朝、わたしは足音を忍ばせて、庭の隅にある土蔵へ向かう。
時刻はまだ六時前、夏の照りつける太陽も、この時刻ではさほど強くは無い。
わたしにはもったいない程に清々しい朝の空気を吸い込み、土蔵の扉を……

「……え?」

開いていた。
朝から働き者の蜘蛛でも居たのか、既に小さな巣の掛かった土蔵の入口。確か昨晩、閉まっているのを確認したはず。勿論、確認したのは閉まっている事だけでは無かったけれど。

「誰だろう?」

知らず知らずのうちにわたしは息を殺していた。
朝、土蔵で眠りこけている先輩を起こすこと。これは先輩が遠坂先輩とお付き合いをはじめた後も、わたしだけの特権だった。遠坂先輩は朝が凄く弱いから、こうして先輩が土蔵で眠り込んでいる時だけは、わたしと先輩二人きりの時間であったはず。なのに……
わたしはそっと蜘蛛の巣を脇に避け、扉の影から土蔵の奥を伺った。

「……っ!?」

そこには途轍もなく華麗な金細工があった。

土蔵の扉から射す夏の朝日を浴びて、きらきらと輝く黄金の象嵌で飾られた人形ビスクドール
その軽くウェーブした金色の髪は聖なる光輪、白のサマードレスは背中に生えた純白の羽根。
心地よさそうに寝息を立てる先輩の枕元に座るその人影は、まるで朝日をそのまま形にしたような、華麗な天使の姿をしていた。





くろいまゆ
「妖術師の裔」  −MAKIRI− 第一話 前編
Beelzebul





「サクラさん、ですわね?」

余りの綺麗さに、呆けたように見詰めていたわたしの耳に、硝子の鈴を転がしたような声が響いた。
先輩を起こさない程度に小さく、それでいてわたしの耳には、はっきり聞き取れるだけの大きさの声音。それは余りに似合い過ぎていて、本当に天上から聞こえてくるような響きだった。
一瞬、とてつもなく惨めな思いにとらわれた。天上から降り立った天使を、物陰から恥ずかしげも無く物欲しそうに眺めている妖物むし
今のわたしはまさにそんな姿では無いだろうか。顔に朱がさす。何と薄汚れた姿だろう。

「いらっしゃい、シェロを起こしに来たのでしょう?」

そんなわたしの気持ちなど一顧だにせずに、金色の光はわたしを物影から白日の下にさらけ出した。

「あ、あの、エーデルフェルトさんは何時から?」

「そうですわね、三十分ほど前からかしら?」

なんとも気の利かないわたしの言葉に、エーデルフェルトさんは先輩の顔を優しく見詰めながら応える。心にちくりと何かが刺さった。

「先輩を起こしに来たんじゃないんですか?」

「それは貴女の役目でしょ?」

どこか棘を残してしまったわたしの言葉に、それを侵すわけには参りませんわ、とエーデルフェルトさんは不思議そうに問い返してきた。

「あの、でも……」

「リンやミスフジムラから聞いています。シェロを起こすのは貴女の権利。わたくしはただ、シェロの寝顔が見たかっただけですの」

気絶ならば何度か見たことがありますけど、と何だか気に掛かる事を言いながら、エーデルフェルトさんは先輩の顔を愛おしげに見詰め続けている。
この人は……また、ちくりと心に何かが刺さった。
この人は、先輩を好きである事を隠そうともしない。わたしがどれだけ……黒々とした思いが小さな傷口から湧き上ってくる。

「先輩は遠坂先輩を好きなんですよ?」

だから言ってしまった。余りに綺麗で、余りに穢れの無いその表情を歪ませたかったから、どんなに綺麗なものでも、地に落ちれば汚れてしまうのだと思いたかったから。

「存じてますわ」

けれど、金色の天使は平然と応えを返してきた。僅かに苦微笑を湛えながら、それがどうしたと言ってのける。

「腹が立つほどべた惚れですわね、こっちが恥ずかしいほど。余りに開けっぴろげ過ぎて、リンが素直になれないほどですものね」

本当、癪に触るったらありはしませんわ、と微笑を浮かべたまま呟いた。
どうして……どうしてこの人は、こんな恨み言をこれほど優しげな顔で、言ってのけるのだろう。

「だったら!」

思わず声が荒くなる。だったら何故姉さんを……

「シェロが起きてしまいますわ。そんな声でシェロを起こしたくは無いでしょう?」

そんなわたしをエーデルフェルトさんは唇に人差し指を当て、それでは貴女が困るのでしょう、と僅かに眉を顰めて諭してくる。

「確かに、今のシェロの心で一番大きな部分はリンが占めていますわ」

溜息のような言葉。軽くかしげた首に従い、さらさらと金色の髪が流れて天使の輪を形作る。
次の瞬間、天使の光が別種のものに取って代わられた。けれど、それはわたしが密かに望んでいた闇や影ではなかった。

