夢を見た。
とても不思議な夢だ。ふわふわとした心地よさの中で、わたしがルヴィアに甘えている夢だ。
最初は面食らっていたルヴィアだったが、わたしの余りに素直な甘えっぷりにだんだんと優しい笑みを浮かべるようになり、文句を言いながらもわたしを看病してくれた。最後には、わたしの為に林檎まで剥いて食べさせてくれた程だ。
果肉が殆どなく、芯の周りにほんの僅か実が付いただけの林檎だったが、それは何故かとても美味しかった。

「……変な夢」

寝起きのぼんやりとした頭のまま、わたしは思わず赤面してしまった。思い切りでろでろだったじゃないの。
そんなでろでろなわたしの様子に、いきり立って噛み付いてくるルヴィア。それでもそんなルヴィアが凄く綺麗で、なんだかとっても嬉しくて、思わず知らず素直に甘えてしまっていたのだ。

「ルヴィアもルヴィアよね……」

夢だからだろうか、ルヴィアの方もわたしの甘えに応え、ぶつぶつ言いながらも厳しくもどこか優しい瞳で応えてくれていた。あんなルヴィア変だ、絶対おかしい。そんなもの、あるはずが無い。

「ま、夢だし……」

わたしはそう思いながら、今ひとつ纏まりの悪い意識をはっきりさせようと、ベッドから身を起こした。

「―― へ?」

途端、立ちくらみ。あれ、変……なんか熱があるみたいだし……熱? なに? 風邪でも引いたかな?

風邪? 熱?

………………

…………

……

「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

一瞬の内に、全ての記憶が走馬灯のように蘇ってきた。思い出した。全部思い出した。あれは夢じゃない。夢なんかじゃなかった。
わたしは頭を抱え再びベッドに突っ伏し、身も世も無い叫び声を上げていた。
あれは全て現実……な、なんて、なんて事しちゃったのよ、わたし!





あかいあくま
「真紅の悪魔」  −Rin Tohsaka− 第九話 後編
Asthoreth





「凛! どうしたのですか!?」

そこにセイバーが慌てたように駆け込んできた。一瞬立ちすくんだわたしだったが、余りの恥ずかしさのせいか咄嗟に頭から布団を被ってしまった。

「凛……」

「うう……言わないで……」

そんなわたしを、セイバーは腰に手を当てて呆れたように眺めている。なにをやっているんだわたしは……
布団から亀のように首を出してセイバーに応えながら、わたしは自分の情けなさに涙目にさえなってしまう。

「そうですか、意識がはっきりしたのですね」

わたしの様子に合点が行ったのか、セイバーはどこか優しい顔になって、ベッドサイドに腰を下ろした。

「取敢えず熱を診てみましょう。かなり下がっているようですから」

「うん」

色々な恥ずかしさでぐちゃぐちゃになりながら、わたしはセイバーから差し出された体温計を大人しく脇に挟んだ。熱云々以前に顔が火の出るほど熱い、ちゃんと熱は計れるのかなぁ。

「まだ少し熱は残っていますが、これならもう大丈夫でしょう」

「そ、そう? それじゃあ……」

「待ちなさい、凛」

セイバーの幾分ほっとしたような言葉に、照れ隠しもあって起き上がろうとしたわたしだったが。即座にセイバーに押し止められた。

「今日は一日、大事を取って寝ていてください。何故風邪など引いたか、自分でわかっていないわけではないでしょう?」

「う……」

更にジロリと畳み掛けてくる。反論できない、何故なら……

「シロウに付き合って、結局二日とも徹夜してしまっていたではないですか」

つまりはそういうこと。士郎自身の工房作成だ、手出しは出来ない。でも、そうは言っても心配は心配、様子を伺いながらセイバーと一緒にずっと息を殺して見守っていたのだ。
そのせいか出掛ける時は少しばかり熱っぽかったが、まだまだ大丈夫と、そのまま時計塔へ向かって施術に突入して……うう、甘かったかなぁ。

「で、でも、それならセイバーも……」

「私は英霊です。何度言えばわかるのですか?」

睡眠は本来必要としない、だから私に任せてくださいと言っていたのに、とセイバーは少しばかりお冠だ。

「ともかく、一旦着替えてもう一眠りしてください」

「うん、わかった」

こうなるとお姉さんセイバーには絶対に敵わない。駄々を捏ねていると、力ずくで着替えさせられかねない。
流石にそれは余りに恥ずかしい。そんなわけでわたしが素直に答えると、着替えとお湯を持ってきますとセイバーは一旦部屋を出て行った。

