ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト嬢。
この金色の髪と蒼い瞳をお持ちの秀麗優美にして才気活発なお嬢様は、名門の魔術師であると同時に北欧はフィンランドにおける名家のお姫様でもあらせられる。
故にとってもお金持ち。
どのくらい金持ちであるかと言うと……

「シュフラン、気に入りました。こちらの家を購入しておくように」

「畏まりました。お嬢様」

ウィンドウショッピングで、ぽんとお屋敷を一軒買って来てしまう位のお金持ちである。
遠坂が聞いたら、きっとあの可愛らしい唇を歪めてその金持ちっぷりに呆れ返る事だろう。

「屋敷一軒衝動買いした? あんたなに考えてるのよ」

ほら、思いっきり口の端を歪めて吐き捨てるように仰っております。

「別にたいした買い物ではありませんわ。いつも実験で使う宝石より、ほんのちょっとだけお高いだけでしたもの」

そんな遠坂に対してルヴィア嬢は、本当に何でもないことのように応えると、無邪気と言って良いほどの朗らかさでにっこりと微笑まれている。
そこには一片の見栄も自慢も無い。本気で当たり前の事を、当たり前に言っているだけの顔なのだ。これには俺たちも呆れるよりも、感心してしまった。
いやあ、本当に金持ちってのはいるんだなぁ……





きんのけもの
「金色の魔王」  −Rubyaselitta− 第十一話 前編
Lucifer





三月も半ばになると、倫敦にも漸く春らしい日々が訪れるようになる。
この日も久々の晴天。そんなわけでこの日は今年初めて、エーデルフェルト邸の庭に出てのお茶会が開かれることになった。
……んだが、さらりとお金持ちっぷりを披露されたルヴィア嬢に、お呼ばれしている遠坂やセイバーはちょっと引き気味だ。俺と一緒に今日は給仕に回っている桜だって目をむいてる。

「でも、そんな風に言えるのはルヴィアさんだけだぞ」

だから俺は、お茶のお代わりを差し出しながら、一言忠告をしておくことにした。
ルヴィア嬢が、本物のお金持ちって言うのは確かだが、時には本当のことは嫌味にもなる。つまりその、持てない者の気持ちってもんをだな……

「そうでも無くてよ? これだけの家が三十万ポンドしないんですもの」

だってのに、ルヴィア嬢のお返事は早速これだ。ちょっとくらっと来た、日本円で六千万か……それをさらっと安いって言うのは……

「あ、本当。それは安いわね」

……どうやら、本当に庶民なのは俺だけらしい。金額を聞いた途端、俄然目の色を変えだした遠坂さん。おおい、遠坂。借金してでもなんて間違っても口にするんじゃない。ほら、セイバーが目を剥いてるぞ。

「べ、別に無駄使いじゃないわよ、いい投資物件だと……」

「ですがこの値段は異常です。ルヴィアゼリッタ、何か曰くつきの物件なのでしょうか? そうでも無ければこの値段は些かおかしい」

そんな言い訳をする遠坂に、ここまで安いと投資には使えません、とぴしゃりと言いながら、セイバーが訝しげにルヴィア嬢に問いかけた。

「時計塔のリストではEマイナスでしたから、其方については然程さほどではありませんでしたわ」

「そうね、この街で百年物の建物だった、普通そのくらいになっちゃってるし」

つまり霊的には感覚の鋭い人が、もしかしたらここにもう一人誰か居ないかと感じる程度という事だ。まぁ三軒に一軒は幽霊の同居人が居るというこの倫敦では、この程度の姿も見えないような霊格なら曰くと言うほどものじゃない。

「ですが、それにしては十年空き家というのは普通ではありませんね」

「理由はありますわ」

それでもそんな美味い話があるわけが無いと、なおも食い下がるセイバーに、ルヴィア嬢はお茶を口にしながら苦笑した。

「屋敷の造りがちょっと特殊ですの、普通の英国人は余り住む気にならないと思いますわ」

尤も、わたくしが気に入った理由はそれなんですけれどと、ルヴィア嬢は少しばかり悪戯っぽく付け加えて、俺たちの顔を見渡した。
ちょっと気になる表情ではあるが、これは何かを企むって言うより、玩具を見せびらかしたがってる子供の表情だ。ルヴィア嬢は時々洒落にならないこと仕出かしたりするが、これならそう大した事にはならないだろう。……多分。

