「――っ!」

薄暗い地下墓地で、紅い閃光が走った。

「――せいっ!」

その光に、素早く踏み込み両刀を振るう影が照らし出され、瞬く間に閃光に浮彫りにされた蠢く影を、縦に横にと両断する。

―― 契……――

だが、終わりではない。影は切れ切れになりながらもまた一つ、二つと千切れた欠片を縫い合わせ、じりじりと前進を続けて来る。

「――ちっ!」

その影に触れられ、僅かに眉を顰めて両刀を持つ男が飛び退いた。

「遠坂! 駄目だ! こいつら実体が無い。除霊とかできないのか!?」

恐らく普通の剣で有ったなら、傷を付ける事さえも出来なかっただろう。その癖、向こうに触れられたところは、まるでドライアイスでも押し付けられたように凍え、感覚を失っている。士郎は“幽体に効く剣”を素早く検索しながら凛に向かって叫んだ。

「さっきからやってる。でもこいつらただの幽霊じゃないのよ!」

そう、先ほどから何度も放たれている色とりどりの光彩。それらは何も物理的な攻撃呪ばかりではない。退去、送還、除霊、それに解呪。現世にとどまった幽体に対するあらゆる呪式を試しているのだ。
だが、それのどれもが効果が無い。いや、届かない。何者かが何者かの呪刻が、この世ならざるものたちを硬い鎖で繋ぎとめ、凛の呪式を遮断しているのだ。
つまり、この幽体は残留思念が自然発生的に場所や人に括り付けられた幽霊ではない。これは間違いなく呼び出された存在。冥府から引き摺りだされた亡者だ。
しかもこの呪の強度、更に幽体そのものの束縛具合から見て、ただの降霊術ではない。

屍霊術者ネクロマンサーね……」

死霊を死霊のまま呼び起こし死霊として使役する。死霊の知性や理性でなく、より強い衝動である感情や欲望を煮詰め、人を化物に変えて利用する。死霊を奴隷として、家畜として操る外道の術だ。

「どこかにかなめを置いているはず、それをどうにかしないと何時までも湧き続けるわ」

だとすれば、この死霊を繋ぎとめている現世の寄り代が近くにあるはず。

「わかった、そっちは任せる」

そこまで聞くと、士郎は素早く凛を庇うように身を躍らせる。
捜索の術を施す間、邪魔が入らないように、その間に凛が傷つかないようにとの防護の構えだ。

……御免、士郎。

凛は心の中でそう呟くと、徐に目を瞑り呪を紡ぐべく意識を研ぎ澄ました。
これは、苦労をかけることへの謝罪では無い。己の仕挫じり故に、こんな事態を引き起こしてしまったことへの謝罪だ。
事を急ぎすぎたこと。敵を甘く見すぎたこと。そして何より、こんな仕事を引き受けてしまった、自分の軽率さに対しての謝罪だった。





あかいあくま
「真紅の悪魔」  −Rin Tohsaka− 第十話 前編
Asthoreth





「明日、スコットランド行くから」

遠坂さんは何時も唐突だ。

「はい?」

とは言え、今日は事のほかだ。夜も遅くに大荷物を抱えて帰って来たかと思ったら、第一声がこれだ。いきなりスコットランド? それに明日って言ったって、あと二時間ほどで今日も終るんだぞ。

「凛、まず事情を聞かせて頂け無いでしょうか? いきなり明日スコットランドと言われても、何がなにやらわかりません」

遠坂が遅かったお蔭で、夕食まで遅れてしまい些か機嫌の悪いセイバーが眉を顰めて問い質した。
それに頷きながら、俺も遠坂に視線を送る。確か今日は教官として懇談の昼食会があるとかで、それだけで帰ってくる筈だったんだが。そこで何か有ったのかな?

「ああ、もう。時間が無いってのに……」

それなのに遠坂さんは、何処か苛立たしげに荷物をテーブルに置き、荷解きしながら話を始めた。って、おい……それ……

「凛。夕食のテーブルに、しゃれこうべを載せるのは遠慮して欲しい……」

荷物の中から出てきたのは、如何にも曰くありげな人間の頭蓋骨。現界してからのセイバーにとって、最大の楽しみと憩いの場である夕食の食卓に載せられては、嫌な顔をするのも頷ける。

「あ、御免。でも、四百年以上前のものだし、汚く無いわよ?」

そういう問題じゃないと思うぞ……

「遠坂、せめて夕飯食い終わるまで待てないのか?」

「説明しろって言ったのそっちじゃない……」

そんなわけでちょっと注意したら、話を始める前に水を差されたせいか、遠坂の奴は恨みがましい上目使いで俺を睨み返してくる。
その様子に、俺は思わずセイバーと顔を見合わせてしまった。遠坂は確かに唐突だし、唯我独尊なとこや傍若無人な所が無いわけじゃないが、今日の遠坂はちょっと変だ。焦っていると言うか、妙に苛付いている。

