「それで、どうでした?」
「はい、カーティス殿のおかげで何とか間に合いそうです」
「『真鍮』君は顔が広いですからね」
街でカーティス殿との一時を過ごした後、私はシュトラウスの工房に向かい、ヴィルヘルミナと仕事の打ち合わせを済ました。
カーティス殿に昼食を、そしてここでヴィルヘルミナに午後のお茶をご馳走になってしまい、些か予定よりも時間がかかってしまったが、これなら夕食には間に合いそうだ。
「それにしても楽しみですね」
午後のお茶と会話を、私と同様に満足げに微笑みながら楽しんでいたヴィルヘルミナが、ふと更に楽しそうな笑みを浮かべて話しかけてきた。
「なにがでしょうか?」
「なにがって決まってるじゃありませんか」
はてと首を傾げた私に、ヴィルヘルミナは益々笑みを広げながら言葉を続ける。
「きっと喜んでくれますよ、なにせセイバーさんの真心が詰まっていますからね」
「そ、そうだと良いのですが……」
私は、らしくもなく頬を染めながら顔を伏せてしまった。嘘を吐いてまで準備したのだ。きっと喜んでくれると思う……が、同時に僅かばかりの不安もある。
期待と不安が綯い交ぜになり、どきどきするようなはらはらするような、不可思議な気持ち。こんな気持ちは初めての経験だ。
「頑張ってくださいね、セイバーさん」
「はい。有難うございます、ヴィルヘルミナ」
ともかく、もう直ぐだ。私は胸を躍らせながらヴィルヘルミナに挨拶を返し、席を辞することにした。
おうさまのけん | |
「剣の王」 | −King Aruthoria− 第八話 後編 |
Saber |
「む、結局道場じゃないの……」
「そりゃ、この時間からデートはないだろうさ、服だって普段着だし」
「でもさ、あの娘の荷物。あれって服よ?」
朝早く家を出て、俺たちは大急ぎでレンタカーを借り、そのまま自分達の家に取って返して張り込んでいたのだが、セイバーの行動は、ほぼいつもと一緒だった。
七時に家を出て、ホワイトチャペルにあるジュリオの道場に朝の鍛錬に。だが、遠坂の言うとおりだとすれば、問題はこの後の行動だろう。
「あ、出てきた」
「……遠坂の言うとおりだ……」
鍛錬の後、ゆっくりと朝食を取っていたのだろう、出てきたのは十時ちょい前。セイバーは入ってきた時と違って、何処に出しても恥ずかしくないシックな装いだ。尤も今日はスカートでなくパンツ。これもやはりセイバーには似合っていた。
「よし、いくぞ!」
「あ、ちょっと待って」
「なにさ?」
「これ」
ここの近くにはカーティスの家もある。そう思い慌てて飛び出そうとした俺は、即座に遠坂に引き戻されると、頭にニットの帽子を被せられ顔に色の濃いサングラスを掛けられた。
「な、なにさ?」
「あんたの髪は目立つんだから、ちょっと位は変装する気って奴を見せなさい」
俺が文句を言うと、遠坂は俺に渡した物と同型のサングラスを鼻先にずらし、上目遣いに睨みつけてくる。まあ、確かにそれはそうだろうけど。
「遠坂、お前の方はやりすぎじゃないのか?」
「仕方ないでしょ、わたし目立つんだから」
「却って目立ってる気もするぞ……」
呆れる俺に、むぅーっと睨み返してきた遠坂は、今日はいつもの色合いをがらりと変えて、上はムートンのショートコートに、下は最近では珍しくその綺麗な足を晒したレザーのタイトミニにロングブーツといういでたちだ。そして極めつけは髪。見事な黒髪をアッシュブロンドに染め、カラーのメッシュまで入れている。
しかもこれは染めているわけでは無いという。変化の魔術で光の反射率を変え、拡散させる事で色合いを変えているらしい。何でも染めると髪が痛むとか、魔術を大っぴらに使うことに関してはかなり慎重な癖に、こういった辺り女の子なんだなぁ。
「とにかく、行くわよ。ちゃんと顔は隠してなさいね。セイバーは勘が良いんだから」
「わかった。お、セイバーが動くぞ」
と、俺たちが車から降りて、そっと後を付け出した時だ。
「え?」
「へ?」
するすると赤いフェラーリがセイバーの横につけたかと思うと、きらりと歯を光らせたジュリオが顔を出し、するりとセイバーを助手席に滑り込ませて、瞬く間も有らばこそ俺たちの脇を駆け抜けて行った。
って……ジュリオ? 今日はジュリオなのか? カーティスじゃなくて?