「どういうこと?」

「見ていただければわかりますわ。来週泊りがけで手入れをする予定ですの、それが終わったらご招待しますわね」

若干警戒含みではてと首を傾げる俺たちに、ルヴィア嬢はやっぱりどこか含みのある表情を浮かべながら微笑みかけて来た。

「ああ、シュフランさんが言っていた、外でのお仕事ってこの事だったんですね」

それを聞いて納得したようにうなずく桜。あれ、でも。

「来週はこっちのお屋敷も春に向けて模様替えだろ? シュフランさん大丈夫なのか?」

その為だろう、俺もスケジュールを押さえられている。ここはなんと言っても魔術師の家、人手は元々少ないし、その中でも男手は特に限られている。

「ええ、大丈夫ですわ。あちらにはシェロを伴いますもの」

だってのにルヴィア嬢は、本当に何でもないことのように応えると、無邪気と言って良いほどの朗らかさでにっこりと微笑まれている。

「き、聞いてないぞ?」

「今言いましたわ。ちゃんと来週のスケジュールには入っているでしょう?」

って、あのスケジュールはその為だったのか? まったく何も聞いてなかったぞ、桜は根回しがあって俺はなしか? なんか納得できないなぁ。

「ちょっと待って、士郎も泊まるわけ?」

と、ここでもう一人。俺同様に納得できないって顔の遠坂さんが、ルヴィア嬢を睨みつけながら口を挟んできた。

「当然ですわ。シェロは当家の郎党、ちゃんとわたくしを守って頂かないと」

「何が守ってよ、あんた達に任せたら士郎の方が危ないわよ。わたしも士郎の師として同伴するわ。セイバー、あんたも良いわね?」

「私は宜しいのですが……」

そのまま身を乗り出すように言い放つ遠坂に、セイバーはちらりとルヴィア嬢を伺うような視線を向ける。まぁ、確かに、遠坂がいくら勢い込んだってルヴィア嬢がそう簡単に……

「まぁ、宜しいですわ。人手は大いに越した事ありませんもの」

……にっこりと笑って快諾された。

「それでは来週。お待ちしていますわミストオサカ」

「こちらこそ、楽しみにしていますわ。レディルヴィアゼリッタ」

意気込む遠坂に対して、どこか余裕のあるルヴィア嬢の笑み。その余裕が少しばかり気にはなったが、屋敷の掃除くらいでそう大事にはならないだろう。
ともかく、この日はこうして若干の波乱はあったものの、無事お茶会を終わらす事が出来た。平和が一番。頼むから来週も平和に過ごさせてくれよな。




「成程、このような理由だったのですか」

「そうですね、これじゃ買い手も借り手も中々つかないですね」

そして翌週。倫敦郊外にあるその問題のお屋敷の前で、セイバーと桜が納得したように頷いている。

「ええ、ですけれど、日本でシェロの家を見せて頂いて以来、わたくしもこんな家が欲しいと思っていたんですのよ」

「しかし、よくこんな家見つけたなぁ」

ほとほと感心した。門構えや庭はどこにでもある英国風のお屋敷なのだが、その建物自体は蔵まで付いている立派な書院造りの武家屋敷なのだ。

「それは別にいいんだけど……」

と皆で感心していた所で、一人だけどこか憮然とした表情の遠坂が声を掛けてきた。

「どうしたんですか、姉さん」

「そうだな、お前今朝からなに剥れてんだ?」

「うっ、そう落ち着いて問い返されると困るんだけど……」

今朝ルヴィア嬢の家に集まってここに来るまで、遠坂はずっとこんな調子だ。俺は桜と顔を見合わせて尋ねてみた。本当にどうしたんだ。

「その、何でわたしまでメイドの格好かなって……お、おかしくない?」

何だ、そんな事悩んでたのか。

「そりゃ、屋敷の手入れなんだから、作業着で来るのは当たり前だろ?」

「そうですよ、姉さん」

元々がその為この屋敷に来たんだしな。俺はお揃いのお仕着せに身を包んだ、遠坂、桜、セイバーを順番に見渡しながら頷いた。ほら見ろ遠坂、セイバーだってメイドの格好なんだぞ。

