「……見よ。我らが大儀が創造の座に付いた」

地には海原の如き白砂の丘、空には銀雫のように淡く煌めく月の横顔。
黒と銀のみに彩られる月の砂漠。単彩の世界にただ一つ影を落す立像が、一人忽然と天を望んでいた。

「……古き繋がりが新たに蘇り……」

「鍵足るべく、二人の王も揃った……」

「新たな世界に入る準備が整いつつある……」

「間も無くだ、月は後僅かで地の底で新たな力が生まれる事を教えてくれている……」

人影から、新たな呟きが零れ出してくる。
ただ一人でありながら、その声音は群集の騒めきにも似て、白砂の海原に淡い漣を投げかけていた。

「時は至った」

言霊の波紋が白砂に吸い込まれ、再び訪れた静寂は、人影が静かに漏らした感嘆の雫で破られた。そう、今こそ悲願が成るのだ。
嘗て正統であったものが、嘗て世界を統べていたものが、数十世紀に渡り地に潜み、異端の名を託って来たのも、全てはこの時が再び訪れるとの予言を信じてきたためだ。
そして今この時、予言は成就しようとしている。顕われた出来事は星辰の正しさを表し、全ての符丁が新たな世界を導き出すべく、彼らの崇高にして非情なる願いをかなえるべく動き出している。

「おお……」

長き歳月に押さえ込まれ、闇の底に沈んでいた魂達が歓喜の声を上げた。
再び呟きの漣が砂海に広がる。
偽りの時代は終ったのだ。今度こそ、今度こそ真の主の下、真の救いを真の夢を叶える時が来たのだ。

「だが……」

そこに一滴。別の思いが零れ落ちた。

「赤い星が些か気にかかる……」

「戦場の旗か……赤は不吉だ。あの時も……」

全ての星は予言の通り。だが、その予言に一つだけ落ちた赤い色。硝砂の赤。
砂漠の住人でありながら、血塗られる事を厭わぬ者でありながら、此処にはこの色に不吉を覚えぬものはいなかった。
騒めきに微かな不安が宿る。嘗て彼が、彼らが正統であった時代でさえ、人の意思は生汚さを顕にし、彼らの希望を、願いを阻んできた。
赤はその象徴。血の赤、熱砂の赤、心臓に落とされた傷の赤。

アトン太陽北西英国から吹く風を指し示し、アヌビス土星は逞しきものの力が弱まっている事を表している。イシス金星に掛かる金色の女神の姿さえ捉えれば問題は無い」

だが、そんな騒めきに動じることなく人影は、銀砂に落とされた一滴の真紅の染みを躙るように一歩前に出ると、両手を広げざわめきを抑え、天空を指し示し厳かに言い放った。

「案ずるな、天の時、地の利は我等にある」

人の和はいらない。否、人の和こそ敵。
この悲願の源でありながら、人こそが全てを阻んだ元凶。
永劫を拒み、今この時だけを良しとする人の愚かさこそが、救いを拒否し己一個の思いを護ろうとする人の意思こそが、感情こそが滅ぼさねばならぬ物なのだ。

人影は唯ひとり月を見上げ、新たに生まれ出るであろう真の主に誓いを新たにした。
今度こそ、今度こそ誰にも邪魔はさせない。





Fate/In Egypt
く れ な い の さ ば く
「硝砂の魔術使い」 ――EMIYA―― 第一話 後編
Heroic Phantasm





「……」

声も無かった。
抜けるような青空と白く焼き付いた砂の大地の上に、ナイルの川を堰き止めて形作られたナセル湖に立ち向かうように屹立する大神殿。
絹地の様に滑らかで、鏡のように陽光に弾くその姿は、エジプトに良くある大理石の外壁をはがされ、半ば朽ち果てた遺物とは全く別の存在だった。
“生きた遺跡” いや、こいつは未だ生きている神秘そのものだ。

