「……」
修道僧の部屋のような、質素で飾り気の全く無い一室で、食器の触れ合う微かな音だけが静かに響いていた。
部屋の主人同様に、本当に飾り気が無い。とても会食の席とは思えない。
ただ、料理だけは極上のようだ。見た目も良ければ、多分素材も味付けも一流だろう。
「……」
多分というのは、今のわたしには味がしないから。
わたしはそっと顔を上げ、この会食のただ一人の同席者にして主人の顔を伺った。
「……」
わたしの正面で、食事に手も付けず黙々と脇に積まれた書類を読んでいるのは、時計塔隠秘学科教授にして国教会無任所主教を勤めるクーレンゼ師だ。
本来、わたしはこの人とは余り縁が無い。隠秘学っていうのはいわば魔術概論で、総合的に広く浅くの基礎を網羅する学科だし、この人自身も研究や教鞭をとるより、時計塔という組織を動かすことに忙しい人なのだ。現に今も食事もせずに書類を読みふけっているのもその為。
とはいえ、最近妙な形で縁が続いてしまっている。
「君の講座は評判が良い。自然魔術は今まで基礎でありながらおざなりにされ過ぎていた」
唐突に始まった教授の言葉に、わたしは頷きながら慎重に言葉を選んだ。
さっきも言ったように隠秘学は魔術の基礎。そういうわけで、時計塔の基礎学科臨時講師なんてものを仰せつかってしまったわたしにとって、この人は上司になってしまったのだ。
「有難うございます。教授の顔を潰すような真似は出来ませんから」
しかも推薦者はこの人らしい。自分の能力を買って貰ってると言うのは満更でもないが、“調停者
「能力あるものに当然の扱いをしたまでだ。時計塔は慢性的な人手不足でもある。優秀な魔術師ほど学業を修めると野に下りたがるのがここの問題点なのだ」
とはいえ、嘘は言わないが必要なことを全部伝えるわけでもないって言うこの古狐に、目をつけられてしまった以上、しかとこいてたんじゃ何を画策されるかわかったものじゃない。
だからこうやって、味もわからないような昼食会に出席して探りを入れていると言うわけだ。尤も、教官としての上司ってだけなら、わたしもルヴィアのようにしかとこいていたかもしれない。
「ミスタエミヤは興味深い学生だ確か君の弟子であったな」
「……はい」
そう、問題はこの人が今、士郎の担当教授だって事の方なのだ。
あかいあくま | |
「真紅の悪魔」 | −Rin Tohsaka− 第十話 後編 |
Asthoreth |
「本来根源への道を目指す事と魔法を手に入れる事とは別の事だ」
どこでどういった話から、こんなことになったのかさっぱりわからないが、なぜか話は魔術師の基幹についての講釈になっていた。
「それを抽出するのに根源に触れることしか方法ないために混同されているが魔法とは最も若い魔術のことでありただ一人しか使い手がいない新たな魔術のことなのだ」
確かにそう言えるかもしれない。魔術だって昔は全部魔法だったのだ、それが拡散しソフィスケイテッドされていくにつれ、その一の力がいくつもに分散されることで魔術に落ちていったものなのだ。
だから実のところ、今存在する魔法を得るのにはなにも根源に触れる必要は無い。魔法使いから盗み取れば良いのだ。尤も、魔法使いって言うの殆どこの世に顔を出さない上に、顔を出す魔法使いって言うのは軒並み化け物揃い。そんな相手から術を盗み取るのは、もしかして根源に辿り着くより難しい事かもしれないけど。
「故に“魔法の域”と言う言葉は通例のように高度な魔術に対して使う言葉ではない。あれらは条件や解決点が非常に高くはあるがあくまでも高度の魔術に過ぎない。“魔法の域”とは本来それがどのようにありきたりに見えても“唯一”に近い特殊な魔術に対して使われるべき言葉のはずだ」
つまり、現存する魔法は確かにとてつもなく高度な術式ではあるものの、その本質において“魔法”とは唯一であり余人の持たないものを指すと言うわけだ。だから、もし、それこそ硝子を修復するような魔術であっても、それが他の手段も使い手もいなければ魔法であると、魔法の条件にその術式のレベルは関係ないとそう言いたいわけか。
