清々しい朝の光の中、その姿はまるで硝子細工のように煌いていた。

凛と音が聞こえてきそうだ。姿勢はあくまで自然体、切っ先も構えるでなく下段脇に落とされている。
眠るように瞑目された瞳。静かに、それでいてしっかりとした息吹。隙だらけに見えて、一分の隙も無い立ち姿。

踏み出せない。
両刀を手に、一歩も踏み出せない。まるで石化してしまったように、対手は動くことが出来なかった。
分かっているのだ。一歩でも踏み込めば、一瞬でもこの静寂を破れば、瞬く間に討ち果たされる。目の前の華麗な聖像は、その姿と裏腹に恐るべき凶器なのだ。背筋は既にぐっしょりと濡れ、額には玉の汗が浮かぶ。

「……来なさい」

静寂が終った。聖翠の瞳が見開かれ、可憐な唇が不敵に開かれる。
静が動へ。一歩は、一瞬は聖像によって詰められた。

「――――っ!?」

その声の余りの典雅さに、その一歩の余りの優雅さに一瞬気を取られた刹那、対手は両手の剣を叩き落され、引く間も有らばこそ意識ごと刈り取られた。

「次!」

朝の道場に、崩折れる対手を冷ややかに見やるセイバーの声がこだまする。
が、応えは無い。ただ、些か気の抜けた拍手の音が響くのみだ。

「流石だね、麗下。これで十人全部伸びちゃったよ」.

道場の入口、累々たる屍の群を睥睨しながら、ジュリオ・エルヴィーノはセイバーに惜しみない賞賛を送っていた。





おうさまのけん
「剣の王」 −King Aruthoria− 第六話 前編
Saber





「ほほう、ジュリオ。門下生に私を任せて自分は高みの見物ですか?」

私は、自分はやる気はありません、とばかりに思い切り普段着なジュリオに視線を向けた。我ながらかなり冷たい視線であろうと思う。まったく、ここ三日ほどのジュリオは努めて私との対戦を避けている節がある。

「いやあ、一週間シロー断ちの麗下に立ち向かう蛮勇は、流石の僕も持ち合わせて無くてねぇ」

「……ジュリオ、その“シロウ断ち”と言うものについて、じっくりと説明してもらえますか?」

思わず竹刀を握る手に力が篭る。確かにここ一週間シロウは道場へ来ていない、だが、決して会っていないというわけではない。それは二人きりと言う機会は殆どないが、御互い忙しいのだから仕方がない。
そう思いながらも、私は小さく溜息をついた。仕方がない事とはいえ、やはり少しばかり寂しい事には違いがない。




「参ったわね……」

「些か予定が狂ってしまいました……」

日本から帰って。私達は久方ぶりの財政危機に陥っていた。
冬木での騒動。事後を含めて無事穏便な形で決着を付けられたのだが、その際、当初時計塔がくいんでの次期研究分にと用意していた機材、資材をことごとく使い切ってしまったのだ。

「今期の予算が降りるまで、待つわけにはいかないのでしょうか?」

「初回の入金は十一月。それまで待ってるわけにはいかないわ。最低限は揃えないと」

「とはいえ金額が金額ですし……」

私は凛と二人で頭を抱えてしまった。冬木で失った機材は十万ポンド単位、今まで貯めてきた貯蓄を全て吐き出してもまだ足りない。かといって、これだけの金額、生活費のやりくり程度でどうなるものでもない。
開講まであと一月、それまでには何とかしてこの金額を工面しなくてはならない。

