「シロウ! オーウェンを見ませんでしたか!?」

厨房で夕食の仕度をしている俺の所に、いきなりセイバーが飛び込んできた。

「いや見てない……ってセイバー! なんて格好してるんだよ!」

「なにといわれても困ります。あの子をお風呂に入れようとしたところ、逃げられてしまったのですから」

バスタオル一枚巻いただけの姿で腰に手を当て、ぷんと頬を膨らますセイバーさん。桜色に火照った肌を水滴が伝い、身体からはまだ湯気さえ上がっている。
なんというか、その…目の保養、いや目のやり場に困る。

「……確かに、こちらではないようですね。それではシロウ、失礼しました」

「お、おう……」

ひと当たり見渡して居ない事を確認すると、セイバーさんは厨房を後にした。いや、思いっきり吃驚したぞ。

「出てきなさい、オーウェン! 隠れていられると思っているのですか!?」

呆気の取られる俺を余所に、仔猫を探すセイバーの怒声が山荘中に響き渡る。でもな、セイバー。俺としては探すより先に隠して欲しいぞ……





きんのけもの
「金色の魔王」  −Rubyaselitta− 第八話 後編
Lucifer





あれから小一時間ほど車を走らせ、俺たちはルヴィア嬢が借り受けた山荘に到着した。
山荘といっても日本で言えば立派な御屋敷クラス。電気も自家発電、ガスもしっかりタンクで貯蔵してある、かなり近代的な建物だ。流石はルヴィアさん。流石はお金持ちと言ったところだ。

「名前?」

「はい、やはり名前を決めておかないと……」

で、取るものも取敢えず、傷の手当てやら何やらを早急に片付け、ようやくひと段落着いたところで、セイバーが唐突に猫の名前を決めようと言い出した。

「そうですわね、何時までも仔猫仔猫と言っているわけにもいきませんし……」

成程と頷くルヴィア嬢。それに仔猫といっても大山猫の仔だ、わりと偉そうだし、仔猫というには些か語弊もある。

「言い出したってことは何か腹案でもあるの?」

「ええとですね……オーウェンというのはいかがでしょうか?」

遠坂の問いに、ちょっとばかり視線を逸らせて応えるセイバー。オーウェンか、悪くないと思うけど、ん?

「……こだわるわね、セイバー」

「……彼の引き連れていたのは黒獅子ではなかったかしら?」

何故か遠坂とルヴィア嬢は、セイバーに胡散臭そうな視線を向けている。

――Cow……

あ、ランスまで眼を眇めるようなセイバーを見ている。はて

――主よ、大昔のことであるが、

小首をかしげていると、ランスが苦笑交じりに説明を始めてくれた。

――王は、獅子の仔を預かった事があったのだ。
――オーウェン卿という騎士の従者であった獅子の仔でな。

凄いな、ライオンを従者にした騎士が居たのか。オーウェンって、そこからなのか?

――噛むは引掻くわ暴れるわ、大変な仔であったのだが、それを王が躾けられたのだ。
――ただ、その術というのが野生そのままでな、
――王は、実力を以ってどちらが上かという序列を叩き込まれたのだ。


「ラ、ランス!」

――いやいや、あの時はどちらが獅子の仔かと思うほどの暴れっぷりであった。

しみじみと語るランス。成程、実にセイバーらしい、凄く良く分かる。
俺は必死で話に割って入ろうとするセイバーを避けながら、ランスからじっくりと話を聞いた。セイバー、いくらライオンだからって、子供相手にエクスカリバー抜くのはちょっと大人気ないと思うぞ。

「ま、それは良いとして。飼い主の意見は?」

「……何時の間にわたくしが飼い主に?」

真っ赤になってランスを追いかけるセイバーを余所に、こちらは猫にミルクを与えている遠坂とルヴィア嬢。どうやらこいつの所属はルヴィア嬢に決まったようだ。

「悪くはありませんわね。幸い雄ですし。オーウェンと呼ぶことにいたしましょう」

「良かったわね、セイバー。決まったわよ」

「良くありません! ランス! どうして私が獅子の仔と餌を取り合わねばならないのですか!」

キャメロット主従は今日も元気なようだ。
ともかく、こうしてこの仔猫の名前はオーウェンに決まった。




まあ、その後お風呂騒動とかもあったのだが。それも夕食を終える頃には漸く落ち着き、俺たちはダイニングに地図やら資料やらを運び込んで、あの化物の情報を検討する事になった……

「待ちなさい、オーウェン!」

……のだが、まだ落ち着ききっていなかったようだ。いきなりセイバーの怒声が飛んできた。

「なんだ? ……どわぁ!?」

何事かと振り返った俺に向かって、いきなり扉から金色の風が飛び込んできた。そのまま脱兎の如く、資料を抱えた俺の股の間を通り抜けて行く。やばっ、右手が……バランスが……

「こちらですか! シ、シロウ!?」

バランスを崩した俺は、体勢を立て直す間もなく飛び込んできたセイバーと鉢合わせてしまった。セイバーは急停止できても、右腕が痺れている俺は崩れたバランスを立て直せない。

「どわぁ!」
「きゃ!?」

珍しくも可愛らしい悲鳴と共に、俺はセイバーと縺れ合って倒れこんでしまった。

「な、何があったんだ?」

「その……オーウェンが、地図を奪って駆け出して行ったのです。それよりシロウ。立てますか?」

「お、おう……」

俺は、完全にセイバーに覆いかぶさる形で押し倒してしまっていた。風呂上りの甘い香りが……って何やってんだ俺は? 
とにかく立ち上がろうとした俺達の真横を、再び全速力でオーウェンが駆け抜けていく。

「シロウ!」

「おう!」

一瞬呆気に取られたが、俺は慌てて立ち上が……

――王よ、こちらに……どわっ!

