「……あの……なんでしょうか?」

ほかほかと茹で上がった美女が四人、しどけなく寛いでいた所に最後に入って来たのは、これまた良いお風呂でしたねと、ほかほかと暖かそうに火照った桜だった。
が、この桜が入ってきた途端、場は一瞬の静寂に包まれ、次の瞬間、先に上がっていた一同の視線が桜の姿に釘付けとなった。
別に、その思いっきり腹が立つほどお見事に成長した胸に注目が集まったわけじゃない。悔しい事にそこに目が行ったのは、わたしとセイバーくらいだろう。後の二人は勝ってるってわけじゃないが負けてもいないし、残りの一匹は気にもしていない。くそ、どいつもこいつも……

……じゃなくてだ!

桜に注目が集まった理由は他にある。
そのふくよかで女であるわたしさえ、惚れ惚れと見蕩れるほど柔らかそうな肢体を包んでいたのは、紛れもなく……

衛宮士郎のシャツだったのだ。





せいぎのみかた
「最強の魔術使い」  −Emiya Family− 第八話 後編
Heroic Phantasm





「……桜、あんたそんなもの何処で……」

この家で唯一の和室。士郎の部屋に敷詰められた布団の上で、メドゥーサにでも睨みつけられたかのように固まったまま、じっと桜を見据える全員を代表して、わたしが尋ねてみた。
こら、別に怒ってるわけじゃないんだから、怯えるな、肩を竦めるな、わざとらしく胸を寄せるな!

「その、冬木の地下で……ほら、先輩わたしにかけてくれたじゃないですか」

「う……」

思い出した。
あの時一糸纏わぬ桜にそっとかけられた士郎のシャツ。桜にとっては宝物だろう。わたしだって鬼じゃない。桜の士郎への思いは知っている、けど……だからってここに着てくる事無いじゃないの!

「まったく……」

と視線を背中に向けたところで、わたしははて、と首を傾げてしまった。
さっきまで、わたし同様に桜を見据えていたルヴィアとセイバーの姿はどこにも見当たらず、ミーナ一人がオーウェンとじゃれあって遊んでいる。

「ミーナ。ルヴィアとセイバーは?」

「なにか二人とも慌てて出て行きましたよ」

どうやら私が桜に詰め寄っている隙に、こそっと抜けて行ったらしい。まったく、あの二人はこんな大事な時になにやってるんだろう?

「あ……」

そんな事を考えていたら、今度は桜がわたしの背中で息を飲んだ。今度はなんだってのよ……

「あ……」

と、再び振り返ったところでわたしは又も言葉を失ってしまった。

「あら? 如何なさったのかしら?」

しゃなりしゃなりと胸を張って部屋に入って来たルヴィア、その後に隠れるようにこそこそと入って来るセイバー。どちらも寝巻きを着替えて来ている。ルヴィアは男物のカッターに、セイバーはやはり男物のTシャツに、そのどっちもが……

……士郎のシャツだ。

「あ、あんたら!!」

「あら? これは冬木でシェロに貰ったものですわ。ほら、教会の帰りに」

「その……バースでシロウから……」

どいつもこいつも……
ブチブチと頭の中で何かが束になって引きちぎられる。こいつらもこいつらだが、何より士郎に腹が立ってきた。あいつは……そこら中にシャツ配って歩いてんじゃないわよ!
わたしはこの行き場の無い怒りをなんとしたものかと、ただ一人残った同志であるミーナに向かってもう一度振り返った。

「う……」

ミーナブルータスあんたもかおまえもか……

「へへへ」

そこには、やはり士郎のシャツを胸元に抱いたミーナの姿。
なんでも士郎に胸甲を渡したとき、代わりに置いていったものだとか……

「凛! 抑えて!」

「姉さん、それだけは!」

「凛さん、それはちょっと……」

「リン……」

思わずがばと立ち上がり、士郎の箪笥を睨みつけたわたしを、セイバーと桜が必死で押し止める。なによ! わたしが勝手に士郎の箪笥からシャツでも取り出すと思ったわけ?

「そ、そんな事するわけないじゃない……」

軽く舌打ちしながら座り直したわたしは、二人のどこかほっとした空気に少しだけむっとした。ふん、包装紙がなによ。中身はわたしのものなんだから!




「ああ、もう。すっかり酔いが覚めちゃったわ。飲みなおしよ」

わたしは強制的に皆をパジャマに着替えさせ、改めてドンペリの栓を抜いた。
桜が少しばかり渋ったのだが、寝てる間になにが起こったって知らないわよ、と言ったら慌てて着替えに戻っていきやがった。まったく、持ってきてるんなら最初からそっちにしなさいってのよ。
さて気を取り直して、ここからが今日の本番、パジャマパーティだ。酔い潰れたってここは布団の上。好きなだけ、だべって飲んで食べていれば良い最高の環境シチュエーションだ。
夕食とお風呂で溜まった憂さをここで晴らさない事には、今日集まった意味がない。
なんやかやでちょっと小腹もすいてきている、小さなテーブルにはスモークサーモン、鹿肉のジャーキー、キャビアやイクラを乗せたカナッペと海の幸、山の幸のてんこ盛りだ。

