「結局なんでもないって事は無いのか? 事件も偶然とか」
気分転換も兼ね、一旦所蔵庫の外へ出た俺たちは、そのまま博物館前に広がる庭園のベンチで弁当を広げる事にした。
魔術師は基本的に穴倉に篭るものだが、どうも俺たちはお日様を浴びるのが習い性になってしまっているようだ。
「可能性が無いわけじゃないけど……」
バスケットから取り出したクラブハウスサンドを手渡しながら尋ねた俺に、遠坂は難しい顔で応えてくれた。どうも、自分自身でも今ひとつ確信が持てないようだ。
「状況証拠と物証が合わな過ぎるのよね」
もぐもぐごくんと食べながら、遠坂は小さく溜息をつく。
「他の品物じゃないんでしょうか?」
三つ目のチキンサンドを手に、何気に健啖な桜が伺うように聞いてくる。ただ、そうなると後は虱潰しに当たるしかない。
「仕方ないわ。場合によったら泊まりになるわよ。わたし達は残りのファベルジュを当たるから、士郎はさっき言ってたカメラの方頼むわ」
「おう、わかった」
正直先を考えるとげんなりする。だが、俺はあえて明るく返事をした。これから先は根を詰めた単調な作業だ、雰囲気だけでも盛り上げておかないと、小さなミスが大きな問題になる事もありうる。こうやってのんびりと昼飯を食っているとはいえ、神秘を扱うと言う事は燃え盛る炎を素手で扱うようなものなのだ。
そんな俺の気持ちがわかってくれたのだろう。遠坂も桜も大きく頷くと、片や不敵に、片や優しく微笑んでくれた。
何とも不思議な気持ちになった。確かに外に現れる姿は違っても、優しいくせに意地っ張りな妹と、意地っ張りなくせに優しい姉、この二人の根っこは一緒だ。今までちっとも気がつかなかったが、やっぱりこの二人は姉妹なんだな。
そうと決まれば早速行くわよ、とばかりに拳を作る姉と、頑張っちゃいますとそれに応える妹。
過ぎ去った日々は辛い事ばかりだったかもしれないが、明日はきっと良い日になる。それは、漠然とだが俺にそんな思いを抱かせる光景だった。
あかいあくま | |
「真紅の悪魔」 | −Rin Tohsaka− 第八話 後編 |
Asthoreth |
「あの、一つ聞いても良いでしょうか?」
「なに、セイバー?」
食事も終わり、気合を入れなおして所蔵庫に戻った俺たちに、セイバーが声をかけてきた。英霊とはいえ、こういった仕事では出番が無いせいか、ちょっと遠慮がちだ。
「先ほどの細工物ですが、一つだけ用途のわからないものがあったのです」
最初はお弁当箱かとも思ったが、どうも違うようなので、とどこか恥ずかしそうに続ける。弁当箱? そんなものあったかな。
「ああ、これね」
「確かに一見お弁当箱ですよね、これ」
これです、とセイバーが指し示したものは、確かにお弁当箱だ、丁度アルマイトのドカ弁のような大きさと形で、美しいエナメル象嵌で覆われているとはいえ、余り美しい形とはいえない。
「はい、一体何なのかと」
お弁当箱かと思ったときから、ずっと気にかかっていたらしい。
「ええと……」
「ちょっと待ってください……」
教えていただけますかと言うセイバーの視線を、ふっと避ける遠坂と慌てて目録を繰り出す桜。待て、もしかしてお前らも何かわからずに眺めてたのか?