「わかった、じゃあ話を先に聞こう。セイバーも良いよな?」

まぁ、今日のメインはシチューだ。あとで温めな直せば暖かい料理が食える。俺はそう思いながら、セイバーに我慢してくれと視線を送った。

「はい、仕方ありません。ここはわたしが大人になりましょう」

「凄く露骨にあやされてる気がするけど、まぁ良いわ。それじゃあ話すから」

微かに恨みがましくギリギリの嫌味を言うセイバーに、何処か憮然とした表情を向けながら、遠坂はしゃれこうべ片手に話を始めた。




「聖遺物の回収? また妙な仕事請けてきたんだな」

「聖遺物は一級の遺物アーティフィクトよ、不思議じゃないわ」

聖遺物。人の身で奇跡を体現し、神への祈りを仲介する使徒と認定された聖人の遺骨や遺品。これらはその聖人の概念を写されており、ただそれだけで強力な魔具――いやこの場合聖具か――となっている。だから魔術師としてそういった品物が貴重であり、蒐集や研究に値するのは知っている。

「でも、それって協会より教会の仕事だろ?」

「まあ、どっちかって言うとそうだけど……」

そう、そうは言っても聖者の認定は聖堂教会の仕事だ。故に聖者の遺品、聖遺物も基本的には教会の物という事になる。だから魔術師が手に入れている聖遺物というのは、何かの拍子で市場に出回ってしまった品や、報酬や交換で譲り受けたものが大半だ。
教会と時計塔は表面上は同盟関係にあると言っても、もう一方の手には互いにナイフを隠し持っている間柄だ。直接時計塔が、その回収に乗り出すって言うのは、余り表立ってやる事ではないし、境界線ぎりぎりのかなり剣呑な事でもある。

「その……正確に言うと時計塔きょうかいからの仕事じゃないの」

「へぇ、そりゃ益々珍しいな」

その辺どうよと聞いたところ、遠坂からの返事はまたも意外なものだった。
魔術師と言うのは、基本的に自分の研究を突き詰めて行くものだ。それは魔術には金が掛かるし、時計塔との柵もあるから、時計塔や金の為に仕事を請ける事はある。
しかし、遠坂は時計塔からの仕事はともかく、金がらみの仕事でこういった外出そとでの仕事はめったに受けない。精々借金の形にミーナさんから請け負うくらいだ。

「ヴィルヘルミナからでは無いのですね?」

「うん、あいつ聖遺物には興味ないから。これはね、国教会がらみなのよ」

「ああ、成程」

これで少しは納得できた。
英国は新教ではあるが、その組織やシステムは純粋な新教と言うよりも、英国圏限定の独立した聖堂教会じみたところがある。組織や祭礼も聖堂教会よりで、無論それなりの裏の顔も持っている。更に俺の担当教授などが良い例で、時計塔とも太く繋がっていたりしてるし、そっちの話で聖遺物の回収ってことなら筋は通る。

「それで、それがスコットランドにあるって事か」

「そういうこと……らしいわ」

「らしいって……随分曖昧な話だな」

「資料で、何処の辺りにあるかって言うのはわかってるの、ただ、それが具体的にその場所のどこにかって言うのは、これから探さなきゃいけないって事なのよ」

そう言いながら遠坂は、徐に荷物から地図を取り出し広げ出した。ってこれスコットランド一体の地図じゃないか。

「ここよ」

そのまま指差した場所は、スコットランドとアイルランドの中間辺りにある小さな島。ええと、もう少し縮尺の大きな地図はなかったのか?

「アイオーナ?」

それこそ針で突いた様な小さな島。そこにはそう記されて居た。

「そう、元々はそこにあったセント・コロンバ修道院ってとこに問題の聖遺物があったらしいの」

「……また、らしいか……」

「仕方ないわよ、英国の修道会って十六世紀にヘンリー八世の宗教改革で、一辺殆どつぶれちゃってるんだから」

「じゃあ、ここもなのか?」

「そう、ただその時の記録では、その聖遺物はイギリス王室の接収されてないの。恐らくどさくさ紛れに、誰かが隠してたってことらしいわ」

「成程、ではこの島のどこかに?」

「ええと……多分」

またも曖昧な返事を返す遠坂に、俺とセイバーは顔を見合わせてしまった。何かさっきから遠坂の奴、勢い込んでいたわりには話が粗い。地図だって、場所はわかってもこの島そのものの地図は無いようだし。

「だ、大丈夫よ。地図はなくてもその為にこいつを借りてきたんだし」

そんな俺たちの顔色に、自分でもかなり杜撰であることが分かっているのだろう。遠坂は、誤魔化すようにしゃれこうべをぺしぺしと叩きながら胸を張った。

「そうだ。そいつだが、なんに使うんだ?」

「これはね、その聖遺物を隠したと思われる修道僧のしゃれこうべなのよ。こいつを触媒に修道院跡で降霊を行って、直接こいつから場所を聞き出すわけ」

つまり、地図はなくともコンパスはあるって事か。まあ、なんのかの言って遠坂なんだから、最低ラインはきちんと抑えていると見て大丈夫だろう。

「わかった。ええとグラスゴーの北か。ガソリンがもう無いから途中で入れなきゃな……」

となれば、そちらは遠坂に任せて、俺たちはバックアップの用意だ。ざっと二百五十マイルってとこか、結構骨だな。今から用意をして……

「あ、それなら明日一番でグラスゴー行きのチケット取ってきたわ」

と、地図を見てそんな事を考えていたら、遠坂が三枚の航空券を取り出した。

「ほほう、今回は豪勢ですね」

「経費をケチる遠坂にしては珍しいな……」

「別に何時もだって、ケチってるわけじゃないわよ……」

でも何時もは車だろ? しかも、経費で落ちる時は全部航空券ってことにしてるし。

「って、朝の六時半? しかもガドウィックかよ。シティはなかったのか?」

珍しく準備が良いなとちょっと感心した俺だったが、チケットを見て驚いた。ここから空港まで小一時間、色々考えたら四時前には起きないと……って言うか寝れるのか? 俺は思わず時計を見て溜息をついた。

「仕方ないでしょ。時間が無いんだから」

そんな俺に遠坂は何処か視線を泳がせて、拗ねるように口を尖らせる。はて、時間が無い?