……れなかった、今度はランスと鉢合わせだ。そのまま後から飛んできたランスに後頭をどつかれて、再びセイバーに覆いかぶさってしまう。

「シロウ、その……困ります……」

「いや、俺も困ってる……」

流石に二度も続けては恥ずかしい、抱き抱えるように押し倒したまま、御互い赤い顔で見詰め合ってしまった。

「……なにやってんのよ」

そんな俺達に呆れたような声が掛かる。恐る恐る見上げてみると、いつの間にか戸口に現れた遠坂さんが、怖い目をして俺たちを見下ろされていた。

「あ、あの、凛。これは事故で……」

「な、なんでもないぞ、オーウェンがな……」

「なに慌ててるのよ。最初から見てたわよ。二人とも早く立ちなさい」

慌てふためく俺達に、遠坂は冷たい視線のまま屈み込み、俺がばら撒いた資材を拾い集めだす。
そこへだ、三度オーウェンが駆け込んできた。

「へ? きゃ!?」

そのまま屈んだ遠坂の頭に飛び乗り、そこを足場に更にダイニングテーブルに乗り移る。

「うわっ、遠坂!」
「り、凛!」

おかげ様で漸く立ち上がりかけた俺たちに、遠坂が頭から突っ込む形で縺れ合う事になってしまった。

「し、士郎! ちょっと、変なとこ触らない!」

「り、凛! 私達は女同士です!」

「ちょっと待て! 落ち着けお前ら!」

これはゴルディアスの結び目かって位に三人揃って絡み合い、もう分けが分からない。

「オーウェン……」

と、そこに今度はルヴィア嬢が現れた。

「……自分が何をしたか分かってらっしゃる?」

冷ややかに、静かと言って良いほどの声音ながら、ぐつぐつと湧き上るようにオーラを振りまき、一歩一歩ゆっくりとオーウェンに近づいていく。

「うわぁ……」

思わず呻き声が漏れてしまう。
多分、食後のお茶を楽しまれていたのだろう、肩に乗っているのはミルクポットの破片かな? 金髪の合間にきらきら輝いているのは多分砂糖の粒だろう。白磁のような御尊顔は白いミルクにしっぽりと濡れ、顎からはぽたりぽたりと雫が落ちてたりする。
オーウェン、お前とんでもない事しでかしたな……

――Spit!

それに対してちっちゃい金の獣は丸めた地図を咥えたまま、毛を逆立てて対峙する。尤も、じりじり下がっているところから見て気圧されてはいるのだろう。

「ここへ……来なさい」

断固とした命令口調。冷ややかに睨みつけながらルヴィア嬢は、オーウェンに向かって片手を差し伸ばした。

――m……meuuun……

じりじりと下がっていたオーウェンの動きがぴたりと止まる。何か猫の癖に顔に冷や汗が浮かぶのが見えるようだ。少しずつ身体を縮こめながら、今度はしぶしぶと前に歩みだした。

「お渡しなさい」

オーウェンが目の前まで進んだ時、ルヴィア嬢が再び命じた。一度ルヴィア嬢を伺うように見上げたオーウェンだが、ついに観念したように咥えた地図をルヴィア嬢の差し出した手の中に落とした。

――Miow!

次の瞬間、小気味いい音がダイニングに響き渡った。丸めた地図でオーウェンを一発はたき倒すと、ルヴィア嬢はそのまま電光石火に襟首を掴み、俺達の目の前にオーウェン鼻面を擦りつけた。

「皆さんに謝りなさい! まったく、お遊びにも程がありますのよ!」

――Meuw……

二匹の黄金の獣きんのけものの対決は、こうしてルヴィア嬢の勝利で幕を閉じた。
大変な騒動ではあったが、終ってしまえばなんだかルヴィア嬢がお母さんみたいで、何とも微笑ましいものだった。




度重なる大騒動も、今度こそ本当にひと段落ついた。俺たちはもう一度風呂に入って汗を流し、漸く作戦会議を始める事ができるようになった。皆、既に一回戦闘でも終えたような顔だ。ただこの大騒動の元凶だけは、今は遊び疲れたのかルヴィア嬢の膝の上で気持ちよさそうに寝息を立てている。

「ルヴィアはどう思う?」

「キメラですわね、金属の棘が生えた生物? あんな生き物は存在しませんわ」

広げられた資料を前に、遠坂が改めて聞くと、ルヴィア嬢はセイバーが切り取った化物の棘を手に渋い顔をして応えた。

「士郎は何か分からない?」

ルヴィア嬢の手から棘を受け取り暫く眺めていた遠坂は、やはり難しい顔で俺に棘を手渡してくれた。

「おっと……」

「なにやってんのよ……」

「すまん。まだちょっと痺れてるんだ」

棘は、遠坂の手から俺の右手を素通りして床に落ちてしまった。
まずったな左腕で受けとりゃ良かった。心配そうに見詰めてくる遠坂たちに軽く手を振って安心させ、俺は棘を拾いなおして解析をしてみた。

「……俺じゃ良く分からないな。少なくとも造ったもんじゃない」

じっと見詰められる中での解析ってのは結構緊張するものだ、特に分からなかったとあっては尚更。何か年輪のような層になっている所まではわかるが、人の手が入ったものではなさそうだ。

「多分、本当に生えてたんだと思うぞ。魔獣とか幻想種とかとじゃないのか?」

「それは無いわね」

俺が返した棘を受け取り、遠坂は首を横に振った。

「これチタン合金よ? こんなもの二十世紀の終わりで無きゃ手に入らないわ。そんな新しい魔獣や幻想種なんか居ない」

「じゃあ、あいつはジェヴォーダンの獣ってわけでもなくて……」

「ええ、あれは史上の怪物とは関係なく、ごく最近造られた魔道生物だと考えるべきですわ」

「ってことは、誰かそいつをここに持ち込んだ奴が居るってことじゃないか!」

俺はあの化物との戦いを思い返した。セイバーと対等に渡り合う力、遠坂やルヴィア嬢の魔術を巧妙に避ける賢さ、そして何よりこちらを見透かすような手を次々と打ってきた、残忍な狡猾さ。とんでもない怪物だった。
何の為か知らないが、そんな生き物を無差別に解き放つなんて……

「ミーナの調べ待ちだけど、造ったのは恐らくアトラスね」

「ですわね、科学と魔道を組み合わせた兵器体系はアトラスのお家芸。そこまではまず間違いない所ですわ」

「来歴なんか問題じゃないだろ? とにかくそいつを抑えないと」

俺は化物自体の解析という、専門家の迷路に潜り込もうとしだした二人を慌てて引きもどした。あんなとんでもない化物を何時までも野放しにはしておけない。今話し合うべきことは、そういった細目では無くどう行動するかのはずだ。

「士郎、慌てない。何の準備もなしに動くわけにいかないでしょ?」

「しかし、シロウの方法論は正しいのでは無いでしょう。あの獣を直接相手にするよりも、マスターたる魔術師を見つけ出して倒すべきでしょう」

「あれだけのキメラを連れているんですもの、当然それなりの工房を用意していると見るべきですわね」

「つまりはあの化物を直接追い掛けたりするよりも、そこを探し出したほうが早いってことね」

文句も言われたが、セイバーも味方してくれたおかげで、何とか軌道修正が出来たようだ。
あの化物をこの土地に連れてきた奴を見つけ出す。聖杯戦争の時と同じだ、強力な使い魔よりもその元を断つことで勝負を決める。結局、最後にはあの化物を相手にしなければならないことになっても、この段取りならあいつの弱点を探りだせる可能性も高い。

「士郎、ランスの通訳お願い。あいつが何処に消えたかを確かめるから」

「よし来た、ランス。教えてくれ」

となれば、今日のうちに片付けておかなければならないことも決まってくる。明日探索に行くべき場所の目星をつけるのだ。
俺たちは、倫敦で受け取った情報をびっしり書き込んだ地図を広げ、そこに化物が山猫と戦っていた場所、そして、ランスから聞き取った奴の逃亡方向と、見失った地点を書き込んでいった。

