「おはようございます。シロウ」

「おはよう、セイバー。遠坂は?」

「先ほど図書館へ、なんでも原本の写しを取らねばならないと言うことで、今日一日はそちらでの作業だと言っていました」

朝一番で工房に来たつもりだったが、そこに居たのは、カタカタと一心にキーボードを打つセイバーばかり。残念ながら遠坂は出払った後だった。あいつ朝は弱いくせに、こんなに早く大丈夫だろうか?

「弁当作ってきたんだが、遠坂の分はそっちに運んだほうが良いか」

「ご苦労様です、シロウ。そのほうが凛も喜ぶでしょう」

ふうと息をつき、セイバーも漸く顔を上げてくれた。昨日は二人ともほぼ徹夜だったようだ。見掛けはいつもどおりのセイバーだが、どこか疲れているようにも見える。

「朝飯は食ったのか?」

となれば元気付けの一つもしてやるべきだろう。俺はセイバーに声をかけた。

「いえ、その……凛が出かける前に一応……」

どうも歯切れが悪い。はて、と部屋を見渡して気がついた。サイドテーブルに置かれたトレイ。成程、パンと紅茶だけではセイバーにとっては些か物足りなかったのだろう。

「それじゃあ、なんか作ろう。俺もまだだしな」

「そ、そうなのですか? それはいけない。私もご一緒します」

実は朝飯は済んでいるのだが、こうでも言わなきゃセイバーは遠慮してしまう。すぐにお腹が鳴る癖になんとも困ったお嬢さんだ。

「俺にも何か手伝える事とか無いかな?」

パンケーキにハムに卵。たっぷりと二人前は召し上がったセイバーを前に、俺はちょっと聞いてみることにした。

「お気持ちは有難いのですが、シロウも今は来期の準備で忙しいでしょうから。凛も、シロウには余り手を掛けさせたくないと言っていました」

少しばかり寂しそうでもありましたが、と苦微笑しながら満腹セイバーさんは仰った。そうだな、遠坂は意地っ張りだから。俺が直接手伝うと言ったって、あんたは自分の事やりなさいって怒鳴られるのが関の山だ。本当に素直じゃない。
だが、そうは言っても放っても置けない。あいつは肝心なところでぽかをやったりするからな。

「そうか……よし」

なにも直接手伝うだけが手助けじゃない。第一、遠坂の今やっていることは先生の御仕事だ。俺が直接手助けできることなんてさほど無い。だとしたら……

「セイバー、俺も一寸忙しくなる。遠坂の事頼めるかな?」

「無論です。シロウも頑張ってください」

俺はセイバーに一声かけると立ち上がった。遠坂はセイバーに任せて、俺は俺の出来る事をしよう。





あかいあくま
「真紅の悪魔」  −Rin Tohsaka− 第七話 後編
Asthoreth





「ない?」

「ええ、ギリシャ語版は全冊貸し出し中です。ラテン語版なら数冊残っていますが」

「ラテン語なら持ってるのよね……」

大英図書館の裏の顔、時計塔新図書館。わたしはここで教本用の原本を写すべく、司書に必要な書籍のリストを手渡したのだが、そのうち数冊が今は無いと言うのだ。

「でも館外貸出禁止でしょ? 何で無いの?」

本そのものはかなり有名なものなので、ラテン語や英語に訳された活字本は、かなりの数が出回っている。だがわたしが欲しいのは、アラビア語や象形文字、ギリシャ語で書かれた原本だ。こっちはかなりの希少本。蔵書にはあるが、魔術師の図書館といえどもおいそれとは貸し出してくれる物ではない。

「教授方なんですよ。期限も余り守って頂け無くてねぇ」

そんなわたしの問いに、司書は困った顔で応えてくれた。貴重な写本を借り出しては勝手に自分の蔵書に加えてしまうという。まったくこれだから魔術師は協調性が無いって言われるのよ。