「ちゃんとお給金も出してましてよ? いまさら何を仰っているんですの?」

更にエプロンドレス姿のルヴィア嬢が、どこか嬉しげに付け加える。
と、それを聞いた途端、遠坂の顔つきが変わった。

「ちょっと待ってよ……わたし聞いてないわよ。何時そんなこと決まったのよ!」

「先週、帰る時にセイバーがシュフランさんに詳しく話し聞いてたぞ。お仕着せの採寸まで済ませて」

何故か激昂する遠坂に、俺は先週ルヴィア嬢の屋敷での出来事を説明した。ちょっと待て、てことはセイバー、お前……

「だからそんな話聞いて無いの! セイバー! どうも妙に落ち着いてるからおかしいと思ってたら……」

「その……話を聞くにかなり良い日当が出るということでしたので、それなら凛もと……あ、凛は既に作業着もあると聞いたものですから」

さっきから微妙に遠坂と視線を合わさずに黙ってるから、俺もちょっとおかしいなとは思ってたんだが。セイバー、お前自分のマスターを売ってたのか……

「あら? 今日は、元々そういう話ならという事でお呼びしたんですのよ?」

「冗談。セイバー! 一体いくらでわたし売った!」

しれっと微笑むルヴィア嬢を、ひとつがぁーっと睨みつけセイバーに迫る遠坂。そりゃ怒るよな。

「それがその……」

「うっ……それマジ?」

「はい……」

だが、こそっとセイバーが耳打ちした途端、遠坂の顔色が再度変わった。

「ミストオサカ。どうなさるの? 別に今ここでお給金を突っ返して帰っていただいても結構ですのよ?」

「くっ……か、金持ちめ……」

結局、勝ち誇ったよう嫣然と微笑むルヴィア嬢を口惜しそう見据えながらも、遠坂はがっくりと肩を落として、小さくお世話になりますと頭を下げた。

「それじゃあ、さっさと始めよう。結構広いからな掃除だけでも一仕事だぞ」

俺は肩を震わしながらみんな貧乏が悪いのよ、なんて呟いている遠坂を宥めながら皆に声をかけた。でもな、遠坂。うちはそれほど貧乏ってわけじゃないと思うぞ、単に使い方が荒いだけで。

「ですわね、サクラ、リン、セイバー。参りますわよ?」

「姉さん、今日はわたしが先輩ですね」

「なに言ってるのよ、ルヴィアん家のメイドならわたしのほうが先にやってるわよ」

スキップするほど軽い足取りで歩むルヴィア嬢の後に続いて、俺は姦しくもにぎやかな遠坂姉妹と共に屋敷に向かって歩き出した。
そして最後尾には、凛に伝えたら臨時収入が、なんて小声で愚痴っているセイバーが続く。セイバー、気持ちはわかるけど、やっぱり黙ってってのは拙いぞ。後でちゃんと遠坂に謝っとけよ。




「なんだ、意外と片付いてるじゃない」

「それは十年人が住まなかったと言っても正規の物件ですもの、掃除くらいはされていますわ」

こうして、どたばたとしながら入っていった武家屋敷だったが、雨戸を全部はずし風を通してみると、中々風情のある建物だった。百年物の建材もまだまだしっかりしたもので、構造にも無理が無く、日差しの入りも風通しも良い住み心地のよさそうな家だ。
なんでもこの屋敷は、明治に始めに倫敦に赴任してきた日本の外交官が、私邸として建てたものだと言う事で、この屋敷で客死したその外交官が、屋敷を日本大使館に寄贈し、戦前までは大使館が職員の公邸として使っていたのだと言う。その後、戦中に接収され英国人の所有となり、戦後は日本の企業や役所が借り受けて駐在員などの宿舎に使っていたらしい。それが近年は倫敦で純日本家屋は住みにくいと言う事で借り手もつかなくなり、空き家のままルヴィア嬢の手に収まったと言う事なのだそうだ。