「その論旨に沿えばミスタエミヤの魔術なども“魔法の域”と言えるかもしれない」
「っ!」
なんともさらりと言ってくれたが、わたしは一瞬食器を取り落としそうになってしまった。しまった、そうだった。この話は士郎の話の延長でここまで来たんだった。あんまり迂遠なんで気づかなかったわよ……
「で、ですが、衛宮君の魔術は単に技量の不足と言うだけで、唯一と言うわけでは。他の方法などそれこそ山のようにありますわ」
わたしは慎重に話の筋を逸らそうと試みた。だが教授はわたしに頷きながらも攻め口を変えて士郎に迫ってくる。
「確かにその方向性に置いては魔法の域とは言いがたい。だが剣に特化した彼の術式は余人の術とは異質の特異のものでもある」
そして教授は一瞬だけ貫かんばかりの視線でわたしを見据え、言葉を続けた。
「特異過ぎてまるで固有結界だ」
「教授のお言葉とも思えませんわ。衛宮君はまだまだ半人前以下。確かに強化にせよ投影にせよ彼の内面の特殊性を表す物かもしれませんが、究極の魔術に比される代物では……」
今度は慌てなかった。教授の論旨に従えば、この言葉が出ることも想定済み。だから仮面をかぶった。模範解答の用意も出来ていた。
「私はあくまで特異性の例として固有結界の名を出しただけなのだがな」
だが、教授は顔色一つ変えずわたしの言葉を遮った。
「まあ彼が特異であることについては合意が出来たということだ。彼のような魔術師は特異過ぎて少しでも研鑽が進めばそれが小さなものであっても唯一の物である封印指定にまで発展しかねない。師として気を付けて導きたまえ」
尤も封印指定と言うのは唯一と言う意味での魔法の域なのだから名誉でもあるのだが、と教授はこれで話は終わったとばかりに、何事も無かったかのように再び脇に積んだ書類に目を通し始めた。
だが、わたしの心は穏やかでない。士郎のような半人前の魔術師の話に、固有結界に封印指定。喩え話だとしても余りに唐突だ、普通こんな単語出てくるものじゃない。ということは……
“おまえのひみつをしっている”
わたしは心の中で小さく溜息をついた。迂闊だったかもしれない。
確かに今までの士郎が倫敦で行ってきたこと、かなり誤魔化しては来たが慎重に観察すれば、何がしかの不可解は出てくる。事にこの教授は、慎重な観察によって秘密を探り出すことで今の地位を築いた人なのだ。
とはいえ、とりあえずこれはまだ“忠告”の段階だ。どこまで知っているかはわからないが、今の時点で具体的にどうこうという気は無いだろう。しかし……
わたしは溜息混じりに、何故かわたしの席に置かれていた書類を手に取った。
『聖マルティーン聖遺物探索、並びに回収に関する予備計画』
正直趣味じゃないし、スケジュールもタイトだ。だが、今は大人しくしているしかない。少なくともどこまで知っているか探り出すまでは迂闊には動けない
「教授。少しばかり質問があるのですが?」
だから、わたしは教授の誘いに乗ることにした。ともかく、今はこいつをスマートに片付けて少しでも貸しを作っておくにしくはない。
「わたしが国教会に籍を置いていることは知っているね?」
魔術師は等価交換。つまりこれは、わたしがどれだけ貸しを積み上げられるか、借りを作らずに済ませられるか、そういう類のゲームなのだ。
「遠坂、目が覚めたか……」
「くそっ……あ、士郎……」
だってのに初っ端から仕挫ってしまった。やっぱりわたしは挑まれるより挑むほうだ。後手に回ると碌な事が無い。
まあそれはともかく、
「えっと……どうなった?」
「幽霊どもは消えた。ランスとも連絡がついたから、セイバーと一緒に来るように言ってある」
ちょっと待ってよ。わたしは頭を振って微かに朦朧とした意識をはっきりさせると、士郎を睨み付けた。
「そんなことより、聖遺物追わないと!」
あのブラザーマーチンはわたしが召んだのだ。要