「とにかく、さっさとご飯食べて明日の準備よ。時間は限られてるのよ!」

その食事を遅らせたのは何処の何方でしょうか? 
とはいえ、遠坂の言葉にも一理ある。明日そんなに早けりゃとっとと準備しておかないと。寝る間は飛行機の中で仮眠が取れるが、乗り遅れたら洒落にならない。俺はセイバーと顔を見合わせて苦笑すると、何処か落ち着きの無い遠坂と夕食に取り掛かった。
でもな、遠坂。幾ら急いでるからって、飯食ってる時はしゃれこうべを片付けて欲しかったぞ。




で、結局徹夜で準備して、飛行機の中でも資料の付き合わせで潰れ。殆ど寝ずに急いだお蔭で、グラスゴーには午前八時に到着することが出来た。
のだが……

「どうだった、セイバー」

「駄目です。やはり次の列車は午後だそうです」

そこから先の交通機関がなかった。
目的地のアイオーナ島には、グラスゴーから列車で三時間ほどのオーバンと言う港から定期便が出ているらしいのだが、そこまでの列車が一日三本。一本目は既に出た後だと言う。

「遠坂……」

そんなわけで、朝のグラスゴー駅で頭を抱えている美女一人を、俺は半眼で見据えてやった。

「ま、まさかこんな辺鄙だと思ってなかったのよ……」

言訳にもなっていない。辺鄙ったって、そういうところだから聖遺物なんてとんでもないものが見つからずに有ったんだろうし。ってちょっと待てよ、ってことは……

「一応聞いておくけど、その定期便って奴の時刻表抑えてあるんだろうな?」

「あ、ええと……その……」

「遠坂……」

「凛……」

「うう、御免。急いでたから、グラスゴーまでで手一杯だったの」

俺とセイバーの無言の圧力に、とうとう容疑者は自白した。
まあ、それは良いとして……あんまりよくは無いが。今回の遠坂は何処か焦っているって言うか、なんだかすごく杜撰じゃないか?

「それでどうする?」

「車借りましょう。オーベンでも定期便なかったら、チャーターしてでも渡りたいわ」

えらく大盤振舞だ。やっぱり何処かおかしい。

「なあ、遠坂。何でそんなに急ぐんだ?」

「私も伺いたい。今回の旅はお金より時間に吝いように思えます。どう考えても凛らしくありません」

「だから、わたし別にケチじゃないわよ……」

「でも無駄遣い嫌いだろ?」

浪費は好きみたいだけど。俺とセイバーは揃って、些かへたり気味の遠坂に冷たい視線を送る。悪いな遠坂、でも濡れた犬を打つのが魔術師ってもんだしな。

「ええとね、実は……」

ここまで来ては言訳は利かない。遠坂もそう悟ったのだろう、小さく溜息をつくと、徐に顔を上げ、

「とにかくまず急ぎましょう。セイバー、駅前で車借りてきて。士郎、荷物もって急ぐわよ」

いきなり立ち上がって、俺たちをせかし出した。って、おい。

「遠坂!」

遠坂さんは何時だって唐突だ。だが、これは流石に何がなんだかわからない。思わず怒鳴りつけたら、甘えるような振りを装って、するりと俺に身を寄せ小声で耳元に囁いてきた。

「御免、理由は車を借りてから話すわ。だからここは急いで」

「どうした?」

どうやら何かあったらしい。

「ん、ちょっと嫌な気配をね。ちゃんとその理由も話すから」

俺も困ったような顔で軽く抱き寄せながら聞いてみると、案の定詳しいことは後でと小声で呟き返してきた。。
だが、さり気なく駅内を見渡しても、足早に通り過ぎる通勤客やガイドを先頭に歩く団体や地図片手の旅行客ばかりだ。まぁシスターの団体客ってのがちょっと珍しいかもしれないが、特に怪しい人影は見当たらない。
とはいえ、表情まで一変した遠坂の言葉は、嘘や冗談ではないようだ。俺やセイバーが分からないってことは……魔術師関係か?