「分かったわ。ある分だけで良いわ。閲覧室一つ借りれる?」

わたしは取敢えず、借りれるだけの本を借り、閲覧室に引きこもった。
足りない分を如何するかはともかく、出来ることは済ませておかなければならない。


「はぁ、もうお昼か」

午前中一杯、一心不乱にカリカリとペンを走らせていたわたしだが、流石に草臥れて来た。ここでひとつ伸びをして、固まりかけた身体をほぐしておく。
原本の写筆、これは活字にせずこのままヴィジュアルとして印刷する。原本にしみこんだ、執筆者の概念を可能な限り再現する為の手法だ。
本当なら一冊一冊全てに写筆するのが最良なのだが、そこまではとても出来ない。わたしが解釈を込めて写し取った写本をそのまま載せるという次善の方法を取るしかない。これでも、この写筆版を学生にそのまま写させることで、活字などとは比べ物にならない理解が得られるはずだ。

「ご飯どうしようか……」

ここで一休みして食事にするか、もう少し頑張って先に進むか、わたしは目頭を揉みながら考えた。結局、今の分を早く終らせても本が足りなければ先には進めない。
こうなると、頑張るにも気力が萎えてくる。そう言えば、士郎とも昨日の朝から会っていない。ちょっと士郎分が不足してきたなぁ、休もうかなぁ……と悩んでいたところで閲覧室の扉がノックされた。

「はい?」

扉を開けると、先ほどの司書がなにやら手に持って立っていた。

「ミストオサカ。先ほどの書籍ですが、旧書庫になら全冊あるそうです」

「え? 本当に?」

「はい、既にあちらで取り揃えてあるとのことです」

「あ、有難うございます!」

なんて幸運。わたしは司書さんの手助けに頭を下げて感謝すると、慌てて閲覧室を片付け、旧書庫へ向かおうとした。

「それと、これを預かっています」

そんなわたしに司書さんは、連絡を伝えただけですと苦笑しながら、手に持った荷物をわたしに向かって差し出してきた。

「なんですか?」

「お弁当ですよ、御弟子さんが持って来られました」

成程、これってわたしのお弁当だったのか。なんでも忙しそうだったからと、士郎は司書さんに預けて立ち去ったという。まったく、変に気を使うんだから。丁度会いたいと思ってたところなんだし、直接渡してくれたら良いのに。
そんな事を考えながらも、わたしはお弁当を受け取ると、旧書庫への道を急ぐことにした。

「あら、ミストオサカ」
「いらっしゃい」
「お待ちしていましたわ」

旧書庫でわたしを待っていたのは、誰が誰やら良く分からないことで有名なグライアイシスターズ。今日も見事にユニゾンしながらにっこり微笑んでわたしを迎えてくれた。有難いことに、既にカウンターには本が揃えられ積まれている。

「有難うございます」

これで先に進める。ほっとしたわたしは深々と頭を下げた。本当にこれは有難い。旧書庫にあったってことはいずれは見つけ出せただろうが、今はとにかく時間が惜しかった。

「お礼には」
「及びませんわ」
「仕事ですから」

相変わらずのアルカイックスマイルのまま。三姉妹はわたしに本を渡してくれた。どこか含みのある笑いが少しばかり気になったが、わたしは有難く本を借りることにした。

「ただいまぁ……」

結局写筆は一日では終らなかった。長々と無理を聞いてもらったが、日付が変わる頃には流石にお暇しなくてはならない。わたしはもう一度グライアイ三姉妹にお礼を言うと、ふらふらと自分の工房に帰りついた。

「お帰りなさい、凛」

すっかり疲れきって帰ってきたわたしを迎えてくれたのは、セイバーの暖かい笑みと、美味しそうなシチューの匂いだった。

「えっと、もしかして士郎?」

「はい、先ほどまでは居たのですが、対面授業エンゲージの打ち合わせがあると出掛けました」

入れ違いだったんだ、一寸残念。でもこんな時間にまで来期の打ち合わせをしなきゃいけないって事は士郎も忙しいと言うこと、無理は言えない。わたしは小さな溜息だけをついて食事に取り掛かった。士郎も頑張ってるんだし。わたしも頑張ろう。