「いや、まず俺たちの脱出が先だ」
だが、士郎はそんなわたしを窘めるように首を振ると、地下墓地の出口を指差した。
「うっ……」
そこは見事に瓦礫の山。いや改めて見渡すと地下墓地自体、わたし達自身どうやって埋まらなかったのか不思議なくらいの陥没振りだ。
「……御免……」
結局これも焦ったせいだ。焦らず呪刻だけを拭い去っていればこんなことにはならなかったろう。やってしまったことは仕方が無いが、きちんと反省だけはしておかなきゃ。
「いいさ、遠坂のどじには慣れてる」
だっていうのに、士郎はわたしの謝罪をさらりと流してくれる。
「なによそれ、わたしがいつもどじ踏んでるように聞こえるじゃない」
「遠坂、お前自分がかなりのどじだって気づいてないのか?」
間違いは正さなければいけない。なのに士郎は何故か呆れたように溜息なんかつきやがる。
「わたしは今まで何でも上手にやってきたのよ」
そう、今でこそ士郎やセイバーがいるが、わたしは七つの時から十年間一人で恙無くやってきている。どじなんか……しなかったとは言わないが、そんな物ちゃんと乗り越えてきた。
「そりゃ遠坂は優秀だからな」
「……矛盾してない? どじで優秀?」
筋が通らない。なのに士郎は顔色一つ変えず、そのとおりだと頷いた。
「そんなことは無い、どじを踏むけど優秀だからきっちり帳尻は合わせてきたんだろ? でもな遠坂、それってどじじゃないってことにはならないんだぞ」
うっ、筋が通っちゃった。
更に身に覚えがあるんじゃないかと、苦笑交じりで言ってくれる。そう言われてみると……あるかもしれない……
「御免……」
こうなるともう謝るしかない。そうか、わたしってドジっ子だったのか、全然気づかなかったわ……
「だから慣れてるって、それに遠坂のどじは失敗であっても間違いじゃない。ただ、今日は酷かったなぁ」
もう片っ端からどじだったぞ、どういうわけさと視線で尋ねてくる。
「ええと……」
そうは聞かれても、士郎の事を知られたっぽいから貸しを作っておきたかったなんて言えるわけがない。士郎のことだ、下手をするとわたしに迷惑をかけないようにと、学院を抜けるとか言い出しかねない。困ったことに、わたし自身そうなったらそうなったらで、とっとと日本に帰れば良いなんて思ってしまっている辺り、益々困ったところなのだ。だが……
「途中でやめたくなかったから……」
そう、こんな馬鹿なことまで引き受けてしまった理由はそれだけだ。始めた以上最後まで走りきる。確かにわたしはどじで間抜けかもしれないけれど、それだけは決して枉げられないと事だと思ったから。
だから、追い詰められても、意地を張ってでも、最後まで士郎と一緒に時計塔での生活を駆け抜けたかったのだ。
「そうか」
正直、自分でもこれじゃ理由になっていないと思っていたのだが、それでも士郎は納得したように頷いてくれた。
「なによ、わたし何にも話してないわよ?」
だから思わず拗ねた様に問い返してしまった。拙いなぁ、わたしこいつにだけはどうも甘えてしまう。
「俺に話せないこともあるんだろ? けど、遠坂はこれをやり抜かなきゃいけないと決めた。だったら、方法や過程はどうあれその理由が間違っているとは思えない」
士郎はそんなわたしに微かに微笑んでそこまで言うと、表情を改め真摯な瞳を向けて言葉を続けた。
「お前は失敗はするけど間違いはしない。だから俺やセイバーはお前を選んだんだ」
「……でもドジっ子よ?」
絶対の信頼。そりゃわたしだってちょっとは自信はあるけど、これは流石に気恥ずかしい。だからだろう、またもそんな拗ねた言葉を返してしまった。
「まあな、でもそのどじを含めて遠坂は今のままが一番強い。そいつだけは間違いない。それを信じろ」
だが、それでも士郎はわたしの肩を優しく抱いて、そう励ましてくれた。あ、拙い。ますます甘えたくなってきた。こら! 耐えろわたし。士郎に身を寄せるな! 顎を上げるな! そっと目を瞑ったりするなぁ!