「三千年前の……建築当時のままという事ですのね……」

「資料で見て納得してたつもりだけど、現物を見ると又違うわねぇ……」

流石の遠坂さんやルヴィア嬢も、これにはかなり圧倒されているようだ。こういった物にまだ縁の薄い桜なんか完全に呆け顔だし、セイバーでさえ息を呑んでいる。
既に調査の準備は整っているようで、台地全体は大きく遮断の結界に包まれ、そこかしこでアトラスの、そしてシュトラウスの調査隊が矢倉や装置を設えて作業を推し進めている。
まるで角砂糖に群がる蟻の群だな……呆気に取られたままぼんやりとそんな事を考えていたら、神殿正面のオベリスク前で何事か作業をしていた一人の女性が、俺たちの方に歩み寄ってきた。

「ミス遠坂、レディルヴィアゼリッタ。お待ちしていました」

シオンさんだ。
いつもの制服の防暑仕様だろうか、丈の短いスカートと半そでのジャケットと言ういでたちで、遠坂とルヴィア嬢に手を差し伸べる。

「お招き感謝しますわ、アトラシア」

「ですけれど、今はお待たせしましたと言って欲しいところですわね」

握手こそ拒まなかったが、二人ともどこか不機嫌にシオンさんに応えている。三日ほど待たされたもんなぁ、文句が言いたい気持ちも分かるけど。

「その件については、ヴィルヘルミナからご連絡があったと思っていたのですが?」

だが、シオンさんは涼しい顔だ。どこか人形を思わせる顔に、この人たちは何で不機嫌なのだろうと、心底不思議そうな表情を浮かべ首を傾げて聞き返してきた。
この中でアトラスの連中と一番付き合いの多い俺には、なんとなくわかる。つまり理由の説明があったのだからそれ以上何が必要だって事だ。とはいえ、こういった取り付く島のないところはどうも馴染めないな。

「シオンさん、気持ちの問題なんだ。ずっと音沙汰なしで待たされてただろ? 気持ちがささくれだっちゃってるんだ」

そんなわけで、俺は少しばかり御節介をすることにした。これからの事を考えれば、意思の疎通は潤滑にいきたい。……なんか最近こんな役目ばっかりだな。

「成程、そういうことですか……感謝します、士郎・衛宮。 ミス遠坂、ミスエーデルフェルト。連絡が遅れた事とお待たせした事を謝罪します」

そんな俺を不思議そうに見ていたシオンさんだったが、何か思い当たる節でもあったのだろう。軽く口元に笑みのようなものを浮かべ頷くと、二人に向かって頭を垂れた。

「ま、わかってくれれば良いわ。それより仕事に入りましょう」

「ええ、資料を読んだのですけれど、外部についてばかりですのね? 内部調査はどの程度進んでいらっしゃるのかしら?」

そんなシオンさんの謝罪を受け入れたものの、何故か俺に鋭い一瞥を送ってきた二人は、とっとと話を進め始められた。

「それについては現物を見て納得いただいく事が適切かと思われます。まずはこちらへ」

シオンさんは二人の言葉に頷くと、軽く手を振って先程まで立っていた正面のオベリスク前へと俺たちを誘った。

「俺、なんか間違ったか?」

そのまま、どこかつんつんとした様子でシオンさんの後に従う二人を見送り、俺は隣で溜息をついているセイバーに尋ねてみた。

「いえ、間違っては居ないと思いますが……」

それに小さく溜息をつきながら、どこか歯切れの悪い返事を返してくるセイバー。

「先輩、少しだけ変わりましたね」

もう少し詳しく、と聞こうとしたところで、そのセイバーの更に隣にいた桜がにっこりと話しかけてきた。

「変わった? そうかな?」

「はい、昔よりずっと女の人に気安くなってますよね」

それを聞き返した俺に、桜は朗らかなほどの声音で言い放つと、そのままオーウェンを抱き上げて、とっとと遠坂達の後に付いて先に行ってしまった。

「シロウ、私たちも参りましょう……」

一瞬呆気に取られた俺は、隣で再び溜息をついたセイバーに促され、慌てて皆の後を追った。えっと……その……そ、そうかなぁ……




「あ、凛さん、ルヴィアさん。これ見てくださいな。丸っきりの新品状態なんですよ」

白亜の大神殿の正面、二本のオベリスクが正門を護るように立つその場所には、先発したミーナさんが待っていた。
それ以外にもシオンさんの補佐官、シュトラウスの主任さん、それにどこか古風なローブを羽織った恐ろしく高齢な禿頭の男性が、十才ほどの少女に手を引かれながら立っている。

