――なじかは知らねど……

雪が降っていた。

――
心わびて……

暗い森の中に雪が降っていた。

――
むかしの伝説つたえ……

そんな寒く暗い森の中で、雪を浴びて銀色の小さな影が楽しげに躍っている。

――
そぞろ身に染む……

小さな少女だ。
きらきらと銀色の髪を靡かせ軽やかな足取りで舞い踊る、まるで雪の精霊のような少女。その傍らで、同じく銀色の髪の美しい人が優しげに微笑みながら、何か歌のような物を口の端から紡ぎだしている。

――
わびしく暮れ行く ラインの流れ……

その歌を唱和するよう口ずさみ、尚も楽しげに跳ね回る少女の動きが、ふと止まった。何かを見つけたようにぱっと笑みを広げると、“こちら”に向かって走ってくる。

――
入り日に 山々赤く映ゆる……

まるで抱き上げたかのように、視界いっぱいに広がる少女の楽しげな笑み。
その後ろから、先ほどの綺麗な人もまた“こちら”に歩み寄ってきた。
銀の髪、赤い瞳。そしてその瞳に映っているのは。

少女を抱き上げ、その女性同様に優しく微笑む切嗣おやじの姿だった。





せいぎのみかた
「最強の魔術使い」  −Emiya Family− 第十話 前編
Heroic Phantasm





「あ、あ……あああああ――――っ!」

どこか薄ぼんやりと、現実と夢幻の中で彷徨っていた俺の意識を覚醒させたのは。実に珍しいセイバーの悲鳴という奴だった。

「な、何事だ……」

俺は些かはっきりしない意識を励まし、布団から身を起こした。
誰かさんと違って寝起きの良さには自信があったのだが、このところどうもこんな朝が続いていた。睡眠時間そのものはきっちり取れているのだ、夢見が悪いというか、何故か目覚めの時におかしな疲労感が残っているのだ。そのくせ夢そのものは覚えていない。
この日も、もしセイバーの悲鳴がなかったら、もう十分ほどは鬱々と布団の中で過ごしていた事だろう。

「せいばぁぁ まだろくじまえよ? なにやってんの?」

と廊下に出ると、俺同様に未だ半分夢の中といった声音の遠坂が、不機嫌そうに文句を言いながら部屋から顔を出しているのに出くわした。

「おはよう、遠坂。相変わらずだな」

尤も、遠坂の寝起きが悪いのは俺と違っていつもの事。パジャマ姿で髪はぼさぼさだし、眩しげに眇めた目つきは恐ろしく悪い。ただ、無理やり起こされたせいで尖らせた口や、膨らんだ頬はなんとも可愛らしい。

「ううう、もう……あ、しろうおはよ……うっ!」

が、俺の挨拶に応えた途端、遠坂は真っ赤になって部屋に引っ込んでしまった。

「おはよう、士郎」

なにやってるんだかと思う間もなく、一分もしないうちに再び部屋から出てきた遠坂は、目はパッチリで髪にはきちんとブラシを通し、流石に化粧こそしていないが、きちんと着替えさえ済ませていた。

「なによ……」

「いや、別のそこまですることないだろ?」

「そういう問題じゃないの!」

なもんで、遠坂の寝起きなんて見慣れてるぞと言ったら。がぁーっとばかりに怒鳴られてしまった。よくわからないが、やっぱり寝起きの遠坂には余りかまわないでおこう。といってかまわな過ぎても怒るんだよな、女の子ってのは難しい……

「それより遠坂。今の悲鳴、セイバーだったよな?」

だが、そんな遠坂のおかげで目はすっかり目は覚めた。俺は、そのまま女心の機微について、今日こそしっかり叩き込んでくれるとばかりに迫ってくる遠坂を宥めながら、居間のほうを指差した。先ほどのセイバーの悲鳴以来、今度は物音一つしない。あんな声を上げるセイバーが珍しいだけに、これは却って不気味だ。

