「以上のように、自然界に存在する鉱物や動植物に隠された神秘の力を引き出す。これが自然魔術であり、その術こそが魔術の基礎たる、類感、感染の共感魔術です」
小さな音楽ホールの中央、わたしはタイの結び目に軽く触れながら、階段状の観客席を見上げるように睥睨した。
今日はわたしの初講義。ばっちりとスーツを決め、プロジェクターに映像を映し出し、まずは掴みと基礎の基礎を論じながら学生達の値踏みをする。
なにせ、本科と違って専科の、それも教養学年
ほら、あそこで一生懸命ノートを取っているのは呪歌科のチェンバリストだ。……確か去年も基礎をやったはずだから、ダブりだな……専門はぴか一、その他は駄目駄目、専科はこういった天才が結構居る。士郎なんかもそのタイプだ。
「更に共感魔術の基礎はその物が内包し、付与されてきた概念であります。更に自然界の文物の色、形、特色に概念を付与し、抽出してきたのは博物学である事から、自然魔術の基礎は博物学であると言えるでしょう」
スクリーンに映し出されているのはプリニウスの「博物誌」をはじめとする、中世の禍々しい幻想博物誌の数々。自然魔術は学問であると同時に、人の幻想の結実でもある。その為、想像による概念の付加も欠かせない。
この前置きは、学生達がどの程度、基礎を把握しているかの探り針。この題材に対する学生達の反応で、これからのカリキュラムが決まってくる。うん、大丈夫。これならかなり高いところまで連れて行けそうだ。
「したがって今年度、本講においての講義は、前期は博物学的考察による概念把握、後期はそれに基づいた実践と応用の検証を行っていく事になります」
尤も、今日の講義では生の学生の方が少ない。階段状の観客席の上段には、聴講生という名のギャラリーが並んでいる。なにせ専科の基礎の末席とはいえ最年少の講師だ、好奇心と粗探しの格好の的となるのは否めない。ほら、好奇心の最右翼のミーナと、粗探しの最右翼たるルヴィアの両方が並んで腰掛けてる。あっちで見てるのは……うげ、隠秘学の教授じゃない。
「それでは、次週は鉱物の概念特性についての考察となります。それまでに、テキストの第一章、アルベルトゥスの「植物および宝石の秘効」についてを目を通しておいてください。次週からはレポートの提出もあります。頑張ってまいりましょう」
とはいえ、そんなギャラリーには負けていられない。わたしは徐
「……え?」
まずは成功と、三々五々に散っていく学生達を眺めながら、拍手するミーナ、そしてつんと顎を逸らしながらも微笑んで頷くルヴィアに視線を送ったときだ。
その二人の後ろに、わたしはそんなところにあるはずのないものを見た。
教室を去ろうとする、黒髪をポニーテールに結った学生の後姿。
無論、黒髪の学生が珍しいわけではない。白人でも黒髪は居るし、東洋人だって居ないわけじゃない。
ただ、そのポニーテールを結ったリボン。
何処にでもあるような臙脂のリボン。だが、わたしがそれを見間違えるはずがない。
それは、桜のリボンだった。
くろいひいろ | |
「妖術師の裔」 | −Sakura Makiri− 第六話 前編 |
Beelzebul |
「ええと、プロジェクターは積んだ?」
「はい、既に昨日積み込んであります」
「じゃ資料は? 昨日の晩に纏めておいた奴?」
「このフォルダーですね? 確認しますか?」
「うん。あ、良い。昨日三度も確かめたんだし……」
とても珍しい事だが、遠坂さんは些か浮き足立っていた。
まあ、無理もないか。なにせこれから、時計塔での初講義に赴こうというのだ。
直前までは、なんてこたあないわよ、と胸を張って鼻を鳴らしていた遠坂だが、一昨日ルヴィア嬢の初講義が成功裏に終った辺りから、少しずつ落ち着かなくなってきた。
やっぱり後出しというのが拙かったのだろうか、負けちゃいけないという気概が、初体験という不安とぶつかって、些か気持ちが盛り上がりすぎてしまっているようだ。
そういや、遠坂は初体験に弱かったなぁ……あの時も、最初は威勢が良かったが、どんどん可愛らしくなっちまったし……
