――なじかは知らねど……

雪が降っていた。

――心わびて……

暗い森の中に雪が降っていた。

――むかしの伝説は……

そんな寒く暗い森の中で、雪を浴びて銀色の人影がじっと佇んでいる。

――そぞろ身に染む……

黒い軍服のような衣に身を包んだ若い女性だ
きらきらと銀色の髪を靡かせ、厳しい視線でじっと前だけを見据えている若い女性。その視線の先には、深々と降り積もる雪の中、森よりもなお暗く聳え立つ古城の姿があった

――わびしく暮れ行く ラインの流れ……

古城からは美しく澄んだ、それで居てどこか空疎な歌声が響いてくる。その調べに合わせるように、女性の口からも何か歌のようなもの紡ぎだされた。
だが、城から流れ出す歌声同様に美しく澄んだ、それで居て空疎な言の葉は、歌声と別の調べを奏でていた。

「――――Ich heisse LEGION我が名は レギオン), Denn Ich bin Viele沢山で 在るが故に.」

――入り日に 山々赤く映ゆる……

途端、古城が燃え上がった。
だが、それでも歌声は続く。
燃え盛る古城を背景にゆらゆらと陽炎のようにゆれる影から、空疎な歌声は何時までも、何時までも響き続けた。





せいぎのみかた
「最強の魔術使い」  −Emiya Family− 第十話 後編
Heroic Phantasm





「司令」

真っ白な雪に包まれた森の中から、同じように真っ白なスモックを見につけた部下たちが、報告のために戻ってくる。私一人がこの第一種正装のまま此処に立つのはただの礼儀だ。これは喪服、消えていった、そして消えていく者達への感傷に過ぎない。

「情報そのものには間違いが無かったようです。ここは遺棄場ではなく……」

「あの連中の実験場だったのは確か……ですか?」

「はい、素体のデータは破壊されていましたが、断片化した情報によれば、間違いなくあれらはパリティ付きストライプセットです。尤も、データの精度から見てミラーのほうだと思われますが」

「道理であっけなく手放したわけですね……」

燃え上がる奴らの城を前に。私は僅かに唇を噛んだ。どうやら仕挫ってしまったようだ。私共がここに乗り込んだ時、既に奴らはここを去った後。私に出来る事は、ただ全てを燃やして消し去る事だけだった。
だが、一つだけ収穫はあった。やはりあのふざけた老人たちは諦めていない。

「静かに眠る事さえ許さないつもりですね……」

尤も当然かもしれない。失ったものを取り戻すため、千年の妄執を積み重ね、ありとあらゆる裏技を駆使して、何もかもを道具として使って来た連中なのだ。たかが一人の少女の思い出などに、何の意味があるだろうか。失ったものの価値を考えれば、魔術師としては真っ当な事だとさえ言えるかもしれない。

だが、私は許せない。そんなものの為に大切な思い出を汚されるなど断じて認められない。これは、魔術師としてはおろか魔術使いとしても褒められた事ではない。
五度続いた戦いに敗れ続け、その力を消耗した奴らを一気に叩く。三年前、私の進言を父が拒絶したのも当然の事だろう。そう、これはただの私怨に過ぎないのだから……

だからこそ三年かけて準備した。三年前、あえて父から離れ倫敦に赴き、自分の為の兵を揃え、情報を集め、時計塔に、多くの魔術師たちに恩を売り、奴らへの戦いの準備を整えてきた。
そして今回。今回こそ奴らの本丸に迫る一撃になるはずだった。今までも、奴らの本拠たるバルト三国で幾つもの遺棄設備を毀して来た。だが、此処こそは奴らの実験場。アトラス経由で漸く探り出した、奴らの生きた施設であったはずなのだ。

「……一歩遅れたって事ですか……」

仕挫ってしまった。だが、諦めはしない。それが三年前、あの少女の死を感じた時から私の心に宿った妄執なのだから。

「司令!」

部下の呼ぶ声が、そんな私を雪の森に引き戻した。そう、奴らも仕挫っていた。私は確実に奴らを追い詰めていたようだ。
奴らの消しそこなった記憶。私共が此処に来る前に海に逃れた実験体。
私は、全力で捜索する事を命じた。
見つけ出し、情報をひきだし、そして、

消し去るために。




「……と、とにかく行ってみるわよ。セイバー、先導お願い」

「はいっ」

そのまま桟橋まで進み、そこでぴたりと泊まった二艘の船を、暫く呆然と眺めて俺たちだったが、遠坂の一言で我に返ると、即座に桟橋に向かって駆け出した。

「何だと思う?」

「わかんない。なんか、魔力そのものはかなり薄いのよ」

先頭はセイバー、それに遠坂が続き殿しんがりは俺という布陣。既にセイバーはなにがあっても対応できるように完全武装だ。

「船は……無人だな」

「でも何か居たわ。感じたでしょ?」

「ああ、あの歌声も聴いた」

先行させたランスの視界を借りて、一当たり見渡した二艘の船はどちらも無人。だが、先を急ぐ俺たちは、あの船と共に何かがここにやってきた事だけは確信していた。

「――えっ?」

とその時。最後尾を走る俺の後ろから、何か小さな音が響いた。

――早く呼び出さないと死んじゃうよ、お兄ちゃん――

どこか揶揄うような、それで居て心配げな響きを微かに感じさせる声音。聞き覚えがある。
それは、間違いなく三年前の暗く寒い夜に聞いた、あの白い少女の声だった。
だが、慌てて振り向いた俺の視界の何処にも、少女はおろか生き物の影一つ見当たらない。ただ、醜く腐れ崩れたダイオウイカの屍骸が、バランサーの上でしどげ無く横たわっているだけだ。

