黒檀造りの仏壇の前で銀髪の女性が手を合わせる。
六畳の和室には他に家具は無い。仏壇からは微かな線香と蝋燭の香り。

「無理を言って御免なさい、士郎くん。切嗣さんの家に来たのだから、やっぱり挨拶したかったの」

「位牌も無い仏壇だけど、ミーナさんがそれで良いって言うんだったら」

仏壇自体はかなりの年代物で、元々この屋敷にあったものだ。もっとも、形ばかりの仏具は揃っているものの、この仏壇に位牌も過去帳も無い、今だって開けてみれば蜘蛛の巣が張っていたほどだ。
とはいえ、この家で親父に対して何か祈るとしたら、多分この前しか無い。ただそれだけの理由で、ミーナさんは此処で両手を合わせていたのだ。

「うん、お祈りってわけでも無いから。それに、お墓はちゃんとあるんでしょ?」

「さすがに墓は柳洞寺にある。俺も明日参るつもりだけど」

「ご一緒して良い?」

「ああ、構わないぞ」

「有難う、士郎くん」

俺に向かって微笑んでくれたミーナさんの笑顔は、何故か昔どこかで見たような気がした。





せいぎのみかた
「最強の魔術使い」  −Emiya Family− 第六話 後編
Heroic Phantasm





「でもミーナさん。日本に来るなら一言、言ってくれれば良かったのに」

「それも考えたんですけど、それじゃ士郎くん驚いてくれないじゃないですか」

俺の文句にミーナさんは、にっこりと人騒がせなことを仰ってくれます。ええ、ええ、驚きましたとも。

あの後、ミーナさんに上がってもらってからが、これまた一騒動だった。何しろミーナさんの来日は俺はおろか、遠坂やルヴィア嬢も知らなかった事、管理者セカンドオーナーである遠坂などはかなり穏やかでない様子だった。尤も、藤ねえや桜の前でおおっぴらには詰め寄れない、こちらはミーナさんが小さく後ほど、と呟きを伝えたことで事なきを得た。

既に俺たちと知り合いだって事でも、かなり大騒ぎだった。藤ねえはそんな子に育てた覚えは無いって叫ぶわ、桜も不気味な陰に覆われるわ、それにミーナさんが、切嗣さんの息子さんですからと笑顔で火に油を注ぐわで、本当に大変だった。
なんとかミーナさんも倫敦に留学していて、遠坂の同期生だということを納得してもらったが、遠坂もルヴィア嬢も最初は知らん振りするし、魔術については話せないしで、思いっきり説明には苦労した。

「ミーナ、そろそろ良い?」

と、ここで襖の向こうから遠坂の声。

「はい、結構ですよ」

ミーナさんの返事と共に、些か表情の渋い遠坂が入ってきた。

「あれ? ルヴィアさんは一緒じゃないのか?」

「ルヴィアは居間で桜と藤村先生の相手を頼んだわ。結界で括るといっても用心はしなくちゃね」

遠坂は俺の声にそう応えると、どっかとミーナさんの前に座り込んだ。

「で、どういうわけ?」

そのまま遠坂は、ミーナさんの顔をジロリと見据える。いきなり尋問スタイルだ。

「ええと、まず誤解を解いておきますね。無断で冬木に入ったわけじゃありませんよ」

「わたし知らないわよ」

「代行の神父さんに許可は取ってあります。まだお話は聞いてませんか?」

だが、ミーナさんは落ち着いたものだ。確かに遠坂は管理者だが、倫敦に居る間の連絡事項の受け取りや許諾は、代行の神父さんの仕事になる。冬木に関する許諾事項なら、倫敦の遠坂に口頭で伝えるよりも、日本で実際に管理に当たっている神父さんに伝達する方が筋は通っている。

「あ、う……確かにまだ具体的な、引継ぎ報告は受けて無いわね」

「写しもありますよ。見てみます?」

「あ、うん」

準備おさおさ怠り無いとばかりに渡された書類を、どれどれと覗き込む遠坂。なんかすっかりミーナさんペースだなぁ。

「お墓参り?」

誰の? と目線で聞いてくる遠坂。

「はい、士郎くんの義父さんが私共にかかわっていた話は聞いてますよね?」

「聞いてるわ、一種の外系譜だったって事よね?」

これについては遠坂も頷く、遠坂は俺の師ということで、ミーナさんの家と切嗣についての関係は、概略だけだが伝えてある。

「士郎くんの事で約束がありましたから、亡くなってから一度も墓参には来て無いんですよ。ですから今回は良い機会だと思って」

全然おかしなことじゃありませよね、とミーナさん。

「ま、それについてはそこそこ納得は出来るわ。でもなに? この逗留先:衛宮家ってのは?」

はい?

