一年と言うのは、長いようでとても短く感じる事がある。
例えば、俺がエーデルフェルト邸で働き出してからも、既に一年が過ぎている。つまりルヴィア嬢と知り合ってから、もう一年が過ぎたって事だ。

「……」

と、そこではたと手が止まった。たった一年だって?
確かに、あのとてつもなく華麗な金細工を初めて目にした時を、俺はつい昨日の事のように鮮明に覚えてはいるが、とてもじゃないがルヴィア嬢との付き合いが、たかが一年程度だったなんて思えやしない。もうずっと昔からの付き合いだったかのような錯覚に捕われる。
それだけ密度が濃かったって事なんだろうけど。考えてみれば不思議な話だ。
まあ、それで言えば遠坂やセイバーとの付き合いもほんの三年弱、桜とだって四年強。今では俺にとって欠かせない人たちとの出会いは、本当につい最近の出来事なんだな。
……ただ、遠坂に関してだけは、漠然とそんなもんじゃないって気がする。なんでだろう?

それはさておきだ。どこか不思議な感慨を、俺は頭を振って追い出し、料理をする為に再び手を動かし始めた。
そんな懐かしい事を思い出したのは、久しぶりの出来事があったからだ。本当に久しぶりだ。なにせ今年の春、ルヴィア嬢と遠坂が共同研究を始めてからは、すっかり影を潜めていた事なのだから。

「……せ、先輩ぃぃ……」

そんな事を考えていると、へろへろになった桜が、這いずるように厨房にやって来た。良い頃合だ、そろそろ料理が出来上がろうって所だ。

「おう、桜。ちょうど良いとこだ」

俺は鍋からお椀に粕汁を盛り付け、トレイに二人前の昼食を揃えながら応えた。

「ありがとうございますぅ……」

虚ろな瞳で危なっかしくトレイを受け取る桜を支えながら。俺は苦笑を漏らしてしまった。そういや桜は初体験だったなぁ……ルヴィア嬢の“お篭り”は。





きんのけもの
「金色の魔王」  −Rubyaselitta− 第十話 前編
Lucifer





久しぶりのお篭り。その原因も、やはり久しぶりの出来事が切っ掛けだった。
プラハから帰って来て数日後、丁度ルヴィア嬢と遠坂の講義が行われる日の事だ。誰が企画したのか知らないが、この日の講義はルヴィア嬢と遠坂の二つの講座の合同講座として、本科大英博物館の大講堂を使って行われる事になっていた。
この日、俺は時間的に空いていたので、この講義を聴講する予定だった。ただ朝一番で時計塔がくいんの事務方から、プラハで手に入れたお土産が届いたと連絡を受けていたので、それを取りに行ってから少しばかり遅れて講座に顔を出す事になってしまった。

でだ、

「鉱物の概念を魔術に応用する為の最大のポイントは、その属性を絞り先鋭化させて、効果を特化させる事です」

「鉱物の概念を魔術に応用するに当たっての一番重要な点は、その属性の多様性を生かして、可能性を追求する事です」

いきなり一触即発だった。
二人とも視線は生徒に向いているものの、意識は生徒なんか見ちゃいない。お互い軽やかで美しいといって良いほどの笑みを浮かべながら、相手を視線の隅に置き、互いに相手の隙を伺っている。完全な臨戦態勢だ。

「例えば、この何の変哲もない火打石フリント。このような殆ど無価値な石でも鍛えれば……
――Die Stukas襲 雷.

そら始まった。僅かに口の中で呪を紡ぐと、遠坂の手にあった鏃型の火打石が電光となって、ルヴィア嬢に向かう。

「とはいえ、先鋭化にも自ずと限界があります――Riposte焔 陣.

だがルヴィア嬢もさるもの。まるで予測していたかのように、指に挟んだ紅玉を摘まみだすと、瞬く間に防護陣を編み起した。

「これはたかが紅水晶にすぎませんけれど、呪刻で属性を押し広げれば、このような事も出来ますわ。――Composee焔 竜 渦.

続いて紡いだ呪にあわせて、防護陣が回転を始めたかと思うと、そのまま炎の竜巻となって遠坂に向かって襲い掛かる。

「同様に、多様化はどうしても力を分散しがちですので、――Der Haifisch los流 射.

