「…………」

そこには赤しかなかった。
見渡す限り、血を流したような真っ赤な大地が、紅蓮に燃え上がる真っ赤な空の下、果てなど無いかのように広がっていた。

そこは不毛だった。
生きとし生けるものが何処にもない世界。燃える砂と、そこかしこに見える墓標が落す影だけの世界。そこは死の世界だった。
俺は、そんな無限に続いているかのような空疎な世界を、ただじっと見詰めていた。

ああ……そうか……

漸く、何故俺がこの光景に目を奪われたのか合点がいった。此処は俺の世界なんだ。
燃えるように赤いだけの何も無い世界。此処こそ俺なんだ。俺の世界、空虚な俺自身なんだ。

「―― ……」

ふと、そんな何もない世界に影が差し込んだ。
人の形をした影。この世界同様に赤と黒しかないくせに、その影はどうしようもないくらい、活き活きとした活力に満ち溢れていた。

「……遠坂」

その姿に思わず涙が零れそうになった。ああ、そうだ、あったんだ。
こんな何もない世界で、こんな燃えるような不毛の大地に、たった一つだけあったんだ。
俺にとっての唯一つの真実。焼き尽くされ空っぽになった俺から生まれた、初めてのかけがえの無い存在。
何も無い場所では何処に進んで行っても一緒だ。こいつを知って、俺は始めて自分が何処に居るのか、何処に向かっていけば良いかを知ったのだ。

「居てくれたんだな。遠坂……」

俺は、赤い砂に長い影を落としている遠坂に向かって呟いた。お前が居てくれて、俺は心から感謝している。有難う、遠坂。





Fate/In Egypt
く れ な い の さ ば く
「硝砂の魔術使い」 ――EMIYA―― 第一話 前編
Heroic Phantasm





「……ねえ、士郎?」

俺の呟きに、遠坂がどこか不思議そうな顔をして言葉を返してくれた。なんだ、遠坂?

「なに見てるかしらないけど、ここに来たら普通あっちを見ない?」

そのまま遠坂は、不思議そうと言うよりもむしろ呆れたというような声音で、徐に夕日を見詰める俺の肩を掴んで振り返らせた。

「ほう、これが五千年の歴史ですか」

「サクラ、貴女どうしてスカラベの彫り物ばかりこうも買い集めていらっしゃるの?」

「ええと、ほら。この子達、結構可愛いじゃありませんか」

そこにはセイバーと、ルヴィア嬢と桜。そして夕日に黒々と影を落すピラミッドの上空を舞うランスと、スフィンクスの像と睨み合うオーウェンが居た。
そしてその向こうにはどこか不釣合いに、はしたなく広がった近代的な町並みとナイルの流れ。
ここはカイロから少しばかりナイルを遡ったギザの砂漠。
そう、俺たちは今、エジプトに来ているのだ。




「成程、そういうこと。何も無い砂漠の方ばっかり眺めてたから、なに事かと思ったわよ……」

ピラミッド観光を終えカイロに戻るバスの中で、わざわざ空いている席に二人きりで引っ張り込まれた俺は、とうとう遠坂に砂漠で何を思っていたかを白状させられてしまった。

「大したことじゃないぞ、ちょっと入り込んじまっただけだ」

「結構大したことよ? そっか、士郎も気にはしてるんだ……」

心配かけたくないからと、黙っていようと思っていたのだが、こうしてえらく不機嫌に問い詰めてきたわりには、どこか心配げで、それでいてほっとしたような遠坂の顔を見て、俺は話してよかったと痛感した。少しばかり心配させてしまったようだが、それでも心配の原因さえわからないよりずっと良い。お互い信じているなら、心配をかけさす事も大事なんだろう。