「でも珍しいですよね。鹿肉なんて」

「そうね……」

ひょいと自分で作ったジャーキーを拾い上げたミーナの何気ない一言で、わたし達の間に緊張が走る。確かに珍しい。ドンペリのワンケースや、倫敦の温泉並みに……
いっせいに走り回る視線。ふと、ルヴィアの視線が外された。

「……これはあんたか……」

「なんですの! そのあんたかと言うのは?」

「ルヴィアさん、そうなんですか?」

「そうなんですね?」

「……な、何の事かわかりませんわ」

次々に畳み掛けられる言葉に、珍しくもルヴィアの奴が及び腰になる。それでも流石はルヴィア、そう簡単に尻尾は出さない。

「桜、なんか覚えない?」

「ルヴィアさんは先輩とよく出かけてますから、特定はちょっと出来ないんですけど……」

「サ! サクラ!」

だから、ちょっと搦め手から攻めてみる事にした。案の定、桜は待ってましたとばかりに話を始めた。

「買い物とか、お食事とか観劇とか……運転手さんもシュフランさんもいるのに、何故か先輩に運転させて……」

「じゅ、従者なんですもの。当然ですわ」

「でも、先輩が来る前は運転手さんとお付のメイドと、いつも二人は付いて行ってたって聞いてますよ。何で今は先輩一人なんですか?」

ここぞとばかりに、可愛らしく小首を傾げてにっこり笑う桜。うわぁ鋭い突っ込み、桜ってば目が真剣ね。

「べ、別に隠していたわけじゃありませんのよ」

じっとりと不気味に笑う桜を筆頭に、わたし達から突きつけられた槍衾のような好奇の視線を前に、流石のルヴィアもとうとう屈した。僅かに膨れながら、それでもわたし達をひと睨みしてからしぶしぶと話をはじめた。まったく、往生際が悪いんだから……




「一週間ほど前でしたかしら。ロイヤル・アルバート・ホールにオペラの観劇に赴いたときの事でしたわ」

鵜の目鷹の目で見据える周囲を一旦意識から消し去り、わたくしは一週間前の出来事に記憶を伸ばした。
それは、わたくしがシェロと一緒にオペラ観劇を終え、夕食をとバークレーホテルのレストランに向かう途中、ケンジントンパークを南に望むケンジントンロードを走っていた時の事だった。
シェロと二人きりの時間。わたくしは、綺麗な満月の明かりに照らされるシェロの顔をミラー越しにじっと眺めていた。半日かけてのオペラ観劇、すっかり礼儀作法が板についてきたシェロのエスコートを、わたくしは十分に満足して楽しんだといって良かった。

「でも、もう少し砕けてくれても宜しいのに……」

ただ、その礼儀正しさが、最近はほんの少し物足りなくなって来ていた。シェロは思いのほか器用で、執事業も本当に上手になった。とはいえ、シェロの良さはなんといってもぶっきら棒なくせに細やかな心遣いと、何処までも真っ直ぐな心栄えだ。贅沢と思ってもやはり少しばかり寂しい。

「きゃ!」

そんな事を、オーウェンの背をなでながらぼんやりと考えていると、いきなり車が急停止した。

「何事ですの? シェロ」

膝から見事に転がり落ちたオーウェンを拾い上げ、わたくしは心配げにこちらを振り返った運転席のシェロに尋ねた。

「前の車がたった今、事故ったんだ。危ないところだった」

シェロはそのまま車を道路脇に寄せると、ちょっと見てくると車を降りて事故現場に向かって行く。

「シェロ待ちなさい。わたくしも参ります」

こういった事で、シェロが手助けをしないわけがない。わたくしも些か心得はある。オーウェンを抱き、わたくしもシェロに続いて現場に向かう事にした。

「シェロ、如何したというのです?」

だが、事故現場について、わたくしは少しばかり首を傾げてしまった。確かに前の車のバンパーからボンネットにかけて大きくへこんでいて、フロントガラスはまるで蜘蛛の巣だ。なのに……

「いや、被害者が居ないんだ……」

なんでもいきなり道に数人の人影が飛び出してきて、そのうち一人を真っ向から撥ね飛ばしてしまったという事らしい。なのに、止まってみれば車に傷は付いているものの周囲には人影は疎か、撥ね飛ばした相手さえ見当たらないと言う。シェロも前の車のドライバーも困惑顔だ。

―― spit!

そんな理由で、わたししとシェロ、それに前の車の運転手と、三人揃って首を傾げたその時、ふいにわたくしの腕の中に居たオーウェンが、頭を擡げたかと思うと一声唸り飛び出していった。

「オーウェン! 待ちなさい」

そのまま一気に、ケンジントンパークの茂みの中に消えていく。すぐさま追いかけようと手を伸ばしたわたくしだが、僅かに踏鞴を踏んでしまった。今一瞬、オーウェンから流れ込んできたあの感触。あれは……

「しょうがないな、俺が追っかけるから」

「シェロ! 待ちなさい!」

続いて、わたくしの制止を振り切って、運転手と一緒に警察を待つようにと一言のこし、シェロまでとっととパークに向かって消えていってしまった。

「なにが、待つようにですのよ……」

だが、だからと言って待って居るわけにはいかない。わたくしは事故については前の車の運転手に任せ、シェロとオーウェンの後を追った。あの一瞬、オーウェンから流れ込んできた気配、あれは間違いなく“魔”の気配だったのだ。