「士郎、またおかしなこと考えてない?」
そんな事を考えていたら、遠坂にむぅ――と顔を覗き込まれてしまった。セイバーも半眼で視線を向けて来ている。しまった、顔に出てたのか……
「いや、そんなことはないぞ。頑張ってくれ」
「本当?」
「ほ、本当だぞ。聴講できないのが残念だけど」
俺は咳払いを一つすると、真正面から遠坂を見ながら応えた。ここは視線を逸らしてもろくなことにならない。誤魔化すなら真っ向勝負。うん、上手く行った。こら、セイバー。何だ、その段々誤魔化すのが上手くなってきましたねって目は。
「そうね、士郎にも来て貰いたかったけど。ルヴィアの家だっけ?」
「おう、メイド長さんが辞めちゃったんで。人手不足なんだ」
そんなわけで、折角聴講表まで用意していたのだが、残念ながら俺はこのあとエーデルフェルト邸でバイトに入らなきゃいけないのだ。
「結婚退職だっけ? 幾つなのそのメイド長さん」
「五十は越えてたと思ったなぁ……」
なんでも御互い十代始め頃の初恋の相手だったとか。男性の家の都合やらなにやらで、泣く泣く別れ、メイド長さんはそのまま未婚を貫いていた。一方男の方は、子供が生まれて直ぐに奥さんに先立たれたのだが、それでもなお家の頚木に縛られ続けなければならなかったと聞く。
それが子供の独立を機に、漸く幼い恋を成遂げるべく行動を起こしたのだという。
薔薇の花束を抱え、わざわざ倫敦までプロポーズに来た老紳士。俺は初めてあの強面のメイド長さんの涙を見た。
「ロマンチックな話ですね」
なんのかの言って遠坂もセイバーも女の子だ、こういう話には弱い。
――ふむ、男というものは例え他の女性を腕に抱いても……
「お黙りなさいランス」
そんな二人を前に、こくこく頷きながら感極まったように何事か言い掛けたランスだったが、即座にセイバーの微笑みが割って入って来た。
「それ以上の発言にはそれ相応の覚悟をして貰います。私としては沈黙を勧めますが、いかがですか?」
セイバーさんは、にっこり軽やかなまでに威圧していらっしゃいます。無茶苦茶怖い。即座にランスは沈黙の業に突入した。なあ、遠坂。俺はランスみたいな事は少しも考えてないぞ、だから睨まないでくれ。
「ま、まあ、そんなわけで今日はごめん、遠坂」
「仕方ないわよ、そういう事情じゃ」
そう言って手を合わせると、遠坂は視線を緩めてほんの少し寂しげに微笑んでくれた。こんな顔を見ると本当に残念に思える。
「今日はばたばたするから帰りはちょっと遅くなるわ。士郎は?」
「午後からは講義があるけど、夕方までには帰れる。俺のほうが先だろうから、お祝いになんか旨いもん作っとくぞ」
講義に関係ない事を話していたせいか、遠坂も落ち着いてきた。もう大丈夫だろう。
遠坂の教え方は結構上手い。これなら本番ではきっちり凛々しく決めるだろう。こいつはそういう時、本当に綺麗に輝いてみせるからな。それを見れないのは、やっぱり残念だ。
「じゃ、士郎。いってきます」
「おう……って、ちょっと待った」
俺は立ち上がって手を振る遠坂をちょっとばかり引きとめた。そのまま何よと立ち止まった遠坂の正面に回って、じっと襟元に目を落す。さっきからどうも気になる事が一つだけあったのだ。
「やっぱり……これ、リボンじゃなくてタイだぞ」
「うっ、そうじゃないかとは思ったんだけど……」
ブラウスの襟元を止める臙脂の教官紋入りのタイ、細身なのを良い事に上手く誤魔化してリボンに見せかけているが、こいつは間違いなくネクタイだ。
「まったく、やり方分からないなら聞けば良いじゃないか」
やれやれだ、俺はリボンの形に結ばれたタイをするりと解き、プレーンノットに結びなおす。
「へぇ、上手いのね」
「そりゃ俺だって男だ、ネクタイくらい結べるさ」
おお、と感心する遠坂を余所に、俺は遠坂の襟を正してタイの形を整える。うん、これでよし。
「あ、有難う、それじゃ本当にいってくるから!」
暫く襟元の結び目に手を当てていた遠坂だったが、急に赤くなると何か慌てたように飛び出していく。どうしたんだろう、そんなに時間に余裕がなかったっけ?
