苦い思いを飲んでの探索。だが結局、この本丸にも人影は見当たらなかった。
ただここへ来て、凛の方は微妙に探り方を変えてきた。本丸で養父の鎧を、武器を騎馬を、じっくりと険しい顔で見据えていた凛は、本丸を出てから、誰か居ないか何か無いか探すと言うより、壁を建材を調度を慎重にじっくりと調べだしているのだ。

「凛、あの人影を探さないのですか?」

「ん? ああそっちはもう良いの。それよりセイバー、貴女は何か感じない。ここってえらく古びてるじゃない」

「それは古い城ですから」

「違う違う、わたし達がここへ来た時はもっと綺麗じゃなかった? こんな壁が剥がれたとこなんてあったっけ?」

凛の言葉に私もはっと周囲を見渡した。確かに、この城に来た時は、つい先ほどまで人が居たかのように良く手入れされていたはず。なのに、この本丸は、調度も、壁のタペストリーも、まるで何十年もの間見捨てられていたかのように古びている。

「一度、館に戻るわ。どうやらわたしの思った通りみたい」

「凛、それは?」

「館に付いたら説明する。結局万魔節ハローウィンだって事よ」

ともかく、この異変で凛は何か掴んだようだ。私たちは館に取って返した。





おうさまのけん
「剣の王」 −King Aruthoria− 第七話 後編
Saber





「凛、貴女の言ったとおり、井戸は既に淀んでいました」

「こっちも、ワインは全部酢になってた。食料も全滅ね」

こんな事ならさっさと食べとけばよかったと、凛は顎に手を当てて考え込む。

「凛、そろそろ説明していただけますか?」

「あ、うん。つまりね……」

つまり凛は、この城も、あの霧も、そして多分あの騎士も。全て万魔節ハローウィン一夜限りの泡沫の異界だろうと言うのだ。

「異界っていっても、月も時計も時間通り動いてる。てことは日も昇る。そうなればもう神秘は現実に押し流されるわ。日が昇れば万魔節ハローウィンじゃなく万聖節だしね」

現にこの城自体、夜明けが近づくにつれ風化し崩壊しようとしていると言う。

「では原因は」

「そう、今回の霊脈震の逆流ね。でもそれだけじゃないわ」

凛は、そこで言葉を切ると徐に私の顔を指差した。

「わ、私ですか?」

「そ、考えてもごらんなさいよ、この異界、セイバーの関係者ばかりじゃない。それと今回の霊脈震の中心、何処だったか知ってる?」

霊脈震の中核は色々な要素の為、毎年変わるという、今年のそれはドーズマリー・プールだったらしい。

「……あそこでしたか」

「そ、万魔節ハローウィンに異界の扉が開くなんて稀なことじゃないし。それに、ほら。あそこの扉この間一度吹き飛ばしてるでしょ」

確かに。私達は渋い表情で顔を見合わせた。シロウを救出する為に無理やり私の宝具エクスカリバーでこじ開けた扉。自己修復で直ぐに閉じはしたが、あれだけの力で強引に開いたのだ、まだ多少ガタが来ていても不思議ではない。

「ま、そんなこんなでこのおかしな世界が出来ちゃったんだと思うの。でもそれも夜明けまで。朝まで頑張れば、朝霧のようにこの異界も消えて元に戻るわ。月も時計も動いてる事だし、純粋な異界って言うよりも時間限定の固有結界みたいなものね」

凛の説明で僅かに肩から力が抜ける。状況がわかれば対応も出来る。城を回った時間、月の動きを見れば夜明けもそう遠くない。となると残る問題は二つだけだ。

「士郎の事と……」

私の宝具エクスカリバーですね」

「そ、士郎の方はランスが居るから何とかできるとして、問題はセイバーの宝具ね」

そのまま凛は腕組みして考え込む。ランスが居ればシロウとのラインは辿れる、それで何処にいるのかはわかるという事だ。

「そういえばランスは? まだ城の上を飛んでいるのですか?」

「あっと、すっかり忘れてた。そろそろ下ろして士郎とのラインを探らなきゃね」

まったく主従揃って糸の切れた凧なんだから、と凛は文句を言いつつ立ち上がった。

――Crooo!