「お、追うわよ!」
「おう!」
とはいえ、このままここで突っ立っているわけにもいかない。俺たちは、倫敦の街を流れるように走るフェラーリの後を追いかける為、慌てて車に飛び乗った。
「……ジュリオは……ジュリオはやばいぞセイバー……」
「士郎、しっかり運転なさい。ほら、止まったわよ」
倫敦の街を東から中心街へ、どこか上の空で運転してしまっていた俺に、遠坂の声が掛かる。
気が付くとセイバーを乗せたフェラーリは、ボンドストリートの裏手辺りのパーキングに滑り込んでいた。
「あ、おっと、空いてるパーキングは……」
「三台先にあるわ、もうしっかりしなさい。心配なのはわかるけど」
それでもまだ動揺は収まっていなかったのだろう、またも遠坂の声に注意されてしまった。
とは言っても遠坂の方も些か心配顔だ。なにせ、セイバーの相手はあのジュリオなのだ。それは真っ向勝負ならセイバーがどうこうされる事はないだろうが、あいつは心の隙を突いて、流れと雰囲気で持っていってしまう。ああもう、セイバー。よりによってあいつなんかと……
「よし、追いかけ……って、遠坂何処行くんだ?」
内心の動揺からか、少しばかりギクシャクと車をパーキングに寄せ、さて追いかけようとしたところで、俺は遠坂が明後日の方に向かっている事に気がついた。
「ちょっとあいつの車をね、士郎は暫らく一人で見張ってて」
成程、仕掛けをしとこうってわけか。そのまま遠坂は、近づきすぎたり殴りかかったりしないようにね、と一言付け加えジュリオの車にさり気無く近づいて行った。
まったく、そりゃ心配なんだから近づきすぎたりはするかもしれないけど、殴りかかったりは……あ、こら! ジュリオ、セイバーの腰に手を回すな! セイバー、お前も嫌がれ! 振り払え!
「こら……」
と思わず拳を固め、一歩踏み出したところで遠坂に止められた。は、早かったな遠坂。
「言ってる傍からこれなんだから、もう。ほら、こっそりつけるわよ」
「お、おう」
こうしてどこか情緒不安定な俺は、遠坂の手で首に縄を付けられて、ボンドストリートをどこか楽しげに話しながら散策しているセイバーたちの後を、こっそりとつけ回す事になった。
「……目立ってるな俺たち」
「もうちょっとフォーマルな格好してくりゃ良かったわね……」
と歩き出したは良いが、ボンドストリートは倫敦有数の高級店街。如何にファッションの独自性が強い倫敦でも、ここでは流石に実用本位であっさりもっさりな俺と、とんがり気味の格好をした遠坂のペアは、どこか浮いていて目立ってしまっている。
「仕方ないわ、もう少し距離をとりましょう」
「それで大丈夫なのか?」
「士郎の遠視が頼みになるわね。頑張りなさい」
結局目立っても気を引かないようにと、かなり距離をとっての尾行になってしまった。
確かに俺の遠視を使えば見失う事はないだろうが、これでは声までは聞き取れない。ああもう、くそっ、セイバー。ジュリオにそんな嬉しげに微笑みかけるな!
「士郎、顔が引きつってるわよ」
「で、でもな、遠坂!」
俺は指差したい気持ちをぐっと堪えて、俺の目に映った二人の様子を小声で遠坂に伝えた。
大仰な身振り手振りでセイバーに何事か告げるジュリオ、そんなジュリオを呆れたように片眉を上げながらも、目と口元に笑みを浮かべつんと顎を上げるセイバー。それに参ったなと肩を竦めて、そっと肩を寄せ耳元で何事か囁くジュリオ。そして、一瞬目を見開いたかと思ったら、むぅーっと膨れてジュリオを睨みつけるセイバー。
それでも、最後にはセイバーも笑い出して肩を並べて歩いて行く。
「そりゃ仕方ないわよ。ジュリオの奴が女の子の扱いに長けてるのは知ってるでしょ?」
「そ、そりゃそうだけどさ、セイバーなんだぞ!」
俺は思わず声を荒げてしまった。
とても楽しげで、セイバーが普通の女の子にしか見えないような微笑ましい光景。だが、そんな微笑ましい光景が、何故か寂しさと共に俺の心をざわめかせる。
「もう、安心しなさい。あれくらい、別に恋愛云々無くたって女の子なら誰だってする反応よ」
「え?」
わたしだってああいう風に扱われたら同じように反応するわよ、と遠坂さんはなんでもないような顔でおっしゃる。
「と、遠坂ぁ……」
「そんな情けない顔しない。恋愛抜きだって言ったでしょ? 女の子だったら誰だってカッコイイ男の子にちやほやされたら嬉しいわよ」