「士郎、何してるの?」

そのまま立ち尽くしてしまった俺だったが、ここでかかってきた遠坂の訝しげな声で我に返った。

「あ、すまん。すぐ行く」

幻聴……そう断言は仕切れないものの、今のは余りに不確か過ぎる。俺はとりあえずこの事を頭に置いた上で遠坂の後に続いた。




「本当に人が居ないわね……どうやって動いてたんだろう?」

「術式じゃないのか?」

「それが、そんな形跡が無いのよ……船そのものは綺麗なもんだわ。汚いけど」

結局、船そのものは無人だった。妙に生臭く、デッキやブリッジまで海草や藻で酷く汚れてはいたが、遠坂によると魔術の痕跡は殆ど無いそうだ。

「凛、シロウ……」

そこに船倉に降りていたセイバーが厳しい表情で戻ってきた。いや、ちょっと待て、この匂いは……

「セイバー、下ね?」

「はい」

「待て、俺も行く」

血の匂いだ。表情を引き締め下に下りる遠坂の後を追った。

「――っ!」

「遠坂っ」

船倉に降りた途端、一瞬だけ遠坂の上体が揺れる。

「……大丈夫。ちょっと血に酔っただけ。それより士郎。どう思う」

だが、とっさに押さえた俺の手を軽く押し返すように小さく微笑むと、遠坂は表情を引き締めなおし俺に問いかけてきた。

「人じゃないな。獣にしてもおかしい」

「そうね……」

船倉を覆っていたものは、真っ赤な血と醜悪な肉塊。一面に撒き散らされた嘗て人だったものの成れの果てだった。だが……

「変だな」

「なにが?」

「足りないんだ。五人……いや六人か。それだけ殺されたみたいなんだが、血と内臓はあるけどそれ以外が無い」

「それ……以外?」

「ああ、骨と……筋肉かな? 脂肪はあるみたいだし」

目の前にぶちまけられた人間の残骸を、俺は込み上げてくる物を抑えながら頭の中で組み上げ直して遠坂に応えた。しかもこの解体は鋭利な刃物や爪じゃない。叩き引き裂き抉り出す力任せの遣り口だ。

「一旦出よう。魔術じゃないんだろ?」

「え? ええ、そうね……」

ともかく、此処は血なまぐさすぎる。俺はどこか呆けたような顔で俺を見つめる遠坂を連れ、船倉を後にした。

「セイバー、そっちも同じか?」

「はい、こちらのほうが人数は少ないようですが、やはりシロウの言うとおり骨や肉はありませんでした」

「そうか。遠坂、何のためだと思う?」

船倉を出た俺たちは、もう一方の船を調べていたセイバーと合流し、血の匂いを避ける為一度桟橋まで戻ってから、状況の整理を始める事になった。

「食事にしてはちょっと変ね。そう、選別がきっちりし過ぎてるわ。まるで何かの材料を集めてるみたい」

いつの間にか日は暮れ、周囲を照らすものはリグに取り付けられたサーチライトが、まるで遠くの街灯のようなって行く中、俺たちは気を取り直した遠坂を中心に一つ一つ確認するように話を続けた。

「この事件が証券詐欺の一環だったってのは間違いないと思う。でも、それだけじゃなかった。ここを放棄する直前か直後に、あんな事をしでかすような奴に出会ってしまった。多分そんなとこだと思うわ」

「やっぱり魔術師か?」

「ううん……それにしては魔力の残滓が少なすぎるのよね。それにあの船倉もそう。魔術師なら、惨劇に見えても慎重に理にかなった解体の仕方をするわ。特に呪刻があったわけでもないから儀式ってわけでもないし、脳や心臓みたいに呪的に意味のある部分は残ってるってのも変」

「じゃあ、海の魔物かなにかか?」

「そっちも、心当たりが無いのよ。クラーケンやシーサーヴァントなら丸呑みだろうし、セイレーンやマーマン系の奴らはあんな無造作な作業はしないわ」

「結局なんだかわからないものがって事か……」

「あの歌の事もあるし、多分どっからか逃げ出したか放たれた、新造の魔獣かなんかだと思うわ。手掛かりはあるんだし、なんとしてでも見つけ出して処分するわよ」

「手掛かり?」

「うん、あの船倉にね。確かにあいつらはわたし達の十万ポンドの敵だけど。だからって、あんな死に方をして良いわけじゃない。せめて仇は取ってやらないとね」

そこまで言うと、遠坂は睨みつけるように二艘の漂流船に視線を向けた。つまり、あの人の残骸から降霊するなり、ラインの探索をするなりしてでもこんな事をしでかした存在を見つけ出すといっているのだ。
確かに、例えどんな人間でも人は人として死ぬべきだ。俺もそんな遠坂に頷いた。

「まず、わたし達の船に戻りましょう。道具をそろえて、きっちり片を付けるわよ」

「おう」

俺たちは、揃って自分たちの船に向かうべく踵を返した。

だがそんな俺たちの足は、幽霊でも見たかのような唐突さで、ピタリと止まってしまった。

いや、こいつは幽霊そのものなのかもしれない。だって、桟橋から見上げるような採掘基地のデッキに、サーチライトの余光をまるで月光のように受けて立っているのは……

――――ねえ、お話は終わり?

三年前、同じような夜。あの教会からの帰りに出会った、あの銀色の髪をした少女と黒い巨人の姿だったんだから。




――こんばんはお兄ちゃん。こうして会うのは二度目だね。

呆然と立ち尽くす俺たちに向かって、少女はどこか聞き覚えのある言葉を紡ぎだす。
その言葉で俺は我に返った。同時に、内側に膨れ上がる何かに押されるように一歩前に出る。

「士郎……気をしっかり持って、あれは……」

「ああ、わかってる。偽者だ」

そう、確かにそれはあの白い少女にそっくりだ。だが、あの少女は間違いなく、俺の目の前で金色のサーヴァントに心臓を引き抜かれて死んだ。だから、これは何処からかもってきた、あの少女の思い出を元にくみ上げられた紛い物だ。その証拠に、こいつの科白はあの時の鸚鵡返しに過ぎない。

「セイバー。あいつもそうね?」

「はい、姿かたちは似せられても、英霊の魂はありません」

そしてあの黒い巨人も。
巨大な物理的威力から発せられる威圧感こそあれ、あの英霊の、人の魂そのものを圧倒するほどの存在感は無い。
だが、いや、だからこそ、俺の腸は沸きかえっていた。その姿かたちが似ていれば似ているほど、醜悪な戯画でも見せられたかのような、何かとても大切なものを汚された思いに、今にも我を忘れそうだ。

――相談は済んだ? なら、始めちゃっていい?