「俺のほうの貯金使うか? 随分溜まったぞ」

お茶を運んできてくれたシロウが、家計簿を覗き込みながら話しかけてくる。確かに昨年度の後半から、シロウが色々と手がけた結果得た報奨金はかなりの額になる。

「なに言ってんのよ。それは士郎の学費でしょうが。今年から専門でしょ? そんなもんじゃ済まないわよ」

そんなシロウを、凛がむぅ――と睨みつける。このお金に手をつけなかった理由はこれだ。
協会員で無いシロウは奨学金も学費免除も無い。ましてや魔術師としてはまだ半人前、スポンサーからの助成金などもあるはずが無い。
とはいえ、凛ほどではないが魔術は魔術、シロウといえども魔術の研鑽にはお金が掛かる、教養年度ファウンデーションの去年までと、専門課程スペシャリストの今年からでは、学費も機材費も一桁違うと言って良い。

「ルヴィアんとこのお給料も、今年からはそっちで使いなさい。こっちはこっちで何とかするから」

「それは良いけど……足りるのか?」

目尻を揉み解しながら、凛はシロウに釘を刺す。が、シロウも痛い所を突いて来た。私も心で溜息をつく。今年もやりくりには苦労することになりそうだ。

「士郎がそんな事を心配する必要は無いの、何とかするから。取敢えず、今の時期はわりの良い研究員の仕事もあるし」

なんでも十月の夏休み明けまでに、駆け込みの研究を完成させようと、教授陣がかなり躍起になっていると言う。人手が出払っているこの時期、優秀な人材なら引く手数多なのだそうだ。

「それって危なくないのか? 時計塔の教授陣だろ?」

「そりゃそうよ、一泊二日で一万ポンドは出そうかって話ばっかりだもの。こっちも極力選ぶけど」

シロウの言うとおり、かなり危険でもあるらしい。それでも凛は、シロウの心配そうな声になんでもないような口調で応える。

「私も付いています」

だから、私も士郎を安心させる為に口を添えた。私と凛ならば大抵のことには対処できるだろう。

「あ、御免。セイバーは却下」

「何故です!?」

「だって、セイバー連れてったら、そっちの方で何されるか分からないもの」

凛によれば、私を一晩借りる為に百万ポンド出そうと言う話さえあるという。お金を稼ぐだけならそのほうがはるかに早いだろう。だが、

「セイバーを雇いたいって言うならまだ考える。けど、セイバーを切り売りする気は無いわ」

“英霊”としてではなく、私として必要だという話でもなければ、受けるつもりはさらさらないという。
一瞬、言葉を失い、まじまじと凛の顔を見てしまった。結局のところ、私は英霊といっても凛の使い魔に過ぎない。それを凛は……

「シロウがうつったのですか?」

「そういうこと、本当に困っちゃうわよね」

まるで私が友人であるかのように、肩を竦めて微笑みかけてきてくれる。良いのですか? と目線で問うても、仕方ないじゃないと苦笑するばかりだ。

「なんで俺が出るのさ?」

シロウにいたっては、そんな私達に、何がおかしいのか分からないといった顔を向けてくる。
胸が熱くなった。私には分かっている、私はこの世界の存在ではない。所詮、仮初めの客だ。だが、シロウも凛もそんな私を純粋に友として見てくれている。
有難かった。本当に有難かった。ことわりはこれを間違っていると訴えかけてくる。だが、それでもやはり有難かった。この暖かさがとても嬉しかった。

「シロウ、凛。有難う」

だから、言葉にして礼を言った。これは彼らに教わったこと。言葉にしなければ、何事も伝わらない。先には進めない。

「な、なによ、藪から棒に……」

「いや、いきなりお礼言われても……お礼を言われるようなこと別に何もしてないぞ」

そんな私に、二人とも照れたように視線を泳がせる。それが、更に私の心を暖かくしてくれる。私は今、正しく間違えられたのだろう。

「まあ、それはともかく。ちゃんと気をつけるから。士郎は心配しないで」

一つ咳払いをして、凛が僅かに気恥ずかしそうにシロウに告げた。まあ凛の事だ、よほどおかしな挑発や、意地の張り合いでもない限り大丈夫だろう。……ルヴィアゼリッタがバイトなどするはずも無いことが救いと言えよう。