「こら! オーウェン! 大人しくしろ!」

暫らく公園内を走り回り、わたくしは漸くシェロの声を捕えた。オーウェンとのラインのおかげで迷いはしなかったが。流石に元気一杯な野獣と成人男性の後を追いかけるのは大変だった。もう少し鍛えようかしら……

「シェロ?」

「あ、ルヴィアさん。丁度良い。オーウェン抑えててくれ。俺はあっちをなんとする」

「あちら?」

声を頼りに漸く追いつくと、何故か必死で毛を逆立てるオーウェンを抑えているシェロが、わたくしの顔を見るなりほっとしたように声をかけてきた。ふと視線をシェロが指し示した方に向けると、ああ……

――Grrrrr……

そこには息荒く横たわる大きな犬と、その周りで倒れた犬を護るように、シェロたちと対峙する子犬が二匹。多分親子だろう。成程、そういうことでしたのね……

「判りましたわ、シェロ。手早く済ませて頂ける?」

「おう」

わたくしはシェロの代わりに、暴れるオーウェンの前に立ちにっこりと微笑みかける。みるみる大人しくなるオーウェン。瞳の怯えが少しばかり気に入らないが、わたくしは小さくなったオーウェンを抱き上げ、シェロの向かった犬達のところに視線を戻した。

「ほら、俺は敵じゃない。オーウェンの奴も黙らせたからな……」

何処から取り出したのか、飴玉を子犬たちに与えて落ち着かせ、シェロはそろそろと親の方に近づいていく。

――Grrrrrr……

「大丈夫、怪我を見るだけだ……」

喉で唸りを上げ、必死で牙を剥く親犬にも、シェロはじっと見詰めたまま優しく囁きかける。

「大丈夫……大丈夫……大した事が出来るわけじゃないが、俺は味方だ……」

掌に思いを載せ、シェロは手をかざすように差し出した。
大丈夫、大丈夫。決して傷つけたりはしない、傷つけさせやしない。子犬たちの心配そうな瞳に優しく微笑みかけながら、シェロはそっと親犬の背を撫でる。

――Cuuuu……

「よしよし、ああ、お前お母さんなんだな」

その思いが伝わったのか、親犬は大人しくシェロに身をゆだねた。背から腹に移した掌で優しくなでながら、シェロは親犬の足を診ている。

「骨が折れてるみたいだな……ちょっと待て、今添え木するから」

シェロはそのまま、親犬の足を縛り、添え木を当てようとする。
……いや、それは拙い。
わたくしはここではたと気が付いた。今この状態で添え木をしてしまうと後で厄介な事になりかねない。

「待ちなさい、シェロ」

「なんだ? どうかしたのかルヴィアさん」

「後は車の中で、その方を運んでくださる? わたくしはこの子達を先導しますわ」

わたくしは、シェロに応急措置だけで止めるように言い、車へ連れてくるように命じた。

「いや、でも……」

「あちらなら道具もあります。こんなところよりずっと良い環境ですわ」

わたくしは尚も渋るシェロにぴしゃりと言い付けると、先導するように車に向かって歩みだす。
しぶしぶ親犬を抱いて後に続くシェロを背中に感じながら、わたくしは更に歩みを早めた。シェロの為にも早めにけりをつけなくては。

「シェロ、直ぐ車を出して頂ける?」

シェロが親犬を後部座席に納め、オーウェン共々子犬たちも乗った事を確認して、わたくしはシェロに命じた。

「へ? ルヴィアさん。その犬の手当ては良いのか?」

「その前にやる事がありますの。それにシェロ」

わたくしは親犬にコートをかけながらシェロに応えた。

「この方は犬ではありませんわ、狼ですのよ」

驚くシェロを尻目に、わたくしも後部座席に滑り込んだ。ですけれどシェロ。驚くのはこれからですわ。




「さ、もう宜しくてよ」

動き出した車の中でわたくしが蹲った影に声かけると、声に応えるように、隣の席でするするとコートが立ち上がった。

「その……助けてくださいまして、有難うございました」

やっぱり。
わたくしの隣では、先ほどの狼と同じ濃いグレーの髪をした若い女性が、コートに包まりながら申し訳なさそうに縮こまっている。

「え? ええええっ!!」

「シェロ、ちゃんと運転をしてくださる?」

ミラー越しにそれを見たのだろう。驚き慌てるシェロの声と共に、かすかに車が揺れる。

「軽率でしたわね。満月の夜に倫敦市内に入るのは、協定違反ですのよ? 殺されても文句は言えませんわ」

「申し訳ありません。子供達が勝手に遊びに出てしまって……」

それを追いかけ、漸く見つけ出して連れ帰ろうとしたところで、子供達が道に飛び出し、庇った母親が車に撥ねられてしまったという事らしい。

「成程、了解しましたわ」

わたくしは今なお狼形態のまま、オーウェンとじゃれ合っている子犬を眺めながら頷いた。
彼女は獣人ライカンスロープ、その中でも人狼ワーウルフと呼ばれる種族だ。
欧州各地の野に山に潜み、或いは人に混じり隠れ住む人以外の種族。人が変異し精霊種に近づいたのか、精霊種が変異し人に近づいたのかは渾然としているが、ともかく彼らは肉体を持ち種族として独立した、人と精霊の中間のような存在だ。
特に欧州ではこの人狼ワーウルフは数も多く、人に混じりながら“氏族クラン”と呼ばれる集団を形成し、こっそりと表の世界と協定を結んだ上で暮らしている。この英国では、その中のいくつかは協会ともある種の同盟関係にある。
逆に言えば“氏族クラン”以外の人狼は“怪物”として扱われる。今の世は神秘が生き難い世なのだ。