「なに事でしたの?」

「シロウの事ですから、また何か一人で思い込んでいたのでしょうが……」

「先輩は、昔からなんでも独り決めしちゃうとこありますからね」

途端、遠巻きにしていた三人が寄ってきた。どうやら、さり気無く皆も様子を気にしていたようだ。いや、申し訳ない。

「ちょっとね。士郎に赤い砂漠なんて、物思いにふけるなって方が無理かも」

「ああ……」

「そういうことでしたか……」

「? どう言うことなんでしょう?」

遠坂の意味ありげな応えに、セイバーとルヴィア嬢は、納得したように顔を見合わせあった。ただ、桜だけがはてな顔だ。そういや桜だけは知らないんだったな。

「すまん桜。いずれ俺から話すから、少し待ってくれないか? その、ちょっと複雑な話なんだ」

「……はい、先輩がそう言ってくれるなら」

自分だけ知らない事だと気が付いたか、一瞬陰がざわついた桜だったが、俺の言葉に納得してくれたようで、にっこりと気持ちよく微笑み返してくれた。
今一瞬、ちょっとだけ物凄く怖かったけど、気のせいだな。ほらオーウェン、そんなに怯えなくても大丈夫だぞ。

「心配かけたみたいだけど、もう大丈夫だ。有難う」

そんなこともあって、俺は皆に向かって感謝を込めて頭を下げた。
遠坂が、皆が居てくれるからこそ、俺はあの砂漠よりももっと不毛な世界で生きていける。俺の中の砂漠には、今は皆と言うオアシスがある。だからこそ道も定められる。きちんと前に進める。感謝しても感謝したりないくらいだ。

「あんまり一人で思いつめるんじゃないわよ?」

「心配をかけるなとは申しませんわ、ですけれどお話くらい聞けましてよ?」

「そうです。シロウの剣になると言った私の誓いは、まだ生きているのですから」

「先輩、気にしなくて良いですから」

そんな俺に、皆も苦笑しながら応えてくれた。桜も、遠坂並みの笑顔を慌てて改めて、照れたように手を振っている。
やっぱり話して良かった。最初、あの砂漠を見て吸い込まれちまった時は、少しばかり憂鬱が入っちまったが、それでもこうやって気持ちを確かめられた。なら、悪い事ばかりじゃない。

「ただの無駄な時間つぶしかなって思ったけど、来て良かったかもね」

そんな事を考えながらうんと頷く俺を見て、遠坂もどこか安堵した声音でやれやれと肩を竦めた。

「ええ、色々と収穫はありましたもの」

ルヴィア嬢も、嬉々として買い集めた品物を取り出しては膝の上に並べて行く。へぇ……

「観光地のバザーって言っても流石エジプトだな」

「そうね、これだけ本物が混じってるって大したものよ」

それを見て俺も遠坂も、感心してしまう。小さなコインや、ヒエログリフが刻まれた石の欠片、荒く磨かれた赤や青の宝玉。ちょっと見には大した物に見えないが、どれもこれも紀元前製の年代物ばかりだ。流石ルヴィア嬢、見事な目利きだ。

「わたしも一杯買ったんですよ」

と、今度は横で桜が店を広げはじめた。へぇ……俺は別の意味で感心の声を上げてしまった。

「桜、あんたよくもまあ……」

「これだけ偽物つかまされたな……」

「え?」

遠坂と俺の声が見事にはもる。
ずらりと並べられた、色とりどり大小さまざまなスカラベの山。そのどれもが真っ赤な偽物ばかりなのだ。

「だからお止めなさいと言ったのですよ?」

さらに溜息交じりのルヴィア嬢が追い討ちをかける。あぁあ……

「でも……その……みんな綺麗だし、傷一つないし……」

「つまり新品って事じゃない……」

言い繕う桜に、意地の悪い笑みを浮かべた遠坂の止めが飛んで来た。しおしおと沈む桜に、ルヴィア嬢も冷たいほど朗らかな笑みを送っている。この二人、こと魔術関係に関しては容赦が無い。

