま。藤ねえ」

「……士郎?」

「おう、相変わらず元気そうだな」

それはもう、セイバーもかくやというスピードだった。瞬時に俺の眼前まで駆け戻ると、藤ねえは有無を言わさず、力いっぱい抱きついてきた。

「ふ、藤ねえ」

「……おかえり、士郎」

驚く俺に藤ねえは、めったに見せてくれないが、それでも肝心な時には必ず見せてくれる、落ち着いた優しく澄んだ声で応えてくれた。

「……ただいま」

記憶に比べ、些か小さく感じる藤ねえを抱き返しながら、俺は今日何度目かの帰郷の感慨に浸った。ああ、本当に、俺は帰ってきたんだな。




「おっきくなったね、士郎」

しばらく、俺の胸に頭を預けていた藤ねえが顔を上げる。あう、嬉しそうなんだがちょっと涙目になってる。喜んでくれるのはいいが、藤ねえの涙は、例え嬉し涙でも見たくないぞ。

「らしくないぞ」

「だよねえ、湿っぽいのは良く無いよね。うん、よく帰った士郎。元気だった?」

「おう、バリバリに元気だ」

「あ、藤村先生。お帰りなさい」

そんな所で桜の声がかかる。ふと居間の方を眺めると、雁首並べて全員で襖の陰からこっち覗いてやがる。行儀悪いぞ。

「みんなも、お帰りい」

そんな出歯亀どもに、以前と少しも変わらない明るい挨拶をする藤ねえ。
と、ここで急に藤ねえは、はて、と小首を傾げだした。

「あれ?」

なんか顎に手を当てて考え込んでは天を仰いだり、指折り数えては何か確認するようなしぐさ。相変わらず意味不明で愉快な行動だ。弟分としては、嬉しいのか哀しいのかちょっと分からないぞ。

「ねえ、士郎。一人多くない?」

「ああ、多いぞ。ルヴィアさんって言うんだ。紹介しよう」

「あ、そっか、よかったやっぱり一人多かったんだ……」

ああ、よかったと頷いて藤ねえは満足したように居間に向か……


「って、何処から連れて来たの――――――――!」


う途中で、いきなり爆音と共に藤ねえが雄叫びを上げる。

「なに? 誰? あの金髪の綺麗なお人形さんみたいな女の子? 士郎が連れてきたの? 士郎また女の子増やしちゃったの!?」

ちょっとまて藤ねえ、苦しい。首を絞めるな。それと“また”ってなんだ? 何時、俺がそんなこと……した覚えが無いことも無いけど! とにかく首を絞めるなぁ!




「ただいま帰りました。藤村先生」

「お帰りなさい、遠坂さん。綺麗になったわねえ」

「お久しぶりです、大河」

「本当に久しぶり、セイバーちゃん。でもお姉ちゃん、そこは“ただいま”って言って欲しいな」

「はい、ただいま帰りました。大河」

「お帰りなさい、セイバーちゃん」

居間に戻り、桜が差し出したお茶でようやく落ち着いた藤ねえが、皆からの帰国の報告を受ける。そうか、もう一つは藤ねえの分だったか。あんまり当たり前すぎてすっかり忘れてたぞ。

「ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトと申します。倫敦ではミスタエミヤに大変お世話になっております」

「ルヴィアさんって言うんだ。こちらこそ、士郎はぶっきら棒だけど根はいい子だから、よろしくお願いしますね」

ルヴィア嬢のこともきちんと説明した。遠坂の学友で俺の仕事のご主人。今回は、遠坂に誘われて日本へ観光に来たということにしている。説明した時、俺の方は何故か桜のとき同様に一睨みされたが、ルヴィア嬢は気に入ったらしく、こうして深々とお辞儀しあっている。

――主よ、些か気になることが……

と、ここでランスが俺を突つく。あ、すまんすまん、忘れてた。

「藤ねえ、桜。もう一匹忘れてた。こいつはランス。倫敦で俺が飼う事になった鴉だ」

「先輩が飼い主だったんですか? わたしはてっきり遠坂先輩のペットだとばかり」

「へえ、士郎が生き物飼うなんて珍しいわね、夜店の金魚だって逃がしてたのに」

「まあ、色々と成り行きだ。ほら、ランス、挨拶しろ」

なんだか苦笑するように眉を顰めたランスだったが。やれやれといった足取りで藤ねえと桜に近づくと、これが、なんとも見事な礼儀で一礼した。セイバーの溜息から察するに、たぶん貴婦人への最上級の挨拶なんだろう。