「おう、じゃあ俺もミーナさんとこの仕事請けようかな」

それに応えてシロウが、何か思い出したように口を開いた。はて、ヴィルヘルミナの所も今は交代で夏季休業中、さほど仕事は無いと思っていたのだが。

「ミーナ?」

「ああ、なんでもエジプトから品物が山ほど届いたらしいんだ。それの鑑定を頼みたいって、ミーナさんが声をかけてくれてるんだ」

成程、そちらの仕事ならば私には関わりが無い。それに鑑定や解析はシロウの十八番、ヴィルヘルミナもそのことは知っている。

「……士郎の方がよっぽど危ないじゃない。それって、どう考えてもアトラスがらみの供出品よ?」

が、凛は些か渋い顔をする。アトラス? そういえば以前おかしな技を使う魔術師に会ったことがある。魔術師にしては些か風変わりであった上に、あの気配は人としても違和感を覚えた。確かにアトラスと言うのが、あのような魔術師の巣窟だとすれば、凛の心配にも頷ける。

「俺一人でやってるわけじゃないから、大丈夫だぞ。何より払いが良い」

「う、それを言われると辛い……」

――Crow

と、ここでランスが一声鳴いた。案ずるな我が付いていると言ったところだろう。

「じゃ、頼むから。こいつに無理させないでよ?」

「ランス、任せました」

「なんだよ。俺は信用できないのか?」

大変申し訳ないのですが。シロウ、あなたが無茶をしないと言うことだけは信用できません。




「成程ねぇ、シローはお仕事か。日本人は頑張るなぁ」

魚のマリネにトマトのフリゼッレ、冷たいパスタの並んだ夏らしい食卓を前に、ジュリオが感心したような声を上げた。半ば愚痴ともいえる話なのだが、どうも最近、私はジュリオやヴィルヘルミナの前では甘えてしまうところがある。気をつけねば。

「ジュリオは良いのですか?」

「あ、ほら僕は身体一つだからね」

ジュリオは私の疑問にへらへらと力瘤を作って応える。そう言えばジュリオの専攻は自己の肉体の“強化”だと聞く。確かにそれならば機材も資材もさほどお金はかからないだろう。何とも羨ましい話だ。

「でも、麗下もバイトをしてるんじゃなかったっけ?」

「それが今はいつもの仕事が無いのです。私も色々と探してはいるのですが……」

ヴィルヘルミナのところは、シロウの話の通り、今はエジプトからの品物の解析で掛かりきりだ。剣の方は開店休業状態でさほど仕事が無い。かと言って、他の魔術師の仕事などは凛が許可してくれるはずもない。私としてはいっそ物扱いでも構わないのだが、凛の好意を無下にも出来ない。

「でも、それじゃ麗下寂しいね」

「な、何を言うのですか!」

いきなりジュリオがおかしな事を言い出した。私はフレゼットを放り出し思わず立ち上がってしまった。

「わ、私は別にシロウが居ないからと言って……」

「あれ? 僕は麗下だけ仕事が無いのは寂しいねって言ったんだけど?」

「――っ!」

やられた、どうやら謀られたようだ。朗らかなほどの会心の笑みを浮かべたジュリオに、私は何も言えなくなってしまう。

「……ジュリオ」

「いや、怒らない怒らない。はい、麗下」

ふつふつ煮えたぎるものを込めて睨みつけているのだが、ジュリオは少しも堪えたところが無い。それどころか、へらへら笑いながら料理をとりわけて私に差し出してくる。む、パスタなどで誤魔化そうなどとは……

「それでね、麗下。ちょっと面白い仕事があるんだけど」

「そんなことでは誤魔化されません!」

まったく、パスタに加えてマリネを差し出したところで……仕事?