「ご馳走様」
と、ここでセイバーがいやに大きな声でポツリと呟いた。
「あれ? セイバー朝飯終ってなかったっけ?」
「いえ、朝食は終っておりました」
セイバーさんはなぜかとても綺麗な笑顔で笑っていらっしゃる。
「な、なにさ?」
その笑顔が余りに遠坂さんに似ていたものだから俺は、思わず聞き返してしまった。
「大した事ではありません。ただ、まさか新婚家庭の典型的な一情景と言うものを、リアルタイムで見られるとは思ってもみませんでしたから」
本当にご馳走様でした。とセイバーさんは微笑まれる。
でも、新婚家庭の典型的一情景? なんだそりゃ?
「――あ……」
あれか。朝、夫のネクタイを結ぶ新妻。
真逆だったが、まさにさっきの俺と遠坂はそんな情景だった。しかも俺はまだエプロンまでしているし……うわぁ……
「――っ!」
と、思わず赤面してしまったところに、いきなり遠坂が血相変えて戻ってきた。
「ど、どうしたんだ?」
「講義用のテキスト忘れた!」
もう一度、デスクの上に纏めてあったテキストを引っつかむと、今度こそと手を振って出かけていく。
本当に大丈夫かなぁ、残念というよりも心配になって来たぞ……
とはいえ仕事はさぼれない。俺は若干心残りを残したままエーデルフェルト邸に向かった。
「悪いね、衛宮君。無理を聞いてもらって」
「いいえ、いつもお世話になっていますから」
エーデルフェルト邸は、なにせ魔術師の家だ。使っている人数はギリギリだし、おかしな使用人は雇えない。となれば一人少なくなればそれだけ一人当たりの仕事は大変になる。メイド長さんもそれを心配してギリギリまで勤めると言っていたのだが、何せ人生の転機だ。ルヴィア嬢は彼女の心配を押し切って早々に暇を出したのだ。
よって補充人員が来るのは当分先、それまでは日頃お世話になっている俺としては、目一杯頑張らなきゃというわけだ。
「では外回りを頼む。私は中のことで手一杯でね」
「分かりました。そっちは俺に任してください」
メイド長の仕事は内向きの管理一般。シュフランさんがそれを代行するとなると、庭や車の管理にまで手が回らなくなる。庭師が来るといっても細かな世話はあるし、運転手が居るからといって車庫や機械類のことも疎かには出来ない。俺は作業着に着替えて外回りの手入れに回ることにした。
「なんか、あっという間に秋だなぁ」
ついこの間まで夏だったというのに、倫敦の十月はもはや晩秋だ。俺は木立の落ち葉を集めたり、薬草園のビニールハウスの補修をしたりと、庭の手入れに没頭した。
「あれ?」
と、そこでビニールハウスの中を飛び回る小さな羽音に気がついた。
「……蜂?」
そうだ、蜜蜂だ。確かに自家製の蜂蜜や蜜蝋を採るために巣箱はあったが、今は使ってなかったはずなんだが。
「ルヴィアさん一念発起したのかな?」
蜂蜜や蜜蝋は、料理や家事のためだけで無く、魔術にとっても重要な材料だ。今は買ってきているが、それなりの手順を踏んで、自分で作った方が都合が良いことには違いがない。俺は巣箱が置かれていた庭の外れに行ってみることにした。
「あ、やっぱり始めたんだな」
確か夏前は空っぽだった三つの巣箱。今はその周りをぶんぶんと蜜蜂が忙しげに飛び回っている。
ただ少しばかり不審な点はある。蜜蜂の盛りは春から夏にかけて、こんな時期から始めるのは時期はずれだ。それに秋は冬篭りの準備で、これほど忙しげに飛び回るってのもちょっと変だ。
「うわぁ!」
そう思って近づこうとした時だ。俺の顔に向かって、ひときわ大きい蜂が威嚇するように飛んできた。慌てて身を躱すと、そいつは仲間を呼んで俺が近づこうとするのを警戒するようにぶんぶん飛び回る。
「スズメバチじゃないか……」
驚いた。それも蜜蜂の天敵であるオオスズメバチだ。それが蜜蜂を守る牧羊犬のように巣箱の回りを警戒している。ちょっとまて、こいつって確か英国には居なかったはずだぞ?