「その……傷の手当てとか良いのかな?」

シェロもそのあたりの事情は知っている。ただ単に先ほどまでは彼女をただの犬と思っていただけ。この辺りの鈍さは、本当に変わらない。

「手当てして頂いたおかげですっかり。有難うございました」

人狼の治癒能力を考えればこんなものだろう。まだ狼形態の子犬二匹を抱き寄せながら、母狼はミラー越しにシェロに微笑みかける。
とはいえ少しばかり気に入らない。大した事じゃありませんよ、と笑うシェロの顔。とてもにやけてだらしなく見えるのは、気のせいとばかりは言えないのでは無かろうか。

「その格好では途中で降ろせませんわね、お送りしますわ。どちらの“氏族クラン”ですの?」

「はい、シャーウッドです」

英国中央部、倫敦からは二百キロほどの距離だろうか。
だが言ってしまった以上、わたくしも貴族、二言は無い。結局、この日わたくしとシェロは、少しばかり長いドライブを楽しむ事になってしまった。




「――と言うわけですわ。わたくしの家にも鹿と猪の届け物がありましたし」

ルヴィアは、これはあの人狼の親子からのお礼だろうと話を閉めた。しかしシャーウッド氏族クランなんていったら、英国の人狼の取り纏めじゃない。士郎の奴、本当にいろんなとこに顔売ってるのね。

「ああ、だからあの日はシロウの帰りが遅かったのですね」

「ちょっと! わたしは聞いてないわよ!」

「凛はあの日、時計塔がくいんに泊り込んでいましたから」

納得したような顔のセイバーに、わたしは思わず詰め寄ってしまった。隣では、そうだったんですか、と桜がとてもほっとしたような表情を浮かべている。ちょっと、あんたなに考えてたのよ!

「でも士郎くん、今度は人妻ですか」

まったくもうと、ひと段落着いたかと思った途端、又もミーナがやりますね、といったような顔で爆弾を落としてくれやがる。
人形の妹に、火妖霊のお姉さん、そして人狼の人妻。まったく……あいつには節操って物が無いのか! 人助けするのは良いけど、わたしの知らないとこで女の子ばっかり助けて回るってのは、どう言うことよ。
わたしは思わずやけ食いと、カナッペにてんこもりしたキャビアをドンペリで流し込んだ。

「でも、ほら。まだ幼女が居ないだけ安心ですよ」

わたし同様、どこかやけになって飲み食い始めたルヴィア達に、ミーナが取り成すように話しかけてくる。そりゃ確かにそうだけど……

「あ……」

と、思ったところで。いきなりセイバーの手が止まった。
まじまじと、手元のキャビアを見詰めると、何か思い出したように視線を泳がせ出した。

「セイバー、もしかして……」

「セイバーさん。まさか、先輩とうとう……」

「あはは、士郎くんグランドスラムですか?」

「セイバー、シェロとのデートについては不問にしますわ。お話しなさい」

能天気なミーナを一同で睨みつけ。こほんと一つ咳払いしたルヴィアが皆を代表してセイバーに詰め寄った。

「べ、別にデートと言うわけでは無いのです。ちょっと買い物に付き合ってもらって……」

「それって、デートですよね」

「まあ、良いわ。お話しなさいセイバー」

ともかく全ては話を聞いてからだ。士郎、あんたとうとうそこまで……




「五日ほど前の事です。その、オーウェンに台無しにされてしまった上着の代わりを、シロウに見立ててもらった時の事なのですが……」

私は質量さえ伴っていそうな視線の洪水に、必死で耐えながら話を始めた。
あの日私はルヴィアゼリッタの紹介で、メイフェアからソーホーにかけての百貨店や専門店街をシロウと共に回っていた。

「これなんかどうだ?」

「些か、子供っぽいように思えます。次に店に行ってみましょう」

普段なら、買い物にここまで手間はかけない。だが、この日だけは何故かシロウを引き連れて歩くのが楽しく、何軒も何軒もブティックを渡り歩くという事をしてしまった。
シロウには悪いと思うが、折角シロウが見立ててくれるというのだ。本当に気に入った物にしたかった。

「シロウ、どうですか?」

それでも数軒目になると、私も些か気が引けてきた。ここらで決めようかと一着のジャケットを試着した時だ。

「へぇ……」

「あのシロウ……おかしいでしょうか?」

そんな私を見て、シロウが難しい顔で腕組みをしだしたのだ。
この服はどちらかといえば、少しばかり年齢が高い層向けのデザインだ。やはり私には……

「いや、よく似合ってる。ほら、セイバーって美少女だろ?」

が、シロウはうんと大きく頷くと、そんな事は無いととんでもない事を言いながら笑みを広げて応えてくれた。

「だから可愛いのばかりに目が行ってたんだが、そうか大人っぽいシックな奴も似合うんだな。よし、ちょっと見方変えて選んでみよう」

そう言うと今度はシロウが率先して店めぐりを始めてくれた。とても嬉しくはあるのだが、こうも自然に微笑みかけられてはこちらの方が困惑する。
私は小さく溜息をついた。シロウはこれを自然にやってのける。作為がないだけに、本当にどうして良いか分からなくなってしまう。

