「あら、思いの他、揃っていますわね」

「あ、これ鹿肉ですよ」

「ヒラメに鮭、お魚も沢山あるんですね」

わたしが冷蔵庫を開けた途端、背中から覗き込んで来たお行儀の悪い面々から歓声が起こった。

「そりゃ宴会開こうってんだもの、それ相応に用意してるわよ」

ふんと鼻を鳴らしながら応える事は応えたけれど、実はわたしもちょっとばかり驚いていた。
魚は生鮭が丸々一匹に活きの良いヒラメが六匹ほど、肉はといえば猪と鹿がそれぞれワンブロックずつ、桜を含めれば猪鹿蝶だ。更にトリュフこそ無いものの、茸と山菜が一山。それに黒い粒々が詰った瓶が一つ。ちょっとこの瓶……まさかと思うけどキャビア?
わたしは三人に気取られないように、こっそりとセイバーに視線を送った。一体何時の間にこんだけ買い込んだの?

「ここ一週間ほど、買い物はシロウに任せていましたから……出費の方はさほどではありませんでしたので、買ったものではないかと……」

わたし同様かなり驚いていた様子のセイバーだったが、気を取り直すと小声でそっと応えてきた。
成程、そういう事ね。わたしは小さく頷くと冷蔵庫に視線を戻す。これが今年の士郎の収穫ってわけか。
相も変わらず、いたるところで恩を売り歩いている士郎なのだが、このところは以前と違い何やかやで“お礼”と称した品物がちょくちょく送られて来る様になっていた。
魔術師は等価交換。貰える相手からは遠慮なく貰いなさいと言っておいたけど、食材ってとこが如何にも士郎よね。

「さ、それより始めるわよ。あんた達にも手伝ってもらうからね」

わたしはくるりと振り返り、両手を叩いて図らずも冷蔵庫前に集合した淑女四人に合図した。
ちょっと、少しだけ引っかかりはあるが、今日うちで開くのは気心の知れた女だけのお泊り会。まずは手始めと、これから皆で揃ってお料理をして、皆で揃って食い倒そうというわけだ。
折角、士郎が用意してくれた食材、目一杯楽しませてもらうから。





せいぎのみかた
「最強の魔術使い」  −Emiya Family− 第八話 前編
Heroic Phantasm





取って置きのテーブルクロスに、取って置きの食器を並べ、特別製のキャンドルを置いた食卓にわたし達五人が粛々と並ぶ。セイバーには悪いが今日は円卓じゃない。今日は魔女の夕べ、男抜きの無礼講だ。

「それじゃ始めましょう」

主人であるわたしの声を合図に皆が揃って着席する。無礼講だからコースじゃない。全ての料理を並べ、皆で切り分け取り分けながら食べるビュッフェ方式だ。
鮭は腹子を抜いてスモークとマリネ、ヒラメはムニエル。鹿肉はカルパッチョ、猪はローストとシチュー、それに茸のソテーや温野菜がそこかしこに盛られている。

「なんか楽しいですね。こういうのって」

「皆で作ったお料理ですからね」

「本当に、素晴らしいご馳走です」

食卓を眺め回し、楽しげに語る桜にミーナに、心底嬉しそうなセイバー。
尤も、皆とは言ってもメインお料理はわたしと桜の担当だ。
最近少しは台所に立てるようになったが、セイバーは解体専門だし、ミーナはキャンプ専門みたいなもんだ。だからこの二人には、下拵えが終ってからは前庭パティオで鮭や鹿肉の燻製を作って貰った
ちなみにルヴィアは論外。昔と違って、この頃ではそれなりに台所に立ってはいるようだが、まだまだまともな料理を作れる域には達していない。なもんで、邪魔にならないようにオーウェンに遊んでもらっていた。

「オーウェンが邪魔をしないように、わたくしが遊んであげているんですのよ!」

「はいはい、そうだったわね。有難うオーウェン、これご褒美だから」

―― Meow!

下拵えはわたくしだって、と口を尖らすルヴィアを軽くあしらい、わたしはオーウェンに鹿の腿骨を差し出した。ご苦労様、オーウェン。

「リン、人の話を……」

「ほらほら、文句言ってないで、そこの瓶とって」

むぅーと膨れて食い下がろうとするルヴィアを軽くいなし、わたしはクーラーで冷やしておいたシャンパンを取るようにと促した。これだってお手伝いよ、これでちゃんと役立ったんだから良いじゃない。
わたしは尚も何か言いたそうなルヴィアからシャンパンを受け取ると、有無を言わさず栓を抜いた。

―― 発!――

小気味良い音と共に、綺麗なピンク色の泡を吹き出すドンペリのロゼ。
今日のお泊り会。表向きの理由はこいつが手に入ったので、じっくりと飲み明かそうという趣向だ。尤も、飲み明かすのは同じだが、本当の理由は別にある。

「それじゃあ、わたし達に黙ってプラハなんぞに出かけ腐りやがった、士郎の健康を祝して」

わたしの音頭で一気にグラスがぶつかり合う。
本当の理由はこれ。わたし達の事をほったらかして、さっさと異国へ旅立った士郎への憂さ晴らしだ。
首謀者は『真鍮ブラス』。なんでも毎年恒例の家門の故地への訪問だとか。確かに護衛を募っていたのは知っていたが、まさか士郎がそれを引き受けていたなんて、出かける直前まで知らなかった。士郎も士郎だ、受けるなら一言相談してくれてもよかったじゃないの。

