その晩はとても月の綺麗な夜だった。
十月も、もう終ろうかという満月の夜。冬まではまだ少しばかり間があるこの季節、少しばかり肌寒くはあったが、晴れ渡った夜空は月を肴にするには良い夜だった。

俺は、そんな夜に誘われるように庭に出た。
縁側がないのが些か残念ではあったが、俺は庭先のガーデンセットに一人腰をかけ、テーブルにグラスを二つ置いて、月を眺める事にした。
季節は違うけど、切嗣おやじとの最後の夜もこんな月夜だった。
そんな事を考えながら、グラスを傾けていると、ふと、別の人影が庭先に下りるのが目に入った。

「どうしたのですか、シロウ。涼むには、些か寒い季節だと思いますが?」

セイバーだ。
部屋着の上からカーディガンを羽織り、セイバーは少しばかり寒そうに肩を竦めながら俺のほうに近づいてくる。
なんだか笑ってしまった。昔のセイバーは、こんな人がましい立ち振る舞いは決して見せなかった。いつもどこか張り詰めていて……ああ、もしかすると王様時代もずっとそうだったのかもしれない。後でランスに聞いてみるか。





おうさまのけん
「剣の王」 −King Aruthoria− 第七話 前編
Saber





「シロウ、私の顔のどこがそんなに面白いのですか?」

「いや、別におかしいわけじゃないぞ。なんか良いなって思っただけだ」

そんなわけで、セイバーにむぅ――と睨まれてしまった。こんな顔も最近多いよなぁ。

「まったく……」

軽く頬を膨らませ腰に手を当て、更に何か言おうと口を開きかけたセイバーだったが、テーブルの上に置かれた二つのグラスを見て、ふっと黙ってしまった。続いて俺の顔を、最後に月を見上げる。

「切嗣ですか」

「良くわかったな」

「切嗣との付き合いはほんの僅かでしたが、今のシロウのような顔をして、月を見上げている姿を見かけた事がありました」

セイバーの知る切嗣は、感情の欠片も見せず、冷徹な機械のような戦士であったという。だが、それでもその時だけは、ほんの一瞬だけだが人らしい表情を垣間見せたのだと言う。

「シロウは本当に切嗣が好きだったのですね」

私の知る切嗣はシロウの知る切嗣とは全然違うというのに、それでも時折シロウは切嗣を思い出させます、と呟きながらセイバーは俺の隣に腰を下ろした。

「ずっと目指してきたからな」

聖杯戦争でアーチャーと戦って、俺は俺が空っぽである事を知った。だが、それでも目指す事には間違いはない。そう信じる事も出来た。だからこそ、今こうやって月を見上げていられる。

「そういえば、シロウも養子でしたね」

「おう、おかげで魔術師としては半人前だけどな」

実子だったなら切嗣の刻印も継げたろう。切嗣が継がしてくれたかどうかはわからないが、俺はきっと望んだだろう。だがそれでも俺は……

「切嗣の息子なのですね。シロウは」

俺より先にセイバーが言葉を繋げてくれた。そう、俺は切嗣の息子だ。今も昔も、そして多分これからも。
と、そこでふと先ほどのセイバーの物言いに気が付いた“シロウも”? ああ、そうか思い出した。

「そうか、セイバーも養父おとうさんが居たんだったな。エクター卿だっけ?」

「ほう、シロウ。良くご存知でしたね?」

「そりゃな、これでもセイバーの事は随分と勉強したんだぞ」

本気で驚いた顔のセイバーに、俺としては些か鼻白む。確かに、セイバーの王様時代の伝説にはとんと疎かったが、遠坂やセイバーに文句を言われるたびに、少しずつだが勉強していたのだ。

「生まれた時から王様になるまで、ずっと育ててくれたんだろ?」

「はい、私は実父の顔を知りません。ずっと彼を本当の父だと思っていました」

ずっと本当に父親だと思い、ずっと養父のように賢明で優しく、それで居て強く雄々しい騎士になりたいと思い続けていたと言う。

「ですが、私は彼の息子にはなれなかった」

あの剣を抜いた時。セイバーは魔術師メイガスから全てを知らされたと言う。ブリトンの王、ウーサー・ペンドラゴンの子、アーサーアルトリア。それがセイバーの本当の姿だと。
父と思い、慕い続けていた人から臣下の礼を受ける。それが初めての王事だった、とセイバーは月を見上げたまま静かに呟いた。