駄目だ……もう我慢できない……

――はじめまして、リン。わたしは……

「その名を言うなぁ!」

「シロウ!」

「士郎!」

気が付くと俺は、両手に干将・莫耶を投影し、遠坂たちの制止を振り切って一直線に突貫していた。醜悪な紛い物が、あの少女を、あの巨人を真似るのがなんとしても許せなかった。

――――じゃあ殺すね。やっちゃえ、……

――――■■■■■■――!!!


「士郎! ああもう! セイバーお願い!」

「はいっ!」

俺の前と後ろで、二組の主従が同時に声を上げる。同時に、やはり前と後ろから、黒い怒涛と蒼い閃光が、間を駆ける俺という中心に向けて一斉にスタートを切る。
だが、今の俺にそれは関係は無い。俺はただひたすら、あの醜悪な紛い物に対すべく一直線に桟橋を駆けた。

――主よ! 下だ!

その時だ。平手打ちのような思考が、目を覚ませとばかりに俺の頭の中に叩き込まれた。

「なっ!」

一瞬、立ち止まってしまった隙を付かれ、俺は蒼い閃光に抜き去られた。
そして、前方で黒と蒼が激突するのと、桟橋を囲むように、海面から生臭い柱が突き上げてきたのはほぼ同時だった。

「――ちっ!」

即座に急降下してきたランスの牽制で、四方八方から倒れ掛かってくる柱を、俺は何とか避け切った。

「士郎! 無茶しない! 
Gewicht, um zu Verdoppelung重圧、   束縛   両極硝――――!

そこに遠坂が駆け込んできた。両手を交差させるように黒曜石を桟橋の両側に振りまくと、一気に呪を解き放ち触手の群れを海面に叩き戻す。

「いい加減になさい! 戦いにも段取りってもんがあるでしょうがぁ!」

「すまん、遠坂。熱くなりすぎた」

海面に叩きつけられた触手が巻き起こしたしぶきを頭から被り、俺は漸く気を静める事が出来た。

「ともかく、あっちはセイバーに任せなさい。わたし達は何とかこの騒動の根っ子を押さえる。良いわね!?」

そのまま遠坂は、俺の手を掴んで後ろに引き戻そうとする。

「――え?」

が、そこで視線をセイバーと黒い巨人に移した途端、驚いたように動きを止めてしまった。

「――くっ!」

「■■■■■■――!!!」

なんと、セイバーが苦戦していたのだ。
いや、これを苦戦というべきなのだろうか。間違いなくこの黒い巨人は偽者だ。確かに力とスピードはあるものの、ただそれだけではセイバー本物の英霊の敵ではない。事実、セイバーは確実に黒い巨人を仕留め続けている。
頭を切り落とし、心臓を抉り、腰から両断し、頭から股まで一気に切り裂く。
何度も何度も、セイバーは剣を振るうたびに、黒い巨人を“殺して”いる。
なのに……

「■■■■■■――!!!」

黒い巨人はその度に、頭を付け直し、心臓を再生し、胴体を腰に繋ぎ、二つに割れた身体を抱えなおしてセイバーに向かっていくのだ。

「蘇生? 違うわ……こいつ頭を落としても心臓を突いても、二つに裂かれても“死んで”ないんだ……なによこれ……」

――海だ。全て海から湧き出してきたのだ。主よ、また来るぞ!

「遠坂!」

「くっ!」

じっと巨人を見据えたまま棒立ちになった遠坂の両脇に、ランスの声に合わせるように、また先ほどの触手が湧き上がってくる。俺は慌てて棒立ちの遠坂を引き倒し、桟橋を転がる事で触手の鞭から身を躱した。

「海からだ。触手だけでなくあの偽者たちも海から這い上がってきたらしい」

俺は、俺たちを守るべく触手を牽制し続けるランスからの思考を遠坂に伝える。こっそりデッキに這い上がった触手から、いきなりあの少女と巨人が立ち上がったのだ。だから空から見張っていたランスも、ぎりぎりまで気づかなかったのだという事らしい。

「そうか……その為の肉と骨。つまりあいつら人形ね!」

それを聞いて遠坂が、俺の腕の中で納得したように頷いた。

「セイバー! そいつから海に向かって何か伸びてるはずよ! そいつを叩き切って!」

続いてそのまま、セイバーに指示を飛ばす。そうか、つまりあれも一種の触手だって事か。

「はいっ!」

言うが早いがセイバーは黒い巨人の腕を掻い潜り、後ろに回ってそのかかとの辺りを一閃した。

「■■■■■■ーー!!!」

途端、それまで不死身だった黒い巨人の体が揺れ、何事か一声叫んだかと思うとまるでビスをはずされた人形のように、立ったままばらばらと何かを撒き散らしながら分解していった。

「うわぁ!」

「きゃ!」

肉だ、人の肉。それと骨。それが何か血ではない粘液のような物をまとわりつかせたまま、俺たちのほうにまで降りかかってくる。

「あ、士郎! また!」

その隙を付いて、俺は一気に白い少女の偽者に向かって駆けた。確かにランスの平手打ち、そして遠坂の叱責で頭は冷えていた。だがそれは怒りが収まったわけじゃなかった。それどころか、頭が冷えたせいか、かえって憤りは高まったといっていいかもしれない。
だから許せなかった。あの少女の偽者がある事が、同じ顔をした存在がこんな血みどろの世界にある事が、何故かどうしても許せなかった。

「消えろぉ!!」

だから俺は、そんな存在を消し去る為、一気に両刀を振り下ろ……

「え?」

……せなかった。
目の前で、どこか寂しげに俺を見つめる少女の姿。ここまで近づけばわかる。ぽたぽたと海水を滴らせる銀色の髪は不可思議な粘膜に覆われ。紫のコートは海草を不器用に固めただけのもの。間違いない、これは偽者だ。なのに……

―――なに。お兄ちゃん、わたしのこと嫌いなの?