一方遠坂も、慌てることなく丸く磨かれた水晶を一つ放り投げ、水流の竜巻を創り出すと、火の竜巻にぶつけて対消滅させた。

「このように先鋭化した鉱物魔術を用意しておけば、僅かな動きで制する事も可能です」

その様子を半眼で見据え、更にふんと鼻を鳴らして結論付ける遠坂だが、

「つまりは咄嗟の対応には多様性こそ肝心だという事です」

即座にルヴィア嬢の談話が被さってくる。やれやれ。
既に講堂の半ばは空っぽ。生徒達は席を離れ、用意の良い聴講席の観客が敷いた防護陣の中に逃げ込んでいる。特に四隅に立っていた聴講者は、教室の壁を護る為か早々に強化結界まで張り巡らせている。えらく準備が良い。とはいえ、

「誰だよ……こんな講義企画したのは……」

「今年の教養学年ファウンデーションの担当はクーレンゼ教授ですからね。多分あの人だと思いますよ」

目の前で繰り広げられている魔術の花火大会を、呆然と見ていた俺の呟きに答が返ってきた。
ミーナさんだ。準備万端整えた防護陣を、教壇真正面の特等席に用意して、楽しそうに花火大会を眺めていらっしゃる。

「あの教授か、そんなにお祭り好きには見えなかったんだけどな」

この隠秘学の教授は俺の担当教授でもある。確かにどこか腹が読めないところはあるが、それでも真面目で凄くきっちりした人に思えた。むしろ堅苦しい人だと思ったんだが。

「お祭りが好きとか嫌いとかの問題じゃないんですけどね」

はて、と首を傾げる俺に、困ったように微笑みかけてくるミーナさん。いつもの悪戯っぽい笑みでなく、なんと言ったら良いのやらと本当に困ったような顔だ。
まあそれは良い。丁度良かった、ミーナさんにも用があったんだ。俺は事務方から受け取った小包をあけ、小箱を一つ取り出した。

「それはそうと、はいこれ。プラハ土産」

「私に? 有難う士郎くん」

困惑の苦笑を優しい笑みに切り替えて、ミーナさんは俺からお土産を受け取ると、何かしら? 嬉しいな、とその場で小箱を開いてみせた。

「へぇ……モルダヴァイトですか。そういえばチェコですもんね」

中にあったのは、オリーブ色の透き通った水晶のような原石。チェコのモルドワ河流域の名産である貴石だ。石としては一種の硝子なので余り高価なものではない。ただ、隕石によって運び込まれた、或いは作られたというこの石は魔術師にとって、概念的に高い価値がある。

「ミーナさんの場合、磨いた石より原石の方が良いと思ったんだ」

「そうですね。カットされちゃったら、強化テクタイトに加工するのが難しくなっちゃいますもんね」

更に地球には存在しない物質と言う意味合いで、ミーナさんのように技術系の魔術師には使い手のある素材だ。

「ただ、折角プラハに行ったんだが、実はそれシベリア産なんだ……」

「士郎くん、こっち!」

そんなわけで、その辺りの事情を説明しようとしたところで、いきなりミーナさんに引き寄せられた。

「うゎっちぃ!!」

と、いきなり後ろ髪がちりちりと音を立てる。危機が迫ってたって言うより、もろ危機。真後ろで起こった爆炎に、俺は危うく巻き込まれかけたのだ。

「うわぁ……」

馬鹿やろう、危ないじゃないか! と怒鳴りつけてやろうと、振り返って絶句してしまった。
半年前の比ではない。互いに自分の周りに五色に煌めく光柱を立ち上らせ、凄まじい魔術合戦を、今まさに繰り広げんとしている遠坂とルヴィア嬢。もはや講堂は魔女の大釜と化していた。

「士郎くん、止められませんか?」

「いや、もう……ここまで来ちまうとな……」

こうなるとちょっとした工夫ぐらいじゃ、あの魔力の渦に飲み込まれちまう。それこそ固有結界を発動させて、この場所そのものを押しのけでもしなけりゃ止められそうにない勢いだ。やばいなぁ、ここの防護結界持つのか?