「カメラだ」
だから、俺が応える事にした。一見弁当箱、だがこれは機械式のカメラ。正確には、
「映写機と撮影機が一体になった発条式のムービーカメラだ」
「あ、これですね。一九一五年製パティーベビー。同年にフランスに特注された筐体をファランジュがエナメル象嵌で加工した品です」
「へえ、良くわかったわね」
「そりゃ、機械だからな。こういうのは俺の十八番だ」
目録を確認しなおすと、他の装飾品に混じってこれまた綺麗にエナメル象嵌された発条
「機構におかしなところは無い。まだまだ使えるはずだぞ」
なんかこういうのは気持ちが良い。感心して見ている三人を前に、俺は実演をする為に発条を巻こうとした。
「ですけど、レンズが紛失とありますよ」
「確かに、横に開いた穴がその痕跡でしょうか」
「フィルムだって無いでしょ? 無意味じゃない」
だってのに、次から次に文句が飛び出してきやがる。なんだよ、こいつは凄くきちんとした機械なんだぞ、ちゃんと手入れもしてあるし、まだまだ使える。それに、
「レンズとフィルムはカメラのコレクションの方にあったぞ」
さっき必死で照合した目録に、確か同年代のパティーベビーが一式があった筈。いかに筐体がファベルジュの加工だとはいえ、中の機械は同じものだ。だったら、それを流用すればこいつだってちゃんと動くはずだ。
「士郎は本当にこういったガラクタ好きよねぇ」
「先輩、昔からそうでした」
感心するような、呆れるような外野の声を余所に、俺はカメラのコレクションからレンズとフィルムを抜き出して、ファベルジュのカメラに向き合った。
遠坂や桜の眼からすれば、こいつらは美術品かもしれないが、今回ここに集まった品物は皆実用品だ。見られる事でなく、使われる事を前提に作られた“道具達”だ。だったら、やっぱりいつまでも使える状態であるべきだ。
「よし、これで使えるぞ」
思ったとおり、レンズの径も金具もフィルムのリールも規格品で、サイズは間違いなかった。発条を巻くと、カタカタとシャッターの連続音が小気味よく響く。うん、お前は大丈夫、立派に今も使える道具だぞ。
「成程、このような品だったのですね」
「凄いですね、これで写せるんですか?」
感嘆の声を上げるセイバーと桜。ちょっとばかり鼻が高い。
「いや、フィルムは皆現像済みなんだ。それに遺品コレクションを使うわけにはいかないだろ?」
「そういえば、そうですね」
がそんな中、遠坂一人なぜか難しい顔で、カメラを睨みつけている。
「どうしたんだ、遠坂」
「ねえ、士郎。このカメラって撮影できるのよね?」
「勿論だ、こいつはちゃんと生きた機械なんだからな」
「十九世紀のカメラよね?」
「おう、そうだぞ」
「そのわりにフィルムが随分新しくない?」
「ああ、そのことか」
眉を顰めて俺に質問を繰り返す遠坂。これで遠坂が何を悩んでいたかわかった。
「フィルムは今でもあるんだ。ミノックスの九ミリ半。今じゃ小型カメラのフィルムだけど、元々はこいつのフィルムだったんだ」
だから規格を合わす事が出来る。ここのコレクションのフイルムも殆どは、ミノックスのフィルムを切り張りして作ったものだ。
「……」
それを聞いた遠坂だが、いきなり目を見開いて俺を見詰めだした。といっても俺を見ているわけじゃない、瞳の向こうで凄い勢いで頭が回転しているのが見て取れる。何か気がついたな……
「フォーブスコレクションにあるときは、そいつは撮影も映写も出来ない状態だった。でも個人所蔵になってカメラのコレクターでもあった所持者は使用可能な状態に修復したってわけね……」
「……じゃあ」
独り言とめいた遠坂の述懐。それで俺も気がついた。このカメラもフィルムも失踪した所有者に代々引き継がれている。って事は。
「士郎、そいつのフィルム、全部ここへ持ってきて」
「わかった」
「桜、解析の準備。士郎が持ってくるフィルム片っ端から調べるわよ」
「はい!」
そいつが怪しい事になる。フィルムそのものか、それともフィルムで撮影したり映写したりする事が引き金なのか、ともかく、俺たちはフィルムとカメラ、それを一式のシステムとして調べる事になった。
「あ、ありました! 姉さんこれ!」
「ちょっと見せて」
「ここです、この四隅」
ほこりを被った十本ほどのフィルム。リールの形では、なにも感知し得なかったのだが、思い切ってばらし、コマごとに調べていくうちに桜がその事に気がついた。
「なにこれ? ……ああ、そうか。残像で呪式になるんだ」
五分ほどの長さだろうか、継ぎ接ぎのミノックスフィルムの一本。新しいくせに妙に傷の多いそのフィルムの四隅、マーキングのように、自然の傷のように刻まれた小さく細い筋。一つ一つでは意味を成さないその傷は、繋げてみると一つの呪刻となって浮かび上がってくるのだ。
「つまり、そのフィルム一本で……」
「そう、一つの結界ってわけ」
とうとう見つけたと言うわけだ。恐らくこいつが今回の“神秘”って奴だ。
「それで、具体的にはどのようなものなのでしょう?」
セイバーが厳しい顔で遠坂に尋ねた。これがもし目的の神秘なら、それは持ち主を次々に行方不明にするようなもの。素人が扱ったのだから、予期せぬ事故だとも考えられるが、それを明らかにするのも、俺達の仕事だ。
「それなんだけど……」
が、遠坂は応えない。フィルムをリールにまき戻しながら、唇を結んで一同を見渡すだけだ。
「あの……もしかして」