「その……シロウ。申し訳ない」

その後、散々店を回り、ストリートを何往復もした挙句買い物を終えた頃には、既に日はとっぷりと暮れていた。そのままストリートを南に抜けた私達は、テームズ河畔の遊歩道をぶらぶらと家路につくことになった。
道すがら私は買い物袋を抱え、シロウに礼を言う。結局、買ったジャケットは二着。一着はシロウが買ってくれたのだ。

「いや、別に良いぞ。セイバーどっちにするか悩んでたろ? たまには贅沢も良いさ」

遠坂の宝石に比べたら大した事は無い、とシロウは私に笑いかけてくる。
私は顔に血を上らせながら、又も溜息をついてしまった。それは確かに小一時間ほど悩みはしたが、これではまるで強請ったみたいではないか。

「では、夕食は私が……」

奢りますと言おうと、顔を上げた時だ。シロウが居ない。

「……シロウ?」

慌てて見渡すと、シロウは遊歩道から一歩川岸に入ったところにある並木の下で、幼い少女の前で視線をあわすように跪いていた。
五・六歳くらいだろうか、よく見るとこの寒空に上着も無く、肩を振るわせ泣いている。

「迷子ですか?」

「いや、そういう訳じゃないみたいなんだが」

駆け寄って聞いてみると、シロウは自分の上着を少女にかけながら、困惑した顔で応えてくれた。

「あのね、コートをなくしちゃったの」

シロウの上着に包まり、ひっくひっくとしゃくりあげながらも、少女はしっかりと応えてくれた。良くわからないが、コートが無いと家に帰る事ができないと必死で訴えているようだ。

「よし。じゃ、おにいちゃんがコートを探してあげよう」

予想通り、シロウは二つ返事で少女の泣き顔に応えた。

「ほんとう?」

「本当だぞ」

「私も手伝います。どの辺りでなくしたのですか?」

無論、私も否は無い。私とシロウは、少女を抱きかかえ、コート探しにとテームズ河の川岸を遊歩道沿いに進む事になった。

「へえ、じゃ倫敦へは船で?」

「お船じゃないわ。川伝いに来たの」

なんでも、昼過ぎに倫敦について、同じくらいの年頃の子供達と川沿いにある公園で遊んでいるうちに、何処にコートを置いたかわからなくなってしまったらしい。

「でも、何か目印とか無かったかな?」

「うんとね、おっきな針があったわ」

「シロウ、もしやクレオパトラの針では?」

「ってことは、エンヴァンクメント・ガーデンか」

倫敦観光スポットの一つ。十九世紀の初めにエジプトから送られてきた、トトメス王のオベリスク。確かにあれは大きな針だ。しかもここの隣は、確か芝生が綺麗な公園がある。

「よし、じゃそこから行ってみよう」

私達は取敢えずクレオパトラの針に向かってみる事にした。

「あ、ここよ。ここで男の子達と遊んだの」

遊歩道を暫らく進むと、藍色から黒に変わっていこうとする空を背景に、天に向かって延びる一本の針が見えてきた。あっ、と叫んだ少女はたちまちのうちにその根元に駆け寄ると、ぴょんぴょん飛び跳ねながら私達を手招いている。
間違いはないようだ。この塔のところで友達になり、そのまま隣の公園で遊びまわっていたという。

「でどんなコートなんだ?」

「毛皮なの、すっごく柔らかくて手触りが良いのよ」

見つかったらお兄ちゃんやお姉さんにも触らせてあげる、とおしゃまに言う少女を連れ、私達は公園中を駆け回った。

「ないなぁ」

「ありませんね」

「……」

が、小一時間ほど駆け回ったが収穫はなかった。既に周囲は街頭の明かりだけ、このくらいの少女が場違いなほど暗く沈んできている。

「シロウ、一度警察に届けては?」

「そうだなぁ、親が捜してるかもしれないし……」

もし捜索願が出ていなかったら一旦うちに泊めようか、などと相談していた時だ。

「あっ!」

ぼんやりと寂しげに川面を眺めていた少女が、さっと顔を上げやいなや瞳を輝かせ、いきなり走り出した。

「あ、おい! どうしたんだ!?」

「待ちなさい! 走っては危ない」

「思い出したの、わたし、あのお船のところで上がったの!」

どうやら、コートを脱いだところを思い出したということらしい。少女はクイーンメアリーという係留船を利用した水上レストランの桟橋に向かって、一目散に駆けて行く。

「シロウ」

「おう」

既に夜も遅い、結局届けは出さなくてはならないだろうが、それでも探し物が見つかったのと見つからないとでは、あの少女の心持が違うだろう。私たちは少女の後を追い、まずは探し物を見つける事を先決にした。

