そこは虹色だった。

真闇まっくらな世界から意識が戻ったと思ったら、周り中、それこそ空から地面まで全て変化する虹色の世界だった。
ほんの少しでも気を抜けば、自分自身さえ飲み込まれてしまいそうな多彩な光の饗宴。
俺はその世界で尻餅をついて呆然としていた。

「ちょ、ちょっと待て。ええと……」

俺は色彩に惑わされるのを、少しでも免れようと目を閉じた。若干の浸透はあるものの、何とか気を落ち着かせることは出来そうだ。
まずは平常心。現在の状況と今出来ることの確認。
これでも俺は魔術師だ、おかしな事には慣れている。こんな事くらいでパニックを起こすわけにはいかない。

「まずは立ち上がろう」

俺は自分自身を確認する為に、声に出して行動に移す。
目を瞑ったまま、身体感覚だけでバランスを取り立ち上がる。よし、今のところは大丈夫だ。

「目を開けるぞ、色彩に惑わされないように、慎重にそっとだ」

これまた声を出しながら、そっと目を開ける。
目を瞑っていてさえ、瞼を透化して明滅する色彩の乱舞だ、よほど腹を据えておかないと、それだけでバランスを崩し倒れてしまうだろう。

「え?」

が、開いた目の前に色彩は無かった。
いや、周囲は相変わらず、何処が地面かも分からない色彩の乱舞だ。しかし、眼前に見えるものは大きく確固たる影。人?

「ふん!」

「ぐわっ!」

次の瞬間、いきなり殴られた。右のフック、死角から何の予備動作もなしに側頭部を殴りつける、スマッシュブロー。

「はっ!」

「ぐげっ!」

意識を刈り取られかけ、ぐらりと揺れる俺に、構える間もなく足払いが来る。相手は目の前に立って居るはずなのに、膝の裏から挟み込まれるにように刈り飛ばされ、天地が逆しまになる。

「がはっ!」

起きる間もなかった、上体を起こそうとした瞬間に胸板を踏みつけられ、したたか背中を打ったかと思ったら、今度は胸倉をつかまれ宙吊りにされる。

「な! な……」

これでようやく、俺は襲ってきた人影を視界に収めることが出来た。床まで届きそうなローブを羽織った、恐ろしく恰幅の良い……老人? へ?

「おらっ!」

確認する間もなく、俺の視界は拳で押しつぶされる。
ぐにゃりと視界が歪み、俺の意識は、再び真闇な世界に引き戻されてしまった。





あかいあくま
「真紅の悪魔」  −Rin Tohsaka− 第六話 前編
Asthoreth





「これが? わりと普通だな。もっとおどろおどろしいかと思ってた」

遠坂邸の裏庭。直径で二十メートルくらいだろうか? 高さで十メートルほどの二層の小塔の前で、俺は少しばかり拍子抜けした思いを言葉にした。

「シェロ、それは些か不見識ですわ」

「そ、超がいくつも付くような一流の魔術師。しかも魔法使いの書庫なのよ? 外から見てそれと分かるような物じゃないわ」

途端、先生方に揃って突っ込まれた。いや、頭では理解してるんだ、一流の魔術師の結界はそう簡単に分かるようなもんじゃないって。でも、やっぱりそれが魔法使いとなると、なんとなく俗っぽい期待をしちまうもんだ。

「とはいえ、本当に外からでは何も感じませんわね」

「そりゃあね。わたし達だって知識として知らなきゃ気づきもしないはずよ」

塔の壁に手を置き、小首を傾げるルヴィア嬢に、下手したら道のど真ん中にあったって見逃しかねないわよ、と腕組みして応える遠坂さん。

「でも間違いなくここが、我が遠坂家の魔境。大師父の書庫よ」

そう、この何の変哲も無い小塔こそが、大師父キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグが遠坂の家に残した書庫。つまり、本物の魔法使いの塔なのだ。

なんでも昔、大師父が遠坂家に逗留した際に持ってきた物だそうで。いわばこれ全体が遺物アーティフィクトと言えるものらしい。そこに弟子の俺だけで無く、部外者ともいえるルヴィア嬢まで連れてきたのは、現在、時計塔で遠坂とルヴィア嬢が行っている共同研究の為だ。