「あら。思いのほか早く出来ましたのね」

暢気にゲラを眺めるルヴィアに、わたしとしては些か棘が生えてしまう。昨晩遅くミーナに入稿して、わたしは今、セイバーと二人で同時進行の形でプリントアウトした原稿の校正作業の真っ最中だ。
残念なことに士郎は居ない。今日は朝からミーナのところでバイトだ。この一週間、殆ど入れ違いで顔さえまともに見ていない。流石に寂しい。でも、御互い頑張ってるんだし無理は言えない。

「なによ、邪魔しに来たの?」

なもんで、今日のわたしはかなり不機嫌だ。

「そこまで意地は悪くありませんわ。一寸確認することがありますの。その懸案が済んだのなら校正の御手伝いをしても宜しくてよ?」

わたしの不機嫌さも、柳に風とルヴィアは軽やかに微笑みくさる。突っぱねたいところだが、今は猫の手でも借りたいところ、仕方がない相手をしてやるか。

「で、なに?」

「教本は何とか間に合いそうでしょ? ですから教材と教室についてお聞きしようと思って」

そりゃ教本はカリキュラムに応じて講師が用意するものだけど、実験ではないのだから教材や教室なんかは、そうおかしなものでもない限り、なんとでもできるものだ。それに第一、

「教務課の仕事でしょ。わたし達が出来る事はそう多くないと思うけど?」

「やっぱり……」

だというのに、ルヴィアの奴は目を半眼にしてそれ見たことかと見据えてくる。

「教本の時も言っていたはずですわ。わたくし達の立場を考えて御覧なさい。新任の臨時講師なんて教官の最下層ですのよ? どんなものが割り当てられるか想像すれば分かりそうなものですわ」

なにを暢気な顔をしていらっしゃるの、とばかりにルヴィアはわたしに教務課の割り当て表を差し出した。

「なによこれ、教材用の宝石が殆ど人工宝石じゃないの!?」

講座はあくまでも講義、実験をするわけじゃないから、見せる為だけのもの。だが、わたし達は魔術師なのだ。成分は同じでも地の中で概念の蓄積がされていない人口宝石では、魔力などまともに込められはしない。

「それだけではありませんわ、植物園も真炉もありませんのよ?」

ルヴィアが更に追い討ちをかけてくる。これまた実験をするわけではないものの、自然魔術には植物の利用や魔女の術ウィッチクラフトも含まれている。まともに講義を進めようとすればやはり実物の提示や実演は欠かせない、なのに、その為の機材さえ割り当てられていないとは……

「ルヴィア、もしかして……」

「ええ、わたくしは自費で用意いたしましたわ」

やっぱり。くそ、お金持ちは良いわね。宝石のサンプルはわたしの手持ちで何とかなるか、でも植物はうちの薬草園では賄い切れないし、やっぱり真炉や実験機材だって一通りは用意しておきたい。うう、かと言って出費は抑えたいしなぁ……教本で無理しただけにこれ以上の持ち出しは勘弁して欲しい。

「それと、教室の割り当ても確認なさった方が宜しくてよ?」

「それって……へ? 鉱物学科、第一教室?」

ちょっと待ってよ。そこって確か。

「廃棄になったはずの教室でしたわね、その……色々あって」

「……そうね、色々あったもんね……」

御互い視線を合わさずぼそぼそと頷きあう。前年度の前半、わたし達が鉱物魔術の専門講義を受けていた教室だ。その……色々あって結局、修理が追いつかず、破棄された教室……だったはず。

「使えるのあそこ?」

「廃屋でしたわね」

多分、実見して来たのだろう。間髪入れず応えが帰ってきた。ぼろぼろにしたもんなぁ、何回壊したっけ……

「って、そんなとこで講義なんて……」

「出来ませんわね、わたくしは別の教室を手配いたしましたけれど」

勢い込むわたしに、ルヴィアはしれっとした顔で応え腐りやがる。手配と来ましたか、くっ、金持ちめ……
しかし、こうまでされるとふつふつと闘志が沸いてくる。こうなったらとことんやってやろうじゃないの。見てなさい最高の講座を立ち上げてやるんだから。