「わかった。セイバー車を頼む。駅前のロータリーに回しといてくれ」

「わかりました」

一瞬、なんとも疲れたような顔をしていたセイバーだったが、軽く目配せすると意図を察してくれたようで、こちらもなんでもない風を装い、足早に車を借りに向かった。

「魔術師か?」

駅前でセイバーの借りてきた車に滑り込み、遠坂が簡易の結界を張って、漸く俺たちは今のことについて話すことが出来るようになった。

「うん、本人か使い魔かはわからなかったけど、ちょっと気になる気配がちらっとね。怪しい人影はなかったんだけど」

「そうだな、俺は気が付かなかった。セイバーは?」

「私も別に。ただ、一瞬だけ何かとても危険な予感を覚えました」

具体的な殺気とか気配ではなく、あくまで虫の知らせの類の予感だったそうだ。しかし、セイバーがそんなものを感じるってことは、やっぱり何かあったか……

「ん? どうしたんだ?」

と思ったら、セイバーの言葉を聞いて遠坂が微かに眉を顰めた。

「え? うん、大したことじゃないの。わたしが感じた気配って言うのはそんなに強くなかったから」

遠坂が感じたのは、それなりではあってもあくまで魔術師の気配で、セイバーほどの英霊が、予知するほど危険な存在かというと、ちょっと疑問を感じたのだそうだ。

「私は今、凛の使い魔ですから。マスターへの危機と取ったのかもしれません」

「そういうこともあるか……ま、良いわ。それじゃ急いでる理由なんだけど。今付けられてるっぽいって言うのと関係があるの。実は……」

と、遠坂が気を取り直して話し始めた内容は、俺としてはちょと眉を顰めたくなるような内容だった。

「……つまり、その聖遺物ってのは所有権がはっきりして無いわけか」

「そうね……フランス側としては自分とこに元々有ったものが、偽物に変えられてこっちにあるって言う以上、自分達のものだっていう理由にはなるわね」

遠坂の話によると、トゥールという街の教会にあった由緒正しい聖遺物が、実は偽物であったということが判明したのだそうだ。何でも四世紀から伝わる有名な品という事で、表沙汰にも出来ず、フランスの教会が魔術院カルディア・フランセーズを通じ秘密裏に八方手を尽くして探してたところ、国教会が自分のところの古文書の中から、それらしき品物の資料を見つけ出したと言うことらしい。

「でも、もう八百年も前の話なのよ、ノルマンコンクエストの時こっそり持ってきちゃったらしいのよ。まあ、それがこっちでも前に話した宗教改革のどさくさで、わけ分からなくなってたって事ね」

「でも、それなら堂々と所有権主張すりゃ良いじゃないか。こんな裏道でなく」

「そんな事したって、所有権の確定までには世紀単位掛かっちゃうわ。それに第一、表ざたになったら、聖堂教会総本山ヴァチカンにとんびに油揚げ攫われちゃいかねないわ。だからフランス側だってこっそり探してたんじゃない」

フランス側としてはひそかに回収して、聖遺物が偽物だったこと自体なかったことにしたい。英国側としては、そんなものがずっと英国に有ったのなら、当然それは英国のものである筈だし、今更返したくは無い。どちらにせよ、表ざたにはしたくないし、自分のものにしたい。そういうわけで遠坂にお鉢が回ってきたってことらしい。

「でも、国教会としても調査依頼をされた以上、何も無しじゃ済まされない。だから原資料は一山幾らの有象無象付きで送ったらしいの」

つまり、フランス側がその資料を基に英国と同じ結論に達するのも時間の問題。だからは遠坂は急いだのだという。

「話はわかりました。ですが、凛。率直に申し上げて、あまり趣味のいい仕事ではありませんね」

「そうだな、言っちまえば泥棒が隠した盗品を回収するようなもんだろ?」

「そ、そう言えなくもないけど」

ただ、セイバーや俺の言うとおり、余りまともな仕事じゃない。そりゃ八百年もたってりゃ所有権なんか曖昧だろうが、ことさら好んで首を突っ込むような事とは思えない。
遠坂もそれがわかっていたから、妙に焦りながら俺たちにこの事を話せないでいたのだろう。

「仕方ないのよ……どうしても請けなきゃならない仕事だったし……」

だが、遠坂は俺たちにすまなそうな一瞥を送ると、口惜しそうながらも、どこか決意するような表情で車窓に視線を向けて口を結んでしまった。
俺とセイバーはまたも顔を合わせてしまう。らしくない。実に遠坂らしくない。
だが、この決意に関してだけは実に遠坂らしく感じた。よくわからないが、この仕事自身は遠坂らしくなくとも、受けたことそのものは遠坂らしい事情だったに違いない。

「まあ、受けちまったもん仕方がないな」

となればだ、この極め付けに優秀な癖にどこか危なっかしい女の子と、一緒に歩み続けると決めた俺の成すべき事は一つだ。
俺は少しばかり諦めの篭った思いで苦笑すると、遠坂に顔を向け頷いた。

「ともかくとっとと済ましちまおう。遠坂がやると決めた以上、俺は最後まで付き合うぞ」

「えっと、その……ありがとう」

どうやら、まだしばらく文句を言われると覚悟していたらしく。一瞬きょとんとした顔をしていた遠坂だったが、俺の言葉にどこか嬉しそうな恥ずかしそうな表情で頬を染めると、らしくもない礼なんぞ言いやがった。

「べ、別に礼を言われるようなことじゃないぞ、その、当たり前のことだ」

ちょっと不意打ちだった。遠坂のこういった表情は珍しいし、なんというかこう、普段があれであれだけにかなり効く。俺もなんだか恥ずかしくなって、ぶっきら棒にこんなことを言ってしまった。

「シロウは凛に甘い……」

と、そんな俺たちに、セイバーが半眼で視線を投げかけながら、溜息混じりの呟きを投げかけてくる。
ただ、表情は苦笑混じりだ。どうやらセイバーも気持ちは俺と同じらしい。
ともかく、こうして少しばかり問題含みではあるものの、俺たちの宝探しは再開された。