「はぁ……やっぱり、ちょっと汗臭いかな……」

そんなセイバーの背中を見送り、改めて確かめるとパジャマはかなり汗で濡れている。これじゃ、士郎が起きてきた時、顔を合わせづらい。下着も替えときたいなぁ……
などと考えていると、なにか廊下を走る足音のようなものが響いてくる。

「――姉さん!?」

と、いきなり扉が蹴リ開けられると、両手に買い物袋をぶら下げた桜が、凄まじい勢いで駆け込んできた。

「さ、桜?」

まじまじと見詰め合うわたしと桜。軽く手を上げて挨拶すると、桜は買い物袋をすとんと落とし、どこか拍子抜けしたような顔になってわたしに向かって歩み寄ってきた。

「ちっ ……姉さん、いつも通りに戻っちゃったんですね……」

ちょっと待て、桜。あんた今の舌打ちはなに? ちって視線そらせたでしょ、なんかもの凄く悔しそうな顔で!? しかも、いつも通りに戻っちゃった? 

「桜、あんたねぇ……」

「良かった。姉さん、お見舞いに来たんですよ」

わたしの文句を綺麗に流し、にっこりと罪の無い笑みを浮かべて朗らかに歩み寄ってくる桜。けど、わたしは誤魔化されないんだから。第一お見舞いに来て朗らかってのは無いでしょ、朗らかってのは。

「そんな顔しないでください。そりゃ可愛い姉さんを見たかったけれど、ちゃんと心配もしてたんですよ」

やっぱりそれか、わたしはベッド際に、どこか空々しい笑みを浮かべて腰掛けた桜を睨みつけてやった。まったく、ルヴィアの奴余計な事ばかり、ああ、なんかまた顔が赤くなってきた。

「ああ、やっぱり見てみたかったですね」

そんなわたしの顔を見て、ルヴィアさんにだけなんて姉さんは冷たいんですね、などと呟きながら本気で残念そうに肩を竦める桜。まったく、優しげな顔をしてこいつの本質はやっぱりわたしと同じだ、油断も隙もあったもんじゃない。

「ふん、誰があんたに弱み見せますか」

「姉さん、酷いです」

「酷いのはあんたでしょうが!」

「でも……」

むぅっと睨みつける私に、桜は顔を伏せて、少しばかり寂しげな眼差しでわたしを見据えてきた。

「わたし、本当の姉さんをちっとも知らないんですよ」

「う……」

哀しげにそう言われると言葉が無い。心の贅肉とわかってはいても、わたしには桜に負目がある。これからは出来る限りの事をしてあげたいし、幸せにもなって欲しい。こんな顔はさせたくない……

「だから、少しでも姉さんと触れ合いたかった……確かにわたしは姉さんと張り合うって言いましたけど、それとこれとは別なんです」

顔を上げ、真摯な瞳を潤ませてじっとわたしを見詰める桜。嘘は無い。わたしだって……わたしだって本当は桜と……

「桜……」

思わずそっと手を伸ばし、わたしは桜のたおやかな手を握る。そのまま、控えめに握り返される掌。柔らかくて暖かい、やっぱりわたし達は姉妹だ。

「だから安心して、もっとどんどん熱を出してもらっちゃって良いですよ、姉さんの可愛いところも、先輩も全部わたしがお世話しちゃいますから」

「ちょっと待て……」

途端、その手をぐいと胸元に抱きしめにこやかに迫ってくる桜。一瞬呆気に取られかけたわたしだが、慌てて気を引き締めなおした。ここで負けるわけにはいかない。桜の不敵な笑みにわたしもぐいと睨み返す。それに……あんた今どさくさ紛れになに言った!