「あれ?」

そんなほのぼのした雰囲気の中、俺はルヴィア嬢の広げた品物の中に、ちょっと気になるものを見つけた。確かに古いものなんだが……

「これは魔具ってわけじゃないよな?」

金貨だろうか? ちょっと見覚えのない呪刻の刻まれた金色の小さな円番。俺はそいつをつまみ上げ、ルヴィア嬢と遠坂の目の前に差し出してみた。

「これって、確かイシスよね。かなり古いけど……」

「魔力線はきれぎれ、魔具ではないようですわね……」

「ですわねって……あんたが買ったんでしょ?」

「それが、ちょっと覚えが無いんですの……」

訝しそうに顔を向ける遠坂に、ルヴィア嬢もこめかみに指を添え、微かに首をかしげて眉を顰めている。

「ほ、ほら。ルヴィアさんだって偽物を……」

ここで自分のスカラベを片付け終った桜が、どこか嬉々として割り込んできた。あ、桜、それは拙いぞ……

「ですけれど年代ものには変わりありませんわ。新王国期ですかしらね?」

「三千年ものってとこかな? 桜の新品とは物が違うわよ」

「あううっ……」

途端、僭越な挑戦者を、にっこりと完膚なきまでに叩きのめす女王様チャンピオン二人。桜、まだお前には無理だ。俺だって無理だけどな。

「ま、それなりに有意義な一日だったわね」

「ですわね、これで宿に帰って予定が決まっていれば問題無いのですけれど」

「それよねぇ、一体いつまで待たせる気?」

そんなこんなで機嫌が直ったかと思った二人だったが、ルヴィア嬢がふと思い出したように不機嫌そうな溜息を付くと、遠坂も口の端を歪め軽く眉を顰めてむぅーっと膨れ出した。
そんな二人を見てセイバーも、漸く解放されたとほっと息をついていた桜も困ったような顔になる。やれやれ、結局、この話に戻っちまったか。

「とにかく今はミーナさんに任せておこう。焦っても始まらないだろ?」

「それはそうだけど……」

「待つしかないのはわかっていますわ……」

今度は俺が苦笑しながら、渋る二人を宥める方に回った。
今回のエジプト旅行、実のところ俺たちは、今日のような観光のために来たわけではなかった。




「エジプト行きませんか?」

話は一週間ほど前に遡る。それは丁度、時計塔がくいんの前期が終わり、クリスマス休暇に突入する直前の事だった。
今年のクリスマスはルヴィア嬢の故郷でもあるフィンランドで、NORADに倣ってサンタクロース追跡でもやろうかと計画していた俺たちのところに、ミーナさんが息せき切って飛び込んできたのだ。

「エジプト? クリスマスに? なんかあったかしら?」

ミーナさんが、満面の笑みでやってくる時は碌な事が無い。どこからかそんな経験則を得ていた遠坂は、思いっきり胡散臭そうに問い返した。

「第一エジプトと言ったらアトラス院のお膝元ではないかしら? そんな所に時計塔ロンドンの魔術師が行ったところで、一般人の観光旅行くらいしか出来無いのではなくて?」

今度はわたくしの故郷にシェロを招待して差し上げますわと、なんだかとても嬉しそうに言っていたルヴィア嬢も、不機嫌そうに眉を顰めている。どうやら余り乗り気ではないようだ。

「エジプトといえばプルタルコスの物語の舞台。ギリシャまでは足を伸ばしましたが、アジアとアフリカは残念ながらまだ訪れた事がありませんでした」

「エジプトですか? 前から興味が合ったんですよね」

それに対してセイバーと桜は、どこか乗り気な様子だ。セイバーはなんのかの言ってローマン・ブリテンの末裔だし、桜はなんかスカラベがどうのとか言ってる。

「で、どう言うわけなんだ? ミーナさんが遠坂やルヴィアさんに、何の手土産もなしでこんな話持ってくる訳わけないし」

まあ、皆それぞれ思惑はありそうだが、それでも俺は話を進めるべく水を向けてみた。ルヴィア嬢も言っていたように、エジプトといえばアトラス院。俺も色々と縁が出来てしまっている。例えば……シオンさんとか。

「わぁ、士郎くん。随分言うようになりましたね」

「先生達が良いからな」

誰のことよとむぅーっと膨れる某二名に、成程といった顔のセイバーや桜。そんなお嬢様方の楽しげな様子を余所に、俺はミーナさんの軽口を躱すと、詳しい事を聞きだすことにした。