「……どう言う事だ?……って魔術に決まってるか」
そこまで考えて、俺は自分の馬鹿さ加減に少しばかり頭を抱えた。魔術師が魔術の素材を得るために養蜂をしているのだ。その過程で魔術的な飼育法を使ったって不思議じゃない。となると、シュフランさんに聞いても詳しいことは分からないだろう。
ルヴィア嬢が帰ってきたら聞いてみるか。俺はそう思い、巣箱に近づくのを諦めて仕事の続きに戻ることにした。
「本当にすっかり秋だなぁ」
倫敦はそこいら中に公園が、緑地が田園がある。
そのせいだろうか動物や植物、虫達の姿や声が折々の季節を色濃く感じさせてくれる。特に今、俺が向かっている王立音楽院はハイドパークと並んで倫敦最大級の公園である、リージェントパークに隣接している。近づく都度に、鳥や虫の声や姿が多くなる。今も道すがら、何処から飛んできたか赤とんぼが空を舞っている。倫敦にも居たんだなぁ。
「やあ、ミスター衛宮。今日はこっちで講義があったかな?」
小演奏会用のホール。それがここでの俺の目的地だ。俺が着いた時には、呪歌講座の面々が午後の演奏講座の用意を終え、昼食の弁当を広げていた所だった。
「いや、遠坂をたずねてきたんだけど。もう帰ったのかな?」
尤も俺の目的は、呪歌の講義じゃない。ここで午前に遠坂が行っていた初講義の結果を確かめる為だ。もしかしたらまだここに残っているかもしれないし。俺は呪歌の助手に聞いてみることにした。
「ああ、ミス遠坂なら何か大慌てで本館の方へ戻って行ったよ」
「大慌て? 講義でなにかどじったとか?」
「いや、それは無い。なかなか見事な講義だったと思う。教授陣もしぶしぶながら認めていたようだしね」
じゃあ何でそんなに慌ててたんだろう。俺がはて、と首をかしげていると。いつぞやのチェンバリストの女の子が、おっきな弁当箱を片手に話しかけてきた。
「遠坂先生。何か人を探してたみたいです。講座が終って暫くしたら挨拶もそこそこに、教務課に行くとか言って」
遠坂先生か……確かに先生だよな。あれ? この娘は去年もいたから二年目じゃないのかな。
「君も受けたんだ」
「あ、はい。私、去年落しちゃったから……」
だんだん声が小さくなる。あ〜、自分で言うことはないと思うんだが。
慰めようと微笑んだら、ここで自分でも気がついたらしい、うるうると目を潤ませ、お弁当箱の蓋に顔を伏せてしまった。あれ?