「良い家だ。これなら障子や畳は、張り替えなくて大丈夫そうだな」

確かに人が住んでいる気配は無いものの、年に一度くらいはきちんと手入れをされている。ここにはそう思わせる空気があった。

「ええ、初めて中を見せて頂いた時はちょっと驚きましたわ。紙と木と草の家というものは、結構長持ちするものですのね」

「そういうものなの? わたしちょっと日本家屋ってわかんないんだけど」

「わたしも、ずっと洋館でしたから」

ルヴィア嬢の言葉に、遠坂も桜もどうなのよと俺に顔を向ける。お前ら、日本人がこれだけ居て、わかるのは俺だけかよ……

「いや、普通はこんなに持たない。人が住んでないって事だから、よっぽど場所がいいんだな」

日本家屋だからブラウニーが住んでるって事は無いだろうが、よく持ったものだ、地脈がいいのかな?

「さて、それでは清掃の段取りを説明します。皆さん集まってください」

と、思わず座敷で畳の感触を楽しんでいた俺たちに、一人仁王立ちしていたセイバーの声がかかって来た。なんでも、シュフランさんから差配を任されたと言う事らしい。
まぁ確かに、片付けの音頭取りをルヴィア嬢や遠坂に任すわけにはいかないし、俺や桜じゃ押し出しが利かない。セイバーが適任だろう。ナイスだシュフランさん。

「厨房用の道具が既に届いているとの事ですので、まずシロウと桜で厨房周りを、それが終わったら庭に回ってください。凛とルヴィアゼリッタは私と共に、座敷周りの掃除を。宜しいですね?」

そう言いながら、セイバーは遠坂とルヴィア嬢に箒とバケツを手渡した。

「ちょっとお待ちになって? わたくしも? 主ですのよ?」

それに、遠坂と並んで掃除用具を渡されたルヴィア嬢が、暫しきょとんとした後、膨れっ面でセイバーに食って掛かる。

「それについてはシュフラン殿より伺っております」

だが、セイバーはにっこり笑ってそんなルヴィア嬢を、やんわりと嗜めた。

「ルヴィアゼリッタは、些か片付けるという行為に難があるとの事。この際ですから一度きっちりと仕込んでほしいと、申し付けられております。さぁ、道具を取っていただきたい」

「わ、わたくし、そんなに不器用ではありませんのよ」

「なら問題ないでしょう。そのように、ちゃんと仕事着にも着替えて着ておられる様子、何の問題がありますか?」

明らかにファッション優先だが、確かにルヴィア嬢の服装はエプロンドレス、いわば仕事着だ。結局、ぶつぶつ言いながらも掃除用具を手に取らされてしまった。

「まぁ、お嬢様とご一緒なんて光栄の至りですわ。せいぜい邪魔だけはしないで下さいましね」

それを遠坂が嫌みったらしく混ぜっ返す。でもな、遠坂。お方付けに不自由なのはお前も一緒だろ? 直ぐぼろが出て反撃されるぞ。

「それじゃあ、俺たちも仕事に入ろうか」

「そうですね、先輩」

自分のことを棚にあげて鼻で笑う遠坂を、覚えてらっしゃいと睨み返すルヴィア嬢と、そんな二人を先が思いやられると溜息交じりに見据えるセイバーを残し、俺と桜は一緒に厨房の片付けへと向かった。

「流石にここは純和風じゃないんだな」

「ガスも水道もちゃんとしてますね」

土間と竈だったらどうしようかと思ったが、別棟になっている厨房は近代的なキッチンに建て替えられていた。そういや座敷も一応電気も通ってたし、流石にまんまってわけじゃないらしい。