「以上のように…… ―――Es braust稲妻よ ein Ruf wie Donnerhall,猛り  轟かん

「鉱石の属性に対する優位の構成は…… ――Les noeuds ont e'celate'戒めを 解き放ち. Au vent manuvais吹き荒れる Qui m'emporte風のまにまに,」

と、観ている間に、二人の戦いは佳境に突入して行った。周囲に五大元素の魔力を帯びながら、互いに長詠唱の呪を紡ぎ始めている。

「うわぁ……これは凄いですね……」

「拙いな……」

慌てて魔具で防護陣の強化を始めたミーナさんを目の隅に捉えながら、俺は講堂の大きさ、二人の呪の強度、それに周りの魔術師が張り巡らす結界の強度を素早く計算した。どう考えてもあの二人の呪がぶつかり合って、無事には済みそうに無い。
固有結界は魔力の関係で発動は無理、だとすれば魔剣の連続投影と連続破砕による、爆破防御リアクティブ・ディフェンスしかない。俺は覚悟を決めた。

「――Sprach er詠唱……), da gluhten die Flammenされば、劫火は燃え,――Schlugen in Gluten zusammen共に 熱く燃え盛り――ein Schlag!一撃もて放たん

「――Les roses envole'es華は風に舞い散らん,――Et le vent風よ!, cette nuit, li en a fait de belles今宵  また  吹き荒れん!」


来た! 五つの光が互いに一つに纏められ、互いの防護陣に焦点を結ぶ。さあ、行くぞ!

「――全投影連続層……ソードバレル・フル……

―― 尖!――

その時だ。二つの呪が今まさにぶつかり合おうという瞬間。その丁度ど真ん中に、いきなり顕現した黄金の煌めきが、くるくると回りながら弧を描いて突き立った。

―― 瞬! ――

続いて二つの呪が吸い込まれるように、黄金の煌めきに突き立つ。だが、弾けない。
いや、弾けてはいる。弾けてはいるのだが届かない。更に包み込むようなその黄金の輝きに、余波として周囲に叩きつけられるはずの魔力さえ、儚く霧散していく。

「え?」

呆気に取られる二人、そして周囲の観衆。講堂は凍りついたような静寂に包まれた。
と、そこに静寂を破るようにただ一人、小柄な少女が無人の野を行くかのように教壇へ向かって歩みを進める。
少女はそのまま両者の間まで進むと、突き立った黄金の剣を抜き、静かな瞳で二人を交互に見据えた。

「さて、お気は済みましたか?」

凛と鈴を転がすように澄んだ、それでいて周囲を凍りつかせている静寂以上に冷たい声。セイバー、怒ってるんだな……

「えっと、その……はい……」

「あ、あの……え、ええ……」

ごくりと生唾を飲み込みながら、冷や汗を流してこくこくと頷く遠坂とルヴィア嬢。いやあ、俺はあそこに居なくて幸せだなぁ。

「それは結構。ではそろそろお時間ですので、講義を閉められたら如何でしょうか?」

「そ、そうね……」

「ですわね、じゃあ」

セイバーの言葉に顔を見合わせて、ほっと息をついたお二人は、

「き、今日の講義はここまで、次回も鉱物魔術の術式構成になります」

「自然魔術の応用展開について、いくつかの実例を用意するつもりですので、皆さんレポートを忘れないようにお願いします」

あれほどいがみ合っていたにしては、妙に息のあった言葉で、合同講義を締めくくった。
まったく、だったら最初から喧嘩なんかするなよ……




「しかしあれなんだったんだ? セイバーの対魔力ってやつか?」

「いえ、私が出ても良かったのですが、間に合わないと判断しましたので」

エーデルフェルト邸に寄って、桜が作った四人分の弁当を運んできたセイバーが講堂に入った時には、既にあの状態であったらしい、そこで咄嗟の判断でエクスカリバーを投げたのだと言う。
エクスカリバーはそれ自身強大な魔力を有している上に、星が鍛えた武器であるゆえに、普通の魔術に対してはセイバー以上に対魔力が強いのだ。