よほど酷い顔をしていたのだろう、下心見え見えで自分に酔うような二流のジゴロなんかには騙されないけどね、と続けながら遠坂に頭を撫でられて慰められてしまった。更に士郎も……と何事か言いかけて何故か渋い顔にもなったりする。
「じゃ、ジュリオって一流なんだ」
俺はそんな遠坂に、幾分安堵した気持ちで尋ねてみた。そうだよな、ジュリオはきちんとした奴だ、そう安易には……
「まあね、だから却って危ないってのもあるけど……」
と思ったところで、遠坂はあいつ乗せるの上手いし気付かないうちにって事もあるわね、と考え込むように片手を口に当てる。……遠坂さんお願いです、嘘でも良いから安心させてください。
とまあ、そんなこんなではらはらしながらの追跡だったが、午前中一杯は特になにをするでなく、ボンドストリートからピカデリーの専門店街を冷やかしながらの散策で過ごしているようだった。
カーティスと違って、どこかおちゃらけたように振舞うジュリオに、セイバーも落ち着きながらも時には笑い、時には怒ったような顔をして実に楽しそうに歩いている。
ごくごく当たり前のデートをしているような二人。だが、それが俺の心を益々ちりちりさせる。これってやっぱり……
「焼餅だよなぁ……」
「ほら、ぼうっとしてない。出てきたわよ」
ぼんやりとそんな事を考えていたら、またも遠坂にどやしつけられた。いかんいかん、俺は気を取り直してレストランの入口に意識を集中する。
ここはセイバーたちが昼食に入ったレストラン脇の路地。一見さんお断りの予約が必要な店だった為、ここでこうしてフィッシュアンドチップスを齧りながら張り込んで居たのだ。
「うう、セイバーったら、美味しいもの目一杯食べましたって顔ね」
「くそっ、ジュリオの奴心得てやがる……」
その店から、今、セイバーたちが満足そうな顔で出てきた。俺たちはお互い別の憤りを抱きながら、仲良く並んでおしゃべりをしながら歩いている二人を尾行する。
多分、今食べた料理についての講釈だろう、指折り数えながら満足げに何事か言うセイバーに、今度はジュリオが返事を返すと言う構図だ。
「本当、士郎がこんな嫉妬深いとは知らなかった」
なんか面白くない。そんな二人を見据えながら何故か不機嫌になって行く俺を、同様にどこか不機嫌に見据えていた遠坂が、溜息交じりにぽつりと呟いた。
「な、なにさ? いきなり」
「ふんだ、あぁあ、わたしも浮気の一つでもしてやろうかなぁ」
「と、遠坂ぁ!」
「冗談よ、だからそんな顔しない。ほら、セイバーたち店に入ってくわよ」
またも俺は泣きそうな顔でもしてしまっていたのだろう、ほらほらと今度も頭を撫でられて宥められ、視線をセイバーたちの方向へと導かれた。
「あ……」
と、視線の先に映ったのは、小さなそれでいていかにも高級そうな洋装店に入って行くセイバーたちの姿。あれ? あの店って……
「なに? 何か覚えがあるの?」
「ああ、確かあの店、昨日カーティスとセイバーが出てきた店だ」
「紳士服の店よね、それもオーダーの高い奴」
「だと思うぞ」
「なにかありそうね……ま、良いわ。とにかくちょっと覗いてから、張り込むわよ」
「おう」
どの道この格好ではあの手の店には入れない。だから俺たちは、通りすがりに中の様子を伺い、そのまま脇の路地に入って入口を見張る事にした。
視界の隅には、なにかジャケットのようなものを試着しているジュリオと、そんなジュリオを嬉しげに見ているセイバーの顔。
「ほらほら、知らん顔、知らん顔」
「わかってる……」
俺はまたしてもむっとしてしまったようだ。遠坂の言葉に必死で顔を取り繕い、こっそりと中を伺いながら店の前を通り過ぎると、素早く路地に身を隠した。
「……長いな」
「そうね、ちょっと変……」
そのまま過ごす事小一時間。だが一向に二人は店を出てこない。
「……あっ!」
と、訝しげに周囲を見渡し直していた遠坂が、驚いたように口を押さえて路地の奥に視線を固めている。
「どうしたんだ遠坂」
「ほら、あれ。わたし達の車」
俺の声に、遠坂が指差したのは路地の奥、向こう側の通りへの出口だった。確かに、そこにはパーキングに止めた俺たちの車。まてよ、ってことは……
「この店の裏に車を止めてたんだ……」
「篭脱けよ、裏から抜け出されたわ!」
慌てて路地を抜け、向こう側の通りまで出てみると、案の定、ジュリオのフェラーリは既に無く、ぽっかり空いたパーキングスペースが残されているだけだった。
「くそっ! やられた」
「士郎、追うわよ!」
だが、俺が歯噛みする間もなく、遠坂は俺たちの車に向かう。でもさ、追うってどうやって?