「士郎くん、泊めてくれませんか?」

俺は聞いてないぞ、と言おうとしたところでミーナさんがにこやかに微笑みながら、いきなり俺に話を振ってきた。

「あ、いや。泊めるのは良いけど……」

それは問題ない。この家は部屋数だけは旅館が出来るほどある。離れの洋間だって客間は一つや二つでは無い。

「それじゃ、この部屋をお願いします。祭壇もありますし、お盆を迎えるには一番良い部屋ですしね」

あっと、それは良いんだがこの部屋はちょっと……

「あ、ここセイバーの部屋なんだ」

「そうなんですか、私はセイバーさんと相部屋でも良いですよ。セイバーさんが宜しければですけど」

そりゃミーナさんと一緒をセイバーが否は無いと思うが、それでもこの部屋は……

「襖一枚隣は士郎の部屋よ、ちょっと拙いんじゃない?」

「ああ、それじゃ流石に拙いですね」

良かった。言い難かった事を、遠坂が代わりにスパッと言ってくれた。おかげで、ミーナさんも納得してくれたようだ。

「遮音の結界も、この襖じゃ限界がありますしねぇ」

が、ミーナさん。襖を眺め、なんか妙なことを言いだした。はて?

「なに? それ?」

「なにって、凛さんも今日泊まるんですよね?」

「そのつもりだけど?」

「隣は士郎くんの部屋ですよね?」

「おう、そうだけど?」

「セイバーさんも大変ですね」

「……」
「……」

あの……ミーナさん? それって、その、そういう意味なんですか?

「それじゃ、士郎くん。私の部屋のことよろしくお願いしますね」

頑張ってくださいねと一言、言い残しミーナさんは部屋を後にした。残ったのは些か顔を赤くした俺と遠坂の二人。あの、なにを頑張れと……

「な、なあ、遠坂」

「なによ」

「その、今日は、あの……ここに泊まるつもりなのか?」

「わ、悪い?……」

俺の顔を拗ねたように睨み付けてくる遠坂。はぁ、今日はセイバーには客間で寝てもらおう。
こうして、ミーナさんは済崩しで俺の家に逗留することになった。もしかして、狙ってました? ミーナさん。




「桜、また腕上げたなぁ」

「先輩が帰ってくるんですから、わたし頑張っちゃいましたよ」

今日の夕食は、俺たちの帰国祝いということで、桜が腕によりをかけた和食だ。俺の家で桜に全部任すのは些か心苦しかったんだが、上下左右から遠坂はじめ女性陣全員に、貴方は黙って見てなさいとばかりに押え付けられては仕方が無い。

「ルヴィアさんもミーナさんも、お箸の使い方お上手なんですね」

「嗜みですわ」

「日本とは色々縁がありましたから」

桜の疑問に微妙なお応えのお二人。いつの間にか衛宮家に馴染んでいらっしゃる。特にルヴィア嬢は、遠坂とミーナさんの会合の間に、何故か桜と仲良くなっていた。俺は良い事だと思うんだが、遠坂は微妙に面白くなさそうな顔をしている。なんでだろう?

「さて、じゃあ俺は客間の用意をしてくる」

食事も終わり、お茶を愉しみながら、思い出話や土産話に花を咲かせている女性陣に、俺は一声かけて立ち上がった。

「あ、士郎。わたしも今日泊まるから」

すると、そこで先生の癖に生徒のように手を上げて発言する虎一匹。

「別にいいけど、どうしてだ?」

「折角、これだけ女の子が集まったんだもん、募る話もあるし。士郎の子供の頃の話とか」

わーい楽しいなっと目を輝かす藤ねえ。……ちょ、ちょっと待て! 藤ねえ!

「それは興味がありますわ、ミスフジムラ」

「私も聞きたいですね、それ」

つられるように身を乗り出して、俄然目の色が輝きだした金と銀。

「それでは私は倫敦でのシロウに付いて語りましょう」

更に、うむ、と一つ頷いておもむろにその輪に加わるセイバー。おーい、セイバーさーん。
助けを求める俺の視線に、やれやれといった顔で遠坂が応えようとしたその時だ。

「凛さんは残念ですけど」

ぽつりと呟くミーナさん。

「え? どうして遠坂さんは残念なの?」

何とも不思議そうな藤ねえ。うわぁ、ちょっと待って、ミーナさん!!