その時、待っていたかのように上空で鴉の鳴き声が響いた。どこか切迫した警告するような響きだ。

「きゃ!」
「くっ!」

続いてそれに応える間もなく、いきなり凄まじい地響きと閃光が周囲に満ち溢れる。

「凛!」

「とにかく外! まさかと思うけど……」

私たちが慌てて館の外へ出た瞬間、周囲に満ちた閃光が一本に収束した。

―― 約束された勝利の剣エ ク ス カ リ バ − ――

「凛! 伏せて!」

―― 轟!!――

次の瞬間、城門と館が消失した。
爆発でも崩壊でもない。一瞬のうちに霧散したのだ。
同時に、私の頭の中も爆発した。この巨大な力、この圧倒的な神秘。私は恐怖するより先に怒りに震えた。これは私の物だ!

「凛、隠れていてください!」

返事は聞かない。私は養父の剣を手に、消えうせた城門の外に飛び出した。




踊り出た城外、あのストーンサークルから伸びる小径の外れに、黒い騎士の姿があった。
私の宝具を振り下ろし、堅く面覆を降ろしたあの騎士が。再び私の宝具エクスカリバーを振り上げようとしていた。

「させるか!」

一瞬の停滞も無く、私は二百メートル近い距離を一気に駆け下りる。先ほどは驚愕で後れを取ったが、今度はそうはいかない。例え相手が私の宝具であっても、真名さえ解放されなければ負けはしない。
一気に詰めた間合い、私は速度を殺さず更に突進する。取った!
私は剣を握りなおし、振り上げられた私の宝具エクスカリバーを更に上へと弾き飛ばす。

「――くっ!」

が、出来なかった。振り下ろすのが間に合わぬと取った騎士は、すかさず一歩踏み込み、私の刃を鍔で受けるとそのまま下に滑らせて、鍔迫り合いの体制に持っていく。

「返せ! それは私の宝具だ!」

「なにを申される。この剣、預かり物ではありませなんだかな?」

「――ちっ!」

何故そんな事まで、そう考える間も有らばこそ、私は剣を斜めに滑らせ、その反動で体を反対に走らせる。そのまま一気に反対胴への横薙ぎ。

―― 琴!――

が、これも躱された。だが休まない、休めない。間合いを鍔迫り合いのまま、私は一気呵成に必殺の斬撃を連打する。

「――せいっ」

その連撃を騎士は尽く受け流す、受け流しつつ一歩、又一歩と前に進みさえする。

「っ……」

額に脂汗が浮かぶ。攻めているのは私。剣は宝具で無くともそれに順ずる名剣の筈、なのに攻めている筈の私が下がっている。一歩、又一歩と詰め寄られている。

強い。

私は歯噛みして剣を振り立て、心に浮かぶ驚愕を押し殺した。この騎士は、前回の騎士とはまるで別人だ。
あの時の騎士は確かに強かった。だが、あの強さは天賦の才であると言うよりも、長き鍛錬で地道に身につけた強さであり、無骨で不器用なほどことわりを積み重ねた強さだった。
だが、今、目の前の騎士は……

「――ていっ!」

「――はっ」

あくまで自然。足の運びも剣の冴えも、どれもが当たり前のように繰り出され、それでいて確実に私の太刀筋を防ぎ、動きを抑え続けてくる。

「セイバー!」

背中から凛の声が掛かる。援護するつもりだ。
拙い。私は救援の喜びよりも、凛が加わる事で均衡が破れる事を恐れた。今でさえ精一杯だと言うのに……

―― 弾! 弾! 弾!

続けざまに騎士に襲い掛かるガンドの黒弾。
が、私の恐怖は杞憂だった。騎士は小揺るぎもしない。
剣をかざす事も、私から気をそらす事も無く、ただ一気に私の宝具エクスカリバーの剣圧を膨らませるだけで、全ての黒弾を弾き飛ばしてしまった。

ここで私は初めて敗北の恐怖を感じた。私の宝具エクスカリバーをここまで使いこなす相手。宝具なしで、否、もし今この手にある剣が私の宝具エクスカリバーであったとしても、果たして勝てるのだろうか?
この一瞬の恐怖が、命取りになった。

「――ふっ」

私の僅かな隙をつき、騎士は今までの受け太刀を一転させ、身体ごとぶつかって来る。私の足と足の間に膝をこじ入れ、そのまま刃でなく剣の柄で私を思い切り弾き飛ばす。

「――つっ!!」

「セイバー!」

弾き飛ばされた反動で、養父の剣が手から零れ落ちた。

拙い。

私の心を焦燥が走る。剣を落とした事ではない、それだけならまだやりようがある。
問題はそちらではなく騎士の動きだ。刃でなく柄で弾いたのは慈悲ではない、距離を開け、振り上げる一瞬の間を極力開けぬ為だ。まろぶ私の目の前、間合いは十分、既に振り上げられている宝具には金色の光が宿っている。