なんとも嫌な予感がする。沈黙に耐えかねたのか、恐る恐る桜が口を開いた。
「やってみないと分からないわね」
……やっぱり。
「呪式そのものは結界よ。何かを固着させてる感じ。でも何をってのがわからないの。フィルムっていう形からすると、その中に何かをって事なんだろうけど」
遠坂は口元に手を当て、何事か考え込んでいたが、俺や桜の顔を見渡すと徐に口を開いた。
「状況から考えて異界への放出系か、取込み系だと思うけど。それって考えようによっちゃわたし達の専門じゃない」
遠坂の得意分野は異界への探査と浸透だ。桜の虚も一種の空間制御だし。俺の固有結界も見方を変えれば異界構築である。つまり、遠坂は俺たちならきちんと用意と心構えさえしておけば、大抵の状況に対処できるといっているのだ。
「もし何らかの脅威が具体化しても私がいます」
さらに、セイバーがぐいっと腕組みし一歩前に出る。それに英霊の戦闘力が加われば鬼に金棒だと言うのだ。
「士郎、そのカメラの使えるんでしょ?」
「ああ、でも呪刻はフィルムだろ?」
遠坂は、どうやらこのファランジュのパティーベビーを使うつもりらしい。
「うん、でも今までの所有者はそれで見たと考えた方が良いわ。状況を再現したいの」
同じように引き継がれたと思われるカメラとフィルム。物そのものに魔術的な細工は無くとも、引き金として何らかの繋がりがあるかもしれない。遠坂はそう判断したわけだ。
確かにこういった手回しや発条式の機械は、一つ一つに癖がある。フィルムの再現がそれにあわせて調整されていた可能性もあるだろう。
「わかった。映写の用意は俺がする」
「うん、お願い。わたし達は一通りの対策を講じとくから」
ともかく、俺たちは謎のフィルムの映写会の準備に取り掛かる事にした。何が出るか蓋を開けてみなきゃわからないところが不気味ではあるが、それに対応できると信じて先に進まなきゃいけない。絶対確実な事など何処にも無い。魔術とはそういうものだ。
「士郎、良い?」
「おう、こっちはいつでも良いぞ」
遠坂の声に、俺はカメラの発条を巻き、フィルムを収めた事を確認して応える。
「桜?」
「はい、ソロモンの防護陣ですよね、三重に描きました」
次に、床にびっしりと書き込まれた魔法陣をもう一度確認しながら桜が応えた。
「セイバー」
「何時なりと」
最後に、完全武装に身を包み、剣を地に突き立てて瞑目しているセイバーが凛と応える。
「それじゃ、士郎。始めてちょうだい」
準備は整った。腰の三つのポーチにそれぞれ用途に応じた宝石を収め、うんと頷いた遠坂が俺に合図を送る。謎の撮影会の開始だ。俺は室内の照明を落し、発条を抑える掛け金を外した。
結局、映写は所蔵室の一角、ファベルジュの品物を置いてあった金庫のような小部屋で行う事になった。
まずはカメラとフィルム以外の一切合財を外に出し、金庫室自体を結界で括る。更にそこに悪魔の召喚にも耐えられるような防護陣を置き、その中央に映写機と俺達が入り、壁に映像を映そうというものだ。
「間違いないわ、結界……だけど、あれって制御?」
「だと思います。ですけど……なにか嫌な絵ですね。明るいのに暗い……」
カタカタと映し出される映像は、どうやらどこかの屋敷の居間らしい、ゆっくりと振られるフレームの中で、燃える暖炉の明かりが深い影を部屋中に落としている。無論モノクロ。当然、古いカメラだから昼間の映像しか写せない。なのに桜の言うように、どこか妙に暗い。
「凛、シロウ」
セイバーが厳しい声で一歩前に出る。動くものは何も映っていないはずの映像。カメラのパンだけが動いているはず、なのに、そこには間違いなく何かが居る。
―― 切!――
「あ……」
が、結局何事も起こらなかった。カタカタと音を立て、映写機はただ巻き取られたフィルムを回すだけだ。
「終っちゃった……んですか?」
「ああ、これで終わりみたいだな」
「……おかしいわね」
遠坂が首をかしげる。確かに、おかしな映像だった。間違いなく何かがいた、魔術の匂いがした。だが結局何も動きはなかった。これが持ち主が失踪した原因とは思えない。
「呪刻があったフィルムは、これだけなんだろ?」
「うん……良いわ。もう一度見せて」
今度こそじっくりと見定めてやると、遠坂は座りなおした。
「それじゃ、行くぞ」
俺は巻き取られたフィルムをもう一度、映写機にセットした。再度発条を巻き、掛け金を外し映写を開始した。
「え?」
「これ……さっきと違いますよね?」
が、今度は始まった途端驚愕の沈黙が走った。
同じフィルムのはずなのに、映し出された映像が違っていたのだ。いや、カメラの動きやフレーミングは同じだ。だが映し出されている部屋はまったく違う。
前はどこかの屋敷だった。だが今回はどこかの豪華なホテルのスィートのようだ。シャンデリアの明かりと整えられた室内。窓からの風景も高層であることが伺える。
「呪刻も減ってるわね……」
同様に映像をじっと注視していた遠坂がポツリと呟いた。確かに、四隅に一つずつあった呪刻が、この映像では一つ減って三つになっている。
「どう言う事だ……」
「桜……」
俺の呟きに、眉を顰めて考え込んでいた遠坂は俺ではなく桜に聞き返した。
「あ、はい」
「一人目と二人目の所有者の失踪した場所は何処だったっけ?」
「ええと、自宅の居間に、出先のホテルだったと……あ!」
桜の絶句に遠坂は映像を見据えたまま静かに頷いた。つまり、今映し出されているのは、持ち主が消えた時の映像って事か?