「わたしは良いでしょう。でも士郎は駄目よ」

わたしは、桜の胸元に抱きとめられた腕を、逆に引っ張り返し、飛び切りの笑顔の仮面を被ってひと睨みしてやった。

「姉さん……やっぱり、結構手ごわいですね……」

笑顔を崩すことなく瞳の奥だけで冷たく睨み返しながら、胸をぐっと突き出して再び腕を取り返そうとする桜。くそ……柔らかいじゃないの……ま、負けないんだから。

「ふん、わたしを誰だと思ってるの? あんたの姉よ?」

「それを言うなら、わたしだって姉さんの妹なんですからね」

握り締められた拳を引き合い、わたし達は徐々に引きつっていく笑みを広げながら睨み合い続けた。

「……姉妹でなにをやっているのですか?」

そこへ、わたしの着替えとお湯を取りに行っていたセイバーが、呆れたような顔をして入ってきた。

「な、なにって……」

「あ、わたしがやります」

何か凄く子供っぽい事をやっていたようで、恥ずかしくなったわたしが慌ててセイバーに取り繕おうとした隙に、桜はするりと掌を引き抜いて立ち上がった。む、この娘、変わり身の早い。
更に桜はわたしの一瞬の出遅れを逃さず、あれよあれよと言う間にセイバーからわたしの寝巻きとタオルを受け取ると、うふふとどこか楽しげな笑みを浮かべ、タオルをお湯につけながらわたしに向かってわきわきと迫ってくる。

「い、いいわよ。そのくらい自分で出来るし」

「姉さん、さっき“わたしは良いでしょう”って言いましたよね?」

さぁさぁ脱いでと、桜は慣れた手つきで有無を言わさずわたしのパジャマを脱がせていく。ちょっと! あんたいつどこでそんなこと覚えたのよ!

「セ、セイバー。助けなさい!」

「凛、私には仲の良い姉妹を引き裂くような真似は出来ない」

慌ててセイバーに助けを求めたが、この使い魔は、口惜しそうな表情を浮かべながらも、瞳に悪戯っぽく楽しそうな光を浮かべ、それは出来ないと首を振る。
あ、こら! 桜。ちょっと、どこ触ってるのよ! あ、ん……駄目ぇぇぇ!


「……うう、汚されちゃったよぉ……」

隅々まで綺麗に拭われ、下着まで着替えさせられたわたしは、布団の中から妹と使い魔を睨みつけてやった。は、恥ずかしい格好させてくれて……

「なに言ってるんですか姉さん。綺麗にしただけじゃないですか」

「凛、風邪を引いている時はきちんと汗を拭かないと、治るものも治らない」

だってのに、二人揃ってもっともらしい事を言いながらくすくす笑いやがる。ちょっと、セイバー。あんたまで笑わない。あんた、最後には桜と一緒になってわたしを押さえつけてたでしょ! わたしは怒ってるんだから。

「凛、風邪を引いた時くらいは甘えても良いと思います」

「そうですよ、姉さん、たまには隙を見せてください」

「覚えてなさいよ、あんた達……」

更に揃って勝手な事を言う二人を、わたしはもう一度睨みつけてやった。……特に桜、あんたに隙なんか絶対見せてやんないんだから。




「それじゃ、わたしはご飯の用意しますね」

そんなわたしを楽しげに眺めながら、揃って顔を合わせて笑い合っていた二人だったが、ここで桜がさてと立ち上がった。

「それでは、私も手伝いましょう」

「いいえ、セイバーさんは姉さんをお願いします。ルヴィアさんと居た時と違って素直じゃないみたいですから、きっと勝手に起きようとしちゃいますよ」

成程と頷くセイバーにもう一度挨拶すると、桜はわたしにもう一言告げると悪戯っぽく微笑みかけて部屋を後にした。だ、誰が一人だからって寂しがるもんですか!

「凛、枕を投げないように」

「わ、わかってるわよ……」

ちっ、セイバー鋭いわね。ぐっと握った枕から手を離し、わたしはそのまま頭を落として枕に顔をうずめた。

「はぁ……」

疲れた。桜の奴め、ルヴィアとの恥ずかしい思い出を、思い返す暇も無く引っ掻き回してくれるんだから。本当にあいつ元気になったなぁ。

「桜は明るくなりましたね」

「あれって明るい? 腹黒くなったの間違いじゃないの?」

本気で油断も隙もなくなってるじゃない。

「凛、それは天に唾吐く行為です」

「そうか……って、それどう言う意味よ!?」

わたしはむぅっと見据えてやったのだが、セイバーは今日ずっと浮かべている優しい表情で微笑んでいるだけだ。

「はぁ……」

わたしはもう一度溜息をついて、枕に顔をうずめ直した。こうやっていると枕カバーの冷たさが心地良い。動くと身体の節々に倦怠感が残るし、やっぱりまだ熱あるんだなぁ。
おかげで今日はとんでもない事ばかりだ。わたしはまたルヴィアとの出来事を思い出して、頭を抱えたくなってしまった。

