「あつぅ……」

目を覚ますとそこは虹色の世界だった。
だが、さっきまでの眩いばかりに変化する虹色とはちょっと違う。もっと落ち着いた、真珠の光沢が見せる虹色のような、柔らかで何処か落ち着いた色彩だ。
……って、さっき?

「ほう、目が覚めたか」

「うわぁ!」

俺はとっさに起き上がって身構える。
俺が横たわっているソファーのような椅子の脇、そこに泰然と立っていたのは、さっき俺をぼろ雑巾のように殴り倒した、あの爺さんだった。

「そう構えるな、さっきは悪かったな。余りに薄かったので、トオサカの筋と見極めるのに些か時が掛かった」

一瞬、殴り返そうとした俺の肩をがっちり掴んで、爺さんは気安げに語りかけてくる。表情と裏腹に俺の肩にかかった掌はどっしりと重く。ただ置かれているだけなのに、身体はびくとも動かない。

「あの……トオサカって?」

「ああ、確かめた時に少しばかり覘かせてもらった。坊主はトオサカの婿か、当代はなかなか可愛らしい娘のようだな」

爺さんはいつの間にか現れた椅子に座り、少しばかり人の悪い笑みを浮かべて俺に語りかけてくる。いや、その……婿ってわけじゃあ。っとそれよりもだ。

「その、貴方は?」

「ふむ」

爺さんは、座ったまま手を組み、片眉を吊り上げて俺の目を見据えてくる。ただ見られているだけだと言うのに、なんか、ものすごい威圧感だ。

「トオサカの系譜なら、もう分かっているのではないかな?」

そのまま、さあ次は坊主の番だといわんばかりの表情で黙り込んだ。それが分からないようでは、たとえトオサカの系譜と言えどもただで置くわけには行かんぞ、そんな言葉が聞こえてきそうな顔つきだ。

「あ、はい。大師父……様?」

「半分といったところか」

苦笑しながら立ち上がった爺さんは、そのまま俺に右手を差し出した。

「そうだ、私は君が大師父と言った者。名をキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグという」





あかいあくま
「真紅の悪魔」  −Rin Tohsaka− 第六話 後編
Asthoreth





「――同調開始トレース・オン

いきなりだ。いきなり士郎が、魔晶櫃に手を置き呪を唱えだした。

「士郎! なにしてるの!」

「何をなさっているの! シェロ!」

わたし同様、ルヴィアも叫び声をあげた。こいつ、本当に何やりだしたのよ!

それは、開錠の呪式を試す三回目の実験の最中だった。
士郎の解析のおかげで、何とか三つ目の鍵の精度を上げることは出来たが、それでも一回目、二回目と失敗続きだった。
方法は間違っていないと思う。士郎の解析は驚くほどに正確で、問題のある呪式は毎回きちんと抽出することが出来ていた。問題は解法のほう、毎回組み立てなおされる錠に対して、どうしてもタイムラグが生じ、後手後手に回ってしまう。後一歩、二回ともその一歩を詰められないでいたのだ。

「大丈夫だ、もう少しなんだ、俺が直接やってみる」

額に玉の汗を浮かべ、士郎はじっと櫃を見据えたまま応える。
何をやりたいかはこれで分かった。今までの二回同様、今回も後一歩なのだろう、わたし達はそれを観測できないが、士郎にはできる。だから士郎は、自分の魔力を直接流すことで、後一歩を後押ししようとしているのだ。

「無茶ですわ! シェロは術式を理解していないのよ!」

ルヴィアも同じ結論に達したのだろう、掴みかからんばかりの勢いで士郎に突っかかろうとする。

「待って、ルヴィア!」

が、わたしはそれを押しとどめた。既に士郎は術式にラインを繋いでしまっている。ここまで来ると、下手に手を出しては却って危険だ。

「大丈夫、理解は出来ないけど、どうすれば良いかは分かる」

ああ、もう、この魔術使いが! わたしはルヴィアを押しとどめながら、腹の底で悪態をつく。いきなりこんな危ないことするなんて、本当ならわたしのほうが掴みかかって、二三発分殴ってやりたいところだ。
だが、こうなっては、もう士郎に任すより無い。一応、士郎だって大師父の系譜の末端だ、拒絶反応はないだろうが……

カチリ

耳に聞こえない開錠の音。一気に肩から力が抜ける。
やってのけた。士郎は見事に最後の一歩を推し進めて見せた。嬉しいんだか悔しいんだか、分けの分からない感情が渦巻く中、わたしの魔術師の目は、ゆっくりと開く魔晶櫃の蓋に釘付けにされていた。
だから、気づかなかったのだろう。士郎が開錠の瞬間から微動だにしていない事を。

ガゴン

「――え?」

と、まるで魔晶櫃の蓋に呼応するように、閉めたはずの六つの書架がいきなり動いた。

「凛! ルヴィア! 伏せて!」

言うが早いか、セイバーが士郎諸共わたしとルヴィアを押し倒す。

―― 瞬!――

一瞬遅れて、押し倒されたわたし達の直上を、何かがすさまじい速度で通過する。数は六つ。扉の向こう、それぞれの部屋から一つずつ何かが突進してきた。きらきらと多彩に煌く、クリスタル?