大師父の魔法。第二魔法。並列世界を自由自在に操る術。
その中でも『多重次元屈折現象』と称される術が、遠坂家に託された宿題なのだと言う。
無論、天才クラスの魔術師である遠坂とルヴィア嬢が揃っていても、そう簡単に行き着ける所ではない。あくまでそこへ至るきざはしの最初の数段。今、行っているのはそこに足をかける為の研究だ。

「そのヒントが此処にあるというわけですのね?」

同じ鉱石魔術を専門としているとはいえ、ルヴィア嬢は大師父の系譜では無いとのことだ。それでも、遠坂はあえてこの研究のパートナーとしてルヴィア嬢を選んだ。
これは魔術師としてはかなり危険な行為だ。だが、同時にルヴィア嬢と組めば、研究は飛躍的に伸びると遠坂が判断した結果でもある。
ハイリスク・ハイリターン。いかにも遠坂らしい判断だ。実際、失敗が続いているとはいえ、二人の研究は着実に前進しているらしい。

「それじゃあ入るわよ。用意は良い」

「用意は良いけど、どっから入るんだ? やっぱり何か魔術使うのか?」

遠坂の元気な一声。だが、この塔の周りには何処にも入口らしき場所が無い。

「あ、それなら大丈夫。セイバー、梯子よろしく」

「はい、凛。ここで宜しいですね?」

遠坂の声に、五メートル以上ありそうな長い梯子を軽々と持ったセイバーが現れた。そのまま、ひょいとばかりに塔に梯子を立てかける。梯子の先に視線を送ると、おう、あんな所に扉があったのか。

「二階に扉? 変わってるな」

「シロウ、これが普通です」

「はい?」

俺の呟きにセイバーがおかしな事を言う。

「士郎、覚えてない? 倫敦では二階の事を一階って言ってたわね?」

「あ、それは覚えてる。で一階がグランドフロアーだっけ?」

「そ、つまりこういうわけ」

遠坂はそう言うが、俺にはぜんぜん分からない。優等生さんは、どうも説明の真ん中をはしょる傾向があって困る。

「シロウ、つまりこの塔は小さいながらも城なのです。城とは外敵から身を守るもの。もし地上階に扉があったなら、それはかなり危険なことでは無いですか?」

あ、なるほど。確かに地面からすぐ城の中に入れる出入り口があるより、こうやって梯子をかけなきゃ出入り口に近づけない方が防御には好都合だな。

「そんな伝統で欧州では二階が一階なの。一階は一種の倉庫扱いね」

分かった? と遠坂さん。分かったけど出来れば最初の説明で全部話して欲しかったぞ。

「それにしても梯子は無いんじゃなくて? 遠坂の敷地内ですし、わたくし達なら重力制御系の呪でも何とかなりますわよ?」

と、今度はルヴィア嬢が文句を言う。まあ確かに、梯子かけてぞろぞろ上るって、なんか魔術師らしくないと言うか、余り神秘って感じじゃないな。

「やってもいいわよ? わたしも七つの歳に、始めて浮遊の呪を覚えてやってみたことあるもの」

だが、遠坂さんはどうぞとばかりに肩をすくめるだけだ。妙な含みを感じたのか、ルヴィア嬢は不審げに片眉を上げると先を促す。

「で、呪を使って上まで上がった所で扉を開けたら、危うく蟲毒の壷蔵に放り込まれるところだった。つまり、正式な手順を踏まないと、おかしな所へ飛ばされる罠ってわけ」

「一種の空間転移じゃなくて? そんな魔法レベルの……魔法使いの塔でしたわね、ここは」

一瞬、遠坂に突っかかっていこうとしたルヴィア嬢だが、はたと気が付いてむぅーとばかりに唸り声を上げる。

「そういうこと。見かけに騙されちゃ泣きを見るってことね」

捻くれ者って聞いてたけど、本当に思いっきり捻くれてるんだな大師父って。出来ればお会いしたくない人なんだが、ちょっと会ってみたい気もする。俺は遠坂の顔を見ながらそんな事を考えていた。




セイバーは勿論、魔術師とはいえ遠坂もルヴィア嬢も、寝る前に腕立ては欠かさない程度には鍛えている。梯子登りそのものは問題が無かった。もっとも、一人だけスカートだったルヴィア嬢が、謀りましたわね、と遠坂に文句を言っていたが。