「昨日ですもんね、士郎くんがこういった頼みごとを断れないのは知ってますけど」

「先輩、ちっとも変わってないんですね……」

「もう少し早く聞いていれば……わたくしだって、一度は行っておきたいと思ってましたのよ」

そうだ、もう少し早けりゃ、わたしだって付いていけたのだ。
そりゃ確かに払いも良いし、士郎もこういった経験を積むのは悪く無いと思うけど……見えないところに行っちゃうと、やっぱり不安だ。

「ジュリオとカーティス殿が一緒ですから、大丈夫だとは思いますが……」

セイバーはそういうが、やっぱりわたしは不安だ。特にあの種馬。士郎は女の子に脇が甘いし……別の意味でも不安だ。

「とにかく、今日は飲みましょう。折角、良いお酒が手に入ったんだし。士郎になんか飲ましてやんないんだから」

だから、わたし達も楽しむ事にしたのだ。皆で集まって、食べて飲んでだべって騒ぐ。男抜きで、女の子だけでの馬鹿騒ぎ、その為のお泊り会と言うわけだ。
まあ、士郎への憂さ晴らしって言うのがちょっと情けないような気もするけど、声をかけたら皆二つ返事で応えてくれた。魔術師としてはどうよって話ではあるが、何時の間にやらわたし達はそんな関係になっていた。




「堪能しました……」

思いっきり幸せそうな声でセイバーが、溜息混じりにご馳走様と手を合わせる。
山盛りあった食事もいつの間にか無くなり、わたし達は既に五本目のドンペリを開けて、食後のお喋りにと花を咲かせていた。

「……このお酒、美味しいですね」

「そりゃ、シャンペンの王様だし」

最初は恐る恐る、ちろちろと嘗めるようにシャンペンに口をつけていただけだった桜だが、今では小気味良いくらいに美味しそうにグラスを乾している。ほんのりと赤く染まった頬、甘く香るような溜息。姉のわたしが言うのもなんだけど、こいつ本当にドキッとするほど色っぽくなったわね……

「ですけれど、一本二本ならともかくワンケースですの? 随分と張り込みましたわね」

ルヴィアがちょっと感心したように小首をかしげる。確かに、値段はともかくこれだけ数を揃えるのは結構手間だろう。だが、これは、

「『真鍮ブラス』の置き土産よ。士郎を連れてった時に“過日の礼だ”って置いてったの」

わたしが買ったわけじゃない。流石に『真鍮ブラス』は金持ち、持ってるものも持ってくるものも半端じゃない。そんなわけで今日こうやって酒宴を開けているわけだ。

「あれ? でも“過日”って事なら今度の事のお礼ってわけじゃないんですよね?」

そういう事と納得しかけていたルヴィアとわたしに、今度はミーナが割って入って来た。あ、そういえば……

「あ……」

はて、と首をかしげていたところで、とろんとシャンペンを嘗めていた桜が何か思い出したように口を押さえた。
なんか怪しい。酔いも手伝ってか、わたし達はいっせいに桜の顔を睨むように注目した。うん、間違いない。酔いも幾分さめたのか、しまったって顔で視線を逸らせている。

「サクラ……何かご存知なの?」

「いえ、別にブランドールさんの事じゃないんですけど……」

「桜、貴女はカーティス殿と面識がありましたか?」

「いえ、お兄さんの方ではなくて……」

「成程、イライザちゃんのほうですね」

誤魔化そうとする都度に、ぽろぽろと口を滑らせる桜。どうやらあいつの妹と面識があるらしい。

「で、桜。さっさっと吐いちゃったら。楽になるわよ?」

とはいえ、それなら誤魔化すわけがない。わたし達の前で誤魔化そうって事は……

「サクラ。貴女、シェロと何があったのかしら?」

と言うことだろう。

「その、半月ほど前、先輩と……あ、別に疚しい事じゃありませんからね」

その辺りは、聞き終わってからじっくりとわたし達で裁定してあげる。さぁとっとと吐いちゃいなさい。怒ったりしないから。




「だから、そういうことじゃありませんよ」

わたしは姉さんとルヴィアさんに睨まれながらも、必死で記憶の糸を手繰り寄せた。セイバーさんは何か又かと言うような顔だし、ミーナさんは間違いなく面白がっている顔だ。姉さん……苦労しているんですね。

それは、まだわたしがルヴィアさんの家にお世話になって間もない頃の事だった。まだまだ倫敦に慣れていないわたしは、お買い物やお使いで街に出かける時などは、度々先輩のお世話になっていた。

「すいません、先輩。今日も付いてきてもらっちゃって」

「良いんだ桜。俺の方も買い物とかしとか無きゃいけなかったからな」

ただ、この日はお仕事での買い物ではなかった。
倫敦へ来てから暫らくは、間に合わせで済ませてきた日用品やちょっとした雑貨だったが、流石にそろそろきちんと揃えなくてはならなくなって来ていた。今日はその為のお買い物。つまりわたしの私用で付き合ってもらっていたのだ。
百貨店や雑貨店を一通り巡り、立ち並ぶお店を気ままに覘いて回る。考えてみたら、日本に居た頃だって、先輩とこんな風に街を歩く事なんて無かった。