―― 合 ――

六つの部屋から飛び出した、六つの色の水晶版は、蓋の開いた魔晶櫃の周りに集うと、瞬く間に組み合わさり、一回り大きな櫃となり魔晶櫃を包み込んだ。

「これは……なんなんですの?」

「なんかのトラップ弾いちゃったんだと思うけど……」

身を伏せたまま、わたしはルヴィアと顔を合わす。仕挫じった、それだけは間違いない。さっきとは別の意味でわたしの肩から力が抜ける。

「凛! ルヴィア! シロウが!」

やっちまったものは仕方が無い、そう気持ちを切り替えて立ち上がろうとした所で、セイバーの切羽詰った声。くっ、そうだった。罠を弾いてその罠に取り付いていた士郎に、何かが起こっていないはずが無い。

「ルヴィア、頼む。わたしは扉閉じるから」

「承知しましたわ」

本当なら自分で飛んで行きたい。だが現状ではまず、何故か開いてしまった六つの扉をロックしないことには危なっかしくて動けない。第一、この扉はわたしで無ければ動かせない。

「――――Anfangセット――Schliessung閉錠!」

陣に魔力を通しながらわたしは納得する。間違いないあの魔晶櫃だ。僅かに残ったラインから一瞬ここに魔力が通ったのが感じられた。

「セイバー、ルヴィア! 士郎は!?」

成すべき事を終えた途端、不安が押し寄せてくる。ちらりと見た限りでは、目を見開いたまま、まるで麻痺したように固まっていたが……

「外傷はなし、今のところ命にも別状ありませんわ。ただ……」

士郎の傍で跪いて診ていたルヴィアが、口惜しげに歯軋りし、新たに組みあがった六色の魔晶櫃を睨みつけた。

「精神を持っていかれてますわね。確認はまだですけど、多分、あそこに」

「――くっ」

一瞬、意識が真っ白になる。だが、ここで挫けちゃいけない。士郎はまだ息がある、ならば出来る事は必ずある。わたしは心を落ち着けセイバーに指示を飛ばす。

「セイバー、全周警戒。まだこれで終わったと決まったわけじゃないわ」

「はい」

「ルヴィア、良いわね?」

「ええ、櫃とシェロの走査ですわね。どちらを?」

「……士郎をお願い。櫃はわたしがする」

一瞬躊躇したが、士郎についてはルヴィアに任せることにした。士郎の方はわたしとルヴィア、どちらでも同じ。だが、櫃についてはわたしの方が適任だ。ごめん士郎。信じてるから。




「ルヴィア、どうだった?」

「間違いありませんわ。ラインは確認しました、士郎の意識はその櫃に取り込まれておりますわ。リン、そちらは?」

「一言で言うと、さっきの魔晶櫃の一回り大きな奴。ちょっとこれ見てくれる?」

周囲の警戒と防備をセイバーに任せ、わたしとルヴィアは手持ちの機材をフル動員して、士郎と櫃を調べた。
ルヴィアに言ったとおり、大きさこそ違え、この新たな櫃は先ほどまでの魔晶櫃とほぼ同じ構造と言える。六面を其々の元素の色に染まったクリスタルで形作られた立方体。そして、その上面、蓋に当たる部分に……

「これは……」

「そ、錠よ」

そこには六つの錠。勿論、物理的な錠ではない。先ほどの櫃と同じ、呪刻と小さな宝玉で形作られた呪式錠だ。

「二倍に増えてるじゃありませんの……それで鍵は?」

「わたしの持ってる遠坂の鍵は合わなかった」

参った。恐らくこの櫃の蓋を開けることが、士郎を救い出す為に必要なのだろうが、鍵無し、士郎なしで、これだけ複雑な呪式錠、どうすることも出来ない。何か手がかりは……

「凛、一つ宜しいでしょうか?」

周囲を警戒しながら、わたし達の話を聞いていたセイバーが口を開く。

「なに?」

「先ほど、凛が六つの扉を閉ざす前ですが、あの部屋の中から此方へ、うっすらと魔力の繋がりがあったように感じました。今は感じられないので断言は出来ませんが……」

セイバーの言葉に、わたしは六つの書架に視線を走らす。この櫃の外板も、そこから飛び出してきた。だとすると……

「リン、あの元素の部屋には、それらしい品はあるんですの?」

「ある。というよりそれらしい品物だらけ」

何せ大師父の書庫だ。人外魔境なうえに、落ちている小石一つとっても、何が起こるか分からないものばかりと言って良い。とはいえ、もし錠からラインが繋がっていれば、それを辿るのは難しくない。

「もう一度、扉を開けるわ。セイバー、ルヴィア。ラインの確認をお願い」

「心得ました」

「任せて頂きますわ」

二人の力強い言葉。士郎の事を思えば、涙が出るほど嬉しい。とはいえ今はまだやる事がある。待ってなさい、士郎。

「――――Anfangセット

三度みたび、書架が移動する。開かれたのは元素の間への扉。続いて目を覚ましたかのように、櫃の錠から何か細くしなやかな力が流れ出していく。

「これです。先ほどのラインは」

「あちらからも流れて来ていますわ」

セイバーが櫃を、ルヴィアが元素の間を見据え、呟くように言う。それに促され、わたしもラインを確認した。櫃と部屋、双方から伸ばされた細いラインは“あちら”と“こちら”の境界線でぴたりと一つに繋がっていく。

「少なくともこの先に、何かヒントはあると言う事ですわね」

魔力のラインを捕えながら、ルヴィアが腕組みをして不敵に言い放つ。ルヴィアも気が付いているのだろう、これは罠ではあるが、同時に大師父の宿題の一端でもあるのだ。
殆ど同じ箱で二倍の鍵、そのヒントは同じ書庫内の人外魔境。執行猶予による追試といった所だろう。
ああ、悔しい。わたし追試なんか生まれて始めてよ。ちょっとだけ士郎の先走りが恨めしい。

「文句言う為にも、何とかしなきゃね」

「そうですわね。本当にすぐ無茶をする」

ソファにそっと横たえた士郎に向かって、そんな事を考えながら呟いていると、隣でルヴィアも同じような事を呟いていた。口ではそう言いながらも、顔つきはどこか優しげで、なんか腹が立つ。ルヴィアの奴もわたしと目が合うと、つんと顔を背けやがった。多分、同じような顔しているんだろうなあ、わたしも。

「凛の顔を見ていても、仕方ありませんわね」

「それはわたしの科白。セイバー、少しばかり頑張ってもらうわよ」

「はい、凛。お任せを」

憎まれ口を叩き合うわたしとルヴィアに、セイバーは力強く頷いてくれる。
さて、それじゃあ一つ、気合を入れていきますか。




「――の影のようなものかな」

「はい?」

「ふむ、分からんか?」

大師父からの重圧がふっと消え、意地の悪い笑顔に取って代わられた。ああ、これは覚えがあるぞ、遠坂の先生モードによく似ている。これで、応えられないと、鬼モードになるんだよな。