「“消されたファラオ”の遺跡調査ですって?」

「裏のアマルナですわね……よくも、そんな物をアトラスから引き出しましたわね……」

遠坂とルヴィア嬢から驚愕を引き出したミーナさんの手土産は、シュトラウスがアトラス院と合同で行う“生きた”古代エジプトの遺跡、“消されたファラオ”ステナトンの遺跡調査へのお誘いだった。

古代エジプトの歴史上に特筆すべき事例として、具体的な姿を持つ多神教から、抽象的なただ唯一を崇めるアトン信仰を創出した、アクエンアトンの宗教改革と言うものがあった。
旧来の硬直し巨大になった宗教勢力から再びファラオに力を集結すべく、まったく新たな祭礼を作り、ファラオのみがその基幹であろうとしたこの信仰も、アクエンアトン一代三十年で潰え、その後、荒廃した混乱期を経て、全てが無かった事にされ、また古い宗教に戻っていったと正史は伝えている。

だが神秘の中に隠匿された歴史においては若干違っている。アクエンアトンの改革が潰えたのは何も旧宗教勢力の反動だけであった訳ではなかった。
アトン信仰とは、古代エジプトのファラオの中でも屈指の大魔術師であったとされるアクエンアトンが、三十年かけて巨大な旧勢力を押さえつけて組み上げた施術体系だったのだ、なんでもその治世の末期には、ほぼ完成の域に達していたと言うのが真実だったらしい。
だが、この完成が齟齬を生じさせたのだと言う。
嫡子スメンカラを共同統治者に、庶子ステナトンを宰相、そして魔術体系の管理者としてアトン神官長に据えたアクエンアトンだったが、その庶子ステナトンの野心を見落としていたのだ。
宰相にして神官長。アクエンアトンの魔術面での後継であることだけで飽き足らなかったステナトンは、アトン信仰を独自に身につけた呪術で強化し、まず皇太子のスメンカラを暗殺、そしてついに反乱を起こし、アクエンアトン自身をも生きたままミイラに祭り上げ、ファラオの座を手に入れたのだという。

だが、結局呪術によって手に入れた栄光は呪術によって破れる。自らを生きたままミイラにされながら、アクエンアトンがそれを逆手にエジプト全土に呪いをかけていたのだ。
強力な魔術師であったステナトン自身には呪いは届かなくとも、ファラオの基盤たるエジプト全土が枯れ果てれば誰もファラオには付いてこない。最後にエジプト全土で反乱が起きた時には、ステナトンにはわずかばかりの側近しか残っておらず、この大魔術師もついに最期を遂げたのだと言う。
とはいえ、アクエンアトンの呪いとステナトンの最後の呪術の為エジプト全土は混乱と災害の坩堝に叩き込まれ、このような災害を引き起こしたアクエンアトンのアトン信仰は“記憶の断罪”として正史において完全否定されることになった。ことに、非道な手段とおぞましい呪術によってファラオの座に着いたステナトンについては、その最後にアクエンアトン以上の呪いをエジプト全土に降りかけたことから、“消されたファラオ”として完全に闇に葬リ去られることになったのだと言う。

「しかし、守るべき国を呪うなんてとんでもない王様達だな」

「全くです……」

とはいえ、こんな事を俺が知っていたわけではない。全部遠坂とルヴィア嬢の受け売りだ。

「太陽を黒く染め、月を真っ赤に燃え上がらせたって奴ね……」

「“ステナトンの勢、常に何処にもあり” 瞬間移動や時間制御を集団単位に付与したとも伝えられていますわ」

俺やセイバーは、そんな真実にどこか憤りを感じていたのだが、案の定そこの魔女お二人は別の意味で目を輝かせ出していた。
気持ちは分からないでもない。なにせ古代の、まだ神秘がこの世界に顕現していた時代の大魔術師なのだ、その全てが魔法の域に達していたような奴だったのだろう。
なんでも、今までは魔術師の世界においても、話こそ伝わっていたが、このファラオが作ったものは建造物も遺物も尽く毀たれたと思われていたらしい。