「それじゃあ、仕方ないか……」

「待ちなさいジュリオ。詳しい話を……その聞かせて頂けますか?」

「素直な麗下って好きさ」

何か今ひとつ釈然としないものが残りはしたが、私はジュリオに仕事の話しを聞くことにした。


「成程。護衛ですか」

「ちょっと危なっかしい話だけど、麗下が引き受けてくれるなら安心だしね」

ジュリオの持ってきた話は、倫敦から地方都市への護衛の仕事だった。無論、守るべき対象は魔術師。本来ならジュリオがやる仕事なのだそうだが、都合があわなくなり代わりの人材を探していたという。
確かに護衛任務というのなら、私には適任だろう。報酬も破格だ、今の時期こういった話は非常に有難い。

「しかし、私で良いのですか?」

とはいえ問題が無いわけではない。まず以って私は人ではない。英霊といえば聞こえはいいが、実のところ使い魔に過ぎず、亡霊の一種だと言って良い。

「別に良いんじゃないかな? こういった仕事は素性よりも能力優先だし」

だが、ジュリオは平然と応えてきた。こういった護衛任務には、魔術師本人でなく強力な使い魔が派遣されるケースも多いという。しかし、それなら、

「凛に直接持ちかけたほうが良いのでは?」

「麗下が普通の使い魔だったらそうするんだけどね」

と、ジュリオは珍しく恥ずかしげに苦笑しながら言葉を続けた。

「おかしな話なんだけど、麗下の場合はまず本人に聞かないといけないような気がしたんだ」

何せ、僕よりもはるかに優秀だから、と大仰に手を広げて賞賛してくる。
これには私も苦笑で返すしかない。ここにも一人私を人間扱いする魔術師が居たということか。私は凛の承諾を受けてからという条件で、この仕事を引き受けることにした。




「競売?」

ミーナさんから持ちかけられたのは、倫敦から真西に進んだバースという街で開かれる、妖しい競売に参加して欲しいという話だった。

「ええ、士郎くんなら適任だと思うんですよ」

「思いっきり胡散臭いんだけど……」

競売といってもまともな物ではない。いかにもおどろおどろしいカタログに並べられているのは、美術品や工芸品の盗品や流出品。それも呪いの宝石やら、パラケルススの遺品、はてはソロモンの壷に至るまでの隠秘学的な遺物の名前ばかり並んでいる。

「九分九厘パチもんですけどね」

あんまりな内容に眉を顰める俺に、ミーナさんが何時もの調子でさらりと仰ってくれます。まあ、そりゃそうだろう。ここに並べられているような品物が本物なら、まず協会が黙っているわけが無い。

「好事家相手の裏競売ってとこかな?」

「上流階級って、昔から結構オカルト好きなんですよね」

競売に集まるような人は結局バイヤーなんでみんな似非紳士なんですけど、とミーナさんは面白そうに言う。どうせおおっぴらに人に見せるようなものじゃなし、コレクターって言うのは集めることに意義を持つような人ばかりなんで、こういった似非遺物市場と言うのも成り立つのだそうだ。

「でも、それじゃ何で俺たちみたいな本職が?」

「今回の競売には、どうも残りの一厘が加わっているらしいんですよ」

カタログ片手のミーナさんが説明してくれたところによると、何でも今回のアトラスからの供出品が一点、そちらに紛れ込んでしまったらしいと言うのだ。物が物だけにどちらも正規の入出国監査は受けていない。つまりは密輸品、その際どこかで交差して、紛れ込んでしまったのだろうと言う。

「結構、杜撰なんだな」

「エジプトですから」

ミーナさんは肩をすくめて、理由にもならないような応えを返してきた。まあ、それはともかく、アトラスからの流出品って言うのなら放っては置けない。今こっちで解析しているものだって、言っては悪いが碌でもない品物ばかりだ。一般人の手に渡ったらと思うと、余りぞっとしない。