「おかしいなぁ、ここに脱いだのよ」

係留船を泊めた短い桟橋。その先端で少女は小首をかしげて周りを見渡している。

「ここって……地面に直に?」

「そうよ、だってコート掛けなんか無いでしょ?」

「そりゃそうだけど」

同じようにきょろきょろ見渡すシロウと少女のどこかずれた会話を余所に、私はじっと水面を見詰めていた。あれは……もしや……

「シロウ、あれを」

間違いない。私はシロウに、川面にぷかぷか浮かぶ黒い影を指差した。

「あ! わたしのコート!」

そのまま飛び込もうとする少女を押し止め、私とシロウは顔を見合す。コートがあるのはテームズ河の川面、ここから五メートルほど離れたところだ。当然手は届かない、飛び込むにせよ既に冬、水泳には些かきつい季節だ。

「仕方ありません、私が」

ああなっては毛皮のコートは台無しだろうが、今にも飛び込んで取ってこようとしているこの少女の思いを無下には出来ない。唯人のシロウと違い私は英霊。この程度の寒さなどなんと言う事も無い。

「いや、待てセイバー。良い事を思いついた」

そう思って、飛び込もうとしたところで、シロウがわたしの肩を掴んで引き止めた。そのままちょっと待っててくれと言うと、桟橋の隅に向かい、街灯の明かりが届かぬ影に屈みこみ何事か呟きだす。

「お待たせ、セイバー。こいつで何とかできるぞ」

どうやら投影をしてきたようだ。シロウの手には愛用の弓。しかし矢があるわけでもない。なにをするつもりなのだろうか。

「任せてくれ。セイバー、ヘヤピン借りるぞ」

「それは良いのですが、一体なにを?」

私は髪からピンを一本抜きながら思わず聞き返してしまった。ヘヤピンと弓? それでなにを如何しようと言うのだ?

「まあ、見ててくれ」

そう言うとシロウは弓の弦を一方だけ外すと、ポケットから予備の弦を取り出して繋ぎ合わせ、更にその先に曲げたヘヤピンをくくりつけた。

「成程……」

「これなら届くだろ? 魚を釣るわけじゃないんだし」

そう言うとシロウは桟橋の端に立ち、弓を釣竿に川面に浮かぶコートめがけてヘアピンの針を投げ入れた。

「よし、引っかかった」

「うわぁ、おにいちゃんかしこい」

少女の賞賛の声に、にっこりと微笑み返し、シロウはするするとコートを桟橋に向かい引き寄せる。

「しかし、大丈夫でしょうか?」

後は引き揚げるだけ。ここまでは上手く行った。だが、あのコートはかなり水を吸って重くなっている。持つだろうか?

「大丈夫、糸も弓もこれで魔具だ。このくらいの重さ」

「私はヘアピンの事を言っているのです……」

一瞬、シロウの手が止まった。忘れてたと顔に書いてあるシロウと私が顔を見合すのと、ヘアピンがコートの重さに負け、滑り落ちていくのとはほぼ同時だった。

「拙い!」

「おにいちゃん!」

「シロウ!」

飛び込むシロウ、慌ててシロウの服の裾を掴む少女、その少女を抱きかかえる私。三人連なった人の鎖は、ぎりぎりシロウが水面に落ちる寸前で、取り押さえる事は出来た。
が、

「あ……」

鎖は一番弱い輪から切れる。五つの少女がシロウを支えきれるわけもなし、そのままシロウは音を立てて川面に落ちて行ってしまった。


「申し訳ない。シロウの方を抑えればよかった」

「仕方ないさ、咄嗟だったし……」

私が手を伸ばすとシロウはびしょ濡れになりながら桟橋に這い上がってきた。そのまま、考えてみれば慌てて取る事も無かったんだよな、などと笑いながら、やれやれとシャツの裾を絞っている。

「ありがとう、おにいちゃん」

「おいおい、濡れちゃうぞ」

そんなシロウに、少女は濡れるのも構わず躊躇無く抱きついた。

「コートもびしょ濡れだし。今日はもう遅いから、うちに泊まって乾かしていくと良い」

頬に降りかかるキスの雨を受けながら、シロウは濡れたついでだとコートを少女に手渡した。

「ううん、もう遅いから帰る。お兄ちゃん、お姉ちゃんありがとう」

すると少女は今度もまた、濡れる事を気にする事も無くコートをするりと纏った。
何事かと驚く私たちを尻目に、少女はにこりと微笑むと、そのまますとんとテームズ川に身を躍らせた。

「え!」

「な!」

しばしの呆然。私たちは慌てて桟橋の端まで走った。
と、少女の飛び込んだ五メートルほど先に、ぽっかりと黒い影が浮かび上がってきた。

――kyuruuu!

影は前鰭を水面の上に上げると、まるで挨拶するように左右に振る。

「……アザラシ?」

「……アザラシです」

まだ子供のアザラシの頭。そのままアザラシの少女は、私達に手を振りながら名残惜しそうに川下へ、海へと向かって泳いでいく。

「えっと……これで良かったのかな?」

「はい、これで良かったと思います」

ロンドンの夜景を写すテームズの川面を見詰めながら、私とシロウはどちらとも無く呟いた。何はともあれ、これであの少女は無事に家に帰れる事だろう。




「――と言うわけです。鮭もヒラメも恐らくは……」

彼女か彼女の親族の返礼ではないだろうか、とセイバーは話を閉めた。成程、昔は北海でチョウザメも採れたって言うし、

「……セルキーね」

「セルキーの少女ですわね」

セルキーなら、今でも北海のどこかでチョウザメを飼っていてもおかしくは無い。
北海に住むというアザラシの妖精、セルキー。海ではアザラシの毛皮を纏いアザラシとして生活し、毛皮を脱ぐと美しい人間の姿となり陸に上がるという。毛皮なしでは伝承どおり海に帰れなかったというわけだろう。ある意味、人狼と同じ獣人の一種族だということだ。