「遠坂……」

「なによ……」

俺はアイオーナ島の桟橋で、荷物の腰掛け水平線を眺める遠坂に話しかけた。

「遠坂がどんな仕事を請けようが、遠坂が決めたことなら俺は文句は言わない」

「有難う、士郎」

俺の言葉ににっこりと綺麗に微笑む遠坂、ただ視線はじっと水平線を見据えている。

「でもな」

とはいえ日はもうすでにとっぷりと暮れ、漁火さえ見当たらない。お前何を見てるんだ? それにその頬の冷や汗は何だ? 水平線を眺めながら視線は泳いでるし、すっ呆け様たってそうは行かないぞ。

「計画性は持てよな……」

「わ、悪かったわね……」

結局、定期便も季節外れで一日一本。探し回って何とかチャーターした漁船に乗って漸くアイオーナ島に着いた時には、既に時刻は午後九時を回っていた。朝、倫敦を出発してから十六時間、ちゃんと時刻表をつき合わせて確認すれば金も時間も半分以下で済んだはずだ。なにしろ、

――主よ、思いのほか遅かったな。

空を飛ぶなら自前で良いと言って、まっすぐここに飛んできたランスのほうが先に着いちまってたくらいなんだから。
まったく、これじゃ急いだ意味がないじゃないか。遠坂、お前どうしてこういうところは抜けてるのかな?

「わたしだって仕挫ったと思ってるわ」

「まあ、急ごうって方針は間違ってなかったと思うがな」

方法というか、手段と段取りが追いつかなかっただけで。

――ところで主よ、些か気になる事があってな。

と、ここでランスが俺に向かって思考を飛ばしてきた。

「魔術師?」

――ふむ、我がここに着いた時には、既に何者かが来ていたようだ。すぐに気配を絶ったのでしかとは掴めなんだが。

自前のスクーナーで来たらしいのだが、この桟橋には見当たらない。こりゃ確かに怪しいな。俺はすぐさま遠坂にそのことを告げた。

「事前に準備してたなら、俺たちより早くても不思議じゃない」

「だから、悪かったって言ってるじゃないの……」

そう膨れながらも、遠坂の視線は自分の奥に沈んでいる。多分、戦力と情報の評価と突合せだろう。内面モードの一つだ。

「多分、わたしたちと一緒で具体的な場所はわかってないはずよ。それにフランスに渡した資料だけなら、わたし達のほうがしゃれこうべ分有利だわ」

うんと頷き顔を上げた遠坂の表情は、さほど深刻なものじゃなかった。だが、そういうことなら。

「横から掠め取られるって可能性があるな」

「そうね、それだけは注意しましょう」

そう言いながらも遠坂の表情には、心配した様子は見当たらない。まあ、確かに俺たちにはセイバーがいる、よほど凝った騙し討ちでもない限り、真っ向勝負なら負ける気がしないのは事実だ。

「遅くなりました」

そうこうしている内に、車を借りに行っていたセイバーが、小さなトラックに乗って帰ってきた。

「レンタカーがすべて借りられていたものですから」

「こんな辺鄙な場所で?」

「こんな辺鄙な場所だからです」

遠坂の訝しげな声に応えるセイバーによると、元々この島のレンタカーは二台しかないそうで、それが珍しく今日は二台とも出ていたのだという。なんでも年に数度のことらしいが、間の悪いときはとことん悪いんだな。

「ですがご安心を、代わりに漁師の方からピックアップを借りてまいりました。些か臭いがありますが、それ以外は問題ありません」

「仕方ないわね、じゃそれで行きましょう。別に、荷台に乗るわけじゃないし」

そうだよな、遠坂が荷台に乗るわけじゃないもんな。

――主よ、今日は互いに“荷車の騎士”だな。

「ほっとけ」

そう、どの道、荷台に乗るのは俺たちなんだから。




少しばかり魚臭い車に揺られて、わずかな月明かりとヘッドライトだけを頼りに十分ほどの道行き。セント・コロンバ修道院跡には、呆気ないほど簡単に辿り着く事ができた。

「へぇ、本当に廃墟なんだな」

ヘッドライトに照らし出されたその修道院は、基石と壁の一部、それにわずかな十字架だけが雑草と潅木の中に埋もれてあるだけだった。

「ここはヘンリー八世の修道院廃止令に武力反抗したのよね。だから徹底的に壊されちゃったってわけ」

その為、その後何度かの聖堂教会との和解や復興の際も、そのまま放置され続けてきたのだという。

「それで、どこで降霊をするんだ?」

「聖堂の跡地よ。そこでこのしゃれこうべは事切れたの」

王軍が、聖堂での最後の抵抗を打ち破った直後、この修道僧は聖堂に駆け込み自ら兵士の剣に身を躍らせたのだという。恐らく、聖遺物の場所を白状させられない為の行動だったのだろう。

「さて、それじゃ始めるけど……その前にっと。セイバー、朝言ってた予感って今でもある?」

「いえ、ここでは感じません。凛、貴女の方は? 例の魔術師とやらですが」

「匂いはちょっとするけど、わたし達の魚臭さより薄いくらい。恐らく本人は近くにいないわね、せいぜい使い魔ウォッチャーの目がある程度。これなら問題ないわ」

天井も無く、四面を囲む壁だけがわずかに残る聖堂跡で、遠坂は徐にしゃれこうべを取り出し、降霊のための陣を刻み始めた。

「セイバー、士郎。周囲の警戒よろしく。ここから先は見せるわけにいかないから、覗き屋ウォッチャーを見つけたらとっとと追い払って頂戴」

「おう」

「承知しました」

遠坂の指示に従い、セイバーは剣を手に聖堂の正面に、俺は空にランスを飛ばし、遠坂の脇に立った。

――妙な気配がいくつかある。これを追い払えばいいのだな?