「で、どれなんです? そのアトラスの品物って」

俺はカタログをめくりながらミーナさんに尋ねた。どれもこれも数万ポンド以上からのスタートで、いかにもそれっぽい品物ばかりだ。俺が解析能力を持っていると言っても、写真だけでは真贋の区別は付かない。最低でも実物を見るか、できれば手にとってみなければ何とも言えない。

「ええとですね……」

が、ミーナさんの歯切れは悪い。曖昧に微笑みながら、視線が泳いでいる。

「……もしかして、どれだか分からない?」

「はは、つまりそういう事なんですよ。現物を士郎くんに見てもらって見つけて貰おうかなって」

ちょっとくらっと来た。目録はあるそうなんだが、発射型の武器と言う以外の情報がないという。
確かに、こちらに送られてきた供出品も設計図や取り扱いの説明はおろか、起動方式さえ分からないものばかり。つまり、ただ漠然と品物が渡されているだけなのだ。
アトラスの公開技術といっても、結局これが実情。単に物を渡されるだけ、それを物にできるか否かは、こちらの解析能力にかかっていると言う事だ。

「主催者には話を通してあるんですけど、一度カタログに載せた以上、競売を通さないとって事なんですよ。落札予定の二割り増しって事で話がついてますから、ちゃっちゃと済まして来て下さいね」

色々と言いたいことが無いでもないが、そこまで話がついているなら何とかなるだろう。俺はこの仕事を引き受けることにした。




「どうでもいいけど、えらく豪華だな……」

倫敦、ヴィクトリア駅の朝、渡された切符を手に向かったホームで待っていた列車は、十一両編成のプルマン・トレイン。一九二十年代に作られたと言う、走るアンティークカーだ。しかも、たかが一時間半ほどの旅に、わざわざコンパートメントを一つ貸切りで用意したと言う。似非上流階級ということで嘗められたら負けだと、ミーナさんが張り切ってくれたのだが、やり過ぎじゃないだろうか?

「取敢えず、護衛と合流か……」

俺はスチュワードに切符を渡し、コンパートメントに案内してもらった。護衛は何でも若い女性だと言う。隠匿カバーの為、形の上では俺が護衛、護衛がバイヤーという形で競売に参加するのだ。相変わらず、ミーナさんはこういった事にはとことん凝る。手を抜かないって言うより、こうなるともう趣味だな。

「どうぞ、こちらです」

スチュワードに促され、扉を潜ったコンパートメントには既に先客が居た。瀟洒なスーツを着た小柄な女性。多分この人が護衛だろう。

「遅くなりました、レディ・アーシュラ……」

「それほどでもありません、ミスター・ウェイ……」

振り向いた女性と顔を合わして、お互い言葉を失ってしまった。
きちんと編みこまれた金糸のような髪、凛と音さえ聞こえそうな聖翠の瞳。俺はきっと地獄に落ちたって忘れる事は無いだろう。って……なんでセイバーが?

「紅茶を二つ、お願いします」

「畏まりました、お嬢様」

しばし呆然と見詰め合う俺達。いち早く立ち直ったのはセイバーだった。優雅にスチュワードへ注文をしてコンパートの外に追いやると、ドアを閉めて早く座れと視線で促してきた。

「あ、その……セイバー?」

「シロウ落ち着いてください。まず、お互いの事情を確認しましょう」

「そうだな、じゃまず俺のほうから話すぞ……」

俺はセイバーに、自分の聞いた事情のあらましを説明した。護衛がセイバーだったことは聞いていなかったが、その他の部分は概ねセイバーが聞いていた事情と変わらないようだ。

「私も同じようなものです。相手パートナーがシロウであるということ以外の事情に間違いはないようですね」

セイバーの方はジュリオの斡旋だったらしい。それにしても、何でミーナさんもジュリオも肝心なこと言わなかったんだ?