「それは見りゃわかるわ」

「それよりも、何故調査を進めていないんですの?」

昨日と打って変わって元気一杯のミーナさんに、遠坂とルヴィア嬢はやっぱり余り芳しくないご機嫌で返事をする。やれやれ……

「それでは説明の前に、当アトラス院でヌビア学舎の長老を勤めるアケメス師をご紹介します。師はこの遺跡の管轄責任者であり、情報提供者でもあります」

そんな倫敦組の様子を余所に、シオンさんはあくまで事務的に、先程の少女に手を引かれた老人を俺たちに紹介してくれた。

「……エジプトの大地と神に成り代わり、二人の王のご来訪を歓迎いたします……」

その声に応える様に前に進み出た老人が深々と頭を下げると、隣の少女が静々と口を開いた。

「師の肉体は既に外部との交感機能を失っており、全てはこのナタティリを通して行われているのです」

その際、老人が口さえ開いていないのに気が付いて、首をかしげているとシオンさんが説明してくれた。そういうことか……ただ、ちょっと気になることがあった。

「ああ、大丈夫ですよ士郎くん。ナタティリちゃんはナタティリちゃんのままです。あくまで介護の範囲ってことですね」

俺の表情に気が付いたのだろう、横にいたミーナさんがこっそり耳打ちしてくれた。

「ヌビア学舎? では師がエジプト神官団の?」

「……はい、もはや力は届きませんが知識だけは伝えております……」

一方遠坂達は俺とは別の、どこか畏敬の篭もった目つきで老人に対している。

「ええと……この爺さんなんか凄い人なのか?」

「士郎くんには、ぴんと来ないかもしれませんけどね……」

なもんで隣のミーナさんに尋ねてみたら、ミーナさんはそんなことだろうと思ってましたと、苦微笑を浮かべながら答えてくれた。

ミーナさんによると、アトラス院ヌビア学舎というのは、魔術発祥の地に本拠を置くアトラス院でも、最も古い学派の一つなのだそうだ。
なんでも元々がピラミッドの時代から続く古代エジプト神官団に端を発するというから、もう神話の世界だ。アトラス院への参加でさえ、アレキサンダー大王の遠征で、古代エジプト信仰の消滅を期にだったと言う話だから半端な古さじゃない。
ただ、今なお古代エジプトの術式を継承していると言うものの、すでにその系譜はアトラスの本道からかなり外れ、その存在意義とも言うべき古代エジプトの術式そのものも、その殆どが神秘が未だ顕現していた古代であってこそ起動できるような精緻なものばかりで、すっかり形骸化してしまった単なる知識になってしまっているのだそうだ。
ヌビア学舎自身も、今では他のアトラス院同様に錬金術師として生きるものが殆どで、古代エジプトの知識を伝える者も、この長老初め僅かな数人に過ぎなくなっているらしい。

つまり斜陽の集団。今回の遺跡の公表も、もはやアトラスにおいて名のみとなってしまったこの最古の学派が、シオンさん初めとする最新の学派と結んで行う起死回生の政治的手段と言う面もあるのだそうだ。
まったく、如何に魔術師といっても組織を作るとどうも話が生臭くなってくる。これも人間の業って奴なんだろうか。

「それでは、内部調査を行っていない説明を始めたいと思います。まず正面の扉を開けてみてください」

と、ミーナさんの説明と互いの紹介が終った辺りで、シオンさんが正面扉の前まで進み、皆に向かって口を開いた。

「ちょっと、大丈夫なの?」

その余りの気安さに、俺たちは揃って顔を見合わせあってしまった。今の遠坂の科白じゃないが、ちょっとびびったぞ。いきなり開けちゃって良いのか?