「でも、それは今迄。未来永劫というわけではありませんのよ。明日は今日とは違います、今日と同じ明日など誰も保障は出来ませんわ」

それもまた光だった。深い鳶色の瞳の奥で、燃え上がるような力強く自信溢れる輝き。眩すぎて、思わず物陰に身を潜めたくなる。

「それは……先輩が心変わりすると言うことですか?」

わたしはそれでもなお食い下がらざるを得ない。そうでなければ、わたしは余りに惨め過ぎる……

「シェロがそう簡単に心変わりするような殿方なら、わたくしも貴女も此処まで入れ込まないんじゃなくて?」

けれど、分かっていると、見透かすような光がわたしに向かって降り注いできた。

「わ、わたしは……」

「それから、変わるんじゃありませんのよ、変えてみせると言っているのです。わたくしは必ず、何時の日にかシェロの心でリンより大きな部分を占めて見せますわ」

わたしは知らずのうちに唇を噛んでいた。けれど、そんなわたしの思いになど構うことなく、金色の輝きはその煌きを保ったままもっと力強く、もっと猛々しく輝き続ける。陰に篭ることも、影指すことも無く、尚も輝き続ける光。
羨ましかった。そして同時に、どうしようもなく妬ましかった。ちくちくと心に棘が刺さり続ける。どろどろと何かが湧き上ってくる。

「貴女も、御姉さんだからといって遠慮ばかりしていなくて宜しいのよ」

更に畳み掛けてくる。知っていると、わたしの事情は知っていると。

「え? エーデルフェルトさん……」

「ええ、聞いていますわ、マキリの魔術師であることも。どうしてなのかは知りませんけど、シェロには隠しているようですわね。ですから先日は言いませんでしたけれど」

なんでもないことのように小首をかしげながら、わたしに向かってじっと視線を投げかけてくる。深く澄んでいながら、見透かすような何処か恐ろしい瞳。

「見事なものでしたわ。影と実体を入れ替えての隠形術」

「何故!?」

ばれている、先輩の前で必死で隠しているわたしの秘密。薄汚れたわたしを糊塗するベールが、ここでも一枚、黄金の光で剥がされていた。

「昨日、シェロとリンが席を立った時、少しだけ気を緩めていましたわね、その時にほんの僅かですけれど漏れていましたの。あれが無ければわたくしだって分からなかった。今もそう、あれだけの力を良く隠し通せていますわね」

わたしは消え入りそうな気持ちなのに、まるで褒め称えるかのように軽やかな微笑みを送ってくる。マキリが虚数の術とは知りませんでしたわ、と容赦なくわたしの胸に光の刃を突き立ててくる。
顔を上げられなかった。この光は嫌いだ。わたしが必死で隠し続けていたものを、軽やかなまでに暴き立ててくる。隠れていられない、隠していられない。隠れるところを残してくれない。

「……ん……」

と、先輩が何事か呟くように寝返りを打った。

「それでは退散しますわ。シェロの寝顔は堪能しましたから。此処から先は貴女の領分でしたわね」

光の軽やかさのまま、後は宜しくと、エーデルフェルトさんが席を立つ。

「あの、エーデルフェルトさん」

「サクラさん。ルヴィアで宜しくてよ。わたくしも貴女のことはサクラとお呼びしますから」

「……あ、はい。ルヴィア……さん」

シェロと同じですのね、と微笑みながらルヴィアさんは土蔵を後にした。金色の光は消え、後に残ったのは昔のようにわたしと先輩の二人。何か夢から覚めたような気分だ。

「……ん ああ、おはよう桜。起こしに来てくれたんだな」

「おはようございます先輩」

ぼんやりと起き出した先輩に、わたしは何事も無かったように朝の挨拶を送る。いつもの笑顔に戻る為、わたしは金色の光に剥き出しにされた心を再び奥底へひた隠した。
どんな時も前を見据えて進み続ける光。それはとても綺麗で、とても眩しくて。
地に堕とし、泥にまみれさせてやりたいほど羨ましかった。