その瞳の奥の、ほんの僅かな部分だけは“本物”だった。本物の、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンのなにかが確かに存在していた。

――それじゃあバイバイ。また遊ぼうね、お兄ちゃん。

そして、白い少女はぐずぐずと、蝋細工が火に炙られるように溶け、消えていった。俺はそれを、ただ呆然と見送る事しか出来なかった。




「とにかく、あれは触手。欠片よ。本体は多分海の中ね」

「ああ……」

あのおかしな触手の群れが消えた後、俺たちは自分たちの船に戻って次の一手をどう動くかについて話し合っていた。船には結界を張り巡らし、更にマストにランスが止まり警戒には怠りは無い。少なくとも此処でなら不意打ちは無い。魔術師の船であるドゥン・スタリオン号はある種魔術の要塞でもあるのだ。

「でも、今の装備じゃ海の中は無理。セイバー、あんたもそうでしょ?」

「はい、呼吸の必要こそありませんが、水中では私の力は半ばは削がれてしまう」

「つまり、何とか見つけ出した上で、本体をこっちに引き摺り出さなきゃいけないってわけね」

「ああ……」

だが、俺はそんな事よりもあの白い少女の事で頭がいっぱいだった。何故だ? 偽者だっただけならまだわかる。でもあの瞳は……一体どういうわけなんだ……

「士郎……ちゃんと聞いてる?」

「ああ……」

「まったく……」

ふと気がつくと、俺は遠坂とセイバーから心配げに見つめられていた。

「えっと……どうしたんだ?」

「どうしたんだじゃ無いわよ」

「そうです、シロウ。先ほどあの少女の偽者を取り逃がしてから、一体なにがあったのですか?」

どうやら考え込みすぎて、ずっと空返事を続けていたようだ。俺は此処で漸く、あの少女の一件を話していない事に気がついた。参ったな……よっぽどほうけてたんだ。

「それが、実はな……」

ともかく、こんな事は自分一人で悩んだってどうしようもない。俺は遠坂とセイバーにあらましを伝える事にした。

「……本物?」

「ああ、全部が全部って言われると違うとしかいえないけど、それでも本物の欠片があった。俺にはそう感じられた」

「降霊でしょうか?」

「微妙なとこね……」

可能性として、あの子の残留思念を呼び寄せて、それを何かに憑依させて利用するという手が無いわけじゃない。だが、どうやら遠坂は否定的なようだ。

「ほら、あの娘って結局人型の聖杯だったわけでしょ? 機密の塊よ。アインツベルンが、そんな物をほいほい呼び出せるようにしてあったとは思えないし。第一それなら端っから……あっ」

とそこまで言うと、遠坂は一瞬呆けたような顔になり、続いてえらく難しい顔になってじっと何かを考え込みだした。

「どうしたんだ? 何か思いついたのか?」

「あ……うん、多分違う。私が思いついたとおりなら、あんな不完全な偽者にはならないわ。それに繋がりも見えないし」

「繋がり?」

「そう、あの化け物とイリヤスフィールとの繋がりよ。尤も、今もそんな繋がりは見当たらないんだけど」

「そうだな……」

こめかみに指を沿え、難しい顔で考え込む遠坂に相槌を打ちながら。俺はどこか違和感を覚えていた。さっきの突然の登場こそ驚いたものの、俺はあの白い少女が姿を現した事自体には驚いていなかった。なんというべきか……いずれ近いうちに出会う。そんな漠然とした予感めいたものを持っていたような気がする。だからこそ、紛い物である事、醜悪な戯画である事に耐えられなかったのだ。
何故だろう? 落ち着いてみると不可思議だ。第一俺とあの娘とは繋がりなんて殆ど無かったはずだ。なのに、何で俺は……

「そうか……歌だ」

それで思い出した。俺が最近良く見る不可思議な夢。
目覚めれば覚えていないながらも、それでもあの歌、あのメロディはその中で流れていたものだ。ああ……段々思い出してきた。そう、あの歌はあの白い少女と同じ銀の髪を持つ女性が歌っていたものだ。

「待ちなさい士郎。歌って、どういうこと?」

「いや、俺も今思い出したんだ。実は最近見る夢なんだが……」

そんな俺を見咎め、厳しい表情で尋ねてきた遠坂に、俺は今思い出した夢のあらましを説明した。雪降る森、白い少女と銀髪の女性……後もう一つ、何かあったような気はするが……いまだその部分は思い出せてはいなかった。

「なんで? 何で士郎にイリヤスフィールの記憶が?……」

「それはわからないけど、今回の事と関係有るのかな?」

「無い分けないでしょ? イリヤスフィールの記憶を見た士郎に、不可思議なイリヤスフィールの偽物の登場がほぼ同時なんて……何かの共感かしら……なんか覚えないの?」

「いや、覚えと言ったって。あの娘に会ったのはあの聖杯戦争の時だけだぞ、それも二回だけだ……」

そう言いながらも。俺はどこか、あの少女となにか縁があったんじゃ無いかと言う思いを打ち消しきれないで居た。僅か二度、たったそれだけしか会っていないはずなのに、まともに言葉を交わした事さえないはずなのに……俺はどうしてあの娘に拘るんだろう? 