「でも、家来になったって事はずっと一緒にいたんだろ?」

「いえ、彼はその時に家督を義兄のサー・ケイに譲り隠居しました。その後、彼とは会っていません」

エクター卿の死を知ったのも、遥かに後の事だったという。セイバーの執事であった義兄のサー・ケイも、古馴染み故の贔屓だと言う中傷を避けるため、あえて忌事をセイバーに伝えなかったのだ。

「今となっては、どこで眠っているのかもわかりません……」

時の流れが全てを変えてしまった、とセイバーは表情に微かに悲しみを浮かべた。
きっと、王様時代はこんな顔さえも出さないように努めていたのだろう。執事のサー・ケイでさえ、義兄であっただけで縁故だと言われていたらしい。王と言うものは誰にでも公平でなくてはならない、悼むそぶりを見せる事さえ波風を立てかねないのだ。

「……よし」

だが、俺はそんな事には我慢が出来なかった。第一今ならどれだけ悼んでも、偲んでも誰も文句は言わないし、言わせない。俺は一つ頷いて立ち上がると台所から新しいボトルと、グラスを更に二つ取ってきた。

「セイバーも飲め」

「シロウ?」

そのまま二つのグラスにスコッチを注ぎ、そのうち一つを、きょとんとした顔のセイバーに差し出す。

切嗣おやじの墓だって日本だ。偲ぶならどこでだって出来る。今日はここで俺たちの養父おやじ達と飲み明かそう」

「……シロウ」

俺の差し出したグラスを胸元で受け、セイバーが一瞬なんともいえない顔をする。
そして大きく頷くと、にっこりと微笑み一気にグラスを乾した。って、ちょっとセイバーさん?

「そうですね。今日は、思う存分飲ませていただきます」

莞爾と微笑むブリトン王は、そのまま俺に再びグラスを差し出す。
グラスになみなみとスコッチを注ぎ終わるまで、決して引かないセイバーの手を眺めながら俺は思い出した。そうだった、セイバーはうわばみだったな。
その後、真夜中過ぎに怒鳴り込んできた遠坂を交え、俺たち三家族は月を肴に朝まで一緒に飲み明かした。翌日遠坂が使い物にならなかったが、それでもこの夜はとても気分の良い夜だった。




「後どのくらい?」

「エクスターを過ぎましたのであと二時間ほどです」

欠け始めた月を眺めながら、遠坂は運転するセイバーに声をかける。
この季節の英国は日の入りも早い。まだ午後五時を過ぎたばかりだと言うのに、既に空は黒々と闇に沈み、英国独特の丘陵の連なる荒野を月明かりだけが照らしている。
今日はあの満月の夜から数日後、十月三十一日のハローウィンだ。俺たちはこの日、倫敦を離れコーンウォールへ向けて車を走らせていた。

万聖節の前夜、万魔節の夜ハローウィン。この夜は、古来より魔の力が最大になり、死者が蘇ると伝えられている。また妖精が住む異界が開かれ、人と妖精が交じり合う晩だとも言われてきた。
実際、魔術的にもこの晩は神秘が最も活性化する晩だ。だからこそ、今日は俺たちまで駆り出され、英国中に時計塔の魔術師が散っている。

「レイラインの観測と調査。だっけ?」

「そ、個別の霊脈はともかく、英国中に張り巡らされているレイラインは時計塔の管理地だから」

英国中に散らばる、ストーン・ヘンジを代表とされる巨石やストーンサークルは、それぞれがそれぞれ自身でも一種の霊脈なのだが、更にそれがネットワークのように結びつき、英国の地脈を抑え巨大な霊脈を形成している。それがレイラインだ。
一つ一つの深度はさほど深い霊脈ではないらしいのだが、このネットワークによる潜在的な総合力は一つ間違えれば“繋がって”しまう程だと言う。それが、ただでさえ色々と魔力的に不安定になるハローウィンの晩の、最も神秘が活性化する瞬間、その“一つ間違い”が起こりかねないほどの霊脈震となって発現するらしいのだ。
だからこの晩には、普段は倫敦から遠隔管理されている各サークルへ、時計塔より魔術師が派遣され、霊脈の活性化を直接観測し、場合によっては制御する必要があるのだと言う。