「よし、さっさと道具と食材を片付けて、昼飯の用意をしちまおう」

「そうですね、向こうが大変そうですし……」

これならそう時間はかからない、母屋から聞こえてくる怒声と悲鳴の交響曲を聞き流しながら。俺と桜は早速厨房の片付けを始めた。

「先輩。これってお酒ですよね?」

「酒?」

手早く鍋釜をしまい、コンロやレンジの確認を済ませながら食材を冷蔵庫に突っ込み終えて、さてと一つ息をついたところで、先に飯の支度を始めていた桜が、小首をかしげながら厨房の隅を指差した。

「本当だ、何でこんなものが?」

そこにあったのは、まだま新しい沢山の日本酒だった。しかも一升瓶だけじゃない、塗りの角樽や薦被りまである。

「あ、先輩。これ日本か直送されてますよ」

「……やっぱりつい最近だな」

送り状には宛名は無く住所だけが記されていたが、それでも間違いなくこの屋敷宛に送ってこられた物なのは確かなようだ。

「なんなんでしょうね?」

「さぁ? でも、酒そのものにおかしなところは無いな。ただの酒だ」

「不思議ですね」

「そうだなぁ。ここって十年も誰も住んでなかったって話だしな……あれ?」

そんなわけで桜と二人、はてと首をかしげていたのだが、ふと顔を上げた時、俺は庭先に何かが通り過ぎる気配を感じた。

「どうしたんですか、先輩」

なんだろうと思い、そちらの様子を伺っていると、それまで俺と顔を合わせていた桜が、不思議そうに話し掛けて来た。

「いや、今誰かそこを通らなかったか?」

「わたしは気がつきませんでしたけど、姉さんたちじゃないですか?」

どうやら桜は何も感じなかったようだ。言われてみればと耳を澄ますと、ひと段落着いたのだろうか、既に母屋のほうからの喧騒も聞こえなくなっていた。

「ちょっと様子を見てくる。桜も気をつけていてくれ」

「わかりました。それじゃ、あわたしがお昼を作っておきますね」

先輩も気をつけてくださいねとの桜の声に送られて、俺は勝手口を出て庭から母屋を見回る事にした。母屋が静か過ぎるのも気になるし、それに何より、俺が感じた気配は遠坂達の物ではなかったのだ。




「……気のせいだったかな……」

厨房から母屋にかけての周囲を一当たり見回ってみたものの、結局怪しい人影は見当たらなかった。一瞬幽霊かもと言う思いもよぎったが、ここの霊格はEマイナス。それでは姿を持った幽霊なんか居るわけもなし、何かの勘違いだったのだろうと、俺は厨房に戻ろうと踵を返した。

「あれ?」

と、そこでまた庭のほうにふらりと歩む人影が視界を掠めた。

「やっぱり誰か居たのか……」

すぐに視界からは消えたが、幽霊じゃない。間違いなく人だった。俺は今度こそ見失うまいと、即座に後を追いかけた。

「あら? シェロ。こんなところでどうなさったの?」

「それはこっちの科白だぞ、ルヴィアさん」

結局、庭の外れで漸く追いついた人影は、何の事は無いルヴィア嬢だった。
とはいえ、ルヴィア嬢は確か、セイバー指揮下で母屋の掃除の最中だったんじゃないか?

「その……セイバーに怒られてしまいましたの……」

そう思って問いただしてみると、ルヴィア嬢は微かに頬を染め囁くような声で返事をしてくれた。

「怒られたって、なにしたんだ?」

「マットレスを洗おうとしたんですのよ、そうしたらセイバーったら“畳はブラシと石鹸で洗うものではありません!”なんてすごい剣幕で」

なもんで聞いてみたら、ルヴィア嬢は酷いでしょと口を尖らしながら、とても愉快な話をしてくれた。確かにそりゃ酷い、畳をそんなことしたら使いもんにならなくなるぞ。

「それで追い出されたわけか……」

「わ、わたくしだけではありませんわ。リンも早々に追い立てられましたのよ」

なんでも遠坂は布団を干そうとしたは良いが、物干しを用意するのを忘れて、座敷いっぱい布団で埋めてしまったのだそうだ。やれやれ、だから段取りちゃんとしろっていつも言ってるだろうに……