「こんなとこかな……」

俺は皆の意見を纏めながら、奴の巣、奴を連れてきた魔術師が潜伏していそうな場所の当たりをつけ、地図に書き込んだ。
山に囲まれた半径五キロほどの円。今のところこのくらいまでしか絞り込むことは出来ない。

「……これは、幸運というべきなのでしょうか?」

「確かに現場に一番近い山荘を選びましたけど……」

「きっちりここも範囲内に収まってるわね」

驚いたことに、今俺たちが居るこの山荘は、その範囲の中心から二キロほどの地点にあった。道が山一つ迂回しているせいで一時間ほど掛かったが、あの戦闘現場からも直線距離ではそう遠くない。

「眠る前にここの結界の確認と、警戒陣の設置をしなくてはなりませんわね」

「このままじゃ、おちおち寝ても居られないし。試材の解析は明日回しね」

遠坂とルヴィア嬢が、少しばかり顔色を変えて小さく溜息をついた。下手をすると目と鼻の先にあの化物が潜んでいるかもしれないという現状に、今になって気が付いたというわけだ。何も無かったとはいえ、流石にぞっとしない。

「では、今晩は私とランスが見張りに立ちましょう。皆さんはゆっくりと休んで体力の回復に勤めていただきたい」

セイバーがそんな俺達の様子を見取り、ランスと顔を合わせて頷いた。

「って、セイバーは大丈夫なのか?」

戦いとなればセイバーが一番体力を使う、それにセイバーは寝るのがとても好きな娘なんだし……

「シロウ、忘れてもらっては困る。私やランスは本来で眠る必要は無いのです」

「……あ」

諭すように微笑みながらセイバーが応えてくれた。シロウと凛の魔力さえしっかりしていてくれればそれで十分なのですから、ちゃんと寝てください、と更に念を押してくる。
そうだった、セイバーやランスの活力源はあくまで俺や遠坂から供給される魔力。食べたり寝たりはおまけみたいなもの。そうと割り切れば、セイバーの言い分は尤もだ。だが……

「それじゃあ、用意が終ったらわたし達はさっさと寝るから、後はよろしくね」

そんなセイバーの勧めに、遠坂もルヴィア嬢と顔を見合わせて頷く。二人ともきちんと割り切っているようだ。だが……

「士郎」

「なにさ?」

「そんな顔しない。セイバーの為にもちゃんと休まなきゃ駄目だからね」

「ああ、分かってる」

分かっている。ちゃんと理解している。きちんと割り切ってはいる。
だが、そんな割り切り方をしている自分が、どうにも腹立たしいだけなのだ。




「お、おはようセイバー」

「おはようございます、シロウ」

そんなわけで朝の挨拶は少しばかり気まずかった。朝食まで用意してくれていたとあっては尚更だ。

「おはよう、悪いわねセイバー……」

「おはようセイバー。なかなか美味しいですわ。ドレッシングは手作りですのね」

「おはようございます。大したものではありませんが、昨晩は事も無く、些か手持ち無沙汰でしたので」

遠坂やルヴィアの挨拶を受け、少しばかり自慢げなセイバー。テーブルに並べられているのは、カリカリのベーコンと目玉焼き、それにサラダとトースト。最近のセイバーはこの程度の料理なら楽にこなせるようになってきた。

「セイバー、その眠くないか?」

見た目はすっきりしたものだ。普通の人間のように目が腫れぼったいとか、肌の艶が悪いとかそんな様子は見て取れない。だが、なんとなく気になる。

「凛がきちんと寝ていてくれるならば、私には影響はありません、それに」

こちらも起き出してきたオーウェンに餌をやりながら、セイバーは少しばかり悪戯っぽい笑みを浮かべた。ソーセージにラムチャップか、さすが肉食獣。

「不寝番というのは役得もあるのです。シロウや凛、それにルヴィアゼリッタの寝顔はとても可愛らしかった」

「セ、セイバー!」

三人揃っていきなり紅茶を吹いてしまった。

「なにか問題でも? 不寝番である以上、異常が無いか確認するのは当然です」

セイバーさんは平然とした顔で紅茶を喫されている。くそ、そう言われたら文句なんか言えないじゃないか。




「まずこの山荘を中心に周囲の探索ね」

朝食を終え、俺たちは雨上がりの山に繰り出した。想定される範囲は広い。明るいうちに出来るだけそれを狭めておきたいところだ。

「近くにある山荘や建物は、一応ピックアップして置きましたわ。それ以外にも何かあるかもしれませんから、其方はランスに空からお願いできまして?」

ルヴィア嬢がビニールフォルダーに入れた地図を取り出すと、俺たちは円陣を組むように頭を寄せて覗き込んだ。

「分かった、ランス、地図は頭に入ってるか?」

――了解した。昼ならば遅れを取りはしない

間髪いれず頷くと、ランスは朝靄のまだ残っている山間に消えていく。
それから午前中一杯、俺たちはまず山荘の周囲を虱潰しにしていった。
いくつかあの化物の痕跡らしいを見つけはしたが、残念というか幸いというか、山荘の周囲に怪しい施設は見つからなかった。

「午後は如何する? ランスが見つけてきた廃屋ってのが気になるけど」

――ふむ、気配は無かったのだが、どうにも気にかかる砦でな。

昼飯を広げながら、俺は一同を見渡し、ランスの言葉を伝えた。山間の疎林に隠れるように建っていた古い石造りの屋敷跡。ランスが上空から見つけた廃屋は、手持ちの地図には記されていなかった。

「ちょっと地図で確認しましょ、ええと……あれ?」

「如何したんだ?」

ランスの指定した位置を確認しようと地図を広げた遠坂が眉を顰めた。

「なにか汚れてるのよ、足形?」

「オーウェンですわね、夕べ地図で遊んだ時に汚してしまったんでしょう」

むぅ――っと睨む遠坂に、ルヴィア嬢は困った子ねと、オーウェンをなでながら応える。オーウェンはといえば、ごろごろと喉を鳴らし、ちっとも応えていないようだ。

「結局連れてきちゃって……ちゃんと世話しなさいよ」

「分かっていますわ。置いて来るわけにもいきませんでしょ?」

「私も手伝いますので」

遠坂さんは膨れっ面だが一対二では致し方ない。俺を睨むんじゃないぞ、俺は中立だからな。

「それじゃ、午後はまずそこに行ってみよう」

「そうね、それが一段落着いた頃には、ミーナからの連絡も入るだろうし」

ちょっと脇道に逸れはしたが話は纏まった。俺たちはその廃屋に向かうことにした。




「成程、確かに砦ね」

「赤い十字マルタクロス、テンプル騎士団ですわね。魔術師が根城を構えるには嵌りすぎですわ」

ランスが“砦”と称した廃屋は、石造りの崩れた城壁に囲まれた小さな城だった。
テンプル騎士団。魔術によって堕落し自壊したと伝えられる宗教騎士団の城。確かフランスでは異端者として処刑されたはずだ。実際に協会の資料などからも、魔術にかなり造詣の深い組織だったらしいが、本当の真相は藪の中だ。