「でも、去年はこんなことしなかったな」

確か去年はこの神秘の高まりに誘われ、学生達は馬鹿騒ぎしたはずだ。……専科の連中だけだったかもしれないけど。

「仕方ないわ、去年はただの学生。でも今年のわたしは教官だもの」

しかも一番の下っ端だし、と遠坂はどこか面白くない顔で俺に応える。つまり、そんなわけで動員が掛かったというわけだ。ルヴィアさんも確か北のカンブリア湖水地帯へ向かっているはずだし、ミーナさん初めシュトラウスの一同も、今日はストーン・ヘンジに大移動だとか言っていた。

「で、俺たちが向かうのは何処だっけ?」

「ダートムーアの真ん中のちっこいとこ。ファンワーシィーのサークルよ」

俺の問いに遠坂が一覧を眺めながら応えてくれた。エクスターから四十マイルほど西に向かった、何もない荒野のど真ん中にある小ぶりのサークル、そこが俺たちの目的地だと言う。

「コーンウォールには昔からたくさんありました。私の魔術師メイガスも、そのレイラインとやらを利用していたようでした」

そこにセイバーがどこか懐かしそうに加わってきた。なんでも、セイバーが育った城の傍にもあったのだという。そういや、ストーン・ヘンジはその魔術師が運んできたなんて伝説もあったな。

「へえ、なんてとこ?」

「サヴェジサークルと呼ばれていました。名前が変わってしまったのか、一覧にはありませんでしたが」

ほんの小さなものだったらしいが、それでも綺麗な円を描き、小道のように一直線に並んだ石柱などもあったらしい。遠坂の問いにセイバーは、よく義兄サー・ケイと馬上試合の真似事をして遊んだものです、と遠い思い出を懐かしげに応えている。確かに、この辺りは結構ストーンサークルは多いからな、近くだったのかな?

「ランス、お前は知ってるのか?」

俺は、毎度の事ながら狭い籠で窮屈そうにしているランスに聞いてみた。

――おお、知っているとも。ダートムーアの真ん中にあった田舎の小さな砦だ、小高い丘の上にあってな。今、王の言ったサークルはその麓にあったはずだ。

ランスは所詮荷車の騎士よ、とぼやきながらも応えてくれた。今ちょっと“田舎”とか“小さい”とかいうところで妙に運転が乱れたが、きっと気のせいだろう。セイバー、安全運転で頼むぞ。




それから俺たちは、月光を浴びながら更に荒野をひた走り、目的地に着いたのは午後七時を少し回った頃だった。
目の前には直径で二十メートル位だろうか。小さな雑木林の中、月明かりに白く照らされて、東西に伸びた一直線の石柱の小径に挟まれた、ちんまりとしたストーンサークルがぽつんと佇んでいる。

「……こういうのを奇遇って言うのかな?」

「でも、この事ってもう一週間前から伝えてたわよ?」

「……しかし、凛。此処へ来るという事までは聞いていませんでした」

「そりゃ場所割りが決まったのは昨日だけど……」

何故か横一列に並び、俺たちはそのサークルでなく、サークルから東に伸びる石列の小径の先を眺めながら、呆けたように呟いた。
そこには小高い丘と、殆ど原形を止めないほど崩れた名もない城址。今、その上空を月明かりに照らされたランスの黒い影が舞っている。

――主よ、間違いない。あれはサヴェジ砦だ。

そのランスから思考が飛んできた。驚いたな、じぁここはセイバーの育った故郷ってことじゃないか。俺は少しばかり感嘆混じりで、周りの景色に視線を移した。
荒野の真ん中といっても、ここには何もないわけじゃない。木々に囲まれ、小さな丘や小川がそこかしこにある、静かで穏やかそうなのな、それでいて広大で荒々しい風景。セイバーがその揺篭期を過ごした場所は、どこかセイバーを思わせる土地だった。