「……次元が違いますものね……」

「一種の反則よね、それ……」

と、こっちで膨れて弁当をつついているのは、先程セイバーにこってりと絞られた、遠坂とルヴィア嬢。まったく、誰が原因だったと思ってんだ。

「それ以前に反省しろよ。今日は危うく怪我人が出るところだったんだぞ」

一応は魔術師ばかりだから死人までは出なかったと思うが、一般人なら死人が出てただろう。講堂だって無事じゃすまない。

「なんだって、ああも無茶なことしたんだ?」

そりゃ二人とも魔術師なんだから、工房の研究や実験でかなり無茶はやるが、今日は講義だ。学生に教える事が目的なわけで、なにも自分達の限界にまで挑戦する事はない。

「その……ひ、久しぶりだったんで……」

「い、勢いで……」

頭が痛い。やっぱり暴走か……本当にこの二人は、二人だけにすると果てしなくエスカレートしていくな。

「次回は講堂での実験は控えて頂けますね?」

そんな二人の様子に、にっこりきっぱりセイバーさんが釘を刺す。

「えぇぇ、だって、ほら合同講義は実験の簡略化の為だし」

「そうですわ、術式の簡単な実演もなしでは意味がありませんのよ?」

「あれの何処が簡略で、簡単だったと言うのですか! それこそ第一級の攻撃呪だったではありませんか!」

そんな二人にとうとうセイバーが爆発した。気持ちはよっくわかるぞ。

「お二方は魔術師、しかもこれから奥義に向かおうという方々、ご自分の工房でならどのような実験をしても構わないと思います。ですが、講義は人様が相手、自重なさい!」

最後には完全な叱責になっている。いやあさすが王様。迫力あるなぁ。

「わ、わかったわ……それじゃ工房で実験して」

「それの記録を発表と言う形で纏めますわ……」

それでもまだなにか言いたそうな二人だったが、じろりともうひと睨みされるとしぶしぶとその線で妥協するからと、上目使いでセイバーに応えを返した。工房で実験って辺りに今ひとつ不安はあるが、それでも、次回はもう少し大人しい講義になるだろう。

「それじゃあ、これ。遠坂とルヴィアさんに」

そんなこんなで弁当がひと段落ついたところで、俺は小包からビロードの小箱を取り出して二人に渡した。

「なんですの?」

「プラハ土産だ。今日ついたんだ」

「へぇ……」

先程の講義の時の激しさとは裏腹に、きょとんと可愛らしい顔で、俺から小箱を受け取るお二人。俺の応えに成程と箱を開いた。

「モルダヴァイトね、結構大きいわね」

「カットしたものは珍しいですわね」

「ああ、呪を刻むなら磨いてあったほうが良いだろ?」

中にあったのはブリリアントにカットしてある、モルダヴァイトの裸石ルース。本物のモルダヴァイトは普通、原産地を明確にする為に原石の形で磨くだけでカットしないのだが、これに関しては原産地ははっきりしているし用途も決まってる。ならって事でこの形にしてもらったのだ。

「有難うシェロ。大切に使いますわ」

「この質で、この大きさのモルダヴァイトはなかなか無いわ。有難う」

にこやかに嬉しそうに応えてくれる二人。プラハには色々なものがあったけど、やっぱりこの二人には石だろうと、選んだ甲斐があったってもんだ。

「それから、こっちはセイバーに」

「私にもあるのですか?」

そんな二人の表情に満足しながら、俺は更にもう一つ小箱を取り出してセイバーに渡した。これで後は桜に渡す奴で最後だ。

「あの……シロウ。有難うございます……」

セイバーは箱を開けると、どこか気恥ずかしげに箱ごと胸に抱きしめた。
中にはやはりモルダヴァイト。こっちはオーバルにカットして金の鎖でペンダントにしてある。いやあ、こんなに喜ばれると嬉しいな。

「ふうん、わたし達は裸石ルースでセイバーは宝飾品ジュエリー?」

「随分差がありますわね……」

と喜んでいたら、急に遠坂とルヴィア嬢の機嫌が悪くなった。なんでさ?