「……先輩、とうとう幼女にまで……」

「本当に、士郎くんは女の子に優しいですねぇ」

桜とミーナの、どこか見当はずれながらも当を得た呟きが耳朶を打つ。そりゃ、確かにいかにも士郎のやりそうな事だ。多分、同じ事が起こったらあいつは同じ事をするだろう。
だか、

「……納得できない」

良く判るし理解も出来る。だが断じて納得だけはできない。どうして士郎が助けるのは、いつもいつも女の子ばっかりなのよ!

「……リン、お酒ってこれだけですの?」

空になったドンペリの瓶を手に、ルヴィアが覚めているくせに思い切り据わった目で話しかけてきた。

「セイバー、ありったけ持ってきて」

多分わたしも同じような目をしているだろう。ルヴィアに頷きながらわたしはセイバーに命じた。

「あ、わたしも手伝っちゃいます。姉さん、冷蔵庫は空っぽにして良いですよね?」

「良いわよ、今日はもう全部食べて全部飲んでやる」

溜息交じりのセイバーに続いて立ち上がった桜に、わたしはおうと応える。こうなったら士郎が貰ってきた物全部使い切ってやるんだから!
こうしてこの日は延々と朝までかけて、うちにあるありったけのお酒と食べ物と士郎の愚痴を吐き出しての乱痴気騒ぎと相成っていった。
次の日の二日酔いも含めて……全部シロウが悪いんだから!




「その……すまんセイバー。今日は有り合わせで……」

「良いのです、シロウ。昨日の件は私にも責任があります」

慌てて作った昼飯を差し出した俺に、セイバーはにっこりと穏やかに微笑んでくださった。それでもやっぱりちょっと怖い。ただ、これは食事が貧相になったからって、わけではなさそうだ。

今日の昼前、プラハでの騒動を収め帰って来た俺は、まず厨房に入って驚いた。
何も無いのだ。
冷蔵庫は空、戸棚も空、床下の貯蔵庫も空なら酒蔵も空。それこそ小麦の一粒も無いほど見事なまでに空っぽだったのだ

なにがあったのか聞こうとしても、遠坂は寝室でうんうん唸っているし、セイバーはセイバーで、日がな一日ダイニングに座ってにこにこ笑っているばかりで、なにを聞いても暖簾に腕押しだ。ちょっと……いや、かなり怖い。
そうこうしている内に、あっという間に時刻は昼。俺としては、この上餓えたセイバーを相手にする危険だけは避けねばならない。大急ぎで近くのスーパーで食料品を買い、こうしてセイバーの前で恐る恐るお伺いを立てているというわけだ。


「……それで……全部、食っちゃったのか?」

「はい、全部見事に飲み干しました」

俺はセイバーのご馳走様の声を聞きながら、全身から脱力していた。
なんでも昨日の晩から今朝まで、延々エンドレスのパーティで根こそぎ使いきったと言う。お前ら……一週間分はあったんだぞ……

「なんでさ?」

「なんと説明したものでしょうか」

一体なにが原因でそんな事にと尋ねると、ここで漸くセイバーさんは苦微笑を浮かべながら表情をやわらげて、詳しい話をしてくれた。

「……勘弁してください」

そりゃ、色んなとこで色んな事やっていたけど、女の子を助けたってのは偶然だ。ジュリオじゃあるまいし、狙ってやっていたわけではない。その……なにも浮気をしたわけじゃない。

「それはそれで些か引っかかりはしますが……」

そんな俺の言訳を、セイバーは片眉をかすかに震わせながら聞いていたが、何故か小さく溜息をつくと、再び苦微笑に戻り徐に俺に向かって話しだした。

「多分、皆自分の目の前での事ならさほど腹は立たなかったと思います」

私もあの時は、当たり前の事と思っていましたから、とセイバーは続けた。

「そんなもんなのか?」

「少なくとも、ルヴィアゼリッタや桜はこれで憂さ晴らしは出来たでしょうね」

かなり晴々とした顔で帰って行ったようだ。なんだかなぁ……

「問題は凛です」

私達は六人でしたが凛は八人ですから、などと言いながら、セイバーは俺の目を覗き込んでくる。

「や、疚しい所は何も無いぞ」

「それは判っています。ですがシロウ……」

凛も重々承知しているでしょう、とセイバーは尚も俺の瞳から視線を外さない。

「……あ」

ここで俺は漸く思い至った。理屈じゃなかったんだよな。これはもっと別の種類の思いなのだ。俺は視線を遠坂の寝室がある方向へ向けた。今もあいつはあそこでうんうん唸りながら二日酔いと戦っているだろう。全く、強くも無いくせに……