「三人目、マナハン氏は何処で消えた事になってた?」
「ヨットです。この夏、ビスケー湾で」
結局二度目の映写も最後まで何も起こらなかった。俺はなにを言われずとも、もう一度発条を巻き三度目の掛け金を外した。
今度は驚きはしない。予想通り、映っているのは豪華なクルーザーの船室。波に揺れる室内、そして海の情景。
「呪刻も二つに減ってる……」
そして四隅の呪刻も上の二つが消え、今映っているのは下の二つだけ。
更に映像から放たれる圧迫感も、益々強くなってきている。そう、今にも何かが飛び出してきそうな……
「遠坂!」
「凛」
「わかってる」
三度目の映写が終った。今回も色濃く落ちた物影から気配はしても、結局何も現れなかった。
だが、次は? 今の場面が以前の持ち主、マナハン氏の最後の場面だとしたら。次に映るのは……
「士郎、もう一度」
「姉さん……」
「良い、桜」
不安そうに目を向ける桜に、遠坂は真っ向から視線を向ける。
「謎や神秘を目にしたならば、目を逸らさず理を導き出す。例え自分の命を掛札にしてでも先に進む。それが魔術師って奴なのよ。覚えておきなさい」
「……はい」
一瞬、視線を外しかけた桜だが、一つ息を整えるとしっかりと顔を上げ遠坂を見詰め返した。
「それじゃあ、士郎。始めて」
「おう」
それを見て俺とセイバーも顔を合わせて頷きあう。遠坂と桜が、二人の魔術師が腹を括ったのだ。こいつらと共に生きると決めた俺たちは、その背中を守って先に進むだけだ。
遠坂だって失敗する事はある。だが間違えはしない。俺たちはそう信じてここまで来たのだから。俺は四度目の発条を巻き、四度目の映写を開始した。
「やっぱり……」
カタカタと単調な音を背景に映し出された情景は、思った通りこの部屋の情景だった。勿論、今度も動く影はない。俺達さえ映っていない。だが、間違いなくこの部屋だった。
「……影が……」
桜が息を呑むように呟いた。
確かに、影が映っている。影を落すようなものが何もない部屋のはずなのに、それでも映像には影が映っている。
「これね……」
徐々に、気配が強まってくる。これまでの映像でも気配はあった。だが、こいつはそれまでとは違う。まるで、そう。今この瞬間、俺達の隣に何か魔獣の様なものが居る、そんな確たる気配が……
「凛……」
セイバーが俺たちを守るように一歩前に出る。既に、セイバーは映写機と映像の間に割り込んでいるにもかかわらず、映像にはセイバーの影は映っていない。まるで素通しするようにこの部屋の、一つの影を落としたこの部屋の情景を写しているだけだ。
「セイバー、まだ陣から出ないで。士郎、カメラをいつでも止められるように」
「わかった」
遠坂の指示でセイバーの歩みは止まった。俺もいつでも映写を止められるように発条に……
「……っ!」
弾かれた。発条に触れた瞬間、電流が流れるように俺の指は弾かれ血が流れる。
「ちょっと、なんで? 魔法陣の中よ!?」
「姉さん……陣が」
桜の声に床に目を移した俺たちは息を呑んだ。悪魔の召喚にも耐えうるはずのソロモンの護陣。三重に描いたはずの陣がひび割れている。
「くっ! ……映像の呪刻」
繰り返された映写でその都度数を減らしていった映像の呪刻、その消えた呪刻が影となり、焼け付くように俺たちを守るはずだった護陣に楔を打ち込んでいたのだ。
―― ……
その時だ。映像の中でいきなり影が形を持った。
いや、形じゃない。影は影だ。ただ、その影を落とした見えない本体が、見えないまま形を持って立ち上がったのだ。
そして、見えない何かは、映像の中で丁度遠坂がいるあたりの位置を見えない爪で薙いだ。
「凛!」
「――っ!」
微かに裂けた遠坂の手には一筋の傷。そこからは一滴の血も流れていない。だが、映像に目を移すと、
「遠坂! くそっ!」
モノクロの画面の中で真っ赤な血が飛び散っている。
「姉さん!」
「こっち!」
慌てて遠坂に駆け寄った桜を、遠坂は抱えるように引き倒した。そこに素早くセイバーが身体ごと割り込んでくる。
――琴!