「あの獣の気配はありませんね……」

厳しい表情で周囲を伺うセイバーが確認するように呟いた。

「それじゃあ、調べましょ。わたし達は魔力的な痕跡を探るから、士郎は構造の方をお願い」

俺たちは遠坂の合図で、砦の探索を始めた。城壁から城館を回り、塔を一つずつ確認していく。尤も、本当に廃墟でもあるのだろう、大したものは見つからなかった。塔のいくつかには、牛や羊の骨の山があったもののかなり古く、しかも地層のように積み重なっている。多分、肉食動物かなにかの巣であったのだろう。

「ルヴィア、そっちは?」

「いいえ、妙な気配はあるんですけれど……」

遠坂もルヴィア嬢も、怪しい気配はつかめても具体的に此処という確証はつかめないで居た。既に日は傾きかけ、徐々に天候も悪化していく。この分だと今夜はまた雨だろう。

「今日はここまでかしらね」

「そうですわね、夜に山であの獣と遭遇したくありませんし……」

何か引っかかるものが多い場所だが、日が暮れる前に山荘にたどり着くには、そろそろ引き揚げねばなら無い。一旦山荘に戻ろうかと皆で顔を合わせた時だ。

「ルヴィアゼリッタ、その……オーウェンを連れていないようですが?」

「あら? セイバーと一緒ではなかったの?」

オーウェンの奴が消えていた。

――先ほど中庭で遊んでいたようだが……

心配そうな顔のセイバーとルヴィア嬢に、ランスが一声鳴いて応えた。どうやらランスが見かけたのが最後らしい。

「仕方ないな。俺が探しに行ってくる。中庭だな?」

置いて行くわけにもいかない。俺は城館の中庭へ向かった。

「何処いったんだ? ……あれ?」

オーウェンを探しているうちに、俺は妙な物に気がついた。城館の崩れた壁の下に、妙な隙間を見つけたのだ。どうやら奥へと続いているらしい。顔を突っ込んで見ると、奥のほうでオーウェンの鳴き声が聞こえた。

「おーい、ちょっと来てくれないか?」

俺は皆を呼んで、もう一度その隙間を確認した。中を回っている時には、床下の部分になり盲点となっていた位置だ。回りを探ってみると、どうやら隠し扉らしい切れ込みも見つけた。

「ルヴィア、どう思う?」

「魔力の残滓を感じますわね、呪式錠ですわ」

「開けられないか?」

「ちょっと待って。試してみる」

どうやら完全な呪式鍵らしい。となると俺よりも遠坂やルヴィア嬢の出番だ。

「――――
Aufdecken Sesam開  錠

遠坂が、暫く調べてから開錠の呪をつむいだ。
開いた扉の向こうは、この古城には妙に場違いな打ちっ放しのコンクリート製の階段が続いていた。

「それでは私が先導します。宜しいですね?」

「おう、俺が殿しんがりをする。ランス、お前はここで待機しててくれ。

――心得た。

俺たちはセイバーを先頭に、慎重に地下に向かった。

「味気ないわりに不気味ですわね」

「なんか調子狂うわね……」

ルヴィア嬢と遠坂がどこか不機嫌に愚痴る。まあ、気持ちは分かる。階段の先はかなり広い地下室なのだが、味気ないぺらぺらの新建材で細かく区切られているのだ。そのくせに、その中に置かれている標本や機材は、古ぼけた魔術道具にせよ、最新の電子機器にせよ、おどろおどろしいゴチック調でグロテスクな品物ばかりだ。
しかも、部屋は廊下のない連続で、まるで迷路だ。

「アトラス系ね、ここの造作は」

「ですわね、”科学と神秘の融合”他の学派にしては機材や構成が特殊すぎますわ」

確かに倫敦の魔術師や錬金術師達とは毛色が違うようだ。同じ科学系でも実用本位のシュトラウスともどこか違う。

「ですが……ここは長らく使われていた形跡がありません」

埃の積もった、これまた合板の床を踏みしめながら、セイバーが訝しげに呟いた。

「そうね、年とは言わないけど、月単位で無人だったみたい」

「気に入りませんわ。獣の事件はここ数ヶ月ですのよ?」

「じゃここは関係なしか?」

「そうとも思えないのよ、回り見てごらんなさい。ここってどう見てもキメラの研究施設よ」

遠坂とルヴィア嬢は文字通り頭を抱えている。これだけの施設とあのキメラが関係ないとは思えない。だが、ここはあの化物が出現した時にはもう稼動していなかったようなのだ。

「それはそうと、オーウェンは何処に居るのでしょう?」

そんな俺達の様子を、難しい顔で見ていたセイバーが、ふと思い出したように呟いた。さっきから途切れ途切れに鳴き声は聞こえているのだが、部屋の続き具合の関係で、どうにもそちらに進めないのだ。

「いっそ壁を壊して進んでみましょうか……」

わりとセイバーさんは直情的だ。冗談のつもりなんだろうが目が真剣だ。

「それも良いけど。士郎、何とかならない?」

「そうだな、ちょっと待ってくれ」

遠坂もルヴィア嬢も思考の袋小路を、物理的に打開して憂さを晴らしたいって顔をしてる。本当にこいつらはアグレッシブって言うか、乱暴だなぁ。
俺は苦笑しながら、今まで通ってきた道のりを頭の中で設計図に再構成する。ええと……ああ、そうか。

「セイバー、この壁を壊してくれ」

「は? 良いのですか?」

「おう、ちょうどここから壁二枚ぶち抜いた向こうに大きな部屋がある。どうもそこにオーウェンは居るらしい、道を見つけるのも面倒だし、やっちまえ」

吃驚顔のセイバーに俺は大きく頷いた。

「分かりました。宜しいですね?」

「構うことはないわよ」

「ええ、オーウェンの事も心配ですし」

遠坂とルヴィア嬢も否は無いという。セイバーは徐に剣を振りかぶった。




セイバーの剣で壁を二枚ぶち破った先は、学校の教室を二つほど繋げた位の工房だった。人が入れるほどのガラス管が壁際に立ち並び、近代的なスチールのデスクやPCと、グロテスクな機材が妙に調和して置かれている。

「なに、これ?」

「酷い匂いですわ……」

が、ここも無人。否、無人になったというべきだろう。
この部屋の中央、無残に破られたゲージの周囲、もはや白骨化するほど腐り果てた数体の死体。不思議なことにどれも頭蓋骨だけはなかった。