「はい、その段階では何の影響も無い事が証明されています」

「判りました、では私がやってみましょう」

どうやら、それが説明になるって事らしい。一瞬躊躇した俺たちだったが、真っ先にセイバーが進み出てきた。

「セイバー、俺が……」

かと言って女の子に先陣切らすってのは……

「シロウ、心配は要らない。私ならここの誰よりも危機に対して対処できます」

……そうでした。
英霊であると何度言えばわかるのですか? とセイバーは苦笑しながら俺を押し止めると、徐に正面の扉に手を付いた。

「……?」

が、扉はびくとも動かない。セイバーの表情を見るに力とかそういう問題じゃないようだ。不審と言うよりも不思議そうな表情で、扉と自分の掌を交互に見て首をかしげている。

「セイバー?」

「ああ、シロウ。それにリンもこちらに来て見ていただけませんか? どうも妙な感触なのです」

俺たちはセイバーの誘いに促されて、皆揃って扉の前に進むと、顔を合わせてせえので扉に手を付いた。

「え?」

「あれ?」

「これは……」

確かに妙だ……
なんというか、確かに扉に向かって手は進んでいるのだが触れていないと言うか……なにか摩訶不思議な、直ぐ傍なのにとんでもなく遠くにあるような、そんなどうにも不可解な触覚だった。

「……摩擦も殆どないわね」

「建物の壁面に沿った遮断結界? いいえこれは……」

そのまま両隣で遠坂とルヴィア嬢が、俺の頭越しに内面モードのキャッチボールを始めた。

「ほんの僅かずつだけど、手は近づいているわね……」

「ただ、どうしても届かない……神殿の状態から考えて……」

「アキレスと亀ね、決して追いつけない空間と時間の分割」

話はどんどん進んでいるようなんだが、進むに連れどんどん専門的に奥まって行く。ちょっと追いつけなくなってきた。

「すまん、どう言うことなんだ?」

「ちょっと待って、たしかアトン神殿は天井は無かったわね」

「上から向かって確かめて見ます?」

それで、一旦話を纏めてもらおうと聞いてみたのだが、遠坂はルヴィア嬢と顔を合わせて、なおも熱心に話を続けている。どうやら、別のアプローチを思いついたようだ。

「うん、士郎。ランス使って、この神殿に上から入ってみてくれない?」

成程、露天なんだから扉を開けなくても上からなら入れるってわけか。俺は上空を悠々と舞っているランスに思考を飛ばし、上から神殿に入るように頼んでみた。

――主よ、これは面白いぞ。

おうと応えて、即座に神殿の向こうに消えていったランスだったが、程なく不思議そうな、それでいて面白そうな思考を俺の頭に送って来た。

――これなら主でも宙に浮けるぞ。実に興味深い。空気に止まれておる。

「ちょっとまて、どう言うことなんだ? 詳しく説明してくれ」

とはいえ、さっぱりわからない。見えない天井でもあるって言うのか?

――いや、これは実感するのが一番であろう、今感覚を送る。

「――へ?」

途端、俺は空中に浮いていた。
いや、違う。落ちてはいる。
何も無い空中で、確かに間違いなく落ちている感覚はある。なのに、実際にはちっとも下に落ちていない。なんとも不可思議な感触だ。ちょっと酔いそう……

――とまあ、このような按配だ。

「うっぷ……あ、あれ?」

「ちょっと、士郎しっかりなさい」

「シェロ、いきなりどうしたのです?」

いきなり自分の感覚に戻されへたり掛けた俺は、遠坂とルヴィア嬢に支えられていた。

「す、すまん。今ランスの感覚貰って酔いかけたんだ」

ともかく、俺は頭を振って気を取り直すと、今ランスから貰った感覚を二人に出来るだけ詳細に伝えた。俺にはさっぱりだが、それでもこれは間違いなく何らかの魔術か神秘の形なんだろう。この二人なら、正確な情報さえ伝えられれば、正しい答えを導け出せる。