「じゃあ、今はセイバー一人で掃除を?」

「お、母屋はそうですけれど、わたくしだってほら、ちゃんとお庭の掃除をしようと思って」

と、どこから持って来たのか竹箒を片手にぷんと胸を張っておられる。とはいえ、

「もう落ち葉の季節じゃないぞ」

どちらかと言えば、鋏や鎌で雑草や蔦を始末するほうが理にかなっているだろう。ルヴィア嬢だって、薬草園の世話とかでガーデニングは素人じゃない筈だ。つまりこれは、やる事が無いから、庭を散策していただけだ。とはいえ、それを箒片手なんて言い訳がましい事をするなんて、

「らしくないぞ、拗ねるなんて」

「どうしてシェロは、そういう事をわざわざ穿り返すんですの?」

図星だったらしい。ルヴィア嬢は益々拗ねたように口を尖らせて、俺を恨みがましく上目遣いで見上げてくる。

「従者の務めさ。それにルヴィアさんの場合、ここで俺に“お茶でも入れてくださる”とか言ってのんびり庭を眺めているほうがらしいぞ」

「わたくし、そこまで無神経ではありませんわ……」

そうは言っても、今の自分にはそれくらいしかやる事が無いのはわかっているようだ。膨れながらも、ルヴィア嬢は手持ち無沙汰に箒を持ったまま、庭先をゆっくりと歩みだした。桜やセイバーには悪いと思ったが、俺はそんなルヴィア嬢に、しばらく付き合って一緒に散策を続ける事にした。


「へぇ……」

そのまま暫く、ルヴィア嬢と一緒に庭に植えられている木や花壇の様子を見回っていると、庭の外れ立つに一本のかなり歳を経た、中々の風格を漂わせている老木に出くわした。

「染井吉野じゃないか。珍しいな」

ちょっと驚いた。まだ芽も出ていないその老木は、日本の桜、染井吉野だったのだ。

「ソメイヨシノ?」

「ああ、日本の桜だ。こっちの桜と違って綿菓子みたいに一斉に咲いて、そいつがまたまるで雪が降るみたいに一斉に散る花なんだ」

ルヴィア嬢の不思議そうな声に応えながら、俺はその立ち木を懐かしげに見上げていた。
北欧育ちのルヴィア嬢にはわかり難い事だろうが、日本の桜と倫敦の桜はかなり違った咲き方をする。倫敦の桜は日本の桜のように一斉に咲いて散るような桜ではなく、二月から五月ごろまで、ゆっくりじっくりと段々と花をつけ、更にちょっとやそっとの風や雨位では散らないようなタフな桜ばかりなのだ。

「でも、まだ芽もでてませわ」

「そうだな。けど、ちゃんと生きてはいるみたいだし、ここで花見が出来ればいいな」

だから日本風の花見なんかは夢のまた夢。去年も一応花見らしき事はしたが、そんな理由で今ひとつ風情に欠けていた。

「ハナミ? 何かのお祭りですの?」

「ええと、咲いては散る桜を眺めながらの……宴会、かな?」

そういや去年は、ルヴィア嬢は誘わなかったな。
俺は小首を傾げるルヴィア嬢に日本風のお花見のことをどう説明しようかと考えながら、このどこか超然とした老木に歩み寄った。

「日本風の復活祭ですのね」

「そうだな、宗教行事って気は無いけど、これをしないと春が来たって気には成れない行事ではあるな」

俺はルヴィア嬢になんとか説明を続けながら、桜の木肌の感触を楽しんでいた。思い返せば日本での最後の花見、倫敦に来る直前のやつは壮絶だったな。藤村組と学園の卒業生一同集まってのどんちゃん騒ぎ、いつもの事だが一番はしゃいでたのは藤ねえだった。

「懐かしいのかしら?」

そんな俺の様子をしばらく黙ってみていたルヴィア嬢だったが、ふと、どこか寂しげ声音で呟くように俺に尋ねてきた。

「多少はあるかな。でも、それよりよくここまで育ったなって思ってたんだ。百年は経ってるよな」

「ええ、この屋敷を建てた最初の主が、わざわざ日本から苗を取り寄せて植えたものらしいですわ。花見は知りませんでしたけれど、日本の花ということでしたから、花が咲いたらここでお茶会を開こうと思っていましたの」