「……わりと普通だな」

中に入って書庫を見渡しての俺の第一声。ちょっと変わった造りだが、魔法使いの書庫にしてはやっぱり拍子抜けする思いだった。
まず、俺たちの入った上階、そこは塔の円周に沿うように回廊になっていて、中央はグランドフロアーの吹き抜けだ。手摺り越しに見る下層の書庫は円周沿いの固定書棚と、上階の回廊部分沿いに円周と同心円のレールが敷いてあり、そこに等間隔に並んでいる六つの移動書架からなっている。
つまり二重円の書架で、外側がびっしり書棚で、内側が十二等分され、その一つおきに移動書架が嵌っている形だ。
中央の吹き抜け部分は、書見席だろうか革張りのソファーと木のテーブル、そして立派な木製のデスクが一つ。床部分になにやら陣が刻んであるのが、唯一魔術師の書庫らしい部分だ。

「そればっかりね、まあ、確かに一見しただけじゃ、分からないだろうけど」

そんな俺の感想に、こちらも少しばかり不満そうな遠坂さん。

「外に比べれば、魔力は感じますけど……大師父の書庫と言うわりには、蔵書もありきたりですわね」

「一度魔術師メイガスの部屋に入ったことがありましたが、もう少し力を感じたように思えましたが」

どうやらルヴィア嬢とセイバーも俺と同じような感想だったらしい。階段で書庫に降りながら、不満とは言わないがどちらも拍子抜けした様子で呟いている。

「そう言っていられるのも今のうち。待ってなさい、今、扉を開けるから」

「扉って、此処が書庫じゃないのか?」

「此処も書庫よ」

遠坂は良く分からない事を言うと、床に描かれた陣の中央に立った。

「――――Anfangセット

なにか呪を紡ぐわけでも無く、単に魔術回路を起動するだけの呟き、が、その魔力だけで床の魔法陣は起動した。

「トオサカの血脈呪ですわね、大師父の遺物は大抵がその系譜以外扱えない物ばかりですもの」

ルヴィア嬢の説明を待つ間もなく、六つの書架が一斉に移動する。音を立て、丁度今まで空いていた一区切り分きっちりスライドして動きを止めた。

「え?」

流石に今度は驚いた。書架の移動した跡、本来ならば今度はそこが隙間となって裏の書棚が伺えるはず。
だが、今その隙間から望めるのは、それぞれが全く違う六つの別世界の入り口だった。
まるで自然の洞窟のような部屋、天井部分で雷雲が渦巻き疾風と雷鳴に包まれた部屋、入口が水面のようにうねり、きらきらとなにやら魚のようなものが群れ動いている部屋、床全体がマグマのように真っ赤に沸き立ち、所々から炎を吹き上げている部屋、きらきらと反射、屈折するクリスタルに包まれ、まるで全てがシャンデリアで出来ているような部屋、一つを除いて、その全てが異様な部屋に繋がる扉だった。

「『全元素書庫ヘクサリスタル・ライブラリー』……時計塔にも一つあると聞いていますけれど」

ルヴィア嬢が驚嘆の声を上げる。なんでも、それぞれが元素の鍵に守護された空間に繋がった遺物なのだそうだ。

「そ、しかも大師父がそんなとこに後先かまわず、ぐちゃぐちゃに魔道書やら魔具やらを突っ込んだもんだから、中は完全に魔境ね」

遠坂は肩を竦めながら水の部屋を指差す。あれ、いつの間にか入り口のところが壁になってるぞ、ずるずると横に移動するぬめぬめした壁……へ?