「……ヴィルヘルミナとジュリオですか。手の込んだ悪戯を……」

「いや、でも仕事はちゃんとあるみたいだぞ」

溜息をつくようなセイバーの呟きに、俺は首をかしげた。そりゃ隠匿カバーがえらく手の込んだ形になっているが、それ以外は別に不審な点は無い。まさか競売まで悪戯ででっち上げたりはしないだろう。第一金がかかりすぎる。

「いえ、そういった事を言っているのでは無いのです……」

違うだろうか、とセイバーに問いかけたのだが、何故かセイバーは微妙に言葉を濁す。なんだか顔が赤いんだが、何を恥ずかしがっているんだろう?

「凛は知っているのでしょうか?」

更に困ったように伺う目つきで、セイバーが聞いてきた。

「俺が今日仕事で出払うことは知ってるけど、一緒だってのは知らないだろうな。俺たちだって気が付かなかったんだから」

「やはり、そうでしょうね……」

セイバーはなんだか複雑な表情になった。ばつが悪いというか、どうにも落ち着かなげに視線を泳がしている。

「セイバーは遠坂に言ってなかったのか?」

ちょっと気になったので聞いてみた。もしそうならやっぱり拙いだろう。一応遠坂だってセイバーのマスターなんだから、居所がはっきりしなかったら心配もするだろう。

「いえ、凛に話は通してあります。その……衣装などの手配でも協力してもらいましたし」

「ああ、なんかえらくドレスコードがきつい仕事だからな」

セイバーは倫敦に来てから、随分と衣装も増えた。ただ殆どがカジュアルな物ばかりで、こういったスーツは数着しか持っていないはずだ。今着ているスーツも見たことがない。もし知っている服を着ていれば最初に会った時、顔など見なくとも分かったろう。

「ルヴィアゼリッタの世話になりました。彼女は衣装持ちですから」

なんでもルヴィア嬢の昔の衣装を借り受けたそうだ。昔といってもほんの数年前、髪の色も肌の色も近いし、どうやら体形なども昔のルヴィア嬢とそう違わなかったようだ。

「そうか、確かにルヴィアさんの衣装なら思い切りお嬢様だしな。うん、セイバーには似合ってるぞ」

これなら本当に貴族のお嬢様だといっても通用するだろう。……本当は王様なんだが。
が、セイバーはそんな俺を微妙な表情で眺めてくる。はて?

「シロウがシロウであることは十分承知しているのですが……」

「なにさ?」

「いえ、良いのです。それよりも仕事の話を詰めましょう」

そのほうが私も気がまぎれて安心です、などと今ひとつ分からないことを言う。とはいえ、やっぱり仕事なんだから、きちんと打ち合わせはしておいた方が良いな。
俺たちは、スチュワードが運んできたお茶を楽しみつつ、仕事の打ち合わせに入ることにした。




「つまり、私が主人あるじを演じる必要があるのですね?」

「そういうことになるな。セイバーは護衛だけど、表向きの役割はバイヤーってことになってるからな」

セイバーのカヴァーは“アーシュラ・サヴェジ男爵令嬢”無論、名鑑には載っていないしすっぴんの偽名だが、ある意味本名と言えなくもない。アーシュラはアーサーが“熊”であるのに対して“雌熊”という意味だし、サヴェジはセイバーの養父だったサー・エクターの居城の名前だという。で、俺は謎の中国人護衛“ウェイ・シィーラン”まんま“衛士郎”だ。

「この辺りは完全にヴィルヘルミナの趣味ですね……」

「偽名なんだけど、ミーナさんはこういったこと好きだからな」

ミーナさんは道具については実用性重視なのに、手順や手管については徹底的に凝るところがある。

「ではエスコートはお任せします。しかしながら護衛は私なのですから、無茶はしないように心がけて頂きたい」

状況は理解しましたと頷くセイバー。とはいえしっかり釘は刺された。俺ってそんなに信用無いのかな?