「……同じね」

「ええ、時間制御ですわ」

「固有時制御って言うより、時間固着? 内部と外部の時間軸をずらして無限数に分割し」

「それにより時間の到着を遅らせる。ゼノンのパラドックスを応用した瞬間保存式ですわね」

「その通りです。この台地が隆起したとき、神殿周りの岩山が崩壊したのも、時間結界との境界面における摩擦の消失による自壊によるものと推察されています」

遠坂とルヴィア嬢が結論に達したところで、シオンさんが頷きながらその答えを肯定した。

「でもこれからどうしますの? これだけわかっても、今の魔術にはこの術式を解くだけの知識はありませんわ」

「古代エジプトの大魔術ね。現物が目の前にある以上何年か掛ければ答えは出せるだろうけど……」

とはいえ、こんな大きな術式、なんであるか判ってもどうにか出来るもんじゃない。鍵の無い金庫みたいなもんだ。セイバーが居る以上、力任せに壊す事は出来ないわけじゃないだろうが、それで中身も壊れてしまったら何にもならない。

「……解呪の術式は存在します……」

と皆で揃って、むむっと唸っていたところで、先程ナタティリと呼ばれた少女がアケメス師に促されるようにして口を開いた。

「……我らヌビアに遺された術式と、このオベリスクに刻まれた碑文を解析し、漸く今朝完成した術式が御座います……」

そうか、さっきのミーナさんの説明どおり知識としてなら、アケメス師が持っていたって事か。こんな爺さんが、わざわざこんな辺鄙なところまでやってきたってのもこの為だったんだな。

「でしたら、何故まだ解呪していないのかしら?」

「わざわざ、わたし達を待ってたって事?」

俺としてはそれで納得したのだが、どうもお二人は今ひとつ不審顔だ。そういやそうだな、俺たちが来る前からここにはシオンさんとミーナさんが居たんだし、式さえ出来てりゃせめて術式の用意くらい終っていてもよさそうなものだ。

「ええと、それなんですけどね。ちょっと問題があって……ほら、私共シュトラウスは純魔術師としては二流じゃないですか……」

と今度は、ミーナさんが少しばかり言い難そうに話に加わってきた。ええと、つまりどう言うことかな?

「ご存知のように、我々アトラスの錬金術師は自己の練成と物品の作成で神秘を表現します。と言うより、それ以外で神秘を表現できない存在なのです」

そこにシオンさんも加わってくる。ちょっと待ってくれ、益々わけが分からない話になってきたぞ、それが解呪しなかった理由にどう繋がるんだ?

「成程、魔術回路ね」

「はい、術式そのものの構成の複雑さに加え、二基のオベリスクに対し、ほぼ同時にかなり大きな瞬間最大魔力を流し込む必要があるのです」

だが、遠坂とルヴィア嬢はあの説明で理解できたようだった。
つまり、アトラスの錬金術師もシュトラウスの魔具師も、純粋に魔術師の力の本質たる魔術回路については、余り優秀じゃないって事らしい。
成程、ミーナさんが言いにくそう理由と、シオンさんが真面目な顔をしてえらく遠まわしに言った理由はそれか。ミーナさんはともかく、シオンさんも顔には出さないけど結構気にしてるのかな?

「これほどの予定外の出来事に、わたくし達を帰さなかった理由もそれですわね」

「まったく、そんな事なら最初から呼んでりゃ良かったのに」

そんな二人を前に、文句を言いつつもどこか胸を張って鼻高々な遠坂とルヴィア嬢。なんのかの言ってこいつらも魔術師だな、良い性格してる。

「……その通りです。我らも神官団も、もはや古の力は無く、その術のみの存在。なにとぞお力をお借りしたく、こうしてお呼びした次第です……」

そんな二人に今度はアケメス師も辞を低くして近づいてくる。

「顔をお挙げください老師」

「そうですわ。わたし達こそ、このような素晴らしい神秘に触れる機会を頂けて、光栄の至りですもの」

それに応え、ちゃんと話しさえ通してもらえてたらわたし達だって礼儀正しく出来るんだから、とばかりに優しげに微笑みながら、アケメス師の手を取る遠坂さんとルヴィア嬢。本当に、良い性格してるな。