「なんとなく分かってきましたわね」

「あの化物、主を殺して逃げ出したってわけね」

つまりここで造られ調整されたあの化物は、数ヶ月前に檻を破り自分を造った魔術師たちを葬って、逃げ出したということなのだろう。

――Meou……

ともかく、ここが原因らしいとあたりをつけ、俺たちが調査の為に機材やら書類やらを漁ってた時だ。壁際に設えられていたひときわ大きなガラス管の根元から、どこか哀しげに鳴きながら金色の獣が飛び出してきた。

「オーウェン、ここに居たんですのね」

ルヴィア嬢は、足元まで駆け寄ってきて、もう一度小さく鳴いたオーウェンを胸に抱き上げた。
セイバー、羨ましいのは分かるが諦めろ、どうやらあいつはルヴィアさんに懐いたらしいぞ。

「ちょっと、ルヴィア。これ見てみなさいよ」

「なんですの?……これは……」

そんなセイバーとルヴィア嬢を余所に、オーウェンの現れたガラス管を見上げていた遠坂が、息を呑んだようなにルヴィア嬢に声をかける。何事かとそちらに向かったルヴィア嬢も絶句している。なんなんだ?

「うわぁ……」

見上げて俺も絶句した。巨大なガラス管、その中にあるのは子牛ほどもある生き物の標本だった。
腹を割かれ、内蔵を剥き出しにされた金色の獣、棘の様な鬣と、恐ろしい爪、鋭い牙、鋼のような筋肉。これって……

「ジェヴォーダンの獣……ですわね」

「うん、本物が居たのね……」

「……どことなく、あの化物に似ていますけれど……」

「品格が段違だな……」

俺たち三人は、惚れ惚れと見とれてしまった。確かに、あの化物に似ている。しかし、この黄金の獣からは、はるかに神秘と幻想を感じる。こいつは本物の魔獣だ。

「あれ?」

呆然と見惚れていた俺達だったが、ふと遠坂が不審そうに眉を顰めた。

「如何したんだ?」

「この標本、脳がないわ、他の臓器は全部揃ってるのに」

「あの化物の構成に使われたと見るべきではなくて?」

「そうね、それならあいつがこの獣に似てる理由が納得できるわ」

遠坂とルヴィア嬢が憮然とした表情でいつもの議論を始めた。ただ、どこか不機嫌だ。
その理由は俺にも察しは付く。これだけの本物を元に、あんな下卑た生き物を作るなんて……

「まあ、良いわ。資料集めを続けましょう。それとミーナからの報告を付き合わせれば見えてくるはず」

「そうですわね……でも遅いですわね。もうとうに連絡が入っても良い頃なんですけど」

さてとばかりに腕まくりする遠坂に、ルヴィア嬢が訝しげに問いかける。そういえば昼には連絡が入るはずじゃなかったっけ?

「ちゃんと電話は持ってきてるわよ。でも全然鳴ってないし」

遠坂は文句は向こうに言ってとばかりに衛星電話を取り出した。これなら何処に居ても電話は通じるんだが……

「……」
「……」
「凛……電源が入っていませんが?」

王さまは裸だ。さすが王様、セイバーは誰も言い出だせない事を口にしてくれた。

「し、仕方ないじゃないの! こんなの初めて持ったんだから!!」

裸の王さまは逆切れなさる。真っ赤になって怒鳴りながら、あちこち弄って、漸く電話の電源を入れられた。

――Rrrrrrrrr

と、同時に着信音。俺は慌てる遠坂から電話を受け取り、応答ボタンを押した。

「はい、衛宮です」

「士郎くんですか!? どうしたんです? 半日も呼び出してたんですよ、全然でないから……心配しちゃったじゃないですか!」

すまんミーナさん。みんな遠坂が悪いんだ。わたし悪くないもんって顔してるけど。

「すまない、手違いだ。こっちはみんな無事。いま遠坂に変わる」

俺は絶対お前が悪い、と目線だけで言ってから遠坂に電話を渡した。

「ごめんミーナ。こっちはいまアトラス系の実験設備を見つけたとこ、そっちは何か分かった?」

「はい、十年ほど前に失踪したキメラの専門家が居ました。かなり変わったキメラ造りなんですけど……」

今までじれていたのを晴らすわけでもないだろうが、ミーナさんは息せき切って話し始めた。

「“盗人スティーラー”?」

「はい、素体はさほどの性能じゃないんですけど、別固体の遺伝情報を咀嚼する事で力と技をコピーして進化して行くタイプらしいんです」

「成程、ですから脳が無いのですわね……」

「ええ、記録では脳がベストらしいですね」

血とか髪の毛とか、そういった遺伝情報を組み込まれた感染標本でも良いそうだが、脳からならほぼ全能力を“盗み”出せると言う。

「ちょっと待ってミーナ。もしかして……それって人間の脳も咀嚼できちゃわない?」

「出来ちゃいます」

ミーナさんはさらっと応えてくれる。なんでも、同僚の錬金術師の脳を実験体に食わせたことが、この術者が失踪した理由らしい。

「ってことはなに? もし魔術師の脳を食べたら……」

「魔術師の力と技を手に入れるでしょうね、遺伝情報から再構成しちゃうそうですから」

俺たちは顔を見合わせた。あいつは数人分の魔術師の脳を喰らっている。つまり、あいつ自身が既に一種の“魔術師”
俺はあの狡猾な瞳を思い出した。そうか、あの胸糞の悪くなる知性はそこから手に入れたのか……

「それとですね、もう一つ面白い情報もあるんですよ、ジェヴォ……ッ ――――」

「ちょっと! ミーナ如何したの?」

いきなり電話が切れた。おいおい、衛星電話だぞ。こんないきなりの切れ方って……っ!?