「そういや、そうだったな。買い物とかも別々に気の付いたものを買ってくるだけだったか」

そんな事を話したら、どこかに遊びに行っても良かったのにな、と先輩もどこか済まなそうに応えてくれた。
一年半も家族同様に暮らしていたのに、そんな事だから俺は桜の力になれなかったんだ、と少しだけ厳しい顔にもなった。

「あ、そんな気を使わないでください。ほら、今こうやって連れて来てくれてるじゃないですか」

「それでも誘ったのは桜の方だろ? こういうことは俺からじゃないとな」

しっかりとわたしの瞳を見据えて、これからはたくさん一緒に楽しい事をしていこうとはっきりと言い切ってくれる先輩。あの頃よりずっと逞しく男らしく、そして積極的な先輩の言葉に思わず頬に血が上ってしまう。
けれど、同時に溜息をつきたくなるような思いも込み上げてくる。
積極的になってくれるのは嬉しいのだけれど、ここまで遠慮なく誘ってくれているのは、わたしを女と意識していないからだ。姉さんの妹、可愛い後輩。きっちり正対してくれていても、この部分だけはちっとも変わっていない。
現に、今、わたしをじっと見詰めている先輩自身、自分が何を言っているか本当には理解はしていないだろう。これは殆ど口説き文句だというのに……ライバルではあるものの、なにか姉さんやルヴィアさんが可哀相になってきた。

「? どうしたんだ桜?」

「いえ、何でもありません。これからはうんと甘えちゃいますからね」

「おう、任せろ」

ほら、今もだ。
こちらに来て、漸く落ち着いてきたわたしは、これでもそっと先輩にアプローチを繰り返してきた。それにはわざとではないかと思うほど無反応な癖に、ごくごく普通の態度では、ここまで自然に懐に滑り込んでくる。

「……前途多難だなぁ……」

わたしは先輩に気付かれないように、こっそりと呟いた。
如何に姉さんに宣戦布告したとはいえ、余りに露骨な誘いをかけるわけにはいかない。第一それをしてもこの先輩に通じるかどうか。かと言って、このままでは一歩も前に進まないだろう。
ルヴィアさん、苦労してきたんですね。
わたしはライバルであると同時に、敬愛する師匠である金色の輝きに思いを馳せた。凄いと思う、なんと言う壮絶な挑戦なのだろう。

「よし……」

けれど、わたしだって負けてはいられない。一つお腹に力を入れなおし、わたしは先輩に顔を向け……

「え?」

……ようとしたのに、先輩の姿は既にそこになかった。慌てて見渡すと、数歩後ろで街の一角をじっと見詰めている。
何か、がっくりと力が抜けてしまった。この人のこの間の外し方は、もう天賦の才と言って良いかもしれない。でもわたし負けませんからね、先輩。

「先輩?」

「桜、ちょっと行ってくる」

「あ、待ってください」

もう一度力を入れなおし声をかけたのに、先輩は厳しい表情のままわたしに一言だけ告げると、いきなり通りの向こうへ走り出す。一拍遅れて、わたしは慌てて後を追った。本当に……ちょっとだけ挫けそうになっちゃいますよ。

「ちょっと拙いな……」

なんとかわたしが追いついたのは、一つ前の通りにあった交差点の入口あたり、先輩はそこで眉を潜めて女の子の顔を覗き込んでいた。

「先輩?」

先輩が覗き込んでいたのは、焦げ茶の髪に藍色の瞳の十四・五才位の可愛らしい女の子。ほんの少しだけ心がちりちりと音を立てる。わたしと二人きりの時くらいは、他の女の子に目を向けて欲しくない……

「すまん、桜。来てくれたんだな」

けれど、ほっとした様な手伝って欲しいと言う先輩の声に、わたしは心はするりと解けていく。真剣にこの子を見る目も、来てくれててよかったと安堵している目も、どちらも本気の目だ。そうだった、この人はこういう人だ。だからこそこの人と共に居たいと思ったのだ。
わたしは改めて、先輩の前の女の子に目を向けた。先輩がこんな真剣な顔をしている以上何か理由があるはず。

「え?」

それで気が付いた。ごくごく自然な表情をしているのに、この女の子は瞬き一つしていない。それどころか、まるで時間が止まっているかのようにじっと佇んでいる。これは……

「そこの路地に運び込む。一緒に歩いてくれ」

そんなわたしに先輩は男だけだと誤解されるからな、とどこか済まなそうに声でそっと耳打ちしてきた。

「はい、あ……」

ちょっとドキッとしながら応えたわたしに、微かに微笑みながら頷き返し、先輩は不自然にならないよう女の子を抱きかかえて運び出す。
けれで、わたしも先輩に習ってその娘を支えようとして、思わず踏鞴を踏んでしまった。この娘、とても重い。