「そうだった。まったく、あの娘なに朝から騒いでたんだか……」

おかげでかかなくて良い恥かいちゃったじゃないと、遠坂は一つ俺を睨みつけてから、足音高く居間に向かう。俺は遠坂の矛先をセイバーにそらせてしまった事に、少しばかりの罪悪感を感じながらその後に続いた。すまん、セイバー。今度旨いもん奢ってやるから許してくれ。




「セイバー! あんた……どうしたの?」

居間に飛び込みざま怒鳴り声を上げかけた遠坂だったが、視線がセイバーに止まった途端、言葉尻が心配そうな響きに変わってしまった。

「……………………」

そこにあったのは、居間の真ん中で新聞を手に立ったまま真っ白に燃え尽きているセイバーの姿。あの聖杯戦争の最中だって、ここまで打ちひしがれたセイバーにはお目にかからなかった。一体何事だ?

「おい、一体なにがあったんだ?」

俺はそんなセイバーの肩にとまり、心配そうに旧主の顔を覗き込んでいるランスに声をかけた。

――いや、我も良くわからんのだ。王の悲鳴を聞いて駆けつけたときには既にこの状態でな。

鞘を奪われた時でさえこれほど動揺はしなかったと、ランスさえ驚いている。今もセイバーの顔の前で翼を振っているが、セイバーはまったく反応しない。なにがあったにせよ、こりゃかなりの事だな。

「おい、セイバーしっかりしろ!」

「セイバー、ちょっと。どうしちゃったのよ!?」

そんなセイバーを前に、暫く顔をあわせて呆然としてしまった俺たちだったが、流石にこうなると心配というより不安だ。慌てて駆け寄ると、声をかけながら肩を揺すったり、頬を叩いたりしてみる。うわぁ、瞳孔が開ききってるじゃないか、しっかりしろセイバー!

「……あ、りん、しろう、おはようございます……」

三人揃って必死に頑張った甲斐もあって、漸くセイバーの目の焦点があってきた。ただ、まだ幾分ぼんやりとしているようで、挨拶が棒読みだ。俺たちは一旦顔を見合わせた後、再び揃ってセイバーの顔を覗き込んだ。

「なにがあったんだ? セイバーが我を失うなんて、半端な事じゃないぞ」

「そうよ、この世の終わりみたいな悲鳴だったわ」

――うむ、我も王のあのような悲鳴はとんと覚えが無かったな。

「わたしの……ひめい……っ!」

と俺たちの顔を、きょとんとした表情で不思議そうに見ていたセイバーの顔色が、露骨なほど変わった。

「ななな、なんでもないのです。ええと、その……きょ、今日の運勢が酷く悪かったものですから」

そのまま慌てて手に持った新聞を後ろ手に隠すと、視線を逸らしながらわけのわからない事を言う。

「……」

「……」

怪しい。あからさまに怪しい。どれだけ怪しいかと言うと、遠坂が俺たちに黙って、宝石を買って来た時くらいの怪しさだ。
そんなわけで、遠坂にそうだろう? と視線で問いかけたら。詰まんない事思いださない! ……そうだけど、と同じく視線で返された。
となればやる事は、何時も遠坂が無駄遣いしたときと一緒だ。俺は遠坂と顔を合わせて頷き合うと徐に一歩前に出た。

「こら! セイバー暴れるな!」

「あ! なにをするのですシロウ! いけません! あなたには凛が!」

「ドサクサまぎれに、なに馬鹿なこと言ってるのよ……」

そのまま俺がセイバーを押さえ込み、遠坂が後ろ手に隠そうとした新聞をひったくる。

「ああ、いけません凛!」

「あんたはそこで黙ってなさい。ええと、なになに……」

やっぱり、セイバーも何か疚しい所があるようだ。英霊が本気で抵抗したらこんなもんじゃない筈なのに、文句を言いながらもあっさりと俺に取り押さえられ、遠坂に新聞を奪われた。