「シロウ! 凛! ご無事、で……」
その瞬間。瓦礫でふさがった地下墓地の入り口がぶち破られ、セイバーが駆け込んできた。
「……申し訳ありません、凛。もう少し遅かったほうがよかったでしょうか?」
そしてとても事務的な口調で、わたしに向かって冷ややかに微笑みかけてくれたりする。
「い、いや、セイバー。そんなことは無いぞ」
「そ、そうよ。もっと早く来てほしかったわ」
なんだか不純異性交遊を見つかった高校生の気分……って、そんなことを言っている場合じゃなかった。
「それよりセイバー、外に逃げた幽霊は? 赤い布を持っていたはずだけど」
「ご安心を、お二人の救出を優先しましたが、そちらにもランスをつけてあります」
「急ごう遠坂。まだ間に合うみたいだ」
セイバーの言葉を受けて、ランスとラインをつないだ士郎が慌てた様に立ち上がった。
どうやら聖遺物は、幽霊から屍霊術者
「そうね、まだ手が残っているのに、途中で放り出すわけには行かないわよね」
続いてわたしも立ち上がる。いろいろと手の込んだ罠に嵌めてくれたみたいだけど、まだまだ勝負がついたわけじゃない。
わたしたちはセイバーを先頭に地下墓地を飛び出し、まだ見ぬ屍霊術者を追うべく駆け出した。
「遠坂、こっちだ」
「島の裏手ね、そっちに船を隠してるんでしょうね」
月明かりを頼りに、わたし達は人気の無い荒地を修道院に来た時とは逆の方向に走った。不思議なことに、直接屍霊術者
「待て! ランス! どうした!」
あと少し、そんなところで士郎が焦ったように天に向かって叫びだした。
「どうしたの?」
「わからない。ランスのやつ急にセイバーを寄越してくれって、それに俺たちは来るなって。理由を聞こうとしたんだが、そこで連絡が切れちまった」
「なにそれ……」
何かの罠? それにしてもセイバーだけってのがわからない。
「ランスの言に間違いは無いはず。ここは私が参ります」
「そういうわけには行かないぞ」
「そうね、でも警戒はしましょう。セイバーは先行して。距離をとってわたし達が後を進むわ」
ともかく、ランスの言うとおりセイバーだけ行かせて、わたし達が逃げるって言うのは却下だ。わたし達はセイバーに露払いを任せ、二手に分かれてランスが連絡を絶った場所に急いだ。
「居た、あいつだな」
「……」
だが、屍霊術者
「俺が行く。遠坂は援護を頼む」
「あ、うん。気をつけて」
一瞬、こちらが幻影かなにかかとも思ったが、手に持った赤い布は間違いなく聖遺物だ。だとすればセイバーのほうが誤魔化されたのか、わたし少しばかり不審を感じながらも、士郎を援護すべく呪の用意をしながら、屍霊術者
「ちっ! ――投影開始
「――Anfang
わたし達に気がついたのだろう、次々と地に眠る死霊を叩き起こしてはぶつけて来る屍霊術者
「貰った!」
ついに追い詰めた。射程内に収めた士郎が、両手の剣を投擲する。
「がっ!」
やった。両刀が立ちふさがる数体の幽霊ごと屍霊術者
と、その瞬間。
「どわぁ!」
―― 弾! 弾! 弾!――
剣の雨が倒れた屍霊術者と、士郎の上に降り注いだ。
「困りますね。それはわたしの獲物なんですから」
続いて、冷たいほどに落ち着き払った声が響いてきた。
「誰っ!?」
慌てて見渡すと、月明かりを背に丘の上から冷ややかに私たちを見下ろす法衣の影が一つ。あれほどの数の剣を投げつけたというのに、既にその手には幾本もの剣が、まるで長い鉤爪のように握られている。
「へぇ……」
その影が、まろびながらも何とか剣を避けきった士郎を感心したように眺めている。
「殺る気は無かったんですが、当てるつもりで投げてはいたんですよ、よく避けましたね」
怖気を奮った。
こいつは殺る気なら殺れたと言っているのだ。士郎だって、今ではちょっとやそっとではやられる術者じゃない。それを相手にここまで事も無げに言うなんて……