「凛、着きました」

わたしはセイバーの運転する車で、冬木教会の正面に乗り付けた。こちらに来た翌日、ルヴィアがぽんと買ってきたサルーンだ。ちっとも羨ましくなんか無いが、便利なものは使わせてもらう。

「はあ、堪んないわね……」

車から降りた途端、わたしは少しばかりふら付いてしまった。
暑い。思わず照りつける太陽を睨みつける。夏でも涼しい衛宮邸しろうのうちに比べると、体感温度で十度は違うんじゃないかな。

「それじゃ、セイバー。後はよろしくね」

「分かりました、凛。それでは二時間後に迎えに来ます」

迎えの段取りを確認して、わたしはセイバーに別れを告げる。セイバーは衛宮邸にとんぼ返りして、今日はそのまま、士郎たちを乗せて新都へお買い物へ行くという。
仕事があるから、と朝から出かけたミーナを除いて、士郎、ルヴィア、藤村先生と桜にセイバー、更には何故かランスまでも引き連れての総出のお出かけだ。車が足りないと桜の車まで持ち出しているという。でも、桜が黒のコルベットとはねぇ、ちょっと意外。

「元気そうで何よりではあるんだけど」

セイバーの車を見送りながら、わたしは独り語ちた。元気すぎるのもいかがなものか、妙にルヴィアと仲が良いってのも、ちょっと……その、癪の種。士郎の事もあるし、わたしの方が引いたところがあるのは仕方ないにしても、ルヴィアは無いんじゃないだろうか。

「って、なに馬鹿なこと考えてるんだろ」

軽く頭をふって雑念を払う。きっと、この恥ずかしげも無く照りつける太陽がいけないんだ。わたしはそう決めつけて、冬木教会の扉を潜った。




「わざわざ呼び立てして済まない。だが、仕事の話だ、こちらのほうが良かろう」

神父様が大きな身体を屈める様に挨拶をしてくる。ここは地下にある聖具室。表と違い、ちょっと散らかっていて蜘蛛の巣なんかも張ってはいるが、今、冬木の霊地を管理しているのはこの部屋だ。

「ええ、神父様。それは問題ありませんわ」

今日この冬木教会を尋ねた理由は、遠坂家の管理地たる冬木の事についてだ。
といっても引継ぎではない。
ここの神父様にはわたしが倫敦へ行っている間の管理代行をお願いしてあるのだが、今回の帰省は一ヶ月程の一時帰国。その都度わざわざ管理権を返したり預けたりしていては手間が掛かりすぎる。
だから、あくまで連絡や伝達事項の確認。こちらが来訪者なのだから出向くのは当然だ。

「ですけれど、こちらの御二方に関しては別です。ご説明いただけますか?」

わたしは神父様と並んで座っている二人の人物に視線を向け、神父様に問いただした。
間桐慎二とミーナ、理由についてはここに入ってきた時から当たりはついているが、だからといって聞いていないことに変わりは無い。

「相変わらずつれないね、遠坂は。久しぶりなんだし、もう少し愛想よくしてくれても罰は当たらないんじゃないかな」

そんなわたしに、相変わらずへらへらとした顔の慎二が大仰に手を広げる。尤も相変わらずなのはその態度だけ、げっそりと痩せ細った姿は鬼気さえも感じられる。

「そうね、じゃあ、おめでとうと言っておこうかしら。念願の魔術師になれたみたいね」

「ああ、遠坂には感謝しているよ。例の事件の後遺症っていうのかな、僕にもささやかながら魔術回路が開いたようなんだ」

あの聖杯戦争で聖杯になったことの影響だろう、無理やり開かれた魔術回路の残滓が固着したといったところか。それにしても慎二の外見の変化は異常だ。去年、倫敦へ行くまではここまでやつれ果てては居なかったはずだ。