「それで、凛。此処からなにを探し出せば良いのでしょうか?」

「本命は真炉だけど、それ以外でも湿潤式の機材一式を探して。炉にフラスコ、蒸留器はどんな型でも良いわ。鉱石標本があったらそれも集めといて」

ちょっとした体育館ほどの巨大倉庫。時計塔数百年の歴史が降り積もる、教職員用不用品倉庫。ここがわたし達の狩猟場だ。
あの後、教材と教室の確保の為に怒鳴り込んだ教務課で、わたしは結局、教材も、代替の教室も確保は出来なかった。どれもこれも“正規の物は、備品も教室も空きはありません”の一点張り、だからと言ってはいそうですかとは引き下がれない。こちらも時計塔ここでの将来が掛かっているのだ、それこそ鉛筆一本でも引き出そうと必死の押し問答の末、わたしは教務課職員が言う科白のちょっとした綾に気がついた。

――“正規品”には空きがない。

つまり、正規品じゃなきゃ良いわけだ。
知り合いの植物園を、駆けずり回り。そちらの手配がついた時点で、残りの機材をとやってきたのがこの倉庫だ。
先日の引越しで、新しい工房の調度を揃える為に利用したこの教員用の倉庫には、時計塔歴代教授陣が要らない物として放り込んだ調度やガラクタ、はては魔具まがいの機材までもが未整理で所狭しと並べられていた。
無論、殆どはガラクタ。精々出来のいいアンティーク品程度だが。わたしの開く講座は基礎の自然魔術だ。それに必要な程度の機材類なら何とか使えるものが調達できそうだと踏んだわけだ。

「……シロウが見たら喜びそうなところですね」

「まあね、あいつに協力してもらえたら早かったんだけど」

セイバーの言葉にわたしは苦笑するしかない。確かに士郎が居れば、このガラクタの山から使えるものを引き出すのは簡単だろう。なにより、あいつはこういったガラクタが大好きだ。
とはいえ、士郎は今日も忙しく学院を走り回っている。本科と違い、専科は倫敦のあちこちに教室や施設がバラけている。移動するだけでも大変だろう。そんな士郎を、わたしの不手際の帳尻合わせに付き合わせるわけにはいかない。

「凛、これはどうなのでしょう?」

「ペリカン蒸留器とユアライナルね、一応取っといて」

「この乳鉢と壷は?」

「アルベルトゥスの壷ね、ラッキーそれ欲しかった奴」

数時間の捜索で、出るわ出るわ。クレオパトラの蒸留器に、ソロンの自動機械。出来のいい鉄製の古鍋に、十二世紀の竈が一セット。型は古いし、どこか壊れてたりもするが、それでも十分使える機材を一山見つけ出すことが出来た。

「流石に真炉は無いか……」

「こちらなどは炉に見えるのですが?」

「それは錬金炉なのよ、魔力で無くコークスを使う純粋な道具ね」

尤も、流石に宝石類や、純粋な魔具は殆どなかった。一番多かったのは錬金術関係だ。植物魔術、鉱物魔術共にその加工過程は錬金術の道具を使う、これはこれで使い道がある。

「もう少し探してみますか? まだまだ在庫はあるようですが」

「その前に、お昼にしましょう目録も作っときたいし」

既に時間は午後をだいぶ回っている。ああ言いながらもセイバーは時計を気にしているし、わたしも少しばかり疲れた。
最近どうも持続力がない。在庫の山を見ていると、士郎が居ればもっと楽なのに、と益体も無い愚痴が零れそうになる。はあ、やっぱり士郎分が足りないなぁ。