「別におかしな記事は無いわね……あ、やだ。これ表に漏れちゃったの?」

とはいえ、別にセイバーが意識を持っていかれるような記事は見当たらないと軽く首を傾げていた遠坂だったが、ふと、なにか気になる記事でもあったのか眉根が僅かに曇る。

「何かあったのか?」

「うん、北海でちょっと怪しい事があったのよ。昨日もそれで呼び出されてね」

なんでも英国の北東の海、北海で幾つか海難事故があり、どうもそれが何らかの神秘に関わりがあるのではないかという事で、遠坂に調査の依頼があったのだと言う。
現段階では具体的な姿は時計塔でも掴んではいないらしく、あくまで何か有るかどうかの初期調査の話だったらしい。
つまりは雑用。受けても見返りは少ないし、断ってもデメリットもない。そんなわけで便利使いは真っ平と断ってきたのだと言う。

「まったく、まだ単なるゴシップだけど。時計塔ももう少し確りしてくれなきゃ……あ、あああああああっ!」

と、文句を言いながら記事の続きをと読んでいた遠坂だったが、いきなり視線が固まってさっきのセイバー同様の悲鳴を上げだした。

「どうした、遠坂!」

俺の腕の中で、万事休すとがっくり肩を落としたセイバーから手を離し、俺は固まった遠坂に駆け寄った。

「こ、こ、こここここ……」

そんな俺に、真っ青になりながら記事を指し示す遠坂。セイバーや遠坂をここまで動揺させるってのは、並大抵の事じゃない。俺は腹に力を入れなおして新聞に目を落とした。

「“現代のセイレーン”? 人の生き死にがかかってる割には、えらく通俗的な記事だな……」

北海油田の音信普通になった採掘基地、そこに向かった連絡船の失踪。濃霧の為に調査は難航し原因は不明。近くの漁民の話では、不可思議な歌声が聞こえたとか、巨大な影が採掘基地を覆うのを見たとか、妙な噂が立っているとかいないとか。
確かに、眉を顰めたくなるような事だし、神秘に関わった事件なら注意を払わなきゃいけない事だろう。だが、哀しい事だがこういった出来事は、世界中に溢れた有り触れた事でもある。セイバーや遠坂が固まるような事ではないと思うんだが……

「そこじゃない……その下……」

「下?」

そんなわけで首をかしげていると、漸く硬直が解けた遠坂が震える指で、その下の小さな記事を指差した。

「……北海油田再開発会社破綻……」

どうやら、海難記事の付け足しのようだ。その鉱区を担当していたベンチャー企業が、この事件を前後して雲隠れしてしまったらしい。お蔭でそれまで鰻上りだった株価は、取引停止。株券、債権は事実上紙屑同然になってしまい、投資家筋は大騒ぎと言う記事だ。

「それが?」

だが、それでもわからない。そりゃ出資者だって言うならともかく、これがどうして俺たちに? ん? ……出資者?

「まて、まさかセイバー……」

凄まじく悪い予感が全身を電気のように駆け抜ける。俺は、遠坂やセイバー同様に震える声で、恐る恐る尋ねてみた。

「……そのまさかです……」

「じゅうまんぽんどがぱぁ……」

「じゅ、十万ぽんどぉ!?」

セイバーの搾り出すような応えと、遠坂の呆けたよう呟きに、俺も思わず悲鳴を上げてしまった。十万ポンド! 四半期分の助成金にも匹敵する金額だ。現時点の俺たちの蓄えの殆ど全部じゃないか!

「ななな、何でそんな無茶したんだよ! ベンチャー企業一点買いなんて、殆どルーレットだぞ!」

「そ、それが取引のある営業員の強い勧めで……油田があるとの確実な情報を掴んだからと……」

「そ、それに昨日まではすごい勢いで上がってたのよ。市場価格で三十万ポンドは下らなかったんだから!」

なんでも最初は千ポンドくらいから始めて、どんどん上がる株価に誘われるように、根こそぎ資金を投入してしまっていたらしい。

「どうするんだよ……今月の収入はルヴィアさんとこだけだぞ……」

確かに、これじゃ悲鳴が上がるわけだ。しかも間の悪い事に、ここ一月ミーナさんは出張で留守。シュトラウスの工房も開店休業で、セイバーや俺の割の良いバイトもない状態なのだ。
そりゃルヴィアさんのとこはびっくりするくらい給料は良いが、それでもあくまで召使の給料だ。生活費くらいは何とかなるが魔術の研究や実験、それに遠坂が買い込んだ宝石の払いにはとてもおっつかない。