負ける。

間に合わない。私も凛もこのまま私の宝具エクスカリバーの繰り出す光に飲まれ消えうせる。
私はその未来を鮮明に予測した。

「――え?」

その私の耳に、凛のどこか気の抜けた声が響く。なんと暢気な、馬蹄の音にいかほどの意味が……

――我が娘よ、今参る!アーシュラ)――

「――え?」

次の瞬間、私も凛同様に間の抜けた声を上げてしまった。
まろび転んだ私の頭上を電光の速度で通過する漆黒の軍馬、漆黒の騎槍、漆黒の鎧、そして真っ赤なサーコート。
その姿はそのまま黄金の輝きに包まれた騎士に向かって突貫していった。

―― 烈!――

真名は解放された。
閃光はあの騎士も、黒い旋風となって飛び込んだ騎馬も飲み込み、周囲を押し包む。
だがその力は地上には伸びない。ただ、天に向かって真っ直ぐ放たれるのみ。

「……養父上ちちうえ……」

あの騎乗の騎士が誰であったのか見たわけではない。だが、私を“我が娘アーシュラ”と呼ぶのは後にも先にもただ養父のみ。
私は駆け寄ってきた凛と共に、ただ呆然と閃光を見上げていた。

閃光が消えた。

「――え?」
「――え?」

その瞬間、私と凛は二人揃って先ほど同様に、間の抜けた声を出してしまった。

薄れた閃光の先には地に突き立つ二本の剣、私の宝具エクスカリバーと、新鍛の剣ノイエカリバー
そして、その二本の剣の向こうで、兜を飛ばされ膝をつく騎士の姿。

だが、それだけならばあんな声は出さない。

「――え?」

私と凛に間抜けな声を上げさせた原因はこれだ。
私達の目の前で、私達同様に間の抜けた声を上げているあの恐るべき騎士は、

なんとシロウの顔をしていた。




「シロウ!」

「士郎!」

見目麗しいご婦人が二人、俺に向かってなにやら凄い形相で迫ってくる。

「いや、だからね。俺は何も覚えて無いんだ」

「それで済むなら警察は要らないわよ!」

「シロウ、まさかその一言で済ますつもりですか?」

俺の弁解も全然全く聞いてもらえない。そうは言っても、本当に何も覚えて無いのだから仕方がない。

あのストーンサークルの閃光、霊脈震の逆流。そしてその後一瞬垣間見た女性の幻。それが俺の最後の記憶だ。
次に気がついた時は、俺はおかしな鎧を着て、セイバーと遠坂の前で跪いていた。その間の事は、まるっきり覚えていない。
だから遠坂に心配したんだから、大変だったんだからといわれても、すまんと頭を下げる事しか出来ない。
同様に、セイバーに何処であんな技を覚えたのですかとか、一体どうやって私に勝てたのですとか言われても首を傾げるだけだ。

なにせ本当に覚えが無い。セイバーと対等以上に渡り合い、後一歩でなんて言われても、こっちが驚いているくらいだ。
ただ、溶けるように消えていった鎧の下の身体が、全身刃物でも刺したかのような筋肉痛に襲われている事だけは事実。一体俺の身体はどんな使われ方をしたんだ?

「そ、そんな事よりもだ、ここは何処なんだ? どうなってるんだ?」

まわりを見渡しても、何処か不可思議な霧に囲まれた雑木林とストーンサークル。消えた車、消えた制御陣、それに向こうの丘の上、うっすらと白み始めた東の空を背景に建つ見覚えの無い崩れかけた城。
とてもじゃないが此処がまともな場所には見えない。紛れも無く異界だろう。

「良いのよ、もう。夜が明ければそれまでなんだし」

「そうです。もはやそれは解決済みの問題です」

だってのに二人とも誤魔化されて……いや、歯牙にもかけない。どうでも良いといわんばかりに詰め寄ってくる。

「待て待て、俺にはさっぱりわからないぞ」

だが俺にはさっぱりだ。夜明け? 解決済み? どういうことなんだ?