「やはり、シロウのご飯は美味しい」

「そうなのよねぇ……」

今日は天気が良いという事もあって、外に出て時計塔脇のラッセルズスクェアでお弁当を広げた。ここ暫く、士郎は律儀にも三食御弁当を作ってくれている。あいつも忙しいのだから、悪い悪いとは思っている。
だが、顔さえ碌に見れないのだからせめて味だけでも、と有難く頂いてしまっている。我侭かも知れないけれど、これだけはどうにも断りきれないのだ。

「それで、真炉という物はどういった物なのでしょう?」

「純粋に魔術的な炉でね、芯に火精サラマンダーを封じ込めたものなの」

お茶を飲みながら、わたしはセイバーの質問に応える。標本も自前と駆け回った分で何とかなった。機材もこれでほぼ揃った。あとはこいつだけなのだ。

「鉱物系の素材の加工には唯の熱だけじゃなくて真火が必要なものもあるのよ。絶対必要ってわけじゃないんだけど」

あったほうが良い。ルヴィアと組んだカリキュラムでも鉱物魔術の実演も入っている。自前で持っていないわけではないが、固定式の炉をほいほい動かすわけにもいかない。
無くても何とかなるとはいえ、出来れば欲しいなぁ。

「やあ、麗下、妃閣下バロネス。お食事かい?」

と、ちょっとばかりブルーが入ったところで、おポンチなイタ公ジュリオがやって来た。

「なに? 今ちょっと忙しいんだけど」

北の倫敦だってのに、地中海の青空を背負って明るく笑う伊達男ジュリオ。この士郎の悪友は悪い奴じゃないし、話をして決して退屈しない相手でもあるのだが、今は軽口を聞いている気分じゃない。どうしても少しばかり刺々しくなってしまう。

「まあまあ、お袋がカスタニャッチョを焼いて送ってきたんだ。どうかと思ってね?」

にんまり笑った色男は、皆まで聞かず後ろ手に持った菓子折りをわたし達に差し出した。

「頂きます」

それを見るやいなやセイバーの奴、間髪居れず応えやがった。うっ、カスタニャッチョって言うのは栗の粉を練って木の実をまぶして焼いたお菓子なのだが、甘すぎもせず、素朴でちょっと癖になる味わいはセイバーお気に入りだったりする。その、わたしも結構好きだし……

「……貰う」

結局、わたし達はジュリオと一緒に食後のお茶を楽しむことになってしまった。悔しいけど、やるなイタリア人。

「へえ、真炉ねぇ」

「はい、あとは其れだけなのです」

なんのかの言ってジュリオは流石に女の子の扱いは心得ている。程なくして、わたしもセイバーもすっかりお喋りに現を抜かしてしまっていた。

「真炉かぁ……真炉、真炉……」

と、話題がわたし達の探しものになったとき、何かジュリオは考え込むように腕組みをした。

「なに? 何か心当たりでもあるの?」

「別に新品でなくてもいいんだろ? 中古というか再生品でも?」

「あるの?」

「ああ、あるよ。妃閣下バロネスも知ってるはずだけど」

不思議な事を言いながらジュリオはにっこりと立ち上がり。それじゃあ案内するよ、とわたし達の手を取って立ち上がらせた。

「ここだよ」

ジュリオが案内してくれたのは、大英博物館の東、リージェントパークに有る専科の別館の一つだ。確か錬金術関係の施設だったはず。

「正規品は使えないんだけど?」

何時の間にやら腰に回されていた掌を摘まみ上げ、わたしはジュリオに聞いた。まったく、あんまり自然すぎて、全然気付かなかったわよ。

「廃棄品の再生だからね、正規品じゃないさ」

まったく堪えず、ジュリオは笑顔のままに、ああここだと建物の隅にある一室の扉を開けた。

「ほう、これが真炉ですか」

セイバーが小首をかしげて向かう先は、そう……システムキッチンが一式。ぽつんと部屋の中央に置かれていた。

「……何の冗談?」

「まあまあ、これを見てくださいな」

ジュリオは踊るような足取りでシステムキッチンまで歩み寄ると、徐にコンロ部分の下扉を開いた。

「……マジ?」

「マジですよ、妃閣下バロネス

そこに収まっていたのは、五芒陣と六芒陣を組み合わせた呪刻が刻まれた耐火硝子のフラスコ。その中には、半透明の赤い蜥蜴が丸まったように鎮座している。
間違いない、これは炉心。火精を封じた真火の炉だ。