「さっきあの車に虫つけておいたの、居場所はわかるわ」
成程、ナイスだ遠坂。
遠坂に続いて、俺も大急ぎで車に乗り込む。場所さえわかれば草の根分けてでもとっ捕まえてやる。待ってろセイバー、今助け出してやる!
なにか、どこか間違ってしまったような気がしないでもないが、まずは捕まえることが先決だ。俺はとにかく車を発進させた。
「見つけた、あそこよ!」
助手席に取り付けた、カーナビに映るフェラーリの光点を追いかけていた遠坂が、いきなり顔を上げた。
カーナビと言っても、そのものじゃない。というか側こそカーナビだが、本来の中身は全部引っ張り出され今の中身は完全な魔具だ。スイッチだって機械に弱い遠坂の為にオンオフの一つ以外は全てダミー、操作は全て呪を紡いで行っている。
「よし、追いかけるぞ!」
ほぼ同時に俺の視界も赤いフェラーリを捕えた。とうとう見つけたぞ。俺は、一気に差を詰めようとアクセルを踏んだ。
「あ、くそっ!」
途端、惚れぼれするようなエキゾーストを響かせ、交通法規を一切無視して行きかう車の間を縫うようにすっ飛ばしだしたフェラーリ。俺もすかさず後を追う。路肩を、一瞬の隙を突いて反対車線までを使って追い掛けたのだが……
「ああもう! この車もっとスピードでないの?」
「馬鹿言うな、まともに走ってローバーがフェラーリに敵うわけないだろ」
じりじり離されて行く中、俺は焦れる遠坂の叫びに、見た目は冷静に答えを返しながら歯軋りした。
確かにここは市街地、如何にフェラーリといえど、そうぶっ飛ばせるもんじゃない。とはいえ、ジュリオと俺のドライビングテクニックの差は歴然、フェラーリは徐々に俺たちから視界から消えようとしていく。畜生、このままじゃ……
「だったら、どうすんのよ。置いてかれちゃうじゃない」
「こうするんだ!」
魔術師ならば足りないものは他から持ってくるだろう。だが、俺は魔術使いだ、足りないところは自分の長所を生かした手練手管で補う。ジュリオに卓越したドライビングテクニックがあるなら、俺には解析能力を生かしての倫敦中をくまなく把握したマッピング能力がある。
俺は一旦カーナビに視線を走らせ自他の現在位置を確認すると、素早く脇道に滑り込み、車体幅ギリギリの路地を伝って、フェラーリの進路を読んでの先回りにかけた。
「ちょっと! 士郎! 壁、壁が迫ってくる!」
「大丈夫、五ミリ余裕がある!」
「士郎! 一方通行よ! 前から車!」
「三秒前に左折できる。それより喋るな、舌かむぞ」
「そんなこと言ったっ……はぎゅぃっ!」
路地裏はストリートのワンダーランドだ。次々に襲い掛かってくる開いた扉、はみ出して置かれたポリバケツ、転がりだすボールを掻い潜り、俺はいきなり黙り込んだ遠坂を余所に、最後にギリギリで対向車を躱して交差点へ踊りだした。
「よし、追いついた」
交差点で、俺は素早く流れる車列に滑り込みながら、ほっと一息ついた。今かすかに見えたのは、オックスフォードストリートにある百貨店の駐車場に降りて行くフェラーリのテールランプ。あと少し遅かったら見逃すところだった。
「遠坂、付いて行くぞ」
俺はそのまま、周りの車から放たれるクラクションの集中砲火を余所に、何食わぬ顔で車線を変更して、同じ駐車場に車を滑り込ませた。
「どうしたんだ、降りないのか?」
地下の駐車場を巡り見つけ出したフェラーリには、既に人は乗っていなかったが、見る限り車から離れてさほど時間は経っていないように思える。
その近くの空きスペースに車を止め、さて車から降りようというところで、俺は漸くさっきから遠坂が黙り込んで居たことに気が付いた。
「遠坂?」
肩を震わし身を縮こまらせている遠坂。俺は心配になってそっと覗き込んだ。
「あんひゃのひゃいで
途端、涙目の遠坂に怒鳴られた。ご尤も、そうかあの時に舌噛んでたのか。すまなかった、遠坂。
取り急ぎ遠坂の舌の手当てを済ませ、俺たちはそっとジュリオのフェラーリに近づいた。
まだマフラーの冷却音が聞こえる。やっぱり、そう時間は経っていない。
「――がっ!」
更にもう少し詳しくと思い、フェラーリの脇に屈みこんだ瞬間、俺は後ろからいきなり羽交い絞めにされた。
「ちっ!」
慌てて身を捩り体勢を入れ替えようとしたが、相手は思いのほか身のこなしが軽い、するすると相手の腕は俺の喉に、動脈にと入りそのまま裸締めの要領で落としに掛かる。
「――かっ!」
拙い、気管も抑えられた……くそ……意識が……
「――ごがっ!」
と、いきなり腕が緩んだ。どっと体重が俺の背中に掛かったかと思うと、そのままずるずると崩折れて行く。
「士郎、大丈夫?」
遠坂だ。
遠坂が相手の後ろから殴りつけてくれたようだ。
「おう、大丈夫だ……って。お前どっからそんなもんを……」
「しょうがないでしょ。どうやら魔術師じゃなかったみたいだし」
遠坂が、その手の先でくるんと回しているのはいかにも硬そうなトンファーだった。何でもガンドは拙いと、咄嗟に荷物から取り出したんだと言うが……そんなもん持ち歩いてたのか?