「まあ、黒魔術で国を乗っ取ろうなんていう奴でしたからね、いざという時の為に幾つか極秘で神殿や墳墓が用意されていたみたいなんですよ」

つまり、ヒーロー物の悪役よろしく、秘密基地を誂ていたと言う事らしい。尤も生きているうちには役立てられなかったわけだから、余り意味は無かったというべきだろうが。

「成程、アトラスがそいつを今までがめてたって事?」

「らしいですね、それも極一部。なんでもアトラスの一派で、古代エジプトの神官団から続いてる派閥があるらしいんですよ」

この連中がその情報を今までじっと隠し持っていたらしい。
身内に対してさえ極端な秘密主義のアトラス院ならではのことだろう、そのアトラスでも特に異端のこの一派が、同じく異端の極みであるシオンさん一派と接触して、今回の遺跡調査の運びとなったらしい。

「ツタンカーメン以来ですわね、生きた古代エジプトの遺跡は」

「あれでケチ付いちゃったのよねぇ」

時計塔ロンドンの抜け駆けでしたからね。あれでアトラス院は、エジプトへの魔術師の出入りに敏感になっちゃって」

神秘は隠匿すべし。あくまでこれを旨とする時計塔でありながら、ツタンカーメンの遺跡調査は、アトラス院の足元で抜け駆けの調査を行う為、敢えて当時エジプト王国を実効支配していた英国の表向きの調査に紛れて強行されたのだという。
当初はしてやったりとほくそ笑んでいた時計塔だったらしいが、結果は“ファラオの呪い”の発動で、散々表の世界を騒がすことになってしまった。
そんなわけでアトラス院は益々頑なになり、時計塔も腫れ物にでも触るような事なかれ主義に流れ、エジプトへ時計塔の魔術師が本格的に乗り込むのは、それ以来八十年ぶりの事になるのだそうだ。

「ですけれど……なんでわたくし達に?」

「そりゃ腕に覚えはあるけど。そういうことなら教授陣だって色めき立つでしょ?」

確かに、遠坂もルヴィア嬢も一流の魔術師ではあるが、あくまで唯の学生だ。なにせほぼ一世紀ぶりに時計塔による古代エジプト遺跡調査だ。お歴々が雁首揃えたって不思議ではない。

「それなんですけど、事実上の名指しですね」

ミーナさんの話によると、結局アトラスはアトラスだと言うことらしい。
院長候補アトラシアであるシオンさんの開放政策の一環と位置づけされているこの調査だが、それでも大々的に時計塔のお歴々が、アトラスのお膝元に入って来られるのは面白く無いというわけだ。
本来なら、今までの経緯もあってシュトラウスだけと言う話だったのだそうだが、なにか高い素養の魔術師を数人ぜひにと言う意見もあって、お歴々では無く若手の有望株を招聘することになったらしい。

「この間の一件もありましたからね、シオンさんも推薦してくれたんですよ」

その際、先日のシュヴァルツバルトでの事件での借りを返すことや、些か面識もあることから、アトラス側の希望として遠坂とルヴィア嬢の名前が挙がったということなのだそうだ。

「……つまり女の子助けたお返しね?」

「そういう事ですのね……」

と何故か俺に視線が集まる。ちょっと待て、そりゃ少しばかり縁があった事は確かだけど、そういうことじゃないだろ? 第一あの時、俺はさほどの事はして無いぞ。セイバー、頼むからその又ですかってのは止めてくれ、又ですかってのは。

「ま、良いわ。古代エジプト魔術は専門じゃないけど、こんな機会、こっちから探したってめったにあるもんじゃないしね」

「ですわね。未だ神秘が顕現していた時代の生きた遺跡と言う事は、わたくしたちの研究に繋がる手掛りもあるかもしれませんもの」

ツタンカーメンの遺物は相当なものだったしね、と何故か金色の吐息を漏らしながら嬉々として顔を見合す金と赤。なんかアトラス院が、時計塔の魔術師を入れたがらない理由を垣間見た気がするぞ、おおい、墓泥棒に行くんじゃないんだぞ? 調査なんだからな。