「何とかあの営業員を捕まえて……」

「とっくに逃げてるわよ。第一あいつだって自分のお金つぎ込んでたんでしょ?」

「それは……そうなのですが……」

俺の言葉に応えも返せず頭を抱える遠坂とセイバー。こうして我が遠坂家は、春の穏やかな朝日を浴びながら、一気に財政危機に突入してしまった。




「やはり出社もしていないし自宅にもいないそうです……」

「こっちも駄目。番号はもう取り消されてるし、事務所はもぬけの殻らしいわ」

結局、取引市場が開いてからの大車輪の調査もむなしく、関係者一同は既にトンズラ済み。市場でも株の取引は完全に凍結され、俺たちの十万ポンドは泡と消えてしまったと言う事がはっきりとわかっただけだった。

「借金でないのが救いだな……」

「危ないところでした。今月は収入少かったので少しでも足しにしようと、これを担保に短期の融資を受けて増資分を買う予定だったのです」

うわぁ、そりゃ危ない。危うく財政危機どころか破綻の一歩手前じゃないか。

「それで、どうする? 割が良くて信用の置ける仕事なんてそう無いぞ?」

ともかくこのままでは生活はともかく、時計塔での研究に問題が生じる。
助成金を貰っている以上、なんらか成果を出さなければならない。つまり立ち止まってしまえば、転んだまま立ちあがれない可能性があるのだ。ああ、哀しき自転車操業……

「仕方ない。非常の手段をとるわよ」

と、ここで難しい顔をして腕組みをしていた遠坂が、瞳に追い詰められた飢狼の光を宿らせて、徐に口を開いた。

「昨日の仕事請けるから」

「昨日の仕事って……この事件の調査か?」

一瞬嫌な予感が脳裏をよぎったのだが、遠坂の口から紡ぎだされたのは俺の予想とは違ったものだった。

「でもあれは、予備調査だろ?」

とはいえ、予備調査ではたいした報酬はないはずだ。本来はこのような初動もシュトラウスが動いて、その予備調査を元に誰かを派遣するなり、時計塔の特務班が行くなりと振り分けされるものなのだ。

「そんなもんじゃ、報酬なんてスズメの涙じゃない、その先まで手を伸ばすわよ。わたし達で真相を究明して、きっちり片を付けるの。そうすれば追加報酬も出るし」

更に、事件を解決すれば、事業の再開もありうるし、油田の採掘権に値段が付いていくらかは回収できるかもしれないから、と遠坂は不屈の執念を燃やした瞳で挑むように俺たちを睨めまわした。

「成程、その手がありましたか……」

「そうよ、セイバー。まだまだ負けたわけじゃないわ。座して死を待つより討って出るよ」

「確かに、人事を尽くしてこそ天命は下るものです」

意味合いがちょっとばかり違う気もするが、確かになにも出来ないならともかく、俺たちにも出来る事があるならやるべきだろう。それに、手を差し伸べられる術があるなら、俺にも否はない。

「よし、じゃあその方針で行こう」

それに俺が予想していた事に比べたらよっぽど穏便だ。何せ、あの遠坂の顔を見た瞬間は、トンズラした関係者に呪を送って、呪いでもかけて資金を回収するのかと思ったもんな……

「あ、その手もあったわね……」

と安心したせいか、ぽろっとそれを口にした途端、遠坂がいいかもしんないと考え込みだしてしまった。頼む! やめてくれ。セイバー、お前も頷いてないで止めろ!