「競売そのものは出来レースみたいなものだし、そう危なっかしいことにはならないと思うぞ、相手も魔術師関係じゃないし」

「シロウ、一般人を嘗めないように」

が、セイバーは厳しい顔でぴしゃりと俺に言う。

「シロウの場合はその一般人でも十分脅威です。しかも、今回の件も話に聞く限り競売自体が非合法活動。そのような組織の人間は十二分に危険です」

「いや、それならセイバーだって……」

「シロウ……忘れていますね。私は“英霊”です」

俺の反論をセイバーは半眼で睨みつけるように遮り、噛んで含めるような口調で話を続けた。

「一般人の使った銃や刃物で私を傷付けることは出来ません。例えミサイルの直撃を受けようと、なんら神秘が関わっていない兵器などでは、英霊を倒せるものではありません。したがって、今回の件で怪我をする可能性のあるのはシロウだけ。その事はしっかり心得ていてください」

うう、そういやすっかり忘れてた。でもな、目の前でいかにもお嬢様な衣装に身を包み、ちょこんと腰掛けている可愛らしい女の子がミサイルでも平気って言われたってなぁ。

「シロウ、聞いていないでしょう……」

「あ、いや、聞いてるぞ! セイバーは丈夫だって言うんだろ?」

「……微妙に違いますが、まあ良いでしょう。ですから何か事が起きた場合は私が盾になります。いつぞやのように私を庇ったりするのは全くの無駄ですから、絶対にしないように。いいですね?」

「お、おう……」

でもなぁ……

「いいですね!?」

「あ、はい! 分かりました」

まるで俺の心を見透かすように念を押されてしまった。確かにセイバーの言い分の方が正しい。ここは気をつけていくか。……自信ないけど。




「それでは現場に行かなければ、何を買うかも分からないわけですか」

「そうなんだ。だから、その辺の合図は決めておかないとな。セイバーがバイヤーってことになってるんだし」

そのあと俺たちは食堂車で、オレンジジュースと、フレッシュフルーツカクテル。それにこれだけは美味いと評判の、卵とハムとトマトの盛り合わせからなる、イングリッシュ・ブレックファーストという朝食を突きながら、打ち合わせの続きをした。
かなりきな臭い話なのだが、豪華な車内と綺麗な田園風景が流れる車窓を眺めながらとなると、どうも明るすぎて緊張感が薄くなる。
尤も、そんな風景にもセイバーは怖いぐらいに溶け込んでいた。明るい午前の日差しを浴びてカタログを繰っているセイバーは、金髪と翠の瞳をきらきらと煌めかせ、その優雅な物腰とあいまってそれこそどこかの王女様のようだ。……王様だけど。

「シロウ、どうしたのですか?」

「いや。なんでもない……あ、そうだ」

ちょっと見惚れてたとは言えないよな。ただ、今のやり取りで気が付いたことがあった。

「そろそろ呼び名を変えとこう。俺はセイバーを“お嬢様”って呼ぶから、セイバーは俺を“ウェイ”って呼んでくれ」

「わ、私がお嬢様ですか?」

「そりゃお嬢様だろ? 貴族の令嬢なんだから」

「わ、分かりました。お嬢様ということでやってみましょう。ですが、シロウの方は大丈夫なのですか?」

「任せてくれ、執事教育はシュフランさんからみっちり叩き込まれてる。結構自信あるんだぞ」

俺の応えに、少しばかり頬を染めながらも、ならばと一つ咳払いしてセイバーが姿勢を改めた。

「それでは、ウェイ。貴方の意見を聞かせて頂ける? わたくし達が買い求めるものはどちらの品になるかしら?」

「――あ」

フォークを落としてしまった。ちょっと待て、何ですかこのご令嬢は? くりくりと瞳を輝かせ、さくらんぼうのような口を可愛らしく開いた無邪気な姿。金髪も、翠の瞳もそのままなのに、まるで妖精か何かがいきなり目の前に現れたかのようだ。

「ウェイ? 如何したのですか?」

小首をかしげ、可愛らしい妖精は不思議そうな顔で俺に聞いてくる。ええと、セイバー。お前どこ行っちゃったんだ?