「結界ですわ! セイバー!」

「はい!」

ルヴィア嬢の声に応え、即座にセイバーが全周警戒に入る。遠坂も舌打ちすると電話を仕舞い身構える。

――主……聞こ……か……

俺も慌てて周囲の警戒に入った。とそこへ、ラインを伝ってランスの声が途切れ途切れで伝わってくる。結界の影響だろう、なんとかラインは繋がってはいるものの、えらく遠いぞ。

――扉が……閉……れた……如何とも……

「ここの入口が閉じられたらしい」

俺は皆にランスが何とか送ってきた情報を伝えた。

「ということは……」

俺たちは奴の罠に……

「居ます、――そこ!」

―― 轟!――

一瞬、セイバーのほうが早かった。薄い壁を突き破って突進してきた化物を、セイバーの刃が受け流す。

「――ちっ!」

が、返す刃が届かない。獣は即座に反対側の壁をぶち破り、小部屋のジャングルに姿を隠してしまった。

「くっ……気配が辿れないじゃないの!」

「結界に隠形術、まったくの魔術師ですわ、あの化物」

遠坂とルヴィア嬢の歯軋りがこだまする。魔獣の力を持った魔術師。魔術師の技を持った魔獣。どちらにせよ、とんでもない化物だって事だ。

「――投影開始トレースオン!」

ともかく戦闘態勢をとらなきゃならない。俺は素早く、干将・莫耶を両手に投影した。

「え?」

が、俺の手にあるのは左手の莫耶だけ、右手の干将は掴まれる事無く地に落ちる。あれ? 右手が……

「士郎、もしかしてあんた右手……」

慌てて駆け寄ってきた遠坂が、俺の右手を掴む。あれ? ちょっと……

「どうもおかしいおかしいと思ってたら……いつから!?」

怒鳴りつけんばかりの遠坂の叫び、掴まれた右手はだらりと垂れ下がり、触覚どころかまったく感覚がない。完全に死に体だ。

「いや、その……昨日から。でも、さっきまでは動いてたんだぞ、感覚はなかったけど……」

「この馬鹿! そういうことは早く言いなさい! ……なんか前にもあったわよね、こういう事」

「喧嘩は後になさい! 円陣を組みますわよ!」

「お、おう!」

がなり合う俺達に向かって、オーウェンを小脇に抱えたまま、ルヴィア嬢の檄を飛んで来た。拙い拙い、今はそんな事をしている場合じゃない。俺たちは大急ぎで背中を合わせて固まった。視界が遮られて居る以上、今は円陣を組んで全周に対応するしかない。

「……動き出しました」

不気味な唸りと共に、今まで途切れていた気配が生じだした。続けざまにこの部屋の周りを壁の破壊する破砕音が連続する。周囲を回りながら小部屋の壁をぶち抜いているのだ。
その音に対し、セイバーは自分が正対出来る様に円陣を回す。妙だな、こいつ確か気配を消せるはずなんだが……
と、俺の背筋に悪寒が走った。直後、とんでもないものが頭に直接響いてきた。

――Zrouuuトレース・オン

「――っ! 散れ!」

間一髪。
頭上にいきなり現れた数本の剣。俺達が慌てて跳び退るのと、その剣がそれまで俺達の居た場所に叩きつけられるのはほぼ一緒だった。

「シロウ! 今のは!?」

「くそ!」

くそっ、くそっ、くそっ! “盗まれた”!
俺は転がりながら自分の中に意識を沈み込ます。やっぱりだ。真っ赤な大地の何割か真黒な壁にすっぱりと断ち切られている。くそっ! あの化物、俺の血から盗みやがったな!
笑い声が聞こえた。蔑むような、嘲るような、下卑た笑い。

――Fwahahahahaha!

嘲り高笑いしながら、化物は再び壁の破口から突っ込んでくる。ばらばらになった俺達の隙をつき、一人一人嬲りものにする気だ。

「凛!」

だが甘い。こちらには英霊が居る。またも一瞬早くセイバーが遠坂の前に……拙い!

「――え?」
―― 透 ――

幻影だ、笑いながら飛び込んできたのはこの為か。

――Zraw!!

ほぼ同時の別の壁から化物が飛び出してくる。くそ、そっちにはルヴィアさんが!

――Caterwaul!

だが、化物が飛び掛る直前、ルヴィア嬢の腕に中のオーウェンが、身を捩りルヴィア嬢の胸を蹴りつけ宙に舞う。これでルヴィア嬢は尻餅をつく形で化物の突進から身を躱せる。ナイスだオーウェン。

――Xhit!

が、代わりにオーウェンがやられた。化物は、小さな獣が小癪とばかりに首を振りオーウェンを壁に向かって弾き飛ばし、再び反対の壁の向こうへ消えていく。

「オーウェン!」

オーウェンはそのまま壁際に並ぶガラス管にたたきつけられた。拙いことにそこにあったのは、一番でかいあの獣の標本。小さな悲鳴と共にガラス管は砕け、地に落ちたオーウェンの上にあの獣の死体が押しつぶすように崩折れていく。

「オーウェン……」

「ルヴィア! ぼさっとしない――」

ガラス管から解き放たれた途端、異臭を放って腐りだした獣の屍。尻餅をついて呆けたようにそれを見詰めているルヴィア嬢に、遠坂が檄を飛ばす。と、遠坂は猛然と壁に向かって火炎弾を叩きつけ始めた……って遠坂お前何を!?

「リン、貴女一体……」

「見えなきゃ見えるようにするだけ! 根こそぎ壁をぶち抜くわよ! あんたも手伝いなさい!」

「! 分かりましたわ! ――――」

そうか、その手があったか。では俺は…… “盗人スティーラー”なんかに負ける気は無い。

「セイバー、剣の投影は俺が何とかする! あいつが突っ込んでくるのだけ防いでくれ!」

「はい! シロウ」

盗まれた技は元々俺のものだ、未だ何がしかの繋がりが残っているようで、奴の投影は頭で直接感じ取れる。だとしたらそれに対抗することは不可能じゃない。そら来た!

「――投影開始トレースオン!」
 ―― 琴! ――

遠坂の、ルヴィア嬢の頭上に浮かんだ剣を、俺は同じ剣の投影で弾き飛ばす。いける、俺のほうが一瞬だけ早い。

「これでどうっ!」

鼻息荒い遠坂の雄叫び。周囲の壁は全て消し飛んだ。朦々たる爆煙のなか。それでは正々堂々行こうかと、真正面から化物の影が浮かび上がってくる。

「……」

その化物にセイバーが俺達を守るように立ちふさがる。一対一になれば、例えどんな化物であっても後れを取るセイバーじゃない。
一歩前に出る化物。が、セイバーは動かない。もし動けばこの狡猾な化物が、どんな悪辣な手を打つか分からないからだ。更に化物は、見せ付けるように前足を大きく振り上げ一歩踏み出そうと……

違う。何かが違う。正々堂々? こいつはそんな生き物じゃない。第一あの笑みは何だ? 蔑むような、嘲うような、哂い……
化物は振り上げた足を地に付ける……
! こいつ投影する気だ、何処に!? 上? 違う。左右? そっちでもない!

 ――Zrouuuトレース・オン
「――! 飛びのけ!」

くそっくそっくそっ! まただ、また一歩遅れた。分かって良いはずだ。この手を先に使ったのは俺じゃないか。だってのに、だってのに気づくのが遅れた……

「士郎!」
「シェロ!」
「シロウ!」

幸い三人は飛び退けた。だが俺は一瞬遅れてしまった。血の吹き出す腿を抑えつつ、俺の視線は先ほどまで俺達が居た場所を睨み据える。そこには地面から生えた四本の剣。
あいつは、俺に弾かれないように床を通して下から剣を投影したのだ。

――Zraw!!