この屋敷が気に入った理由には、その事もありましたのよ、と今度は何の憂いも無い笑みでにっこりと微笑いかけてくれた。

「成程、そりゃ楽しみだ。でも」

それだったら、何でさっきあんなに寂しそうだったんだ? 俺はそんな事を尋ねてみた。

「シェロはどうしてそんな所だけ目聡いんですの?」

途端、それまでの穏やかでたおやかな雰囲気は一変し、ルヴィア嬢は半眼になって俺を睨めつけてきた。

「ふと気がついてしまったんですわ。この桜はこれからもずっとこの異郷の地で過ごすでしょうけれど、わたくし達はいずれこの地を去るんだなって」

だが小さく溜息をつくと、ルヴィア嬢は表情を穏やかなものに改めて、俺の問いに応えてくれた。同じ異郷から来たもので、残るものと去るものが居る。この桜からそのことを連想して、少しばかり寂寥感を覚えてしまったという事らしい。

「ああ、そうか……」

そう言われて改めて思い至った。この倫敦は俺たちにとって修行の場、仮初めの土地だ。ここで技を磨き力を付け、故郷に帰り新たな、そしてたぶん生涯掛けての目標を追い求め続ける日々が来る。
そんな事を考えていたら、俺もルヴィア嬢同様に不思議な寂寥感に襲われた。俺はその時、一体どんな思いでこの日々の事を思い返すんだろうか……

「シェロも、リンが修学し終えたら日本に帰るんでしょう?」

「そうだな、元々俺は時計塔がくいんに入る為に来たわけじゃないからな」

すっかり時計塔に馴染んでは居たが、俺がここに来たのは遠坂が居たからだ。おかげで随分と色々な経験もしたし色々な人たちにも知り合えた。だが、俺の目的が魔術師になることでない以上、俺はここでは遠坂以上に仮初めの客に過ぎない。

「ルヴィアさんはどうなんだ? ルヴィアさんくらいなら時計塔に残って研究を続ければ、教授にだってなれるだろ?」

「シェロ、それならリンも同じですわ」

「いや、でもあいつは日本に管理地があるし……」

「わたくしも一緒です。故郷には務めるべき責務を残してきていますわ。まぁ、サクラを残しては帰れませんから、導師マスターコースには進むかもしれませんけれど」

そう言うと、今度わたくしの故郷にもご招待しますわと、ルヴィア嬢は軽やかに微笑みかけてくれた。
考えてみればルヴィア嬢くらいの名門なら、当然地元の霊脈の管理を行っていても不思議ではないか。そうするとやっぱりルヴィア嬢も仮初めの客なんだな。

「あれ、じゃあお屋敷もこの家も帰る時には売っちまうのか」

ここはともかく、エーデルフェルトのお屋敷は何か愛着も沸いていた。あれが人手に渡るのは寂しいなぁ。

「どうしてですの? 倫敦に家が一軒くらいあっても宜しいじゃありませんの」

と思ったんだが、わざわざ倫敦に来るたびにホテルをとるなんて面倒ですもの、と不思議そうに聞き返されてしまった。
はははは、お金持ちは違うな。俺からしたら、時々しか来ない街にホテル代わりの家を維持しようって方が、よっぽど面倒だぞ。

「でも、こちらの家についてはちょっと考えますわね。和風の家なんてシェロ達が居なくなってしまえば用はありませんもの」

つまりルヴィアお嬢様は、この家を俺たちに見せて驚かすためだけに買ったんですか?
はははは、やっぱりお金持ちは違うなぁ……

「あれ?」

と、がっくりと力が抜けて老木に手を付いたところで、俺は木肌の隙間に隠れるように刻まれた妙な傷に気がついた。

「何かしら? ずいぶん古そうな傷ですわね」

俺の声に誘われたようにやってきたルヴィア嬢と一緒に、その場所をよくよく覗き込んで見ると、なにやら文字のようなものが刻まれていた。

「ああ、こりゃ日本語だ」

「何と書いてありますの、アラビヤ文字みたいですわね……」

しかもかなり達筆、これじゃルヴィア嬢は読めないだろう。墨で書いた上から彫ったのかな?