「ウェイ……」

俺の応えが無いせいか、ぷんと頬を膨らませ、妖精が俺の耳元まで唇を寄せてくる

「……シロウ、しっかりしてもらわねば困る。自信があったのではないのですか?」

と、いきなりセイバーに戻った。良かった、セイバーちゃんと居てくれたんだな。

「御免、ちょっと飲まれた。慣れたから今度こそ大丈夫だぞ」

「本当に大丈夫なのでしょうね?……それで、ウェイ。どう思う?」

「は、現物を見るまで、しかとは申せませんが……」

俺は何とか気を取り直して、芝居を続けながら打ち合わせを続行した。しかし、驚いたな。セイバーってこんな女の子も出来るんだ……




流出資産ソースコードの行方が判明しました。英国です」

暗い穴倉の底で、男は言葉少なに報告をする。

詳細ゴートゥーを」

歴史を刻み込まれた大きなデスクに、埋もれる様に収まっていた彼の上司は、可憐な容姿に不似合いなほどそっけない言葉で、先を促した。

「美術品として裏市場にて競売に附されるとの情報を得ました」

特務班システムオペレーターを送ってください。私も可能な限り早急に渡英します」

デスクの上に差し出しされた競売会のカタログを受け取るやいなや、間髪入れず指令が帰ってくる。だが、それには些か問題があった。男はほんの僅かだけ眉を顰め聞き返した。

本部とけいとうへの連絡と認可を考えると時間的に難しいかと」

許可ライセンスは取ってあります」

だが彼の上司は、何の問題もないとばかりにデスクの上の書類を指し示す。確かに、これは協会本部の行動許可証だ。しかも日付は昨日。今回の件を事前に予測していたとしても早過ぎる。では……男はほんの一瞬だけ記憶の検索を行った。
数ヶ月前、別件で回収班を倫敦へ送り込む際に許可を取った事があった。ただ、その時はこの上司が一人で赴き、全ての処理プロセスを済ませてしまった。因って、この行動許可証がそのとき浮いた一枚であることは類推できる。
更に同時に起動していた思考が、一つの蓋然性をはじき出す。将来を見越し、その際に日付を未記入で許可証を取っていた可能性。

「直ちに特務班システムオペレーターを編成いたします。行動基準フローチャートはどのように?」

男は微かに感服の呈を示し頷いた。今回の流出資産については、学院アトラス内で彼女に対してかなり辛辣な批判の声も上がっている。だが、この柔軟性は今までの学院に無かった物だ。やはりこの役目は彼女にこそ相応しい。

接触班サーチ支援部隊デストロイを編成してください。接触班はオークションに参加。予定価格の±二十パーセント以内ならば落札するように、それ以外ならば、落札者との直接交渉を。ただし、資産の所持者が秘蹟を解していない限り、穏便に事を運んでください」

「了解いたしました。それでは、落札者が秘蹟を解すると判断された場合は?」

「その場合は、情報の隠匿デリートを最優先します」

よどみなく流れてきた返答に、男は十全な満足と共に頷いた。
これで良い。柔軟にして冷徹、慎重にして果断。それでこそアトラスのアトラシアだというものだ。


帰ってまいりましたBritain一行。再開第一回はセイバーさんのお話。
相変わらずの貧乏所帯ですが、貧乏の桁が違います。何せ冬木時代でも一年分の魔力を込めた宝石は八桁でしたから、こんなものでしょう。
そういうわけで、士郎くんもセイバーさんもアルバイト。
ただ、裏で蠢くいくつかの思惑。いかが相成りますか……
それでは、後編をお楽しみください。

By dain

2004/10/6 初稿


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