こうして勇んでエジプト入りした俺たちだったのだが、カイロに入った途端足止めを食ってしまったのだ。

「名指しまでしたってわりに段取り悪いのよねえ」

「アトラスの未来予測も当てになりませんわね」

具体的には何も知らされていないが、なにか調査すべき遺跡に問題が起こったという事らしい。
俺たちは、そのままアトラス院の表の世界への出先機関があるアレキサンドリアにさえ入れてもらえず、ここ数日カイロ博物館の傍にあるホテルに留まったまま、カイロを中心に普通の観光客よろしく、エジプトの名所旧跡を巡る日々を続けていた。

「そう言うな。シオンさんもミーナさんも駆けずり回ってるみたいだし」

そんなわけで、今日はそろそろ爆発しかけていた遠坂とルヴィア嬢の気分転換にと、あくまで観光客だからと念押しをして、カイロから少しばかり離れたギザまで足を伸ばしたのだ。まあ、結局俺が嵌っちまったわけだけど。

「先輩、わたしは結構楽しんでますよ」

「私も、アレキサンドリアに赴けないのは些か残念ですが」

一方そんな思いがけない余暇を、桜とセイバーは存分に楽しんでいるようだ。二人揃って嬉々として名所旧跡を巡り、桜に至っては何処へ行っても、さっきのように山のようなスカラベの御土産物を買って戻ってくる。

「サクラ……遊んでばかりではいけませんわ。今日はホテルに帰ったら今までのおさらいをしますからね」

「セイバーも、雑だ雑だって言うわりにシシ・カバブばっか食べてるんじゃないわよ」

なもんで言った傍から、不機嫌の虫に取りつかれたお二人に八つ当たりされている。おおい、お前ら喧嘩するな。オーウェンが怯えてるじゃないか。

「凛、それとこれでは話が違う」

「ルヴィアさん、お気持ちは分かりますけど、それって八つ当たりですよね」

桜、さっきはやり込められたからって、大人気ないぞ。にこやかに微笑みながらそういう本当の事言うと、凄く角が立つんだからな。セイバーもここはマスターを立ててくれ、いや食事についての文句はあんまりですって気持ちも分かるんだけどな。

――主よ。

と、ここでこの荷車は大きいのだな、などと呟きながらバスのシートに止まって、我関せず景色を眺めてといたランスの思考が流れ込んできた。

「どうした? 今忙しいんだが」

俺は、睨み合う遠坂ルヴィア連合対桜セイバー枢軸を、どう調停したものかと身を割り込ませながら返事をした。ああもう、お前ら協会貸切のバスだからって呪を紡ぐな、桜! 陰を揺らすな!

――いや、その多忙についてなのだが、どうやら抜本的な解決を図れそうだと思ってな。あの車の旗印バナーはヴィルヘルミナ殿の紋章エンブレムではないか?

そんな俺に主よ大変そうだなと、よそ事のように澄ましたまま、ランスは俺たちが泊まっているホテルの正面を嘴で指し示した。

「あ……ほら、お前ら。ミーナさんが戻ってきてるぞ。仕事の時間だ」

そこにはランスの言うとおり、ミーナさんがエジプトまで持って来た移動指揮車が砂まみれで止まっている。良かった、これで最悪、説明だけは聞けそうだ。

「あ、ほんとだ。セイバー、決着は又後でつけるから」

「望むところです」

「サクラ、こちらも今晩じっくりと話し合いますわよ」

「そうですね。一度お話合いした方が良いかもしれませんね」

だからさ、どうしてそう喧嘩腰なんだよお前らは……




「あはは……凛さん、ルヴィアさんおまたせしましたぁ」

何とか無事バスから降りた俺たちは、ほぼ同時に指揮車からずり落ちてきたミーナさんに迎えられることになった。

「ミーナさん、大丈夫か?」

俺はすかさず、よろめきまろぶミーナさんを支えながら声をかけた。
かなりへばってる。いつもならピシッと着こなしているだろうAKアフリカ仕様の野戦服も皺だらけ埃だらけで、顔にもゴーグルの跡がきっちり刻み付けられている。うわぁ、骨が無いみたいにぐんにゃりじゃないか。