「桜は、手を添えるだけで良い。その……ちょっと特殊なんだ」

「はい、そうみたいですね」

事情は良くわからなかったけれど、ここまで来ればわたしにもこれが何か魔術関係の出来事である事はわかる。ともかくわたしは先輩に従い、この女の子を人気のない路地裏にそっと運び込んだ。

「駄目だ……やっぱり途切れてる……」

暫らくじっとその娘を見詰めていた先輩は、小さく呟くとわたしに向き直った。

「すまん桜、ちょっとこの娘の胸を広げてくれないか?」

「はい?」

先輩の言葉にわたしは声を失った。まるで人形みたいだとはいえ、こんな可愛らしい女の子の胸を開けろなんて、先輩……まさか……
わたしはまじまじと先輩の顔を見詰めてしまった。確かに、先輩は姉さんやセイバーさんとか、小さい胸が好みなのかと思っていたけれど……そんな……

「ち、違うぞ桜! 俺の趣味じゃない!」

何かわたしは思いの他とんでもない目つきで先輩を見ていたようだ。先輩は泣きそうな顔で弁解を始めた。

「この娘は人形で、それで俺の知り合いの妹なんだ!」

「先輩良いんです。そんなわけの分からない言い訳しなくても……」

確かに、ちょっとショックだったけれど、それでもわたしは仕方が無いと思う事にした。例え先輩がそんな趣味の人だとしても、わたしはそれでも先輩が好きなのだから。わたしは出来るだけ先輩を傷つけないように、にっこりと微笑んでみた。ああ、でも駄目みたいです先輩、ひきつっちゃいました……

「違う! 本当に違うんだ。その、本人は病気で、ほら、魔術師で心だけ人形の体に移して、だから……今は動かなくなってるけど、こうやって元気一杯に暮らしてて……ああ、もう」

そんなわたしの笑顔のせいなのか、益々先輩は必死になる。ただ、先輩の言葉は支離滅裂ではあるものの、それでもなんとなく判ってきた。けれど、わたしは何だか楽しくて、もう少し先輩のこんな顔が見たくなった。

「大丈夫です先輩。わたし……胸は大きいですけど頑張ります!」

「いや、胸の大小は関係ない、どっちかっていうと……ちょっと待て桜。話が違う!」

ああ、先輩気付いちゃったんですね。ちょっと残念だけれども、わたしは姿勢を正して女の子に向き合った。

「それで、何をすれば良いんですか?」

「あ、ええと。まず胸元を開けて」

そんなわたしの豹変を暫らく憮然と見ていた先輩だったが、天を仰いで小さく溜息をつくと、女の子に背を向けながら応えてくれた。桜ってやっぱり遠坂の妹なんだな、なんてちょっと酷い事を言っているけれど、こういうところはやっぱり先輩だ。

「ああ、本当に人形なんですね……」

先輩の指示に従い、女の子の上着を脱がせブラウスのボタンを外すと、かすかに膨らんだ柔らかそうな胸元に、どこか場違いな筋が数本走っていた。

「右上と右下の螺旋ねじを、こいつで外してくれ。そうすれば開くから」

後ろ手に渡されたドライバーを受け取り、わたしは女の子の胸を開いた。真鍮の歯車や発条が詰った機械仕掛けの、どこか古風な細工物のような身体。今は動いていないが、それでも直ぐに動き出しそうで、人形と言うよりなにか古い時計のような感じがする。

「一番左上の歯車の隅、ちょっとだけ緩んだ螺旋があるだろ? そこの針金が外れているんだ、そこの歯車をちょっと抑えて、針金をこいつで引っ張り出して締め直してくれないか?」

更に鉗糸かんしのような鋏とラジオペンチを渡された。ちょっと呆れる。先輩、相変わらずこういったもの持ち歩いてるんですね。

「あ、動き出しました。」

先輩の言うとおり、鉗糸で歯車を押さえ、ラジオペンチで針金を引き出してドライバーで螺旋を締めなおすと、本当に時計が動き出すように発条が弾け、歯車が回りだした。

「よし、それじゃ蓋を閉じて服を着せなおしてくれ。これで直ぐ気が付くだろう」

「……あ……え…………きゃ!」

先輩が言い終わる間もなく女の子は気が付いた。慌てて胸元をあわせ身を縮こまらせると、正面のわたしをぐっと睨みつけてくる。

「お、おおきいからってまけませんわ!」

この娘は……凄く失礼な娘だと思う。

「あ、イライザちゃん、気が付いたんだな」

その失礼な声に、先輩は背中を向けたまま、ほっとしたように声を上げた。

「あ、士郎さん……」

女の子もこれで、漸く本当に気が付いたようだ。みるみる顔を真っ赤に染めると、大急ぎで服装を整えて申し訳ありませんと肩を竦めている。
こうやって見直してみると、物腰も態度も上品で、本当に人形のように可愛らしくてとても礼儀正しい女の子だ。さっきの事はきっと混乱していた為だろう。 最後に改めてと女の子は、丁寧に頭を下げてきた。

「士郎さん、きょにゅうの知らないおんなのかた。ありがとうございました」

……やっぱりこの娘は、ちょっと失礼だと思う。




「――と言うことがあったんです」

何でもこの後、士郎は心配だとイライザを家まで送って行ったという。イライザには、こういう時の為のバックアップはあったそうなのだが、それにしても相変わらず人騒がせな兄妹だ。