「なにもんだ……」
「……代行者よ」
士郎に唸る様な低い声に、人影の代わりにわたしが応えた。代行者。異端を殲滅する為に、聖堂教会が教義を曲げてまで作り上げた影の神罰実行者。だが、この重圧感、ただの代行者ではない……日系フランス人、少女のような容姿、噂には聞いていたが……
「埋葬機関じゃないの。反則よ!」
“弓”のシエル。埋葬機関の第七位。
対使徒に特化した殺人者集団。代行者の中でも一際教義を無視した存在。滅ぼすことだけを目的とした狂人の集団。ともかくまともな存在じゃない。たかが聖遺物の回収程度でこんな化け物を寄越すなんて。
「それを言うなら、英霊を使い魔にした魔術師なんて、そっちのほうがよっぽど反則です」
くそ、こいつセイバーのことも知っているのか。それじゃ不意打ちは無理か。でも、
「……英霊相手に勝てるつもり?」
「まさか。流石のわたしももう不死身じゃないですしね。でも、使い魔に勝つには何も本人を相手にするだけが能じゃないでしょう? とはいえ、流石英霊ですね。ずいぶんと引き離したつもりだったんですけど……」
「シロウ! 凛! ご無事で!」
と、そこにセイバーが駆け込んで……
「そこまでです。それ以上動くとあなたのマスターの命がありません」
「――くっ!」
来れなかった。
代行者とわたしとの距離はまだ二十メートル以上ある。だが、その距離でもセイバーはこの代行者なら、セイバーが割り込む前にわたしを倒しきると確信したのだ。
「まったく、困ります。こんな規格外を連れられてるおかげで、死徒でもないのにわたしが引っ張り出されちゃって、本当に局長は人を便利使いしてくれますね」
身動きが取れないわたし達に、まるで世間話でも持ちかけるように愚痴をこぼす代行者。それでいて瞳は冷ややかな殺人者のままだ。くっ、今は向こうが強い……
「何が望み?」
だが、それでもわたしは一縷の望みをつないで交渉を試みる。
「そんなもの、聖遺物の回収に決まってるでしょう」
「これは英国のもの、聖堂教会は国教会と事を構えるつもり?」
「聖遺物の認定は聖堂教会。それに“神のものは神のものに”ですから」
第一わたしは請けた仕事をこなすだけ、政治は関係ありませんよと取り付く島が無い。
「そういうわけですから、そこの君。それをわたしに渡してくれますか?」
それで話は終わったとばかりに、代行者は士郎に軽く視線を送った。
「遠坂……」
それを受けてじりじりと身構える士郎がわたしに視線を送ってくる。ああ、士郎もまだ諦めていない。隙をうかがいつつ、何か手はないかと必死で考えているのが目に見える。
「ああ、抵抗する気ならかまいませんよ。こんな管轄外の仕事引き受けさせられて……わたしもちょっと虫の居所が悪いですから」
「……気に入らなくても遣り通すって言うのか?」
そんな代行者に、士郎はふと何か思いついたように声を掛けた。
「え? そりゃそうでしょ。一度受けちゃった以上、途中でやめるわけにはいきません」
それに代行者はちょっと驚いたように答えを返す。
「勝てなくてもか?」
「君、勘違いしてません? わたしは勝てますよ、英霊の手が届く前にそのマスターを殺っちゃえるんですから。これで詰みです」
さらに問いかける士郎に、代行者は少しばかり困惑した表情になって諭すように応えた。だが、士郎はそれに首を横に振った。
「いや、引き分けだろ? セイバーが遠坂を助けるじゃなく、あんたを殺すで動いたらあんたは逃げ切れない。違うかな?」
「でも、結局この魔術師は死にますよ? それで良いんですか?」
「いや、それは困る。遠坂を死なすわけにはいかない。だから……」
士郎は一瞬だけわたしに視線を向けると、ゆっくりと冷たいほど冷静な瞳で代行者に視線を戻した。
「盾になる」
「っ!」