「で、なにもんよ、こいつ?」
「そんなこと言われたって俺にだって……あれ?」
遠坂の爪先であえなくひっくり返った大男、よくよく見るとどこか見覚えがあった。ええと、たしか……
「ジュリオのとこの門下生だ。結構強かったけど、確かにこっち側の人間じゃないな」
じっくりとその事を確認し終えて、俺と遠坂は顔を見合わせた。ジュリオの門下生がここで俺たちを襲って来たって事は……
「起こして事情を聞くぞ」
頷く遠坂を傍に控えさせて、俺は気絶した大男に活を入れた。
「……くっ、この野郎!」
と、気が付いた途端、もう一度俺に襲い掛かろうとする大男。俺は思い切りトンファーを振りかぶった遠坂を制止して、大男の胸倉を掴んで顔を付き合わせた。
「待て! 俺だ、衛宮士郎だ!」
「って……衛宮くんか? どうしたんだ?」
「それはこっちの科白だぞ、いきなり襲い掛かって来やがって、どう言うわけさ?」
「……いや、それがな……」
流石に知り合いに襲い掛かったことにばつが悪いのだろうか、顔をしかめ地面に座り込んだまま、大男は事情を話してくれた。
なんでも街を歩いていたら、いきなりジュリオのフェラーリが彼の脇に止まり、恋路の邪魔が入った車を頼むとキーを渡すと、そのまま車を乗り捨てて走り去ってしまったのだそうだ。
ジュリオが女連れで誰かに追いかけられるのはいつもの事、昼間からせいが出るとは思ったが、まあ仕方がないと車を駐車場に入れた所で、俺がこっそり車に近づいたのを見て、とっ捕まえてやろうと襲い掛かってきたらしい。
「やっぱり気付かれてたみたいね」
「そうだな、どうしてだろう?」
「……そりゃあれだけ派手なカーチェイスすりゃ誰だって気が付くわよ……」
士郎は気付いてなかったの? と呆れ顔の遠坂。いや、俺もそこはかとなく気はついてたんだが……まずいなぁ、俺も手段の為に目的を忘れるってのが移っちまったか。
「まかれちまったって事か……」
茜色から藍色に変わりつつある倫敦の空を見上げながら、俺は誰に言うとも無く呟いていた。
結局、俺たちはセイバーとジュリオにまかれてしまった。
あれからボンドストリート、ピカデリー、オックスフォードストリートと流して探し回ったが二人の姿は何処にも無い。一応と思い、家もジュリオの道場も探ってみたが収穫はなかった。
そして今、俺たちはこうしてオックスフォードストリートにある百貨店の屋上で、夕日に沈む倫敦を遠望していると言うわけだ。
「……仕方ないわね。出来ればやりたくなかったんだけど……」
と、そこで腕組みをして街を見下ろして居た遠坂が徐に口を開いた。
「なにする気だ?」
「わたしのラインを使うわ。ラインを手繰ってセイバーの居場所を突き止める」
反則臭いから使いたくなかったんだけど、遠坂は口を不機嫌そうな角度に曲げながら応える。
「そうか、だからわざわざこんな所に」
関係者以外立ち入り禁止の屋上に、俺に鍵開けまでさせて入ったのは、見晴らしがよくて人気の無いところで施術を行う為だったのか。
「そういうこと、わたしが当りを付けるから、士郎はしっかりと見つけ出して頂戴」
「わかった、じゃあとっとと始めよう」
俺の言葉で遠坂も良しとばかりに頷き、屋上の床に陣を敷きだした。
毎度の事だが、遠坂の施術は綺麗だ。特に今日のような綺麗な月夜の晩は。
俺は魔法陣の傍らで呪を紡ぐ遠坂と、夜空に煌めきだした月の双方を眺めながら、ふといつかのあの月に思いを馳せていた。
そういえば……セイバーと、そして本当の遠坂と出会ったのも、丁度こんな冬の月夜だったなぁ……
「……見つけた。近いわ、西に三キロってとこ……」
微かに汗に濡れた顔を挙げ、遠坂が神託を告げる巫女のような口調で、屋上から見通せる倫敦の一角を指差した。