「だから、夜が明ければここは消えるの」

ああもう面倒ねと言いながら、漸く遠坂が説明を始めてくれた。
万魔説ハローウィン、ドーズマリープール、エクター卿、etc……
成程、そういうことか。

「そうか、じゃ夜明けになると此処は消えちまうのか」

「さっきから、そう言ってるじゃない……」

膨れながらも事情を説明した事で落ち着いたのか、どこかほっとしたような表情の遠坂。なんか本当に心配かけたみたいだな。

「心配かけたな。すまん」

「その……良いわよ。考えてみたら士郎が、どうこうできた事じゃないし。こっちこそ、逆切れしてごめん」

だから誤魔化すのを止めて素直に頭を下げたら、遠坂の方も頬を染めて謝ってきた。やっぱりお互い、言葉にしてきちんと伝え合わなきゃだめだな。

「セイバーにも、随分迷惑かけたみたいだな」

「いえ、私も些か感情的になりすぎていたようです。その……私も、折角シロウとヴィルヘルミナに頂いた剣をこのようにしてしまいましたし……」

セイバーも同じだ。きちんと言えばきちんと応えてくれた。小さくなりながら、どこか済まなそうに新鍛の剣ノイエカリバーを差し出してくる。ああ、お前随分ぼろぼろになっちまったなぁ。

「なんとかなると良いんだが……」

刃は鋸、刀身も亀裂だらけだ。俺は傷ついた剣を手に取った。

――我が娘よアーシュラ――

「――え?」

途端、鮮明な映像が脳裏に浮かんだ。
漆黒の鎧を着た騎士、跪くその騎士の前に煌めくように屹立するセイバーの姿。

――I am the bone of my sword.体は  剣で  出来ている

その映像に誘われるように、俺は我知らず呪を紡ぎだしていた。

――Steel is my body,and fire is my blood.血潮は鉄で    心は硝子

呪に合わせて視界が一変する。目の前にはセイバー。王様の剣カリバーンを抜き、王様として立っているセイバーが俺を見下ろしている。

――I have created over a thousand blades.幾たびの  戦場を越えて  不敗

「我が主、アーサー様」

俺の知らない声が俺の口からこぼれだした。それは年老いた、それで居て力強い騎士の声。ああ、そうか、これは……一瞬だけ、新鍛の剣を手にした漆黒の鎧が鮮明に浮かび上がる。

――Unaware of loss.ただ一度の敗走もなく

セイバーの養父さんだ。見上げるセイバーは決意に満ちた眼差しで、俺を、養父さんを見下ろしている。誇らしさと同時に悲しみが胸に広がっていく。そうか、貴方は、

――Nor aware of gain.ただ一度の勝利もなし

「わたしはあなたの父でもなければ、あなたはわたしの息子でもありません」

 
――だが、お前は……なにがあろうとも……我が愛しき……――

口に出せない言葉が老騎士の胸でこだまする。同時にセイバーの瞳にほんの一瞬だけ悲しみが宿った。だが、即座に王の仮面を被りなおしたセイバーは冷たいほど重々しく養父に告げた。

「貴方の恩に何を以って報いればよいのだろうか?」

――Withstood pain to create many weapons無限 の 剣製 の 果て.

――ですが、私は彼の息子にはなれなかった――

そうだな、セイバー。確かにお前はこの人の息子にはなれなかった。
だけど、セイバー。この人はずっとお前の事を……

――waiting for one's arrival唯一人の 担い手を 待つ.

呪が成った。
煌めく光を纏わせながら。新鍛の剣ノイエカリバーは再び鍛えなおされた。
凍るほど厳しい刃は穏やかな優しさが加わり、繊細な象嵌には力強い逞しさが加わった。
遥か高みには未だ到底届かないが、それでも又一歩、しっかりと地に足をつけた賢き硬さが加えられた。

――Coooo……

俺の手で掲げられた新鍛の剣ノイエカリバーの向こう、今まさに日が昇ろうとする東の空に鴉が一羽、舞っている。
そして、その茜色に染まった空を背に、消え行く古城と入れ替わるように、あの古城を人格としたようながっしりとした人影が浮かび上がってきた。

「行ってこいよ、セイバー。養父さんが待ってる」

俺は、呆けたように東の空を見詰めているセイバーに、新鍛の剣ノイエカリバーを手渡した。

「そういえば、全部終ったらお墓参りの予定だったわね」

遠坂も意味ありげに笑うと、セイバーの背中を押すように軽く叩く。

「……はい、行ってまいります」

俺と遠坂の声で、漸く気を取り直したセイバーは、何か決意したように一つ頷くと、茜の空に向かって歩いていく。俺たちはそれをじっと見送る。
茜の空を背景に見詰めあう、大きな黒い影と小さな蒼い影。
あの二人は間違いなく親子だ。俺は二つの影を遠望しながら確信した。