そこからの俺たちの行動は早かった。遠坂は即座に時計塔に向かい採掘基地調査の仕事を請け。俺とセイバーはありったけの道具を用意して、エーデルフェルト邸に向かい、グリニッジに泊めてあるドゥン・スタリオン号を借り受けて、そのまま北海に向け急行する事になったのだ。金の恨み恐るべし。
まぁルヴィア嬢からはきっちりとレンタル料は取られたが、それでも値段は格安。更に、これはシェロへの貸しですからね? とにっこり綺麗に微笑まれたのもちょっと怖かったが、有難い事に変わりはない。
そんなわけで、あっという間に船上の人になった俺たちは、到着までの時間を利用して、船のキャビンで作戦会議を開く事になった。

「じゃこの濃霧ってのは、時計塔の結界なんだな」

「そ、連絡船が消息を絶つ直前に港と交信した記録に、ちょっと妙なとこがあったの。だからこれ以上、一般人が近づかないように調査が終るまでは封鎖する意味でね」

神秘と思しき物の隔離。海の上という元々が閉鎖環境なのが幸いして、手間もかからなかったし怪しまれにくいのだと遠坂は言う。

「で、これがその記録。士郎お願い」

続いて遠坂は一枚の録音ディスクを取り出して、俺に差し出してきた。

「港との最後の交信記録よ、これから採掘基地の桟橋に船をつけるってとこで切れたらしいわ」

遠坂の簡単な説明を聞きつつ、俺はディスクをプレイヤーにセットして徐に再生をする。

「特に変わったところは無いみたいだな……」

だが、交信内容におかしなところは見受けられない。交信している船員の声音も落ち着いて、そこかしこに冗談を言うくらいの余裕さえある。

「ですが、かなり電波状況が悪いようです。妙な雑音がかなり入っています」

ただ、セイバーの言うように受信状態はかなり悪い。声は明瞭なくせに、何か低いうなりのような音がずっと続いている感じだ。波の音でもないし……なんだろう?

「それなのよ、士郎。三倍で再生してみて」

「三倍速ってことか? わかった」

首を傾げる俺たちに一つ頷いて応えた遠坂の言葉に従い、俺は録音データを最初から三倍速で再生してみる事にした。

「――え?」

「……成程」

「こういうわけよ」

意味が取れないほど高い早口に変化していった交信記録を背景に、スピーカーから零れだしたのは、どこか寂しく、それでいて澄んだ音色だった。

――Ich weiss nicht, was soll es bedeuten、 Das ich so ……

「……ローレライ?」

「そ、ハイネの詩よ。時計塔の鑑定では、十代から三十代までの人型乙種女性の喉から発生されたものだと言う事よ」

「では、これは本物のローレライというわけではありませんね」

「何であるにせよ、いにしえの神秘だとは思えないわね。時計塔の見解では、どこかの馬鹿が馬鹿をやったか、馬鹿を仕挫って漏れ出したかどっちかだろうって事。勿論、神秘以外の方法で誰かが、何らかの目的で神秘を装っているって言うのもあるけど」

遠坂やセイバーの言うとおり、古の神秘が十九世紀の歌を奏でるわけがない。神秘にしろ、神秘以外の科学的な理由があるにしろ、こいつは最近の、或いは今現在の誰かの手による事件だ。

「そうか、つまり犯人が居る可能性があるわけか」

「そういうこと、わたし達の手でとっ捕まえて、きっちり損害賠償してもらうわよ」

成程、遠坂が俺たちの手で解決しようって理由はそれか。確かに、時計塔に任せていたら神秘だとわかった時点で、採掘基地ごと消してしまって全部無かった事にされかねない。そうなれば、謎は謎のまま闇から闇に葬られる事になる。当然、俺たちが失った十万ポンドもその闇の向こうに消えてなくなっちまう。

「それに、士郎だってそっちのほうがいいでしょ?」

続いて、どこか伺うような視線で言う遠坂の言葉どおり、俺たちの手で最後まで解決できれば、消えた人達を助け出せる可能性もある。時計塔の基本やりかたは死人に口無しだ、神秘さえ隠し切れれば後はどうでも良いのだ。