参った。獣は一番弱くて傷ついた獲物から先にしとめる。今ここで一番弱いのは右手が利かず足さえも傷ついた俺。拙いな、これじゃ投影も間に合わない。


その時だ、金色の風が俺の脇をすり抜けて行った。


――Gyauuuun!
――Zweee!

「え?」

俺だけじゃない。セイバーも遠坂も、ルヴィア嬢も目の前の光景を呆然と見据えている。

――Gatlow!
――Zroww!

金色の獣が、あの化物の喉笛に喰らい付いて捻り倒そうとしている。身体は一回り以上小さいが、それでも一歩も引けを取っていない。化物は背の棘を逆立て、爪を立て、尾の蛇を食いつかそうとするが、全ての動きが金色の獣の方が一歩だけ早い。

――Zap!!

それでも化物は、大きさに物を言わせ力技で引き剥がす。ゾクリと俺の背筋に何かが走った。

「避けろ!」
 ――Zrouuuトレース・オン

俺の声に応えてくれたか、金色の獣は飛び掛るのを一瞬遅らせ、化物の投影をギリギリで躱す。が、その隙を逃すほど化物は愚かではない。形勢不利と見て取った化物は、一直線に出口に向かって突っ走っていく。

――Gyauuu!

一瞬前まで化物が居た空間を鋭い爪が凪ぐ。逃したかと口惜しげに一声吠えると、金色の獣も即座に後を追う。

「セイバー! 行ってくれ。俺達も後から行く」

「……はい!」

今なら倒せる。今度は逃すわけには行かない。俺はセイバーを先に行かせた。

「士郎!」
「シェロ!」

漸く我に返った遠坂とルヴィア嬢が、慌てて俺に駆け寄ってきてくれる。助かる。何せまだ終っていない。

「すまん、遠坂、ルヴィアさん。手を貸してくれ、俺たちも急ごう」

「シェロ……その……あの獣は……」

「ああ、だけど話は後だ。ルヴィアさん」

あいつは空を飛べる。地下で片をつけられるなら良いが、外に出てしまえば逃げられてしまうかもしれない。その時は……俺がしとめる。




「拙いわね……」

「翼を広げていますわ」

残念ながら化物を地下でしとめることは出来なかったようだ。今にも泣き出そうな漆黒の夜空に下。化物は必死で金色の獣とセイバーの攻撃を避け、空に飛び立とうとしている。
思ったとおり“盗人スティーラー”はオリジナルから力と技は盗めても、それを完全に使いこなすことが出来ていない。ただ多種多様な対応で、その弱点をカバーしているだけだ。俺の投影より遅いことや、一回り以上小さいあの獣に対処し切れていないのがその証拠だ。

「――くっ!」
 ――Zaruuuhahahaha!
 ――Gyauu!

化物は木の幹を駆け上り、そのままの勢いで宙に跳び翼を広げた。
セイバーと舌打ちと金色の獣の口惜しげな叫びがこだまする。
哄笑しながら空を舞う化物に、俺は視線を向ける。一つだけ褒めても良いだろう。あの二人から良くぞ逃げ切った。だが……

「遠坂、ちょっと力を借りるぞ」

俺は肩をかしてくれている遠坂の耳元にそっと呟いた。
さあ、盗人。お前はついてこれるか?


俺は俺の固有結界を俺の中で・・・・開いた。


――I am the bone of my sword.体は  剣で  出来ている

ぎしぎしと俺の体の中で剣が跳ねようとする。出ようと打ち破ろうと刃を立てる。
だが、負けるわけには行かない。

――Steel is my body,and fire is my blood.血潮は鉄で    心は硝子

「くっ……つぅ!」

俺は俺の中のたった一本の本物の柄を掴み必死で耐える。耐えれるはずだ。俺の体が剣で出来ているなら。俺は俺の中の剣を必死で押さえ込み鞘に収める。

――I have created over a thousand blades.幾たびの  戦場を越えて  不敗

あいつは俺の魔術を盗んだ。俺の魔術を盗むということは、俺の固有結界、俺の内面世界、この無限の剣を盗むということ。

――Unaware of loss.ただ一度の敗走もなく

今、俺はそれを開いた。投影という出口も、固有結界という場所も用意せず、自分の中で開いたのだ。

――Nor aware of gain.ただ一度の勝利もなし

分けはなたれていても、俺の魔術は“唯一つ”お前の施術が俺の脳裏に響くのがその証拠。今、お前の中でもこいつが開いたはずだ。
俺は耐えられる。俺は全身の剣を治めながら盗人を睨みつける。

――My whole life was "unlimited blade works".この体は  無窮の剣で  出来ていた


だが、お前は、これに、耐えられるかな?


――Zaruuu!!!!!!

一瞬、空を舞う化物の体が跳ねた。身を捩り、何かに耐えるように背をそらし翼を広げる。
ついに、化物の口元からあの嘲いが消えた。目を見開き、声にならない叫びを上げる。

――!!!!!!!!!

次の瞬間。化物が爆ぜた。まるで中から切り開かれるように、内側から無数の剣が飛び出すように爆ぜると、細切れの肉塊となって五月雨のように地上に降り注いだ。

「ぐふっ……」

勝った。
俺は血反吐を吐きながらほっと息をついた。俺は勝った。
あの化物に勝ったというわけではない。あの化物は俺に負けたんじゃない、自分に負けたのだ。
だが、俺は自分に勝てた。だからこうして血反吐を吐きながらでも生きている。

「つぅ!……」

徐々に感覚が戻ってきた右手に激痛が走った……って遠坂さん! なに爪立ててらっしゃるんです!?

「士郎……あんたまたとんでもない無茶したでしょ?」

うわぁ、凄く怖い。さっきの化物なんか目じゃないくらいに怖い。俺は慌てて視線を外し、

「……シェロ。何をなさったの?」

後門の狼と目を合わせてしまった。

「ぶ、無事だったから良いじゃないか!」

「そういうわけにはいかないわよ!」
「そういうわけにはいきませんわ!」

両側からユニゾンで怒鳴られた。やばい、今度は両耳の感覚がない。

「……シロウ」

更に今度はセイバーまでが険しい表情でやってきた。さ、三人は流石にやばいぞ。

「その……あの獣が……」

が、セイバーの用件は別口のようだ。顔つきも険しいというより困惑し表情だ。俺はセイバーの指し示す先に視線を送った。

ああ、お前か。

そこには金色の獣が居た。琥珀色の瞳でじっとこちらを見詰めている。
金色の鬣、鋭い牙、恐ろしい爪。だがあの標本になっていた獣より一回り小さく、そして明らかに知性の宿った琥珀色の瞳は、あの獣ではなく大山猫と同じ色だ。ああ、そうか、そうだったんだな……
俺は獣に笑い掛けた。ごめんな、お前の仇、横取りしちまったな。