「――ちっ!」
続いて、サイレントな画面に金属音が響く。影のみの何者かの爪を、今度はセイバーの刃が弾いたのだ。
「――――Funkeln
その隙に、遠坂が即席の呪と共にジルコンを放り投げる。即座に室内は眩い光で照らし出された。
「――な!」
が、壁に映し出される映像に変化はない。変化があったのは照らされた室内の方だ。ジルコンの透明の光に映像そのままの姿で何者かの影だけが浮かび上がる。猫のような、猿のような、素早く四足で駆け回るなにか。
―― 紗!
「――てぃ!」
未だ姿は見えない。だがこれで前より相手の位置は掴みやすい。俺は素早く投影した干将で、ジルコンを叩き落そうとするそいつの爪を弾き返した。
「せい!」
すかさず僅かに崩れた影を、俺の脇をすり抜けセイバーが両断する。
―― !!
真っ二つ。が、瞬時に影は縫い合わされ、再び俺達の周りを駆け巡りだす。
「凛!」
「わかってる」
血の出ぬ傷口を縛りながら、遠坂が眉間に皺を寄せる。ただの切った貼ったじゃこいつはどうにもならない。魔術師の、理
「桜、影獣だと思うけど。あんたの解析は? 影はあんたの専門、意見が欲しい」
「か、完全な影じゃありません。わたしじゃ取り付く島がないですから……影像! 黒い光、フィルムです!」
遠坂の問いに応え、慌てながらも必死で叫ぶ桜の声。
「こいつか!」
俺は未だカタカタと音を立てて回る映写機を睨みつけた。本来ならもうフィルムは切れているはず、それでもなお影像を送り続ける映写機に俺は干将を叩きつけた。
―― 琴!
が、弾かれた。映写機のランプが作り出すほの暗い光のドームは、さっき俺の指を弾いた時よりも輝きを増し、干将の太刀筋を躱し俺に踏鞴を踏ませた。
「結界!?」
「シロウ!」
俺はそのままセイバーに腰を蹴り飛ばされ床に転がる。だが、怒れない。さっきまで俺が立っていた場所にはセイバーが刃を走らせ、影の繰り出す爪を切り飛ばしている。
「遠坂! なんかあるぞ!」
「見た、ちょっと待ってなさい!」
桜を引っつかんだまま、セイバーの影に回って爪を躱しながら、遠坂は視線を部屋中に走らせ唇を噛む。と、その視線が壁の影像に止まった。隅の……唯一つ残った呪刻。
「桜、映像の呪刻よ。わたしじゃ影には呪を送りきれない協力しなさい!」
「は、はい!」
叩きつけるような遠坂の声に応える桜の声、それに満足するように頷くと、遠坂は続いて俺とセイバーにも指示を送る。
「セイバー、それまで頼むわ。士郎、削ったら潰しなさい」
「おう!」
「はい!」
俺は左手にも莫耶を投影し、壁を蹴った反動で起き上がる。何時までも寝ているわけには行かない。遠坂と桜が手を打つまでの間、セイバーをサポートして二人を守らなきゃならない。
「セイバー、俺は右を当たる」
「では、前後と左はお任せを」
二刀で漸くセイバーの三分の一。だがこれでも上出来すぎるだろう。俺はセイバーと背を合わせ、遠坂たちに襲い掛かる影に対して、壁となるべく立ち塞がった。
「――Heute wollen wir marschieren
「――Uber wir pfeift der Shatten so kalt
影を追う思考の片隅で、流れるような遠坂の呪と、痞えながらも必死でそれを追う桜の呪がこだまする。
なぜか不思議な光景が目に浮かんだ。夕日の中、小さな二人の子供。ツインテールに髪を結び、胸を張って歩く少女の後ろを、遅れまいと必死で追いかけるもう一人の少女の影。自侭に歩んでいるように見えて、それとなく後を気遣い歩調を定める姉。泣きそうになりながらも、いつか必ず追いつくと信じている妹。
「「――Dringt tief
二つの影が、一つに重なった。
「士郎!」
「先輩!」
「おう!」