「ああ、深追いはするなよ」

案の定、空には蝙蝠やら梟やらに偽装した"ウォッチャー”があったらしい。俺はそちらをランスに任せ、遠坂に状況を伝えた。

「じゃそろそろ良いわね……」

それに頷いて、遠坂はしゃれこうべを魔法陣の中央に置いた。
尤も、触媒が揃っている上に、相手は唯人の残留思念に過ぎない今回の降霊では、魔法陣といっても大したものではない。二重の円と簡単な呪刻、それと遠坂の手にある、小さな銀色の鈴だけで十分だ。

―― 鈴……

「――Ade weites Land常世に  別れを告げ

鈴を鳴らしながらの遠坂の詠唱が始まった。

―― 鈴……

「――Heim今 汝 geht jetzt die Fahrt帰途に着く.」

鈴を鳴らすごと、詠唱の節が進むごとに、どこか不可思議な風が舞い込み、しゃれこうべを中心に小さなつむじ風を巻き起こす。

―― 鈴……

「――Sie kommen wieder古き住処に zu Euch nach Haus還り来たらん!!」

呪が成った。同時にしゃれこうべを中心に白くぼやけたような霞が立ち上る……

―― 活!――

と、その霞が人型を取ったかと思う間もなく、戸口のセイバーを一目見るなり、恐ろしげな憤怒の幽鬼に姿を変え遠坂に襲い掛かってきた。

「おのれ英国王の手先! 神の怒りに触れ地獄に堕ちるがいい!」

「あ、やば……」

それを迎え、一瞬しまったという顔をした遠坂だったが、素早く体勢を立て直すと、すかさずガンドを叩き込んだ。

「凛! なにを!」

セイバーに向かって……

「遠坂!」

俺は一瞬たじろいだ幽霊の隙をついて、遠坂に駆け寄った。何だっていきなりこんなことを。

「ちょっと待て、遠坂、どういうわけだ!?」

「ごめん、セイバー下がって」

だが、遠坂は俺をあえて無視して、驚くセイバーにこの場から離れるように指示を送る。

「英国王よ、こいつは英国王の命で殺された。だってのにここに英国王がいるのよ? わたし達の言うこと聞くわけ無いじゃない」

だから、“英国王セイバー”を追い払うことでこの霊を宥め、改めて情報を得ようとしたのだという。

「だからっていきなりはないだろ!?」

とはいえ、やることが乱暴すぎる。そりゃセイバーにとってガンドくらい、蚊にさされたほども効か無いだろうが、俺の心臓に悪い。

「だから謝ったでしょ!」

「そういう問題じゃない。第一そういう事は始める前に気づくもんだろうが!」

「忘れてたのよ! だから謝ったんでしょうが!」

「お前、どうして何時もいつも、こう言う愉快なぽかばっかりするんだ!」

「ぽかは仕方が無いけど、愉快は無いでしょう、愉快は!」

ああ、もう。ああ言えばこう言う。

「凛、士郎」

と、幽霊を前に思いっきり睨み合っていたところで、当のセイバーから声がかかってきた。

「とりあえず私は下がりますが、一応ここは祈りの場、痴話喧嘩は程々に願います」

どこか冷ややかにそう言うと、セイバーは徐に踵を返した。

「セ、セイバー」

「その……ごめん」

「お気になさらず。ああ、それから」

慌ててかけた俺たちの言葉にふと戸口で立ち止まると、セイバーはにっこりとまるで遠坂のように微笑んで、俺たちの背後を指し示した。

「お客様がお待ちです」

――あ。

すっかり忘れてた。俺も遠坂のことが言えないな……

「神の家にて、何たる不浄!」

恐る恐る振り返った俺たちの目の前には、先ほどとは別の意味で怒りに燃える幽霊の姿。

「ふん、“産めよ増やせよ地に満ちよ”って言ってたのは神様じゃないの」

こ、こら! 遠坂。刺激するなぁ!

「ええい! 神の言葉を曲解する不信の徒が!」

「――Ave verum corpus常に愛しき 真の御身よ!」

と、いきなり売り言葉に買い言葉で襲い掛かってきた幽霊だったが、その僅かの隙を付いて遠坂が紡ぎだした呪を前に、ぴたりと動きを止めた。

「――Te, trina Deitas unaque我ら三位一体の御身を求め, poscimus: sic nos tu visita, sicut te colimus御身の訪れを謝し 御身を敬愛せん

いや、違う。これは祈りだ……祈祷文?
さっきとは打って変わって敬虔な遠坂の祈りに、幽霊は徐々にその怒りを収め、姿さえ実直そうな修道僧に変わっていく。

「――per tuas semitas光の道を  指し示され, duc nos quo tendimus御身の許へ ad lucem quam inhabitas我らを導き給え.」

「……」

そして、最後の祈りと共に、幽霊は静かに頭をたれ、夜の聖堂に再び静寂が訪れた。

「これはこれは、ようこそ当修道院に御越しいただきました。私が案内を務めるブラザー・マーチンと申します」

「丁重なご挨拶痛み入ります。ブラザー・マーチン。此方の聖遺物に御参りする為に参りましたの」

そして、何事も無かったかのように頭を上げると、幽霊はにこやかと言っていい表情で遠坂に挨拶をする。それに祈り終わった遠坂も、嫣然と微笑みかけながら挨拶を返した。

「今のはいったい……」

「え? ああ、祈祷詠唱ね。言峰の置き土産よ、覚えておいてよかったわ」

俺の小声の質問に、一応わたしも信徒だしねと呟いた遠坂は、あんた貴婦人の従者なんだからそれっぽく装いなさい得意でしょと、同じく小声で付け加えながら応えてくれた。

「それじゃあ、ランスにセイバーと一緒に近づき過ぎないように、ついてくるように伝えて頂戴。わたしはこいつの相手に集中するから」

「畏まりました。お嬢様」

成程そういうことならと、俺は言われた通りに丁重に一礼してランスに指示を送った。こら、折角言われた通りにしたんだから、そんな幽霊でも見たような顔するんじゃない!