「それで、その事を今頃になって言ってくるというのは、どういうことですか?」

わたしは、尚も何か言いたそうな慎二ではなく、神父様に向かって詰問した。
魔術師になった間桐の長男慎二と、協会の渉外部門担当者ミーナ。先日、間桐の隠居が亡くなったという事を考え合わせるならば、協会への正式な申請と、受理の手続きの為だろうという事は予測がつく。ただ問題は、わたしが今日ここへ入るまで、その事を全く知らされていなかったという事だ。

「済まないと思っている。今まで連絡しておかなかったことは謝罪しよう」

「それでも、間桐のご老人が亡くなった時点で、しかるべき報告があるべきでしたね」

わたしがまだ冬木にいる時点で報告にこなかったのは仕方が無い。“管理者”といっても、きちんと登記してある魔術師の家――この場合間桐家だが――内部の事情にまで文句をつける事は出来ない。当主はともかく、その家族の誰が魔術師なのかを“管理者”に連絡するのは、あくまで当主の判断に任されている。

「それについては私から説明できますね。後継者の交代です。その申請と受理までにちょっと時間が掛かってしまったんですよ」

ここでようやくミーナが、神父様に助け舟を出すかのように口を開いた。

「後継者の交代?」

「はい、協会のほうへ通達してあった後継者は間桐桜嬢でした。間桐臓硯師が亡くなった時点で、間桐慎二氏への後継者交代の申請がありましたので、ちょっと特殊な処理になっちゃうんです」

ミーナの話では、手続きが終わり受理されたのは先月初め頃だったらしい。時期的にわたしが帰省すると言うことなので、ならば正式な管理者立会いの下がよかろうと、今日の会合に合わせたと言う。
まったく、だったら先に言ってくれたら良かったじゃないの。

「当たり前じゃないか、間桐の血統に魔術師が居ないならともかく、僕というれっきとした魔術師が存在するんだ。他の血の奴を当主になんか出来るもんか」

ミーナの説明に慎二の言葉が横から割って入る。勝手な言い分だが筋は通っている。でも、それじゃ桜の今までは……

「第一、桜は元々ただの胎盤なんだぞ? 後継者だって名目だけだったんだからね」

「ちょっと慎二……あんた今なんて言った?」

更に嘲うかのように続けられる慎二の言葉。一瞬、視界が狭まる。胎盤? 何を言っているのだこの男は? 桜は間桐に魔術師として養子に入ったんじゃないの?

「やだな、遠坂。そんな怖い顔で見るなよ。当たり前だろ? 間桐はずっとお爺さまが当主だったんだぞ? 後継者の役目は間桐の血を持つ魔術師を作ること。だったら女の魔術師を貰ったのは、僕の子を産ます為に決まってるじゃないか」

まるでペットか家畜の話をするように、桜について話し続ける慎二。自分でも、顔色が音を立てて変わるのが自覚できる。冗談じゃないわよ、そんなことの為に桜を……

「あんた……兄妹で……」

「遠坂、管理者だからって、人の家のことに口出しして欲しくないな。血統の調整くらい何処の魔術師だってやってるだろ。兄妹? それがなんだよ、僕の母親も祖母もみんなそうやって間桐の家に入ってきたんだぞ」

「くっ……」

思わず漏れた呻きをわたしは押し殺した。そう言われてしまえば何も言えない。実際に魔術師で、魔術回路や魔力の充実の為に、母子に手を加えている家系などいくらでもある。わたしはただ慎二を睨みつけることしか出来ない。それに、父さん……貴方まさかその事情を知っていて…………

「でも遠坂。僕はもう桜と子供を作るつもりは無いよ」

そんなわたしに、慎二は何処か恩着せがましく笑いかけてくる。嫌な笑いだ、まるで見透かすような見下すような笑い。

「だから、遠坂。君の妹については安心してもらって良いからね」

一瞬、場が固まった。わたしだけではない、ミーナも、神父様もだ。笑っているのは目の前の慎二だけ。殴りつけてやりたいほどの会心の笑みだ。この男、ただこの為だけに今までこの事を伏せていたのだろう。

「……知っていたの……」

「当然だろ? 僕は間桐の後継者なんだぜ? 家系のことは全部把握してるさ。尤も始めて知った時は大いに驚いたけどね」

わたしの搾り出すような言葉に、自分の優位を確信した慎二の傲慢な笑顔が覆い被さってくる。
こいつは……わたしは奥歯を噛み締めた。だが、このままおめおめと引き下がるわけにはいかない。情で絡めたねちねちと無神経な言葉の暴力。小心のあんたにしちゃ、少しはやるようになったじゃない。でもお生憎様、わたしは魔術師なの。
わたしは息を整えなおし、極上の笑みを顔に貼り付けた。