「そうだと思うけど……あいつ妙に士郎に拘ってたじゃない。今の奴だって、挨拶はしたけどわたし達は眼中に無しって感じだったわ」

「……」

だが、その答えは俺の中に無かった。もしかしたら、知りえたかもしれないその答えもあの少女の死と共に消えてしまっていた。それが、無性に寂しかった。

「ああ、だからか……」

漸く俺はあの憤りの理由に思い至った。あれはあの偽物が憎かった訳じゃない。あれは俺の慙愧だ。己の無力が、目の前であの少女を殺された自分自身の不甲斐なさが、我慢なら無かったんだ。

―――なに。お兄ちゃん、わたしのこと嫌いなの?

だから、あの偽者の中にあった“本物”に触れた途端動けなくなった。俺は俺自身に打ちのめされてしまったんだ。

「まぁ、いいわ。士郎。今はイリヤスフィールの事は忘れなさい」

そんな俺を見据えながら。遠坂があくまで厳しい表情のまま口を開いた。

「遠坂?」

「あいつ、探り出すための触媒はごまんと残していってくれた。わたしがそれであいつに繋ぎを作るわ。士郎。あなたがそれを使ってあいつをおびき寄せなさい。それをセイバーが叩く。良いわね?」

「と、遠坂!」

それは、つまり……俺にあの白い少女の思い出を利用して、あの化け物を誘い出せという事だ。あの化け物が、あの少女の思い出を汚したのと同じ事をしろと言っているのだ。

「わかってる。だから忘れなさいって言ったのよ」

思わず立ち上がって睨み据えた俺に、遠坂は真っ向から見据え返しながら言葉を続けた。

「士郎。良い? 士郎の言うように、あいつにイリヤスフィールの本物の欠片があるかもしれない。でもそれはあくまで欠片、イリヤスフィールじゃ無いわ。それより、わけのわからない化け物がイリヤスフィールの欠片を持っている事を憂いなさい」

「くっ……」

あの船倉を忘れたの? 遠坂は冷たい瞳で問いかけてくる。正論だ。例え本物のあの白い少女の欠片をあいつが持っているにせよ、あんな事をするような奴を野放しには出来ない。
それに、遠坂の助けを借りて俺が奴をおびき出すのなら、もしかして、俺の手でその欠片を拾い上げる事が出来るかもしれない。

「わかった。やろう」

俺はそんな一抹の希望にすがるように頷いた。可能性があるならやってみなきゃわからない。それが俺のやり方なんだから。





準備を整え、俺たちは採掘基地の中央デッキに向かった。相手が海から来る事を想定して、一番距離があり、かつ開けた場所という理由だ。

「それで? 俺はなにをすれば良い?」

俺は、そこで完全武装のセイバーを傍らに控えさせ、厳しい表情で魔法陣を刻む遠坂に尋ねた。俺があの化け物を引っ張り出すのは良いが、それを実行する術式となると、俺には手に負えるものではない。

「とりあえずこの陣の中央で瞑想していて。わたしがあいつを見つけ出して、陣とリンクを繋ぐから、道が開けたらそこに飛び込んで、まっすぐイリヤスフィールのところまで潜っていって」

「道って……俺にもわかるのかな?」

「大丈夫、タットワ法瞑想術の応用よ、やった事あるでしょ?」

「ええと……なんとか」

カバラに属する鍛錬で、幽体離脱の基礎的な方法なんだが。実はあまり得意ではない。俺はどうも、身体を直接使わない術式とは相性が悪いようなのだ。

「しっかりしてよね、基礎の基礎よ。セイバー、それじゃあその間の守りは任せたわ。わたしも士郎も、相手を完全に引っ張り込むまでは身動き取れないから」

「はい、気をつけて。シロウ、ランスをお借りします」

「おう、あんな奴で良かったらいくらでも使ってくれ」

それは些か心外な物言いであるな、などと苦笑するような響きで一声鳴いたランスをセイバーに預け、俺は遠坂が書いた魔法陣の中央に結跏趺坐し、静かに目を閉じた。
基本は、切嗣に昔教わった鍛錬と一緒だ。頭を白くして意識を内面のみに向ける瞑想。遠坂の言葉に従えば、そこに道が開けるはずだ。

「それじゃ、行くわよ
―――――Anfangセット

その道を拓くべく遠坂の紡ぐ呪のみを残し、外界の一切が俺の意識から消える。

「――――…………」

そして、何時しかその呪さえも、遠い波の唸りのように小さく薄れてゆき、代わりに目の前に微かな光の糸が徐々に風に靡くように伸びていく。
俺はそのちょっと無理をすれば切れてしまいそうな細い糸を頼りに、ゆっくりと意識を伸ばしていった。どんどん、どんどんと伸ばしていく……



――なじかは知らねど……

雪が降っていた。

――心わびて……

暗い森の中に雪が降っていた。

――むかしの伝説は……

そんな寒く暗い森の中で、雪を浴びて銀色の小さな影が楽しげに躍っている。

――そぞろ身に染む……

小さな少女だ。
きらきらと銀色の髪を靡かせ、軽やかな足取りで舞い踊るまるで雪の精霊のような少女。その傍らで、同じく銀色の髪の美しい人が優しげに微笑みながら、何か歌の言うな物を紡いでいる。

――わびしく暮れ行く ラインの流れ……

その歌を唱和するよう口ずさみ、尚も楽しげに跳ね回る少女の動きが、ふと止まった。何かを見つけたようにぱっと笑みを広げると、“こちら”に向かって走ってくる。

――入り日に 山々赤く映ゆる……

まるで抱き上げたかのように、視界いっぱいに広がる少女の楽しげな笑み。
その後ろから、先ほどの綺麗な人もまた“こちら”に歩み寄ってきた。
銀の髪、赤い瞳。そしてその瞳に映っているのは。

俺の姿だった。

――なあんだ。一人になっちゃったんだね、お兄ちゃん。

途端、無邪気に微笑んでいた少女の瞳に、冷たい光がともった。

「なっ!」

一瞬で夢から覚めた。少女を抱えあげた腕が、そっと添えられた手から流れ込んでくる冷たい何かに囚われ動かなくなる。いや、腕だけじゃない、足も、身体も……くそっ、誘い出すつもりで誘い出されたって事か?