「ちょっと待て、お前らは呪式に使うだろ? それに大きさが違うじゃないか。値段はそっちの方がずっと高いんだぞ」

俺は慌てて言い繕う……って言い繕う必要なんかないじゃないか。俺は胸を張って半眼で睨みつけてくる二人に対峙した。

「……仕方ないわね」

よしよし勝ったぞ。やっぱり俺は正しい。しぶしぶ下がった二人に俺は溜飲を下げた。

「ですけれどこの石。悪くありませんわ」

「うん、士郎にしちゃまあまあの選択ね」

とはいえ、二人とも機嫌が悪いわけではないようだ。小箱から石をつまみ出し満足そうに眺めながら微笑んでくれた。一見、当たり障りない言葉に聞こえるが、これはこの二人の褒め言葉だ。俺としてもやはりこの二人が喜んでくれると嬉しい。

「おう、カーティスのお師匠さんに選んでもらったんだ。丁度在庫が無いとかで、わざわざ特別に取り寄せてもらって……」

と、ここまで説明したところで、遠坂とルヴィア嬢の顔色が変わった。

「……なにさ?」

「なにさって! 『真鍮ブラス』!?」

「シェロ、それがどんな意味なのかわかっていらっしゃるの!?」

途端、顔色を変えて迫ってくる真紅と黄金。いや、確かに流石に俺も、最近カーティスが魔術に関してはちょっとあれだなって気がついたけど、

「だから、これはカーティスでなくて、お師匠さんだって。良い人だったぞ、趣味も良いしまともな魔術師だった」

やっぱり、ちょっと変わってたけど。

「ほほう……」

だが、俺の応えに遠坂とルヴィア嬢は安心するどころか、別の意味で顔色を変えだした。おかしな事にセイバーまで半眼で見据えてくる。なにさ?

「……女ね」

「……女ですわね」

「……女性ですね」

三人揃ってまるで地の底から湧きあがるような声でおっしゃる。

「た、確かに女性だったけど……い、言ったっけ?」

驚いた俺が慌てて応えると、やっぱりと三人揃って疲れたように椅子にへたり込む。って、かまだったのか?

「シェロ、貴方の顔を見ればわかります」

「それについては色々とネタも上がってるから、言いたい事は山ほどあるけど」

「まあ、いつもの事ですし。諦めましたわ」

何故かやたらチームワークの良い三人は、何気に酷い事を言う。

「ともかくだ。カーティスは触ってない。安心してくれ」

俺もかなり酷い事を言っている自覚はあるが。これも二人を安心させる為だ。許せカーティス。俺は心の中であの傲岸不遜で唯我独尊な癖に、妙に気の良い大男に謝罪した。

「ま、そういうことなら」

「決まりですわね」

どうだ安心したか、と顔で笑って心でカーティスに涙している俺を余所に、遠坂とルヴィア嬢はなにやら口の端に嫌な角度の笑みを湛え、頷きながら顔を見合わせている。

「決まりって、なにさ?」

「次の講座の題目に決まってるじゃない」

「ですわ、折角シェロがくれた石ですもの、有効に使わないと」

満面の笑みで応えられるお二方。なんとなく怖い。妙なものが後に燃え上がって見えるのは、きっと気のせいじゃないだろう。

「な、なにをする気だよ?」

「モルダヴァイトの特性を利用した、複合魔術の実験ですわ」

「士郎だってこの石が、隕石で出来上がったってのは知ってるわよね?」

「おう、それで珍しいなってお土産にしたんだ。綺麗だったし……」

それじゃあ、聞きなさいと遠坂とルヴィア嬢が説明してくれた。
モルダヴァイト、或いはテクタイト。これは前にも言ったが隕石、或いは隕石の影響で形成された鉱物だ。更に言えば、本質においてこの星のものではない。

「他の星、或いは宇宙の概念を内在した“星々の真珠”なの」

この石はそのものが異星系でもあるというのだ。つまり地球外の概念を表現しうる素材であるというわけだ。

「更にこの石は本質的に、この星に根ざす呪に対して高い対魔力をもっていますの」

隕鉄で出来たクリスナイフが、魔術に対する対魔力を持つのと同じ理屈だ。この星で生まれ育った概念は、その概念がまったく異なる異星系への影響力は当然薄くなる。
故に一旦、呪を刻み付ける事が出来れば、その呪には普通の魔術では抵抗する事が難しく、外からの影響を受けにくい純粋な力を発揮しうるというのだ。