右手の干将で遠坂に襲い掛かる牙を弾き、返す勢いで俺は左手の莫耶を映写機に叩きつける。
「! フィルムだけ!」
直前、とんでもない注文が降って沸いた。瞬間ずらりとゼロの並んだ請求書が心に浮かぶ。俺は決死の思いで莫耶の軌道を逸らし、なんとかリールだけを弾き飛ばす事に成功した。
―― 斬!――
古ぼけたランプのスパーク。からからと回るリールから千切れたフィルムが宙に舞う。
壁に映し出されていた映像が瞬き、一瞬のスパークで壁に映像を焼き付けたかと思うと、フィルムが焼けるような嫌な匂いと共に煙のように消えて行った。
「……やったか?」
ジルコンの光も弾け、一瞬の暗闇を俺は慌てて照明をつける事で追いやった。
「なんとかね……」
床にへたり込んだ桜の頭をぽんと叩き、遠坂はやれやれとばかりに飛び散ったリールを拾い上げ、残ったフィルムを照明にかざす。
「やっぱりそうか。桜、あんたも見てみなさい」
お疲れ顔で見上げる桜に手渡したフィルムには、もはや何も映っていなかった。
「どういうことなんだ?」
俺は遠坂に聞いてみた。なんとかあのわけの分からない影の出所を叩けたらしいことは分かったが、それ以上のことは皆目見当がつかない。フィルムに魔術的な加工がされてたって事なんだろうか。
「桜、あんたから話してあげなさい」
映像の焼きついた壁をコツコツと叩きながら、遠坂は先生モードに移行して、俺への説明を桜に振る。
「はい、それじゃあ先輩。説明しますね」
それでは、と遠坂に並んだ桜は、一つ咳払いをして解説を始めた。
まず、あの“黒い光”と称した怪物はフィルムに陰影として封印されていたのだと言う。誰がどのように、と言うところはこれからの解析になるだろうが、フィルムに焼付けそれを四つの封印で固着し、映写と言う鍵で解き放つ仕組みであったらしい。
「じゃあ、映像が変わっていったってのは」
「はい、あの魔獣自身がフィルムの上で形を変えて、映像に反映させてたんでしょうね」
「しかし、なぜ?」
扉のロックを解除していたセイバーが不審そうに振り向いた。確かに、何でわざわざそんな事を?
「あの封印、回す都度に解けるようになってたのよ、ある種の罠ね。もしかしたら正式な制御法があるのかもしれないけど」
あいつ自身も出たいもんだから工夫凝らしてたんでしょうね、と遠坂は焼きついた映像の四隅を指し示し眉を顰める。
「あのままあいつに殺されていたら、最後の封印が解けてあいつは自由になってたでしょうね。それを、途中で……」
と、そこまで言って遠坂の指先がぴたりと止まった。
「封印……壊しちゃいましたね……」
壁を指し示したまま、どこか引きつった顔で俺たちを見渡す遠坂に代わって、これまた引きつった表情の桜が言葉を継ぐ。
「ってことは……」
俺達の視線が、壁に焼きついた映像に向けられる、四角く区切られた、モノクロのこの部屋の光景。ふと、それが動いたような気がした。
「セイバー!」
「! はい!」
セイバーが開きかけた扉を蹴り閉めるのと、焼きついた“影”が扉に向かって躍りかかったのはほぼ同時だった。
「――投影開始
「――Der Riese
続いて俺が投影した剣と、遠坂の呪が影に叩きつけられる。
―― 遮!――
が、“影”はそれを俺達の影に逃げ込む事で避けた。
「と、遠坂」
「慌てないの! セイバーわかる?」
「それが、完全に気配を……っ!」
険しい表情で遠坂に応えかけたセイバーだったが、一瞬息を呑んで俺を睨みつけたかと思うと、いきなり横殴りの一閃を叩きつけて来た。
「うわぁ!」
慌てて屈んだ俺の頭の真上をセイバーの剣が走る。と、一瞬遅れて屈んだ俺の影に向かって、強引に軌跡を変えたセイバーの剣が突き立てられた。
「くっ……外しました」
へたり込む俺の頭上で、セイバーが悔しげに唇を噛む。こ、ここに居たのか?