「だって凛さん今日はし「あ〜、わたしもその話聞きたいです、藤村先生。セイバー同様倫敦での士郎の話もありますし」」

遠坂が、危ないところで話を被せ、そのまま余計なことは言わないと睨みつけてくる。ああ、分かったよ何も言わない。でも、そのたっぷり聞き出してあげるからって、目を輝かすのは止めてくれ。

「そうだ、桜ちゃんもどう? お家にはわたしから連絡入れるし、たくさんのほうが楽しいでしょ?」

「え? わたしもですか?」

こら、藤ねえ。桜まで巻き込むんじゃない。困ってるじゃないか。
と、いい加減にしろと割って入ろうとしたところで、玄関の呼び鈴の音が響いた。

「誰だろう?」

「荷物は明日だし、それに第一遠坂の家に届くはずよ」

「まあ良い、俺が出る」

どうせ客間を用意する為に立ったんだ。俺はそのまま玄関に出ることにした。

「はーい、どなたですか?」

声をかけながら鍵を開けると、そこには思いがけない人物が立っていた。

「やあ、衛宮。桜から聞いたよ、帰ってきたんだってな」

「し、慎二なのか?」

「つれないなぁ。友人の顔を見忘れたのかい? ま、それはともかく久しぶりだな衛宮」

「あ、ああ、久しぶりだな慎二」

夜の闇から浮かび上がってきたのは、間違いなく慎二だった。
だが、随分と変わっていた。昔はスリムではあったが、どちらかというと丸く柔らかいイメージだったのだが、今、目の前に居る慎二は顔つきや体つきも、げっそりと肉が落ち、服装も昔の派手さは影を潜め、モノトーンのまるで幽鬼のような姿だった。

「どうしたんだ?」

本当にそう思った。確かに聖杯に飲み込まれた直後はかなり衰弱していたが、俺たちが倫敦に行く頃には、すっかり体力も回復し、昔の慎二に戻っていたはずだ。

「どうしたって、妹の様子を見に来たに決まってるじゃないか」

こちらの質問とは微妙にずれた答だったが、相変わらず衛宮は馬鹿だね、とでも言いたげな、これだけは昔と変わらない皮肉な笑みを浮かべ、慎二は応えた。

「あ、そうか桜か……」

「ああ、帰るにせよ、ここに泊まるにせよ、様子を見に来るのは兄として当然だろ?」

左手を大仰に持ち上げ、その気の付かなさはちっとも変わらないね、と楽しげに笑う慎二。
なんだかほっとした。確かに幽鬼のようにやつれてしまったが、今の慎二からは、聖杯戦争時の妙に突っかかる所や、狂気じみた切羽詰った所は感じられない。最初に会った頃の、皮肉だが何処か憎め無い慎二だった。

「兄さん」

と、ここで心配になったのだろうか、桜がやってきた。

「やあ、桜。楽しかったかい?」

「あ、はい」

「それは良かったな。どうする? 泊めてもらうんだろ?」

「え? でも兄さんが……」

「大丈夫だ気にするな。それじゃあ僕はこれで帰るから」

そう言って慎二は踵を返そうとした。

「ちょっと待て、お茶くらい……」

だが、それじゃあ余りに悪い。俺はお茶くらいと思い、慎二を引きとめようと右肩に手をかけた。

「――っ!」

途端、伸ばした手を、左手で弾き飛ばされた。

「あ、いや、悪いね衛宮。ちょっと怪我をしているんだ」

一瞬、険のある顔つきをした慎二だが、すぐに苦く笑うと差し出すように右腕を翳す。ああ、確かに右肩から腕にかけてきっちりと包帯で包まれている。

「どうしたんだ?」

「いや、慣れない事をするものじゃないね。料理をしようとして油を被っちゃったのさ。それじゃあ桜をよろしくな、衛宮」

呆然とした俺を残して、慎二はそのまま闇に消えていった。

「先輩……」

ふと、気が付くと桜が俺を見上げていた。穏やかな、それでいてきっぱりとした笑顔を浮かべ俺に告げる。

「わたしやっぱり帰ります。兄さんがまた料理でもして、怪我をしたら大変ですから」

「あ、おお、そうだな」

「それじゃあ、今日は本当に楽しかったです。片づけを手伝えなくて申し訳ありません」

桜はそう言うと、慎二を追って闇に消えていった。
続いて、かなり派手なエンジン音を轟かせて、家の前を黒いスポーツカーが走りすぎていく。そうか、あの黒いコルベット、桜のだったんだな……