「……それでは術の展開式と、オベリスクの活用式についてご説明申し上げます……」

どこか憮然としたシオンさんと肩を竦めるミーナさんを余所に、遠坂とルヴィア嬢は当てつけのように老師を両脇で支えながら、両脇にそそり立つオベリスクに向かい説明に聞き入りだした。

「ミーナさん、シオンさん。今はちょっと拗ねてるからきつい事言ってるけど、二人とも根は良い奴なんだぞ」

とはいえ、このままじゃ角が立つ。俺は二人の事をミーナさんたちに取り成す事にした。わかりにくいだろうけど、二人とも本当は優しい女の子なんだからな。

「そうです、凛はああ見えて、頼られれば放っておけない性格をしています」

「ルヴィアさんだってそうですよ、ちょっと捻くれてますけど、とっても優しい人なんですから」

ちょっと表現が微妙だが、セイバーや桜も俺と同じ意見なんだし、シオンさんもミーナさんも気を悪くしないでくれ。

「こら! そこ。聞こえてるんだから。あんた達も手伝うの!」

「サクラ! 人の事を勝手に“本当は良い人”にしないで頂ける!?」

そんな事をしていたら、途端二人から怒声が飛んできた。わかったわかった。ミーナさんもわかってますと微笑んでくれたし、シオンさんも僅かに表情を和らげてくれている。まあ、あとで文句を聞かなきゃならないだろうけど、とりあえずこれでわだかまりは残らないだろう。
俺は、顔を微かに染めて睨みつけてくる遠坂とルヴィア嬢に笑いかけながら、二人の居るオベリスクに向かった。さあ、仕事に掛かろう。




「――Anfangセット

「――En Garandレディ

息を飲む俺たちの前で、遠坂とルヴィア嬢の施術が始まった。
魔術刻印が煌めく腕をオベリスクに添え、正対したまま見詰め合う遠坂とルヴィア嬢。足元に書かれたヒエログリフの魔法陣に力が篭もり、掌から流れ出す魔力が二本のオベリスクを、徐々にただの建造物から遺物アーティフィクトへと変化させて行く。

周囲にはこの岩山を囲む結界の他に、神殿全体を囲む結界、更には施術を試みる遠坂とルヴィア嬢そして二本のオベリスクを囲むような結界と三重の防護結界に括られ、ミーナさんとシオンさんを初めとする、アトラスの錬金術師達もシュトラウスの魔具師達も、その要所要所に禍々しいまでの機材を据えて、いざと言う時の為に備え散らばっている。

「――Ich lebe mein Leben我は 輪を描きin wachsenden Ringen生を 謳う.」

「――Encore un printems今一度の季節を,―encore une goutte de rosee qui se bercera苦き杯に いま一滴を.」

今、ここに居るのは俺とセイバーに桜、それにアケメス師とお付の少女だけだ。

――Crow

――muaw!

ああ、すまんすまん、お前たちも居たな。桜の胸に抱かれ心配げに主を見詰めるオーウェンと、俺の肩で嘴を聳やかして睥睨しているランスもだ。
ともかく、遠坂達の施術はそんな僅かな観衆の前で繰り広げられていた。

「――Ich kreise um Gott神秘を重ね, um den uralten Turm原初の搭を巡り.」

「――Encore un printems今一度の季節を,―Du poete et danse la remee du cheneひとときの宴を 物憂げに謡う歌を.」

額に玉の汗を浮かべ、じりじりと呪を紡ぐ二人の姿に、俺も思わず拳を握り締める。
二人の周囲には何時しか、視界を歪めるほどのエーテル流の嵐が巻き起こり、魔法陣を通し周囲に集うありったけの大源マナが、遠坂とルヴィア嬢に向かって流れ込んで行くのを具現している。
遠坂達の足元の魔法陣だけじゃない。施術の周囲を囲む結界が、神殿を囲む結界が、大地を囲む結界が、次々に巨大な魔力の余波を受けて輝き、暴れまわる魔力の渦に悲鳴を上げ始めている。