「……ここまで待たしといて良い度胸ね……」

「シェロもシェロですけどね……」

「ミーナさん、ずるいです……」

「シロウ、貴方がそうだから凛が荒れるのです」

途端、今まで喧嘩してた四人が揃って俺を睨みつけてきた。あのなぁ……だからって、こんなミーナさん放っておけないだろ?

「いやぁ、申し訳ないです。役得って奴ですか?」

駄目だ。今日のミーナさん、頭の中までへろへろのようだ。
いつもなら綺麗に切り返すところを、ふにゃらと笑いながら俺にもたれ掛かってきますよ。いや、まあ嬉しくないって言ったら嘘になるんだが……

「あんたはこっち」

「全く、シェロに任せておくと進む話も進みませんわ」

とはいえこのままじゃ話にならないと悟ったのか、遠坂とルヴィア嬢は強引なほど乱暴にミーナさんを俺から引き剥がすと、そのまま両脇から抱え込んで、連行するように引き摺りながらホテルの中に消えていった。

――主よ、残念だったな。

別にちっとも残念じゃないぞ、ランス。だからそう睨むな桜、溜息つかないでくれセイバー。

「いや、申し訳ないですね。お風呂や着替えまで借りちゃって」

「それは別に構わないから、とにかく話を聞かせなさい」

「まったく、一体どう言う事になっているのかしら? もう、待ちくたびれてしまいましたわ」

あの後、へろへろのミーナさんは面倒だとばかり服を着たままバスに放り込まれ、四人がかりで綺麗に調理されたようだった。ようだというのは、流石に俺はその間、部屋に入れて貰えなかったからだ。
まあ、遠坂達もそうだが俺も砂漠帰りだ。その時間を利用して別室でシャワーを浴び、お茶の用意を整え、そろそろ良いかなと部屋をノックしたところで入って良いと合図され、こうして一番広いスィートのリビングに集合する事になったと言うわけだ。

「それじゃまず、お待たせした理由からお話しますね」

どうやら、茹で上げられたせいですっかり気を取り直した様子のミーナさんは、徐にリビングのテーブルに写真を数枚並べ、一枚に繋げて俺たちに指し示した。

「……アスワン……ですの?」

「これってナセル湖よね……でもちょっと変ね」

どうやら航空写真らしい。大きな鰐が身を捩るように広がった湖の俯瞰らしい映像が写されている。だが、遠坂の言うようにどこか違和感を覚える写真だ。どうしてだろう?

「……そうか。確かナセル湖には、こんな支湖は無かったよな」

「さすが士郎くん、やっぱり気が付きましたね」

アスワンの地図を頭に浮かべ直しよくよく見比べてみると、アスワンハイダムを頭と見た場合、四分の一ほど遡った部分。丁度前足になる部分の湾が湾口を閉じられ、ナセル湖から完全に切り離されているのだ。