「遠坂、無理しなくて良いんだぞ?」

「無理なんかして無いわよ……」

翌朝早く、俺たちは柳洞寺へ墓参りに向かった。最初はミーナさんを連れて、藤ねえと三人で参るつもりだったのだが、結局、昨日うちに泊まった一行全員で墓参に向かうことになった。
考えてみれば、セイバーだって切嗣には縁がある。遠坂やルヴィア嬢も、俺の養父なんだからお参りするのは当然と、分けの分からない理由で付いて来ることになったのだ。
となると、問題は朝に弱い遠坂。今も幽鬼のような顔で一行の最後尾からついてきている。

「シェロが早朝を選んだ理由が分かりましたわ……」

暫く坂を下り上りして、柳洞寺の山麓についた時、ルヴィア嬢が溜息交じりに呟いた。

「この階段を、夏の真昼に上るのは根性いりますよね」

「そうだよお、うちの弓道部、この階段上りが夏合宿の練習メニューに入ってるんだから」

なにが嬉しいのか、胸を張ってえっへんと応える藤ねえ。

「遠坂、きついならここで待ってるか?」

「冗談、もう目は覚めたわよ、この位なんとも無いんだから」

確かに目は覚めたらしい、今は鏡を取り出して身繕いの真っ最中だ。士郎のお父様にお会いするんだからきちんとしなくちゃね、なんて笑いかけてくれるんだが、それを聞いてルヴィアさんは勿論、藤ねえまで身繕いを始めるってのはどうよ?

「よし、行くわよ、皆」

鏡を仕舞い、良しとばかりにいきなり元気になった遠坂さん。先頭きってずんずん階段を上りだした。

「可愛いですね、凛さん」

呆れる俺に、ミーナさんがすれ違いざまにこっそり耳打ちしてくる。確かに可愛いとは思うんだが、凄く分かりにくい可愛さだぞ、これって。




「ここが切嗣の墓ですか」

柳洞寺の墓地の片隅、何の飾り気も無くただ“衛宮家の墓”とだけ記された墓石。そいつが切嗣おやじの墓だ。

「そういえばセイバーも初めてだっけ?」

「はい、日本に居た時も結局ここへは参りませんでした」

やはり何かわだかまりが心に残っていたのでしょう、とセイバーは感慨深げに手を合わせる。だが、今ここでこうして手を合わせていると言うことは、その蟠りも既に解けたということなのだろう。

「こちらの作法は存じませんの、ですから、わたくしのやり方でご挨拶させていただきますわ」

十字を切り、掌を組んで祈りを捧げるルヴィア嬢。すさまじく場違いなくせに、余りに堂々としたその姿は、まわりの方が間違っているんじゃないかとさえ感じさせてしまう。でもさ、最後のシェロのことはわたくしに任せて頂きますわってのは、なにさ?

「こんなにぎやかなお盆は初めてだよね」

そんな皆の様子を感慨深げに眺めながら、藤ねえが切嗣の墓に水をかける。
しかも女の子ばっかり、切嗣さんの幸せ者っと手桶を一つ空にする勢いで水をかける。微妙に私怨入って無いか? 藤ねえ。

「ご無沙汰していました。切嗣叔父様キリおじちゃん、漸く会えましたね」

最後にミーナさんが腰をかがめ、何か小さな白い石の欠片のようなものを供えて手を合わせる。ただ手を合わせても瞑目するわけで無く、じっと墓石を見詰めている。お祈りというより、何か語りかけているようだ。