「今のは……目でしたね」

流石のセイバーも、あっけに取られたようだ、一瞬通過した、扉と同じくらいの大きさの「目」。一体どんな生き物が中にいるんだよ。

「でも、此処だけは普通なんだな」

そんな中、俺は唯一つ普通の書庫に繋がっている入口を覗き込んだ。

「ちょっと! そこが一番危ないの!」

途端、遠坂に襟首を掴まれ引き戻される。

「なにさ、いきなり」

「もう、ちょっと見てなさい」

遠坂はそう言うと、ペンを一本その中に投げ込んだ。
軽い金属音と共に床に落ちたペン。
と、まるでそこが一瞬のうちに水面にでもなったかのように、自らが形作る影に沈みこみ、見る見るうちに消えていく。

「な、なんだよこれ?」

「ディラックの海? 影が虚数空間に繋がってますのね? ということは……」

「そう、この書庫は五大元素の反在、架空元素虚数の書庫よ。で、ルヴィア。これ聞こうと思ってたんだけど、貴女は何とかなりそう?」

「残念ですけれど、今のエーデルフェルト我が家に虚を扱う魔術は残っていませんわ。簡単な防護ならともかく、此処まで高度な虚数空間だと、難しいですわね」

「やっぱり。ま、仕方ないか」

二人とも難しい顔でむぅーっと唸りだした。

「なにさ? なんか……苦手にしてるみたいに見えるけど」

この二人が苦手にするなんてちょっと驚きだ。俺の知る限り……カーティスくらいか。

「見えるでなくて、実際に苦手ですわね、これは」

「ほら、わたし達が五大元素を属性にしてるのは知ってるわね?」

「おう、全部持ってるんだろ? だから苦手なんか無いと思ってた」

難しい顔の二人を交互に見ながら、俺は首をかしげた。

「実は全部じゃないのよね、これが」

「五大元素というのはすなわち全存在という事。ですけれど、その“存在”の真逆である虚数という架空元素がありますの。丁度正反対の属性で、全くの反対であるがゆえに扱えないわけではないのですけれど」

「一種の鬼門でもあるわけ」

二人ともなんとなく言いにくそうに話してくれた。意地っ張りだからなぁ。

「じゃあ遠坂やルヴィアさんでもこの部屋には入れないのか」

「入ることは出来るわ」

「物理接触をしない限り、影には飲み込まれませんものね」

成程、宙に浮くとか遠視や透視って手があるな。じゃあ使えるんじゃないのか?
俺はちょっとそのことも聞いてみた。

「でも手に取れない、そりゃ念動力って手が無いわけじゃないけどね」

「効率が悪すぎますわね、特に魔道書は見るだけでなく触れる必要があるものが多いですし」

やっぱり一筋縄ではいかないようだ。まあ、魔法使いの書庫だからな。当然といえば当然か。

「使い魔使って、目録だけは作ってあるんだけどね、見る?」

差し出された目録を、ルヴィア嬢の肩越しに俺も覗き込んでみた。うわぁ俺じゃ分からない本ばっかりだ。

「そこそこですけれど、余り面白い本はありませんわね、魔術理論と魔術史関係ばかりですのね」

とはいえルヴィア嬢にとってはそんなレベルらしい。先は長そうだ……

「そうね、で、目玉はこいつね」

遠坂が指差したのは数冊の表題と目次。ドイツ語だが表題くらいなら俺でも何とか読めそうだ。

「これ……大師父の考察草稿じゃありませんの! しかも当時の魔術師家系の秘門? とんでもない方ですのね」

「そ、メインはアインツベルンとマキリ、遠坂もあるけど、当時の遠坂はさほどの歴史は無かったから大したものじゃないと思うわ」

目次を見る限り、アインツベルンと言うのは人造生命と強力な器の構成に秀でていたらしい。でマキリは……うわぁ……。

「『上級種蟲吸概要』に『蟲群女王種支配要綱』……思いっきり生臭い魔術体系ですわね」

どうやら吸収と支配に秀でていたらしいんだが、どれもこれも蟲を介在している。蟲毒の大家といったところか。正直、俺としては桜がこんな魔術の系譜と縁が切れて本当に良かったと思うぞ。