「そうですか……随分変わってしまいましたが……」

俺がランスの言葉を伝えると、セイバーもどこか考え込むような眼差しでもう一度周囲を眺め回した。林も小川も、セイバーの覚えている姿とはまったく違っているらしい。変わっていないのは、このストーンサークルと、城が立っていた丘の形だけだと言う。
それはそうだろうな、セイバーの生きた時代から千四百年以上経ってるんだし。

「でも、セイバーは変わってないんだろ?」

このストーンサークルとセイバー、時代をどう辿ったかは違っているが、今この時代、同じ二つのものが再びめぐり会ったことには違いない。千四百年ぶりの会合ってわけだ。

「いえ、私は変わってしまった……」

だがセイバーは、だから此処に来れなかった、とサークルの石の一つに片手を添えながら、どこか哀しげに呟いた。更に、もし此処と知っていれば今でも来る決心はつかなかったでしょうと続ける。

「セイバー?」

「私は彼の息子でなく王になった。あの時から、私にとって此処は異郷になったのです」

きっぱりと言い切るセイバーの顔は、聖杯戦争を勝ち抜くと言った、あの時の冷たく厳しいセイバーの顔に戻っていた。

「セイバー……」

何か違う。何か凄くやばい間違いを犯しかけている。それがなんだかわからないが、俺は此処でセイバーに何か言わなきゃいけない。

「はいはい、無駄話は後。まずは仕事よ、暗南中までに準備を終らさなきゃいけないんだから」

と、勢い込んだところに、遠坂が手を叩きながら割って入って来た。遊んでいる暇はないんだからと、そのまま俺の手を取ってミニのところまで引きずっていく。

「ちょっと待ってくれ、遠坂」

今、丁度セイバーに大事な話をしようとしていたところだ、そりゃ確かに仕事は大事だが、太陽がここと正反対の位置で南中する暗南中は午後十一時半、まだ時間は十分あるはずだ。

「いいから、あんたは機材を下ろして設置しなさい」

文句の一つでも言ってやろうとしたところで、俺は逆に睨まれてしまった。遠坂はきつい瞳で、今は黙ってと釘を刺してくる。

「セイバー、あんたも手伝いなさい。それからこの仕事が終ったら、あの丘の城跡行くわよ」

「凛!」

はいと頷きかけたセイバーは、遠坂の口から発せられた言葉の後半に一瞬表情を強張らせる。

「言う事を聞きなさい、セイバー。ここでは貴女は王様じゃない。わたしの使い魔なのよ」

「遠坂!」

遠坂が何を言いたいかはわかる。俺同様セイバーの雰囲気に何か嫌なものを感じて、それを何とかしたいんだろう。だがそうは言っても、そのやり方はあまりに乱暴すぎる。俺は思わず遠坂に食って掛かった。
だが、遠坂はあんたは黙って、と再び俺を睨みつけると、セイバーに向かい僅かに語気を和らげて言葉を続ける。