「そのお弁当……」
なんかでかいと思ったら、塗りのお重だった。ちょっと驚いたな、倫敦で見かけるようなものじゃないぞ。
「ああ、それは差し入れだ。午前の講義を聴いていた聴講生の女の子から貰ったんだ」
「へえ、日本人の聴講生か」
今のところ時計塔の学生で日本人は俺達だけだ。そうか今年からは増えるのかな、何処の人だろう。
「ほう、それじゃあこのオムレツは和食だったのか」
東洋人であることは分かったんだが、と助手氏は出汁巻き卵を摘まんでいる。
「おう、それにサトイモの煮転がしに海老団子。へえ、ぶりの照り焼きにニシンの昆布巻きまである」
思いっきり立派だ、しかも手作り。なんかこう敵対心というか挑戦心がめらめらと燃え上がってくる。
「衛宮さんも食べます?」
そんな事を考えながら腕組みしてお重を覗き込んでいたら、お重の蓋の陰から、チェンバリストの女の子が顔を出して聞いて来た。そうだな、見た目は合格、ここに居る面子には評判が良いようだが、そういう事なら味の方も確かめてみたくなる。
「それじゃあ、遠慮なく」
俺は一通りの料理を盛ってもらい、じっくりと味見することにした。
「……むむ」
旨い。しっかりした味付けながら、素材の持ち味を生かした調理、下拵えもばっちり、下手な調味料で手を抜いても居ない。うむぅ……なかなかやるな。
「こっちのオムレツは甘いんですよ」
そのまま、むむっと唸っている俺に、もう一つのお重が差し出される。こっちは玉子焼きにから揚げ、おお、これは見事なたこさんウィンナー。ある意味これも日本料理だろうなぁ。
「……あれ?」
なんとも懐かしい遠足メニューを口にして、俺ははて、と首を傾げてしまった。この玉子焼きの甘さ加減、覚えがある……って言うよりこれは……
「衛宮家の味だ……」
一瞬わけが分からなくなる。そういえばさっきのサトイモの味付けもどこか懐かしかったし、あの出汁まきの味付け、ぶりの照り焼きのみりんの加減、どれも馴染みのあるものばかりだったような気もする。
「どうしたんだね? ミスター衛宮」
「あ、いや。なんでもない」
呆然とした俺に心配そうに声をかけてくれた助手氏に、俺は軽く頭を振って応えた。家で作る玉子焼きの味なんかは、そう違っちゃ居ない。冬木の近くの家庭なら、何処でも似たような味になるだろう。
それに何よりこういった日本の家庭料理を食べるのも久しぶりだ、そうそう違った味を知っているわけでもない。多分、良く似た味なのだろう、もしかしたら御近所さんなのかも知れない。
「ご馳走様、凄く懐かしい味だった。それじゃこれで」
それよりも遠坂だ。慌てて帰ったって言うけど。何があったんだろう。
午後の講義もある。俺は呪歌講座の連中に軽く挨拶して、王立音楽院を後にした。
午後の講義、というより担当教授による個人指導なのだが、一時間たっぷり絞られ、山のような宿題を頂いて、俺はへとへとになりながら、遠坂の工房に顔を出した。
今年から俺の担当になった教授は、専門こそ隠秘学で俺の専門分野とは些か違うが、こと白兵武器の遺物
「あれ? セイバーだけなのか?」
何があったんだと言いながら書斎に入ったのだが、そこに居たのはセイバーだけ。妙に散らかった部屋の真ん中で、荷解きされた小物を片付けていた。
「はい、教務課に用事があると。次の実験もありますから間もなく帰ってくると思いますが」
片付けの手を止めて、セイバーは苦笑しながら応えてくれた。
成程、そういえば音楽院でもそんな話を聞いたな。でも何を調べてるんだろう?