「よし、それじゃあ取り掛かろう。まず採掘基地ってのはどうなってるんだ?」

「これが図面よ。じゃっきあっぷりぐって奴らしいわ」

「遠坂、それ逆さだ」

そうと決まれば、あとは到着まで出来るだけ状況を調べて、具体的な方針を立てるだけだ。俺は遠坂が逆さに差し出した図面を苦笑しながら引っくり返すと、じっと見据えて構造を頭の中に取り込んだ。ほらほら、遠坂。知っててやったっていうのはわかったから、お前も膨れてないで術式の準備に入れ。




「凛、シロウ。そろそろ見えてきます」

真夜中過ぎに船出してほぼ半日ほどの航海の後、霧の中を進んでいるのでお日様こそ見えないが、時刻が午後を少し回った頃だ。採掘基地の構造や機材の確認、それに探索のための術式や道具の用意をあらかた終え最後の準備と、広げた道具を一つずつ確認しながら整理した俺たちに、船橋に上がって船を操っていたセイバーから声がかかってきた。

「それでセイバー、わたし達の十万ポンドは何処?」

「正面です。間もなく霧を抜けますから、すぐに見えてくるはずです」

広げた道具をかき集め、大急ぎで船橋に上がると、飛び込みざまの遠坂の声に応えるように、セイバーはじっと前を見据えながら正面を指差した。

「……あれか……」

そこには霧の中から、薄っすらと浮かび上がる巨大な建造物の姿があった。間違いない。俺たちが向かう石油採掘基地だ。

「なんか……不気味ね……」

その姿を見上げ、遠坂が微かに眉を顰めて呟いた。
確かに、どこか異様な建造物だ。
三本の鋼鉄の柱に支えられ、海上より浮かび上がった本体はまるで城壁のように聳え、海底を試掘すべきドリルを支えるリグは、天に向かって突き上げる列塔の様に俺たちを睥睨している。霧のせいもあるだろうが、それは近代的な工業設備というよりも、どこか中世の古城を思わせる佇まいだった。

「でも、別の歪みとかはないな。妙に古臭いけど」

「魔力もさほど感じません。霧の結界のほうが強いくらいでは?」

「確かにそうよね、不気味なくせに実体を感じないわ……」

だがセイバーや遠坂も俺と同じように感じたように、こいつは神秘って言うより、どっちかっていうと朽ち果てた廃墟の不気味さだ。

「よし、これなら大丈夫か。セイバー、船をつけちゃって」

「はい」

そのまま暫くじっと見据えていた俺たちだったが、このままここに居たって始まらないしと、遠坂が迷いを振り切るように頷いてセイバーに指示を下した。

「連絡船は……ありませんね」

「うん、ここの運送船もないわ。どういうことかしら?」

そのままセイバーの操船で、柱の基部にある桟橋に船をつけたのだが、そこにはここに来て消えたはずの連絡船も、この施設に付属していたはずの運送船も見当たらなかった。

「ここを出たにせよ、どっかに着いたって連絡はないし……って、士郎。どうしたの?」

ぶつぶつと訝しげに周囲を見渡していた遠坂だったが、じっと柱を見据える俺に気が付いたか、別の意味で訝しげに声をかけていた。

「いや、この施設なんだが。本当にここで試掘なんてしてたのか?」

それに応えて、俺はここについて以来ずっと見据えていた柱から視線をはずし遠坂に聞き返した。

「? どういうこと?」

「ここの機械や機材だけど、どう見てもここ何年か使われてないぞ?」

「へ?」

俺は錆だらけの鉄骨や、そこかしこのひび割れにもぐりこむように密生した藻や海草を示しながら、遠坂たちに顔を向けた。

「そうなの?」

「シロウ! そ、それではまさか……」

ぐるりを見渡してもまだ、意味がわからないらしく首を傾げる遠坂と違い、セイバーは俺がなにを言いたいか察したようだ。

「ああ、ここは端っから試掘なんかしちゃいない。あそこのドリル見てみろよ。海面の下は藤壺だらけだ。その上だって錆だらけだし、ここ何年かまったく稼動してない証拠だ。今から動かそうとしたって、こりゃかなり骨だぞ……」