一体あの時、わたしは何をやっていたんだろう。ごろりと寝返りを打ち、天井を睨みつけながら、わたしはなんとも恥ずかしい記憶を反芻し眉を顰めた。
とてもじゃないが、魔術師とは思えない。己の弱さを曝け出し、べったりと甘えていた。あれが他の魔術師だったらと思うとぞっとする。例えルヴィアだからと思っても、それであの醜態を取り繕う理由にはならない。あれはあってはならないはずの事だった。

「ねえ、セイバー」

「なんでしょう、凛」

「わたし……弱くなっちゃったのかなぁ……」

口にして、また後悔してしまった。相手がルヴィアかセイバーかの違いがあるだけで、これではさっきと同じだ。本当、なにやってるんだろう。

「強くなったか弱くなったかはわかりませんが……」

そんなわたしの呟きに、セイバーはどこか遠い目になって話し始めた。

「凛は以前よりも一回り大きくなったように思えます」

「そ、そうかなぁ……」

「凛、そういう意味ではありません」

「わ、わかってるわよ」

すっと視線を下げたわたしに、セイバーは半眼でぴしゃりと言ってくる。い、良いじゃない。ちょっとは期待したって……

「まったく……ともかく、今の凛は昔よりもずっと余裕があります。昔の凛は確かに強かったでしょうが、どこか頑なだった。今にして思えば、魔術師に拘りすぎていたように思えます」

「今だって、拘ってるわよ?」

「ですが、それ以上に大切にしたいものがあるのでは?」

シロウの事、桜の事、とセイバーはどこか不満げに見上げているわたしに、指折り数えて突きつけてくる。ルヴィアゼリッタにしても魔術師としてだけですか? とこつんとわたしの額に指を当てて聞いてくる。

「そんな事……」

「嘘はいけませんね、凛」

昔なら容赦なく切り捨てたものでも、今は何とか保っていようと努め、幾分なりともそれを成し遂げる力を身に付けつつある。だからこそ弱く見えるのかもしれないと、セイバーはやさしく囁くように言う。

「今の凛は、前よりずっと多くのものを手にする事が出来るようになっています。ただ、広げた手にまだ少しだけ力が足りない。だから弱くなっているように見えるのです」

凛はまだまだ成長する、今は手に持ったものを固める時期、だから前より大きくなりながらも弱く見えるのだと言う。時が来て身の丈に力が追いつけば前よりはるかに強くなっているはずだ、とセイバーはどこか誇らしげなまでの声音で言ってくれた。

「でも、限度があるわよ。何でもかんでも抱え込んで、それを全部手に入れる事なんて出来ない」

そう、そうはまるで……

「そうですね、シロウの様にそれでもその道を突き進もうと言う物好きもいますが、普通は自分の力の範囲内で収めるものです」

だが、それでも諦めず、より高みを目指すのは間違った事ではないと言う。ここまでと思ってしまえば止まってしまう、諦めなければいずれは届くはずですと。

「嘗て私は王になる為に人を捨てた。それ故得た力があった事は確かです。その力の限りを尽くして王として努めてきたという自負もあります。ですが……」

それ故に失ったものが、王としてとても大切なものであったかもしれない。人を捨てるという事と、人がましくあってはならないという事は同じではなかったのではないか? 例え人でなくなっても、人を理解し人を愛し人と接する事は可能だったのではないか? そして、それを理解できていなかった事こそが自分の過ちだったのではないか?