「くそっ! 何のつもりだ!?」

ただ一箇所、俺の自由になる口を開き、俺は無駄と知りつつ少女に言葉を叩きつける。

――お兄ちゃんは今日から、キリツグの代わりになるの。

「え?」

だが、意外な事に返事があった。しかも、その返事にはそれ以上に意外な言葉が含まれてさえ居た。キリツグ? キリツグって……切嗣おやじの事か? なんで? 何でこの子が切嗣のことを?

――今のシロウは籠の中の小鳥なのよ? 生かすも殺すもわたしの自由なんだから、あんまりわたしを怒らせるようなコトは言っちゃダメ。……十年も待ったんだもの。ここでシロウを簡単に殺しちゃうなんて、そんなのつまらないでしょう?

「――あ、あ……あああああ……」

玩具をせがむような少女の声。そんな言葉と共に、無邪気に笑う少女の指が俺の唇を塞いだ。ついに言葉も封じられた。
目の前にある、無邪気でありながら冷酷な瞳から、憎悪が恨みが、そしてどこか歪んだ愛情が流れ込んでくる。
そんな瞳に見つめられたまま、俺は必死で抵抗した。
ここは意識の世界。肉体があるように見えても、それは全て幻だ。ならば今囚われている肉体も幻、意識の世界なら、より強い意識を持ったほうが勝つ。
目の前の少女は確かに強いが、あの少女そのものではない。飽くまでも欠片だ。より強い意識で振りほどく事だって、今の俺には出来ない事じゃない。

――シロウ――――わたしの物になりなさい……

「……くっ……」

だが、俺は本気で抵抗し切れなかった。
俺は気がついてしまった。思い出してしまった。その瞳の奥にある本物に、本物の記憶に。何故、夢に切嗣が出ていたのか
、何故この少女が何でここまで憎悪し恨んでいるのか。
雪の中で駆け舞う割る少女、優しく見つける銀色の女性と切嗣。そして未来を信じての出立と、それが閉ざされた決別の記憶。当然だ、だって俺はこの少女から切嗣を……

「…………」

抱き上げた少女から、逆に優しくそれでいて何処までも冷たく抱擁される。俺はそれをなすすべも無く受け入れるしかなかった。

「――――」

だがそんな諦観の瞬間、一気に幻全体が弾け飛んだ。

「――がっ!」

森も雪も、少女も女性も、俺自身の身体さえも弾け飛んだ。残ったのはぐるぐると渦を巻く乳白色の醜悪な泥の海と、轟然と紅く輝く光だけだった。

「とっとと来なさい! ほら、追ってくるわよ!」

その紅い光から俺に向かって、厳しい声が響いて来た。同時に、乳白色の泥からは八本の醜悪な触手が湧き出し、俺たちめがけて迫ってくる。

「……すまん……遠坂……」

それで俺も漸く我に帰った。遠坂だ。どこかあの白い少女への拘りを見せていた俺を危惧して、パスを遡って追いかけて来てくれたらしい。

「謝罪は後、とにかく逃げるわよ!」

だが、遠坂は俺の言葉にそんな叱責の意識だけを送ってくると、俺の“手”を引っつかんで、上へ上へと引き摺っていく。本当にすまん遠坂。へたれてる場合じゃなかったな。
俺はそんな強引な遠坂に感謝しつつ、気を取り直し遠坂と共に上に、自分の肉体の許へと駆け上っていった。
俺を叱咤し激しいまでに強く俺の”手”を掴んでいる癖に、何故か微かに震える遠坂の意識を感じながら。




「ただいま! セイバー」

「お帰りなさい、凛、シロウ。何とか間に合いましたね」

「そうみたいね。さぁ、片付けるわよ!」

肉体に意識を戻した俺の目の前では、既に戦いは始まっていた。
あの意識の世界で俺たちを追いかけていたのと同じ、八本の醜悪な触手が周囲を這いずり回り、そいつらが俺たちに近づくのをセイバーが悉く退けている。
だが、今回はそれだけじゃない。

――主よ! 来たぞ。

―― 蠢……――

「あいつか……」

空を舞うランスから振ってきた意識が指し示す方向、そこに見えたのは触手の源。触手同様醜悪な乳白色の巨大な肉塊。そいつが今まさにデッキの端を這い上がり、俺たちに向かってにじり寄ってこようとしている姿だった。

「クラーケン? 違うわね、でかいけどダイオウイカ。ただ組成が違うわ。人間の肉ともう一つ何かを取り込んで変異しちゃってる」

まだ足元の定まらない俺を助け起こしながら、遠坂はそいつを見据え厳しい表情で口を開いた。だが、同時に安堵もうかがえる。それはそうだろう、確かにおぞましい化け物ではあるが、俺たちはそいつをこっちの土俵に引き摺り上げたのだ。

「セイバー、触手はこっちで何とかする。本体を潰しなさい。それで詰みよ!」

「はいっ!」

「行くわよ!  Gewicht, um zu Verdoppelung重圧、   束縛   両極硝――――!