「わぁ、賢い鴉さんなんですね」

「うん、なかなか礼儀正しい子だね。ランス君っていうんだ。士郎のことよろしくね」

相変わらず女性には如才ない、いきなり機嫌取りやがったぞこいつ。

「それにしても、藤ねえ。なにしてたんだ? えらく慌ててたみたいだけど」

「それがね、ちょっとお爺さまに呼び出されて、お客様の相手してたの」

本当はずっと待ってるつもりだったのにい、と口を尖らせて腕を振る。俺もてっきりそう思ってた。……忘れてたけど。

「すみません、先輩。言い忘れてました。藤村先生、朝は居たんです。それからお家のほうから呼び出しを受けて」

桜もすまなそうな顔でフォローを入れてくる。何せやってきたのが騒がしい面子だ、色々と忙しかったしな。

「士郎が帰ってくるまでには、戻ってくるつもりだったのにい」

年甲斐も無く膨れっ面で、大変だったんだからと藤ねえ。それにしても、

「爺さんも無茶するなぁ、お客様の相手に藤ねえだって?」

「あ、士郎酷いんだ。わたしだってちゃんとお客様の相手くらい出来るよお。外国からのお客様で、結局日本語が喋れたんだけど」

なるほど、外国のお客様なら藤ねえは一応英語教師だし、不思議は無い。でも藤村の爺さんのところへ外国の客か……なんか怖い考えになっちゃうな。

「そんな顔しなくても平気だよお、女の子だったし。ほら、わたしバームクーヘン好きじゃない」

そんな俺の表情にへらへらと笑いながら手を振る藤ねえ。って意味が通じねえぞ。

「ちょっとまて、藤ねえ。外国の女の子と、バームクーヘンが好きと何処で繋がるんだ?」

「ちゃんと繋がるよ。士郎にだって関係あるんだから。ほら、うちにお中元とお歳暮で毎年バームクーヘンが届くじゃない」

「おう、それは覚えてる。藤ねえの好物だったよな。毎回、こっちにも半分持ってきてた奴」

なんでも本場物だそうで、バームクーヘンが藤ねえの好物になったのも、そこからのお届け物が切っ掛けだったそうだ。

「うん、そのバームクーヘンの人は、切嗣さんの古い知り合いでね、そこのお嬢さんが遊びに来たのだ」

なるほど、それなら繋がるな。しかし、あのバームクーヘンは切嗣おやじの知り合いからの届け物だったのか、律儀な人だ、切嗣おやじが他界してからも毎年贈って来てたぞ。
そんなことを考えていると、なにやら藤ねえが妙な事をし始めた。きょろきょろと、またも挙動不審に愉快な顔をしながら何やら考え込んでいる。

「あ――――――――――っ!!」

と、今度もいきなり大声で叫ぶと、頭を抱えて立ち上がった。

「その子、玄関においてきちゃった!!!」

「ば! 馬鹿藤ねえ! なんて失礼なことするんだ!」

「だって、士郎が帰ってきちゃってて、遠坂さん達も居てルヴィアさんもいちゃったんだからっ」

両手をぶんぶん振り回して、分けの分からない言い訳をする藤ねえ。そういや呼び鈴鳴ったもんな。考えてみりゃ藤ねえだったらそのまま上がってきてる。実際上がってきてたし。

「ああ、もう、玄関だな? すぐ上がってもらうぞ」

「あう、わたしも行く」

まったく……俺は藤ねえを引き連れて慌しく玄関に向かった。



「すみません、お待たせしちゃって」

慌てて向かった玄関には、所在無げな女性の後姿。俺は取るものも取敢えず、その人影に謝った。

「大丈夫ですよ、そんなに待っていたわけじゃありませんから」

帽子を手に、淡い空色のサマードレスを着た銀髪のその人は、俺の声にくるりと振り返り、にっこりと微笑みかけてきた。

「へ?」

固まってしまった。何故? どうして? そんな疑問が頭の中でぐるぐると盆踊りを踊りだす。

「士郎。こちらはミーナさんって言うの。お父さまが切嗣さんの古い知り合いだったのよ」

呆然とした俺の意識の隅で、藤ねえがなんでもない事のようにミーナさんを紹介している声が響く。

「ヴィルヘルミナ・フォン・シュトラウスです。切嗣さんには大変お世話になっていました。こんにちは士郎くん。こんな所で会うなんて奇遇ですね」

柔らかな笑みを浮かべ、たどたどしいながらも、きちんとした日本語で挨拶してくれているのは、紛れも無く時計塔は魔術戦闘の大家シュトラウス家の次期当主、ヴィルヘルミナ・フォン・シュトラウス。ミーナさんその人だった。


帰ってまいりました、日本の夏。
まずは暑い暑い日本の夏からの始まりです。まずは“ただいま”編。
シーンの連なりだけに見えますが、はいその通りそれだけの御話です。
では後編。“お墓参り”をお楽しみください。

By dain

2004/8/18 初稿
2005/11/11 改稿

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