「私は捨てる事で自分を狭めていたのかもしれない。人でないのだから理解されなくて当然、人でないのだからその必要などない。そう思いこんでしまっていたのかもしれません」

人でなくとも人の心を知る事は出来る。人でなくとも人と心を通わす事は出来る。言葉に、形にして表せば意は自ずから通じる。道がなければ道を作れば良い。それを教えてくれたのはあなた方でした、とセイバーは言う。

「セイバー……」

「ですから凛、貴女は正しい。今は弱く見えても、貴女は間違いなく強くなっている。私のように、間違った道に進んではいない」

セイバーはしっかりとわたしを見据え、きっぱりと言い切ってくれた。
セイバーの、英霊の言葉。その思いに嘘はないだろう。とても嬉しい。それでもまだ、ルヴィアに醜態を見せてしまったと言う悔いはあるが、なんだか凄く安心してしまった。
今までルヴィアの事を思い出したり、桜に引っ掻き回されていて張り詰めていた気持ちが一気にすぅっと抜けていく。

「だから、凛。貴女は大丈夫です」

「うん」

だから素直に応えてしまった。ああ、これって結構気持ち良いのね。張り詰めていた気が抜けたせいか、なんかだんだん眠くなってきた。

「さあ、凛。もう少し寝ていてください。貴女はまだ熱があるのだから」

セイバーの声が遠くなる、そうだった、わたしは風邪で熱があるんだった。まったく騒がしすぎて忘れてたわよ……

「……ん?」

と、何かが引っかかった。
セイバーの言葉、素直な心、ちょっとした熱。それがない交ぜになって意識の隅に何かを一つ引っ掛けている。なんだろう? ああ、そうか、これか。
わたしはもう一度目を開き、優しく見下ろしているセイバーに言葉を紡いだ。

「セイバーだって同じじゃない」

「え?」

「セイバーは今はわかってるんでしょ? だったら大丈夫よ。あんたも成長してる、多分、これからも」

だから、大丈夫。きっと今のセイバーは間違った道を進んでいない。きっと間違いは正せる。
どこか呆気に取られるセイバーの顔に満足しながら、わたしは眠りの世界へと落ちていった。なんか今度は良い夢が見れそう……




俺はめったに夢を見ない。
ただ、この日は妙な夢を見ていた。遠坂がルヴィアさんと可愛らしい会話をし、桜と姉妹で楽しげに語り合い、セイバーと揃って微笑みあう夢。なんだか得をした気分だった。
多分、俺は寝顔でも笑っていたような気がする。そんな、微笑ましい夢が覚めたのは、何かが自分の身体に入ってくるような気配だった。

「……ん?」

ふっと、眼が覚めたのは俺の部屋。既に日は暮れている、時計を見ると既に夕方、どうやらまるまる半日以上寝ていたようだ。

「あれ?」

と、違和感に気が付いた。俺を起こした、身体に何かが入ってくるような感覚それがまだ残っているのだ。ということは……
俺はそっと工房と和室を仕切る襖に手をかけ、素早く横に引いた。

「きゃ!」

聞き耳でも立てていたのだろうか、横に半身のままこてんと座敷に転がり込んできたのは、

「……桜?」

「えっと、あれ……あ、あは……せ、先輩、起きちゃったんですね。その……あ、おはようございます」

一瞬呆気に取られていた桜だったが、みるみる真っ赤になってわけの分からない事を言い出す。

「おはようじゃないだろ? どうしたんだ?」

「きゃ……えっと、別に、抜け駆けとかじゃないんですよ?」

屈んで助け起こしながら聞いても、益々顔を赤らめて慌てて捲くし立てるだけで、ちっとも要領を得ない。ただ、これで眼が覚めた理由が分かった。そうか、正式な工房を持つってこういう事なんだな。

「それで、桜。今日は遊びに来たのか?」

真っ赤になってあたふたする桜を落ち着かそうと、俺は肩を抱いて聞いてみた。

「先輩……っ! そ、そうじゃないんです。姉さんが倒れたって聞いてご飯を作ろうと……それで、先輩はどうしてるかなって……」

「ちょっと待て、桜」

遠坂が、倒れた?

「先輩、痛いです……」

「あ、すまん桜。その、それで遠坂が倒れたってどう言う事だ!?」

どうやら肩を抱いた掌できつく握りすぎてしまったらしい、肩をすくめて眉を顰める桜に俺は一つ謝って、改めて聞いてみた。遠坂が倒れたって……

「風邪って話です。時計塔で倒れて……あ、もう熱も下がって今は大事を取って寝ているだけなんですよ」

漸く落ち着いたのか顔の血も引いて、そのせいか却ってどこか寂しげに見える様子で話し始めた桜だったが、俺がよほど険しい顔をしていたのだろうか、途中で慌てて早口になって姉さんは大丈夫ですと、俺を元気付けるように微笑みかけてきた。

「そ、そうか……でも、なんで起こしてくれなかったんだ?」

まったく、セイバーもいたのに、なんでさ?