遠坂が使った呪はさっきと同じ重圧呪。元々海の中のものである触手は一瞬デッキに叩きつけられた。

―― 閃!――

それでも、即座に呪を振り切って立ち上がった触手だったが、そんな僅かな梳きでもセイバーには十分。一気に身を翻すと、そのまま肉塊まで突進し、一撃で真っ二つに叩き割ってのけた。

―― 轟!――

そのままデッキに崩れるように身体を叩きつける肉塊。呪を振り切った触手たちも、暫く何かを求めるように蠢いていたが、次々と力を失って行った。

「悪いわね、士郎。わたし達の手で始末させてもらったわ」

「遠坂……」

終った、終ってしまった……そう思って立ちあがろうとしたところで、ほっと小さく安堵するような溜息と共に、遠坂がどこか硬い表情で俺を見据えてきた。
ふと視線を前に向けると、セイバーも同じような視線で俺を見つめている。
そういう事か。俺は漸くその事に気が付いた。二人とも、最初から……

「……気持ちはありがたいと思う。でも、俺を余り甘やかさないでくれ」

「ごめん……」

俺の手を汚させたくない。その気持ちはわかる。でも、だからといって遠ざかっていいものじゃない。背中を見せて目を瞑って、誰かに解決してもらう問題じゃない。辛くても苦しくても、自分の手で決着をつけるべき問題なんだ。
俺はそんな気遣いをしてくれた二人に感謝しながらも、唇を引き結んで応えを返した。なにしろ、あの白い少女は俺の……
と、その時だ。

――なじかは知らねど……

歌声が響いて来た。

――心わびて……

途端。力なく横たわっていた触手が再び持ち上げられた。そして先端が、蠢き湧き上がるように形を変えていく。

「なっ!」

「くっ!」

――お兄ちゃん……

――シロウ……

――わたしの物になりなさい……

あの白い少女だ。八本の触手が八本共にあの白い少女の顔をその先端に浮かべ、驚くほどのすばやさで俺に向かって迫ってくる。

「シロウ!」

そんな迫りくる触手の群に呆然と立ち尽くす俺たちの中で、一番先に動いたのはやはりセイバーだった。目の前を通り過ぎようとした二本の触手をたちどころに切り落とし、残る触手を切り伏せようと即座にとって返す。
だが、そこに一瞬の隙が出来てしまった。肉塊に背を向けてしまったのだ。

―― 尖!――

「――なっ!」

「セイバー!」

ひときわ長い一本の触手が崩れた肉塊から電光の速さで伸びたかと思うと、セイバーの身体に絡みつき、そのまま宙へと持ち上げてしまったのだ。

「士郎! 下がって!」

だが、セイバーを助けに向かう事は出来なかった。俺たちは俺たちで、少女の顔を持った触手に、瞬く間に取り囲まれてしまっていたのだ。

「きゃ!」

「遠坂!」

ついに俺も、遠坂も、触手の幹の絡め取られ、がんじがらめに押さえつけられてしまった。

――わたしのこと嫌いなの?

そして、俺の目の前に八つの顔が迫ってくる。八つが八つあの白い少女の顔で俺に向かって同じ言葉を唱和してくる。

ああ……

その瞳の奥にはやはり“本物”があった。憎悪と恨み、そしてどこか屈折した愛情。
夢で見た“思い出”が脳裏をよぎる。雪の中軽やかに舞う少女、その少女と同じ髪をした一人の女性。そして……
その少女を抱き上げた切嗣の姿……
俺は思い出していた。
切嗣の本当の血縁。俺が横取りして、ずっと一人にさせてしまった幼い少女。
俺より少しだけ年上の、銀の髪と赤い目をした……

「俺は……君の事を嫌いじゃない……」

だが同時に、別のことも思い出していた。俺を叱咤しながら震えていた遠坂、俺の帰還を当然と受け取ってくれたセイバーの信頼。俺はもう俺だけじゃない。安易な贖罪はもう俺には許されない。ならば俺に出来る事は……そう一つしかない。

「でもイリヤ。俺は君とはいけない」

――投影開始トレース・オン――

その言葉と同時に、俺は九本の剣を投影した。

―― 弾! 弾! 弾!――

俺を、遠坂を、セイバーを捕らえていた触手が弾ける。
同時にどこかにある本体との繋がり絶たれ、ただの腐肉に戻ろうとする八つの少女イリヤの向かい、俺は俺に出来るただ一つの贖罪を誓った。

「俺は、君の事を、決して忘れない」

どんなに辛くとも、どんなに己の無力に責めさいなまれる事になっても、その事を記憶に止め続ける事、生き続ける限り忘れずに少女の思い出を生かし続けること。それだけが今の俺に出来る事だ。
その誓いに合わす様に、八つの顔が揃って溶けていく。その寂しげな顔にどこか満足そうな笑みが見えたのは、ただの錯覚だろう。
俺はその顔を見つめたまま、新たな決意を以って天に向かって叫んだ。

「ランス!」

俺たちの中でただ一人捕われていなかった翼。俺の指示に従い、ずっと本当の本体を探し続けていた翼に俺は意識を送った。

――エミヤよ……

そのランスの視界には、崩れた肉塊から伸びる十本目の触手が映っていた。烏賊の足は十本。この先に本体が居る。

「――投影開始トレース・オン

俺は十本目の剣を虚空に投影した。




瞬く間に崩れ溶けていく触手から這い出した俺たちは、無言のままリグデッキに向かった。
そこにはサーチライトに照らされ、バランサーの上にしどげ無く横たわる、もう一匹のダイオウイカの屍。そしてその中央には、一本の剣が突き立っていた。

「シロウ、私が……」

「いや、俺が行く」

思い切ったように口を開いたセイバーを押さえ、俺はワイヤーを伝ってバランサーまで降りる。

「……」

俺は、突き立った剣の柄を掴み、そのまま一気に屍の腹を引き裂いた。

「くっ……」

「うっ……」

デッキの上から遠坂とセイバーの息を呑む音が聞こえる。腐ったダイオウイカの腹。その中にあったのは、
銀の髪と赤い瞳を持った女性達が、半ば溶け、もつれるように絡み合った醜悪な肉塊だった。

「……」

俺は無言でその女性達を見詰め続けた。覚えがある。醜く歪み溶け、あるものは足りなく、あるものは多くあるが、この女性達は間違いなく夢の中で見た、あの女性。イリヤと共に居た女性と同じものだ。