「――und ich kreise jahrtausendelang!幾千の刻を 巡り辿らん

「――Encore un printems今一度の季節を,―encore un rayon du soleilいま一筋の光を de mai au dront du jeune potete謡う魂を取り戻さん!」

一瞬、穴が空いたような静寂が訪れた。
魔力の嵐が終ったわけではない。神殿の正面。遠坂とルヴィア嬢がオベリスクに手を置き施術を行っている空間の外は、今も結界を軋ませる嵐が荒れ狂っている。
だがここだけは、丁度台風の目のように静まり返り、まるで穏やかな晴天の月夜のような静寂に包まれていた。

「……」

「……」

いつの間にか、遠坂達の呪も途切れている。突然訪れた静寂の中、二人の次に備えて呼吸を整える荒い息吹だけが僅かなリズムを刻んでいた。

「……黄泉の時間が訪れました……」

そこでまるで神託を告げるように、アケメス師のお付の少女、ナタティリが口を開いた。

「……施術の第二段階に移ります。時を、遡ります……」

「――Du bist die Zukunft汝は未来, grosses Morgenrot unber den Ebennen der Ewigkeit永遠の果 昇る 東天虹.」

「――Tes pas,enfants de mon silence其は 我が沈黙から生じ,Procedent muets et glaces静かに 凍え 逝かん.」

途端、まるでそれを合図にするかのように、二人の口から新たな呪が紡がれ始めた。

「遠坂……ルヴィアさん……」

「――Du bist dei sich verwandelende Gestalt汝は 移ろうもの, die immer einsam aus dem Schicksal不断なる孤高にして 運命なるもの !」

「――Temple du Temps, qu'un seul soupir resume刻の神殿に 唯一の吐息吹き込み, Ace point pur je monte et m'accoutume無垢なる「一」に上り詰めん!」

息継ぎする間も惜しんでの高速詠唱。肺腑から搾り出すような呪の奔流が、外の嵐とは又別の、静寂に包まれた不動の嵐を巻き起こしている。くそっ……目が開けていらない。

「え?」

ここで再び静寂が訪れた。

「……」

いや違う、音が届いていないんだ。
自分の喉から漏れた吐息さえ、己の耳まで届いていない。まるで瞳孔が開いて行くように世界が闇に包まれ、月が、太陽が、まるで秒針のような速度で空を縦断して行く。

「なんだこれは……」

一拍遅れて耳に届いた自分の声。妙な感じだ。それに又一拍遅れてナタティリの声が返ってくる。

「……いいえ、これは幻影。城壁の結界が記憶した三千年の刻の記憶です……」

そんな声に促されるように、月と太陽は益々速度を上げ、ついに天空を縦断する二本の光帯に見えるまでその姿を変容させていった。

「――Du bist汝は der Dinge trefer Inbegriffただ全ての精髄なれば ……」

「――Le Temps scintille et「刻」が煌めき le Songe est savoir「夢」は知に……」

まるで遠くで囁かれる囀りの様な呪が編み終わり、静寂と共に再び世界は太陽の照りつけるエジプトの砂漠に戻っていた。そして……

―― 開……――

オベリスクに抱きつくように身体を支える遠坂とルヴィア嬢の間で、神殿の扉が開いた。

―― 轟!――

途端、開いた扉から猛烈な濃度の大源マナが吹き出してきた。なんだこれは……

「がっ!」

続いて何事かと身構える暇も無く、猛烈な頭痛が俺を襲った。更に凄まじく嫌な悪寒と吐き気。くそっ! 又だ、又これかよ!

「くっ……」

いや、今度は俺だけじゃない、セイバーもだ。俺は頭痛だがどうやらセイバーは胸らしい、何か心臓の上辺りを押さえ苦しげに呻き声を漏らしている。

「先輩! セイバーさんしっかり!」

慌てて桜が俺とセイバーを支え、必死の形相で顔を覗き込んでくる。なんだこれは……いや、そんなことより……

「桜……遠坂は? ルヴィアさんは?」

あの二人だ。最後に見た時だって殆ど倒れかけていた二人だ、こんな強烈な魔力の真っ只中で唯ですむとは思えない。

「え?」

「どうした、さく……くっ!」

「凛! ルヴィアゼリッタ!」

俺の声に促されて、ほぼ同時に顔を上げた俺たちは、それこそ自分達の苦痛さえも忘れて脱兎のように駆け出していた。

―― 煌……――

いつの間にか金色の輝きに包まれているオベリスク。そのオベリスクの光に抱かれるように、がっくりと顔を伏せた二人が、まるで吸い込まれるようにその姿を薄れさせているのだ。