「でお題だけど」

「占星魔術ですわね。この石なら星の力を印を通さず直接取り込めますわ」

「つまり、占星術の鉱物魔術的展開と応用ね」

「良いですわね。宇宙は人類の浪漫ですし」

「最後のフロンティアだし」

顔を合わせて不気味にふふふと笑いあう二人の魔術師。拙いな、あっちの世界に行っちゃってる。おおい、良いのかぁ? 基礎講座なんだぞぉ。

「大丈夫、実験は自分の工房でやるから」

「講義では実験の結果を元にした解説になりますわ、心配無用ですのよ」

いやね、俺の心配はそっちじゃなくてね……

「負けないから」

「負けませんわ」

笑みを絶やさず睨み合いながら、頭の中は高速に回転しているお二人。だからね、俺が心配なのは、そのどうやってこいつを出し抜いてやろうかっていう、君達の思惑の方なんだけどね……はぁ……




と言うわけで、遠坂さんとルヴィア嬢の新たなる戦いが始まってしまった。
それぞれ助手はセイバーと桜。俺はといえば公正を期するために、雑用のみの参加と相成った。
まあ、この二人が突っ走った時、止めに入れるのは俺くらいだろうから、それはそれで良いと思う。だからその意味もあって、ランスに俺がエーデルフェルト邸に居る時には遠坂邸に、遠坂邸にいるときはエーデルフェルト邸にと張り付いてもらって常時監視体制も敷いてある。
とはいえ、なんだかなぁ。“講座の為”って目的がすっぽり抜け落ちて、勝負って手段だけが突っ走っちまってるようで……まあ、いつもの事なんだけど。

「桜、大丈夫か?」

周りは溜まったもんじゃないよな。俺は、トレイを持ってふらふらと工房へ向かう桜に声をかけた。

「はい? ああらいじょうぶですよぉ……」

全然大丈夫に見えない。だいいち舌が廻ってないぞ?

「ひゃ!?」

ほら躓いた。俺は即座に桜を支えた。いつ倒れるかとひやひや観てたおかげでタイムラグなし。昼飯を乗せたトレイもちゃんと無事だ。

「工房には俺が持ってくから。桜は休んだらどうだ?」

流石に心配になってきた。俺は桜の手からトレイを奪い、抱きかかえるように支えながら言った。

「いいえ、今一番大事なとこなんです」

だが、桜はここでぐぐっと力を入れ直してきた。トレイこそ奪い返しはしなかったが、俺の手をそっと拒み、両足でしっかりと立ちなおすと、きっと唇を結んで俺を見据える。

「今の作業が終れば少し休めます。ルヴィアさんも頑張ってるんだし、わたしだけが休めません」

ああ、これは頑固な桜だ。こいつ、大人しいくせにこうなると梃子でも動かない。
俺は少しばかり寂しい気持ちになりながら、そんな桜を見詰め返した。疲労困憊しているはずなのに、瞳の力だけは強く激しくすらある。

「わかった。でも本当に無理だと思ったら俺は力づくでも休ませるぞ」

「先輩ひどいんだ。ルヴィアさんもそうするんですか?」

有難うございますと頭を下げながら、それでも桜は気丈に笑う。良しじゃあ俺もだ。

「いや、ルヴィアさんは魔術に関しては化物だから、気を失ってからじゃないと俺には手が出せない」

「誰が化物ですって?」

冗談ごとを口にしたら、曹操が出た噂をすれば影

「いや、そのあの……」

「先輩ったら酷いんですよ」

慌てて弁解しようとしたら、桜がにっこりと洗いざらい喋ってしまう。ちょっと待て。俺はそこまで言ってない!

「成程、シェロはわたくしをそういう目で見ていたわけですの?」

にっこりととっても綺麗で愛らしい笑顔を浮かべられるルヴィア嬢。桜以上にハードなお篭りしてたってのに、まったくそれを感じさせない鬼気と迫力だ。

「ええと、その……ごめん」

泣く子と地頭には勝てない、俺はあっさり完全降伏した。オーウェンで言えば腹を上にして寝転んだってとこだ。

「ま、宜しいですわ。今は少々忙しいですし、その件については後日追求いたしましょう」

つまり、許してくれたわけじゃないんですね……

「ではシェロ。わたくし達はもう少し作業を続けますので、後の事は任せましたよ?」

「おう、任してくれ」

「それじゃ、先輩ぃ、お達者でぇ……」

桜、どっちかって言うとお前の方が達者で居て欲しいぞ、などと思いながら俺は二人を見送った。まあルヴィア嬢はペース配分がわかってるから大丈夫だと思うが、ちょっと桜は心配だなぁ。