「私に昼食を作ってくれた事は大変嬉しく思いますが、その前にする事がありましたね?」

「……すまん、セイバー」

俺は素直にセイバーに頭を下げた。俺が鈍感なせいで、又つまらない気を使わせちまったな。

「私に謝る事は無いのですが」

セイバーはそんな俺に少しだけ寂しそうに笑いかけると、さてと一声かけて立ち上がった。

「セイバー?」

「買い物に行ってまいります。シロウは本当にとりあえずの分しか買って来ていませんからね」

後はお任せします。セイバーはそれだけ言うと、食堂を後にした。





「遠坂、大丈夫か?」

水に薬にタオルにお粥と、二日酔いに利きそうなものをありったけ用意して入った遠坂の部屋は、どっぷりとアルコールの匂いに染まりきっていた。俺は窓を開き、空気を入れ替えながら遠坂に声をかける。

「うう、頭痛い、きもちわるいぃ……」

それでも何とか眼は覚めているようだ。一通り部屋の換気を済ませて枕元に座った俺を、遠坂はどこかぼんやりした目で見上げている。尤も、寝起きと二日酔いのダブルパンチでいまだ意識がはっきりしていないようだ。

「薬、飲むか?」

「くすりにがい……お水ほしい……」

やはりまだ、眼が覚めきっていない様だ。俺はベッド際に腰を掛け直し、むずがる遠坂の上半身を横抱きするように抱え起こした。

「カプセルだから苦くないぞ……」

「うう……のどにひっかかるぅ、お水ぅ……」

気を抜くと、直ぐにこてんと俺の胸に顔を埋めようとする遠坂をあやしながら、俺は遠坂の口に薬を含ませ冷たい水を飲ます。
最初の一口こそ、こくんと可愛らしく喉を鳴らしただけだったが、よほど喉が渇いていたのだろう、その後はごくごくと一気にコップを空にした。

「はぅ……生き返った……っ!」

と、ここで、遠坂は漸く本式に眼が覚めたようだ。そのまま俺の顔をぼうっと見上げていた瞳が、見る見るうちに焦点を定めると、がばっとばかりに立ち上がろうとした。

「士郎! ……ふはぁ……」

だが、二日酔いの寝起きな遠坂がいきなり立ち上がれるもんじゃない。そのままへたへたと倒れこみ、もう一度俺の腕の中に戻ってくる。どうやら軽い貧血まで起こしたみたいだ。まったく、低血圧なんだから気をつけろよな。

「ただいま、遠坂」

「……お帰り、士郎」

そのまま暫らく腕の中で俺を睨んでいた遠坂だったが、流石に格好が付かないか俺が挨拶をすると膨れながらも応えてくれた。

「なあ、遠坂」

「なに? 士郎」

「止めるわけにはいかないぞ」

俺は腕の中の遠坂に話しかけた。遠坂に寂しい思いをさせたのは悪いと思うが、それでも自分の手の届くところで自分の手で出来る事があるなら、止めるわけにはいかない。

「……判ってる。その……わたしも悪い事だとは思ってない。ただ……」

「ああ、一緒にだろ?」

「……うん」

そのまま遠坂は力を抜いて、俺に胸に身体を預けてくる。俺もそんな遠坂をそっと抱きしめる。遠坂、寂しがらせてご免な。
と、遠坂はいきなり俺の胸の中でシャツのボタンを外し始めた。

「と、遠坂!」

「だから、今度の事はこのシャツで勘弁してあげる」

慌てて両肩に手を当て引き離した遠坂は、尚もしっかりと俺のシャツの裾を掴んだまま、真っ赤になりながら俺を睨みつけていた。わたしだけなんて……これだけは許せないなんておかしな事を言っている。

「遠坂さん?」

「あんたも、蛇じゃないんだからそこら中で皮脱いで置いてかない! 良いわね!?」

「お、おう……」

なにを問い詰められているのかはさっぱりわからないものの、勢いに飲まれて返事をしてしまった俺は、見る間にするりとシャツを奪われてしまった。

「じゃ、士郎。わたしまだちょっと頭が痛いから、もう少し寝てるわね」

そのまま遠坂は満面の笑みでパジャマを俺のシャツに着替えると、お休みのキスを一つ強請ってこてんと布団に包まってしまった。

「あ……えっと……おやすみ」

「お休み、士郎」

なんだか子供のような笑顔を浮かべ、あっという間に幸せそうに寝息をたてる遠坂さん。
俺は上半身裸のまま、遠坂のベッドの傍らでただ呆然と両手を揺らせていた。

「なんなんだよ……」

結局、俺は負け犬のようにとぼとぼと遠坂の部屋を後にした。包装紙だけ取っとかれて、中身は捨てられた贈り物の気分だ。なんか釈然としないぞ。
空っぽの食材より、セイバーの怖い笑みより、遠坂の不機嫌より、この出来事が俺には一番応えた。

これからも俺は今までどおり、自分の手の届くところで自分の手で出来る事があるなら、人助けを止めないだろう。
だがそれでもこの事は、これからはちょっと考えてから行動しよう、と俺に考えさせる出来事だった。
いくらなんでも、包装紙より下はないよなぁ……

END


正義の味方が人知れず活躍していましたなお話。
妹キャラ、人外美少女、人妻、幼女、一通りこなしていた士郎くんの物語、取敢えず取りこぼしは無いと思います(笑)
大した事をしたわけではありませんが、それでもどこか心に残る士郎くんの行動。
せいぎのみかた ならぬ わらしべちょうじゃ なお話でした。
尤も最後は身包みはがされてしまいましたけどね(笑)

By dain

2004/12/22 初稿
2005/11/22 改稿

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