「遠坂! ルヴィアさん!」

「姉さん! ルヴィアさん!」

頭痛も吐き気も今はどうだって良い、このくらいで死にはしない。俺は全身の力を足に集め、薄れゆく遠坂をオベリスクから引き離そうと飛びついた。

「――くぅぅ!」

だが掴めなかった……
まるで遠坂と俺の世界が、ずれでもしているような妙な手応えと共に、俺の掌は遠坂の身体を透き、眼の前で消えて行く遠坂に触れることさえ出来なかった。焦りで、気が狂いそうになる。目の前に居るってのに……見てることしか出来ないのかよ!

―― 溌!――

そして次の瞬間、オベリスクに閃光が走ると、吸い込まれるように二人は姿を消した。後は呆然と立ち尽くす俺たちと扉の開いた神殿。そして光を失った二本のオベリスクが残されただけだった。

「遠坂! ルヴィアさん!」

頭がぐらぐらする、全身が瘧に掛かったように震えている。だがそんな事は関係ない。返せ! 遠坂を、ルヴィアさんを返せ!
俺はふらふらとした足取りで光を失ったオベリスクに近づくと、拳が裂けて血みどろになるのも構わずに大理石の柱を殴り付け続けた。

「シロウ!」

「先輩! 危ない!」

後ろで誰かが叫んでいるが構う事はない。こちらに向かってぐらりと迫ってくるオベリスクを俺は尚も殴り続けた。
結局、俺は突き飛ばされ、腰にしがみ付いてきた誰かに引っ張り寄せられるながらも、意識を失う直前まで、オベリスクを殴り続けていた。
何がどうなったのかはわからない。
唯一つわかっていた事は、遠坂とルヴィア嬢を、何者かに奪われてしまったという事だけだった。





――ドクンッ

其処には何も無く、そして全てがあった。

――ドクンッ

其処は光り輝き、闇に包まれていた。

――ドクンッ

其処には定まった“意思”さえも無かった。

――ドクンッ

そんな全てがあるが故に何もない世界で、何物でもない何かが形を成し始めている。

――ドクンッ

其処に初めて“色”という概念が形成された。

――ドクンッ

“赤”
もし誰かが見ていればそう称するしかない色が生じた。
そして、一つの泡が、一つの世界が生じた。

――ドクンッ

其処には赤しかなかった。
見渡す限り、血を流したかのような真っ赤な大地が、紅蓮に燃え上がる真っ赤な空の下、果てなど無いかのように広がっていた。

――ドクンッ

其処は不毛だった。
生きとし生けるものが何処にもない世界。燃える砂と、そこかしこに見える墓標が落す影だけの世界。そこは死の世界だった。

――ドクンッ

“死”
今ひとつの概念が形成された。
死、全ての終わり。

――ドクンッ

その瞬間、何もない世界に意志らしきものが浮かび上がってきた。

――死にたくない……

終りたくない、極めたくない……
何もないはずの世界の周りで、唯この一つの意思だけが全てを覆い尽くさんばかりにこだました。

―― ……

そして、まるでそれが死そのものであるかのように、赤い泡沫はその意思により拒絶され、静々と漂い世界の果てに流されていく。
果てへ果てへ、何も無くはない所へ、全てではない世界へ。


to be Continued


In Egypt 「硝砂の魔術使い」第一話をお送り致しました。
エジプトを舞台に繰り広げられる物語の、まずは起の部分。古代エジプト謎の神殿の顕現と、消えていった二人の魔術師。
何が起こったのか、何を起こされたのか。次週第二話をお待ちください。

by dain

2005/1/26 初稿
2005/11/24 改稿

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