そっちにあるのは……俺は屋上の西際まで進み視界を強化して、倫敦の街を俯瞰した。
「ハイドパークか……っ!」
「急ぎましょう、士郎」
「おう!」
俺に合わせてそちらに視線を送るやいなや、即座に身を翻した遠坂に続き、俺も一気に地上に向かって走る。
遠坂が指差した場所、倫敦の西に広がるハイドパークの公園は、音と光を外に漏らさぬ遮断の結界に覆われて居たのだ。
「……思ったより静かだな」
「そりゃ、結界張っていきなりドンパチなんて派手な事、普通の魔術師はしないわよ?」
そうか? 俺は似たような状況で派手なドンパチに出くわした事あるぞ。
まあ、それはさておきだ。
人払いを兼ねた遮音結界を潜り、俺たちが入った夜のハイドパークは見かけの上では静寂に包まれていた。
無論、これだけ大掛かりな結界を張って、なにもありませんでしたと言うわけは無いだろう。それになにより、この中にはセイバーが居る。
「ジュリオの奴、セイバーをなんに巻き込んだんだよ……」
「セイバーがって可能性の方が高そうだけど……」
言うな遠坂、こういう時は男が悪いに決まってるんだ。
その科白覚えとくわよ、などという遠坂のちょっと怖い呟きを聞き流しながら、俺たちは潅木の影を伝いながら公園の奥へと進んでいく。そのまま小径を伝わず、いくつかの繁みを通り抜け、目の前に大きな池が広がった所で、遠坂がふっと表情を引き締めた。
「……居たわ」
見つけた。
金糸を流すような残像を残した聖翠の煌めき。
セイバーだ。昼間見かけたパンツスーツのまま、コートを翻しながら池沿いの小径を飛ぶように駆けている。
だが、ジュリオは見当たらない。
と、そこまで確認し終えたところでセイバーの目前で何かが立ち上がった。
「――っ!」
機像だ。公園という場所にあわせ、カモフラージュネットに包まれてでもいたのだろうか、潅木に見せかけて臥していた機像が、繁みそのものが動き出したように音も無く立ち上がったのだ。
即座に立ち止まったセイバーは、それに対応するようにコートを脱ぎ捨てて剣を構える。だが拙い。
―― 沙!――
途端、池から数条の光が飛び上がり、光線の尾を引きながらセイバーの頭上を通過する。
外れか? と思う間もなく煌めく残光はそのまま弧を描いて、セイバーを包み込むように地に向かって突き刺さり、まるで物質でもあるかのように光の籠を形成する。捕獲用の結界だ。
「――ちっ!」
前に機像、後に結界。セイバーはそれに対し、前の機像に向かうことで突破を図る。
二合、三合。結界を掻い潜り、確実に機像を押し込めて行くセイバーだが……
「遠坂……」
「ええ、セイバーどうしちゃったんだろう。いつもの半分の力も出してないわ」
スピードも力も、精々いつもの四割弱。拙いな、時間をかけすぎると……
―― 散……――
くそ、来ちまった。
再び池から立ち上がる光の結界に、セイバーの背後と側面から数人の人影が素早く、着実に迫ってきている。今のセイバーじゃ躱しきれないかもしれない……
「遠坂、行くぞ!――投影開始
「わかった、後は任せなさい!――――Anfang
俺は両手に干将と莫耶を投影し、遠坂の呪の援護を受けて一気にセイバーの背後に迫る人影の真っ只中に身を躍らせた。
「――なっ!」
「せい!」
まずいきなり遠坂の呪で池の結界が消えうせた。一瞬、影の群の動きが止まる。
その隙を突いて、すかさず踊りこんだ俺は、今まさにセイバーに向かってどでかい筒の照準を合わそうとしていた影のこめかみに一撃を加え、返す刀で慌てて飛び込んできた影の足を払い、倒れこんできたその首筋に莫耶の峰を叩き込む。
「シロウ!? 凛も!」
これで二つ、続いて残りの影に向かおうとしたところで、セイバーの驚愕の声が掛かってくる。ああもう、らしくない! そんなことしてる場合じゃないだろ?