「ほら、覚えてないかな? 前に、専科で治金の真炉が一つ御釈迦になった事故のこと」

「士郎が収めたあれ?」

思い出した。士郎が無茶をした時だ。

「そう、あれなんだけど、炉心の一部が無事だったんでね、シローと僕とでそいつを元に部品を調達して組み直したのさ」

「それでは、このキッチンは……」

「ああ、麗下の推察どおりさ。シローの趣味」

どうせなら馴染んだ形がいいからってね、とジュリオが面白そうに笑う。士郎……あんたとことん所帯じみてるわね。

「で、良いのこれ?」

「全然良いさ、員数外だし、実は使い道も決まってなくてね。僕もシローも組み直すのが面白くてやったわけなんだし」

なにより美人のお役に立てるならば本望ですよ、と小粋に片目を瞑ってみせる。

「有難う、ジュリオ」
「ジュリオ、感謝します」

「いやいや、お礼ならシローにしてくれよ」

わたしとセイバーが揃ってジュリオに礼をする。わたし達の腰に回された手も、今は納得してあげる。本当に有難う、色男。これで、漸く機材も揃った。




「凛、ここはどうでしょう。カレッジだということですが……」

「海軍大学じゃない。グリニッジよ? 遠すぎるわ」

さて、最後に残ったのは教室だ。わたしはセイバーと、工房の書斎で資料をひっくり返して物件の検討を続けた。
流石に半壊の教室は酷いだろうと、教務課にねじ込み空いている教室を根こそぎリストアップさせたのだが、どれも帯に短し襷に長しといったところ。如何に魔術師とはいえ、世紀単位で見捨てられている幽霊屋敷や、新しくとも通うのに数時間掛かる場所の教室では講義はしたくない。

「となると、あとは倫敦動物園の地下か、テームズ川のベルファスト号の士官室ですか……」

「そりゃ、半壊の教室よりはましだけど、どっちも遠慮したいわね……」

ライオン檻の隣や、川に浮かぶ軍艦の中での講義なんて、そりゃ話題性はあるかもしれないが、わたしは真面目に講義をしたいのだ。

「専科の校舎巡りするしかないか……」

倫敦各地に分散する、専科の施設。それを虱潰しに回ればもう少し条件のいい教室が手に入るかもしれない。
動物園と軍艦なら軍艦かな。何故かライオンの檻に些か未練を残しているセイバーを余所に、わたしはベルファスト号の船室を押さえに、足を使っての教室探しに乗り出すことにした。

「無いわね……」

「無いですね……」

とはいえ、そんな出物がそう簡単に見つかるわけも無く。わたし達はリージェントパークの池のほとりにある、野外劇場の観客席で二人揃って溜息をついた。
大英博物館、倫敦大学は本科の施設なので最初から除外、ブルームズベリーのカレッジ群から、ケンジントンの王立カレッジ群に博物館群、一通り回ってみたがやはり空きは無かった。
最後の頼みとリージェントパークのリージャントカレッジに来ては見たものの、空いていたのがこの野外劇場では話にならない。

「? 凛、ここで何か出し物の予定でもありましたか?」

如何したものかと悩んでいたら、セイバーが妙な事を聞いてきた。

「聞いてないけど。どうかしたの?」

「ええ、楽器を持った方々がこちらに向かってきているのです」

促されるままに、視線をセイバーの指差す先に向けてみると。確かに、手に手に楽器を持った一行が、ぞろぞろと野外劇場のステージに上がって行っている。あれ? あの人達。

「呪歌の連中じゃない。練習か何かかな?」

一応、ここもこっそり時計塔の施設でもある。専科の連中がここで練習していても不思議ではない。呪歌の連中は、暫く音合わせをしていたかと思うと、どこか心休まる玄妙な管弦楽を奏で出した。