「折角だからお墓参りくらいしなさい。わたしや士郎だって冬木でしてきたんだから」

「……凛、それは命令でしょうか?」

それでもセイバーの表情は変わらない。いや、一層頑なになったようにも見える。ああ、もう。セイバーの奴、意固地になっちゃったじゃないか。

「ええ、命令よ。わかった?」

「わかりました、命令でしたら仕方ありません」

だが、遠坂はこれにも動じない。頑と言い切ると、ついにセイバーから承諾を取り付けた。とはいえセイバーも言葉は従順だが目が怖い。

「それじゃセイバー東側をお願い。わたしと士郎は西側の準備をするから」

そんなセイバーに機材と指示を残し、遠坂はそのまま俺の手を引いて西側へ向かう。

「遠坂……」

俺は遠坂に向かって口を開く。かなり険しい顔をしていたのだろう。遠坂はそんな俺の顔を見て微かに苦笑した。

「はいはい、わかってるわ。乱暴だって言いたいんでしょ?」

「だったら!」

「だって、先に進まないじゃない」

改めて食って掛かる俺に、遠坂はけろりとした表情で、セイバーって自分の事は足踏みしちゃう娘でしょ? と軽く肩を竦める。

「いや、それはそうだけど」

「考えさせると果てしないから。そういう時は、無理やりとにかく動かしちゃうのが一番よ」

それにね、父親を失望させたのかもしれないって気持ちは、士郎よりわたしの方が良くわかるし、と遠坂は苦笑に自嘲の苦味を加えて付け足した。

「へ? 遠坂が?」

ちょっと意外だった。自信満々、傲岸不遜、絶対無敵で唯我独尊な魔術師の中でも、特に立派な魔術師な遠坂さんが、親父さんを失望させたかもしれない? 何をだろう、ちょっと想像つかないぞ。

「あんたねぇ……あんたのせいなんだから」

「俺が!? なにをさ?」

そんな俺の間抜け面を見て、遠坂は思いっきりむぅーっと睨みつけてきた。だけど、俺が遠坂を失望させたならわかるが、遠坂が親父さんから失望されるようなことを、俺がさせたって全然ちっとも心当たりがないぞ。

「なにをさじゃないわよ。わたしが父さんから受けた遺言、知ってるでしょ?」

「ええと……一流の魔術師になれ?」

「ちょっと違う。聖杯よ」

あ、思い出した。“聖杯を手に入れろ”だ。冬木で遠坂の家に親父さんの墓参りをしたとき言ってたっけ。自分の代じゃ無理っぽいからごめんって。

「ま、士郎のせいばかりじゃなくて。わたしが自分で決めた事でもあるけどね」

遠坂はどこか自慢げに胸を張りながら説明してくれた。
あの時、自分でも気が付いていなかったらしいのだが、遠坂はその事に負い目を持っていたのだと言う。

「冬木でね、わたしなかなか自分の家に帰らなかったでしょ? あれってそういう事だったと思う」

無意識の内に避けていたんでしょうね、と仏頂面で腕組みする。また、それ故に俺と一緒に墓参りと言う理由で帰宅した時も、なんとも言いがたい躊躇を感じたのだと言う。

「さっきのセイバーね。ちょっとそれを感じたの。セイバーもさ、自分の事を立派な王様になりそこねたって思ってるみたいだし」

それは俺も感じていた。ミーナさんの剣を抜けなかった時、ペリノア王の事件の時。セイバーはその事で悩んでいた。
お姉さん達に会った時はもう大丈夫かと思ったが、やっぱりまだ何か引っかかってたんだなぁ。

「だからちょっと強引でも、とにかく連れてっちゃうのが一番なの。後は忙しくさせて考えさせない。どう?」

俺が今の言葉を理解した事を確認して、遠坂は言葉を続ける。
俺はそんな遠坂の言葉に、耳を傾けながらセイバーに目を向けた。ランスに手伝わせながらより正確に、より的確にと肩をいからせながら準備を進めるセイバー。ちょっと怖い後姿ではあるが、さっきの冷たいセイバーよりもましだ。
八つ当たりの対象のランスには悪いが、ここは我慢してもらおう。頑張れ、完璧の騎士。

「しかし、遠坂」

「なによ?」

「お前、相変わらずわかりにくいな」

返事はどうした、と尚も俺の顔を見据える遠坂に視線を返し、俺は苦笑交じりに呟いた。ある意味凄くストレートなんだが、ストレートすぎて本当にわかりにくいぞ、お前の優しさって。

「な、なに言ってんのよ! ほら、こっちもさっさと準備するわよ」

暫くなんのことよと眉を顰めていた遠坂だが、俺の言葉の意味に思い当たったのか、急に真っ赤になって怒ったように叫ぶと、セイバー同様肩をいからせながら準備を始めた。やれやれ、この素直じゃなさも相変わらずだ。

――主よ、そちらも頑張れ。

ふと飛び込んできたランスの思考に、俺は思わず苦笑を漏らす。セイバーと遠坂も、ランスと俺も主従、どっちのマスターとサーヴァントも似た者同士ってわけか。ま、お互い頑張ろうな。