「ええと、俺がここにいるのは……」

とにかく考える。まずどうして俺がこんなところにいるかからだ。確か、大師父の宝箱を開けようとして、蓋は開けられたんだが、何かその蓋が開くにつれ、中に吸い込まれるような……あ。

「これ、夢なんですか?」

「魔術師にしては随分と漠然とした答だな、それでは合格点はやれん」

大師父はつまらなそうに目を細める。あ、まずい。次はしっかり応えないと、どうされるか分かったもんじゃないぞ。

俺はもう一度、この“世界”を見渡した。柔らかな虹色の世界。まるであの櫃の中のようだ。じゃあ、中か? 俺はかつてルヴィア嬢の内面世界に潜り込んだ時の事を思い出した。多分あの時と同じだ。感覚的にはリアルだが、恐らくこれは仮想現実、俺は精神だけがここにいるのだろう。
だとすれば目の前に居る大師父も……

「貴方が遠坂への“宿題”なんですね?」

つまりはそういう事ではないだろうか、この目の前の大師父は本人ではない。自分でも“影”といっているように、引き込まれた俺のような存在に、“大師父”同様に反応するよう設定された一種の呪式なのだろう。

「ギリギリだが、合格としておこうか」

俺の応えに、いかにも仕方が無いと言った顔で大師父は立ち上がった。でも、なんというか、その……瞳の奥で、こいつは結構面白そうだなって色が伺えるのは、気のせいじゃないんだろうなぁ。

「それでは、始めようか。これがトオサカへの宿題だ」




「凛! ルヴィアゼリッタ! 御覚悟を!」

言うが早いがセイバーは、わたしとルヴィアを思い切り投げ飛ばした。

「きゃ!」
「わぁ!」

投げ飛ばされた先は、土の間シジフォス・ケイブの出口。何とか受身は取れたものの、そのまま書庫の中央、士郎を横たえたソファーの列に二人揃って叩きつけられる。

「つぅ……」
「くぅぅ……」

わたしとルヴィアは、起き上がることも出来ずに、その場で頭を抱え込んだ。

―― 岩!――

続いて轟音と共に、岩が叩きつけられる音。幸い、“土の間”の間口はこの岩よりはるかに小さい。小さな破片こそ飛び込んできたが、岩本体は扉に阻まれて書庫の中にまでは転がり込んでは来なかった。

「セ、セイバー?」

と、ここで気が付いた。それじゃあ、さっきまでわたし達と一緒にあの岩に追いかけられてたセイバーは?

「凛、英霊をなめてもらっては困る」

慌てるわたし達の真横からセイバーの少しばかり不機嫌な声。
わたし達を投げ飛ばすと同時に加速し、わたし達より一歩早く書庫に駆け込んだらしい。って、ちょっと。

「だったら、受け止めてくれても良かったんじゃない?」

「もう……瘤が出来てしまいましたわ」

投げ飛ばしてそれをそのまま受け取る。まるでコミックだが、セイバーなら実際にそれくらい出来たはずだ。

「それは失礼、御二方とも私より先を歩むのがお好きだったようなので、遠慮をしてしまいました」

だが、わたし達の抗議もなんのその、セイバーは口の端を微かに吊り上げにっこりと半眼で応えてくれます。う、そう言われると返す言葉が無い……

「シロウの為ですから、御二人が急ぎたい気持ちは理解できます」

セイバーは厳しいながらも、どこか優しい口調で言葉を続けた。

「ですが、その為に凛やルヴィアゼリッタが傷つけば、却ってシロウを悲しませることになる。違いますか?」

次からはもっと私のいうことに耳を傾けてほしい、と諭すようにわたし達を見据えてくる。

「ごめん……」
「謝罪しますわ……」

ここまで筋道立てて言われたら、謝らないわけには行かない。確かにちょっと浮き足立っていたかもしれない。
土の間シジフォス・ケイブ”転がりまわる岩が行き来する地下洞窟。わたし達はラインを辿り、岩を避け、どうしてこんな所にあるんだと言うような書架や棚の間を縫い、目的の“鍵”を見つけだした。
そこまではおかしな空間の歪みも、魔獣のような障害も現れていなかったせいもあって、わたしは不用意にそれを手にとってしまった。
その途端、今まで無作為に転がっていた岩が、残らず速度を上げ、わたし達を追いかけ始めたのだ。
それをセイバーのフォローでなんとかここまで逃げて来れたのだ、強く出れるわけも無い。

「でも、これで一つ」

ルヴィアが、よいしょと立ち上がり、手に入れた黒曜石を水晶櫃の鍵に合わせる。鏡のように磨きぬかれ、吸い込まれるように黒い黒曜石のコイン。魔術師でもなければ、その中央に透かしりされた呪刻の存在には気が付かないだろう。

カチリ

溶け込むように黒曜石が錠に沈む。まずは一つ。

「さて、次行くわよ。セイバーお願い」

「はい、お任せを」




「あれ?」

「余所見をするな!」

顔を上げたとたん後頭部をはたかれた。って、大師父は前にいるんだが?