――Mew……

姿に似合わぬ可愛らしい声で一声唸ると、金色の獣は踵を返し山に帰っていこうとする。

「まったく……あの子は……」

俺の横でルヴィア嬢が軽く舌打ちをした。どこか怒った様に表情を引き締め、ずいと一歩前に出る。

「何処へ行くのです」

追い駆けるでも無く、つけるでも無く、ルヴィア嬢はあくまでも自分の速度で、堂々と背を向けた獣に歩み寄る。不思議なことに獣の方が気圧されたように歩みを緩めていく。

――Grrrr……

ついに堪り兼ねたか、獣が振り返った。脅すように嚇すように低く唸り声を上げ、ルヴィア嬢に正対する。

「お出でなさい」

だがルヴィア嬢は微動だにしない。腕を組み轟然と顔を聳やかす。

――わたしはあなたをきずつけません。あなたはわたしがまもりましょう――

――Rrroo……

獣の肩がぴくりと震えた。どこか言い訳がましい唸りを咽喉の奥で鳴らし、困惑した視線をルヴィア嬢に向けている。

「甘く見ないで頂けます? わたくし魔術師ですのよ?」

艶やかなまでに微笑んだルヴィア嬢は、袖口からダガーを取り出すと、掌に一筋傷をつけ、まるで家臣に接吻を受ける女王のようにゆっくりと手を伸ばした。
ぽたぽたと指先を伝い、血が大地に滴り落ちる。

「怪我をしてしまいましたわ」

――くらくてこわいときは、わたしがあなたのともだち――

滴り落ちる血を中心に、睨み合うように見詰めあう、二匹の金色の獣。

――Shiurrr……

が、膝を屈したのは大きな獣の方だった。
まるで溜息のような唸りを上げながら、恐る恐るとルヴィア嬢に近づき、そっとその手の血を嘗め取った。

「宜しい、これより貴方をわたくしの郎党として受け入れましょう。いらっしゃい“オーウェン”」

そのままルヴィア嬢はまるで呪を紡ぐように宣言すると、静かに手を獣の頭の上に置いた。
刹那、金色の光が弾けた。
弾けた光はエーテルとなり、一人と一匹を中心に烈風となって渦巻く。エーテルが、マナが、オドが、金色の風になって俺達の所にまで突風となって吹き付けてくる。

「なあ、遠坂。もしかしてルヴィアさん……」

「そうよ、あいつを使い魔として契約したの。まったく無茶苦茶よ」

轟然と吹き込んでくる突風に耐えながら、遠坂は呆れたように応えてくれた。確かに、こいつは思いっきり不正規な方法だよなぁ。

風となって吹き荒れたエーテルが収まった後、あの金色の獣は姿を消していた。
代わりに、琥珀の瞳と金色の毛皮を持った仔猫が一匹、尻餅をつき呆然とルヴィア嬢を見上げている。

――Meiw

どうやら腰が抜けたらしい。オーウェンは情けない声で鳴いた。

「世話が焼けますわね」

ルヴィア嬢はオーウェンを抱き上げると、苦笑しながらに俺達の所に戻ってくる。
こうして、ヴェヴォーダンの事件は終わり、俺たちは一匹の新顔を引き連れて、倫敦に帰る事となった。





ジェヴォーダンに残された錬金術師の研究施設は、その後、アトラス、倫敦、フランスの三学院の共同調査団によって調査され、なかなか面白い成果が得られたと聞く。
尤も、それにわたし達は参加しなかった。
参加する権利はあったのだが、少しばかり問題があってパスしたのだ。

「へえ、この子がオーウェン君ですか」

――Meow

ミーナの手にあるソ−セージにじゃれ付く大き目の仔猫、このオーウェンが原因だ。
どうやらこいつは本物の“ジェヴォーダンの獣”の仔であったようだ。あの金色の獣と大山猫の間に生まれた合いの子。こいつをルヴィアが使い魔にしてしまった以上、あそこに長居するわけにはいかなかったのだ。

「結局、本家“ジェヴォーダンの獣”っていうのもアトラスの人造魔獣だったらしいんですよね」

あの電話が途切れた時にミーナが言おうとしていた内容がこれだ、二百年ほど前に、今回同様にアトラスの錬金術師がフランスで行った魔獣作成実験。それがあの“ジェヴォーダンの獣事件”の真相だったというのだ。
ライオンをベースに人間並みの知性を有する完全な戦闘生物。本来の予定では、更にこれを魔術師が獣化変身メタモルフォスする為の素体として取り込もうというものだったのだが、この生物の高い知性が災いし、一種のフランケンシュタインとして作成者の手を離れてしまったということらしい。

「その子孫ですもの、残っていたらオーウェンを取り上げられかねませんわ」

尚もソーセージをつかみ取ろうとするオーウェンの頭を、ルヴィア嬢が一つ叩いて抱き上げた。

「じゃ、こいつも大人になったらあの金色の獣になるのか?」

「そうはならないと思うわ。多分、普段は大山猫の格好じゃないかな?」

今のこいつは瞳と毛皮の色以外にあの獣の特徴は持っていない。第一骨格の造りからして違う。
あの獣は元々が獣化変異用メタモルフォスの素体、ライカンスロープの因子を持っていたのだろう。こいつはいうなれば、獣から獣へ変異するライカンスロープといった所なのだろう。

「でもルヴィア、生の魔獣を使い魔になんかして大丈夫?」

わたしはルヴィアに聞いてみた。
本来、使い魔は自分の分身。自分の負担にならないような小動物に降霊して制御するものだ。生の魔獣などを使い魔にしては、維持の魔力に加え制御の魔力も必要になる。それもあれだけの魔獣だ、どちらも馬鹿にならない負担だろう。別にその……心配してるわけじゃないんだけど。

「リン、貴女に言われたくありませんわ」

だがルヴィアは、わたしに比べればましだとばかりに冷ややかに微笑みかけてくる。
そりゃ確かに、英霊を使い魔にしてるわたしの言うことじゃ無いかもしれないけど。

「そろそろ正式な使い魔を欲しいと思っていた所ですし、ちょうど良かったですわ」

オーウェンの頭を撫でながらルヴィアは楽しげに言う。確かに、ルヴィアにこれ以上嵌った使い魔なんて早々居ないだろう。
金の獣を膝に抱き、嫣然と微笑む「金色の魔王きんのけもの
その姿はまるで一幅の絵の様で、惚れ惚れするほど似合っていた。

END


きんのけもののお話でした。
士郎くんの垂らしぶりを期待していた方ごめんなさい。そっちの方向性のお話ではありませんでした。
元々このお話のプロットはかなり前に出来てはいたのですが、士郎くんにせよルヴィア嬢にせよ、まだ時期が来ていないとずっとお蔵入りしていたお話でした。

By dain

2004/10/13 初稿
2005/11/17 改稿 


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