「拙いわね……桜、貴女わからない?」
「それが、あれは影じゃないんです。わたしには……無理です……御免なさい……」
眉間に皺を寄せながら周囲を窺う遠坂が桜に聞く。だが、桜はあいつは“黒い光”だと言う。影ならば何とかできても、影に潜んだ“黒い光”が相手では、今の桜ではどうしようもないのだと言う。自分の持っているものと似て非なる存在。もどかしさと不安のせいだろうか、桜は気弱げに視線を泳がせている。
「なんか手はないのか!?」
「ちょっと待って、今考えてるんだから!」
「奴は一瞬遅れます。動いていれば見つけやすい」
じれる俺たちに、セイバーが自分の影に剣を突き刺しながら檄を飛ばす。ああくそ、今はそれしかないのか。
狭い金庫室の中を、俺たちは必死で駆け回った。その俺達の動きに一瞬遅れる影を見つけてはセイバーが剣を振るうが、どうしてもワンテンポ遅れてしまうようだ。
幸い、あいつも俺達の動きに合わせるのと、セイバーの剣を避けるのに精一杯なようで、向こうからはほとんど手を出してこないが……
「遠坂! このままじゃ……」
「……わか……ってる」
それもそろそろ限界に近づいている。特にどこか焦りのある桜と、その桜をかばって走り回っていた遠坂はもう息も絶え絶えだ。
「士郎……桜を…… 桜、あんたは……わたしたちの影を……支配して……」
こうなったら、俺が止まって捨て身で影を誘い出すしかないか。そう思った時だ、もう殆ど立ち止まりかけている遠坂が、歯を食いしばりながらも一瞬だけ瞳を煌めかせ、俺と桜に向かって指示を飛ばしてきた。
「でも……わたしじゃ……」
「いいから! セイバー……桜が捕まえられなかった影があいつ、一発で決めてよ……」
桜のいかにも気弱な応えに遠坂の怒声が重なる。だが、その言葉で俺も気が付いた。“捕まえられなかった影” そうか、その手があったか。
俺は力を振り絞り、よろよろと走る桜を抱き上げた。
「せ、先輩……」
「桜は遠坂の言うように影を捕まえるんだ」
「で、でも……」
だが、桜はどこか怯えたように身を縮める。ここへ来て自分の力が及ばぬと、弱気の虫が湧き出してしまっている。ああ、もう!
「いいから! とっととやんなさい!」
「どわぁ!」
「きゃ!」
そこへなんと遠坂のガンドが飛んできた。あ、危ない! お前、今本気で当てる気だったろ!
「は、はい!――――In deisem Schattenleben
だが、それで却って桜の腹が据わったようだ。俺の胸の中で息を整えなおすと徐に呪を紡ぎだす。頼むぞ、俺だってそう長くは持たない。
「あっ……!」
拙い、今ガンドを撃ったせいか、動きの鈍くなった遠坂がバランスを崩した、そこにすかさず影の爪が襲い掛かる。
何とか身を捩って躱そうとする遠坂。だが、
「姉さん!」
「遠坂!」
「くっ……あんたは呪を紡ぐ!」
避けられなかった。肩口をすっぱり切られた遠坂は、それでも必死で床を転がり爪から逃れながら、桜に檄を飛ばす。
「――Shon tausend Herezen sich
それに応えるように、桜の詠唱が悲鳴のような叫び声で閉められる。呪が成った。
―― 臓々……
途端、影からいっせいに羽が舞う、ひらひらと黒い影が蝶になって舞い上がる。部屋中の影が形を成し、虫の群れとなって桜の足下にひれ伏したのだ。
そしてその中で桜にまつらわぬ一角。ただ一箇所だけ床に残った影が、漆黒の蝶の森に浮かぶ漆黒の湖のようにその姿を曝け出した。
―― 遮!
いきなり、それが黒い蝶を掻き分け一直線に突進を始めた。その行く手に居るのは傷ついた肩を押さえ、必死で立ち上がろうとする遠坂の姿。拙い、避けきれない!
「姉さん!」
「セイバー!」
桜の叫びと俺の声。応えの代わりにセイバーは電光の素早さで影を両断した。
「――凛!」
が、“影”は己の半身を捨て、残る半身で尚も遠坂に迫る。セイバーも素早く刃を返し追うが……くっ、間に合わない!
「――っ! だ、駄目っ!」
―― 臓々!
―― !!!!