「いいから! こっちは任せて、そのでかぶつ片付けちまえ!」
今は時間が惜しい、俺は返事を待たず、残りの影達の中に飛び込んだ。
「――くっ!」
「遅い!」
俺は漸く奇襲の驚愕から立ち直りかけた影の群の間を、遠坂のガンドの援護を受けながら駆け回った。流石に奇襲の効果が薄れたか、呪も銃撃も激しさを増し、そう簡単には近づけない。
だが、俺の役割はこいつらがセイバーに向かうのを妨害すること、こいつらをここに足止めできればそれで良いのだ。だとすればやりようがある。
俺は身を低くして銃撃を掻い潜り、隙を見て両刀を投擲しながら影の動きを牽制した。
「――な!」
更に一人、不用意に飛び出した影の足を払い、馬乗りになった時だ。
貰った、そう思った瞬間、俺はいきなり上空からサーチライトで照らし出されてしまった。
仕挫った。身を躱す余裕は無い。何とか急所だけを両手の剣で庇い次の攻撃に身構えた刹那、サーチライトと同じ空から、どこか聞き覚えのある声が降り注いできた。
「緊急事態
普段は柔らかで優しいくせに、こういう時だけは凛と響く冷徹な声音。それはミーナさんの声だった。
「……シロウ、凛。一体なにをやっていたのですか?」
「あ、いや、そのな……」
「それはこっちの科白よ。なによこれ、絶対怪しいわよ」
「今の凛の格好のほうが、よほど怪しいと思いますが?」
「ぐっ……」
まあ確かに、葉っぱだらけになりながら、髪まで染めて変装している俺たちのほうがはるかに怪しいだろう。
とはいえ、セイバーのやっていた事だって、かなり怪しい。
なんでもシュトラウスでのバイトの一環で、初級戦闘員の実戦演習で仮想敵をやっていたと言う事らしいんだが、それにしたって俺たちはこの事を知らなかった。それにだ……
「……折角、ジュリオにまいてもらったというのに……」
「それよ、それ。別にデートするのもバイトするのも良いけど。わたし達に秘密ってのはどういうことよ?」
そうだぞ、ジュリオと付き合うなんて俺は許せないぞ……って俺が許す許さないって言えることじゃないけど……いや、それは、うう、ああ、もう、なんて言ったら良いか……
「ででで、デートですと!?」
そんな遠坂の言葉を聞いて、それまで困ったものだと溜息をついていたセイバーが、急に真っ赤になって慌てだした。くそっ、やっぱりなんか悔しいぞ。
「そうよ、士郎が拗ねて大変だったんだから」
「ちょちょちょ、ちょっと待て遠坂!」
遠坂と並んで詰め寄ろうとした俺だったが、遠坂の更なる言葉に慌てて抗議をした。いきなりお前なに言い出すんだ!
「ち、違います、シロウ! 凛!」
「そ、そうだ違うぞ、セイバー! 遠坂!」
「……どうだか」
なんか妙なことになってしまった。並んで捲くし立てる俺とセイバーに、遠坂は半眼になって睨みつけてくる。
「ああ、もう、なんと説明したものやら……」
「ああ、もう、なんて言ったら良いのか……」
「ふん、仲のよろしいことで」
必死で何とか説明しようとする俺とセイバー。だが、今度はどんどん遠坂の機嫌が悪くなって行く。ああもう、どうすりゃ良いんだよ……
「ええと、お話は纏まりましたか?」
と、ここでそれまでシュトラウスの部隊に、びしばし訓戒をたれていたミーナさんが、ちょっと失礼と話に加わってきた。
「ああ、ヴィルヘルミナ丁度良いところに。今二人にどう説明して良いか困っていたところです」
「ミーナ! あんたが黒幕? どういうことよこれ!?」
「ミーナさん、助けてくれ」
三人三様の言葉に、最初は眼を丸くしていたミーナさんだったが、まぁまぁ落ち着いてとにっこり笑いながら、お茶でも飲んでゆっくり話ましょうと、移動指揮車へと俺たちを案内してくれた。
「これを俺に?」
「はい、一日早いのですが」
指揮車でお茶を飲み漸く人心地付いた俺に、セイバーはそれでは説明をしますからと、綺麗に包装されたスーツケースほどの箱を差し出してきた。
「一日早い?」
「シロウ、私たちが出会ったのは、丁度三年前の明日でしたね?」
「あ……」
そうだった。
三年前の冬。あの土蔵で、例え地獄に落ちても忘れないだろうと思ったセイバーとの出会い。それはセイバーの言う通り三年前の明日、今日のように月の綺麗な夜のことだった。
「ここに現界してから。私はシロウに貰ってばかりでした。ですから今年は、私からシロウに何か差し上げたい。そう思ってこれを用意したのです」
今回のミーナさんのバイトもこれの払いの為だったし、秘密にしていたと言うのも、俺たちを驚かす為だったと言う。
「あ、開けて良いかな?」
「はい、その為に差し上げたのですから」
俺は震える手で、包装を解き箱を開けた。
「……ジャケット?」
中に入っていたのは真っ赤な裏地の革のジャケットだった。
「ちょっと、セイバーこれって……」
呆然とジャケットを広げた俺の隣で、じっと見据えていた遠坂が息を呑んだ。唖然と目を見開きセイバーに呟くように問いかける。
「はい、ヴィルヘルミナにお願いして私の血を織り込んでいただきました。私にはシロウや凛のように物を作る術はありませんから、このくらいしか……」
本物の竜鱗ほどではありませんが、それなりの力はあるはずです。とセイバーはこともなげに言う。いや、これって凄くないか?