「シロウ!」
セイバーもわたしも一瞬だけ代行者のことを忘れた。
一瞬で良い。自分が死ぬことで一瞬遅らせることが出来れば、わたしを殺さずセイバーを掛からせることが出来る。誰かが死ななきゃ成らないなら、自分が死んで勝ちをもぎ取る。士郎はそう言っているのだ。
だが、果たして代行者を相手にそんなことが可能なのか? その答えは代行者が代わりにしてくれていた。
「……」
周囲の気温がさらに数度下がったかの様な冷たい視線。今まで代行者は士郎を歯牙にもかけていなかった。それが今始めて対等な敵としてみる。そんな視線に変わっていたのだ。
「……そうですね。流石のわたしも、あなた達二人を纏めて殺すような隙を見せて、英霊の刃を躱せるとは言い切れません。確かに千日手かも知れません」
だが、それも一瞬。代行者は苦笑するように士郎を真正面から見据えながら口を開いた。
わたしの背中には冷や汗が流れる。この代行者はセイバーと対峙したままでも、どちらか一人なら殺れると踏んでいるのだ。
「それでも、やり通すって言うんだな?」
「無論です」
そして即答。気に入らなくても始めた以上やり通す、その意思は変わらないと言い切った。
「遠坂、お前も同じだな?」
それに頷き、士郎が今度はわたしに視線を送ってきた。
確かにこの仕事は仕方なく請けたものだ。失敗しても借りが増えるだけ、いざとなったら腹を括って日本に帰ればいい。
だが、それはただ開き直って初志を枉げることに過ぎない。まだすべてが終わったわけじゃないのに、ここで折れることは……
「当然。やってみなきゃわからないし」
言ってしまった……
わたしは自分にできない事に拘るような人間じゃない。冷たいほどの割り切り、昔綺礼はそれを機械的だと言った。本来ならここは諦めて引く場面だ。
なのにわたしは自分の命を悪い手札に掛け、つまらない意地を張ってしまった。とても利口な判断とはいえない。失敗だったと思う。だが、間違っていたとは思わない。
「わかった、それじゃ道は一つだな……」
「そうね」
「そうですね」
士郎のほっと息をついたような声で、再び緊張が走った。つまりは力ずくで聖遺物の所有権を決めるしかないと言うことだ。わたしとセイバー、それに代行者がそれぞれ身構え、次の瞬間……
「こうするしかないな……」
「ああっ――――!」
「ああ――――っ!」
揃って士郎のしでかしたことに悲鳴を上げてしまった。
「ななななななっっ!」
「あんたなんてことするのよ!」
「だってどっちも引く気が無いんだろ? だったら二つに分けるしかないじゃないか」
士郎はなんと……あのマントを、聖マルティーンの聖遺物
「……君……かなりのお馬鹿さんでしょう」
驚愕から立ち直った代行者の呆れ果てたような声。わたしもそう思う。そりゃ聖遺物は欠片だって意味はあるが、わざわざ自分から二つに裂くなんて……普通考え付きもしないわよ。
「でも、これならあんたの顔も立つだろ? これで引き分けってことにしてくれないか?」
そういって士郎は切り裂かれた半分を差し出しながら代行者に近づいていく。
「もう……これって聖マルティーンのマントですよね。それをこんな風に渡されちゃ、受けざるを得ないじゃないですか」
どっと疲れたと言った顔の代行者は、そんな士郎が目の前まで近づくに任せ、子供を諭すような口調でそう言うと、士郎の手から聖遺物の片割れを受け取った。
「そうなのか?」
「ええ、これって元々が神様と半分こした品なんです」
どこか優しい瞳で士郎に応えた代行者は、一転代行者の瞳を取り戻しわたしに視線を送ってきた。
「わたしはこれで任務完了と判断します。そちらはどうですか? もし全部ほしいと言うなら相手になりますが?」
「いいえ、こっちもこれで十分よ。まだ死にたくないし」