「何処を見とる。今は大事なところだぞ」

「すいません、なんか色が変わったような……」

「ん?……ほう、当代はお前と違って優秀なようだな」

後頭部を擦りながら呟いた俺に、大師父が片眉を上げからかう様な視線を向ける。
周りの虹色の輝きにほんの少し変化があったのだ。七色が六色になった、その程度の変化なのだが。

「ふむ、少し急ぐぞ。ナガトも目の出ん弟子だったが。お前はその上を行くな」

なんかえらい言われようだが、本当のことだけに文句も言えない。俺は再び大師父の手元、煌く七色の呪式に視線を戻した。




「――風王結界インヴィジブル・エア――解放!――」

巻き上げる風が、嵐を捻じ曲げ、稲妻を切り裂く。
竜巻を弾き、雷雲を叩き伏せ、風王に守られた一本の道が“風の間ストーム・スフィア”を一直線に貫いた。

「ルヴィア」

「用意は出来ていますわ、とっとと行きなさい」

かなり抵抗はあるものの、ルヴィアとがっちり抱き合ったまま、わたしは魔法陣の中央で呪をつむぐ。

「――――Anfangセット)――Hurrah wir springen飛  翔!」

紡ぐ呪は風と重力制御。抱き合ったルヴィア共々、一気に風王の道を突き抜ける。

「くっ……見つけた」

突き抜けた先は、どうやったらこれが部屋に入るのかって程のどでかい竜巻の中央。その中央に浮かぶ蒼玉サファイヤの短剣を、わたしはしっかりと手に掴んだ。

「取った、ルヴィア!」
「――――Le temps a刻よ!laissie son manteau今こそ 衣 捨て 飛ばん!――」

わたしが叫んだ途端、ルヴィアが延々と詠唱していた呪を発動させる。飛び込むときは魔法陣の補助が使える呪も。ここから戻るには詠唱だけで決めなければならない。
だからこそ、こんな抱き合った姿のまま、ルヴィアにずっと呪を詠唱してもらっていたのだ。

―― 轟! 諾!――

「ナイスキャッチ」

“風の間”から書庫へと飛び出すと同時に、セイバーが風王結界の支えを落とし、わたしとルヴィアを受け止める。

「御疲れ様です」

しっかりと抱き合ったままのわたしとルヴィアを、軽々と抱きとめたセイバーがほっとした様に言う。これで二つ。“風の間ストーム・スフィア”はセイバーの力を借りて割りと楽にクリアすることが出来た。もっとも、女三人抱き合った姿ってのは、あんまり頂けないと思うけど。




「夏に来るところではありませんわね……」

サファイアの短剣を二つ目の錠に沈め。わたし達は更に次の鍵を求め、“火の間”に挑んだ。遮熱の呪で包んでいるとはいえ、ここまで熱いと、とても快適とは言いがたい。

「魔力じゃなくて自然の溶岩よね。これ」

わたしは足元に広がるマグマの流れに悪態をつく。どういう仕組みで畳まれているのか、硫黄の匂いと灼熱に包まれたこの部屋は、上も左右も見渡す限り広がっていて、えらく広い。
所々にとってつけたような書架が平然と浮かんで居たりしなければ、どこかの火山の火口と勘違いしてしまいそうだ。

「でも、本当に無造作に突っ込んでありますわね」

各所に設えられている書架を眺めながら、ルヴィアが眉を顰める。
人のことは言えないが、大師父も整理整頓に不自由な人だったようだ。もしかして、これも系譜の家伝なのかな?

「凛、気づいていますか?」

そんな具合に周囲を探りながら進んでいくと、鍵へのラインを手繰っていたセイバーが、難しい表情でわたしに顔を向けた。

「うん、動いているわね。それもかなり早く」

土も風も、鍵の位置は大体把握してから部屋に挑んだのだが、この“火の間”については、外からでは位置が把握し切れなかった。だから、こうやって中に入って探っていたのだが、どうやら原因は鍵の位置が移動していた為らしい。

「来ます!」

と、先頭をしっかり歩いていたセイバーが足を止め、空を睨んで身構える。わたし達も……へ? 空?

―― 凰!――

そのままわたし達の上空を通過する、紅金の炎。

「ええと……」

「……不死鳥フェニックス?」

……あんなもんどうせいちゅうのよ! 不死鳥よ、不死鳥! 幻想種じゃないのよ!

「凛、追います!」

しばし呆気に取られていたわたし達に、セイバーの厳しい声。その声に励まされ、わたし達は不死鳥の後を追いかけた。そうよ、幻想種だからって諦めますかってのよ。

「此処もですわね」

「なにやってるのかしら?」

とはいえ相手は空飛ぶもの、そう簡単には追いつけない。其処だとばかりに駆けつけても、既に次の場所に移ってしまっていて、わたし達が見つけられるのは、不死鳥が通って行った跡ばかりだ。
が、その跡が些か妙な事に気が付いた。不死鳥が立ち止まったと思しき場所は書架のある所ばかり、しかも書架は虫食い状態。不死鳥が本を啄ばんでいるとしか思えないのだ。

「不死鳥の食事とは書物なのですか?」

「そんな話は聞いたことがありませんわ、不死鳥は食事をしませんのよ、せいぜい乳木の蜜くらい……ということは?」

「幻想種じゃないわね。不死鳥は形だけ」

セイバーの疑問に応えながら、ルヴィアもわたしも気が付いた。こんな閉鎖空間に普通の幻想種がいるはずが無い。第一ここは不死鳥の生息する環境ではない。

「と言うことは、精霊?」

「特殊すぎて忘れかけてたけど、ここって元素書庫だものね、守護の元素精霊の変形じゃないかな?」

「だとしたら何とかなりますわね」

わたしはルヴィアと顔を合わせた。形は不死鳥でも本質は火の精霊、ならばわたし達でも制御は出来るだろう。

「セイバー、追いかけっこはここまで。今度は向こうから来て貰うわよ」

如何に大師父の書庫とはいえ、いつまでも罠にかけられるのは性に合わない。今度はこっちの番ってことだ。



「こっちは描けた、ルヴィアそっちは?」

「描ける事は描けましたけど、急いで頂きたいですわ。この熱で宝石が持ちませんの」

地には五芒の召喚陣、天には六芒の退去陣。どちらもわたし達の血を触媒に宝石の屈折で浮かび上がらせたものだ。流石にマグマ溜りの直上に直接陣は刻めない。
本来、異界からの召喚と退去用の陣、それを呼び出す異界そのものと言える“火の間”で組むことにより、一種の檻として使おうと言うものだ。つまりは合わせ鏡、召喚先と退去先が同じである以上、相手は其処から動けないと言う寸法だ。