「セイバーは何か聞いてないか?」
「いえ、先ほども難しい顔でこの部屋の荷物をひっくり返していましたが、具体的にはなんとも」
困ったもんだとセイバーを手伝いながら。俺はもう暫く遠坂を待つことにした。しかし、随分と散らかしたもんだな。
「一体こんなにひっくり返して何を探してたんだ?」
あらかた片付け終わっても、まだ遠坂は帰ってこなかった。俺はもう講義はないけど、遠坂の奴は大丈夫なのかな。
「多分、デスクの上においてある写真立てだと思います。それを見つけると、探すのをやめましたから」
セイバーも同じ思いなのだろう、やれやれと苦笑しながら肩を竦めると、デスクの上を指差した。
「へえ、遠坂じゃないか」
「ええ、凛かと。随分と可愛らしいですが」
その写真には六・七歳位だろうか、丁度日本に居た頃セイバーが良く着ていたようなデザインの服を着た幼い遠坂が、見上げるような視線で写っていた。実に可愛らしい。この可愛らしい女の子が十年後に、あかいあくまになろうだなんてとても想像出来ない。時の流れとは残酷なものだ。
「でも、何でこんなものを探していたんだろう?」
確かに遠坂にとって思い出の品かもしれないが、だからと言って慌てて探し出すようなものにも見えなかった。
「ただいまぁ……」
と、丁度良いタイミングで遠坂が帰ってきた。
かなりお疲れのようで、遠坂らしくなく肩を落としてとぼとぼ歩いてくる。何があったにせよ、目当てのものは見つからなかったって所だろう。
「おかえりなさい、凛」
「おかえり、遠坂」
「うん……あ、士郎も来てたんだ」
俺たちの挨拶にも生返事だ。やっぱりかなり元気がない。そのまま重い足取りで部屋に入ってくると、どっかとソファーに腰掛けて、眉を顰めて溜息なんかついている。どうしたって言うんだろう。
「その、初講義が上手く行かなかったのか?」
「え? ううん、そっちは上手く行ったわ。我ながら上出来だったと思ってる」
「それじゃあ、どうしたんだ?」
それではと、セイバーがお茶を入れてくれている間に、俺は遠坂に聞いてみた。音楽院でも聞いたとおり、やはり講義の問題ではないようだ。
「ええと、その……なんて言ったら良いか……」
だが、どうにも歯切れが悪い。それでもセイバーがお茶を運んできてくれる頃にはポツリポツリと話し始めてくれた。
「……桜?」
「うん、間違いない……と思う」
「随分と、曖昧なんだな」
「後姿だけだったから、髪形も違ったし」
「それで良く桜だと分かりましたね」
「だからそれを確かめる為に、探し物をしたわけ」
遠坂はそういいながら、デスクの上の写真立てを指差した。あれ? でもあれは遠坂の子供の頃の写真だろ?
「桜、子供だったのか?」
「そんなわけ無いでしょ、リボンよリボン」
写真を手に遠坂が説明してくれたのだが、その写真のリボンは一種の魔具で、遠坂自身の手で始めて作った道具なのだそうだ。女の魔術師にとって髪は最後の切り札、それを止める装身具もまた、それなりに意味のあるもので無ければいけないのだと言う。
「じゃあ、遠坂はそれを桜に?」
「うん、その……わかれるときにね……」
どこか恥ずかしげに、どこか懐かしげに遠坂は小さく呟いた。
なんだ。
やっぱりお前ら良い姉妹じゃないか。
冬木での一件の後、仲良くなったように見えてどこか距離置いた感じのあった遠坂と桜だが、結局はずっと思いあっていたんじゃないか。遠坂は自分の一部を桜に託し、桜もそれを未だに身につけている。
つまり意地を張り合ってるわけか。俺は納得できたような気がした。
遠坂はこうだし、桜だって結構頑固だ。お互い、おかしな含みはさっさと捨てて素直になれば良いのに。
「……なによ」
「いや、なんでもない」
とはいえ俺が言っても仕方がない事だ。これは遠坂と桜の問題。下手に手を出すと臍を曲げかねない。まったく難儀な姉妹だ。ここはうまく立ち回らないとなぁ。
多分セイバーも同じような思いなのだろう、目配せすると、苦笑しながら頷いてくれた、お互い苦労するな。
「……なんか物凄く気に入らないけど良いわ。そういうこと、わたしが見た後姿はこのリボンをつけていたわ」
「そうか、だから教務課で学生のチェックしてたってわけか」
「うん、そうなんだけど……」