「こちらは完了しました」

「こっちも終わり。ま、こんなものね」

ランスと俺の努力の甲斐あって、お姫様は二人ともそこそこ機嫌を直された。準備の方も、恙無く予定時間前に無事完了。やれやれ、本当に苦労したぞ。

「しかし、随分と大変な準備たったな」

「まあね、小さいとはいえ霊脈のノード一つを仮設の陣で制御しようってんだから」

遠坂は得々と、ストーンサークルに施した術の準備を説明してくれる。
まず、サークルの大外を二重の円で取り囲み、そこに呪刻を刻んで基盤にする。更にサークルを構成する石の一つ一つに、宝石や魔具を核にした魔法陣を共感させ、それを基盤に繋げて一連の複合陣に組みなおす。
かなり大掛かりな施術だが、俺やセイバーが手伝えるのは、あらかじめ準備した魔具や宝石の設置と、魔法陣の素描までだ。呪刻と清書は全て遠坂一人で行った。事前準備で大枠は決まっているとはいえ、やっぱり大したものだ。

「それじゃ、最後の準備ね。わたしは着替えるから、士郎は時計塔きょうかいへの連絡よろしくね」

遠坂は、ミニの後部座席から衛星電話を取り出すとそれを俺に渡しながら、入れ替わりに後部座席に乗り込み即席のカーテンを引いた。今日はちゃんと電源も入っているようだ。俺は時計塔の管制所へ準備完了の連絡を入れる。
あとは暗南中。この地点が最も太陽から遠くなる時刻、ここの真裏が南中するのを待つばかりだ。俺たちは、それぞれ配置について、その瞬間を待つ事になった。

「今、ストーンヘンジを通過したって。あと十分くらいだな」

ミニの中で窮屈そうに着替え終えた遠坂に、俺は衛星電話からの状況報告を告げた。それに応えて遠坂はよしと頷いて車を降りる。

「わたしは詠唱の準備を始めるわ。状況報告は士郎が受けていて」

「おう」

「セイバー、サポート宜しく。結構きつい施術だから」

「了解しました」

歩きながらコートを脱ぐと、遠坂はセイバーに時計やら指輪やらの小物を渡しつつ指示をする。
そのまま、遠坂は月光に透けるほど薄いローブ一枚になってサークルの西に立った。本格的な施術には服装も肝心だ、金物は愚か人工繊維も着けるわけにはいかないらしい。
続いてセイバーが凛に渡された小物を持ったまま完全武装で東に立つ。
呪を唱えるわけではない。使い魔として遠坂の呪を経由する中継器の役割を果すのだ。英霊の特権ゆえ、金物や小物を身につけていてもさほど影響が無いらしい。

「それじゃ始めるわよ――――
Anfangセット――」

遠坂の詠唱が始まった。数分かけて呪刻を起こし、更にそれを霊脈震の発現まで維持し続ける。成程、教官級の術者でなきゃこの仕事に就かないわけだ。

「――――Es braust ein Ruf wie Donnerhall轟き   猛り   狂いし   稲妻 ,」

刻々起動する術式を前に、俺は電話から流れる状況報告に耳を傾ける。どうも今年は魔力の乗りが良いらしい、何処も予想以上の規模で霊脈震が起こっているとの報告が相次いでいる、こいつは気を引き締めないと。

「――――Durch hunderttausend zuckt es schnell今   十万の力    脈打つ   刻,」

後三分、遠坂の呪刻が完成した。魔術師にしか見えない流れがサークルをすっぽり包み、中の状況に対応すべく脈動している。

「後一分だ」

「秒読みお願い」

俺の声に遠坂が額に汗しながら、じっと前面を睨んだまま応える。遠坂の集中を途切らせない為に、俺は出来るだけ機械的な声で秒読みを始めた。

「三十…………二十…………十……」

俺でも分かる。何かが地鳴りのような波動を伴い、東の地からやってくる。
東から順番に起動してきた霊脈の流れを飲み込み、何か大きな力が津波のようなうねりとなって進んできているのだ。ハローウィンがこんなとんでもない夜だったなんて、ついぞ俺は知らなかったぞ。