―― 終ったか……

そこに、ランスの奴がふらふらと降りてきた。そのまま俺の肩に止まると、やれやれといった顔で肩を竦めている。

「お前、今まで……ってどうしたんだ? それ?」

主を放っておいて今まで何をして居たんだ、と文句の一つも言ってやろうと思った俺だが、ランスの傷を見て言葉を変えた。
額に一筋、まるで槍かなにかを突きたてられたような裂傷。傷口は塞がってるみたいだけど、こりゃ痕になるぞ。

――聞くな主よ、浮世のしがらみだ……

ランスはどこか疲れたような思考を俺に飛ばすと、そのまま黙り込んでしまった。なんか聞くに聞けない雰囲気だけど、本当にどうしたんだ?




シロウと凛に後押しされ、私は茜に染まった丘に向かって歩いた。一歩一歩進む足は思いのほか軽い。ああ成程、鎧が無いのですね。
どうやら知らず知らずの内に、私は鎧を外してしまったようだ。しかし、今はなぜかそれが正しいような気がした。

「……養父上ちちうえ……」

一歩一歩、その都度何を言おうかと考えていたのに、目の前の養父を前にして言葉を失ってしまった。
茜に染まる空を背に、あの頃のままの素朴でそれで居て確かな賢さの篭もった父の瞳。私は一つ息をついた。なにか、何か言わなければいけない。

「有難うございました。養父上」

だが、私の言葉に養父の瞳は悲しみの色で応えてくる。胸が痛い。私はまたこの人を失望させてしまったのだろうか。

――許してくれ、我が娘よ。わたしはお前を王国の贄に差し出した。――

私の目の前で養父が頭を垂れた。養父の思いが直接私の頭に響いてくる。

ああ、間違っていたのだ。

あの時と同じ瞳の色、私はこの人の思いを間違って受け取ってしまっていた。
この人は、自分の為に悲しんでいたのではなかった。あの時も今も、この人は私の為に悲しんでくれていたのだ。
同じだったのだ。同じように間違えていたのだ。己の不甲斐無さと、養父の思いへの感謝で、私は再び言葉に詰ってしまった。だが、言わなければならない。

「いいえ、あれは私の決めた事。悔いはありません」

私は養父の前に進み、その瞳を真正面から見上げた。今こそ言わなければいけない。言葉にしなければ、思いは通じない。

「私は、貴方の子であって、幸せでした。有難う、養父おとうさま」

――我が娘よアーシュラ……――

茜色の光に包まれ、徐々に薄れゆく養父の腕が私を抱きしめる。思いが流れ込んでくる。

――片時も忘れた事など無かった、お前は、今も昔も我が娘だ。――

消え逝く養父の胸で、私はしかと養父の思いを受け止めた。
息子にはなれなかったけれど、私は間違いなくこの人の子だった。この人は、私の父だった。私は今度こそ間違えなかった。

――さらばだ……我が娘よ……――

「さようなら、養父おとうさま」

徐々に明るくなる水平線に、溶け込むように消えていく父を見送り、私は茜色の空を見上げた。そこには丸く円を描くように舞う鴉が一羽。
私は父への思いを胸の奥に大切に仕舞い。気持ちを引き閉めなおして空を舞う鴉に声をかけた。


「そろそろ降りてこられては如何ですか? 姉上」





――はは、いつからわかった?

鴉は朗らかなほどの声音で鳴きながら降りてきた。真っ黒で、頭に冠のような羽をひらめかせた大鴉。今までは遠目だったので分からなかったが、近づけばランスで無い事は明らかだ。

「あの黒い騎士の中から、シロウが現れたあたりで察しが付きました。ですが、もっと早く気付くべきでした。私から、私に気付かれずに、私の宝具エクスカリバーを奪えるような者は、姉上以外には居ないのですから」

そう、今回の事は二度目だったのだ。
嘗て私はこの姉に私の宝具エクスカリバーを奪われた事があった。あの時も私は、私の騎士と戦わねばならない羽目に陥らされて……本当に苦労しました。

――同じ手を二度ってのは芸が無いと思ったんだけどね、急だったんで時間が無かったんだよ。

「さて、弁解を聞いて差し上げましょう」

私は姉の戯言を無視して、思い切り睨みつけてやった。全く、この姉の悪戯はいつもいつも洒落にならない。

――いや、ほら。あの爺様、こんな機会でも無いとあんたと会えないだろ? だからだよ。

だが、姉は私の視線をちっとも気にせず相変わらずの軽い調子で応えてくる。……言いたい事はわかる。養父は円卓の騎士では無かった。私がいずれ還ったとしても、そこに養父だけは居ないだろう。それについては感謝しても良いかもしれない。
だがそれと、シロウを攫い、私の宝具を奪ったという事とは話が別だ。

「そちらについてはどう弁解するつもりですか?」

――ああ、あっちは、ほら。私の趣味。

―― 尖!――

――うわぁ! 危ないじゃないか!