「いい演奏でした」

「うん、なんか力がわいてきた」

テームズの流れのような、湖の水面のような演奏が終わり、わたし達たった二人の観客は二人揃って惜しみない拍手を送った。
素敵な演奏だった。沈んだ心が静かに沸き立つ。うん元気になった。

「ミス遠坂、何時からそこに?」

「最初から居りましたわ」

わたし達の拍手に、中の一人が初めて気がついたように近づいてくる。この人には覚えがある。確か、呪歌講座で演奏班の助手を務めていた教官だ。

「気がつかなかったな。どうしてこんな所に?」

「教室探しです。来期から臨時講師を仰せ付かったものですから」

わたしの答えに、助手氏はああ話しは聞いているよと苦笑しながら頷いてくれた。一体どこからそんな話が……

「そうだ、その件で知らせようとしていた事があったんだ」

「? なんですか?」

わたしの不思議そうな問いに、助手氏は教室の事だと話を続けた。

「音楽院は行ってみたかい?」

「王立音楽カレッジですか? もう行ってみましたが駄目でした」

「いや、そちらでなく。この公園の南にある王立音楽院の方だ」

なんでも教室ではないが、今期から新たに専科で演習や小演奏会用の小さなホールをいくつか確保しているのだという。講義では使っていないはずだから、日程さえ合えば使えるはずだと教えてくれた。

「あ、有難うございます!」

盲点だった。ごく小さな建物なので、時計塔が関係していることは知っていたが、まさか教室があるとは思わなかったのだ。

「いや、礼は良い。いつもミスター衛宮には世話になっているからね」

そんな声を聞きながら、わたしはセイバーと共に、音楽院に向けて駆け出していた。ああ、そうか。士郎、あんただったのね……






「ただいまぁ」

「おう、お帰り」

遠坂が帰ってきた。
三日ぶりの帰宅だ。心配したとおり、やっぱり少しやつれている。弁当をセイバーに託していたのでちゃんと食べてはいたのだろうが、この十日ほどで家に帰ってきたのはたったの一度、随分と大変だったんだろうな。

「どうだった? 講座の準備は終ったのか?」

「うん、おかげさまでね」

良かった。やつれてはいたものの、俺が一番気になっていた事に、遠坂はにっこりと綺麗に笑って応えてくれた。ただ、ちょっと気になる。この綺麗な笑みは俺の良く知っている綺麗で素敵な笑顔だ。思わず後退りしたくなるほど……

「どわぁ!」

その一歩の後退りを、遠坂はいきなり俺の胸に飛び込んで詰めてしまった。ぐっと抱きついて大きく溜息なんかもついている。あの……遠坂?