「でも、わたくしにこんなものを見せて宜しいの?」

「だから確認したじゃない。どうにかできるかって」

特に大師父の草稿は虚数櫃クライン・アークに収まってるし、と底意地の悪い笑みを浮かべる遠坂さん。相変わらず良い性格してるな。

「その笑みは気に入りませんけれど……別に興味のある題材ではありませんわ」

「そう言うと思ってたわ」

一転、今度は珍しく素直な笑みをルヴィア嬢に向ける遠坂。貴女がそんな人だから見せたのよ、といった笑み。

「お、煽てたって、何もでませんわよ」

遠坂の素直な笑みってのはルヴィア嬢にも通用するらしい、しばしあっけに取られた顔をしていたルヴィア嬢だが、照れたのだろう、頬を染めてぷいっと顔を背けられた。

「それでは凛、どの部屋からはじめるのでしょうか?」

一方こちらはセイバーさん。なるほど、此れはやりがいがありそうです、とばかりに不敵な笑みを浮かべ完全武装に身を包んでいる。

「セイバー、武装は解きなさい。今日はこっちじゃないから」

でも遠坂さんは、ほらほらと言わんばかりに手を振って、セイバーの武装を解かせた。
それを受けて、しぶしぶ武装を解除するセイバー。折角、思う存分暴れられると思っていたんですが、って小さな呟きはきっと俺の空耳だろう。

「じゃ何をするんだ? ここの探索だと思ってたんだが」

「ここの探索には違いないわよ? さっきルヴィアが言ったわよね、ここは 『全元素書庫ヘクサリスタル・ライブラリー』だって」

ちゃんと覚えてる? と遠坂さんは視線で聞いてくる。

「えっと、確か表裏六つの元素の全てを利用した封印空間……だっけ?」

恐る恐るの俺の答えに、遠坂とルヴィア嬢は、よしよしちゃんと聞いてたわねと先生の顔で頷く。

「でも、正確に言うとここは 『全元素書庫ヘクサリスタル・ライブラリー』じゃ無いわ」

遠坂は再び、床に書かれた陣の中央に立ちなおすと、今度はきちんとした呪を詠唱しだした。
と、遠坂の正面にあったデスクが、まるで組木細工かルービック・キューブのようにパタパタと開き、閉じ、組み替わっていく。

「ここは更に七番目の要素、魔法をも包括した『七要素書庫ゼルレッチ・スペクトラム・ライブラリー』」

遠坂の声に促されるように、目の前のデスクは変化の速度を上げていく、ついにはそれは残像でしか捕らえられなくなり、その動きが止まった時には、きらきらと虹色に輝くクリスタルの箱が姿を現した。

不思議な箱だ、形は大きめの宝石箱といったところ、百科事典を二三冊重ねたくらいのサイズで、その六面が全てきらきらと虹色に変化するクリスタルで出来ている。

「魔晶櫃? こんなものが隠してあったんですの?」

ルヴィア嬢が再び感嘆の声を上げる。

「そ、大師父が残した遠坂家の家宝。大師父の宝箱。この中に大師父の宿題、魔法への階が隠されているはずよ」

「此れが七番目の扉と言うわけですのね」

どうだとばかりに胸を張り、見得を切る遠坂。俄然、ルヴィア嬢の目の色が変わる。それはそうだろう、目の前に魔術師の最終目標。魔法への扉が現れたのだ。魔術使いな俺だって、やっぱりかなり興味がある。

「で、やっぱりこれも開けると、向こうの書架みたいにどこかに繋がってるのか?」

「あ〜、多分違う」

俺の疑問に、遠坂さんはすっと視線を外して応えた。“多分”?

「それでは、どのようになっているのでしょう」

「その、宝石剣ゼルレッチの設計図かなんかが入ってる……と思う」

宝石剣? なんか名前からして凄いものだと思うけど……“と思う”?

「リン、正直に話したらいかが? 何の為にわたくしに協力を要請したか」

そんな遠坂の応えを、意地の悪い笑みを浮かべて眺めていたルヴィア嬢が、楽しそうに口を開く。

「わ、分かったわよ。つまり……」

なるほど、そういうことか。

「凛も、まだ開いたことは無いと」

セイバーが少しばかり意地の悪い声音で後を引き取った。

「仕方ないでしょ、これも宿題なんだから。わたし一人だと、わたしの代でこれを開けられるかどうかも怪しいんだから」

ついに開き直りやがった。ふんとばかりに顔を逸らして腕組みして胸張ってやがる。

「取敢えず、説明して差し上げたら? わたくしはもう聞いていますから宜しいですけど」

そんな遠坂を、本当に楽しそうに眺めながら、ルヴィア嬢がにっこりと微笑む。その笑みに腸が煮えくり返ってるぞな遠坂の表情。本当にお前ら仲が良いな。

遠坂の説明によれば、この櫃を開けるには三つの鍵が必要なのだそうだ。
どうやら最初の聖杯戦争の頃に渡された品らしく、櫃と“鍵”のうちの一つこそ遠坂家に渡されたが、残りの二つはアインツベルンとマキリに一つずつ渡されたらしい。