一閃された剣を、姉はばたばたと羽ばたきながら大慌てで躱す。冠羽の一房でも切り飛ばしてやろうと思ったのですが……上手く躱しましたね。

「申し訳ない、手が滑りました。さて、弁解をまだ聞いておりませんが?」

――まったく、そういうところさ。あんた未だに剣に頼りすぎてる。違うかい?

更に、だからあの坊やが苦労する、とわけの分からない事を言う。

「……」

――あれは切り捨てる剣だ。切り捨てて打ち砕いてばらばらにして飲み込んで、其れで漸く一つに纏める剣だ。

約束された勝利とは、敵の全てを滅ぼすまで止まぬ事だという。覇者の剣、その意味を軽く見すぎては居ないか? 姉はそう言っているのだ。
思い当たる節が無いわけでもない。だからこそ、凛やシロウの魔力が高まり、真名さえ解放しなければ使うのにさほど苦労しなくなった今でも、私は私の宝具エクスカリバーを極力使わない。シロウが作ってくれた剣ノイエカリバーに愛着が深まったと言う事もあるが、真の理由はそれだ。
だが、そうは言っても。

「ランスまで引っ張り出して私の相手をさせるとは、一体どう言うおつもりです。流石の私も死を覚悟しました」

うん、だから今くらいの反撃は順当だろう。

――はは、やっぱりそっちもわかった?

「当然です、如何に姉上でもシロウだけでは私に敵うようには出来ない。私に勝てる騎士などはラーンスロット以外には考えられません」

しかもサー・ケイの鎧。これもまたもっと早く気が付いてもよかった。彼は以前もサー・ケイの鎧で正体を隠し、円卓の騎士を散々引っ掻き回した事があったのだ。

――ご免、ご免。あいつはこっちに半分がとこ居るからさ、一から呼び寄せるより楽なんだわ。それと坊やの事は、ほら、前にも言ったろ? あの坊やをちょっと試したかったんだ。爺様が頑張りすぎて、思惑からは外れちゃったけど、それでも垣間見せてくれたよ。

姉は私の手の剣を眺めながら、不思議な事を言う。シロウを試す? この剣が関係があるとでも。

――やっぱり、間に合わせじゃ無理だって事、同じ手で二度同じ宝具は奪えないってね……

明るさを増す東の空に比例するように、徐々に薄くなる姿で、姉は意味ありげに笑ってみせる。

「姉上、一体何を?」

――ああ、悪い。もう時間みたいだ。それじゃあ……

詰め寄る私を揶揄うように、姉は益々その姿を薄れさせていく。

「待ってください姉上! まだ話が!」

――時間だって言ったろ? 夜明けまでの泡沫。こんな好条件そうそう無いからねぇ……

惜しい惜しい、もっと早く聞いてくれれば応えられたのに……そんな言葉を最後に、姉はチェシ猫のような笑いだけ残して、茜色の空に消えていった。

「……例え聞いても、はぐらかして時間を稼ぐ癖に……」

思わず恨み言が口をついてしまう。
そのまま暫く茜の空を睨みつけていたが、いつまでもそんな事はしていられない。私は諦めて振り返った。

そこにシロウが待っている。

凛が、ランスが待っている。
姉の言葉の意味はわからないが、今は養父に会えた事だけで良しとしよう。
私は茜に染まる丘を背に、真っ直ぐ皆の待っている場所へ降りていく。
礼を言わねばならない。シロウや凛が背中を押してくれたから、私は養父と気持ちを通わす事が出来たのだ。
言葉にしなければ、気持ちは伝わらないのだから。

END


養父と娘の複雑な思いの交差なお話でした。
万魔節は、異界とこの世が交わる日。その日にセイバーとセイバーの養父を会わせてみました。もう一人厄介な人も出てきちゃいましたけど(笑)
今回の話、アーサー王伝説をかなり下敷きにしました。本当なら前半でもう少し説明をしておきたかったのですが、ネタバレとの兼ね合いで、最後にと言う事になってしまいました。己の筆力の無さが恨めしい事です。

By dain

2004/11/24 初稿


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