俺は構造を解析しながらもう一度、この施設全体を見上げた。専門外の俺から見ても、直さなきゃならない場所、動かない場所、もう全部交換しなきゃならない場所だらけだ。

「ってことはなに? もしかして……」

「凛……やられました」

つまり詐欺だ。端っから石油なんか掘るつもりはなく、ただ鉱区を確保し資材を適当に借り受け体裁を取り繕い。後は“耳寄りな情報”って奴で客を集めて市場を活性化させ、客の買い注文で株価を吊り上げる。そうして上げるだけ株価を上げさせたところで、手持ちの株を残らず売り抜けてドロンする。初期投資こそそこそこかかるが、それなりに有り触れた証券詐欺だ。

「……どうりで、関係者の逃げ足が速かったわけね……」

「狡猾な……私達が買えば買うほど、その買い注文のせいで値が上がる仕組みです」

多分、鉱区は採算割れで放棄されたもの、この施設も登記だけされた事実上のスクラップだろう。つまり例えこの事件を解決しても、十万ポンドはやっぱりただの紙屑になってしまったという事だ。

「じゃあなに? もしかして連絡船の連中もこの施設の奴らもドロン済みってわけ?」

「同じ会社関係なんだろ? その可能性高いなぁ」

「ローレライの噂も、この連中が立てたものかもしれませんね……」

売りぬけと同時に関係者はドロン。ついでにおかしな噂を立て、時間を稼ぐ。ありそうな話だ。こうなると漁民の噂って言うのも怪しいものだ。自然を相手にする職業の人間は迷信深い。種さえまけば、勝手に膨らまして広めてくれる。

「ああもう、頭来た。士郎、セイバー。乗り込むわよ」

「そうだな、とりあえずちゃんと調査はしないとな」

もし真相がそうなら、追加の報酬も望めない。とはいえ請けた仕事はこなさなきゃ……

「そんな事後回しよ! もう髪の毛一本だっていいわ。見つけ出して探し出して……落とし前つけさしてやる!」

「はい、なんとしてでも尻尾を捕まえて見せます!」

と思ったら。うちの女の子たちは別の方向で燃え出しておられたようだ。おおい、遠坂。一般人に魔術使うのはご法度じゃなかったのか?




「ああ、くそ! 見事に逃げて抜けてるわね……」

「ここも埃だらけ……やはりダミーだったようです」

だが、やはりこの施設はすっかりもぬけの空だった。遠坂とセイバーが二人揃って走り回って調べた結果でも、使っていたのも通信室と居住区の一部。それに発電機が一基だけといったところのようだ。
今、俺たちが集まったこの部屋。管制室さえもセイバーの言葉どおり埃だらけで、機材には電源を入れた形跡さえない。

「じゃやっぱり、ただの証券詐欺か」

「そうみたいね……くそっ指紋までふき取ってある。って士郎。あんたなにやってたの?」

ここで漸く遠坂は、俺が油まみれな事に気が付いて、不思議そうに声をかけてきた。

「ああ、発電機を直してきた。一基だけだと心もとないけど、二基動かせば何とかここの設備を調べられそうなんでな」

「見かけないと思ったら。またガラクタ弄りをしていたのですね」

「本当に士郎は、そういうこと好きねぇ」

「良いだろ別に、それより思ったより使えそうだぞ、ここは」

どこかあきれたようなセイバーと遠坂の声に、俺は些か憤慨しながら応えた。そりゃ確かにスクラップ寸前かもしれないけど、ここの設備だって、ちょっと手を入れれば動きそうなとこは残っている。だったら直さなきゃ勿体無いじゃないか。

「使えたって、こんなポンコツ二束三文よ。はぁ、結局無駄骨ね、下手すると赤字よ……」

「それは……拙い」

益々あきれて溜息をつく二人を他所に、俺は管制室の機材にをチェックしながら火を入れて回った。やっぱり殆ど使い物にはならないが、それでもまだ幾つかの設備は生きているようだ。ああ、やっぱりそうか……

「……こいつが原因だな」

「人が財政危機を憂いてるって言うのに……さっきから、一体何してるの?」

「シロウ。貴方もまじめに考えて欲しい」

「おまえらなぁ……」

こいつらは……人の努力を一顧だにしないってのはどうよ? もしかして、まじめに調査してるのは俺だけか?