「でも、それって争いにならないか?」

いわば魔法への鍵だ、そんなもの渡されたら独り占めしたくなるものだろう。

「アインツベルンとマキリには“鍵”だって渡されたわけじゃないみたい。“鍵”って言っても物理的な鍵じゃないし」

つまり、“鍵”とは術式や系譜の血、あるいは別の機能を持つ魔具の形で贈られたということだ。もし系譜の血や家伝の秘蹟を鍵として設定されていたら、相手は鍵を貰ったと言う自覚さえ無いだろう。

「自分だけで解きたいなら、時間をかけてじっくり研究しなさい。近道は用意したから、そちらを進むなら上手くアインツベルンとマキリを騙してみれば? と言うわけですわね。噂には聞いていましたが、思いっきり捻くれてますわ」

水晶玉ティンダロスの時も思ったが、本当にとんでもない爺様だな、大師父って。

「遠坂家累代の研究で、何とか鍵一本分の施術はクリアしたわ。でも後一本残ってる。まともにやったら五、六代はかかるわけ」

「そこで、わたくしとシェロの出番ですわね」

溜息交じりに苦笑する遠坂に、力強くルヴィア嬢が言葉をつなげる。

「そういうこと、士郎の解析能力、それにわたしとルヴィアの魔力と知識、この二つがあればもう一本分も、何とかクリアできるんじゃないかって事なの」

そのまま二人揃ってにっこりと俺に微笑みかけてくる。って、俺も?

「でも、俺にそんな大層なことできるかな?」

流石にびびる。超一流の魔術師である、遠坂やルヴィア嬢と肩を並べて研究なんて。

「言ってしまえばジョーカーですわね」

「そう、ブタかもしれないけど、大師父だって士郎の解析能力を予測してたとは思えないしね」

なんかさり気なくむげも無い。俺は溺れる者の藁ですか? そりゃそうだとも思うけど、なんかちょっと気に入らないぞ。

「シロウ、御二方は照れているのです」

微妙に膨れる俺に、セイバーがやわらかい笑みを浮かべて話しかけてきた。更に、違いますか、と面白がってにや付いていた遠坂とルヴィア嬢にも優しい笑みを向ける。

「御二方は、誰よりもシロウを買っている。そのことはシロウが、一番良く知っているはずですが?」

真正面からのセイバーの御言葉。これは照れる。遠坂とルヴィア嬢も一緒なのだろう、僅かに俯いて赤くなっちまった。俺も今、真っ赤だろうなぁ。
それをセイバーが、本当に微笑ましげに見詰めてくれるもんだから、益々恥ずかしくなる。

「と、とにかくそういうわけ。頑張りなさい、士郎」

「シ、シェロの役割は大変重要ですのよ、しっかりお願いしますわ」

「お、おう」

なんだか、とても魔法へ挑む雰囲気じゃなくなってしまったが、それでも俺たちは大師父の遺物に挑戦することになった。
ただ、なんとなくこれで良いような気もした。例えどんな辛く苦しいことに挑むにせよ、俺たちはいつもこうやって突き進んで行きたい。それが正直な気持ちでもあった。




「これがまずわたしの鍵」

魔晶櫃の前で、遠坂が左腕の魔術刻印を輝かす。まず一つ目の“鍵”それは遠坂家代々に伝えられてきた魔術刻印の中に巧妙に組み込まれた複合呪式だという。

「士郎、これから開けるから、しっかり見とくのよ」

「おう」

“鍵”の部分は複雑すぎて、俺では追いきれない。いや、術式そのものは読めるのだが、意味が全く取れない。言ってしまえば百科事典を全巻通読するようなものだ。読むことは出来てもそれに意味付けするには、それなりに技術と知識の蓄積が必要という事だ。
だから、“鍵”を注視しているのはルヴィア嬢だ。第三の鍵を構築する為に、遠坂の魔術刻印で“鍵”に相当する部分を、直感で読み取り再構築する。これは一流の魔術師の目が無ければ出来ないこと。
遠坂自身は、自分の“鍵”については既に把握しているのだそうだが、こういったことは口で語るより実際に見せた方が早いのだそうだ。