「……ホムンクルスね……おそらくは聖杯イリヤスフィールの……」

息を呑んだ遠坂が、徐に口を開いた次の瞬間。

「バックアップデータですね」

何処か聞き覚えのある声音と同時に、俺たちはヘリの爆音とサーチライトの光に囲まれていた。

「……ミーナさん」

「救助に来ました。同行してくれますよね?」

そのサーチライトを背に受け、何処か硬く冷たい声音で俺たちに話しかけてくるミーナさん。瞳の色こそ違え、銀の髪に縁取りされたその表情は、白い少女イリヤと同様にどこか夢の中の女性を思わせるものだった。





凛さんには、リトアニアにあるアインツベルンの施設で事故があり、今回の件はその余波である事で納得してもらった。私共がこの一月掛かりきりになっていたのはその処理の為、神秘の隠匿を旨とする協会の実戦部隊として、これは十分納得できる理由のはずだ。
あのホムンクルスに関しては秘匿情報である事を理由に詳しくは話していない。ただ、あれらが共感を利用し、嘗て聖杯であった物イリヤスフォール・フォン・アインツベルンの経験と情報を蒐集するための“装置”であったという凛さんの推測は否定しなかった。
分割され、それぞれ重複した記憶を収め、最終的には一つに取りまとめて、再生する。その一部が海に流れ、ダイオウイカに飲まれた事で逆に同化し採掘基地を襲った。凛さんの推測自体はさほど的外れではない。ただ、

「貸しにしといてあげる」

最後に凛さんが言ったこの一言が、自分の推測に自分自身で全てを納得しているわけで無い事を表していた。そして、私が隠し事をしている事も。

「……」

そして今、私はもう一人納得してもらう人の元に向かっている。
ドゥン・スタリオン号のデッキで、私共の撤収後“事故”で燃え上がった採掘基地を見据える、一人の男性の元へ。

「ミーナさんは知ってたんだな」

私の足音に気づいたのだろうか、その男性、衛宮士郎は振り向きもせずに口を開いた。

「考えてみたら不思議じゃない。ミーナさんは、あの戦いの前の切嗣を知ってたんだからな」

そのまま私の答えを待たず、士郎くんは振り向く。
ああ、士郎くんは知ってしまったんですね。全てを聞かずともその表情を見ればわかる。あの“記憶”から伝えられたのか、それとも元々知っていた事を思い出したのか、それはわからない。でも今、士郎くんは知っている。自分に、嘗て姉弟が居た事を。

「士郎くん……」

ならばもう選択の余地は無い。私は全てを伝えるべく口を開いた。

「一つ聞いていいかな?」

だが、その言葉は再び口を開いた士郎くんに遮られてしまった。

「あの娘は、イリヤはミーナさんにとってどんな娘だったんだ?」

その言葉を受けた途端。私は話すべき言葉を失ってしまった。
思い出がよみがえる。あの冬の日。あの戦いの直前、ほんの僅かな時間だけ私共の元を訪れた一組の家族。あの銀髪の女性は、母を失った私を優しく抱きしめてくれた。私より少しだけ年下の白い少女は、引きこもりがちだった私を、外に出れるのに出ないなんて勿体無いと、毎日のように引き出してくれた。そして、そんな母子を切嗣叔父様はいつも優しく見つめていた。

「とても、大切なお友達でした……」

そして私の……

「そうか……なら、今はそれだけで十分だ。ミーナさんなら間違えたりしないと思う」

それだけ言うと、士郎くんは再び炎に視線を戻した。

「ごめん、ミーナさんイリヤを助けられなかった。それに俺は、あの娘から切嗣を横取りした。憎まれて当然だ」

そしてそのままポツリと、小さく哀しげに呟く。
ああ、そうか。これでわかった。
あの“記憶”はイリヤの切嗣への、士郎くんへの思いを持っていたんだ。だから、士郎くんを追ってこんなところまで来たんだ。ならば、
ならば私は伝えておかなければならない。これは私の責務だ。三年前、受け取ったものを伝えておかなければならない。

「イリヤは、本当は喜んでましたよ。姉弟が出来たって」

「え?」

「キリツグの息子がどんな子供なのか、キリツグに似ているのかそれとも違うのか。本当はずっと楽しみにしてたんですよ。本当はあなたの事を愛したがっていた。あなたに好かれたかった。それは紛れも無く本当の事なんですから」

「ミーナ……さん」

何でそんな事がわかるのか? 士郎くんの顔にはそう書いてあった。でもそれは間違い、私はわかるわけではない、ただ知っているだけ。

「……わかった。信じるよミーナさん」

そんな私をじっと見つめていた士郎くんだったが、はっと何かに気づいたかのような顔をすると、厳しくそれで居て優しい表情になって頷いてくれた。

「有難う、士郎くん」

「お礼を言われるような事じゃない。ああ、そうか……あの墓の花。あれってミーナさんだったんだな」

「ええ……」

そのまま、私たちは黙って炎を見つめ続けた。

――なじかは知らねど……

いつの間にか、私は古い歌を口ずさんでいた。

――心わびて……

遠い昔、亡くなった母に教わった歌。

――むかしの伝説は……

そんなに遠くない昔、白い少女と共に歌った歌。

――そぞろ身に染む……

それに士郎くんも、何処か仏頂面でたどたどしい発音だけれども、それでも生真面目に、それで居て優しく声を合わせて歌いだしていた。

――わびしく暮れ行く ラインの流れ……

その横顔が何処を見ているかはわからない。けれど、

――入り日に 山々赤く映ゆる……

士郎くんもイリヤの事が好きだった。それだけは間違いない事だろう。

――当たり前じゃない。わたしたち姉弟なんだもん。

だからだろう、もう一つの歌声と共に、そんな声が何処かから響いて来たような気がした。

END


Fate四大ヒロイン中UBWルート後の為、Britainには登場しえないあの少女に関わるのお話。
せいぎのみかた(士郎くんの御話)としては欠かせない話ですし、少しばかり ぎんのおに も混じったお話でした。
少々重めのお話ですし、詰め込みすぎかと思いましたが何とか書き上げました。
なにはともあれ、Britain再開第一弾。今後ともよろしくお願いいたします。

2005/8/3 初稿

By dain

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