「遠坂、お前は良いのか?」

俺は、そんな一行の墓参を、ずっと脇に立って見つめていた遠坂に声をかけた。

「うん、わたしはここで済ませたから。それにお祈りに来たわけじゃないし」

遠坂はそう言うと、人差し指でつんと俺の胸に突き立てた。

「ここにいるのが、間違い無く士郎のお父さんだって分かったし。わたしにはそれで十分」

にっこり笑う遠坂に、俺は思わず天を仰いだ。ああ切嗣おやじ、こいつには一生敵いそうも無い。


「遠坂さんは士郎と一緒だね」

そんな俺たちに藤ねえが、何だか楽しそうな笑顔で声をかけてきた。

「士郎と?」

「うん、実は士郎はね、昔はお墓参りに来た事なんか無かったんだ」

始めて士郎がお墓参りしたのは二年ほど前だっけ、と藤ねえは感慨深げに空を見上げる。

「それでも別にお祈りとかはしなかったの。なんでって聞くと、別にお祈りに来たわけじゃ無いからって」

だからお墓参りはするようになったけど、お盆みたいな時節の行事には無頓着だったなぁ、と穏やかな目で切嗣の墓を見やる。

「士郎は、きっと自分の中で切嗣さんの背中を追いかけてたんだね」

士郎は意地っ張りだから、と切嗣の墓に語りかける藤ねえ。そうかもしれない、追いかける背中に向かって何を言っても弱音になる。それに何より、あの時まで俺には切嗣に話すことなんて何もなかった。

「今だって追いかけてるぞ」

だが今でもその気持ちだけは変っていない。だからその思いを言葉にして告げたのだが、藤ねえは知ってるよぉ、と先ほど遠坂が指で突いた俺の胸に掌を当てた。

「でもねえ、なんか昔と違うのよねえ。昔はほら、士郎って切嗣さんになろうとしてたでしょ?」

藤ねえはそのまま掌をゆっくりと、俺の頬に移した。

「遠坂さんとお付き合いしだした頃からかな? 士郎は切嗣さんになろうとしなくなった。切嗣さんみたいになろうとは思ってるみたいだし、相変わらず追いかけているけど……なんていうのかな? 衛宮士郎になろうとしてる? そんな感じ。だからお墓参りにも来るようになったんでしょ?」

なに言ってるんだろうね、とけらけら笑う藤ねえを、俺と遠坂はただ黙って見ている事しか出来なかった。時々、たまにちょっとだけ藤ねえは凄く鋭くなることがある。

「そっか、遠坂さんも士郎と一緒なんだね」

そのまま俺たちの顔を交互に見詰め、だからなんだね、と少しだけさびしそうに呟いた。

「藤ねえ……」

そんな藤ねえの姿があんまり儚げだったので、俺は思わず手を伸ばしかけた。

「よし、今日の朝ご飯はお姉ちゃんに任せなさい!」

が、藤ねえは俺の手を避けるようにくるりと振り向き、一声叫ぶと元気一杯に歩き出した。一瞬、それを聞いたセイバーの表情がこわばった様に見えたのは、きっと気のせいだろう。

「不思議な人ね、藤村先生って」

「ああ、全くだ。普段はどうにも手の付けられない駄々っ子の癖に、こういうときだけ鋭いんだ」

俺の応えに遠坂は、酷いこというのねぇ、とけたけた笑う。

「でも、昔は士郎だって随分手を焼かせたって言ってたわよ」

そのままふわりと身を翻すと、遠坂は俺の正面に回って悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「ええ、色々と聞きましたわ」

「士郎くんって、本当に大変な子供だったんですね」

いつの間にか俺の周りに集まっていたルヴィア嬢とミーナさんが、遠坂と並んでチェシ猫笑いを浮かべる。ちょっと待て藤ねえ。こいつらになに言った!

「シロウ」

と、後ろからぽんと肩を叩かれた。

「大丈夫です、誰にでも忘れたい過去というものはあるのですから……」

セイバーさん、何ですかその遠い目は? その哀れむような視線は? 藤ねえ、本当にこいつらになに吹き込んだんだ!




「俺ちょっと出かけるから」

墓参りから帰り、朝飯を食い終わったところで俺は皆に告げた。当然ながら藤ねえの朝食は却下。俺と遠坂できちんとした朝食を用意した。許せ藤ねえ、俺たちは冬木を戦場にしたくないんだ。

「なに? 何処行くの?」

「墓参りだ」

「お墓参りなら今行って……あ」

俺が何処へ行くのか気が付いたのだろう、遠坂が表情を引き締めた。

「分かった、行ってらっしゃい。わたしは行かないわよ」

そのままじっと俺を見据えていた遠坂だが、しばらくして諦めたように肩をすくめた。

「ああ、それじゃ行ってくる」

俺はそんな遠坂に苦笑混じりで返事をすると席を立った。ふとセイバーを見るとこちらも静かに頷いてくれる。有難う、セイバー。
そのまま、俺は不思議そうな顔をしたルヴィア嬢とミーナさんを遠坂とセイバーに任せ、いってきますと家を出た。