「まったく、本当におかげさまよ。ずっと自分の事で駆けずり回ってると思ってたのにさ」

そのままつんと顎を逸らし、大きな瞳で俺を見上げてくる。

「士郎のおかげだったのね。全部」

「えっと……な、なにかな?」

しらばっくれ様としたのだが、相変わらず嘘が下手なんだから、とジロリと綺麗な瞳で睨み据えられてしまった。

「司書の皆に本のこと頼んだわね?」

「あ……その……はい」

確かに頼んだ。弁当を届けに行った時、司書の人から本が足りないと聞いて、旧書庫の司書の御姉さん方にお願いしたのは俺だった。

「真炉。ジュリオに頼んでわたしに渡させたわね?」

「えっと……その……はい」

ルヴィア嬢から真炉は多分無理そうだと聞いて、ジュリオに探りを入れて貰い、必要ならあの炉を譲って欲しいと頼んだのは俺だった。

「呪歌の助手さん。教室の空きがあったら紹介してって頼んでたわね?」

「……はい」

誰が見つけてくれるかはわからなかったが、手当たり次第に空き教室がないか声をかけ、お願いして回ったのは確かに俺だった。

「教務課も、妙に親切だった。あれも士郎でしょ?」

去年一年、随分と雑事をこなしたせいか妙に教務課と仲良くなっていたのも確かだ。その伝で、出来れば遠坂に協力して欲しいとはお願いしていたが。

「その……迷惑だったか?」

俺は瞳を見開いて俺を睨みつける遠坂に恐る恐る聞いた。こいつは妙に意地っ張りだ。俺が下手に手出しをしたと知って臍を曲げなきゃいいんだが……

「馬鹿、感謝してるに決まってるじゃない。有難う、士郎。おかげで立派な講座を開けそう」

睨みつけていた瞳を和ませて、遠坂は今度は本当の笑みを浮かべて俺に微笑みかけてくれた。今までの苦労もなにもかも、こいつで全部吹っ飛んでしまった。やっぱり、やって良かった。

「でもね、士郎」

が、遠坂は何故か瞳を潤ませたかと思うと、再び俺の胸に顔を預けてしまった。ちょ、ちょっと、なんで……

「……寂しかった」

え?

「士郎に会えなくて、ずっと、凄く寂しかった。我侭なのは分かってるけど、そんなことしないでずっとわたしの傍にいて欲しかった」

遠坂はそのまま俺の胸に全身を委ねてきた。俺はそんな遠坂をそっと抱きしめた。

「ごめん……」

「馬鹿、士郎が謝ることじゃないわ。士郎はずっとわたしの為にいろんなことしてくれたんでしょ? だったら謝らないで怒らなきゃ。我侭だぞって」

遠坂は俺の謝罪にくすくすと笑って文句を言う。まったく、確かに我侭だぞ。でもさ、

「俺も寂しかった。遠坂の顔が見れなくて、ずっと寂しかったぞ」

俺も我侭だ。遠坂に会わずに頑張ったのは俺の意地。遠坂が俺の力を借りようとしなかったのと同じだ。

「なんだ、士郎も意地張ってたわけね」

「ああ、遠坂には負けるけどな」

俺は顔を上げた遠坂と、抱き合ったままじっと視線をあわせた。
御互いつまらない意地を張ってしまった。最初から二人でやっていても結果は変わらなかったろう。お互い寂しい分、損をしてしまったって事か。

「ねえ、士郎……」

「なにさ?」

何故か遠坂の顔が徐々に赤くなっていく。瞳も潤んで妙に艶っぽい。

「き、今日は、お互い意地っ張り止めない?」

「はい?」

意地っ張りを止める? 良く分からないんだが……
俺の間抜けな返事を聞いた途端、遠坂はむぅ――と膨れだした。このわからんちんと睨みつけてくる。

「だ、だから! その……今晩は御互い素直にならないかなって……その……」

「――あ」

真っ赤に染まりながら視線を逸らす遠坂の応えで、俺は漸く分かった。うわぁ……お、俺はなんて間抜けなんだ……

「その……セイバーは?」

「今日はミーナの家に泊まるって。御邪魔はしませんって……本当になに考えてるのよあの娘は……」

俺の腕の中で真っ赤になりながらもぶつぶつと文句を言う遠坂。結局ここでも意地を張る。だが、そんな遠坂が俺は堪らなく愛おしかった。

「素直になるんだろ?」

「うっ……感謝してる。気をつかわせて悪いと思ってるわ……」

「俺も素直になる」

俺は優しく遠坂の顔を上げた。頬を染め、やり込められた悔しさか微妙に視線を泳がせる遠坂。そんな可愛らしい遠坂に俺はそっと顔を寄せる。




その晩、俺たちは御互い素直になることが、どんなに素晴らしいことかを心ゆくまで堪能した。

END


今回のお話。“臨時講師”は某TRPGから拝借しました。あれから早十四年、月日がたつのは早いものです。
さて、今までの学院でのつけやら何やらを一緒くたに払い終えたお話でした。
理屈と感情、素直と意地。どちらも大切だとわかっているからこそ、二人とも一生懸命頑張りました。
で、全て解決したら、後は感情に任せて素直になりましょうと言う事で。
ご馳走さまなお話でした(笑)

By dain

2004/10/20 初稿
2005/11/17 改稿

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