「これは特別な品なのです。かのウィリアム王が祖国フランスよりお持ちになり、特に当院を選び大切に保管するようにと仰せつかった品で、めったにお見せできる物ではないのです」

それから俺たちは、滔々と続く幽霊の薀蓄を聞きながら、崩れた修道院は案内されて行った。
大聖堂から、回廊を抜けゲストハウスへ、そこから更に修道院執務棟を通り、墓地へ。
行きかう修道僧たちと挨拶を交わしながら、ブラザー・マーチンはこの廃墟がまるで往事の修道院であるかのように次々と案内を続ける。

「おい、遠坂……お前が呼んだのか?」

だが、些か妙だ。この修道僧達は? ブラザーマーチンと同じように幽霊みたいだけど……

「そんなつもりは無かったんだけど……言峰の呪だったから……実は全部わかってるわけじゃないのよ」

俺同様微かに眉を顰めつつ、遠坂はぶつぶつとえらく物騒なことを言う。ちょっと待て、つまり何か、お前そんなわけのわからないもの使ったのか?

「仕方ないでしょ、降霊は専門じゃないし。暴れる幽霊壊さずに言いなりにできる呪なんて、これくらいしか知らなかったんだから」

今回遠坂さんは、どうもこう粗いというか、荒いというか。
まぁ、なまじ優秀であるだけに、それを力づくで何とか出来ちまうからさほど目立たないけど、前々からこいつは慌てると、どうもぼろを出しやすいと思ってはいた。この辺、遠坂はセイバーとも似ている。やっぱりセイバーと遠坂も似たもの主従なんだな……

「話は違うけど、ランスから何か言ってきてない?」

そんなことを考えていたら、遠坂が微かにまゆを顰めて小声で話しかけてきた。

「いや特には、どうしたんだ?」

「なんかさっきから見られてる気がするの。使い魔ウォッチャーはちゃんと全部追っ払ってた?」

「ええと……」

ブラザーマーチンの幽霊に、愛想の良い笑みを送りながらの遠坂の問い掛けに、俺はランスに意識を伸ばして確認を行ってみた。

「特に何も無いぞ」

「本当?」

念を入れて視界や感覚までもらって見たが、この修道院の幽霊以外、特におかしなものは見当たらない。

「ああ、セイバーにも聞いてみたが特に無いって。ただ、またなんか嫌な予感がしてるそうだ。気をつけてくれって」

「そっか、じゃあ気のせいかな? それにしてもあの娘も心配性ね、何も感じないのに気をつけろって何に気をつけりゃいいのよ」

多分、遠坂のどじにだと思うぞ、なんか今日は危なっかしいからなぁ。

「さて、こちらです。足元に気をつけて」

そんな事もあって暫く遠坂に気をつけて進んでいるうちに、俺たちは墓地の片隅にある大きな十字架の前に導かれていた。

「成程、聖マーチンの十字架ね」

「左様です。よくご存知で」

遠坂の呟きに頷きながら、ブラザーマーチンの幽霊は車輪をはめたケルト十字によく似た十字架の中央に触れた。すると、微かな音とともに基部の石版がずれ、地下への階段が姿を現した。

「こういう地下墓地があったのね……」

「どうぞ、この奥です」

地下から漂う黴臭い空気の匂い。どうやら、ここは未発見の場所らしい。俺たちは、幽霊に促されるままに地下墓地カタコンベに降りた。
自然石を巧妙に組み合わせて補強された、かなり古く大きい地下墓地。遠坂によると、ここは英国布教発祥の最前線でもあったらしく、異教徒への備えの一環だったのだろうと言う。
俺たちはそのまま幽霊の後に続きいくつかの玄室を抜け、その一番奥だろうか粗末な石の棺が安置される部屋に案内された。

「これに? ずいぶん質素ですけれど」

「真の信仰の輝きとは、塵の中に埋もれているものでございますから」

幽霊はそう言いながらそっと石棺の蓋を開けて見せる。

「……これが?」

「はい、これでございます」

実のところ、ちょっと拍子抜けした。
棺の中に置いてあったのは、赤い古布が一枚だけ。もう少し神々しいものと思っていたんだが……

「……驚いたわね。軍用マントのほうじゃない……」

そう思って遠坂に視線を送ると、遠坂の思いは違っていたようだ、食い入るようにその布を見つめ、驚いたように呟いている。

「このぼろきれって、そんな大層ものなのか?」

「大層ってねぇ……まぁ士郎じゃ知らなくて当然か。これは聖マルティーンのマントよ、神様と二人で分け合ったって言う」

遠坂によると、この聖マルティーンという聖人は元々がローマ軍の将校であったという。
その彼がある日、軍務で訪れた町で誰一人施そうとしない全裸の貧者を見つけた。だが、残念なことにそのとき彼は軍務中で施せるようなものは何も持っていなかった。そこで彼は自分のマントを二つに切り裂き半分をその貧者に施したという。そして、この貧者こそその人の顕現した姿であり、いまだ洗礼されていない聖マルティンを祝福するために訪れたのだという話らしい。