だから俺は櫃の方、つまり錠に注視する。こっちは魔具とはいえ道具だ、鍵が入ってどういう仕組みで開いていくかは、解析能力に長けた俺にしか読みとれない事だと言う。

カチリ

実際に音が聞こえたわけでは無い、機械式で無くあくまで呪式の鍵だ。だが俺の脳内にはそんな開錠の響きが聞こえた。

「どうだった?」

「錠っていうより、さっきこの箱が出てきた時のパズルみたいな感じだったな」

次々と落ちて来る立方体が、必要な場所に誘導され一つの形になって消える。そんなイメージの連鎖が、最終的な開錠に繋がっていく、そんな感触だ。

「鍵の方もそれで説明が付きますわ、決まった形というより、ピュタゴラス派の数式魔術の応用かしら? 変動する状況を追って解を求める計算式タイプですわね。違いまして?」

「正解、じゃ次行くわよ。これが二つ目」

遠坂は、魔法陣の刻まれた羊皮紙に宝石を配置しながら再び魔術刻印を起動し、左掌を陣の中央に押し当てた。

「――――Anfangセット

「へえ……」
「あら……」

ルヴィア嬢と俺の嘆息がこだまする。遠坂の魔術刻印に呼応するように、魔法陣の術式は再計算され、解を出し、さらにその解を元に宝石を溶かしながら新たな術式を羊皮紙に刻みつけていく。

「トオサカが見つけた鍵は組み替えの呪式でしたのね」

「そ、錠の方が毎回新しくなるから、この方式しかないわけ」

遠坂はそう言うと、新たに組みあがった“鍵”を錠の部分に押し当てる。

「じゃ行くわよ、二人ともよく見といて」

そのまま遠坂は、徐に魔法陣を起動する。今度も同じだ、幾つもの不定形が次々と落ちてくるのを、術式が掬い上げ所定の位置へと嵌め込んでいく。ただ速度が上がっている、先ほどの倍近い速度と量でイメージの連鎖が行われている。あ、でも……

カチリ

何とか錠は外された。だが結構危なかったな、最後の方はかなりもたついていた。

「前の鍵の術式を利用して新たな鍵を構成する、それは分かりますわ。でも何故三つ目も同じ方法を使えませんの?」

「それの応えは士郎が分かるんじゃない?」

俺のちょっとした表情の変化を目ざとく見つけたのだろう、遠坂がルヴィア嬢の疑問の応えを俺に振ってきた。

「数式の劣化じゃないかな? 錠の方は多分、前に開錠された情報を元に再計算されて新しい錠を組むんだと思うけど、遠坂が用意した数式だと計算がちょっと追いつかない感じだ、今のだいぶもたついてたし」

「そういうこと、計算の組み換えが本物に比べると雑なのよね、一回のコピーならギリギリ間に合うけど、二回以上だと追いつけなくなる」

ぺらぺらと呪式の刻まれた羊皮紙を振りながら、遠坂さんは難しい顔でルヴィア嬢に言う。

「一旦作ってから、足りない部分を補えば……あ、そうですわね、一回ごとに再計算されてしまうんでしたわね」

「そうなのよ、その都度、前の開錠条件を元に組みなおされるから、同じ錠は二度と現れないわけ」

つまり、トライアンドエラー方式は使えないって事だ。

「となると、組み換え呪式の精度を上げる必要があるわけですのね?」

「そ、呪式を解体した系統樹は持ってきてるわ」

そう言うと遠坂は、電話帳のようなノートの束を取り出した。

「うわぁ、そのぺら紙一枚の元はそれなのか?」

「なに言ってるのよ、これでもかなり纏めてあるのよ」

二百年分の結晶なんだから、と膨れる遠坂さん。いや、それは分かるけど、それを今から解析するのか?