「成程、ドンペリこれはその返礼だったのですか」

「……ま、イライザじゃあね……」

「……仕方ありませんわ……」

そういう事情なら、わたし達だって手助けしたろう。それにイライザはまだ子供だ、焼餅ってわけじゃないが、むきになるのも大人気ない。……隣のこいつみたいに。
わたしは何故か、こちらを向いて意味ありげに頷くルヴィアと顔を見合わせていた。

「でも、士郎くんも困ったもんですね。女の子とデート中に他の女の子のとこ行くなんて」

と落ちが付いたと思ったところで、ミーナがしれっとした顔で爆弾を落とす。
言われて見れば……

「そ、そんなんじゃありません。ほら、一緒に買い物に行くなんて普通じゃありませんか!」

「そ、そうです。よくある事です決して疚しい事ではありません」

何故かわからないがわたしとルヴィアに必死で弁解する桜。
わたしの隣で目を剥いているルヴィアはともかく、別にわたしはなんとも思ってないんだから。って言うよりもセイバー、なんであんたまでそんなに必死に弁解してるわけ?

「それに……先輩の方がそう思っていてくれて無いと……」

「ああ、それはありますね」

「……それが最大の問題点です……」

「う……そうでしたわね……」

「そうよね……って! ちょっと待ちなさい! あんた達なに言ってるのよ!?」

詰め寄られていた桜のしんみりとした科白に、皆一気にしんみりしてしまう。わたしも思わず頷きかけて、はたと気が付いた。士郎はわたしのなんだから! 何でここでわたしまで同意しなきゃいけないのよ!

「あら? 士郎の鈍感さには貴女だって苦労しているのではなくて?」

「そ、そりゃそうだけど……」

確かに、ごく普通に居る時は結構優しいし気が利くけど、今日は良いかなって思っててもなかなか誘いに乗ってくれないし、もうちょっと……

「凛さんも苦労してるんですね」

「私も色々と気を使っています……」

「わたくしも、もう少し頑張ってみようかしら……」

「姉さんずるいです……」

「な、なによあんた達いきなり集まってきて!?」

ふと気がつくと、いつの間にか皆わたしの周りに集まって顔を寄せ合っている。ちょっと、誰? わたしの頭の中を覗いた奴は!?

「凛、貴女が自分で口にしていました……」

「嘘……」

拙い、お酒が回ってきた。考えた事何も考えずに口にするなんて、まるで士郎じゃないの。

「と、とにかく! 全部、士郎が悪い!」

わたしは頑とテーブルを叩いて立ち上がった。色々あるだろうが、これは真理だ。女の子に対して脇が甘いのも、ほいほいそこいら中に糸の切れた凧みたいにほっつき回るのも、全部士郎が悪い。皆これには同意だろう。桜! 姉さんずるいじゃない!




「はあ、良い気持ち」

わたしは湯船に身体を沈め、思わず溜息をつきながら呟いてしまった。ちょっと年寄り臭い事をしてしまったが、やっぱりお風呂は良い。特にお腹一杯食べて、お酒を飲んで大騒ぎした後のお風呂は格別だ。

「随分広いお風呂ですね。驚きましたよ」

「へえ、ここだけは日本風なんですね」

「あら、これってローマ風ではなくて?」

そんなわたしの目の前を通り、色とりどりの美女が四人、倫敦の家でここだけは改造したという六畳間ほどあるような大きなお風呂に、どやどやと入ってくる。女五人が入ってもまだ余裕がある。ここは我が家の自慢の一つだ。
先程の宴会、どこか妙な雰囲気になってしまったことの気分転換に、今度は仲良く裸の付き合いと言うわけだ。

「どちらかと言うと、日本の温泉風です」

「風じゃなくて、この間からは本物の温泉よ」

仲良く湯船に入った皆に応えるセイバーの声に、わたしは胸を張って訂正する。自慢じゃないがここのお湯は、この間から本物の温泉になったのだ。

「あれ? 倫敦に温泉なんかあったんですか?」

「ないわよ」

驚く桜にわたしはあっさりと応えた。桜の言うように、倫敦に天然の温泉なんかはない。それどころか英国中探したって数えるほどだ。
なのに何故うちのお風呂が温泉なのかと言うと、

「ああ、うちシュトラウスから引いた奴ですね」

「そゆこと」

はて、と首をかしげる一同の中、ミーナが湯の中でぽんと手を打った。
そう、これはシュトラウスの魔術実験の賜物だ。アトラスがらみの技術だそうで、士郎が手伝った解析の副産物だと聞いている。

「それにしても、温泉だなんて、何の実験でしたの?」

それを聞いてルヴィアが、不思議そうに尋ねてきた。普通そう思うわよね、それは……

「なんだっけ?」

「……リン」

「……姉さん」

「凛……」

な、なによ。皆揃って呆れなくたって良いじゃない。大事なのは温まれるって結果なんだから。

「聞きたいですか?」

何故かむぅーっとわたしの周りに集まってきた皆の後から、ミーナがひょいと頭を出してきた。これまた揃って振り向いてこくこく頷く皆の後ろで、わたしも同じように頷いた。
忙しさと気持ちよさに紛れて聞きそびれていたけど、やっぱりこれって拙いわよね。