「それで、こっちがその閉塞部分のアップです」

俺の応えに、よく見ようと頭を寄せる皆を尻目に、ミーナさんは一つ頷くと更にもう一枚の写真を取り出した。

「……ちょっとこれって……」

「……神殿……ですの?」

そこに映っていたのは、山頂をすっぱりと断ち切られたように整地された台地の上に聳え立つ白亜の神殿の姿であった。

「……屋根の無い五重の列柱回廊に正面のオベリスクか……アマルナ様式のアテン神殿と同じ造りね」

「ただ正面の方向が逆ですわ。この妙なオベリスクもアルマナ様式には在りませんわ」

そのまま熱心に、写真の解析に身を乗り出す遠坂とルヴィア嬢。けど、こんな大規模な建造物があったなんて、聞いた事も無いぞ。

「四日前です。丁度、凛さんとルヴィアさんがこちらに到着した頃でしたか、いきなり此処にあった小島が隆起し、山頂が割れてこの神殿が現れたんです」

「ちょっと待ってミーナ、その小島って……」

「はい、今回の発掘予定の場所でした。ですから……この神殿は埋まってたんですよ。もともとの予定は、その島の地下にあった神殿に潜り込む予定だったんです」

「それが出てきてしまったと言うわけですのね……」

今まで俺たちが放って置かれたのは、いきなり現れたこの神殿周りの結界構成と情報操作、それと予備探査を行っていた為だったのだと言う。

「とにかく私共とシオンさん達で徹夜の突貫作業をしてたんですよ。それが終るまで身動き付きませんし……」

「わたし達を参加させるのも、考え直さなきゃいけないってわけね」

じっと額を寄せて説明を聞いていた遠坂達が、ここで一つ息をついてソファに座りなおした。地下に埋まっている遺跡を調査するのと、こうやって姿を、しかも往時のままの姿を現した謎の神秘を調べるのとでは話が違うと言うことだ。

「それでミーナ。貴女が来たと言う事は……」

「はい、アトラスはお二人とその随員の参加を許諾しました。あとは凛さんとルヴィアさんがどう判断されるかです」

ここで遠坂とルヴィア嬢は再び顔を見合わせた。
アトラス側が話が違うのと同様に、こっちだって遺跡調査と顕現した神秘の調査とでは勝手が違う。このまま参加して良いものか……

「聞くまでも無いわね」

「こんなチャンス。見逃せると思って?」

だが応えは予想通りだった。
それが例え専門外で規格外イレギュラーだとしても、魔術師が、顕現した神秘に触れられる機会を逃すわけが無い。魔術師として未だ半人前な桜まで、微かに表情を高揚させて写真に見入っている。セイバーにしても遠坂が諾と言った以上否は無い。

「それでは早速明日の朝、現場に飛んで頂きます。今までの予備調査の資料をお渡ししときますね」

遠坂達の返事に、とうに準備は整っていたのだろう。分厚い書類鞄を取り出すと、そのまま写真と共にテーブルの上に差し出した。

「わかったわ。セイバー、桜、今夜はちょっと無理してもらうから」

「早速始めますわよ」

それを受け取って、いくわよと立ち上がる遠坂とルヴィア嬢。それに桜とセイバーも頷いて応える。

「士郎にも……ってどうしたの?」

更に俺にも声が掛かる。だがその力の篭もった声は、途端心配そうな声音に取って代わられた。

「……シロウ?」

「先輩?」

「ちょっと、どうなさったのシェロ?」

続いてセイバーに桜。ルヴィア嬢も異変に気付いて俺を覗き込んできた。

「いや、大丈夫だ。ちょっと驚いちゃってな」

これで漸く硬直が解けた。
先程、神殿の写真を見せられてからずっと、俺は凄まじい頭痛に襲われたまま、写真から目が離せなくなっていたのだ。
別に、写真から恐怖や不安を感じとったというわけではない。それ自身から何かを感じたわけでない事は断言できる。
ただ、妙な胸騒ぎと、それが引き起こすであろうどこか異質な悪寒に吐き気を覚えたのだ。
俺は額に浮いた冷や汗を拭い去り、皆を安心さすように微笑んだ。
大丈夫。頭痛は治まったし、あの嫌な悪寒と吐き気も綺麗に消えうせている。
だが、どこか心の底に引っかかるような不快感だけは残っていた。何より、その感覚がどこか覚えのあるものだったことが、何故か無性に我慢ならなかった。


やってまいりましたFate/In Britain 劇場版第二段 Fate/In Egypt
今回はエジプトを舞台にしたアクションスペクタクルラブロマンスです。まずは触り、Britain一行のエジプト入りから。
エジプトと言えば古代の木乃伊、そしてアトラス。この二つが絡み物語は始まります。
それでは、後編をお楽しみください。

by dain

2005/1/26 初稿
2005/11/24 改稿

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