「トゥールから持ってきた聖遺物って言うから、聖マルティーンの聖骸布カーペのほうだと思ってたけど……こっちのマントだったのね」

「ともかくこれなんだな」

「うん、後はこの幽霊にお還りいただいて、布を貰って帰るわよ」

そう頷いた遠坂が、口の中で微かに退去の呪を紡ぎだしたその時だ。
なにやら慌しい音とともに、修道僧の幽霊たちが、いきなりこの部屋に満ちた。

「英国王だ!」

「英国軍が我らの秘蹟を奪いに来た!」

「こいつらはスパイだ!」

「悪魔の手先だ!」

口々にわめきたてる幽霊の群れは、そのまま影のように黒ずみ、身構える間の無く幽鬼の姿になって俺たちに不気味な手を伸べて来た。

「と、遠坂!」

「違う! こいつらわたしが召んだわけじゃない!」

すかさず引き寄せた俺の耳に、顔色の変わった遠坂の口惜しそうな叫びが響く。って事は……ああもう、だから変だって言ったじゃないか!

「おのれ! 聖遺物は決して渡さん!」

ついにはブラザーマーチンの幽霊までが、新しく入ってきた幽霊たち同様に幽鬼に姿を変え、俺たちを罵りながらマントを持って走り去ろうとする。

「ああ、こら! 待ちなさい」

「遠坂! 下がれ!」

思わず追いかけようとした遠坂を俺は慌てて引き戻した。馬鹿! お前周りのこの変な影が目に入らないのかよ!

「でも、士郎。聖遺物が!?」

「わかってる。ここは俺がしばらく支えるから。お前はセイバーを呼べ」

「あ、うん。わかった」

話はそれからだ。セイバーさえ来ればここも聖遺物もどうにでもなる。
俺は両手に剣を投影し、幽鬼たちに対峙しながら遠坂を背中に押し込んだ。

「え?」

「どうした遠坂、早く呼べ!」

だが、二合三合と幽鬼どもを追い払っても、遠坂は一向にセイバーを呼ぼうとしない。俺は思わず叫んでしまった。

「呼んでるわよ、呼んでるけど届かない。ああもう……ここいつの間にか結界で包まれてる」

「何だって?」

そう言われて俺もランスに思考を伸ばしてみて、始めて気がついた。確かに先ほどまでは無かったはずの何か壁のようなもので阻まれている。

「仕方ない。こうなったら出るのが先決だ。突破するぞ!」

「わかった援護するわ」

いまさら愚痴を言っても始まらない。とにかく何とかここを切り抜けないと。俺は改めて幽鬼たちに対峙した。




そして俺たちは未だこの地下墓地から一歩も動けていない。
決定打が無い以上、こんな狭い場所にひしめき合われては突破もままならない。結局、何とか要を見つけ出して元から絶つしかないと言うことになり、遠坂は捜査に専念し、俺はもぐら叩きに徹していた。

「見つけた、これよ!」

「急いでくれ! そろそろきつくなって来た」

流石に息が上がって来た辺りでの遠坂の声。俺は、幽鬼の腕を剣で弾きながらほっと胸をなでおろした。セイバーでもいれば別だが、幽鬼みたいに半分あっちの存在相手だと、俺たちでは効率が悪すぎる。何よりまずスタミナが持たない。

「ああ、もうややこしい呪刻ね。面倒だから一気に叩き潰すわよ」

どうやら遠坂も俺以上に焦れていたようだ。解呪を攻撃呪に切り替えて、なにやら基礎ごと吹き飛ばそうかっていう雰囲気だ。

「遠坂あんまり焦る……なっ!」

ただ、今日の遠坂は焦ると碌な事が無い。だから注意しようと視線を走らせて絶句してしまった。
遠坂が呪を叩き込もうとしているのは、この部屋の中央にあった大きな石柱。解析するまでも無い、あれは地下墓地カタコンベの大黒柱。結界どころかこの地下墓地そのものの、文字通り“要石”だ。

「待て!」

――Der Fortsetzung一斉  連打 Faust,und Kanone鉄拳  徹甲.――っ! へ?」

遅かった……
呪の完成と、多分衝撃弾だろう硬質の打撃音、それに遠坂の少しばかり間の抜けた声が同時に響いた。

―― 轟!――

それでも流石は遠坂だ。要の呪刻は見事に粉砕され、幽鬼たちは結界とともに音も無く霧散していく。だから、この轟音は……

「遠坂!」

「きゃ!」

遠坂の呪で、要の柱を失った地下墓地が一気に崩壊する音だった。


あわてん坊凛ちゃんの、ドジっ子日記前編です。
バイオリズムが下降線なのか、はたまたどっかでボタンを掛け違えたのか、らしくない仕事を請け、らしくなく焦り、実に凛ちゃんらしくどじかましているお話ですが、当然これにはわけがあります。
何ゆえ、こんなことになってしまったのか、それでは後編をお楽しみください。

By dain

2005/3/30 初稿


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