「先輩に心配をかけたくなかったんじゃ……」

わからなくは無い。だが、

「それでもだ、行って来る」

「あ、待ってください、先輩」

俺は追いかけてくる桜を引き連れて、足音高く遠坂の部屋に向かった。まったく、心配さえさせてもらえないってのが一番応えるんだぞ!




「あ、士郎、おはよう」

「おはようじゃない!」

遠坂の部屋に飛び込むと、どうやら遠坂も今起きたばかりのようで、寝巻きの上にガウンを羽織りながら俺に向かって暢気な声で挨拶をかけてきた。

「倒れたんだって? 大丈夫なのか?」

「うん、ちょっと無理しちゃって。でももう大丈夫、熱も殆ど引いたから」

遠坂は、こちらの意気込みをするりと受け流す様な軽やかさで、俺に微笑みかけてくる。なんだかなぁ。
俺は少しばかり肩透かしを食らったような思いで、ベッドサイドに腰を下ろした。

「まったく、なんで起こしてくれなかったんだ?」

「だって、士郎も疲れてたでしょ? ゆっくり休んで欲しかったの」

「馬鹿、俺は良い。心配くらいさせろ!」

俺はぐいっと睨みつけてやった、遠坂は頑固で意地っ張りだこれくらい言っておかないと、何かと文句をつけて言い返してくる。

「ごめんね、士郎。心配させちゃった?」

「だからって、俺は……へ?」

なおも文句を言おうとして、俺は一瞬固まってしまった。ごめんね? 心配かけた? 俺はにっこりと優しい笑みを浮かべ、少し照れたように視線を向けてくる遠坂を、まじまじと見詰めてしまった。

「でもね、士郎。やっぱり士郎には休んでおいて欲しかった。わたしみたいに風邪なんか引いて欲しくないから」

そのままの優しい表情で、遠坂はベッドに腰掛けたままそっと俺の頬に掌を伸ばしてくる。

「うん、でも士郎の言う事もわかるわ。ごめんね、士郎。それから、有難う」

心配してくれて嬉しい、と遠坂はそのまま小首をかしげて微笑みかけてきた。
なんか凄く嬉しくはあるんだが、同時にどうしようもなく不安が心の奥から湧き上ってくる。信じられない、なんでしょう、この素直でたおやかな遠坂さんは。

「と、遠坂?」

「なあに、士郎?」

にっこり微笑み返してくる遠坂に、俺はごくりと唾を飲み、ふつふつと湧き上がってくる不安をぶつけてみた。

「お前、もしかしてまだ熱あるのか?」

ぶちっ

あれ? 何の音だろう。俺は慌てて周りを見渡してみたが、特に変わったところはない。振り向いてみても、そこに居るのは扉の向こうで肩を落す桜と、天を仰いでいるセイバーの姿だけだ。今、目の前にあるのだって、遠坂さんの綺麗な笑みだけだ。
へ? きれいなえみ?

「この……すっとこどっこいの! 唐変木!」

うわぁ!

「あんたね。わたしが素直になってんだから、ちったぁ付き合いなさいよ!!」

一気に怒鳴りきるとそのまま顎を上げて顔を近づけてくる遠坂。よかった、本当に風邪はもう良いんだな。ははは……





チッチッチッチッチ

もう冬だというのに元気な小鳥の声。薄ぼんやりした意識の奥でトコトコと柔らかな足音が響いたかと思ったら、いきなり窓に掛かったカーテンを引かれた。

「うう……眩しい……」

大きな窓一杯から差し込む冬の日差しを浴び、ベッドで横になっている遠坂が微かに身じろぎし、少しかすれた声で呟く。

「ん……あ、朝か……」

そのベッドの下に敷かれた布団の中で、俺も漸く意識を覚醒させた。なんか自分の声が他人のようだ。妙にかすれてるし。

「もうお昼です。昼食を作ってきました。二人とも食べてください」

ぼんやりと開いた視界の中、セイバーが部屋のテーブルに俺たちの着替えを置くと、腰に手を当ててお粥を差し出してきた。

「うう……ごめんセイバー」

「ええと……いつもすまないな」

俺と遠坂は、二人は揃って額に乗せた氷嚢を下ろすと、よろよろと布団から半身を起こし、受け取ったお粥に口をつける。セイバーの顔がまともに見れない。ちらちらと視線を走らせると……ああ、やっぱりセイバーはお冠だ。