「実はこれも士郎くんなんですよ」

湯船に立ち上がったミーナは、腰に手を当て胸を張って話し出した。ちょっとむっとする。くそ、見せびらかしやがって……




「十日ほど前の事なんですけど。ほら、うちで今アトラスの道具を弄っていますよね」

士郎くんにも手伝ってもらっての、アトラスからの放出品の解析。
尤も、如何に交流をしているとはいえ、アトラスのまともな研究品が送られて来ていたわけではない。どれもこれも、メインストリームから外れた突飛なガラクタばかり。正直、破棄品を捨てる代わりに送ってきたんじゃないかと思うほどだった。
それでも、腐ってもアトラス。役に立たないガラクタでも、そこに使われている技術や方法論は、十二分に私共の役に立つものでもあった。
この日もそんな機械を相手に、私達は何とか情報を引き出そうと試行錯誤を繰り返していた。

「しかし、武器ばっかりなんだな」

部屋の中央に鎮座ましました胡散臭い道具を前に、じっと見据えていた士郎くんがぼそりと呟いた。

「仕方ありませんよ、アトラスなんですから」

アトラスの錬金術師がまるで取り憑かれたように作り続けている道具は、大なり小なりその全てがある種の武器ばかりだ。

「で、士郎くんの見立ては?」

「多分銃だと思う」

士郎くんが言うには、コアのブラックボックス部分から太い魔力線が引き出され、そこから流れ出る魔力をそのまま撃ち出す仕組みになっているという。どうもその部分には既成の技術しか使われていないようだ。割りと単純な機械装置だという。

「それじゃあ、外へ出ましょう。遠隔操作マニピュレートでブラックボックスを引き出して、それを解析しましょうね」

「おう」

私達は連れ立って分厚い扉を潜り部屋を出た。
なにせ設計図はおろか、取り扱い説明マニュアルもないような武器を解析しようと言うのだ。この部屋も中でどんな事が起きても被害が広がらないように、金庫室のような厚い鋼鉄に包まれている。

「これが構造図ですか?」

「おう、なんかうっすらと力が漏れてる。ちょっと気をつけた方が良い」

士郎くんが描いてくれた構造図を元に、私はカメラ越しに遠隔腕マジック・ハンドで一部品ずつ分解していった。

「士郎くん、ブラックボックスですけど、何処からラインが?」

「いや、物理ラインは無いんだ。概念線だけで完全な密閉だな」

「じゃ抉じ開けるしかないですね……」

迷路のように縺れ合った部品を解きほぐし、最後に出てきたのは円筒形の電池のような密封容器ブラックボックス。これがこの道具の動力源でもらしい。

「それじゃ、さくっと開けてみますね」

「大丈夫なのか……」

「爆発しても元々ですから。じゃいきますよ」

士郎くんの心配顔を背に、私は密封容器に遠隔操作でトーチを当てた……

―― 爆!――

途端吹っ飛ぶ電池、もうもうと水蒸気のような白煙を上げ、カメラの殆ども同時に吹き飛ばされる。
あらら、これでこの機械は御仕舞いですね。どうせガラクタ。私は割り切って次の段取りに意識を移していた。

「ミーナさん! 行ってくる!」

「あ、士郎くん待って! まだガス抜きが!」

とその時、その生き残った残り少ないカメラを見据えていた士郎くんが、いきなり厳しい顔で部屋を飛び出していった。えらい剣幕だ。私も大急ぎで換気扇を全開にして後を追う。

「士郎くん! きゃっ!」

半ば開け放たれた扉を潜った途端、猛烈な熱気が襲い掛かってきた。これって、水蒸気? 私は霧を掻き分けるように士郎くんの居場所を探った。

「ミーナさん! この娘、凄い高熱で早く医者を!」

居た。部屋の中央、丁度あの密封容器があった辺りの床だ。そこで士郎くんが、薄絹一枚だけ纏った意識のない女の子を跪いた姿勢で抱きかかえている。思い切り感心してしまう。士郎くん、この状況でよくその娘見つけましたね。さすが切嗣さんの息子です……

「あの、士郎くん?」

「落ち着いてないで! 本当に凄いんだ、触ってられない程なんだぞ!」

気持ちは分かる。こんな所に女の子が倒れていたら真っ先に駆けつける。凄く士郎くんらしいと思う。けど……

「士郎くん、いきなりその娘が現れた事には驚かないんですか?」

「へ? ……えっと……」

この部屋は、一種の爆発物処理用の部屋だ。ガスや水を抜く栓はあっても、一度扉を閉めてしまえば、そう簡単に人が出入りできるような部屋ではない。
わたしの言葉で、士郎くんも漸くそのことに気が付いたようだ。うろたえた様に女の子と私を交互に見る士郎くんは取敢えず置いておいて、私は封を開けられたブラックボックスを覗き込んだ。
やっぱり。
内側は鉄でコーティングされ、塩とタールでびっしりとソロモンの呪が刻まれている。私は視線を女の子に向けた。女の私ですらはっとするほどの美しい少女。熱い炎で焼き上げた上薬のように滑らかな肌、燃えるように鮮やかな色の髪。間違いない、この娘は……