「和歌みたいだな、ええと……『東風吹かば にほひおこせよ唐桜 主なしとて春をわするな』……」

「? どういう意味ですの?」

「ええと、確か東風が吹いたら、自分がいなくとも春を忘れずに、花の香りを送ってくれって意味だったと思う。西に左遷された昔の大臣が読んだ歌だったかな」

確か菅原道真だ。尤もあっちは梅だったと思ったけど。

「日本に帰るときにでも彫ったのかな?」

でもちょっと変か、日本なら東風じゃ遠回りだ。大洋二つと新大陸越えてかなきゃならない。

「そうでもありませんわよ」

と首を捻っていたら、ルヴィア嬢がどこか納得したような瞳で、西に視線を向けながら口を開いた。

「確か東洋では死者の魂は西に向かうんですたわね? でしたら東風で正しいですわ。この家の最初の主はこの屋敷で客死したんですもの」

ああ、そういうことか。
それなら納得できる。この桜が咲いて春を告げるべき主人は、西の常世に居る。物理的には地球は丸いが、神秘の概念では西はあくまで西であり、東は東だ。

「ならきっと咲くな」

“主なしとて春をわするな”
わざわざ倫敦に、こんな立派な武家屋敷を立てるような主だ、よほど故郷を愛した頑固者だったのだろう。そんな人に植えられ、歌を託されたのだ。この桜は、きっと今までもずっと春を送り続けて来たに違いない。
和歌は言霊。唯のおまじないでも、百年も続けていけば、それは立派な呪にまで昇華する。俺は、これまで百年以上ずっと主に春を送り続けてきただろう老木に、そっと手を添えた。

「あ、士郎。こんなとこに居た。桜が探してたわよ、お昼で来たって。何してたの?」

と、そんな感慨に浸っていたら、母屋のほうから探したのよと遠坂がやって来た。

「……ルヴィアと一緒に……」

で、ルヴィア嬢と一緒なのを目に留め、途端半眼になって俺を見据えてくる。

「いや、なにって別に……」

「ええ、シェロとわたくし達の将来について語り合っていただけですわ」

何を話していたわけじゃないぞ、と言おうとしたところで。にっこりと綺麗に微笑むルヴィア嬢が、とんでもない言葉を被せてきた。

「嘘おっしゃい。士郎がそんな話をあんたとするわけ無いでしょ!」

「あら? 嘘じゃなくてよ。ねえ、シェロ」

「あ、いや、その……」

確かに嘘じゃない。嘘じゃないけどそれって絶対誤解を誘うぞ、って言うよりルヴィアさん、それ絶対に誤解狙ってるだろ。遠坂! お前もお前だ、こんな見え透いた挑発に乗るな! 涙目でガンド用意するんじゃない!

「きゃ!」

「やっ!」

ころころと機嫌よく笑うルヴィア嬢と、低い唸り声を上げて迫る遠坂。そんな二人に挟まれ、どうしたものかと頭を抱えていたところに、いきなり一陣の旋風が吹き抜けた。

「春一番? 倫敦でもあったっけ?」

「そんなもの無いわよ、でもそんな感じね」

「ハルイチバン? 何の事ですの?」

おかげさまで、微妙に剣呑な雰囲気も綺麗さっぱり吹き払われた。
俺はこのいきなり吹いてきた東風に感謝しつつ、遠坂と共にルヴィア嬢に春一番を説明しながら、昼飯の待つ母屋へと戻る事になった。


だからだろうか、この時一斉に芽吹いた蕾達を、俺たちは見逃す事になってしまった。


春うらら。
今回は、ルヴィア嬢がぽんとお買い遊ばした、倫敦にには少し場違いな武家屋敷が舞台のお話です。
そしてそこに佇み幾歳月、仮初の主たちを見送り続けてきた桜。
それでは、後編をお楽しみください。

By dain

2005/4/13 初稿
2005/11/26 改稿


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