「ですが、その為にはまず此処に呼び込まねばならないのではないでしょうか?」

セイバーの疑問は当然。召喚といっても相手は既にここにいるのだ。

「だから餌を撒くの」

わたしは、召喚陣の中央に、書架から厳選して抜き出した魔道書を、山と積んだ。

「ちょっともったいない気もするけどね」

「でも、結局あの不死鳥の中に納まっているはずですわ」

あの不死鳥そのものが、この書庫の本体。これがわたしとルヴィアが出した推論だ。
よくよく調べてみると、不死鳥に啄ばまれていた本は、どうやらきちんと順番どおりのようだった。分類コードの頭から、どの棚もすっぽり抜かれているのだ。
つまり、あの不死鳥は整理する司書をかねた新たな書架、いずれは全ての本を食べつくし、きちんと整理した形で利用できる形態になるのだろう。

「で、セイバー。わたし達は捕まえるので手一杯だから。“鍵”は任せたわ」

「それは良いのですが、どのような形でしょうか?」

「今まで二つの例からしますと、多分ルビーですわね」

「ごめん、形までは推測できないわ。あいつを捕まえている間に見つけ出して」

「承知しました。お任せを」

「じゃはじめるわ。
――――Anfangセット――

地に描いた五芒の脇に立ち、わたしは魔力を流し込む。呼び出すのは炎、触媒は本。さぁ来なさい……

―― 凰!――

来た!

熱風が地に吹きつける。その役割を食欲の形に代え、整理を消化に組み替えた不死鳥が、小首をかしげながらも召喚陣に舞い降りる。

よし、今!

わたしはルヴィアに合図を送る。不審げに首を振りながらも、不死鳥はゆっくり本を啄ばみだした。

「――――En Garandレディ)――」

かかった!
ルヴィアの詠唱に合わせて、召喚陣の真上に映し出された六芒の退去陣が輝きだす。途端、不死鳥の動きが止まった。まるで縛られたように、押え付けられたように、揺れ瞬き始める。

「セ、セイバー!」

召喚陣への手綱をしっかり握り締め、わたしはセイバーの名前を呼んだ。こいつ、結構強い。ほんの少しでも息を抜けば、忽ちのうちに檻を破って飛び去ってしまうだろう。

―― 鳳!――

どわぁ、また! なんて暴れ方よ。わたしとルヴィアの全力を跳ね飛ばし、不死鳥は翼を轟と押し広げた。もうちょっと、大人しくしなさい! わたしは更に力を込める。

「凛、ルヴィア。もう暫く!」

不死鳥の真正面に躍り出たセイバーが、厳しい表情で不死鳥の姿を注視する。ああ、早くして、このままじゃ、振り切られる……

「駄目! 持ちませんわ!」

「見えました!」

ルヴィアの悲痛な叫び、もう持たない。が、檻が破られる直前、セイバーが一気に跳んだ。

―― 閃!――
―― 凰!――

「「きゃ!」」

わたしとルヴィアゼリッタを跳ね飛ばし、不死鳥はひらひらと舞う一本の羽だけを残し、真っ赤に燃える空に飛び上がった。なに? 失敗? 間に合わなかったの?

「間に合いました……」

舞い落ちてきた羽を掴み、セイバーがほっとしたように溜息をつく。その手にある羽は……ああ、良かった。間に合ってたんだ。

「紅石の羽? それが鍵ですの?」

「はい」

へたり込むわたしとルヴィアに、セイバーは不死鳥の羽を差し出す。真っ赤なルビーで創られた羽。がっちりした幹に炎をかたどった孔雀の羽のような飾り、それはまるで杖のようだ。
これで三つ。何とかわたし達は“火の間フェニックス・ゲイジ”のクリアに成功した。




「さて、分かったかな?」

徐々に暗くなる世界の中。大師父は幾分疲れた顔で俺に問いかけてきた。

「えっと……」

ちょっと返答に困った。大師父が俺に伝えようとしてくれている物。なんというか、俺の知る魔術とは全く違う。異質と言うより、もはやこいつは異星系。例えて言えば、それが空飛ぶ円盤だということは分かっても、何で飛ぶのかなどさっぱり理解できないといったところだ。

「よくもまあ、おまえ程度であの鍵を開けられたものだ」

そんな俺の応えに、大師父はもう呆れを通り越して感心さえされている。腕を組んで瞑目し、うむと唸って黙ってしまった。

「いや、俺がやったのは最後の一押しだけだったし……」

「分かった、これは私への挑戦だな? 良かろう、面白い。なんとしてでもその鳥頭に叩き込んでくれる」

が、大師父様。俺の言うことなんか、聞いちゃいなかった。開いた瞳を再び輝かせると、俺に向かって、付いて来れるかとばかりに説明を再開された。
やっぱり、この人は遠坂の師匠筋なんだな。ついて……行けるかなぁ……




「……これで四つ」

水の間レバイアタン・キューブ”から這い出してきたのは、全身濡れ鼠の美女三人。文字通り水も滴る良い女だ。

「まったく、シェロがいなくて助かりましたわ。せめて水着くらい着せて頂きたかったわ」

事前に用意しておいたタオルに身を包み、憎まれ口を叩くルヴィア。

「仕方ないじゃない。生き物しか通さないんだもん、この水」

わたしは、口に含んだ翠玉エメラルドの杯を吐き出しながら応えた。
そう、“水の間”には服を着ては入れなかった。わたし達は水中呼吸の呪だけに身を包み、一糸纏わぬ姿でこの部屋に挑んだのだ。

尤も“水の間”の探索自身は、さほど手間はかからなかった。
鍵の位置が“火の間”の時同様に動き回っていることから、その位置が例の巨大魚であることはすぐ分かった。
だとすればあとは簡単。魚の口から腹の中に飛び込み、そこに並んだ分類棚から、エメラルドの杯を取り出して、あとはえらから抜け出して戻ってくるだけ。ちょっと魚臭くなっちゃったけど。