いい判断です、代行者はそう言って微笑むと無造作にわたし達に背を向け歩き出した。
「ああ、そうそう。お名前だけでも聞いておきましょう。英霊さんはセイバーさんでしたね?」
その無造作ぶりに腹が立つやら安堵するやらで、ほっと力を抜いてその後姿を見送っていると、ふと代行者の足が止まりわたし達に振り返った。
「遠坂凛よ」
もう敵対関係には無い以上、名乗っても問題は無いだろう。わたしは素直に名前を告げた。そして士郎も、
「衛宮士郎だ。あっと、それからそっちの名前も教えてもらえないか?」
あ、馬鹿……
「呆れた。君は、わたしが誰かも知らずにあんなことしたんですか?」
「わ、悪かったのか?」
「悪かったのかじゃないです。もう、わたし以外の埋葬機関員にあんなことしてみなさい、その場でずんばらりんなんですから」
そのまま、まるで子供でも叱り付ける様に士郎を睨む代行者。まったく、本当にこいつは凄いんだかただの間抜けなんだかわからない。
「シエルです。ただのシエル」
「シエルさんか、その……済まなかった」
「それじゃあ、これからは気をつけるんですよ、士郎くん」
そして今度こそ、本当に代行者は去って行った。
「それじゃ、わたし達も帰りましょう」
「ああ」
なんとかなった……
わたしは士郎から聖マルティーンのマントの片割れを受け取り、小さく息をついた。生きた心地がしなかった。寿命が何年が縮む思いだっただ。特にこいつのせいで。
「な、なにさ?」
わたしはセイバーと共に士郎をひと睨みしてもう一度小さく溜息をつくと、この場を立ち去ることにした。
尤も、わたし達がこの島を後にしたのは翌朝だった。
なぜ翌朝になったかと言うと、屍霊術者
「些か困った問題が起こった」
「はい?」
そして、ここは時計塔隠秘学教授室。
クーレンゼ教授に聖マルティーンのマントを届けに来たわたしは、開口一番教授からおかしなことを言われた。確かに半分だが聖遺物きちんと持って返ってきた、フランス魔術院の人間だろう屍霊術者の遺体だってちゃんと処理してきたし、聖堂教会とも話はついていたはず。何だって言うのだろう?
「トゥールから紛失していた聖マルティーンの聖骸布が発見されたとの報告が入ったのだ」
「あの……マントでなく、聖骸布ですか?」
「そうだ。君にも縁が無いわけではない。日本の冬木教会にあったそうだ」
へ?
余りに意外な名前にわたしは言葉を失った。
教授の話によると、どうやら昔、言峰が世界中をほっつき歩いていたときに、フランスからがめて来た品だったらしい。それを、フランスからの調査依頼を受けた今の神父様が、確かおかしな品物がだいぶあった筈だと倉庫をひっくり返したら出てきたと言うことらしいのだが。
「あの、それじゃ、このマントは?」
「まったくの新発見と言うことになる。聖マルティーンのマントは既に存在するからこれは主が受けた品ということになるな」
うわぁ……すんごい品物じゃない。
「とはいえ聖堂教会の認定を受けたわけではない。拠って純粋な聖遺物で無い以上国教会に納めるわけにも行かない」
だから困った問題だと言うことらしい。
「では時計塔に?」
「そういうことになるがこの品は国教会に納めると言うことで聖堂教会に伝えてある」
つまり時計塔にあると何かと面倒だと言っているのだ。
「とはいえどこかに保管せねばならない。幸い君は末席とはいえ時計塔の教官だ」
そのまま教授はマントに手を触れもせずじっとわたしの顔を見上げてくる。
……つまり、面倒だし曰くや柵
「貸しですよね?」
わたしは腹を括って、教授に差し出したマントを再び手に取った。
「助かる。帳簿上は時計塔の所蔵として載せて置くが書類の操作で貸借先はうまく操作しておく。紛失さえしなければどう使おうが問題は無い」
そこまで言うと、教授は何事も無かったかのように書類仕事に戻った。