俺が向かった先は、まずは学園、そしてそこから冬木教会。かつて言峰教会とも呼ばれていた場所だ。
実のところこの教会は、俺にとって近づきがたい場所だったのだが、それでも、今の俺はここを訪れる理由があった。

「それじゃお借りします」

「うむ、気をつけてな」

教会での用件を終え、俺は神父さんに頼んで車を借りた。流石に次の目的地は足なしで行ける所じゃない。
一旦深山に戻り、国道を飛ばして一時間、左手にこんもりとした森が見えてきた。いや、森というより樹海だ。昼尚暗き樹海の外れ、俺はここで車を止めた。ここから先は歩きになる。

「やっぱりここは涼しいな。寒々しいくらいだ」

主を失っても、この森はいまだ暗く、冬の日のように寒々しい。
国道から三時間近く、道なき道を歩いたにもかかわらず、汗もさほどかくことも無く、俺は目的地に到着した。

「流石に日差しが当たってるだけあって、ここは暑いな」

樹海にぽっかり開いた穴、この小さな広場だけが、この森で夏の彩りに包まれていた。

アインツベルン城址、ここが俺の目的地だ。
俺は崩れかけた城壁を抜け中庭に入る。ここも夏の彩りだ、青々とした草に覆われた夏の生命の謳歌。あの白い少女とは正反対の景色。何故か俺はこの景色を彼女に見せたかったと思っていた。

「あれ?」

と、足が止まる。
中庭の外れ、そこだけは雑草が抜き取られ、綺麗に整えられている。そして、その中央、大きな黒い石碑と小さな白い石碑、そのどちらもが綺麗に磨かれ、花が添えられている。

「誰だろう?」

それほど前のことじゃない、雑草の生え具合と、添えられた花の様子から、せいぜい一日か二日程前だろうか。俺は、用意した花を並べるように供えた。

「ま、いいか。俺は俺のやりたい事をすれば良いんだから」

俺は改めて、雑草を抜き、墓石を整えた。
ここはあの白い少女、イリヤスフィールと彼女のサーヴァント、バーサーカーの墓だ。
そう、俺はサーヴァントたちの墓参りをしているのだ。

もっとも、これは普通の意味で死者を悼み、懐かしむ墓参りとは違う。俺がこうして回っているのは、切嗣の墓に参った時と同じ理由だ。
あの戦いで力の限り戦ったあいつらを忘れない為、俺があいつらの後を追っていることが、決して間違いじゃ無い事を確認する為の墓参。
だから学園でも、教会でも祈りはしなかった。ただその場所に立ち、誓いを新たにする。自分の思いを改めて確認していただけだ。

ただ、この場所だけは少しばかり趣が違う。列塔で倒れたランサー、そして少女を守って戦い抜いたバーサーカー。奴らに対しては同じだが、この白い少女に対する気持ちは何処か違っていた。

「小さな女の子だったから……って訳じゃないんだよな」

もしかしたら、もっと別の出会いがあったのではないか? もしかしたら仲良く遊ぶような関係になれたんじゃないのか? 遠坂や、ルヴィア嬢やミーナさんと一緒に、彼女も同じ輪の中に入れたんじゃないのか?
理由なんか無い、俺は漠然とそんな気持ちを持っていた。

だからこそ、俺は彼女だけは悼む。そして祈った。
願わくば、彼女の魂が安らかであらん事を……

「――ん?」

無言の祈りを捧げ、頭を上げた俺はちょっと妙なことに気が付いた。

「欠けてる?」

綺麗に磨かれた白石の端がほんの少し欠けているのだ。

「何か崩れたってことは無いよな」

と、周囲を見渡して、俺はもう一つ妙なことに気が付いた。あの草葉の陰で見え隠れしてるのは……

「遠坂、来ないんじゃなかったのか?」

「べ、別にそいつの墓参りじゃないわ。わたしの目的はあっちよ」

歩きやすい事を想定したのだろう、キャミソールにパンツ、それにブーツといった格好で、髪を後ろで縛った遠坂が草葉の陰から現れた。
膨れて指差す方向は列塔。なるほど、命の恩人だしな、言峰だって無関係ではない。
とはいえ……