「これで、あと二つですね」

わたし達にタオルを渡し、自分はさっさと完全武装に切り替えたセイバーが、幾分ほっとしたような口調で言う。これって、こういう時は便利ね。わたしがやるなら隠器術式か、ちょっと真面目に考えてみよ。

「いえ、あと一つあれば十分ですわ」

火と風の術式を弄くって髪を乾かしていたルヴィアが、漸く人心地付いたと呟いた。こんなのドライヤー使った方が絶対便利ではあるが、何せこの書庫に電気は通ってない。

「遠坂の術式鍵。最後の一つはこれで代用が利くわ。言ってたでしょ? 錠の仕組みは同じだって」

はて、と指折り数えだしたセイバーに、わたしは間違って無いわよと説明をした。

「大丈夫でしょうか?」

「一つならね」

「それに、わたくし達では虚数の間に挑むには些か力不足ですわ」

残念ながら、わたしにもルヴィアにも虚数は鬼門だ。簡単な影使い程度なら力押しも出来ようが、大師父の元素精霊相手では二人がかりでも心もとない。

「さて、それじゃさっさと済ませましょう」

「第五元素ですわね、しかもどうやら此処の構成は宝石。わたくし達の得意分野ですわ」

身体をすっかり乾かして身繕いも済ませ、わたし達は最後の部屋に取り掛かることにした。もうちょっとだから、大人しく待ってなさいね、士郎。




「これでしょうか?」

「多分、これだと思いますけど……」

ちょっと、拍子抜け。“虹色の間”はいとも簡単に抜けることが出来た。
迷路の奥深く、乳白色に煌く小部屋の中央、そこには台座に嵌め込まれた鶏卵大の卵が鎮座していた。
勿論、真っ直ぐ来れたという意味ではない。進めるところで曲げられ、曲がるところで直進させられる、いたるところに仕掛けられた屈折と、虚像の幻影。何も知らない者なら、例え魔術師でも迷わされる類の術式であったろう。
が、わたしとルヴィアにとって、宝石の持つ浸透性と結界性はいわば専門分野。幻影を透過し、屈折を更に曲げて実像に結ぶ。そうすることで最短距離を見つけ出し、こうして中心までたどり着いたというわけだ。

「オパールの卵ね、間違いないわね、ラインも繋がってるし」

しかし見事なオパールだ、思わず心の中で電卓弾いちゃったわよ。わたしは、そっとオパールを台座から外した。あれ? なんか妙に暖かいわね、このオパール。

ピキ……

「リン、お待ちなさい。そのオパール……」

ピキピキピキ……

そのままポケットに収めようとして異変に気づいた。手の中のオパールに瞬く間にひび割れが広がる。

「へ?」

―― 射 ――

「――つぅ!」

それがいきなり弾けた。いや、中から漏れ出た光で手を切られたのだ。わたしは思わずオパールを取り落とした。

「凛!」

「大丈夫、セイバーそれよりそいつ抑えて!」

駆け寄るセイバーに、わたしは傷ついた手を押さえたまま指示する。足元を素早く移動する小さな生き物、蜥蜴? ちがう、今の光……

「オパールの輝きと同じでしたわ、第五元素光?」

第五元素の固有振動数を持った光、虹色の切断光線。まずい!

「セイバー! 下がって!」

「はい? ――つぅ!」

わたしの叫びに、僅かに身を引いたセイバーの鼻先に虹色の光が薙ぎ、一瞬遅れた右腕に裂傷が走る。その隙に、小さな蜥蜴は迷図の中に逃げ込んでしまった。

「凛、ルヴィア。これは一体」

傷口を押さえたセイバーの顔がかすかに歪む。やっぱり……傷口が塞がらないようだ。

「第五元素光線。つまりセイバーの身体はあいつには抵抗できないわ」

ああ、もう選りによって。

「ラインはまだ繋がっていますわ。あの蜥蜴が“鍵”ですわね」

素早くわたしとセイバーの傷に治癒の呪を施しながら、ルヴィアが眉を顰める。

「何だと思う?」

第五元素竜バルゴンでしょうね、厄介なものですわ」

第五元素竜バルゴン。竜といっても竜種ではない。火精サラマンダーと同様の第五元素の具象化の一つの形だ。第五元素の煌きを吸収し、その煌きを同一振動で収束して放出する。生きた光学兵器のような存在だ。

「とにかく追いましょう。育つ前に捕まえないと」

「此処は第五元素の煌きには、事欠きませんものね」

と、立ち上がったところで、部屋の周囲の煌きが一つの波長に収束しだした。まずっ!

「――――Anfangセット)!」
「――――En Garandレディ!」


ギリギリ間に合った。部屋の周囲で乱舞する虹色の光を、わたしとルヴィアの術式が、片っ端から捻じ曲げる。

「ああ、もう。この部屋の特性を利用してますわ」

迷図の壁を構成するクリスタル。その屈折と浸透を利用して、第五元素竜はわたし達の全周囲から切断光線を浴びせかけてくる。

「凛、同じ要領で相手の居場所を探れないのですか?」

身を屈め、わたし達の術式に守りを委ねながらセイバーが聞いて来る。

「もう一度撃たす必要がありますわね」

「しかも、誰か一人はこの術式の外に居なきゃ。片っ端から曲げてるから、中に居たんじゃ観測できない」

「分かりました。それでは私が外に出ます」

「セイバー、貴女だってあの光には切られるのよ?」

「凛、心配は要らない。当たらなければどうという事も無い」

言って下さいます。セイバーは、心眼で光線を避けてやるといっているのだ。自信の篭った瞳で、本物の竜に比べたら大したことはありません、と大きく頷いてわたしの決断を促す。