「妹についての心遣い感謝しますわ。でも、いくら命を助けてあげたからと言って、わたしは間桐の家の中にまで、とやかく言うつもりはありません」

「くっ……」

桜の事は取引材料にはならない。更に命の代価はまだ取り立てていない事を、はっきりと宣言しておく。ふん、顔色が変わったわね、それだからあんたは小心者だって言うのよ。
ただ、心にちくりと棘が刺さった。ごめん桜、わたし貴女を守ってあげられない。心の贅肉とは分かっていても、今のわたしはこれが痛みだと知ってしまっていた。

「慎二君、その辺でよかろう」

そんな冷たい空気に、神父様がこれで幕だと言わんばかりに性急な声色で割って入る。そのまま厳しい視線で慎二を見据えると、慎二も肩をすくめて矛を収めた。

「ミス・シュトラウス、手続きを済ませてくれ。遠坂嬢、立会いを頼む」

今度はそれで良いなとわたしに視線を向ける。どうやら慎二については神父様が何か関わりがあるようだ。ここは神父様の顔を立てておこう、詳しい事情は後で聞けば良い。
わたしが無言で頷くと、神父様も幾分ほっとしたような顔でミーナに先を促した。

「それでは手続きに移らせてもらいます。間桐の当主として間桐慎二氏は正式に協会に登録されました。間桐家の魔術師は間桐慎二氏、並びに間桐桜嬢で宜しいですね?」

物柔らかに、それで居て事務的なミーナの声が響く。ミーナも魔術師の癖に心の贅肉多いのね、これってミーナが怒った時の声音じゃない。

「あ、間桐の魔術師は僕だけだ。桜は魔術師なんかじゃないからね」

「どういうことでしょうか? 先の後継者が魔術師で無いというのは?」

「ああ、確かに桜は魔術回路も持ってるし魔力もある。それに間桐としての体質改善も受けていれば、間桐の秘蹟を刻み付けられても居る」

慎二は嘲るように口の端を歪め、気の利いた笑い話でも話すかのように気楽に言葉を続ける。

「でも、魔術の知識も魔術師としての心得もまったく知らないんだ。これには僕も困ったよ。お爺さまが急に亡くなって、桜なら間桐の魔術に詳しいだろうと聞いてみたら、何も分かっちゃいなかったんだからね」

あくまで、桜は間桐の魔術を次の世代に伝える為だけの一時保管所だと言う。つまり、桜は魔術師ではなく、間桐の為の生きた魔具だと慎二は言ってのけたのだ。
話を聞くだけで胸糞が悪くなる。ぐつぐつと嫌なものが心から沸き上がってくる。
魔術師になる。それだけでも辛い事だ。それでも、わたしには父さんの愛情があった、魔術師になることへの誇りと知識を得る喜びがあった。何かを成し遂げると言う目標と、成し遂げた時の楽しさがあった。だが、桜には……
わたしは、そんな思いを必死で心の奥に押し込めた。断じてここでそんな事を顔には出せない。慎二のような男に弱みを見せるわけにはいかない。