「ま、仕方ないわよ」

それは翌日、今度は遠坂邸の居間で午後の休憩にと、お茶と手作りのケーキを出した時の事だった。
俺がエーデルフェルト邸での出来事を告げると、それも修行よ、と遠坂さんはふうと溜息をつきながらお茶に口をつけた。

「どう言うことさ?」

「つまり桜はまだまだ修行途中って事、素質と出来る事はともかく練度でいえば士郎のほうがずっと上よ」

桜は魔術師としてまだ慣れていない為、自分を使う事に関して効率が悪いのだと言う。

「それに使い魔の問題もあるし」

更に桜の魔術刻印、二十一匹の刻印虫の問題もある。強力な使い魔ではあるものの、その維持のすべてを桜に委ねている為、なにもしなくても桜の魔力を一定量消費し続けているのだと言う。つまり、

「ピークは高いけど、燃費悪いのよね」

「……今、何か微妙な含みを感じたのですが?」

遠坂の言葉を合図にするように、何故か集まった俺たちの視線に、セイバーは不満そうな表情で睨み返してくる。いや、別に深い意味は無いぞ。

「それはともかく、心配だろうけど気にする事は無いわ。ルヴィアが付いてるんだし」

そうそう別に深い意味は無いわよ、と悪戯っぽく微笑みながら、遠坂は一辺倒れるくらいまで突っ走ったほうが桜には勉強になるかも、などと物騒な事をお気楽に言ったりもしている。

――主よ、心配が当たった。

と、そこにエーデルフェルト邸に貼り付けてあったランスからの思考が飛び込んできた。案の定、とうとう桜が限界に達して倒れてしまったらしい。

「ちょっと行ってくる」

「待って士郎、わたしも行く。セイバー留守番お願い」

「わかりました、お気をつけて」

慌てて立ち上がる俺に遠坂が続く。俺たちは大急ぎでエーデルフェルト邸に向かった。



「あの……ご心配かけてすみません……」

俺たちが着いた時、桜は既に気がついて、ベッドに横になり、

「過労かと思ったんだけど……」

「すきっ腹かよ……」

恥ずかしそうに食事をしていた。何でもこのハードな作業に合わせて、ついでだからとダイエットをしていたのだという。なんだかなぁ……

「どうも消耗が早すぎると思ったら……良いですか、桜。魔術は魔力以外にもエネルギーを大量に消費するのです。身体にあわせた栄養補給は大事。まして貴女は使い魔の分もあるのですからね」

その桜の傍らで、ルヴィア嬢がぷんぷん怒りながらいつもとは逆に、エプロンドレス姿で桜に給仕している。

「その、もう大丈夫ですから……」

そのままたっぷりと二人前は平らげた桜は、呆れ顔で集まった俺たちに益々顔を赤らめながらばつが悪そうに顔を伏せ、小さな声で呟くとベッドから起き上がろうとする。

「お待ちなさい」

と、それをルヴィア嬢が押し止めた。

「そろそろ限界です。貴女は二日ほどお休みなさい」

「でも、それじゃ作業が……」

そのまま桜を押し戻し、食べ終わった食器を片付けて立ち上がったルヴィア嬢に向かって、桜は遠坂の方にちらりと視線を走らせながら顔を上げた。

「サクラは心配しなくても大丈夫ですわ。貴女にお願いした作業はもう終ってます。それに食事だけでなく、魔力も体力もそろそろ限界のはず。わかってますわね?」

「あ……はい……」

ルヴィア嬢は桜に向かって諭すように告げると、桜のほうも些か口惜しそうに頷いた。良かった、やっぱりルヴィア嬢はきちんと桜を見てたんだな。

「それじゃ、桜も大丈夫なようだし、作業の続きもあるからわたしは先に帰るわ。桜、無理しないように、それとルヴィア。これからの事だけど」

「ええ、予備はわたくしの方で使わせて頂きますわ」

何故か二人はそんな事を言いながら俺に視線を向けて部屋を後にした。はて?