「成程、だから『真鍮
更に遠坂は、ジャケットのタグを半眼で見据えながら、口の端を微かに上げてセイバーに頷いた。
「そ、そうです。デートなどではなく。この服の仕立て屋と型取りを手伝ってもらったのです!」
だから誤解の無いように、とセイバーはわざわざ立ち上がって俺を睨みつけてくる。
なんでも店の紹介をカーティスに、体型が俺に似たジュリオに仮縫いやらの型取りを手伝ってもらったのだそうだ。
「秘密にしていたことは謝りますが。贈り物について悟られたくありませんでしたので……」
「ま、まあ確かにそうだな、その……有難うセイバー。凄く嬉しいぞ」
微かに頬を染めて、気に入って頂けたでしょうかと上目遣いに聞いてくるセイバーに、俺は晴々とした笑顔を返した。そうか、そうだったのか、そうだよな、うんうん凄く嬉しいぞ。
「衛宮くん。誤解でよかったわねぇ」
と、俺が凄く喜んでいたところに、遠坂の妙に底意地の悪い声が響いてきた。
「凄かったのよ、セイバー。あんたがあいつらと付き合ってると思った時の士郎の嫉妬は」
「と、遠坂!」
俺の抗議の声もなんとやら、セイバーに、遠坂はどこか機嫌の悪い口調で次々と俺の恥部を晒しやがる。話しを聞く都度、照れるやら困るやらでみるみる真っ赤に染まって行く俺とセイバー。ああ遠坂! くそ、そんなことまで話すんじゃない!
「そういうことだったのよ。ま、それは良いとして……」
が、遠坂は盛大な大暴露大会を話し終えると、表情を引き締めセイバーを睨みつけた。
「セイバー、そういう事だったら、わたしには話してくれても良かったんじゃない? わたしはセイバーのマスターなんだし、士郎への贈り物を妨害したりするほど狭量じゃないわよ」
ただ、どこか拗ねたような怒ったような、それで居て寂しいような口調で、それはどこか、昼間の俺の気持ちを思い出させるような表情だった。
「遠坂……」
「それも悪かったとは思っています、ですが」
厳しいくせに、暗く寂しい遠坂の横顔に、俺がそっと声をかけようとした時、肩を窄め顔を伏せて遠坂の話を聞いていたセイバーが、徐に顔を上げ正面からしっかりと遠坂を見詰め返した。
「凛にもあるのです。同じ日でしたね? 凛と出会ったのも」
そして、もう一つ小さな箱を取り出して、遠坂に向かって恐る恐る差し出した。
「へ? わ、わたしにも?」
「はい、開けて見て下さい」
今度はみるみる遠坂の顔が真っ赤に染まる。俺同様微かに震える手で開けた箱の中には、ブローチだろうか、繊細でそれでいて何処か力強い、小さな龍の金細工が収まっていた。
「セイバー、これって……」
遠坂が目を見張る。俺も気が付いた、こいつは金細工じゃない。
この細かな金の彫刻はセイバーの髪だ。どうやらセイバーの髪を金に固着させて、龍の形に編みこんだ物らしい。
「宝石は凛の方が専門ですし、その台座になるものならと……」
これもヴィルヘルミナやカーティス殿の助けを借りましたと、セイバーは恥ずかしそうにじっと遠坂の顔を伺う。
「そ、そういうことなら仕方ないわね。わ、わたしへのプレゼントをわたしに言うわけにもいかないし……」
一瞬呆けていた遠坂だったが、俺たち二人の凝視にはっと気が付いたようにぶつぶつと文句を言いながらそっと顔を背けた。尤も赤い顔と嬉しげに緩む口元が言葉を裏切っている。本当は凄く嬉しいくせに、素直じゃないんだから。
「その、気に入って頂けましたか?」
「あ、う……あ、ありがとう」
「喜んでもらえて、私もとても嬉しく思います」
なんだかえらく大変な空騒ぎだったが、にっこり笑うセイバーに俺も遠坂もなにも言えなかった。
そうか、明日は俺たちとセイバーが出会って三周年になるんだな。俺はそっと遠坂と顔を見合わせた。
セイバーの為に、俺たちの為に、明日はご馳走を作って盛大な宴会を開こう。
俺たち三人の、運命の出会いを祝して。
END
セイバーパートでネタは上がっていましたが、セイバーさんのプレゼントなお話。
実時間はすでにFate発売一周年を過ぎてしまいましたが、Britain時間は一月遅れ。ついでに当サイトも一周年と言う事で、記念もかねて第四クールの始まりとさせて頂きました。
by dain
2005/3/9 初稿