火妖霊ジンですね」

「え、じゃあ……」

「はい、ここブラックボックスに封じられて動力源にされてたんでしょうね」

火妖霊ジン、この娘の場合は火妖姫ジンニーヤと呼ぶべきだろうか? 中東に生息する、オアシスと砂漠の精霊。人が塵から創られたように、煙なき炎から創られたと伝えられる、人とは異なった種類の霊長。
昔から妖精や悪魔を使役する例は多いが、人以上に魔的なこの存在を動力源にするとは、アトラスはとんでもない物を送ってよこしたものだ。

「……酷い事しやがる……っ!」

私の言葉で、状況が理解できたのだろう。士郎くんは憮然とした表情で女の子の頬をそっと撫でる。でもね士郎くん、熱いなら無理しなくても良いんですよ。

「でも、これで解放されたって事だろ、何でまだ気絶してるんだ?」

「そりゃ、ここは鉄の部屋ですもん」

「ああ、そうか」

士郎くんは納得したように部屋を見渡した。火妖霊ジンの弱点は鉄に鋼、それに塩とタールと新鮮な果実。折角封印が解けても、今の状態は別の封印に移されたようなものだ。この部屋だって換気扇を全開にしていなかったら、今頃は私達のほうが蒸し焼きになっているだろう。

「それじゃあ、運び出さないと」

「判りました。ポンプ室に井戸がありますから、そこに太陽灯を運び込んでおきますね」

流石に外に連れ出すわけにはいかない。だとすれば、日と泉の妖精でもある火妖霊ジンの蘇生にはそれが一番だろう。


「あの……ミーナさん?」

「用心の為ですよ」

工房地下の一室、儀式魔術用にむき出しの土と、古風な井戸だけが置かれた部屋に火妖霊ジンを横たえた士郎くんが、訝しげに私に聞いてくる。
火妖霊ジンの周囲に置いたいくつかの結界石。士郎くんはちっとも気が付いていないが、相手はアトラスの魔銃が動力源にするような力ある火妖霊ジンだ。用心に越した事はない。

「それじゃいきますよ、士郎くん」

「おう、ってミーナさん!」

私は井戸水を汲み上げると、そのまま横になっている火妖霊ジンにぶっかけた。熱は十分あるのだから、後はこれで良いはずだ。
あたふたと慌てる士郎くんを余所に、もうもうと湧き上がる蒸気の中で、私はじっと火妖霊ジンの影を見据え続けた。

―― 斜!――

ほらきた。
蒸気の向こうに真っ赤な瞳が燃えたかと思うと、いきなり鋭い爪が飛び出してきた。私はそれを素早くナイフで弾くと、即座に結界を立ち上げ、呪を紡ぐ。

「――“偉大なる恩名”とスレイマーンの名の下に、古の礎に刻まれた契約に従うべし……――」

「おのれ! 真の神も信じぬ魔女が!」

拙い、かなり強い。思いのほか澄んだ声でいきなり叫んだかと思うと、真っ赤な瞳は真っ赤な燃えるような毛並みの荒馬に姿を変え、私に向かって蹄を落としてくる。

「――ちっ!」

私は即座に脇に飛び退き、転がりながらポケットから取り出した石をばら撒く。ああ、こんな事なら銃を持ってくればよかった。だが、今は手持ちの品で何とかするしかない。

「―――― Ich heisse LEGION我が名は レギオン.――」

私はそのまま呪を紡いだ。ばら撒いた石から次々と、蜘蛛の巣のようにより合わさった魔力線が伸び、暴れる荒馬を縛る。

「嘗めるな、この程度でわらわを縛れるなどと思うな!」

いきなり荒馬は真っ赤な炎に姿を変え魔力線を焼き尽くすと、次の瞬間、今度は燃え盛る豹に姿を変え私に向かって踊りかかってきた。

「――――Denn Ich bin Vieleたくさんで あるが 故に.――」

だが、これは誘い。私は地面に岩塩をばら撒くと、続けて地面に掌を当てて呪を叩きつけた。岩塩が塩の槍となり、飛びかかってくる豹の柔らかい下腹に向かって伸びていく。豹も素早く己が下半身を炎に代え、空中で更に加速する。こうなれば、後はどちらが早いかだ。尤も、私には負けるつもりだどさらさらない!

――I am the bone of my sword体は 剣で 出来ている.――

と、その時。いきなり別の呪が私達の間に割って入って来た。いきなり現れた大剣で次々と砕かれる私の塩の槍。続いて私の直前に、数本の両手剣がまるで檻の様に突きたてられる。

「きゃ!」

塩の槍こそ無くなったが、身体ごとその剣の檻に叩きつけられた豹は、可愛い悲鳴を上げて地面に落ちるや、瞬く間に元の女の子の姿に戻っていく。ああそうか、剣は鋼だ。それに魔力を奪われたのだろう。

「二人ともいい加減にしろ! ここで喧嘩する理由なんて無いだろ!?」

士郎くんだ。あ、拙い本気で怒ってる。私はそそくさと道具をかき集めると、素直にごめんなさいと頭を下げた。

「まったく……ほら、そっちも大丈夫か?」

そんな私をひと睨みして、士郎くんは地面に尻餅をついている火妖霊ジンの手を取った。あ、士郎くんまだ危ないですよ!