「五……四……三……二……」

それでも秒読みに感情は表せない。遠坂の集中を破らせるわけにはいかない。

「――――Wer will des Stromes Huter sein?大いなる   脈流   見守るは   誰ぞ ……」

―― 轟!――

零の声を上げた瞬間、視界が閃光で閉ざされた。
なのに実際の風景は変わっていない。ただ月に照らされたサークルを挟み、薄絹を身につけ両手を掲げるように集中する遠坂と、完全武装で地に剣を立てたセイバーが睨みあっている姿があるだけだ。

「まず……」

俺は慌てて目を瞑る。こいつはエーテル流だ。嵐と言って良いほどのエーテル流がサークルの中で暴れまわっている、見詰め続けていたら視神経がやられて目がつぶれてしまう。
目を瞑ると、微かに流れているだけのはずの風がまるで嵐のように顔を打つ。こりゃ、凄まじいぞ、遠坂……大丈夫か……

―― 静……

ふっと、静寂が訪れる。ああ、何とか凌ぎ切ったようだ。俺はゆっくりと……

「士郎! 連絡!」

「へ?……おう!」

目を開けている暇もない。俺は慌てて電話に向かって状況を報告する。地脈を伝う霊脈震は無事通過、魔力の総量も場の歪みも許容範囲で制御しきった。結果良好、後は観測データを整理して、時計塔ロンドンに帰ってから報告するだけだ。

「おっけー。セイバー、士郎、後片付けをしましょう」

終ったらお城に行くからね、とセイバーに釘を刺しながら、遠坂は寒い寒いと車に向かっていく。これにはセイバーも苦笑いだ。
良かった。さっきの頑なさも、どこか哀しい冷たさも影を潜めた。これならあの城に向かっても、決して悪い結果にはならないだろう。

―― 「――緊急警告――」

その時いきなり電話が警告音を発した

―― 「今回のコアサークルに異変が生じた。大規模な霊脈震の逆流が発現。全サークル担当者は速やかに対処するように」

一切の感情を廃した平板な声、今回の総合指揮を務める隠秘学科教授の声だ。

「って……と、遠坂!」

「へ? どうしたの士郎?」

俺は慌てて車に戻ろうとする遠坂の元に駆けつけ、事情を説明した。

「まず……急がないと!」

遠坂の顔が青くなる、手に取ったコートを投げ捨てると、大急ぎでまろぶように先ほど陣取ったサークルの西側に向かう。

「直ちに用意をします。猶予は?」

「今回の核はドーズマリーよ。こっからだと、ええと……」

既に位置に付いたセイバーの声に、遠坂が暗算しながら応える。確かこっからだと緯度で一度ちょい、ってことは……

「四分!」

拙い!
顔を見合わせる間もなく必死で駆ける俺たちの周りで、瞬く間にエーテル流が舞い出す。それが風になり嵐になり、俺たちの足を縺れさせる。

「凛! いそいで!」

「わかってる! ああ、もう!」

だが、僅かに遅い。遠坂が位置に着いた時には、既にサークルはエーテルの流れに飲み込まれかけていた。

「きゃ!」
「わっ!」
「くっ!」

必死で呪を紡ぎだそうとする遠坂を余所に、可視出来るほどの密度でエーテルが閃光を発する。サークルの周りを囲む魔法陣を物ともせず、膨れ上がった閃光はたちまちのうちに遠坂を、セイバーを。そして俺を飲み込む。くそっ、間に合わなかったのか!

「……遠坂?」

そんな無念が、一瞬だけ愕然に取って代わられた。
閃光の中、意識が遠のく俺の視界に映ったのは、薄絹を纏い大きな瞳にほんの僅か意地の悪い光を湛えた黒髪の女性が、そっと俺の手を取る姿だったのだ。


今回のおうさまのけん はハローウィンの晩、英国のレイラインの霊脈震と同時起きた一夜の怪異。
ハローウィンといっても、かぼちゃのお化けや、トリック・オア・トリートじゃなくてごめんなさい。
全ての魔が踊りだし、異界への扉が開くと言われる万魔節。それがアイディアのその一です。
その二はアーサー王伝説。その三はアーサー王の養父さん。
今回は三部作。どのように絡み合い御噺を紡ぐかは、まずは中篇をご覧ください。

By dain

2004/11/24 初稿


index   next

inserted by FC2 system