「ドリルだよ」

俺は、二人揃ってまるで俺が遊んでいるかのように見てくれる女の子たちに、溜息交じりに返事を返した。

「ドリル?」

「ああ、本体は錆と藤壺だらけなだが、駆動部周りに最近動かした跡があったんだ」

「それは……妙ですね」

「だろ? だからさっきから調べて回ってたんだぞ」

とはいえ、発電機を入れても回らない。電力が足りないのかと思ってもう一基起動してもやはり動かない。だから管制室の機材を使ってチェックしていたというわけだ。

「それで、どういうことだったの?」

「海底に下ろしていたバランサーに何か引っかかってて、そいつがドリルにも絡んじまってるみたいなんだ。今クレーンでバランサーごと引き上げてみる」

流石にここまで聞くと遠坂とセイバーも真剣な顔になる。俺は二人に事情を説明しながらクレーンとドリルのアーム、双方のスイッチを入れた。

―― 轟!――

よし、やっぱりこいつだった。
何かを無理やり引き剥がすような感触の後、バランサーはドリルのアームとクレーンの唸りと共に、徐々に浮かび上がって来た。そして、そこに絡みついた……

「うわぁ……」

「これは……」

「……酷い匂い。ここまで臭ってくるわ……」

醜悪に歪み半ば腐りはてた、巨大な生き物の死骸だった。




「どうだ、遠坂! 何かわかったか?」

「うう……大体わかった。上げて頂戴」

間もなく暮れようとする空の下。サーチライトに照らされた肉塊のすぐ傍まで下りて、鼻をつまんでいた遠坂から返事が返ってくる。俺は鉄板を吊るして簡易リフトに改造したクレーンを、ゆっくりとリグデッキまで引き上げた。

「平均よりかなり大きいけど、多分ダイオウイカだと思うわ」

「では、結局普通の動物だと?」

「うん、ここまで大きいのはかなり珍しいけど、神秘とはいえないわね」

遠坂の言葉に、俺たちは揃って溜息をついた。引き上げた直後、その大きさと醜怪さから、もしやシーサーヴェントかと勢い込んで調べてみたものの、結果はこのとおり。ダイオウイカでは追加報酬にはならない。

「考えてみたら、シーサーヴァントやクラーケンこんな無様な姿さらすわけないし」

「結局こいつも無駄骨か」

「うう、神秘でもなし、詐欺師は見事逃げ切ったし……しかも、こんな匂いまでついちゃったわ。踏んだりけったりね……」

――主よ。

と、三人揃ってがっくりとうなだれたところで、ずっと我関せずと空に舞っていたランスから思考が振ってきた。

――魔女殿の愚痴。最後はともかく先の二つは脈がありそうだ。

「どういうことだ?」

――西だ。船が二艘こちらに向かって漂って来ている。

ランスの言葉に、即座に駆けつけたデッキの西端からは、確かに霧の中から姿を現す二つの船影が覗われた。
霧の向こうで落ちてゆく夕日に押し出されるように、徐々に徐々にこの採掘基地に近づいてくる二艘の船。

「……人の気配がしないわね……」

「はい、ですが“何か”が居ます」

遠坂とセイバーの表情が一気に引き締まる。それは確かだ。なぜなら、今まさにこの基地には、

――Ein Marchen aus alter Zeiten, Das kommit mier ……

ローレライの歌声が、低く哀しい調べで響いているのだから。


再開第一回は少々ホラー仕立てのお話となりました。
季節は初春。実はこの話、中断前に書き始めた話でして、内容的な問題から季節は変えておりません。
遠坂家の財政危機解決のため乗り込んだ無人の採掘基地の謎とは? 歌声の秘密は如何に?
それでは後編をお楽しみください。

2005/8/3 初稿

By dain

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