「くっ……何者だ! ひゃう!」

が、杞憂だったようだ。いきなり火炎を発しようとした火妖霊ジンだったが、士郎くんに手を取られるやいなや、なんとも可愛らしい悲鳴を上げると、くたくたと腰が砕けて再びへたり込んでしまった。

「ま、魔女! 謀ったな! こ、この男、鋼ではないか……は、はなせ! ちからが……」

成程、士郎くんは“剣”。つまりは鋼、火妖霊ジンにとっては天敵のようなものだ。士郎くんの腕の中で可愛らしく暴れながら、火妖霊ジンは何故か私を睨みつけてくる。そうは言ってもねえ、私のせいじゃないんですけどねぇ。

「あの、ミーナさん。これって……」

「暫らく抱きしめてあげてくださいね。その娘、士郎くんの魅力でめろめろですよ」

「ひゃ! ひゃめろぉぉぉ……」

ともかくこれで話が出来る。私だって鬼じゃないんですから。暴れたりしなければ、きちんと話は出来るんですよ。
困った顔の士郎くんの腕の中で、涙さえ浮かべながら力なく肩を震わす火妖霊ジンに、私はにっこりと笑い掛けた。もう暫らく、腰砕けててくださいね。


「それで……わらわをどうするつもりなのだ……」

士郎くんにすっかり魔力を抜かれてしまった火妖霊ジンが、それでも偉そうに口を尖らせて私を睨みつけてくる。

「どうって……どうしましょう、士郎くん?」

「お、俺!?」

「だって今の状況だと、この娘は士郎くんのものみたいなもんじゃないですか?」

私は士郎くんの手を握り、士郎くんの陰に隠れるようにしながら、私を睨みつけてくる火妖霊ジンに顔を向けて肩を竦めた。何時の間に懐かせたんですか。士郎くんって本当に手が早いですね。

「いや、別に俺は……」

「仕方ないではないか。このものに妾の力を取られてしまったのだ。鉄に磁力が移る様な物だ」

何か言っているけど、しっかり手を握っていてはどこか言訳じみている。鋼は苦手じゃなかったんですかね?

「士郎くん、このまま契約しちゃいます? 指輪とか装身具とかで適当なものを見繕って」

出来ないわけではない。この火妖霊ジンは士郎くんのお蔭でかなり力を失っている。今の状態ならどんな契約でも結べるだろう。それに、士郎くんも懐かれているみたいだし。

「いや、折角自由になったんだろ? それに俺は他人を縛るってのは余り好きじゃない」

とはいえ、応えは予想通りだった。

「……良いのか? 火妖霊ジンしもべに出来る事などめったにないのだぞ。その……妾は大抵の事なら出来るし」

却って、火妖霊ジンの方が驚いている、まるでセールストークのようになにが出来るか捲くし立て始めた。

「いや、俺は特に欲しいものとかは無いんだ。あるとしても自分で何とかしたいからな」

「……変わった魔術師なのだな」

だが、士郎くんは、今まで閉じ込められていたのだからと、やはり自由になるべきだ、と火妖霊ジンに優しく笑い掛ける。火妖霊ジンは本気で不思議そうに、それでいてどこか残念そうに呟いた。

「判った。とはいえ妾もただで解き放たれたとあっては沽券に関わる。一つ贈り物をして帰ろう」

炎霊の峰カーフに帰るべく井戸に半身を浸した火妖霊は、最後に一つ呪を紡ぐと少しばかり名残惜しげに井戸の底に消えていった。

「わぁ……」

次の瞬間、私と士郎くんは地下室だというのに天を見上げていた。
地の底から吹き上がる熱湯と水蒸気の間欠泉。地下水の井戸はこの瞬間から温泉に代わっていたのだ。




「――って事があったんですよ」

さすが士郎くんですね、と微笑むミーナの前で、わたし達は声も無かった。
如何にも士郎らしい話だと思う。その火妖霊ジンが女の子じゃなくても、士郎は同じ事をしただろう。だが、

「……火妖霊ジンですって!?」

「……あいつは……なに考えてんのよ!?」

わたしは思わずルヴィアと顔を見合わせてしまった。

「……先輩……」

「……シロウですから……」

桜とセイバーも疲れたように溜息をついている。人間だけならいざ知らず、火妖霊ジン? 精霊じゃないの!? あんたは見境なしか!
疲れを取るはずのお風呂で、何かどっと疲れてしまった。周りを見ると、ミーナを除いて皆同じような顔をしている。わたしは思わず心の中で叫び声を上げていた。

とにかく、全部士郎が悪い!


直接士郎くんは登場していませんが、これも一つの“せいぎのみかた”のお話です。
女の子だけのパジャマパーティ、最初はそれだけの話のはずでしたが、あれよあれよと言う間にオムニバスに、士郎くん活躍するの話になってしまいました。なにがあってもやっぱり士郎くんは士郎くんです。
それでは、後編、士郎くんがどんな女の子を引っ掛けるのか、お楽しみに。

By dain

2004/12/22 初稿
2005/11/22 改稿

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