「分かった。セイバーのラインを通して探査の呪を編むから。ルヴィア、守りは任せたわよ」

「分かりましたわ。セイバー、よろしくお願いしますわね」

「はい、承知しました」

作戦は立った。後は第五元素竜の二射目を待つばかり。

―― 煌……――

来た。

「――――Wir suchen uns Wege探 査!」
「――――Maint diamant d'imperceptible ecome金剛煌   屈折  透化!」


同時にセイバーが電光の速さで身を躍らす。飛び交う虹色の光。その光をセイバーは紙一重で躱しながら舞い踊る。
何処? わたしは探査の呪で片っ端から光線を辿っていく。駄目、これは曲がっている、こっちも、ああ、もう……
と、セイバーに避けきれ無い数の光が収束していく。

「セイバー!」

―― 射!――

が、セイバーには当たらない、避けきれぬと見るや、セイバーは素早く見えない剣で光線を弾いたのだ。
そうだった、セイバーの剣が見えないのは、風王結界で光を捻じ曲げている為、ならば光学兵器はへし曲げ、弾き返すことが出来る。あ、そうか……
わたしは此処でセイバーが何をしたいのか気が付いた。ならば……

見つけた。

「セイバー。次、三時の方向の奴。真正面から反射して」

「承知!」

なおも飛び交う光線の束を縫い、セイバーが身を躍らす。来た。

―― 閃!――

あえて隙を作り、三時の方向からの攻撃を誘ったセイバーは。見事、光線を真っ向から反射した。寸分とたがわず、来た時と同じ軌跡を描いて戻る虹色の光。
途端、それまで煌いていた周囲の壁の輝きは、まるでスイッチを切ったかのように消えていった。

「セイバー、十二時の壁叩き割って」

「はい」

ほっと一息ついたわたしの指示に従い、セイバーが真正面の壁を叩き割る。
ガラスが割れるように崩れ落ちた壁の向こう、その直下の床には真っ二つに切り裂かれ、ぴくぴくと痙攣する虹色の蜥蜴。

「これで五つですわね」

小さな蜥蜴の鼻先から、未だかすかな残光を残すオパール色の角をもぎ取ったルヴィアが高らかに宣言するように微笑む。
その笑顔に応えるようにわたしとセイバーも笑った。これで“虹色の間バルゴン・レア”はクリアした。漸くこれで士郎を助けにいける。




「あれ?」

「むっ……」

ついに世界は淡色になってしまった。薄ぼんやりとした灰色の光。だというのに俺は未だ大師父の教えを理解できていない。

「ふむ、トオサカの当代がよほど優秀なのか、それともお前がへっぽこなのか、ともかくこれは間に合わんな」

困ったものだと言いながらも何処か楽しそうに、尤も私は余り教えるのは上手くないからなと呟く大師父。いや、どう思うって俺に聞かれても……

「やむを得ん。奥の手と行こう。しっかり見ておけ」

その言葉が終わらぬうちに、大師父の手元で単色の世界が虹色に弾けた。

「――え?」

ナンダコレハ

見た瞬間理解した。コレハリカイデキナイ。
これはこの世の理ではない。
剣というには、余りに不可思議な形をした宝石を刀身とした短剣。
それは何処にでもあり、何処にも無い物。

解析など出来るものではない。理念の理すら異星の物なのだ。
ただ、その起源を見て写す事がやっと。それさえも、脳髄が軋みを上げ、焼きつきそうになる。

「あ、――あ、――」

言葉が出ない。俺は、徐々に沈みこんでいく自分自身にすら気が付かなかった。

「一つだけ誉めておこう。よくぞ狂わなかった」

まるで幻聴のように響く大師父の声。
きらきらと煌く理解不能な剣と、その向こうで莞爾と微笑む大師父の顔。
それが、この不可思議な世界で、俺が見た最後の光景だった。




「さて、それじゃあ行くわよ」

わたしは最後の呪式を錠にあわせる。
第五元素竜の角から写した呪刻を、遠坂の術式鍵で変換した最後の鍵。
もしこれで開けられなかったら、わたしはルヴィアと共に“虚数の間”に挑むつもりだ。いくら五大元素の鬼門とはいえ、わたしたち二人で挑めば、どちらかは鍵を手に戻ってこれるだろう。
とても魔術師の決断とはいえないが、わたしもルヴィアもこの決断に躊躇は無い。

「――――Anfangセット……」

頼むわよ。わたしは祈りを込めて鍵を起動する。浮かび上がった呪刻が、徐々に錠の中へと沈んでいく……

カチリ

開いた、一斉に六つの錠が輝きだす。と、同時に六つの面も輝きを取り戻し……

「凛! ルヴィア! 伏せて!」

―― 散 ――

一斉に六つの部屋へと戻っていく。あ、危な……もしセイバーに押し倒されなかったら、そのまま首を持ってかれてたわね。

「開いた……のですわよね?」

「うん、でも閉まっちゃったわね」

恐る恐る顔を上げるわたしとルヴィア。その視界の先にさっきまでの水晶櫃はもう無かった。そこにあるのは士郎が開いたはずの魔晶櫃。再びその口をしっかり閉じて、何事も無かったかのように鎮座している。多分、鍵も初期化されてしまったろう。今回と同じ段取りを取れば開くだろうが、結局、中身を確認できなければ意味は無い。

「凛! ルヴィア! 士郎が!」

え?

セイバーの切羽詰った声に、わたしとルヴィアが同時に振り向く。

一瞬、世界が真っ白になった。ソファに横たえていたはずの士郎。その士郎が……沈んでいく……
ぽこぽこと、まるで沼に沈んでいくように、ソファに落とした自分の影に沈んでいく。

「士郎!」
「シェロ!」
「シロウ!」

三人同時に士郎に向かって、飛び掛る。

「シロウ!」

間に合った!
最後の右手の先。ギリギリでセイバーが間に合った。しっかり掴んだ右手の先。わたしとルヴィアも必死でその手を引っつかむ。

「士郎! 今、引きあげるから!」

「くっ! 重いですわ」

「何故! 何故私の力でも上がらない!!」

まずい、まずい、まずい、虚数空間に引きずられてる。でも、何故? 何でこんなところに虚数空間が??