影獣の爪が遠坂に届こうかと言う瞬間、、桜の悲鳴が響いた。
今、組み上げかけていた呪もなにもかも投げ捨てた、ただ純粋に姉を失う事を恐怖する悲鳴。だが、同時にこの悲鳴は呪であった。
一瞬、俺の腕の中で桜の全身を覆う刻印が輝いたかと思うと、遠坂の影からまるで噴火のように黒い蝶が湧き上がる。先程まで“影”を浮かび上がらせていた蝶とは比べ物にならない勢いで蝶の群は、襲い掛かろうとする“影”の前に立ちふさがると、強引に“影”を地から引き剥がし、がっちりと押さえ込んだまま空中へと吊るし上げた。
―― 尖!――
そこにセイバーの止
「……助かったわ、桜、セイバー」
「姉さん……」
“影”が消えるに伴い、ひらひらと再び影に戻る蝶に包まれ、遠坂は俺の腕の中でほっとしたようにへたり込む桜に笑みを送る。
「これで片付いたわけだな」
俺も遠坂に笑みを送る。これで今回依頼された“神秘”の正体は判明した。桜も頑張ってくれたし、初仕事としては上出来だろう。
「ええ、これで問題は後一つだけね」
遠坂も俺の笑みに応えてくれた。そのまま、士郎よろしくとばかりに視線を床に落す。……問題? 俺によろしく? 何の話だ?
「セイバー、そのギア取ってくれ」
「こちらですか?」
「あ、そっちじゃない。小さい方だ」
「しっかし何が“わたしには無理です”よ、最後にはしっかり捕まえてたじゃない」
遠坂が桜を前に得々と講釈を垂れる。
「シロウ……これで良いのですか?」
「ああ、もうちょっと……良し嵌った。サンキュ、セイバー」
「どういたしまして」
「あ、あれはとっさの事で……」
「まあね、最後のは呪にも何にもなってなかったわ。あれじゃ魔術じゃなく呪術。きちんとした呪式に組み上げられるようにしなきゃね。まだまだ甘いわよ」
しっかり勉強しなきゃ駄目なんだからと軽く鼻を鳴らしながら、遠坂はそれでもどこか嬉しげに桜に微笑みかけている。
「……はい、頑張ります」
それを受けて桜も微笑み返す。流石に何処にでもあるとはいえないが、それでも今の二人は仲の良い姉妹といえるだろう。
こうして、どこかわだかまりのあった二人が、仲良くしてくれているのは、俺としても嬉しい。微笑ましいし、とても良い事だと思う。
思うんだが……
「ちったあ手伝えよ……」
ばらばらになったファベルジュのカメラを必死に組み立てながら、俺は思わず愚痴ってしまった。
「そんなこと言ったって、手を出すなっていったのは士郎じゃない」
途端、遠坂さんの突っ込みが来る。そりゃ、ドライバー片手に破壊活動はじめそうな遠坂を止めはしたが、何も手伝うってのは組立作業だけじゃないんだぞ?
「すいません、先輩。その、わたしも機械類ってなんか苦手で」
桜は良いんだ、桜は。遠坂に捕まるまではきちんと手伝ってくれてたし。
「ですが、外装が壊れてなかったのは不幸中の幸いでしたね」
「中身はもう一台同じ映写機があったし、流石にそっちは弁償しなきゃなんないけど、ファベルジュの逸品に比べたら雲泥だから」
つまりはそういうこと。フィルムを叩き切ったときは上手く避けられたのだが、影獣騒動で部屋中を駆けずり回った際に、俺たちは映写機を落として壊してしまっていたのだ。
それを今、もう一台あった映写機をばらし、俺が修理しているというわけだ。いくら壊れ物の修理は十八番だからって、これは結構大変なんだぞ。
「しかし、こんなので誤魔化せるのか?」
「時計塔にはちゃんと報告上げるわよ。どの道フィルム共々こいつは大英博物館行きだもの。その辺りは何とでもなるわ」
と言うことなのだそうだ。
「ともかく、後三日あるんだし。頑張ってね士郎」
「頑張ってください、先輩」
「頑張りましょう、シロウ」
にっこり笑う美女三人。どうやら今夜は徹夜になりそうだ。俺は溜息をついて作業に戻る事にした。
結局、三日三晩、俺は美女三人に囲まれて殆ど寝かせてもらえなかった。
人が聞いたらきっと羨ましいと言うんだろうけど、これは絶対に羨ましい事じゃないと思うぞ。
END
「映画は黒さえ光だ」
自分の作品を映像化されたとある漫画家の科白が元になったお話。
影ではなく“黒い光” 同じ虚像ではあっても、桜はこれに対抗できるか?なお話でした。
冬木で一歩を歩みだした妹ですが、まだまだお姉ちゃんには敵いません。それでも追いかける意思を捨てぬ限り、幼い妹はいつか胸を張って歩む姉の影と一つになれることでしょう。
By dain
2004/11/17 初稿