「了解しました。間桐慎二さん、これが協会の正式な通知書です。本日付を持って発効します」

「ああ、有難う。やれやれ、漸くこれで僕も正式な魔術師か」

ミーナが差し出す一枚の羊皮紙。それをさも大切そうに抱え、慎二は満面の笑みのまま立ち上る。

「それじゃあ、遠坂。これからもよろしくな」

そのまま、慎二は楽しげに微笑みながらわたしに右手を差し出した。

「別に馴れ合う必要は無いんじゃない? わたしは間桐君が問題さえ起こさなければ関わるつもりは一切無いわ」

「……なんだと」

一瞬慎二の顔が引きつる。が、即座に元の笑顔に戻って舐めるようにわたしを見据えてきた。

「はは、まあいいさ。そういうことにしとこう。追々相談することがきっと出てくると思うよ」

桜の事とかね、慎二はそう小さく付け加えると、そのまま部屋を後にした。

「すまない、遠坂嬢。確かに多少性格に問題はあるが、普段はもっと礼儀正しいのだが」

慎二が部屋を出て行くと、神父様が大きく息をついて、深々とわたしに頭を下げる。

「別に間桐君の態度に文句はありませんわ。それより、普段と言うことは、神父様は間桐君と何か関わりをお持ちだったということですか?」

慎二がああいう奴だと言うことは、もう随分前から分かっていた。だが、神父様の言葉には些か気にかかる所があった。

「ふむ、実は私が彼の魔術の師を勤めているのだ」

成り行きなのだが、と難しい顔で腕を組み、神父様は言葉を続ける。

「先の聖杯戦争の後始末が終わり、私がこの地に赴任した直後の事だ、慎二君が私の許へ告解に来たのだ」

告解の内容については職責上話せないが、と断った上で神父様は今までの経緯を話してくれた。
なんでも間桐のご老人は聖杯戦争の時に何かあったらしく、既にその時から休眠状態であったらしい。そんな状態で魔術回路が開いてしまった慎二は、さっき慎二が言っていたように、桜が魔術師と言えない状態で、神父様に助けを求めるしかなかったと言う。

「慎二君は口ではああ言っていたが、彼なりに桜君の事を憂いて居るのだ」

その時、慎二は自分が魔術師となって、桜を間桐の呪縛から解き放つと言ったらしい。
鵜呑みに出来ることではないが、結果から言えば、桜はもう間桐に拘る必要が無い立場にあることは確かだ。桜に施された呪式がどんなものかは分からないが、それは多分不可逆的なものだろう。それでもこれで、胎盤として使い捨てにされることだけは避けられたという事になる。

「分かりました。神父様を信じましょう。慎二と桜については、これからも神父様にお任せして宜しいですね?」

「うむ、間桐の兄妹については、私が聖職者として傍らに立とう」

慎二では無く神父様を信用して、桜を頼むと言うわたしの言葉に、神父様も魔術師としてでなく、神の使徒として責任を持つと応えてくれた。
わたしは少しだけ肩の荷が軽くなった気がした。この神父様は信頼できる、少なくともわたしが倫敦へ行っている間のことは大丈夫だろう。わたしの魔術師の心が、それはただの執行猶予に過ぎないと訴えかけて来てはいるが、それでも少しだけ気持ちが軽くなったのは事実だ。

「で、ミスヴィルヘルミナ。貴女は何か言うことは無いの?」

更にその気持ちを軽くする為に、神父様の隣で何食わぬ顔をしているミーナに声を掛ける。まったく、日本へ来たって事だけでも驚かされたってのに、更にこんな事まで隠してたなんて、悪戯が過ぎるってのよ。

「あ、え? ほら、凛さん、守秘義務ってやつが……」

「無いわよ。わたし管理者だもん」

「あは、そうでしたね……ごめんなさい。こんなことになってるとは、知らなかったもので……」

しおしおと肩を竦めるミーナ。ま、ミーナをこれ以上いじめても仕方ないし、これで少しは懲りてくれると助かるし、こんなもので良いだろう。

「あ、それから桜がわたしの妹だってことは、まだ士郎には内緒にしておいて」

「そうなんですか?」

「うん、あいつは桜の事をただの一般人だと思ってる。いずれ、わたしから話すことになると思うけど、それまでは黙っていて欲しいの」

「分かりました。そういう事情なら」

これで間桐のことは話がついた。心に留めて置かなきゃならない事ではあるけれど、今はまだ、それだけで良い。




「行方不明事件?」

「うむ、新都を中心に、此処半年ほどで若い女性ばかり十人以上になる」

間桐の話がひと段落ついた後の事務連絡。それは事務と言うには、些か生臭い内容のものだった。

「表の警察はなんと言っているのです?」

「あくまで行方不明だ。遺体も遺留品も見つかっていないし、共通項も若い女性と言うだけだ。被害者の最終確認された地点が冬木市全域に散らばっている事もあって、最近まで関連した事件としても扱っていなかったらしい」