「まったく……仲が良いのは結構ですが、少しは考えてください」

そんな俺たちの様子を横目にセイバーは大きく溜息をついた。
実は今朝、俺たちは二人揃って風邪を引いてしまったのだ。
原因はその……はっきりしている。なんというか……その……昨日の晩の勢いの結果だ。
その結果、遠坂は風邪をぶり返してしまい、俺もどうやらその風邪をうつされてしまったというわけだ。疲れているといっても、いや疲れているからこそ、汗をかいてそのまま寝てはいけないって事だ。

「なにをして、二人揃って、風邪を引くほど、体力を、消耗したのでしょうね?」

ブチブチと強調するように言葉を切りつつ微笑みかけてくるセイバーさん。怖い、まるで遠坂だ。
ええと……つまり、そんなわけで二人揃って仲良く唸っていたところを、起こしに来たセイバーに見つかってしまったというわけだ。
熱を出して、起き上がる事も出来なかったのだから仕方がないとはいえ、とんでもない醜態だ。仁王立ちするセイバーに向かい、俺たちは二人揃って小さくなった。

「そ、それほど消耗したってわけじゃ……」

と、遠坂が何か言い繕おうと顔を上げた。ああ、駄目だ、今のセイバーを刺激しちゃ……

「その……ごめん」

案の定、遠坂はセイバーのひと睨みで萎縮させられ、そのまま小さく謝るのが精一杯。う、俺も睨まれた……

「本当にすまん」

猛る獅子には逆らえない、俺も小さくなってセイバーに謝る。大きく溜息をつくセイバーに俺たちはなにもいえない。ただ静々と頭を下げてお粥をほうばるだけだ。

「それでは、今日一日はきちんと寝るのですよ。一人ずつ、別々に」

「う……はい」

「お、おう、勿論だ」

ごちそうさまと小さく呟いて食べ終わった食器を片付けたセイバーは、俺たちの返事を聞きながら最後には苦笑交じりに部屋を後にした。
残ったのは、再び氷嚢を額において布団に包まる俺と遠坂の二人だけ。

「……士郎のせいなんだから」

とベッドの上から恨みがましい声が響いてくる。

「お、俺か!? 俺のせいか?」

そりゃ、頑張っちゃったのは認めるが……

「そうよ、その士郎が……」

「と、遠坂だって素直になろうって……」

俺のせいだけってのは納得がいかない、あれはやっぱり共同作業だったと思うぞ。

「……」

「……」

散々言い争った後、俺たちは結局黙り込んでしまった。こんな事、どっちが悪いって話じゃないもんなぁ。

「これからは気をつけよう」

「うん、そうよね。ちょっと気を緩めすぎちゃったわね」

つまりはそういう事だ、俺たちは俺たちだけで居るわけじゃない。セイバーにも余り迷惑はかけられない。これからは状況を選んで仲良くしよう。俺はそっとベッドに向かって手を伸ばした。

「……ん」

気持ちは同じだったようだ、ベッドの脇から遠坂の手が伸びてくる。
ともかく、早く風邪を治さなくちゃな。俺たちはそのまま手を握り合い、二人揃って眠りの世界へと落ちていった。なんとなくだが、今日は良い夢が見れそうだ……

END


寝込み凛ちゃん、自分の今を確認するなお話。
長々と書きましたが、実は何もないお話でした。
寝込み凛といえば士郎との絡みを思いつくでしょうが、一番最初に思いついたのはセイバーとの部分でした。でそれならと、それにルヴィア、桜も絡め、士郎で締めてみました。
対桜、押し倒しで桜の勝ち。対セイバー、うっちゃりで凛の勝ち。そして士郎との一戦、果たしてどっちが勝ったんでしょうか?(笑)
ともかく仲良く、これからも頑張って欲しいものです。

By dain

2004/12/29 初稿
2005/11/24 改稿

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