「時間が惜しいですわ。宜しくて? わたくしが見ても」

「そのための共同研究よ、代わりに成果は出してもらうから」

阿吽の呼吸でノートを開くと、それこそ馬車馬になって没頭していく御二方。この集中力は本当に凄いと思う。
ただこうなると、俺は手持ち無沙汰になってしまう。面白そうなガラクタがあることはあるが、なにせ大師父の書庫だ、変に弄っては何が起こるか分からない。
仕方が無いので、俺は遠坂が置いた二つ目の鍵の呪式を見るとはなしに眺めていた。

遠坂の腕の刻印に隠された鍵は、各種の呪式に隠されてえらく複雑になっていたが、こいつはその核だけを抽出したようになっているせいか、俺でも何とか解析できそうだ。
勿論、意味は分からない、ただ順を追いどうなるかが分かるだけだ。
ああ、なるほど、ここか。
そうやって見直すと、いくつか流れがつかえてる所が見て取れる。

「なあ、遠坂」

「……ん? どうしたの、士郎」

「この術式だけど、この辺が詰ってるぞ」

「この辺? どのようにですの?」

何の気なしに、魔法陣を指差しながら遠坂に聞いた俺の手元を、ルヴィア嬢も覗き込んできた。といっても具体的にどの呪刻が、と分かるわけじゃない、俺としてはこの辺りという、曖昧な位置を示すことしか出来ない。

「どう思う?」

「やってみる価値はありますわね」

そんな俺を眺めながら、暫く考え込んでいた遠坂とルヴィア嬢は顔を見合わせて頷きあう。

「ええと、何するんだ?」

「一度これで三つ目の鍵を作るから」

「シェロにはそのボルトネックを掴んでいただきますわ」

つまり、俺の解析能力で、鍵を逆算し錠をシミュレートさせようと言うことらしい。

「そんなことで上手く行くのか?」

「駄目でも次に繋げられるわ、士郎はわたし達と違って見えるわけじゃない」

「鍵ではなく、鍵を作る術式レベルでのトライアンドエラーと言うことですわ」

突破口が開けたせいだろうか、二人揃ってなにか新しい玩具を手に入れた子供のように目を輝かせながら、嬉々として電話帳と術式に取り組みだした。
今回は一応俺も輪の中なのだが、出来ることは遠坂やルヴィア嬢から聞かれるたびに、そこが詰ってる、ここが滞っていると、指し示すことくらいだ。実を言うと何をやっているかは、ちんぷんかんぷんなんだが、それでも全体の流れが徐々に滑らかになっていくのを見て取ることは出来た。

「……出来ましたわ」

「これで開くのか?」

「う〜ん、四分六ってとこね、まだ分は悪いわ」

「ともかく、ご苦労様でした」

解析が始まってほぼ半日、かかりっきりの作業は漸く終わり、俺達はやれやれとばかりに背筋を伸ばした。

「有難う、セイバー」

冷やした濡れタオルを配ってくれるセイバーに俺は礼を言う。何せ、俺も作業にかかりっきりだったので、食事から何から、雑事はセイバーに任せきりだった。

「さて、それじゃあ試すわよ。しっかり見ててよ、士郎」

「おう」

遠坂とルヴィア嬢が、新たな術式を元に“鍵”をくみ上げる準備を始める。俺の役割は櫃の前に陣取っての錠の観察だ。開錠の過程、何処で引っかかったかを見極める。それを元に、今度はルヴィア嬢と遠坂が、術式の問題点を洗い出すと言う段取りだ。
コンテニュー無しの一発三連続勝負だけに、えらく手間のかかるやり方だが、開錠の状態を観察でき、しかも鍵の問題点を見極められると言う俺がいて始めて出来るやり方だと言う。なんだか便利な道具にされた気もしないでも無いが、それでも何も出来ないより役立つってのは嬉しいものだ。

「――――Anfangセット

遠坂の魔術回路起動を合図に、三つ目の鍵が錠に嵌め込まれる。
さて、それじゃあひとつ、気合を入れていこうか。


冬木編もう一つの宿題“大師父の書庫”編です。
HFをやり直して気が付いたのですが、このルート以外で宝石剣の設計図は取り出せていないんですよね。
なもんで、イリヤの代わりにルヴィアゼリッタと士郎の協力を得てこいつを手に入れさせてやろうと思いました。
とはいえ、一筋縄でいくはずもなし……
それでは、後編をお楽しみください。


By dain

2004/8/25 初稿
2005/11/11 改稿

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