結局、正規の受講生にも聴講生にも桜の名前は無かったらしい。どう言うセキュリティしてるのよ、と遠坂は口を尖らせて怒っている。確かに魔術師の総本山にしてはちょっと問題あるなぁ。
「なんかこうなると、わたしの見間違いじゃないかって気もしてくるし……やんなっちゃう」
珍しく弱気でもある。桜のことになると遠坂は、未だに今ひとつ本調子じゃない。桜か……あれ? 桜……
「……あ」
ここで俺もはたと気がついた。あの玉子焼きの味、それにあの料理の出汁加減……
「どうしたの?」
「その……今年の学生の中に日本人っていたか?」
俺は音楽院での出来事を遠坂に説明した。差し入れを持ってきた謎の東洋人聴講生の事。そしてその差し入れが日本料理だった事。
「……日本人なの?」
「直接見たわけじゃないから、断言は出来ない。だが料理は日本の、それも家庭料理だった」
「……今年、日本人の新入生は居ないわ」
しかも、あれは桜の味付けだった。俺の味付けに似ているが、それでもちょっと違う。うん、間違いない。あれは桜の味だった。
俺たちは顔を見合わせた。遠坂が見た後姿、俺が味わった料理、どちらも明確ではないが桜の影が映っている。
「遠坂……桜は倫敦に居るぞ」
「今は……日本は夜か……まだ大丈夫ね」
俺の言葉に、暫く無言で考え込んだ後、遠坂はデスクの上の電話を手に取った。どうやら国際電話を掛けている様だ。そうか、日本へか。
「神父様ですか? 遠坂です、夜分恐れ入ります」
暫く話して、遠坂は電話を置くと、俺達に向かって頷いた。
「桜は旅行中だって。藤村先生と一緒に温泉だって言ってるけど、怪しいわ」
いくら桜だって、こっそり来るならばそれくらいの隠蔽はするだろうと言う。
「しかし、何故そのような事を?」
「……そういや、そうだな」
俺達の話を、些か訝しげに聞いていたセイバーが口を開いた。状況に飲まれてすっかり失念していたが、そういえばなんで桜がそんなことするんだ? 俺達に会いに来たなら、真っ直ぐ来れば良いじゃないか。何も隠れてこそこそ……
「士郎、あんたは桜に会ってないわよね?」
と、遠坂がいきなりはっとしたように俺を見詰めた。
「? 会ってないけど?」
「あ、うん、それなら良いの……」
なんか微妙な表情だな。ちょっと遠坂らしくない。つまり桜がらみの事なのだろう。
「? なにさ?」
「ごめん、私から言うことじゃないわ。何れ桜が直接士郎に言うと思う」
未だ微妙な問題だ、駄目元で聞き返したのだが、苦笑しながらも応えてくれた。士郎にも隠れてるって事はそっちじゃないか……などとぶつぶつ言っている。俺? 何の事だろう。
「意趣返し?……今の桜ならありうるかも……」
「おいおい、桜はそんなことする娘じゃないぞ」
そりゃ、俺が思っていたよりずっと強かったけど、桜は気の優しい娘だ。遠坂じゃあるまいし。
「なに言ってるのよ。今のあの娘はわたしと一緒なのよ?」
うっ……じゃあ、ありうるか。
「……その納得面は、物凄く納得できないけど……」
と、頷いていたら遠坂からむぅ――と睨まれた。遠坂、お前が言い出した事なんだぞ?
「ともかく、これは桜からの挑戦よ。あの娘、わたしと真っ向勝負するって言ったんだから」
「ちょっと待て、そんな話は聞いてないぞ」
なんだよ、その勝負ってのは? 桜と遠坂が? お前ら俺の知らないところで何やってたんだ?
「凛……貴女方は一体何をしていたのですか……」
ほら見ろ。セイバーだってこめかみ押さえて呆れてる。
「桜を見つけ出すわよ。草の根分けても見つけ出して、きっちり話をつけるわ」
そんな俺の文句とセイバーの呆れたような溜息を一切無視して、遠坂は拳を握り締めて立ち上がった。
「どうする、セイバー?」
「凛の事はともかく、もし桜が居るならば事情を聞きたいところですね」
「おう、そうだな。俺も桜とは一辺じっくり話したかったんだ」
「そこ! 勝手に話を逸らさない!」
御互いの思惑はともかく、俺たちは桜を見つけ出すことになった。
しかし、桜が遠坂と一緒? これからも苦労しそうだな……
倫敦の街に、というか時計塔に見え隠れする黒い影。
桜ちゃんは何を、なんでして居るのでしょうか。未だ後姿しか出ていませんが、これは桜のお話、くろいひいろ です。
士郎は、凛は桜に会えるのでしょうか? 後編をお楽しみください。
By dain
2004/11/3初稿