「じゃ、ついでにどうだ?」

「ついでね、ついでじゃ仕方ないわね」

ずっとそっぽを向きながらも。遠坂は白い石の前で手を合わせる。
遠坂とアインツベルン。昔、聖杯をはじめに創った家系の裔、その意味では遠坂もあの少女も同じ聖杯の子だと言える。魔術師としての矜持で包んでいるとはいえ、そのことに感慨を抱かない遠坂じゃない。片意地を張って、ずっと膨れているのがその証拠だ。

「有難う」

だから礼を言った。この世界は哀しいけれど、哀しいだけじゃないと教えてくれて有難う。

「馬鹿、お礼言われるようなことじゃないわよ。これで全部でしょ?」

「ああ、俺の墓参りはこれで終わりだ」

柳洞寺、学園、教会、そしてこの城址。俺が挨拶をすべき、俺が覚えておくべき死者への墓参はこれで終わりだ。だが、

「遠坂は良いのか?」

「わたし? なにが?」

「あいつ」

俺はあの赤い騎士の事を告げた、余人はともかく遠坂にはこれで分かる。

「別に、第一あいつは死んだわけじゃないし」

遠坂は、俺の胸にとんと指を突きつけて言い放った。あいつは死んで消えたわけじゃない。遠坂は確認するように、再び俺の胸を突つく。

「それにね、あいつの墓があるとしたらあそこじゃない、ここよ」

だから墓参りしたけりゃ、毎日だって出来るんだから、と更にもう一突き俺の胸を突く。

「それで良いのか?」

「それで良いのよ、わたしの墓参りってのも士郎と一緒だから」

「一緒?」

「そ、一緒」

遠坂はそのまま俺を引き寄せて、胸に頬をつける。

「絶対あんたをハッピーにしてやる。そしてわたしもハッピーになる。……ほら、墓参り終わり」

それだけ言うと、遠坂は俺の胸から顔を離し、そのまま俺を見上げて不敵に笑う。きらきらと輝くばかりに堂々と笑いかけてくる。

「なんだよ、それ」

「なんだよって、これがわたしの墓参りよ。さ、家に帰りましょ」

なんだか良くわからないが、これが遠坂流の誓い方なんだろう。俺はそう思い定めて、遠坂に手を引かれ城址を後にした。





「着いたぞ、遠坂」

深山に帰り着いたのは、もう夕方だった。何せ片道四時以上かかる墓参りだ。ルヴィアとミーナは藤村先生に任せちゃったけど、大丈夫だったかな? “士郎の前半生ツアー”とか言ってたけど。ちょっと一緒に回ってみたかった気もする。

「ん、有難う。士郎」

夕方とはいえこの季節、まだまだ日差しは強い。だが、此処はあの冬の森同様にその強い夏の日差しすら通さぬかのように、ひんやりと冷たい。
遠坂家の屋敷。わたしが十数年住みなれた家。遠坂家の累代の工房。

わたし達のお墓参り。急遽決まった最後の場所がここだ。

「ほら、遠坂。行こう」

車を降りて、ぼんやりとそんな我が家を見上げていたわたしの肩を、士郎がぽんと叩く。

「あ、でもさ。別に遺体や遺骨があるってわけじゃないのよ」

魔術師に墓は無い。魔術師なんて大抵がまともな死に様を迎えない。よって遺体があることなんかめったに無い。
遺髪や遺爪もそうだ。魔術師にとって身体から離れても、身体の一部は呪的にはいまだ自分のまま。そんな危険なものを、おいそれと残しておくことなど出来はしない。
前々回の聖杯戦争で逝ったわたしの父も同じ。遺体も遺髪も残っていない。世間体から墓石はあるが中は空っぽ。
そう、強いて言うならば、この工房、遠坂の屋敷が遠坂家累代の墓といえるだろう。

アインツベルンの城からの帰り、墓参りつながりでそんな事を話したら。あいつは一つ頷いてここに車を飛ばしてきた。
そんな流れのせいだろうか。一年ぶりの我が家の前で、わたしは妙に神妙な気持ちになっていた。