「それでは失礼します」
何かえらく面倒なものを押し付けられた気もするけど。聖マルティーンの聖遺物か、やっぱりこれだけの品を手に取ると魔術師として、興味もわくしふつふつと意欲も燃えてくる。そりゃ四分の一だから外套は無理でも……
わたしはそんなことを考えながら教授の部屋を後にした。
「入りたまえ」
凛が部屋を後にしたのを確認して。クーレンゼはもう一人の来訪者を部屋に招きいれた。
「俺のことで遠坂を巻き込まないで欲しい」
開口一番。来訪者は前置きも挨拶もなしで単刀直入に言ってきた。
魔術師としてはどうかと思うが、若者らしい物言いだ。クーレンゼは書類を脇に置き、来訪者、己の学生である衛宮士郎に向かい合った。
「まず君の思い違いを正したい」
「なにを……」
「巻き込むと言うことならば君は彼女の弟子になった時点で巻き込んでいるのだ」
一瞬息を呑んだ衛宮士郎に、クーレンゼは言葉を継いだ。
「魔術師の師弟とは普通の学校の師弟とは違う。弟子と言うものが己の魔術と言う道の後代を託す存在である以上いわば自己の延長に等しい」
「俺は別に……」
「君はそうだろうだがミス遠坂は完璧なまでに魔術師だ。魔術師として弟子にとると言った以上彼女の意思はわたしの認識と違いは無い」
言葉に詰まった衛宮士郎を、クーレンゼは一瞬だけ貫かんばかりの視線で見据えた。
「喩え君が違う枝を選び違う葉を繁らせようともだ」
「わかった、これからは気をつける。でも、それでも俺のことは俺に言って欲しい」
だが、衛宮士郎はそんなクーレンゼの視線にひるむことなく言い返してきた。クーレンゼは表情を変えず心の中で苦笑した。たいした頑固者だ、ただクーレンゼが伝えたいと思った忠告は伝わったようだ。
「了解した私も君の学力に見合った対処をしよう」
「うっ……」
それでもまだまだ雛っ子。まずは自分を鍛えてから物を言え。それがクーレンゼの返事だった。
「それでは授業を始めよう。今回のテーマについてだが君のレポートには些か問題点が多い」
ものの見事に切り返され、どこか煙に巻かれたように対面授業に突入いていく中、衛宮士郎はクーレンゼの“忠告”を噛み締めていた。結局、自分は自分のことしか見えていなかったって事か。
遠坂凛と知り合って、彼女と付き合い、彼女と同じ人生を歩む。その中で、彼女を道標に進もうと言う思いは変わっていない。
ただ、共に歩むと言うことが、同じものを同じように背負って歩むと言う意味ならば、自分はたぶん考え違いをしていたのだろう。
自分は遠坂凛を背負う覚悟はある、遠坂凛だって衛宮士郎を背負う覚悟はあるだろう。だが、自分は遠坂凛に背負われる覚悟があっただろうか?
衛宮士郎は、クーレンゼの鋭い指摘に四苦八苦して答えながら、心で溜息をついた。
これは、自分の命を懸ける事や人の命を預かる事よりも、衛宮士郎にとっては遥かに厳しい事だ。何せ空っぽ、自分で自分の重さがわからない以上、人がその自分を背負うのがどれだけの事かなんてわからない。
だが、わかるようにしなければいけない。それがわかることで、自分はまた間違えずに進む道標を手に入れる事が出来る。
そして、それが遠坂に迷惑をかけないことにも繋がる。共に笑って歩んでいけることに繋がる。それは間違いない事のように思えた。
こうして、衛宮士郎は、また一つ欠けていたものを手に入れた。
END
ドジっ子の理由は、やっぱり士郎くんでしたなお話。
諦めの良い凛ですが、士郎の事は凛にとって決して諦める事の出来ない事でしょう。
そして、一緒に生きると言う事は背負うだけでなく背負われる事、士郎くんが最も苦手な事でもあります。
二人が一緒に生きる事は二人を二人して変えて行く事でもあります。この二人なら、きっと良い方にお変わって行ってくれるでしょう。
By dain
2005/3/30 初稿