「お〜い……」

と、三人揃って必死で士郎の手を掴んでいるところに、上のほうから間抜けな声が響いてきた。

「……」
「……」
「……」

顔を見合すわたし達。今の……士郎の声よね?
三人揃って見上げると、そこには右手の先だけを天井にめり込ませてぶら下がっている士郎の姿。

「……なにしてんの?」

「いや、その手を離してくれると助かる。多分、そのままそこへ落ちれると思うから」

わたしの間抜けな問いに、わたし以上に緊迫感の無い士郎の声が返ってくる。

「セイバー、ルヴィア。せえので離すわよ」

「はい……」

「了解しましたわ……」

次の瞬間、胸のすく悲鳴を響かせて、士郎が空から降ってきた。





「酷いぞ、セイバーは受け止めてくれると思ったのにな」

「士郎をあの程度の高さから落としたくらいで、どうこう出来るとは思っていませんから」

にっこり笑ってセイバーさん。微妙に言い方に棘がある。いや、心配させたのは悪かったけどさ、逆恨みだぞ。

「それより、士郎。それ本当? 大師父に会ったって?」

最初は半眼で胡散臭そうに聞いていた遠坂とルヴィア嬢だったが、俺があの世界での出来事を話すにつれ、表情はどんどん真面目になっていった。

「ああ、本当だぞ、ありゃとんでもない爺さんだな。おかしな剣を見せられて、危うく帰って来れないところだった」

途端、遠坂とルヴィア嬢の顔色が変わった。恐ろしく真剣な顔。魔術師の、例え血を浴びてでも躊躇無く前に進む魔術師の顔だ。

「士郎、“見た”の?」

遠坂がそのままの視線で、一言一言確認するように聞いて来る。これは、言葉どおりの意味だけじゃない。俺に“投影”出来るか聞いているのだ。だけど、

「分からない」

一言で応える。正直、本当に分からなかった。全く理解できないもの。見たといってもそれを投影できるものか。いや、例え出来たとしても、それがあの剣になるかどうか。

「……やってみる気はある?」

俺の答えを聞いて、暫く手を口に当て考え込んでいた遠坂が決心したように口を開いた。

「良いの? リン」

ここで、それまで黙っていたルヴィア嬢が、静かな声音で遠坂に尋ねた。二つの意味だ。俺に試させて良いのか、そして自分がここに居て良いのか。

「構わないわ。もし、駄目なら最初っからここへ呼んだりしないもの」

「分かった、やってみる」

俺は一つ息を吸い、徐に心を沈める。

「――投影開始トレース・オン




「うわぁ、全然駄目だ」

結局、俺の投影は失敗といえるだろう。形は作れた、だが輝きも無ければ中身も無い。俺があの狂気じみた光景の中で手に取れた物はこれだけ、後は全て零れ落ちてしまっていた。

「どうですの? リン」

「……」

それでも遠坂はそのガランドウを手に、眉間に皺を寄せ考え込むようにじっと剣を見据えている。

「全然無駄ってわけじゃないわ……」

ふっと肩から力を抜いて遠坂は、剣をルヴィア嬢に渡した。

「材質と構成は把握できる、でもそれを組上げる術式は見えない。同縮尺の模型ってとこかな? 設計図みたいなものね」

多分、これが士郎が理解できる範囲内の宝石剣なんでしょうね、続けて小さく呟いた。
あの魔晶櫃について、俺の話から遠坂とルヴィア嬢の推測は、恐らくそれを開けた者の手段とレベルに合わせて、あの櫃そのものが宝石剣への道標なり設計図なりを提示するシステムなのだろうということだ。
俺の場合は、解析をしながら直接魔力を送り込んだ為に、大師父の幻影で相手をするのが最良だと判断したのだろう。

俺を閉じ込めた、あの水晶櫃も、閉じ込める為でなく、外部の妨害や漏洩を防ぐ為に展開されたのではないかと言っている。

「じゃ、わたくしたちのやったことは無駄骨ですの?」

「そうでもないと思うわよ、もし放っておいたら士郎だもん、理解するまで、一体どれくらい時間がかかったか分かったもんじゃないわ」

なんか酷い事を仰っている。遠坂だけじゃなく、ルヴィア嬢やセイバーまで、ああなるほどそれは大変だといった顔をしている。なんか釈然としない。事実だけど。

「それに確かに大盤振舞いよね、士郎のレベルじゃ、此処まで詳しく教えてもらえなかったはずよ」

「これだけでも大したものですわ、宝石剣の設計図。確かに大師父の遺物と言って良いものですわね」

何か俺のせいでえらく大変だったようだけど、遠坂もルヴィア嬢もそんな事はおくびにも出さずに笑って俺を迎えてくれた。
宝石剣を挟んで、不敵に笑う遠坂とルヴィア嬢。ふと、その笑みに、この二人以上に不敵で人の悪い大師父の笑みが重なる。
そんな事を考えていたら、遠坂の手にある宝石剣が、あの摩訶不思議で到底理解不可能な色に輝いたような気がした。

そうか、あそこがこの二人の向かう先なんだな。

この二人が、何時かあそこに届くかどうかなんて事は、俺には分からない。
ただ、もしそんな時が訪れたとしても、この二人は今と変わらないこの笑みを、不敵で、あの大師父のような意地の悪い笑みを浮かべていることだろう。
それだけは、確かなことだろうと思った。

END


大師父に挑む士郎くんと魔術師達。なお話。
色々込み入った構成にしましたが、私なりに“大師父の魔境”を描いてみました。
取敢えず、凛とルヴィアはスタート地点に立てたといったところでしょうか。
士郎くんは……そのまあ、こんな物でしょう。やっぱりとことんとんでもない魔術使いというのが、彼に一番に似合っている気がします。
これでまた一歩前進なBritain一行。次回からは冬木本編の開始です。

By dain

2004/8/25 初稿
2005/11/11 改稿

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