「でも、ここなんだろ?」

「うん、そうなんだけど」

わたし達の墓参は、悼みや祈りの為では無い。死者と向かい合い誓いと確認の作業。
……ああ、そうか。わたしが家に帰るのを躊躇していた理由はそれか。

「士郎、一緒に来てくれる?」

「おう、そのために来たんだ」

わたしは士郎の力強い頷きに励まされ、遠坂邸へと入っていった。




「ここなのか?」

「うん、ここがわたしと父さんが最後に別れた場所」

家の中から開け放たれた玄関に正対し、わたしは士郎と並んで立つ。

「お父様、御免なさい。ちょっと計画が変わりました」

不思議そうな顔をする士郎の手を握り、わたしは開いた玄関に向かって言い放つ。

「一人前の魔術師にはなります。魔術師として魔術師の道を歩むのは変わってません。けど」

わたしは士郎の手を握りなおす。

「わたしこいつ選んじゃったから、ちょっと寄り道します。ちょっとかなりだいぶ拙いなあ、って思うこともあるけど、それでも必ず幸せになってみせます。だから、その……お父様、御免。わたしの代で聖杯は無理っぽい」

「遠坂……」

「何よ?」

「お前まだ聖杯に拘ってるのか?」

「仕方ないじゃない。父さんとの約束なんだから」

やれやれといった顔の士郎。だってしょうがないじゃない。あれってあんなんでも向こうに届く器なのよ?

「ええと、衛宮士郎です。初めまして」

苦笑しながらわたしを見て。今度は士郎が玄関に語りかけ始めた。

「お嬢さんのことなんですけど。俺こんな奴なんでかなり苦労かけると思います」

ちょっと恥ずかしそうに、それでいてはっきりと士郎は言う。

「でも不幸にはしません。最後は必ず笑っていられるようにして見せます。例え、貴方の遺言に逆らってでも。それを俺の誓いにさせてもらいます」

士郎はきっぱり言ってのけた。清々しい位の厳しい顔になって、玄関に向かって真正面から対峙している。
うう、なんか複雑な気持ち。士郎の気持ちは嬉しいけど、それじゃ流石に人格者の父さんだって鼻白むわよぉ……
そんな気持ちで士郎を見たら。大丈夫だよと微笑み返された。こ、これじゃ墓参りじゃなくて、父さんに交際相手紹介するみたいじゃないの……

その時だ。
風が舞った。玄関の向こうから、何か力が流れ込み、風となってわたし達に吹き付けてくる。
寒々しいほどの我が家なのに、それはとても暖かく優しい風だった。
そして人影が現れる。夕日を背負い、金色に輝く人影が静々と我が家に向かって歩んでくる。

「士郎……」

「遠坂……」

握る手に力を込め、わたし達は玄関に正対する。ここで目を逸らしてはいけない。わたし達は、きちんとここで新たな誓いを立てなきゃいけない。

光が、玄関から溢れこんでくる……




「シロウ、凛? 何をしているのですか?」

「へ?」

「え? セイバー?」

と、いきなり現実に引き戻された。玄関に立っているのは、不思議そうな顔をしたセイバー。

「セ、セイバーこそどうして?」

「どうしてもなにも、荷物が着くそうです。電話がありましたので、受け取りの手続きのためにこちらへ来たのです」

ぽかんとしたわたし達に、セイバーがやれやれといった顔で応えてくれた。あう、そうだった今日荷物が着くんだっけ。

「おう、じゃ早速、運び込む準備するか」

わたしの横で、わたしと同じようにあっけに取られていた士郎だが、漸く気を取り直したのか、元気に外へ飛び出そうと――

「――うわぁ!」

――した途端こけた。こけて玄関の扉にしたたか顔を打ち付けた。

「シロウ! 大丈夫ですか?」

「もう、しっかりしてよ。なにしてんの?」

「いや、なんか足がもつれちゃって。――つっ!」

起き上がった途端、士郎は顔を押さえる。どうしたのかと覗き込むと、扉のノブにでもぶつけたのだろう、顔には痕が残っていた。

「うわぁ、痣になってるじゃないか」

笑いを噛み殺しながら渡した手鏡を覗き込み、士郎が情けない声を出す。
鏡の中には目元に大きな痣を作った士郎の顔。

それはまるで誰かに、一発思いっきり殴られたかのような、なんとも見事な蒼痣だった。

END


記憶の在処と少しばかり重なってしまいましたが“ただいま”で“お墓参り”なお話。
各所を回る士郎くんの記憶の在処。ある意味Britainにおいて聖杯戦争は士郎くんの転換点でしたので。
御約束どおりミーナもお墓参りに参りました。彼女にとってもこの街は特別な町ですから。
で、最後は遠坂邸で閉めてみました。Fateというゲームのはじまりの地でもありますし。
士郎くんとしても、やっぱりきちんと筋は通しておかないと、というわけです(笑)

By dain

2004/8/18 初版
2005/11/11 改稿

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