「その……恥ずかしいところみせちゃって……」

「そんな事は無いぞ。ともかくだ、桜。お前はルヴィアさんの言うとおり暫らくゆっくり休んでろ」

俺は赤くなって俯いた桜を励まそうと、肩に手を置いて話しかけた。

「あんまり無理するな。急いだって良いこと無いぞ、ゆっくり一歩ずつ進めば良いんだ」

そう、急ぐ事は無い。例え一歩ずつでも止まらずに進み続ければいつかたどり着けるはずだ。

「先輩……」

桜はそんな俺に顔を上げ、肩におかれた手にそっと自分の手を重ねてきた。一瞬ドキッとする。桜、綺麗になったな……

ガタッ!

思わず桜に見とれてしまったところで、急に扉が開いた。

「わわわっ!」

慌てて飛び退く俺。待て、待て遠坂! ルヴィアさん、誤解だ!!

―― Mew?

だが、開いた扉から現れたのは遠坂でもルヴィア嬢でもなかった。両手を慌しく振り回す俺を、こいつなにやってんだと見上げているのは小さな金の獣。オーウェンだ。

 ―― Mimoew!

「オーウェン君、どうしたの? ……きゃ!」

と、オーウェンはそのまま俺を無視して桜のベッドに飛び乗ると、そのまま口にくわえた兎を桜の前に落し一声鳴いた。

「ええと……これ?」

「もしかして、お見舞いのつもりかな?」

―― Maow.

びっくり顔の桜の前で、まあこれでも食って元気だせやとばかりに、ぽんぽんと布団を叩くオーウェン。ちょっと乱暴だが、これには苦笑するしかないなぁ。

「あ、有難う。オーウェン君」

桜も同じ気持ちだろう。流石に兎の死骸は恐る恐るといった感じで脇に避けたが、それでも苦笑を浮かべ、お礼の言葉を言いながらオーウェンの頭をなでている。

――Mimoew!

「きゃ、オーウェン君! こら、ふふふ……くすぐったい」

早く元気になって遊ぼう、とでも言っているのだろうか。そんな桜の手を掻い潜り、胸元までひと跳ねしたかと思うと、桜の顔をぺろぺろと嘗めるオーウェン。桜も言葉では怒ったように言って口を尖らせているが、目では笑ってオーウェンを胸元に抱き寄せている。
なんかすっかり仲良しになって、これはこれで微笑ましいな。

「なに羨ましそうに見てるのよ」

「別に羨ましくなんて……って、遠坂! い、いつから?」

「オーウェンの直ぐ後辺りでしたかしら? まったく目を離すと直ぐこれなんですから……」

「まったくね」

そんな桜とオーウェンを眺めていたら、いつの間にか俺の後に遠坂とルヴィア嬢が並んで、俺を半眼で見据えていた。

「な、なにさ?」

お、俺は全然ちっとも疚しい所は無いぞ、桜のふくよかな胸に埋もれるオーウェンを、羨ましいだなんて全然思ってないんだからな。

「なにさ、じゃないわよ。まあ良いわ。士郎、暫らくあんたルヴィアに預けるから」

「へ?」

いきなりの遠坂の言葉に俺は一瞬言葉を失った。ルヴィア嬢に預ける? 何の話だ?

「わたくしの方の施術のお手伝いと言う事になりますわ。サクラの代わりですの」

難しい顔の遠坂と、問題ない予想の範囲内だ、と口の端を軽く上げて微笑むルヴィア嬢。俺はそんな二人を交互に眺めながら、告げられた言葉を漸く飲み込んだ。

「すみません、姉さん」

「良いのよ、ルヴィアのしごきのせいだから」

「わたくし、そんなことしてませんわ!」

つまり、俺の予備ってのはそういう意味もあったわけか。姦しくうまくやりやがってと言い合う三人の後ろで、俺は小さく溜息をついた。
やっぱり俺も巻き込まれたってわけだ。とはいえ溜息をついていても仕方がない、しっかりと気を引き締めて行こうか。


久々にスタンダードなBritain物を、と言うことで書き始めたお話です。
ほのぼのも、テーマものも、変化球も良いですが、たまにはこういったお話も良いものかと。
久々の騒動と久々のお篭り、そして久々のBritainスタンダード。
それでは後編をお楽しみください。

By dain

2005/1/19 初稿
2005/11/20 改稿

index   next

inserted by FC2 system