神父様にしても、つい先日魔力的な痕跡を見つけて、初めてこれが魔術的な事件だと気がついたと言う。

「セントラルパークホテル?」

神父様の口から出た場所。それは半年前にオープンした、新都の真中にあるシティホテル。あの聖杯戦争の後、中央公園に建設されたホテルだ。

「うむ、そこで微かな残滓を見つけた。いや、もう数時間遅れていたならば、その残滓も、あの場所に飲まれて消えていたであろうな」

冬木の霊脈の一つを形成し、アーチャーをして固有結界じみているとまで言わせた場所に建設されたホテル。そんな所に建設されたわりには、特に建設中の事故も無く完成したのだが、それでもやはりかなり大きな歪みは残っている。
確かに、あの場所に上手く潜り込めたのならば、かなりの魔力を隠し続けることは容易いだろう。葉を隠すには林の中と言ったところか。

「今後も調査は続行する。何か特別な指示があれば伺っておきたい」

考え込んでいたわたしに神父様が伺いを立てる。管理代行としては当然の配慮だ。本来ならば調査解決の報告だけで良いが、今は管理者わたしがこの場にいるのだ。

「わたしが動いてみます」

暫く考えてから、わたしはそんな結論に達した。勿論、管理者と言っても、今のわたしの立場はお客様だ。
だが自分の庭におかしなものが居るかもしれないって言うのに、黙って傍観しているわけにはいかない。手だってセイバーも居るし士郎も手伝ってくれるだろう。ルヴィアだって“契約”している。頼めば否は無いだろう。それにあいつは、この冬木に些か因縁がある。この地での新しい戦い。こんな絶好の雪辱の機会、逃すような奴じゃない。

「了解した。では私の方は外郭の情報収集に徹しよう」

「よろしくお願いします」

これで良い。明日にでも士郎を連れて行ってみよう。あいつはこういった調べ物は結構得意だし。

「あ、私も手伝いましょうか?」

そんな事を考えながら事務処理を続けていたら、いつものごく気楽な調子でミーナが話しかけてきた。

「良いの?」

ミーナに関しては、冬木ここでわたしを手伝う謂れはまったく無い。魔術師ではあるが、あくまで冬木への滞在は旅行者としての一時滞在だ。ミーナ自身が日本で予定している協会の仕事とも関係が無い。

「はい、居候してますし。今日のことのお詫びもありますしね」

成程、負い目は残しておきたくないと言うわけか。商売人なミーナらしい。返せる物は利子がつく前にさっさとか。……見習わなくちゃ。

「有難う、それじゃあお願いするわ」

何者が潜り込んだかは知らないけれど、わたし達が帰ってきた時に見つかったのが運のつき。ちょっと腹に溜まってるものがある事だし、思いっきり痛い目にあってもらうから。






暗く湿った闇の中で、それは忙しげに立ち働いていた。
それの基準できちんと並べられた繭、その一つ一つを愛でるように点検する。
これは大事な子供達の“餌”。死んでしまってはいけない。殺さぬよう生かさぬよう、しっかりと点検する。
蠢く様なら再び牙を挿し、弱ってきたのなら、白濁した蜜を口腔に流し込んで死を先延ばしにする。

一つ、また一つ確認する。大丈夫、子供達の餌はまだ十分ある。
確認を終えると、それは愛しげに腹の卵を弄り、“餌”に産み付けていく。これで良い、だがまだ卵はある。また狩りにいかねばならない、新しい子供達の為に、新しい“餌”を見つけてこなければならない。
それは、まるで踊るような足取りで暗く湿った場所を後にした。

―― 臓々 ――

残された闇の中で、それが立ち去るのを待っていたかのように、別の何かが這い出てくる。影から、闇からぞろぞろと這い出し、そのまま獲物たちに絡みつき、嘗める様に、弄る様に繭の中に身を沈めていく。蠢き、擽り、揉み、撫で回し、嬲り始める。

――あ、ああ…………ひぅぅぅ……はぐぅ……ぁぁぁぁぁぁぁ……

暗い闇は、瞬く間に嬌声にも似た呻きに包まれていった。

―― 愚捨! ――

蠢く物と入れ替わるように、繭の隙間から何かが吐き出された。
堕とされ潰され、腐ったような匂いを放つ薄汚れた卵。
乳を奪われ孵ることの無い卵は、嘲るような嬌声に包まれ、めしいた母を恨むでも無く、闇色の泥の中に沈んでいった。


Fate/In FUKUYI の本番“桜編くろいまゆ”第一話です。
桜の朝、慎二の午前、そして暗い午後。
冬木の街で一体何が起こっているのか?
それでは、後編をお楽しみください。

By dain

2004/9/1初稿
2005/11/12改稿


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